【春気】(4)

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更に岩田氏は重要な助言をした。
 
「550mも滑走したらかなりスピードが出る。それで転倒すると初心者は死ぬかも。だから途中に踊り場を作って一度に滑る高さは150mくらいにしようよ」
 
「ああ、それはいいかも。いっそ50mおきくらいに踊り場つけますか?」
「それはさすがに緩すぎるかな。550mの途中に2ヶ所くらいフラットな所があればいいと思う」
「そのくらいがいいかもですね。全部傾斜は同じでいいんですか?」
「2ヶ所フラットエリア作るんなら、3つの斜面で少しずつ角度変えた方がいいと思う」
 
「下に行くほど急傾斜?」
「あんた、死人を出したいの?」
「上から12度、10度、8度くらい?」
 
「8度は緩すぎるよ。上級者のためにも18度、15度、10度くらいではどうかね?」
 
この件は岩田さんが何人かの友人に電話して意見を聞いたところ、上から15度,12度,10度にしようということになった。
 

千里は岩田さんと4時間くらい打ち合わせしていたのだが、岩田さんは3時間くらい経った頃、唐突にこんなことを言い出した。
 
「千里ちゃん、客の怪我をかなり心配しているみたいだけど、怪我しないサマーゲレンデとしては砂スキーなんてのもあるよ」
 
「砂の上で滑るんですか?」
「鳥取砂丘とか、あと伊豆に1つサンドスキー場がある」
「面白そうですね」
 
「砂の上で転んでもあまり大した怪我はしない。ただ、どうしても砂まみれになるし、しっかりゴーグルつけてないと目を痛める」
 
「プラスチックの上で転んで病院送りになるよりマシな気がします」
 
「ただ砂の上ってあまり滑らないから、特殊なスキー板に特殊なワックスを使う必要がある」
 
「そのあたり監修してもらえませんか?岩田さんご自身あるいは誰か他の詳しい方でもいいですが」
 
「じゃ僕の友だちで伊豆でたくさん滑ってるやつがいるから監修させるよ」
「助かります」
 
そういう訳でここのスキー場は夏は砂を敷いて砂スキーをすることにしたのである(正確には冬は砂の上にビニールシート・スノーエースを敷いた上でその上に雪が積もるのを待つが雪がなくてもスノーエースで滑られる。ただし危険なので雪が充分積もるまでは上級者以外15度斜面のみ開放)。
 
この場合、プラスノーと違って砂は緩傾斜ではほとんど滑らないので傾斜をプラスノーで計画した15, 12, 10度ではなく、30, 22, 15度にすることにした。雪の場合もこの方が良い。結果的にゲレンデ下に作り込む施設の中身もかなり変更することになるが、これは再度千里・若葉および市のスポーツ課長さんと一緒に詰めることにした。
 

「何なら端の方にもっと急傾斜のコース作ります?」
 
「それ講習会開いて、技術をチェックして許可証を発行した人だけの専用にしよう。でないと容易に天国に到達するコースになるかも。もっとも僕は女の子に天国へ行かせてほしいけど。そういう所は作ってくれないよね?凝った所をもみほぐしてウミを出して柔らかくしてくれる場所とか」
 
「ウミが出るとしたら病気ですよ。ウミが出る元を手術して取りましょう」
「あまり取られたくないなあ」
 
「そういうお店は別の地域に自主設立でよろしく。手術室付きで。岩田さん、その手術が終わったら、更に男性を天国へ行かせてあげる係になれるよう身体の改造してあげましょうか?」
 
「あんたマジでやりそうな感じで怖いね」
「ボールを除去した上で、ポールをホールに改造するだけですよ」
「やはりあんたダジャレのセンスが悪いよ」
 

京平を引き取ることになった千里(千里4)は、経堂のアパートに、子供を3人置くのは無理だと言って、引越を桃香に提案した。
 
「男の子と女の子は同じ部屋に置けないしさ」
「面倒くさいな。京平君、性転換しちゃったらダメ?」
「だめ」
 
それで探していたところ、浦和駅からすぐの場所に3DK 10万円という超格安マンションがあったので、そこに引っ越すことにした。3DKあれば、男の子の京平で1部屋、女の子の早月と由美で1部屋、そして桃香が千里(実は千里1)とナイトライフを楽しめる部屋と設定できることになる。
 
経堂のアパートからの引越は2月4日(火)におこなったが、千里はどさくさに紛れて川崎のマンションの荷物の大半もここに移動し、川崎のマンションは解約してしまった。音楽制作などの荷物は“板橋ラボ”に移動した。あそこはバスケット練習の音が外に響かないように防音で作られているので、作曲の作業をするのにも好都合なのである。板橋ラボは千里以外に富山の“ドッペルゲンガー少女”ハルとアキも練習に使用するが、お互いに楽器の音・ボールの音は気にならない。
 
川崎のマンションはレッドインパルスの練習場所への通勤には便利なのだが、家賃が高い(16万円)のもあり、適当なタイミングで退去しようと思っていた。川崎へはバイク(バスケの影絵シールが貼られたKawasaki ZZR-1400)で通勤することにした。板橋ラボからは30分、浦和のマンションからは45分くらいで到達できる。疲れている時は誰かにアテンザを運転させて後部座席で寝ていくこともできるだろう。
 

この浦和のマンションの近くには駐車場を3枠借りている。ミラ、アテンザ用と予備だが、子供が3人もいるとアテンザでは(チャイルドシートが2つしか設置できないので)乗り切れないということになり、2月7日(金)に千里は、若葉などの推薦でセレナを買い、最近かなり調子が悪くなっていたミラは中古車買取店に売却した(*2).
 
セレナだとチャイルドシートを4つ設置できる。今子供が3人なのに4つ設置できる車を買ったのは、もちろんあと1人、緩菜を乗せるためである。ただし子供を4人乗せると、それ以外におとなは2人しか乗れないので貴司は1人別の車で移動しなければならない!!
 
なお、雨宮先生が“アクアのアクア”を放置したのはこのマンションではなく、(貴司・緩菜とも同居するために)更に2020年12月に引っ越した同市内の一戸建て(4LDK2S 建坪27坪 土地52坪)の前である。千里はこの一戸建てと隣接していたボロ家付き21坪の土地(8m×9m)を2000万円で購入し、家は崩して6台駐められるピット付き三段式ガレージ(6m×7m)を建てた。それでアクアのNo.9の車体はここに収納されることになる。
 
(アテンザ・セレナ・アクア・プラドを駐めて2台は来客用。通常4台の車は全部地下ピットに入れておき三段式の最上階が地上に出ているようにする)
 

(*2)売却したミラは多分部品取り用になるかと思ったら、眷属たちによると整備した上で中古車屋さんで2万円で売られていたらしい!このミラは元々2013年に3万円で買ったものである!走行距離は千里が売却した時点で40万kmを越えていて走る奇跡である。眷属たちによると超格安なので70代の女性が買ったらしいが、車と一緒に天国まで疾走しないか、少し心配である。
 

さて、千里たちが浦和のマンションに引っ越した翌日2月5日(水)、阿倍子が京平を伴って浦和までやってきた。そして1日千里や早月たち4人と一緒に、よみうりランドで遊んだ上で、阿倍子は京平を置いて大阪に帰っていった(神戸の実家には戻らず、そのまま晴安の家に入る)。
 
阿倍子と晴安は2月10日(月・大安)に、大阪で結婚式を挙げた。千里はむろん結婚式自体には出席しなかったものの、京平に阿倍子の花嫁姿を見せるために一緒に大阪に赴いた。結局花嫁のドレスの裙を持つ役を賢太と京平がしたのだが、ふたりはその役目が終わった後、またロビーで喧嘩していた!京平はあまり他人と対立するタイプではないのだが、賢太とはマジで相性が悪いようだ。
 
千里は阿倍子の母・保子に浦和の新しい住所を書いたはがき(移転通知に友人たちにたくさん配ったもの)を1枚渡して、いつでも京平に会いに来て下さいねと言っておいたのだが、保子は結婚式が終わるとすぐ名古屋の病院に戻り、浦和に来ることは無かった。
 

季里子は昨年10月下旬に千葉地方を襲った大雨で自宅が鉄砲水により破壊される被害に遭った。取り敢えず一家(両親・季里子と2人の娘。ついでに元夫の夏樹)で世田谷区にある桃香のアパートに居候させてもらい、11/11に夏樹は都内江東区にアパート(1K)を見つけて転出した。
 
季里子たちの住まいについては、母に子供たちを見てもらっていて、季里子自身が頑張って探したところ、11月18日(月)になって2DKのアパートが東京北区に見つかり少し家賃は高かったがこの際やむを得ないので契約した。引越は、ずっと桃香に迷惑掛けているというのもあったので、できるだけ早い内にということで、11月23日(祝)におこなった。引越では桃香も手伝ってくれた。
 
水害の跡だが、まず水害にあった近所の人たちみんなで、土地の境界の確定作業を11月上旬に行った。境界標がほとんど残っていたこともあり、大きな揉め事もなく境界は確定する。
 
大きな岩や瓦礫などの片付けは市(国?)でやってくれたので、季里子たちは細かなゴミの類いを近所の人たち共同で土建屋さんに依頼して処理してもらった。その後、家の再建問題となる。
 
ご近所の中には再建費用が無いということで、土地の売却を考えるという人もあったが、季里子の家は幸いにも火災保険の水災特約をしていたおかげで2000万円の保険金が下りて、これを元に再建することにする。
 
大手ハウスメーカーと契約してヘーベルハウスで建てることにしたが、さすが大手である。何の特殊な要望も出さずメーカーの標準の仕様でよいことにしたのもあり、12月着工と言われた。完成は5月の予定である。その間は東京都内から千葉市の勤務先まで電車で通勤することにしたが、乗り換え・乗り換えで1時間半かかるので大変だった。
 
夏樹のほうは火災保険とかは全く入っていなかったし、賃貸住宅に住んでいたので、雀の涙のような見舞金をもらっただけで、生活に必要なものも買えない状況だった。桃香のアパートに居候している間に、着替えなどの購入は季里子が自分のカードで買ってあげたし(ただし全て女物)、アパートを借りて独立する際は敷金などは季里子の父が出してあげた。その他当座に必要なものの購入費として桃香が夏樹に「出世払い」と言って100万円、借用証書も取らずに貸してあげた(多分本当は千里さんが出してくれたのだと思う)ので、それで洗濯機・冷蔵庫・こたつ・コンロなど、最低限のものを買ったようである。
 

桃香は相変わらず季里子と千里さんの二股生活をしているが、次から次へと浮気されるよりはマシだし、千里さん側はどうも他にも恋人がいるようなので、その内こちらに落ち着いてくれないかなと半ば達観している状況である。桃香はたまに更に別の恋人を作る場合もあるが、昨年のマヤちゃんについては季里子と千里の暗黙の共闘により排除した。あの件は桃香も謝っていた。
 
北区のアパートを借りた後も、桃香はだいたい毎日午前中に2人の子供(早月・由美)を連れてアパートにやってきて、子供たちは適当に遊ばせておき(季里子の娘たちと4人で遊んでいる)、季里子とイチャイチャしたりしながら昼間は過ごし、夕方、御飯を食べてから世田谷区の自分のアパートに帰っていく生活をしていた。どうも夜は千里さんと過ごしているようだ。
 
季里子には来紗と伊鈴の養育費と称して毎月5万円くれている。むろん全然足りないのだが、桃香が貧乏なのは分かっているので、取り敢えずそれでいいことにしている。
 
「桃香、実際問題として、他にも子供いるの?早月ちゃん・由美ちゃん以外で」
と一度訊いてみたこともある。
 
友人たちの噂では桃香はあちこちの女に産ませた?子供が沢山いて、その養育費の支払いで貧乏なのだともいう。
 
「季里子だから言うけど、実はあと2人だけいる。九州に住んでいるんだよ」
「その子たちにも養育費送ってるんだ?」
「それは要らないと言われた。向こうはお金持ちなんだよ」
「ああ、そういう相手は助かるかもね」
 
「子種が欲しかったからセックスしただけと言われた。実はその子とは付き合っていたわけではなく、数回寝ただけだったから、子供が2人もできていたとかなり後から聞いてびっくりしたんだよ」
 
やはり桃香って精子あるよね?などと季里子はその話を聞いて思う。
 
「子種が欲しかったのなら自分の排卵期に合わせて桃香を誘惑したのでは?」
「たぶんそうだと思う」
 
「桃香そのパターンで、自分でも知らない子供が他にも居るのでは?」
「そう言われると自信が無い」
 

12月17日の新自宅再建の地鎮祭には桃香も出てくれたが、その直後
「実家から呼ばれた」
と言って、高岡に行ったまま、なかなか戻って来ない。千里さんと一緒に行ったみたいだから、しばらく向こうで2人で過ごすつもりだろうかと思っていたら、1月5日夕方に唐突に戻って来た。中田屋のきんつば(金鍔)をお土産と言って出す。これは過去にも何度かもらったが、凄く美味しいきんつばである。
 
「向こうの用事は済んだの?」
「妹の青葉がテレビ局に就職したらさ、新人の御自宅紹介なんて番組やるとかで、とてもじゃないけど現状の自宅はテレビに映せないと言って、大掃除に呼ばれたんだよ。ついそのまま向こうに長居してしまった。ごめんな」
 
「テレビ局に就職するのも大変ね!」
 
それで桃香はしばらく、北区のアパートに居着いて、来紗・伊鈴と遊んでくれていた。
「早月ちゃんたちは?」
「しばらく実家のほうに置いておく」
「ああ、その方が御飯をもらいそこねることもなくていいかもね」
「面目ない」
 
季里子が桃香のアパートに行ったら、早月が
「きーママぁ、おなかペコペコォ!」
と泣き顔で訴えてきたこともある。桃香はその時は浮気相手の女の子(マヤ)の家に泊まり込んでいて、早月たちの食事は忘れられていたらしい。
 
千里さんが寄ってくれていれば何とかなったのだろうが、千里さんは千葉の義母宅に行ったり仕事であちこち出張したりで忙しそうである。
 

しかし1月5日に高岡から戻って来た後は、桃香はずっと季里子の家に居てくれて、季里子の両親からも、ほぼ婿として受け入れられ、季里子はしばし幸せな気分で過ごしていた。
 
1月11-13日の連休、桃香は
「学習塾の高校受験直前講座の助手のバイトすることになった」
 
と言って、3日間、季里子が作ってあげたお弁当を持って、季里子が見立ててあげたパンツスーツを着て、船橋市の講義会場(廃校になった女子高の校舎)に出かけて行った。
 
スカートスーツではなくパンツスーツにしたのは、教師とか講師という職業はパンツでの勤務がわりと許容されやすいのと、桃香にスカートを穿かせると女装男にしか見えないので、いっそパンツなら最初から性別を誤解されずに!?普通に男と思われて!問題が少ない気がしたからである。実際、桃香は女性講師として勤務しているのか男性講師として勤務しているのか微妙な気もした。
 
「元々が女子高だからさ、トイレも女子トイレしか無いんだよ。男子生徒にも女子トイレ使わせているけど、やりにくいとこぼしていた。トイレには男女混合の列ができている」
「じゃ桃香も女子トイレ使うんだ?」
「男子トイレが存在しないし」
 
男子トイレがあったら男子トイレ使うのかな?と季里子は疑問を感じた。桃香は元々男子トイレを使うのは平気だし、立っておしっこができる。むしろ女子トイレに入るとしばしば悲鳴をあげられる。
 
更に桃香は1月18-19日のセンター試験で試験監督のバイトをすることになったということで事前説明の17日も含めて3日間でかけていった。先日の学習塾からの紹介らしい。
 
桃香は試験最終日の夕方、1月19日には
 
「これこないだのも含めてもらったお給料」
 
と言って、8万円の入った封筒をそのまま季里子に渡してくれた。そして
「この後も週に3日、土日水に中学生の英語・数学と小学生の理科を教えに行くことになった」
と言った。
 
勤務先は集中講義をした女子校の廃校とは別の場所だが、やはり船橋市内である。潰れたゲームセンターのビルをパーティションで区切って教室を作っているらしい。学習塾にしては外見が派手だし、天井が高すぎて落ち着かないので吊り天井を付けていると言っていた。
 
「桃香、英語はうまいし、数学は専門だもんね」
 

桃香は洋楽が好きなので、しばしばアヴリル・ラヴィーンとかカーリー・レイ・ジェプセンとかのナンバーを英語のまま口ずさんでいる。発音もきれいだ。取り敢えず音程は気にしないことにしている!
 
「うん。一応英検準一級と数学の高校教諭専修免許持ってるから」
「桃香、大学出た後、変な企業に入らずに学校の先生になればよかったのに」
「教員採用試験は、私みたいな変な女には難しい」
「ああ、それはあるかもね」
 
と言いつつ、変な女という自覚はあるんだなと季里子は思った。いや、むしろ桃香は「変な男」に分類されやすいかもね、という気もした。やはり塾では男性講師ということになっている気がしてきた。だいたい学校を出てから就職した企業では最初の数ヶ月は“女になりたい男”と思われていたらしい。(それでスカート勤務と女子トイレ使用も“容認”されていた)
 
「でもずっと早月ちゃんたちは高岡?」
「うん。取り敢えず向こうで母ちゃんに面倒見ておいてもらう」
「まあ子供4人いた時は、うちの母ちゃんもパニックだったしね」
 
(昨年4月に千里が10日ほど旅に出た時は季里子の家に早月・由美がいて、来紗・伊鈴とあわせて4人の女の子たちの面倒を日中見ることになった母は“保母さんの気分”だったらしい)
 

1月下旬、季里子は夏樹から呼び出されて、新宿のカフェで会った。
 
「ボクさ、法律上の性別を女性に訂正してもいい?」
「夏樹、実際もう女の身体になっているんでしょう?そしたら戸籍上の性別もちゃんとそれに合わせたほうがいいと思うよ」
 
夏樹にちんちんがもう無いことは桃香のアパートでの同居中に“夜這い”を掛けて確認している(大勢居るのでセックスは自粛した−というより実は夏樹とは法律上の夫婦であったにも関わらず一度もセックスしたことがない)。
 
「いやそのボクが法的に女になってしまったら、季里子ちゃんとはもう婚姻関係を作れないからさ。念のため訊いておこうと思って」
「ごめん。私は夏樹と再婚するつもりはないから」
 
元々子供を作るためだけに結婚したのであって、愛情があった訳ではない。友情くらいはあったけどね。季里子は男性を愛せない。男に触られるのも嫌なのだが、夏樹はあまり男っぽくないのでキスくらいまでは許容していた。子供も人工授精で作ったもので、性行為はしていない。
 
「分かった。ごめんね。変なこと聞いて。でも一応確認してからにしようと思って」
「うん。女として頑張って生きてね」
と言ってから季里子は“そのこと”に気づいた。
 

「待って。夏樹、来紗と伊鈴がいるから、あの子たちが成人するまでは性別の変更はできないのでは?」
 
「それは性同一性障害のケースの特例法による性別の取り扱い変更でしょ?ボクがしようと思っているのは、半陰陽のケースでの性別の訂正なんだよ」
 
「夏樹、半陰陽なんだっけ?」
「病院で、そういう診断書をもらった。半陰陽だが、実質女だという診断書。女性としての生殖機能もあると診断してもらっている。これを元に性別の訂正を裁判所に申し立てる」
 
「夏樹が半陰陽だったなんて知らなかった」
「実は去年の秋に急に身体に変調が起きてさ。女の身体に変わってしまったんだよ。噂によると、こういう事例が一昨年頃から多発してるらしい」
 
「そんなのがあるんだ?」
「ボクは今、完全に女性なんだよ。ヴァギナはもちろん、子宮や卵巣もあるし、毎月生理がきてる」
「それでナプキン買ってたのか」
「身体が変化してから、実は女の声が凄く出しやすくなって、男の声は出しにくくなった。もう出してないけどね。会社でもこの声でやってるし」
「うん。女の声の出し方、うまくなったなと思った」
 
「だから性別は最初から女だったということにして性別を修正してもらう」
「子供がいても構わないわけ?」
「特に要件には無いから問題無いと思うけどな。ひょっとしたら来紗と伊鈴の父であるという記録を抹消されるかも知れないけど」
「それは構わない。あの子たちの父親は桃香だと私は思っているから」
「うん、それでいい」
 

季里子は少し考えてから言った。
 
「だけど、モニカちゃん、女の子になるのなら“ボク”はやめなよ。“私”って言いなよ」
「ふつうに人前では“私”って言ってるけど、身内の前では、“ボク”と言う方が楽なんだよ。“私”と言う時は喉のつっかえを強行突破して発音する感じで」
 
「心の性転換が必要だな。少女コミックどさっと送りつけるから読んでごらんよ」
「それは読んでみようかな」
 
「会社はどうするの?」
「今実質ほとんど女性社員になっちゃってるんだよ。スカートで通勤して女子更衣室に女子トイレ使っているし。女の声が出るから電話応対とかもしてるし。戸籍の訂正が終わったら、その戸籍個人事項証明書を提示して、会社の性別登録を変更して、正式に女性社員にしてもらうつもり。上司からも戸籍が変更されたら会社の登録は変更してもいいと言ってもらった。そしたら女子制服を着てもいいと言われてる」
 
「まさか今は男子制服着てるの?」
「そうだけど」
「女子更衣室使ってると言わなかった?」
「だから女子更衣室で男子制服に着替える」
 
「無理があるなあ。バスト入らないのでは?」
「ひとつ上のサイズを支給してもらった」
 
「ふーん。でもそうか。OLになるのか。おめでとう」
「OL?」
「だって、女性の会社員はOLだよ」
「ボ、ボクがOLなの?」
と言って夏樹が狼狽しているので、ほんとこの子には“心の女性化教育”が必要だなと季里子は思った。
 

「気球に乗って5日間ですか?」
とアクアは驚くように声をあげた。
 
「ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)の初期の作品に『気球に乗って5週間(Cinq Semaines en ballon)』というのがあるんだよ。実はこの作品でヴェルヌはブレイクしたんだけどね」
「へー」
 
「それを5週間もやってられないから5日間にしようという訳」
「それで熱気球の免許を取ってということだったんですね」
 
「実際の熱気球の操作は世界的にも有名なブラジルのバルーンニストであるリョーマ・ケルナーさんがするんだけど、上空で万一トラブルがあって、ケルナーさんが操作できなくなった時に他に操作できる人がいないとまずいから免許を取ってもらったんだよ」
 
「そういうことなんですか。済みません、ケルナーさんって有名な方なんですか?」
「気球でアマゾン横断に始まって、大西洋横断、サハラ砂漠横断とかも成功させているよ」
「凄い人なんですね!」
「基本的には彼があっての企画。それで彼と、アクアちゃんと、ドイツ人俳優のミハエル・クラインシュミット君の3人がトリプル主演になる。ミハエル・クラインシュミットは知ってる?」
 

「こないだ写真集撮影でドイツに行った時、彼と偶然遭遇しました!」
「ホント?それは凄い!」
「並んで写真も撮ったんですよ」
「おお!」
 
「あの写真、どこかにありましたっけ?」
とアクアはコスモス社長を振り返って尋ねる。
 
「あるよ」
と言ってコスモスはパソコンを取り出すと、その中に保存している、ノイシュヴァンシュタイン城前で、騎士姿のミハエルとお姫様姿のアクアが並んでいる写真を大曽根部長に見せた。
 
「・・・・・」
 
「あのぉ、何か?」
「なんでアクアちゃん、お姫様の格好なの?」
「私、不本意なんですけど、騎士の格好とお姫様の格好の両方させられて撮影したんですよ」
などとアクアは言っているが、コスモスは“不本意”は嘘だろ?お姫様の衣装つけて嬉しそうにしてた癖にと思っている。
 
「ああ、確かに君が女の子の格好している所の写真を入れないとファンが文句言いそうだ」
と大曽根部長は言ってから、ふと思いついたように
「ちょっと待ってて」
と言って、どこかに電話を入れる。
 
ドイツ語で話しているようだ。アクアには内容が分からないが、コスモスは大曽根さんの言葉を聞きながら頷いているので、内容が分かるのだろう。11月のドイツ遠征の時も、コスモスは結構ドイツ語で現地スタッフさんと話していた。
 
10分ほどの会話で電話を終える。
 
「企画変更」
と部長は言う。
 
「あのぉ、まさか私、女の子役をしろとか?」
 
「安心して。男の子役だから」
「良かった」
「でも女の子役もして」
 
「え〜〜〜!?」
 

ここでまず『気球に乗って5週間』の原作のあらすじを紹介するが、その前に前提となるナイルの源流論争について説明しておく。
 
この作品は1863年に発表されたのだが、当時実はナイル川の水源について論争が行われていた。イギリスの探検家 ジョン・ハニング・スピークはナイルの水源を探索していて1858年8月3日に巨大な湖(ニアンザ湖)を“発見”し、ヴィクトリア女王(在位1837-1901)にちなんでヴィクトリア湖と“命名”した。
 
(現地の住人に教えてもらって到達したのを“発見”というのなら、私だって琵琶湖の“発見者”になれる)
 
彼はこれがナイル(正確には白ナイル)の水源だと考えたが、彼はこの時、この湖から流出する川を確認できなかった。一方彼と途中まで行動を共にしていた、リチャード・フランシス・バートンは、ふたりがニアンザ湖(ヴィクトリア湖)より先に同年2月13日に一緒に“発見”していたタンガニーカ湖(現地名ではウジジ湖)の方を水源だと考え、ふたりの間で論争が起きた。
 
論争に決着をつけるべく、スピークは再度アフリカに赴き、1862年7月28日に“ヴィクトリア湖”の北に大きな滝があり、そこから川が北に向かって流れているのを確認。これで決着がついたと考えたのだが、彼はその川が本当にナイルにつながっているのを確認した訳ではなかったので、まだ論争は続くことになる。
 
このジュール・ヴェルヌの小説はそういう時期に発表されたのである。
 
(ニアンザ湖(ヴィクトリア湖)がナイルにつながっていることが確認されたのは1875年で、アメリカ人のヘンリー・モートン・スタンリーによる。実はウジジ湖(タンガニーカ湖)はナイルとは無関係で西に流れてコンゴ川につながっている。なお、青ナイルは、エチオピアのタナ湖が水源である)
 

さて『気球に乗って五週間』のあらすじである。
 
イギリス人のサミュエル・ファーガソンは、スピークが果たせなかった、ナイルの水源確認を気球を使って行おうと考えた。アフリカ東岸ザンジバル島から出発して“ニアンザ・ヴィクトリア”に到達し、そこからスピークが発見していた北側から流れ出す川に沿って北上し、確かにナイルであることが確認できる場所まで行った上で、アフリカ西岸のセネガルまで行こうという計画である。ここは貿易風が吹く緯度帯なので、偏西風が吹く日本の緯度帯とは逆に気球は東から西へ流されていく。
 
この気球“ヴィクトリア号”に乗るのは、気球制作者のファーガソンと彼の従者で肉体能力の高い(007並みの驚異的な体力!)ジョー、そしてファーガソンの友人で銃の名手でもあるディック・ケネディの3人である。
 
彼らが使用したのは水素気球で、当時このタイプの気球では、上昇する時は重りにしている土嚢(バラスト)を投げ捨て、下降する時はガスを抜くことが必要であった。そのため長時間の飛行は困難だった。しかしファーガソンは気球内の水素をバーナーで温めたりまたバーナーを停めて冷ましたりすることで(*3)土嚢を捨てなくても、自由に上昇・下降できる気球を開発したのである。これで彼は何十日にも及ぶ気球旅行ができると考えた。
 
(*3)現代人の感覚からすると水素の傍で火を焚くなんてのは、爆発させたいとしか思えない。しかし当時の読者には新鮮なアイデアと思われたであろう。
 
実はこのタイプの気球はヴェルヌより80年も前に、ピラートル・ド・ロジェ(Jean-Francois Pilatre de Rozier)というフランス人が考案しており現在では“ロジェ気球”と呼ばれている。そして現代人なら容易に想像できるように、ロジェの気球は1785年ドーバー海峡横断飛行中に爆発してロジェは同乗者とともに死亡した。
 
現代ではロジェ気球はガスを不燃性のヘリウムに変更してまた制作されるようになっている。ただしヘリウムは水素のように飛行中に生成することはできない。
 

さて、「五週間」の物語の方であるが、ファーガソンたち3人はザンジバル(*4)から西へ飛行し、無事“ニアンザ・ヴィクトリア”に到達する。
 
(*4)ザンジバルはアフリカ東岸の国でザンジバル島と対岸の地域から成る。クィーンのフレディ・マーキュリーの出身地。現在の“タンザニア”という国名は、タンガニーカとザンジバルの鞄語。
 

一行はニアンザ湖を南西から北へ縦断し、スピークが発見した川を再発見する。そしてこの川に沿って北上し、ナイル上流を探索した探検家が残した石碑を発見。確かにこの川がナイルであることを確認できた。
 
彼らは更に西へと飛行を続けるが、途中様々な事件に出逢う。
 
現地人に捕らえられ処刑されそうになっていた宣教師を助けるが、彼はあまりにも衰弱していてすぐに死亡してしまった。
 
金鉱石がゴロゴロ転がっている場所に着地し、埋葬した宣教師の身体の重さに釣り合う分の金鉱石を気球に積むも、緊急浮上の必要が出た時に全て投げ下ろしてしまう。
 
途中で水が尽きてしまい(水は飲料水のほか、水素を発生させるのに必要)、砂漠に不時着して万事休すという所で嵐が来てギリギリで救われたり、チャド湖上空で墜落の危機に瀕した時、
「もう捨てる物がない」
と言っていたら、ジョーが
「まだあります」
と言って、自ら気球から飛び降りたり(湖の上なのでジョーは助かり、数日後に幸いにも合流する)、高い山を越える時、あと数m上昇しないと山にぶつかると言っていた時、“気球から降りて山の尾根を歩いて越え”たりする。
 
(山の気流というものを考えてない!とツッコみたい)
 

最後はあと少しでゴール地点なのに浮上できないという話になり、全ての荷物を捨てた上でとうとう水素発生装置やゴンドラまで捨て、気球に直接ぶら下がるなどということをするが、それでももう浮かべない!ということになる。すぐ近くまで“野蛮人”の集団が彼らを襲撃しようと迫ってくる。
 
ゴンドラまで捨てているので、もう万事休すと思われたのだが、ここでファーガソンは近くに生えている草を集めて、それに火を点け、空気を暖めて浮上するということをして、何とかセネガル川を越えることができた。
 
水素がなくても空気を暖めれば浮上できる、というのも当時の読者には驚きだったであろう。これは大どんでん返しなのである。
 
気球は川岸の少し手前で落下してしまい、乗員3人は徒歩で岸まで辿り着くものの気球は川に流されて行ってしまう。ジョーは
 
「可哀想なヴィクトリア号!(Pauvre Victoria !)」
 
と悲痛な声をあげたが、3人はセネガル駐留のフランス軍部隊に保護してもらい、無事帰国することになる。
 

さて今回のプロットは、アクアが演じる“人気日本人歌手”カオル・ワタナベとミハエル演じる“人気ドイツ人歌手”フランツ・ケーニヒが、ふたりとも福岡で公演をした後から始まる。翌週(2人とも)東京で公演をするのに飛行機で移動しようとしていたら、どちらもオーバーブッキングで乗れず、新幹線で移動しようとしたら大きな事故があって運休し復旧の目処が立たないというので困っていたら、リョーマ・ケルナー演じる飛行家タロウ・ベッカーが「僕のエアシップに乗ってかない?」と誘い、てっきり自家用機かと思ったカオルとフランツが同意して乗せてもらうことにすると、タロウのエアシップというのは実は気球だった!というものである。
 
それで3人は5日間かけて東京まで気球の旅をすることになる。途中ストーカーに追われていた少女歌手を助け、彼女のお父さんから御礼にともらった金の延べ棒は緊急浮上のため泣く泣く投げ捨て、バーナーが落下して不時着するが、温泉宿の主人がミハエルのファンで調理用のプロパンガスのコンロを気球用に改造して渡してくれたり、などしてなんとか東京まで辿り着く。そして何とか公演に間に合ったぁ・・・と思っていたら!
 
というものである。
 
ここで重要な設定は、カオルは日本語と英語(と中国語)が話せて、フランツは英語とドイツ語(とフランス語)が話せて、タロウはドイツ語と日本語(とポルトガル語)が話せるというものである(ブラジルには実はドイツ系の人も多い)。
 
要するに3人全員が理解できる言葉が無い!
 
それで3人がお互いの意思を伝え合うのに苦労するというのが味付けになっている。
 

さて、オリジナルのプロットは上記のようなものだったのだが、大曽根さんが女装のアクアの写真を見て、登場人物を1人増やすことにしたのである。
 
カオル・ワタナベの妹カオリ・ワタナベという日伯ハーフの少女が登場する。タロウはヨゼフ・ケーニヒと改名され日系ブラジル人ではなくドイツとブラジルのハーフと設定変更になる。それで各々が話せる(ことにする)言語はこのように変更になった
 
フランツ・ケーニヒ ドイツ語・英語・フランス語
カオル・ワタナベ 日本語・英語・中国語
カオリ・ワタナベ 日本語・ポルトガル語・スペイン語
ヨゼフ・ケーニヒ ポルトガル語・ドイツ語・グアラニー語
 
それで4人は実は兄妹という設定にする。
 
フランツとヨゼフはお父さん(ドイツ人)が同じ
ヨゼフとカオリはお母さん(ブラジル人)が同じ
カオリとカオルはお父さん(日本人)が同じ
カオルとフランツはお母さん(イギリス人)が同じ
 
という設定にした。それでフランツとカオルは英語で話せ、カオリとカオルは日本語で話せ、ヨゼフとカオリはポルトガル語で話せ、ヨゼフとフランツはドイツ語で話せるのである。
 
結局どの言語を使っても2人は分かるが2人は分からない。共通言語が無いので意思伝達が大変だというのは同じだが、3人だと2人が話している時に話が分からない1人が疎外感を感じやすいのに対して4人にすることで、2人が話している時、その言葉が分からない残りの2人は2人で話ができるので、疎外感を感じることがなく、団結力が生まれやすいという改善がされている。
 
また女の子を1人混ぜることで、特に彼女と直接話ができないフランツが悩む姿が描かれることになる。そして実はカオリと血が繋がっていないのはフランツだけなのである!
 

この映画はドイツのモンド・ブルーメ社と日本の中映の共同制作になるが、舞台が日本になることもあり、撮影は中映との関係が深い実働部隊である大和映像が担当する。監督・制作はドイツ人のクラウス・ユンケルである。助監督兼撮影は英語・ドイツ語・ポルトガル語(・日本語・スペイン語)ができる河村貞治監督が指名された。
 
実は河村は大学を出た後5年間ハリウッドの映画会社で働いていたのだが、その時ユンケルも同じ映画会社に居て、河村はユンケルの助手を何度も務めたことがあるのである。河村の合理的な撮影技法とダイナミックなフレームの取り方は当時ハリウッドで鍛えられたものである。
 
今回の企画はリョーマ・ケルナーを起用した気球旅行映画を撮りたいという所から出発しているのだが、彼が日系6世であることから日本で撮りたいという希望があり、日本の若手人気俳優であるアクアに白羽の矢が立った。そして映画の企画がドイツの映画会社を中心に進められたことから、ドイツの若手人気俳優のミハエル・クラインシュミットが起用され、日本で撮影するということでユンケル監督がハリウッド時代の後輩である河村を指名したのである。そこで最終的にモンド・ブルーメと中映の共同制作ということになった。
 
中映は5年前にも日本人の男の子がドイツに住む父親を単身で訪ねていく『ドレスデン・ドール』という美しい映画をモンド・ブルーメ社と共同制作していた(主演は実際には日独ハーフの“女の子”田中エルゼちゃん(当時9歳)で、ベルリン国際映画祭にもノミネートされた)ので、わりとスムーズに話がまとまった。今回は彼女にも今度は“性転換して女の子として”ゲスト出演してもらう話も進んでいる(田中エルゼは現在はインド!在住である)。
 

大曽根部長は言った。
 
「この映画は一応建前としては、ミハエル・クラインシュミット、アクアちゃん、リョーマ・ケルナーの3人のトリプル主演ということなんだけど、どうしても中心になるのはクラインシュミットになると思う。それでアクアちゃんが脇役扱いされて気を悪くする場面もあるかと思うんだけど、それでもやる?」
 
「全然問題ありません。クラインシュミットは世界のスターですし、私はまだまだ駆け出しです。『ほのぼの奉行所物語』でも私は脇役ですよ」
とアクアは笑顔で言った。
 
「うん、だったら問題無い」
と大曽根部長は言ったが、コスモスは
 
「クラインシュミットがヒーローで、アクアはヒロインだったりしてね」
などと突っ込む。
 
大曽根さんは笑っていたが、アクア(今日来ていたのはM)は少しだけ悩んだ。
 

映画の主な配役は撮影日時が近づく12月になって、このように決まった。
 
フランツ・ケーニヒ ミハエル・クラインシュミット
カオル・ワタナベ アクア
カオリ・ワタナベ マクラ
ヨゼフ・ケーニヒ リョーマ・ケルナー
 
カオル・カオリのボディダブル 今井葉月
フランツのマネージャー エミール・パーゼマン
カオルのマネージャー 小野寺イルザ
 
追われる少女歌手 田中エルゼ
彼女の父親 ゲオルク・オーフェルヴェック
ヤクザ 佐々木圭助・田代雅弘
仏像研究家 クルト・ジンダーマン(ドイツ)
マタギ バーナード・カーター(オーストラリア)
修験者 暁昴・獄楽(サウザンズ)
 
温泉宿の主人 ラモス・プレステス(ブラジル)
温泉宿の女将 祥田淑子
温泉宿の娘 姫路スピカ・今井葉月
 

なお“マクラ”は映画のオープニングタイトルで
 
Fünf Tage im Ballon
Cinco dias em balão
Five Days in a Baloon
気球に乗って五日間
 
という映画の題名表示の後、
 
Michael Kleinschmidt
AQUA
MAQURA
Ryoma Kellner
 
と主役4人が表示されるのだが、エンドロールの時は MAQURA という文字が、いったんバラバラになり、踊り回った後 MR AQUA と並び直すという趣向になっている。つまり MR AQUA のアナグラムだったのである。
 
なお今回のスタッフの中で“アクアの従妹のマクラ”を唯一実際に見たことのある河村助監督はアクアに「従妹のマクラちゃん、アメリカから日本に呼べない?」と打診したものの「勘弁して下さい」と言ってアクアはいったん断った。
 
しかしアクアはコスモスと相談の上、アクアたちと河村助監督のみが居る場所で他のスタッフや俳優さんが居ないところでならマクラを出してもいいと同意した。アクアとマクラ(実はアクアMとアクアF)が同時に使えると、カオルとカオリの会話シーンなどを容易に撮影できるのである。それで河村助監督はマクラちゃんの航空券代と言って、アメリカと日本の往復ファーストクラス運賃をアクアに渡してくれた。
 

撮影は1月20-25日に気球が飛ばしやすく風景が比較的日本と似ているオーストラリアで撮影し、その後、1月27日から2月3日まで日本ロケをおこなう。オーストラリアでの撮影も発生したことから、現地の協力映画会社からバーナード・カーターを推薦され、日本に定住した“外人マタギ”という役が与えられた。ドイツ人の仏像研究家なども登場し、国際色豊かである。
 
今回脚本は、ユンケル監督の友人で彼の映画の脚本を多く書いているリハルト・バウマンだが、彼は日本人を母(実は1960年代に日本で活躍した声優)に持つ。それで日本語(と英語)が分かるので、多くの俳優さんたちとスムーズにコミュニケーションが取れた。リョーマも実際には英語は分かる。彼は日本語は“覚えたい”と思っているが映画撮影時点ではまだ習得していない。なお、監督・脚本・助監督の3人は主としてドイツ語で会話している。
 

千里3は悩んだ末、アクアにも葉月が分裂していることを教えることにした。今回の映画ではそうした方が双方の負担が楽になりそうなのである。
 
それで1月下旬の平日に葉月には学校を休ませ、アクアMが仕事に行っていてFが代々木のマンションで休んでいたタイミングでアクアのマンションに2人の葉月を連れて行ったのである。
 
「うっそー!?西湖ちゃんも分裂しちゃったの?」
とアクアFは驚いていた。
 
「おかげで、最近学校の授業も頭に入るし、宿題もできるんですよ」
「それは良かった!」
 
「実際、龍ちゃんにしても西湖ちゃんにしても、とても1人では身体がもたないでしょ?」
「そうなんですよ。ホントに仕事の量が凄くて」
 
「まあ20歳くらいまでだろうけどね」
「そうかも知れない気はします」
 
それで2人の西湖とアクアFは今回の映画撮影での“入れ替わり”の基本方針を話し合ったのである。
 
「じゃ温泉で男湯に入るシーンはアクアMで。マクラが女湯に入るシーンはアクアFと西湖Fで」
 
「それだと何も問題がないですね」
「河村さんに言いなよ。女湯シーンはマクラにやらせるって」
「そのシーンはどうやって撮影するか河村さんも少し悩んでいたみたいだけど全員女の子なら全く問題無いですね」
「そうそう」
 
「それともMは女湯に入りたがるかなあ」
などとアクアFが言うが
「Mにはそういう仕事はさせないようにしていった方がいい」
と千里は助言した。
「そうですよね!あの子も男の子という自覚を持って欲しい」
とFは言っていた。
 

『気球に乗って五日間』の撮影は1月20日にオーストラリアでスタートした。
 
まずフランツとカオルが8月10日(月祝)に各々博多でライブをする場面から始まる。これは実際にはシドニーの国際コンベンションセンターで撮影された。
 
この時期、中国で新型コロナウィルスが猛威をふるっていることが報道され、他の国にも飛び火しないかと不安が高まっていた。そこで、観客であるが、オーストラリア又はニュージーランド“在住”の東アジア系の人で“昨年12月以降国外に出ていない”人を2000人以上、それ以外の人で、やはり国外に出ていない人4000人程度を希望者を募って招待し、無料公演をおこなった。
 
するとアクア、ミハエルともに世界的な人気があるので、実際には東アジア系の人3000人と、オーストラリア人・ニュージーランド人6000人の9000人程度を集めることができた。実際の撮影の時は、全員赤外線モニターで体温チェックし、咳をしている人も除外させてもらっている。パスポートで外国に出ていないことも確認させてもらう。また観客には全員マスクを配って装着してもらい、ライブは立ち上がりも声を出すのも禁止である。東アジア系の人を前方の座席に集め、オーストラリア人・ニュージーランド人は後方に座らせる。
 
むろん名前を呼ぶときは「アクア」「ミハエル」ではなく「カオル」「フランツ」である。
 
この撮影は1月25日(土)におこなっている。オーストラリアでの撮影の最終日である。映画の中では8月10日(月・山の日)に行われたという設定である。これはお盆の時期の日本の風景を描くのがひとつのテーマになっている。日本の8月の風景を描く映画を南半球で1-2月に撮影するというのは理にかなっている。
 
このライブは、なにげにアクアの初海外ライブ、ミハエルの極めてレアなライブである。ミハエルはまだブレイク前にボンのライブハウスで何度か歌ったことがあり、それ以来だったらしい。
 
観客の前で、アクアはこの撮影のためにピンポイントで呼び寄せたエレメントガードに伴奏させて1時間歌い、席をシャッフルして前列の方の人の顔の並びを変えた上で、ドイツで活動しているバンド・ラインライン(彼らもピンポイントでオーストラリアに呼んだ)の伴奏でミハエルが1時間歌った(ミハエルはCDとかは出していないものの結構歌が上手い)。その上でオーストラリア・ニュージーランドの観客へのサービスで、前方と後方を入れ替え、撮影には関係無いのだが、アクアのステージとミハエルのステージを30分ずつおこなった。その後、更に少し撮影しているのだが、これは後述する。
 

このライブの撮影が終わった後、どちらも(8月15日(土)に東京で行われるライブのために)東京に移動しなきゃという話になるが、ここで2人とも博多空港(セット)に行くと飛行機がオーバーブッキングで乗れないと言われる。GH役と通行人はオーストリア在住の東アジア系のエキストラだが、セリフを言ったのは第2カメラマンの美高鏡子である。
 
「あれ?フランツだ」
「おお、カオル、奇遇だね」
と兄弟である2人は空港のカウンター前で出逢って英語で会話する。
 
双方のマネージャーも挨拶して新幹線で移動しようと言って一緒に博多駅に行くと(ここもセット)、こちらは事故のため止まっていていつ再開するか分からない言われる。こちらも駅員役・通行人役はオーストラリア在住の東アジア系エキストラだが、セリフを言ったのは河村助監督である!
 
この駅で2人はカオリと出逢う。
 
「カオリ何やってんの?」
「あ、カオルお兄ちゃん」
と2人の会話(日本語)。ここは普通なら葉月をボディダブルにし、2度撮影して後で画像処理するのだが、今回河村助監督は葉月にカオリ役をさせて1度だけの撮影にした。
 
「大丈夫。ちゃんと合成できるから」
と役者さんやスタッフに説明していたが、実は後でアクアとマクラを使って再撮影し、その映像と繋ぎ合わせる魂胆なのである。
 
カオリを見たフランツが熱い視線を送っているが、カオリはその視線に気づかない。カオリのことは話には聞いていたものの、実際に会ったのは初めてであった。
 
そこにカオリの兄・ヨゼフがやってくる。彼はフランツの兄でもある。彼は元々カオリと博多駅で会う予定でここに来ていた。
 
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【春気】(4)