【夏の日の想い出・振袖の日】(1)

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2007年、私が高校1年生の時の年末。
 
12月31日の夕方に∴∴ミュージックの畠山社長から電話があった。1月4日にKARIONのデビュー記者会見をするから、当日10時から青山の★★レコードに来てくれないかということである。
 
「私、別にメンバーではないですし。こないだの音源制作では緊急事態ということで参加しましたけど」
「そんなつれないこと言わないでよ。僕も和泉ちゃんたちも君をKARIONのメンバーだと思っているよ。近い内に君のお父さんにも挨拶に行って、きちんと契約を結びたいと思っているし」
 
「父との話は少し待って下さい。私自身が父と話し合いたいので」
「うん、分かった」
「1月4日も私は参加しない方向で」
「それは来て欲しいなあ。だって4人で歌う歌なんだからさあ」
「そうですね。そのあたりは音源で流すとか」
 
畠山さんはかなり粘ったものの、私は何とか拒絶を通した。
 

ところでこのお正月、私は政子と初詣に行く約束をしていた。それで1月2日、「姫始め」で姫飯、つまり普通の御飯を炊いておかずはまだ充分残っているおせちをつまんで朝御飯とした後、私は出かける準備をして部屋から出てきた。姉からもらったモヘアのピンクのセーターに黒いスリムジーンズを穿いている。
 
「友だちと約束してたから、初詣行ってくるね」
と私は言う。
 
「まるで女の子みたいな服だな」
と父が言ったので私は
 
「お父さん。実はボク女の子になっちゃったんだ」
と言った。
 
母がドキっとした顔をする。
「あれ?そうだったの?」
と言って、父は笑っている。冗談だと思っているのだろう。
 
「それで女の子のアイドル歌手としてデビューしたいけど、いい?」
と私が言うと、父は
「おお、構わん、構わん」
などと言って笑っている。
 
「じゃ確かにお父さんの許可もらったよ」
と私はニコっとした笑顔で言い、
「行ってきまーす」
と言って、出かけて行った。
 

それを見送って父は
「あれ、萌依の服か?」
と訊いたらしい。
「うん、そうだよ。あの子、ああいう服が似合うよね」
と姉。
 
母は冬子がとうとう父にカムアウトするのかと思ったのが肩すかしを食った気分だったそうだがが、気を取り直して
「お父さん、ちょっと話したいことがあるのだけど」
と言った。
 
「いいけど、帰って来てからでいい? 俺もそろそろ会社に出なきゃ。急ぎの仕事がたまっていて」
と言って、父は身支度して会社に出かける。
 
それで母も父に私の芸能活動のことを話すのは空振りになったと後から言っていた。
 

一方私は電車に乗って中央線某駅で政子と落ち合った。
 
「可愛い服を着てきたね」
「お姉ちゃんからもらったー」
「今年はもう女装で行くんだね」
と政子は言ったが
「え?別にこれ女装じゃないけど」
 
「でも政子の服も可愛いじゃん。振袖だよね?」
「うん。これ小振袖というんだよ。袖丈が短いでしょ。普通の和服よりは長いけど。ヤフオクで2万円で落とした」
「2万円は凄い!」
 
ふたりで府中本町駅まで移動し、大國魂神社に行く。
 
まだ1月2日ということで参拝客は多く、私たちは人の流れに沿って歩いていき、拝殿でお参りをした。
 
境内では雑誌社の記者の目に留まり、ふたり並んでいる所の写真を撮られたりした。この写真は実際に雑誌に掲載されたが、私の高校のクラスメイトには女装の私を見たことのある子が少ないため、詩津紅・若葉・奈緒など数人が気づいただけであったようである。
 
神社にお参りした後、政子が街に出ようよというので私は一緒に都心方面の電車に乗った。
 
「花見さんとは会わないの?」
「別に会いたくも無いし」
「政子、本当に花見さんのこと好きなんだっけ?」
「そうだなあ。割とどうでもいいかな」
「どうでもいいって!?」
 
私は花見さんのこと、そんなでもないなら、私の恋人になってくれない?と言いたい気分だったが、自分自身が男ではなく女でありたいという気持ちとそういう政子への気持ちとの板挟みになっていた。
 

新宿で電車を降りたのだが、アルタの方に出て少し歩いていたら、献血を呼びかけている人がいた。
 
「ああ、お正月は血液が不足しがちだよね」
と私が言うと政子は唐突にこんなことを言い出す。
 
「クイズです」
「ん?」
「車の中でもできます。ベッドがあると、なお良い」
「へ?」
「血が出ます。痛いです。でも愛さえあれば大丈夫」
「えっと・・・」
「さて何でしょう?」
 
「いや、政子、そういうことはまだボクたちは・・・・」
と私が焦って言うと
「冬、私たちもう16歳だもん。していいと思うよ」
などと言うので私は更に焦る。
 
「でも、まだ高校生でそういうことしてはいけないと思う。政子、自分を大事にしようよ。ボクは政子のこと好きだけど、せめて高校を卒業してからにしない?」
 
「勇気を出そうよ。どうせ私、初めてじゃないし」
「え?あ、そういえば一度したって言ってたっけ?」
「冬も体験していいと思うよ」
「でもその・・・・」
 
「だから行こうよ、献血」
「え!?」
 
「愛の献血だよ」
「え〜〜〜〜!?」
 
「冬、何だと思ったの?」
「いや、その。うん。16歳になったら献血できるもんね。行こうか」
 
それで私と政子は2人で献血ルームの方に行った。
 

「献血しまーす」
「ご協力ありがとうございます。失礼ですが何歳ですか?」
「ふたりとも16歳です」
「でしたら200mL献血が可能ですね。献血カードか献血手帳はお持ちですか?」
「いえ」
「初めてですか?」
 
「私は去年の10月にしました。こちらはその時はまだ15歳だったのでできなかったんですよ」
と政子が言う。
 
政子は確かに文化祭の時にJRCでやっていた献血に協力していた。
 
「その時は献血カード作りませんでした?」
「どうだったっけ?」
「じゃ新しいカードを発行しましょう」
 
ということで、私と政子は名前・生年月日・連絡先などを用紙に記入した。
 
「ご自分の血液型はご存じですか?」
「私はAB型です」
と私。
「冬って変わり者だからABだよね」
と政子。
「そんなの関係あるの〜?」
「血液型と性格は関係あるんだよ。私はごく普通人のA型」
 
そんなことを言いながら問診を受けてOKが出た後、血液検査を受ける。最初に私が受けたが
 
「体重が献血できるギリギリの40kgなので、どうだろうと思ったのですが、ヘモグロビン濃度はちゃんと基準値あるから大丈夫ですね」
と言われた。
 
私の検査表には体重 40.0kg 血液型 AB 血色素量 12.4 と印刷されていた。
 
次に政子が受けたが、こちらもOKが出る。政子の検査表には
 
体重42.0kg 血液型 AB 血色素量 14.3 と印刷されている。
 
「あれ〜? 私ABなんですか?」
「ですよ」
「私A型だと思ったのに」
 
政子がそんなことを言うので検査ミスがあってはいけないということで再度、さっきとは別の検査キットで検査しているようであった。
 
「間違いなくABですね」
「うっそ〜? AB型なんて変人ばかりと思っていたのに。血液型性格論って当たらないんじゃないの?」
 
などと言っている。
 
「占い師してる知り合いも血液型性格学と六**術はデタラメだって言ってたよ」
「そうだったのか」
 

それでふたりとも採血ベッドに横たわり血を取られる。私は初めての経験なのでけっこうドキドキしていた。針を刺される時、ちょっと痛かったが、その後はそうでもない。
 
けっこう時間が掛かるので、まだかな?と思っているうちに、やがて
「終わりました。お疲れ様でした」
と言われる。それで針を抜かれるが、この抜かれる時がまた痛かった。
 
政子も私と前後して終わり、一緒に休憩室に入る。
 
「このお菓子とかジュースとか自由に飲んでいいんですか?」
と政子が尋ねる。
「ドリンクは自由ですが、お菓子は1人1個でお願いします」
とスタッフさん。
「1個か。じゃアイスにしようかな」
と言って取っている。私はドーナツを取った。
 
「そういえば冬は体重ギリギリって言ってたね」
と政子がアイスを10秒ほどでたいらげてから言う。
 
すると近くにいたスタッフさんが
「女性は40kg以上、男性は45kg以上なんですよ」
と答える。
 
ん?
 
政子も「あれ?」といった顔をして、私の検査表を覗き込んでいる。
 
「血色素量も基準あるんですか?」
「はい。女性は12g/dL以上、男性は12.5g/dL以上です」
 
政子は含み笑いをしている。私も「そういうことか」と気づいた。
 
「献血カードお渡ししておきますね」
と言ってスタッフさんが私と政子にカードを渡す。
 
政子のカードにはナカタ・マサコ AB+、私のカードにはカラモト・フユコ AB+という文字が印刷されていた。
 
「冬は男の子だったら、この体重とヘモグロビンでは献血お断りされてたね」
と政子はわざわざ言う。
 
「元々女性は男性より身体が小さいですし、生理があるのでどうしてもヘモグロビン量が男性より少ないんですよね」
 
とスタッフさんは言っている。
 
「そうだよね。生理でどうしても血を出すもん。冬、高校生にもなって生理がまだ来てなかったら大変だしね」
と言って政子はおかしくてたまらない風であった。
 
「冬、そのドーナツ食べないの?」
「え?あ、今食べようと思っていたんだけど・・・・政子に上げるよ」
「さんきゅー。冬、好きだよ」
 
政子から「好き」なんて言われたら、私、平静な気持ちではいられないよぉ。
 

休憩後、一緒に献血ルームを出ておしゃべりしながら歩いて行くとISデパートのところで初売りの福袋を売っているそばで、「祝成人・振袖展」などというものをやっている。
 
「今日成人の日だっけ?」
と政子が効くので
「成人の日は今年は14日だよ」
と私は答える。
 
それでも何となく足を停めて
「わあ、きれいだね〜」
「これ加賀友禅だね。華やか〜」
 
などと言っていたら
「ちょっとこちらの友禅の振袖着てみられませんか?」
などとお店の人が言う。
 
「でも私、小振袖着てきたから、脱いじゃったら自分で着られません」
「終わった後、ちゃんとその小振袖着せてあげますよ」
「あ、それじゃ着てみようかな。こんな豪華な振袖、とても買えないもん」
と政子は結構乗り気である。
 
「じゃボクここで待ってるから頑張ってね〜」
と私は言ったのだが、
「お友達もご一緒にどうぞ」
などと言われてしまう。
 
「いや、その私は・・・」
と私は自分は男なのでと言おうとしたのだが、その前に政子が
 
「うん。冬も着せてもらうといいよ」
などと言う。
 
それで結局2人ともデパートの中に連れ込まれてしまった。
 

会議室のようなところが着替え所になっているようである。参ったなあと思いながら中に入る。中には3人ほどの女性がいて、着付け作業中だった。高校生くらいの子が2人ともうひとりは20歳前後の子である。
 
政子は着付師の人にまず今着ている小振袖を脱がされる。下には長襦袢を着ているが、袖丈が異なるのでこれも交換する必要がある。それで長襦袢も脱がされて肌襦袢になってから、振袖用の長襦袢を着せられていた。
 
私の方は自主的にセーター・ポロシャツとジーンズを脱ぐ。下にはスリップとパンティを着ている。政子は私の下着姿を見てなんだか頷いている。私はその下着はそのままでいいですと言われ、まずタオルで補正をされる。
 
「あなたウェストがくびれてるし、バストも結構あるからかなり補正しなくちゃ」
などと言われる。政子がニヤニヤしている。それで補正の後、和装スリップを着せられた。確かに肌襦袢よりこっちの方が手軽である。
 
政子はもう長襦袢が終わって振袖を着せられている所である。私はこれから長襦袢を着せられ、そのあと振袖に入る。
 
「あら、あなた振袖着たことある?」
と私の着付けをしてくれている人が言う。
 
「私、小さい頃から民謡しているので、振袖はけっこう着てます」
と私は答えた。
 
「それでか。凄く着せやすい。着せられ方を知ってるもんね」
「そうですね」
 
それで結局振袖を着せる段階で私の方がスムーズに進むので、帯を締めてできあがったのは、結局私も政子もほぼ同時であった。
 
「おお、きれいきれい」
と私。
「おしとやかな日本女性という感じ」
と政子。
 

それでふたりともぞうりを履き、スタッフさんに誘導されて店頭の方に行く。そこで屏風の前で記念撮影をしてもらったが、道行く人もけっこうカメラを向けて私や政子、また一緒に振袖を着ていた他の女性などの写真を撮っていた。私と政子の携帯でも写真を撮ってもらった。
 
店頭での撮影会が15分くらい続き、そのあとまた更衣室に戻って振袖を脱ぐ。私は洋服を着てきているので簡単に元の服を着るが、政子は小振袖を着付けてもらうので15分くらい掛かっていた。
 
記念品に縮緬製の栞、和風柄のハンカチ、それに振袖のカタログの入った紙袋をもらったが、このデパート内の喫茶のケーキセットの券ももらった。それで「食べて行こうよ」ということでその喫茶のある階まで上がっていき、ケーキと紅茶のセットを頼んだ。
 
「いろいろ突っ込みたい所があるなあ」
と政子は楽しそうに言う。
 
「そう?」
「冬、下着は女の子下着つけてるんだね」
「うーん。たまたま着けてただけだよ」
「なるほど、いつも着けているのか。ウェストがくびれてバストがあると言ってた」
「ウェストは私、細いんだよね〜。バストはパッド入れてただけだよ」
 
と言って私は服の中に手を入れ、左側のバストパッドを外して政子に手渡す。
 
「おお、こういうのを持っている訳か」
「何となく入れて来ただけだよ」
「やはり冬は今年は女の子で行くのね。学校にも女子制服で出てくるよね?」
「そんなの持ってないよぉ」
「作ればいいのに」
 

「民謡やってるから振袖は着てると言ってた」
「言わなかったっけ? 私の亡くなったお祖母ちゃんが民謡の先生だったんだよ。それで私も小さい頃から歌を習ってたんだよね」
 
「へー。じゃお母さんとかもするの?」
「うちのお母ちゃんの所は5人姉妹で、他の4人はみんな民謡の先生になったけど、うちのお母ちゃんだけが民謡やめちゃったんだよ」
 
「へー!なんで?」
「まあ性に合わなかったんじゃないかなあ。三味線なんて見るのも嫌だって言うよ。私は伯母ちゃんに仕込まれたんだよ」
 
「でもさあ、いくら民謡でも男の子に振袖着せる?」
「え?どうだろう」
「知らないの〜?」
「あ、従兄の薙彦君は青い和服着て袴穿いてたかな」
「なるほどー。でも冬は振袖なんだ?」
「あ、ちゃっきり節を歌った時は、茶摘み娘の衣装着たよ」
「やはり女の子衣装だ」
「あれ?そういえば」
 
「つまりあれだね。冬はやはり女の子なんだ」
「え〜? ボク男の子だよお」
 
「だいたいさっき更衣室にいた時、恥ずかしそうにもしてなかった」
「へ?更衣室で何を恥ずかしがるのさ」
 
「だって周囲、女の子ばかりで下着姿とかにもなってるのに」
「そりゃ着替える時は下着姿にもなるでしょ」
「女の子の下着姿を見て、むらむらとしない?」
「むらむらって?」
 
「やはり冬はちんちん無いんだよね?」
「あるよ〜」
 
「ね、一緒にホテルに行かない?それで冬にちんちんがあるかどうかを確認したい。ホテル代くらい持ってるよ」
「ホテルはまずいよ」
 
「女の子同士だから平気だよ」
「だからボク男だって」
「絶対それ嘘だと思うけどな〜」
 

その日は結局新宿界隈でカフェや楽器店、本屋さんなどを歩き回った。私はCDショップで今日発売のKARION『幸せな鐘の調べ』を1枚買い求めた。
 
「何それ?」
「うん。今日デビューしたアイドルユニットだよ」
「へー。冬がアイドルを聴くとは思わなかった。アイドルなんて下手くそなのばかりじゃん」
「この子たちはうまいんだよ」
「ふーん」
 
そんな会話を交わしたものの、政子はそんなことを話したことは覚えていなかったようである。
 
その日は更にカフェでおやつを食べたりした後、3時頃電車で帰宅した。
 

翌日は特に予定が無かったので、朝から楽譜の整理作業などをしていたのだが、10時頃電話がある。姉が取ったのだが
 
「冬、風帆おぱちゃん」
と言う。
 
私はいや〜な予感がしながら電話を替わる。
 
「明けましておめでとうございます。冬彦です」
「冬ちゃん、よかったぁ。自宅に居てくれた」
 
ああ、どこかに出かけておくべきだったなと後悔する。
 
「それでどこにいけばいいんでしょう?」
「話が早いな。さすが冬ちゃん。振袖着て、三味線持って、新宿のISデパートまで来てくれない?」
「新宿なんですか?」
「なんか正月から風邪引いたりお腹壊したりした子がいて頭数が足りないのよ」
 
「友見さんは?」
「もちろん出てきてる。三千花(小6)・小都花(小4)・七美花(小2)の姉妹も出てきてる」
「七美花ちゃんまでですか?」
「あの子、まだ小学2年生だけど、かえって6年生の三千花ちゃんよりうまい」
「あ、そんな話は聞いてました」
 

それで私は自分の部屋に戻ると急いで適当な振袖を着て、三味線を持ち
 
「ちょっと風帆おばちゃんに呼ばれたから行ってくるね」
と居間に居た母に告げる。
 
「風にって、名古屋?」
「ううん。新宿だって」
 
父は私が振袖など着ているのでぽかーんとしている。
 
「なんでおまえ、そんな女みたいな服着てるの?」
と父。
「だって昨日も言ったじゃん。ボク女の子になっちゃったから」
と私は答える。
 
しかし姉が
「民謡の伴奏のお仕事だから振袖着ているだけだよ」
と言ったので
 
「ああ、なんか集団で弾くんだ?」
「そうそう。ひとりだけ男の服着ている訳にはいかないじゃん」
「へー。そういうもんなんだなあ」
 
「じゃね〜」
と言って私は出かけた。母が頬杖を突いて「うーん」という感じで悩んでいた。
 

それで私は電車で新宿まで出た。到着したのはもう12時過ぎである。
 
「新春民謡演奏会・8F」などという看板が出ているのでそちらの方に行こうとしていたら、
 
「あれ?昨日来られた方ですよね?」
と店員さんに呼び止められる。昨日店頭で私たちに声を掛けた人である。
 
「こんにちは。昨日はどうもきれいな振袖を着せて頂いてありがとうございます」
「やはり振袖を着慣れておられるんですね。今日もきれいな振袖で」
「いえ、これポリエステルですから」
「え?」
と言ってお店の人は袖に触ってみて
 
「ほんとだ!ちょっと目には分からなかった!」
などと言っている。
「昨日着せていただいた振袖の100分の1くらいの値段ですよ」
 
「ああ、そんなものでしょうね。でもお嬢さん、背が高いから振袖が映えますね」
「ああ、振袖って、背が低いと袖を引きずっちゃうから」
 
などといった会話を交わしたあとで、お店の人が少し考えるようにして言う。
 
「えっと・・・お嬢さんでいいんですよね?」
「はい。まだ結婚してないですから」
「あ、いや。昨日は低い声で話しておられたので、男の子ではないよな?と一瞬思ったものですから」
とお店の人。
「ええ。昨日はちょっと喉の調子が悪かったんですよ」
と私。
 
昨日は政子と一緒だったが、政子にはまだ私は女声が出ることをバラしてないので男声で話していた。今日はふだん通り女声で話している。
 
「あ、すみません。変なこと言って。あれ?それは三味線ですか?」
「ええ。今日の新春演奏会に、頭数が足りないからちょっと来てと呼び出されてしまって」
「へー。でも凄いですね。お若いのに三味線とか」
「祖母が名取りだったものですから、なんかよく分からない頃から仕込まれて」
「なるほどー。そういうおうちだったんですね。それで振袖もよく着ておられるんですね」
 
それでお店の人は「頑張ってください」と言って私に控室に行くエレベータの位置を教えてくれた。
 

演奏会が終わってデパートを出、新宿駅の方に帰ろうとしていたら、バッタリと畠山さんに遭遇する。
 
「明けましておめでとうございます」
「明けましておめでとうございます」
と挨拶を交わす。
 
「化繊の振袖を着るなんて《通》だね」
と畠山さんが言う。
 
「あ?化繊って分かりました?」
「うんうん。うちの鈴木聖子ちゃんが結構そういうの好きなんだよ」
「へー!」
 
せっかくだし、事務所に顔を出して、お餅でも食べて行ってよと言われるのでまあ餅くらいいいかと思い、付いていく。∴∴ミュージックはISデパートより更に新宿通りを東に下っていった付近にある。
 
入って行き
「明けましておめでとうございます」
と挨拶する。
 
事務所内からも「明けましておめでとうございます」の挨拶がある。三島さんともうひとり三島さんと似たような年代の女性がいる。初対面だったが畠山社長の奥さん・千鶴さんということだった。
 
「お初にお目にかかります。柊洋子、あるいは天野蘭子です」
と挨拶する。
「初めまして。洋子ちゃんのことは色々聞いてるよ」
と千鶴さん。
 
この他に事務の女性バイトさんが2人出てきている。正月からご苦労さまである。
 
「蘭子ちゃん、御神酒飲む?」
「すみませーん。未成年なので」
 
「じゃ、お茶け(おちゃけ)で」
と千鶴さんが言い、三島さんが緑茶を入れてくれた。
 
「これ凄く美味しいお茶ですね」
「静岡の本山茶だよ。青島リンナ君が昨日来て置いてった」
「青島さん、静岡方面でしたっけ?」
「そうそう。代々お茶屋さんで、あの子のお兄さんが今実質切り盛りしてるみたいだけどね」
 
「へー。でもだったらこちらは昨日から営業してたんですか?」
「MURASAKIと青島リンナが年越しライブに出てたからね」
「大変ですね!」
「MURASAKIは1月4日に年明けライブもするし」
「頑張りますね!」
 
世間話をしている内に焼き餅の入ったお汁粉も出てくる。
 
「お正月らしい」
「やはり苦みのあるお茶に甘いおやつだよね」
 
(「お汁粉」と「善哉」の違いは「きつね」と「たぬき」以上に難しい。関西では粒あんにお餅の入ったのが善哉で、漉しあんに白玉の入ったのがお汁粉。これに対して関東では汁気の無いものを善哉、汁気のあるものをお汁粉と言う・・・・という説を聞きますが、これについては異論も多いです。善哉は焼き餅で焼いてないのがお汁粉、あるいはお餅なら善哉で白玉ならお汁粉など諸説入り乱れています)
 

「あ、それで明日のKARIONのデビュー記者会見なんだけどね」
と畠山さんは、どうも本題に入ってきたようだ。
 
「すみませーん。それは不参加ということで」
「うん。でも歌わないなら伴奏とコーラスしてくれないかなと思って」
「うーん。まあ、そのくらいはいいですよ。多少とも関わってしまったユニットなので」
 
「じゃ明日9時に★★レコードに現地集合でいい?」
「はい、いいです」
「入館証あげておくね」
 
と言って畠山さんは、私の顔写真入りの
「∴∴ミュージック KARION 天野蘭子」
と印刷されQRコードも入った★★レコードの入館証を渡してくれた。まああそこは顔パスで入れるけどな、と思いながらも私は受け取った。
 
「服装は?」
「伴奏者用の衣装を用意しておくから、着替えやすい服なら何でもいいよ」
「了解です」
 

翌1月4日。
 
私はいつものように朝5時から朝御飯とお弁当を作り、朝6時に出て行く父を送り出す。その後で起きてきた母と一緒に朝ご飯を食べる。女子大生の姉はいっこうに起きてくる気配が無い。多分昼すぎまで寝ているコースだ。
 
「萌依はバイトとかする気は無いのかね〜?」
と母が言う。
「お姉ちゃん、その前に勉強している所も見たことない」
 
「・・・・就職は大丈夫なのかしら?」
「就職活動もしている雰囲気はないけど、まあどこか適当に入るのでは?」
 
母は「うーん・・・」と悩んでいた。
 
「あ、そうそう。今日は青山で伴奏の仕事してくるから。帰りは夕方くらいになると思う」
「あんたは忙しいね!」
 
それで私は父の目も無いしというので、セーターに膝丈スカート、ハイソックスという格好で出かける準備をする。
 
「あんた、最近そういう格好で出かけることが多い気がする」
「そうだっけ?」
「例の歌手するという話はどうなったの?」
「それなんだけど、社長さんが1度お父さんと話したいと言っているんだよね〜。でもお父さん、なんだか仕事忙しいみたいだし」
「あの人も休んだのは結局1月1日だけだね」
 
「私も何とかお父さんとゆっくり話したいんだけど」
と私は言う。
「私からも冬とちょっと話す時間取ってくれないかと言うよ」
「うん」
 
「でもあんた性転換手術しなくていいんだっけ?女の子歌手になるんでしょ?」
と母は訊いた。
 
「手術受けた〜い」
と私は正直に言う。
 
「それ手術代いくらかかるの?」
「本格的な手術だと120万円くらい」
「120万か。お父ちゃんに相談しないと無理だなあ」
と母。
「ヴァギナまで作らないなら、もう少し安くなるみたい。実際、本格的な手術してしまうと、半年か最低でも2〜3ヶ月、療養期間が必要なんだよ。だからやるとしたら、ヴァギナまでは作らずに外見だけ女の子にする簡易性転換手術だと思う。年末に若葉に連れていかれた病院では60万円と言われた」
と私は説明する。
 
「60万か。それならあんたの学資保険を解約したら払えると思う」
「ありがとう。でもまあお父ちゃんが知らない内に手術して女の子になったら、それ自体叱られるよね」
と私。
 
母は少し考えるようにしてから言った。
 
「ねぇ、怒らないから正直に言って。あんた実はこっそり手術してもう既に女の子になってしまっているということは?」
「え〜? まだ手術はしてないよぉ」
「ほんとに?でもあんた、おっぱいはあるでしょ?」
「小さいけどね」
「睾丸はもう取ってるんだよね?」
「まだ取ってないよぉ。取りたいけど」
 
「・・・・もし本当にまだ手術してなくて、こっそり手術受けたくなった時は、反対しないから私にだけは事前に言って」
「うん。ちゃんと言うよ」
 
「女性ホルモンは飲んでるんだよね?注射だっけ?」
「女性ホルモン剤は持ってる。でも飲んでない。実は怖くてまだ開封してないんだよ」
と私が言うと
「それは怖いという自分の気持ちを大事にした方がいい。飲む時はもう後戻りできないんだということをしっかり考えてから飲みなさい」
 
「うん。でも私、男の子に戻ることはないよ」
と私は母に通告した。
 
「うん。そうだとは思っていた」
と母も笑顔になって言ってくれた。
 
それで私は7時すぎに自宅を出て電車で都心に向かった。
 

通勤時間帯の前だったのでスムーズに移動することができて、8時半すぎに★★レコードに到着する。畠山さんからもらった入館証を見せようとしたが
 
「ああ、柊洋子さん、どうぞどうぞ」
と言われて、結局顔パスで中に入れてしまう。
 
それで言われていた控室に行くと社長の奥さん・千鶴さんがいて
「この衣装に着替えてね」
と言われ、ピンク色の鳥の絵が描かれたキャミソールを着た上に同様にピンクのポロシャツとミニスカートを穿く。ハイソックスとパンプスも同じピンクのを渡されたのでそれに履き替えた。
 
「なんか凄い短いスカートですね」
「うん。今日は演奏者も伴奏者もこういう格好なのよ」
「和泉たちは別室ですか」
「うん。ここは伴奏者控室。もうひとり後から来るはず」
 
と言っていたら9時頃、24-25歳くらいの女性が来た。
 
「おはようございます。平原夢夏です」
と彼女は名乗る。後に作曲家として有名になった人である。当時もシンガー・ソングライターをしていたのだが、この頃は全く売れていなかった。
 
「おはようございます。天野蘭子です」
とこちらも挨拶する。
 
彼女は鳥の絵のついた緑色のキャミソールと、その上に緑色のポロシャツを着る。そして緑色の膝上スカートである。私が穿いたのよりやや長いが、充分丈の短いスカートの部類だ。
 
「この年でこんな短いスカート穿くのはちょっと恥ずかしいですけどね」
などと言って笑っていた。
 

9時20分くらいになって、和泉たちと合流しましょうと言って別室に移動する。すると、そちらには社長と三島さんに和泉・美空・小風がいる。和泉たちも私や平原さんと同じような衣装を着ている。和泉は赤、小風は黄色、美空は青である。
 
「おはようございます」
「おはようございます」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしく」
などと言い合う。
 
「でもいよいよデビューだね」
「うん。もっと緊張するかと思ったんだけど、なぜか平常心」
「それでいいよ。平常心でないと、ちゃん歌えないもん」
「デビューの時は足が震えるなんて話も聞くけど、私たち誰も緊張してない」
「こんなに緊張してなくていいのか?と思うくらい」
 
「でも私たち3人だけだと交通信号だねと言っていたから蘭子が来てくれてホッとした」
などと小風が言っている。
 
「あ、そうだ。平原さん、忘れる所だった。事前にお送りした譜面から少し修正したんですよ」
と言って和泉が新しいスコアを平原さんに渡して説明している。
 
「了解です。使用楽器は何でしたっけ?」
「DGX-220です。ここでのデビューイベントの後、CDショップにもそれを持ち込みます」
「DGX-220なら何度も使っているから大丈夫かな」
 
その会話を聞いて私は「え?」と思った。DGX-220というのはYAMAHAのキーボードである。
 
「キーボードって私が弾くんじゃなかったの?」
と和泉に訊く。
 
「蘭子はコーラスだよ」
と和泉。
 
「あ、そうだったのか。了解〜。でもコーラスなら私、譜面が欲しい。キーボードかと思って、そちらを練習してた」
 
「あ、ごめんねー」
と言って和泉は私にスコアを渡す。
 
「このC1のパートをよろしく」
「OK」
 
と言って私は譜面を受け取ったものの、顔をしかめる。
 
「これコーラスじゃないじゃん!」
 
スコアを見ると、ボーカルパートがS1・S2・A1・A2と印刷されている所のS2という文字が横線で消されてC1と手書きで書き加えられているのである。
 
「間違いなくコーラス。CはChorusのCだし。但し中身はS2と同じだから」
と和泉。
 
「立ち位置は最前列、私と美空の間で」
「ちょっとぉ!」
 
小風と美空が苦しそうにしている。私は畠山さんを見る。すると畠山さんは
 
「うん。悪いけど、その立ち位置でコーラスを」
などとまじめな顔で言っている。
 
そして私は今気づいた。私のスカートの丈は、和泉たちのスカートの丈とほぼ同じである。そして平原さんだけが、少し長いのである! つまり私の衣装はそもそも和泉たちとお揃いっぽい。
 
うーん・・・・。
 
私が何か言おうとした時、畠山さんの携帯が鳴る。
 
「はい」
と言って取る。
 
「え〜〜〜!?」
と大きな声をあげる。
 
「ちょっと待って」
と言って時計を見ている。そして決断したように言った。
 
「平原さん」
「はい」
「申し訳ないのですが、緊急事態が起きて。別の場所で演奏してもらえませんか?」
「はい?」
 
「実は11時から横浜でMURASAKIのライブがあるのですが、その伴奏をすることになっていたキーボード奏者が会場の前で飲酒運転の車にはねられたらしくて」
 
「え!?」
「命には別状無いらしいのですが、病院に搬送されて大変なことになっているらしくて」
 
「その代理をすればいいんですね?」
「ええ。お願いできませんか。時間が無いので、新たに誰か頼んでいる余裕が無いんですよ。ギャラははずみますので」
「分かりました」
「千鶴。向こうの会場にお連れして」
「はい」
 
それで平原さんは社長の奥さんと一緒に出て行った。
 

「えっと、こちらはどうしましょう?」
と和泉が畠山社長に訊く。
 
「やはり私がキーボード弾きますから、歌は和泉・小風・美空の3人で」
と私は言う。
 
その時、美空が言った。
 
「私の友人でキーボードのうまい人が今たぶん代々木にいると思うんです。その人を呼び出しましょうか?」
 
代々木からなら青山までおそらく30分ほどで来られるはずである。今時刻は9:28。ギリギリ間に合うだろう。最初にメンバーの紹介とかをしていれば何とかなるはずだ。
 
「よし、美空ちゃん、その人を呼び出して。ギャラは充分出すからと言って」
「はい」
 
それで美空が電話を掛けている。相手はなかなか出ないようだ。私たちは時計とにらめっこしながらそれを見ていた。
 
9:33。もうタイムリミットかな、と思った時に、やっと電話が繋がった。
 
「すぐ来てくれるそうです」
「助かった!じゃ三島君、ここに残ってて、その人の対応を。僕たちはもう下に行く」
「分かりました」
 
それで私は社長と和泉・美空・小風とともに記者会見場のある1階へ降りていく。緊急事態が起きたおかげで、私はうやむやのうちに、和泉たちと並んで歌うのを了承したも同然になってしまった。和泉が記者会見の進行と演奏の演出を説明する。やがて★★レコードの鷲尾海帆さんという女性が来てお互いに挨拶した。鷲尾さんは女性アイドル全般を担当しているらしい。当面の間、KARIONの窓口になってくれるということであった。
 
9:54、控室の方で待機していた三島さんから、美空に頼まれた伴奏者が来たという連絡が入り、私たちはホッとした。連絡が取れて向こうが来てくれることになったのはたぶん9:36くらい。大江戸線から半蔵門線に乗り継いだか、あるいはJRから銀座線に乗り継いだかどちらかだとは思うが、恐らく本人が元々駅の近くか構内に居た上にとてもうまい連絡があったのだろう。代々木から青山まで18分ほどで来れたというのは凄いと私は思った。
 
そして私は思った。直前にトラブルがあったのに運良く挽回できたのは、このKARIONというユニット自体の運の強さを示している、と。
 

10:00。
 
畠山社長・鷲尾さんに続いて、小風・和泉・私・美空の順に会見場に出て行く。キーボードの所には黒いドレスを着て長い髪の女子高生くらいの子が就いている。美空が小さく手を振り、彼女も笑顔で手を振り返したので、これが美空の友人なのだろう。私は彼女をどこかで見たような気がしたものの、思い出すことができなかった。音楽関係者なのだろうから、どこかのイベントかライブで会っているのかも知れないと思った。
 
椅子に座ってから部屋を見ると、記者は・・・5人と後ろの方で小型のビデオカメラを持っている女性が1人。寂しいなと思ったが、とりあえずビデオ撮影している人がいるだけでもマシかと私は思い直した。どこかのテレビ局だろうか?これ30秒くらいでもいいからテレビで流してもらうと随分違う。
 
畠山さんの紹介に続いて、1人ずつ自己紹介する。
 
「KARIONのリードボーカル・ソプラノでリーダーのいづみ。8月14日生れの獅子座です」
「KARIONの愛嬌担当・ファンクラブ会長・メゾソプラノのこかぜ。7月17日生れの蟹座です」
「KARIONの不思議担当・食事係・アルトのみそら。9月10日生れの乙女座です」
「KARIONのサブボーカル・ソプラノで落ち担当のらんこ。10月8日生れの天秤座です」
 
三島さんがデビューCD『幸せな鐘の調べ』を流す中、畠山社長がこのユニットのコンセプトや、活動方針などを話す。それを記者たちはメモしているが質問などは出ない。見ていると、なんだかやる気無さそうな雰囲気の記者ばかり。たまたま時間が空いてたので来たという感じか。
 
しかしその雰囲気が変わったのが、私たちが実際に歌を歌ってからであった。私たちが席を立ち、和泉がキーボード奏者に会釈をする。向こうも会釈を返して伴奏が始まる。
 
へー!と私は思った。
 
私は歌いながら後ろで弾いている彼女の音を聞いていて、私は、この人の演奏って自分の演奏と似ていると思った。
 
何が似ているかというと、自己流なのである!
 
ピアノ教室とかには通わず、ひとりで見よう見まね・試行錯誤で覚えた弾き方だ。そしてこれは恐らく直前に譜面を渡されて充分読む時間が無かったせいもあるのだろうが、和音の弾き方とかが適当!である。本当はミラドの和音になっている所をラドミの和音で弾いたりしている。
 
恐らく書いてある音符は無視して、CとかDm,G7のようなギターコード表示だけを見て弾いている。実際、練習の時間など無かったし、破綻せずに弾くためには、その弾き方が無難だ。
 
ただそういうアバウトさの分、かなり即興・初見演奏に強いとみた。
 

歌い終わったところで記者さんが全員拍手してくれる。そしてお互いに顔を見合って何か言い合っている様子。
 
「済みません。サンプルCDとかありませんか?」
とひとりの記者が訊くので畠山さんが
「どうぞお持ち下さい」
と言い、三島さんがCDをその場にいた記者とカメラマン6人に1枚ずつ配った。
 
続いて『小人たちの祭』を演奏。そして最後にポロシャツを脱ぐ。このキャミソールの絵柄は、小風・和泉・私・美空と並んだ時、左右対称になるようになっている。それを見て記者席から歓声があがる。
 
そして私たちが『鏡の国』を歌うと、またまた大きな拍手があり、とても良い雰囲気の中、私たちのデビュー記者会見は終了した。
 

さて、★★レコードの後は、12:00, 15:00, 17:00に都内のCDショップでキャンペーン・ライブをすることになっていたのだが、美空が頼んだ伴奏者さんは、何かのスポーツ大会に出場するのに来ていて、それで試合が始まる前にこちらに来てくれていたらしかった。
 
それで「ありがとうございました。助かりました」と言って送り出すものの、このあとのライブの伴奏はどうする?ということになる。
 
それで畠山さんがあらためてあちこち連絡していたが、15:00と17:00のライブには、別のキーボード奏者がアサインできるということになった。
 
「じゃ蘭子ちゃん、悪いけど12:00のライブだけは蘭子ちゃんがキーボードを弾いてくれる」
「了解です。じゃ後ろで弾けばいいんですね?」
 
「キーボードをステージ前面に置くから、蘭子ちゃんは和泉ちゃんたちと並んだままキーボード弾けるようにするね」
 
「あはは、そうですか」
 

15:00と17:00のライブはCDショップの屋内ステージを使うものの、12:00は屋外ステージになるということであった。屋外はさすがにミニスカでは寒い!ということで、お正月だし振袖を着ようということになる。
 
それで各自ちゃんとトイレに行ってきた上で、振袖の着付けをしてもらった。1人30分掛かるということだったので、おしっこの近い美空が「私を最後にしてください」と言っていた。
 
私が自分で着られるし、他の子に着付けもしてあげられますよと言うと、結局、10:30から小風と和泉の着付けをし、11:00から美空と私の着付けをすることになる。私が小風に、頼んでいた着付け師さんが和泉の着付けをする。その後で、私は自分で振袖を着て、着付け師さんが美空の着付けをする。私も帯だけは着付け師さんに締めてもらった。
 
この振袖も和泉が赤、私がピンク、小風が黄色、美空が青、という各自のパーソナルカラーを使用している。
 
しかし私今年は2日から3日連続の振袖だなと思った。2日に着たのが300万円くらいの加賀友禅、3日に着たのは3万円で買ったポリエステル、今日のは正絹だがインクジェット印刷のようである。多分15万円くらいか。インクジェットは柄の自由度が高いのはいいが、どうしても手描きや型押しに比べて深みに欠け、平面的な印象になりがちである。
 
私が小風の着付けをしていると眺めていた三島さんが
「なんか手際がいいね」
と言う。
 
「私、小さい頃から民謡をしていたから、もう手が着付けの手順を覚えているんですよ」
と私は答える。
 
「でも男の子に女の子の着付けをさせてもいいのかと一瞬迷ったんだけどね」
などと三島さんは小声で言う。
 
「あ、大丈夫ですよ。仲良しだし」
と小風。
「うん。12月16-17日の騒動でお互い何のわだかまりも無くなっちゃったしね」
と私。
 
「お風呂にも一緒に入った仲だから今更触られるのは平気」
と小風。
 
私は何となく聞き流したのだが、三島さんがピクリとする。
 
「まさか小風ちゃんと蘭子ちゃん、恋愛関係にあるの?」
「へ?」
「だってお風呂に一緒に入るって・・・・」
 
「銭湯ですよぉ!」
と私は言う。
 
「なんだ!びっくりした!」
と三島さん。
 
しかし三島さんは更に悩むようにして言った。
 
「それって・・・男湯?女湯?」
 
「私が男湯に入る訳ありません」
と小風。
 
「だったら蘭子ちゃん、女湯に入ったの?」
と三島さん。
 
「私、男湯には入れないですよー」
 
「あんた手術終わってるんだっけ?」
「私、まだ身体にメスを入れられたことはありません」
 
小風は笑っていたが、三島さんはかなり悩んでいた。
 

KARIONのデビュー記者会見の翌5日、私は関東ドームに出かけた。
 
明日1月6日、ドリームボーイズの初めてのドーム公演がここで行われるのである。蔵田さんはドームみたいな巨大会場でライブをやる自信は無いと言っていたのだが、レコード会社が積極的で、うまく乗せられてしまった。実際、チケットは半日でソールドアウトしている。
 
「すっごく広いですね」
「これ生の声ではとても届きませんね」
「まあPA無いと無理だよな」
「スピーカーはちゃんと遅延付きで流すから」
 
こういう巨大会場の音響は、直接響く音とスピーカーから流れる音の時間差が問題になる。関東ドームでは外野のセンターフェンス近くに設置するステージから、スタンドのいちばん奥の席までは200mほどの距離がある。この距離を音が伝わると0.6秒ほど掛かるので、スピーカーからそのまま音を流すと時間差で音が二重に聞こえてしまう。それで場内各所に設置するサブスピーカーは各々、ステージからの距離に応じた遅延を入れるのである。
 
もっともそれでも席によっては複数のサブスピーカーとの距離の関係でどうしても二重に聞こえる所も発生する。そのような場所をいかに減らすかが音響技術者の「お仕事」である。
 

「あ、それで明日のダンサーの衣装だけど、素敵なものを用意したから」
と蔵田さんが言う。
 
ダンサーの私たちはみんな一様に、いや〜な顔をした。ドリームボーイズのダンサー衣装は毎回ひどいのが多い。
 
夏の横浜エリーナでの公演では「大根」であった。以前バナナというのもあったし、携帯電話とか定規とか、おちんちん!というのまであった。但し、このおちんちんの衣装はさすがに社長がダメ出しをして本番前に急遽「毛筆の筆」に改造した。
 
「正月からしけた顔してどうした?今回は振袖だよ」
 
私たちは顔を見合わせた。
 
「フルーツソーダ?」
 
「どうしたらそう聞こえるんだよ?和服の振袖だよ」
 
「これって夢かしら?」
「そんなまともな服で踊れるなんて」
「天変地異の前触れかも」
 
「何言ってんだ?お正月だし、初ドーム公演だし。まあそれで俺たちもダンスチームも全員振袖を着ようと」
 
「ちょっと待って」
 
「私たちはいいけど、孝治たちも振袖な訳〜?」
と樹梨菜さん。
 
「そうそう。俺たちは青い振袖、おまえたちは赤い振袖な」
「なぜ男が振袖を着る?」
「だって正月だし、めでたいし」
 
「あんたたち変態?」
と樹梨菜さん。私も一瞬思ったが、さすがに言えなかった。樹梨菜さんは容赦無い。
 
「俺は変態と言われることには慣れている」
と蔵田さんは開き直って言っていた。
 

実際には今回の衣装は「着ると振袖に見える」服で、実際にはファスナー1本締めるだけで着られる服である。
 
「これ楽でいいなあ。これライブの後もらえないかな?それで来週の成人式に着てったりして」
などと竹下ビビが言ってる。
 
「振袖用意してないの?」
と鮎川ゆまが尋ねる。
 
「レンタルするにも高いでしょ? 私貧乏だし。ゆまさんは成人式、何着たんですか?」
「私は行ってない。成人式の日はライブやってた」
「なるほどー」
 
「樹梨菜さんは去年でしたよね。成人式どうしました?」
「行ったよ。背広着てネクタイ締めて行ってきた」
「さすが!」
「そうか。樹梨菜さんは振袖ではないか」
 
「ビビさん、もし私の振袖でも良かったら貸しましょうか? 私は民謡やってるから振袖は何着も持ってるので」
と私は言う。
 
「ほんと?」
「伴奏の仕事が入ってるから、着付けまではしてあげられないけど」
「わあ。じゃ借りちゃおうかな。着付けは今から頼めば何とかなるかも」
「だったら明日持って来ますよ」
「サンキュ、サンキュ」
 

それでこの日はこの服を着て1曲だけ踊ったが、汗がしみると洗濯不能な服ということだったので(洗うとパーツの位置がずれてしまい修復には作るのと同様の手間が掛かるらしい)、後は適当なダンス衣装に着替えてリハーサルをした。しかし元々プライベートには女装することもあるという蔵田さんの振袖はまだ良かったのだが、大守さんや滝口さんの振袖姿は笑いをこらえるのが大変だった。本人たちも嫌そうにしていた。
 
翌日の本番の日は私はビビさんに貸す振袖(型押しだがわりときれいな柄のもの)と帯を持って関東ドームに行き、ドリームボーイズの公演をした。観客席からもメンバーの振袖姿に大爆笑が起きていた。
 

翌日1月7日(月)はもう学校が始まる。
 
私はいつものように男子制服を着て学校に出て行ったが、冬休み期間中は男物を一度も着なかったので、朝男子制服に袖を通すとき、物凄い心理的な抵抗があった。
 
たまらず一度女子制服を着てしまう。それで鏡に映したりして「自分が女であること」を確認したものの、やはりこれで出て行く訳にはいかないよなあと思い、再び男子制服に着替えてため息をついた。
 
それで学校に行き、始業式に出たあと教室に戻り、窓際に立って少しボーっとしていたら同じクラスの仁恵が、いきなり後ろから抱きついてきた。
 
「きゃっ」
と思わず《地声》で悲鳴をあげてから、
「びっくりしたぁ。何よ?何?」
と《学校用の声》で言う。
 
「今女の子の声で悲鳴あげた」
「え?気のせいじゃないかなあ」
「ふふふ。それにブラジャーしてる」
と小さな声で指摘する。
 
「ちょっと着けてみただけ。変態でごめん」
「冬、女の子がブラジャー着けるのは普通なんだよ」
と仁恵は言う。
 

「お正月、どこか行った?」
と私は話題を変えて言う。
 
「どこにも。寝正月してたから、今朝制服のスカートがきつかった」
「ああ。スカートのウェストって調整できないから辛いよね」
「男子はベルトである程度の調整がきくのにね」
 
と言ってから仁恵は私のウェストに触る。
「結構ウェストが余ってるのをベルトで締めてるな」
と言う。
「お正月、なんだか忙しかったし」
 
「このズボン、ウェストいくら?」
「64だけど」
「そんなサイズってあるの!? あ、これ凄いタック入ってるね」
「自分で改造した」
「そうか!冬って裁縫得意だもんね」
「うん。家族分のパジャマ、ボクが縫ってるし」
「あ、そんなことも言ってたね!」
「いい奥さんになれると言われる」
「そういう話を自己申告するのはよいことだ」
 

「でもウェストが細いと、和服着る時は補正が大変なんだよねー」
 
「ああ。私、このお正月、振袖着せてもらったんだけど、あまり補正が要らなくてよいとか言われた」
「伝統的日本人的な体型なんだよ」
「物は言いようだな」
 
と言ってから仁恵は「あれ?」という顔をする。
 
「男の人も和服着る時は補正でタオル入れたりするんだっけ?」
「ウェストの細い人は補正する時もあるみたいだよ」
「へー、そういうものか」
 
と仁恵は言ったものの、また何か考えている。
 
「補正する時もあるみたいだよ、って冬も補正したんだよね?」
「あ、うん。補正用のタオル縫い付けたのをいくつか作ってる。ボク民謡をやるから、しばしば着物着るから」
「ああ、なるほど!」
 
と仁恵は頷く。
 
「でも民謡の時ってどんなの着るの?」
「民謡やる人はステージではみんな振袖着るんだよねー。未婚既婚関係無し。60歳でも70歳でも振袖着てる。振袖って映えるからね」
 
「男の人も振袖着るの!?」
「え!? あ、男の人はどんなの着るっけ? えっと、羽二重とか夏なら絽とかの長着に袴・・・じゃないかな?」
 
「なんか不確かな感じ」
「いや、男の人の着物ってあまり観察したことがないもんだから」
 
「観察したことが無いって、自分でも着てるんだよね?」
「あ、えっと・・・・」
 
仁恵は顔をしかめて言う。
「ねえ、冬、もしかして冬は振袖とかを着るんだっけ?」
「え〜?まさか」
 
「なんか怪しいな」
 

しばらく仁恵とふたりで話してたら、紀美香がやってきて言う。
 
「おふたりさん、新春からお熱いところちょっとごめん」
「別に熱くない」
「冬が女の子に恋愛感情持つ訳無いじゃん」
「あ、そうだったね。それでさ、放課後茶道部で初釜やるんだけど、今出席者が5人しか居なくてさ。寂しいからちょっと顔貸してくれない?お菓子代とかは部費で出すから参加費要らないから」
と紀美香。
 
「うん、いいよ」
と仁恵が答える。
 
「冬もいい?」
「まあお茶会くらいなら」
 
「今日はお正月だから、みんな和服を着るのよ。服は用意しているし、先生と部長が着付けできるから」
「了解〜」
 
 
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【夏の日の想い出・振袖の日】(1)