【春雷】(3)

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17時にひとつ前のザルツィッヒ・ザッハトルテ(しょっぱいケーキという意味)の演奏が終わり、機材が片付けられる。マリは詩津紅や美耶とおしゃべりしているが、ケイは簡易ベッドに横になって寝ている。直前に起こしてと言っていたようである。今年はローズ+リリーは毎回参加していた横須賀のサマー・ロックフェスティバルにも参加しない。夏フェスはこの苗場のみだが、本当はこの苗場でさえ欠席したい気分だったろう。
 
やがて17:40になり、風花がケイを起こす。トイレに行って来てメイクを直す。目を瞑って集中している。1分前、青葉も含めて伴奏者がステージに上がっていく。物凄い歓声が沸き上がる。17:54ジャストにケイとマリがステージに姿を現す。ひときわ歓声が高くなる。酒向さんのドラムスが打たれて伴奏が始まり、最初の曲『夜ノ始まり』を演奏した。
 
17:54から演奏が始まるのはこの日の日没に合わせたものであるが、こんなに雨が降っているのでは、日没も何もあったものではない。しかしそれでもローズ+リリーに特別な配慮をしてもらったことに敬意を表して、きちんと17:54に始めた。
 
今日のライブでは、年末年始ツアーの時より、やや簡易化されたアレンジを使用していて、参加人数も少し減らしてある。今回青葉が担当した楽器は龍笛とアルトサックスのみである(年末のツアーでは篠笛とフルートも吹いた)。龍笛は屋外で雨になりそうだったのもありサブの花梨製のを持って来ている。メインの花梨製(曾祖母の形見)のを吹くと、超常現象(?)が起きやすいので、それを防ぐ意味もある。
 
それでも『神秘の里』を演奏中には近隣の(?)龍が2体やってきて上空を舞っていた。観客の中に上空を見ている人がけっこういるので、みんな何か来ていると感じ取っているのだろう。
 
ピカッと稲光がしたものの、その雷を、上空に居た龍が蹴散らしてしまった!それで雷の光は途中で曲がって、山のかなり上の方に落ちた。あの瞬間をもし誰かが撮影していたら、ちょっと信じられないようなものが写っていたかも知れない。
 

やがて9曲目の『ピンザンティン』をみんなお玉を振って歌い、ラストの『あの夏の日』はマリとケイだけで演奏して、1時間のライブを終えた。ケイが弾くピアノの音の余韻が消えたのが18:54ジャストで、それと同時に割れるような拍手が4万人の大観衆から送られる。ふたりはステージ最前面に立って、何度も何度もお辞儀をしていた。
 
次の演奏者がいるので、全員で協力して楽器の撤収をする。5分でステージ上からの撤収を終える。ケイのエルグランドと近藤さんのヴェルファイアを持って来ているので、それに楽器や機材を積み込む。矢鳴さんと風花が運転して出発した(風花はローズ+リリーの演奏には参加していない)。ふたりはそのまま越後湯沢までこの車を持っていく。近藤さんと鷹野さんが助手席に乗った。氷川さんが運転するプリウスαにケイとマリ、ケイの従姉2人と従姪の七美花が乗り込み出発する。助手席には七星さんが乗っている。
 
他のメンバーはこのまま徹夜したい人(ケイの伯母の風帆など)を除いて駐車場まで歩いて行く。佐良さんが運転するバスで帰ることにする。補助席まで出すと、乗車希望の人は全員乗る計算だったが、実際
 
「あと2人乗車可能だね」
という状態であった。
 
「2人まだ来ていない人がいたりして」
「まあ今夜帰りたければあと少しはシャトルバスも運行されるし」
 
ということでバスは出発し、雨がかなり激しくなってきたこともあり、少し時間が掛かって、21時頃にやっと越後湯沢に到着した。
 

みんなはホテルまで行くのだが、青葉だけは越後湯沢駅で降ろしてもらい新幹線に乗った。
 
越後湯沢22:24 (Maxとき350) 22:49高崎23:02 (あさま631) 23:53長野
 
そして予約していた長野駅前のホテルに泊まる。そして朝一番の金沢行き新幹線に乗り込む。
 
長野611 (はくたか591) 7:38金沢7:48 (路線バス) 8:23K大学中央
 
大学の授業(今日は期末試験)は8:50からなので、これで間に合うのである。青葉は昨夜の新幹線ではひたすら寝ていた(高崎での乗り換えは雪娘に起こしてもらった)ものの、今朝は長野から金沢までずっとノートを読んで試験に備えていた。
 

期末試験は4時限目(16:00終了)まで、みっちりあり、青葉は一時的に放電状態になって、理系キャンパスと文系キャンパスの間に架かっている連絡橋の所でぼーっとして遙か下にある池を眺めていた。
 
声を掛けられる。
 
「青葉ちゃん、自殺するつもりじゃないよね?」
 
声を掛けてきたのは、奥村君である。
 
「うん。大丈夫。今放電中」
と笑顔で答えてから奥村君に言う。
 
「でも今日は可愛い服着てきたね」
「こういう服を着た方が気合いが入るんだよね〜」
と奥村君は答える。
 
「うん。そういうこと言う人は割と多い」
「今日の試験は小論文みたいなのばかりで疲れた」
「そういうのは脳が一時的に過労状態になるよね〜」
 
それで2人でボーっとした状態のまま話していたら
 
「お前ら心中とかじゃないよな?」
という声が掛かる。
 
ああ、女の子2人、橋の上でぼーっとしてたら、声を掛けたくなるかもねと青葉は思った。
 
しかし声を掛けたのは吉田君である。
 
「まさか。まだ30年くらいは死ぬつもりはない」
と青葉。
「30年と言わず80年くらい生きなよ」
と奥村君が言う。
 
「私あまり長くは生きられない気がするんだよね」
 
と青葉は言う。ずっと小さい頃、美鳳から青葉の寿命は50歳くらいと言われたことがあるのである。ただしそれは青葉が『ふつうでない生き方』を選択した結果であり、あの時に青葉が『ふつうの人生』を選んでいたら13歳で死んでいたと言われた。それは多分震災で死んでいたのだろうと青葉は思っている。
 
「だったら、川上、俺がお前に新しい予言をしてやる」
と吉田君は言った。
 
「川上は73歳まで生きる」
 
青葉は彼が80歳とか90歳とかいう《切りのいい数字》ではなく、妙に細かい73という数字を言ったことで、青葉はその数字を信じていいような気がした。そうだよね。未来なんて変わるもんだし。
 
「じゃ73歳まで頑張ろうかな」
「ああ。頑張れ」
 

「だけどまだ明るい内で良かったよ」
と吉田君は言った。
 
「何か?」
「お前たち知らない?この橋に夕方のいわゆる逢魔が時に、ここから身投げして死んだ学生の幽霊が出るという話」
 
「ここで死んだの!?」
「そういう噂は聞いた」
「だってここそんなに古くないでしょ?」
「金沢城から引っ越して20年くらいじゃないかなあ」
「自殺者が出てるんだ?」
「自殺する学生は毎年いると思うけど」
「ここから飛び降りて?」
「そのあたりはよく分からん」
 
その時、奥村君が言った。
 
「だけど日が落ちてからはこの橋通るのけっこう怖いことあるよ。人も少なくて寂しいしさ」
「ああ、女だと襲われるかもという怖さあるだろうな」
と吉田君。
「それはちょっとあるけど、それとは別の怖さという気がするよ」
と奥村君。
「私は怖いと思ったことないけど」
と青葉が言うと
「川上は強いから、大丈夫だろ。川上は迷ってる幽霊なんて成仏させちゃうだろうし、痴漢とかに遭っても撃退するだろうし」
と吉田君は言う。
 

その時、唐突に青葉は思いついた。
 
「ね、ハルちゃん、吉田君、今夜、真夜中に時間ある?」
「真夜中って?」
「深夜・・・2時頃」
「そんな時間に何するの?」
「ドライブ。2時間くらいかな」
「なぜそんな夜中に」
「実は・・・」
 
といって、青葉は先日放送局から“タクシーただ乗り幽霊”のことで調査依頼されたことを話した。
 
「放送局の車で昼間走ってもらったんだけど、私何も感じなかったのよね。今考えてみると、あれは悪条件が3つ重なっていたと思う。深夜ではなく昼間だったこと、番組に使うかもということで撮影していたこと、そして私自身が強すぎたこと」
 
青葉は以前呉羽ヒロミの身体の状態について、自分が傍に居ない状況で調べてもらい、やっと真相が分かったことがあることを思い出していた。青葉自身が強すぎるので、青葉がいることで現象が現れにくくなることがある。また、青葉は怖いと思わなくても、普通の人なら怖いと思うものもあるかも知れない。
 
「だったら俺たち何するの?」
「深夜に吉田君の運転で、ハルちゃんが後部座席に乗って、城北大通りを往復してもらえないかな。それで特にハルちゃんが少しでも変な感じのした場所を記録して欲しいのよ」
 
「俺はいいけど」
「ボクもいいよ」
 
「だけど夜中に場所を記録するのは難しいよ。外の様子よく分からないし」
「時刻を記録すればいい。他に信号で停まった時の時刻も記録する。そうすれば後で比例計算すると場所は分かる」
「なるほど!」
 
「川上はどこにいるの?」
「私はどちらかの端で待機してるよ」
「車は?」
「私が高岡からアクアを運転してくる。それでふたりを各々のアパートで拾えばいいよね?」
「ボクは森本だけど大丈夫?」
「住所教えてもらえばナビで辿り着く」
「俺のアパートは覚えてる?」
「覚えてる」
「それなら俺のアパートと奥村のアパートの間の移動で既に現場を通れたりして」
「そうかも」
 
「だったら、良かったら奥村、俺のアパートに来てない?襲ったりしないからさ。川上は城北大通りじゃなくて、山環通ってくるだろ?」
「うん。そうなると思う」
「それで川上は俺のアパートで待機していて、俺と奥村が城北大通りを往復してくる」
 
「なるほどー」
「ボクは吉田君のことは信頼しているから大丈夫だよ」
 

それで結局、青葉が夜中1時半頃、吉田君のアパートに行くことにした。青葉はいったん明日香たちと一緒にアクアで高岡に戻り、夜中高岡からそのアクアを運転して金沢市内の吉田君のアパートに行くことにする。
 
その日、金沢から高岡へのアクアでの移動では、青葉が苗場との往復で疲れているので明日香が運転してくれた。
 
「ごめんねー。朝も運転してもらったのに」
「平気平気。最近は美由紀も騒がないし」
と明日香。
「最近は明日香もだいぶうまくなったよ」
と美由紀。
 
明日香は既に若葉マークも卒業している。
 
「そうだ。今夜アクアを使うから、念のためカナショクに寄って給油したいんだけど、いい?」
と青葉が言った。カナショクというのは、金沢近辺にいくつか支店のある、激安給油所である。
 
「OKOK」
と言って、明日香は山環の東長江ICを降りてS大学のそばを通り、城北大通りとN字状に“変則交差”して国道8号線に出る。少し走って、カナショク東店に入った。青葉が給油して満タンにした。
 

車は再び明日香の運転で津幡バイパス・津幡北バイパスを通って高岡市に向かう。
 
「でも今夜使うって、どこか遠出するの?」
「ううん。夜中にちょっと金沢市内で幽霊探し」
「幽霊〜〜!?」
 
それで結局、青葉はタクシーただ乗り幽霊のことを話すことになる。
 
「面白そう!」
とみんな言っている。
 
「私もタクシーただ乗り幽霊見たーい」
という声もあるが、
 
「美由紀は霊感ゼロだから無理だな」
などと言われている。
 
「じゃ私は吉田の家でおやつ食べて待ってるよ」
と美由紀。
 
「だったら私が、明日香が運転する時の記録係をしよう」
などと世梨奈は言っている。
 
そういう訳で、結局、夜0時すぎに青葉がアクアで美由紀・世梨奈・明日香を拾い、金沢市内の吉田君のアパートまで行くことにした。それで最初は吉田君がアクアを運転して後部座席の奥村君が記録係、2度目は明日香が運転して、世梨奈が後部座席に乗って記録係をするという話がまとまってしまう。青葉は車内から吉田君に電話してそのことを伝えた。
 
「いいけど、俺の部屋散らかってるし、ヌードの載った雑誌とかも転がっているけど」
「ああ、そんなの気にする子はいないから大丈夫」
 

そういう訳で青葉は帰宅すると、取り敢えず仮眠した。苗場で雨の降る中演奏に参加し、その後新幹線の乗り継ぎで帰って来て、大学で1日試験を受けて、疲労がかなり溜まっている。熟睡していたが、23:40くらいに母が
 
「青葉、あんた夜中出かけるんじゃないの?」
と言って起こしてくれた。
 
それで母が作ってくれていたおにぎりを持ち、アクアで出かける。
 
いくら20歳とはいえ、娘が夜中に出かけるのは心配する所だが、どの子の親も青葉の顔を見ると「青葉ちゃんと一緒なら安心ね」と言ってくれた。
 
「青葉、母ちゃんたちに信用があるなあ」
という声がある。
 
「色々そのあたりは複雑な心情もあるのだけど、取り敢えずみんな金沢まで寝てて」
「うん。寝てる」
 
それで青葉の母が作ってくれたおにぎりを分けて食べてから、みんな眠ってしまった。
 
青葉は深夜の8号線を運転していてふと思った。千里姉は大学生の時から、ずっと東京近辺に住んでいて、彼氏の貴司さんは大阪に住んでいて頻繁に車で東京と大阪を往復していたみたいだけど、よく体力が持ったよなあ。
 
・・・と考えていて、唐突に気付いた。
 
そうだ!あれって実は眷属に運転させていたのではなかろうか。だから千里姉自身は車内でぐっすり寝ていて、現地で貴司さんとのデートを楽しんでいたのだろう。
 
でも・・・そもそもなぜ千里姉は貴司さんの居る大阪方面の大学に行かなかったんだ!?と疑問を持った。最初から大阪方面の大学に行っていたら、たぶん2人はとっくの昔に結婚していただろう。
 
などと考えていて、青葉は自分もなぜ東京方面の大学に進学して、彪志さんと同棲しなかったのか?と桃香から訊かれたことを思い出して苦笑した。
 
結局天然女に生まれなかったことで持っている引け目の気持ちなんだろうなと青葉は初めて千里姉の心情が理解できた気分だった。
 

1時半頃、吉田君のアパート前に到着する。
 
「夜中だから音とか声とかあまり立てないようにね」
と言ってから車を降りる。
 
それでみんなそっと階段を登って吉田君の部屋に行った。吉田君は車が到着した音で気付いていたので、4人が玄関の前まで来ると、すぐドアを開けてくれた。
 
「お邪魔しまーす」
と言って中に入る。
 
部屋の中に少し背の高い女の子が座っているので
 
「あれ?吉田の彼女?」
などと美由紀が言う。
 
「あ、いや」
と《彼女》は声を出して恥ずかしがっている。
 
青葉は
「私の友だちだよ」
と言った。
 
「なーんだ」
「吉田に何か変なことされなかった?」
と明日香が《彼女》に尋ねた。
「大丈夫です」
と《彼女》。
 
その時、世梨奈が言った。
「もしかして、中学で一緒だった奥村君の妹さん?」
 
「あ、そういえば似てるね」
と美由紀。
「というか、そっくりという感じ」
と明日香。
「奥村君が性転換したらこうなりそうって雰囲気」
などと世梨奈が言った。
 
「性転換!?」
 
といって3人は顔を見合わせる。
 
「あのぉ、まさか」
と明日香が恐る恐る訊く。
 
「ごめーん。奥村春貴、本人です」
と奥村君。
 
「うっそー!?」
「女の子になっちゃったの?」
「ううん。女装してるだけ」
「身体はいじってないの?」
 
「うん。別に女の子になりたい訳じゃないから。でも試験中でさ、試験の時はこういう格好した方が気合いが入って頭がよく働くんだよ。だからたまたまこういう服を着て出てきていた」
と奥村君は言っている。
 
「女性ホルモンも飲んでないの?」
「飲んでない。でも顔のむだ毛と足のむだ毛はレーザー脱毛しちゃった」
「へー!」
 
「俺の場合は、ヒゲとすね毛なんだけど、奥村の場合は、顔のむだ毛と足のむだ毛らしい」
と吉田君。
 
「私はヒゲかも知れん」
と割と毛深い美由紀が言っている。
 
「試験の時以外は、女の子の格好しないの?」
と明日香が訊く。
 
「大学に入ってすぐの頃は、けっこう中性的な格好してたんだけど、最近はもう下着はずっと女の子の下着しかつけてない。男物の下着は数枚だけ残して捨てちゃった。トップは女の子仕様のポロシャツとかブラウスとかだけど、ボトムはレディスパンツのことが多い。今日みたいにスカート穿いてる日はそう多くない」
と奥村君は言う。
 
「じゃスカート穿いて学校行く日もあるんだ?」
「月に2〜3回かなあ」
「お友達とかは?」
「入学して最初の頃は、男子のクラスメイトとかと一緒にコンパとか行ってたけど、その後誘われなくなった。時々女子のクラスメイトにお茶に誘われることがある」
 
「だったら既に女の子とみなされているね」
と明日香。
 
「だから、彼のことは私は『ハルちゃん』と呼んでいるよ。女の子に準じて」
と青葉は言う。
 
「じゃあ私たちも『ハルちゃん』で」
と明日香。
「ハルちゃんも私たちのこと、名前で呼んでいいよ」
と世梨奈。
「ありがとう。そうさせてもらおうかな」
と奥村君。
 
「でも青葉、『彼』と言っていたね」
「本人の自己認識としては男ということだから」
「女の子だとは思ってないんだ?」
「うん」
 
「でも英語の時間は先生から、Ms Okumuraと呼ばれると」
「呼ばれてる。代名詞のSheでうけられる」
 
「トイレとかどうしてるの?」
「大学で最初の頃男子トイレに入っていたんだけど、クラスメイトの女の子たちから、女子トイレ使いなよと唆されて最近はほとんど女子トイレばかり」
 
「ちんちん立つ?」
などと美由紀がダイレクトなことを訊く。
 
「ごめーん。そのあたりは企業秘密にさせて」
「まあいいか」
 
「もし間違って性転換手術されちゃったらどうする?」
「その時はふつうに女として生きていける自信はある」
「でも自主的に性転換したい訳ではない?」
「うん。男として生きて行くつもり。だからこういう格好していられるのも大学生の間だけかなあ」
 
「いや、それは社会人になってもプライベートでは女装していていいと思うよ」
「あ、それはするかも」
 
「会社では男、自宅では女であればいいんだよね」
「服装はね。中身は男のつもりなんだけど」
 
「恋愛対象は?」
「ボク、バイセクシャルかも」
「だったら、その内、お嫁さんになれるかもね」
「ウェディングドレスって着てみたい気はする」
「きっとお嫁さんになってという男の人現れるよ」
「うん、ハルちゃん美人だもん」
 

そういう訳で奥村君のことでしばし盛り上がった上で、吉田君と奥村君の2人でアクアで出かけて行った。その間、青葉たち4人はひたすらおしゃべりに興じていた。但し、次運転する予定の明日香だけは仮眠していた。途中で用意していたおやつが無くなり、青葉は近くのコンビニまで買い出しに行ってきた。
 
持参の懐中電灯を持ち、それで道を照らしながら歩いていたのだが、人影のようなものを見た気がしてギョッとする。
 
しかしそれは道路まで張り出した樹木が偶然人の形のように見えただけであった。
 
「柳の下の幽霊とかいうけど、そもそも柳の木の形が幽霊みたいな雰囲気あるよなあ」
などと青葉は独りごとを言った。
 

やがて吉田君と奥村君が戻ってくる。
 
「何カ所か怪しい所はあった。でも明日香ちゃんと世梨奈ちゃんが戻ってからこの記録は見せるよ」
と奥村君は言っている。
 
「うん。その方がいいと思う」
「じゃ行ってくる」
と言って、明日香と世梨奈が出かけた。
 
「ちょっと疲れた。何か食う物無い?」
「あ、ごめーん。食べ尽くしたかも」
「コンビニ行ってこよう」
「じゃ私も行く」
 
ということで、青葉と吉田君がふたりでコンビニまで行く。
 
「私さっきコンビニに行った時、あそこで懐中電灯の光が木に当たって、一瞬人が立っているかと思ってギョッとした」
と青葉が言うと、
 
「うん。そこ俺も最初はぎょっとした。木が道路に張りだしているんだよな」
と吉田君も言う。
 
「この先にももう1ヶ所、張りだしていた木があって、そこも夜中に通るとギョッとしていたんだよ。でもそこは7月に落雷があって燃えてしまったんだよな」
 
「へー!雷!」
「消防車も出動してけっこうな騒ぎだったよ」
「延焼したら怖いもんね」
 
「どの辺だったかなあ」
と言って吉田君は懐中電灯を茂みの方に当てながら歩いていた。
 
「あ、ここだここだ」
と言って、吉田君が光を当てる。
 
「わあ、黒焦げ」
 
そこには結構大きな木ではなかったかと思われる木の下の方が数十cm黒焦げの状態で残っている。
 
「この残った部分はその内撤去するという話だったけど、まだ放置されてる」
「予算取るのがけっこう大変なのかもね」
 
そんなことを言っていた時、ふと青葉は思った。
 
自分が城北大通りを走っていて、何も琴線に引っかからなかったのは・・・・そこに何も無くなっていたからでは?
 

青葉たちがコンビニから戻って来てから1時間ほどして、明日香と世梨奈が戻って来た。
 
世梨奈がやはり
「何カ所か怪しい所はあった」
と言う。
 
それで世梨奈がマークした時刻を実際の地図上の場所に換算してマークしていく。奥山君が記録した時刻から換算してマークした地図と照合する。
 
「同じ場所で反応してるね」
「やはりこの両方が重なっている所は怪しいと思うよ」
 
奥山君が感じた場所は5つ、世梨奈が感じた場所は6つだが、その内の3ヶ所がほぼ同じ場所なのである。
 
「だったら明日学校が終わった後、この3ヶ所に行ってみるよ」
と青葉は言う。
 
「今夜はどうする?」
「今夜というよりもう今朝という気がする」
「このままここで寝るというのに1票」
「それがいい気がする」
 
「じゃこのままここでゴロ寝で」
「男女混じっているけど」
「ハルちゃんはこちらで一緒に寝ようよ」
「吉田は台所で」
「まあいいよ」
 
奥村君はやや戸惑っていたものの、青葉が
「私の隣に寝るといいよ」
と言うと、
「それだと少し気が楽な気がする」
と言って、横になった。
 
そういう訳でその夜(朝?)は、青葉も含めて女子4人と、女の子に準じると認められた?奥村君の合計5人が4畳半の和室に寝て、このアパートの主である、吉田君が1人台所に寝たのであった。
 

8月1日(火)は期末試験が3時間目までで、4時間目が無かったので、青葉はアクアに乗ると、1人だけで運転して8号線沿いのイオン金沢店まで行き、そこの駐車場に車を駐めた。
 
このアクアに積んできていた、折り畳み自転車(Ultra Light 7)を出すと、城北大通りの梅田ICまで行く。カメラを肩からクロスに掛け、地図などは背中に背負ったリュックに入れる。そして城北大通りを南下しはじめた。
 
頭は《受信モード》にしておく。色々雑多な念も飛び込んでくるものの、気にしない。
 
やがて奥村君と世梨奈の2人ともがマークした最初のポイントに来る。
 
「ああ、これは感じるだろうな」
と青葉は独りごとを言う。
 
どうも1〜2年ほど前に交通事故か何かが起きて人が亡くなっているように思われた。青葉は亡くなった人の冥福を祈り般若心経を唱えた。
 
続いて少し行った所に奥村君だけが感じた場所がある。
 
「なるほどね〜」
 
そこは学校があり、奥村君がポイントした地点はその正門近くなのだが、ここは現在は共学であるものの、以前は女子校であった。きっと、女子校に入りたかったという意識があるんだろうなと思った。
 
ちなみに彼は高校3年の時は男子クラスに入れられて鬱屈とした1年間を送り、その反動で大学に入るとすぐ女の子の服を買ったなどと言っていた。
 

青葉はその場に立ち止まって、じっとその大木の焼けた跡を見つめていた。
 
このポイントは奥村君と世梨奈の両方がマークしたポイントであるが、青葉はあらためて霊感のアンテナを広げるものの、何もキャッチできない。キャッチできないのも道理だ。ここは「今は何も無い」のである。
 
青葉は何か話が聞けないかと思い、その大木のそばにあるお寺の山門をくぐった。
 
「すみません、ちょっとお尋ねしたいのですが」
と寺の庭を掃除していた若い僧に声を掛けた。
 
「はい?」
と最初無愛想に答えたそのお坊さんが、こちらが若い女子とみると、急に笑顔になった。
 
あ、こういう所はやはり女の子のお得な所だよなと青葉は思った。
 
「お寺の山門のそばに焼けた木の跡がありますよね?あれは落雷か何かですか?」
と青葉はこちらも笑顔で尋ねる。
 
「そうなんですよ。お寺の屋根より高い、大きな木だったのですが、4月頃だったかなあ、凄い雷がありましてね」
 
「ああ、そんなに大きかったんですか」
「でもあの木に落ちてなかったら、本堂に落ちていたろうから、あの木に助けてもらったようなものかも知れません。次郎杉といって樹齢千年くらいの大木だったんですよ」
 
「そんなに大きい木だったんですか」
「ええ。けっこうあの木の前で記念写真を撮る観光客さんとかもいたんですけどね」
 

そんなことをその若いお坊さんと話していたら、紫色の法衣をつけた70歳くらいの僧が驚いたような顔をしてこちらに寄ってきた。
 
「済みません。どちらのお寺の方ですか?」
 
青葉は微笑んで答えた。
「印可は頂いているんですが、僧籍には属してないんですよ」
 
結局寺務所にあげてもらい、お茶とお菓子まで頂く。
 
青葉は《心霊相談師・川上瞬葉》の名刺を出した。
住職も《HH院住職・白田叡照》の名刺を出す。
 
「御住職は**院さんのご系統ですか?」
「そうです。そちらで名前を頂きましたし、修行もそちらでしました。このお寺自体が**院の系列なんですよ。川上さんの、瞬葉というお名前は、もしや長谷川瞬嶽さんの?」
 
「はい、その弟子です。たぶん最後から2番目の弟子になるのかもしれません」
 
最後の弟子は・・・たぶん千里姉だ。
 
青葉は、テレビ局から依頼されて、この春からこの界隈で多数発生していたタクシーただ乗り幽霊の事件を調べている内に、ここのお寺の前にあった落雷跡に気付いたことを説明した。
 
「やはりそうであったか・・・」
と住職は言った。
 
「御住職、あの燃えてしまった杉には何か言われがあるのですか?」
 
「あの杉は、最近は次郎杉(じろうすぎ)と呼ばれていたのですが、昔は女郎杉(じょろうすぎ)だったというんですよ」
「女郎ですか!」
 
「このHH院は今ここ卯辰山山麓にあるのですが、昔は浅野川大橋の近くの主計町というところにありましてね」
 
それは例の飴屋さんの近くでもある。
 
「しかし加賀藩主3代目の前田利常公の命令でこの場所に移されて、その時、お寺の境内に立っていたあの杉も一緒に移転したというんですよ」
 
樹齢千年、単純計算しても当時樹齢600年の大木を本当に当時の技術で移転できたのか、青葉は若干の疑問を感じたが、何らかの形で霊的な移転が行われたのかも知れないという気もした。
 
「それで主計町ってところは遊郭の多い町で」
「ああ」
「それで亡くなった遊女の遺体をしばしばこの杉の根元に放り投げてあったらしいんです。それでその度にお寺では供養していたということで、それであの杉は女郎杉と呼ばれていたんですよ」
 
「でも杉はお寺の山門の外にありましたね」
「そうなんです。お寺が移転した時、ちゃんと境内に移植するはずが何かの手違いがあって、お寺の外になってしまったらしくて。でも日々あの杉の前にちゃんと供物も献げてお経をあげていたんですよ」
 

「ひょっとしたら、そのタクシーただ乗り幽霊というのは、次郎杉に宿っていた遊女たちの霊が」
と住職は言った。
 
「実は私もそれを思いついたんです。落雷があって霊たちがびっくりして逃げ出した。でも元の場所に戻りたい。それでタクシーに乗ってこの杉のあった所に戻ってこようとしているのではないかと」
と青葉。
 
「でもその杉が焼けてしまっている」
と同席していた若い僧が言う。
 
住職はしばらく目を瞑って考えていた。
 
「あの場所に新しい杉を植えましょう。そして燃えてしまった杉の根は掘り起こして、お寺の中に小屋でも作ってそこで供養しましょう」
 
「それで行ける気がします」
と青葉。
 
若い僧が何か言いたそうにしているので青葉は
「何かアイデアがありますか?」
と尋ねる。
 
「すみません。差し出がましいのは承知なのですが、燃えた杉の一部から立て札か何か作って新しい杉の傍に立てたらどうでしょうか?」
 
「ああ、それはいいと思います。遊女さんたちの帰ってくる目印になりますね」
と青葉は言う。
 
「でもこれやったら、タクシーただ乗り幽霊が大量に発生したりして」
「発生するかも知れないけど、じきに収まるだろうね」
 
「その辺りについては、私少し考えてみたいのですが、いいですか?」
「ええ。何かうまい手があったら、教えてください」
 
「それとこの件、放送局に話してもいいですか?」
と青葉は訊く。
 
「うん。いいよいいよ」
と住職は笑顔で言った。
 

青葉はここまでの経緯を〒〒テレビの神谷内さんに連絡した。神谷内さんは思わぬ事態の進展に驚き、すぐカメラマンと一緒にこのHH院に飛んできた。そして許可を得て、焼けた杉の跡などを撮影した。更に住職にインタビューして、次郎杉のいわれなどをあらためて説明してもらった。
 
その後で、神谷内さんは昨夜の実験の再現ドラマが作れないかと青葉に打診した。青葉は吉田君、奥村君、明日香、世梨奈に連絡し、再現ドラマの作成に同意、今日の夕方18時に〒〒テレビに集まることにした。それで日が落ちたところで再現ドラマを撮影することにした。
 
昨日作成した異変を感じた場所(正確には時刻)の記録、そしてプロットした地図なども撮影していた。
 

神谷内さんは住職に御礼を言って、テレビ局に戻る。青葉はそのついでに自転車ごと放送局の車でイオン金沢店に運んでもらった。そこで青葉はおやつなどを買ってから、アクアを運転して、まずは近くにある奥村君のアパートに行った。今日は彼はとっても可愛いワンピースを着ていた。
 
「凄く可愛いよ」
「お化粧しようかと思ったんだけど自信無いからやめた」
「それなら美由紀に頼むときれいにしてくれると思う」
「青葉ちゃんは?」
「私のお化粧は、勘違いしたオカマさん以下と言われている」
「ああ・・・」
 
その後、金沢まで戻りG大学で美由紀、H大学で明日香と世梨奈を拾う。これでアクアの定員いっぱいなので、吉田君にはバイクで直接放送局に行ってもらうことにした。
 
こちらは約束の時刻までまだ時間があるので、奥村君のお化粧をしてあげることにして、結局イオン・もりの里店でお化粧品を買い、結局今日は美容部員さんに、きれいにお化粧をしてもらった。
 
「ハルちゃん、凄く可愛いよ!」
とみんなが言う。
 
「ボクも凄く可愛いと思った」
と本人も言っている。
 
「女の子になりたくならない?」
「実は今ちょっと女の子になってもいいかなと思ってる」
「ぜひ性転換手術を受けて女の子になろう」
「待って。それは少し考えさせて」
 
結局他の4人もついでに?美容部員さんにきれいにメイクしてもらう。
 
「青葉、女の子になりたくならない?」
「私、こんなに美人なんだっけ?と思った」
「ぜひ性転換手術を受けて女の子になろう」
「手術しちゃおうかなあ」
 

それで5人でアクアに乗って放送局に行く。玄関の所にライダースーツに身を包んだ吉田君がいて、その傍には彼の愛車Ninja 1000がある。
 
「お前ら、なんでそんな美人になってるんだ!」
と吉田君は青葉たちを見て言った。
 
「だってテレビに映るというしさ」
などと美由紀は言った。
 
「あれ?吉田、バイク変えた?」
と明日香が言う。
 
「この春に買い換えたんだよ。5年ローンだよ」
「おお、すごい」
 
「なんかでかいね」
「うん。1000ccだから」
「時速200kmくらい出る?」
「出るけど、出したら捕まる」
「ああ、捕まるだろうね」
 

少し待つ内に神谷内さんが出てきた。
 
それで再現ドラマの撮影が始まる。
 
部屋の中でのシーンは放送局内にあるセットの部屋で撮影した。車に乗って調査に行くシーンも、放送局が所有するヴィッツを使って撮影した。
 
「だけど青葉が顔を隠しても、私たちが映っていれば、容易に青葉にたどりつけるような」
 
「いいよ。今回はもう顔出しで」
と青葉は苦笑して言った。それで青葉もふつうに撮影されることになるが、今日はすごくきれいにお化粧しているから、普段の私とは認識されないかもという気もした。
 
撮影は2時間ほど掛けておこなわれ、終了後、
「これ薄謝です」
と言って、出演者全員に神谷内さんからポチ袋が配られた。
 
「おお。飲みに行こう」
「結局そうなるのか」
 
結局、テレビ局ではここまでの映像で番組を編集する方向で行くようである。お寺に新しい杉が植えられた後のことは、後日、また番組にすると言っていた。神谷内さんは謝礼をと言ったが、青葉はその杉を植えた後の状況が見えてからその話はしたいと言った。
 

青葉の大学の期末試験は8月3日(木)までなのだが、青葉が受講している科目の試験は2日で終了した。
 
それで青葉は試験が終わるとすぐにサンダーバードで大阪に出た。レンタカーを借りて夜中の京阪奈道路を走り、高野山の★★院まで行く。到着したのはもう23時頃である。
 
千里が霊的な力を失い、菊枝も重傷という中、青葉が今いちばんに頼れるのは★★院の瞬醒さんである。
 
「青葉ちゃんがそういう具体的な相談事をここに持ち込むのは珍しい」
と瞬醒さんから言われる。
 
「何かうまい手が無いものかと悩んでしまって。確かに新しい杉を植えて前の杉から作った札を立てておけば、あちこちに散らばった霊は少しずつ戻ってはくると思うんです。でもそれ時間が掛かるし、その間むしろタクシーただ乗り幽霊は多発するんじゃないかと思うんです。だからこれ解決策のようで解決策には全然なってない気がして」
と青葉は言った。
 
「確かに」
 
「何か依代のようなものを持って市内をくまなく循環してみようかとも思ったんですよ。そしたらあちこちに居る霊がその依代に引かれてやってくるから、それをみんなお寺に連れて行けばいいと」
 
「それに使った車が新たな霊の住処になったりしてね」
「うーん・・・」
 
「でも吸収力を強める護符ならあるよ」
「それを作ってもらえませんか」
「OKOK」
 
それでそのお札を調整してもらうことにし、その晩は★★院に泊めてもらった。
 

翌8月3日朝、朝御飯まで頂いて、高野山を後にする。朝10時半頃、大阪駅近くのお店でレンタカーを返却した。それでJRに乗ろうと地下街を歩いていて・・・
 
迷子になった!
 
あれ〜?たしかこの通路を行けば大阪駅のそばに出ると思ったのに?などと考えている。うーん。この通路はどこに着くのかなと思って歩いていたら、なぜか東梅田駅に出てしまう。えーっと・・・JR大阪駅はここからは近いはず、と思って歩いていたら、全然違う場所に出る。しまったここは逆方向だ!と思い戻ろうとした所で、ばったりと細川阿倍子・京平の親子と遭遇する。
 
「あら、確か川上さんでしたね。お産の時にお世話になった」
と阿倍子が言う。
 
「お久しぶりです、細川さん。京平君、大きくなったね」
と言って青葉は京平に微笑む。
 
「あおばおねえさん、こんにちは」
と京平が言うのを聞いて、青葉は「え?」と思う。
 
京平の成長については、写真を千里姉がしばしば隠し(?)持っているのを見ていたのでだいたい把握していた。しかし青葉は彼が「誕生した後は」一度も直接は会っていなかった。なぜ京平は自分を識別できたのだろう?と思う。青葉は、彼が「生まれる前」には会っている。生まれる前の記憶を持っているのだろうか?? いや、持っていても不思議ではない。2歳なのに既にとんでもない霊的パワーを持っている。
 
ところでキュロットを穿いているのは誰の趣味だ??
 
「あの・・・もしよかったら、お茶とかでもご一緒しませんか?」
と阿倍子が言う。
 
「ええ、いいですよ」
と青葉が言うと、京平が
 
「ぼく、おちゃよりトンテキたべたいな」
と言った。
 
実は青葉たちがいる場所のすぐ近くにトンテキの店が見えているのである。しかし阿倍子は
 
「高いからダメ」
などと言っている。
 
「おねえちゃんがおごってあげようか」
と青葉は言った。
 
「わあい」
と京平は言っているが
「でも・・・」
と阿倍子が戸惑っている。
 
「京平君も先々月で2歳になったから、少し遅めの誕生日プレゼントで」
「ありがとう!」
 
誕生日プレゼントという名目で阿倍子も納得したようで、一緒にお店に入る。まだお店も開いたばかりで、お客さんはほとんど居ない。窓際の席に案内された。
 
阿倍子は高いからと言っていたが、ここは庶民的なお値段のお店であった。阿倍子が遠慮しないように、青葉は
 
「私たちはトンテキ定食を食べませんか?」
と提案した。
「そうですね。それではそれで」
と阿倍子も言う。
 
京平は、トンテキとハンバーグのセットを頼む。2歳の子供に食べきれるかな?とは思ったものの、残してもいいだろうしと思い、それでオーダーした。
 

「それで川上さんは確か凄腕の占い師さんと聞いた気がしたので」
と阿倍子は言った。
 
「どういうご相談事ですか」
と青葉は言いつつ、貴司さんが千里姉と浮気しているようなのだけど、などといった相談を持ちかけられたらどうしよう?と悩む。
 
しかし阿倍子は意外な相談を持ちかけてきた。
 
阿倍子の母・保子さんは伯父(母の兄)の龍造さんという人に育てられたらしい。龍造さんは結婚はしていなかったものの、A子さんという養女をもらっていた。ところがA子さんは龍造さんと性格的に合わず、中学を出たら1人で名古屋方面の紡績工場に就職し、長らく音信不通だった。やがて龍造さんが亡くなり、実家は龍造さんの遺言書にもとづき、保子さんが相続したものの、そこにA子さんが異議を申し立ててきたらしい。
 
娘の自分が居るのに、姪である保子さんが相続するいわれはない、と。そしてもし保子さんが相続するにしても、自分は遺留分をもらう権利がある、と。更に龍造さんの遺言書というのは偽造では無いのか?とほとんど喧嘩をふっかけてきたに等しかった。
 
実はこの話でもう10年ほど揉めており、最初保子と阿倍子の親子はその実家に住んでいたものの、阿倍子が前夫と結婚して保子がひとり実家に残ったあと、ヤクザのような人がきて脅したりするので、保子は腹違いの姉が住んでいる名古屋にいったん避難した。そしてそれ以降、結局阿倍子が母に代わって、A子と実家の権利問題でずっと交渉をしている。しかし向こうが非常に強硬な態度なので全く話が進まないらしい。
 
ところが先日、A子は「遺言書が見つかった」と言ってきたらしい。公正証書になっていた遺言書より日付が新しいということで、そちらは公正証書ではないものの、日付が新しい方が有効のはずという。その遺言書には全ての財産をA子に譲ると書かれていた。そして筆跡が確かに龍造さんの筆跡に見えるのだという。しかし阿倍子は、そちらの遺言書こそニセモノなのではないかと言って反発し、このままだと裁判突入はやむなしかという状態らしい。
 
「でも私、裁判の費用も無いし、弁護士の知り合いもないし、どうしたものかと思って」
「貴司さんから借りられないんですか?裁判の費用くらい」
 
「それがあの人、給料がかなりカットされていて・・・」
 
そういえばそんな話を千里姉がしていた気がする。3年ほど前にやり手だった社長さんが急病で執務不能になった後、貴司さんが勤めている会社の営業成績が大幅に落ち込んでいて、バスケット部も予算が縮小し、かなり社員も辞めたらしい。残っている人の給料もかなり削減されているのだろう。
 
千里姉は給料を減らされたのなら、取り敢えず今のマンション(家賃35万円)を出て安いアパートに移ればいいと言ったらしい。ところが実際には家賃補助が25万円出ているので実際の貴司さんの負担は10万円である。家族3人暮らせるアパートで10万円以下の所を探すのは結構難しいし、あまり遠くなると通勤費もかさむことになる。それで出るに出られないようである。ただ今後の会社の経費節減で家賃補助が打ち切られたら即出るつもりらしい。
 

青葉は黙ってバッグの中から筮竹を取りだした。そして易卦を立ててみる。
 
水山蹇の2爻変。水風井に之く。
 
「とても厳しい時ですが、頑張らなければいけない時です。裁判を起こすというのなら受けて立てばいいです。勝てます」
 
「勝てますか!?」
 
「その実家と土地の評価額は?」
 
「過去に不動産鑑定士に鑑定してもらったことがあります。私が依頼した鑑定士は家屋には価値が無く、土地が1200万円という評価でした。しかしA子さんが依頼した鑑定士は土地が2500万円で家屋が800万円の合計3300万円という評価をしました」
 
「随分差がありますね」
 
子供には遺産総額の2分の1の遺留分がある。だから保子さんが全部の遺産を相続するとしても、その半分を受け取る権利をA子さんは持っている。1200万円なら600万円だが、3300万円なら1650万円である。相手はそのお金が目当てなのではという気がした。
 
「あんなボロ家と、接道義務も果たしてない再建不能物件が3300万もするとは思えないんですけどね」
と阿倍子は言っている。
 
「ああ。再建築不可物件ですか」
 
近年の建築基準が厳しくなっているため、今建っている家をいったん取り崩して新しい家を建てようとすると、建築許可が取れない物件というのは割と多い。接道義務などは特に大きなハードルだ。現在は、消防自動車が入れる程度の道路に面していない限り、建築許可はおりない。
 
「裁判になったら、当然その向こうが提示してきた遺言書の筆跡鑑定とかを要求してください」
 
「やはりニセモノですか?」
 
青葉は黙ってタロットを1枚引いた。
 
金貨の5.
 
「日付の筆跡を厳密に鑑定してもらってください」
「日付は印刷されていたのですが」
 
青葉は頭を抱えて苦笑した。
 
「だったら、その遺言書はそもそも無効です」
「え〜〜〜〜!?」
 
「本文はワープロとかでもいいですけど、日付と署名だけは自筆でなければ、それは遺言書として認められないんですよ。民法・・・968条だったかな?弁護士さんに聞くにも及びません。司法書士さんとかでもいいから確認してみてください。それきっと、蜜月時代に書いてもらったものの日付が入ってなかったんじゃないんですか?」
 
「だったら、こちらもそれは無効だと主張します」
「とにかく相手が裁判するぞと言うのなら、ええ裁判しましょうと応じればいいんですよ。弁護士の費用は貴司さんに言ってみてください。貴司さんは出してくれると思いますよ」
と青葉は言った。
 
貴司さんがそういう相談を持ちかけられたら貴司さんはきっと千里姉に頼る。千里姉にとっては弁護士さんへの支払(多分200万円くらい)は、何でもない金額だし、阿倍子さんが貴司さんと離婚した場合に帰ることのできる場所ができることを千里姉は喜ぶはず、と青葉は考えた。
 
「分かりました。凄く参考になりました。あ、これの相談料は?」
「3000円でいいですよ」
「すみませーん。じゃ今度そちらにお送りしますね」
と阿倍子が言う。
 
ああ。あまり現金を持っていなかったのか。だからこのお店に入るのを渋ったんだな。
 
それで青葉は笑顔で言った。
「京平君が私をじっと見てるから、京平君割引で半額の1500円で」
 
京平はトンテキとハンバーグをペロリと食べてしまっていた。2歳といってもさっすが男の子!と青葉は思って見ていた。阿倍子は
 
「すみません!1500円ならあったかな」
 
と言って財布を取り出し、五百円玉2枚と百円玉5枚で払った。
 
「確かに」
と言って受け取り、青葉は領収証を書いて渡した。
 
「でも帰りの電車賃あります?」
「ICOCA持っているから大丈夫です」
 
などと言っている。もしかして、本当に細川家は経済的な困難にあるのではという気もした。しかし今その問題について突っ込むのは阿倍子さんの感情を害しかねないと思ったので、青葉はそれについては触れないことにした。
 

その時、ふと青葉は京平が妖怪ウォッチの《コマちゃん》・・・だったっけ?のバッヂをつけていることに気付いた。
 
「京平君、そのバッヂ格好いいね。えっと、コマちゃんだったっけ?」
「《コマさん》だよ」
「《ちゃん》じゃなくて《さん》だったか。ごめーん!」
 
「でもおとなは、しらないかもね」
「そうだね。お姉ちゃんもよく知らないんだよ」
 
「このバッヂはママがてづくりしてくれたんだよ」
「へー。手作り」
 
すると阿倍子が
「お恥ずかしい」
と言って、説明してくれた。
 
「本物を買ってあげられるお金が無いもので、テレビに映っていたのをスマホで撮影して、それを貴司に頼んでプリントしてもらったんです。それを厚紙に貼って、枠はアルミホイルなんです」
 
「まあ、そういうのも子供にとっては良い思い出になるんですよ」
と青葉は言った。
 
 
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【春雷】(3)