【夏の日の想い出・振袖の勧め】(1)

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その日私がKARIONのアルバムの制作作業を終えて帰宅すると、政子が麻央と2人でなにやら写真をたくさん見ているようだった。私はいや〜な予感がしながら「何見てんの?」と言って近くに寄る。
 
「麻央ちゃんから、冬のかぁいい写真たくさん見せてもらってる」
などと政子は言っている。
 
私もテーブルに出ている写真を見て
「よく集めたね!」
と感心していた。
 
テーブルに乗っている写真は私が多分まだ幼稚園の頃からの「女の子姿」の写真ばかりである。
 
「政子ちゃんから冬の古い写真無いかと言われてさ、(愛知県)江南市時代の古い友だちに片っ端から連絡取ってみたら、これだけ集まった」
などと麻央は言っている。
 
「この写真は凄い。こんなのどこにあったんだろう?」
と言って私が指さしたのは、幼い私が赤い小鳥の柄の可愛い浴衣を着て、花柄の浴衣を着ている姉の萌依と一緒に写っている写真だ。
 
「それは(青井)リナが持っていた写真だけど、リナもなぜこの写真を持っていたかは覚えてないと言ってた」
「へー」
 
「これ何歳の時か分かる?」
と麻央が訊くので、私はガラス戸付きの棚に置いている黒い箱を降ろしてきて、その中に保管していた扇子を取り出す。広げると高山のカラクリ人形の写真になっている。
 
「すごーい。きれいな扇子」
「あ、平成九年葉月って書いてあるね」
「うん。だから1997年8月。民謡大会に出て、入賞してこの扇子をもらったんだよ。私の宝物」
 
「だとすると冬は5歳か」
「うん。年長さん」
 
「これで冬は5歳の時点で既に性転換して女の子になっていたことが確定だな」
などと政子は言った。
 

「しかし美事に、小学生の時もスカート穿いた写真ばかりだし、中学生の写真はちゃんとセーラー服着ているし、高校も全部女子制服着てるし」
と麻央。
 
「最初から最後まで女学生だよね」
と私も開き直って言ったのだが、政子が何か考えている風。
 
「どうしたの?」
 
「いや、何かあったなと思って・・・・割と隣にいる女学生?」
と政子が言い出す。
 
「は?」
 
「なんかそんな感じの曲無かった?」
 
しばらく考えていた麻央が「ワルトトイフェルの女学生?」と訊く。
 
「あ、それそれ!」
「ワルトトイフェルが《割と隣にいる》になるのか」
 
政子は結局紙を持って来て《赤い旋風》を使い『割と隣にいる女学生』という詩を書き始めた。
 
「このボールペン、私が高校入学の時に買おうとしてお金が足りなくて、麻央からお金借りて買ったボールペンなんだよね」
「ああ、そういえばそんなことあったね。結局政子ちゃんが使ってるんだ?」
「うん。『ちょうだい』と言うんだもん」
「冬って、何かちょうだいと言えばくれるのかな。金の延べ棒を頂戴と言ってみようかな」
「金の延べ棒なんて持ってないよ!このボールペンは麻央がきっと誰かに渡すことになると言ってたからだよ」
と私は言うが
 
「ボールペンと交換に女の子の服をあげた」
と政子が言うと
「なるほどー。そういうものに弱いのか」
と麻央は納得するように言っている。
 
「エミール・ワルトトイフェル(1837-1915)は、スケーターズ・ワルツと女学生が有名だね」
と私は話を少し戻して言う。
 
「可愛い曲を書くよね〜。どんな女性だったのかなあ」
と政子。
 
「いや、エミール・ワルトトイフェルは男性」
「嘘!?」
「エミールというのは男性名だよ」
「そうだっけ?」
「ジャン・ジャック・ルソーの『エミール』なんてあるし。エミールという男の子の教育について述べた本だね」
「へー。あれ、人の名前だったんだ?」
「ちなみにエミール(Emile)が男で、女はエミリー(Emilie)」
「なるほどー!」
 
「『乙女の祈り』は誰だったっけ?」
と麻央が訊く。
「それはテクラ・バダジェフスカ」
「その人は女性?」
「女性。この人は本国ポーランドではほとんど忘れられているらしいんだけど、日本では明治時代以来『乙女の祈り』が人気なんだよね」
 
「ああ、よその国の方が評価が高いという人は時々いるね」
 

2015年11月8日(日)。例年の各種音楽賞のトップを飾ってBH音楽賞が発表される。ローズ+リリーは今回『雪を割る鈴』で、KARIONが『黄金の琵琶』でゴールド賞を頂いた。これでローズ+リリーは2008年から8年連続受賞である。
 
(2008『その時』(新人賞)2009『甘い蜜』2010『恋座流星群』2011『神様お願い』、2012『天使に逢えたら』2013『花園の君』2014『Heart of Orpheus』2015『雪を割る鈴』)
 
この他ローズクォーツ名義で2011年『夏の日の思い出』、KARION名義で2013年に『アメノウズメ』が受賞している。
 
授賞式ではローズ+リリーが賞状をもらって歌唱した後、AYAが『雨傘』で受賞して歌い、次がKARIONであった。それで私はAYAが歌っている間に大急ぎでKARIONの衣装に着替えて出て行ったが、なんだか周囲の人たちがみんな笑っていた。
 
今回の受賞メンツの中で特筆すべきなのが福留彰さんである。これまで多数の楽曲の歌詞をKARIONに提供してくださってきたのだが、今回ご自身の作詞作曲・歌による『遠来橋』でこの手の音楽賞を初受賞した。2月にリリースして8万枚もの売上げを記録している。実は福留さん自身の作品が1万枚以上売れたのは初めてなのだそうである。賞状を受け取った福留さんにKARIONの4人で花束を渡したが、福留さんはその花束を抱え、泣きながらこの歌を歌っていた。
 

11月初旬でやっとローズ+リリーのアルバム制作が一段落(まだ海外版の歌唱録音をしなければならない)したので私はKARIONの方の音源制作に突入した。
 
今回のアルバムタイトルは『メルヘン・ロード』である。いつもお願いしているソングライターの方々に童話を意識した曲を頂けないかと打診し、各々快諾をもらっている。お願いしたのがだいたい夏頃であったのだが、実際の楽曲は10月頃までにだいたい出そろったのだが・・・・
 
「蘭子の曲ができてないんだけど」
と和泉が文句を言う。
 
「ごめーん。ホントに手が回らなかったんだよ。これから頑張って書くからね」
と私は謝る。
 
「頑張るのはいいけど、品質はキープしてよね」
「それは当然ですよ、森之和泉さん」
「期待しているからね、水沢歌月さん」
 

2015年12月2日、ローズ+リリーの11枚目のアルバム(3枚目のオリジナル・アルバム)『The City』が発売された。収録曲目は最終的な収録順にあげると下記である。
 
『摩天楼』(マリ&ケイ)
『たまご』(作詞ナオ&マリ・作曲ケイ)
『灯海』(マリ&ケイ)
『スポーツゲーム』(鮎川ゆま)
『ファッションハウス』(スイート・ヴァニラズ)
『ハンバーガーラブ』(マリ&ケイ)
『ハイウェイデート』(上島雷太)
『仮想表面』(マリ&ケイ)
『短い夜』(マリ&ケイ)
『枕が揺れる』(マリ&ケイ)
『通勤電車』(葵照子・醍醐春海)
『モバイル・ガールズ』(神崎美恩・浜名麻梨奈)
『Flying Singer』(琴娘)
『ダブル』(マリ&ケイ)
 
ナオは私の親友・横沢奈緒のペンネーム、琴娘は青葉の友人清原空帆のペンネームである。
 
14曲中『たまご』『灯海』『短い夜』『ダブル』の4曲がアコスティック楽器をふんだんに使った「マリ&ケイ・サウンド」仕立てになっている。他の10曲は電気楽器が主役となる曲である。
 
当初『ダブル』ももっと電気楽器を使ったアレンジだったのだが、最後の最後になって政子が「この曲はアコスティックにすべき」と言い出し、急遽編曲をしおなして3日で制作した。このため実はプレス作業の開始を1日待ってもらったのだが、それでも何とか発売日までに初動で行きそうな分のCDは用意できた。
 

さてその『The City』の発表記者会見にはスターキッズを含む伴奏者を20人ほども入れ、『摩天楼』、『たまご』『灯海』『ハイウェイデート』『モバイル・ガールズ』『ダブル』の6曲をいづれもショートバージョンで演奏した。
 
集まっている記者の数もひじょうに多く、演奏シーンをそのまま生中継するテレビ局もあった。質問も多数出るので私や氷川さんがひとつひとつの質問に丁寧に答えていった。記者会見は30分の予定だったのだが、質疑応答が延びて結局45分ほどに及んだ。
 
「キャンペーンライブとかのご予定は無いですか?」
「申し訳ありませんが、予定はありません。代わりに各地のCDショップで今回のアルバムのひとつずつの曲に作ったPVを一挙上映しますので、良かったらそれを聴いてから買ってください」
 
「カウントダウンライブをなさいますが、その次のツアーの予定は?」
「4月くらいに考えています。その後、来年の後半はまたアルバム作りに没頭することになると思います」
 
「次のアルバムのタイトルは決まっていますか?」
「まだ★★レコードさんの許可をもらってないのですが」
と私は加藤課長を見ながら言う。加藤さんが苦笑している。
 
「取り敢えず仮のタイトルということで『やまと』というのを考えています。ひらがなで『やまと』です」
と私が答えると、記者さんたちが一斉にメモしていた。
 

12月6日(日)。今年のYS大賞の授賞式が行われた。
 
今年の大賞はAYAが1月に出した復帰作『変奏曲』で受賞した。その他優秀賞には、ローズ+リリー『コーンフレークの花』KARION『黄金の琵琶』のほか、山村星歌・松原珠妃・ステラジオ・富士宮ノエル・ゴールデンシックス・南藤由梨奈・斉藤奈々といった面々が揃っていた。
 
山村星歌は結婚につき休業中だが、休業前最後の曲で受賞。この日は久しぶりにカメラの前に姿を現し、しっかりした声で歌って、一緒に受賞したライバル・富士宮ノエルから花束をもらって笑顔を見せていた。
 
インタビューにも応じ、新婚生活について訊かれ、さんざんおのろけを言っていた。
 
「幸せそうですね。星歌さん、ベビーの予定は?」
「まだなんですよ〜。欲しいんですけどねー。マキちゃんに頑張るよう皆さんも言っておいてください」
 
などと星歌が発言すると、その後大量に本騨真樹のツイッター・アカウントに「子作り頑張ってください」というメッセージが送られ、事情を知らなかった本人が「何これ!?」と驚いたらしい。
 
また最優秀新人賞はアクアがデビュー曲『白い情熱』で獲得。ホワイト▽キャッツ、丸山アイも新人賞を獲得した。
 

私たちのアルバム『The City』が発売されたちょうど1週間後の12月9日(水), アクアの初めてのアルバム『閼伽(あか)』が発売された。閼伽というのは仏教用語(サンスクリット語)で水のことであるが、恐らくラテン語のアクアと同語源。東大寺の「お水取り」の水をくみ上げる井戸のある場所は閼伽井屋と呼ばれている。
 
こちらはアクアのバックバンドを新しく務めることになったエレメントガードのお披露目にもなった。
 
リーダーの槍田小豆絵(やりだこずえ通称ヤコ)は2007-2009年頃にサイドライトというバンドで活動していた人である。一応メジャーアーティストではあったものの、足かけ3年で出した4枚のシングルの合計セールスが1万枚に到達していない。このバンドは★★レコードの八雲礼朗さんがまだ駆け出しの頃に担当していたらしいが、最近では「ブレイク請負人」の異名もある八雲さんでも、全ての担当アーティストをブレイクさせられる訳ではないということだろう。
 
彼女を含めてだいたい30歳前後の女性ミュージシャンだけで構成した新編成バンドである。
 

さてそのアクアの初アルバムの発表記者会見だが、実際にエレメントガードのメンバーの生演奏に合わせてアクアが生歌唱した。歌った曲は10曲収録されたアルバム内から
 
『翼があったら』(マリ&ケイ)
『テレパシー恋争』(東郷誠一:実際は葵照子・醍醐春海)
『ウォータープルーフ』(上島雷太:実は福井新一)
 
の3曲である。上島先生はアクアのアルバムに1曲頼むと言われたものの、他のアーティストのアルバムなども抱えていて、本当にどうにも手が回らなかった。しかし自分の息子同然のアクアに適当な曲は渡せない。それで上島先生が唯一使っているゴーストライターで、先生の元恋人(かつ上島先生の娘・貴京−現在小学3年−の母)である福井さんに頼んだのである。福井さんは最初話を聞いた時アクアを上島先生の隠し子の1人かと思い難色を示したものの、高岡さんの子供だというのを聞いてそれならと快諾した。
 
「あんたたち、なんでそんなにこそこそと子供作ってんのさ?」
と福井さんは上島先生に言っていたらしい。
 

アクアのアルバム発売記者会見には、★★レコードの会見場に入りきれないほどの記者が詰めかけていた。例によって音楽関係の記者のみならず女性ファッション誌の記者、女性週刊誌の記者などまで来ている。
 
中には初めてアクアの生歌を聴いた記者も結構居たようで
「嘘!? 口パクじゃないんだ!」
などという声まであがっていた。
 
なお、今日のアクアのファッションは『翼があったら』のPVの中で出演者が着ていたのと同じ、小さな羽がついた白い服である。修道士の服をイメージしているのだが、女性用のワンピースのようにも見える。記者会見がテレビ中継されていた間ネットでは
 
「やはりアクアちゃんは女の子の服なのね〜」
などという書き込みが見られた。
 
歌を披露した後に、秋風コスモス社長からアルバムのコンセプトや制作過程などについて説明がある。そのあと質疑応答に入るが、大半をコスモス社長や★★レコードの福本深春が答え、アクアは時々自身で話す感じで会見は進んだ。
 
このアクアの記者会見も30分の予定だったのが、質問が途切れず、結局1時間経ったところで加藤課長が「今日はこのあたりで」と言って打ち切られることになった。
 

「初動が凄まじいですね」
と日曜日(12月13日)、氷川さんはうちのマンションに朝から来て言った。
 
「アクアのアルバムですか?」
「初日に予約分も含めて40万枚、昨日までに既に60万枚売れてる」
「たぶん年明けにドラマで例の子の正体が明かされたらもっと売れますよ」
と私は言った。
 
「やはり高見沢みちるってアクアちゃん?」
と氷川さんは訊く。氷川さんもこの付近の確かな筋からの情報はつかんでないのだろう。
 
「私も想像ですけど、そうだと思いますよ。でもネットではこのことに気づいている人はほとんど見ませんね」
と私は答える。
 
「みんな主題歌を歌っている品川ありさちゃんだと思い込んでいるね。あの子、スポーツ少女だから《強い女の子》を演じるにはピッタリだもん」
「ええ。品川ありさちゃんがしても良かったと思いますけどね。コスモス社長って結構策士ですから」
 
「最初にボイスチェンジャーを使って記者会見までしてみせたのが実はヒントになっていたんでしょうね?」
「です。推理小説の伏線みたいなものですよ。あのボイスチェンジャーでアクアは男の子の声を出すのと同様に、高見沢みちるの声も出しているんだと思います。しかも話し方をきれいに変えている。関耕児を演じる時は男の子っぽい話し方をして、高見沢みちるを演じる時は女の子の話し方をしているんですよ。男は語るように話す、女は歌うように話す。男女は声のピッチより話し方の違いが大きいんですけどあの子はそのどちらもできる。ほんとに演技力がありますよ」
 
「ねえ、ここだけの話、あの子、本当に女の子になるつもり無いんだっけ?」
と氷川さんは尋ねる。
 
「女の子になるつもりはないと思います。でもまだしばらく男にもなりたくないんですよ」
「微妙な線ですね。女性ホルモンは?」
「使ってませんよ。あの子、本当に性的な発達が遅れているみたい。お医者さんから男性ホルモンの投与を勧められたものの、それも嫌だと拒否してるんです」
「なるほどですねー」
 

「ここだけの話だけどね」
「ええ」
「アクアのプロジェクトは別会社に分離しようかという話が浮上してるのよ」
「へー!」
 
「アクアの人気があまりにも急上昇したから、投資額も急速に膨らんでいて、一部の株主から、リスクを懸念する声が出ているらしいのよね」
 
「確かにこれで万一何かで人気が急落すると、致命的な損害が出ますね」
「だからリスク分散しようと。それに別会社にすると、こちらと競争できるから、それで切磋琢磨した方がいいのではという意見もある」
 
「誰がその社長になるんです?」
と私は訊いた。
 
「町添が社長、★★チャンネルの朝田さんが副社長」
と氷川さんは言った。
 
私は少し考えてから言った。
 
「それって村上専務あたりから出てきた話ですか?」
 
氷川さんはそれに直接は答えずただ微笑んだ。
 
「会社ってほんっとに色々権謀術数があるよね〜。私はその手の戦いは苦手」
 

「でも結局アクアは三田原係長が担当することになったんですね?」
と私は尋ねた。
 
これまでアクアに関する事務は氷川主任や北川係長、南係長などがその度に色々動いてきたのである。
 
「そうそう。三田原君が担当していた他のアーティストは他の人が引き継いでほぼアクア専任になる」
「いや、専任担当者が必要になりますよ」
 
「何と言ってもかつての★★レコードの看板アーティスト・ラララグーンを成功させたA&Rだからね。ラララグーンが解散した後も、何人ものポップス歌手を成功に導いている」
「最近では夏樹了子さんを担当してましたね」
「うん。初めて担当した女性アーティストなんだよね。前任者が結婚で退職して女性のA&Rで空いている適当な人がいなかったから暫定担当ということにしたものの、相性がいいからということで結局2年も付き合うことになった」
 
「ああ、2年くらいですか」
「加藤は万が一にも恋愛事だけは避けてくれと言っていたらしいんですけど」
「その心配は無かったですね」
 
「うん。あの子、夏樹さんを担当した早々に夏樹さんから女性指向を見抜かれてしまって、実はツアーとかに帯同する時はずっと女装していたらしいね」
「へー!」
 
「昨年の性別移行で三田原武彬から三田原彬子になって、他に担当していた男性アーティストの大半から担当は外れたけど、ちょうど夏樹了子のアルバム制作とツアーを控えていたから、夏樹了子の専任に近い形になれて、助かったと言っていたよ」
 
「うまくかみ合いましたね」
「夏樹了子の担当は八雲君が引き継ぐ」
と言って、氷川さんはニヤニヤしている。
 
私は一瞬ためらってから尋ねた。
「氷川さん、八雲礼朗さんの方とも何かありました?ここだけの話」
 
すると氷川さんは物凄く可笑しそうに笑ってから言った。
 
「とうとうあの子の秘密を私知っちゃったのよね〜」
「秘密ですか?」
「あの子、プライベートではいつも女装しているのよ、ここだけの話ね」
「そうだったんですか!?」
 
「それで丸山アイには、もともとプライベートで女装している時に遭遇したことがあったらしく、いきなりバレちゃったから、彼女の制作とかに入っている時は、ずっと八雲君本人も女装しているらしい」
「でもプロダクションの方にはいいんですか?」
「ζζプロの青嶋部長が、なんとあの子の同級生とかで、八雲君の実態を最初から知っていたらしい」
「あらぁ」
 
「女性名は礼江(のりえ)ちゃんなんだって。だから私、携帯のアドレス帳は八雲礼朗(のりあき)から八雲礼江(のりえ)に変更しちゃったよ。最近は『のりちゃん』と呼んであげてるからあの子も私のこと『まゆちゃん』と言うけどね。もうあんた、会社でもカムアウトして女性社員になっちゃいなよと唆したんだけど、恥ずかしいと言って」
 
「いや、それはなかなか勇気出ないですよ。それであの人、女性アーティストとうまく行くんですね」
「そうみたい。心が女の子なんだよね。逆に男性アーティストとはうまくやっていけない。男性心理が理解できないから」
「なるほどー」
 
「あの子も丸山アイと温泉で遭遇したことあるらしいよ」
 
私は考えた。
 
「氷川さんも丸山アイと温泉で遭遇したと言ってませんでした?」
「うん。温泉の女湯でね」
「つまり丸山アイって実は女の子なんですか?」
 
「肉体的にはそうだと思う。天然女性なのか性転換して女の子になったのかは分からない、あの子『タックじゃないですよ』と言って、割れ目ちゃんを開いてみせてくれたよ」
 
「へー! ということは八雲さんも?」
 
「最低でもおっぱいはあるということだよねー。下はどうなのか知らないけど。追及しても口を濁すから、かなり怪しい気はするんだけどね」
 
「うむむむ」
 
私は一時期氷川さんが八雲礼朗さんにかなりの関心を示していたようでもあったことから、ふたりの間に恋愛感情があるのではとも憶測していたのだが、どうも恋愛ではなく、友情の方に行ってしまっているようである。
 
しかしそれなら先日、氷川さんと八雲春朗さんが立ち話をしていた時、礼朗さんが嫉妬するような目をしていたのはなぜだろう?と疑問も感じた。もしかして、氷川さんは八雲礼朗さんに友情モードで接していても、実は八雲礼朗さんの方は氷川さんのことが好きなのだろうか??
 

「いや加藤から、ケイさんに変な誤解を与えないようちゃんと説明して来いと言われたもんで」
と、その日うちのマンションに朝から来た八雲礼朗さんは言った。
 
彼?彼女?はこの日女装していた。
 
とても自然な女装でふつうに女性にしか見えない。
 
「加藤さんには八雲さんの性的な傾向のことは話しておられたんですね?」
「正式に話したことはないんですけどね。女性社員の間では結構バレてるんで加藤は察しているみたいです」
 
女性社員というのは、多分北川さんとか富永さんとか氷川さんとかだろうなと私は思った。
 
「私は別に氷川さんには恋愛感情は無いんですよ。私の恋愛対象は男性ですので」
と八雲さんは言う。
 
「ああ、そうだったんですか?」
「私はね、実は小さい頃から春朗のことが好きだったんです」
 
と八雲さんは大胆な告白をした。私は何も反応しなかった。反応できないと思った。
 
そうか。山村星歌の結婚式の時に見たシーンは礼朗さんは氷川さんに嫉妬していたのではなく春朗さんの方に嫉妬していたのかと、私はやっとあの時の状況を理解した。
 
「愛してはいけない人というのは分かっています。ですから春朗にはそういうことを言ったことはありません。でも春朗は私の気持ちを察しているみたいで、その弱みにつけ込んで結構無茶なことを私にやらせてきたんですよね」
 
私は何も答えない。
 
「異父兄弟ではあっても、遺伝子的にみれば実の兄弟に等しいですからね、というか本当に実の兄弟である可能性もある。それに男同士だし。究極の禁断の愛ですね」
 
「自分で気持ちをちゃんと止めることができるのなら、それでいいと思いますよ」
と私は初めてひとことコメントした。
 
「多分別々の家庭で育ったからなんでしょうね。ふつうの兄弟が恋愛感情を持たないのは一緒に育っているからですよ」
 
「そういう話は聞きますね。生き別れの兄妹とは知らずに恋をしてしまってとか」
「ええ。私が小さい頃から持っていた感情もそれに近いものだと思います。個人的にはもう春朗のことは何とも思っていないつもりなんですけど、目の前で他の女性とイチャイチャしてるの見ると、つい嫉妬心も起きてしまって」
 
「人間の恋愛感情は難しいですからね。簡単に制御できるものではない」
と私は言う。
 
「制御できるなら恋ではないですよ」
と八雲さんは言った。
 
あれ?この言葉誰かからも聞いたなと私は思った。
 

「でも八雲さん、せっかく性別移行制度もできたし、女性社員にならないんですか?」
と私は訊いた。
 
「私、全然女として生きる覚悟が無いから」
と彼女は言う。
 
「え?でも性転換手術まで受けたのに・・・・受けてますよね?」
と私は半分山掛け気味に言った。
 
「受けてます。でも実は間違いだったんです」
「間違い?」
「私、去勢手術を受けに行ったんですよ。女になる覚悟は無かったけど、男のままで居るのは辛かったから」
 
「それは分かります」
 
「ところが性転換手術を受ける患者と間違えられちゃって」
「あら〜」
「それで何の覚悟もないまま性転換しちゃったんですよ」
「それどういう扱いになるんですか?」
 
「病院側は平謝りでね。慰謝料とかの交渉にも応じると言っていたんですが、私は女の身体になるのは全然問題無いからと言って。手術代はタダにしてもらった上で、御見舞金に300万円もらって、その後の経過診察とかの診療費に女性ホルモンの薬代まで、ずっとタダにしてもらってますから。あそこの病院に掛かる限りは風邪でもタダで見てもらえることになっています」
 
「私なら喜んじゃうところ」
「私も実は喜びました」
「やはり」
「自分としてはまだ迷いがあったんですよ。取り敢えず去勢だけはしておこう程度の覚悟だから。それでいまだに仮面男子なんですけどね」
 
「それは自分の気持ちが定まってからまた考えればいいでしょうね。そういう事情であれば」
と私は言う。
 
「ええ、そう思っています」
 
「でも性転換手術の後はさすがに3ヶ月程度は休みますよね。休職か何かにしてもらったんですか?」
 
「いや、去勢手術だけのつもりだったから、1週間有休取ってただけで」
と照れながら八雲さんは言う。
 
「まさか1週間で仕事に復帰したんですか?」
「サイドライトの福岡公演に新幹線で往復してきましたよ」
 
「ひぇー!! よくやりましたね」
「当時秋月の下に付いていたんですよ」
「わぁ」
 
秋月さんというのは、ローズ+リリーの初代担当である。
 
「彼女は当時執行さんに夢中で」
「あぁ・・・」
 
「サイドライトのイベンター側の担当が執行さんだったんです。それで秋月は彼に夢中だから、おかげでこちらは体調が悪いの気づかれずに済みました」
 
「それにしてもよくその状態でライブの管理とかやりましたね」
「まあフラフラでしたけどね。でもケイさんみたいに、性転換手術をした翌日にライブで演奏するほどの体力は無かったです」
 
「ちょっと待って下さい。いつの間にそんな話になってるんですか!?」
 
「あれ?違いました?ローズ+リリーは急遽デビューが決まったからその前に女の子の身体にならなきゃというので、すぐ手術したけど、翌日には富士急ハイランドで歌ったと秋月から聞いたと思ったんですが」
 
「そんな話は初耳です!」
 

その日織絵(XANFUSの音羽)は2014年に私がXANFUSに貸した3億5千万のうち取り敢えず2億円を返したいと言ってマンションに来訪し、口座を確認の上その場で振り込んでくれた。この日、美来(光帆)は二日酔いでダウンしていると言っていた。
 
「年明けたら全額も返せるんだけど、アルバム制作資金を留保しておきたいから、残りは来年末くらいにさせて」
 
「うん。それでいいよ。でも全部自分たちで出すと、結構お金が掛かるでしょ?」
「掛かる掛かる。でも代わりに自由があるからね」
「今年のXANFUSのアルバムは品質が良かったと思う」
「まあ霧(みすと:スリーピーマイスのティリー)さんのお陰だけどね」
「あの人は割と初期の頃からXANFUSに関わってたんでしょ?」
「そうそう。最初のアルバムの時からね。私たちの出世作『Down Storm』もあの人が『これいい』と言ってくれて麗子(スリーピーマイスのレイシー)さんがアレンジしてくれたんだよね」
 
「いいプロデューサーさんを得るのは大きいね」
「ローズ+リリーも雨宮先生との出会いが大きいでしょ?」
「うん。雨宮先生がいなかったらローズ+リリーは誕生していなかったし、ここまで来られなかった。あくまで『影の仕掛け人』だけどね」
 

「ところでさ、冬、アクアと丸山アイとフェイについて議論してみたい」
などと音羽は言った。
 
「アクアは普通の男の子、丸山アイは多分手術済のMTF、フェイは不確かだけど両性半陰陽だと思う」
と私は現時点での想像混じりの予測を言う。
 
「アクアって男の娘じゃないの?絶対女性ホルモンやってるとにらんでるんだけど」
「アクアは性的な発達に関する外来を定期的に受診しているよ。男性ホルモンの投与を勧められているけど拒否している。そもそもやはり小さい頃の大病のせいで性的な発達が遅れている。でも今の自分の状態、性的なモラトリアムをもうしばらくむさぼっていたいんだよ。女になりたい訳ではないけど、まだしばらく男にもなりたくないんだな」
 
「難しいな。丸山アイって手術済のFTMなんじゃないの?」
 
「氷川さんが彼女と女湯で遭遇しているんだよね。つまり女の身体なんだと思う。本人は女から男への性転換手術を受けたなんて主張しているけど、反対なのではないかと想像している」
「性転換手術してるんなら、そうだろうね。あの子、普通の女には見えないんだ」
「そもそも性別曖昧だよね。だからMTFよりMTXに近いんだと思う」
「そのあたりか。フェイが半陰陽という根拠は?」
 
「青葉があの子の性別は分からないと言うんだよね」
「それっていわゆるチャクラの回転方向が曖昧ということ?」
「そうなんだと思う。私たちみたいなMTFにはしばしば回転が混乱している人がいる。あと女子スポーツ選手で凄く強い人には男性型回転が混入している人がいる。それでもたいていはどちらかが優勢なんだけど、霊能者が見て判断が付かないというのは、半々に近いんだと思う。すると両性半陰陽の可能性もある」
 
「あの子の性別情報はほんってに分からないんだよね。男の子ですよ、という話と女の子ですよ、という話をほぼ半々に聞くし」
 
「私もそうなんだよねー」
 

「そういえば少し古い話だけどさ」
と音羽は言った。
 
「去年2014年のサマーロックフェスティバルの打ち上げの後でさ、あの宴会に出ていた中に性転換者が何人居たかって話したじゃん」
 
「うんうん。あれ私もずっと気になっていて」
と私も答える。
 
「あれ醍醐春海さんと何気なく話していて、彼女が5人と言ったんだよね」
「あの子って、天性の巫女だから、そういう時ってどこからか降りてきた言葉を言っているんだよね。だから私も醍醐に訊いてみたけど本人にも分からないと言っていた。ただ、これはあくまで男性から女性に変わった人数だと言っていた。だから女性から男性に変わった八重垣さんは含まない」
と私は言う。
 
「ああ、やはり八重垣さんは入らないのか」
「取り敢えずこの5人かなあというのは最近考えたんだけど、ひとりは実は微妙なんだよね」
と私は言う。
 
「だったら私も分からないや。実は八重垣さんがFTMだっての最近知って」
「ああ、そうだったんだ」
「なるほどー。これで5人かと思ったんだけど、八重垣さんが入らないならまた振り出しに戻るな」
と織絵は言う。
「へー。織絵も八重垣さん以外で4人見つけたのか」
と私。
 
「あの時、私もすぐ思いついたのが、冬、醍醐さん、近藤うさぎさんの3人」
と織絵。
 
「醍醐は自分の性転換の時期とかをネタにしてたからね」
 
「私、ひとりはチェリーツインの桃川春美さんかと思ったんだ」
と私は言う。
「あの人、性転換者なんだっけ?」
 
「うん。ただあの人、まだヴァギナを作ってないらしい」
「へー」
「そういう訳で桃川さんは人数に入るのかどうか微妙なんだよ」
「ふむふむ」
 
「ところが最近、ひとり確実に性転換していた人が分かったんだよね」
「へー!」
 
「プライバシーに関わるんで名前出さないけど、あの時出席していたスタッフで完全に性転換していた人がいたんだよね」
と私は言う。
 
「それって伴奏者?」
「ううん。違う」
 
「だったら私が考えた人とは別だ」
と織絵が言った。
 
「伴奏者の中に性転換者が居たの?」
と私は訊く。
 

「ねえ、ここだけの話ということにしてお互い人には言わない約束で、お互いが考えていた性転換者の名前をここに書き上げない? せーので見せて、その後その紙は確実に廃棄」
と織絵は提案した。
 
「それもいいかもね」
と言いつつ、こうやって秘密って人に伝わっていくんだな、とも思う。
 
私は
 
唐本冬子(ケイ・蘭子)、村山千里(醍醐春海)、近藤幸(近藤うさぎ)、八雲礼朗(女性名:礼江)
 
と書いた。
 
「せーの」
で見せる。
 
織絵の紙には
 
唐本冬子(ケイ・柊洋子)、高園千里(醍醐春海)、近藤うさぎ、黒井由妃(yuki)
 
と書かれていた(織絵は千里が桃香の戸籍に入っているものと思っていたらしい)。
 
「え〜〜〜!? 八雲さんって、女の身体なの?」
と織絵。
「うっそー! yukiちゃんって、元男の子だったの?」
と私。
 
「八雲さんは会社に入って間もない時期に性転換手術を受けているらしい。その後ずっと仮面男子状態」
「よく会社在職中に性転換できたね」
「有休とって手術受けて、一週間で仕事に復帰したらしいよ」
「すげー! やはり冬みたいな人はいるんだ。冬も性転換手術の1週間後にライブに出たって言ってたよね?」
「1ヶ月後なんだけどなー。どこでそういう話になってるんだろう」
 
「冬が性転換手術を受けたのって2009年1月5日って冬の同級生から聞いたよ。例の騒動で帰国していたマリのお父ちゃんが1月4日にタイに再渡航したから、それに付いていって入院して、翌日手術を受けたんだって? それで1月11日に関東ドームでドリームボーイズのバックで踊っている。だから6日後か」
などと織絵はスマホを見ながら言っている。
 
そんな話は私も初耳だ!同級生って誰だ!?
 
「私性転換したの2011年4月3日なんだけどー。それで1ヶ月後の5月4日にローズクォーツのライブをふらふらの状態でやって」
「18歳未満で年齢を誤魔化して手術したの隠したいのは分かるけど、今更そんな誰も信じないような嘘は言わない方がいいよ」
と織絵。
「そんなぁ」
 
「もうひとつ美空から聞いた話はまた違ってて、冬は2007年の12月26日に新宿の病院で性転換手術を受けたって。24日と25日にKARIONでクリスマスイベントに参加して、その後少し休ませてと言って26日のイベントには出なかったから、たぶん26日に手術を受けたのではと言ってたんだよね。それで2008年1月4日にKARIONのデビュー記者会見とイベントでピアノとヴァイオリンを演奏しながら歌っているからこの場合、9日後になるな」
と織絵。
 
うん。その話はあちこちで聞いた!どうも美空が言いふらしたようだ。千里や和実までその話、信じているし。
 
「由妃は両親が手術受けるなら早い方がいいと言って、高校1年の夏休みに性転換手術を受けさせてくれたらしいんだよ。16歳になってすぐ」
 
「すごーい。でもやはり性転換手術の下限は16歳なんだね」
「うん。よほどの特殊事情がない限り、ゆるい所でも16歳以上。その手術はロシアで受けたんだって」
「ああ、ゆるい病院がありそう」
 
「私も全然知らなくて。最近になって、え?あんたyukiちゃんが元男の娘だったと知らなかったの?と美来に言われて」
「ふむふむ」
 
「でも早く手術したおかげで高校は3年間女子制服で通えたらしいんだよね。中学の時は由紀夫の名前で、詰襟の学生服で3年間過ごしたから、それがもう苦痛で自殺をはかったこともあったって。それで両親も手術を受けさせてくれたみたい」
 
「まあ死なれるよりいいよね。息子が娘になってしまっても」
 
「そうそう。でもあの子ってほんとに自己矛盾をいろいろ抱えていたみたい。小さい頃フライト・アテンダント志望だったから、そのためにも早く女の子になりたかったらしいけど、そんなこと言ってた割に英語が全然ダメで」
 
「それは厳しい」
「名前自体が黒井由妃って苗字と名前が矛盾している」
「まあ結婚する時に矛盾しない苗字の人と結婚すれば」
 
「きっと君は赤井さんとか青居さんと結婚するに違いない、とみんなでからかっている」
 
「ああ、ありそう」
 
「でもこれで1年半以来の疑問が解決した」
「私も」
「じゃこの話はお互い忘れるということで」
「OKOK」
 
それで私は2枚の紙をシュレッダーに掛けてしまった。
 

年末年始の特別番組のため『ねらわれた学園』の放送は12月14日の放送でいったん休止になるが、1月4日には1時間スペシャル(17:00-18:00,普段は17:00-17:30)で「関耕児vs高見沢みちる・2年3組での対決!」が放送されるという予告がなされていた。
 
ここまでの展開では生徒会長に当選した高見沢みちるが代表委員有志によるパトロール隊を結成し、校内の風紀取り締まりを始める。最初はカツアゲをしていた生徒たち、タバコを吸っていた子たちなどがつかまり、特設掲示板と生徒会のホームページに名前を張り出され、当該クラスの学級会で処分を決められた。
 
最初はそのように誰もが「悪いこと」と意識するようなことが摘発されていたものの、パトロール委員の摘発は次第にエスカレートしていく。マニキュアをしていた子、スマホを持ち込んでいた子、廊下でボール遊びをしていた子たちなどが摘発され、また階段の手摺りにまたがって滑っていた子、廊下のポスターに悪戯書きしていた子(今井葉月)なども摘発されていく。但し悪戯書きしていた子はパトロール委員が寄ってくる前にヒロインの楠本和美(元原マミ)がうまく逃がしてやり、処分を免れた。
 
年内最後の放送では野球部の吉田君(鈴本信彦)がボールを取りに行こうとしてオーバーフェンスしたのをパトロール委員に捕まり、吉田君は学級会議に掛けられることになった。
 
番組の最後に流れた予告編では、次回は関耕児(アクア)が議長を務める2年3組の学級会議でその吉田君の処分が話し合われることになるが、ここに生徒会長・高見沢みちるが臨席して議事を「見守る」ことが、洗脳されているクラスメイト・西沢響子(馬仲敦美)によって語られた。
 
物語中盤の山場である。
 
そしてその予告を見た視聴者の間では「とうとう高見沢みちるがその顔を見せるのでは?」という声が大きく巻き起こったのである。
 
前宣伝としては充分である。
 

12月23日(水)、ローズ+リリーの22枚目のCD『振袖』が発売された。
 
このタイミングでこういうCDが発売されるというのは、ほんの2週間ほど前、12月11日(金)になって告知され、テレビや動画サイトでPVが流れ始めた。このCD制作が決まったのは、実に11月中旬になってからであった。
 

11月11日の水曜日、私と政子は東堂千一夜先生に突然呼ばれ、氷川さんと一緒に御自宅を訪問した。
 
私たちが奥さんに導かれて応接室に入っていくと、先生はいきなり私とマリと更に氷川さんにも譜面を渡した。
 
「氷川君、確かピアノ弾けたよね?」
「一応中学3年までは習っていました」
「じゃ、それ初見で弾いて。ケイ君とマリ君は初見で歌って」
 
「すみません。譜読みしていいですか?」
「ダメ。譜読み無し」
 
私たちは顔を見合わせたが、氷川さんは取り敢えず部屋の中に置かれているアップライトピアノの前に座り、最初椅子の位置を調整している。ゆっくりとした動作でピアノのふたを開ける。そして譜面立てに今渡された譜面を置くが位置が気に入らないのか数回、位置を直した。
 
私とマリは先生から「譜読み無し」と言われた次の瞬間、氷川さんが私たちに視線を送ったことで、とにかく読める範囲で譜面を読んだ。もっともページをめくる訳にはいかないので、とにかく最初のページだけである。
 
氷川さんは更に数回「コホン」と軽い咳までしてみせた上で「では行きます」と言ってからおもむろに指を鍵盤の上に置き、3秒くらい置いてからテンポ60くらいで前奏を弾き始めた。
 
譜面にはAndanteと書かれている。だいたいテンポ65〜76くらいのはずだが、氷川さんはわざとゆっくり弾きだしたようである。やがて前奏が終わり、私とマリが歌い始める。マリは最初の音を間違えたものの、私の音を聞いてすぐにその3度下の音に修正した。
 
ところが4小節歌った所で東堂先生のだめ出しが入る。
 
「遅すぎる。アンダンテなんだからこのくらい。トントントントン。続けて」
と先生は実際にビートを口で言って見せる。
 
「済みませんでした」
と言って氷川さんは、最初から弾き直す! 続けてと言われたのにそのことに気づかなかったふりをして最初に戻ってしまったのだ。
 
これには東堂先生が苦笑していた。
 
それで今度は東堂先生が示したテンポ(72くらい)で氷川さんの前奏は進み、私たちが歌い出す。今度はマリは正しい音で歌い出すことができた。
 
私は初見は得意だが、マリが初見でどの程度歌えるかかなり心配だった。しかしマリは譜面で私のパートとマリのパートが何度離れているかだけを見て、私の音を頼りにきれいに歌っていった。
 
3度や5度離れる所、またスケールで上下する所はかなり正確に歌ったものの、私と4度離れる所や変化記号のある所、また私とマリの音を出すタイミングが違う所では少しピッチを間違えた。しかしそれ以外ではあまり大きな破綻も無く、転調するサビの所も何とか切り抜けて最後まで辿り着いた。
 
私たちが歌い終わり、氷川さんがコーダを弾き終わると、先生は拍手をしてくれた。同席している奥さんも一緒に拍手をしてくれる。
 

「ありがとうございます」
と私とマリは声を揃えて言った。
 
「歌えたね。だったらその曲あげるから、12月23日に発売して」
と東堂先生は言った。
 
私たちはびっくりした。
 
「次のローズ+リリーのCDは4月に発売する予定だったのですが」
と氷川さんが言う。
 
「でも出せるでしょ?」
と東堂先生。
「はい、出します」
と氷川さんは決意したかのように言った。
 
「よろしい」
と東堂先生は満足そうである。
 
この曲のタイトルは『トップランナー』である。作詞は室蘭氷渡海さんの名前が入っている。
 

奥さんがお茶を入れてくれて、お菓子も出してくれて、私たちはソファに座って先生とお話しした。
 
「僕としては3年ぶりくらいの名曲だと思うんだよ。それでこの曲を誰に渡そうかと考えた。それで今いちばん勢いのある歌手に渡そうと思った」
と先生は言う。
 
3年前の名曲というのは2012年のRC大賞を取った春川典子『竿灯祭りの夜』だろうなと私は思った。
 
「ケイ君、今ローズ+リリーのライバルは誰だと思う?」
 
私は少し考えて言う。
 
「私たちに凄い対抗意識を持っているのはステラジオです。あの子たちは今はまだそれほどのセールスではないですが、ファン層が確実に広がりつつあります。彼女たち、私たちと同じ場に居ても絶対に目を合わせないんですよ。かなりピリピリしてますね」
 
「うーん。ステラジオね〜。君たちの二番煎じにすぎん」
と先生はおっしゃる。
 
「正直怖いと思っているのはアクアです。あの子はデビュー曲がいきなりミリオンセラーになり、夏に出した2作目も連続ミリオン。夏にやったツアーではチケットの競争率が20倍を超えていますし、そのライブビデオも売れに売れて、来月発売予定のアルバムもかなりのセールスが期待できますし、恐らく今年の★★レコードのアーティスト別売り上げで、ローズ+リリーに次ぐ数字が出るのではないかと思います」
と私は言った。
 
「アクア?問題外でしょ。まさかまだチンポコも生えてないような中学生ごときに本気で負けると思ってないよね?ケイ君、そろそろ当てないと怒るよ」
と先生。
 
「先生、ちんちんは生えてくるものではありません」
と氷川さんが言う。
 
マリがなんだかワクワク・テカテカした目をしている。
 
「で、ここだけの話、あの子、付いてるの?」
と先生が小さい声で訊くので
「付いてますよー。ちゃんと医師の診断書でペニスも睾丸も存在するというのが出てますから」
と氷川さん。
「女房と話してたんだよ。あれ絶対もう取ってるよね?いやそもそもまだ生えてきてないということは?って」
 
そういう会話を聞きながら、私はため息をついた。氷川さんはアクアに関する与太話をすることで私に考える時間をくれたのだ。
 
「ラビット4です」
と私は答えた。
 
「分かってるじゃないか。分かってるなら最初から言いなさい」
と先生はおっしゃった。
 

これにはマリと氷川さんまで驚いている様子だ。マリが私に訊く。
 
「ラビット4って何?」
 
「今年の春に結成されたユニット。男性4人組で楽器演奏しながら全員で歌う。楽器編成はギター・ベース・ドラムス・篠笛」
 
「篠笛は歌えないのでは?」
「笛を吹いてない時に歌う」
「なるほど」
「元々ギターの人と篠笛の人が数年前からライブハウスとかで歌っていた。自分達で伴奏音源を作っておいて演奏の時はそれを再生しながら歌っていたんだけど、今年の春に2人加わって生演奏ができるようになった。インディーズでCD2枚出してるけど凄く良い。たぶんセールスが1万枚越えていると思う」
 
「そんなに?」
と政子が驚いているが、どうも氷川さんも知らないようである。
 
「近いうちに∂∂レコードからメジャーデビュー予定。凄くいい曲を作っているし、演奏も歌もうまい。マリも聴いたら好きになると思うよ。インディーズで出したCD2枚はうちにあるから後で聴いてみるといい」
と私は説明する。
 
「よし聴いてみよう」
とマリ。
 
さすがに立場上何も言わないが、氷川さんもそれを聴きたそうである。
 

「まあそれで僕もこの曲をラビット4とローズ+リリーのどちらにあげるか悩んだんだよ。それでサイコロを振ってみた」
 
「サイコロですか!」
 
「奇数が出たらラビット4、偶数が出たらローズ+リリーと思った。どうしてそうしたか分かる?」
と先生がなぞなぞのように出してくるので私は答える。
 
「中国の陰陽思想で奇数は陽、偶数は陰です。ですから奇数なら陽だから男性アーティストのラビット4、偶数なら陰だから女性アーティストのローズ+リリーということでしょうか」
 
「正解正解。サイコロは2が出たからローズ+リリーをここに呼んでみた。それで初見で歌えなかったら落選ね」
と東堂先生。
 
氷川さんが頷いている。
 
「ケイちゃんの性別で若干悩んだけど、まあ陰でいいだろうし」
「ケイは間違いなく女の子です。生まれてすぐ性転換したみたいだし」
などとマリは言っている。
 
「うん。たぶん僕とセックス可能な気がするなと思ったから」
と東堂先生はおっしゃったが、その次の瞬間、隣に居た奥さんが、そばにあったお盆で強烈に先生の頭を殴った!
 
私たちは思わず口に手を当てて驚いたが、東堂先生は一瞬脳震盪でも起こしたのではという感じではあったものの、すぐ復帰して
 
「まあそれは冗談として、これローズ+リリーにあげるから」
とおっしゃる。
 
「それでラビット4のデビュー曲が12月23日発売なんだよ。だからその発売にぶつけて、あちらのランキング1位を阻止してみてよ」
 
と先生はおっしゃった。その言葉で私はこの曲は最初から私たちにくださるつもりだったんだということを確信した。
 

氷川さんが加藤課長にその場で電話し、東堂千一夜先生がローズ+リリーに曲をくださり、12月23日に発売して欲しいとおっしゃっているので、発売させて下さい、と伝えた。加藤課長も驚いていたようだが、やはり東堂先生という名前が効いたのだろう。加藤さんもその場でOKを出した。
 
私はこの曲を歌うのにこちらで編曲させてくださいと先生に申し入れ、その件は快諾してもらった。
 
その後は例によって、東堂千一夜先生による「音楽談義」が始まる。私たちもこれを聞くことになるのは覚悟で来ていたのだが、先生は今回は翌朝!までひたすらビートルズ論を語った。ビートルズの音楽史上での位置づけについて熱く語る。先生に言わせると、セールス的にもっと売れたユニットはいくつもあるかも知れないが、20世紀のポピュラー作曲家を全部束にしても、レノン・マッカートニーにはかなわない、そのくらい彼らは凄いしなにより音楽構造的に革命だったと言う。
 
先生の話は半分が音楽理論上の話、半分は録音技術の話で、ビートルズの多様な曲名と小節番号!が出てきて「ここでsus4が出てくるんだけど」などとおっしゃるので、私や氷川さんは何とか付いてこれても、今日の話にはマリはほとんど付いて来れなかったようであった。
 
それでも奥さんや途中で交代したお嬢さんが色々差し入れの食事やおやつを持って来てくださるので、マリはどちらかという食べる方専門で頑張って?いたようであった。
 
結局翌日の朝、約20時間の先生の講義の末に私たちは解放されたが、その後、私とマリは夕方までマンションで寝ていた。
 

この新しいCDの音源制作のため、またまた私は11月後半はKARIONのアルバム制作を休むことになり、和泉から文句を言われたのだが、11月22日に和泉から電話が掛かってきて
 
「どっちみちこのあと月末までお休み」
と言われた。
 
「何かあったの?」
「相沢さんの弟さんが亡くなったんだよ」
「あらぁ・・・。事故か何か?」
「癌の一種らしい。白血病に似てるけど、白血病ではないと言っていた。血液の病気らしいんだけどね」
「そうだったんだ?」
 
「先月末に骨髄移植したらしいんだよ」
「わぁ・・・」
「でも造血細胞がうまく定着してくれなかったみたいで」
「骨髄移植は博打だからなあ。幾つだっけ?」
 
「弟さんは29歳だったらしい」
「若いのに」
「若いだけに進行が早かったみたいね」
 
骨髄移植に踏み切ったというのは、それ以外の治療法が尽きてしまっていたということでもある。
 
「お葬式は?」
「今日は友引だから明日23日にお通夜で24日が葬式。場所は奈良県の山奥の町らしいんだよ」
「私も行った方がいいかな?」
 
「冬は今時間取れないでしょ? 電車おりてから更に数時間車で走らないといけないらしくて。行くのも帰るのも1日掛かるから、今日東京を発っても到着するのは夜になる。それで23-24日の通夜と葬式に出て25日の朝向こうを発って東京に戻れるのは25日夜」
「うーん。。。4日も潰れるのは困る」
「東堂千一夜さんから言われた発売日は死守しないとやばいよ」
 
「うん。発売日を守るためには29日までに録音作業を完了しないといけないから、全く余裕が無い」
 
「KARIONはラジオ番組とかのスケジュールもあるんだよね。それで相沢さんと社長とで話し合って、トラベリング・ベルズは全員行くけど、KARIONは私が代表して行ってくることにした。社長も行く。番組は小風と美空で何とかしてもらう」
 
「ごめーん」
「美空だけなら心配だけど小風がいれば大丈夫だよ。それに古い言葉だけど、芸人は仕事があれば自分の親の死に目にも会えないんだというからね。冬は香典だけよろしく」
 
「分かった」
「相沢さんも12月1日までは向こうに滞在しないといけないみたいだからKARIONの作業再開は12月3日」
「了解」
 

それで相沢さんには申し訳無かったのだが、私は弔電と香典だけで失礼させてもらってローズ+リリーの音源制作に専念した。無事11月29日までに録音は完了。その後のマスタリングは有咲と麻布先生と七星さんにお任せし、PVの制作は氷川さんとマリと雨宮先生!に丸投げして、私は11月30日は休ませてもらって12月1日は翌日発売のローズ+リリーのアルバムの発表記者会見の準備に追われ、私も結局12月3日にKARIONのアルバム制作に戻った。
 
 
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【夏の日の想い出・振袖の勧め】(1)