【春封】(4)
1 2 3 4 5
(C)Eriko Kawaguchi 2017-08-26
和実と淳は慌ただしくメイドカフェ《クレール》の開業に向けて作業を進める傍ら、東北でのボランティア活動も引き続きおこなっていた。
いまだに避難生活を続けている人たちに支援物資を届けたり、営業を再開したものの風評被害でなかなか売れない生産者の商品などを理解してくれる人たちの所に無償で運搬する作業などをしていた。
そんな中、和実は11月下旬、福島県内で活動をしていて、家具の工房の人と知り合った。やはり福島県産の木材を使っていると聞いただけで、商談が壊れたりするのだという。作っている家具を見せてもらったら、これがエミール・ガレ風の素敵な洋家具であった。
和実は思わず
「可愛い!」
と言ってしまう。
材質は福島県産のオニグルミ(鬼胡桃)らしい。念のためガイガーカウンターでチェックさせてもらったが、全く問題は無かった。
「お嬢さん、気に入ったら、1〜2個買ってかない?あんたなら半額にするよ」
などと言われる。
(自分の妻である)和実が「お嬢さん」と呼ばれて、淳は苦笑していたものの、工房の人は
「お母さんの方もどうです、この花瓶。1000円でいいよ」
などと言ったりして、なかなか商売熱心である。
確かに淳と和実は、“夫婦”よりは“母娘”に見えるかも知れない。現在和実は25歳で淳は35歳だが、和実はまだ18歳でも通るし、淳はやや年齢が上に見られることが多い。
それで結局テーブル10個、椅子40個、花瓶20個、まとめて100万円で買ってしまったのである(定価ベースでは240万円。花瓶はタダにしてくれた)。
完璧な衝動買いである。
配送は家具屋さんが「置く場所ができた時点で」してくれることになった。
「でもこの家具、何に使うの?」
と帰りに淳は和実に訊いた。
「通常レイアウトでは60席を考えているけど、詰め込めばあのスペースには100席くらいは設定できると思うんだよね。だから増設用として使う」
と和実。
「なるほどー。あの家具なら今フランスに発注しているものと混ざってもあまり違和感無いよね」
「見る人が見たら系統が違うというのが分かるだろうけど、普通の人には違和感は無いだろうね」
「そのあたりが私にはよく分からん」
「今頼んでいるのはアールヌーボーでもパリ派の系統。シンプルなデザイン。ガレはナンシー派の代表、わりと装飾過多」
「うーん。。。。フランスに頼んでいるのが来てから並べて比べてみよう」
「あとは夏にオープンカフェとかしてもいいんじゃないかな。その時にはこのテーブルを使う」
「ああ。それはいいかもね」
「50万円のテーブルはあまり直射日光にさらしたくないけど10万円のテーブルなら惜しくない」
と和実は言ったが
「私は10万円でも惜しい!」
と淳は言っていた。
ただし、定価が10万円なのを半額以下にしてもらったので実質4万円くらいで買っている。
11月28日。千里と冬子が、上島雷太・雨宮三森・KL銀行とともに建設を進めていた体育館《深川アリーナ》(正式名91Club体育館)が竣工した。記念式典では冬子や千里もスピーチをする。その後、オープン記念試合を
40 minutes+江戸娘 vs ローキューツ+ジョイフルゴールド
という混成チーム同士で行った。資金は出していないものの設計段階で色々と助言などもして関わっているレッドインパルスの選手が審判を務めてくれた。
この後、この体育館は次のようなスケジュールが入れられている。
12.02(金) クロスリーグ 江戸娘vsローキューツ、40 minutes vs Joyful Gold
12.03(土) Wリーグ レッドインパルス vs ブリッツ・レインディア
12.10(土) ローズ+リリーのライブ
11月28日のセレモニーの後、千里は、冬子・上島雷太と3人で料亭で食事をする予定だったのだが、上島さんは何でも都会議員さんに呼び出されてキャンセルということだった。それでちょうどそこに来ていた花園亜津子を代わりに連れていって3人で食事をした(食事代は千里と冬子で割勘にした)。
この場で亜津子は自分は来季からアメリカのWNBAに行くと言った。つまり亜津子と千里が同じリーグで戦えるのは、今季が最初で最後ということになる。千里と亜津子は、今年のWリーグプレーオフ、オールジャパン、オールスターで《スリーポイント女王》の座を賭けて戦おうということを誓った。
料亭で食事を終えてお店を出ようとしていたら、セレモニーには来ていなかった雨宮先生から電話が入る。千里は冬子と亜津子の顔を見て、このメンツなら構わないだろうと思い、そのまま電話を取る。
「千里、喜べ」
と雨宮先生はいきなり言う。
「では失礼します」
と言って千里は切ろうとする。
「こら、待て!変な話じゃないから」
「なんですか?いったい」
「あんたYS大賞になったから」
「へ?」
「あんたが書いて小野寺イルザが歌った『マジックスクエア』がYS大賞の大賞に決まった」
「ほんとですか!彼女はそろそろ大きな賞を取ってもいいと思っていましたよ」
「授賞式は12月4日、会場は東京赤坂##放送Bスタジオ。小野寺には津森千里デザインのドレスを着せるから、あんたもお揃いのドレス着る?」
「すみません。12月4日は、Wリーグの試合があるので出席できません」
「何〜〜!?」
と雨宮先生は怒ったような声を出す。
「YS大賞といえば、RC大賞と並ぶ、J-POP界の最も名誉ある賞だよ。1試合くらい休めないの?」
「そういう訳にはいきません」
「そもそも千里って3〜4人居るんでしょ?ひとりくらいこちらに寄こせないの?」
「そんなに自分が何人もいたら楽でしょうけどね」
千里が自分でその言葉を発した時、どこかで『ピキッ』という感じの、何かにヒビが入るような感じの音が聞こえた気がした。千里は何だろう?と思った。
雨宮先生はしばらく文句を言っていたものの
「仕方ない。鈴木社長に津森千里のドレスを着せて代理出席させるか」
と言う。
「さすがに鈴木さんは女装しないと思いますが」
「それとも千里の恥ずかしい写真を大伸ばししてカメラに映してやろうかしら」
「それやると先生、1年くらい謹慎くらうと思います」
15分ほどにわたる電話を切ると冬子が
「大賞おめでとう」
と言って握手を求めた。
「ありがとう」
と言って千里も笑顔で握手に応じる。
「でもローズ+リリーの『振袖』が大賞かと思ったのになあ」
と千里は言う。
「ローズ+リリーは高い年齢層にはあまり売れてないから。イルザちゃんは30代以上の層にすごく支持されているんだよ」
「だったらローズ+リリーはRC大賞の方で受賞するんじゃない?」
「RC大賞は珠妃の『還流』か、あるいはひょっとするとアクアの『エメラルドの太陽』かも知れない」
と冬子は言う。
「あの『エメラルドの太陽』だけどさ」
と千里は言った。
「うん?」
「あの歌、一度オリジナル歌詞で、何かの機会に歌わせてごらんよ。インパクトが違うから」
「インパクトはあるかも知れないけど、警察が『失礼ですが』と言ってきそうな気がするよ。それにアクアのファンは10代の子が圧倒的だから、その子たちへの影響もよくない」
「だったら10代のファンがあまり聴いていないような所で」
と千里は言うが
「うーん。。。。アクアのライブはだいたい10代の女の子が4割、10代の男の子が3割だからなあ」
と冬子は言って悩んだ。
「ちなみに、千里、どこでそのオリジナル歌詞を見たのか訊いていい?」
と冬子が尋ねる。
「政子があれ何人にも歌詞のコピーを渡して、不満だ不満だと言っているけど」
と千里は言って、そのコピーの現物を見せた。
「え〜〜〜!?」
と言って冬子は超絶驚いていた。
12月1日。和実は店舗及び自宅の中間検査が完了したのを受け、自分と淳の住民票を新しい住居に移動させ、あわせて住居と店舗の建物の登記を司法書士さんに依頼した。だいたい1週間程度で登記は完了するはずである。
まだ完成していないのに登記するのは変な気もするのだが、登記が終わってないと銀行が抵当権を設定できないので、融資も実行されず、支払いができなくて建物の引き渡しを受けることができない。それで登記は完成前に行っておかなければならないのである。
なお希望美の住民票は申請中の特別養子縁組が認可されるまでは動かしにくいので現時点では放置である。
「ところでお店はいつオープンさせるんだっけ?」
とその日胡桃は和実に尋ねた。
「最初は7月から9月の線で考えていたんだよ」
「9月〜!?」
「だって銀行からの融資が下りるまでは、テーブルとか椅子、室内調度とかの発注ができないからさ。注文生産になるから、どうしても4〜5ヶ月掛かるんだよね」
「じゃ、それまで営業もしないまま、銀行にローンを返済し続ける訳?」
「それが政子さんが、その開店準備資金を貸してくれたんで、早めに発注を掛けることができんだよ。これで完全に3ヶ月早く開けられることになった。それでかなり候補日を絞ったんだよ」
と言って、和実はその選定過程を説明した。
「まず売りにしているアールヌーボー調の家具・調度や食器とかが来ないと開けるに開けられない。その内食器は意外に早くて、どうも近い内に入荷するみたい。家具調度も2月に入荷するから、その取り付け工事をして2月か3月には開店準備ができる。だから確実な線として3月下旬以降なら開けられるんだよね」
そこで「吉日」を選ぶために、青葉に教えてもらった占星術的・時期選定法を適用することにした。
・水星が逆行していない時期(Mercury Prograde)
・朔から望に至る時期(Waxing phase)
・太陽と月が同時に地上にある時間帯(Double Luminary)
・ボイドに掛かっていない(non Voidtime)
これを仙台地方の日出・日入、月出・月入で計算してみた(国立天文台のサイトで数値を調べ、選定するプログラムを淳に書いてもらった。淳はこの結構難しいプログラムを3時間で書き上げた)。
上気の条件の他にこのようなことも考えた。
営業時間はメイドさんの主力が学生さんで、日中はあまり動きにくいことから16:00-22:00をメイン時間帯にしたい(それ以外は少数のスタッフで対応)。それで16時に開けられる日を選択することにする。また、休日にわざわざこんな所まで来る客がそう多いとは思えないので、平日に開けたいと考えた。
すると下記の日付が開店に適した日であることが分かった。
3.01(水大安) 3.03(金先勝) 3.06(月仏滅) 3.07(火大安) 3.08(水赤口) 3.09(木先勝) 3.10(金友引)
3.28(火先負) 3.29(水仏滅) 3.30(木大安) 4.03(月先負) 4.04(火仏滅) 4.05(水大安) 4.06(木赤口) 4.07(金先勝)
5.26(金大安) 5.30(火先負) 5.31(水仏滅) 6.01(木大安) 6.02(金赤口) 6.05(月先負) 6.06(火仏滅)
6.26(月先勝) 6.27(火友引) 6.28(水先負) 6.29(木仏滅)
3月上旬は家具の納入日程がずれこんだ場合に予定通り開けられない可能性がある。ゴールデンウィーク直前に開けることも考えてたのだが、困ったことにこの時期は水星が逆行(4.10 8:23 - 5.04 1:26)しているので諦める。それで3月下旬あるいは5月下旬からのWaxing Phase(3.28-4.11 / 5.26-6.09)を使う方向で考えることにする。
「やっぱり大安吉日だよ」
と胡桃は言った。
「やはり?新トワイライト(胡桃の美容室)は何の日に開けたっけ?」
と和実は訊く。
「震災から1年後の2012年3月11日。確か友引だった」
「ああ!友引というのもいいね」
「うん。来てくれたお客さんがお友達を連れて来てくれると嬉しい」
「すると、この日付か」
と言って和実は候補を5つに絞った。
3.30(木大安) 4.05(水大安) 5.26(金大安) 6.01(木大安) 6.27(火友引)
「まあ、迷ったら、早く開けた方がいいんじゃないの?さっきも言ったけど、営業してなくてもローンは毎月返さないといけないんだし」
「そうなんだよ!」
それで和実は最終的にオープン日を決めた。
「じゃ2017年3月30日木曜日、大安吉日16:00グランドオープン」
パチパチパチと胡桃が拍手をした。
12月4日、YS大賞の授賞式の様子がテレビ放映されたが、小野寺イルザの席の隣に、ドレスを着たマネキン人形が座っていた。
「こちらのお方はどなたでしょう?」
と司会の女性タレントが訊くと
「鴨乃清見先生です」
とイルザは笑顔で答えた。鴨乃のメッセージは同席した鈴木一郎社長(女装ではなくタキシード姿)が代読したものの、これで年齢性別不明と言われていた鴨乃清見が、とりあえず女性であることが判明した(年齢は過去の大西典香の発言で彼女より若いことが知られている)。
12月7日。今年のWリーグ・オールスターの出場選手が発表された。花園亜津子はむろんファン投票で選出されたが、千里もギリギリでファン投票選出となった。
西軍
ファン投票 PG.武藤博美(EW) SG.花園亜津子(EW) SF.佐伯伶美(BR) PF.中塚翼沙(SS) C.馬田恵子(EW)
リーグ推薦 PG.比嘉優雨花(BM) PF.大野百合絵(FM) PF.日吉紀美鹿(BM) PF.加藤絵理(EW) PF.鈴木志麻子(BM) C.金子良美(FM) C.石川美樹(SS) C.富田路子(BB)
東軍
ファン投票 PG.田宮寛香(SB) SG.村山千里(RI) SF.広川妙子(RI) PF.平田徳香(SB) C.夢原円(SB)
リーグ推薦 PG.松前乃々羽(HP) SF.湧見絵津子(SB) SF.渡辺純子(RI) SF.翡翠史帆(SB) PF.鞠原江美子(RI) C.吉住杏子(FR)
開催地推薦 SF.中井翔子(CS)
ファン投票はPG/SG/SF(GF)部門とPF/C部門に分けて実施され、実はWリーグが開幕した10月初めに開始されたので、当初東軍のガード部門では、田宮・広川とサンドベージュの翡翠史帆の3人に票が集まっていた。ところがリーグが開幕した後、千里が亜津子と激しいスリーポイント女王争いをするので千里への注目が高まり、投票終盤に激しく得票を伸ばす。最終的に僅差で翡翠史帆の得票を上回ったのである。むろん翡翠史帆はリーグ推薦で出場する。
なお今回、Wリーグに3年ぶりに復帰したバタフライズからは選手がひとりも選出されなかった。
12月7日。
女子のオールスターが発表されたのと同日、男子の日本代表50名が発表された。これは特定の大会を視野に入れたものではなく、重点強化選手ということだった。貴司も選ばれているのだが、今回は人数があまりに多いので、合宿は11-13, 18-20日と、2回に分けて行われることになった。
貴司は若手組の方に入れられて大学生の選手たちと一緒に18-20日の3日間、東京北区の合宿所で汗を流した。年齢的には今更若手でもないのだが、協会としては次世代の中核選手として考えているんだろうね、と電話では千里と話した。
今回千里は18日に九州の大牟田で試合をやっていて、19日は現地で小中学生の指導などをし、20日からは出羽の山中に籠もって特訓をしたので東京に来ておらず貴司とは1度も会えなかった。
12月12日(月)。
和実の所に、輸入業者を通してフランス・リモージュの磁器製作所に発注していたアール・ヌーボー風の磁器の食器(コーヒーカップ・皿など)が入荷した。
「どこに配送すればいいですか?」
と訊かれたものの、建物はまだ引き渡しを受けていないので、向こうに置く訳にはいかない。といって胡桃のアパートには入りきれない!
おそるおそるTKR仙台支店の山崎さんに電話してみた。
「あのぉ、楽器ではないのですが・・・」
と言って話してみたのだが
「ああ。そのくらい大丈夫ですよ。確か『楽器類』ということで上の許可は取っていたはずですから、持って来てください」
と快諾してもらった。
それでこれを取り敢えず仙台支店の倉庫に一時的に置かせてもらった。
12月18日。エヴォンの永井オーナーが和実に電話をして来た。
「は〜るかちゃん、元気〜?」
「忙しくて目が回りそうです」
「ね、ね、ね、ね、そちらいつから営業開始するの?」
「最初夏くらいの営業開始を想定していたんですけど、開店準備資金を友人が融通してくれたおかげで早めに色々なものが発注できているんですよ。ですから今の所3月下旬という線が濃厚です。使用するテーブル・椅子とか、壁板とかが、早めに到着したらもう少し早くなる可能性もあります」
「なるほどね〜」
「それで先日お話ししていた、メイドさんたちの研修ですが、ひょっとして少し早めに設定させてもらってもいいですか?」
「いいよ、いいよ。こちらは枠に余裕があるから、5〜6人増えても大きな問題は無いから」
「助かります」
「まそれで話は相談なんだけどね」
と永井は言った。
「はい?」
「いやぁ、参っちゃってね〜」
「どうかしたんですか?」
「先日、モカブレンドのミディアム・グラウンド(*1)を30袋頼むつもりが、間違って30箱注文しちゃってさあ」
(*1)グラウンド(ground)は挽き豆(ground coffee beans)のこと。「挽く」はgrind. groundはgrindの過去分詞。これに対して挽いてない丸ごとの豆は whole beans 略して whole(ホール) ともいう。生豆と焙煎した物を区別する場合は、green beans , roasted beans などともいう。
モカは主としてエチオピア産のモカ・ハタリとイエメン産のモカ・マタリに分けられるが2008年にモカ・ハタリから高濃度の農薬が検出され、輸入禁止になってしまった。モカ・マタリは無関係なのだが巻き添えで実質輸入できなくなっている。2016年現在、日本国内でモカを生豆の状態で確保するのはひじょうに困難なので、アメリカなどでブレンドして挽いて「モカブレンド」の挽き豆にして間接輸入した物を多くの人が利用している状態である。
高濃度の農薬が検出された原因は、日本に運んで来た時に使用した袋に農薬が掛かっていたためという説が有力であり、豆自体に問題は無い。現地でコーヒーの栽培(というより自生ものも多い)に農薬は使用されていない。また日本以外で輸入禁止をしている国は無いらしい。それでいまだに輸入禁止が解除されないのはどうも理由がよく分からない。
和実は天を仰いだ。
「モカフェアやろうかと思ったけど、それでも消費しきれない気がして。はるかちゃん要らない?」
「安くして頂けるのでしたら買います」
と和実は言った。
お店のオープンまでには時間があるが、冷凍庫で保管しておけば風味は落ちない。むしろ冷凍によって熟成され?かえって美味しくなる場合もあることが昔から愛飲家の間では知られている。
「じゃさ。15箱=150袋=150kgで8万円とかでどう?」
コーヒーは10gで1杯分なので、これは1.5万杯分である。通常の価格なら15万円くらいするので、ほぼ半額ということだろう。
「もう一声!」
「じゃクレールの開店祝いのご祝儀価格で5万円」
「買った!」
2016年12月19日(月)。
メーカーの検査部門による検査も完了して、住宅および店舗が和実に引き渡された。
細かいことを言うと15日の昼の時点で引き渡せる状態になったという連絡があり、こちらも最終的な仕上がりの確認をしたので、すぐ銀行に連絡した。銀行の検査チームが現地に入って銀行側の目でも確認。すぐに抵当権を設定してくれた。
それで19日の昼頃、融資が実行されたので、それで工務店に支払いを済ませ、同日夕方、引き渡しを受けたのであった。
なお、この時点で電気・都市ガス・上下水道・NTTはすぐ使用できる状態になっている。電話交換機とビジネスホンも使える状態になっている。厨房のシンクや食器棚、コンロなどは設置済みである。これらは建築費とは別に500万円でやってもらっていた。厨房と客席に関しては消防署の検査も既に完了している。
なお、消防署には客の収容人数は最大490人で認可を取った。実は客席が壁との隙間を除いて35坪=115平米あるので、消防関係の法令通りに計算すると575人まで入れることができる計算になる。しかし何かあった場合の誘導などのことを考え、中央にも十字型の通路を開けて4区画に分け7坪=23平米×2と8坪=26平米×2とすると、各々に115人・130人入る計算になるので合計490人という数字が出てきたのである。
「でも実際ここ、東京の大手ライブハウス並みの広さがありますよ」
と様子を見に来たTKRの山崎さんは言っていた。
山崎さんには、TKRのアーティスト(★★レコード所属アーティストのTKR委託分も含む)の仙台ライブなどをする時に使わせてもらえないかとも訊かれ、とりあえず3月まではいつでもいいですよ〜と答えておいた。
この日以降、無茶苦茶忙しくなりそうだったので、昨日の段階で盛岡から母を呼んでいた。希望美のお世話係である! 昨夜は胡桃のアパートに一緒に泊まったのだが、和実が希望美に乳房から授乳しているのを見て
「なんであんた、おっぱいが出るのよ?」
などと言っていた。
「お母ちゃん、それは今更だよ」
と胡桃。
「この子たち、和実も淳さんもおっぱいが出るから、ふたりとも希望美に授乳しているし」
「え〜〜!?和実はまだいいとして、なんで淳さんまでおっぱいが出る訳!?」
「うーん。。。話すと長くなるし」
と和実は言っていた。
「淳さんは、もう性転換手術したんだっけ?」
「まだ。手術は受けたいんだけど、仕事がなかなか休めないんだよ」
「じゃ男の身体なのに、おっぱいが出るの?」
「まあ実際問題として、淳はもう男性能力は消失しているけどね」
と和実。
「そりゃそうだろうね」
と胡桃も言っていた。
話が面倒になるので「男性能力」は消失しているものの「生殖能力」はまだあることは言わなかった。青葉がひじょうに微妙なコントロールを掛けてくれているおかげで、立たないので男性としてのセックスは不可能ではあるものの射精は可能で、精液の中にはちゃんと精子もあるのである。
和実は工務店に建設工事分の残金を支払った上で、この工務店が仲介して厨房工事・電気工事・防音工事などをしてくれた業者さん、事務用のテーブルや椅子、スタッフ用のロッカーなどの備品を納入してくれた業者さんへの支払い分も、別途この工務店に支払った。そして、20日朝一番に、政子の口座に2000万円を送金した。
10月の段階で、開店準備を早めるために政子から6000万円借りていたのだが、実はその後冬子から改めて少し話し合いたいと言われて連絡があり、彼女と話し合った結果、開業当初は思わぬ費用が掛かったりするから、落ち着くまで待ってから返してもらった方がいいと言われ、結局2018年末以降毎年500万円ずつ8年間で返済するということにしたのである。
それで実は12月19日の段階で銀行から借りる金額を1.5億ではなく1.2億に圧縮した。それでも1000万円の資金余力が出たので、和実は1月以降にする予定だった厨房工事や防音工事などを前倒して年内に行うことができた。
なお、銀行借入額を圧縮したことから、銀行への返済額は毎月約47万円から毎月約36万円と11万円少なくなったが、実は政子に返却するための積み立てを毎月40万しなければならない!
むろん本来は今返還すべきだったお金である。
12月20日。
和実は先日の福島県の家具屋さんに連絡すると、明日にもこちらにテーブルと椅子・花瓶を持って来てくれるということであった。
仙台市内の調理器具卸業者さんで買って配送を保留してもらっていたフライパンやターナーなどの類いは、連絡すると、22日の配送でいいか?と言われ了承した。
コーヒー関係の器具はまた別の専門店に頼んでいたのだが、こちらも連絡するとやはり22日に配送してくれるということだった。
メイドさんのユニフォームも取り敢えず30着分を先月時点で頼んでいたので、これも連絡して持って来てもらうことにした。
この日は新居で使用する寝具、調理器具、食器、洗剤、トイレットペーパー、タオルなどなど、それに食材を買出しに行った。寝具などはスペースを食うので、結局ショッピングモールとの間をプリウスで6回くらい往復した。
また石巻の胡桃のアパートに置かせてもらっている物、主として衣類などをこれも2回プリウスで1往復半して移動させた。この時、母と希望美も一緒に運ぶが
「こんなにお店広いの?」
と母は驚いたように言い
「あんた、これの建設費、返せるの?」
と言った。
「まあ何とかなるんじゃないかなあ」
この日は夕方、胡桃もこちらに来てくれて、4人でささやかな新築祝いをした。
21日(水)の午前中には、福島の家具屋さんで買ったテーブル・椅子が届く。家具屋の社長さんが自分で4トン・トラックを運転して持って来てくれた。こちらが女2人と赤ん坊だけなのを見て、親切にもホール内に配置までしてくれる。申し訳無い気分だったが
「いやあ、100万円買ってもらったおかげでこちらは年が越せますから」
と社長さんは言っていた。
テーブル10個と椅子40個を頼んでいたのだが、数えてみるとテーブル12個と椅子48個ある。それを言うと
「サービスです」
と言っていた。
代金は半分の50万円を買った時に払い、残金をこの受け取り時に現金で払ったのだが、和実が50万円を払って領収書をもらった後で
「これ子供さんにおやつでも買ってあげてください」
と言って母が1万円渡したら
「じゃクリスマスケーキでも買ってあげようかな」
などと言っていた。
この日は午後から淳がハイエースを運転してきて、電子レジと管理用パソコン、およびLANケーブルの設置などをしてくれた。
「へー。ちゃんとイーサーケーブルを通す穴があったのか」
「ちゃんとそれ工事の明細で指定してたじゃん」
「そうだっけ?覚えてなかった」
また会計ソフト、店舗ソフトなどもインストールする。これらのシステムは淳が淳の会社から実は仕入値で買ったものである。淳は何%か会社の利益分を上乗せして払うつもりだったが、専務が「いいよ。いいよ。仕入値で売るよ」と言ってくれたので、好意に甘えた。
「ところで淳、いつ東京に戻るの?」
と和実は訊いた。
「こちらに居て欲しい?」
「欲しい!人手が足りない!」
それで淳は結局このあと年末まで会社を休むことにしたが、専務はシステムの導入サービスによる出張の扱いにしてくれた。
淳がシステムの設定作業をしている間に、和実はTKR仙台支店の山崎さんに連絡し、支店に置かせてもらっていた楽器類と食器を取りに行く。ハイエースで6往復することになったが、ヴィブラフォンやドラムスなど大きな楽器は山崎さんが自身で運んでくださった。和実は恐縮するが
「大丈夫です。こちらはケイさんにたくさんお世話になっていますから」
と彼は笑顔で言っていた。
しかし結果的に冬子たちに頼っているよなあ。政子の親切を最初拒否するようなこと言ったのにと、やや自己嫌悪に陥るが、まあこちらに主導権のある範囲では使わせてもらってもいいよね、と思い直す。
なお、エレクトーンとグランドピアノ・アップライトピアノは、専門の配送業者にやってもらわなければならないので年明けの搬入になる。
なお楽器類・食器類はとりあえず和実の自宅1階の洋間に運びこんだ。フローリングを傷つけないように養生シートを敷いている。
またこの日はメイドさんのユニフォームも配送されてきたので、こちらは取り敢えず自宅2階の部屋Aに運び入れる。
この家には1階と2階の間にエレベータを設置している。これは自宅を倉庫代わりに使うことが多々あると考え、大型の物品を2階にストックしやすいようにするためであったが、早速大いに活躍していた。
22日(木)。
この日は朝から、エヴォンの永井オーナーの奥さんで元同僚でもある麻衣(メイド名もも)が、例の誤発注で余ったモカコーヒーの粉を持って来てくれた。東北方面に仕入れに行くついでに持って来てくれたらしい。
「ももちゃん、その仕入れっていつまでに行かないといけないの?」
「仕入れるのは今日回るけど・・・・東京に戻るのは明日の昼まででもいいから、何なら帰りにまた寄って少し手伝おうか?」
「助かる!頼む!こちらは全然手が足りなくて」
それで麻衣は夕方くらいにこちらに戻って来てくれることになった。
「でもそんなに手が足りないなら『暇だ暇だ』と言っている子を呼び出そう」
と言って誰かに電話していた。
なおコーヒーは1袋だけ残して残りは全部冷凍室に放り込んだ。
日中に調理器具などが配送されてくる。
淳にフライパンの炭素層作りをしてもらうことにする。フライパンはテフロン加工“されていない”鉄製のものを買っているので、野菜屑を油で炒めて真っ黒にしていく。これで卵などを焼く時に、くっつきにくくなるのである。
で、これをしようとして、野菜もサラダオイルもキッチンタオルも無いことが判明。自宅用に買っていたものを持って来て使用する。
午後、コーヒーの用具関係が配送されてくるが、これはとりあえず段ボールのまま積み上げておく。
夕方、麻衣が戻って来るが、麻衣の車(いすゞコモ)と一緒にマツダRX-8もお店の駐車場に駐まる。
「は〜い。いつオープンするの?」
などと言ってRX-8から降りてきたのは、若葉である。
「若葉!?お腹大きいのに大丈夫?」
「平気平気。3月11日までは産まれないから」
などと本人は言っている。
若葉に続いて降りてきた人の顔を見て、和実はかぁっと顔が真っ赤になってしまった。
若葉の元彼で、現在若葉のお腹の中に入っている子供の父親でもあり、そして和実の元思い人(完全な和実の片思いで交際はしていない)でもある紺野君であった。
「何か大変そうだと聞いたから、若葉のお守り役も兼ねて一緒に来た」
と言っている。
「紺野さん、お仕事は?」
と淳が心配して尋ねる。実は少し嫉妬しているが、それは表面には出さない。淳は紺野君が若葉と既に別れていることを知らない。知られるとややヤバい面もある。
「今日は半日有休取って早退してきた。日曜日まで付き合うよ」
「わざわざ申し訳無い!」
この後、明日23日は祝日、24-25が土日である。
しかし、何とかまともな人数が揃った感じで、食器を洗っては乾燥機に掛け、乾燥が終わったものは、どんどん食器棚に並べていく。
ここに至って、お冷やを入れるガラス製タンブラーと、コーヒースプーンが無い!ということに気付く。淳に買出しに行ってもらう。
ところが、その間、こちらで和実・麻衣・若葉の3人で、食器を洗い終え、コーヒー用の器具まで洗っていると、用意していた食器棚に入りきれないという問題が出てきた。要するに厨房工事業者さんに指示した容量が全然足りなかった訳で、これは完璧に和実の計算ミスである。
淳に連絡し、タンブラーなどは明日に回すことにして、ホームセンターに行って食器棚を4個買ってきてもらうことにした。
厨房工事の段階で作ってもらっていた食器棚は天井から吊るタイプだったのだが、そんなのは専門業者でもないと作れないので、普通に床に置くタイプを使うことにする。この場合、衛生上の問題で、膝の高さより上にしか食器を置くことができない(ついでに上端は目線より下でなければならない)ので、かさ上げ用にスティールラックも一緒に買ってきてもらうことにした。
その日は和実の自宅に、麻衣も若葉と紺野君も泊める。
1階の洋室、2階のA室が物で埋まっているので、和実・淳・希望美・母がB室、麻衣にC室、若葉と紺野君にD室を使ってもらった。若葉は男性恐怖症だが、紺野君との布団の距離を10cm以上開けていれば平気らしい。ふたりは一応別れているのだが、この日は「お休みのキス」と「おはようのキス」をしたらしい。麻衣は翌朝、朝食後に東京に戻っていった。
23日は主として客席の設定をした。テーブルクロスが無いことに気付き、淳がタンブラーとシルバー類(スプーンなど)を買った後、ホームセンターに回ってそれも買ってくることにする。掃除用品が無いことにも気付き、午後からはそれを買いに行ってもらう。
紺野君には午前中は自宅洋室に置いている楽器類を店舗2階倉庫に、メイドさんのユニフォームを女子更衣室に移動してもらった。
「紺野君もメイドさんのユニフォーム試着してみる?」
と言ったが
「女装の趣味にハマったら怖いからやめとく」
と答えていた。
しかし若葉は
「吉博の振袖姿は可愛かったけどなあ」
などと言っていた。
「メイド服は着せたことないの?」
と若葉に訊くと、その返事はせずに笑い転げていた。
午後からは紺野君と和実で客席のテーブルにテーブルクロス(フッ素樹脂加工された透明なタイプ)を掛けていった。
和実がこのような「すぐにも開店するかのような」作業を進めているのは、早めに保健所の営業許可を取っておきたいというのがあった。これを助言したのは胡桃である。
もうお店がほぼ使える状態になっているのだから、それなら営業許可を取っておいた方が、何かあった時に対応しやすいと言ったのである。内装を最終的に変更した場合は再度検査してもらえば済むことである。
そしてその胡桃の助言が、とても役に立つことになるのである。
和実は工務店からの引き渡し日が12月19日に決まった時点で、だいたい一週間もあれば準備はできるだろうとと踏んで、12月16日に保健所に申請を出した。そして12月26日(月)に検査に来てもらえることにしていた。
ローズ+リリーのツアーは続いていたが、12月23日の名古屋公演を終えた所で、東京の森元課長からツアーに同行している氷川さんに連絡があった。
「あらぁ、そうですか。どうしましょうかね。今からあらためて募集しても準備が間に合いませんよね」
などと言っているので、冬子は氷川さんに
「どうかしました?」
と訊く。
「あ、いえ。大したことないのですが、カウントダウンライブで出店する予定だった出店のひとつが、食中毒起こして営業停止くらっちゃったらしいんです」
「あらら」
「でも今から追加募集しても対応できる所ないだろうし、空いた枠はそのまま空きということで処理するしかないですよね」
と氷川さんは言ったのだが、冬子は、ひらめいた。
「お返事、30分、いえ20分待ってもらえません?」
「はい?」
それで冬子は和実に電話した。
「12月31日に、うちがM市でやるカウントダウンライブでさ、出店(でみせ)をたくさん出す予定なんだけど、出店(しゅってん)する予定だったお店のひとつに事故があって、枠が1個空いちゃったんだよ。和実やらない?」
「やる!」
と和実は即答した。
それで冬子は氷川さんに和実の店クレールが出店したいと言っていることを伝える。氷川さんは森元さんに連絡していた。本来なら色々審査があるのだが、冬子の“コネ”ということでノー審査で出店枠を割り当ててくれた。
そういう訳で、胡桃の提案で、まだスタッフも雇っていない状態で営業許可だけ取っておこうと準備を進めていたのが、即役立つことになったのである。
雇用する予定だった6人のメイドに連絡した所、全員12月31日までの期間限定のバイトとして勤務してくれることになった。彼女たちには12月29日から3日間来てもらうことにする。
但し、6人の内、マキコとライムの2人は「明日からでもいいですよ」と言ってくれたので、検討した結果、飲食店営業許可が取れた後の27日から来てもらうようにお願いした。特にこの2人は面接した時も、料理は得意ですと言っていたので、かなり戦力になるのではと見たのである。
「僕も、そのイベントに同行した方がいいよね?」
と紺野君が言うので
「お願い!」
と和実が言い、紺野君は25日夜に東京に戻り26-28日に仕事をしたら、28日夕方にこちらにまた来てくれることになった。
和実は若葉・紺野君と3人でメニューについて検討した結果、メニューはコーヒーとオムライスのみに限定することにして、氷川さんに連絡した。準備期間も無く、不慣れなスタッフで乗り切る必要があるので、様々な意味で事故が起きにくいようにする。
コーヒーについては、その場で抽出ということで3人の意見は一致する。あらかじめ作っておいたコーヒーを保温しておいて提供するのでは美味しいコーヒーを出すことができない。味に関しては妥協してはいけない。今回の出店は半分はお店の宣伝である。このイベントで飲んだ“クレールのコーヒー”が美味しくなかったら、人は「クレールってコーヒーが不味いからなあ」などと言うだろう。
オムライスについては、予め整形して冷凍しておき、現場でチンするのも考えたのだが、それでは提供速度が間に合わないという判断になり、調理済みのケチャップライスをジャーに入れて持ち込み、現場で型に填めて皿にのせ、そこに焼き卵を乗せる方法で行くことにした。
なおこういう場で提供する場合、卵を半熟にすることは許されないのでこちらは味が落ちることを覚悟で完熟にせざるを得ない。若葉は
「出店規定により、本来半熟で乗せる卵を完熟にさせて頂いております」
というお断りの紙を貼っておこうと提案。氷川さんに確認した所、そういう掲示は問題無いということだったので実行することにした。
提供できる食数を計算する。
イベントは15:00に開場し、夜中の0:20に終了するが、出店は23:00のライブ後半が始まった所で撤退を始める。それで販売時間帯は15:00-23:00の8時間だが、実際にはライブ本番演奏中(21:45-22:45)はほとんど客は来ないであろう。実質販売時間は7時間である。
※当日のスケジュール(予定)
15:00 開場
17:45-18:45 前座1.ボニアート・アサド
19:00-20:00 前座2.金華山金管合奏団
20:15-21:15 前座トリ.姫路スピカ
21:45-22:45 ローズ+リリー前半
22:45-23:00 幕間
23:00-23:59 ローズ+リリー後半
23:59-24:00 カウントダウン
24:00-24:15 クライマックス&アンコール
24:20 場内スピーカーOFF
25:00 客・スタッフ退場完了
この7時間の間にひたすら売り続けた場合、どれだけ提供できるかを計算する。
コーヒーは一番美味しくなる3杯立ての器具を使用する。大型の器具の方が効率は良いが抽出時間が長くなって味が落ちる。
3杯立ての器具を使った場合、お湯をドリップし終わるのに2分掛かる。2人のスタッフが各々並行して5個の器具で立てるとだいたい3分間に30杯提供できることになる。すると7時間に4200杯という計算になるが、念のため6000杯分の紙コップ・コーヒーフレッシュを用意したい。ただ和実はこの3割も売れたら上出来かなと考えた。
オムライスはケチャップライスをジャーに入れて会場に持ち込み、その場で型に入れて皿にあけ、そこに焼いた卵を乗せる。言うまでもなく卵を焼いて乗せる作業がいちばん手間が掛かる。できる人も限られる。和実と若葉が実際にやってみてストップウォッチで計ってみたが、ふたりとも油を敷いてから御飯の上に乗せるまで75-77秒で出来た。余裕を見て100秒で計算することにする。卵焼き担当を3人設定した場合、7時間で756食作ることができる計算になる。
ケチャップライスを現場に持ち込む場合、発泡スチロールの保温容器に入れて運搬し、現場ではジャーに入れて対応することになるだろう。手近にあった発泡スチロール容器のサイズを確認してみたら内寸35x42x16であった。容量は23520ccであるが、これはちょうど5升炊きのジャーの容量(29L)に近い。1食のオムライスに使用するケチャップライスの量は約180g=300ccなので、23520ccは78食分に相当する。これを10箱持ち込めば780食になるので、それだけ用意することにした。
余ったらお正月はしばらくオムライスだ!
ここまでの実験を含む考察から、必要なスタッフ人数を数えてみる。
コーヒーチーム
フィルターのセット係、抽出係×2、渡す係×2。
オムライスチーム
卵溶き係、卵焼き係×3、御飯型填め係、ハート描き&渡し係
会計、トイレ交代要員、予備要員。
これで14人である。現在確保できている人数は、身重の若葉を除けば、和実、淳、メイド6人、紺野君で9人。5人足りない。
和実は少し考えて伊藤君に電話してみた。この作業にはどうしても男手が必要というのも考えたのである。多分紺野君1人では足りない。
「ローズ+リリーのカウントダウンライブの出店?ということはライブが聴けるんだよね?」
「まあ聴いている暇があるかどうかは分からないけど、運が良ければ聞こえてくるかもね」
「やるやるやる!」
ということで彼が来てくれることになった。
「ちなみにメイド服着る?それとも作業服とかにする?」
「作業服でお願いします」
足りない人数に関して、和実は若葉とも相談の上、麻衣に連絡してみた。
するとそういうことであれば協力してもいいということで、エヴォンのメイドさん3人を連れて4人で来てくれることになった。
「紺野君はメイド服着たい?作業服にする?」
と和実は彼に尋ねてみた。
「作業服で。僕がメイド服を着たら、絶対、性的な傾向を誤解される」
と言って笑っている。
確かに伊藤君がメイド服を着たらジョークにしか見えないが、紺野君なら女に見えてしまうかも知れない。
「ちなみに私のメイド服を着せてみたことあるけど、可愛かったよ」
と若葉が言うが、どうもその言い方が単純な「可愛い」ではないようである。
「その話はやめてよ〜」
と言って紺野君が照れるのを見て和実は微笑んだ。
それちょっと見てみたいなあ。でも若葉は元陸上選手だけあって体格あるし、紺野君は細身だから、確かに若葉の服が着られたのかもね、と和実は考えた。
「そうそう。若葉はメイド服着てよね。ちゃんとマタニティ用のも作ってもらっているから」
と和実は言う。
「そんなのあるの〜!?」
と若葉は驚いていた。
24日から、準備に取りかかることにする。
26日に保健所の検査があり、それに合格する前提で日程を入れてしまうが、その検査以前には「調理作業」はすることができない。しかし食材を用意したり作業の準備などはできる。
偶然にもコーヒー豆は大量に手に入っているが、コーヒーフレッシュ、ペットシュガーが必要である。紙のコップや皿、プラスチックのフォーク、マドラーなども必要である。その他、卵、ケチャップ、米、タマネギ、ウィンナー、塩、ブラックペッパー、サラダオイル、コンソメなども必要である。お肉は本当は鶏肉を使いたいところだが、万が一のリスクを避けるにはウィンナーの方が良い。
紙コップに関しては、ボランティア関係で関わりのあったその手のものを製造している業者さんに連絡して、250cc入りの紙コップを5000個くらい入手できないかと照会したら、そのくらいの量ならすぐ納品できますよと言われてホッとする。
「ちなみに無地でいいんですか?それとも何か印刷します?」
と尋ねられた。
「印刷した場合、どのくらいお時間が掛かります?」
「5000個なら30分くらいですね」
「わりと速いんですね!」
デザイン画は .ai または .eps のデータ形式で送ってくれればいいということだったので、若葉がデザイン画を描いてくれて、それを .ai 形式で送信した。ここには同数のプラスチック蓋とプラスチック製マドラー、また同じ絵を印刷した紙皿を2000個、紙の手提げ袋を大小1500個ずつ注文した。さすがにこんなに使わないとは思ったものの、足りなくなるより余った方が良い。
余ったら、また何かのイベントで使えるかも知れないし、お店の普段の営業でもテイクアウト用に使える可能性が高い。
このやりとりをしたのが12月24日だが、業者さんは25日の午前中にはできたという連絡があったので、紺野君がハイエースを使って取りに行ってくれた。
24-25日は食材の確保に奔走した。売ってくれそう所に片っ端から電話をして問い合わせる。24日は和実はひたすら電話を掛けまくったが、お陰でほとんどの食材を確保できた。実際には多くの業者さんが年末に現金が入るのは助かると言ってくれた。
配送してもらうのは困難なのでこちらが車で取りに行く。母と若葉に留守番をしてもらっておいて、和実と淳と紺野君に、事前準備も手伝うよと言って出てきてくれた伊藤君の4人で、ハイエース、プリウス、RX-8、伊藤君の車フリードで走り回る。
食材は取り敢えず自宅の2階A室(ここに入れておいたメイド服は店舗の倉庫に移動済み)に入れ、エアコンの冷房をがんがん掛けた状態で保存しておく。むろんウィンナーなどはちゃんと店舗の冷蔵庫に入れている。
25日の夜はいったん作業を中断して、店舗をきれいに掃除する。紺野君はRX-8を運転して東京に戻る。
12月26日の朝、保健所の人が来たが、所定の検査ポイントで全て合格し、営業許可が降りた。
氷川さんに営業許可が取れたことを連絡し、所定の出店料をすぐに振り込んだ。保健所の営業許可証は発行までに普通は数日掛かるらしいのだが、年末ということで、翌日に許可証を発行してもらったので、即氷川さんにFAXした。
飲食店営業許可が取れたので、27日から仕込み作業を始める。
現場では物を切る行為は禁止である。また直前に加熱して客に提供する形でなければならない(かき氷・ところてん・清涼飲料水などを除く)。
和実ひとりでは手が足りないので、メイドさんの中で料理が得意と言っていたマキコとライムに今日から来てもらうことにしておいた。それで、その3人で作業を進める。
タマネギをみじん切りにして、塩こしょうしながら、細切りにしたウィンナーと一緒に炒める。再利用可能な保存容器(直前に洗浄したもの)に入れ、冷めたところで冷凍する。これは直前に暖かい御飯と混ぜることになる。
みじん切りはちゃんと手作業でする。スピードカッターを使ってしまうと、細胞を潰してしまうので味が落ちるのである。このみじん切りの作業は若葉も手伝ってくれた。
なお、マキコとライムに卵を焼かせてみたら、ふたりとも上手に鉄のフライパンで焼くことができたので、この2人と和実の3人を卵焼き担当にすることにした。マキコは平均82秒、ライムは90秒で卵を完熟になるまで焼いた。ただライムは鉄のフライパンよりテフロン加工のフライパンの方が好きなんですけどと言った。マキコは逆に鉄のフライパンの方が火の通りが速くて好きだと言った。それでテフロン加工のフライパンも2個用意して、現場に持ち込むことにした。
この日、高校の友人の照葉から和実の所に電話があった。
「お正月に高校の同窓会するんだけど、和実来られるよね?」
「それが特大な仕事が入っちゃって」
と言って、ローズ+リリーのカウントダウンライブに出店をすることを言うと
「何〜?ローズ+リリー?ね、ね、手伝いは足りてる?」
などと言う。
「足りない」
「だったら手伝わせてくれない?」
「いいよ!助かる」
それで結局、照葉と梓の2人が手伝いに来てくれることになった。
「あんたたちメイドさんの衣装を着るよね?」
「一度着てみたかった」
和実と若葉は実際の作業のシミュレーションもした上で、現場での担当をこのように決めた。最終的には若干の担当変えが起きる可能性もある。
オムライスチーム(8人)
卵溶き 淳
卵焼き 和実・ライム・マキコ
御飯の型押し 照葉
ハート描き エルム@Aevon
渡し リズ・コリン
コーヒーチーム(6人)
ペーパーフィルターのセット 伊藤
抽出 さくら@Aevon・クロミ
注ぎ 梓
渡し ルシア・アヤメ@Aevon
バックアップ 麻衣
会計 紺野
誰かがトイレに行く時はどの作業でもできる麻衣が代わるが現場はトイレも混み合うことが予測されるので、もう1人トイレに行きたくなった場合は、若葉が一時的に対応する。
そういうわけでこのイベントには16(+1)人で参加することになったのである。
労賃が売上げを上回ったりして!?
なお。この中で和実と淳は報酬不要。若葉と紺野君、伊藤君、梓と照葉も不要と言っていたので好意に甘えることにする。つまり報酬を払わないといけないのはクレールのメイド6人とエヴォンからの応援4人である。エヴォンの4人は交通費も必要である。報酬以外に宿泊場所も必要なのだが、そもそも正月だし、イベント主宰者側で近隣の宿泊施設はほぼ買い占められている。そこで和実の家にレンタルの寝具を持ち込んで泊まってもらうことにした。
「ところでこの16人って、男女は何人ずつになるんだっけ?」
「うーん。。。それは数え方によるなあ」
「とりあえず外見で分類すると?」
「外見的に男なのは、伊藤君、紺野君、うちのお父ちゃんの3人かな」
と和実。
「その3人は2階A室かな」
「私と和実、お母さんとお姉ちゃんと希望美が1階の洋室かなあ」
と淳が言う。
「若葉もその部屋に」
と和実。
妊婦は何かあった時に対応できそうな母の居る場所が良い、と和実は考えた。
「残りは12人?」
「4人くらいずつ3部屋かな」
1 2 3 4 5
【春封】(4)