【夏の日の想い出・6年間のツケ】(下)

前頁次頁After時間順目次

1  2 

 
部屋に入ってみる。玄関を入ってすぐの所に広いLDKが広がる。
 
「LDKの広さは20畳くらいですか?」
と梨乃が訊く。
 
「22.5畳ですね」
と不動産屋さんが見取り図を見て言う。
 
キッチンは壁付きとアイランドの2個配置。シンクは壁側が広くアイランド側は少しこぶり。どちらにもガス栓が付いている。
 
「ここガスは使っていいんですね?」
と私は訊いた。
 
「キッチン上のガスコンロはタイマー付きのものでお願いします。ガス炊飯器、ガスストーブは禁止させてもらっています。あと、石油ストーブ・石油ファンヒーターも禁止です」
 
「ああ。それは冬はそもそも危ないから使ってないね」
「うん。眠っちゃう可能性があるから、石油ストーブは怖い」
 
「ガスが使えるなら、壁付きの方にガスコンロ設置してアイランドはIHにしようかな」
 
玄関から見て右手側に、トイレ・お風呂・洗面所、そしてSR(サービスルーム)が並ぶ。LDKの奥には廊下があり、廊下の右手に7.5畳洋室・7.5畳和室、左手に6畳洋室・SR・6畳和室と並ぶ。
 
「ここは回線は光ですか?」と梨乃。
「ええ。各住戸まで光ファイバーが来ています」
 
私たちはひとつひとつの部屋を開けて、押し入れなども開けて中を見てみた。
 
「開けられるもの、動かせるものは、実際に開けてみる、動かしてみるのが中古マンション買う時は大事なんですよ」
と梨乃は言っていた。不動産屋さんも頷いている。
 
「あれ、この天袋の戸が開きにくい」
「ちょっと貸してみてください・・・ああ。これは戸が変形してますね。多分荷物があふれてて戸を押してたんだろうな。交換させます」
と言って不動産屋さんはメモを取っている。
 
「お、梨乃、役に立った」と美空。
「どうもどうも」と梨乃。
 
「でも全体的にきれいにしてますね」
「はい、きちんと整備しましたので。専門の業者にハウスクリーニングさせた上で、畳表と障子紙・襖紙も全交換しています」
 
いちばん奥の和室(窓側)から外も眺めてみる。
 
「これどっち側?」
「今見ておられる方角は北西です」
「ということは玄関は南東?」
「はい」
 

梨乃が
「すみません。友人の占い師にちょっと電話していいですか?」
と言うので
「うんうん。訊いてみて」
と私は言った。
 
梨乃が電話を掛けている。少し話していて
 
「近くにお寺がありましたっけ?」
と言う。
 
「電話の向こうから分かるんですか?凄いですね。確かにございます」
と不動産屋さん。
 
「何か霊道とかあるの?」
と政子が訊く。
 
「霊道はあるけど、このマンションは通ってないそうです。そもそも、もっと低い所を通っているからこの階には影響は全くないらしいです」
「へー」
 
「ちょっと待って。今何階に居るか言わなかったよね? 向こうはこちらの階が分かるの?」
と私は尋ねる。
 
梨乃が尋ねている。
「35階くらいではないかと言われました」
「すごーい! その人本物だ」
 
「彼女が見てみた範囲では特に大きな問題点はないらしいです。オフィスですかと訊かれたんですけど」
 
「住宅だけど、確かにここは創作したりスタッフと打合せしたりといった仕事場になると思う」
と私は答える。
 
「ゆっくり休む時は私んちに行くもんね」
と政子。
 
それでまた少し向こうと話している。
「彼女が言うには、安らぎの場所にするには少し疲れるかも知れないということです。でもビジネスをするのであれば、むしろ活力が出ると」
 
「ああ。だったらちょうどいいね」
と私は言う。
 
「政子の勘ではどう?」
「うん。こないだは夕方中に入れてもらったんだけど、今回は午前中で、どちらも雰囲気が良いと思う」
 
「私も結構ここいいかなと思った。ここにしようかな」
 
「決められますか?」
「決めます」
 
「では手続きは、事務所の方に戻ってから」
 
そういう訳で私はこのマンションを買うことにし、引越はツアー終了後、7月中旬に行うことにした。引き渡しは6月1日付けとし、その後、6月中に7.5畳の洋室に防音工事を施すことにした。
 

「しかし1億7千万円の消費税は1360万円か。恐ろしい」
「重税感がひしひしと感じられる」
「私だったら消費税を払うのに40年ローンが必要です」
と梨乃。
 
「和泉ちゃんは消費税いくらだった?」
と政子が訊く。
 
「私は6千万円の5%で300万円」
「やはり凄く増税されてる気がする」
「でも本体価格が3倍だよ、ここ」
 
「でもやはり増税前の駆け込みで住宅購入した人は多かったですよ」
と梨乃が言う。
「あれ、住宅を建てる場合は、どの時点の税率が適用されるの?」
「契約を半年前の9月までに終えているか、3月までに引き渡したかなら前の税率が適用されます」
 
「工事が遅れて4月1日引き渡しになっちゃった人は悔しいね」
「業界関係の人の話を聞いてると、それで結構お話し合いになるケースも出たみたいです」
「ああ」
 
「増税分を業者がかぶる場合か」
「でもそれ弱小工務店は辛い」
「でも弱小工務店ほど、言われた時に弱いんです」
 
「増税前の駆け込みで性転換手術した人もいるかな?」
と政子が言う。
「なぜ、そういう話になる?」
 
「だけど梨乃ちゃん、不動産屋さんとしての意見以上に、お友だちの占い師さんの意見が参考になった気もする」
「すみませーん」
 
「梨乃ちゃん、その占い師さんに御礼言っておいてね」
「はい」
 

ローズ+リリーとKARIONの春のツアーは、6月15日にKARION大阪ユーホール、ローズ+リリー神戸ポートランドホールで終了した。後半はずっと土日だけの公演なので、平日は主として両方の次のアルバムの曲の最終選定作業や編曲などを進めていたのだが、他のアーティストに提供する曲なども書いていて結構忙しかった。
 
このツアー最終日直前の6月13(金)に、KARIONのベストアルバム収録曲を選ぶ人気投票の締め切り直前集計が発表された(10日までの集計。なお、締め切りは6月16日)。
 
1.『アメノウズメ』 2.『雪うさぎたち』 3.『あなたが遺した物』 4.『Crystal Tunes』 5.『僕の愛の全て』 6.『四つの鐘』 7.『海を渡りて君の元へ』 8.『歌う花たち』 9.『星の海』 10.『雪のフーガ』 11.『スノーファンタジー』 12.『魔法のマーマレード』 13.『スターボウ』 14.『Shipはすぐ来る』 15.『鏡の国』 16.『金色のペンダント』 17.『Snow Squall in Summer』 18.『コスモデート』 19.『恋のブザービーター』 20.『サダメ』 21.『水色のラブレター』 22.『秋風のサイクリング』 23.『優視線』 24.『白猫のマンボ』
 
前回とガラリと順位が変わった。
 
『恋のブザービーター』が圏外から急上昇してきたのは、ローズ+リリーの幕間に出て演奏した時に、櫛紀香さんがバスケットボールをドリブルしながら演奏したのが好評だったので、KARIONのライブ自体にもその後入れた(櫛紀香さんに毎回出てもらった)のと、追加投票券欲しさに何かダウンロードしようと思った時、このCDを買ってない人が多かったため「じゃこれでも買うか」と思ってダウンロードしてみたら意外に良かったと思ってくれた人達が多かったのではと私たちは分析した。
 
また『魔法のマーマレード』が上昇したのは、この曲を遠上笑美子ちゃんがカバーしていたので、彼女のCDを買った人たちが、あらためてこれ良い曲じゃんと思って反応したのだろう。
 
「実際あの曲って、アイドルに歌わせた方がいい曲かもね」
「笑美子ちゃんのCDジャケット可愛かったね」
 
などと私たちは言い合った。
 

5月と6月の初旬には、KARIONのライブDVDの第4弾『2011蘭』、第5弾『2012泉』
が発売され、またローズ+リリーの方も2012年のライブDVDが発売され、いづれも好調な売れ行きを見せていた。また6月11日には、ヨーコージ作詞作曲で、しまうららさんが歌う『ギタープレイヤー/夢のバンド』、およびマリ&ケイ作詞作曲で、松原珠妃が歌う『君の唇』が発売された。
 
『ギタープレイヤー/夢のバンド』は元々ヨーコージ(柊洋子+蔵田孝治)が松原珠妃に渡すのに書いた曲なのだが、それを事務所に持って行った時、しまうららさんが「いい曲ね。私にちょうだい」などと言って、珠妃も構わないというので、しまさんが歌うことになったものである。
 
『ギタープレイヤー』ではしまさんはアコスティックギターを弾きながら歌っている。『夢のバンド』では、しまうららさんのギター、ゆきみすずさんのベース、たいひらめさんのキーボード、さけいくらさんのドラムス、と昔のサンデーシスターズの友人と一緒に演奏を行うPVが作成されていた。
 
たいひらめ・さけいくらはサンデーシスターズ解散後「フィッシュ」というユニットでしばらく売っていた。ゆきみすず・すずくりこの「スノーベル」が可愛い子路線だったのに対して「フィッシュ」は3枚目路線で、バラエティ番組でも、熱湯に放り込まれたりワニの居る池に落とされたり(マジ死ぬかと思ったらしい)、さんざん酷い目に遭わされているが、それだけに実は知名度は高かった。現在は2人とも引退していて、たいひらめはピアノ教室の先生、さけいくらは主婦をしながらインディーズバンドで活動している。
 
このPVは40代以上の層にかなり反響があったようである。
 
ただ、このPVの段階では、しまさんのギターは実は吹き替えである。(他の3人は実際に演奏している)しまさんは現在ギター猛練習中で、夏のツアーでは生ギターを披露します、と本人が新曲発表記者会見で言っていた。
 

そして私が絶句したのが珠妃の新譜の方である。
 
マリ&ケイで書いた『君の唇』は良いのだが、カップリング曲がニジノユウキ作詞ヨーコージ作曲『ナノとピコの時間』という曲になっていた。しかも、ジャケットを見ると珠妃がデビューした2003年に、果ての浜という所で撮影した、珠妃と私のツーショット写真が使用されていたのである。
 
(当時、珠妃は高1・私は小6)
 
私は珠妃に電話して抗議した。
 
「静花さん、私が書いた『サバンナの記憶』はどうしたんですか?」
「ごめーん。あれ今度のアルバムのタイトル曲にするから許して」
「だって、私あの日、徹夜で書いたんですよ。明日朝までに欲しいなんて静花さんが言うから」
 
「いや、冬に2曲書いてねと頼んだ後でさ、蔵田先生から電話が掛かって来て、冬に2曲は酷だから1曲は僕が書くことにしたから珠妃ちゃん歌詞だけ書いてよと言われて。それで私が以前書いてたストックの中から3つ送ったら、その中のひとつに曲を付けてくださって、夜中すぎに送って頂いたのよ」
 
「それだったら、私に連絡してください!!」
 
「電話したけどつながらなかったんだもん」
「う・・・・」
 
確かにその晩、私は集中して曲を書くために携帯の電源を落としていた。
 
「でも私が曲を翌朝送った時にでもひとこと言ってくれて良かったのに」
「ごめーん」
 
「それと、あのジャケットは?」
「いや。あの詩は例の果ての島で撮影した日に向こうの旅館で書いてた詩だったのよねー。それ言ったら、会長が『あの時の写真あるよ』と言って」
 
「それもひとこと連絡してくださいよ!」
「いや、連絡したら、絶対冬は使わないでと言うに決まっているからと会長が言うし」
「う・・・・」
 
兼岩会長には私は大きな恩がある。さすがに兼岩さんには文句は言えない。
 
「もう全国に5万枚配送してるから、追認してよ〜」
 
私は頭を抱えた。
 
「じゃせめて、その写真の子が誰かは言わないでくださいよ」
「あ、ごめーん。昨夜のラジオ番組でしゃべっちゃった」
「ひっどーい!!!」
 
そういう訳で、小学6年の私が《どう見ても女の子のビキニ姿にしか見えない状態で》映っている写真が全国に大量にばらまかれることになってしまったのであった。
 
(それを見て、私の父は腰を抜かし掛けたらしい)
 
「これで冬が小学6年生の時点で既に性転換済みであったことが全国に知られちゃったねー」
 
と言って、政子は珍しく早起きしてCDショップで買ってきた『君の唇/ナノとピコの時間』のCDジャケットを楽しそうに眺めていた。(政子は朝寝坊だが、こういうことには熱心である)
 

6月20日金曜日。KARIONのメンバー4人が事務所に集まった。ベストアルバムに収録する曲はファン投票の上位13曲+KARIONが選ぶ1曲ということになっている。その1曲を決めるためである。
 
会議に出席したのは、KARIONの4人、畠山社長、三島さん、花恋、★★レコードの加藤課長と滝口さん、それにトラベリングベルズの相沢さん・黒木さんである。
 
「まず、投票上位13曲はこれです」
と言って畠山さんがホワイトボードにプロジェクターで投影する。
 
1.『アメノウズメ』(泉月) 2.『雪うさぎたち』(泉月) 3.『あなたが遺した物』(福留) 4.『Crystal Tunes』(泉月) 5.『僕の愛の全て』(福孝) 6.『四つの鐘』(雪鈴) 7.『海を渡りて君の元へ』(泉月) 8.『鏡の国』
(広花) 9.『Shipはすぐ来る』(樟南) 10.『魔法のマーマレード』(照海) 11.『恋のブザービーター』(泉月) 12.『星の海』(泉月) 13.『サダメ』(甘香)
 
「でもこれ票を誰かがチェックする訳でもないし、多少操作してもいいですよね?」
などと滝口さんが言ったが
 
「そういうことをするのはファンに対する信義に反する。いけないよ」
 
と加藤課長が釘を刺す。小風が不快そうな顔をしている。
 
「この13曲は特に問題のある曲もないので、これで確定させたいと思います。よろしいでしょうか?」
 
と畠山さんが言うので、私たちは拍手で答えた。加藤さんが拍手しているので滝口さんも渋々拍手した。
 
「『恋のブザービーター』も『魔法のマーマレード』も後半随分上昇しましたね」
と和泉が言う。
 
「『恋のブザービーター』は櫛紀香さん効果、『魔法のマーマレード』は遠上笑美子ちゃん効果だね」
と私は言う。
 
「で、最後の1曲なのですが。特に思い入れのある曲とかありますか?一応、投票のこのあとの順位はこうなっています」
と言って畠山さんは下の順位を表示させる。
 
14.『歌う花たち』 15.『雪のフーガ』 16.『スノーファンタジー』 17.『スターボウ』 18.『金色のペンダント』 19.『Snow Squall in Summer』 20.『コスモデート』 21.『水色のラブレター』 22.『秋風のサイクリング』 23.『優視線』
24.『白猫のマンボ』 25.『食の喜び』 26.『Earth, Wind, Water and Fire』 27.『コルドバの風』 28.『春風の告白』 29.『ムックリモックリ』 30.『月に想う』
 
「『歌う花たち』『雪のフーガ』『水色のラブレター』『秋風のサイクリング』
『白猫のマンボ』『月に想う』。いい曲ばかりだけどなあ」
 
「ほんとに選に漏れたのが惜しいよね」
 
「『幸せな鐘の調べ』はここにも入ってないんですね?」
と相沢さん。
 
「34位です」
 
「『金曜日はカレー』は?」
と美空が訊く。
 
「131位だね」
「そんなに低いの? 金曜日はカレーって、どこの家でもやらない?」
「うーん。海軍さんの家はそうかも」
 
「ああ。美空のお祖父さんが海上自衛隊員だったよね?」
「うん。掃海艇『りしり』とかに乗ってた」
と美空、
 
「そういえば『りしり』『れぶん』って姉妹船がありましたね」
と黒木さん。
 
「掃海隊ってのは日本海軍から継続している自衛隊で最も古い部隊ですね」
と加藤さんが言う。
 
「日本海軍って終戦で解散したんじゃないんですか?」
「ところが戦争で大量に日本周辺に機雷が設置されていたので、それを除去する作業のために掃海隊だけが生き残ったんですよ」
「それは知らなかった」
 
「だからうちは金曜日はカレー。私も金曜日はカレー。レトルトだけど」
と美空。
 
美空は5月から実家を出て、中央線某駅近くの賃貸ワンルームマンションでひとり暮らしを始めている。遅刻魔の美空だが、そこからなら家を出てから30分程度で事務所まで出て来られるはずである。
 
「みーちゃん、レトルトカレーは割高になるのでは?」
「ううん。業務用のレトルトカレー10袋入り500円の買ってるから」
「安い!」
「でもそれ1度に何個食べるの?」
「10袋入りは10袋でしょ?」
「もしかして10袋食べるの?」
「え? そのくらい食べない?」
 
小風も和泉も私も笑っているが、滝口さんはポカーンとしている。
 
「みーちゃんとマリの2人が主宰する食べ物番組とか企画持ってったら響原さん興味持ってくれないかな?」
と私は言ってみる。
 
「いや。それは主宰者がひたすら食べてて番組成立しないと思う」
と黒木さん。
 

「で、話を戻して、どれを入れます?」
と畠山さんは訊く。
 
「次点の『歌う花たち』に1票」と相沢さん。
「凄く美しい曲なので『月に想う』に1票」と三島さん。
「『みんなの歌』でも流されて広い層に知られている曲で『白猫のマンボ』」と滝口さん。「私は『Earth, Wind, Water and Fire』 結構好きだなあ」と小風。
「『食の喜び』がよい」と美空。
 
「花恋は?」
「私も言っていいんですか?『秋風のサイクリング』好きです」と花恋。「うん。言うのはみんな好きに言って」と畠山さんは言う。
「蘭子は?」
「その中に入ってないけど『嘘くらべ』」と私。
「SHINさんは?」
「『金色のペンダント』。いい曲だと思うんですよねー」と黒木さん。
 
「和泉は?」
と小風が訊く。
 
「『スノーファンタジー』。超絶ヴァイオリンプレイと超絶ピアノプレイが凄かった」
と和泉が言う。
 
「何か完璧に分散しましたね」と三島さんが言う。
「ジャンケンでもする?」と相沢さん。
 
「いや。票が割れたから、ここはリーダーの意見でいいと思う」
と私は言った。
 
「えーー!? じゃ、私たちの意見は?」
と小風。
 
「まあ、意見はみんな言っていいということで」
と加藤さんが笑って言う。
 
「じゃ、和泉ちゃんの選定で『スノーファンタジー』」
と畠山さんは言ってから
 
「この追加曲だけは新録音ね」
と付け加えた。
 
「新録音!?」
「アレンジ変えるんですか?」
「特に変えないけど今の君たちの歌声も入れようということで」
 
「ちょっと待ってください。その演奏のヴァイオリンとピアノは誰が弾くんですか?」
と私は訊いた。
 
「こーちゃん、うちのヴァイオリニストって誰だっけ?」と和泉が訊く。「蘭子だね」と小風。
「みーちゃん、うちのピアニストって誰だっけ?」と和泉は訊く。
「蘭子だよ」と美空。
 
「ということで蘭子が超絶ヴァイオリン、超絶ピアノを弾く、と」
と和泉は言った。
 
「ひゃー」
 
「蘭子は和泉の意見で良いと言ったはず」
と小風は楽しそうに言った。
 
「2〜3日練習させてください」
 
「じゃ録音は月曜日に」と畠山さん。
「じゃ発売は半月後の7月9日に」と加藤さん。
 

日曜日。私はアスカからリースしてもらっているヴァイオリンAngelaを持って、新幹線に乗って某市まで出かけた。4月に参加したヴァイオリンコンテストの決勝がこの日行われるのである。4月の予選では弦楽四重奏をバックに協奏曲を弾いたのだが、今日は本物のオーケストラをバックに演奏するのである。
 
見学は自由なので、私が席を外したりした時のヴァイオリンの管理役込みで、鈴木真知子ちゃんに付いてきてもらった。彼女としてもレベルの高い大会の本選を見ておきたいというのもあったようである。
 
本選に出場するのは予選を勝ち上がった6人である。1人20-25分ほどの演奏で、休憩を入れながらなので3時間半ほどかかる。昼1時から始めて結果が発表されるのは5時である。
 

予選の順位とは逆に弾くということだったので、私は最初に壇上にあがった。
 
私は中学から高校1年の頃に掛けて、中高生で組織する市民オーケストラにいて、何度か演奏会でコンサートマスターまでやらせてもらったので、かえって弦楽四重奏と一緒に演奏するよりオーケストラと一緒に演奏する方がホッとする感じである。
 
ステージ上で、観客、指揮者、コンマスさんに挨拶してからヴァイオリンを構える。そして指揮者の合図で弾き出す。
 
私の音にオーケストラの重厚な音が付いてきてくれる。快感!
 
予選の時は弦楽四重奏の人たちにちょっと悪戯されたりもしたが今日はそんなこともない。オーケストラは正確に演奏してくれる。こちらも正確にそして情感を込めて演奏していく。指揮者さんが凄く入魂して指揮している。指揮棒はそのうちリズムより指揮者自身の興奮の象徴であるかのような振られ方をする。でもそのリズムを半ば無視したかのような指揮棒の動きの中から、内在されているリズムを読み取って私は演奏していく。
 
最後の方は指揮者もオーケストラも乗りすぎて、若干アップテンポになってしまったが、気持ちよく終曲までいくことができた。
 
終わると同時に物凄い拍手が客席から響いてきた。私は深々とお辞儀をした。そして笑顔でステージを降りて自分の席に戻るが、その時、物凄く鋭い視線を感じた。視線を合わせないように、目の端でそちらを確認すると、予選で1位になった竹野さんだった。
 

席に戻ると真知子ちゃんが
「凄かったですよ。冬子さん、随分腕をあげましたね」
と言った。
 
「そうかな? でも私は露払いだからね。この後、どんどん凄い人が出てくるよ」
と私は言う。
 
私の次に予選5位の人が弾いたが、彼女はあがってしまったようで、かなりミスを繰り返した。最後の方は涙ぐんでいたが、それでも頑張って最後まで弾き通した。泣きながら最後の挨拶をしたが、みんな暖かい拍手をしてあげた。
 
予選4位の田中さんという人がステージに上がったのを見て私はあれ?と思った。
 
「どうしました?」
と真知子ちゃん。
 
「いや、この人、前回はセーターにズボンだった気がして・・・」
「男の子?」
「と思い込んでいたのだけど。決勝進出は男性が1人と女性5人と思い込んでいたんだよね。でも今日はドレスだね」
「男の娘?」
「うーん。前回が単にボーイッシュな服装していただけかも」
「この名前は男女どちらもあり得る名前ですね」
「うーん。謎だ」
 
この人は無難に弾きこなす。多少音を外した所はあったが、目立たない。巧く弾く人だなと思った。
 

次の佐藤さんという人は予選の時もドレスだった。今日もドレスである。多分女性だろう!?この人の演奏は正確ではあった。しかし私は聴いてて、可も無く不可も無い演奏かなという気がした。
 
「解釈ができてないと思いません?」
と真知子ちゃんが小声で言う。
 
「そこまで弾きこなしてないのかな」
「いや。解釈って何も考えてないと、結局いつまでもその曲を理解できないんです。理解しようとしなきゃ。好きな人のこと、ただ眺めているだけではその人のこと全然分からない。その人のことを分かろうと日々努力して初めて、その人の理解者になれるんです」
 
私は彼女の意見に頷いた。
 

やがて予選2位になった溝上さんという人がステージに上がる。彼女のヴァイオリンもかなりの値打ちもののようである。恐らく19世紀の作品とみたが出来はかなり良い。そして溝上さんの手にかかると素敵な音を出していた。
 
彼女の演奏は予選ではそんなに凄いという感じではなかったのだが、この日の彼女は予選とは見違えた。
 
指揮者のタクトに敏感に反応する。オーケストラが持っている波動をそのまま受け止めて、そして大胆に自分の解釈を入れて演奏していく。それはまるで、卓越したジャズプレイヤー同士のセッションを見ているかのようだった。
 
「この人凄い」
と私は途中で呟いてしまった。
 
「この人たぶん・・・」
「うん?」
「冬子さんと同じでオーケストラとの共演経験をかなり持っているんですよ」
「ああ。それはあり得る。みんな普段はピアノ伴奏で練習してる。でも弦楽四重奏との共演って意外に経験無くて、予選では戸惑ったのかもね」
 
演奏はノーミスだった。非の打ち所が無い気がした。演奏が終わると、物凄い拍手である。演奏した本人も満面の笑み。やはり会心の演奏だったのだろう。
 

溝上さんの演奏が終わると、最後は予選一位の竹野さんである。アスカの生徒のひとり、凜藤更紗のライバルの子だ。
 
「この人は格が違うから、真知子ちゃんもよく聴いておくといいよ」
と私は言った。
 
ところが最初から躓いた。
 
いや、本当に彼女は躓いたのである。
 
ヴァイオリンを持って壇上に上がろうとした時、足を踏み外して転んでしまった。近くに居た運営の人が駆け寄る。
 
「大丈夫ですか?」
「ええ。何とか」
 
と言って立ち上がるが、顔面蒼白になる。
 
「ヴァイオリンが!」
 
今転んだ拍子に彼女の愛器、数千万円するガダニーニのネックが折れてしまったのである。
 
彼女のお母さんだろうか?50歳くらいの女性が駆け寄ってきた。
 
運営委員さんが
「どうします? 棄権しますか?」
と尋ねている。
 
「やります」
と竹野さんは言った。
 
「楽器はどうします? 予備楽器はお持ちですか?」
「いいえ。自宅から、あ、いえ市内に住む友人宅から借りて来てはいけませんか?」
「それは時間がかかるのでは?」
「1時間、いえ30-40分待ってもらえませんか?」
 
恐らく電話して持って来てもらおうということだろう。
 
運営委員の人が数人で話したようであるが
「規定通り30分以内に演奏が終了しなければ棄権とみなします」
と言う。
 
「演奏予定のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲第一楽章は少し急いでも20分はかかりますよね? 既に竹野さんの演奏予定時刻になって3分過ぎています。あと5分程度以内に演奏を開始できなかったら、実際には演奏終了困難と思いますが」
と運営委員さん。
 
その時、竹野さんは会場に向かって言った。
「済みません。どなたかヴァイオリンを貸して頂けませんか?」
 

私は凄いと思った。絶対に諦めない。何か手はないかと考える。この姿勢は素晴らしい。
 
しかし彼女の声に対しては、みんな隣の人と顔を見合わせたり、あるいは俯いたりしてしているだけである。
 
「無茶ですよねー。貸してくれる訳ないです。そんな義理も無いし」
と真知子ちゃんが言った。
 
「全くだね」
と私は答えたが、手を挙げて立ち上がった。
 
「私のデル・ジュスもどきで良ければ、お貸ししましょうか?」
 
真知子ちゃんが「えー!?」という感じで私を見ている。
 
竹野さんは
「助かります!貸して下さい」
と言って、靴を脱いで!私の所に走ってくる。
 
私はヴァイオリンと弦をケースから出して渡す。
 
「さっき演奏前には調弦しましたが、演奏している内にずれたので指のポジションをずらして対応しました。再度調弦が必要です」
 
「調弦している時間が無いので、そのまま弾きます」
と言って受け取る。
 
そして走ってステージそばまで戻った。
 
「転ぶと怖いから、裸足で弾いていいですか?」
 
「裸足で弾いてはいけないという規定はありません」
と運営委員さん。
 
「では、大変お騒がせしました。演奏します」
と言ってステージに本当に裸足のまま上がる。弦を指で弾いて、どのくらい各弦の音がずれているかを確認したようであった。
 
そして指揮者とコンマスにお辞儀をする。指揮者も一時はしらけていたようであるが気を取り直してタクトを構える。そのタクトが振られる。オーケストラが音を奏で始める。
 
この曲は・・・・オーケストラによる前奏が凄まじく長い。そのとっても長い前奏を聴きながら、竹野さんは再度集中しているようだ。事故で時間を消費したことに配慮してくれているのだろう。若干本来のテンポより速めに演奏している。
 
そして演奏が始まってから3分ほどして、やっと竹野さんのヴァイオリンが奏でられ始める。
 
「凄い」
と真知子ちゃんが言った。
 
「うん。凄いよね。演奏直前にあんな事故が起きて、しかも触ったこともない他人のヴァイオリン。楽器の癖も分からなければ音もずれてる。それを調整しながらあれだけ弾きこなすって凄い」
 
「冬子さんより上手い」
「そりゃ、更紗ちゃんのライバルだもん。私より遥かに上手くなきゃおかしい」
 
竹野さんの演奏は深い解釈にもとづいている。この曲のこの部分はどんな意味を持っているのか、どういう気持ちで書かれているのか。それをよくよく考えて演奏している。
 
「ただ上手いけどミスがある。特に音量が思った通りに出てないから弾いてから『あっ』て顔してたりする」
 
「それは不慣れな楽器だから仕方無いと思う。ガダニーニとガルネリでは癖が違いすぎる。音域による音量の出方が違う」
 
「その癖の違いを引き出せる腕を持ってるゆえに、ミスっちゃうんですよね」
 
「うん。というか、普通の人にとってはミスでもないようなものが彼女にとってはミスなんだよ。それでつい焦りや不満が出て、それが演奏に悪い影響を与えている。ストラディヴァリウスと10万円のヴァイオリンの差が分からない人なら、焦りもしない」
 
「この人の演奏が冬子さんより上手いと分かるのは多分、今日出て来ている出場者やそれと同等レベルの人だけかも。高校野球のエースとプロ野球で最多勝取るピッチャーとの差はほとんどの人には分かりませんから」
などと真知子ちゃんは言う。
 
私は頷いた。しかし私のヴァイオリンはやはりアマチュアレベルなんだな。
 

演奏はほんとに良くまとまっていた。ただ真智子ちゃんが言うように、楽器の音がくるったまま使っていることもあって、特に前半で何ヶ所が微妙に音を間違った所があったし、強弱の付け方が微妙にうまく行っていなかった。しかし音程は数Hzの違いなので耳の良い人以外には分からなかったろう。音程や強弱の正確性ということでは溝上さんに負けるものの、演奏自体の腕は比べるべくもないと私は思った。
 
そして演奏が始まった時の少しざわめいた雰囲気は彼女の演奏が終わる頃には感嘆の空気になっていた。
 
演奏が終わると、物凄い拍手である。私も真知子ちゃんも力強く拍手をした。
 
彼女が降りて楽器を持って私の所に来る。
 
「本当にありがとうございました。助かりました」
「うん。でも凄かったね。さすが竹野さんと思いました」
「ありがとうございます。凜藤さんにもよろしくお伝えください」
「OKOK」
 

その後、審査に入ったが、どうも少し揉めている雰囲気であった。予定時刻をすぎても審査が終わらない。
 
「なんで揉めてるんでしょうね?」
と真知子ちゃん。
 
「多分3位を誰にするか揉めてるのでは?田中さんか佐藤さんか」
と私。
 
「え?3位は溝上さんでしょ? 私、1位を竹野さんにするか冬子さんにするかで揉めてるのかと思った」
「私は5位だよ。1位は竹野さん、2位溝上さんだと思うけどなあ」
 
「いや、審査員の考え方次第では冬子さんの1位は充分あり得ると思う。それに田中さんと佐藤さんは論外。アマトップレベルの冬子さんより遥かに下手だったと思う。そして溝上さんと竹野さんと冬子さんの中では冬子さんの演奏が一番まとまりとノリが良かったんですよ」
と真知子ちゃんは言う。
 
まあノリが良いのはポップス音楽家の基本的性質だよな。
 
結局予定を15分もすぎて、5時15分になって、審査員長が壇上に上がる。
 
「結果を発表します」
みんなが息を呑む。
 
「3位、唐本冬子さん」
真知子ちゃんがパチパチと拍手をしてくれる。私はヴァイオリンケースを真知子ちゃんに預けると、ステージに上がり、笑顔で賞状と記念のメダルを受け取った。
 
「2位、竹野春嘉さん」
竹野さんが悔しそうな顔をして、ステージに上がったが、笑顔を作って賞状と記念の盾を受け取った。
 
「1位、溝上歌央さん」
溝上さんが物凄く嬉しそうな顔をして、ステージに上がり、賞状とトロフィーを受け取った。
 
私たち3人はお互いに握手してからステージ上に並び、拍手してくれる聴衆に手を振って応えた。
 

コンテストの翌日の月曜日。何とか『スノーファンタジー』の収録を終えた後、そういえば美空の新居を見てないねという話になり、小風・和泉・私と4人で一緒に行ってみることにした。
 
「新宿から特快で20分か」
「美空、遅刻が減るといいね」
「私、罰金が無かったら、御飯あと1杯多く食べられるのに」
「うーん。それならむしろ罰金を増やした方がいいかも」
 
駅の出口から20-30mでマンションの入口に入れる。掛け値無しで駅から1分だ。
 
「何階?」
「3階。エレベータ来なかったら走って駆け下りられる」
「というか3階なら健康のためにも階段を使った方がよい」
 
鍵を開けて中に入るが、私たちは絶句する。
 
「何これ〜〜〜!?」
 
玄関を入ってバストイレのある空間の先に16畳ほどかなというワンルームが広がっているのだが・・・・。
 
「何も無い」
 
本当にひたすら何も無い空間が広がっているだけである。
 
「段ボールが積み上げてあるが」
「私の着替え〜」
「あそこから出して着替えてるの?」
「うん」
「タンスに入れないの?」
「あのままじゃダメ?」
 
「スターのおうち拝見とかの番組が来たら恥ずかしいぞ」
「いや、その時はきっと畠山さんが人海戦術できれいに整備するだろう」
 
「男の子のワンルームマンションならあり得るが、女の子では有り得ない状態だ」
「私、男の子になろうかな」
「それは大騒動になる」
 
「だいたい実家では服はどうしてたのさ?」
「家族共用のタンスに入れてた。タンス2個で1人2段」
「この量が入っていたとは思えんが」
「入りきれないのは段ボールに入れてた」
「それをそのまま持って来たわけか」
 
「仕事で着る服は全部、有田みかんの箱に入ってるんだよ。プライベートで着る服は青森りんごの箱、下着類はアマゾンの箱、靴下・ストッキングは雪国まいたけの箱、靴はホクトの箱。実家でタンスに入ってたのがヨドバシの箱」
 
「・・・・・」
「もしかして箱単位で分類してるの?」
「うん。で、どこに入れていいか考える気力のなかったものが黒猫の箱」
 
「・・・・・」
 
「黒猫の箱がざっと見た感じ10個ほどあるのだが」
「溜まるとますます整理できなくなって」
 
「それいつ頃から?」
「KARION始めた頃から。疲れて夜中に帰って来たらもう考える気力無くて全部そこに放り込む」
「その気持ち分かる気もするが」
「じゃあ、この箱は6年分の未整理のツケか」
 
キッチンに行ってみるが、オーブンレンジの他は鍋が数個あるだけである。
 
「包丁やまな板は?」
「まだ買ってない」
「どうやって食べてるの?」
 
「レトルトカレーとか、インスタントラーメンとか。炊飯器は買ってもらったから、御飯は炊いてる〜。私、スーパーが開いている時間にお店に行けないからって、お米はお父さんが買って持って来てくれた。あと野菜食べなきゃだめっていって、お母さんが野菜を切ったのをビニール袋に入れて持って来てくれてるからそれとお肉を一緒に炒めてる」
 
冷凍室を開けてみるとたしかにお肉のパックが大量に入っている。
 
「お肉はお姉ちゃんが買って来てくれたー」
 

炊飯器は五合炊きが置いてある。子供の居る家庭で標準的に使うサイズだ。ふつう女の子の独り住いなら2合炊きか、1合炊きでも充分な所だが、さすがに美空はそれでは足りないだろう。
 
「まあ、サトウの御飯ではみーちゃんの食欲を満たすのは困難だろうな」
「みーちゃん、お米どのくらい食べるの?」
「だいたいお父さんが買って来てくれてる袋が10日くらいでなくなるけど」
「何kgの袋?」
「わかんなーい」
 
「・・・2kgの袋ってことはないよね?」
「それは小風仕様では」
「うちは4人家族で10kgを月に2回買ってる」
「じゃ小風が食べる分は月に3kgくらいかな」
 
などと小風と私は言い合う。
 
「冬の所はお米どのくらい消費してるの?」
「毎月30kg農家からの直送で買ってる。でもうち、御飯食べに来る人が結構いるから」
「じゃ多分マリちゃんが食べてる分は月に20kgか25kgくらい?」
 
「ということは美空はやはり5kgの袋かな?」
などと言っていたのだが、和泉が台所の隅から10kgの米の空袋を3つ発見する。
 
「10kgを10日で食べてしまうのか・・・」
「しかも今月は毎週末コンサートで出ていた」
「じゃ実質7日くらいだよね」
「もしかして私、まぁりんに勝った?」
と美空が訊く。
 
「うん、勝ってる」
と私と小風は声を揃えて言った。
 
「やった!」
 

布団は台所の近く、ちょうど東側の窓のそばに敷きっぱなしになっている感じだが、目覚ましが6個も並んでいる。
 
「なんか6個並べても、みーちゃんほとんど意味が無いかも」
「最初は1個だったんだけど年々増えていった」
「6年分か」
「でも私、鳴っても気付かないみたーい」
「もう目覚ましの音を聴いても安眠していられる体質になってるんだな」
 
「この目覚ましなんて、どんな寝坊助でも起きられるって書いてあったのに起きられないんだよ」
 
「たぶん上の階の住人が目が覚めて『うるさいから目覚まし停めろ』って文句言いに来て起きるんだ」
 
「これって、みーちゃんを起こす係を雇った方がいいかも」
「あ、御飯も作ってくれたら嬉しいな」
「マジで募集出す?」
 

「いっそ小風が泊まり込む?起こし賃もらって」
「私がここに住み込むと、織絵(音羽)たちから、とうとう目覚めたかと言われる」
「ああ、絶対言われる」
「小風でなくても女の子を住まわせると言われる気もする」
「じゃ男の子を雇う?」
と美空が言うので
 
「それはだめ!!」
と私たちは一斉に言った。
 
私たちは取り敢えずタンスとテーブルくらいは買えと言い、通販で買っても受け取る人が必要というので、取り敢えず代わりに誰か受け取ってくれないかと実家に連絡させると、お父さんが自分で買って持って来てくれるということだった。
 
「すみませーん。娘が寝るだけでいいからタンスもテーブルも要らんなどと言うもので」
などとお父さんは言っていた。
 
小風と美空のお母さんが直接電話で話して、今度の土日に、美空の母・姉・妹の3人で来て、服の分類作業をしてタンスに収納するという話もまとまった。
 
調理器具も最低そろえておくべきと言って、和泉のパソコンでネットにつないで、取り敢えずAmazonで包丁セット・マナ板に、圧力鍋、ノンフライヤー、ホットプレート、食器洗い乾燥機に皿や茶碗なども注文した。本人のたっての希望で電気式タコ焼き器も注文する。
 
「フードプロセッサとかあったら使うかな」
「いや、みーちゃんは使ったまま放置しそうだから買っても無意味」
「確かにフードプロセッサの問題は後片付けなんだよね」
 

「美空、ドレッサーとかは無いの?」
「うん。洗面台の所の鏡でお化粧してる」
「実家でもそんなんだった?」
「お母さんの借りてた」
「女の子の嗜みとしてドレッサーも買っておくといいよ」
「私は中学生になった時に部屋に小型の鏡台置いてもらった」
と小風。
「あ、私もー」
と私が言うと
 
小風と和泉が顔を見合わせて
「なるほどねぇ」
とうなずくように言った。
 
「やはり中学に入る時点で既に女の子だった訳か」
「そんことないけど」
「いや、マリちゃんじゃないけど、冬が男の子であった痕跡が見いだせん」
 

次の週末。6月28日(土)。
 
友人の礼美が結婚式を挙げた。彼女とは考えてみるといちばん交流があったのは高校3年の時だ。仁恵や琴絵たちと一緒の勉強会に彼女はよく出席していて、それで実力を付けていったのである。しかし大学に入った後は、彼女はひたすらバイトをしていて、大学の教室で彼女を見ることは稀であった。よくあれで単位を落とさずに卒業できたものである。
 
そして大学を卒業したと思ったら速攻で妊娠し、結婚することになってしまった。
 
私と政子は直前まで予定が分からなかったのだが、彼女の披露宴の時間帯には取り敢えず動かせない予定は入っていなかったので一緒に出席することにした。
 
「冬、御祝儀の額間違えるなよ」
と前日に政子が言った。
 
「うん。30万円入れたけど」
「だから、それって芸能界相場なんだって」
 
私たちはつい先日も知り合いの歌手の結婚式にお呼ばれして、御祝儀を30万ずつ包んできた。
 
「あれ? そうだっけ? 普通幾らくらい入れるもん?」
「私もちょっと自信無かったから、お母ちゃんに訊いたら、お友だちなら3万か多くても5万じゃないかと言われた」
「えーーー!? そんなに少なくていいんだっけ?」
 
「ああ、完璧に冬の常識は破壊されているな」
 

ところがそんなことを言っていた結婚式前夜。博美から緊急メールが回ってくる。
 
「礼美の結婚式の御祝儀は1万円通しで」
というのである。
 
何でもお金がないので超格安予算で披露宴をするので、それ以上もらったら申し訳無いということらしい。
 
「お料理は5000円の予算で用意してもらってお土産無しです。ごめんなさいだって」
「いや。無駄にお金掛けることないよ。5000円でも充分良い料理だと
思うけどな。お土産ってむしろ邪魔」
 

礼美は結婚式は都内の神社で3万円で挙げて2万円で記念写真を撮ってきたらしい。新郎新婦の貸衣装も2人合わせて5万円だったらしい。披露宴はホテルの部屋を料理込み20万円で借りたと言っていた。出席者は新郎・新婦、友人・親戚をあわせて26人である。妊娠中でもあり新婚旅行もしない。
 
新婦側は御両親と叔母夫婦、それに私たち・小春・博美、それにバイト先の店長さんと同僚の女性3人であった。
 
新郎側は御両親とお兄さん・お姉さん、伯母夫婦、従兄2人、会社の同僚2人、大学時代の友人4人であった。
 
受付は新郎のお姉さんがやってくれていた。私たちは1万円通しとは言われたものの3万ずつ入れた御祝儀袋を渡した。博美も
 
「まあ冬たちはお金持ちだというの分かってるから多めに入れても受け入れてくれるよ」
と言ってくれた。
 

私たちが披露宴会場まで行くと、
 
「おお、庶民的な服を着ている」
と小春に言われる。
 
「最初着ていこうかと思ったドレスは、政子からダメだしくらった」
「そりゃ花嫁さんの衣装より高そうな服を着てきたらひんしゅくだし」
 
「芸能界の結婚式とかとは相場が違うからね」
と言っている博美はレンタル屋さんで5000円で借りてきたドレスだと言っていた。
 
「いや芸能界のも結構難しいんだよ。花嫁さんがどのくらいのを着るのか把握してないと、その相場に合わせないといけないからさ」
「確かに安すぎてもひんしゅくかもね」
 
「まあ女はこういうの面倒だよね」
「ほんとほんと。男の人はブラックスーツで全部押し通せるから」
 

司会は新郎のお兄さんがやってくれた。
 
こじんまりとした披露宴であったが、なごやかなムードで、ひとりひとりのスピーチも感じがよくて、肩もこらない宴だった。お料理も5000円の予算で用意したとは思えない、結構充実したもので、美味しかった。
 
「ここでどなたか出し物とかしていただけましたら」
などと言う。
 
博美がこちらを見る。
 
「歌う?」
と私は政子を見て言う。
 
「うん」
 
と政子も言って、私たちは席から立ち上がってその場で無伴奏で木村カエラの『Butterfly』を歌った。
 
「すごーい。うまーい。プロみたい」
と礼美の同僚の女子が声をあげたので
 
「いや、この2人プロです」
と新婦が言う。
 
「あ、有名な人?」
「ローズ+リリーですよ」
と言うと
 
「キャー! なんでレミちゃん、そんな人たちと知り合いなの?」
と彼女。
 
「いや、高校時代からのお友だち。大学の同級生」
と私が答えると
 
「あのぉ、後でサイン頂けますか?」
などというので
「じゃ、後でね」
と私は応じた。
 
その後、博美と小春も一緒に歌を歌ったし、新婦の叔母さんは民謡をやるようで「めでた」を歌った。新郎のお姉さんはフルートの演奏を披露した。披露宴はほんとに素敵な雰囲気で2時間ほどで終了した。
 

「ああいうこじんまりした披露宴もいいね」
と帰宅してから政子は言った。
 
「私たちには許されないだろうけどね」
と私は応じる。
 
「やはり億単位掛けた披露宴になっちゃうんだろうね」
と言って政子は溜息をつく。
 
「まあ、しょうがないね。有名税。マーサ、貴昭君とは何歳くらいで結婚するつもり?」
 
私の問いに政子は少し悩むような顔をした。
 
「貴昭、大阪本店に異動になったのよ」
「え?なんで?」
「大阪で採用していた技術者が何人も辞めちゃって人手が足りないって」
 
「うーん。入社早々転勤なんてね」
「確かに珍しいケースだけど転勤はサラリーマンの宿命だから仕方無いと言ってた」
 
「でも東京と大阪なんて新幹線で2時間だし。オフの日には会いに行けばいいよ」
「でも土日は私たちほとんど休めないよ」
 
「うーん。。。そうかも知れないな」
「それに私と貴昭、今のところ恋人ではないから」
 
「充分恋人に見えるけど」
「冬と正望君だって恋人ではないという立場じゃん」
「それはそうだけど・・・」
 

6月30日、月曜日。
 
私は、そういえば今回のKARIONのツアーのギャラ、今月末に振り込んでおくよと言われていたことを思い出し、ネットで銀行の口座明細を見た。
 
そして絶句する。
 
私はしばし考えてから、畠山さんに電話した。
 
「社長、今日ツアーのギャラを入金して頂けるということだったのですが」
「うん。入ってなかった? 今朝着金するように手配してたつもりなんだけど」
 
「いえ。入っているのですが、金額が変なんですけど?」
「あ、足りなかった?」
「いえ、明らかに多いです!」
「そう?」
 
「1560万円も振り込まれているんですが。今回のツアーのギャラは1公演25万円とおっしゃってましたよね。公演20回で500万円になります。1060万円多いんですよ。ひょっとして頭に1を間違って付けちゃったということありませんか?」
と私は言う。
 
「ああ、それは過去のライブの分のギャラもまとめて振り込んだからだよ」
「へ?」
「君が、表に立って歌ってないのにギャラもらえない、なんて言うからさ。だからずっとプールしてたんだよ。未払い金で処理してた。まあ運転資金にも転用させてもらってたけどね。今回は受け取ってくれるというから、ついでに6年間のツケ精算」
 
「私はこれまでのは友情出演扱いと思ってました!!」
「君は間違い無くKARIONの正メンバーだからギャラは普通に払うよ」
「うーん・・・」
 
「明細はそちらに郵送したけどね。今日到着するかな?2008年は12回出演した内、7月までの4回分は支払い済み。11月のツアー8回に出たのが1回1万円で8万円未払い。2009年は34回出演してくれていて、1回3万円で102万円、2010年から2012年までの3年間はギャラは10万円、この間に74回出てくれているから740万円。昨年はギャラが15万円に上がって14回出てくれているから210万円。合計で1060万円」
 
と畠山さんは明細を説明した。そういえば和泉が畠山さんと一緒に、私が何回出演したかを数えたと言っていた。それでこの金額を算出したのか!?
 
「いや、もらえるのは嬉しいですけど」
「あっと、その中から、あとで欠席した分の罰金、220万円払ってね」
「あ、はい!」
 
私が戸惑いながらも電話を切ったら、ベッドの中でまだ半分目をつぶったままの政子が言った。
 
「冬、ギャラを多くもらったの? 私、しゃぶしゃぶ食べたいなあ」
 
私は笑って
「まあ、そのくらい連れてってあげるよ」
と答えてキスをした。
 
すると政子は言った。
「みーちゃんも呼んでいい?」
 
何だと〜〜〜!?
 
 
前頁次頁After時間順目次

1  2 
【夏の日の想い出・6年間のツケ】(下)