【春封】(2)

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2016年の9月下旬から10月上旬に掛けて、ローズ+リリーは制作中のアルバム『やまと』に収録する楽曲『寒椿』の制作作業をしていた。この曲は千里が鴨乃清見の名前で書いた曲なので、千里自身にも龍笛で参加してもらった。
 
その製作をしている時、和実が進めているメイド喫茶の建設の話題が出た。
 
「へー。場所決まったんだ?」
「今基礎工事をしている最中だよ」
「どこに作るんだっけ?」
「ぎりぎり仙台市内かな。駅からバスで20分掛かる」
「そんなに離れていてお客さん来るの?」
「うん。それが最大の問題だと思う」
などと千里は言っている。
 
「でも一度見に行ってみたいね」
などとマリが言い出す。
 
「いつ〜?」
とケイが訊く。結構逼迫したスケジュールで制作をしているので、よけいなスケジュールは入れたくない所であろう。
 
「カウントダウンをM市でやることになったじゃん。そこの会場下見を兼ねて行って来ない?」
とマリ。
 
ケイは頭を振っていたが、マリちゃんは言い出したら聞かない性格だ。
 
「んじゃ、この『寒椿』が予定より早くできたら、まとめて見学に行ってみようか」
とケイは妥協した。
 
「だったら私、歌の練習頑張る」
とマリは張り切っていた。
 

結局、この曲の収録が10月12日くらいまで掛かる予定だったのが、マリの歌唱が早く仕上がったため、10月8日にはミクシング作業を除いて完成した。それで10月9日に友人の博美の結婚式に出た後、10月10日(祝)に、冬子と政子は新幹線で仙台に向かった。
 
担当の氷川さんとドライバーの佐良さんが同行しており、仙台駅前でレンタカー(プリウス)を借りて、佐良さんの運転でM市まで走り、カウントダウンライブの予定地を見学した。
 
「何にも無い」
と政子は文句を言う。
 
「だからまだ何も無いよと言ったじゃん」
と冬子は言っている。
 
「だいたいそのあたりにステージを設置する予定なんですよ」
と言って氷川さんが案内する。
(実際にはステージの位置は後で変更になってしまった)
 
「へー、ここから観衆に呼びかけるのか」
と政子は言っているが、既に頭はもう数万人の観衆を前にしたかのような感覚になっているようである。
 
「ケイ、歌うよ」
と言って、政子は先日まで制作をしていた『寒椿』を歌い出す。冬子は
 
「それキーが違ーう!」
と言って正しいキーで歌い出した。政子もすぐそれに合わせた。
 
その様子を見て、佐良さんは
 
「ほんっとにこの2人、歌が好きなんですねー」
と言った。
 
氷川さんも笑顔で頷いていた。
 

30分くらいそこに居たら、別のプリウスが会場前に停まる。和実が降りてきて手を振る。氷川さんが会釈すると向こうも会釈を返す。政子が結局ここでたっぷり10曲熱唱した所で、移動することになる。
 
和実のプリウスの後を、佐良さんが運転するプリウスが続き、三陸自動車道・仙台東部道路を20分ほど走り、その後下道を10分ほど走って現場に到達する。
 
「まだ何も建ってない」
とまた政子は文句を言っている。
 
「先月の下旬に基礎工事を始めたばかりだよ。今月いっぱいはこれに掛かって建物を建て始めるのは来月に入ってからだと思う」
と和実は説明する。
 
「基礎工事ってそんなに時間が掛かるんだ?」
と政子は言うが
 
「何事でも基礎は大事だよ。お勉強でもスポーツでも基礎ができてない人はいくら応用問題ばかりしてもダメ」
と冬子が言う。
 
「そうだよね〜。男の娘もいくら外見だけ可愛い服を着ても、基礎的な表情とか仕草が女の子っぽくないと、可愛くないよね」
などと政子は言っている。
 
佐良さんが呆れたような顔をしているが、こういう発言に慣れている冬子はスルーである。
 

結局ここでも政子は10曲くらい歌い、冬子も付き合っていた。工事をしていた人たちが
 
「お姉ちゃんたち凄く上手いね。NHKののど自慢とか出てみない?」
 
などと言っていた。
 
見学が終わった後で1時間ほど道を戻り、和実の現在の住まい(石巻市の胡桃のアパート)まで行った。氷川さんと佐良さんは遠慮して、しばらく近くのファミレスに行っていると言っていた。
 
今日は盛岡から出てきたお母さんが希望美ちゃんのお世話をしていた。
 
「だいぶ大きくなったね」
と冬子も政子も言っている。
 
「すくすく成長している感じだよ。まだ夜泣きには悩まされるけどね」
と和実。
 
「へー。東京のお友達なんですか? 娘がお世話になってます」
と和実の母は笑顔で挨拶している。
 
そう言われて和実は、はにかむような顔をした。多分親から「娘」と言ってもらえるのが嬉しいんだろうなと冬子は思った。
 

和実がコーヒーを入れて出す。
 
「美味しい!」
と政子が言う。
 
「さすがプロの味だよね」
と言って冬子も感心している。
 
「これ、千里がブラジルで買ってきたサントス」
「ああ!」
 
「私たちももらったね?」 と政子。
「うん。飲んじゃったけどね。でもこれは自分たちで煎れたのよりずっと美味しい」
と冬子。
 
「やはり、そのあたりが技術の差だなあ」
 

「でもお店はいつ完成するの?」
と政子が訊く。
 
「工務店レベルでの建築作業は年内に終わる。実際には11月中にほぼ完成するんだけど、細かい内装をしたり、最後は所定の検査を経て引き渡しになるんだよね。その検査にまた半月掛かる」
 
「じゃ、基礎工事1ヶ月、本体工事1ヶ月、内装と検査で1ヶ月?」
「その前に1ヶ月掛けて設計をしている」
 
「なんか周辺の作業が大変なんだね」
「コンサートとかも演奏は2時間で終わるけど、準備に2-3ヶ月は掛かるでしょ」
「確かに!」
 
「年明けから、防音工事とか事務所のカーテンやカーペット、ロッカー類の導入とかやって、店舗用の家具とか食器とかの選定・搬入を始める。その付近の作業は、費用の問題で建設が終わるまでは手を付けられないんだよ。少しでも現金を手許に残しておきたいから」
 
「ああ、資金繰りが大変でしょ」
と冬子が言う。
 
「そうそう。工務店への支払いは、だいたい着手時と建設の途中と完成時に分割して払わないといけないんだけど、銀行からの融資は完成後にしか行われないんだよね。だから、特に中間金の支払いが辛いんだよ」
と和実は説明する。
 
「あれの工事代金っていくら?」
と政子が訊いた。
 
「9976万円。一応工務店との話し合いで、着手金を2000万円、中間金を4000万円払って残額は引き渡し時に払うことにした」
 
「もしかして、中間金までは自己資金で払わないといけないの?」
「だから銀行からつなぎ融資を受けるんだよ。住宅ローンから工事代金が支払われるまでの間だけ、中間金の分を貸してもらえる」
 
「ああ、そういう制度があるんだ!」
「それが無ければ、ふつうの人には住宅とか店舗の建築は無理だよ」
 
「だよね〜」
 
「中間金っていつ払うの?」
「11月末の段階で中間検査というのをするんだけどその時に払うことになる。だからその時点で1ヶ月のつなぎ融資をしてもらうように今銀行と交渉中」
 
「最初の着手金は払えたの?」
「うん。実はその時点で手許に2000万円しか無かったから、それで勘弁してもらった」
「なるほどー!」
 

「どんな感じのお店になるの?」
と政子が訊くので、図面を出して来て見せてくれる。
 
「大きなステージがある」
「2階にスタジオ?」
 
「エヴォン銀座店と同様にライブ演奏をしようと思っているんだよ。2階のスタジオは出演前の練習用だけど、どうせなら音源制作できるくらいの機材を揃えたいと思っている。そしたらそのアーティストさんたちが自分たちでCDを制作することもできるでしょ?それで、出演してくれるアーティストを年明けくらいから募集するつもり」
 
「それかなりの人数が必要だよね」
「銀座店の場合、契約アーティストは50組を超えている」
「凄い」
「こちらもスタート時点で20組は欲しい」
と和実が言うと
 
「私たちも出る?」
などと政子が言い出す。
 
「さすがにお客さんが入りきれない」
と和実。
 
「プラチナチケットになって大騒動になっちゃうだろうね」
と冬子も言う。
 

「じゃ私たちは募集してるよ!というのを広報してあげようよ」
と政子。
「まあそのくらいは協力できるよね」
と冬子。
 
「営業開始はいつ頃の予定?」
「5月くらいを予定しているけど、銀行の融資が下りるまでは事実上何もできないから、結果的に秋になってしまうかも知れない」
 
「でもそれ、秋に営業開始するとしても、ローンの支払いは即始まる訳でしょ?」
「そうなんだよね。だからその間は淳の給料頼り」
 
「厳し〜い。毎月どのくらい返済しないといけないの?」
 
「借りるのが1億5千万で、30年ローンだから年間560万円、月あたり47万円」
 
「それ淳さんの月給を上回っていたりしない?」
「ボーナス入れたら何とかなる」
「生活費は?」
「ふりかけごはんで頑張る。まあ私と希望美の分は姉ちゃんのすねをかじる」
「あぁぁ」
 

その時、政子が言った。
 
「そんなに厳しいんだったら、銀行に借りずに私が貸してあげようか?1億5千万とか言わずに2億か3億でもいいし。私なら利子も要らないし、利益が出始めてから、少しずつ返してもらえばいいよ」
 
冬子はピクッとしたが、和実は途端に難しい顔になった。
 
そして言った。
 
「ごめん。政子の好意は感謝するけど、これは私のお店だから。お金持ちの友だちがいるからといって、それを頼っていたら、自分に甘くなってしまう。だから、悪いけど、その申し出は辞退させて。何とか頑張るからさ」
 
「え?そお?遠慮することないのに」
などと政子は言っている。冬子は、政子が全く分かってないようだと思ったのでハッキリ言った。
 
「政子、私たちがアルバム作るの大変だからと言って、演奏も歌も代わりに他の人たちにやってもらったら、どう言われる?」
「それは私たちのアルバムじゃないと思う」
 
「お店の経営は資金繰りまで含めて経営なんだよ。私たちがお金を出したら、それは私たちのお店になってしまう。和実は自分でこのお店をやっていきたいんだよ」
と冬子は説明した。
 
「あっそうか。ごめんねー。変なこと言って」
と政子はやっと理解したようで、和実に謝った。
 
「ううん。気持ちだけはありがたく受け取っておくよ」
と和実は笑顔で言った。
 

「だけど何かお手伝いできることがあったらお手伝いしたいよね」
と政子はまだ言っている。
 
その時、冬子がふと思いついたように言った。
 
「お店にステージ作ってライブ演奏してさ、2階にはスタジオも作って音源制作するとかなら、私たちが、それのスポンサーになれないかな」
 
「というと?」
と和実は少し興味を持ったようである。
 
「例えば、そのライブ演奏する人たちのギャラを私たちが払うことにするとか。その代わり、有望な人がいたらTKRとかからデビューさせる。新人開拓を兼ねたギブ&テイク」
 
「ギブ&テイクになるんだっけ?」
 
「和実はお店のプロモーションになる。こちらはTKRがいいアーティストを確保できると助かる」
「それ★★レコードじゃなくてTKRがいいの?」
 
「★★レコードだと、どーんと何十万枚も売るアーティストでないと厳しい。TKRだと年間100枚でも文句言われない」
 
「なるほどー」
 
「それと現在の★★レコードの経営陣は私たちのコンセプトに合ってないんだよ。実は今★★レコードで制作しているアルバムとは別口でFMIから出すアルバムの制作も進めている」
 
「へー!」
 
「今はむしろアクアとかステラジオが入っているTKRの方が私たちにとっては使いやすいんだよね」
 
「なるほどー」
と言ってから、和実は少し考えていた。
 

「それ、お願いしたいかも」
と和実は答えた。
 
「じゃこの話、進めようよ」
「アーティストのギャラの額とかは誰が決めることにする?」
 
「それは和実に任せる。例えば1日合計1万円とかまではそちらの裁量で。その枠以上に払いたいようなアーティストは、うちの風花とかに見てもらうよ」
「なるほど。それなら運用しやすいかもね」
 
「それと、銀行融資が下りるまで他の準備作業ができないという状態なら、融資が下りるまでの3ヶ月間だけ5000万か必要なら6000万円くらい融資しようか?無利子」
 
冬子としてもこのくらいの金額・期間ならいいかなと考えたのである。和実も少し考えていたようだが
 
「じゃ貸して」
と言った。
 
「今から準備始めれば夏前にはオープンできるでしょ?」
「うん。家具とかは製作に時間が掛かると思うから、実はできるだけ早く動きたいと思ってた」
 
「どういう感じの家具にするの?」
 
「盛岡のショコラ、エヴォン神田店はヴィクトリア朝風、京都のマベル、エヴォン新宿店はルイ王朝風、エヴォン銀座店は現代英国王室風なんだよね」
 
「ごめん。よく分からない」
 
「ルイ王朝の時期はロココ、ヴィクトリア朝は新ゴシックだよ」
 
「ごめん、やはり分からない」
 
「それでクレールはアールヌーボーに行こうかと思っている」
 
「あ、それなら少しは分かる気がする」
「それ家具とか、輸入になる?」
「そうなんだよ。国内で作ることは可能だけど、敢えて輸入したいんだよね。これはフランスから輸入したものです、と言った方がアピールするじゃん」
 
「言えてる言えてる」
 
「男の娘もユニセックスな男物の服を着せてもいいけど、できたらレディスとして作られている服を着せた方が可愛いよね」
と政子が言うので
 
「なぜそういう話になる?」
と和実が突っ込んでいた。
 

「あのぉ、話がよく見えないんですけど、もしかしてそちらのおふたりは歌手か何かなさってるんですか?」
 
と和実のお母さんが訊いた。
 
「ええ。大して売れてないんですけどね」
と冬子が答える。
 
「お名前は・・・私が知ってる名前かしら」
と和実の母は少し遠慮がちに訊く。
 
「お母ちゃん、この2人はローズ+リリーだよ」
と和実が言うと
 
「うっそー!!?」
と驚いていた。
 

青葉が布恋に弟さんがよく見るという「変な夢」について尋ねたのは、もう10月に入り、後期の授業が始まってからであった。
 
青葉はそれまでの間に北海道で桃川さんの案件を処理し、富山市内で体育館の怪を解決している。
 
「こないだ話した時に、青葉がピクッとしたような感じだったから、もしかしてこれ心霊現象?とも思ったんだけど」
「たぶんそうだと思います。その手のものに関わった時だけに反応するセンサーみたいな感覚が反応したんですよ」
 
「なるほど〜。でもうち貧乏だから、依頼料とか払えないよ」
「水泳のタッチの仕方をたくさん教えてもらったから、そのコーチ代と等価交換ということにしません?」
「ああ、それならいいよ」
と言って、布恋は話してくれた。
 

「実は私以外の家族全員がその変な夢っぽいものを見ているのよ。ただ弟のがいちばん激しいみたい」
 
と布恋は言った。
 
「布恋さんが見ていないのは、金沢市内に住んでいるからかな?」
と青葉。
 
「だと思う。弟も今高校3年生だから、大学に入って独立すれば、そんな夢も見なくなるかも知れないけどね」
 
「でも受験に影響したらまずいですね」
「それはあるのよね〜」
と布恋は言っている。
 
「お父ちゃんの夢は、時代劇みたいなのが多いらしい。なんか戦場みたいな所にいて、夢の中で何度も殺されているって。刀で斬られたり、鉄砲とか矢とかで撃たれたり」
 
「すると戦国時代ですか」
「ああ、そうだと思った」
 
「お母ちゃんの夢は家族関係に関わるものが多くて、私が不良になって髪を真っ赤に染めて、タバコ咥えて、バイクを乗り回しているんだって」
 
「なんか30年前の不良のイメージですよ、それ」
「思った思った。お母ちゃんが中高生頃のスケバンとかの格好じゃないのかなあ」
 
「あと、お父ちゃんが暴力を振るって、それでお母ちゃんはひたすら殴られるらしい」
 
「ここだけの話にしますけど、お父さんは暴力を振るうことは?」
 
「そういうのは見たことない。ボクシングの試合に出たとしても相手を殴りきれずに負けてしまうんじゃないかというくらい、おとなしい人だよ。高校時代の体育で剣道をやった時以来、人を叩いたりしたことはないと本人は言っていた。私がお父ちゃんから殴られたのは、小学5年生の時に、ライターを悪戯していた時だけだよ」
 
「危険な行為だけは別でしょうね」
 
「私もそう思う」
 
「だけど、面白かったのは、一度お父ちゃんが夢の中でお母ちゃんをひたすら殴るので弟がそれを停めてくれた夢があったらしい」
 
「へー!」
 
「それでさ。弟はお父ちゃんのおちんちんを切っちゃったんだって。こうすれば暴力を振るうこともないだろうと言って」
 
「へー!!!」
 
「それをお母ちゃんが話してたら、お父ちゃんは嫌そうな顔をしていたよ」
「まあ男性は、去勢の話が苦手な人が多いようですね」
 
「うんうん。馬や牛の去勢の話でも嫌がるよね」
 

「でも弟はむしろ自分が去勢してもらいたいんじゃないのかね」
などと布恋は言っている。
 
「弟さんの夢は?」
 
「いくつかのパターンがあるみたいだけど、ある時は平安時代かなという感じで古風な衣装をつけた女の人がたくさんいたんだって。それで弟は『そなた、何という格好をしているのじゃ?』とか言われて、着ている服を全部脱がされて十二単(じゅうにひとえ)みたいなのを着せられたって。実際には夢を見た後で起きてきた時は、スカート穿いていたんだけどね」
 
「そのスカートは布恋さんの?」
「ううん。弟の彼女のものらしい。本人は否定しているけど、もう彼女とは体験済みみたいだから。それで彼女も気を許して自分の服を結構弟の部屋に置き去りにしているみたいなのよね。それでその置いてある服を時々勝手に着ているみたいで」
 
「なるほど〜」
 
「なんかAKB48のオーディションに出た夢もあったらしいよ。それもやはり、『君、オーディションにはスカート穿いてきてもらわなきゃ』と言われてスカートを穿かされたと」
 
「どうしても女装させられる訳ですか」
 
「でもそれって本人の願望なんじゃないかね。朝、起きてきた時にスカートとか女物のパンティとか穿いてるのも、実は女の子になりたい気持ちがあってそういうの身につけたまま寝ていたんじゃないかという気もするよ」
 
「でも彼女がいるんでしょ?」
「うん。だから自分も女の子になりたいけど、恋愛対象も女の子なんじゃない?」
「まあ、そういう人は結構多いですね」
「でしょ?」
 

青葉はそこまでの話を頭の中で簡単に反芻してみた。
 
「もし良かったらですね。一度そちらのお宅にお伺いさせてもらえません?」
「いいよ。いつでも来て。今週末にでも来る?」
「はい、それでは10月9日・日曜日とかでは?」
「うん。いいよ。何で来る?」
「布恋さんは、いつもどうやって実家に戻られるんですか?」
「お父ちゃんに車で迎えに来てもらう」
 
「なるほどぉ!」
 
「車なら8号線を回っても1時間ちょっとなんだけど、IRいしかわ鉄道・あいの風富山鉄道・JR城端線と乗り継ぐとバスでの移動時間も含めて4時間近く掛かるんだよ」
 
「ああ。掛かるでしょうね〜。私も鉄道乗り継ぎでは凄い時間掛かるから高岡から自家用車往復なんですよね」
 
と嘆くように言ってから青葉は言った。
 
「だったら、10月9日に私、布恋さんのアパートまで自分の車で行きますから、布恋さんを乗せて南砺市まで行くというのでいいですか?」
 
「うん。OKOK。よろしく〜。私のアパートまで迎えに来てくれたら、実家までは私が運転するよ」
 
「そうですね。それもいいかもですね」
 
布恋は夏休みにはお父さんのものというトヨタ・ナディアを運転していたが、わりと(悪い意味ではなく)上品な運転をすると思っていた。
 

青葉は10月8日(土)に高岡市内のバイク屋さんでヤマハのバイクYZF-R25を買ったのだが、それを受け取るのは連休明けの11日(火)になる。その前の9日日曜日に、青葉は早朝からアクアを運転して金沢まで行き、布恋を拾った。布恋はR304経由で南砺市まで走った。先日吉田君のバイクNinja 250Rに同乗して往復したルートである。
 
「ここ景色いいですよね〜」
「あれ?ここは通ったことある?」
「実は先日、ちょっと友人のバイクに同乗して走ったんですよ」
「わあ、バイクだと気持ちいいでしょ?」
「気持ち良かったです」
 
「ちなみにその友人って彼氏?」
「男の子ですけど、ただの友だちですよ。私の彼氏は埼玉県に住んでいるので」
「へー。彼氏がいても他の男の子とも遊ぶよね」
と言っているが非難するような口調ではなく、むしろそういうのに憧れている?みたいな口調である。
 
「いや、彼にバイクの購入のことで相談して。それで乗り心地を体験させてくれたんですよ」
「なーんだ。だったらセックスはしないの?」
「しませんよ〜!」
「彼氏が遠隔地にいるんだったら、こちらでも1人くらいボーイフレンド作ってもいいだろうに」
 
桃姉みたいなこと言ってるなあ、と青葉は思う。
 
「ごめんなさい。私はそういう観念は無いです」
 
「青葉って、性的な概念が保守的なのか進歩的なのか、どうにもよく分からない」
「うーん。。。そういう指摘を受けたことはあります」
 

「でもだったら、青葉もバイク買うの?」
「買いました。今手続き中なんですが、数日以内に受け取れると思います。ヤマハのYZF-R25です」
 
「すごーい。私もバイク乗ってみたいけど、お母ちゃんのお許しが出ないのよね〜」
「私も母の説得に苦労してます」
「やはり親としては心配だよね〜」
「ですよね〜」
 

それで結局午前10時前に、布恋の実家に到着した。おしゃべりに夢中になっていたのでスピードメーターをよく見ていなかったが、多分かなり速度超過していると思われた。交通量が少ないしということで飛ばしたのだろう。
 
「ここなのよ」
と言って布恋が青葉を案内するが、青葉は立ち止まってその家を見つめた。
 
そして怪異の原因がすぐに分かった。
 

青葉がじっと家を見ているので、布恋が訊く。
 
「どうかした?」
「そこの奥のコンクリートの柱が折れていますでしょう?」
「あ、うん」
 
「あれ、いつ頃折れたものですか?」
 
「えっと、あれは6月頃に、運送屋さんのトラックが方向転換しようとしててぶつけちゃったらしいのよ。向こうは平謝りで、修理費用も出してくれたらしいんだけど、お母ちゃんったら、それを弟の受験勉強合宿の参加費に転用してしまったらしくて、それで折れた柱は放置されているのよ。実は何度か接着剤でくっつけたけど、すぐ取れちゃって」
 
青葉は腕を組んで考えた。
 
「例の変な夢を見始めたのって、もしかしてその後からではありませんか?」
 
「あ、分かんない。ちょっと中に入ってみんなに訊いてみよう」
「ああそれがいいですね」
 
青葉はチラッと後ろにいる《姫様》を見た。姫様は「ふぁ〜!」と大きく伸びをすると
 
『まあそのくらいはやってやるよ』
と言った。
 
『ありがとうございます。よろしくお願いします』
と青葉は言った。
 

それで家の中に入る。
 
大学の水泳部の後輩と布恋が紹介すると、お母さんもお父さんも歓迎してくれた。青葉が「つまらないものですが」と言って、昨日の内に調達しておいた富山名物「ますの寿し」の輪っぱを2個出すと
 
「あらあ、これ大好き!」
とお母さんが言っていた。
 
青葉は、みんなが見た不思議な夢のことに興味を持っていると話すと、布恋は
 
「大学の心理学で夢の研究をしているらしいのよ」
と言った。
 
それでお父さんもお母さんも見た夢の内容をけっこう詳しく話してくれた。その内容はだいたい布恋が話してくれたようなものだった。ただお母さんはそういう「夢」以外の異変まで語ってくれた。
 
「私最近、何度もおかしな所まで行ってしまうことがあって」
「どういう所に行くんですか?」
 
「買物に出かけて、ふつうに買い物して帰って来たつもりが、レシートをふと見たら、名古屋のイオンで買っていたのよ」
 
「それはやや遠いですね」
と青葉は言った。
 
マリなどと付き合っていると「青葉、ラーメン食べに行こう」と言われたので付いて行ったら、博多のラーメン屋さんまで連れて行かれたことがあるので、このくらいでは驚かない。
 
「ガソリン見たら前日満タンにしていたはずが、ほとんど空っぽになっていたしトリップメーターも450kmになってて」
「なるほど」
 
「そういえば買物してる時に、品物の配列が変わったのかな?探しにくいと思った記憶があったのよね」
「いつもと違う店でお買物していたわけですか」
 
「それとか、会社の帰りにふつうに城端線に乗ったつもりが、しらゆきに乗っていて、気付いたら長岡まで来ていて、慌てて降りて戻って来たこともあるのよ」
 
「失礼ですが、お勤め先は?」
「高岡駅から歩いて5分くらいなのよね〜」
 
「しらゆきで、富山県内に乗り入れる便ってありましたっけ?」
 
特急しらゆきは、本来、新井・上越妙高−直江津−長岡−新潟、と走る列車である。北陸新幹線の金沢開業で旧《はくたか》(越後湯沢−金沢)が廃止され、行き来が不便になった上越地区と中越・下越地区を結んでいる。使用列車は《フレッシュひたち》として使用されていたE653系である。
 
「息子に念のため確認してもらったけど、無いらしいです。だから、乗ったとしたら、その前に上越妙高か直江津あたりに移動していたことになるみたいなんですけど、なぜそこまで行ったのかも謎なのよね」
とお母さんが言うと
 
「惚けてきてんじゃない?」
などとお父さんが言う。
 
そしたら1発、雑誌で殴られた!
 

お昼になって、青葉がお土産に持参した「ますの寿し」でお昼ごはんにしましょうということになる。まだ寝ていた弟さんを、お父さんが起こしに行ってきた。弟さんは起きてはいたようで、布団の中で徒然草の対訳本を見ていたと言っていた。
 
「おお、ますの寿しだ。大好き大好き。頂きまーす」
と言って、座るよりも早く摘まんでいる。
 
お母さんがお茶を入れてくれたが美味しいお茶だった。尋ねると、親戚からもらった狭山茶らしい。
 
青葉は食事が落ち着くのを待って、自分は心理学に関心があり、夢についてもいろいろ研究しているのだが、変わった夢を見ているというので、良かったら聞かせてくれないかと、布恋の弟・裕夢(ひろむ)に言った。
 
すると、彼は最初まるで値踏みでもするかのように青葉の顔を見ていたが、やがて語り出した。
 
「最初にこの手の夢を見たのは、6月下旬だったと思うんですよ」
と彼は言った。
 

彼の語るには、夢の内容は幾つかのパターンがあるが、だいたいこういうのが多いらしい。
 
最初に見た夢では、平安時代の貴族の屋敷、あるいは御所にいるような感じで、重ね袿(うちき:上着)に裳(も:スカート)を着けた女性たちが多数歩き回っている。彼は呆然として見ていたが、やがて40代くらいの女性に捉まって、誰か?と訊かれるので、白雪と申しますと言ったら、ああ左衛門尉の娘さんね、などと言われるが、あんた酷い格好をしていると言われる。それでどこかの部屋に連れ込まれ、全部服を脱がされて、腰巻きのようなものを着けた後、袿に裳を着せられてしまった。
 
学校に行っていて、身体測定をしますよと言われるので並んでいたら、ふと気付くと周囲が女子ばかりである。バストをメジャーで女子の保健委員の子に測られ、絶望的にバストの生育が悪いと言われ、よく発達するようにと注射を打たれる。服を着ようとしたら、なぜ男子の制服を着る?と言われ、女子の制服を着るように言われて制服上下を渡されるので、それを身につける。
 
入って行った場所はホテルのようであった。白雪家・今泉家結婚式場と書かれている。招待状を出すとこちらへと言われ、どこかの部屋に案内されるが、部屋の中に美しいウェディングドレスが掛かっている。おそるおそる「あのぉそれを着るんですか?」と尋ねると「あんた今日の結婚式の花嫁なんだから、あんたがウェディングドレスを着なくてどうする?」と母が言っている。ところが着換えのために全部服を脱がせられると「あんた、お股に変なものが付いている」と言われ「花嫁になるには、こんなものがあったら大変」と言われて、母が「今すぐ切ってあげるね」と言って、大きなハサミを出してきたので、怖くなって裸のまま逃げ出した。
 

「その夢見た時かな。あんた裸で起きてきたね」
とお母さんが言っている。
 
「これ逃げ出して良かったんですよね?多分」
と彼が青葉に訊く。
 
「それ逃げてなかったら、本当に去勢されていたと思います」
と青葉は真剣な顔で言った。
 
「まじ?」
「夢の中ですから物理的に去勢することはできなくても、男性能力を失っていたでしょうね」
 
「良かったぁ。俺まだ男は辞めたくないし」
と裕夢は言っている。
 
「あんた男を辞めたいのかと思ってた」
と布恋が言うが
「あと60年くらいは男を楽しみたい」
などと裕夢は言っている。
 

青葉は裕夢が言っていた夢を全部ノートに書き留めた上で尋ねた。
 
「裕夢さんは6月下旬頃からこの手の夢を見始めたということですが、他の方はどうですか?いつ頃から見始めたか分かりませんか?」
 
するとお父さんが言った。
 
「俺もたぶん6月下旬だと思う。その夢を見た直後に俺をずっと大事にしてくれていた部長が亡くなったんだよ。その人の四十九日がちょうど8月15日のお盆にぶつかっていたんだ」
 
青葉は暦計算サイトで確認する。
 
「四十九日が8月15日ということは、亡くなられたのは6月28日の水曜日ということになりますね」
「あ、そういえばその日はノー残業デーだったような気がする」
 
「私はハッキリ分からないけど、そんな時期だった気がするよ」
とお母さんも言った。
 

「川上さん、ひとつ真剣に訊きたいんですが」
と裕夢は言った。
 
「はい?」
 
「実はこの夢をみんなが見るようになってから7月の中旬くらいかな。親父、立たなくなっちゃったらしいんですよ。この原因を取り除いたら、回復すると思います?」
 
「それはもしかしたら、お母さんが、裕夢さんがお父さんの性器を取ってしまう夢を見た以降ではありませんか?」
 
「うん。まさにそのタイミングだと思う」
と裕夢は言った。
 
青葉は腕を組み目を瞑って考えた。
 
そして言った。
 

「今月中に実行してください。そしたら回復する可能性はあります」
 
「何をすればいい?」
 
「この家の四隅にコンクリート製の柱がありますよね」
「あ、はい?」
 
「その中の、玄武に当たる、北側の柱が折れているんですよ。玄武って男性の性的能力にもリンクしているんです。これをきちんと直せば、少なくともこの怪異は収まります」
 
「え〜〜〜!?」
「それだけの問題?」
 
「男性の象徴が壊れていることから、男性の能力を奪う方向に力が働いているのだと思います。お父さんの身体の異変もそれでしょうし、息子さんがやたらと女装させられて、去勢までされそうになったのもそれでしょうね」
と青葉は言う。
 
「なるほど、それは考えられるなあ」
と裕夢は言っている。
 
「あの柱は誰が作ったものですか?」
 
「この家に以前住んでいた叔父が作らせたものだと思います。その叔父が亡くなった後、私たちはここに入ったんですよ」
とお母さんが言っている。
 
「だったらその叔父さんが仕掛けたものでしょうね。この4本の柱はこの家の結界を作っていたんです。ところがそれが折れて現在結界が無効になっています。それで雑多な霊が侵入して、怪異が起きているんですよ」
 
「実は夏頃から、しばしばポルターガイストも起きているんだけど」
「まあ今の状態なら起きても不思議ではないです。人の声とかしませんか?」
「するする」
「玄関のピンポンが鳴って出て行くと誰もいなかったり、電話が鳴ったんで取ったら発信音が聞こえたりというのもあった」
「階段を降りてくる音がしたのに誰もいなかったというのもあったね」
 
「その柱って新しいのを作って交換していいの?それとも、今ある奴を何とかして修復した方がいい?」
と裕夢が訊く。
 
「そうですね。どちらでも大丈夫ですから、費用の掛からない方でいいですよ」
と青葉は答えた。
 

ここでお父さんが質問した。
 
「済みません。川上さんって、どういう方でしょう?」
 
すると青葉が言う前に裕夢が答えた。
 
「この人は日本で五指に入る霊能者」
 
「え〜〜〜!?」
と両親が驚愕している。
 
「ああ、バレてましたか」
と青葉は照れるように言う。
 
「ほら、こないだ金沢で若い女性が死んだ後で赤ちゃんを出産したって事件があったじゃん」
 
「ああ、うん」
 
「あの生き延びている赤ちゃんを見つけて、その父親を見つけて、ついでに車ではねた犯人まで見つけたのがこの人だよ」
 
「うっそー!?」
 
「確かに赤ちゃんは発見しましたが、父親は別の人が気付いて通報して分かったもので、事故の加害者は警察への匿名の電話で逮捕されたみたいですけどね」
 
「それどちらも、あまり名前を出したくないから、知人とかに代わって通報してもらったものだろうと、うちの学校の心霊研究会では言ってましたよ」
 
「そんな研究会があるんですか!?」
と青葉はマジで驚いた。
 

「これが実力は無いくせに売名したがる似非(えせ)霊能者なら、盛んに自分を表に出すんだろうけど、本物の霊能者はみんなできるだけ自分の名前を出さないようにするんですよ。でないと依頼が処理できるキャパを越えてしまうから」
と裕夢は言っている。
 
青葉もその意見には同意した。
 
「だから川上瞬葉さんにしても、札幌の海藤昇陽(天津子)さんにしても、東京の中村晃湖(晃子)さんにしても、高知の高井厨人(山園菊枝)さんにしても、長崎の鳴滝桜空さんにしても、みんなマスコミに極力出ないようにしている」
 
と裕夢は言うが、青葉は凄いなと思った。みんな実際本気の実力者ばかりで、しかも一般にはほとんど知られていない名前だ。鳴滝さんなどは菊枝から何度か話を聞いたことはあるものの、青葉も会ったことがない。こんなラインナップを彼らはどうやって知ったのだろうか。
 

父親は言う。
 
「コンクリート同士の接着は鉄筋とかを打ち込めば何かなりますが、耐久性がどうしても弱くなるので、今のを撤去して、新しく木の枠を立てて、その中にコンクリートを流し込んで新しい柱を作った方がいいと思うのですが、それで大丈夫ですか?」
 
「その工事をなさる時に私を呼んでいただけませんか? 必要な処置をしますので」
 
「だったら今日の午後からやっていいですか?」
 
青葉は内心は驚いたものの顔色ひとつ変えずに言った。
 
「いいですよ」
 

それでお父さんは車で出かけていくと、知人の所から電動ハンマーを借りてきた。そして自らその折れたコンクリートの下の部分を壊していく。約30分ほどで崩してしまった。
 
そしてコンパネというコンクリート打設用の板を4枚立てて桟木で固定する。念のため内側から丸セパという金属の棒でも固定する。この棒はコンクリートの中に埋まり、芯として柱を強化してくれる。ここで青葉は形の確認を求められたので、寸法を測って他の3つと同じサイズであることを確認する。他のと同じ高さになる場所にマジックで印をつける。それでお父さんは出かけると今度は小型のミキサー車を運転して戻って来て、その型枠の中に生コンを流し込んだ。
 
青葉はチラッと後ろにおられる《姫様》に視線をやる。
 
《姫様》は笑顔でOKサインをすると、このコンクリートが固まったら発動するように結界の仕掛けを作ってくれた。
 
青葉は古い結界の仕組みを修復してもいいと思っていたのだが、姫様は多分他人が作った結界に触るのは不愉快なので、自分で新たに結界を作ってくれたのだろう。青葉は如何にも「何かしている」かのように見せる演出で数珠を持って短いお経を唱えた。《姫様》が笑っているが気にしない。
 
「ではこのコンクリートが固まったら、結界は再起動します」
と青葉は言った。
 
「ありがとうございます!」
 
「でもこういうコンクリートの工事をDIYでやっちゃうって凄いですね!」
と青葉は言う。
 
「え?このくらいは誰でもやるでしょ?」
とお父さん。
 
「そうなんですか? うちは男の家族が居ないから、どうもそういう方面には疎くて」
 
「ああ、お父さん亡くなられた?」
「ええ。それに仕事が忙しくて、ほとんど家に帰ってこない父だったんですよ」
 
「ああ、昔風のジャパニーズ・ビジネスマンだな」
とお父さんは言っている。
 
「あなたは、もう少し出世とか頑張ってもいいと思うけどね」
とお母さんは言っている。
 

「ところでこのお代は?」
とお父さんは少し心配そうに言った。
 
「それは布恋さんとの間で既に話がついていますから」
と青葉は笑顔で答えた。
 

和実の方のカフェおよび自宅新築工事だが、10月下旬に基礎工事が完了。11月上旬から「躯体工事」が始まった。建物の鉄骨を組み立てていき、そこに壁などのパネルをはめ込んでいく、家造りの中で中核になる作業である。
 
人員の手配効率の問題で、自宅と店舗を同時進行で作っているのだが、あっという間に鉄骨の組み立ては終わり、作り付けのドアや窓なども填め、内部の配管工事なども進んでいく。壁や屋根のパネルもどんどん取り付けていく。ここまでの作業が、自宅の方は一週間でできてしまい、店舗の方も3週間ほどで組み上がる。それで11月末までには、自宅も店舗もその外観部分ができあがってしまった。
 
このあたりがユニット工法の凄さである。
 
ここで中間検査が行われ、その結果を見て和実は中間金4000万円を支払った。
 
工事はこの後、内装部分に入ることになる。
 

和実は一方で政子に貸してもらった資金の中で工事の中間金として払わなければならない分以外を使い、停まっていた設備・用品の準備を始めることにした。
 
エヴォンやショコラとも取引がある、輸入家具の取扱店を通して、フランスの家具製作所にアールヌーヴォー風のテーブルや椅子、時計や灯り、窓枠などの家具調度を発注した。また同様のスタイルの食器も注文する。
 
また女性キャストの制服も試作品を作ってもらい、それを姉の美容室に勤めているアシスタントさんに頼んで試着してもらった。
 
「可愛い!」
「私美容師の資格を取れなかったら、メイドさんになっちゃおうかな」
などと本人は言っている。
 
「でもあんまりメイドメイドしてないんですね」
「うん。やはり純粋なメイド風より、アンミラみたいな方向性の方がいいと思うんだよね。その方が働く人も抵抗が少ないし、お客さんも、特に女性のお客さんが入りやすいでしょ?」
 
「確かに。メイド喫茶と言うと、なんかいかがわしい店を想像しちゃう」
 
「うん。最近いかがわしい店が増えて、そういう所と混同する客もいるから、昔からやっている正統派のお店はみんな困ってるんだよね〜」
 

お店に居た男性の美容師・広瀬さんまでなんか見とれているので、和実は声を掛けてみる。
 
「広瀬さんも着てみます?」
「え?どうしよう?」
などと言っているので、みんなでうまく乗せて着せてしまった。
 
「可愛いじゃん!」
「ヒサちゃん、充分それでメイドさんで通るよ」
とみんなおだてる。
 
彼は細身だし、眉も細くしているし、髪も肩に掛かるくらいの長さがあって軽くウェーブを掛けているので、こういう服が様になる。
 
「僕人生考え直そうかなあぁ」
「そういうのもいいと思うよぉ」
「ふだんスカートとか穿かないの?」
「穿きませんよぉ」
「それにしては何かこういう服を着慣れている感じがする」
「だいたい足の毛は剃ってるみたいだし」
「お化粧もうまいもんね」
「それはお客様のお化粧しないといけないから頑張って練習しましたよ」
 
「ヒサちゃん、アーデンの口紅持ってるし」
「マックスファクターのコンパクト持ってるし」
「だから練習用ですよぉ」
「スカート本当に持ってないの?」
「えっと・・・3着あるかな」
「やはり持ってるんだ!」
「明日からスカート穿いて出ておいでよ」
「恥ずかしいです!」
 

11月21-26日。バスケットのインカレ本戦が東京都内(一部埼玉県)の複数の会場に分散して行われた。
 
W大学に所属している寺島奈々美は、最初補欠と言われていたものの、1人直前に怪我したため、急遽その選手に代わってベンチに入ることになった。
 
1回戦は実力差のある相手だったので、前半で勝負は決してしまい、おかげで中核選手を休ませるため、奈々美は後半に出してもらった。ところがこの後半の20分の間に奈々美はスリー4本を含む20点もひとりで取りまくり
 
「お前凄いな。次の試合はスターターで使うぞ」
と監督から言われて
「はい!」
と嬉しそうに答えた。
 
もっとも監督の意図としては、下位の試合ではあまり中核選手を疲れさせたくないので、下位試合要員としては使えるのでは、という線である。
 

1日置いて行われた2回戦で、奈々美は一昨日言われた通り、スターターで使ってもらう。そして結局1,2,4ピリオドに出てひとりで30点取り、チーム得点84点の実に3分の1以上を叩きだしてしまった。先日は浮かれていた中心選手たちの顔が、この日は逆に厳しい表情になっていた。
 
翌日の準々決勝では1,3ピリオドに使ってもらい、この日も関西の強豪相手に25点をもぎ取る。総得点の3割を越える数値である。奈々美は敵の中心選手相手に結構良い勝負をしていて、次第にチームメイトの信頼が高まってきているのを感じた。難しい場面でしばしばパスをもらい、それをきっちり決めたのである。
 
25日の準決勝・東京MH大戦は、さすがにベンチスタートになる。ところがこの試合では相手チームが試合序盤に猛攻を掛け、これに対してW大学のスターター間で連携が乱れていきなり10点差を付けられる展開になる。そこで第2ピリオドに「10点取ってこい」と言われて出て行ったが、奈々美はこのピリオドだけでスリー3本とフリースローで11点取り、逆転に成功する。
 
第3ピリオドにそのまま出してもらうが、向こうは何と奈々美に相手キャプテンが張り付く。それでも何とか頑張ってこのピリオドでもスリーとツーポイントを1本ずつ入れて5点を取る。しかしこのピリオドは双方同点になり、1点リードのままである。第4ピリオド、こちらはベストメンバーで突き放しに掛かった。(奈々美はベンチである)ところがここで相手チームは今まで全く出場していなかった1年生・馳倉さんがひとりで12点取る活躍で、こちらが突き放されてしまった。途中から奈々美が出て行き、奈々美は彼女とお互いにマーカーになり、彼女の得点ペースをかなり落とすことに成功する。自らもスリーを1本入れたものの、最終的には2点差で敗れてしまった。
 
試合が終わった時、馳倉さんが奈々美に握手を求めてきた。奈々美も握手に応じ
 
「次は私が勝つ」
と言った。彼女も笑顔で
 
「それまでに私も最初から出られるように体力付ける」
と言っていた。
 
それで奈々美は彼女が最後だけ出てきたのは体力問題だったことを知ることになる。
 
「私も・・・体力付けなきゃ」
と奈々美はひとりごとのように言った。
 
W大学は最終日11月26日の3位決定戦で大阪HS大学にも敗れて4位に終わるが、お正月のオールジャパンの出場権は獲得した。
 
そして奈々美はチーム内での、来年のスターター枠をほぼ手中にした。
 
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【春封】(2)