【夏の日の想い出・振袖の日】(2)

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2008年正月、浦和。
 
私の伯母で転勤族の和代清香(若山鶴声)は当時浦和に住んでおり、群馬県出身の民謡家と共同で民謡教室を開いていた。そこに、その日は近所の子供が集まって、おせちやお餅・みかんなどをごちそうになっていた。だいたい幼稚園から小学2年生くらいの子供が多い。
 
「お正月だし、女の子たち、振袖着せてあげようか?」
と清香が言うと
 
「わーい、着る着る」
と言って歓声があがる。それで清香や娘の鹿鳴・千鳥・歌衣などが手分けして集まってきていた女の子たちに着せてあげる。
 
全部で10人くらいに着せてあげていたのだが、千鳥がふと見るとなんだか羨ましそうな顔でこちらを見ている可愛い子がいる。
 
「君、初めて見たね。最近越してきた子?」
と声を掛ける。
 
「りゅうこちゃん、ずっとびよういんにはいってて、こないだでてきたんだよ」
と一人の女の子が言う。
 
「びよういんじゃなくて、びょういんだよ」
と別の子が訂正する。
 
「りゅうこちゃんって言うの?君も振袖着る?」
と千鳥が言うと
「えっと・・・」
と言ってなんだかもじもじしている所が可愛い。
 
「あ、りゅうこちゃんならかわいいから、ふりそできてもいいかもね」
と別の女の子。
「うん。りゅうこちゃんもきせてもらいなよ」
と別の子。
 
それで千鳥が
「おいでおいで、着せてあげるから」
と言うと、その子は近寄って来て
「じゃおねがいします」
と礼儀正しく挨拶した。
 
着ている服をとりあえず脱がせると、その子はまるで男の子みたいなシャツと男の子のトランクスみたいなフレアパンティを穿いていた。まあショーツより暖かいかもね〜、と千鳥は思いつつもその上に子供用の和装スリップを着せ、振袖用の長襦袢を着せて、青い振袖を着せてあげた。
 
「かわいい〜!」
という声が他の女の子たちからあがる。千鳥もこの子、すっごく振袖が似合うじゃんと思った。
 
「君、本当にこういうの似合うね。子供からはお代取らないから、うちに時々来ない? 歌も教えてあげるよ。それで3月の演奏会に振袖着て出ない?」
 
「あ、うたはすきです」
とその子は言う。
 
「へー。じゃ今度またおいでよ」
「じゃ来てみようかなあ」
 
それでその子はその後もちょくちょく清香の民謡教室を訪れ、木曽節や草津節、斎太郎節などを教わったが習得が早く、清香や千鳥たちを驚かせた。なにより音程が物凄く正確で、音感の良さを感じさせる。幼稚園生でここまで正確な音感を持っているのは間違いなく天才だ。
 
りゅうこはきちんと正しい和音階(純正律に近い)で歌っていたが、試しにピアノを弾いて唱歌などを歌わせると正しく西洋音階(平均律)で歌う。つまりこの子は絶対音感ではなく精密な相対音感を持っているようだと千鳥は思った。楽器の音を聞いてそれにピタリと合わせているのである。
 
「あんた、即名前をあげたいくらいだわあ」
などと清香は言っていた。
 
その子は3月の演奏会にも可愛い振袖を着せてもらって出て、斎太郎節を歌ったが、大勢の観客を前にしても全く物怖じせず、ひじょうにしっかりした歌い方、声量も豊かで、審査員特別賞をもらった。
 
「この子、本気で歌の才能ありますよ」
と清香はその子の保護者として来ていた長野さんという女性に言った。彼女はりゅうこの叔母ということであった。りゅうこの両親は亡くなっているらしい。
 
「実はこの子の両親はふたりとも音楽家だったんですよ。それでその才能を受け継いでいるんでしょうね」
と長野さんは語っていた。
 
「へー。それは凄い。この子もきっと音楽家になりますよ。でもりゅうこちゃん、いつもズボンですね。スカートは穿かないんですか?」
と清香が尋ねると、長野さんは何故だか、凄く可笑しそうな顔をした。
 
「1度スカート穿かせてみたんですけどね。あまりにも似合ってて」
と言って、また笑っている。
 
スカートが似合うのなら、なぜ穿かせないのだろう?と清香は不思議に思った。
 
清香はりゅうこにかなり期待していたのだが、4月に清香の夫が突然富山に転勤となり、民謡教室も共同経営者の民謡家さんにお任せして、バタバタと引っ越すことになった。
 
その後も気になったので、民謡教室を引き継いでくれた人に連絡してみると、りゅうこはその後姿を見せなくなったので、他の子たちに尋ねたら、また入院してしまったらしいということであった。清香はお見舞いも兼ねてりゅうこが3月の演奏会で着た振袖を、富山のお菓子と一緒にプレゼントとして送り、「はやくげんきになってね」という手紙も添えておいた。お見舞いの品は、りゅうこの友だちを通して病院に届けられたということであった。
 

2008年1月7日。
 
その日私は紀美香から茶道部の初釜に顔を出してと言われた。
 
6時間目は体育であった。私は1年生の頃は男子と一緒に体育をしていたので、校庭で雪のちらつく中、サッカーをした。女子は体育館でバレーをしていたらしい。
 
終わってから校舎に戻ってくる時、男子のクラスメイトたちが
「こんなに寒いと縮こまるな」
「あれはお湯掛けて溶かすんだよ」
「お湯掛けたら熱くないか?」
 
などと会話していたが、私は訳が分からず何のことだろう?と首をひねる。私が彼らを見ていたら
 
「あ、唐本には多分関係無い話だから」
「うん。唐本は持ってないもののことだよ」
と彼らは言っていた。
 
どうも私はよく分からなかったが、馬鹿にされている訳では無さそうだなと私は思った。
 
体育の着替えは、この時期暖房の入っている教室でしたいということで、奇数組が男子、偶数組が女子の着替え場所になっている。それで私は5組にいったん戻るが、着替えずに荷物だけ持って外に出る。
 
「唐本着替えないの?」
「うん。このまま茶道部に行く」
「へー」
 

教室を出て隣の6組の前を通過するが、もう教室のドアが解放されている。女子の方は早く終わって全員着替えてしまったようだ。
 
私は1年生校舎の階段を降りて、生徒玄関の方に向かう。茶道部の部室は別棟の研修施設の1階にあるので、一度校舎を出る必要がある。
 
それで歩いていたら、本校舎との渡り廊下の所で、政子が何か花見さんと話していた。なんか深刻そうな顔をしているので何の話をしているのだろう?と思う。
 
そして私がその傍を、ふたりに軽く会釈だけして通り過ぎようとした時、花見さんが政子の肩をつかんだ。ところが政子はそれを嫌がって振り解こうとする。花見さんが「だからちゃんと説明しろよ」と政子に言っている。私はつい足を停めてしまった。政子と目が合う。
 
すると政子は花見さんを平手打ちした。
 
花見さんがびっくりしたように手を離す。すると政子はいきなり私に飛び付いてきた。勢いよく抱きしめられたので、私はバランスを崩して倒れそうになるものの、何とか持ちこたえた。
 
「わっどうしたの?」
と私。
「冬、一緒に行こう」
と政子。
 
「え?でも」
と私は花見さんを見る。
 
「いいから」
と政子が言うので、さすがに身体は離した上で、政子が私の手を握るので、手だけつないで、廊下の向こうの方に歩いて行った。花見さんの視線が背中に突き刺さるのを感じたが、花見さんも追いかけては来なかった。
 
「何があったの?」
「うん。その内説明するよ」
 
そう言って政子は無言であったが、私は政子に抱きつかれて、心臓がドキドキしていた。しかも手は握ったままだし・・・・
 
「冬、どこに行くの?」
とかなり歩いてから言った。
「茶道部に初釜。政子も来る?」
「うーん。お茶は足がしびれるからパス」
「なるほど〜」
 

結局生徒玄関のところで政子と別れる。政子はそのまま帰宅するようであった。手を振って別れる。しかし私は政子に抱きつかれた余韻で心臓がドキドキしたまま茶道部部室のある別棟に行った。
 
私、やはり政子のこと好きになっちゃったのかなあ・・・・
 
そんなことも考えるが、結局いつもの問題点に到達する。自分自身が女の子になりたいんだから、女の子と恋愛できる訳が無い。
 
その矛盾は、私の心臓にキュンという感じの苦しみを与えた。
 

結局政子のことを考えたまま、ややボーっとした状態で別棟の中に入り、部室の方に行こうとしたら
 
「あ、初釜に出る子?」
と言って茶道部の顧問・村上先生に呼び止められる。
 
「はい、そうです」
「こっち来て。和服着せてあげるね」
「あ、はい」
 
それで私は結局政子のことと自分の性別問題で悩んだままの状態で先生に導かれて和室に入った。荷物を畳の上に置く。
 
「体操服は脱いで下着になって」
「はい」
 
それで私は体操服の上下を脱ぎ、和装になるならこれも邪魔かなと思い、下に着ている濃紺のTシャツも脱いで、畳んでスポーツバッグの上に乗せる。この濃紺のTシャツは実は「下着隠し」のために着ているものだが、色の濃い下着は上に着る服によっては色が透けて見えることもある。
 
「脱いだら畳むって躾けがよくできてるね」
「え?そうですか?でも脱いだら畳みますよね?」
「それできてない子が多いから」
 
と言われて部屋の隅のあちこちに置かれている荷物を見ると確かに体操服や制服が適当にまるめて放置されているのがある。
 
なるほどー。
 
それで村上先生は私のウェストにまずタオルを使ってウェストの補正をした上で和装スリップを渡して着るように言う。私がそれを身につけると長襦袢を着せてくれる。
 
「このタオルとスリップと長襦袢は洗濯機で洗えるから自宅で洗って今週中くらいに部員の誰かに渡して」
「はい、分かりました」
 
そして長襦袢を着せ終わると振袖である。
 
「あなた結構和服を着てるでしょ?」
「はい。民謡をしているので」
「なるほどー。凄く着せやすい」
 
なんかこないだも言われたなあと思いながら私は振袖を着せてもらい、更に帯を締めてもらった。
 
「はい、できあがり。じゃこれ持って行って待ってて」
と言って懐紙をもらう。
 
「あと多分1人男の子が来ると思うから」
「分かりました」
 

それで私は振袖姿で奥の部屋に行く。
 
私はこの時、ずっと政子のことを考えていたおかげで、自分が「振袖を着せられた」という問題について何も考えていなかった。
 
それで奥の部屋のふすまを、きちんと廊下で正座してから開けて
「遅くなりました」
と言い、一礼してから入る。また室内で正座して、ふすまを締める。
 
そして中に居る人を見た時、紀美香の驚いているような顔を見る。そしてその隣には吹き出して口に手を当て、声だけは出さずに笑っている仁恵の姿があった。
 
へ?何?何?
 
と私が戸惑っていると、仁恵が
「冬、やはり着慣れているだけあって、振袖が似合ってるね」
 
と言った。
 
その時、私は初めて「しまったぁ!!!!」と思った。
 

20分ほどしてから、村上先生が振袖姿の2年生の女子を連れて部屋にやってくる。
 
「女子は1人増えたのね。あと1人男子が来ると言ってたけど、まだ来ないみたい」
と先生が言う。
 
「あ、すみません。その男子は急用が出来てこられなくなったそうです」
と紀美香が言った。
 
「あらそう?じゃ、このメンツで始めましょうか」
「結局全員女子か」
「まあ、それが気楽で良いけど」
 
という声が上がっているのを聞いて仁恵が腕を組んで悩んでいた。
 

炭火で既に釜の中ではお湯が沸騰している。まずは主菓子の載った縁高が回され、ひとりひとつずつ懐紙に取って頂く。部長さんが濃茶を入れる。それを副部長さんが持ってひとりずつの前に運んできてくれる。
 
先に私の右側に居る紀美香がお茶を頂いていたので、私はそれをよく観察していた。
 
すぐに自分の前にも茶碗が置かれるので、私は左に座っている仁恵に「お先に」と挨拶して茶碗を取り、茶碗を少し回してからまず一口飲む。どろっとした外見に反してそう渋くもないもんだと私は思った。最初の一口と合わせて3口半で飲み干し、飲み口を懐紙で拭いてから茶碗を回転させ、正面が向こうを向くようにして置いた。
 
「お、手順ちゃんとできてるね」
と紀美香が言う。
 
「紀美香のを見てたから」
「私が間違うと、冬も仁恵も間違うな」
「それはどこを間違ったかもボクたちは分からない」
 

その後、干菓子を頂き、薄茶を頂いた所で基本的な茶会の手順は終了したようであった。
 
茶会が進行している間は、顧問の先生と部長さんがずっと会話をしていた。この日はお正月ということで、振袖の話題が出ていた。まずは普通の和服と振袖の違いを説明し、振袖の染めかたで手描き友禅、型押し、印刷と分類し、更に手描きでも糊糸目とゴム糸目といった話、加賀友禅と京友禅の特徴などと話が及ぶ。和服の知識の全く無い人は途中から付いていけなくなるような話だと思いながら私は聞いていた。
 
紀美香は茶道部だけあって、そのあたりの話もけっこう知っているようで頷いていたが、仁恵は感心したように何度も「へー」という感じの顔をしていた。他にも似たような感じの反応をしているのが部員以外の「集められた」メンツかなと思って見ていた。
 

茶会が終わった後、脱ぐのは自分で脱げるよね?ということでさきほど着替えた和室に移動し、各自脱ぐ。振袖はそのままそこに置いといてと言われたが、一応私は自分の分と、仁恵の分をきちんと畳んで置いた。紀美香は自分でちゃんと畳めるようであった。
 
着替える時は当然下着になるので、私の下着姿を紀美香も仁恵もニヤニヤしながら見ていた。もう!
 
「なるほどねー。冬が振袖を着ることになった訳が分かった」
などと仁恵は言う。
「まあこの下着姿を見たら、普通に振袖を着せるよね」
と紀美香。
 
「体育の後だったから体操服を着たまま来たのが全てかな」
などと私は言っておいた。
 
仁恵は更に私の胸に手を当てる。
「これ本物?」
と訊く。
 
「え、えっとぉ・・・」
と私は焦って、どう答えたらいいか悩む。
 
「そもそもこれだけの女の子が着替えている中に居て、何も恥ずかしがっている様子が無いのが、全てを語っている気がする」
と紀美香。
 
あれ〜。最近どこかでも誰かに似たようなこと言われた気がする。
 
「でも着せられる時に何も思わなかったの?」
「いや、ちょっと考え事をしていたもんだから」
「ふむふむ」
「どうも確信犯っぽいな」
 
3人とも結局制服には着替えず体操服の上にウィンドブレーカーを着て下校するが(女子制服は実はスポーツバッグの中に入れていたものの仁恵たちに女子制服姿を見せたくなかったのでちょうど良かった)、駅のホームで別れる時、私はふたりから
 
「明日からはちゃんと女子制服を着て出てくること」
と言われた。
 
「そんなの持ってないよぉ」
と私は言っておいたのだが
「だってこないだ着て来てたじゃん」
と言われる。
 
あれ〜?私、仁恵たちにそんなの見せたことあったっけ?と私は首をひねった。
 

翌日、1月8日。
 
昨日仁恵たちから「女子制服を着て出てくるように」と言われたのが朝から耳の中でこだまするかのようにリフレインしていた。
 
私はまた女子制服を着てみたものの、やはりその格好で母たちの居る居間まで行く勇気ができず、「はぁ・・・」とため息をついて男子制服に着替え、家を出た。
 
電車にボーっとしたまま乗っていたら、突然誰かに腕を掴まれる。
「きゃー!この人痴漢です!」
という女の子の声。
 
え!?嘘!? 私何もしてない!!
 
周囲の乗客が冷たい視線をそそぐ。
 
待ってくれ。無実だぁ〜〜〜!!!
 
と思ってよく見たら、悲鳴をあげたのは若葉である。
 
「若葉!?」
「なんだ冬か」
「私、何もしてないけど」
「言い訳見苦しい。でも冬なら許してあげるよ」
 
40歳くらいの女性が声を掛けた。
「あんた、その男の子は友だち?」
「はい、ボーイフレンドなんです。済みません。ちょっと悪ふざけしただけのようで。お騒がせしました」
と若葉。
 
「あんたもこんな人のいる所でふざけたりしたらいけないよ。親しい仲でもマナーというものがあるんだからね」
とその女性は私に説教する。
 
私本当に何もしてないんだけど〜!
 
とは思ったものの、取り敢えず私は
「済みませんでした。お騒がせしました」
と謝った。
 

やがて次の駅に到着する。若葉の学校の最寄り駅である。
 
「冬、一緒に降りよう」
「でも私は次の駅まで行かなくちゃ」
「この電車にひとりで残る勇気ある?」
 
う・・・・
 
まだ周囲からは冷たい視線がけっこう残っている。
 
やだ。この場に居たくない。
 
それで私は若葉と一緒に降りてしまった。何となくそのまま出札口を出る。
 
「ね、本当に誰かに痴漢されたの?」
と私は若葉に訊いた。
 
「さあどうかしら」
「一瞬自分の人生終わったかと思った」
「本当に冬、私のお尻に触らなかったんだっけ?」
「やはり誰かが触ったの?」
 
「うーん。。。そうあらたまって訊かれると自信が無くなってくる」
「本当に誰か触ったんなら、そいつはまんまと逃げおおせたことになる」
 
「まあいいや、冬、今日ちょっと私と付き合ってくれない?」
「学校があるよぉ」
「たまにはサボってもいいじゃん」
「うーん・・・・」
 
若葉自身もどうも今日は学校に行く気が無かったようで、駅の外に出るとタクシーを停める。それで「○○町○丁目に」と行き先を告げた。
 

私はタクシーの車内から学校に電話して今日休むことを連絡した。また母にも電話して急用で学校を休むことを言った。私は蔵田さんや静花さんなどに突然呼び出されて学校を休むというのも以前から何度もしているので母はその類いのことなのだろうと思ってくれたようだ。若葉も電話で学校とお母さんに連絡しているようだった。
 
タクシーは20分ほど走り、やがて小綺麗な洋館の前に停まった。
 
「ここどこ?」
「私の別荘」
「へー!」
 
「ひとりになりたい時に時々来てぼーっとしてるのよね。一応冷凍の食材とか常にストックしてるから、買物とか出なくても御飯には困らないし」
 
「ああ、若葉って料理はわりとうまいよね」
 
それで若葉は鍵を開けて中に入る。私は「おじゃましまーす」と言って一緒にその家にあがった。
 
若葉は電気ケトルにミネラルウォーターを入れてお湯を沸かし、冷凍室からクッキー生地を出してオーブンに掛けた。お湯が沸いたのでブルックボンドのレッドラベルの茶葉で紅茶を入れる。
 
「冬は砂糖はいらなかったよね?」
「うん」
 
若葉も砂糖を入れずにティーカップに紅茶だけそそぐ。ティーカップはマイセンっぽい。
 
「でも冬、男子制服着てると、すごーく違和感ある。なんで女子制服で通学しないのさ?」
「実は勇気が無い」
「だってふだんはふつうに女の子の格好で出歩いていて、冬ってドリームボーイズのダンサーとして映像とかにも結構露出してるよね。今更だと思うけど」
 
「そうだなあ・・・」
 
「だいたい男子制服とか着てるから痴漢に間違われるのよ。女子制服着てたら誰も痴漢とは思わなかったろうに」
「観点が違う気がするけど」
 
「取り敢えず女の子の服に着替えない? 持ってないなら貸してあげるよ」
「それでもいいか」
「私も着替えちゃおう」
 

それで若葉が持って来た服を見ると、振袖である。
 
「きれいな振袖。友禅風の良く出来た品だね」
「うん。友禅ではないと一目で分かる所がさすが冬。これは安物の普段着だよ」
「安物って若葉の感覚でだよね?これでも庶民には買うのに清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気が必要なランクの品っぽい」
 
と私が言うと若葉も笑っている。
 
「冬、どっちが好き?」
「じゃ水色の方」
 
「冬っていつもそういう選び方だよね」
「え?」
「今、私にピンクのが行くように、水色を選んだでしょ?」
 
私は苦笑した。
 
「冬って、最初に自分を犠牲にしようとする。KARIONに関する問題もそういう冬の心理状態が影響してると思う」
 
「うーん・・・・」
「和泉ちゃんがしっかりしてるから、冬は和泉ちゃんを立てたいんでしょ?自分が居ると、人気が2分されて良くないと思っている」
 
「そんなことは考えてないよ。和泉にはスター性が充分あるよ」
 
「ドリームボーイズで長年やってきたのは蔵田さんが強引で、冬が控えようとしても、無理矢理引っ張り出してくれるからだと思う」
 
私は組んでいた手に顔を付けるようにして苦笑した。
 
「冬が前面に出てくる時って、誰か冬よりもっと引っ込み思案の子の手を引いて表に出してあげる時かも知れないね」
と若葉は言った。
 
私はその瞬間、政子のことを考えた。そういえば夏に2度、政子と2人で人前で歌ったよなと思う。でもあの子、歌が悲惨だし・・・。
 

「冬、これ自分で着れるよね?」
「うん。若葉も確かひとりで着られたね?」
「うん」
 
それで私は男子制服を脱ぎ、下着隠し用のTシャツも脱いで、その上にタオルの補正をした上で肌襦袢を着る。
 
若葉と同じ部屋で着替えているのだが、若葉も手際よく着ている。多分この子、接待とかで、私より和服を着る機会が多いのかもと、それを眺めながら思った。商事会社を経営している伯母には子供がいないこともあり、若葉はよく海外などから来た取引先の人の接待の場に呼び出されているようである。逆に海外まで出かけることも多いようだ。「フランスで振袖着てるともてるよ」などと中学の頃、言っていたこともある。
 
私は長襦袢の後、振袖を着る。若葉ももう振袖に入っている。
 
「ね、帯はお互いに締めっこしない?」
「ああ、その方がいいよね」
 
ということで、私が若葉の帯を締めてあげて、若葉が私の帯を締めてくれた。
 

「私、これで7日間連続の振袖だ」
 
と私はまたテーブルの所に座り、焼き上がったクッキーを頂きながら言った。
 
「それは凄い。私は三ヶ日は毎日振袖着たけど、今日はそれ以来。でもなんでそんなに着てたの?」
 
「2日はデパートのそば歩いてたら、豪華友禅の振袖の試着やってて、それに呼び止められた」
「ふむふむ」
「3日は民謡の演奏会に出て、4日はKARIONのデビュー記念ライブで振袖を着た」
「なるほど」
「6日はドリームボーイズのライブでそのバックで振袖着て踊って、5日はそのリハーサル」
「ああ」
「昨日は放課後に茶道部の初釜に呼ばれて振袖着せられた」
 
「冬、昨日は女子制服で学校に行ったんだっけ?」
「ううん。男子制服だよ」
「それでなぜ部活で振袖を着ることになる?」
「いや、6時間目が体育だったから、そのまま体側服で行ったもので」
「冬は明確な男性用の服を着てない限りは女の子に見えるからなあ。でも着せられる時に、最初に気づくでしょ?」
 
「それがちょっと考え事しててボーっとしてたし、そもそも私、振袖を着るのに慣れてるから」
 
「ふだん男性用の和服しか着てなければ、すぐ気づくよね」
「男性用の和服なんて、着たことないよ」
 
本当は一度盆踊りの時に男物の浴衣を着せられたことがある。しかしあの時は静花さん(松原珠妃)が「どうして男物着てる?」と言って女物の浴衣を貸してくれたのである。あれは取り敢えず黒歴史だ。
 

「やはり冬は女子制服で通学すべき。多分誰も何とも言わないよ」
「そうかなあ」
 
その時、若葉はなんだか可笑しくてたまらないという表情をしたが、私は若葉の表情の意味を推し量りかねた。
 
「そうだ。私が冬の男子制服を捨てちゃったら、冬は女子制服で通学せざるを得ないよね」
 
「それは勘弁して」
「本当は女子制服で通学したいと思っている癖に」
「う・・・」
 

「でも取り敢えず今日は1日私に付き合ってよ」
「いいよ。そのつもりでここまで付いてきたし」
「セックスしてもいいよ。ここは誰も来ないから」
と若葉は大胆なことを言う。
 
「私が若葉に本当にしようとしたら逃げる癖に」
と私は指摘する。
 
「うん。逃げちゃうかも」
 
と若葉もその問題は認める。若葉は小さい頃に男性にレイプされた後遺症で極端な男性恐怖症である。子供は産みたいけど男の人と付き合う自信が無いなどと親しい友人には言っている。
 
「でも中学の時、一度冬と一緒にホテルに行って凄くHなことしたよね」
「あれはお互い忘れる約束で」
「あの程度までなら多分逃げずにできると思う」
「やめとこーよー」
 
「それとも冬は例の書道部の子とセックスしたいのかな?」
と若葉が言うと私は沈黙してしまった。
 
それは年末に友人数人で集まった時、私と詩津紅の関係、私と政子の関係を追及され、若葉が占ってくれた時、明確に自分の政子への思いにLust(愛欲)のカードが出たのである。
 
しばらく考えていたが私はやがて言う。
「若葉だから言っちゃうけど、政子のことは好きだ」
「ふーん。進まないの?冬ってそこまで奥手だっけ?」
 
「好きだけど、政子には彼氏が居るんだよ。それに私自身が女の子になりたいのに、女の子と恋愛関係を構築するのは無責任だよ」
 
と私は言う。中学3年の時の同級生女子との悲しい恋のことを思い出して少し辛い気持ちになる。
 
「レスビアンという手もある」
「あっ・・・・」
「そもそも私にレスビアンしてみたらって冬が勧めてくれたのに」
「そんなこと言ったね」
 
それは若葉の男性恐怖症克服のためのワンステップとして、女の子と恋愛してみるのもいいのでは?と言ったのである。
 
「だから私も冬のこと好きだけど、レスビアン的な感情だよ。男の子としての冬には興味無いよ」
と若葉は言った。
 
私は目を瞑って微笑みながら少し下を向いた。若葉としては物凄く勇気を振り絞ってそんなことを言ったのかも知れない。でも申し訳ないけど、今の言葉には返事ができないと私は思った。
 
しばらく沈黙が続いた後、若葉は再度言った。
 
「私も正直に言って、たとえ冬とでも男女型のセックスする自信無いけどさ。冬の精子をこないだ何本か冷凍保存したじゃん」
 
「うん」
 
「ずっと将来の話だけど、私が子供産みたくなった時に、あの精子を1個使わせてよ」
 
「・・・・それは少し考えさせて」
「うん」
 
と頷いた時の若葉の表情がすごく可愛いと私は思った。
 

私と若葉は、その後も適当におやつを食べながら主としてお互いの学校のことなどおしゃべりしていた。
 
9時半頃、若葉が突然思い出したように言った。
 
「ねぇ、冬は年越しそば食べた?」
「あ、それが年末バタバタしてたら買いそびれちゃって。今年は代わりにストックしてたカップ麺で年越しそば代わりにした」
 
「私も食べ損なったのよ。大晦日にお食事に招待されちゃってさ。金田中で豪華な御飯食べたけど、結果的に年越しそば無し。正直とても入らなかった」
 
「金田中は凄い。あんな所一度行ってみたい」
「連れてってあげようか?」
「うーん・・・何かの機会に」
 
「じゃさ、私も冬も年越しそば食べそこなったのなら、今から食べに行かない?」
「ああ、それもいいかな」
「こないだ見つけた美味しい店があるのよ」
 
「そこって、おそばが1万円とかしないよね?」
「しないしない。その値段したら、もはやおそばではない」
「言えてる言えてる」
「1000円もしなかった筈だよ」
「へー」
 
「公共の交通機関で行けないのよねー。車で行こう。運転手さん呼び出すね」
と言って若葉はどこかに電話を掛けている。
 
「明けましておめでとうございます。山吹ですが・・・・あ、そうか!済みません。今週いっぱいお休みでしたね。何とかしますから大丈夫ですよ」
 
と言って電話を切る。
 
「お正月休み?」
「そうそう。娘さんが結婚するというので、お正月休みを利用して挨拶に行ってるのよ」
「へー。それはめでたい」
「それで今週いっぱいまでお休み。仕方ない。私が自分で運転するか」
「ああ、若葉運転できるんだ?」
「うん。よく運転してるよ」
「へー」
 

それで足袋と草履を借りて、それを履いて家の外に出る。ガレージにはスバル・レガシィ・ツーリングワゴンが鎮座している。
 
「若葉んちにしては庶民的な車だ」
「輸入車を使ってみたこともあるけど、結局国産車の方が品質がいいのよ」
「だろうね」
 
若葉が運転席に座り、私が助手席に座る。若葉は草履を脱いで足袋で車を操作する。
 
「でも若葉いつ免許取ったの?」
「免許?免許なら7月に取ったよ」
「へー!凄いね」
 
私はこの時、若葉の発言に何も疑問を感じなかった。
 
ガレージの戸と門をリモコンで開け、外に出たところで一時停止し、戸と門をリモコンで閉める。
 
そして若葉は車を・・・・ギュン!と発進させた。
 
うっ・・・。
 
若葉の運転はワイルド!?である。信号ではセカンドに入れておいて青になった瞬間に急発進する。2.5秒で50km/hに到達する。停まる時はほとんど急ブレーキに近い停まり方をする。
 
あはは。。。若葉の普段の性格からは考えられない運転の仕方だ!!
 

若葉の運転する車は最初国道16号を走っていたが、やがて八王子ICから中央高速に乗ってしまう。ETCが付いているのでノンストップで料金所を通過する。
 
「高速で行くんだ?」
「うん。その方が早いから」
「へー」
 
私は若葉とずっとおしゃべりをしていたのだが、少し気が緩んだのかあくびが出てしまう。
 
「ごめん」
「ううん。冬、寝てていいよ。少し時間が掛かるから。毎日お仕事で疲れてるでしょ」
「うん。まあね。じゃちょっと寝せてもらおうかな」
「うん」
 
それで私は眠ってしまったのだが、本当にここしばらくの疲れが出たみたいで、かなり深く眠ってしまったようだ。目が覚めると車は高速ではなく一般道を走っている。
 
「あ、ごめん。かなり寝てたみたい」
「平気平気。あと1時間くらいで着くから」
「へー」
 
と言ったものの、私は「1時間」という数字にひっかかりを感じた。私は時計を見た。11時半!?2時間以上走っている!?
 
「ね、ここどこ?」
「今長野市内」
「長野〜〜〜!? 目的地は?」
「戸隠」
「凄い遠いね!」
「うん。だから高速で走ってきた。山一屋というお店なのよ」
 
私は戸隠までも蕎麦を食べに行くというのに驚いた。確かに信州の蕎麦は美味しいけど。
 
「以前蔵田さんにジンギスカン食べに行こうと言われて付いて行ったら札幌だったことがある」
 
「まあ札幌よりは戸隠の方が近い」
「確かに」
 

相変わらず若葉の運転は荒いが、道はかなりカーブの多い山道に入っていた。そんな道を荒い運転で飛ばされると、こちらは、かなり酔う。
 
「ごめん。10分でいいから休憩していい?」
「うん、いいよ」
 
それで若葉は適当な駐車帯に停めてくれた。
 
「酔った?」
「うん。むしろ自分で運転したい気分」
「あ、運転してもいいよ。私もちょっと疲れたかなと思ってた所」
「でも私運転免許持ってないし」
「でも運転できるんでしょ?」
「まあね」
 
「だったらこの先、運転してくれない?行き先はカーナビに入れてるし。冬が運転してくれたら私寝てられるし。こんな所、パトカーも居ないよ」
 
「そうだなあ。じゃちょっと運転しちゃおうかな」
 
それで休憩の後、私が運転席に座り、若葉が助手席に行く。
 
「じゃお休み〜」
と言って若葉は寝てしまった。私はふっと息をつくと車をスタートさせた。
 

実際には目的地のお蕎麦屋さんには40分ほどで到着した。水車が回っている。これがこの店のシンボルマークのようである。私は店の向う側にある駐車場に車を駐めた。
 
「若葉、着いたよ」
「あ、ありがとう。結構ぐっすり寝た」
「良かったね」
 
それでお店に入るが、結構庶民的な感じである。お蕎麦と天ぷらのセットを頼んだが、お蕎麦は凄く美味しかった。
 
(筆者注.私はこのお店に実際に2008年頃行ったのですが、現在は閉店になったか改装中か、どちらかの模様です。本当に美味しいお店でした)
 
「いいね、ここ」
「でしょ。私としてはかなりのお気に入り。もう1ヶ所、美味しい所があるんだけど、冬場は営業してないのよね」
「へー」
「そちらは実はかなりお高い」
「若葉が高いというお値段は、私は怖い」
 

私たちがのんびりとおしゃべりしながら、蕎麦と天ぷらを食べていたら、ビデオカメラを持った人を含む3人組が入って来た。ひとりは女性でマイクを持っている。テレビか何かの取材だろうか。
 
「こんにちは〜、お邪魔します」
などと言っているが、取材陣は私たちに目を付けたようだ。
 
「こんにちは。きれいなお召し物ですね」
とレポーターの女性。
「いえ、安物なんですよ。私が着ているのが90万円、彼女が着ているのが82万円ですから」
「高いじゃないですか!」
 
どうもレポーターさんは若葉がジョークで安物言ったと思っているようだ。若葉にとっては100万円以下は「安い」感覚である。
 
「どちらからおいでですか?」
「東京でーす」
「女子高生?」
「女子大生ですよ。ふたりで交代で運転してきました」
と若葉は言った。
 
まあ平日の昼間に女子高生が振袖を着てお蕎麦を食べていたら変なので女子大生と言ったのだろうと私は考えた。
 
「すごーい。頑張りますね」
「車は好きですから」
「走り屋さんとかではないですよね?」
「普通に移動に使うだけですよ」
 
「お蕎麦どうですか?」
「すっごい美味しいですね。秋にも一度来て美味しかったので、今日はこれ目的で来たんですよ」
「東京から、お蕎麦食べるのに戸隠に来られたんですか?」
「私、パスタ食べたいなと思ってイタリアまで行ってきたこともありますよ」
「凄い行動力ですね!」
 
レポーターさんの表情を見ると、ジョークと思っているようだが、これは実話である。
 
「でもせっかく戸隠まで来たんだから、戸隠神社にお参りには行かれません?近くですよ」
「あ、それもいいですね。お蕎麦食べたあとで行ってみようかな」
 

レポーターさんの質問には主として若葉が答えていて、私はたまに答える感じになった。私たちの後、レポーターさんは次に初老の夫婦の所に行って色々と尋ねていた。
 
「でもせっかく来たし、お参りして行こうよ」
と若葉が言ったので、そうすることにした。それで車に戻ろうとしたのだが
 
「1つはこの近くだから車はここに置いたまま歩いて行こう」
と若葉が言う。
 
「いいの?」
「そこの神社は駐車スペースが2台分しか無いんだよ」
「ああ、それは大変だ」
 
それで私たちは坂道を歩いて降りて、火之御子社という所に辿り着いた。確かに神社前の駐車スペースは狭い。小さな神社なのかなと思って階段を登るが、けっこう立派な社殿が建っていた。
 

「ここは凄く優しい神社だね」
「うん。天鈿女神(あめのうずめのかみ)を祭っているから」
「へー!」
「芸能の神様だよね。冬、しっかりお参りしておいた方がいい」
「そうする!」
 
それで私は財布から1万円札を出すと賽銭箱に入れてお参りをした。
 
「私は千円にしておこう」
と言って、若葉は千円札を入れてお参りしていた。
 
「戸隠神社って、いくつかに別れてるの?」
「うん。一般には戸隠5社と言われる。実は6つある。それ以外にも境内摂社がけっこうある」
「へー!」
 
「この火之御子社、ここより更に下の方に宝光社、逆方向に中社。かなり離れた所に奥社の駐車場がある」
 
「駐車場?そこから少し歩くの?」
「うん。片道1時間くらい」
「今日はそこは無理だね」
と私は言った。
 
「うん。奥社まで行こうと思ったら早朝から来ないと無理。それで奥社の所にあと2つ、九頭龍社というのと、もうひとつ名前の表示されてない神社があるんだよ」
「ほほぉ」
 
「今日はこの後、中社に寄って帰ろうか」
「そうだね」
 

それでお蕎麦屋さんに戻り、車に乗って中社に行ったのだが、中社の駐車場がいっぱいで、空くのを待っている車が何台もいる。
 
「これは難しいかな」
「今日は諦めようか」
「そうだね」
 
今もう14時である。今から帰っても自宅に戻れるのは17時半くらいになりそうだ。
 

それで私たちは結局火之御子社にお参りしただけで、東京へ戻る道に就く。帰りは逆方向に出てみようということで、信濃町ICの方に出たが、こちらの道は結構良い道で、私は酔わずに済んだ。
 
「若葉、ずっと運転してて疲れたでしょ。私少し代わるよ」
「うん、よろしくー」
 
それで信濃町ICそばの道の駅で運転交代し、私が運転席に座って高速に乗った。
 
「冬、かなり運転うまい。随分運転してるでしょ?」
「あまり突っ込まないように。高校3年の夏休みに自動車学校に行こうかと思っているんだけどね。私10月生まれだから、仮免試験は誕生日が来てからしか受けられないけど」
 
「なるほどね」
 
などという会話をしたのだが、その時初めて私は重大な問題に気づく。
 
「若葉、免許取ったと言ってたけど、なんで免許取れたの?」
「あ、私が取ったのは原付と小特と自動二輪の小型。今年の夏休みには自動二輪の中型を受けに行く」
「普通免許は〜〜〜?」
「それは18歳になるまで取れる訳無い」
「じゃ無免許じゃん」
「私が16歳って知ってるくせに」
 
私は頭が痛くなった。
 
「取り敢えずおまわりさんに見つからないことを祈ろう」
「速度制限守ってれば大丈夫だよ」
「うーん・・・・・」
 

ともかくも私は目立たないように、ちゃんと速度制限を守り、後ろから追いつかれた時は、追い越された上で、その車が極端に速すぎない限り、その車に追随するという走り方で走って行った。若葉はもっとスピード出したら?と言っていたが「安全運転で行こうよぉ」と言っておいた。
 
途中諏訪湖SAに運転交代と休憩のため入る。
 
駐車枠に駐めて降りようとしたら唐突に若葉が言う。
 
「ねえ、昆布巻きなんて1度してみない?」
「突然何を言い出す?」
「目隠しを貼り付けた上で後部座席でやれば誰にも見られないよ。毛布とお布団も積んでるし」
「私も若葉のこと嫌いじゃないけど、悪いけど、そういう関係にはなれない」
と私はまじめな顔で明確に言った。やはり曖昧な態度を取って変な期待をさせてはいけないと思った。
 
「恋愛にしなくても純粋に快楽目的でいいよ。避妊具は持ってるよ」
「なぜそんなもの持ってる?でもそれにしても何もここでしなくても」
 
実を言うとこの時私も1枚避妊具は持っていた。年末に小学校の時以来の友人の女の子数人でお茶を飲んだ時に有咲が私にくれたものである。
 
「だって脱がずにしちゃうなんて興味無い?しかも車の中とか興奮しそう」
などと若葉は言う。私は2〜3秒考えたが
 
「セックスそのものが怖いくせに」
 
と言って笑顔で若葉のおでこを指でピンとした。若葉も微笑んでそれ以上は私を誘惑(?)しなかった。
 

サービスエリアで「峠の釜めし」を買って、信州ラーメンも注文し、席で一緒に食べていたら、
 
「そうだ、ここのお風呂一度入ってみたいと思ってた。入ってかない?」
と若葉が言い出す。
 
「遅くなるよ」
と私は言う。
 
「1時間くらいでさっと入ればいいよ」
「うーん。まあいっか」
「冬は女湯に入るよね?」
「まあ振袖で男湯に入って行こうとしたら追い出されるよね」
「ふーん」
と若葉は意味ありげに私を見た。
 
入浴料を払い一緒に中に入る。振袖で脱衣場に入ってくるのはさすがに目立つので中に居たお客さんたちの視線がこちらに集中する。
 
私は帯を解き、振袖を脱ぎ、長襦袢を脱ぎ、肌襦袢を脱ぎ、更にその下に着けている下着を外す。若葉は私より少しゆっくり目に脱いで行きつつ、私の様子を見ている感じだったので、私の方が先に裸になってしまった。
 
「まあ女湯へようこそだな」
「私実は男湯に入ったことがない」
「おっぱいもだいぶ成長したよね。乳輪も結構発達してる」
と言って若葉は私のバストに触っている。乳輪などに触られると感じてしまいそうだ。
 
「最低このくらいの胸は無いと、色々疑惑を呼ぶね」
「ふふふ」
 
若葉も裸になり、一緒に浴室に入った。
 

浴室はそんなに広くないが、お客さんもそう多い訳ではない。私たちは並びの洗い場に座り身体を洗っていたが、若葉は何度か私の方に身体を寄せて、お股を触っていた。
 
「ほんとにこれよく出来てるね〜」
などと小声で言う。更に「中」に指を突っ込んで、アレを触る。
 
「ちょっとやめてよ」
「私に触られても大きくならない。精子保存が終わった後女性ホルモンの量を増やしたの?」
「危ない会話をしないこと。そう簡単には大きくならないよ」
 
「冬のこれに触った子って、私と奈緒と有咲だけかなあ」
「だから危ない会話しないこと」
「その書道部の子には触らせてないの?」
「なんか若葉の発言だけ聞いてると、私って凄い女たらしみたい」
「冬の実態って実は女たらしという気もするよ」
「私が万一男だったらね」
「まあ冬が男の子に戻るなんて言ったら女の子全員に袋だたきにされてなぶり殺されるるだろうね」
「戻ったりしないよぉ」
「まあ戻るも何もそもそも冬は男の子であったことが無いからね」
「だから危ない会話はしないでって」
 
湯船の中に入った後は、時々私の胸などに触りつつも割とふつうのおしゃべりをしていた。
 

その時、浴室に入ってきた若い女性2人がいたのだが、私はその顔を見て、むせ込んでしまった。
 
「あれ〜洋子だ」
と鮎川ゆまは言った。
 
「おはようございます、鮎川ゆまさん、幣原咲子さん」
「おはようございます。って他人行儀な挨拶は無しで」
「そうだねー」
 
ふたりも身体を洗って湯船に入ってくる。
 
「そちらは洋子のガールフレンド?」
とゆまが訊くと、若葉は
「フィアンセです」
などと言う。
 
「ああ。洋子ってレスビアンだっけ?」
「ヘテロだよぉ」
「洋子のヘテロって、女の子が好きってこと? 男の子が好きってこと?」
「ゆまはどうなのさ?」
 
「私は男には興味無い」
とゆま。
 
「ああ、そんな感じだね」
と私。
 
「ちなみに私は恋愛対象は男の人だからね」
と咲子は言っている。
 
「でもさ、ゆま、それなら」
「うん?」
「女湯って、ゆまにとっては天国では?」
「それは言わない約束よ」
 

「ゆまはお仕事?」
「うん。ラッキーブロッサムで松本ライブやってたんだよ。その帰り」
「車何台で来たの?」
「ワゴン車一台」
「ね、ものは相談なんだけど」
「ん?」
「そちらの誰か、うちの車をH市まで運転してもらえない?」
「それはいいけど、そちらのドライバーさん、具合が悪いか何か?」
「いや、それが大きな声ではいえないけど、私とこの子で交代で運転してここまで来ちゃって」
 
ゆまは腕を組んで怒った顔をした。
「あんたが捕まると、蔵田さんまで迷惑するんだからね」
「ごめんなさい!」
「まあいいよ。じゃ、私が運転してあげるよ。運転の料金は100万円だな」
「分かりました。払います」
 
「う。あっさり言われたな。1000万円にしておくべきだったか」
「えーっと」
 

そういう訳で、諏訪湖SAから先はゆまが運転してくれることになった。
 
お風呂から上がって、私と若葉が振袖を着ていると
 
「凄い服を着てきたね」
とゆまが言う。
 
「お正月だし」
「でもどこまで行ってたの?」
「戸隠までお蕎麦を食べに行ってきたんだよね」
 
「相変わらず行動力が凄いなあ。蔵田さんも凄いけど」
とゆま。
「蔵田さんのちょっとそこまでは飛行機に乗ったりするから」
と私は言う。
 
「私も蔵田さんから、ちゃんぽん食べに行こうと言われてさ。横浜の中華街にでも行くのかと思ったら、中華街は中華街でも長崎の中華街だったんだよ」
とゆま。
 
「ああ、よくある話。でも樹梨菜さんの実家が佐賀県だから、多分長崎の中華街には馴染みがあるんじゃないかな」
 
「あ、そういえば樹梨菜、そんなこと言ってたね。嬉野だったっけ?」
「武雄だよ」
「そうか。あのあたりは温泉地もたくさんあるな」
「うん。あの付近は陶磁器と温泉の国みたい」
 

お風呂場の脱衣場で私と若葉は振袖を着ていたのだが、どうしても時間が掛かるので、ゆまと咲子さんはずっとその間おしゃべりに付き合ってくれた。
 
しかし運転者が確保できたことで私はちょっとホッとしたのもあったのだろう。ピンクの友禅風振袖を着た若葉を見た時、私は突然ドキンとした。
 
「どうしたの?恋する乙女みたいな顔して」
と若葉は微笑んで言った。
 
「誰か紙持ってない?」
「これでも良かったら」
と言ってゆまが五線紙をくれる。
 
「ありがとう。助かる」
 
私はその時激しく込み上げてきた衝動をゆまからもらった五線紙の上に綴っていった。
 
「きれいな曲だね。今若葉ちゃん言ったみたいに、これ恋する乙女の曲だよ。なんか篠笛とか龍笛とか、和楽器で吹きたい感じ」
とゆまが言う。
 
「ああ、そういうのもいいかな」
「龍笛、三味線、和太鼓に・・・・ヴァイオリンかな?」
「そこまで和楽器にするなら、胡弓のほうがよくない?」
「ああ、その手もあるか。洋子って胡弓も弾けたよね?」
「うん。実はヴァイオリンより自信がある
「ほほぉ」
 
「でも龍笛かぁ。私吹けないなあ。明笛(みんてき)は少し練習したんだけど」
と私は言う。
 
「明笛とは面白いものを」
「格好いい笛ですねとか褒めてたら、1本もらっちゃったのよね。でもあまりうまく吹けなかった。ゆまは明笛とか龍笛吹ける?」
 
「明笛は大丈夫。龍笛も吹けるけど、というか吹けるつもりでいたんだけどさ」
「ん?」
 
「あれはラッキーブロッサムを結成した頃だなあ。物凄い龍笛の使い手に出会ったのよ」
「へー!」
「彼女の龍笛の前では私の龍笛は素人未満だと思った」
「ゆまがそこまで言うって凄いね」
 
「その子からラッキーブロッサムにこれまでに2曲、曲をもらっている。大裳とクレジットしているのがその子だよ」
「へー!」
 
「もしこの曲をレコーディングするんなら、その子に連絡を取ってあげるよ」
「うん。頼むかも」
 
私はそう言って微笑んだ。
 

そういう訳で、諏訪湖から先はゆまが若葉のレガシィを運転してくれたのだが、ゆまの運転は若葉ほどではないがワイルドである。しかも若葉はまだスピードは遵守していたものの、ゆまはスピードも無茶苦茶である。前に車が居たら絶対に追い越さないと気が済まない性格のようだ。
 
「こるぁ!アルファロメオの癖にちんたらと120とかで走るなよ!」
などと叫びながら運転している。
 
私は何度も「きゃー」とか「ひぇー」と悲鳴をあげていたが、若葉は
「ゆまさん、凄ーい!」
などと言って感激?しているようであった。
 
しかしそういう無茶苦茶運転のおかげで、結果的には、予定よりかなり早い時刻に八王子ICを降りることができた。しかしそのICを降りてすぐのところで検問をやっていたので、私は冷や汗を掻いた。私か若葉が運転していたら、ここで無免許運転で捕まっていたところであった。
 
「私が運転してて良かったね」
とゆまも言った。
 
「ゆまと出会えて良かった」
「まあ人の出会いって面白いよね」
「うん。それはよく思う」
 
「ところであの場では咲子も居たし訊かなかったけど、洋子っていつ性転換手術しちゃったんだっけ? 洋子と女湯で会うとは思わなかったよ」
などとゆまが言う。
 
ゆまとは以前にもドリームボーイズのツアーやビデオ撮影の時に何度か樹梨菜さんに拉致されるようにして、ゆまとも一緒にお風呂に入っているのだが、以前はお股の所を隠していた。お股をゆまの前で曝したのは確かに今回が初めてかもと私は思った。それに昔はおっぱいもほとんど無かったし・・・・。
 
しかしどう返事していいか迷って
 
「あ、えーっと」
と私が焦っていたら
 
「年末に手術したらしいですよ。1月2日に女の子4人のユニットでデビューしたから、その前に手術したみたい」
などと若葉が言う。
 
「あ、そうだったんだ? 本当の女の子になれて良かったね」
「ありがとう」
と私は取り敢えず言っておく。
 
後に私が性転換手術を受けた時期について、世間では2007年12月、2009年1月という2つの説が有力とみなされるようになり、私が主張する2011年4月というのは全然信用してもらえないのだが、2007年12月説の震源地はこの時の会話かもと私は思うことがある。千里なども「だって美空から聞いたよ」と言って2007年12月に性転換したと信じて疑わないようだし!
 
「何て名前のユニット?」
とこの時、ゆまは訊いたので
「KARIONというんだけどね。後でCDそちらに1枚送るよ」
と私は答えた。
 
この時私がゆまに送ったのは私を含む4人が写った写真をジャケットに使用した超レア版であった。その版は元々発売前の2007年12月の内に∴∴ミュージックと★★レコードが営業用にあちこちに配るのに少量制作したもので、私・和泉・小風・畠山社長・ゆま・静花・千里の7人が持っていたものの他は恐らく10枚も現存しないのではないかと思う(美空と蔵田さん・ゆき先生は紛失したらしい。その中で当時の4人のサインが入っていたのは千里が持っていたのが唯一である)。
 
「さんきゅ、さんきゅ。でもカリヲンか。4つの鐘という意味かな?」
「そう。4人だから4つの鐘というのがいいだろうと言われて」
「そりゃ女の子ユニットなら、ちゃんと女の子になってないとヤバいよな」
 
などと会話を交わしつつ、私は、もう本当に手術しちゃおうかな、と心が揺れるのを感じていた。
 
 
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【夏の日の想い出・振袖の日】(2)