【春根】(2)

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真珠の母が知り合いから紹介してもらったと言って、50歳くらいの男性風水師を連れてきた(この問題を風水師に頼むのは生物の問題を地理の先生に質問するようなものだと真珠は思った)。
 
風水師はその切株を見てギョッとしたような顔をし
 
「これは私の手には負えません。師匠を呼んでいいですか?」
と言った。
 
なるほど。自分の仕事ではないということは分かる程度に“力”はあるわけだ。
 
それで翌週、東京在住という70歳くらいの威厳のある中国人っぽい風水師さんがやってきた。その人も切株を実際に見てから
「うーん・・・」
と、うなる。
 
そして「これは準備が必要だ」と言って、来月また来ると言い、その日は帰った。たくさん写真を撮っていたが、写真に写るわけがないと真珠は思った。
 
「ところで真珠、なんでそんなの着てるの?」
と母は訊いた。
 
「うーん。魔除けかなあ」
と真珠は平然とした顔で答えた。
 

7月21日(日).
 
ロックギャルコンテストの本選が例年通り、新宿文化ホールで行われた。石川県予選で1−3位になった、月乃岬、雪渡知香、落合茜の3人は北陸予選でも1−3位となったのだが、この本戦でもそのまま1−3位になってしまった。
 
岬はむろん第6代ロックギャルとしてデビュー決定である。笑顔で審査員の、冬子、コスモス、千里(千里1)などと握手した。
 
2位の雪渡さんも一緒にデビューしないかと誘ったのだが、1位になった岬があまりにも凄すぎて、自分はもっと鍛えてからどこかのオーディションに出たいと言って、辞退した。もしかしたら来年またこのオーディションに応募するかもというので、審査委員長の冬子は「お待ちしてますよ」と言って笑顔で送り出した。
 
続いて呼び出した茜は「月乃は優勝しましたか?」と訊くので「もちろん」と言う。すると、あの子は自分が見ていないと不安でたまらないので、岬と一緒に東京の中学校に転校して、研修生になりたいということだったので認めた。
 
「お友だちだったね。いいよ、いいよ」
 
と言って歓迎である。正直、岬がいなかったら、雪渡さん、福岡の坂井さんと、この落合さんの3人の争いだったかもというくらい、彼女は優秀だった。それでコスモスも冬子も快諾したのである。両親は研修生になるのに東京に出てきて事務所の寮に入るという話に驚いていたようだったが、元々2人ともアイドル好きの親ということで、娘の意志を認めてあげたようであった。
 

茜が岬のスマホに電話して
「オーディション合格のお祝いで一緒に食事しようよ」
と誘おうとしたのだが、電話をお母さんが取り、岬は急に気分が悪くなったので、ホテルの部屋で寝ているということだった。
 
「緊張が緩んで反動がきたのかも知れないですね」
と言い、ケーキを(3人分)買って向こうの部屋にお見舞いに行き、岬は眠っていたが、お母さんに
 
「岬には明日の朝にでも食べてと言っておいてください」
と言って渡して来た。
 

茜の学校は既に7月20日(土)から夏休みに突入していたのだが、茜たちは両親とともにいったん石川県に戻り、岬およびそちらの両親とともに、7月22日(月)に学校に出て行って転校したいという旨を申し出た。
 
学校では担任の先生が驚いたものの、オーディションに合格してタレントになるという2人に
「おめでとう。頑張ってね」
と言って、笑顔で送り出してくれた。
 
その日の内に市役所に行って転出の届けもする。
 
夕方、2人が荷造りなどしていたら、クラスメイトが大量に押し寄せてくる。香美の報せでみんな驚いて集まってきたのである。
 
「とりあえず送別会するよ!」
ということで、結局、公民館を借りて2人の送別会をしてくれた。
 
「それで茜は平野君と同棲するの?」
「そんなことしないよ。事務所の寮に入るし、そこ男子禁制だし」
「まあそもそも男女交際禁止だしね」
「“男女”ってことは女同士はOK?」
「女同士OKなら、平野君が女の子になれば交際可能だね」
「あれ?契約書の条文どうなってたっけ?」
 
そして翌日7月23日(火)、香美たち数人の友人に見送られ、茜と岬は各々の母と一緒に手に持てる程度の身の回りの荷物だけ持って再度東京に出ていき、足立区の寮に入った。寮は隣の部屋にしてもらっていた。その上で区役所で転入の手続きを取った。
 

その日の午後、母が区役所に行ってその後、日用品の買物などに行ってくれている間に、茜はひとりで埼玉県にある啓太の祖母の家に行った。
 
茜が東京に引っ越してきたことを聞いて啓太たちはびっくりしていた。
 
祖母と啓太の母は茜を歓迎してお茶とおやつを出した上で、2人揃って外出してくれた!
 
それで啓太と茜はふたりっきりになる。
 

茜は誰もいないのをいいことに啓太にまずは深いキスをしてから、気持ちいいことをしてあげた。その上で言った。
 
「それでさ、啓太」
「うん。何?」
 
啓太は恍惚の表情のまま茜に尋ねた。そして次のことばで冷水を浴びせられた気分になる。
 
「私たち別れよう」
「え〜〜〜!?」
 
「だってタレントは恋愛禁止なんだもん」
 
「じゃ・・・結婚の約束も取り消し?」
と啓太は不安そうである。
 
「26歳になったら恋愛禁止も解除されるから、その時点でもし、お互い独身だったらあらためて考えるというのでどう?その時、啓太がもし病気治療のために、おちんちん切ってしまっていても、それは気にせず結婚してあげるよ」
 
「26歳・・・12年先か・・・」
 
それは永遠に近い時間のようにも思われた。自分たちがこれまで生きて来た時間と大差無い時間である。
 
啓太はしばらく考えていたが、
 
「分かった。別れよう。でも握手はいいよね?」
と言って握手をした。
 
「まあ元クラスメイトのお見舞いくらいはいいだろうから、岬と一緒にお見舞いに来てあげるよ」
 
「分かった、それでいこう」
 
そういう訳で、茜は円満に(?)啓太と別れたのであった。
 

「そうだ。ブラジャーはまた私が買ってお見舞いに来る時に持って来てあげるね」
「母ちゃんに買ってもらうよ」
「遠慮しなくていいよ。友だちなんだし」
「友だちね〜」
 
啓太は治療薬の副作用でバストも膨らんでいるので、実は今月頭くらいから茜の勧めでブラジャーをしている。実際問題としてブラジャーをしていないと走った時に胸が痛い。女子って大変なんだなあと啓太は思っていた。
 
「パンティも女の子用を穿く?」
「嫌だ。あれ履くと、チンコ取られてしまったような気がして、凄く嫌な気分になる」
 
実は一度茜に「穿いてごらんよ」と唆されて穿いてみたのだが、凄く不愉快だった。
 
「岬なんて男の子だった頃から、よく女の子用パンティ穿いてたのに」
「あいつは穿きたかったろうけどな」
 
「じゃ御守りに私のパンティ置いていくね。洗濯済みのだけど」
「それはもらっておこうかな」
 
それで茜はビニール袋に入れた自分のパンティを啓太に渡した。啓太はそれを大事そうに机の引き出しに仕舞った。
 

「そうだ。もう一度キスしようか?。それともセックスがいい?」
「しない。それを最後のキスにしたくないから。セックスはできないこと知ってるくせに」
 
治療薬の副作用で啓太のおちんちんは全く立たない。射精もできない。さっきは立たないなりに気持ちいいことをしてあげたのである。
 
「OK。じゃ握手」
 
と言って2人は再度握手をした。
 
その上で茜は服を着た。
 
その後はふつうに一緒にゲームなどして遊んだ。
 
やがて祖母と啓太の母が帰宅するので、茜は晩御飯も啓太の家で食べた。20時頃、茜の母が啓太と祖母へのお土産を持って茜を迎えに来たので、茜は母と一緒に寮に帰還した。
 
岬と茜の母は翌日は娘たちと一緒にこちらで通うことになる中学に挨拶に行くと同時に転入の手続きをする。制服を作ってくれるお店を紹介してもらって、一緒に採寸に行った。そのほか様々な手続きや打合せのため母たちは数日東京に滞在(寮の各々の娘の部屋に泊まった)した後、新幹線で一緒に帰っていった。
 

その母子は不安そうな顔で医療相談室に入ってきた。
 
「どのようなご相談ごとですか?」
とにこやかな顔で“前橋善枝”というネームプレートを付けた医療相談員は質問した。
 
「実はこの子に治療を勧められたのですが、全然お金がなくて」
 
「あら、それは大変ですね。どういう治療が必要なんですか?」
と彼女は優しそうに、その10ヶ月くらいの赤いヘビー服を着た赤ちゃんを抱いた若いお母さんに尋ねた。
 

アクアたちは7月20日(土)から多くの学校が夏休みに突入したことから、映画も本格的なクランクインとなった。20日に都内のスタジオに撮影参加者の多くが集まり、監督やプロデューサーからの説明を受ける。この日は撮影開始日ということで、日本棋院から監修してくれる桜坂由実四段に、昨年プロになったばかりの峰川晴絵二段も来てくれていた。
 
桜坂四段とアクア(アマ四段)、峰川二段と藤原佐為役の城崎綾香(自称6級)で早碁による記念対局をしたら、9子置きで打った綾香は早々に投了したが、6子置きで対決したアクアは桜坂四段に勝ってしまった!
 
「アクアちゃん、(アマ)六段の免状を申請してもいいと思う」
と桜坂四段は言っていた。
 
(一般にプロ初段に9子置いてまともな勝負になるのがアマ初段と言われる)
 

この記念対局の後、新幹線と旅館“昭和”の送迎バスで郷愁村まで送ってもらい、セットの説明を受ける。そしてその日の午後から撮影が開始された。桜坂四段と峰川二段もこの日いっぱい付き合ってくれた。
 
この日から8月いっぱいまでは多くの俳優さんが郷愁マンションに泊まり込んで撮影をする。一部は旅館“昭和”の方に泊まってもらう。
 
葉月は撮影開始までに10級くらいまでなっていてねと言われていたのだが、この日、「うまくなりすぎている!」と言われた。
 
「すみません。もっとへたに打ったほうがいいですか?」
 
「いや、その必要はないけど、石の打ち方がかなり様になってきているから、発達途上のヒカルの打つ指ということにしてそれを撮影しよう」
 
空き時間に峰川二段が葉月と打ってくれたのだが
「アマ3級くらいだと思う」
と言って、春から始めたばかりと聞くと
「君、そんなに速く上達したなんて才能あるよ。女優やめて囲碁棋士にならない?」
などと勧誘していた。
 
実際夏休み突入直前に学校で葉月は囲碁部のエリカ(アマ初段)と3子で打っていたので3級というのは葉月本人も納得だった。葉月は『次帰宅する時は千代さんにお稲荷さん買っていかなくちゃ』と思っていた。
 

7月23-28日(火−日)で、学校を舞台にした場面の撮影を、加須(かぞ)市の廃校で撮影した。『狙われた学園』や『時のどこかで』の撮影にも使用した所である。この期間、日本棋院からの紹介で参加してくれた熊谷市内の囲碁部の高校生、および郷愁村に泊まり込んでいる俳優さんたちを大型バス6台で運び、撮影している。今回は短期間なので学校には泊まり込まなかった。
 
但しアクア本人と西湖は7月26-27日は苗場ロックフェスティバルに出場しており、その間は主役抜きで撮影をしている。西湖だけでも撮影現場に出られないか?いう打診はあったが、山村マネージャーが西湖の体力が持たないとして断固拒否し、映画撮影側もそれは納得してくれた。結局、一部の撮影を姫路スピカおよびその従姉で体型がほとんど同じである竹中花絵まで使って撮影を進めている。ボディダブルの上手な使い方については、『ねらわれた学園』や『時のどこかで』でボディダブルの大量使用をした河村監督にも監修してもらっている。
 
7月29日からはまた郷愁村のオープンセットの方に戻って撮影を続けた。
 

“その切株”の所に、先月も来た70歳くらいの風水師さん、それにその人の知人らしい40代っぽい女性の祈祷師さん?が一緒にやってきた。祭壇が作られ護摩が焚かれる。どう見てもこれは風水師のお仕事ではなく、密教系の儀式だなと真珠は思った。おそらくこの女性祈祷師のほうが主役なのだろう。
 
実際、祈祷師さんが中心になり、両脇に東京の風水師さんと、最初に呼んだ地元の風水師さんが並んで、呪文のようなものを唱えていた。
 
真珠は「へー」と思って見ていた。この儀式がどうも効いているようなのである。風水師さんたちは霊的な力は大したことないが、40代の女性祈祷師さんが意外に力があるようである。背景に龍のようなものが見える。この人の眷属であろうか。龍を従えているのは凄い。
 
儀式は30分ほどで終わった。最後の締めに風水師さんが切株から1mほどの所に青銅っぽい剣を刺した。そして「この剣には触らないで下さい」と言った。
 
「これで大丈夫ですよ」
と東京の風水師さんは笑顔で言っていたが、40代の女性祈祷師さんは微妙な表情だった。
 
封印は掛かった。しかし完全ではないと真珠は思った。きっと女性祈祷師さんも同じことを思っているのではという気がした。
 
真珠の父は謝礼として風水師さんに分厚い封筒を渡していた。100万円かなぁ〜?と真珠は思った。
 

女性祈祷師さんが真珠のそばに寄ってきて言った。
 
「お嬢さん、どうも見える人みたいだから、これを預けておきます」
 
渡されたのは切株の所に刺したのと似たような感じの剣である。ずっしりと重い。
 
「何かあった場合は、今刺した剣から1mくらい手前にこれを刺してもらえないでしょうか?それで一時的に抑えることができます。そしてすぐ私を呼んで下さい。真夜中でも構いません」
 
「分かりました。お預かりします」
 
それで3人は帰っていった。
 
「なんかあの女助手さんからお前『お嬢さん』とか言われてたな」
と父が言った。
 
「まあ女の子に見えたのかもね」
と真珠は平然とした顔で言った。
 

「女の子にしか見えないんですけど」
と小児科医は緩菜のお股を見て戸惑うように言った。
 
「でも生まれた時は男の子だといわれたんですけど。何だか染色体検査もしていましたよ」
と貴司は医師に言った。
 
「あらためて検査してみていいですか?」
「はい、お願いします」
 
それで緩菜の口腔内の粘膜を採り、検査してみたところ確かにXYであることが判明した。緩菜のお股の“陰裂”のようなものを開いてみると、尿道口は通常の女子の位置より前方で“陰核”のように見えるものの少し後ろの方に開口しており、女の子の“前付き”にも思えるが、もしこの子が男の子であるとしたら尿道下裂の一種と思われた。“陰核”のように見えるものは体外に数ミリしか出ておらず、とても陰茎には見えない。
 
“陰裂”の最後部には膣のように見える穴?凹み?が見える。結構な深さがあるように思われた。
 
睾丸があったはずというので医師はその付近を触診したものの、見付けることはできなかった。
 
「私にはこの子の性別を判定することができません。紹介状を書きますから、もっと大きな病院で診てもらわれませんか?」
と医師は悩むように言った。
 

緩菜は生まれた時、股間の形状が男の子なのか女の子なのか曖昧だった。それで病院では染色体検査をした上で、男の子のようだとし、母子手帳と出生証明書にも男児と記載したものの、性別に関しては出生届けを提出する前に、念のため大きな病院で調べてみたほうがいいですと言って、医師は紹介状を書いてくれた。
 
しかし美映はそのことをきれいに忘れていた!
 
そして貴司はその話を聞いておらず、書いてもらった出生届けをそのまま役場に提出してしまった(と思っているが、本当に出生届けを役場に提出したのは“貴司の妹・理歌”である)
 
ところが先日掃除をしていた時、その紹介状が出てきたのである!
 
「あ、忘れてた」
 
ということで、美映は貴司に休みを取ってもらい、6月7日(金)、一緒に市立病院に連れて来た。ところがこの病院でも緩菜の性別は分からないと言われ、結局、大学病院を紹介されたので、週明けの6月10日(月)、再度貴司に休みを取ってもらってそこに連れて行った。
 
すると再度染色体検査をし、MRIなども取った上で医師は言った。
 
「間違いなく男の子ですよ。停留睾丸ですね。陰嚢が左右合体していなくて陰裂のように見えるのも、尿道下裂ではわりと普通にある症状なので大きな問題はありません。おそらくその停留睾丸で睾丸の活動が鈍い(にぶい)のでペニスの発達も遅れているし、陰嚢も別れたままなのでしょう。3〜4歳になったら自然に下に降りてくると思いますし、そうすればペニスも発達すると思いますので、それを待つ手もありますが、手術する手もあります」
 
「手術するって、睾丸を取るんですか?」
と貴司は尋ねた。
 
美映が頭に手をやっている。
 
「えっと・・・睾丸を取ることを希望するのであれば考慮しますが、普通は睾丸を体内から引き出して陰嚢に縫い付けるんですよ。睾丸は体内にあって高温状態にあると活動できないので皮膚のそばに固定することで、活動が促進され、ペニスの発達も促されると思います」
 
「ああ、なるほど」
「では手術を希望しますか?」
 
貴司は美映と視線を交わし、頷き合う。
 
「それでは手術お願いします」
「睾丸を取る手術にします?皮膚のそばに固定する手術にします?」
「固定する方法で」
 
「その場合に当病院では、陰嚢内にシリコンボールを入れて重しにして陰嚢を伸ばすようにする手法を推奨しているのですが、それもしますか?」
 
「ああ、睾丸を取ってシリコンボールを入れるんですね?」
「あの〜、本当に睾丸を取りたいのであれば・・・」
 
美映が確認した。
「睾丸はそのままで、その他にシリコンボールも入れるんですよね?」
 
「そのつもりでしたが。シリコンボールは半年後に除去しますが」
 
「その方法でお願いします」
と美映が言った。
 

緩菜の手術は7月8日(月)に行われた。手術室に運び込まれていく緩菜を見て、美映は
「緩菜、普通に女の子として育ててもいいと思うけどなあ。貴司もむしろ睾丸取ってあげてほしいみたいに言ってたし」
 
などとつぶやいていた。
 

30分ほどで手術は終わったようである。病室で回復を待って診断を受けてから念のため一晩様子を見、明日退院ということであった。それで病室に行こうとした時、病院の事務のような人に貴司と美映は呼び止められた。
 
何か書いてほしい書類があるとかで、それに記入する。それから病室に行き、すやすやと寝ている緩菜の様子を見た。麻酔は部分麻酔(但し眠たくなる薬を併用している)なので2時間もすれば切れるだろうということだった。
 
貴司は会社から呼ばれて出て行った。顧客から納品について問い合わせが来ているが、分かりそうな人が誰もいないという話だった。先週も似たような話を聞いたが、この会社どうなってんの?などと思う。どうも先月社長が交代してからおかしくなっているようだ。
 
緩菜は麻酔が切れたら痛がるかな?と心配したが、どうも平気そうである。男の子みたいなお股になっちゃったのかなぁ?とちょっと残念な気持ちになった美映は、勝手に見ちゃいけないかなあ、などと思いながらも包帯をほどいて、お股を見てみた。
 
「何も変わってない気がする」
とつぶやく。
 
普通に女の子にしか見えないお股である。触ってみるが睾丸らしきものもない。
 
そもそも手術したような跡とか見当たらないんですけど!?
 

若い母親は、前橋からベビーカーごと赤ちゃんを受け取り、
 
「ありがとうございます」
と御礼を言った。
 
「今麻酔が効いていますが、1時間もすれば切れて少し痛がると思います。もしあまり泣くようでしたら、この鎮静剤を飲ませてください」
と言って薬も渡す。
 
「それで手術代は先日も言いましたように、新しい手術法の治験ということで無料ですので」
 
「助かります。ありがとうございました」
「半年後に、今回挿入したシリコンボールを除去する手術をしますので」
 
「シリコンボールを除去するんですね?睾丸ではなくて」
「あのぉ、シリコンボールを残して、睾丸の方を除去した方がよければ考慮しますが」
 
「どうしよう?半年後までに考えておいていいですか?」
「そうですね。その場合は申し出て下さい」
と前橋善枝は笑顔で若い母親に言った。
 
まあ、“間違う”ことはあるよね〜、などと前橋は考えていた。この日も赤ちゃんは可愛いピンクの服を着ており、母親が実際女の子に準じた扱いをしているのは明白である。
 

美映は緩菜に御飯を食べさせ、サービスで冷凍室から搾乳ボトルを取り出して解凍したものを哺乳瓶で飲ませて、緩菜が眠ったのを見て、部屋の掃除をした。そしてつぶやいていた。
 
「緩菜ちゃん、男の子みたいな形にされなくて、良かったね〜」
 

水泳世界選手権に参加している青葉。
 
7月21日は400m自由形であるが、昼間に予選、夕方に決勝と1日で実施する。予選は5組あり、上位の人ほど遅い組の中心付近レーンで泳げるように組み分けがされている。青葉とジャネは事前ランキングで6位(同タイム)だったので、青葉が4組目の第6レーン、ジャネは5組目の第3レーンに割り当てられていた。
 
決勝に進むためにはタイムで8位以内に入らなければならない。つまり春の日本選手権で出したのと似たようなタイムで入らないと決勝に進めない。要するにこの予選は手抜きが許されず、自分の全力を越えるくらいの速度で泳ぐ必要がある。
 
しかし青葉は先日南米から戻った後の昂揚した気分がずっと継続していた。結果、青葉は4:05.17の予選4位という好タイムで、ついでにこれは日本新記録であった。ジャネも何とか8位に入り、2人とも決勝に進出することができた。
 
レースが終わってから「お昼食べに行きましょう」とジャネを誘ったのだが、彼女は青葉の声が聞こえないかのように目を瞑って集中していた。
 

青葉は昼食後、会場の控室で毛布をかぶって眠っていた。そして20時半に女子400m自由形決勝は行われた。青葉は6コース、ジャネは8コースである。
 
号砲とともに飛び込んでスタートするが「速い!」と思った。予選は結構遅い人も混じっていたので、そんなに“速度”を感じなかったのだが、決勝は凄い。こちらが自転車で走っているのに、みんなバイクで走っているかのような感覚である。必死に泳ぐ。しかしどんどん両側の選手に離されていく。
 
これはとんでもない世界だと青葉は思った。
 
ゴールにタッチする。
 
計時を見る。
 
1.Blumenfield 3:58.76 OC
2.Sherman 3:59.97
3.Greenwood 4:01.29
4.Hatayama 4:03.98 NR
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7.Kawakami 4:05.01
 
青葉は予選より速いタイムだが7位だった。そしてジャネが青葉より速い日本新記録で4位に入った。これで青葉の日本記録はわずか8時間ほどでジャネに破られ、ジャネが400m自由形の日本記録保持者となった。
 
青葉は退水してからすぐジャネに「日本新記録おめでとうございます」と声を掛けたが「メダル狙ってたんだけどねぇ」と悔しそうに言っていた。
 
しかしやはり世界トップレベルは凄いと思った。ジャネは4位とはいっても銅メダルの人との差は2.69秒で、距離に直せば4.5mもあるのである。
 

「そういえば東京オリンピックの選手選考ってどうなるんでしたっけ?」
と夕食の席で青葉は訊いた。
 
青葉としてはできるだけ代表に選ばれたくない!という気持ちである。
 
ジャネはこう答えた。
 
「まだ日本水連の見解が出てないんだけど、FINAは OQT - Olympic Qualifying Time, OST - Olympic Selection Time というのを設定している。OQT が基本的にはオリンピックに出しても恥ずかしくないタイム、 OSTは最低このくらいでは泳いでもらわないと、進行上の問題が生じるというタイム」
 
「へー」
 
「基本的にはOSTを突破している人なら各国2人まで選んでいいんだけど、この2人がどちらも OQT を突破している場合は枠が拡大されて OST を突破している人ならあと1人加えてもいい」
 
「速い人がいれば拡大されるっていいですね」
 
「OQT, OST を適用するのは、世界選手権、各大陸選手権およびその予選大会、各国の選手権およびその予備選、あるいは FINA主催の大会で、2019年3月1日から、2020年6月29日までに行われたもの」
 
「期間が長いですね」
「でもたぶん日本水連は来年春の日本選手権で一発選考するのではないかという気がする。ものすごく優秀な記録を出した人は別として」
「ああ」
 
「だったら、この世界選手権の記録は気にしなくてもいいですね」
と青葉が言うと
「世界新記録とか出したら別という気がするけどね」
とジャネは答える。
 
「私、それ狙っていきたいなあ」
と金堂さんは言っている。
 
「うん。頑張れ頑張れ。来年春の日本選手権では、今回来ていない南野・永井も頑張るだろうし、竹下(リル)も来るよ。ハイレベルな争いになると思う」
とジャネ。
 
だったら安心かなあと青葉は思った。リルちゃんは見る度に速くなっている。きっと私を追い越してくれる!
 

そんな青葉の顔を見ながらジャネは言った。
 
「もっとも OQT は日本水連の派遣2記録より遅い」
「うっ」
 
(↓は2019.9時点でのタイム)
レベル_OST______OQT______派遣2
400自_ _4:15.34 _4:07.90 _4:07.10
800自_ _8:48.76 _8:33.36 _8:29.70
1500自 17:01.80 16:32.54 16:02.75
400iM_ _4:46.89 _4:38.53 _4:38.53
 
「日本水連としてはオリンピックに参加してもいいよ、という程度のタイムでは困るということだよね。最低でも決勝進出できるレベル。派遣2記録というのはその決勝進出ラインとして日本水連が想定したタイム。派遣1はメダルが取れるタイム、派遣Sは金メダルが取れるタイム」
 
「金メダルかぁ・・・」
 
「まあここにいる3人は、みんな派遣2は突破しているからFINAが指定した条件は満たしているんだけどね」
 
「南野・永井・竹下まで含めた6人で各々の競技の2人か3人の枠を争う訳ですね」
「まあ、ゆるゆると頑張ろうよ」
とジャネはボーイにステーキのお代わりを頼んでから言った。
 

《せいちゃん》は2018年6月以降、小樽市の民家にほぼ常駐して“松本花子”のプロジェクトを運用しているのだが、その日はハードディスクなどの消耗品?を買いに札幌まで出た。それでヨドバシで適当なものを物色していたら、思わぬ人と遭遇した。
 
「八重さん?」
「あれ?村山さん、こちらへは出張ですか?」
「実は今小樽に住んでいるんですよ。八重さんこそ出張ですか?」
「私は今帯広に住んでいるんですよ。学校は退職しまして」
「あらあ、奇遇ですね」
 
ということで少しお茶を飲んで話した。
 
“松本花子”の基礎技術の中には、《せいちゃん》が千里の代理でJソフトに勤めていた時期、八重美城が校長をしていたSF音楽学院の依頼で作成した自動採譜ソフトを作成する際に開発した技術が含まれている。もっともそのロジックの大半は40年くらい前に《せいちゃん》が楽器メーカーでシンセサイザの開発をしていた時に覚えたテクニックである。高度の解析学や音響学の理論に音楽理論まで使用されており、内容を完全に理解できる人は国内でたぶん数百人以下である。
 
《せいちゃん》はJソフトには村山千里として勤務していた訳だが、元々は彼は美城の奥さん・三奈さんと自動車学校で知り合っていて、その紹介で美城校長の相談にのったものである。八重美城(旧名海城)と三奈は、美城が性転換して女性になりたいと言うのでいったん離婚したものの、結局再度結婚して、女同士の夫婦になった。美城は性転換手術も終えた後、法的な性別変更の準備をしていたのだが、診断書ももらい、書類も書いて裁判所に申請する直前に三奈との関係が復活してしまった。それで結局戸籍上の性別は変更しないことにし、名前だけ女性的な美城に変更した上で、婚姻届を提出したらしい。名前が女性的なので、日常的な手続き関係でのトラブルはほぼ無いという。
 
そういう訳で、《せいちゃん》も美城元校長も、ある意味男性かも?知れないがふたりとも女装で、その女装に違和感が無いので、ふたりの話している様子はふつうに、おばちゃんが2人おしゃべりしているように見えた。
 
現在、美城さんは帯広市の郊外で知人の甜菜農家の手伝いをしているということで、来年からはちょうど年齢の問題で引退を考えていた農家から農地を買い取り、そこで春から秋にかけて、甜菜の栽培をする予定ということだった。甜菜は3月からビニールハウスで育て始め10-11月に収穫するらしい。
 
「冬の間はどうするんですか?」
「甜菜を砂糖に加工する工場で働くんです」
「なるほどー!」
「その工場もひとつ買い取る話があるんですけどね」
「ああ、そういうのの経営も大変でしょうね」
 
この日は2時間ほど話をしたのだが、《せいちゃん》はその内、帯広にもお伺いしますよ、と言って別れた。
 

世界選手権は、7月22日のお昼に女子800mの予選が行われた。青葉が6位、ジャネが5位で決勝に進出する。そして23日夜21時半に決勝が行われる。
 
青葉は予選が終わった後、翌日の夕方まで、30時間近く、宿舎の部屋に籠もっていた。青葉はプールでの練習時間と食事の時以外ずっと部屋のベッドの中で自分のスイミングのイメージを再生してトレーニングしていた。脳内で自分がアメリカや中国の体格の良い選手を華麗に追い抜いてしまうイメージを持つ。やはり400mの決勝とかは気合い負けしていたよな、と反省したのである。
 
しかし・・・まともに練習できないのが辛いと青葉は思っていた。様々な国の選手が来ているため、練習場を使える時間がひじょうに短い。ここしばらく1日1〜2時間しか練習できず、しかも練習レーンは共用なので全力では泳ぐことができず、青葉はフラストレーションが溜まっていた。
 
「大会直前に南米まで日食見に行った間は全然泳いでいなかったくせに」
とジャネから言われたが、その後たくさん泳ぐつもりでいた。
 
そんなことを考えている内に号砲が鳴り、青葉は慌てて飛び込んだ。
 
そしてひたすら泳いだ。
 
タッチして計時を見る。
 
日本語の歓声が凄い。
「すごーい」
と青葉も声をあげた。
 
1.Hatayama 8:08.87 NR
2.Amelia 8:10.12 3.Blumenfield 8:12.23
4.Kawakami 8:13.46
 
青葉はメダルにあと少し届かず4位。ちょっと惜しいなという気がした。
 
しかしジャネが日本新記録で優勝。金メダルである。青葉は予選のタイム(8:13.20)を上回ることができなかった。青葉としては、あまり代表に選ばれたくないのだが、かといって自分として不本意な成績は出したくないという微妙な気持ちである。
 

7月24日は青葉の出る競技は無かった。1時間ほどの割り当て練習時間の他は選手村の中をジョギングしたり、体操や筋トレなどをして過ごした。日韓関係が微妙なこともあり、特に必要がない限り選手村と競技場以外には行かないようにという注意がされている。
 
25日は、afternoon時間帯に400m個人メドレーの予選があり、タイムで8位以内に入れば決勝に進出できる。
 
青葉はどうすれば少ない練習時間で最大の効果をあげられるのだろうと悩みながらスタート台に立った。この時青葉は無心になっていた。
 
号砲がなるのと同時に身体が動いていた。
 
バタフライ、背泳、平泳ぎ、そして自由形と泳いでいく。
 
タッチ。
 
時計を見て「え?」と思う。
 
自分の名前がいちばん下に表示され、 DSQ と表示されているのである。DSQというのは Disqualified (排除された)という意味で、要するに失格だ。
 
アナウンスがある。
「Rane 6, Kawakami from Japan is disqualified for false start」
 
フライング〜〜!? うっそー!
 

がっかりして、記者っぽい人に「Sorry」とだけ答えて控室に戻る。しばらくボーっとしていたら、金堂さんがなんだか嬉しそうにしている。
 
「どうしたの?」
「川上さん、予選は4:38.93だったでしょ?」
「いや、フライングではどうにも」
「RT(反応時間 reaction time)が0.09だったって。あれ0.1より速いと山勘でスタートしたとみなされてフライングになるんだよね」
と金堂さん。
 
「ああ、青葉は元々霊能者だから勘が良すぎるんだよ。いつも危ないなあと思って見ていた。400m自由形も0.40秒で反応していて他の選手より明らかに早かった。みんなだいたい0.7-0.8秒程度、反射神経のいい短距離選手でも0.5-0.6秒なのに」
とジャネも言う。
 
「私もマジで反応するとフライング取られることあるからブザー聞いてから一瞬置いて飛び込むんですよね」
と金堂さん。
 
「そういえば、以前南野さんとそんな話をした」
と青葉。あの時は青葉が彼女にその問題について注意したのに!今日は何にも考えていなかった。
 
「でも川上さんが失格になったおかげで、私は4:40.55の9位だったのが繰り上がって8位になって決勝進出。私のRTは0.85だったから、川上さんが同程度の反応時間でスタートしていたら4:39.69で、私の記録を上回っていたから、私は決勝に行けなかった」
 
青葉も笑顔になる。
「だったら、多江ちゃん、銀メダル取ろう」
「銀なんですか!?」
 
「ジャネさん、そういうのがありましたよね?」
 
「そうそう。2008年北京オリンピックの女子100m自由形で、中国の龍佳穎(ハン・チャイン)がフライング失格になったので、繰り上がりで決勝進出したオーストラリアのリビー・トリケットが銀メダルを獲得したんだよ(*3)」
 
「すごーい!」
 
そしてこの日の金堂さんはジャネたちにうまく載せられた結果?、4:37.23のタイムで本当に銀メダルを獲得したのである。彼女にとっては国際大会で初のメダルである。
 

(*3)この時、準決勝では1位Natalie Coughlin(USA)が53.70、9位のLibby Trickett は54.10で、1位と9位の差がわずか0.40秒である。これが水泳短距離の世界だ。
 
しかしPang Jiayingの失格でTrickettは決勝進出。決勝ではBritta Steffen(GER)が53.12で優勝。トリケットは53.16の0.04秒差で銀メダルを獲得した。準決勝トップのコーグリンは53.39で銅メダルであった。
 

7月26日も青葉が参加する競技は無いので、チームの練習時間に1時間泳いだほかは、また選手村の中をジョギングしたりしていた。
 
その26日の夜、とうとう後は1500mだけ(27日予選・28日決勝)と思いながら、選手村の自室で気分転換!?に作曲をしていたら、携帯に着信がある。見ると夏嶺夜梨子さんである。千里姉の高校時代の元チームメイトで、社会人のジョイフル・ダイヤモンドを経て、現在はバスケからは引退して郷愁村の50mプールの管理人をしている。郷愁村では今回の合宿に入る前、随分練習していた。私、何か忘れ物でもしたかな?と思い、電話を取る。
 
「こんばんは、川上です」
 
「あ、川上さん、郷愁村プール管理人の夏嶺です。実は幡山さんがこちらに忘れ物をしていて、困っているんじゃないかと思って」
「ああ、彼女の電話番号、ご存知無かったですかね?えっとですね」
 
「いえ、そうではなくて、幡山さんがスマホを忘れて行かれているんですよ」
「それでは連絡できませんね!」
「千里さんに聞いたのですが、今、川上さんも幡山さんも韓国なんでしたっけ?」
 
「そうなんですよ。大会があって」
 
「それで川上さんにこんなことお願いして申し訳無いのですが、幡山さんに、帰国なさった後、こちらにお寄りいただけるようお伝えいただけませんか?」
 
「分かりました。伝えます」
と答えてから、青葉は何気なく尋ねた。
 
「幡山さん、いつ忘れていったんですか?」
「今日の夕方ですよ」
 
へ?
 
「今日・・・幡山さん、そちらに行ったんですか?」
「ええ。たぶん今日こちらで泳いだ後、韓国に渡られたのかな?でもスマホがないと困るでしょうし、どこに忘れたか不確かかも知れないと思って」
 
「幡山さん、もしかして毎日来てました?」
 
「はい。川上さんも南米に行ってこられた他は、10日まで幡山さんと一緒に練習なさってましたよね。その後も幡山さんのほうは毎日泳ぎに来ておられました。あ、22-23日はおいでにならなかったかな」
 
「ああ、なるほど。そういえばそんなこと言ってましたね。では伝言しておきますね」
と言って青葉は電話を切ったものの、頭の中が大混乱であった。
 

ジャネが11日以降も毎日熊谷市の郷愁村のプールで泳いでいたって??
 
だってジャネは11日以降は東京の合宿所に居て、17日からはこちら光州に居るのに。今日のお昼も夕食も金堂さんと3人でとったぞ!?
 
青葉は1分ほど考えてから思い至った。
 
マソとマラが日本と韓国に別れて居るんだ!
 
おそらく2人は各々の意識を交換できるのではなかろうか?
 
マラもかなり水泳がうまいが、世界選手権で活躍できるほどなのはマソだろう。
 
だから競技に出る時はこちらにいるジャネがマソになっている。しかしそれ以外の時間帯では、こちらはマラになっていて、日本に居るジャネがマソになる。そしてたくさん練習している。
 
そういえばここ数日のジャネは異様によく食べると思っていた。あれはマラのほうの食欲なんだ!
 
こちらには肉体が来ているだろうから、日本にいるのは霊体だろうけど、霊体のマラがまるでふつうの人間であるかのように一部の人(マラ自身が思念を送った相手および霊感の強い人)にも見えて、プールでも泳げるのは、最初に彼女に関わった事件で青葉自身が見ている。携帯程度の軽い荷物は、意識交換の際に一緒に転送できるのかも?服くらいは意識と連動して持って行けるだろうし。実際マソは通帳をマラに渡して記帳させたりしていた。いや違う!あれはきっと通帳を持ったマソが、遠隔地に居るマラと入れ替わって自分で記帳してきたんだ!つまりその程度の軽い荷物は意識と一緒に移行できるのだろう。
 
しかしジャネは、そうやって遠征中の練習を確保していたのか!
 
ジャネが郷愁村に来なかったという、7月22-23日は800mの予選・決勝があった日だ。おそらく“充分な練習をしている”という前提で、競技当日は身体は休めて精神的な集中を優先したのだろう。
 
青葉は30分くらい腕を組んで考えていた。
 
「負けるもんか!」
と青葉は唐突にメラメラと闘志が燃え上がった。
 

7月27日のお昼に女子1500m自由形の予選が行われた。この競技の予選は3組で、ジャネが3組、青葉が2組で泳いだが、2人とも決勝に進出することができた。2人とも従来の日本記録(15:58.55)を超えている。
 
しかしオリンピックでメダルを取るには日本記録を突破するくらいでないといけないのである。そう考えると、日本記録なんてただの通過点じゃんという気がして、かなり気分が楽になった。
 
そして・・・。
 

青葉は27日予選後に、夕方の便で日本に単身帰国した!
 
宿舎の自室で寝ているということにして、部屋の外から声を掛けられたような場合は、自室に留守番として置いてきた《玉鬘》にお返事をしてもらう。
 
玉鬘は青葉の眷属の中で唯一、人に聞こえる声を発することができる。(ただしその姿は普通の人には不可視)
 
青葉は昨日夕方の時点で、とにかく酷い練習不足を感じていた。その練習不足が心理的なものにまで影響していた。普段練習をたくさんする性格なので、その練習ができないという状況下では自分に自信を持てなかった。
 
それで400mでは気合い負けしてしまったし、800mでも充分な力が出せず、400m個人メドレーではフライングになってしまった(さすがに叱られた!)。
 
結局まともに泳いでいたのは7月10日までで、その後はプールが共用なので自由に使えない合宿所のプールで日本代表の練習、そして韓国に来てからは1日に1時間程度しか泳げず、それも多人数で共用するので、全然自分のペースで泳げないという、ほんとうに悪条件の下で半月ほど過ごしてきた。
 
それで日本にいったん戻ることにしたのである。青葉は予選2組目で泳いだので競技は12:01頃に終了した。コーチには「疲れたので宿舎に帰ってます」と言い、ジャネも出る予選最終組は見ずに会場を出て駐車場に行く。向こうがこちらを見付けてくれた。
 
「川上青葉さん?」
と日本語で声を掛けてくる30代の女性がいる。
「チャン・スヤン?」
 
「乗って下さい」
「チャル・プタッカミンダ(よろしくお願いします)」
 
それで青葉は彼女の現代(ヒョンデー (*4))ソナタに乗り込む。
 
「お弁当とミネラルウォーターを用意しておきました。食べたら眠っててくださいね」
と彼女が言うので
「カムサハムニダ(ありがとう)」
と言って、青葉は15分ほどでお弁当を食べた後は、目を瞑って自分を睡眠に導いた。
 
(*4)日本では「ヒュンダイ」、英語でもHyundaiだが、実は韓国語の発音はヒョンデー。
 

予選終了から決勝戦までの間に日本まで往復してきて、深川アリーナか郷愁村でたっぷり一晩中泳いでこようというのは、昨夜ジャネが郷愁村で泳いでいたことを知ってからすぐ思いついた。それで時刻表をチェックするとこういう往復が可能であることを知った。
 
光州Uスクエア13:10(高速バス)16:50仁川空港18:50 (OZ108) 21:10成田
 
成田9:00 (OZ107) 11:30仁川空港/光明駅13:51 (KTX) 15:23光州松汀駅
 
このスケジュールで往復すれば、深川アリーナの25mプールで、夜通し7時間くらい泳げそうである。
 
しかし高速バスは遅れるかも知れない。仁川空港から光明駅までの交通と乗り換えは慣れていないとミスるかも知れない。万一きちんと連絡できなかったら決勝戦に遅刻して失格などという前代未聞の事態もあり得る。
 
青葉は『餅は餅屋』と言ってたよなと思い、素直に千里姉を頼ることにした。2番はアバウトだから、こういう時は緻密な思考の3番かなと思い電話してみた。
 
「ああ。全然問題無い。だったら、韓国に住んでいる友人に光州と仁川空港の往復を車で送ってもらうようにするよ」
「助かる」
「ひとつだけ条件がある。車の中では熟睡していてほしい」
「了解。何も見ないし何も聞かない。眷属たちにも目を瞑っているように言う」
 
たぶん“ワープ”しちゃうんだろうなと思った。しかしそれは姉は絶対に他人には明かせない方法である。
 
「ちなみに直接、郷愁村まで連れていってもいいけど」
「密入国・密出国はやめておく」
「往復の時間の分も練習できるのに」
 
それはさすがに疲れすぎる気がした。
 

そういう訳で青葉は目印になる黄色地に青い鹿の模様のTシャツと青い膝丈スカートで会場の外に出て、チャンさんに拾ってもらったのである。
 
実際1500m泳いだ後なので、けっこうな疲労感があり、自然に眠ってしまった。起こされて目が覚める。
 
「着きましたよ」
「カムサハムニダ」
「これチケットです。チェックインも終わっています」
「チョンマル・カムサハムニダ!(本当にありがとうございます!)」
 
それで青葉は空港の建物に入り、セキュリティの所に並ぶ。時計を見ると13:20である。1時間10分くらいで来たことになる。光州から仁川までの距離はたぶん300km近い。東京から浜松か豊橋付近までの距離。どう考えてもあり得ない時間だが気にしない。受け取ったチケットは下記である。
 
ICN 7/27 14:25 (KE5743) 16:55 NRT
NRT 7/28 12:00 (TW202) 14:40 ICN
 
どちらもチェックイン済みである。14:40に仁川空港に戻ってきた場合、常識的には光州の会場に入れるのは19時くらいになるのだが、きっともっと早く到着できるのだろう。自分が車内で熟睡していれば!
 
ちなみに女子1500mの決勝が行われるのは20時頃と思われるが、ドーピング検査もあるし、2時間前には会場に入っておく必要がある。
 
(ドーピング検査は何度も受けて、さすがにもう検査官に見られながらおしっこするのも平気になった)
 

成田空港に着いてから、矢鳴さんと落ち合う。彼女が運転するオーリスで結局郷愁村まで送ってもらった。深川アリーナとどちらにするか迷ったのだが、やはりどうせなら50mプールで泳ぎたいので郷愁プールにした。到着したのは19時半である。矢鳴さんもお弁当とお茶を用意してくれていたので車内で食べた。その後やはり車内で眠っていたが、こちらはワープせずに普通の到着時間である!
 
夏嶺さんがいたので「スマホ、私が届けますよ」と言うと渡してくれた。
 
「帰国なさったんですか?」
「明日の朝の便で韓国に戻ります」
「忙しいですね!」
「千里姉には負けます」
「あの人は日常的にスペインとかアメリカとか行っておられるみたいですね」
「千里姉の移動量は信じがたいです」
 
移動中は食事をする以外ひたすら寝ていたので、体力は充分回復している。青葉は思いっきり泳いだ。
 
20-22時:練習
22-23時:軽食と仮眠
23-01時:練習
01-02時:夜食と仮眠
 
夏嶺さんは22時で帰り、深夜の管理人さんに交替する。彼女は女子大生で水泳部に所属している人なので、自分がここにいるのを見られたらやばいかな?という気もしたのだが、忠実に職務規程を守っているようで、一瞬「あれ?」という顔はしたものの、何も詮索しなかった。
 
ジャネ不在、筒石も韓国に行っているので、この日は夜中すぎにアクアが
「撮影の気分転換に」
などと言って1時間ほど泳ぎに来たほかは誰も居なかった。彼は旅館《昭和》のコテージ“桜”に撮影中は泊まっている。
 
胸が無いのでアクアMと思われたが、女子水着をつけていたので尋ねてみた。
 
「龍ちゃんって、いつも女子水着だよね。男子水着はつけないの?」
 
すると彼は答える。
「男子水着は買ってもすぐどこかに行っちゃうんです」
 
あくまでアクアには女子水着を着せたい人が周囲にたくさん居るようである。
 

青葉は2時間泳いでは1時間休憩のパターンで練習を続けた。
 
02-04時:練習
04-05時:軽食と仮眠
05-08時:練習
 
最後だけ3時間ぶっ通しで練習している。1500mを泳ぐには15分掛かるので、だいたい1500m全力で泳いでは5分休憩、1500m泳いでは5分休憩、というのを20分単位で繰り返しており、1時間に3回、3時間で9回泳ぐ。
 
正確には19:45頃から始めて7:45くらいで終えており、合計9時間泳いだので1500mを27回泳いだことになる。これで“練習不足”感覚はきれいに解消できた。
 
なおアクアはFと思われる子(胸が大きかった)が明け方泳ぎに来た!
 
「撮影は順調?」
「はい。みんなあまりNG出さないし、脚本はしっかり練られていて撮り直しも少ないので、予定より1〜2割速いペースで進んでいるそうです」
「それはよかった」
「でも私たち、やはり3人分お仕事している気がします!」
と文句を言っている。
 
「あはは。でも1人しか居なくても、きっと3人分お仕事してるよ」
「それ考えるだけでも恐ろしい」
 

6時で交替した朝の管理人さん(国体に出たこともある元水泳選手)から7時45分くらいに「そろそろあがった方がいいですよ」という声が掛かった。青葉はあがってシャワーを浴び、また昨日の鹿模様の服に着換える。矢鳴さんが来ているので成田まで送ってもらう。朝御飯(旅館“昭和”の朝食である!)を用意してもらっていたので、車内で食べた後は眠る。成田に到着したのが10時前である。
 
一般的には成田には2時間前には入らなければならないと言われるのだが、チェックインが済んでいるので、その分、時間を節約できる。青葉の荷物はバッグ1つで、預ける荷物もない。それで10:40くらいには搭乗口前まで来ることができた。
 
予定通りの飛行機に乗り、機内でも寝ている。仁川(インチョン)に到着したのは予定より少し遅れて14:50くらいであった。入国手続きをしてからチャンさんと落ち合い、彼女の車で光州まで送ってもらう。
 
「寝ていてくださいね」
「デー(はい)」
 
それで青葉は車内でまたぐっすり眠った。私、昨日の予選の後何時間寝てるんだろう・・・と考えてみると10時間くらい寝ている!
 
これなら練習不足だけでなく睡眠不足も一気に解消かな?という気がした。
 
完全に熟睡していたのを起こしてもらう。
 
「着きましたよ。頑張って下さいね」
「チョンマル・カムサハムニダ!」
 
時刻は16時少し前である。青葉はADカードをかざして中に入ると、日本チームの控室に行った。ジャネがいたらスマホを渡そうと思ったのだが、まだ来ていないようである。
 

軽く準備運動をした後、トイレに行き、出てきたところで入口の方から来たジャネと遭遇した。
 
「青葉昨夜はどこ行ってた?他の人は不在に気付かなかったようだけど」
とジャネが訊く。
 
「ちょっと夜遊び」
「男買ったりしたのがバレたら、資格停止くらうよ」
「さすがにそういう遊びはしません」
「じゃ女買ったの?」
 
「なんでそうなるんですか?」
「一度マソと寝てみたことあるけど、やはり女とやるのは楽しくない。私は男とやるほうが好きだ」
 
つまり今居るのはマラのほうのようだ。マソは寝ているのだろうか。しかし身体はひとつしかないはずなのにどうやって結合したのだろう?(*5)
 
「自分とセックスして楽しいんですか?」
「向こうも楽しくない、まだオナニーの方がいい、と言っていた」
「ちなみにどちらが男役だったか訊いていいですか?」
 
「マソはバージンだから男も知らないのに女に入れられるのなんて絶対嫌と言ったから私が女役だったよ。でもマソは男の感覚が分からないみたいでさ。これきついだけで全然気持ち良くないって言うんだよ。マソが下手だから私も気持ち良くなれなかった」
 
へー!マソさんは(多分身体も)バージンなのか。つまり筒石さんと寝ているのはいつもマラな訳だ。要するに2016年以降、“牡丹灯籠”(*6)は継続している。だから筒石さんは実は生身の女性との経験が無い!
 
青葉は自分のバッグからスマホを取り出した。
「そうそう。忘れない内に。これ郷愁プールに忘れてあったそうです。代理で受け取ってきました」
 
と言って青葉がジャネ(マラ)に Xperia X Performance SOV33 Lime-Gold を渡すと、ジャネは目を丸くしていた!
 

やがて集合時間になるのでジャネと一緒に行って点呼を受ける。全員居ることをADカードまでチェックして確認。その後ドーピング検査お願いしますと言われ、2人ずつ検査に行く。次は自分の番かなと思ったら飛ばされる!?
 
「済みません、私の検査は?」
と(英語で)尋ねると韓国人の検査官は
 
「川上さんは、午前中に抜き打ち検査にご協力頂きましたので直前検査は不要です。もし3位以内になった場合は事後検査もお願いします」
と日本語で言った。
 
抜き打ち検査!?“私が”その検査を受けたの??
 
「あぁ、なるほどですね。分かりました」
と青葉は平然として(韓国語で)答えたものの、どうなってんだ??と思った。
 
 
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【春根】(2)