【春卒】(4)

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試合後は着替えた後、多くの選手が仮眠を取って体力の回復をはかった。
 
そして午後12:40からの決勝戦の相手はローキューツを破ったミヤコ鳥となった。宮古島から出てきたチームである。宮古島の観光開発企業に勤めている人が中心のチームで、宮崎や福岡の強豪校にいた選手が数名入っており、試合前、福岡C学園出身の橋田桂華と手を振り合ったりしていた。
 
試合開始早々相手は超猛攻を仕掛けて来た。
 
フォワードを5人入れるという構成でじゃんじゃんプレスを掛けてくるし相手のいちばん上手い人が千里を激しくマークするので、こちらも精神的な焦りが出て、いきなり16-4 という展開になる。
 
ここでベンチに居た小杉来夢が監督に言ってタイムを取ってもらう。それで選手に一息つかせ、冷静さを取り戻させた。
 
気を取り直して出て行く。点差は考えないようにしてひとつひとつのプレイを丁寧にこなしていく。
 
するとその後は互角の戦いとなり、第1ピリオドは24-12で終了した。
 

第2ピリオドでは夕子/千里/来夢/麻依子/神田リリムという精神的にタフなメンバーで出て行く。相手が少しラフなプレイで挑発してきてもこちらは冷静に対処していく。夕子・千里・来夢・麻依子の4人は誰もが攻撃の起点となれるのでサインプレイで攻撃パターンに変化をつけていく。そして相手の隙があると千里がすかさずスリーを放り込む。
 
それで第2ピリオドは16-20とこちらが優勢に進み、前半は40-32である。
 
第3ピリオド。雪子/渚紗/星乃/暢子/誠美というオーダーで出て行く。これはおそらく千里が抜けた後、4月以降のベストオーダーだ。
 
ここで渚紗が千里が抜けても不安は持たせないぞというアピールをするかのごとく無茶苦茶頑張った。この10分間の間にスリーを3つも放り込む活躍をする。一方で星乃は相手のはやる気持ちをうまく肩すかしを食わせるようなプレイを重ねる。
 
それでこのピリオドを12-17として、ここまでの合計52-49とわずか3点差に迫る。
 

第4ピリオドでは、ポイントガードにチーム最年長の山高初子(岐阜F女子高/ローキューツ/スカイ・スクイレル/関東の実業団数チーム)を起用し、初子/千里/橘花/暢子/由実というメンバーで出て行く。
 
初子はとにかく巧いポイントガードである。雪子とは違った意味で相手にこちらの攻撃パターンを読ませない攻め方を演出していく。この相手のようにパワーで押してくるタイプのチームにはひじょうに効果的に相手のペースをくるわせていく。
 
橘花・暢子は全く違うタイプのフォワードだが、どちらもゴールに対して貪欲である。由実はチーム最年少だがパワーより読みでリバウンドを取るタイプである。自分より背の高い相手センターに勘で競り勝つ。そして千里はスリーをどんどん放り込む。
 
向こうも必死なのだが、勢い的にはこちらが少しずつ押していき、残り5分でとうとう逆転する。
 
ここで監督は初子と橘花を下げて雪子と麻依子を投入する。千里の最後のゲームということで旭川N高校のOGを全員入れ、更に当時N高校と一番競っていたL女子高の麻依子も入れる。
 
これは千里へのはなむけのオーダーである。
 
千里は監督の配慮に感謝し、撃てるチャンスがあったらどんどんスリーを撃っていった。
 

ゲーム終了のブザーが鳴る。
 
スコアボードは 70-77 という点数が表示されていた。
 
千里が近くに居た暢子と抱き合う。麻依子が雪子を抱きしめる。由実は一瞬キョロキョロしてから千里・暢子の所に行って3人で抱き合った。
 
整列する。
 
「77対70で東京フォーティーミニッツの勝ち」
「ありがとうございました」
 
こうして40 minutesは全日本クラブ選手権を2連覇したのであった。
 

下田監督、矢峰コーチ、夕子主将、千里(副主将)、更に次期主将の星乃、次期副主将の麻依子、チーム最年長の初子まで胴上げされた。
 
千里はこの試合で8本のスリーを入れ合計43本という記録を叩き出した。
 
男子の決勝戦を経て表彰式が行われる。
 
優勝カップ、トロフィー、優勝楯、プレートを夕子、千里、星乃、麻依子が受け取り、ウィニングボールは雪子が受け取った。そして全員金メダルを掛けてもらう。
 
千里が金メダルをもらったのは、U18アジア選手権、U20アジア選手権、2012年の全日本クラブ選手権(Rocutes)、そして2015年の全日本クラブ選手権(40 minutes), 2015年アジア選手権に続いて6度目である。
 
6つの金メダルの内3つが全日本クラブ選手権だが、来季からはWリーグに移籍するので、全日本クラブ選手権の金メダルはこれが最後ということになる。
 
千里は掛けてもらった金メダルを触りながら感無量の思いになった。
 

個人表彰では、得点女王はミヤコ鳥のフォワードさん、スリーポイント女王は当然千里、リバウンド女王は誠美、アシスト女王はローキューツの原口紫が取り、本人もびっくりしていた。ローキューツには現在あまり優秀な控えPGが居ないので紫は出場時間がどうしても過度に長くなる傾向がある。そのせいでアシスト数も増えたようである。大会のMVPには千里が選ばれた。
 
表彰式が終わったのが17時くらいで、千里たちは食料品を買い込んでから帰りの福山行きバスに乗り込んだ。22人という人数なので来た時と同様、1台貸切り状態にしてもらった。実はここに江戸娘の青山・六原・足立・六本松の4人も同乗したのだが(つまり26人で乗り込んだ)、
 
「私たちは背景と思っててね」
という青山さんの言葉を受けて遠慮無く車内で祝勝会をさせてもらった。
 
「ビールは2缶までOK」
と解禁して恵比寿ビールを2箱(48本)積み込んだので、お酒好きの暢子が夕子とビール一気飲みをしていた。
 
「なあ、千里もう1本ダメか?」
などと言うので
「じゃ私のを1本あげるよ」
とあげたら喜んで3本目を飲んでいた。他にも数人ビールの「枠」をトレードして3本目行っている子がいた。
 
結局青山さんたちも「まあまあ一緒に」などと言われてビールをもらいおつまみや食べ物ももらって祝勝会に実質参加していた。
 

「千里の送別会はあらためて4月3日・日曜日にするから」
と星乃が言った。
 
「レッドインパルスの方は大丈夫なんですか?」
「うん。許可取った。向こうの歓迎会は4月1日・金曜日にやるらしいし」
「4月4日月曜日は40 minutes運営会社の設立ね」
「4が揃っていて縁起がいいな」
「縁起がいいんだっけ?」
「しあわせ(4合わせ)だよ」
 
「オカマの日だね」
「オカマの選手も歓迎」
「プレオペの人には手術してくれる病院を紹介するということで」
 
「しかし完璧に見た目女の子って人は本人が言わなきゃバレないってのあるよね」
「言えてる言えてる。戸籍なんていちいちチェックしてないし」
 
「4は偶数で陰だから女子チームにも良い数字だと思う」
「あ。午後4:44に登記したら?」
「いや朝1番にする」
 
「設立パーティーとかすんの?」
「そんなお金無いから」
「まあビールとピーナツくらいなら出すよ。来てくれた人には。一応お昼14時と夕方19時に簡単な会を開く」
 
14時は主婦の人、19時は勤め人向けの会である。
 
「よし、ビール飲みに行こう」
「14時も19時も行けばビール2度飲める?」
「酔いつぶれない程度にね」
 
「もっともあの狭い事務所にいったい何人入るかは疑問だけど」
「寿司詰め状態になったりして」
「その時は千里のおごりでお寿司屋さんにでも」
「まあいいけどね」
 
福山に着いた後は新幹線で東京に帰還した。
 

なお40 minutesの事務は元ローキューツのキャプテンである石矢浩子がしてくれることになった。彼女は2012年春に大学を卒業して商社に就職すると共にローキューツを退団したが、次第にバスケに対する情熱が高まり、結局会社を退職して、千葉県八千代市内のファミレスでバイトをしながら、同市内の趣味的なバスケットチームで活動していた。
 
しかしそこがこの年末で解散になったため、またどこかバスケットができる所を探していたという。
 
「浩子ちゃん、選手兼任でいけるよね?」
 
「私、全国優勝するようなチームの選手なんか務まらないよお」
 
と本人は言うが
 
「うちはのんびりやりたい人はのんびりやるチームだから」
「1日の練習は40分すればよいというので40 minutesなんだよ」
「そうだったんだ!?」
 
ということでローキューツ時代の背番号6にちなんで66番で選手登録した。結果的には4年ぶりの現役復帰ということになった。実際彼女はベンチ枠に入るかどうかのボーダーラインの選手たちとけっこう良い勝負をしていた。
 
彼女とはプロ契約はしないものの、事務員(肩書きは総務部長!)としての給料を月額18万円(賞与予定額1.5ヶ月分)払う。
 
「安月給で申し訳無い」
「いや、今までのファミレスの給料より良いしボーナスももらえるなら嬉しい」
 
結局スタート時点で事務所に常駐するのは立川社長、電話番頼むと言われて出てきてくれることになった立川さんの奥さん(当面は無給だが、肩書きは社長秘書!)と浩子の3人ということになった。
 
オフィスは練習場所の体育館近くにあった築65年!?の4階建てマンション(?)の1室を家賃4万で借りた。広さは15m2(約9畳)で、本当に取り敢えず会社の登記場所を確保しただけという感じである。
 

一方ジョイフルゴールドの事務所は母体のKL銀行の三鷹支店内に置かれた。これはジョイフルゴールドの練習場所が三鷹市内の体育館であるからである。社長に就任した藍川真璃子は千里に
 
「幽霊でも会社役員になれるんだね〜」
などと言っていた。彼女は死んだ時に『遺族』が存在しなかったこともあり戸籍が抹消されずに残ったままになっているのである。ただいつまで自分が今のような状態にあるのか分からないので、万一突然消滅したら後のことを頼むと千里は言われている。
 
ジョイフルゴールドも事務は元選手の戸鳴亜耶(旧姓向井)さんが管理部長の肩書きで務める。
 
「苗字が『むかい』から『となり』になったんですか?」
「それ会う人、会う人から言われた」
 
またローキューツの登記上の住所は取り敢えず高倉昭徳社長の御自宅に置き、事務所の確保は少し落ち着いてからにすることになったようである。事務は当面雨宮先生の弟子のひとりで千葉市内在住の女子大生・武雄晴海(たけおはるみ)さんが総務主任の肩書きでしてくれることになった。彼女は高校時代軽音部でキーボードを弾いていた人で年間20曲ほどの曲を書いている。最初は総務部長にすると言われたものの「部長なんて恐れ多い」と言って主任の肩書きになった。
 
「でも私武雄を名前、晴海を苗字と誤解されて、男と思われることよくあるんです」
と本人は言っていた。
 
「性別のまぎらわしい名前は裁判所に申告して変更可能だけど、苗字はどうにもなりませんね」
「いっそ男名前に改名しちゃおうかな」
「性転換するんですか?」
「ちんちんあったら楽しそうだし興味無いこともないけど、男になったらなったで色々大変そう」
 
「性転換したら雨宮先生が凄く喜ぶかも」
「口説き落とされそうで怖い。妊娠しないからいいじゃんとか」
「いや、あの先生そもそも種無しだから妊娠はしない」
「そうだった!」
 
「セクハラが無ければいい先生なんだけどねー」
「でもセクハラが無くなったらあの先生老け込んじゃうかも」
「ああ。本人はセクハラ行為の付属物なんだな」
 

青葉は東京から戻ってきた翌日の3月12日に再び自動車学校に行き普通二輪のコースに入学した。
 
春休みの間にバイクの免許を取っておこうという計画である。実は税金を払うための資金を千里から少し余分に振り込んでもらったので若干の資金の余裕があるのである。
 
既に普通免許を持っている場合、必要な教習時間は第1段階が実車9時間、第2段階が実車8時間+学科1時間なので卒業検定まで入れて9÷2+8÷3+1=9日間で卒業することができる。
 
青葉はこれを順調にクリア。連休明けの3月22日に卒業検定を受けて合格、翌日23日には運転免許センターに行って普通二輪の免許を取得した。
自動車学校への通学や運転免許センターに行くのも自分のアクアを使ったが
 
「凄い色の車が駐まっていると思ったら君のか」
と親しくなった教官から言われた。
 
なお夏に普通免許を取りにいった時は性別問題で揉めた(?)ものの今回は
 
「あら、あんた今度は二輪を取るのね」
と言われただけで、ふつうに性別男の書類を通してもらい、免許センターでも
 
「フルビットに向けて順調に進んでいるね」
とだけ言われた。
 
それで青葉は原付・小特・普通の免許がセットされたブルーの免許を返納して代わりにそれにプラス「普自二」の免許まで入った新しいブルー免許を受け取った。有効期限は今までの免許と同じ平成30年6月22日である。
 
(免許の種別表示は紛らわしいが「普自二」が普通自動二輪で、「普二」は普通二種である。なお二種は普通免許を取ったあと3年以上経過しないと取得できない)
 

青葉が自動二輪の教習に行ったのが3月12日から20日までだが、教習が終わった翌日の21日には明日香たちと一緒にKARIONの金沢公演に出かけた。人数も7人だし、会場には駐車場が無いので素直に高速バスで金沢駅まで行き、シャトルバスで会場入りした。その前日20日に美由紀が受けた美大の合格発表があっていた。
 
「美由紀の美大合格祝いも兼ねて行こうよなんて言ってたんだけどね」
などと明日香は言っている。実際には「残念会を兼ねて」などと言いながら計画したのだが、明日香もなかなか調子が良い。
 
「悔しいなあ。けっこういい出来だと思ったし、面接の感触も良かったのに」
と美由紀。
「きっともっといい出来の人がいたんだよ」
と世梨奈。
「入試って絶対評価じゃなくて相対評価だからね」
と星衣良も言う。
 
シャトルバスを降りて会場の方に歩いて行っていたら今回はサマーガールズ出版の秋乃風花さんが通り掛かる。
 
「川上さん、こないだはごめんねー」
と声を掛けてきた。
「いえ。もうインフルエンザはもう大丈夫ですか?」
「うん。一週間寝込んだけどね」
 
それで秋乃さんが「時間あるし、楽屋においでよ」というので、結局また7人で楽屋に行く。
 

「なんかいつもこのパターンで楽屋にお邪魔している気がする」
と美由紀。
「川上さんなら、KARIONやローズ+リリー、槇原愛、スイート・ヴァニラズあたりのライブには顔パスで楽屋に入れますよ」
と秋乃さんは言っている。
 
「スイート・ヴァニラズさんの楽屋に行くと、色々可愛がられそうで怖いです」
「確かに確かに」
「ケイさんはキスを奪われたと言っていたな」
「ああ。光帆さんもキスを奪われたらしい」
「槇原愛はバージン奪われそうになって必死で逃げたという噂が」
「バージン奪われるものなの!?」
 
「エリゼさんは酔ってない限り女の子襲ったりしませんよ」
「男の子なら大丈夫だけどね」
「なんか怖い話を聞いた気がした」
 

「おはようございま〜す」
と言って楽屋に入っていく。
 
「おお、可愛い女の子が7人も来た」
と海香さんが言う。
 
「あ、性転換した元TAKAOさんですか?」
と明日香が言う。明日香はこの手の情報はつかむのが速い。
 
「そうそう。女になっちゃったけど、よろしくね〜」
などと海香さんは言っている。
 
「え?性転換なさったんですか?」
とこの話をまだ知らない星衣良が訊くが
「まあ詳しいことはステージで」
などと隣で小風が言っていた。
 

唐突に和泉が言った。
 
「青葉ちゃん、来たんならサックス吹いてくれない?」
「え〜〜!?」
 
「『月に想う』を演奏曲目に入れようよ。ねえ、蘭子」
「ああ、いいかもね。じゃ青葉よろしくー」
「私サックス持って来てないです」
「備品で持って来てるよ。マウスピースはいつも何個か予備があるし」
 
「でも三重奏ですよね? 私とSHINさんともうひとりは?」
「蘭子が歌いながら吹く」
「歌いながらですか!?」
 
「まあいいよ。三重奏になる部分は歌が無いから。自分のウィンドシンセは持って来ているし」
と冬子は言っていた。
 
「蘭子は以前別のバンドの演奏会でクラリネットとグロッケンシュピールを同時に演奏したこともある」
と和泉は言う。
 
「すごーい」
 
「いや、あれは本番中にグロッケンの担当者が怪我して、苦肉の策だったんだよ。『くるみ割り人形』の『金平糖の踊り』なんだけど、バスクラリネットとグロッケンシュピールは掛け合いで、同時には音を出さないから出来た」
と冬子。
 
「蘭子さんって、そういう非常事態に物凄く強いみたい」
と青葉が言うと
「それって一種の才能だよね」
と小風が言う。美空も青葉を見ながら
「醍醐春海さんなんかも圧倒的にやばい時に強い」
と言う。
 
「あの子は誤魔化し方も巧いんだよ。その辺りが私は下手なんだよね」
と冬子は言っていた。
「醍醐さんは自分は90%がハッタリだからと言ってた」
と美空。
 
「でも逆に実力はあっても見せ方の下手な人は評価されないですよね」
と日香理が言う。
 
「そうそう。人はいかにも自信があるかのような言い方すると結構信用する」
と美空は言っていた。
 
すると金沢名物笹寿司をひたすら食べていたマリが唐突に発言した。
 
「男の娘も多少外観自体に問題があっても、堂々と女の子ですって顔してれば誰も男だとは思わないよね」
 
「うん、それは女装の基本だよ」
などとなぜか海香さんまで言っていた。
 

『月に想う』を入れる件は、すぐに男性用控室に居る黒木さんに連絡を取って了承を得た。この曲は途中の休憩をはさんだ後半の先頭に入れることにしたので、青葉は休憩時間になった所で客席から抜け出してバックステージに行き、その1曲だけ演奏に参加した。
 
青葉たちはライブ終了後「お疲れ様言いに行こうか」と言って再度楽屋に行った。すると「おお、若くて元気そうな子が7人も」と三島さんから言われ、撤収作業を手伝うことになる。それで作業が終わった所で「あんたたちも良かったら、ついでに打ち上げにおいで」と言われ「タダなら行きます」と言って、市郊外の焼肉店に行った。
 
「結局妹さんだったんですね。本当に性転換なさったのかと思ってびっくりした」
と星衣良。
 
「でも私ギターの演奏が男らしいと言われて、実は性転換した元男じゃないの?ってよく言われるのよね」
と海香さんは言っていた。
 
「他のバンドにおられたんですか?」
「1年くらい前までは友人で集まって作ったバンドやってたんだけどね。みんな仕事が忙しくて自然消滅という感じ」
「ああ」
 
「お仕事とかはなさってなかったんですか?」
「私は大学院生なんだよ」
「おっ、すごい」
「だから学校を出るまでは一応学業優先にしてもらう約束」
「なるほどー」
「どちらの大学ですか?」
「調布市のD大学」
「あ、なんか凄い」
 

「みんな進学先は決まったの?」
と小風が青葉たちに訊いた。
 
「私と山田(星衣良)が金沢市のK大学、田中(世梨奈)と鶴野(明日香)が同じ金沢市のH大学、石井(美由紀)は同じくG大学、寺島(奈々美)は富山市のT大学、大谷(日香理)は東京の東京外大です」
と青葉は説明する。
 
「東京とか大阪とか出てくるのは1人だけですか?」
と花恋が訊く。
 
「私は関学にも合格したんですけど、親が同じ私立なら地元に行けと言うし」
と明日香。
「関学って関東学院?」
「いえ、関西(かんせい)学院です」
「あ、そちらか」
 
「青葉も東京の△△△大学に通ったんでしょ?」
「いや、私は先にK大の合格が出たから△△△大学は受けなかった」
「私立の入試より早く決まったんだ!」
 
「私も東京のW大学にも合格したんですけど、地元の国立のT大学に通(とお)ったから、お金も無いし、地元の方に行こうかと」
と奈々美。
「奈々美はW大学ならバスケ強いから良かったのにね」
と明日香が言う。
「うん。大学よりむしろW大のバスケ部に入りたかった」
 
「ああ、バスケするの?」
「この子インターハイにも行ったんですよ」
「すごーい」
 
その時海香が言った。
「奈々美ちゃんって簿記できる?」
「あ、えっと一応日商簿記の2級取りましたけど実務はしたことないです」
「2級なら凄いじゃん。英語は?」
「英検の2級は取りましたけど、あまり自信は無いです」
「運転免許は?」
「大学に入ってから夏休みに取りに行こうかなと言ってたんですが。入試でお金使い果たして今お金が無いので」
 
「うーん。その辺はまあいいかな。奈々美ちゃん、お料理は上手い?」
「お料理ですか? えっと、あまり上手いとまではいえませんけど」
と本人は言ったが
 
「奈々美はすぐお嫁さんに行ける程度に料理しますよ」
と世梨奈が言う。
 
すると海香さんが言う。
「ね、ね、だったら物は相談だけど、奈々美ちゃん、私と同居するつもり無い?」
 
「え〜〜!?」
 
「もしかして食事作る係ですか?」
「それと旅館の東京事務所のバイト」
「それ何するんですか?」
 
「うちの実家で旅館やってて、孝郎がこないだ新社長になったんだけどさ。いろいろ広報活動するのに東京事務所を作ることにしたのよ」
「へー!」
 
「旅館自体も施設を拡充させる。今築50年の古い建物使っているから、取り敢えず鉄筋コンクリートの新館の建設を決めた」
 
「凄い」
「テレビでこんなに報道されたりして絶対客が増えるからと言って銀行から融資を取り付けたんだよ」
「頑張りますね」
「夏休みに間に合わせるから」
 
「間に合うんですか!?」
 
「ユニット工法なんだよ。80%は工場で作られて現地では組み立てるだけ。それと実は新館建設の計画は5年前にもあって基礎工事までした所で施工していた工務店が倒産して放置されていた。調査してもらったらその基礎が再利用できると出たんだ。だから地上だけ積み重ねればいいから、今の所、7月上旬に完成させられると言ってる」
 
「手抜き工事になりませんよね?」
「兄貴が目を光らせているから大丈夫じゃないかなあ。それで私、その東京事務所の所長に突然予告無しに任命されちゃって。金曜日にいきなり名刺郵送してくるんだよ」
 
「あはは」
 
「東京事務所のお仕事としては広告関係を雑誌社とかに流したり、時には取材に応じたり、大口の予約の交渉に行ったりすること。まあそういう営業くらいは私がやるつもり。でも事務所に常駐できないからさ、私の友人を日中の留守番・受付と電話番として月2万で雇うことにしたけど、彼女、簿記は自信が無いというのよね」
 
「月2万ですか!?」
 
「予算があまり無いのよ。それで誰か簿記をやってくれる人を探してた。給料月2万で」
 
「それも2万なんですか!?」
 
「それと私、料理が全然できなくてさ。今も外食とインスタント・レトルトばかりなんだよね〜。でも院生やりながらトラベリング・ベルズもして、更に東京事務所までやったら、食糧を買い出しに行く時間も無くなるなと思って。それで、学生さんでいいから泊まり込みで食事を作ってくれる人で、簿記もしてくれたらいいなとか昨日あたりから考えてたのよね。食事係もしてくれるなら月3万払ってもいい」
 
「ほほぉ」
 
「場所は神田の一角のマンションの2階。家賃が50万円もしたらしいけどさ、兄貴がこういうのは少し高くても山手線の中に作らなきゃいけないって」
 
「お兄さん、商売のこと分かってますよ」
「でも人件費は無いんだ?」
「人件費は実はゼロ」
「え〜〜!?」
「だから私の友人の金子ちゃんという子に払う給料も、奈々美ちゃんに払う給料も私のポケットマネーで」
「わっ」
 
「実際には借りたマンションの表半分を事務所として使い、裏半分は私の住居にする。今私調布市内の安アパートに住んでいるんだけど、そこを引き払って引っ越しする。ちょっと大学に通うには不便なんだけどね」
 
「いや朝夕の移動方向が大半の人と反対だから何とかなると思いますよ」
「逆にトラベリング・ベルズをやるのには便利なんだ」
と言っていると、少し離れた所で冬子・川原姉妹と話していた和泉が
 
「そこ私のマンションからも近所なんだよ。良かったら私も御飯食べに行かせて」
などと声を掛けてきた。
 
「いづみさん、お料理は?」
「私、インスタント・ラーメン作るのは上手いよ」
「その程度か!」
 
「新しく借りるマンションは元々が3LDKで、LDK部分を事務所にするから部屋は3つあるんだよ。だから最低限のプライバシーは確保できる。まあ裸になってる所見ちゃったら愛嬌ということで」
 
「女同士ならいいんじゃない?」
と美由紀。
 
「万一、ちんちん付いてるの見た時はその場限りで忘れるという協約で」
「おちんちん付いてるんですか!?」
「その付近は個人情報で」
 
「でも私、W大学に行ってバスケ部に入ったら、毎日練習で遅くなると思うし、土日は試合に出ていると思いますよ」
と奈々美は言う。
 
「うん。事務所の留守番は私の友人の金子聡子(かねこさとこ)って子がするから、奈々美ちゃんはバスケの練習から帰ってきてから、レシートとか電気代の請求書とかを見て弥生会計に入力してもらえばいい。あと支払い関係や資金移動のための銀行回りを頼むかも。これは昼休みか講義の空いてる時間に」
と海香さん。
 
「それなら何とかなるかも」
 
「奈々美、これ凄いチャンスだよ。東京行っちゃいなよ。それでバスケでインカレとかオールジャパンに出なよ」
と明日香が煽る。
 
「ほんとにちょっとお母ちゃんと相談してみようかな」
と奈々美は心が動いているもよう。
 
「でもまあ多分それ以外にも色々雑用が出てきますよね?」
と星衣良が言う。
 
「うん。多分出てくる。実際には、きっとブラック企業並みになる可能性ある。ただバスケは全てに優先させていい」
と海香さん。
 
「いや、この条件でバスケは保証してもらえるなら、少々きつくてもやりますよ」
と奈々美。
 
「奈々美、今ほとんど大学の勉強はする気無くしてるね?」
などと美由紀から言われている。
「まあそれは留年のしすぎで退学にならない程度に」
と奈々美。
 
「何なら私が今日明日にでも君の御両親と会って話をしようか?」
「はい、お願いします!」
と奈々美は笑顔で言った。
 
青葉は今、物凄い運命の転換が起きていることを感じていた。そしてこの日の出来事が、数年後の日本代表スモールフォワード・寺島奈々美を生み出すことになるのである。
 

「今は調布市内のアパートですか?」
と明日香が何となく訊いた。
 
「うん。調布飛行場の滑走路の延長線上にある。更にすぐ近くに中央高速も通っているし、京王線の線路もあるし。騒音が24時間絶えないけど、逆におかげでギターを掻き鳴らしても全く苦情が来ない」
 
「あ、それはいいかも」
 
「そういう騒音の凄い場所だから家賃が5000円なんだよ」
「そんな安い家賃のアパートがあるんですか!?」
「築70年だし、1K・風呂無しだし」
「70年って凄いですね!」
「うん。終戦の年に建築された」
「すごーい」
 
「雨漏りとすきま風は愛嬌だけどね。今回はその家賃5000円の所から50万円の所に引越。家賃がいきなり100倍。もっとも今度のマンションの家賃は会社の経費で落とされるから、私が払う訳じゃないけどね」
 
「その調布のアパートは解約ですか?」
「引越がすぐできないから6月くらいで解約しようかと思ってる」
 
その時、青葉は唐突に思いついた。
 
「調布飛行場のそばだったら、それって東京外大にも近いですよね?」
「東京外大ってどこにあるんだっけ?」
と海香。
「その調布飛行場の隣です」
「おっ」
 
それでスマホで地図を開いてみると、どうも海香の現在のアパートから外大まで2kmほどであることが分かる。
 
「ね、日香理、このアパートを海香さんに代わって借りたら?」
と青葉は提案した。
 
「私も5000円の家賃は魅力的と思った。私、騒音は平気ですよ。いや実は親とかなりやりあった末に東京に出て行くこと認めてもらったから、生活費も学費も自分でバイトして稼ぐ約束なんですよ。奨学金は受けるけど、正直東京は家賃も高いし何のバイトしようと思ってたんです」
 
「あ、だったらこのアパート解約せずにそのまま、日香理ちゃんが入居してもいいよ。取り敢えず女性用アパートで男子禁制なんだけど、日香理ちゃん、女の子だよね?」
 
「性別検査を受けたことはないけど、自分では女のつもりです」
 
「だったらいいね。契約はそのままにしておいて私の口座から引き落とすから、日香理ちゃんは私に家賃を払ってもらえばいい。ここ新たな契約はできないはずなんだよ。都市計画か何かに引っかかっているから。5年後くらいには解体される予定」
 
「5年後なら卒業までもつじゃん」
 
「あれ?東京外大なら、日香理ちゃんもしかして英語得意?」
「この子は英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・ロシア語行けますよ」
「中国語と韓国語は?」
「韓国語は大丈夫です。中国語は北京語だけなら」
「それで充分。だったらついでに、外国とかから旅館のことで問い合わせがあった時に対応してもらえたりしないかな?転送電話で日香理ちゃんの携帯に飛ばして。それなら家賃タダでいいよ」
 
「授業中以外ならやっていいです」
「うん、もちろんそうする」
「海香さん、お仕事もしてもらうならバイト代払いましょう」
「うーん。じゃ月1万で。もし実際の対応件数が多そうだったら後日相談」
「それでいいです!」
 
それで結局、海香さんの新しいマンションに奈々美が同居し、今住んでいるアパートに日香理が住むことになったのである。
 

KARION公演の翌日、3月22日、青葉は午前中は自動車学校で自動二輪の卒業検定を受けて合格したのだが、その日の午後に今度は大特のコースに入学した。
 
「あんた忙しいね!」
と言われた。
 
「あら大特なんだ。先に中型とか大型取らないの?」
「準中型の創設までは取れません」
「なるほどー!」
「それに中型は20歳以上だし」
「あんた23歳くらいじゃなかったっけ?」
「すみません。18歳です」
「ごめんなさい!」
 
大特は普通免許を持っている場合は第1段階3時間・第2段階3時間の学科無しで、わずか3日で教習を終えることができる。それで青葉はこれを22日から24日までの3日でクリアする。23日は午前中運転免許センターに行って自動二輪の免許を取得し午後からは自動車学校に行って教習を受けている。途中で所有免許証が切り替わったので、新たな免許を自動車学校には提出しなおした。
 
そして結局3月25日に卒業検定を受けて合格し、休み明けの3月28日に再度運転免許センターに行って、5種類の免許がセットされた新たな免許証を受け取った。つまり4種類セットされた免許証はわずか5日間しか使用しなかった。
 

3月25日(土)、千葉市。この日千葉ローキューツの面々は市内のファミレスに集まり、全日本クラブ選手権で銅メダルを取った祝賀会を開いていた。今期限りで退団する数人の選手の送別会も兼ねていた。そしてこの席で薫は正式に主将を退任したいと語り、後任の主将には愛沢国香が満場一致で選ばれた。副主将は揚羽のままである。国香はチーム最年長・最古参である。
 
「逃げようと思っていたんだけどなあ。逃げそこなった。一時期幽霊部員になっていたのが全日本クラブ選手権に出ると聞いて最近練習に参加していたのが命取りになった。でもベンチウォーマー主将になりそうだけど」
などと国香は言っていた。
 
「それは私が高校時代やってましたから大丈夫です」
と揚羽副主将。
 
「まあ私は主将は退任するけど選手としてはもう少し頑張るから。コーチ兼任になるけどね」
と薫。
 
谷地アシスタントコーチが母校のバスケ部監督への就任を要請され、地元に帰ることになり、薫が当面アシスタントコーチを兼ねることになった。彼女は実際元々参謀向きの性格である。
 
「しかし2014年は全日本クラブ選手権を制したけど、2015年はベスト8、今年は3位。また優勝したいね」
 
「40 minutesとかセントールがいる限りなかなか厳しい。40 minutesは千里が抜けても実質プロ中堅レベルのチームだし、セントールは事実上実業団だし。江戸娘もスポンサーがついたことでこの1年有力選手の離脱が無くなって、かなり戦力が底上げしている」
 
と薫はしっかりとした戦力分析を言う。
 
「4月からの新戦力として期待できる人は?」
「旭川L女子高を今年卒業してこちらに入ってくれる黒川アミラは即スターターだと思う」
と揚羽が言う。
「旭川N高校の志村美月も狙っていたんだけど、彼女は結局W大学に進学するということで」
と揚羽は補足する。
 
「アミラちゃんは私の後任のスモールフォワードで」
と薫。
 
薫は旭川N高校時代はパワーフォワード登録だったのだがローキューツではスモールフォワードの人材が少なかったのでスモールフォワードということにしていた。もっとも主将の愛沢国香もスモールフォワードなのだが国香は自分がスターターになる気は毛頭無い。
 
「アミラって変わった名前ですね」
「フランス人とのハーフなんだよ。国籍は日本だから問題無い」
「ハーフなら身長も高いですか?」
「184cm」
「凄っ!」
 
「インターハイでも彼女の力で旭川L女子高はBEST8まで行ったからね」
「おお、期待しよう」
「そんなに背が高くてセンターじゃないんですか?」
「彼女は勘が悪くてほとんどリバウンド取れないんだよ。逆にパスとかスリーは上手いし器用だから性格的にスモールフォワードなんだ」
「やはり体格より性格なのね」
「まあジャンプボールはやってもらうけどね」
 
「ということは来期のスターターは紫/ソフィア/アミラ/翠花/揚羽という感じかな」
 
「ガードの控えが欲しいよね」
と現在紫のバックアップ・ポイントガードをしている松元宮花が言う。
 
「あんたが頑張ればいい」
とみんなから言われている。
 
「いやパスが下手なポイントガードは使えない」
と本人。
「練習すればいいのに」
「なかなかその時間がなくて」
 
彼女はフルタイムの企業に勤めていて残業も結構あるので平日の練習にはほとんど参加できていない。
 
「会社辞めてプロ契約するとか?」
「私のレベルでは、とても食っていける水準の給料もらえないですよ」
と宮花。
 
「どうなんですか?社長?」
と高倉さんにソフィアが振ると
 
「うん。彼女の実績なら月4万8千円の契約になるかな」
と高倉さんは何かのファイルを確認して言った。どうも全選手の査定を一応しているようである。
 
「あぁ・・・」
「それではさすがに食べていけない」
 

3月25日(金)。空帆は朝から母と一緒に新幹線で東京に出てきてアパートを探していた。本当はもっと早く来たい所だったのだが、契約すると敷金などを払わなければならないので、父の給料日まで待っていたのである。
 
大学が目黒区内なので、できれば近い方がいいのだが、さすがに大学周辺は高い。7万とか8万とかいう物件ばかり見て、とても払えん!と言って、いったん目黒駅まで戻り、マクドナルドに入って作戦を練り直す。
 
東京の地図を見ながら
「これやはり電車での通学を考えた方がいいよ」
などと話し、どのあたりまで離れたらどの程度の相場か、駅ごとにスマホで賃貸情報の相場を確認する。
 
なかなか良さそうな物件は見つからないが、もう新入生の行事は週明けから始まってしまう。「どうしよう?」と言っていた時、マクドナルドに日香理と他に女性3人が入ってくる。女性3人の内1人はKARIONの和泉だ。
 
空帆は昨年3月のKARION金沢公演の時、テレビ局の人と『ハイスクール・ロッカー』に使用する音楽について打ち合わせた時、和泉にも会っている。それで会釈したのだが、日香理がこちらにやってきた。
 
「空帆ちゃんのお母さん、こんにちは。うっちゃん下宿先決まった?」
「いや、それが高くてとても借りられん!どうしようと言っていた所でさ」
「区内とか無茶苦茶高いみたいね。でもあまり遠距離から通うと今度は交通費が高く付く」
「だよねー」
 
そんなことを言っていたら、和泉まで寄ってくる。
「清原さんだったよね? 東京に出てきたの?」
「はい。東京工業大学に入ります。今日はアパート探しで」
「アパート探しって、もうかなり日にちが逼迫してるのでは?」
「そうなんですけど、父の給料日の後でないと無理だったので。入学金でお金使い果たしてしまったから」
「ああ、そうだよね!」
 
そんなことを言っているとあと2人の女性もこちらにやってくる。相沢海香と寺島奈々美なのだが、空帆はどちらとも面識が無い。
 
「あ、海香さん、こちら川上青葉と同じ高校を出た清原空帆。『黄金の琵琶』の共同作曲者です」
と日香理が空帆を紹介する。
 
「お、すごい!」
「あ、いえ。本当はうちの祖母が即興で作ったんですけど、印税は私がもらっていいと言われてもらっちゃいました」
 
「でもテレビアニメの『ハイスクール・ロッカー』の音楽担当しているし」
「それって凄いじゃん!」
「いや、高校生っぽく未熟な作曲者を探していたら私に当たったという話で」
 
「ね、君、住む所探してるの?」
「はい」
「大学はどこ?」
「目黒区の大岡山なんです」
「まさか東京工業大学?」
「はい」
「すごーい!才媛じゃん」
「そ、そうですか?」
 
「ね、君、料理得意?」
「あ、取り敢えずカレーとかおでんは作れますけど」
「充分充分。運転免許持ってる?」
「はい。夏休みに取りました」
 
「だったらうちに下宿しない?」
 
「へ?」
 
すると奈々美が説明する。
「私、青葉や日香理の中学の時の同級で寺島奈々美です。海香さんちは神田のマンションなんだけど、マンションの表半分が事務所で裏半分が住居。3LDKだから3部屋あるのよね。そのうち1部屋を海香さん、1部屋を私が使うんだけど、もう1部屋空いてるねって話してたのよ」
 
「もしかしてそこに入れてもらえるんですか?」
「うん。住み込みで、私の運転手兼食事係してくれたら、家賃タダ、給料月2万という線でどう?作曲やるんなら私の機材も使っていいよ」
 
「月2万ですか!?」
と空帆の母が半ば呆れぎみに訊く。
 
「いや、家賃8万くらい掛かる所をタダにしてもらって2万もらえるなら、悪くないと思う」
と空帆は言う。
 
「あ、でもすみません、音楽関係のお仕事の方ですか?」
と空帆は海香に尋ねた。
 
「KARIONのバックバンド、トラベリング・ベルズのギタリストだよ」
と日香理が説明する。
 
「あれ?ギターの人って男の人じゃなかった?」
「うん。性転換したんだ」
と海香。
「あ、そういうのもいいですね。蘭子さんも性転換してるし」
と空帆。
 
「うん。今の時代、性別なんて自分で決めればいいんだよ。あと奈良の山奥の旅館の東京事務所を作るんだ。それで神田のマンションを借りたんだよ」
などと海香は言っている。
 
「なるほどー!」
「スタジオとかに行く時や、旅館の方の仕事で営業に出る時の運転手をしてもらえると助かる。学業に支障の無い範囲で」
 
「でも寺島さんは?」
 
「私は食事係兼経理担当。でも私、バスケットをするから練習で夜は遅いし、土日は試合とかで、ほとんど出ているのよね。だから夕食と土日の食事を作ってくれると助かる」
 
と奈々美は言っている。
 
「あと多少の雑用」
「多少なのか多大なのかは微妙」
 
「やります!」
と空帆は明るく言った。
 

青葉は3月28日に富山市の運転免許センターで大特の免許を取った後、そのまま金沢市まで北陸自動車道を走り、K大学に行った。これは自分のETCカードを使っての初高速となった。
 
この日は大学でパソコンのセキュリティ・チェックを受けることになっていた。大学の講義などでノートパソコンを使用するので、そのセキュリティ状況の検査を受けないといけないのである。青葉は怪しげなソフトは絶対にインストールしないし、ウィルスバスターを入れているので、問題無く合格となった。
 

3月31日(木)夕方、川崎市の舞通体育館でレッドインパルスの今年度の締めの会が開かれ、今年度で退団する選手の挨拶があった。
 
翌4月1日(金)午後には、同じく舞通体育館で新年度の始めの会が開かれ、新入団選手の紹介と挨拶も行われた。千里も新入団選手として紹介されたが
 
「去年既に居たよね?」
「いや7〜8年前から居たような気がする」
 
などと言われた。他の新入団選手としては関東大学リーグの常勝チームK大学卒業の小松日奈(センター/ユニバーシアード2015代表候補)、札幌P高校/神奈川県J大学出身の久保田希望、千里と同じ旭川N高校出身で昨年まで実業団チームに居たもののチーム事情で退団した黒木不二子、そして同じWリーグのブリッツ・レインディアから移籍してきた鞠原江美子、などがいる。不二子の加入は同じ高校の出身者として千里も心強い気分だったし、江美子は出羽の修行仲間である。
 
この日の練習から早速参加してもらったが、ベテラン組中心のAチームと新入団選手や2軍からの昇格選手中心のBチームで紅白戦をしようということになった時、千里はベテランチームの方に入れられてしまう。
 
「私、新人ですよぉ」
と千里は言ったが
「いや、このチームの主(ぬし)のような顔してるからベテラン組」
などと言われてしまった。
 
この日千里はBチームの江美子とマッチアップしたが
「そこの2人の対決すげー!」
とベテラン選手たちが言っていた。
 

4月3日(日)には江東区内の飲食店で40 minutesで千里の送別会兼新入団選手の歓迎会が行われた。今期の退団者は千里のみである。
 
「まあこの1年1度も顔を見なかった選手もいるけど、本人から退団の申し出がない限りは在籍選手として数えるということで」
「バスケ協会の会費はこちらでまとめて払っておくし」
「千里も選手としては退団するけど、運営会社のオーナー・会長としてチームには残るから本当は送別会も必要無いんだけど」
 
新入団選手としては、運営会社の総務部長兼任で選手としても登録されることになった石矢浩子、元江戸娘の上野万智子、元ジョイフルゴールドの門脇美花、そして札幌P高校出身の松山聖子(旧姓宮野)が新キャプテンの竹宮星乃から紹介される。
 
「あのぉ、歌手さんではないですよね?」
「それは松田聖子。私が歌を歌うとジャイアンも卒倒するよ」
と聖子。
 
彼女は関東の強豪校・K大学を出た後、2年間Wリーグのトップチーム・サンドベージュで活動した。しかし強豪チームなのでさすがの彼女もほとんど出番が無かった。それで退団して昨年5月に結婚したのだが、結婚して半年もするとバスケがやりたくてやりたくてたまらなくなってしまった。そこで1月頃から近所の体育館で個人的に練習していた所を旧知の暢子が見つけて勧誘したのである。
 
「すごーい!インターハイとウィンターカップを制したチームの副主将?」
 
「聖子ちゃんは実質主将だったよ。名目上の主将の玲央美が日本代表で忙しかったし、そもそも主将の仕事をする気が全く無かったから」
と千里は補足する。
 
「そんな凄い人がうちみたいなチームに?」
 
「いや。このチームも充分凄い。でもインターハイやウィンターカップなんてただの過去の栄光だよ」
と本人は言っている。
 
「新婚さんなんですか?旦那の世話はしなくてもいいの?」
「放置。離婚されたらされた時だし」
「偉い偉い」
「私も最近晩御飯全然作ってなーい」
 
「でも私が新入団選手の中で最年少なんだ!?」
と聖子。
「まあうちは姥捨て山だからして」
とやはり旧知の麻依子が言っていた。
 
「これで登録選手数は39名になった」
「一度全員を見てみたいね」
 
この日出席していた選手は千里も含めて26名である。それでも「うちにこんなに選手いたっけ?」という声が出ていた。
 
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千葉市内の体育館。
 
原口揚羽・紫の姉妹がその日練習に出ていくと、チームのメンバーはまだ誰も来ていなかったが、誰か見知らぬ女性が黙々とシュート練習をしていた。
 
前の時間帯を借りていた人かなと思い「どのくらい使いますか?」と声を掛けようとしたのだが、揚羽は声を掛けられなかった。そして紫とふたりで彼女のシュートをじっと見ていた。
 
5分くらいそうしていた時、彼女の方がこちらに気づいた。
 
「すみません。時間オーバーしちゃったかな。もうあがりますね」
 
「あ、いや。まだ大丈夫ですけど、すみません。どちらのチームの方ですか?」
 
「私どこにも所属してないんですよ。中学時代はバスケやってたんですけど、高校3年間は何もしてなかったんです。でも年末にウィンターカップをテレビで偶然見て急にやりたくなって。でも私が入った大学、女子バスケ部は無いみたいなんですよね。それで受験が終わった後、バッシュと安いゴム製のボールだけ買ってこないだから少し練習していたんですよ」
 
「バスケ部無いんだったら、うちに入りません? うちクラブチームだから女性なら誰でも、学生さんでも入れるんですよ。えっと女性ですよね?」
と揚羽は彼女に言った。
 
「あ、たぶん女じゃないかなあ。あまり自信無いけど。でも、とてもチームとかに入って使い物になるレベルじゃないですよ」
 
「そんなことないです。凄く上手いと思った。あの、お名前は?私、原口揚羽です」
 
「須佐ミナミです」
「須佐さん、もしよかったらとりあえず練習、一緒にしません?ひとりじゃパス練習とかにも困るでしょ?」
 
「そうですね。じゃ取り敢えず練習に出てみようかな」
 

4月2日(土)、青葉は朝から星衣良を乗せて一緒にK大学のキャンパスまで行った。この日は午前中に法学類・新入生女子の健康診断が行われるのである。受付のところで伝票と紙コップをもらい、採尿のためトイレの方に行こうとしていたら、同じ法学類に入学する吉田君がやってくる。
 
「吉田君、なぜここに来る?」
「え?健康診断と聞いたから」
「今日の午前中は女子だよ」
「あれ?そうだったっけ」
「それとも吉田君、性転換した?」
 
「性転換したつもりはないけど」
 
念のため吉田君は受付の人の所で名前を言うと
「男子は午後からになっています」
と言われている。
 
「やはり男子として登録されているようだ」
「じゃ午後からまたおいでよ」
「また出てくるの面倒だな。学内の見学でもしてるか」
「いいけど、ここには居ないでよね。女子の健診してるから」
「それとも性別変更届け出して女子として受診する?」
「おっぱい無いから無理かも」
 

なお医学類のヒロミは4月6日のやはり午前中に健康診断を受けたらしい。
 
「受験の時に徹底的な検査受けたのに、また受けたんだ?」
「うん。でも検査項目が全然違ってる感じだった。前回は心電図とか胸部レントゲンとか取ってないし」
 
青葉たちはその日の午後、杜の里のイオンでおしゃべりしていた。
 
「まあ心電図は性別には関係無いよなぁ」
「でもまわりがみんな女の子で緊張した」
「そりゃヒロミを男子と一緒に健康診断受けさせるわけにはいかないもん」
「そっか。高校時代はヒロミ、身体測定は1人だけ別に受けてたね」
 
「うん。今回、もし私がたとえば胸はあるけど、まだおちんちん付いてるとかだったら、やはり1人だけ別扱いになってたのかな」
 
「ああ、そうかもね」
「性転換手術済みなら、もうふつうに女子と一緒でいいもんね」
 
「青葉は中学の時健康診断とかどうしてたんだっけ?」
「中学1年の春はまだ女子でないことがバレてなかったから女子と一緒に受けた」
「ほほぉ」
「でもその後でバレたから、1年の2学期と3学期は1人だけ別に計られた。でも2年生からは女子生徒扱いだったから、また他の女子と一緒になったよ」
「なるほどー」
 
「性転換手術前でも女子と同じ扱いで問題無いのが青葉の凄い所だ」
などと星衣良は言っている。
 
そういえばちー姉は中学や高校の身体測定とか、どうしてたんだろう?と青葉は思った。訊いても正直に言いそうにないしなあ。さすがに大学の健康診断は女子と一緒だったんだろうけど。あれ?でもそのあたり桃姉にはどうやってごまかしてたのかな??
 
「あ、そうだ。吉田だけどさ」
と星衣良が楽しそうに言う。
 
「うん?」
「こないだの健康診断の日、午後からまた保健センターに行ったら、女子は午前中で終わりましたと言われたらしい」
 
「なぜそうなる?」
「自分は男子ですと言ったら性転換したんですか?と言われたと」
 
「あいつは意外に性転換しても女として生きていける気がする」
と杏梨。
「ああ、いけるいける。順応性ありそうだもん」
 
「元から男子で性転換もしていませんと主張して、まあ見た目が男だしいいかということで健診受けられたらしいけど、健診シート上の性別は女になっていたらしい。あとで学生課で相談すると言っていた」
と星衣良。
 
「きっと女子の健診の時間帯に来て受けようとしたから、その時に何かのミスで性別が書き換わってしまったのでは?」
「かもねー」
 
「性別変更届け出してくださいと言われたりして」
「いっそ身体の性別を変更しちゃえばいいのに」
 
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【春卒】(4)