【春枝】(4)
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(C) Eriki Kawaguchi 2019-07-15
アクアは、ゴールデンウィークのドームツアーを終えた後、翌週は抑制気味に仕事をした。だいたい8時までには仕事が終わるように調整している。そして5月11-12日の土日には次のシングル『集団旅行/ラブ・キャンディ』のPVを撮影した。
『集団旅行』の撮影は長野県の安曇野でおこなった。信濃町ガールズのOG4人で結成したリセエンヌ・ドー(“黄金の女子高生”の意味)が共演している。アクア・葉月とリセエンヌ・ドーの6人で旅行しているイメージである。ここでアクアだけが男装で、葉月は女装、リセエンヌ・ドーも当然女装である。大糸線の列車を豊科駅で降り、美術館などの並ぶ坂を歩いて行って、昨年春に移転リオープンした八面大王の足湯などでも撮影している。そして旅館に入り、男子のアクアと他の女子5人は別の部屋に入るのだが、アクアがくつろいでいたら、他の5人が押し掛けてきて取り囲まれ、アクアが貞操の危機を感じて?たじたじとするという筋立てになっている。
『ラブ・キャンディ』は安曇野から少し北上して、信濃町のナウマン象博物館で撮影している。一部野尻湖や戸隠神社の映像も入っているが、これはスタッフだけで撮影してきたもので、アクアや葉月たちは現地まで行っていない。
撮影終了後、リセエンヌ・ドーは東京に戻ったが、アクアと葉月、付き添いの高村友香・桜木ワルツは上越妙高駅に移動して新幹線で金沢に入った。次の週は学校を全休することにしている。
5月13日(月)は午前中金沢のテレビ局やFM局に出演し、午後からはかほく市のイオンモールに移動して、ここで『クイズ・メロディーでドン』の公開録画に参加する。わざわざ月曜日に公開録画をするのは、日曜日にアクアが出演する公開録画などしようものなら、ファンが殺到して暴動になりかねない!からである。
その日の夕方は七尾市に移動し、旅番組の撮影をした。
豪華な“花嫁のれん”を見たり、食祭市場でお魚を見てお寿司を食べたり、前田利家が作った小丸山城の跡を見たり、また経営破綻して今月一杯で閉鎖される(ことになっていた)七尾駅前のパトリア内で頑張って営業を続けているパン屋さんをのぞいて、シナリオに無かったのだが、アクアたちもそこでパンを買っていた。
その後、和倉温泉の超有名旅館・加賀屋に行き、食事シーンを撮影する。
アクア・葉月・ワルツの3人と、旅番組ではわりと出番の多い片原元祐(今回のホスト役)の4人でこの旅館の豪華な夕食を取り囲んだ。
戸籍上は男子3人と女子1人(ワルツ)のはずだが、葉月はもう最近女装でしかスクリーンに登場しないし、アクアも半ば女の子みたいなので、まるで男1人(片原)と女3人のようなノリの会話になった。
宿泊は、アクアは加賀屋別館の渚亭(1泊4万円)、片原さんは加賀屋の姉妹館“あえの風”(1泊6万円)に各々単独(という名目)で泊まったが、葉月・ワルツ・友香の3人は加賀屋の本館(3人で5万円)に泊まった。しかしそれでも3人は「豪華ぁ!」と感動していた。
なお、アクアが1人で単独で泊まるのは、本当は3人で泊まるからである!!「疲れてるからお腹が空く」と言って夜食を3人前頼み、朝御飯も3人分頼んでいる。旅館側は「高校生の男の子なら食べますよね」と言ってふつうに対応してくれた。なお番組で撮影した豪華な夕食を食べたのは、ジャンケンに勝った!アクアFである。
ところでゴールデンウィークが終わった後から、アクアはNという女性芸能レポーターにしつこく付きまとわれた。アクアは実は女の子ではないか?といってずっとくっついていて、トイレに行くのにも困るほどであった。13日の撮影にもつきまとわれて本当に困っていたのだが、そこに醍醐春海が子供を2人連れて通りかかり、どうも追い払ってくれたようで、その後は姿を見なくなった。
しかし翌日朝のニュースでそのNが“痴漢”で逮捕されたというのを見てアクアは仰天した。ニュースの報道によると、Nはずっと「女性レポーター」を装っていたものの、実は男で、女湯を覗こうとした所を捕まったらしい。
「人の性別って分からないね〜」
と“アクアたち”はネットのニュースを見ながら話した。
Nは結局アクアにしつこく付きまとっていた件でも取り調べられることになった(事務所が被害届を出した)。そしてアクアの事務所が被害届を出したら、他にもたくさん被害届を出す所が出て結構重大事件になってしまった。どこの事務所もレポーターと喧嘩して変なことを暴露されてはと恐れて被害届提出を控えていたらしいが、深夜タレントの私宅に無断侵入するなど、度を超した“取材”をしていたようである。
しかしみんな「まさか男とは思わなかった!」と驚いていたという。
5月14日(火)は能登島に渡り、ガラス美術館・能登島水族館でテレビ番組の撮影をした。アクアは能登空港から羽田行きに乗って帰京した。
NTQ 5/14 16:45 (NH750 737-800) 17:50 HND
15日は学校に行くことは可能だったが、疲労を考えて休むことにし、お昼過ぎに高村友香が運転するボルボで成田空港に移動した。一方葉月もこの日は学校を休み、桜木ワルツが運転するアウディで成田に向かった。別途事務所から電車で移動してきたコスモス社長と合流する。それで、コスモス・アクア・葉月・桜木ワルツの4人で飛行機に搭乗した。
NRT 5/15(Wed) 18:30 (NZ090 787-9) 5/16 8:05 AKL (10'35)
AKL 5/16(Thu) 16:10 (TN0102 A340-300) 5/15 23:00 PPT (4'50)
成田からニュージーランドのオークランド(AKL)に飛ぶが到着するのは翌朝8時である。オークランドで日中過ごし、ここで現地に予め入っていた三輪志保さんが若干の撮影をした。そして夕方にオークランドから今度はタヒチのパペーテ近くにあるファアア空港(PPT)に飛ぶ。この時、到着するのは日付が戻って前日15日の23:00になる。
いったん16日になったのにまた15日に戻るって面白ーいとアクアたちは言い合った。
15日の18:30に出て、同じ15日の23:00に到着したのなら、まるで4時間半でタヒチまで来たみたいだが、実際には日本は UT+9 タヒチは UT-10なので23時間半掛かっている。丸一日の旅である。
タヒチの5/15 23:00は日本時間では5/16 18:00なので、ホテルに入ったら軽食を取ってからすぐに寝た。
翌日から撮影が始まる。桜井さんと助手の四家さん、そして山村マネージャーと今回事前スタンドインを務めることになった姫路スピカの4人はゴールデンウィークの直後からタヒチに入って一週間掛けて撮影に良さそうな場所を探していた。同じく桜井さんの助手の三輪さんもロケハンに参加していたのだが、オークランドでのアクアを撮影するために一時的に移動していた。
(PPT 5/13(Mon)9:00 - 5/14(Tue)12:55 AKL)
被写体代わりを務めてひたすらタヒチのビーチを歩き回っていたスピカは「日焼けした!」と言っていた。ほんとに黒く焼けていた。山村マネージャーも日焼けしていたが、アクアと会うと
「なんか変なストーカー女につきまとわれたんだって?」
とアクアの心配をしてくれた。
「そうなんですよ。でも醍醐春海先生が助けてくださったんです」
「それはよかった」
「でもレポーターさん、女かと思ったら男だったらしいです」
「世の中、性別の分からん奴も多いからなあ」
「全くですね。女装男性も増えましたね」
と言うスカートを穿いた山村とリラコを穿いたアクアの会話を聞いて、ワルツは突っ込むべきなのか悩んだ。
山村もアクアも一応?男性のパスポートを使用している。
撮影は5月16日(木)朝から18日(土)の夕方まで3日掛けておこなわれた。あちこち移動してたくさんの写真を取ったが、効率良く撮影できたのはスピカたちによるロケハンが充分できていたおかげである。
タヒチは2つの丸い火山島が地峡(タラバオ地峡 Taravao isthmus)でつながった、ひょうたん型の島である。大きい方をタヒチ・ヌイ(Tahiti nui 大タヒチ)、小さい方をタヒチ・イティ(Tahiti iti 小タヒチ)という。近くには太平洋戦争の時にアメリカの基地があった火山島・ボラボラ(Bora Bora)島、“バリハイ”のモデルとされるモウア・ロア(Mou'a Roa 888m)山のあるモオレア(Mo'orea)島などもある。
“バリハイ(Bali hai)”とは、映画『南太平洋』に出てくる魅力的な島である。このミュージカルは James A. Michenerの紀行文『南太平洋』をべースにオスカー・ハマーシュタイン2世らが脚本を書いたものであるが、バリハイというのは、その原案となったミッチェナーの紀行文にもあるもので、水平線の彼方に見えるのにどうしても辿り着けない島を意味する。実際にはミッチェナーはタヒチではなくヴァヌアツの主島Espiritu Santoから遙か海上に見えるアオバ島(Aoba)(別名Ambae この物語の主人公の青葉とは無関係!)をイメージして書いたらしい。
この映画自体の撮影は実際にはハワイのカウアイ島でおこなっているのだが、バリハイのシーンの撮影には、マレーシアのティオマン(Tioman)島を使用している。
アクアたちの撮影は1日目はタヒチ島内、2日目はモオレア島でおこない、3日目はまたタヒチに戻って撮影した。モオレアを真ん中に入れたのは天候不順などでタヒチに戻れなくなったりした場合に備えたものである。
(山村は万一の時はフランス海軍の輸送機をチャーターするから、などと言っていたが、彼なら本当にやるかもとアクアは思った)
アクアは実際にはM・F・Nの3人が交替しながら撮影されていて、特に男子水着になる所はM、女子水着になる所!はFがやっているが、撮影位置の再確認などもスピカと葉月が交替でやったので、今回の撮影では葉月の負担も比較的軽く、2年前のプーケットでの撮影のように葉月が倒れる寸前になることもなかった。
帰りは直行便を使用した。
PPT 5/19(Sun) 7:15 (TN0078 A340-300) 5/20 14:05 NRT (11'50)
往復とも直行便を使えたらよかったのだが、週に2本(ファアア発=金・日、成田発=土・月)しかないので、片道はどうしても他の所(ロサンゼルスかオークランド)経由にするしか無かったのである。
成田空港からは迎えに来てくれた高村友香と河合友里の運転する車に分乗して事務所あるいは各々の自宅まで送り届けてもらった。
写真集は8月に発売する予定である。
青葉は1月の丸山アイからの提案を受けて、3月までに★★ホールディング株を200万株くらい買おうとしたのだが、青葉本人が忙しいもので、結局3月までに40万株くらいしか買うことができなかった。そのことで千里2に電話してみたら
「青葉、自分で買おうとせずに証券会社の人に頼めば良かったのに」
と言われた。
「そうか、その手があったか!」
「若葉もそのくらい教えてあげればいいのに」
「若葉さん!?」
「あれ?青葉は、若葉から頼まれたんじゃないの?」
「アイさんから頼まれたけど」
「あの子も動いているのか!?」
「これ誰が音頭を取っているわけ?」
「さあ。でも“首謀者”は不明のほうがいいと思うよ。ラウンドロビンだよ」
「円環署名ね〜(*4)」
(*4)現代ではネットワークのコントロールなどで使用されているラウンドロビン方式だが、元々は「円環署名」といって、昔、一揆などを起こすときに血判状の署名をドーナツ状(円環状)に書いたものをいう。そうすると先頭も末尾も無いので、署名を見ただけでは首謀者が分からない。
青葉はこの40万株を1株平均1200円くらいで買っているのだが、株主総会の前には、5000円まで高騰していた。青葉は(今度は証券会社の人に依頼して)この40万株を全部売ってしまった。
つまり1200円×40万株=4.8億円で買ったものが、5000円×40万株=20億円で売れて約15億円の利益が出た計算になる。そして青葉は株主総会の後の株価を見て、今度こそ200万株買ってくれるよう証券会社の人に頼んでおいた。
6月27日(木)の★★ホールディング株主総会。
冒頭に事業報告などがあった後、TKRの合併の件、役員人事の件を村上社長が“拍手で承認”してもらおうとしたのだが、ここでこの会社の経営権を取得しようとしているアメリカのファンド、ライオンペアズが質問をした。それをきっかけにして、次々と意見を述べる株主が現れ、結局役員人事について投票が行われることになった。会社から高速プリンターを持ち込み投票用紙を印刷、その間にシステム部のエリートSEが二重投票を防止するチェックシステムを組んでいた。
2時間ほどの投票・集計を経て、議長を交替した須丸元社長が結果を発表した。
「役員人事案については鈴木片子様提案の案が可決されました」
それで村上社長・佐田副社長などが解任されてしまった。新たに選任された9名の新取締役はその場で話し合い、町添専務を新社長に選出した。それで町添さんが新たに議長席に就く。
株主総会の開会を宣言した平田総務部長、議長選任により議長席に就いた村上(前)社長、役員人事の議事を進めた須丸元社長、そして町添新社長と実に4人目の議長である。
町添さんはTKR副社長でもある朝田(後日専務に選任)に隣に座ってもらった。
議長席に就いた町添は3号議案(監査役選任)に行こうとしたが、ここで東郷誠一さんが立ち上がって異論を述べる。TKR合併を提案する1号議案はさきほどの2号議案と一緒に、いったん保留されているというのである。
東郷先生の話し方もうまかったので、議場の多くの人が納得し、町添議長も再度議場に掛けることにし、
「それでは承認して頂ける方は拍手を」
と言ったのだが、拍手承認方式に東郷誠一さんは反対する。
「投票を実施して下さい。会社合併は普通決議ではなく特別決議、つまり採決参加者の3分の2以上の票が必要です。拍手では数が分かりません」
町添さんは朝田さんと話し、投票の実施を決めた。この際、更に揉めないように第3号議案も一緒に投票してもらうことにした。それで投票用紙の準備、投票、開票集計で更に2時間掛かることになる。
青葉は株主総会などというものに出たのは初めてだったが「面白ーい」と思っていた。
このあたりの流れは、第1号議案の時点で投票に持ち込もうとしても、村上さんは絶対拒否するだろうから、先に第2号議案の役員人事を投票に持ち込んで、新経営陣(計画段階ではライオンペアズになるか鈴木案になるかは五分五分と見ていた)になってから、第1号議案を蒸し返そうと、東郷先生や真の仕掛け人(?)ひまわり女子高一族などは計画していたのである。
※ひまわり女子高一族?
2A15 八重龍城(歓喜)232万6000株 (4.65%)
2A16 中村博紀(紫微)231万8200株 (4.64%)
2A17 峰川旅世 3万株(娘の峰川伊梨耶は20万株)
投票結果が出たのは17時頃で、TKRの合併は反対52.1%, 賛成は事前投票での賛成者を含めても47.9%で、賛成票は3分の2どころか過半数も取れず、議案は否決されてしまった。
この結果、TKRの合併は実施されないことが決定した。青葉はホッと胸をなでおろした。丸山アイに言われた分の株を買えなかったので、これで合併が実施されてしまっていたら、一生悔やむところだったが、何とかなった。
実際には合併賛成票が過半数さえも取れなかったのは、経営陣から排除されてしまった村上・佐田などの旧MMレコード系の株主が意趣返しに反対表を投じたためである。しかし東郷先生たちの動きを知らなかった鈴木一郎∞∞プロ社長や丸花茂行○○プロ社長などは顔が硬直していた。
教室では岬の周囲、啓太の周囲に各々人が集まって賑やかであったが、茜はどちらの会話の輪にも加わらず、英語の教科書を見ながら微笑んでいた。
『あの時は大変だったなあ』
と茜は2ヶ月前の騒動を思い起こしていた。
腫瘍の治療のために陰茎と睾丸を除去するなどという重大な手術をした患者が別人だったというのは大騒動になった。
事情を聴かれた茜は
「本人たちの利害が一致したから入れ替わったのだと思う。私もびっくりしたけど、それで丸く収まる気がしたから話を合わせておいた。詳しいことは岬ちゃんが意識を回復してから聞いて」
と言った。
「啓太はどこに?」
「私は知らない」
意識を回復した岬はまず
・陰茎に腫瘍があるからといって陰茎を全摘するのはおかしいと思った。化学療法で腫瘍を小さくしていってから最終的には部分切除で済むはず。最悪その部分を切って前後を繋ぎ合わせる治療法が存在するはず。腫瘍が発見されてからそんなに時間が経たない内にいきなり陰茎を全部切断するという治療方針には納得できないと思った。
という点を主張した。医師は素人が勝手なこと言うなと激怒したが、啓太の父は
・それは自分も疑問に感じたが、あまりに話がどんどん進んでしまったし、この道の権威だとかいう偉い先生が出てきて、異論を挟むことが出来なかった。手術などという話になる前にセカンド・オピニオンを取るべきだったと今更ながら思う。そもそも、患者の顔を見分けきれなかったのが問題だし、実際の患者の患部を見て、腫瘍が無いことに気付かなかったのもおかしい。この病院には大きな不信感を持つ。自分は岬ちゃんの意見に賛成だ。
と主張した。啓太の父から患者の誤認識の問題、腫瘍が無いことに気付かなかった問題を指摘されると、主治医も執刀医も反論が出来ない。
院長と外科部長が呼ばれてくる。
院長は、事情を聞いた上で、確かに啓太の父の意見はもっともであると理解を示した。
「だけど君はペニスを切られても良かったの?」
と院長が尋ねると
「私は切って欲しかったんです。女の子になりたかったから」
と岬は説明した。
「そういうことだったのか!」
と院長も納得した。
急遽、岬の家族に連絡が行く。一方で啓太の行方についてもあちこち照会するがなかなか居場所が分からなかった。
その啓太は病院を脱出すると自分の貯金を全部下ろして切符を買い、新幹線に乗って埼玉まで行き、祖母(母の母)の家に駆け込んだのである。話を聞いた祖母はすぐに啓太を腫瘍の治療で定評のある東京都内の大病院に連れて行った。その医師も実際の患部を見た上で
「このくらいのサイズならまずは化学療法が第1選択です。それで小さくなった場合は部分切除で済みますし、あまり縮小してくれなかったとしても、そのお友だちが言ったように、腫瘍のある付近だけを切って、前後をつなぎ合わせる手術方法は存在します。ただし、顕微鏡で見ながら尿道はもとより、神経や海綿体内の複雑に蛇行する血管をひとつずつ繋ぎ合わせていかないといけないので、非常に難しい手術で、できる医師は少ないです。そもそも陰茎腫瘍そのものが事例がひじょうに少ないこともありまして。私が知る範囲では札幌の##病院が過去に数例実施していたはずです。その選択になった場合は紹介状を書きましょう」
と言った。
それで啓太は当面祖母の家からこの病院に通院し、化学療法を試みることにしたのである。そこまで話が進んだ所で祖母は啓太の両親に連絡した。祖母はこんな人生を左右するような重大な治療をセカンド・オピニオンも取らずに進めようとしたことで、自分の娘(啓太の母)を叱った。
「ごめん。何か私もよく分からない内に話が進んでしまって」
と啓太の母も答えた。
話を聞き仰天して飛んできた岬の両親も激怒した。そしてすぐに復元手術をするよう要求した。しかし岬は絶対に嫌だ、このまま女の子のような形でいいと主張した。外科部長と院長が両親に謝罪した上で、陰茎は再接続しても勃起能力を回復するかどうかは微妙であること、睾丸は副睾丸などもろとも除去しているので陰嚢の中に戻しても、機能回復以前に定着するのが困難で、壊死して再摘出になる可能性が大であると説明した。
「取り敢えず岬は転院させます。そしてその後の治療に掛かった費用は当然こちらの病院に全額請求しますし、慰謝料もしっかり請求しますからね」
と岬の父は言ったのだが、岬の高校生の兄・洋が
「提案がある。聞いて欲しい」
と言った。
それで洋の要求で、岬、茜、啓太の家族(両親と兄姉)、岬の家族(両親と兄姉)が病院の院長・外科部長・主治医・執刀医(大学病院の教授)と一同に会したのであった。この時点では既に埼玉の祖母から啓太はこちらの病院に掛からせるという連絡が入っていた。
また切断した岬の陰茎、摘出した睾丸等はとりあえず冷蔵庫で保管している。
そして洋はこの場で、高校生とは思えない堂々としたスピーチをしたのである。
・事件の発端は岬と啓太君が入れ替わったことだが、そもそもこの手術の実施には疑問があったし、患者が入れ替わっていることに気付かなかった病院側もお粗末である。更に手術中に患部に腫瘍が無いことに気付かなかったのは重大なミスである。
・しかし結果的に啓太君は陰茎を切断せずに済むかも知れない治療法が適用されることになった。また岬は元々陰茎を取りたがっていたので、取ってもらい本人は満足している。
「だからこういうことにしませんか?」
と洋は言った。
・啓太君はこのまま東京の病院で治療を続ける。治療に長時間かかるなら埼玉の中学校に転校したほうがいいかも知れない。
・岬はこのまま女性のような股間で全く問題ない。
・だから岬も啓太君もこのままでよいことにしないか?
・つまり何も“問題となるような事件は無かった”。
「岬ちゃんの男性器を切除した理由とかはどうします?」
と啓太の兄・史宏が尋ねた。
「うーん。それこそ陰茎腫瘍があったことにしてもいいし、いっそ半陰陽の治療とかだったことにでもします?ここで大事なのは医療ミスだったということにしないことですよ。そうしてしまうと、病院側も大変でしょうし、このことが世間に曝されたら、岬は精神的にとても辛い状況に追い込まれてしまうので」
と洋は言う。
「確かに内々に済ませられたら岬にとっても、そのほうがいいね」
と岬の母も言った。
「それむしろ半陰陽だったことにしてあげられません?そしたら戸籍も女の子に変更出来るもん」
と岬の姉・梓が提案する。
洋の提案に対して、事実を曲げるのはまずいのではないかという意見も出るが、事実をそのまま出すことより、本人たちの幸福を考えるべきだと、岬の兄・姉、啓太の兄・姉は主張し、2人の母たちも同調した。2人の父たち、特に岬の父は反発していた。しかし訴訟などということになり事件が公開されれば誰にもメリットがない、という意見には2人とも反論できず、結局、本当に内々で済ませられるのなら、それでもいいかもと妥協してくれた。
外科部長は院長と視線を交わした上で
「すみません。私と院長の2人だけで話したいのですが」
「どうぞ」
10分ほどで院長と外科部長が戻ってくる。
「ではこういうことにしませんか?」
と外科部長が言った。
「月乃岬さんは半陰陽だったので、本来の性である女性として生活しやすいように、股間の形を調整した。平野啓太さんは別の治療を選択するため東京の病院に転院した」
「それでいいと思います」
と洋が言う。
「月乃岬さんの手術代も含めて入院費用は全て私が個人的にお支払いします」
と外科部長。
病院の負担ではなく個人の負担にするのが、いかにも密約っぽい。実際は院長と折半にするのかも知れない。
「平野啓太さんの向こうの病院での治療費もこちらに請求して下さい。全額私がお支払いします」
「分かりました」
「それとお見舞金として、月乃さん、平野さん、双方に500万円ずつお支払いしたいのですが」
と外科部長は言ったが、
「そのお見舞金は辞退しましょうよ、ね、月乃さん」
と啓太の父が言った。
岬の父も少し考えていたが
「うん。その方がいい気がします」
と答えた。
「啓太君、そして岬の双方がきちんとした治療を受けられればそれで問題ない気がします」
と岬の母も言った。
「分かりました。それでは見舞金の件は保留させて頂きます。ただ1つ提案があります」
と外科部長は言った。
「岬さんは現在一見女性にも見えるような形ではあっても実は男性器の再建手術がしやすいような形にしてあります。ですからよくよく見ると女性の股間としては変なんです。ですから、半陰陽の是正手術ということでしたら、これをもっとしっかりと女性の形に整えるよう、その専門の病院に再手術を依頼してはどうかと思うのです」
「そういう病院がありますか?」
「射水市に、性転換手術で定評のある病院があるのですよ。そこで掛かる費用も私が個人的に負担しますので」
と外科部長。
「おお、それはぜひ」
それで外科部長が射水市の病院に連絡したら、松井医師は
「そういうことならすぐ連れてきなさい。速攻で手術して可愛い女の子にしてあげるから」
ということだったので、陰茎と睾丸を電源付きの冷蔵箱に入れたまま病院の車で射水市に連れて行った。
すると松井医師はその日の内に岬を手術室に運び込み、陰茎の亀頭を利用して陰核を作り、陰茎皮膚と尿道を利用して膣を作り、また大雑把な疑似陰裂の状態になっていたのも、きれいに普通の女性の大陰唇・小陰唇に作りかえた。
これで岬のお股は完全な女性型になったのである。
後学のために見学させてくれと言って手術に臨席した岬の最初の手術の執刀医を務めた大学病院の教授、病院の主治医と外科部長も
「美しい!神業だ!」
と言って全員感動していた。
結局、岬の陰茎海綿体と睾丸および陰嚢内容物は廃棄されることになる。但し松井医師は、岬の精嚢に残っていた精液と睾丸内部から採取した精子の元となる細胞を冷凍した。
「これがあれば将来、岬さんは自分を父親とする子供を作れる可能性があります。但し冷凍保存には年間2万円ほどの費用がかかりますが」
と松井医師は岬の両親に説明した。
「その費用は出しますから冷凍保存しておきたいです」
と父は答えた。
結局病院は岬が半陰陽であったという診断書を書いたので、松井の“性別曖昧だった股間をちゃんと女性の股間に見えるように修正した”という診断書と合わせて、岬の父は渋々ながら、岬の性別訂正を家庭裁判所に申し立てた。これが6月初旬になって通り、岬の続柄は二男から二女に変更された。岬は1週間、松井医師の病院に入院した後、6月上旬まで自宅療養してから、女子制服を着て学校に出てきた。
学校の方には、連休明けの段階で、弁護士さんにも同行してもらって、岬が半陰陽であったことが判明したので、性器の形を調整する手術を受けさせたこと、この後裁判所に性別の訂正も申請する予定であることも説明した。そして退院して自宅療養も終わったら女子生徒として復帰させて欲しいと言った。校長は「半陰陽なら仕方ないですね」と理解を示し、女生徒に移行することを口頭で認めてくれたので、退院してすぐ指定の洋服屋さんで採寸してもらい、セーラー服の冬服・夏服を作り、体操服も女子用を購入しておいた。
そして裁判所から通知が来た時点で母はそれを学校にも提示したので、学校も学籍簿の性別を訂正してくれた(裁判所の決定が間に合わなくても事実上女生徒として扱うことは決まっていた)。
一方の啓太も結局5月いっぱいまで祖母の家から東京の病院に通院したが、腫瘍は最近開発された治療薬がひじょうによく利いて腫瘍のサイズが劇的に小さくなった。
それでこのまま様子を見て、状況次第では部分切除の手術をするが、もし化学療法だけで腫瘍が消滅した場合は手術自体が不要になる可能性もあるということであった。
なおこの化学治療の副作用として男性機能が低下し、むしろ身体が女性化するというものがあるということだったが、啓太はそれはもう構わないと言った。ペニスを切断されてしまうよりはずっとマシである!
そういう作用が出ることが予想されたので治療開始前に精液の冷凍保存を行った。将来男性機能が回復しなかったとしても、この精液で子供を作ることができる可能性はある。
「冷凍ではなくフリーズドライにする方法もあるのですが。その場合は保管費用はゼロです」
「精子ってフリーズドライできるんですか!?」
「できますよ」
「・・・何か、やな感じがするから冷凍でお願いします。保管費用は払いますので」
「いや、マジで胸が少し膨らんで来たんだけど」
と啓太が言ったので茜はわざわざそれを実際に見た上で
「ブラジャーをプレゼントしてあげようか?」
と言った。
これが5月下旬頃のことであった。
「茜のブラジャーがもらえない?」
「今すぐ男を廃業できるくらい蹴ってやろうか?」
「やめろ!それだけはやめろ!」
今までの茜なら言う前に蹴っていたのだが、病人なので少しだけ配慮したようである。
「でもこれホントにジュニアブラ着けて乳首を保護したほうがいいかも。服ですれて痛くない?」
「実は痛い」
「じゃジュニアブラ買ってきてあげるよ」
「あはは。やはりブラジャー着けるのか」
ふたりがそんなことを言いながら、じゃれて(?)いた時、病室に
「失礼します」
と言って、40歳くらい(と茜は思った)の女性が入って来た。
「金沢ドイルさん!?」
岬が『金沢ドイルの北陸霊界探訪』という番組のビデオを送って来てくれたのだが、入って来た女性はその番組に出演している霊能者さんと思えた。そしてその番組の中で、天狗岩が崩壊した時、その根本から男性能力を低下させる霊気?のようなものが噴出していたため、ここに来た男性はその影響を受けると番組内で言っていたのである。岬は
《私が女の子になっちゃったの、そのせいかも。でもこれ啓太君にも影響が出ていたかも》
とコメントしていた。啓太はあり得るかもしれないとは思ったものの、元々幽霊とか死後の世界とかは信じていないので、眉唾な話と考えていた。
「唐突にお邪魔してすみません。私、金沢ドイルという名前でテレビ出演もしております、霊能者の川上瞬葉と申します」と言って青葉は
《霊能者・川上瞬葉》
という名刺を渡す。
「実はそちら様が、曲木町の天狗岩に行っていたのではという情報を掴みまして。実はあの岩が倒れた時に、有害物質が噴出するようになっていて、そこを訪れた男性には男性能力の低下や女性化作用が出ると思われたのです。それであそこに行った男性がいないか探していたのですよ」
「そうなんですか!」
わざわざ被害の出た人を探したりするほどというのは、もしかしてこれはマジにやばかったのかも知れないと啓太は思った。
「実は、あの時、行った依田先生ご自身も身体が女性化してしまって」
「え〜〜〜!?」
「胸も大きくなって、ペニスはほとんど無いような状態にまでなっていたのですが」
「マジですか!?」
「私の姉が先生と偶然関わって、除霊したら、男性の身体に戻ったんですよ」
「きゃー」
「それで依田先生に、その時一緒に行った生徒さんの中に男子はいませんでしたか?とお聞きしたら、平野さんがいたということでしたので、私は依田先生から依頼されて、フォローに来ました」
「先生に・・・」
「今拝見した所、確かに平野さんには、変なものが憑いているのですが、これを浄霊してもいいですか? 費用は依田先生から頂いています」
「お願いします!」
と茜が言った。
それで病院のベッドの横で青葉は“藤雲石”の大きな数珠を取り出すと、目を瞑って何か唱えている様子だった。
「終わりました。きっと腫瘍も急速に小さくなると思いますよ」
と青葉は笑顔で言った。
「助かります!」
「それでは私はこれで。たぶん依田先生も追ってこちらにおいでになると思います」
「分かりました」
実際、依田怜は6月1日(土)に啓太が入院している東京の病院を訪問し
「君が病気になったのは僕のせいだ。本当に申し訳無い」
と祖母と母もいる前で病院の床に土下座して謝った。
しかし本人も母も「頭を上げて下さい」と言い、
「こういうのは不可抗力ですよ。先生が手配してくださった霊能者さんの祈祷がきいたのか、腫瘍はこの一週間で急激に小さくなったんですよ」
と言う。
「ほんとですか!良かった」
と言って、依田は涙を流して喜んでいた。
「先生のほうはもうお身体大丈夫なんですか?」
と祖母が心配して訊く。
「ええ。一時完全に女の形になってしまった時は、このまま女として生きていかないといけないのだろうかと悩みましたけど、何とか男の身体に戻れたので、このまま年内には結婚するつもりなんですよ」
「あら、そんな方がいらしたら、先生が女の人になってしまったら困ってましたね」
と祖母は言ったが、依田先生の“性的傾向”を知っている啓太は内心
『女になってしまった方が“彼氏”とうまくやれるのでは?』
などと思っていた。
そして・・・啓太も依田先生も、岬にはまだ呪いが掛かったままではないか?という問題に全く気付いていなかったのである!
そういう訳で“ペニス切断手術未遂?事件”のあった4月下旬以降、岬も啓太も学校を休んでいたのだが、ふたりとも6月11日(火)から学校に出てきた。岬の性別変更について、母は岬の学校復帰前日の月曜日、ひとりで学校に出て行き担任と一緒に同級生たちに説明した。
「あの子、もうすぐ中学2年になるというのに声変わりもしませんし、それで精密検査を受けたら半陰陽で肉体的には中性、精神的には完全な女性ということでした。それなら女性として生きていきたいということで、手術して、中途半端な性器をちゃんと女性に見える形に整えまして、裁判所にも性別の訂正を申請し、今月初めにそれを認可する通知が来ました」
と母は“新しい娘”のために説明した。
「岬ちゃん、声変わりがまだだったもんね」
「中学2年でまだって珍しいねなんて言ってた」
「喉仏も無かったよね」
「性格は完全に女の子だったよね」
などと女子たちの声。
「月乃さんはトイレはいつも個室を使ってた」
「実はチンコ無いのではと噂していた」
「月乃さんのパンツ姿何度か見たけど、女の子パンツ穿いてたし、チンコがあるような盛り上がりが無かった」
「それで端の方で着換えさせて、みんな月乃さんの下着姿は見ないようにしていた」
などと男子たちの声。
「小学校の修学旅行を休んだのは、やはりお風呂に入るとまずいからだったのね」
「身体測定の時は、月乃さんは服を脱がなくてもいいことにしてたもんね」
そういう訳で同級生たちは岬の性別“訂正”を受け入れてくれたのであった。
なお、声変わりが来てなかったというのは本人の演出で、いつもハイトーンで話していて、男性的な声を決して他人に聞かせないようにしていただけである。岬は実は4オクターブくらいの声域を開発していたので、通常その上の方の高さだけを人前では使用していた。
岬は小学4年生頃以降、睾丸をわざと体内に押し込んで降りてこないようテープなどで押さえていたし、更にはカイロで暖めていたので、睾丸の活動が低下し、それでそもそも二次性徴の発現が抑えられていたのもあった。下着もこの効果を高めるため女物のショーツを穿くようにしていた。ショーツは初期は姉の物を借用していたが、その内姉からの苦情で母が岬専用のショーツを買ってあげるようにしていた。そのため岬は男子小便器が使用できなかった。
実はそのせいで月乃にはまだヒゲが生えていなかったし、体毛も少なかった。そして重要なポイントとして、まだ喉仏もあまり発達していなかった(更に松井医師が削ってくれた)。
翌日、学校に出てきた岬は男女双方の同級生たちから歓迎された。
セーラー服姿が可愛いと言われて照れている様がまた可愛い。休み時間に女子トイレに入れずにもじもじしていたら「ああ、まだひとりで入る勇気無いのね」と言われて茜に手をつないでもらって一緒に入る。茜が
「前から思っていたけど、岬ちゃんの手ってほとんど女の子の手の感触だよね」
と言う。すると
「そうだっけ?」
と言って、みんな岬の手に触る。岬は恥ずかしがっていたが、その場にいた女子がみんな
「ほんとだ。岬ちゃんの手って女の子の手だよ」
と言っていた。
初日に体育の授業があるが、また女子更衣室に入れずにいるのを香美が連れていってあげた。恥ずかしそうにしながらセーラー服を脱ぐ様子がまた可愛い。
「岬ちゃん、すっごい可愛いパンティとブラつけてる」
「恥ずかしいと言ったんだけど、ちゃんと女の子として生きていくならこういう可愛いのを着けられるようにならなきゃとお母ちゃんから言われて」
「なるほどー」
「女子化教育だな」
「あかん、私にも女子化教育が必要だ!」
と言っている子がいた。
その日の体育ではダンスをしたのだが、みんな岬がダンスが上手いのを改めて認識した。
「岬ちゃん、身体が柔らかいよね」
「そうかな」
「柔軟体操では胸が地面に付いちゃうし」
「私、おっぱい無いから」
「いや、おっぱいが無ければ、よけい胸が地面に付くのは難しい」
「あっそうか」
「男の子を装っていた時は誰と柔軟体操してたっけ?」
「僕」
と言って手を挙げるのは荻原君である。
「実は月乃さんの身体に触ると、ほとんど女の子の感触だからみんな組みたがらなくてさ。僕は女の子に興味無いから、僕としていた」
「ああ。荻原君は男の子が好きだと公言してるもんね」
「うん。男の子のお嫁さんにしてほしい」
「女の子になりたいんだっけ?」
「なりたくない、なりたくない。男同士で結婚したい」
「まあ、そういうのもいいかもね」
「そういうのが好きな人同士で結婚すればいいよね」
この日は音楽の時間もあったのだが、岬は“以前通り”ソプラノの子が座る界隈に座った。音楽の桜井先生が来て
「月乃さんはまだお休みなのね」
と言ったが
「います」
とクラス委員の羽緒が言った。それで岬が恥ずかしそうに手を挙げると
「あ、そうか。女の子になったんだったね。ごめんごめん」
「ソプラノのセーラー服の女子の中でひとりだけ学生服で歌っていたのが可哀相だったけど、本人がセーラー服を着る女子になったから、今後は問題無いですね」
などと茜が言っている。
「岬ちゃんって、もし男の子で、17世紀のヨーロッパに生まれていたら間違い無く去勢されてカストラートになってますよね」
などと香美が言う。
それはそうかもと岬本人も思った。
「でも結局岬ちゃん、そもそも睾丸が無かったらしいですよ」
と茜。
「ああ、だから声変わりもせずにソプラノボイスが出ていたのね」
と桜井先生は納得するように言った。
「合唱部の練習はいつから出る?」
「今日から出ます」
「うん。頑張ってね」
と桜井先生も笑顔で言った。
「次の大会からは、他のソプラノの子と一緒にセーラー服を着てステージに並べますね」
と同じ合唱部の萌は言った。
「そういえば松井先生がこんなこと言ってたよ」
と1日目の学校を“女子生徒”として何とかこなし、部活も終わった後、茜(ソプラノ)・啓太(テノール)と一緒に下校しながら岬は言った。
「おちんちんのことを陰茎って言うじゃん。それは男の子にとっては茎のように大事なものだから。でも私みたいな子の場合は、むしろ要らないものだから、いわゆる“枝葉”(えだは)のようなもので、だから“陰茎”じゃなくて“陰枝”とでも言ったほうがいいかもって」
「確かに植物の茎を切ったら困るけど、枝を切るのは構わないよな」
と啓太。
「啓太は茎を切らずに済んでよかったね」
「特効薬が凄く効いたし、金沢ドイルさんに祈祷してもらったので、劇的に腫瘍が小さくなったから、もうチンコを切断しなければならない可能性は全く無くなったと言われた。薬も軽いものに変えてもらったし。もっとも切らずには済んだけど、全然立たねぇ」
薬の副作用で男性ホルモンの分泌が抑えられているのである。この治療は最低1年は続けることになっている。実は自慰も禁止されている。
「立たなくてもちゃんと結婚してあげるから。最初に言ったように、ちんちん全部無くなってしまっても結婚してあげたけどね」
と茜は言う。
「俺その茜の言葉が無かったら、死にたかったかも」
と啓太。
「普通の男の子にはそんなに大事なものなのね」
とセーラー服の岬はあらためて感外深げに言った。
「あ。そうだ。いくら啓太君の男性能力が落ちているといっても、次からは“する”時はこれ付けたほうがいいよ」
と言って、岬は自分のカバンの中から可愛い布の袋を出して茜に渡した。
茜は中身を確認して、ゴホッゴホッと咳き込んだ。
「あ、ごめん」
と啓太も素直に謝った。
6月27日夕方株主総会が終わって郷愁村に帰った青葉は、旅館《昭和》で夕食を取った後またひたすら泳いだ。ここのプールは24時間・365日使えるのがいい所である。しかも現時点では利用者が青葉・ジャネ・筒石・千里・アクア・佐藤玲央美・若生暢子・若葉と8人しかいない。なお筒石は
「女子専用だから女子水着を着るの?OKOK」
と言って、楽しそうに女子水着を着て泳いでいたが、みんな彼の股間は見ないようにしていた!
夜中まで泳いだ後、青葉は旅館に帰ってぐっすり寝た。そして翌28日はまた朝食後ひたすら泳いだ。ジャネとは練習のサイクルがずれるものの、向こうも睡眠と食事の時間以外はひたすら泳いでいるようだった。
6月29日は信次さんの一周忌法要をするので、千葉市に向かった。信次さんが務めていた○○建設からも律儀に何人かの社員が来てくれていた。優子さんはご両親と一緒に出てきていた。優子の両親にとっては初めての川島家訪問になった。またこの日は千里の友人が大量に来ていた。
青葉は法要とその後の食事会が終わった所で郷愁村に戻り、ひたすら泳いだ。
6月30日は郷愁村で朝御飯を食べ、一泳ぎしたあとジャネに
「じゃ、ちょっと南米まで行ってくるね」
と声を掛けて出かけた。
「まるで近くのラーメン屋さんに行ってくるね、みたいな感覚だ」
と言って、ジャネが呆れていた。
青葉は旅館の人に熊谷駅まで送ってもらった後、電車で千葉市まで行き、いったん川島家に寄った。
すると康子は出かけているらしく、千里だけだったのだが、若い女性の訪問客を見た。小さな赤ちゃんを連れている。青葉はその女性を見た瞬間、それが“誰なのか”が分かった。とうとう向こうから接触してきたな、と思ったのである。
青葉としても彼女が関東に住んでいることは分かっていたものの、どこにいるのかまでは探索できていなかった。信次さんのアパートがガス爆発で滅茶苦茶になってしまったのもあり、確実に彼女のものと思われるような何かを確保できず、彼女の波動を確定できなかったのである。
「波留さん、こちらは私の妹の青葉」
と千里が青葉を紹介する。
「初めまして」
「青葉、こちらは信次の元カノで波留さんとその息子の幸祐くん」
「初めまして」
青葉はその話を聞いても平然としていた。そして言った。
「でも幸祐君、可愛いね。耳の形が信次さんそっくり」
信次の耳はいわゆる福耳であったが、その特徴を優子とこの幸祐が受け継いだようだ。
「信次さんの子供だなんて言ってないのに」
と波留は言ったが、青葉は
「見れば分かりますよ」
と笑顔で答えた。
それで結局、千里・青葉・波留の3人で楽しく会話していた所に康子が帰宅した。
「コロッケ買って来たけど食べない? あれ?お客様?」
と康子。
「あ、すみません、お邪魔してます」
と波留。
「お帰りなさい。こちら信次さんの彼女だった水鳥波留さん。そして赤ちゃんの幸祐くん。この子は4月に生まれた、信次さんのもうひとりの忘れ形見です」
と千里が言うと
「えーーーー!?」
と康子は驚愕していた。
実は一周忌の席で、信次さんには別の愛人もいたらしいという話が出ていたことと、やはり幸祐の耳の形が信次に似ているということから、康子は波留が信次の恋人であったという話を認めてくれた。
波留たちが帰った後、青葉は言った。
「信次さんって、亡くなる直前にたくさん枝を伸ばして自分の遺伝子を残したんですね」
「まさにそうだけど、あの子はちょっとやり過ぎ」
と康子は少し怒ったように言った。
「結局、信次さんの子供は、奏音ちゃん、由美ちゃん、幸祐君と3人いる訳か」
と青葉は言ったが、千里は
「もうひとりくらい居たりしてね」
と言った。
ちー姉、それっていつものどこかから降りてきた言葉?と青葉は言おうかとも思ったが、康子さんの手前やめておいた。
千里はこの手の発言を自分で覚えていない!のが特徴である。
しかし信次さんの子供がもう1人いる可能性がある訳だ!信次さんって一体何人愛人作っていたのよ!?
アテンザを青葉が運転して千里(千里1)を経堂の桃香のアパートまで送ったあと、青葉は電車で成田空港まで移動して、ロサンゼルス行きに搭乗した。
女性と記されたパスポートの4回目の行使である。
男と記されたパスポートは2度しか使っていないから、法的に女になってからその2倍行使したんだなと思うと、女の明るい歴史で男の暗い歴史を上書きしているような気分になった。
NRT 6/30(Sun) 17:20 (JL062 777-300ER) 11:10 LAX (9'50)
LAX 13:30 (LA2477 767-300) 7/1(Mon) 0:10 LIM (8'40)
LIM 3:03 (LA639 A320) 7:38 SCL (3'35)
SCL 10:25 (LA300 A321) 11:29 LSC (1'04)
NRT:成田 LAX:ロサンゼルス LIM:リマ SCL:サンティアゴ LSC:ラセレナ JL:日本航空 LA:ラタム・エアラインズ
ロサンゼルスからサンティアゴへは、直行便も1日1本だけ存在するのだが、ここ数日の利用者が多すぎて青葉が申し込んだ時は既に満杯で確保できなかった。それで従来通り、リマでのトランジットとなった。
しかし飛行機を4機乗り継ぎ、合計滞空時間は23時間を越える。なかなか大変な旅だと青葉は思った。
ラ・セレナは南緯30度、西経71度付近にある。日本からすると、ほとんど地球の裏側である
長旅で疲れたので、その日青葉はぐっすりとホテルで眠った。翌7月2日は朝御飯をのんびり食べてから、部屋でパソコンも閉じて五線紙を出し、作曲作業をした。今回の旅の間に5曲書いてと言われている。もっとも青葉は1曲だけ書くつもりでいた。他の4曲は松本花子に作曲させるつもりである!
お昼も食べて少し仮眠してから、しっかり防寒具を着て海岸に行く。
ラ・セレナは元々日本で言えば北海道並みに涼しい町である。しかも今は7月、真冬である。青葉は海岸まできたところで、大阪のおばちゃん4人組に出会った。彼女たちはまるで夏のような格好をして「寒い」と震えていたので、念のため持っていたレインコートとカーディガンを貸してあげた。「だいぶマシになった」と言っていた。
彼女たちのイメージでは南米なんて南の方にあるから凄い暑い所で、7月だから真夏だろうと思っていたらしい。青葉は日本の理科教育には問題があるのではという気がした。
そのおばちゃんたちと楽しくおしゃべりしながら、その時を待った。
※2019年7月2日 La Serena での日食データ(現地時刻)
部分食始15:22:33
皆既食始16:38:14
皆既食了16:40:29
部分食了17:46:37
日没__17:56:58
あれこれおしゃべりしながら、出ている屋台のようなお店でおやつを買って食べたりしながら、空を見ている内に、部分食が始まる。
「欠け始めた!」
とおばちゃんのひとりが大きな声で叫んだが、近くでは英語・スペイン語はもとより、フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語など様々なことばで似たような声があがっていた。ホントに世界中からここに見に来ている人たちがいるんだなと思った。
やがて皆既が始まると、突然夜が来たように真っ暗になり、鳥が驚いたように騒ぐ。おばちゃんたちは「これ凄い!こんなに暗くなるなんて」と言っている。
これは凄いと青葉も思った。青葉は2012年5月20日に日本の広域で見られた金環食の時は岩手に行っていて、富山も岩手も金環食帯からは外れていたので、結局部分食しか見ていない。それでもかなりの食分のある日食だった。
しかしどんなに食分が大きくても部分日食と皆既日食は、全く別物だと思った。
これはやはり一生に一度は見るべきものだという気がした。あれだけ騒いでいた大阪のおばちゃんたちも、真剣にその様子を見つめていた。
皆既食は2分15秒で終了し、ダイヤモンドリングが光って、部分食に戻る。
「何か一瞬ピカッと光った」
「あれがダイヤモンドリングですよ」
「すごーい!何か私たち凄いものを見た気がする」
「うん。凄かった」
「なんか感動した」
「私、息するのも忘れてた」
「ええ。物凄いものだと思いますよ」
と青葉は笑顔で言った。
部分食は1時間ほど掛けて少しずつ食分が小さくなって行き、やがて日食は終了したが、もう太陽は海に沈む直前である。食が終わってからわずか10分で太陽は西の海に沈んだので、多くの人がそれまで太陽を観測グラスで見続けた。何度もカメラでシャッターを切っている人たちがいたし、ずっとビデオカメラで撮影していた人もいた。
みんな大きな感動を共有した。
素晴らしい天体ショーであった。
日食が終わった後は、大阪のおばちゃんたちと一緒にラ・セレナ市街地に移動して、一緒に楽しく夕食を取った。彼女たちは昨夜はスペイン語が分からないので適当に注文したら訳の分からない料理が来て困ったらしいが、今日は青葉が通訳してあげて、楽しんでチリ料理を食べていた。彼女たちはこの後、リオ・デ・ジャネイロ観光をしてから帰るらしい。
翌7月3日(水)の夕方、青葉はラ・セレナを飛び立った。
LSC 7/3(Wed) 18:00 (LA311 A320) 18:56 SCL (0'56)
SCL 20:50 (LA634 A320) 23:36 LIM (3'46)
LIM 7/4(Thu) 2:05 (LA2476 767-300) 9:00 LAX (8'55)
LAX 7/5 15:30 (SQ11 777-300ER) 7/6 19:00 NRT (11'30)
SQ:シンガポール航空
来た時と同様にサンティアゴ・リマ・ロサンゼルスで乗り換え4つの飛行機を乗り継ぐ。ジェット気流に逆行するので来た時より長い25時間の合計滞空時間となる。
ロサンゼルスから成田へは、実はチケットでは7月4日の日航の便を取っていたのだが、さすがの青葉も疲れが溜まっていて「これはダメだぁ」と思ったので、ロサンゼルスに着いた後、空港の外に出て、ホテルに入って丸一日眠った。
ホテルの代金は2日分払った。またロサンゼルスから成田までの航空券代はキャンセルしてもどうせ100%のキャンセル料が取られるので持っていたチケットは放置し、新たに追加で買った。それで少しでも安いシンガポール航空のにした。
結局予定より1日遅れで7月6日の夕方、成田空港に降り立った。
入国手続きをしてから『ロサンゼルスで丸1日寝たのに、まだ眠い。今日は郷愁村まで行かずに都内のホテルで寝ようかな』などと思いながら、パソコンとMIDIキーボードの入ったバッグを抱えて歩いていたら、目の前に千里と彪志が一緒に立っていた。髪が短いので千里1だと判断する。
「青葉お帰り。お疲れさん」
と彪志は言った。
「・・・ありがとう」
「青葉お疲れ。私は帰るね」
と言って、千里は青葉の荷物を“手から取って”それを持ち、帰っていった。
「千里さんが、青葉の到着する時刻と出てくる場所を予測してくれたんだよ」
『1番さん、そんなことができるまで回復したのか』
と青葉は思った。
荷物は・・・きっと大宮の“自宅”に持っていってくれたんだろうな。
青葉は彪志と見つめ合った。
彪志は黙って青いビロードのジュエリーケースを差し出す。青葉は戸惑いながら受け取る。開けると燦然と輝くダイヤのプラチナリングが入っていた。
「受け取ってくれる?」
と彪志は訊いた。
「うん」
と青葉は可愛く頷いた。
ふたりは人目も気にせず静かにキスをした。
7月6日19時半くらいのことであった。青葉がもしロサンゼルスで1日寝ていなかったら、本来5日の夕方になるはずだったが、その場合ボイド(7/5 15:24-7/6 13:24)に掛かっていた所だった。青葉が高額の追加航空券代を払って1日予定をずらしたおかげで、ボイドではない時間にエンゲージリングを受け取ることができたのであった。
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【春枝】(4)