【夏の日の想い出・神は来ませり】(1)

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4人はその日賭け麻雀をしていた。負けた人は食卓の上に書いてある紙をめくりそこに書いてあることを実行する、というもので、ビール350cc缶一気飲みとか、あずきバー一気食いとか、逆立ち5分間とかは、まだ良かった(?)のだが、その内、裸でコンビニまで行ってビール買って来いとか(下着姿・自販機で勘弁してもらった)、みんなの前で****しろとか(みんなに目を瞑っていてもらうことで妥協)、かなり危ないネタが出てきて、スパゲティを鼻から食べろとか、目でピーナッツを噛めとか、無茶すぎるカードが出てくる(どちらもビールの一気飲み2本で勘弁してもらった)。
 
「誰だよ、こんな無茶なカード書いたのは?」
 
筆跡が分からないように、ネットで登録してプリントしている。
 
「さて、次はいよいよラスト1枚だぞ」
「何が書いてあるか怖いな」
「投稿したのは全部プリントしたんだっけ?」
「いや、それでは最後に何が残ったか、書いた奴が分かるから、投稿してもらった分から適当な枚数を外してプリントしてる」
「ああ、それでか。俺が投稿したのがまだ2枚出てなかったから」
 
そして最後の勝負で負けたのは信一だった。
 
「がーん・・・・」
「じゃめくるぞ」
 
と言って最後のカードをめくる。
 
「女装して出雲までヒッチハイクで行き、神在祭の写真を撮ってこい!?」
「うっそー!?」
 

4人は腕を組んで考えた。
 
「この際、これを誰が投稿したかは追及しないというのでいいよな?」
「うん、それでいい」
 
その件は全員合意する。
 
「信一、女装する道具とか持ってる?」
「女装なんてしたことないし、スカートも持ってないよ」
 
「誰か信一に貸せそうなスカート持ってる奴?」
と訊くが返事が無い。
 
「じゃこうしないか?」
とひとりが提案した。
 
「誰かひとりは信一の身体に合う女物の服を買ってくる。誰かひとりは化粧品を買ってくる。誰かひとりは美容院に付き添って行って、信一の彼氏の振りして信一の髪型を女の子らしい髪にしてもらうよう頼む」
 
「ちょっと待って。俺、女装するのは確定?」
と信一が訊くと
 
「確定」
と他の3人は言う。
 
「三郎のお姉ちゃんか、清志の妹さんか、信一の女装とか化粧のアドバイスをしてくれないかなあ」
 
「ああ、俺の姉貴そういうの好きっぽいから頼んでみるよ」
と三郎が言う。
 
「洋服とか化粧品を買うのも、そのお姉さんにアドバイスしてもらった方がいいかも」
「それがいいかも。俺らはそもそも何を買っていいか分からん」
 
「女装費用と旅行費用は残りの3人で出し合うというのでどうよ?」
「OKOK」
 
「やはり俺女装で旅行に行ってこないとダメなの〜?」
「行ってくることは確定」
「何ならそのまま性転換してもよい」
「それは勘弁して」
 
「講義は代返しといてやるから」
「ノートも勝弘のやつをコピーしといてやるよ」
「確かに俺たちのノートじゃ役に立たん」
 
「信一、カメラ持ってる?」
「スマホで撮れると思う」
「じゃそれでいいな」
 
「しかしだいたい、その『しんざいまつり』っての?いつあるんだ?」
 
と言って正隆は自分のスマホで検索してみた。
 

私たちがアクアと知り合う1年前。
 
2013年11月10日、高岡から青葉が私のマンションにやってきた。桃香・千里、そして青葉の友人の清原空帆という女子高生も一緒であった。
 
昨日9日に出てきて、千葉で何か用事を済ませていたと聞いたのだが、神社を作ることにしたというので驚いた。
 
「先月冬子さんから頂いたお金を使わせて頂きます」
「それはちょうど良かったね!」
 
私はこの年自分の「創作の泉」の枯渇に苦しんでいた。それを9月30日から10月2日に至る青葉のセッションで「新たな泉」を見つけることができて、私は当時創作意欲が物凄く高まっていた。私はその謝礼に青葉に3000万円払ったのである。
 
「でも神社って勝手に作れるものなの?」
 
「形式的には、いわゆる屋敷神に近いものですね。でも実は祭るべき神様があって、以前はちゃんと千葉市内の神社に祭られていたのですが、工事があって神社が移転された時に正しく移転の処理が行われなかったようなんです。それで神様はいらっしゃるのに、お社(やしろ)も祠(ほこら)も無い状態になっていたんですよ。その神様とちょっと御縁が出来たので、適切な場所を探してきちんとお祭りすることにしたんです」
 
「へー。そういうこともあるのか」
 
「土地の購入に1200万円、これは昨日払ってきました。今立っている古民家を解体して祠を建て鳥居も作り、玉砂利など敷いたりする工事を工務店と1000万円で契約しました。多分それ以外の様々な費用を入れたらちょうど3000万円くらいになると思います」
 
「それご神体とか必要なの?」
と政子が尋ねる。
 
「それは神様がご指定のものがあったので購入しました。実は政子さんのお父さんから買ったんですよ」
 
「え〜〜!?」
「私、札幌**デパートのお得意様カード持っているんですよね。仙台の**デパートに行ってカード見せたら、政子さんのお父さんが案内してくださってそれで十四代柿右衛門の皿を買ったんですよ。それがご神体です」
と青葉。
 
十四代酒井田柿右衛門(人間国宝)は今年6月15日に亡くなっており、現在“柿右衛門”の名称は空位である。来年2月4日(立春)に息子さんが十五代を襲名予定である。
 
「ああ、鏡とかよくご神体になってるけど、有田の皿とかも鏡に似てるよね」
と政子は言う。
 
「柿右衛門の皿とか高そうだ」
「そうでもないです。30万円でしたから」
と青葉が言うと
「きゃー!さんじゅうまんえん!?」
と空帆が悲鳴を上げていた。
 
「皿ごときに30万円とは、信じがたい」
などと桃香も言っている。
 
私は、その「皿を政子の父から買った」というのは、いつのことだろうと訝る。政子の父は政子の芸能活動にずっと反対していて、年間のライブ数も制限があったのだが、先月、ちょうど私が青葉のセッションを受けた直後に仙台から出てきて私のマンションを来訪し、政子の芸能活動を全面的に解禁すると言ったのである。これでローズ+リリーは、やっと自由に活動することができるようになった。
 
もしかして青葉は政子の父と何か話したのだろうか?
 

しばらく話している内に、七星さんが来て、青葉が居るのを見るとスターキッズの音源製作に協力して、などと言い出す。そこで、そこに居たメンバー全員(私・政子・青葉・空帆・千里・桃香)でスタジオに移動。夜遅くまで制作を続けた。七星さんは鮎川ゆまも呼び出していた。
 
終了したのが10日(日)23:00だったので、青葉と空帆は今夜は泊まって明日は学校を休もうかと言っていたのだが、鮎川ゆまが「自分のPorsche Panameraで高岡まで送っていくよ」と言い出した。
 
しかしゆまの暴走を心配した私と七星さんは「監視係兼交代ドライバーがいた方がいい」と言った。すると千里が、私が運転するよと言ったのである。
 

千里は昨年夏に性転換手術を受けたのだが、昨年夏は性転換ラッシュであった。2012.7.18に青葉が富山県内で、同日、千里はタイのプーケットで手術を受けており、一週間後の7.25には和実が、青葉と同じ病院で手術している。更に8.15にはスリファーズの春奈がアメリカの病院で手術を受けた。
 
実はその中で千里が一番大変だったようで彼女は手術直後に容態が悪化して死にかけており、その後の回復にもかなり時間が掛かっているように見えた。ここ1年ほどの間に何度か会った千里は、いつも青い顔をしていた。今年の8月に青葉が千里にヴィッツ(CVT車)の運転を頼んだときも、自信が無いと言って断ったと桃香から聞いた。
 
性転換手術を受けた後の回復期間は個人差が大きい。1〜2ヶ月で通常生活に復帰してしまう人もいるが、やはり千里のように1年くらい回復に時間が掛かる人もいる。千里はそこまで酷くはなかったようだが、一部の組織が壊死したりして、再手術が必要になる人もあるし、壊死までしなくても人工的に設置した尿道口でどうしても起きやすい炎症に苦しむ人は多い。
 
それで私も彼女の健康状態には心配していたのだが、千里は特にこの夏は調子が悪いようであった。夏は体力も消耗するし辛いのかなとも思っていた。
 
それが10月に3万円!で売られていた中古のミラを衝動買いし、それで全国、青森から鹿児島まで走り回ってきたらしい(お土産を買いすぎたと言ってお裾分けをもらった)。そしてその全国行脚で運転の自信も回復したようだし、体調もかなり回復しているようであった。実際今日昼過ぎにうちのマンションに来た千里を見た時、随分顔色が良くなっていると思ったのである。
 
実際この日は千里は本当に気分が良かったみたいで「桃香には内緒ね」などと言って、私と青葉だけに彼女の“女子高生”時代の写真まで見せてくれたのである。
 

「千里、この写真について私は追及したい」
「ちー姉、この写真の頃について詳しく知りたい」
と私も青葉も言ったものの、千里は笑ってごまかそうとしていた。
 
どうも千里の「大学に入ってから桃香に唆されて女装を覚えてそれが高じて性転換までしちゃった」という話は大嘘だったようである。ただし彼女は「高校時代バスケ部に入っていたから丸刈りにしていた」というのは嘘では無いといい、私たちに見せてくれた写真も髪はウィッグだと言っていた。
 
「バスケはその後やめちゃったの?」
と私が訊くと
 
「大学に入ってから趣味のクラブに誘われてしばらくやってたけどね。それも性転換手術の前に退団して今では何もしてないよ。そもそも私、もう男子バスケ部に入れてと言っても拒否されるだろうし、女子バスケ部には元男性である以上入れないし」
 
と千里は答えたのだが、これも大嘘であったことを、私は1年後に知ることとなる。全日本選手権に出場するようなチームが「趣味のチーム」の訳がない!!ただ男子バスケ部か女子バスケ部かという問題についてはいまだによく分からない部分が多い。千里自身、合理的に説明するのは不可能だと言っていた。
 

私は往復のガソリン代・高速代・食事代にと、ゆまに概算で10万円渡した。
 
「足りなかったら、追加で渡すから」
「OKOK」
 
青葉と空帆を後部座席に乗せ(2人には寝ているように言った)、千里とゆまが交代で運転したパナメーラは夜12時前に東京を出発したのだが、午前4時半には高岡に着いたらしい。どう考えてもスピード超過している!しかし最初ゆまは3時までにはおうちに帰してあげるよ、などと言っていたから、千里が付いていったことで、かなり安全度は上がったのではという気がした。
 
2人が帰ってきたのは11日の午後であった。2人はいったんゆまの自宅に行って「荷物を降ろして」から、ゆまが1人で私のマンションにやってきた。
 
「あまり使わなかったよお。高速代は行きが7840円、帰りが9690円。ガソリン代は22456円、飲食代等は14890円。合計約55000円だから45000円返すね」
 
とメモを見ながら言う。たぶん千里が計算してくれたのだろう。
 
「じゃとりあえず受け取っておく」
 
「それとこれお土産〜」
「わあ、ありがとう!」
 
ゆまが持って来たくれたのは、中田屋のきんつばと、笹義の“ますの寿し”である。
 
(富山名産の鱒寿司だが、お店により微妙な表記違いがある。最も有名な源は「ますのすし」、一部根強いファンのいる笹義は「ますの寿し」と書くし、他にも高芳「鱒の寿し」なみき「ます寿し」元祖関野屋「鱒乃寿し」など様々な表記がある)
 
「ありがとう!これどちらも、私も好きだし。マリも大好きなんだよ」
「まあ美味しいよね」
 

千里は何か千葉市内で用事があるとかで、そちらが終わってからまた顔を出すと言っていたということであった。
 
「でもこの時間になったというのは、帰りは安全運転で走ってきたのかな?」
と私はゆまに訊いた。
 
「いや、それが高岡に向かう途中で雪が降ってきて焦っちゃって」
「わぁ。タイヤは・・・スタッドレスだったんだよね?」
「いや、それがノーマルだったんだよね〜」
「え〜!?」
 
「千里さんが雪道なら任せてというから、積雪している区間は全部お任せした」
「ノーマルタイヤで雪道を走って大丈夫なもの?」
「千里さんの話では、スピード控えめにして、シフトも落として走ればわりと何とかなるということだった。他人には勧めないけどと言ってたけど、私もそのあたりは自信ない」
 
しかしゆまは昨日は「村山さん」と言っていたのが今は「千里さん」になっている。一緒に高岡まで往復してきたので、かなり親しくなったのだろう。
 
「でもやはり危険だからこれスタッドレスに交換しようよということになってさ」
「ああ。じゃ向こうでスタッドレス買ったんだ?」
「そうそう。私、クレカ停められてるんで困ったと思ったけど、千里さんが自分のクレカで買ってくれたから、後で精算しないと」
 
「わあ、それは大変だったね」
 
私は千里はバイト学生なのに大丈夫かなと心配した。
 
「あれ?クレカ停められてるんならETCカードは?」
「ETCパーソナルカードって作ってるんだよ。銀行の自動引き落としで払えるやつ」
「なるほどー」
「でも、それ限度額あって大変でしょ?といって、それも千里さんがETCカード貸してくれた」
「わっ」
「実はデポジットしている額の半分までしか使えない。私8万のデポジットだから月に4万円までなんだよね」
「旅行とかすると結構厳しいね」
 
この当時、鮎川ゆまはラッキーブロッサムの解散から2年近く経ち、スタジオミュージシャンやサックス教室の先生をして食いつないでいた時代である。結構懐具合も寂しいのかなと私は思った。(ゆまが南藤由梨奈のディレクターとなり、経済力を回復させていくのは翌春のことである)
 
「冬からもらった現金から2万渡しておいた。後でタイヤ代4万も渡さねば」
「じゃ、この余った金額から渡しておけば良かったのに」
「あ、そうか!気付かなかった」
「後で来るなら、その時私が取り敢えず渡しておこうかな」
 
「じゃよろしく。冬との間は後日精算で」
「OKOK」
 
「しかし交換したタイヤを荷室に積んだから、荷室にあった荷物は全部後部座席に放り込んで、なかなか大変だった」
とゆまは言っている。
 
「でもスタッドレスは持ってなかったんだっけ?」
「あったけど、あの車を買った年に買ったものだったんだよね〜」
「それ耐久期限が過ぎているのでは?」
「うん。だからちょうどよかった気もするよ」
 

それで(私は譜面の整理をしながら)少しおしゃべりしていたら七星さんがやってくる。
 
「おお。いい所に来たようだ」
と言って、勝手にソファに座ると即、鱒寿司を摘まんでいる。
 
「音源製作の方は?」
「行き詰まったから気分転換」
「なるほどー」
 
七星さんが来てから5分もしない内に政子が
 
「何か美味しい匂いがする」
などと言って起きてきた。
 
政子はだいたい昼過ぎまで寝ていることが多いのだが、この日はちょっと遅いなと思っていた。そろそろ起こしに行った方がいいかなと思っていたのだが、食べ物の匂いに釣られてやっと起きたようである。
 
ゆまが買ってきていたという、もう1個の“ますの寿司”も開けてみんなで一緒につまむ。
 
「千里にはとっておかなくていいかな?」
と私は心配したが
 
「千里さんは自分でひとつ持って行ってたよ。千里さんの彼女と一緒に食べるんじゃないかな。そもそもこのお店は、その彼女のお勧めなんだって」
とゆまは言っていた。
 
「へー。桃香のお勧めか」
 

「でもこの鱒寿司の鱒(ます)って、富山湾あたりで泳いでいた鱒かなあ」
などと、鱒寿司を食べながら政子が言う。
 
「鱒(ます)はさすがに北海道産とかじゃないの?富山湾と言ったら、ブリとか白えびとか“食べられる天然記念物”ホタルイカでしょ」
とゆまが言う。
 
「そうか。寒鰤(かんぶり)が美味しいんだった」
と政子。
 
「これからの季節は蟹も美味しいんじゃない?」
と私は言った。
 
「蟹って、タラバガニだっけ?ズワイガニだっけ?」
「タラバガニとあと毛ガニは獲れるのは北海道だけ。他の地域はズワイガニとか紅ズワイガニが主力だと思う」
と七星さん。
 
「松前蟹ってのがズワイガニだっけ?」
 
「松葉蟹では?」
「あれ〜〜〜?」
 
政子は漢字にも食べ物にも強いのに、しばしば大きな勘違い・覚え間違いをしていることがある。
 
「ズワイガニは異名が多いよね。福井県付近で獲れるのは越前ガニ、山陰で獲れるのが松葉蟹、京都府では間人蟹(たいざがに)、石川県は加能蟹(かのうがに)」
と七星さんが解説する。
 
(ちなみに富山湾は紅ズワイガニがよく獲れ、地元では赤ガニと呼ばれている)
 
「松葉蟹は山陰かあ。松葉って地名?」
 
「地名ではないよ。足を広げた姿が松葉のようだというので付いたとか、蟹肉を水に浸けると松葉のように広がるからだとか、茹でる時に松の葉を燃料に使ったからとか、色々な説がある」
 
「松葉って気持ちいいよね」
「何の話をしている!?」
 

七星さんもちょっと呆れたようだが気を取り直して
「英語ではズワイガニはQueen Crabだよね」
と言う。
 
「女王なんだ?王様もいるの?」
「タラバガニがRed King Crab」
「おお!」
 
「じゃ、雄がタラバガニで、雌がズワイガニ?」
「いや、別の種類だし、どちらもオス・メスいるよ」
「そうか」
 
「でも主として食べるのはどちらもオス」
「メスは〜?」
「メスは産卵するから、そのために栄養が取られてどうしても味が落ちる」
 
「ああ、それは仕方ない」
「それと日本ではタラバガニと毛ガニのメスは、資源保護のため捕獲禁止」
「え〜? でもオスだけ捕獲できるの?」
「捕まえた中にメスがいたら放す」
「女の子なら助けてもらえるのか。女装してたら助かるかな?」
「どうやって女装するのさ!?」
「リリースした場合、8割程度は生き延びられるとも言う」
「ああ、結構生存率が高い」
 
「タラバガニはオスもメスも似たようなサイズだけど、ズワイガニのメスはオスに比べて極端に小さいから、各地で別の名前が付いている」
 
「あ、それは聞いたことある」
 
「コッペガニとかコウバコガニとかセコガニとか。安く売られているから、普段のお味噌汁の具とかにもするんだよね。水揚げ地では」
 
「そっちはメスを捕まえてもいいわけ?」
「十分な数がいるから大丈夫なんだろうね」
 

「でもそんなに体格差があったら、オスのズワイガニが女の子になりたいと思っても性転換は難しいね」
などと政子が言い出す。
 
「蟹の性転換!?」
 
「蟹って性転換するんだっけ?」
と私はゆまは顔を見合わせたが、七星さんが知っていた。
 
「甘エビは性転換するよ」
「ほほお」
 
「甘エビは生まれた時はみんなオスで成長するとメスになる」
「クロダイとかと一緒か!」
 
「卵を抱くには身体が大きくないといけないから、最初は男の子として精子を提供し、大きくなったら女の子に性転換して卵を産んで抱いて育てる」
 
「甘エビは大きい方がメスなのか」
「甘エビって全部卵抱いてるイメージあったけど、そういう仕組みがあったのね」
 
「シシャモだと、オスに卵を注射してメスに見せた偽メスもかなり売られているけど、甘エビの卵抱いているのは、全部本物のメス。もっとも小さい頃はオスだったわけだけど」
 
「甘エビは全員男の娘かぁ」
と政子は何だか楽しそうである。
 

「普通の蟹は性転換しないけど、フクロムシに寄生されたされた蟹は去勢されてメスのような行動を取る」
と七星さん。
 
「寄生されると去勢されちゃうの!?」
 
「フクロムシは宿主に寄生すると、AG(androgenic gland)あるいは造雄腺と呼ばれる甲殻類をオス化させる器官を破壊してしまう。要するに生殖活動されるとそれで栄養を消費するから、寄生側に有利な身体に変えてしまうんだよね」
 
「なんてわがままな」
 
「それで造雄腺を破壊されたオスはメスのような体つきになり、メスのような行動をするけど、オスだから卵も産めない。むしろ、フクロムシの卵を自分の卵と勘違いしてしまう」
 
「男の娘でも妊娠したらちゃんと母親的な行動できるよね」
と政子が発言したのは取り敢えず黙殺する。
 
「カッコウ並みの悪い奴っちゃ」
「オスを強制的にオカマにしちゃうのか」
などと私とゆまは言っていたのだが、政子は
 
「強制男の娘計画かぁ」
などと言って、何だか目をキラキラさせている。
 
「ねえ?どこかに男の娘にしてしまいたいような、可愛い男の子はいないかなあ?」
 
「知らん!」
 
「無理矢理女性ホルモンを注射して男の娘に変えてしまう」
「それ間違い無く犯罪!」
 

「よし」
と言って政子は立ち上がった。
 
「どうかした?」
「松葉蟹を食べに行こう」
「何でそうなるの!?」
と思わず全員が突っ込む。
 
「だって蟹は美味しいよ」
と政子。
 
「まあ美味しいけどね」
とゆま。
 
「松葉蟹って解禁日があるんじゃなかった?」
と私は七星さんに訊く。
 
「確か11月上旬。ケイ、ちょっとパソコンで調べられる?」
「うん」
と言って私は検索してみた。
 
「11月6日だったみたい」
「じゃもう食べられるね」
「どこがいいかな。山陰といっても広いよね」
 
「兵庫県の香住漁港、柴山漁港、津居山漁港。鳥取県の網代漁港、鳥取港、境港。島根県の松江港、西郷港、浦郷港、境港。あれ?境港は鳥取と島根の両方でカウントされてるみたい」
 
「まあ県境にあるからね」
「西郷・浦郷ってのは隠岐みたい」
「なるほどー」
 
「どこに行く?」
 

「ね。神無月って終わったんだっけ?」
「ああ。むしろそろそろ旧暦10月という気がする」
 
と言って、私は暦を確認する。
 
「今年は11月3日が旧暦の10月1日だったみたい」
「じゃ、今出雲には全国の神様が集まっている最中だよね?」
 
「あれは神無月の中でも一週間だけなんだよ」
と言って私はその日程を確認する。
 
「今年は新暦で11.13-11.19の期間」
「一週間だけなのか!?」
「出雲大社では前日の12日夕方から深夜に掛けて神迎祭(かみむかえさい)をして、19日に神等去出祭(からさでさい)をする」
 
「前日なの?」
「昔の感覚だと夕方に1日が始まることになっていたから、13日からということは、12日夕方からなんだよ」
 
「なるほどー」
と言って
 
「じゃ、12日の夕方までに出雲に行こう。全国の神様が集まるなら御利益も凄いじゃん。それから神迎祭を見てから松葉蟹と宍道湖七珍と出雲そばを食べて帰ってくる」
 
と政子は言った。
 

「まあいいけどね。じゃ、このメンツで行く?」
と私は訊く。
 
「私も蟹食べたい。ケイのおごりで」
とゆま。
 
「いいよー。七星さんも行きます?」
 
「私も行きたいけど、音源製作をせねばならぬ」
「あぁぁ」
「だから、松葉蟹、お土産で買ってきて」
「分かりました。買ってきます」
 
それで私は出雲へのルートを確認する。
 
「飛行機で出雲空港まで行くのが楽だよね」
と言ったのだが・・・・
 
「羽田−出雲間、空席無し」
と私は航空会社のサイトを見て言う。
 
「伊丹−出雲間も全便満席」
 
「ああ」
 
「やはりこの間際になってからでは無理か。じゃ新幹線と伯備線の特急を乗り継ぐかなあ。伯備線が混みそうだけど」
と私は言ったのだが、
 
「車で行こうよ」
とゆまが言い出した。
 

「何時間掛かるの〜?」
「ちょっと待ってね」
と言って、ゆまは自分のAQUOS PHONEをいじっている。
 
「距離は約800kmかあ。だったら時速150km/hで走って5時間半かな」
とゆま。
「それは無茶すぎる」
と七星さん。
 
「まあ、ゆまが言う時間の倍で11時間、それに途中の休憩入れて14-15時間かな」
と私。
 
「パナメーラなら最高250km/hまで出るから150km/hくらいは楽勝だよ」
とゆま。
 
「ケイ、ケイのフィールダーを使おうか。だったら最高でも140km/hくらいだよね?」
と七星さん。
「一応180km/hくらいまでは出るはずです。スタッドレスも履かせてますよ」
と私。
 
「じゃ、そっちにしようよ」
と七星さん。
 
「待ってよぉ。せっかく私も新しいスタッドレス買ったから、慣らし運転を兼ねて走りたい」
と、ゆま。
 
「だったら制限速度守ること」
と七星さんが言う。
 
「まあ仕方ないか。次捕まれば免停だし」
とゆま。
 
「それと交代ドライバーが必要。マリは免許持ってなかったよね。ケイ、MTは運転できる?」
 
「こないだイギリスに行くのにMTの練習しました」
「じゃ、ゆまとケイで交代で運転ということで」
 
と七星さんは言ったのだが、政子が異論を挟む。
 
「ケイは多忙すぎて疲れが溜まっているよ。短時間の運転ならいいけど、こういう長距離は危ないと思う。だから昨日ゆまさんのポルシェ運転してた千里を呼び出そう」
 
「ああ、その手もあるか。そういえばこちらに来ると言ってたね。でも忙しいみたいだし、出雲まで往復する時間あるかな?」
と私は心配する。
 
「千里さん頼めるなら心強い。あの人凄くうまい。それに普段インプレッサとか、RX-7/8とかとか、フェラーリとか、運転しているらしい」
 
「それは知らなかった!」
「B級ライセンスも持ってたよ」
「へー!」
 

それで結局、ゆまが千里に電話してみたら、千葉市内での用事が終わった所だから、今からそちらに行くということであった。
 
「千葉市内でも少しへんぴな所で用事を済ませたから車で来てるんだけど、このまま車で冬のマンションに行ってもいいかな?来客用駐車場空いてる?」
 
と千里は尋ねてきたが、そのまま出雲に行くことになるから数日駐めることになる。それで、私が駐車場代を持つから、車で出てきて、マンション近くの駐車場に駐めて、と頼んだ。
 

「いつ出発する?」
「今夜出発すれば、明日12日朝には到着するから、あの付近を見学したり休憩していれば、ちょうど神迎祭の時刻になると思う」
 
「じゃ、千里ちゃんが千葉から出てくるまでの間に、私、食料とか飲み物とか買ってくるよ。ケイ、フィールダー貸して」
「はい。お願いします。じゃ、取り敢えず買出し用のお金このくらい」
 
と言って現金と一緒にフィールダーのキーを渡す。
 
「じゃお金は後で精算で」
と言って七星さんは出て行った。
 

千里がやってきたのは、18時頃であった。千里は結局今朝こちらに戻ってきてから、バイトに行ったりしていたらしい。全く寝ていないというので、少し仮眠してもらった。
 
七星さんが19時すぎに戻って来たので、荷物をフィールダーからパナメーラに積み替える。毛布と布団も人数分積む。
 
七星さんは「少し頑張らなきゃ」と言ってスタジオに戻る(私が作っていたおにぎりと、七星さんが買ってきた食料の一部を差し入れ代わりに持っていってもらった)。私たちは20時半に千里を起こした。
 
七星さんが買ってきたお総菜と、私が作ったクリームシチューで4人一緒に晩ご飯を食べる。私たちは22時に出発した。
 
ETCカードは私のを挿した。またタイヤ代を取り敢えず千里が自分のカードで払っていた分、私が4万円千里に渡した。
 

それで私たちは妙に張り切っているゆまの運転で出発したのだが・・・
 
マンションの駐車場を出た所でいきなりガツッという嫌〜な音がする。
 
「うっ・・・・」
「何かにぶつかったね」
「えーん・・・」
 
降りて確かめてみると、この付近は車道と歩道を分離するコンクリート製の円柱状の車止めが並んでいるのだが、駐車場の出入口から車道に出る部分の端にある円柱にぶつけてしまったようである。要するに、ゆまがきちんとした左折をせず、ショートカット気味に左折しようとしたので内輪差でぶつかってしまったようである。昼間なら車止めに気付いたろうが、夜間で見えなかったのだろう。
 
「ボディが少し凹んでるけど、多分4〜5万で直ると思う」
と千里。
「その修理代は私が出すよ。じゃ戻って来てから修理に出す?」
と私は言ったのだが
 
「あれ?左側のヘッドライトが消えてるよ」
と政子が指摘する。
 
「あれ〜〜!?」
「ライトもぶつけた?」
「いや、ライトには当たってないと思うんだけど」
「配線が切れたかな?」
 
「ボディの凹みはいいとして、ライトが点かないと夜間走行無理だ」
と私。
「どうする?」
と政子。
 
「やはりフィールダーで行こうか」
と私は言ったのだが、
 
「千里さん、千里さんはどっちの車で出てきたの?」
とゆまが訊く。
 
「インプレッサだよ。ちょっとミラでは行きにくい場所だったんだよね〜」
「じゃ、すぐ近くにインプがあるんだ!」
 
ゆまが「カローラ・フィールダーよりインプレッサの方が走らせるのに楽しいから」と言うので結局そのインプレッサを使うことにする。千里にそのインプを持って来てもらい、マンションの前で荷物をプリメーラからインプに積み替えた。ETCカードも移した。
 
「おお。この車にはカーナビが付いてる」
などとゆまが言っている。
「ミニゴジラの安いモデルだけどね。これ取り外してウォークナビとしても使えるからわりと重宝している」
「ああ、それはかえって便利」
 
10分ほどで荷物を移し終える。
 
「じゃプリメーラを今インプを駐めていた駐車場に駐めてくるよ」
と千里が言う。
 
「ライト片方使えないけど」
「短距離だから大丈夫大丈夫」
 

結局千里がインプレッサを運転してその駐車場まで行き、ゆまが運転するプリメーラがその後ろを追従する形で移動した。駐車場にプリメーラを駐める。
 
「ぐすんぐすん。せっかく新しいタイヤ買ったばかりなのに」
「まあ廃車にならなくてよかったね。私の知り合いで新しいスタッドレスを買った翌日に事故起こして廃車にした人知ってるよ」
「それは何て悲惨な」
 
結局、ゆまはそもそも寝不足では?ということになり、2時間ほどマンションで仮眠していた千里の運転で出発することになる。
 
「でも千里、こないだミラ買ったと言っていたのに」
と私が言うと
 
「このインプは借り物〜」
と千里は言う。
 
「あれ?そうなんだ?」
「長期間借りてるんでしょ?」
と助手席のゆま。
「そうそう。2009年の春以来、4年半借りっぱなし」
「それはほぼ私物化している」
 

千里の運転するインプレッサ・スポーツワゴンは首都高に乗るとスムーズな進行で東京ICまで行き、東名に乗った。そして私は思わず言った。
 
「千里、運転うまいね〜」
 
「まあこれまでに多分30万kmくらい走ってるから」
「千里、いつ免許取ったんだっけ?」
「高校を出た後、大学に入る直前の春休みだよ」
「なるほどー」
 
「千里さん、誕生日が3月3日だから、その日程でしか取れなかったらしい」
とゆまが補足説明する。
 
「それに私、ファミレスのバイトしてて、しょっちゅうお客さんに車の車庫入れ・車庫出しを頼まれるから、実に様々な車を運転しているんだよね。それでどんな車に乗っても怖くない」
と千里。
 
「それも凄い」
 
「私、千里のバイトしてるファミレス行ったことあるよ。凄く良心的なお店。料理も美味しいし」
と政子が言っている。
 
「でも理系なんて忙しいだろうに、よくファミレスのバイトと両立できるね」
「まあうちは実家が貧乏だから私が働くしかないから」
「いつからバイトしてるの?」
「大学1年の時からだよ」
 
私は少し考えた。
 
「千里、ウェイトレスさんだよね?」
「そうだけど」
「大学1年の時からウェイトレスさんだったの?」
「そうだけど?ふつうにスカートの制服着て勤務してたよ」
 
ああ。もう千里は開き直ってるなと私は思った。
 
「それに、私は夜間のシフトに入れてもらってるんだよね。単価が高いから学資稼ぎにいいし、深夜過ぎるとお客さんが少なくなって結構時間が取れるからその間に勉強できる」
 
「それいつ寝る訳〜?」
 
「眠たくなったら寝るよ。私寝ててもお客さん来たら即起きられるし」
「偉い!」
 
「千里さんは勘がいいよ」
とゆまが言う。
 
「昨日も前方にモタモタ走ってるスカイラインが居たから追い越そうよと言ったら、あれは覆面パトカーだって言うのよね。それで追随してたら、後ろから来たプリウスが30km/hオーバーくらいの速度で追い越して行って。するとそのスカイラインが赤色灯出してサイレン鳴らしてその車追いかけていって捕まえたんだよね」
 
「おお」
「それで捕まっている車の横を通過してからこちらはスピードを上げる」
「うまい!」
 
「あ、それと似た話聞いたことある」
と政子が言い出す。
 
「冬って、中学生頃に自分の部屋で、こっそりスカート穿いていたりした時に、お母さんが来そうと思ったら、さっとズボンに穿き換えて、女装がバレないようにしてたんだって」
 
すると
「それは嘘だ」
とゆまも千里も言った。
 
「冬子は、どうも色々な人の話を聞いていると、小学生の頃から女の子として暮らしていて、中学生の時は3年間セーラー服で通学していたっぽい」
などと千里が言うと
 
「それは間違い無いよ。私は冬子が中学2年の時にドリームボーイズのダンスチームに加入したんだけど、その当時既に冬子は女の子の身体になってたからね。中2で性転換手術まで既に終わっているのなら、とっくの昔にセーラー服通学していたはず。実際何度かセーラー服姿で仕事に来たこともあったし」
などとゆまは言っている。
 
「おお。その頃のことを色々聞きたいなあ」
と政子は興味津々であるが
 
「勘弁してよぉ」
と私は言っておいた。
 

千里もゆまも、私と政子に寝ておくといいと言ったので、私たちは遠慮無く眠らせてもらった。
 
私が目を覚ましたのはもう朝6時半であった。政子にも指摘されたが、やはり疲れが溜まっているようである。私が起きたのに気付いた助手席のゆまが声を掛ける。
 
「おはよう。眠れた?」
「うん。ありがとう。ぐっすり寝過ぎた感じ」
「冬はほんとにオーバーワークっぽいからできるだけ休んだ方がいいよ」
「休めたらいいんだけどねぇ」
 
「ここだけの話さ、ローズクォーツの方は辞められないの? 無理だよ両方を兼任で音楽活動をした上で、様々な歌手に楽曲提供もってさ」
と、ゆまは言う。
 
「悩んではいるけど、私が抜けたら、彼らたぶん食っていけなくなる。元々政子が音楽活動できない状態だったから、私と組ませるのに仕事も辞めてもらってローズクォーツ作ったんだから私には責任があるし」
 
と私は政子が熟睡しているふうなのを見ながら言った。
 
「それもう3年も前のことじゃん。もう充分冬は頑張ったと思う。ローズ+リリーが復活した時点でローズクォーツの存在意義は消えたと思う。なんなら4人に退職金で2000万円くらいずつ渡したっていいじゃん。もっともケイ抜きのローズクォーツが採算取れないということ自体が私は信じられない。本当なら営業の仕方が悪すぎると思うなあ」
とゆまは言う。
 
実はローズクォーツは町添さんの工作などもあり、この夏以来4ヶ月ほど、私抜きで活動している。プロジェクトはかなり赤字を出しているので、彼らが食うに困らないよう、曖昧な名目でサマーガールズ出版(私と政子の会社)がその赤字を補填してあげている。
 
「まあ若干現在の営業には疑問もあるけど、あまり口を出さないようにしている。だって口を出したら、よけい向こうに私自身がのめり込むことになる」
 
「その件、ちょっと私が裏工作してもいい?」
とゆまは言った。
 
「うーん・・・裏工作ね・・・・」
と私はどう答えていいか悩んで言葉を濁した。
 

まだ日出前のようだが空はもう完全に明るくなっている。その朝の光が路面の雪に反射してややまぶしい。助手席のゆまも運転している千里もサングラスをしている。裸眼では辛い状態だ。
 
「やはりこちらは雪になったんだね」
「中国道に入ってすぐあたりから結構降ってきた。それでそこで雪道に慣れてる千里さんに運転交代したんだよ。浜名湖SAから西宮名塩SAまでを私が運転した。まあ私はその後、ついさっき米子(よなご)道に入る頃まで眠ってたけどね」
 
「今、米子自動車道?」
と私は訊いた。
 
「うん。もうすぐ韮山高原SAに着くから、そこで休憩しよう」
と千里が答える。
 
「ああ、それがいいね」
 
それで千里の運転するインプレッサ・スポーツワゴンは韮山高原SAの駐車場に駐まる。ちょうどここで日の出となった。
 
私は政子も起こしたが、政子は眠いと言ってトイレに行ったあとそのまま車に戻ってしまったので、車はアイドリングして暖房を入れた状態にしておき、毛布と布団も掛けてやって、私と千里とゆまの3人でSAのレストランに入り、朝食を食べた。
 
「しかし美事な雪景色だね」
「うん。完璧に雪が積もった」
 
「湯原ICからチェーン規制が掛かってたよ。1台1台停めては、懐中電灯でタイヤを照らして冬用タイヤかどうか確認してた。ノーマルタイヤなら、チェーン付けてくださいと。そばでチェーン装着頑張っている車もあった」
 
「チェーン持ってなかったらそのまま下道へどうぞか」
「事実上、中国道上りに乗り直して、津山あたりまで戻ってどこかに泊まるしかないよね」
 
「うん。チェーン持たないのに、夜中や早朝に高速より道の状態の悪い下道をノーマルタイヤで走るのは自殺行為」
 

1時間ほど休んでから車に戻る。政子は熟睡している。一応おにぎりとサンドイッチに暖かいミルクティーは買ってきている。そのミルクティーを暖房の吹き出し口に置き、今度はゆまの運転で出発する。
 
「ゆまさんスピードは控えめにね」
「OKOK。控えめって120くらい?」
「50-60km/hで」
「そんなに遅くていいんだっけ?」
「出雲大社ではなくて、常世の国に行きたければ出してもいいけど」
「それはまだ未練があるな」
 
と言って、ゆまは60km/hくらいで走って、米子道から山陰道に進行。9時半頃出雲ICを降りた。幸いにもこの付近は積雪していない。しかし車が多い!ゆまは車の流れに沿って9kmほど走り、出雲大社近くの道の駅《大社ご縁広場》に車を駐めた。
 
「ここが神社の駐車場?」
「違うけど、ここから歩いて行った方がいいんだよ」
「へー!」
 
それで政子も起こして参拝に行く。
 
「まだ眠いよぉ」
などと言っていたが
「参拝してから出雲そば食べるよ」
と言ったら起きた。
 
道の駅のトイレを借りてから、神門通りを上って行く。
 
「大きな鳥居!」
 
「ここが出雲大社の《一の鳥居》なんだよ」
と千里が言う。
 
「へー!」
「神社の駐車場に駐めてしまうと、ここを通れないんだよね。だからご縁広場に駐めた方がいい」
「なるほどー」
 
私たちは堀川に掛かる宇迦橋を渡る。
 
「ね、川が仕切られてるね」
 
川の中央にコンクリート製の仕切りがあるのである。
 
「手前側が古内藤川、向こう側は高浜川。合わせて堀川。多分氾濫対策か水の権利問題かだと思う。愛知県の方にもこういう所があるね」
 
「そういえば八岐大蛇(やまたのおろち)って、川の氾濫の象徴だという説があったね」
「そうそう。須佐之男命(すさのおのみこと)は治水工事をやった伝説の人という説がある」
 
この橋を渡った向こうの袂(たもと)に大きく真っ白なコンクリート製の大鳥居が立っている。私たちはそこで立ち止まった。
 
「日本一の大鳥居か」
 
《鳥居の高さ23m 柱の周囲6m 柱の直径約2m 中央の額面六畳敷》と書かれている。大正四年に九州小倉の敬神家、小林徳一郎の寄進、とも書かれている。
 
「まあ正確に言うと、建てられた時に日本一だったんだけどね」
と千里は言う。
 
「今は違うの?」
「これが建てられたのが大正4年で、大正天皇御大典(即位の礼+大嘗祭)を記念して寄進されたもの。ところが昭和3年に昭和天皇の即位の礼を記念して平安神宮に建てられた大鳥居がこれよりわずかに大きい」
 
「へー」
「その後もっと大きい鳥居がたくさん作られて今は全国十位になってしまった」
「なるほどー」
 
「今、一番大きな鳥居はどこ?」
とゆまが訊く。
 
「熊野本宮大社の鳥居で34mくらいだったはず」
と千里は答える。
 
「ひゃー」
 
「厳島神社のは?」
と政子が尋ねる。
 
「あれは17mくらい」
「この鳥居はあれより大きいのか」
 

「この鳥居を寄贈した小林徳一郎さんというのは立志伝中の人物なんだよ。最初は炭鉱夫として働いていて、その内建築工事の現場監督、やがては建築会社の社長になった」
と千里が説明する。
 
「へー」
「それで大きな工事をたくさん請け負う内に、どんどん事業を大きくしていき運送業なども始めた」
 
「なんか凄いね」
 
「社会的にも色々貢献していて、奨学金を設立したり、消防団を設立したり。この出雲大社の大鳥居と道路沿いの多数の松も寄進したし、そのほか稲田姫の故郷に稲田神社も創建してる。小倉の市会議員も務めてる」
 
千里は何か左後ろの方に気を向けるような感じで説明をした。まるで誰かから聞きつつ、それをそのまま話しているかのように私には見えた。
 
「炭鉱夫からそこまで出世したのは本当に凄い」
とゆまが言う。
 
「この鳥居、いくらくらいしたのかなあ」
などと政子が訊く。
 
「たぶん1億円くらいじゃないかな、今のお金にして」
「ほほお」
 
「平安神宮の大鳥居の工事費は当時のお金で3万円だったらしい。現在の物価は当時のだいたい3000倍くらいだから1億円程度。これもだいたい同じ規模だから工事費も同じくらい掛かったと思う」
 
「なるほどー」
 
「今性転換手術を受けるのに100万円掛かるから、昭和3年なら300円で性転換手術受けられたのかなあ」
と政子が言い出す。
 
「なぜそんな話になる!?」
 
「そもそも昭和3年に性転換手術があったんだっけ?」
とゆまが訊く。
 
「世界初の性転換者と言われているリリー・エルベ(Lili Elbe)が性転換手術を受けたのは1930-1931年。つまり昭和5-6年」
と千里。
 
「だったらその頃受けていたらそのくらいで済んでいたかも」
 
「リリー・エルベって手術代、どのくらい掛かったんだろう?」
「当時のお金で5000クローネで今のお金にすると200万円くらいになるみたい」
と千里は言う。
 
「じゃ今のお金で200万円なら昭和3年なら600円くらい?」
「まあどっちみち大金だよ」
 
 
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【夏の日の想い出・神は来ませり】(1)