【夏の日の想い出・振袖の勧め】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2016-01-31
ムーンサークルの前座が終わってローズ+リリーのステージが始まるまでの休憩時間中には会場の観客に暖かいおでんが振る舞われる。500人の会場運営スタッフの手で3万人の観客に保温バッグの中に入れられたおでんのパックとホットドリンクが配られる。彼らは配り終えると、清掃係に変身してゴミ回収をしてくれることになっている。
ゴミ1つ残さないことというのが会場を貸してくれたショッピングモール側との約束である。清掃作業は明日元日に夜が明けてからも再度行われることになっている。
出番を待つ私たち歌唱者や伴奏者たちにもおでんとホットドリンクが配られる。私ははちみつレモン、マリは「なんか甘そうなコーヒー」と言ってジョージアのエメラルド・マウンテンをもらっていた。
ところがコーヒーを受け取ったマリが突然変な声をあげる。
「きゃー。このコーヒー浮く!」
「え?」
実際コーヒーを持つマリの手はどんどん上に上がって行っている。私は慌ててマリの手を押さえた。
「ありがとう」
「どうしたの?」
「このコーヒーが上に行こうとするんだよー」
「そんなバカな」
「羽でも生えてるの?」
と近くに居た小風が言う。
鮎川ゆまが近寄って来てコーヒーを見る。
「あ、分かった。このコーヒー、アルミ缶なんだよ」
とゆまが言った。
「どういうこと?」
「マリちゃん、このコーヒー、スティール缶だと思ったでしょ?」
「ん?」
「ああ、これ似たような感じのスティール缶が多く出回ってるもんね」
と和泉。
「スティール缶と思い込んでいたから、スティール缶を支えるのに必要な力で缶を支えようとしたんだよ。ところがアルミ缶は軽いから、重力に抵抗しようとする力が余っちゃって、コーヒーは上にあがってしまったんだな」
とゆまは解説する。
「なるほどー!」
「そうか。普段意識してないけど、物を持つ時って、それを上にあげようとする力を私たちは加えているのね」
と小風が言う。
「うん。それがどのくらいの重さかというのも、だいたい習慣で覚えている。コーヒー缶ってこのくらいの重さだと思っているから、異様に軽かったので筋肉を司る神経が混乱したのが『コーヒー缶が浮いちゃう』現象だね」
とゆま。
「恋がうまく行って《舞い上がる気分》なんてのも、似たようなものかもね」
と千里が言う。
「ん?」
「彼氏に告白する前なんて、物凄く重たい気持ちじゃん。いろんなこと考えちゃってさ。それがいざ『好きです』と言ってみたら彼も君のこと思っていたなんて言われた時には、これまで持っていた重たいものが全部無くなって相対的に軽くなる。だからまるで浮き上がるような気持ちになるんだよ」
と千里。
「ほほぉ!」
「ほら、今詩を書きたそうにしている人が3人もいる」
と千里は更に言う。
「えっと誰か紙持ってる?」
とマリが言い
「はいはい、どうぞ」
と千里は政子・和泉に白紙とボールペン、私とゆまには五線紙とボールペンを渡した!
「相変わらず用意がいいね」
「まあいつもの予定調和だよ。でも冬は歌月とケイの2人分書かなきゃ」
「ノーノーノー、水沢歌月とケイが同一人物なことは秘密。言ってはいけません」
「何を今更」
と多くの声。
21:55。スターキッズやその他の伴奏者がステージに出ていく。拍手が起きる。楽器の音の確認をする。やがて今日後半の進行役をしてくれる川崎ゆりこが振袖姿でステージ端に立つとステージに近い席に居て、ゆりこの顔を認識した観客から「ゆりゆり〜!」という声がかかり、ゆりこも手を振っていた。
21:59:45。ゆりこが時計を見ながら
「それではこれより2015-2016ローズ+リリー・ニューイヤーカウントダウンライブを開始します」
という口上を述べ、続けて22時の時報が鳴ると、一斉に和楽器の音が鳴り始め少しおいて酒向さんのドラムスの音も入っ最新曲『振袖』の前奏が始まる。
そこに私たちが舞台袖から赤と白のドレス姿で出て行くと、3万人の大観客から物凄い歓声と拍手が沸き起こった。例によってマリはユリのような細いドレス、私のはスカート部分がティアードになっていてバラのようなデザインである。
そして私たちはこの楽しい曲を歌い始める。
ゆまの吹く笙の音、千里の吹く龍笛の音が会場の上空に鳳凰と龍を呼ぶ。この曲の演奏中、上空を見上げる観客の姿がかなり見られ、スタッフが撮影した写真には複数のUFOが映っていたようである。
今回のライブで多数の楽器を使った『振袖』の伴奏者をどうするかは私たちもかなり悩んだ。音源は使用しないということで、私と七星さんと氷川さんの意見は最初から一致していた。
この曲でとても大事なのが笙と龍笛である。
音源制作の時、笙は今田七美花(若山鶴海:後の2代目若山鶴乃)が吹いたが、彼女は高校生なので22時から始まるライブには出演できない。そこで、これは鮎川ゆまが吹いてくれることになった。ゆまは本来国営放送の大晦日歌番組に出演する南藤由梨奈のバックバンド・レッドブロッサムのリーダーであるが、同番組は生演奏ではなく録音された伴奏を使用するカラオケ方式である。それでこの日時間が取れたのである。ゆまはここ数年、龍笛を千里に、笙を都内文京区H神社の氏子さんで笙の名手の人に習っている。
一方、音源制作の時に龍笛を吹いてくれた千里はお正月のオールジャパンに40 minutesで出場することになっており1月1日から試合があるし、当然12月31日まで練習がある。しかし音源制作で笙を吹いた七美花が出られない所を龍笛まで他の演奏者に委ねたくなかった。
それで千里と話し合った所、大晦日の練習が終わった後、こちらまで駆け付けてくれることになったのである。彼女は18時すぎに江東区での練習が終わった後、東京駅19:44の《あさま625》に乗り、20:44安中榛名着の行程で来てくれた。
そして今夜は渋川市の伊香保温泉に泊まり、明日朝の新幹線(高崎6:17→7:16東京)で帰るということであった。
「安中榛名の自宅から東京都内に通勤するようなものかな」
(演奏に参加した後は東京に戻る手段が存在しない。安中榛名の東京行きは21:12が最終だし、高崎発最終の22:50にも、安中榛名からは間に合わない。会場から高崎駅までは17kmであるが、必ずしも良い道ではない上に路面凍結や積雪も予想されたため安全運転で行けば1時間以上かかる可能性があった)
『振袖』の演奏が終わった所で私たちは
「こんばんは!ローズ+リリーです」
と一緒に大きな声で挨拶した。
歓声が収まるのを待ってから私たちは少しおしゃべりする。
「今年2015年も残り1時間54分ほどになりました」
と私は残り時間を掲示している電光時計の数字を見ながら言う。
「寒い中今日はこういう場所まで来てくださってありがとうございます。温泉の宿泊券とセットのチケットを買ってくださった方はライブが終わったらゆっくりと温泉で身体を温めて旅の疲れを癒やしてくださいね。それから一応座席には温熱シートが敷いてあり、ストーブも入っていますが、毛布も貸せますし、手袋や帽子は300円で販売しておりますので、それもお気軽に巡回しているスタッフにお声をおかけ下さい。トイレは終演後会場を閉めるまで演奏中を含めていつでも利用できますので、絶対に立ち小便などはしないように。立ち小便をしているのを発見したら即刻退場してもらいますので」
と最初に注意事項を話しておく。
「立ち小便したら、おちんちん切っちゃうとかは?」
とマリが茶々を入れる。観客席で笑い声が起きる。
「マリはそういうの好きだね〜。でも女の子だったらどうする?」
「うーん。女子の立ち小便は想定外だったな。その時は男子で立ち小便していた人から没収したおちんちんをくっつけちゃうということで」
「数が足りるといいね」
「足りなかったら竹輪でも」
あちこちから苦笑が漏れているのを聞いた上で本題に戻る。
「さて今冒頭に演奏した曲は12月23日に発売したばかりの新曲『振袖』です」
と私が言うと
「新曲だけど曲を作ったのは随分前だよね」
とマリがコメントする。
「うん。曲を書いたのは2008年1月で、まだローズ+リリーのデビュー前。マリが歌詞を付けてくれたのも、6月だったね」
「よくそういう細かい日付覚えてくるね」
「ちゃんと日記に書いてるから」
「私ならその書いた日記が行方不明になるな」
観客から笑い声が起きた所で私は伴奏者を紹介する。
「この曲の伴奏をしてくれた人、笙、鮎川ゆま、レッドブロッサムのリーダーです」
と私が紹介すると、ゆまは挨拶代わりに笙で素敵な音を出してみせる。かなりの拍手が起きる。
「龍笛、村山千里。KARIONの『皿飛ぶ夕暮れ時』で焼きそば投げのパフォーマンスを何度かしてくれたバスケット・日本代表シューターでもあります」
と私が紹介すると、この焼きそば投げは見ていた人もかなりあったようで、結構な歓声が上がっていた。
千里は
「宣伝していいと言われたので言っちゃいます。元日から4日までと来週末9,10,11日に東京都内・駒沢体育館や代々木体育館などを使ってバスケットボールのオールジャパンが開かれます。お近くの方はぜひ見に来て下さい」
と言った。
その後、私は和楽器奏者全員、ヴァイオリン奏者全員を紹介した上で、スターキッズのメンバーの名前もひとりずつコールした。
「それでは次の曲は12月2日に発売したアルバム『The City』の中から灯りの海と書いて『灯海(とかい)』」
と私は述べる。この曲にも和楽器がフィーチャーされているので、1曲目の伴奏陣がそのまま残って演奏する。ただし若干の楽器持ち替えもある。ゆまは笙を置いてサックスを持つ。七星さんとゆまと心亜の3人でサックス三重奏である。
その後前半は『摩天楼』『たまご』『ダブル』『仮想表面』『虹を越えて』
『ガラスの靴』と演奏し、最後に『コーンフレークの花』を演奏した。
ここでダンサーが2人振袖を着てステージにあがり踊り出すので歓声があがる。今回ダンサーをしてくれたのは、ドリームボーイズのダンサー仲間で松野凛子と竹下ビビである。昨年の夏から近藤うさぎ・魚みちるがダンスをしてくれていたのだが、一応1年くらいという約束だったので、今回から交代したのである。ふたりはドリームボーイズが「一応解散」した後も唐突に蔵田さんから呼び出された時のためにダンスレッスンだけは継続していたという。今回蔵田さんの許可も取って話を持って行くと「やるやる。ギャラは親友特別料金でよろしく」などと言っていた。
夏のフェスで近藤・魚ペアが踊った時はムームーから脱いでビキニ姿になったのだが、さすがに真冬の野外イベントではそんなことしたら風邪を引いてしまうので、今回はまず振袖からスタートし、曲の途中でそれを一瞬で脱いで、真っ白い雪のようなドレスに変更した。
この振袖は以前ドリームボーイズのライブでも使用したことのある、ファスナーひとつで着脱できる、すぐれものである。
この曲を演奏した後はインターバルとなる。
私たちがステージから降りるのと入れ替わりにスリファーズの3人が出てきて司会の川崎ゆりこが
「ゲストコーナーです。前半はスリファーズのみなさんです」
と紹介する。
拍手歓声の中、彼女たちのヒット曲を歌い始める。
楽屋では私とマリは汗を掻いた下着を交換した上でマリは後半の衣装、私はKARIONの衣装を着ける。その上でトイレに行ってきたらマリは
「お腹が空いた」
と言って、事前にオーダーしていたらしいスキヤキ丼を食べている。
「マリの胃袋は元気なようだ」
「ケイも何か食べないと、寒い中で燃やすものがないと辛いよ」
「うん。今回はそう言われたからおにぎり食べる」
と言って、私は鮭おにぎりを1個と暖かいお茶を飲んだ。私はふだんのライブでは途中では飲み物しか取らない。
スリファーズが10分間ほど歌った後は、KARIONの出番である。
「スリファーズのみなさん、ありがとうございました。ゲストコーナーの後半はKARIONのみなさんです」
と川崎ゆりこが紹介する。
小風が黄色い車輪の振袖、和泉が赤い花の振袖、私がピンクの鳥の振袖、美空が青い月の振袖を着て出て行く。車輪は風を表しており、花鳥風月の模様なのである。
「会場内、ストーブとか入れていてもさすがに寒いね」
と和泉。
「みなさん、毛布とか欲しい人は気軽に言ってね」
と私。
「手袋と帽子は販売なのね?」
と小風。
「うん。身体に直接身につけるものだから衛生上の問題を考えて販売にした。返却後の管理や洗濯も大変だし。でも手袋も帽子も300円だから」
と私。
「消費税は?」
と美空。
「税込み。さすがに1円玉のやりとりまでできないし」
と私は答える。
実際場内でライブ中に多数歩いて回っている売り子の人たちが販売しているロゴ入りの手袋・帽子にティッシュ・ホッカイロ、携帯充電器、有料のホットドリンクや肉まんなど、ライブのパンフレットや写真集、ローズ+リリーのCD/DVDなども基本的に100円単位の値段設定にしてあり、お釣りのやりとりが楽になるようにしている。
「蘭子、いやに詳しいね」
と小風。
「うん。私、ローズ+リリーのケイの友だちだから」
と私が言うと、会場内に苦笑が漏れている。
「だけどこの振袖着るのって毎回大変だよねー」
「うん。30分くらいかかるもんね」
「私トイレ近いから、ぎりぎりまで待ってもらってトイレに念のため3回行ってから着付けしてもらった」
「3回続けて行っても意味無いのでは?」
「気持ちの問題よ」
「蘭子は私たちが着付けしてもらっている時、まだ来てなかったけど、何とか間に合ったね」
「ごめんねー。遅刻して。私の着付け師さん、肌襦袢・長襦袢・振袖を同時に着付けしてくれたから5分で着られたよ」
と私。
また会場内に苦笑が漏れている。実は私が着ている振袖のみが、松野・竹下ペアが着ていたのと同様のワンタッチで着られる振袖なのである。但し帯のみは本当に締めている。
私たちがおしゃべりしている間に後ろではスターキッズの使用楽器はそのままにしておいて、トラベリング・ベルズ用の楽器をセッティングしている。但しここで使用する楽器はサマーガールズ出版の備品で、トラベリング・ベルズが普段使用している楽器ではない。楽器を東京から安中市まで運ぶ手間を考えて別途用意したものを使ってもらうことにした。
結構な時間おしゃべりした上で、トラベリング・ベルズの伴奏に合わせて2曲歌った。
この真冬の会場にぴったりの曲『雪うさぎたち』と『皿飛ぶ夕暮れ時』である。
私たちが『皿飛ぶ夕暮れ時』を歌っていたら、さっきゲストコーナーで歌ったばかりのスリファーズの3人がテーブルを抱えてステージ中央、私たちが歌っている前に置く。そして楽曲の最後の和音を伸ばしている最中、40 minutesのユニフォーム姿の千里(但し厚手のタイツなどを穿いている)が舞台上手に姿を現し、焼きそばの載った皿を投げた。
皿は山なりの放物線を描いて、テーブルの中央にピタリと静止する。
この様子は場内各地に設置されたビッグモニターでもきれいに映し出され、このパフォーマンスを初めて見た人たちからどよめきが起き、続いて大きな拍手が贈られた。
歌い終わった美空がその焼きそばの皿を手に持つと振袖の袖の中に入れていた輪島塗の箸を取り出して一口食べ「美味しい〜」と言ったところで、笑い声とまた拍手があった。
「KARIONのみなさん、ありがとうございました。焼きそば投げのパフォーマンスをしてくださった村山選手もありがとうございました」
と振袖姿の川崎ゆりこが言って、私たちは上手に下がる。千里も観客に手を振って舞台袖に姿を消す。
「それではこれよりライブは後半になります。Here comes Rose plus Lily again!」
と川崎ゆりこが言うと、まずはスターキッズの七星さんを除く4人が羽織袴姿で舞台下手から出て来て各々の位置に就く。拍手と歓声が沸き起こる。スタッフがケーブルをつなぎ直すのを待ってスターキッズが『Spell on You』の前奏を演奏し始める。
そこに赤と白のサンタガールのような衣装を着けたふたりが走り込んで来て、「あなたはいつも私を無視して」「靴箱のラブレターも開けてくれないし」と『Spell on You』の冒頭を歌い出すので、観客は歓声をあげ拍手を始めるものの、歌っているふたりの顔がハッキリ見える前の方にいる観客が最初にためらいの表情を見せる。
そして歌っている声がケイとマリの声ではないことに気づいた他の観客たちも同様の表情を見せ、観客は拍手はしてくれているものの、ざわめきが広がっていく。
やがて場内モニターがステージ遠景を映していたのが、ボーカルの2人にズームアップし、それがマリとケイではないことが多くの観客に認識される。
ふたりは最後まで『Spell on You』を歌いきった。
一応拍手がなされるものの、そこに本物の私とマリが彼女たちと同じ衣装を着て舞台下手から出てくる。
歌っていた2人は拍手に対して
「手拍子ありがとう!」
「後半も頑張って行こう!」
などと言っている。
私は持っていたハンドマイクで言う。
「ちょっとちょっと、君たちは誰?」
「私たちはゴールデンシックスだ。私がリーダーのカノンだ」
「私はサブリーダーのリノンだ」
この演出を昨年春のツアーでも見ていた人を中心に笑い声が起きたようである。
「ゴールデンシックスって、2人しか居ないじゃん」
と私がお約束のセリフを言うと、今日は
「今あと4人来るんだ」
とカノンが言い、実際、4人の女性が上手から出てきて、近藤さん・鷹野さん・月丘さん・酒向さんの隣に行く。4人は羽織袴姿である。4人はさっきトラベリングベルズが使用した備品の楽器をあるいは手に持ち、あるいは演奏席に座った。ギター・ベース・キーボード・ドラムスが各々2人並ぶ形になる。
「私たちはローズ+リリーに挑戦するぞ」
とカノンが言う。
「何挑戦するのさ?」
と私は答える。
「カラオケ対決して私たちが勝ったら、この後のコンサートは私たちが主役だ。カウントダウンも私たちがするぞ」
「ほほぉ。何で戦うのさ?」
「AYAちゃんの『変奏曲』でどうだ?」
「いいよ」
それで唐突に得点板が出てくる。この得点板が会場各所のモニターにも映し出される。カラオケの音楽が流れる。それでカノンが『変奏曲』を全曲歌う。
カノンはひじょうにうまかった。加藤課長から「本気で行け」と言われて、マジでかなり練習したのだろう。
98点という採点表示が出て会場がどよめく。
カノンは
「勝ったかな。ちゃんと1時間演奏する分の楽曲も用意しておいたから」
などと言う。
「大丈夫。私が100点取るから」
と言って、私はカラオケにあわせて歌い出す。私はふだんの自分の歌い方ではなく、楽譜に正確に音程とリズムをいっさい乱さないようにして歌った。
100点の表示が出る。
思わず会場全体から拍手が起きた。
「くっそー。負けた! また挑戦するぞ」
「まあ、頑張ってね。でもせっかく出てきたから、2曲くらいは歌ってもいいよ」
「そうか?だったら2曲だけ歌わせてもらおう」
それで近藤・鷹野・酒向・月丘の4人がいったん退場する。私とマリもいったん下手に下がり、もう少し休憩させてもらう。
「とりあえず今日のメンバーを紹介しておく」
とカノンが言う。
「ギター、ビャク、別名葵照子でゴールデンシックスの作詞担当である。副業でお医者さんをしているようだ」
拍手がある。
「ベース、美空金剛Z様、KARIONというユニットの食事係らしい」
笑い声と拍手がある。
「ドラムス、キョウ。大学院を1年余分にやったが、何とか就職が決まったらしい」
と紹介すると「おめでとう!」という声がかかり、キョウは手を振っていた。
「キーボード、タイモ。別名醍醐春海、ゴールデンシックスの作曲担当で副業はバスケット選手。でもなんか君、さっきから何度もステージに出てないか?」
と言うと笑い声が起きた。
千里はその腰付近まである長い髪で認識されることが多い。まとめてあげたり夜会巻きとかしていると友人どころか桃香や細川さんにさえ気づかれないこともある、などと本人は言っていた。
「そしてメインボーカルのカノンと」
「サブボーカルのリノンである」
と最後は2人が自分たちで再度名乗った。
彼女たちはゴールデンシックスのヒット曲から『楡の木通りの恋』と『Roll over Rose + Lily』を演奏した。2曲目の演奏では会場内からかなり笑い声が起きていた。
それで演奏が終わり
「そういう訳でゴールデンシックスの皆さんでした。拍手!」
と川崎ゆりこが声を掛けると
「みんなありがとう。それでは失礼する!」
とカノンが言って全員駆け足で退場した。観客は暖かい拍手で送り出した。
「それではこれから本当にカウントダウンライブの後半です。0時のカウントダウンまで、みなさん熱く駈け抜けましょう!」
と川崎ゆりこが言い、スターキッズが入場、更にさっきのカノン・リノンと同じ衣装の私とマリがステージに出て行き
「では本当の後半の1曲目『影たちの夜』」
私が曲名を言うのと同時に、顔まで真っ黒なマスクで覆った全身真っ黒な衣装、要するにショッカーの戦闘員のような女性(?)たちが30人ほどステージ上に走り込み、一斉に踊り始める。
彼女らのダンスとともに私たちはこの歌を歌った。
過去にはホログラフィで大量の「影」を空中に投影して踊らせたこともあるのだが、今夜はリアルの踊り手を大量に配置した。会場も物凄く盛り上がり、立ち上がってその場で踊る人たちもある。
一応このイベントは(踊ると汗を掻いたあと冷え込んで風邪を引く可能性があるので)座って聴いていてくださいということにしてあったのだが、たまらず立ち上がってしまったようだ。
場内の整理係があちこちで観客に「立ち上がらないでください」と声を掛けて座らせているようだが、この曲が終わるまで、踊り出す人たちは耐えなかった。
物凄い歓声の中で曲が終わる。
「踊ってくれた人たちありがとう」
と私が言うと
「踊ってくれたのって女の人たち?」
と政子が訊く。
「まあ、顔は隠していたけど、おっぱいは分かったね。身体の線がそのまま出るスーツ着てたから。全員おっぱいがあったように見えたよ」
と私。
「でも胸の所にパッド入れておっぱい偽装した男の人も混じっていたかもよ」
「お股の所はどうするの?」
「一時預かってもらうとか」
「どうやって預けるのさ?」
そこで苦笑が漏れる。私たちがおしゃべりしている間に「影」のダンサーたちは退場する。またスタッフがトラベリング・ベルズとゴールデンシックスが使用した備品の楽器を撤去する。ライブ冒頭の『振袖』と『灯海』に参加してもらったヴァイオリン奏者さんたちにまた入ってもらう。そして私たちは『花園の君』を演奏した。
美しいヴァイオリンの音が夜空に響く。
電光時計の残り時間は25分を切る。
その中のひとり(鈴木真知子ちゃん)だけ残ってもらい『幻の少女』を演奏する。私と高岡さんが出会った時のエピソードからマリがインスパイアされて書いた詩に私が曲を付けたものであるが、私が高岡さんと最初に会ったのは2002年の8月で、その頃、アクアは1歳の誕生日の直前くらいだったんだよなというのを考えると不思議な気持ちもする。
当時実はアクアは戸籍を持っていなかった。なぜ高岡さんたちが出生届けを出さなかったのかは謎だ。
その後、MCを交えながら『Heart of Orpheus』『神様お願い』と歌うともう時刻は23:56。残りは4分を切る。
「いよいよ押し迫ってきましたね。みなさんあらためて言いますが、寒い時は遠慮無く巡回しているスタッフに声を掛けてくださいね。毛布はたくさん用意していますので。それと眠たいのでもう帰りたいという人は途中で帰ってもいいですからね。バスは適宜運行していますので」
実際やはり途中で気分が悪くなったということで帰った客がここまでに20人ほどいる(宿泊地まで送り届けている)。会場には一応医師や看護師もスタンバイしていて、薬をもらって少し休んでいて、また観客席に戻った人もあった。
「それでは今年演奏する最後の曲になります。『雪を割る鈴』」
と私が言い、拍手の中、演奏が始まる。
ここで『コーンフレークの花』でも踊ってくれた松野・竹下コンビが赤いサラファンを着て出てきて、私とマリの斜め後ろで踊る。
最初はスローテンポである。
時刻がどんどん進む。やがて23:59となり電光時計が0:01:00を切る。私たちは演奏を停めた。
「曲の途中ですが、ここでカウントダウンが入ります」
ゴールデンシックスの美空以外の5人が協力して大きな鈴を吊り下げたスタンドを運んでくる。KARIONの4人!が全員侍の格好をして出てきて、特に小風が2mほどもある巨大な刀を持っている。小風は実は中学の時に剣道部であった。
残り時間が20秒を切る。
「そろそろカウントダウン行きますよ〜! みなさんも声を出してね!!」
と私が声を掛けると、わぁー!という歓声が返ってくる。
私は自分のマイクを下に置き、マリと一緒にひとつのマイクを使いカウントダウンする。
「10, 9, 8, 7, 6, 5, 4, 3, 2, 1」
電光掲示板の数字が0:00:00になる。
「明けましておめでとう!!」
と私とマリが叫ぶ。
小風が大きな剣を「えい!」というかけ声とともに振る。
鈴が割れてその中から大量に光る玉が飛び出す。
照明さんがカラーホイルを回し、多様な色でステージが照らされる。ミラーボールが回転する。
そしてスターキッズはアップテンポの伴奏を始め、『雪を割る鈴』の後半が始まる。
松野・竹下のダンサー2人はいつの間にか白いサリー風の衣装を着ている。ロシアからインドへのワープである。
私たちも『雪を割る鈴』の後半を歌う。
ゴールデンシックスの5人とKARIONの4人が一緒に歌ってくれる。観客もまた席から立ち上がって大きな動作で拍手を打ったり踊る人もあるが、例によってスタッフさんたちに座るように言われている。スタッフさんたちも大変である。
やがて終曲。
物凄い歓声と拍手の中、ゴールデンシックスとKARIONの合計9人が客席に手を振って下手に退場する。
なお今回鈴の中から飛び出したのは全て氷の玉である。鈴を使うと全回収が困難なので、放置しておいてもよい氷を使用したのである。
「あらためて明けましておめでとうございます。ライブ最後まで一気に走り抜けましょう。でも観客のみなさんは座って聴いていてくださいね。立って踊って汗を掻いてしまうと、この寒い中風邪ひいちゃいますから。健康のため座って拍手だけよろしく。では次の曲は『門出』です」
拍手があり、スターキッズの伴奏が始まる。
私は歌い始める前にふと視線を感じて右を見ると舞台袖で千里がじっとこちらを見つめていた。彼女の燃えるような視線を受け止めて私は心の中からエネルギーが湧き上がってくる感覚を覚えた。
鴨乃清見の渾身の作だ。
私の声域のいちばん下から一番上まで全部使い切っている。ギターの近藤さんやサックスの七星さんにかなり無茶なプレイを強いているのでふたりはちゃんと演奏できるようになるまで練習に丸2日掛かっている。
千里が2015年「鴨乃清見」の名前で発表した曲はRC大賞を取った『白い足跡』とこの曲を含めて3曲しか無い。その1曲を私たちにくれたのは、どういう意図であったかは分からないが、彼女はまるで私たちが年内にCDを発売することになるのを知っていたかのように、東堂千一夜先生の御自宅から帰宅して、ひたすら睡眠をむさぼって起き、夕飯でも食べようなどと言っていた時に唐突に私たちのマンションを訪れ、この曲の譜面とMIDIを置いて行ったのである。
曲の内容は恋の迷いの森の中から、抜け出して新たな1歩を踏み出すというものだが、新年にふさわしい曲だ。一見恋の終わりの歌のようにも見えるのに、歌詞をよくよく読むと、恋を成就させたかも?と思わせるものがあり、実は恋の結果自体は分からない。しかしこの詩の読み手自身は何かを決意したかのようである。
それは千里自身の今の心境なのかもという気がした。
終わると同時に凄まじい拍手が返ってきた。
まだ最新シングルを買っていない客も結構いたようで「すげー!」という声が客席から聞こえてきた。
続けて会場のモニターにボーイング787が飛行している映像が映し出され、『夜間飛行』の演奏が始まる。
普段は航空機のエンジン音の効果音を流したりしているのだが、深夜なのでそれを避けて代わりに映像を表示した。
この曲の後、『月下会話:ムーンライト・トーク』を歌ってから私は観客に向かって言う。
「ここまでローズ+リリーのニューイヤー・カウントダウン・ライブにお付き合いくださいましてありがとうございます。いよいよ最後の曲になってしまいました」
え〜〜!?という声が返ってくる。
「声援ありがとう!それでは最後の曲、『ピンザンティン』」
大きな拍手がある。もう待ちきれないようにお玉を取り出して振っている客もいる。
伴奏が始まり、私たちも川崎ゆりこが渡してくれたお玉を持ってこの楽しい食の讃歌を歌った。
「サラダを〜作ろう、ピンザンティン、素敵なサラダを」
「サラダを〜食べよう、ピンザンティン、美味しいサラダを」
私たちもお玉を振り、客席でも多くのお玉が振られている。歓声も大きい。そしてやがて終曲。
お玉を振っていた手が拍手に変わり、たくさんの歓声もあがっている中、私たちは舞台下手に退場した。スターキッズも一緒に退場する。
が、観客の拍手はタンタンタンタンというアンコールを求める拍手に変わる。
私たちは舞台袖で暖かいコーヒーを飲んだり、マリは温めたいなり寿司を5個!食べコーンスープを飲み、ほんの1分ほどでまたステージに出て行く。
私たちがマイクの前に立つといったん拍手が停まる。
「アンコールありがとうございます。それでは深夜で、あまり遅くまでやっては迷惑なので、2曲一気に行ってそれで本当に終わりにしたいと思います。聴いてください。この夜にふさわしい曲『雪の恋人たち』。これは私とマリが初めて一緒に録音した曲でもあります。そしてその後、本当に本当に最後の曲は私とマリが初めて一緒に作った曲『あの夏の日』」
「それってケイが私の前で初めて女の子の格好になっている所を見せた日でもあるよね」
とマリが茶々を入れると、笑い声が起きる。
私たちがしゃべっている間にスターキッズも入って来てスタンバイしている。
拍手の中、伴奏が始まる。
私たちはこの2008年2月に作った曲を歌った。あの山形・白湯温泉の夜は8年前である。あの時の自分に今の自分は想像もつかないよなあと思う。10年一昔というが、まだ10年経ってないのに、自分の人生は4〜5回くらい変わったような気さえする。
演奏が終わって拍手があり、私たちはお辞儀をする。スターキッズが退場し、ステージにグランドピアノが運び込まれてくる。
この時、もし雪が降っていたら本物のグランドピアノを使うのはあきらめる予定だったのだが、幸いにもこの時間帯、雪はやんでいたので、本物を使うことになった。
このピアノもサマーガールズ出版の備品YAMAHA CFX コンサートグランドで、普段は国分寺市内のサマーガールズ出版の事務所に置いている。風花の普段の執務場所で半分は楽器倉庫を兼ねているオフィスである。今回はライブ使用後の再調整が必須なので迷惑を掛けないように自前のピアノを使用した。現地で午後に調律師の人に一度調整してもらっている。
私がピアノの椅子に座り、マリはいつものように私の左に立つ。
そして私のピアノ伴奏のみで『あの夏の日』を演奏する。
伊豆のキャンプ場を思い浮かべる。
そこでローズ+リリーは2度生まれたのである。
最初はこの曲を作った2007年8月。私たちが曲作りを一緒にするようになった、ローズ+リリーの本当の誕生日だ。そしてもう1度は2009年1月。私の性別に関する週刊誌報道をきっかけに、私たちの契約上の問題が発覚してローズ+リリーが活動停止に追い込まれた後、秋月さんの車で連れて来てもらってキャンプ場で2人だけで一晩過ごし、ローズ+リリーが再生した日である。
私は当時のことに思いをはせている内に涙が出てきた。私のその涙をマリが見て少し不思議そうな顔をした。
そして間奏の時、マリは私にキスをした。
「きゃー!」
という悲鳴のような声が聞こえる。
しかし私は笑顔になって曲の後半の演奏をしていく。
そしてやがて終曲。
私たちは立ち上がり、ステージ前面にならんで観客の声援と拍手に応えるべく私の右手とマリの左手を斜め上にあげ(私の左手とマリの右手は繋いでいる)、そして一緒に深くお辞儀をしてから下手に下がった。
川崎ゆりこが
「これにて今夜の2015-2016ローズ+リリー・ニューイヤーカウントダウンライブは全て終了しました。みなさん、係員の指示に従い、順序よく退場してください。各温泉行き・高崎市内や前橋市内など行きのバスは観客がはけるまで何便でも出しますので慌てずゆっくりと退場してください。係員の指示があるまでは席を立たないでください」
と終了のアナウンスに続いて注意事項を述べる。
ライブが終わったのは0:30であるが観客が全員退場したのは1時すぎであった。3万人の観客を30分で送り出したのも凄いが、これは元々同じ温泉地行きの観客を同じブロックにまとめて座席を割り当てたりしていたのも大きかった。会場内に直接バスを乗り入れて、どんどん乗せたのである。
なお、私たち出演者は、先に帰っていたスリファーズや最初の数曲だけに出演してもらった和楽器奏者さんたち、『影たちの夜』に出た覆面ダンサーさんたちを除いて、0:40頃出演者専用のバスに乗り、伊香保温泉内の宿に入った。
取り敢えず宴会場に入って乾杯して打ち上げをしたが、元日の試合がある千里を含めて早く休みたいという人たちは乾杯のみで自分の部屋に引き上げた。実際にはお風呂に入った後で寝たようである。
私と政子は1月1日夜まで伊香保温泉で過ごし、1月2日、東京に戻った。
12月30-31日に流れていた§§プロの「今年は大変お世話になりました」のCMは、1月1-3日は同じメンツで「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」という挨拶になった。
西宮ネオン以外は振袖なので、一見同じパターンに見えるが、全員年末のものとは違う振袖を着ていることが、録画したものを確認した人によりネットに拡散した。更によくよく見ると川崎ゆりこが弾いているピアノまで別のものを使用しているのである。年末のものはカワイ製だったのが新年のはヤマハ製になっていた。またコスモスが持つ指揮棒も、年末のは青いものだったのが新年のは黒い指揮棒になっていた。
むろん、アクアは当然振袖姿である。
アクアはお正月の特番にもたくさん出演していた。年末はこの子、学校に行く時間も無かったのではと私は思った。しかし見ているとお笑い芸人さんの投げた言葉のボールを絶妙に受けて投げ返したりするので、この子センスがいいなと思う。
『ときめき病院物語』に出演していた役者さんが
「アクアちゃんって凄く機転が利くんだよね。相手役がうっかりセリフ間違ったのをうまくカバーして、破綻無く元の話に戻してしまうから、監督もNG出さずにそのまま生かしたことも何度かあったんですよ」
と言っていた。
ところでやはり世間ではアクアの「男の娘」疑惑がくすぶっている。ある番組ではダイレクトに聞かれる。
「あんた女の子になりたいんだよね?」
「別になりたくないですー。ボク普通の男の子ですよー」
「いや、絶対普通ではない」
ということで、彼を病院に連れて行き、心理テストを受けさせていた。
「男の子の中ではやや女性的な部分もあるにはありますが、普通の男の子の範囲ですね。特に女性指向は見られません」
と診断した心理療法士さんは言っていた。
更に「女性ホルモン疑惑」についても追及されたので、血液検査を受けさせられていたものの、
「男性ホルモンの濃度が低いですが、思春期男子の正常値から若干外れる程度で大きな問題はありません。女性ホルモンの濃度がやや高いですが、そちらは思春期男子の正常値の範囲です」
とお医者さんは言う。
「男子の正常値ですか? 女子の正常値ではなくて?」
「男子のです。ちょっと胸も見せてもらいましたが、特に膨らんだりもしていませんし、乳首も普通の男の子の乳首ですよ」
と先生は言っていた。
そのあたりの診断を聞いて、政子が「うーん。残念だ」などと言っていたがネットでも「残念」という書き込みは大量にあった。
2016年1月4日(月)夕方17時、「ねらわれた学園」の1時間スペシャル版が放送された。
今回の放送で最初のテーマ曲(品川ありさが歌う『海嘯』)が流れる中出演者のクレジットが流れるが、最初に「関耕児/アクア」「楠本和美/元原マミ」、と流れた後「高見沢みちる/???」という表示が出てネットに「クレジット来たぁ!!」という書き込みが多数出た。
(なお「京極/大林亮平」がクレジットのラスト、そのひとつ前が「山形先生/倉橋礼次郎」である。倉橋は昨年春に俳優デビューしたばかりなので若くても10年のキャリアがある大林亮平の方が重い扱いになる)
ちなみに今回初めて「青山玲子 今井葉月」という名前も生徒たちの名前が複数並列されている所のいちばん下に出たので
「おお、せいこちゃんの名前が出てる」
と政子が喜んでいた。
また今日のオープニングでは普段は歌声だけの出演である品川ありさがセーラー服を着て歌っているシーンが数秒間映り、「やはり品川=高見沢で桶?」などという書き込みも大量に出ていた。
スペシャル版なので、ここまでの回を見ていなかった人へのサービスも兼ねて前回までのストーリーのあらすじが5分ほどで紹介された後、シーンはパトロール委員が吉田一郎(鈴本信彦)を告発するので、処分を学級会で決めるよう関耕児(アクア)に要求する所がリプレイされる。
「こんなことで告発するのか?」と激高した一郎がパトロール委員に殴りかかろうとした所で彼は実際には地面に叩き付けられてしまう。
ここまでが前回の放送で流れたシーンである。
一郎が地面に叩き付けられたのを見て、耕児は駆け寄って介抱するが、パトロール委員は「あ、会長!」と言い、耕児も「高見沢みちるか!」と声をあげた。テレビの画面には、こちらを向いた耕児と一郎、パトロール委員の2人と、背中を向けた高見沢みちるが映る。
「オーバーフェンスしただけではなく、暴力沙汰とは救えない人ですね。こんな極悪人には重大な罰が与えられるのが当然でしょうね、代表委員さん」
と向こうを向いたままの高見沢みちるが言うが
「2年3組のことは2年3組で決める」
と断固とした表情で耕児はこちらを向いて、みちるに言った。
「後悔しても知りませんよ」
「脅迫にも超能力にもめげない」
「超能力? 何のことでしょうね」
耕児(アクア)は高見沢みちると睨み合うようにして立っていた。
このあと場面は耕児と和美が校舎裏の体育倉庫で密かに会話するシーン、西沢響子が数人の生徒(玲子を含む)を塾に誘うシーン、耕児の夕食での両親との会話シーン、楠本和美の方の自宅での夕食シーン、また和美が超能力に関する資料を色々調べた上で、何やら計画表のようなものを紙に書いているシーンが続く。
更に真夜中に外を歩いている白い服の生徒達を見た耕児がその後を付けて高見沢みちると京極(大林亮平)のペアに遭遇する。
耕児は京極の凄まじいパワーを見せつけられ、かなり緊迫したやりとりがあった末、結局、京極は耕児のことが気に入ってしまう。
「うちの塾に入らないかい?」
とも言われるが当然耕児は拒否した。
京極は笑顔で「また会おう」と言って高見沢みちると一緒に去って行くが、耕児は金縛りにあったかのように、その場からしばらく動けなかった。
ここまでに既に30分近く経過しているが、いまだに高見沢みちるの顔は映らない。放送局のツイッター・アカウントから「あの人の中の人が誰なのかは17:44頃に明かされます」という情報が流されている。「ありさちゃんのお顔を早く拝みたいよぉ」という書き込みが多数見られる。ほとんどのネット住人が高見沢みちる役は品川ありさだと信じている感じである。
翌日午前中に数学のミニテストが行われるが、ここでこれまでいつも下位の成績であった青山玲子(今井葉月)が
「すごーい!90点も取れた」
と言って喜ぶ。
「よく頑張ったね」
と周囲の子から言われ
「どういう勉強したの?」
と訊かれる。それで玲子は
「うん。西沢さんから誘われて英光塾に行ったおかげだよ。あそこの教え方って変わっていて、人間の潜在能力を引き出すんだって」
と玲子は言うが
「ちょっと塾の中のこと他人に言ってはダメと言ったでしょ?」
と西沢響子から注意される。
「あ、ごめんなさい」
と言って玲子は恐縮するものの、他の女子生徒(和美を含む)はお互いに顔を見合わせた。時刻は既に17:34である。
いよいよ学級会のシーンとなる。本来ならパトロール委員が数名同席する所を高見沢みちるが自ら教室に入ってきて着席する。しかしまだみちるの顔は映されない。
一郎の処分を決める会議が、耕児の司会で始められるが、厳しい処分を求める西沢響子(馬仲敦美)に対して、荻野君(松田理史)は処分の必要は無いとして議論になる。しかしクラスの大半は荻野君の意見に同調する。それで決を採ろうとしたところで耕児が頭を押さえて倒れる。
そして倒れてうずくまる耕児の向こうに初めて高見沢みちるの顔が映った。
その数秒後、いくつかのSNS系サーバーがダウンした。
「うっそー!!!!」
「高見沢みちるってアクアだったの!?」
「1人2役か!!」
「えーん。ありさちゃんじゃない!!!」
「きゃー、アクア様〜〜〜!!!!」
「アクアちゃんのセーラー服姿可愛い!!!!!」
様々な立場の書き込みがあり、その書き込みを見た人が慌ててTVを点けたりチャンネルを変えたりした結果、この教室での対決シーン、番組の視聴率は50%を越えたらしい。冬休み期間中とはいえ平日17時台の番組でこんな視聴率が出るのは異例である。
倒れた耕児に代わり、副代表委員の和美が教壇の所に立つ。「決を採ります。吉田君の処分が必要だという人」と言って、響子と、響子から睨まれた玲子(今井葉月つまり西湖)が手を挙げる。しかし今度は和美が頭を押さえて倒れる。向う側に厳しい視線を送る高見沢みちる=アクアの姿が見える。
しかし和美が倒れて苦しみだしたら、今まで倒れていた耕児が起き上がり、頭を押さえながらも「では吉田君の処分は必要無いという人」と言うと響子・玲子以外の全員が手を挙げる。しかし耕児=アクアは再び頭を押さえて倒れる。それを向こうで厳しい視線の高見沢みちる=アクアが見つめる。
「この番組では合成やCGは一切使用していません」というのがあらためてテロップで下に流れる。実際カメラは耕児と高見沢みちるの顔を絶対に同時には映さない。
耕児の顔が映る時は高見沢みちるは西湖のボディダブルであり、高見沢みちるの顔が映る時は、耕児が西湖のボディダブルなのである。
しかしこのシーン、アクアは耕児とみちるの1人2役をしているが、西湖は2人のボディダブルに加えて、玲子までやっている。つまり1人3役である。なかなか忙しいなと私は見ていて思った。
結局、耕児と和美はみちるが同時には1人しか攻撃できないという欠点を利用して2人で交代で議長を務め一郎を守り抜くが、捨て台詞を言って教室を出て行く高見沢みちるが最後にギロリと西沢響子を睨んだ。響子は倒れたりしなかったものの、顔面蒼白になる。
それを見て、おろおろしたような顔をする玲子まで一瞬映ったが、美味しい役どころじゃんと私は思った。
今回はそこで番組が終了する。
次回の予告編が流れた後、セーターとロングスカートにも見えるガウチョパンツという姿のアクアが何かの機械の前に立っている様子が映る。髪の長さもショートカットの女の子くらいの長さ、アクアの地毛である。
またもやネットでは
「アクアちゃん、可愛い〜!」
「アクアちゃん、スカート似合ってる!!」
という書き込みがあふれる。
スカートではなくガウチョパンツというのは認識していないファンも多いようだ。そのアクアはおなじみのボーイソプラノで
「えー、この機械がおなじみボイスチェンジャーです。そしてこちらが関耕児のウィッグ、こちらが高見沢みちるのウィッグです」
と言い、ふたつのウィッグを両手に持ってみせた。
最初に髪をヘアピンで留めて上にあげてから関耕児のウィッグを頭にかぶると、ボイスチェンジャーに接続したマイクに向かって
「超能力にはめげない」
と話す。ちゃんと関耕児の声、男の子の声になっている。
次にアクアは高見沢みちるのウィッグをつける。そしてまたマイクに向かって
「超能力って何のことかしら?」
と話す。ちゃんと高見沢みちるの声、キリリとした雰囲気の女の子の声になっている。
「まあそういう訳で、不肖私が対立するふたりの役を両方やらせてもらっています。でもこれってどちらが正義かって考えても仕方ないんですよね。関耕児も高見沢みちるも、どちらも自分が正しいと思って行動している。学校の秩序を守りたいみちると自由を守りたい耕児。正義と正義のぶつかりあいなんです」
とアクアは意味深な言葉を述べて、この日の特別シーンを終えた。
なお番組オープニングのクレジットは次回から「関耕治・高見沢みちる/アクア」という表示に変わった。
このシーンでガウチョパンツ姿だったことについてアクアは後で
「最初スカート穿いてと言われたんで、嫌ですと言ったんです。そしたらこれはパンツだよと言われてあの裾の広いパンツ渡されたんですけど、あとで映像みたら、なんだかスカートみたいなシルエットですね」
などと言っていた。
彼がほんとうにガウチョパンツがレディース用の服であることを認識していなかったのかどうかについてはネット住民の意見は分かれる。
そして主として女性ファンの間では
「アクアちゃんはガウチョパンツじゃなくて普通のスカートでも良かったのに」
などという意見があり、一方男性の視聴者の間では
「気づかない訳無いじゃん。確信犯だろ?やはり、こいつ女装趣味なのでは?」
という意見もあった。
なお、アクアがこの時に着ていたセーターは「2016 AQUA」という文字が入っていて、ガウチョパンツの方にはアクア(水)を表す波模様が入っていた。この番組の後「そのセーターとかガウチョパンツ売ってないんですか?」という問い合わせが殺到する。
元々は春休みのツアーでの販売を想定して生産していたものであったが、プロダクションでは急遽通販方式でセーターとガウチョパンツ、同じデザインのロングスカートを一般販売するとともに、大手コンビニチェーンとも契約して店頭にも置くことにした。
最初は女性用のサイズだけを想定して販売計画を進めていたものの、コスモスが「男性が着られるサイズも作った方がいい」と言い、女性用のLL・LLLのセーター(男性用L・LL相当)、更にウェストが76,79,82,85などというスカートまで作ったら、これがかなり売れたらしい。
コスモスはこの放送の翌日、1月5日にうちのマンションに新年の挨拶がてら来ていたが
「スカートにハマる男性を増産しているかも知れない」
などと言って若干悩むような表情をしていた。
今日のコスモスは加賀友禅の訪問着を着ている。まだ24歳で未婚なのだから振袖を着てもいいのだが、社長という立場なので敢えて訪問着にしたのだろう。
「でもロングスカートはわりと男性も穿きやすいよ」
と私は言っておいた。
「まあ膝丈スカートだと、むだ毛の処理が大変だもんね」
と政子も言う。
「大林亮平が、足の毛を剃るのって、最初やったことが無かったから全然剃れなかったと言ってたよ。あれ要領いるみたい。特に男性の太い毛は」
「ああ、彼もここしばらく何度も女装させられてたね」
「そうそう。最初、例の番組で女装させられた時は女性のエステティシャンが剃ってくれたらしいけど、最近は『大林さん、足の毛の処理は自分でできますよね?』とか『アイラインは自分で入れた方が怖くないですよね』とか言われるらしい」
「なるほど」
「その内、自宅から女装で来て下さいくらい言われるかも知れん、なんて言ってたから、ソフィーナの化粧水と乳液にマックスファクターのビギナーズセット、それからスカート5着とブラとショーツのセット10着送りつけておいた」
と政子。
「なんか楽しそうですね」
とコスモス。
「からかっているだけよ」
と政子は言ったが、目は本当に楽しそうな目をしていた。
女装マニアという人は多いが、政子の場合は《女装させマニア》かも知れんと私は思った。松山君というおもちゃが使えなくなってしまったので、新しいおもちゃが欲しかったのかも知れない。
「でもさ」
「ん?」
「大林君、マジでマリのこと好きみたいだから、マリからのプレゼントだったらきっと喜んで、その女の子の服、身につけてるよ」
と私は言う。
コスモスも笑っている。
「んーん。じゃ、性転換手術のコーディネーター会社の案内と裁判所に出す性別変更申請の書類も送っておくか」
などと政子は言っていた。
「そうそう。そのアクアもあとでこちらに回ってくると思いますから。今日中に主だった先生方の訪問は済ませる予定なので」
とコスモスは言っている。
「ああ、明日から学校なのかな?」
「いえ7日からなんですけどね。明日までに挨拶まわりできなかった所はまた週末に回らせますけどね。こちらへの挨拶が遅くなってすみません」
「いやいいよ。放送局とかプロデューサーさんとかにしっかり挨拶しとかなくちゃいけないし、東郷先生とか上島先生の方が私たちより優先だし」
「実はそのおふたりで1日ずつ使いました」
「ああ、どうして偉い先生は話が長いんだろうね」
そんなことを言っていたら、訪問者がある。モニターで見ると川崎ゆりこに連れられたアクアである。
「アクアちゃん? あがってあがって」
と政子が騒いでいる。私は、実際のアクアを見たら、もっと喜ぶだろうなと思いながらマンションの駐車場の入口を開ける。ゆりこの愛車・ポンガDXが中に入っていく。何度も来ているので来客用駐車枠は分かるはずである。
「お邪魔しまーす」
とゆりこが言って、ふたりが入ってくる。ゆりこもやはり副社長ということで訪問着を着ている。彼女はコスモスより1つ下の23歳である。
そしてアクアの格好を見た瞬間、政子が「きゃー!!!」と嬉しい悲鳴をあげた。
「アクアちゃん、どうして振袖なの?」
「お正月にはタレントさんはみんな振袖着るんだよ、と言われて着せられちゃったんですが、それって女の子だけってことないですか?。みんなボクは振袖でいいとおっしゃるんですけど。上島のおじさんまで『似合ってる』と言うし」
などと豪華な加賀友禅の振袖を着たアクアは困ったような顔をして言った。
上島雷太先生はアクアにとっては父親代わりである。それでもアクアは人前ではちゃんと「上島先生」と言っているが、身内に近い私たちの前なので普段プライベートで呼んでいる「上島のおじさん」という言葉が出たのだろう。
しかし政子はアクアの言葉を聞くと笑顔で
「うん。アクアちゃんは振袖でいいんだよ」
と言い切った。
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【夏の日の想い出・振袖の勧め】(3)