【春根】(1)
1 2 3 4 5
(C) Eriki Kawaguchi 2019-11-09/改2020-04-18
真珠(まこと)はその切株を見つめて考え込んだ。3mほど離れた所から見ているのだが、とてもこれ以上は近づけないと思った。
しかしこれは何とかしなければ。
そうは思うものの、妙案が無かった。
金沢ドイルの『霊界探訪』はこれまでこのような内容を放送してきた。
2017.08 タクシーただ乗り幽霊
2017.12 幽霊ホテル
2018.03 お墓に関する小ネタ
2018.06 食品工場の幽霊
2018.09 幽霊トンネル。みんなやられちゃいました!
2018.12 H高校七不思議
2019.03 (慈眼芳子追悼特集)
2019.04 能登半島不思議探訪
本来は6月放送予定だったものを結果的に4月に放送してしまったので、次は9月でもいいはずだが、あまり間があくのもよくないので、6月に30分版でもいいから何か放送したいということになった。しかし今年前半、青葉は世界選手権のために全く時間が取れない。そこで『霊界探訪・関東編』と称して、1月に関東某所でおこなった不思議な地震(人震?)とその原因と思われた池の中の何かの“封印”の様子を番組としてまとめた。
再度神谷内さん・幸花・カメラマンの森下、アシスタントの夏野明恵!の4人で新幹線に乗り埼玉県まで行き、現地の人のインタビュー、旅館の従業員を動員しての再現ドラマ撮影もする。また“人震”の様子は1月に撮影した映像があったので、物が揺れていないのに人が「地震だ!」と言って騒いでいる様子がしっかり映っていたし、封印作業の直後に瞬法・法験・青葉・千里・岩戸さんの5人で池を取り囲んでいる所の映像などもあったので、かなりしっかりした番組になった。またこの案件は直後に亡くなった慈眼芳子さんからの依頼であったことも説明した。
取材クルーは東京のББ寺を訪れ、瞬法さんにも取材し、色々お話を聞くこともできた。
「でしたら、この封印はまた10年後にしなければいけないんですか?」
と幸花が尋ねたが
「その予定だったのですが、不要になりました。その後、実はメンバーは伏しますが、ある人たちによって、心霊現象の“元栓”が閉められたので、ここを含めて日本全体のかなりの数の怪しい場所の封印がしっかり掛かったんですよ。だからメンテが必要だとしたら多分100年後ですね」
と瞬法さんは語った。
「そんな凄い封印ができたんですか!」
「この後はしばらく日本全国、霊現象が減るだろうね」
「だったら、うちの番組はあがったりですね」
「その時は、あんたとそちらの霊界アシスタントさんとの漫才でも放送するとか」
「マジでそうする?」
と幸花は取材用のライトを持って立っている明恵を振り返って見ると、明恵も笑って手を振っていた。
(ここで即、手を振るのはタレント性があると言われた)
そういうことで、今回の6月の放送は金沢ドイル不在のまま番組を編集したのだが、明恵は番組のアシスタントとして続投が確定した。またこの時瞬法さんから“霊界アシスタント”と命名されてしまったので、“霊界アシスタント・沢口明恵”という名前で活動することになった。
“沢口”は実は慈眼芳子の本名の苗字である。明恵にとっては曾祖母(慈眼芳子の姉)の旧姓でもある。この苗字を使うことにしたのは神谷内さんの勧めによる。神谷内さんとしては青葉が多忙になり、番組作成が困難になった場合の保険の意味合いもあるのだろうなと幸花は思っていた。
その日、龍虎は唐突に疑問を感じて、彩佳に訊いた。
「√2(ルート2:2の平方根)が無理数であることの証明ってどうやるんだったっけ?」
彩佳は一瞬考えたが、こういう証明をした。
「√2がもし有理数なら、√2 = n/m と表現できる。ここで必要なら約分することで n と m として互いに素な整数の組を選ぶことが出来る。すると√2 = n/m の両辺を2乗して 2 = n
2/ m
2となる。分母を移動させて 2 m
2= n
2となる」
「すると n
2は偶数ということになる。それなら n も偶数。なぜなら奇数は2乗しても奇数だからね。そこで n = 2k とおく。すると 2 m
2= 4 k
2。両辺を2で割ると m
2= 2 k
2. ということは m も偶数である。これは n と m が互いに素なものを選んだという仮定に反する。よって、√2は有理数ではない」
「凄い!鮮やかすぎて、欺されたような感じ」
「一種の対角線論法だよね」
龍虎の知らない言葉が出てきたが、取り敢えずいいことにする。
「この証明のミソは互いに素な整数を取ることなんだよ。互いに素な分母分子というのは要するにそういう組み合わせの代表のようなものだから、トップを叩けば全体が叩けるという論法なんだな」
「それは一般的に有効な気がする」
「あの人でもダメだったら仕方ないってのはスポーツとかでも交渉事でも社会的な現象とかでもあるよね」
「含蓄するものが大きいね、それ」
「アクアより年齢が高くて声変わりの来ていない男の子アイドルは居ない。そのアクアは自分では去勢はしていなくて単純に思春期の到来が遅れているだけだと称している。そのアクアが実は本当は去勢していたことがバレると、他のまだ声変わりしてないと自称している男の子アイドルも全員怪しいという話になる(*1)」
と横から村上香代が言った。
(*1)アクアが去勢していたのなら、アクアより年齢が高くて声変わりしていない男の子アイドルも怪しい、とするならよいが、それより年齢の低い子も怪しいとするのは、論理的に間違っている。
「何それ〜〜〜?」
と龍虎は叫ぶが
「まあ世間的な認識だね」
と彩佳まで言っている。
「今年の春も性別検査を受けさせられて確かに男の子だというのがテレビで公開されたのに」
「いや、あれは絶対何かで誤魔化している」
「弘田ルキアも女性ホルモン飲んでいたことを告白したし、アクアちゃんもそろそろちゃんと告白すべきだよなあ、実は性転換しちゃってることを」
「ボク、ホルモンなんて飲んでないし、性転換とかしてないし」
「いや女性ホルモン飲んでいるか、去勢しているか、本当は元々女の子なのか、そのどれかだと思うけどね〜」
などと香代は言っている。ちなみに香代にうかつなことを言うと2時間以内にそれが同学年の全生徒に伝わることになる。彼女は“C学園情報部・副部長”の異名を持つ。
弘田ルキアは中学3年でまだ声変わりがしていないと称していたが、昨年実は女性ホルモンで声変わりを抑えていたこと、ホルモンの効きすぎで胸が膨らみはじめたので使用を中止したことを発表。中止するとすぐに声変わりが起きて人気急落している。現在既に胸は普通の男の子のように平らに戻ったが、乳首が大きくなったのは小さくならないなどと言っていた。なお女性ホルモンを飲みはじめる前に精液は冷凍保存していたので、女性ホルモンを飲んでいた影響で勃起不全や無精子症になっても、子供は作れるらしい。
「そういえば逮捕されたレポーターのNはアクアちゃんは実は去勢しているんでしょ?とか言って、しつこく付きまとっていたんでしょ?」
「いや、あの人には参った。ホテルの部屋の押し入れに隠れていたんだよ」
「犯罪じゃん!」
「だからうちの事務所で告訴したら、あちこちの事務所からも告訴されてるね。あまりにも余罪が多すぎて、なかなか裁判に進まないみたいで」
「でもいちばんびっくりしたのが男だったってこと」
「うん。あれは本当にびっくりした!ほんとに人の性別は分からないね」
「龍ちゃんも今日みたいにスカート穿いてると性別が分からないというか、ふつうに女の子と思われるよね」
「ボク、別にスカート穿いても女装している訳ではないよ」
「まあ龍ちゃんの感覚ではそうだよね」
「まあ龍のふつうの服装だよね」
西湖はその日生物の授業を受けていた。
「植物の構造は、大きく分けて主として地上にできる茎および葉と、地下にできる根(ね)に分けることができる。茎と葉はある意味一続きのものでこれを合わせてシュートと言う。枝というのはそれ自体が実はシュートで、これには二方向分化型と単軸側軸分岐型がある。節(ふし)から2つのシュートが別れていくのが前者で、メインのシュートはまっすぐ伸び、サブのシュートは横に伸びていくのが後者だ」
と生物担当の森山先生はよどみなく説明する。
森山先生は今年34歳の男性教師だが、甘いマスクでファッションセンスもよく、授業も分かりやすいので女生徒たちに人気が高い(たぶんこの学校に男生徒は居ない)。生物以外に化学・地学・地理を教えることもある。
既婚で奥さんは都内の別の学校の数学教師をしているらしい。大学時代に知り合って教師になって2年目に結婚。子供は小学生の女の子が2人・・・というプロフィールまで調べているのは女生徒の中の非公式組織“情報部”によるものである。
「花は葉が変化したものだ。種子植物の場合、そこから実(み)ができて、種(たね)が取れる。また、単軸が太くなったものが幹(みき)だな」
「根と茎の違いというのは、地上に出ているか地下にあるかですか?」
とひとりの生徒が“まじめな”質問をする。
「概ねそうだが、微妙なものもある。地下にある地下茎もあるし、地上に出ている気根もある」
「それはどう区別すればいいんでしょうか?」
「かなり曖昧なものもあるのだけど、葉がついている部分は確実に茎。根の場合はいわゆる根毛といってヒゲのようなものがたくさん出ていることが多い。たとえばジャガイモは地下茎なんで根毛が無く表面がツルツルしている。これに対してサツマイモとか大根(だいこん)は根なんでたくさん根毛が出ている」
この説明には「あぁ!」と納得する生徒が結構いる。首をひねっているのはたぶんあまりお料理をしない子だろう。
「他にこれも例外があるのだけど切ってみると分かるものも多い。茎の場合は中心に髄(ずい)と呼ばれる海綿状の部分があり、この外縁に道管と師管がセットになった維管束が円環状に並んでいる。これに対して根の場合、髄が無くて、道管が中心部まで詰まっているものが多い。ただこれには例外があって単子葉植物の根は髄を持っているから茎と似たような配列になる」
「どうかん?しかん?」
「植物のからだの中で水分を主として根から茎や葉・花へ上向きに運ぶのが道管、葉で光合成によって作られた栄養分を他の部分、多くは下向きに運ぶのが師管(篩管)。一般に師管は道管の外側にある」
学校のレベルがレベルなので、こういうのが全く分かっていない子が多い。生徒たちの顔を見て先生は言う。
「語呂合わせとして“シソドーナツ”というのがある。下向き師管は外側、道管は内部で吊り上がり」
「へー!」
という声があがり“シソドーナツ”とノートに書いている子が結構いる。
その後細かい質問が多数あり、それに森山先生はひとつひとつ丁寧に答えていく。ところがここで紀子がとんでもない発言をする。
「陰茎と男根の違いはなんでしょうか?」
教室内が騒然とする。普通の先生なら怒るところだが、森山先生はだてに女子校の教師を10年やっていない。平然として答える。
「陰茎の場合は、根元付近をのぞいてほとんどヒゲが出ていない。だからあれはやはり根ではなくて茎だな」
何だか生徒たちが納得している!でも陰茎の外見にほぼ無知な子も多いので隣の子に「そうなの?」とか訊いている子もいる。
「男子の陰茎本体はほぼ外に出ているから地上茎だけど、女子の場合はほとんどが体内に埋もれていて先端だけ外に出ているから、あれは地下茎だ」
と先生が言うと、結構な失笑が漏れている。でも“ほとんど体内に埋もれている”こと自体を知らないのか当惑している子もいる!
女性の陰核はだいたい3-5cmあり、結構長いのだが、先端の陰核亀頭は数mmしかない。しかしその陰核本体の存在を認識していない女子が結構多い。更に陰核体はそのまま小陰唇内の海綿体につながっており、海綿体自体の長さは軽く10cmを越える。女子は実は長いおちんちんを体内に隠し持っているのである。
「だけど男根(だんこん)というのは実は植物の“根”からきたものではない。あれは元々は仏教用語なのだよ」
と森山先生は説明する。
「そもそも本来は“だんこん”ではなく“なんこん”と読む。男という字の音読みは、漢音が“だん”で呉音が“なん”。仏教用語には呉音が多いんだな」
と博識な所を見せる。突然国語の時間になってしまった。
「根(こん)とはインドリヤの中国語訳で何らかの作用をもたらす中核を言う。“六根清浄”ということばがあるけど、これは般若心経にも出てくるように眼耳鼻舌身意、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・意識を清めるということ。更に二十二根というのがある」
と言って、先生はホワイトボードにそれをずらっと書いてみせた。
(六根)眼根 耳根 鼻根 舌根 身根 意根
「これは感覚に関連したものだけど、たとえぱ目そのものを眼根というのではなく、目を視覚器官として機能させているシステム自体を眼根という。だから、漫画なんかには出てくるけど、仙人のような人で、目に障害があって物を見ることができない筈なのに物凄い霊感によって健常者と同様に周囲の物を感知できる人があるともいう。たとえば視力ゼロなのに普通に車を運転しちゃうとか。こういう人はちゃんと眼根が機能しているわけだ」
と森山先生が言うと、確かに漫画とかではある話だよなというので結構な子が納得している。
(五受根)楽根 苦根 喜根 憂根 捨根
「これは感覚によって受け取ったものを処理する印象操作の機能だから五受根という。ここで“捨”とは平常心でいること。教室に入ってきた時、女生徒たちが暑いからといって、あられもない格好をしていても慌てず『早く服を着なさい』と注意する態度とかが“捨”だな」
と先生が言うと、これも失笑が漏れている。
(五無漏根)信根 勤根 念根 定根 慧根
(三無漏根)未知当知根 已知根 具知根
「ここで“勤(ごん)”は精進という意味。この8つは修行に関わるもので、人間の欲望を抑える力がある。そういうことをしようとする気持ちの根本をいう」
(性根)女根 男根 命根
「ここで命根というのは生命を維持する力、女根は女らしさを生み出す力、男根は男らしさを生み出す力を言う。一般的には女性生殖器、男性生殖器が物理的にはその原動力となっているから、女性生殖器を女根(にょこん)、男性生殖器を男根(なんこん)とも呼ぶのだけど、本当は生殖器そのものより、生殖器を動かしているシステム自体が女根・男根なんだな。だから女性ホルモン、男性ホルモンの方が、ひょっとすると本来の意味での女根・男根に近いかも知れない」
と森山先生が説明すると、生徒たちは感心している。
紀子のふざけた質問が、いつの間にか高尚な話になっていた。
「ちなみに、女根の強い女でも男根の働きを強めて男らしくなったり、男根の強い男でも女根の働きを強めて女らしくなったりするのを“転根”という」
「そういう人、最近多いですよね!」
という声があがり、生徒たちは大いに納得していた。
西湖は「ボク、去年の夏に転根しちゃったぁ」などと考えていた。
西湖は千里から男に戻せるようになる今年の9月までに、男に戻りたいか女のままでいたいか決めるように言われているが、迷っている状態である。
2019年のアクア主演映画は、まずスケジュールが昨年と同様に夏休み中に撮影して年末に公開という方針が決まり、2018年12月に『ヒカルの碁』をベースにした物語ということになった。それで物語前半のクライマックスとなるプロ試験の会場となる、日本棋院の研修センターが現在はもう無いことが分かり、どこかにセットを建てようという話になった。
その時、アクアのマネージャーである山村が言った。
「一昨年、ローズ+リリーのアルバム『郷愁』を作るのに、熊谷市郊外の売れなかった住宅地にスタジオを建設して、そこにミュージシャンが泊まり込んで制作をしたんですよ。あそこ土地がたくさん余っているから、オーナーに話したら安価に借りられそうな気がします。制作のためにミュージシャンが泊まっていたマンションに、役者さんを泊めたらいいんですよ」
「住宅地ならたくさんマンションが建っているの?」
「それが最初に建てた1棟が全く売れなかったから、それだけでやめてしまってその1棟のみが建っているんですよ」
「オーナーは不動産会社?」
「そこから、トレーラーレストランのムーラン社長、山吹若葉さんが買い取ったんです。開発予定だった土地まるごと 100ha 100億円で買っちゃったらしいです」
「かなり安い気がする」
「遊休地だったから、不動産会社としても売れて助かったみたいですよ」
「なるほどー」
「山吹さんって、確かローズ+リリーのケイさんのお友だちだよね?」
「ケイさんが実は小学生の頃に既に性転換していたことを知る貴重な証人らしい」
「ふむふむ」
「ケイさんのお友だちなら交渉しやすいな」
それで映画の制作委員会が若葉に接触した所、山村が言った通り、土地はたくさん余っているから自由に使っていいですよということであった。それで詳細の打合せをした所、旅館に来る客と分離するため、旅館は田斐川の東に建っているので、田斐川の西にあるマンションの南側 1ha 程度を映画制作のために利用することになった。借賃は若葉はタダでもいいよと言ったが、さすがにタダという訳にはいかないだろうということで、1年間300万円で借りることにした(最終的には翌年まで借りたので600万円払った)。
土地を借りる期間は2019年4月−2020年3月(最終的には2021年3月までになった)ということにしたので、それまでに建物の設計をして4月に入ってから建築を始めた。建てたのは日本棋院、ヒカルの家/アキラの家(両面に玄関があり中は共用)、碁会所×2である。6月までには使えるようにならないといけないので、日本棋院はユニット工法で建てている。碁会所はユニットハウスに外装・内装の加工をしている。撮影したビデオの保管や編集は『郷愁』の制作に使用したスタジオを利用させてもらうことにした。
映画のクランクインは夏休みに突入する7月20日(土)なのだが、それより前から一部のシーンの撮影をした。今回『ヒカルの碁』をとりあげたのは、アクアの映画プロジェクトの準備を進めていた和田プロデューサーが、アクアは囲碁の有段者だというのを聞き
「アクアちゃんが格好良く碁を指(さ)しているところを撮影しましょう」
と言ったことから始まっている。
もっとも即、橋元プロデューサーから
「“指す”のは将棋、囲碁は“打つ”」
と訂正された。
アクアが囲碁二段の免状をもらっているのに対してボディダブル役の葉月は囲碁なんて全くやったことがないしルールも知らないということだった。そこで、初心者のヒカルが祖父の平八と打つところ、ヒカルとアキラが最初に対戦する所は、葉月の手を映して初心者のヒカルの打つ所の手ということにした。
ヒカルとアキラ(最終的に橘中ミナコという女性キャラに変更された)の対決は、アクアがヒカル、葉月がミナコを演じて1回撮影した上で、衣装を交換してから同じ対局を再度並べた。ここでアクアはきちんと対局内容を全部覚えていたのに対して葉月は全然分からないのでアシスタントさんが掲示してくれるのを見て打っている。それでよけいたどたどしさが強調されることになり、いい映像になった。
阿倍子は2018年1月に貴司と離婚した後、毎月10万貴司が送金してくれる養育費と年3回4万円の児童手当を頼りに生活していくつもりだったのだが(離婚の慰謝料は実家の土地建物の所有権で揉めていた親族に解決金として支払ったので無くなった)、阿倍子自身は少食だし、京平もまだ小さいので何とかなっている感じだった。
しかし児童手当は、2018年8月まで手続きするのを忘れていたので、8月に貴司に指摘されてそれから慌てて手続きをした。この場合、本来6月に提出すべき現況届も提出されていなければ、そもそも神戸市への転居の届けからしていなかったので、2月と6月の分は貴司の口座に各回2万円ずつ振り込まれていた(貴司が高額所得者なので月額5千円になってしまう)。
貴司は阿倍子に
「本来は1万5千円受け取れるはずだったけど、僕も児童手当がこちらの口座に入金されていたのと、現況届の書類がこちらに来ていたのに気付かず悪かった」
と言って8月の段階で1.5万×8ヶ月分=12万円を8月分の養育費に乗せて送金してくれた。これは本当に助かった。なお10月分からは(京平が3歳になったので)月額1万円をもらえるようになった。
ところが・・・貴司は毎月給料日に養育費を送金してくれていたのに9月25日には送金が無かった。
電気代などの支払いもあり困るので電話してみたら「ごめんごめん」と言われ翌日送金してくれた。
10月25日にも送金が無かった。再度問い合わせると
「給料がカットされて今苦しいので一時的に減額させてもらえないか」
と言われ、ボーナスで不足分を補填するからといわれ結局この月は7万円だけもらった。
11月は25日が日曜なので23日(金)にもらえるかと思ったのだが、26日(月)になって5万円送金してきた。困るぅと思い、取り敢えず電気代を滞納していたら12月10日に「ボーナスが出たので」と言って取り敢えず5万送って来た。そして12月25日にはまた更に減額して4万円送って来たものの、1月以降は完全に送金が途絶えた。
何度か電話を入れたものの、
「ごめん、今苦しくてどうにもならなくて」
とだけ言われる。
阿倍子は身体が弱いのでパートなどにも出られず、現時点では晴安からの支援も受ける訳にはいかない(バレると不貞行為ということになって彼の離婚問題が複雑になるし、へたすると彼の妻から阿倍子が損害賠償請求される危険もある)ので、どうしよう?と思っていたら、2月上旬にナンバーズで1等66万円が当たる。
びっくりしたものの、助かったぁ!と思った。それで滞納していた光熱費や携帯代を何とか払うこともできた。
これは売場で京平に数字を言わせて記入したものが当たったので、それ以降阿倍子は毎回京平に数字を選ばせるようにした。すると1等が当たったのは2月の時だけだったものの、その後も月に1度くらい2等が当たって毎回3〜8万円程度もらえるので(当たらない週もある)、おかげで何とか生活が成り立っていくのである。
なお、母・保子の病院代については、保子は2018年2月に65歳になり年金が出るようになったので、それで大半をまかなえるようになった。多少足りないのだが、不足分については、保子の主治医でありかつ、保子の長年のボーイフレンドでもある賀茂益夫が(*2)
「お前、離婚して生活が苦しそうだから、取り敢えずお前が再婚するか健康状態が回復して就職できるまでは僕が払っておくから」
と言ったので、その言葉に甘えることにした。
(*2)阿倍子は実は篠田躍信と保子の子供ではなく、賀茂益夫と保子の子供である。実際、阿倍子はAB型だが、躍信はO型・保子はAB型・益夫はA型。つまり、龍造−保子/躍信−阿倍子/阿倍子−京平という家系は、3代にわたって、実の親子ではない関係が続いている。
↓家系図(再掲:2021年春の時点のもの)
(2019夏の段階では晴安はまだ妻と離婚していない。明弘が生まれたのが2021年春)
益夫の奥さん(10年ほど前に死亡)やそちらとの子供たちに悪いので益夫と阿倍子は親子の名乗りをあげていないし、基本的に益夫は保子や阿倍子に経済支援はしない。ただ益夫の子供たちも現時点では益夫と保子の関係を黙認してくれている。相続問題が絡んでくるので、保子は益夫と籍は入れないことを彼の子供たちに約束している。もっともどう見ても保子の方が益夫より先に死にそうである。益夫は65歳でもマラソンを完走できるが、保子は長年入院したままだ。
2019年7月、阿倍子は京平と2人で母が入院している病院のある名古屋に行った。実は躍信の七回忌をしたいという話があったのである。躍信は2012年7月に亡くなったので本来の七回忌は昨年7月だった。しかしお金の余裕が無いので放置していた。それが気になっていたのだと保子は言った。
恐らくは七回忌をして、それで躍信との関係は終了ということにして、後は益夫さんの奥さんになりたいのかな?と阿倍子も思ったので少し無理するが法要をすることにした。それで保子が病院から一時外出し、名古屋在住の保子の姉・憲子とその夫および娘、高速バスで名古屋に来た阿倍子・京平(躍信の位牌を持って来た)と一緒に市内のお寺に行き、そこの本堂で七回忌の法要をしてもらったのである。お布施は阿倍子が直前に当たったナンバーズの賞金で支払った。
その帰り、京平がマクドナルドに入りたいというので、まあたまにはいいかと思って入ると、そこで偶然にも千里と遭遇する。千里とは5月に神戸市内のスーパーで遭遇し、6月にも姫路市内で遭遇して京平のリクエストによりトンカツをおごってもらっている。そしてこの日、千里と話していて阿倍子も長年のわだかまりが消えてしまい、千里とは事実上和解した形になった。名古屋から神戸へは千里の車で送ってもらったので、高速バス代も助かった。
そしてその晩、千里から阿倍子の携帯に電話があったのである。
千里は言った。
「貴司からの養育費の送金が途絶えているということでしたよね。こんなこと言ったら阿倍子さん、不愉快かも知れないけど、そちらの家の光熱費だけでも私に代わりに払わせてもらえません?貴司の代理ということで」
阿倍子は確かに不愉快だった。しかし現状は宝くじ頼りなどという、極めて不安定な生活だ。京平にもちゃんと御飯を食べさせてあげなければならない。本とかも買ってあげたい。それで言った。
「筋が違うとは思うけど、凄く助かる。お願いします」
それで電気代・ガス代・水道代・携帯代の相当額として千里が毎月3万円を送金してくれることになったのである。光熱費ということにしても少しもらいすぎかなとは思ったが、生活が苦しいのでもらっておくことにした。
(ちなみに昼間遭遇したのは千里1、夜に電話をしてきたのは千里2である。千里1の行動は、千里2も千里3も完全に把握している。送金は自動で行うように設定したが、この設定をしたのは千里3である。コンピュータ音痴の千里2には絶対無理である!)
2019年7月6日(土)、青葉は日食を見に行った南米から帰国し、成田で彪志からエンゲージリングを受け取った。そのままデートしようかとも思ったのだが、青葉は空港内のカフェでお茶を飲みながら彪志と話している内に急に気分が悪くなった。結局空港近くのホテルに部屋を取って、しばらく休んだ。
「大丈夫?」
と彪志が心配そうにしている。青葉は何だかお腹の中があちこち動き回っているかのような苦しさで、私、何か悪いものでも食べたっけ?と考えてみたが、心当たりがありすぎて!分からなかった。
しかし1時間ほどベッドで寝ていたらかなり気分がよくなった。
「だいぶ落ち着いた。御飯でも食べに行こうか?」
と言ったのだが
「今日は絶食!」
と彪志から言われた。
そのままふたりはホテルで朝まで過ごしたが、青葉がセックスしてもいいよと言っても「今日は休んでなさい」と彪志は言って、キスだけしてくれた。その優しさが青葉の心をほころばせた。
7日は§§ミュージック、大田ラボ、などに顔を出してから夕方には彪志と一緒に新幹線で熊谷まで行き、若葉がやっている旅館“昭和”のコテージ型客室“桜”に泊まった。ここを10日まで4日間予約しておいたのだが、彪志は仕事があるので1泊だけである。青葉は夕方2時間ほど50mプールで泳いでから桜の部屋の中で彪志とのんびりとした夕食を取った。
「お部屋まで食事を運んでくれるというのはいいね」
「若葉さんが旅館というのは本来そうあるべきと言って、こだわっているからね。ただし料金の安い“富士”は食堂に食べに行く方式」
「なるほど。サービスに差を付けているわけだ」
昨夜が体調不良で何もせずに寝たので、この日は青葉もたっぷりサービスしてあげたのだが、婚約指輪をもらったせいか、自身の気持ちが物凄く昂揚するのを感じた。
彪志は8日朝の新幹線で上野に出て、赤羽駅近くにある職場に出勤していった。そして青葉はこの日から10日までたっぷり郷愁村の50mプールで泳いだ。一緒に練習している幡山ジャネが
「青葉ものすごくパワフルになってる」
とマジな顔で言った。
「なんか南米から戻ってから自分でも凄く力が出る感じなんですよ。何でだろ」
「日食を見たのが何かパワーを与えてくれたのかねぇ」
「そうかも知れないと思ってました」
ふたりは10日の夕方、一緒に新幹線で東京に移動し、東京北区のNTC/JISSに入り、水泳日本代表の合宿に参加した。そして7月17日韓国の光州(クァンジュ)に移動した。
FINA世界選手権に出場する。
この大会自体は12日に開会式が行われて7月12-28日の日程で行われているが、競泳は21-28日の日程で行われる。それで競泳陣は17日の移動になった。
競泳 21-28日
オープンウォーター 13-19日
アーティスティック 12-20日
飛び込み 12-20日
ハイダイビング 22-24日
水球 14-27日
ビーチ水球 13-19日
まるでアーティスティック・スイミング(以前「シンクロナイズド・スイミング」と呼んでいたもの)が終わってから、同じプールで競泳をする感じに見えるが、会場が違う。競泳は南部大学校市立水泳場 (Nambu University Municipal Aquatics Center) だが、アーティスティック・スイミングは念珠体育館 (Yeomju Gymnasium) である。
ここで、ハイダイビングとは“高飛び込み”(platform diving)のことではなく、本物の海に向かって、飛込台から飛び込む競技。危険なので必ず足から入水しなければならない。もっとも今回は光州市内の朝鮮大学校のサッカー場に仮設の池と飛び込み台を設置して実施した。
今回の競泳で青葉が出場する競技のスケジュールはこのようになっている。
7.21 400m自由形(H/F)
7.22 800m自由形(H)
7.23 800m自由形(F)
7.25 400m個人メドレー(H/F)
7.27 1500m自由形(H)
7.28 1500m自由形(F)
(H:heat予選 F:final決勝)
それで18日からは光州市内の選手村に入り、毎日時間制で練習をするのだが、青葉は正直、もっと練習したい。こんなのなら前日まで日本国内に居たかったよという気分になった。
なお競技時間はAfternoon(10:00-)とEvening(20:00-)に別れており、原則としてAfternoonに予選、Eveningに決勝が行われる。
※リアルでは7.22-23日に1500m, 26-27日に800m 28日にメドレーですが、物語の都合上順序を入れ替えました。
平野啓太は2019年3月中旬頃から、ペニスの根本付近に何か違和感を感じるようになり、病院で診てもらった所、腫瘍ができていて、放置すると大変なことになるから、すみやかにペニスごと腫瘍を除去しなければならないと言われショックを受ける(言われた時、気絶した)。
しかし幼馴染みの落合茜がセックスまでさせてくれて「おちんちんが無くなっても結婚してあげる。放置しておいて啓太が死んだりしたら嫌」と言ってくれたので手術を受ける覚悟ができた。ところが手術の30分前になって、古くからの友人・月乃岬が病室にやってきて、この病気にはペニスを切断しない治療法があるはずと言う。別の病院に掛かることを勧め、彼が身代わりになってくれたので、啓太は病院から逃亡。埼玉県に住む祖母の所に駆け込んだ。祖母が東京の、腫瘍専門の大病院に連れて行ったところ、この病気には最近開発された特効薬があること、そして最悪ペニス全体を切らなくても腫瘍のある部分だけ切って、前後を繋ぎあわせる手術法が存在することを聞いた。
それで啓太はペニスを失うことを免れたのである。
なお身代わりになった岬は元々女の子になりたがっていたので、めでたくペニスを切ってもらい満足。しかし大騒動になる。
病院と保護者の話し合いで“表沙汰にはしたくない”という患者側と病院側の利害が一致したことから、その日の内に性転換手術を多く手がけている富山県の病院に転院し、再手術の結果、女性と同様の股間を獲得した。結局岬は半陰陽だったということにして、性別訂正を裁判所に申告することになる。裁判所の認可はすぐ下りて岬は戸籍上も女性となり、6月11日に女生徒として学校に復帰した。
一方啓太はそのまま東京の病院に入院して治療を受けていたのだが、特効薬が効いたのか腫瘍は劇的に小さくなって、6月10日いったん退院して翌11日から実家に戻り、元の学校に出て行った。奇しくも岬と同じ日の復帰だった。
2019年6月22日(土).
啓太、岬、茜に友人の星野香美の4人は、茜のお母さんが運転するインサイトに乗り、金沢まで遊びに出た。時計台駐車場に車を駐め、フォーラスのイオンシネマで『アラジン』を見た。見終わって少し早めのお昼を食べる。その後、お母さんは疲れたから少し休んでいるということだったので、中学生4人だけでお店でも見てようかと言っていたら、香美が
「あ、今日の午後、ロックギャルコンテストの石川県予選が音楽堂であるよ。早めに行けば見学できるかも」
と言い出す。
「何だっけ?それ」
「§§ミュージックのオーディションなんだよ。毎年6月から7月にかけて県大会・ブロック大会・全国大会とやって優勝者はおおむね1年以内にデビュー。アクアとか西宮ネオン君とかが選出された大会だよ」
「へー。男の子アイドルのオーディション?」
「いや本来女の子アイドルのオーディションなんだけど、アクアも西宮ネオンも間違って参加して優勝しちゃったらしい」
「なぜ男の子が女の子アイドルのオーディションで優勝する?」
「このオーディションは他のアイドル・オーディションと違って、歌唱力絶対重視なんだよ。だからアクアにしても西宮ネオンにしても、物凄く歌がうまいから、それで優勝しちゃって。その後デビューに向けて打ち合わせしている時に『え?あなた男の子なんですか?』となったらしい」
「まあアクアなら女の子と間違えられても不思議ではない」
「というより、アクアを女の子アイドルと思い込んでいる人は結構いる」
「いや、実は本当に女の子なのでは?という説もずっとくすぶっている」
「そこで最初から女の子だったという説と、密かに性転換手術を受けて女の子になったという説と、半陰陽で戸籍上は男の子だけど実質ほぼ女の子だという説がある」
「男の子ではあるけど、ちんちんは無いという説もあるね」
などという会話をしていると、岬がドキドキしたような顔、啓太は嫌そうな顔をしている。
「あそこのプロダクションの白鳥リズムちゃんとかも微妙な発言してるよね」
「小学生の頃は男子だったけど、中学に進学する時に女子に変更して女子中生になったと聞いた」
「立っておしっこするほうが好きだったんだけどとか言っているの聞いたことある」
「それって中学に進学する時に性転換したってこと?」
「男子のサッカー大会に出場してベストイレブンになって表彰されている所の写真が拡散していたから、小学生の時に男の子だったのは間違いないみたい」
「きっと半陰陽で、中学に進学する段階で女子になることにしたんじゃないの?」
「そうかもね。手術してちんちん取って女の子になったんでしょ」
などという会話に、岬はやはりドキドキした顔、啓太は嫌そうな顔である。
啓太は治療薬のおかげで腫瘍は小さくなりつつあるものの、代わりに胸が膨らみ、ペニスは現在全く立たなくなっている。この治療薬には強烈な女性化の副作用があるのである。
そんな会話をしながら、何となく音楽堂の方に行っていたら、入口の所でその白鳥リズムとばったり遭遇する。
「ファンなんですー」
と言ったら、握手して4人にサインを書いてくれた。
ついさっきまで
「リズムちゃん元男の子だったからか、結構男っぽさがまだ残っているよね」
「少年アイドルでも通るよね」
「ちんちん取らなくても良かったのにね」
などと言っていたのは、おくびにも出さず
「リズムちゃん、いつも元気で可愛いですね」
「私もリズムちゃんみたいな女の子になりたーい」
とか茜と香美が言っているので啓太は少々呆れていた。
リズムがサインを書いて岬に色紙を渡そうとした時、彼女はハッとしたような顔をして言った。
「あなたタレントになれるオーラがある。オーディションに参加してみない?」
岬は思わぬことを言われて驚いたものの、茜や香美が
「岬は歌がうまいですよー」
「合唱部でソプラノソロとか取ったこともありますし」
などと言うので、岬はうまく乗せられてオーディションに参加することになる。便乗して茜も一緒に参加させてもらうことになった。
そして岬はこのオーディションで優勝してしまうのである。茜も3位に入り、2人とも明日同じ場所で行われる北陸大会に参加してほしいと審査委員長としてきていた、§§ミュージックの川崎ゆりこ副社長から乞われる。
茜が母に連絡すると、百番街でお茶を飲んでいた母は飛んできて
「あんたがアイドルオーディションなんて信じられん!折角だし行ける所まで行こう」
と大いに乗り気である。さすがSMAPの追っかけをしていたというアイドル好きの母である。
結局川崎ゆりこ副社長と原田友恵マネージャーが茜の家まで付いてきて、そこに岬の両親も呼び、ゆりこが熱心に2人を勧誘。更に茜の母が援護射撃する形になったので、茜の父だけでなく、岬の両親も「もし全国オーディション上位に入ったら芸能活動をしてもいい」と言ってくれた。
ここで岬の父と茜の父は目くばせして、茜と岬をいったん家の外に出した。茜の姉・翠に2人を連れて、岬の家!に行かせる。
そして岬の父は岬の性別問題について、ゆりこたちに説明した。しかしゆりこは
「半陰陽くらい全然問題ないです。デビュー以来ずっと性別疑惑が言われているアクアだって平気なんですから、治療も終わって性別の訂正まで済んでいるのなら何も問題はないですよ」
と即答で明言した。
「でも実は半陰陽ということにはしたんですが、ここだけの話ですが、実は普通に男の子だったのを誤魔化して変更してしまったのですが」
「そんなの言わなきゃバレません」
と、ゆりこは平然として即答する。
「そ、そうですよね!」
「でもあの子、まだ女の子になりたてで、おっぱいも全然無いんですけど」
と岬の母が言うが
「おっぱいで歌を歌うわけでも無いし、おっぱいの無い女の子なんていくらでもいますから、それも問題ないです」
ゆりこが笑顔でそういう回答をするので、両親もホッとしたようであった。
それで岬の両親も茜の両親も芸能活動許可証を書いてくれた。またゆりこは岬も茜もひじょうに優れた才能を持っているので、もしオーディションで上位に入らなかった場合でも、ぜひ信濃町ガールズに入ってほしい、信濃町ガールズの場合は、金沢市内の提携音楽スクールでもレッスンを受けられますからと言った。
そして歌手デビューする場合の契約書(A契約)、研修生(B契約)・練習生(C契約)の契約書のひな形も双方の両親に渡して、契約条項に関する説明と、よくあるトラブルの例なども説明した。A契約・B契約については、実は∞∞プロ系列の共通契約書であることも説明した。
「まあ個別のアーティストの事情によっては多少の条項の変更・追加・削除もありますけどね。たとえば男性のアーティストの場合は、妊娠・出産の禁止条項はありません」
「それはそうでしょうね!」
「あのぉ、岬の場合は妊娠能力はないのですが」
「そうですね。でも一応女性アーティストなので、よければその条項はそのままにさせてください。万一ということもありますし」
「そうですね。万一ということはあるかもですね」
「私の知る範囲で、元は男の子だったはずが妊娠出産した例が3件ありますから」
「そんなのあるんですか!?」
そして翌6月23日の北陸ブロック予選では、石川県予選の1−3位がそのまま北陸1−3位になった。この3人が優秀すぎたのである。
啓太は6月10日に診察を受けてから新幹線で石川県に戻り、学校に復帰したのだが、週に1度、東京まで診察を受けにいかなければならない。病院の診察は基本的に平日なので、
6月16日(日)に出て行き17日(月)に診察を受けて夕方の新幹線で帰る。
6月23日(日)に出て行き24日(月)に診察を受けて夕方の新幹線で帰る。
6月30日(日)に出て行き7月1日(月)に診察を受けて夕方の新幹線で帰る。
ということをしたものの、これは体力的に辛い!ということになる。
それで折角こちらの学校に復帰したものの、取り敢えず病状が落ち着くまではしばらく祖母の家に居たほうがいいのではということになる。それで7月以降、祖母の家に母と2人で移動し、そちらの学校に転校して、そこから東京の病院に通院することになった。啓太は7月5日(金)に今の学校に挨拶だけして転校手続きを取り、7月8日(月)に診察を受けた後で埼玉の中学校に行って編入手続きをした。
治療終了後石川県の学校に戻るかどうかは現時点では未定である。
しかし結果的に茜とは離れ離れになって暮らすことになる。
「いつもネットで話せるよ」
とは言い合ったものの、お互いこの時点ではふたりの関係を維持していく自信は啓太にも茜にも無かった。中学生にとって石川県と埼玉県という距離は厳しすぎる。転校直前、茜は「セックスさせてあげるよ」と言ったが、啓太は「俺当面勃起禁止だし」と答えた。実際今セックスしてしまったらそれが最後になってしまいそうな気がしたのもあった。
今井葉月(天月西湖)は5月頃から、映画『ヒカルの碁』の一部の先行撮影をしていたのだが、できたら本格的な撮影に入るまでに10級程度までは力を付けておいてねと言われた。
それでまずはオモチャ屋さんでプラスチック製の碁盤・碁石のセット(碁盤は折り畳めて、その中に碁石を収納できるタイプ)を2500円で買ってきて、アクアに教えてもらった playgo.to というサイトを見て基本中の基本から勉強しはじめた。
古いサイトのようで flash が使用されており、普段使用している Chrome では見ることができない。誰かこのあたり分かる人がいないかなと思い、クラスメイトの紀子にラインしてみたら Edge なら見られるよということだったので、そちらで開いてみたら何とか見ることができた。
サイトに書いてある内容は目で見るだけではなく必ず実際の碁盤で石を並べてみるようにした。対局例がある場合も最初から最後まで自分で実際に打っていく。
これを3日で仕上げて、とりあえず34級認定である。
その後どこか対戦サイトがないかと思い、yahoo!に囲碁があるのに気付いて入ろうとするが、まさかの Flashサイトである。それで他に探してみると囲碁クエストというサイトがあり、パソコンでもスマホでもできるようであった。無謀にも(怖い物知らず)九路盤で対戦してみたら、1分で負けた!
どうも人との対戦はまだ無理みたいと思い、自宅にいなくてもできるスマホの囲碁入門アプリがないかなと思って探すと『みんなの囲碁』というアプリがあったのでスマホにダウンロードする。
それでコンピュータの強さを14級、更に9子置き(つまり23級相当)にして対戦してみる。こちらの頭の中にあるのは
・二眼を作れたら安心。
・自分の石がつながるように打つ(相手の石を切るように打つのはまだ無理)。
・ツケにはハネよ。
・ハネにはノビよ。
ということだけである。
10分ほどの対戦でコンピュータが投了した!
初勝利に気を良くする。それで一週間ほどかけてコンピュータのレベルを少しずつあげていくと、10級まで行ったところでどうにも勝てなくなった。そこから一週間ほど格闘するもどうにも勝てない。
気分転換しようと思い、今のより、もう少しいい碁盤・碁石を買うことにする。
山村マネージャーも囲碁は強いと言っていたが、あの人に相談すると絶対変なのを勧められると思った。
それで忙しそうにしているのに申し訳無かったがアクアに相談する。すると入門段階が終わったのなら、この付近のクラスかなというので、碁盤は新桂(アガチスあるいはナギモドキという輸入材らしい)の折り畳み!、碁石は硬質ガラスの厚さ9mm、碁笥はプラスチックという1万円ほどのセットを購入した。
ガラスの石は、プラスチックの石とは置いた時の音が全然違う。わりといい感じの音がした。
「上達してきたら蛤(はまぐり)の碁石を買えばいいよ」
とアクアは言った。
「それどのくらいするんですか?」
「日向産はほぼ枯渇していて入手困難だけど、メキシコ産の“実用”なら2〜3万円で買えるよ」
「ああ、そのくらいならいいですね」
西湖も高額所得者である。
ちなみに蛤(はまぐり)で作るのは白石だが、一般に黒石は那智黒(那智地方で採れた粘板岩)製のものをオマケ!で付けてくれることが多い。白碁石は品質(主として貝の成長線の美しさ)により、雪・月・実用・徳用などに分けられる。2〜3万で買えるのは“実用”だが、雪ランクの場合この10倍の値段がする。
(最近ではほとんど“本物”が存在しない日向蛤で作られた碁石の雪ランクだとメキシコ蛤の雪の更に10倍、数百万円以上するらしい−こんな物を買う場合は“目利き”のできる人と一緒に買いに行かなければダメ)
ちょうど番組の待ち時間があったので、アクアが一局打ってくれたが、最初に碁石の持ち方を注意された。
西湖は碁石を親指と人差し指で持って碁盤に置いていたのだが、それが違うと言われる。
「碁石は碁笥(ごけ)から取り出す時は親指と人差指(または親指と中指)で取り出すけど、碁盤に打つ時は、人差指と中指ではさんで打つんだよ」
と言って手を取って教えてもらう。
「なんか持ちにくいけど、すごく格好いい!」
「持ちにくいのは慣れたら平気だよ」
これが6月初め頃だったのだが、アクアは葉月と対戦して「たぶん11-12級くらい」と言った。
「実は『みんなの囲碁』でどうしても10級のコンピュータに勝てないんです」
「その付近にちょっと壁があるんだよね。入門本とかだと14-15級くらいまでしか行けない。でも囲碁の問題集とかは、4級くらいから上のしかないし、指導碁とかもその程度より上の人が対象」
「龍さんはどうやってそのあたり勉強したんですか?」
「ともだちに囲碁の強い子がいて、その子にかなり教えてもらったんだよ。その子はおじいちゃんが強かった」
「お友だちですか!」
「お金が掛かるから免状は申請していないけどボクより強いよ。四段レベル。西湖ちゃんの空く時間帯がもう少し常識的な時間なら、あの子(彩佳)に行ってもらえると思うんだけどなあ。寮生活だから夜8時以降外出禁止なんだよ」
「そもそもボクたちの空き時間って、非常識ですよね?」
「全く全く」
それでプロの対局を並べてみるのも勉強になるよと言われて、深夜帰宅してからタイトル戦の棋譜などを見ながら自宅で並べていたら
「あんた囲碁するの?」
と言って、可愛いキツネの女の子が出てきた。
このアパートにおキツネさん、狛犬さん、などがやってくるのは日常茶飯事なので、最近西湖も全く驚かない。昨年はそのおキツネさんたちに箏を習ったり、サックスを習ったりした。みんな“きょうへい”さんというおキツネさん?のお友だちらしい。
それで取り敢えず1局打ってみた。彼女は“千代(ちよ)”と名乗った。
千代さんは物凄く強い感じだった。
「うん。だいぶあんたの実力と癖が分かった」
と言って、千代さんは今の一局を碁盤の上で最初から並べながら問題点を指摘する。ここはこう打つべきだったというポイントを教えてくれて、この日だけで西湖はかなり勉強になった気がした。
「ここの打ち方はおかしい。こういう打ち方をする子を何度か見たことあるけど、あんたもソフトとかアプリとかいう魔人かなにかと、ずっと対局してたでしょ?」
「魔人(まじん)というか、マシンかな」
「人間やキツネ・猫や獺とかはこういう打ち方をしない」
色々な動物の種類がいるんだなと思う。
「だからこういう打ち方をすると、こうされて即負ける」
と言って、攻略の仕方を見せてくれる。
「すごーい!!」
「人間とかなら、簡単に思いつくやりかただよ」
その日、千代さんは西湖のレベルで取り敢えず覚えるべきいくつの定石や、初期段階の布石の打ち方なども教えてくれた。そしてその後、彼女は毎日出てきては、1時間くらい西湖の指導をしてくれるようになったのである。御礼について尋ねたら「稲荷寿司でいい」というので、西湖は毎日帰宅する前にコンビニで稲荷寿司を買ってから帰るようになった。
それで西湖の実力はどんどん上がっていった。
スマホアプリの“みんなの囲碁”でも勝てなかった10級のコンピュータに勝てるようになる。9級にも勝てるようになった所でスマホの人対人対局サービス、囲碁クエストにも再戦するが、最初に対戦した相手に勝つことができて、とても気を良くした。
学校で昼休みにパンを食べながらスマホで“みんなの囲碁”をしていたら、クラスメイトのエリカが近づいてくる。
「聖子ちゃん、囲碁するの?」
と聞かれる。“聖子”は西湖の学校での“生徒登録名”である。
「今、勉強してるんだよ」
「私と打ってみない?」
「エリカちゃんも囲碁するの?」
「私、囲碁部」
「知らなかった!」
「まあ、聖子は放課後まで学校にいることないから部活には無縁だよね」
とそばで紀子が言っていた。
それでエリカが持っていたポータブルの碁盤で対局を始める。
「級位は?」
「“みんなの囲碁”で9級のコンピュータに勝ったり負けたりする程度」
「なるほど。実質10級くらいかな。私、初段だから、聖子ちゃん9個か10個くらい置き石する?」
「じゃ9個で」
「OKOK」
(10個の置き石ってのもあるんだっけ?どう置くんだろう?と西湖は考えていた)
「ではお願いします」
「よろしくお願いします」
と挨拶して打ち始める。
西湖は打っていて、エリカちゃん、強いーと思う。ふと気付くと大石が逃げられなくなっていて一挙に7-8個石を取り上げられてしまうなどというのが続く。最初にもらった置き石9つ分のハンディはあっという間に消えてしまった。
だめだー!と思った所で「負けました」と言って投了した。
(実は「負けました」という言葉を発したのは初めて!前回アクアと打った時は投了のタイミングも分からなかったので最後まで打っている)
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「でも聖子ちゃん、実際には6級くらいの実力あると思ったよ」
「そんなに?」
「最初の付近でこれは8級や9級の相手ではないと思ったから、私けっこうマジになったもん」
とエリカ。
「うん、エリカちゃん容赦無いなと思った」
と観戦していた童夢も言う。彼女は囲碁が“少し分かる”程度と言っていた。
「次は置き石6個にしようよ」
「うん。よろしく」
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【春根】(1)