【春雷】(4)

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青葉は結局、阿倍子に案内してもらって何とかJR大阪駅に辿り着いた。それで御礼を言ってから別れ、冬子たちの音源制作に参加するのに東京行きの切符を買おうとして、唐突にあることを思いついた。
 
「京平君、ありがとう。凄いこと思いついちゃった」
 
〒〒テレビの神谷内さんに電話する。
 
「こういうことを思いついたんです。こういうの放送法違反になりますか?」
 
と言って青葉は今思いついた計画を話した。
 
「いわゆるサブリミナルのように、視聴者が感知できない方法で、何らかのメッセージを伝達することは、民放連のガイドラインに違反するんです。でも例えばですよ、こういう方法を採れば、行けるかもしれません」
 
と言って神谷内さんは放送の仕方について、逆提案してきた。
 
「なるほど、日本の法律上は、たとえば呪いで人を殺すなんてのは《不可能犯》とみなされるといったのを逆用するんですね」
 
「そうです。呪符というものに効果があるとは、法律上認められないですから」
 
「どっちみち、私そちらに行きます」
「お願いします。それで細かいことを打ち合わせましょう」
 

それで青葉は、東京入りが数日遅れることを(ケイは多分忙しいだろうから)風花に連絡し、新幹線で東京に行くのではなく、サンダーバードで金沢に舞い戻ることにした。
 
金沢では、連絡を取り合って、結局その日8月3日の夕方、HH院に、青葉と神谷内さんが集まり、白田住職と会った。
 
例の杉の植え替えについては、もう古い杉の焼け残りは掘り起こして、現在境内の観音堂に仮安置してあるということで、青葉もそちらにお参りさせてもらった。
 
「実は明日新しい杉を植える予定なんです」
「早かったですね!それに同席させて頂いてよろしいですか」
「むしろぜひお願いします」
 
寺務所の応接室で会談する。青葉が★★院で頂いてきた護符を見せると
 
「この護符は凄い!」
と住職が言っている。やはりパワーを感じるのだろう。
 
「それでこの護符を番組で撮影して画面に出しちゃおうという魂胆なんですよ。★★院側の許可は取りました」
と青葉。
 
「『こんな護符を作って、市内巡回して飛散した霊を回収しようという計画なんです』と放送しようと思います」
 
「ところが実はこの護符を映して石川県中に霊的にばらまくことに意味があるんですよね」
 
「県内に大量の分身が生成されるでしょうね」
 
「もう30年以上前ですが、本物の幽霊をテレビで映しちゃった時、全国にその分身が発生して、あちこちで異変が発生したことがあったらしいです。今回はその逆をやるわけですね」
と神谷内さん。
 
「25年ほど前に、ネットでもそういうことがあったと先輩から聞きました。まだインターネットが普及する前で、パソコン通信のRTC (Realtime Conference) というチャットルームにたまたま霊的な能力の高い人が集まっていた時、ひとりの参加者が自分のそばにいた霊のことを報告したら、そのチャットルームにいた人たちのパソコンがみんな異常を起こしたらしいです。むろんチャットに参加していた人たちも全員、その瞬間、背中にぞぞっとする感覚があったらしいです。私の先輩の場合、チャットに使用していたマックのディスクが世にも奇妙な壊れ方をして、ディスクがクラインの壺状態になってしまったとかで、結局OSを再インストールする羽目になったそうです」
 
と青葉。
 
「それも電波やネットで霊が拡散したんだろうね」
と住職。
 
クラインの壺というのはAというフォルダの中にBというフォルダがあり、Bの中にA自身が入っている状態である。Aを削除しようとしても、中にBがあり、そのBを先に削除しようとすると、その中にAがあり、・・・となって、永久に削除できない。問答無用にフォーマットしてしまう以外に救いようが無い。
 
これは実は瞬法さんの実体験である。
 

「その巡回する車はどうします?」
と住職。
 
「放送局の車を使おうかと思っているのですが」
と神谷内さんは言ったが
 
「うちのお寺の車を使いませんか?」
と住職は言った。
 
「その方がいいかもしれませんね」
「車から降りない霊がいたら、こちらで処理できますし」
「それは助かります。そういう場合はどうしようかとも思ったんですよ」
 
「車の運転手は誰が務めましょうか?」
「私が運転しますよ」
と青葉は言ったが、神谷内さんは
「ビジュアル的には、川上さんはむしろ後部座席に乗って頂くと助かるのですが」
と言う。カメラマンが助手席に乗って、後部座席の青葉を撮影するという態勢である。
 
それでお寺の若いお坊さんに頼もうかなどとも言っていた時、青葉のスマホに着信がある。千里姉だ!?
 
「ちょっと失礼します」
と言って立ち上がり、廊下に出て電話を取る。
 
「ああ、青葉。インドに行って来たお土産を持ってそちらに移動中なんだけど、今夜居るよね?」
 
「今夜は居るけど、今どこ?」
「今、梓川SA」
 
もうそんなに来ているのか!
 
「ちー姉、いつまで居られるの?」
「8月5日の19時が限界。日本時間で8月6日0時から試合があるから、日本時間の5日20時集合なんだよね〜」
 
うーん。。。。日本時間でって、海外の試合なのか?たぶん直前まで眷属を現地に置いておいて、直前に入れ替わるつもりなのだろう。しかし千里姉もこういう言い方するって、開き直ってるな。あるいは脳が壊れて無警戒になっているのか??
 
「だったら、ちー姉、明日1日ちょっと付き合ってもらえない?」
「何するの?」
「して欲しいのは運転手。ちょっとややこしい霊的なものの処理なんだよ」
「いいよ」
 
それで電話を切ってから青葉は言った。
 
「うまい具合に私の姉がこちらに来るらしいんです。姉に運転手をしてもらってもいいですか。国際C級ライセンス持ちのドライバーです」
 
「それは凄い!ぜひお願いします」
と神谷内さんが言った。住職も異論は無いようである。
 

《霊の回収車》巡回のコースについては、その後青葉と住職で話し合ってルートを決めた。市内巡回約4時間コースで、メインの通りと霊が溜まりやすい場所をほぼ網羅している。おそらく今回の件に無関係の霊も相当拾うだろうがそれは問題無いし一緒に供養してしまいますよと住職は言った。車にはお寺の観音堂に置かれている高さ1mほどの観音像にも“同乗”してもらう。明日のスケジュールはこんな感じである。
 
8月4日(金)
10:00-11:00 新しい杉を植える。
11:00-11:15 供養の法要
24:00-28:00 霊の回収巡回
 
これらの様子を撮影し先日分と一緒に編集して、番組の放送は8月11日24:10-24:40の『いしかわ・いこかな』の中で行われる予定である。これだけのネタが溜まればその日の放送はまるごとタクシーただ乗り幽霊の話になるだろうと神谷内さんは言っていた。
 
「放送をやった直後にですね、その落ち穂拾いをしたらどうでしょう?」
と若い僧から提案がある。
 
「ああ、それはいいね」
と住職。
 
青葉は千里姉にメールを送り、8月11日24:30-28:30 (8月12日0:30-4:30) くらいにも再度運転をお願いできないかと尋ねた。20分ほど後に電話があり、それもOKということであった。
 

青葉は結局その日は高岡に戻り、自宅で千里が来るのを待った。
 
「ただいまあ」
と言って千里は23時頃、戻って来た。乗ってきた車はオーリスである。
 
(オーリスに乗っているのは間違い無く千里2である。他の千里はこの車の存在を知らない)
 
「これベンガルールお土産のお菓子。ちょっと好みがあるかも知れないけど」
と言って出してくれたのは、Mysore Pakと書かれた羊羹(ようかん)に似たお菓子である。
 
「グラムという、ひよこ豆(*1)の一種をすりつぶした粉(gram flour)を使って、水羊羹みたいにしたお菓子なんですよ。ベンガルールの近くのマイソール(Mysore)という所の名物みたいなんですけどね」
 
(*1)ひよこ豆はchickpeaの訳だが、chickをchickenの変化系と誤認した訳ともいわれる。この豆は鶏とは無関係。chickはラテン語のcicerが語源でこの名前の由来は古代の哲学者キケロ(Cicero)との説もある。
 
「あとベンガルールは白檀(びゃくだん, sandalwood)の名産地なんだよ。インドの白檀の大半があの付近で生産されているということで、白檀のお香を買ってきた。桃香はこの匂いが苦手だと言ってたから、お母さんと青葉にあげるね」
 
と言って、お香の箱を1個ずつ渡す。
 
「凄い香りね。これどうすればいいの?」
と朋子が言っている。
 
「仏檀でふつうの線香代わりに焚くといいと思うよ」
「ああ、それでいいなら使えそう」
「青葉は使うよね?」
 
「うん。サンダルウッドはほとんど消耗品。ありがとう」
 
「白檀の扇子も買ってきたんだけど、桃香は『こんな女みたいなの使わない』と言って」
「じゃ、私にちょうだい」
と青葉が言ってもらう。
 
青葉は千里をずっと観察していた。さすがにオーラが物凄く小さいが、小さいなりにも、ちゃんと復活しているのが凄いと思った。もう既に普通の霊感体質の人程度の霊感は戻っているのではという気がした。あの大事故からほんの1ヶ月程度でここまで回復するって、どういう身体をしているのだろう。
 

「そういえば、ちー姉、6月にはレースに出たんだって?」
「そうそう。2年間に5回以上国内レースに出て順位認定されないとひとつ上のライセンスを取れないんだよ。昨年は結局1度も出られなかったから、今年頑張るつもり。今年既に3回出た。6月のが2度目で、先月末に3度目に出た」
 
「いつの間に!?」
「合宿の合間にね」
 
(実際は千里1や千里3がバスケの代表活動をしてくれていたので、その間に千里2がレースに出場していたのである)
 
「ひとつ上って国際B級ライセンス?」
「B級はさすがにドライバーの専業にならないと無理だと思う。私が狙っているのは国際C級」
 
「今がC級じゃないんだっけ?」
「今は『国際C級・レース除外』というライセンス」
と言って見せてくれた。
 
「レース除外って?レースに出るためのライセンスじゃないの?」
「国際ラリーやジムカーナには出られる。ダカール・ラリー(*2)にも出られるよ」
「わっ」
「だから普通の国際C級にグレードアップしたいんだよ」
「なるほどー」
 
(*2)昔のパリダカ(パリ・ダカール・ラリー)だが、現在のコースはアフリカではなく南米になっており、2017年はパラグアイのアスンシオンから、アルゼンチンのブエノスアイレスまでのコースで行われた。
 

青葉は母が先に寝た後で、千里と今回の、タクシーただ乗り幽霊の事件について話した。
 
「それ幽霊バイクの事件に似ているね」
と千里は言う。
 
「うん。基本的には同じタイプの事件だと思う。あの時は立山の神様のおかげで何とかなったし、小さな町だから強引な手法が使えたんだけど、今度は飛散した範囲が広いみたいだし、都会だから、あまり派手なことすると騒ぎになりそうで」
と青葉。
 
「あの時、立山で頂いた巻物って見られる?」
「うん」
と言ってから、青葉は千里姉にはこれがどう見えるものか気になった。
 
「これなんだけど、ちー姉にはどう見える?」
 
それで青葉は千里に巻物を渡す。
 
「何これ?何も書いてないんだ?」
 
あ・・・さすがに今の千里姉の状態では読めないか。仕方ないよなあと青葉は思う。
 
「もしかして馬鹿には見えない巻物とか?」
「裸の王様!?」
「裸の女王様だったりして」
「女王様の裸はまずいと思う」
 

その夜、青葉はなぜか目が覚めて時計を見たら3時だった。トイレに行ってこようかなと思い、階下に降りていく。
 
え!?
 
居間のテーブルに誰かが居て、青葉が立山で頂いてきた巻物を見ながら他の紙に毛筆で書き写している!?
 
青葉はそこに居るのが、瞬嶽師匠のように見えた。それでなぜ瞬嶽師匠がと思って呆然と立ち尽くしていたのだが、やがて書き終わって立ち上がり、こちらを向き直ったのをよく見ると千里姉だった。
 
しかし千里姉はまるで夢遊病者のように視線が定まらない状態で、青葉にも気付かないような感じで、そのまま階段を上にあがって行った(千里姉は桃香の部屋に泊まっている)。青葉はその様子を見送ってから、テーブルの所に行った。
 
巻物の隣に置かれた和紙に見たことのない祝詞が書かれていた。
 
きっとこれは・・・瞬嶽師匠が千里姉の身体を借りて、自分に伝えてくれたんだ!と青葉は思った。千里姉って、霊媒体質だもん。
 
『師匠、そしてちー姉、ありがとう』
と青葉は心の中で言って、その書き写された祝詞を抱きしめた。
 

8月4日(金)、青葉は千里と一緒にオーリスに乗って金沢のHH院まで行った。境内に車は駐めさせてもらう。
 
「私派手な色のアクア買っちゃったから、場所によっては乗り入れにくくて」
と青葉が言うと、千里は笑って言った。
 
「青葉、お金は余っているだろうから、そういうのに使える車をもう1台買えばいいのに。白とかグレイとかの目立たないの」
 
「あ、そうか!それ考えたことなかった」
 
ちなみに千里のオーリスはオレンジメタリックで、やや渋い赤に見える。赤い車は比較的目立ちやすいが、青葉のアクア(チェリーパールクリスタルシャイン)に比べると随分おとなしい色である。青葉のアクアは母や友人たちからは《ショッキング・ピンク》と言われている。
 
「青葉は霊的な能力は凄いみたいだけど、やはり狭い世界で生きて来たせいか、発想が貧困な傾向があると思う。青葉は色々な世界を体験した方がいい」
と千里は言った。
 
「色々な世界を体験?」
「手塚治虫とか、若い頃、職業を何十個も変わっているよね。あれは彼の修行だったんだと思う。あれで色々な世界のことを知ることができた」
 
「たくさん色々な世界のバイトするとか?」
「様々な世界に入っていける仕事をすればいいんだよ。まあ青葉はバイトする時間は無いだろうけどね。青葉が目指しているアナウンサーという仕事も割と色々な世界に入っていける仕事」
 
「あ、そうかも」
 
「でも車はホントもう1台買っちゃえばいいよ」
「それ考えてみる。ちー姉はどう車を使い分けているの?」
「オーリスは私の専用車」
「へ?」
 
「あれ?気付かなかった?私は千里の代理をしている眷属のひとり。名前は村山百里。ミラを使っているのが千里本人で、アテンザを使っている千里はまた別の眷属・村山万里だよ」
 
青葉はあらためて再度千里姉を観察し直した。
 
「私を引っかけようとしてる。ここに居るちー姉、どう見ても人間にしか見えないもん」
と青葉は言った。
 
千里(百里?)は笑っていた。青葉の後ろにいる《ゆう姫》まで笑っていた。
 

金沢のHH院に到着したのは、9:00頃である。白田住職は千里を見ると
 
「凄い姉妹ですね!」
と言った。
 
「うちのお寺で処理しきれないような霊的な問題があったら、おふたりに頼りたいくらいだ」
と住職は言う。
 
「すみません。それで頻繁に呼び出されると、私、大学の勉強ができなくなるので」
と青葉は言っておいた。
 
神谷内さんとカメラマン、それに助手として皆山幸花がやってきたのは9:30頃である。青葉は神谷内さんに打診した。
 
「放送局さんのコネでですね、ラクシュ加賀の屋上に1時間くらい入れるようにしてもらえませんか?」
 
「できると思いますよ。希望の日時ありますか?」
「できたらこの放送の後、8月中がいいのですが。そしてこれが難しいかもしれませんが、できたら深夜がいいのですが」
「あぁ・・・ちょっと交渉してみます」
「お願いします。すみません」
 

園芸業者さんは9:50くらいに来て、若い杉の苗を植え始めた。その作業自体は30分ほどで終わってしまう。白田住職が雷で焼けた杉の燃え残りから切出し、自ら銘を書いた《次郎杉》という札(防水加工済)をそのそばに立てる。そして新しい次郎杉の命名法要を執り行った。
 
白田住職以下、HH院の僧に加えて、住職の親族の僧も集めて20人ほどの僧による仰々しいほどの法要であった。
 
〒〒テレビのみでなく、他の局やNHKまで、この次郎杉の代替わり法要を取材に来ていた。青葉としてはひじょうに素敵な展開であった。実は護符をさりげなく次郎杉のそばに置いておいたのである。結果的に護符の映像は多数の放送局の電波に乗ることになる。但し夜にならないと効果は出ない。
 

法要が終わると、いったん解散する。青葉と千里は金沢市内のホテルで夜を待つことにする。
 
「ちー姉、少しヒーリングしていい?」
「うん。お願い」
 
それで千里はベッドに寝たので、そのまま3時間くらいヒーリングをしていた。ヒーリングをしていて、随分千里姉の身体が痛んでいるのが分かった。さっきまで起きていた時は気付かなかったのに、やはりかなり無理して頑張っているのかなとも思う。
 
(実は横になった瞬間千里1と入れ替わっている)
 
卵巣と子宮が見えるのは気にしない!
 
とにかく身体中の器官ごとの気の流れが細かく寸断されている。これでは確かに霊的なパワーを行使することは無理だろう。青葉は気の流れのエンジン部分になる背中を中心にヒーリングしていく。腰の近く、ちょうど腰椎の付近から始めて少しずつ少しずつ隣同士の回路をつなぎ気の循環がより大きな範囲で回るようにしていった。
 
しかし・・・。
 
青葉はすぐに、千里姉の身体を他にも治療している人がいるのに気付いた。数えてみると既に4人(*3)。つまり青葉は5人目の治療者ということになるようだ。
 
(*3)羽衣・千里2・美鳳・びゃくちゃんの4人である。
 
各々別の場所から治療しているので、当面は治療箇所はぶつからないだろうと思った。
 

深夜の作業中に万が一にも眠る訳にはいかないので、青葉自身も夕方から仮眠を取った。千里の治療は自分が寝ている間もオートで続けた。
 
23時頃千里に起こされて目が覚める。
 
「ごめーん」
「私は何だかぐっすり寝てたよ。そろそろ行こう」
「うん」
 
今日の青葉は茶木蘭色の法衣を着て、瞬嶽師匠の遺品の袈裟をつける。千里が青葉のメイクをしてくれた。
 
「きれーい」
「青葉自分でお化粧は覚えなよ、女の子なんだし」
「うん。努力してみる」
 
千里自身は白の作務衣を着た上でしっかりメイクをした。
 
ふたりでオーリスに乗り、HH院に向かう。青葉達が到着してから少しして神谷内さんとカメラマン、皆山幸花の3人も来た。
 
「川上さん、ラクシュ加賀の件ですが」
「はい」
「許可が取れました。向こうの警備員が同席してもいいですかね?」
「はい。それは問題ありませんが電子機器は全部落として欲しいんです」
「カメラは?」
「高価なカメラが壊れてはまずいと思うので」
「壊れるんですか?」
「電源が入っていたら携帯電話でも壊れると思います」
「ひゃー。仕方ないです。僕の目で見届けます」
「ありがとうございます」
 

お寺の僧数人で観音像と、先代次郎杉の燃え残りの一部を運んで来て、白いプリウスに乗せた。護符を車の屋根にしっかりと貼り付けて運転席に千里、助手席に小型カメラを持った神谷内さん、後部座席の観音様の隣に青葉が乗って車は出発する。神谷内さんの持つカメラはあくまで予備で、メインは後部座席を撮すように設置した固定カメラである。
 
ここで観音様と燃え残りは運転席の後ろに置いた。そうしないと、神谷内さんが危ないからである。霊が勢いよく飛んできた時、観音様のすぐ隣にいる青葉と運転席の千里には何らかの影響が出る場合もある。青葉と(多分)千里は自分で防御できるが、神谷内さんまでは青葉もとっさに守れない場合もありえる。
 
この出発の所までを神谷内さんが連れてきたカメラマンが撮影した。そちらの撮影班は、お寺の中で車が戻って来るまで仮眠しておくことになる。住職はその間観音堂でずっとお経を唱えているということであった。
 
車内では誰も声を発しない。サイドウィンドウは完全に閉じて、車内ではお経を録音したものをずっと流している。この状態で眠らずに運転できる人は、かなり限られるだろう。放送局の人にはまず無理だし、修行を積んだ僧でもきつい。実際これって自分と千里姉のコンビしか考えられなかったのではと青葉は思った。
 

車は金沢東ICから北陸自動車道に乗り、福井県方面に走って、加賀ICで降りる。8号線を少し戻って加賀産業道路・山側環状道路で戻って来て、津幡バイパスから連絡通路を通って白尾IC方面に進み、のと里山海道を内灘方面に走って、海側環状道路を終点(北陸道白山IC付近)まで走る。その後、8号線を走って金沢東ICまで戻る。この前半2時間の走行でともかくも金沢市の外周をほぼ回ったのである。その後、市内の大通りを細かく走っていく。前半に外周を走ったのは、市内中心部の車が減るのを待っていたからである。
 
青葉は最初出発してから金沢東ICに乗るまでの間に20体ほどの霊が飛び込んできて次郎杉の燃え残りの中に吸収されたのを感知した。青葉は何も言わないが、飛び込む度に数珠を持って合掌するので、ビジュアル的にはそれで霊の《回収》を確認することができる。(この部分の映像が放送に使用された)
 
高速道路上は2体ほど、交通事故死の霊かもと思うものが飛び込んで来て観音様の中に吸収された。加賀ICから産業道路・山環を戻ってくる間に50体ほどの霊を吸収する。ここでは観音様と次郎杉に半々くらい吸収された。
 
どうも元々次郎杉に入っていた霊が次郎杉に、それ以外の霊が観音様に入っていっているような気がした。
 
津幡バイパスから里山海道・海側環状では30体ほどの霊を回収し、8割くらいが次郎杉に飛び込んだ。そして8号線を戻る間にまた10体ほどの霊が回収される。そして後半、市内の大通りをずっと走っていくと、もう10秒単位で霊が飛び込んでくるので青葉も合掌が間に合わない感じである。このあたりでビジュアル的にもとても霊の数を数えられない状態になる。
 
結局4時間ほどの巡回で回収した霊の数は恐らく300体ほどである。感覚的には平均すると次郎杉と観音様にほぼ半々くらいずつ飛び込んだ気がした。
 
4時半すぎにHH院に帰着した。
 
「お疲れ様でした」
「住職もお疲れ様でした」
 
「かなりの豊作ですね」
と車内を見て住職が言った。
 
「なんか凄い数の霊でした。次郎杉とは関係無い霊もたくさんいましたよ。観音様に同行していただいて助かりました」
 
「ああ。確かに観音様にもたくさん入っている」
 

8月11日に放送された『いしかわ・いこかな』は結構な反響を呼び、再放送の要望も強かったので、HH院と青葉の承認も取って翌週8月18日に再放送が行われた。
 
青葉・千里・神谷内の3人で、8月11日、8月18日の夜、放送時間に合わせて、市内の循環をして霊の回収をした。放送自体に刺激され放送時間中にテレビ局の庭に駐めた(巡回に出発前の)HH院の車に集まった霊が11日に推定2000体、18日の再放送では7000-8000体と思われた(青葉と白田住職の推測)。
 
更に放送後、25:00-29:00におこなった市内巡回で、11日に1000体、18日には3000-4000体くらいの霊を回収する。
 
「なんか大掃除している感じです」
と神谷内さんが少々不謹慎な発言もしたが、たぶん次郎杉と無関係であった霊体が大半ではないかという気がした。
 
なお、8月4日、11日、18日の3回の《回収作業》で集めた霊体は白田住職の手で、観音堂の御本尊と、このお堂に安置された次郎杉の燃え残りに毎回移動されている。時間を掛けて供養して少しずつ上げていくと住職は言っていた。
 

番組の再放送が終わった翌日8月19日の夜(8月20日1:00)。
 
青葉、千里、神谷内さんの3人はラクシュ加賀の屋上に警備員さんと一緒に登った。ここを選んだのは、このビルが金沢都市圏でひときわ背の高いビルだからである。
 
今日青葉がここに持ち込んだのは大きなステンレス製の鏡である。実際には鏡本体(6kg)は神谷内さんが持ち、固定する台(30kg)を千里が持ってここに登ってきた。屋上の端にある手すり傍に台を置き、念のため手すりとの間にベルトを掛ける。落下防止のためである。そして台に鏡をボルトで固定する。青葉と千里の2人で鏡の角度を調整する。
 
この様子を神谷内さんが小型カメラで撮影していた。
 
電話連絡でHH院の白田住職の方も準備OKであることを確認する。
 
鏡を置いたのも、この屋上の中でHH院側の端である。そうしないとビルの階下に影響が出る可能性がある。
 
全員携帯電話の電源を切る。青葉は警備員さんにも携帯の電源を切って欲しいと要請した。この話は一応事前にも“口頭”で話を通していた。警備員さんもそれで電源を切る。
 
青葉は鏡の向こう側に身体を乗り出す状態にして、瞬嶽師匠から(?)伝えてもらった祝詞を奏上した。念のため千里がずっと青葉の身体をしっかり支えておいてくれた。
 
書き写した祝詞の紙を丸めて鏡の中央に貼り付けておいた筒の中に入れる。
 
青葉自身は千里と共に鏡から3mほど離れる。
 
目を瞑ってじっと待つ。
 
物凄い風のようなものが吹いてきた感じであった。警備員さんが思わず「わっ」と声をあげた。神谷内さんは座り込んでしまった。
 
“風”は20分くらい続いたろうか。
 
こちらにやってきたものたちは全て鏡に反射されて、約1.8km離れたHH院で待ち構えている白田住職の所に飛んで行き、観音様と次郎杉の燃え残りに吸収されてしまった。
 
警備員さんは腰が抜けたように座り込んでいた。
 
「終わりました」
と青葉が静かに言った。
 
むろん立っているのは青葉と千里だけである。
 
何とか神谷内さんが立ち上がった。
 
「これはとても放送できません」
「まあ、無理でしょうね」
と青葉も言った。
 
「カメラや携帯が壊れるというのもよく分かりました」
「エネルギーが凄まじいですから」
 
千里と神谷内さんで手伝って警備員さんを起こしてあげたが
「いったい何だったんですか?」
と彼は言った。
 
「まあお盆ですね」
と千里は言った。
 
「鏡の表面がぼこぼこになってる」
「まああれだけの数の霊がぶつかれば」
「巻物の筒がひしゃげてる」
「当然だよね」
「これも撮影しておいていい?」
「どうぞ」
 
実際にはこの映像は使用しなかった。放送局内で検討したもののあまりにも生々しすぎるということになったのである。
 
しかし、タクシーただ乗り幽霊の騒ぎはこれでピタリと収まってしまったのであった。
 

8月27日、千里2は同じドライビング・クラブの矢鳴美里・金野鹿美と一緒に茨城県下妻市の筑波サーキットに来ていた。今日ここで行われるレースに出場するためである。車はクラブ所有のものをキャリアカーに積み、交代で運転して運んで来た。
 
「今日は女子だけだね」
「確認はしてないけどたぶん全員女子だね」
 
矢鳴さんは普段は千里の専属ドライバーとしてアテンザやオーリスを走らせているが、今日は単純なクラブメイトである。
 
矢鳴さんはここのサーキットは何度も走っているらしいが、千里と鹿美は初めてだったので、矢鳴さんも含めて3人でまずはサーキットを歩いてみた。コースの曲がり具合などを感覚的に身体に覚え込ませていた。
 
「美里ちゃん、レースは久しぶりだね」
 
「うん。国際B級ライセンス取った頃は燃えていたんだけどねぇ。そのあと仕事が忙しくなって、お金も無いし参戦できないなあと思っている内にレースから遠ざかってしまって。このままだとC級ライセンスも維持できないかもと思ってたんだけど、今日のレースに参加して順位認定取れれば、一応大丈夫みたい」
 
「それごめんねー。私もそこまで気が回ってなくて美里ちゃん、こき使ってしまって。どうせ私、毎年3月から7月くらいまでは国外飛び回っているから、その間に3回くらい参加するといいよ」
と千里が言っている。
 
「まあそれで今回は出てきたんだけどね」
 
「千里ちゃんが美里ちゃんの雇い主?」
「違う違う。美里ちゃんが所属しているドライバー会社に私が運転を依頼していて、美里ちゃんが私の担当なんだよ」
「なるほどー」
「だから私は美里ちゃんのお客さん」
 
「千里ちゃんは今年積極的に参加してるね」
「うん。これで4レース目。今日決勝進出して、来月の十勝に参戦して決勝進出すればC級に昇格できる」
 
「凄い凄い」
 

10時から試走時間になるので、3人で交代で試走した。千里も試走の段階では比較的ゆっくりしたペースで直線の時間的間隔、カーブの加速度感覚などを確認した。
 
お昼を食べて13時から予選が始まった。最初に美里が出て行き、4位でゴールした。各組の4位以上が決勝に進出できるので、これで美里は決勝進出確定である。美里は
 
「久しぶりのレースでやはり駆け引きがうまく行かなかった!」
と言っていた。
 
レースはスピード以上に車同士の駆け引きの勝負である。
 
しかしそれでもちゃんと決勝進出したのが偉い。
 
3組目で鹿美が出て行ったものの5位で予選敗退する。
 
「ああ。残念」
「あと1つだったのにね」
 
千里は5組目なので次の4組目予選の準備が進むのを、鹿美・美里と一緒にいろいろ話ながら眺めていた。その時、美里のスマホに着信がある。美里はえ?という顔をし、チラッと千里を見てから電話を取った。
 
「あ、はい・・・、あ、ちょっと待って頂けますか?すぐ折り返しお電話しますので」
と言っていったん電話を切った。
 
「何かあった?」
と千里が訊く。
 
「実は千里さんから、今水戸駅の近くにいるんだけど、作曲作業している内に眠くなったので、迎えに来てくれないかと電話があったのですが」
と美里。
 
鹿美が「へ?」という顔をしている。
 
すると千里は言った。
 
「それ身代わりを派遣するから、私に任せて。水戸駅に居るの?」
「水戸駅の近くの千波ショッピングプラザという所だそうです。アテンザで来ているそうです」
「OKOK。ちょっと待ってね」
 
それで千里はどこかに電話してる。
「ああ。私。千里が水戸市の千波ショッピングプラザという所にいるらしいのよ。美里ちゃんに変装して迎えに行ってあげてくれない?うん。よろしくー」
 
それで千里は電話を切り
「向こうは大丈夫だから、美里ちゃんはこのまま決勝に出てね」
と言うと、自分は次の予選に出るため、車の方に行った。
 
鹿美が尋ねる。
「他のお客さんから運転の依頼?」
「ううん。千里ちゃんから」
と美里は答える。
 
「千里ちゃんはここにいるじゃん」
「きっと他の所にも居るのよ」
「よく分からない。それに千里ちゃん、美里ちゃんに変装して行ってとか言ってたけど」
「まあ怪人二十面相並みに変装のうまいお友達がいるんじゃないかな」
「うーん。。。」
 
鹿美は訳が分からんと思って腕を組んだ。
 
結局この日、千里2は予選をトップで通過。決勝に進出する。そして決勝では千里が3位、矢鳴美里は7位でどちらも順位認定され、千里はC級ライセンス申請まであと1つとなり、矢鳴美里もC級維持の条件を満たすことができた。千里は表彰台に乗ったのは6月の鈴鹿に次いで2度目である。
 

『いしかわ・いこかな』では9月29日の放送で、タクシーただ乗り幽霊に関する《霊界探偵・金沢ドイル》とHH院の共同作業の後日談を放送した。霊回収車を先日の放送以降にも2回運行したこと(番組の放送にぶつけたことは言わなかった)、3回の運行で合計2万体ほどの霊が回収されたことを白田住職が語った(本当はこの数字には8月19日夜のラクシュ加賀で実行した最終回収の分も含まれている)。また回収車内の様子も一部が放送され、観音経の読経録音が流れる中、法衣と袈裟を着けた青葉が数珠を持って霊が飛び込む度に合掌している様が映った。
 
またHH院の観音堂で行われた供養の法要の様子も放送される。
 
そしていくつかのタクシー業者に取材し、タクシーただ乗り幽霊の噂が8月の下旬以降は全く聞かなくなったことも報告された。
 
K大学の文学部教授にインタビューして、タクシーただ乗り幽霊の歴史について話してもらった。教授はやはり『真景累ヶ淵』(1859)の豊志賀の幽霊が駕籠にただ乗りした話、更に古い『諸国百物語』(1677)の『熊本主理が下女きくが亡魂の事』で、主(あるじ)に些細なことで殺された、きくという女の亡霊が馬にただ乗りする話(これは『番町皿屋敷』の類話とされる)などを例に挙げ、ひじょうに古くから類話のあることであると語った。
 
アメリカでは『幽霊ヒッチハイカー(ghostly hitchhiker)』としてやはり広まっていることも説明する。向こうでは昔は馬車だったという。日本では死んだ若い女が自宅に帰ろうとするパターンが多いのだが、外国では災厄をもたらす老婆が乗ってくる話や、逆に幸運をもたらす女神が乗ってくるパターン、また臨終の際に、その死にそうになっている人の亡き両親が迎えに行く話もあるという。第二次世界大戦末期には戦争の終了を予告した幽霊もいたらしい。またこの幽霊が後日、パーティーなどの席でその運転手に再会し交際しようとする話も結構あるという(牡丹灯籠型?)。
 
また、春からの騒ぎで(車内も撮すタイプの)ドライブレコーダーを装備したタクシーには全くただ乗り幽霊が出ていないことが神谷内ディレクターによって語られた。
 
「最初の頃、何とかそのただ乗り幽霊が乗車した時の映像が取れないかと思い、タクシー会社にたくさん取材して回ったんですが、幽霊を乗せた車でドラレコが付いていたタクシーは1台も無かったんですよ。また、実際に幽霊騒ぎのあったタクシー会社でもドラレコの装備が進んだ例もあって、結果的に金沢のタクシーはドラレコの装備が進んでいるようです」
 
と神谷内さんはカメラの前で語った。
 
番組では最後に何人かのタクシー運転手に取材して、実は以前からただ乗り幽霊に会わないように、魔除けとしてマスコット人形を車内に置いている人が結構いることが語られた。映っていたのはUFOキャッチャーで取ったっぽい、小泉花陽(ラブライブ)、ジバニャン(妖怪ウォッチ)、くまモンなどである。
 
「ジバニャンは、それ自体が幽霊なのでは?」
「幽霊をもって幽霊を制すですね」
と運転手さんは笑っていた。
 
そしてこの番組の放送後、石川県のタクシーにはマスコット人形が乗っているタクシーが増えたらしい!
 

青葉は結局、このタクシーただ乗り幽霊の件の処理に忙殺されて東京に行って、ローズ+リリーの音源制作に参加することができなかった。それで千里に言うと「例の謎の男の娘さんに行ってもらうよ」と言い、冬子に電話して承認を取っていた。それで向こうには昨年春のツアーに参加した《謎の男の娘》さんが行ったようである(音源制作中ずっとマスクをかぶっていたらしい)。
 
(実際には本来の『謎の男の娘』こと小春はもう亡いので、この音源制作に本当に参加したのはマスクで顔を隠した千里2である)
 
「まあ青葉の居る所には正体がバレるから出せないけど、青葉の居ぬ間の洗濯で」
などと千里姉は言っていた。
 
千里姉も最近はほんとに開き直っているなと思う。たぶん千里姉の眷属なのだろうが、どうも千里姉の眷属には色々な能力を持っている子がいるようだ。運転のうまい子、バスケが日本代表レベルの子、龍笛のうまい子、プログラムを作れる子、そしてそれらを陰で支えているのが、瞬間移動能力のある子だ。それを絶対に青葉の前に出さないのも凄いと思った。
 
(もっとも青葉は四谷勾美に会ってもそれが千里の眷属であることに気付かなかった。あれは実際には、勾美が人間ではないことを疑いもしなかった不注意による部分が大きい)
 

9月29日(金)に放送した番組内容の大半は9月16日(土)に収録しており、青葉もその収録に同行している(ただ乗り幽霊が現れていないことを確認する取材のみ9月23-24日に行われた)。
 
実際問題として9月16日にはHH院で今回の一連の事件のまとめをする法要と会議が行われ、これには神谷内、青葉、千里、タクシー協会の人、白田住職が出席して《後日談》として放送する内容についても確認した。実はこの段階でラクシュ加賀の屋上でおこなった作業については番組で触れないことにすることも決めたのである。
 
千里はここ1ヶ月ほど東京と高岡・金沢を何度も往復したが、リーグ戦が始まるのは9月29日からだから、今はまだ動けるのよね〜などと言っていた。
 
千里は9月16日の夕方、高岡の自宅で一緒に御飯を食べてから、少し仮眠した後、母から桃香へのお土産も預かって、オーリスで帰って行った。これが夜0時すぎのことであった。
 

ところが9月17日(日)の朝7時頃、千里から電話があるので取ると、千里が思わぬことを言った。
 
「青葉、私、青葉からも叱られるかも知れないけど、結婚することになった」
と千里は言った。
 
「え?貴司さんと結婚するの?貴司さん、阿倍子さんと離婚するの?」
と青葉は驚いて尋ねる。
 
「ううん。別の男の人」
「え〜〜〜〜!?」
 
千里が言うのを聞くと、こういうことであった。
 
先月末に仕事の関係で知り合った川島信次という人から、プロポーズされた。仕事にも絡むことなので困り、Jソフトの社長に相談したら、辛いかもしれないけど、性別を変更していることを相手に話して欲しいと要請された。結局、千里・社長、相手の人と向こうの所長さんと4人居る場で、千里は2012年に性転換手術を受けて、戸籍上の性別も変更したことを話した。ところが、それにも関わらず川島さんから自分は過去の性別は気にしないから結婚して欲しいと言われ、断るに断れない状況で同意してしまった。しかし相手の親が絶対承認しないだろうと思っていた。一方千里は以前から知り合いだった康子さんという女性から、息子が変な女と結婚したいと言っているので、その話を潰すために息子と見合いしてくれないかと頼まれ、そちらも断り切れずに昨日、見合いに行った。ところがその息子というのが千里にプロポーズした川島信次だった。
 
それで千里はどさくさに紛れて、自分は身を引くから信次さんにはもっと素敵な女性を見つけてあげてと言い、信次は身を引くなんて言わずに結婚して欲しいと言い、ふたりが言い争うのを見ながら呆然としていた康子さんは千里に、自分は千里ちゃんのこと好きだから、息子と結婚してあげてと言った。それで結局千里はこの縁談が断るに断れない状況に陥ってしまった。
 
「ちー姉らしくない。自分がどうしたいかを貫けばいいのに」
「でもどうしたらいいか分からなくなってしまって」
 
そのあたりが全然千里らしくないと思った。青葉が認識している千里というのは、決断力と実行力にすぐれた性格だ。貴司さんが結婚してしまっても4年間じっと我慢して何とか貴司さんを取り戻そうと頑張っていた。その間、不倫なんてやめなさいよと随分友人たちからも言われていたようだが、自分の意志を貫いていた。それに千里姉って、霊的なものに対処する時も、青葉が思わず攻撃をためらうような場面でも、すべきことを断固として実行していた。それで青葉は何度も助けられている。
 
その“強い千里”と、今流され流されて変な状況に追い込まれている千里というのが結びつかないのである。それにどうにも青葉には理解できないことがあった。
 
電話の向こうの千里姉に感じるオーラが物凄く弱々しいのである。昨日一緒にタクシーただ乗り幽霊の処理をしていた時は、以前の千里姉ほどではないものの、普通の霊感体質の人程度のオーラはあったのに。これではまるで病人のオーラだ。
 
「ちー姉、真剣に訊くけど、貴司さんのことはもういいの?」
「貴司のことは好きだよ。忘れられるものではないと思う」
「その信次さんのことは好きなの?」
「嫌いではないけど、どうしよう?と思ってる」
 
こんな優柔不断なことを言うのは、まるで千里ではないみたいだ。
 
「悪いけど、私はちー姉のその結婚話に賛成できない」
と青葉はハッキリ言った。
 
「うん。私もまだ悩んでる」
と千里は言った。
 

その後、千里は今度は朋子のスマホに掛けてきた。
 
そしてあらためて結婚することになったことを説明した。朋子は純粋に喜んでくれたようで
 
「良かったじゃない。なんて名前の人?」
「川島信次さんといって、千葉の建設会社に勤めているんですが」
「え?」
と朋子は声をあげた。
 
青葉はその朋子の反応の意味が分からなかった。
 
しかし朋子はすぐ気を取り直して相手の人のことや、いつ頃式をあげるのか?などといったことを尋ねた。しかし千里も昨日婚約したばかりで、まだ指輪も交換していないし、式の日程などはこれから詰めるといったことを言っていた。
 
また、自分は子供を産めない身体だけど、桃香との古い約束に基づき桃香から卵子をもらって信次の精子と体外受精させ、代理母の人に信次の子供を産んでもらい、それを特別養子縁組でふたりの子供にする計画であることも話した。その話には青葉も傍で聞いていて驚いた。結果的には遺伝子上は朋子の孫になる子供ができることになる。朋子はその話にも驚いていたが、計画には賛成していた。というよりも喜んでいた。
 
電話を終えてから朋子は青葉に言った。
 
「千里ちゃんが不倫しているようだなというのは思っていた。でもそちらを諦めて、他の人と再婚するというのなら、それでいいんじゃないの?青葉は納得できない所があるかも知れないけど祝福してあげようよ」
 
「それはそうだけどさ」
 
と言いつつ、青葉はなぜ朋子が《再婚》ということばを使ったのか疑問を感じた。千里が貴司さんと実質結婚していたのに、別れて(?)阿倍子さんと結婚していたから、千里にとってもこの結婚は再婚になるのだろうか?などと考える。
 
それで青葉はしばらく朋子と話し合い、一応朋子に諭されて、千里の川島信次との結婚を容認することで同意した。しかし青葉としてはどうにも割り切れないものを感じた。
 

千里(千里1)が青葉と朋子に電話していた頃、信次の方は優子に電話していた。
 
「実はさ、僕、結婚しようと思って」
「へー。とうとうお嫁さんになるの?」
「いや。お嫁さんをもらう」
「それはまた奇特な人がいたもんだ。分かった!そのお嫁さんって男の人なんでしょ?」
「実は元男性なんだよ」
 
「ああ、そういう人か。じゃ信次が法的な性別を女に変更して結婚するの?」
「いや、向こうが既に法的な性別を女に変更しているから、僕は男のまま結婚する」
「ふーん。相手は、わりと男っぽさが残る人?」
「それが全然そうではなくて、かなり女っぽい」
「信次がたとえ元男性とはいっても、そんな女らしい人と結婚しようと思うなんて、少し信じられない」
「うん。自分でも信じられないけど、けっこう相性がいいみたいでさ」
 
「ふーん。入れてもらった?」
「まだ。こちらは向こうに入れた」
「入れてもらってから決断しなくてもよかったの?」
「向こうはたぶんレスビアンだと思う」
「ああ、それなら何とかなるかもね」
 
「でも僕結婚したら、あまりそちらに会いにいけなくなるかも」
「私は構わないけど、奏音(かなで)には会いに来て欲しい」
「3ヶ月くらいに1度でもいい?」
「まあそのくらいに1度は来て欲しいね。来る時は例によって女装してきてね」
「うん。それはちゃんと女装して会いに行く。あ、それとその人と結婚してもそちらへの養育費はちゃんと毎月送るから」
 
「それはちゃんとそうしてもらわなくちゃね。だったら新しい旦那に奏音のことも打ち明けるの?」
「それは隠しておこうかなと思ってって。だから給料は現金で手渡し。でも旦那じゃなくて奥さんだけど」
 
「それはあり得ない。信次が結婚する以上、信次が奥さんでしょ?」
「結果的にはそうなるかも知れないな。でも養育費は銀行で毎月定期送金するように設定しているから、たとえ僕が死んでも大丈夫だよ。普通預金の残高が尽きても定期預金から自動借入れされるはずだし」
 
「ああ、それなら安心ね。定期預金の残高がある限りは送金されてくる訳ね」
「まあそんな感じかな」
 

「ああ、それと僕、その結婚する人との間に子供作るから。奏音の妹か弟になるけど」
「え?相手は元男なんでしょ?妊娠できるの?」
「代理母を使う。体外受精させて」
「ふーん。卵子は信次のを使うとして精子はどうするの?相手はもう睾丸無いんでしょ?」
「僕には卵子は無いよ。彼女のお友達の卵子を借りて僕の精子と受精させる」
「信次。まだ精子があったんだ?」
「あるけど」
「信次もそろそろ去勢を考えた方がいいね」
「オナニーできなくなるから嫌だ」
「ちんちんなんて使わないくせに。ヴァギナ作ればもっと気持ち良くなれるよ。私がちんちん切ってあげようか?」
「僕は女になるつもりはないから」
「今更私に嘘つくこと無いのに」
 

その日(9月17日)青葉が自分の部屋で悶々とした気分で判例集を読んでいた時、青葉のスマホにショートメールが着信する。千里姉からである。時刻は午前10時頃であった。
 
《青葉ごめーん。そちらに私のバッグ忘れてない?》
 
へ?
 
青葉が隣の桃香の部屋(千里はこの家に来た時はこの部屋に泊まる)に行ってみると見慣れた千里のバッグがある。青葉はショートメールに返信した。
 
《あるよ》
《免許証入ってるよね?》
《開けてみていい?》
《もちろん》
 
それで青葉がバッグを開けてみる。
 
最初に目立つのが分厚い現金である。千里姉は雨宮先生から唐突にブラジルだのポーランドだの、南アフリカ!?だのに呼び出されるのでいつでも日本円・ドル・ユーロをある程度持っているのだと言っていた。
 
ポケットを探ると、運転免許証、JAF会員証、健康保険証、国際C級ライセンス、が一緒に入った富士急ハイランドのパスポート入れ!が見つかる。ああ、確かにこのパスポート入れは首から掛けられるし、免許証入れるのに便利かもねと青葉は思った。
 
《免許証も入っているよ》
 
《青葉、忙しい時に申し訳ないんだけど、それこちらに持って来てくれない?今(上信越道の)東部湯の丸SAにいる。免許証持ってないの見つかったら切符切られちゃうから身動きできなくて》
 
《東京じゃないの?》
 
《午前3時頃ここに着いてから、1時間くらい仮眠するつもりが、疲れが溜まっていたのか、さっきまで寝ていた》
 
は?
 

青葉は自分のスマホの着信履歴を確認した。
 
さっきの7時頃掛かってきた「結婚する」という電話は、用賀のアパートの家電から掛けられている。そして今ショートメールのやりとりをしている電話番号は千里姉の携帯番号のひとつだ。
 
青葉は返信した。
 
《すぐ持ってそちらに行く》
 
それで青葉は、千里姉が忘れ物したらしいから届けに行ってくると言った。
 
「郵送じゃダメなの?」
「それが免許証なんだよ。すぐ届けてあげないと、運転できないって困っているらしくて」
「あらあら。結婚が決まって舞い上がって、うっかりしてたのかしら」
 
ともかくも青葉は(自分の免許証が確実にあるのを確認して)、千里姉のバッグを持ち、アクアに乗ると小杉ICを目指した。
 
3時間ほど、北陸道→上信越道と走って東部湯の丸SAに到着する。
 

どこかな?と思って探していたら、千里の方でこちらを見つけて来てくれた。
 
「ありがとう!ごめんね。忙しい時に手間を取らせてしまって」
と千里は言っている。
 
「ちー姉、携帯見せてくれない?」
と青葉は言った。
 
「これ?」
 
と言って千里は赤い折り畳み式のフィーチャホンTOSHIBA T008をスカートのポケットから出して見せた。
 
この携帯って、この携帯って・・・確か春に落雷に遭った時に焼損したって言ってなかった?だから代わりにiPhoneを買ったんじゃなかったの?だってこないだ見た時、千里姉はiPhoneにヤマゴのストラップ付けてたじゃん。この携帯にはヤマゴのストラップも付いてない。それどころか、金色のリングのストラップが付いている。このリングは確か・・・貴司さんとの愛の証(あかし)だったはず。川島さんと婚約した千里が、貴司さんとの愛の証のストラップを付けているなんて、いくら千里姉でもあり得ない。そしてふと気付いた。今朝の電話で千里は昨日お見合いをしたと言っていた。でも千里姉は昨日自分と一緒に、タクシーただ乗り幽霊の最終的な処理をしてたじゃん!
 
青葉の頭の中で物凄く大量の情報が処理された。
 
あらためて目の前にいる千里を見る。かなり強いオーラを感じる。昨日感じたオーラよりもずっと強い。
 
そして青葉はひとつの結論に達した。
 
「ちょっと電話したいんだけどいい?」
と青葉は千里に訊いた。
 
「うん。いいよ」
と千里は答える。
 
それで青葉は千里の用賀のアパートの家電に電話した。5回呼び出し音が鳴った後でカチッという音がして電話が取られる。
 
「はい」
と言う千里の声がする。電話の向こうの千里に感じるオーラはとても弱々しい。
 
「ちー姉、考えたんだけど、やはり不倫をずっと続けるのはよくないよね。私はちー姉の決断を尊重するよ。さっきは変なこと言って悪かったけど、結婚おめでとう。それでちー姉の披露宴の司会させてくれない?私もアナウンサー志望だしさ。司会の訓練も受けてるから。うん。じゃ幸せになってね」
 
そう伝えて青葉は電話を切った。
 
そして目の前の千里姉に言った。
 
「ちー姉。この春から、どうも納得の行かないことが多かったんだけど、やっと原因が分かったよ」
 
「青葉にしては気付くのに時間が掛かったね」
と千里は笑顔で言った。
 
その左手薬指にはいつの間にか金色の結婚指輪も輝いていた。
 
 
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【春雷】(4)