【春卒】(3)

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青葉は3月11日(金)に高岡に戻ってきてから《ゆう姫》からお前は卒業しなければならないと言われたことを再度考えていた。
 
ふと壁に掛けている高校の女子制服を見る。今回の福島行きではこの制服も持っていった。
 
しかしもう自分は高校を卒業したんだもん。もうこれを着たりしてはいけないんだと考えた。そして青葉は唐突にあることを思いつき、制服の冬服・夏服、それにあまり痛んでいないブラウスを2枚、紙袋に詰めた。
 
タロットを数枚引いた。
 
「うん。多分ここに行けば彼女と会えるかな」
と独り言のように言う。
 
そして母に
「ちょっと出かけてくるね。お昼くらいに戻る」
と言って家を出た。
 

絢人は「はあ」とため息をつきながら校舎から少し離れた飛び地にある第2体育館を出て学生服姿で道路を歩いて校舎の方に戻るところであった。4時間目は体育だった。柔道をしたが、人を攻撃することにためらいを感じる絢人には心理的に辛い種目だ。相手を攻撃したくないからさっさと負けるようにしている。
 
もっともクラスメイトの男子は絢人とあまり組もうとしないし、寝技などは絶対に掛けない。どうも体育の先生もそれを感じているようで、相手の技が掛かり損ねても「鐘崎の負け」と宣言してくれる。
 
体育の後は本当は女子トイレに入りたい気分だったけど、たくさん女の子たちが入っているようなので、女子トイレの前までは行ったものの、中に入る勇気なんて無くて、そのまま戻って来た。職員室の近くの多目的トイレに行こうかな。
 
実は絢人は3学期に入ってから1度も校内で男子トイレを使用していない。
 
そんなことを考えていた時、絢人は突然
 
「鐘崎さん」
と呼ぶ声を聞いた。
 
見ると先日卒業した3年生の川上さんだ。彼女は戸籍上は男性だが女生徒として通学していると聞いていた。彼女は絢人にとっては憧れであると同時に彼女のことは雲の上の人のようにも思えた。
 
自分も女生徒として通学したいよお。でも誰にもそんな気持ちを打ち明けられないでいた。
 
「川上先輩?」
と言うと、彼女は寄ってきて笑顔で紙袋を渡した。
 
「これ私が使っていた制服だけど、良かったらあげる」
「え!?」
「女子制服着たいでしょ?」
 
絢人はドキッとした。
 
なんで川上先輩はそんなこと知ってるの〜〜〜?
 
「鐘崎さん、女の子なんだもん。女子制服を着て当然なんだよ」
 
「・・・・はい」
 
「お母さんに思い切って打ち明けてごらんよ。この制服、急いで持って来たから、夏服とブラウスはクリーニング済みだけど、まだ冬服の方は洗濯してないの。悪いけど一度クリーニングに出してから着てね」
 
「はい!」
 
「じゃ頑張って女の子してね」
と言って彼女は笑顔で手を振って去って行った。
 
そこにクラスメイトの寺尾結理花が寄ってきた。
 
「鐘崎さん、どうかしたの?」
「これ先輩にもらっちゃった」
「あれ?これうちの女子制服?」
「うん。でもどうしよう?」
「制服は着ればいいと思うよ。鐘崎さん、女子制服、似合いそうって前から思ってたよ」
「そうかな?」
 
「恥ずかしいなら、うちの茶道部の部室に来ない? うちの部室サボり部員が多くてあまり人が来ないから、こっそり女子制服を着てみるのにもいいよ」
 
「お邪魔しようかな・・・」
「じゃ、放課後、別棟1階の茶道部部室に」
「うん!」
と絢人は笑顔で答えた。
 

少し時を戻して、青葉が高岡から福島へアクアで走っていた3月5日(土)の午後。千里は札幌P高校のコーチで、バスケット日本女子代表のアシスタントコーチでもある高田裕人からバスケット協会の事務局に呼び出された。
 
「9日・水曜日にリオデジャネイロ・オリンピックに向けたバスケット女子日本代表の候補選手18名が発表される」
「そうですか。強い人が選ばれるといいですね。私応援してますから」
 
「君、また何か適当な理由つけて逃げるつもりでしょ?」
「え?まさか、私代表候補なんですか?もっと凄い人たちがいると思いますけど」
 
「君と佐藤玲央美、花園亜津子と高梁王子の4人は代表候補ではなくて、もう代表で確定だから」
「玲央美ちゃんも亜津子さんも王子も凄い選手ですからねー。でも私もなんですか?」
 
「君も充分凄い。でも君ってこれまで何度も日本代表から逃亡した前歴があるからさ」
「そうでしたっけ?」
 
「まあ今度はオリンピックだから、君に逃げられては困るんで、君とは長い付き合いになる僕に釘を刺しといてくれと言われてね」
 
「うーん。まあ高田さんからそこまで言われたら、逃げる口実が見つからないです。私、去年なんて妊娠中に合宿して、出産直後にユニバーシアードやっちゃったから、今更妊娠や出産も理由にできないし」
 
「ああ、やはり去年村山が出産したのでは?という噂は本当か」
「戸籍上は別の人が産んだことになってますけどね。理論的には私は出産能力が無いはずだし」
 
「そこら辺の事情は佐藤からもいろいろ聞いてるけど、君の周囲では物理的な事象に歪みが生じているっぽいんだよね」
 
「まあ不思議なことは色々ありますね。でもどういう人が選ばれるんですか?」
「これ誰にも言うなよ」
 
そう言って高田さんは千里に来週発表予定のリストを見せてくれた。
 

PG 比嘉優雨花(BM) 武藤博美(EW) 森田雪子(4m)
SG ★花園亜津子(EW) ★村山千里(RI)
SF ★佐藤玲央美(JG) 前田彰恵(JG) 広川妙子(RI) 湧見絵津子(SB) 渡辺純子(RI)
PF 平田徳香(SB) 鞠原江美子(--) 大野百合絵(FM) 日吉紀美鹿(BM) ★高梁王子(JG)
C 金子良美(FM) 夢原円(SB) 森下誠美(4m)
 
「この★を付けているのは確定。怪我したとしても直前まで回復を待ってメンバーに入れたままにする。それから所属は4月以降のもので書いているから、今の所属とは異なる場合もある」
 
と高田さんは言った。
 
「それって私のことですね?」
「そうそう」
 
そこでもう高田さんはリストをしまってしまう。
 
「去年のアジア選手権のメンツから随分若返りましたね」
と千里は言う。
 
実際昨年のフル代表に居たのは比嘉・武藤・花園・村山・佐藤・広川・平田・鞠原・金子の9名で、ユニバ代表から森田・前田・湧見・渡辺・大野・夢原の6名が組み入れられている。高梁は別格としても、Wリーグではない森下が入れられたのは40 minutesのオールジャパン3位の原動力の1人とみなされたからだろう。日吉は先日のオールスターでの活躍でリスト入りしたのではないかと千里は思った。
 
「去年、フル代表とユニバ代表で試合やったらユニバ代表が勝ったじゃん」
「そんなことがありましたね」
 
「それで宮本さん(協会の専務理事)は女子代表は実は今の25歳前後の層がいちばん強いのではと言うんだよ。このリストは宮本さん自身がたたき台を作って山野さんと僕で調整した。だから君たちの世代が主役だよ」
 
「武者震いがします」
と千里は答えた。
 
「よしよし」
 
「鈴木志麻子や加藤絵理は落選ですか?」
「発表するリストには入れてないけど、その2人と三輪容子・鞠古留実子は合宿に参加してもらう。現時点では補欠だな。もっとも今の18人の中からも本番までに最低6人は落ちる訳だけど」
 
留実子がまた代表合宿に参加する。。。。久しぶりだ。千里は旧友の代表活動復帰に心を躍らせた。
 

高田さんに「ちゃんと代表活動に参加します」と約束して協会を出た千里は、すぐに鞠原江美子に電話を掛けた。
 
さっき見たリストで江美子の所属が(--)になっていたのである。
 
「なんでエミの所属が無所属になってんのさ?」
 
「何でもう知ってるの!?まだどこにも公開してないのに。いや、それが2月に準々決勝で敗れた所で解雇通告された。公式には3月末で退団だけど」
 
「うっそー!?」
 
「今親会社の株が下がりぎみだしさ、為替相場もさすがに円安に行きすぎたから今後は円高に進んで輸出業は苦しくなることが予想されるし。来期は予算が削減されるんだよ。それで今年実績の無かった選手は切られた」
 
「実績無かったって、使ってもらえなかったじゃん」
「私、監督にあまり評価してもらえなかったからなあ」
 
ブリッツ・レインディアはシステマティックなチームだ。個人技の得意な江美子にはあまり合わなかったかも知れないという気がした。江美子は部品になるには規格外すぎるのである。
 
「どこか行く当ては?」
「これから考えようと思ってた」
「うちに来ない?」
と千里は反射的に言った。
 
「うちって40 minutes?」
「違うよ。レッドインパルス」
 
「でもレッドインパルスはもう来期の16人の枠、既に確定しているのでは?」
 
「挽木さんが引退することを昨日、内々に表明したんだよ。だから枠が1つ空くんだ。来る気があるなら、すぐにでも上と話しする」
 
「千里とチームメイトになるのもいいかな」
「うん!」
 

それで千里はすぐにキャプテンの妙子に連絡。妙子から小坂チーム代表に連絡が行く。小坂さんはその夜の新幹線で妙子・千里とともに名古屋に赴き、深夜のレストランで江美子と面会した。
 
そして江美子はその場でレッドインパルスへの入団を同意した。
 
最終的には球団同士の交渉でトレードという形になったものの、千里は思わぬ内部情報を得たことから抜け駆け的に貴重なチームメイトを得ることとなった。
 

青葉はT高校に行き自分の女子制服を絢人にプレゼントした後、帰る途中にヒロミと連絡を取った。それで結局、青葉・ヒロミに、ヒロミと同じ理数科でこの件に多少とも関わっていた空帆・杏梨も含めて4人で会うことにした。場所は青葉の自宅ということにし、3人はその日の3時少し前に、相次いで青葉の自宅にやってきた。
 
ちょうど東日本大震災が起きた時刻になるので4人で一緒に黙祷を捧げた。
 
その後青葉は福島土産の「ままどおる」を1箱開け、紅茶を入れてヒロミの話を聞いた。
 
ヒロミは当日のことをこのように語った。
 

卒業式が行われた3月3日、もう下校しようとしていた時に突然K大学医学類の教授から連絡があったらしいのである。
 
「良かったら明日こちらに来て、ちょっと健康診断を受けてもらえませんか?」
 
その話を聞いた同じクラスの杏梨はピーンと来たという。彼女は青葉がインターハイの直前に「健康診断」と称して、性別検査を受けさせられたことを連想したという。
 
「これきっとヒロちゃんが本当に女かどうか確認したいんだよ。きっと」
 
空帆なども入って話してみると、青葉が性転換していることの証(あかし)として病院の先生が書いた性転換手術証明書をK大学法学類の教授に提示したのに対してヒロミはそのような書類を提示していないことが分かる。
 
「ヒロちゃん、なんで手術証明書を提示しなかったのさ?」
「いや、そういう証明書はもらってなくて」
「それもらってないと性別変更の申請する時も困るのでは?」
「そうかなあ」
 
「でも実際に性転換済みなら、少し恥ずかしいかも知れないけど堂々と検査受けてくればいい」
 
と彼女たちは言った。
 

しかしヒロミは不安だった。
 
彼女は起きていて意識がある時は女の身体なのに、寝ている時や意識が朦朧としている時は男の身体になってしまうのである。検査中ちゃんと起きていたら問題無いと思うが、万一MRI検査とかの最中に眠ってしまったら・・・
 
それで不安を感じながら学校を出て歩いている時のことだった。
 
「あら、ヒロミちゃんだったね」
と声を掛ける女性が居た。
「あ、青葉ちゃんのお姉さん、こんにちは」
とヒロミも挨拶する。
 
ヒロミは2014年10月の伊香保温泉でのクロスロードの集まりで千里と顔を合わせている。
 
「何か悩み事でもありそうな顔をしている」
と千里が言うのに対してヒロミは
 
「青葉ちゃんのお姉さんって性転換手術してるんでしたよね?」
「そうだけど。私は中学1年生の夏休みに性転換手術を受けたんだよ」
「すごーい!」
と言ってからヒロミは
「良かったら、ちょっと話を聞いてもらえませんか?」
と言うので、千里は
 
「じゃ軽く何か食べながらでも」
と言ってヒロミを何だか超高そうな料亭のような所に連れて行ったという。
 
10畳くらいの部屋に通され
「おごってあげるから何でも好きなの頼むといいよ」
と言われて御品書きを見ると値段が書いてない。取り敢えず天麩羅セットを頼むと職人さんが部屋まで来て揚げてくれたらしい。
 
天麩羅は物凄く美味しかったということであった。満腹した所でデザートの餡蜜(これがまた絶品だったらしい)と緑茶(これも物凄く美味しかった)を頂きながら話をする。
 
「お姉さん、一昨年の伊香保温泉の集まりの時におられましたよね」
「うん。それでヒロミちゃんと会ったからね」
「あの時、医学生の参加者の方に私の身体を見てもらって、結局私って昼間起きている時には女の身体なのに、夜寝ている時は男の身体になっているという不思議な状態にあることが分かって」
 
「面倒な体質だね」
 
「それで実は先日受験した大学から健康診断を受けてくれという連絡が来たんですけど、どうも性別検査を受けさせられるっぽいんですよ」
 
「なるほど」
 
「それで検査されている時ずっと起きていたらいいんですけど、もし例えばMRIとか取られている時、うっかり眠ってしまったら大変なことになっちゃうと思って」
 
「それは難儀だね」
 
「それでどうしようと思って悩んでいたんです」
 
「そうだね。だったらヒロミちゃんが寝ている間に性転換手術受けちゃったら?」
 
「え?」
 
「これが逆にさ、起きている間が男で寝ている間は女になっているなら大変だよ。ヒロミちゃん起きたままもしかしたら麻酔無しで性転換手術受けないといけなかったかも」
 
「それ怖すぎます」
 
「逆なんだから寝ている間に手術受ければいい。簡単じゃん」
 
「それはそうですけど、検査は明日受けないといけないんです。それでたぶんその検査結果で私を合格させるかどうか決めるんじゃないかという気がして」
 
「明日検査受けるんなら、今日性転換手術しちゃえばいい」
 
「そんな急に性転換手術してくれるような病院なんて無いですよ」
 
「私、そういう病院心当たりあるよ」
「本当ですか?」
 
「性転換手術しちゃおうよ。ヒロミちゃん、もう男の子から卒業しちゃおう。それともまだ男の身体でいたい?」
 
ヒロミはぶるぶるっと首を振った。
 
「嫌です。男の身体ではいたくないです。女の子になりたいです」
 
「だったら善は急げよ。連れて行ってあげるから」
 
「え〜〜〜?」
 

それでヒロミはうまく千里に乗せられて、料亭を出た後タクシーに乗ってどこかの病院に入ったという。病院の玄関を入って、千里が受付の所で話をしていた。病院独特の消毒薬っぽい臭いがしていた。
 
そしてそこでヒロミの記憶は途切れているらしい。
 

「ふと気づくと自宅の自分の部屋にいたんだよ。身体は特に変わった様子は無い。特に痛みも無いし。それでおそるおそる寝てみたんだ」
 
とヒロミは青葉たちの前で語った。
 
「ふむふむ」
 
「いつもならうとうとしている時に男性器があるのを感じるんだけど、感じないんだよね。それで本当に無くなっているのかもと思ったから、うっちゃんに頼んで確かめてもらったんだ」
 
「私もびっくりしたよ。今から寝るから自分にちんちんがあるかどうか見てくれなんて言うからさ」
と空帆は言う。
 
「他にこんなとんでもないこと頼める人思いつかなかったし」
とヒロミは言う。
 
ヒロミと空帆は小学校の時の同級生である。
 
「それでヒロちゃんはパンティを脱いであそこを露出したまま私の前で眠っちゃったんだけど、ちんちんが出現したりはしなかったよ」
 
と空帆が言う。
 
「それでやはり私性転換手術されちゃったんだ!と確信して、翌日3月4日K大学まで行って検査受けてきた。実際、口腔内の粘膜取って染色体検査してたし、血液取って多分ホルモン検査して、あと裸にされて身体的な特徴を観察されたし、クスコ入れられて内診もされた。あと心理テストも受けさせられた。そしてMRIに入れられたんだけど、どうも腰の付近を念入りに検査しているような感じだったんだよね。途中で寝ちゃったんだけど」
 
「それ前日に性転換手術しておいて良かったじゃん」
「うん。それを受けていなかったらそこで不思議な体質になっていることが発覚してた」
「寝たら突然男性器が出現したら仰天されたろうね」
 
「うん。それで結局3時間くらい検査された上で『問題ありません』と言われて帰ってきて、そして3月8日の合格発表ではちゃんと私の番号、合格者リストにあった」
 
「良かった良かった」
「これで無事、女医の卵じゃん」
と杏梨が言う。
 
「うん。通してもらったからこれから頑張るよ」
 
「でもそれ不思議な話だね。痛みは全然無いんでしょ?」
「全く無い」
「そもそも、予約無しで行っていきなり性転換手術してもらえるような病院って存在するの?」
と空帆が青葉に尋ねる。
 
「100%ありえない。性転換手術をしている病院はいつも予約が何ヶ月も先まで埋まっているよ。圧倒的に希望者の数が多くて、さばききれないから。そもそも手術されたら3〜4ヶ月は痛みが継続する。昨日手術受けて今日はもう痛くないなんてことはあり得ない」
と青葉。
 
「じゃ何が起きたんだろう?」
 

青葉は「ちょっと姉に確認する」と言って、1階に降りて居間から千里に電話した。
 
「おはよう。青葉。こないだはお疲れ様」
「おはよう。ちー姉。色々ありがとう。でもさすがに疲れた。ちょっと精神的にしんどかった」
 
「でもうまい方向に行ってる感じじゃん」
「早速ニュースで報道されてるね!」
 
8日の夕方、某雑誌のニュースサイトで女優**と★★レコード元常務・故・無藤清氏の次男・激勝氏との不倫が証拠写真付きで報道され、9日には女優側が事実を認めて陳謝する記者会見までしたのである。激勝氏側は報道陣の取材を一切拒否しているものの、兄で★★レコード大阪支店営業部長の鴻勝氏が事件が落ち着くまで休養を申し出たという報道も出ていた。確かにこんな騒ぎが起きていたら、とても営業の仕事ができないだろう。
 
「それよりちょっと訊きたいことがあるんだけど」
「何?」
「ちー姉、3月3日はどこにいた?」
「3月3日?ちょっと待って」
 
と言って千里はどうも手帳か何かを確認しているようである。
 
「その日は東京に居たよ。秋田から3月2日の夕方戻って来て、3日は午前中はしばらく留守にしてたから食料品の買い出しに行って、午後からはレッドインパルスの練習、夕方からは40 minutesの練習に出て8時頃、桃香のアパートに戻って、一緒にすし太郎とおひな祭りケーキを食べて白酒を飲んだよ」
 
「ああ、練習に出てたのね?」
「うん。レッドインパルスは昨日からいよいよ決勝戦に突入した。40 minutesは19日から全日本クラブ選手権だからどちらも練習に熱が入っているんだよね」
 
青葉は考えた。練習に出たということはそれは千里本人でしかありえない。単に人と会う程度なら式神の類いを身代わりに使う手はあるかも知れないけど、身代わりに練習までさせるのは絶対無理だ。
 
だから結論。ヒロミに会ったのはちー姉ではない。
 
「ちー姉、誰か親切な神様の知り合いとか居ない?」
「神様の知り合いなら何人かいるけど、概して不親切だね。あ、こちらを睨んでる。ごめんなさい」
 
と千里は途中から誰かに謝っている。
 
「その知り合いの神様の中でこちらに3月3日に来た人は?」
 
「今訊いてみたけどみんな知らないと言っているよ」
と千里は言う。
 
「ありがとう。じゃ誰かがちー姉の姿を勝手に借りたんだろうなあ」
 
「あ、私って天性の巫女だから、神様のおもちゃにされてることよくあるみたい。それに私ってこの長い髪が特徴的だから多少顔かたちが違っていても髪が長いとみんな私だと思ってしまうんだよ」
 
「確かにね〜」
 

それで青葉は2階の自室に戻って言った。
 
「やはり千里姉は3月3日にこちらには来てないって。だから多分誰かが千里姉の姿を借りて、親切にヒロミの身体を治してくれたんだと思う」
 
「誰かって?」
「多分神様」
 
「そんなことがあるんだっけ?」
 
「うん、時々ある」
と青葉は言った。
 
「でもこれでヒロミは完全な女の子になったんだよ。それでもういいんじゃない?男だった頃のことは忘れちゃえばいいんだよ」
 
と言いつつ青葉はヒロミの身体が実は「完全な女性」になっているのではなかろうか、ひょっとして妊娠能力付きではと考えていた。
 
「そうだなあ、やはり開き直るしかないか」
「後日落ち着いてから私が性転換手術を受けた病院に行って性転換しているという証明書を書いてもらえばいい。性転換の証明書は戸籍の修正が終わるまで多分しばしば必要になるし、そもそも性別変更を申請する時も必要だよ」
 
「そうしようかな」
 
「結果的にはタダで性転換できたってことになるのかな」
と杏梨。
 
「請求書が後から送られて来たりして」
と空帆。
 
「いやもし請求書が送られてきたら、頑張って少しずつ返すよ」
とヒロミは言った。
 
しかしそういう訳でヒロミは無事K大学の医学類に合格し、女子医学生として4月からキャンパスライフを送れることになったのであった。
 

「ところでヒロミは金沢市内にアパートとか借りるの?」
「そうするつもり。性別の件はバッくれて女の子ですって顔して名義もヒロミで借りようとお母ちゃんと言ってた」
「うん。ヒロミは自分で言わない限り、誰も男では?とか疑ったりしないよ」
 
「杏梨は?」
「私はもうアパート契約した」
「早い!」
「下旬に引っ越すつもり。といっても机とか寝具は向こうで買うし、着替えとパソコンと辞書とかだけだから、お父ちゃんに車で全部運んでもらうけど」
「身軽な内はそれで何とかなるよね」
 
「空帆は?」
「下旬に行ってアパート探しするつもり」
「区内は高いでしょ?」
「うん。でも古くて狭くて不便な所でもよければ結構安い所もあるのではという話もあるし、そういうのを狙ってみる」
「なるほどねー」
 

3月11日。宮城県の某所海岸。
 
15時半頃、若葉と吉博はあらためて海に向かって合掌した。それが竹美が海に呑まれてしまったくらいの時刻であった。
 
「ね、もし僕と君の間に子供が生まれたらさ」
と吉博は言った。
 
「若竹って名前にしていい?」
 
若葉は少し考えていた。自分の名前と前の彼女の名前から1字ずつ取りたいという話だ。ふつうの女子なら「ふざけんな」と怒る所だろうが、若葉はそれは別に構わない気がした。
 
「してもいいけど読み方は『わかたけ』じゃなくて『なおたけ』にしたい」
「難しい読み方するね。冬葉(かずは)君も難しいけど」
「知らずに『かずは』と読めたのは2人だけ」
 
「その読んだ子が凄い!って2人もいるんだ!」
「その2人、姉妹だけどね」
「へー。冬の字を『かず』と読む親戚か何かいたのかな」
「2人とも人の名前を読み間違ったことはほとんど無いと言ってたよ」
「それも凄い」
 

「けっこう楽しかったね」
と優子は言った。
 
「俺も楽しかった」
と信次は言った。
 
「じゃこの後はお互い友だちに戻るということで」
「うん。恋人関係は卒業だね」
 
と言ってふたりは笑顔で握手し「これで最後」と言って1度だけキスした。
 
「1年くらい持つかなと思ったんだけど持たなかった」
「まあ無理して関係を続けて嫌いになるより、今の状態で別れた方がお互い美しい想い出になるかもね」
「同感同感」
 
「だけど惜しかったなあ。俺、1度、生でしたから、ひょっとしたら赤ちゃんできたりしないかと半分は恐れつつ半分は期待してたんだけど」
 
と信次は言う。
 
「できる訳無いよ。だって安全日だったもん」
「へー」
 
「だって生理が来てから半月くらい経ってたからね。生理の時に排卵するんだから、いちばん安全な時期だよ」
 
「・・・・・」
 
「どうしたの?」
 
「それいちばん危険な日だと思うけど」
「え!?」
 
「生理の時に排卵する訳ないじゃん。排卵して受精しなかった卵子が半月後に剥がれ落ちて出てくるのが生理だぞ」
 
「え?嘘!?」
 
「男の俺でも知っていることをなぜ女のお前が知らん?」
 
「え〜〜? 生理の時が排卵だから、生理の半月後はいちばん安全と思ってた」
「生理の半月後ってちょうど排卵する時だから、いちばん妊娠しやすいんだよ」
 
「え〜〜〜〜!?」
 
「な。優子、生理あの後、来てるよな?」
と信次は訊いた。
 
「え?来てないけど」
「だったらお前妊娠しているのでは?」
「でも私生理不順だから3〜4ヶ月生理が来ないのは普通だよ」
 
「ちょっと産婦人科に行ってみない?俺付いていくからさ」
 
「やだ。私、妊娠してたらどうしよう?」
と優子は焦ったように言った。
 

吉博と若葉は海岸から戻った後石巻市内で軽く食事をし、その後スーパー銭湯に行った。手を振って男湯と女湯に別れて入る。
 
ふたりはこの後、ホテルに行って一晩いっしょに過ごす約束をしている。どうせホテルに行くのなら、ホテルの部屋に付いているバスを使えばいいのだが、若葉はすぐ近くに男の人がいる状態で裸になって身体を洗うと緊張する、などと言うので、じゃスーパー銭湯で汗を流してからホテルに行こうよと提案したのである。
 
若葉には自分は竹美以外とセックスできないなんて言ったが、実は竹美とも一度もセックスしていない。彼女とは純愛に近かった。結局自分は一生セックスしないのかも知れないなという気もした。もしかしたら女性恐怖症なのかもねとも思う。男性恐怖症の若葉とはある意味お似合いなのかも知れない。その若葉は人工授精でなら自分の子供を産んでもいいよと言っているので、そういう手段で子供を作ることになるかも知れない。
 
そんなことを考えながら脱衣場で服を脱いで浴室に入る。
 
時間帯が遅いせいか、中には客は数人しかいなかった。
 
身体を洗って浴槽につかる。ここは近隣の温泉から湯を運んできて入れているということらしく、濁り湯だが、湯の感触がなめらかで、ほんとに温泉に入った気分になる。ここ結構いいなと思って何気なく首を左右に動かしていたら近くで入浴していた若い美青年と目が合う。
 
何だかこのまま女の子にしてあげたいくらいの凄い美青年である。吉博も随分「女装させたいくらい美形だ」とか女の子たちから言われていたが、この人の美形さには負けると思った。
 
相手の顔に記憶があったので吉博は反射的に会釈をしたのだが、向こうは一瞬首をかしげる。
 
それで吉博は相手のことが分かってしまった。
 
「あ、すみません。タレントさんでしたよね。えっと・・・丸山アイさん?」
と吉博が言うと
 
「ええ、そうです」
と彼は笑顔でテノール・ボイスで答えた。
 
「あれ?でも済みません。私、てっきり丸山アイさんって女の人かと誤解してました」
 
「僕、昔からよく性別間違われるんですよ」
などと彼は言っている。
 
「わりと女顔だし、僕、音域が5オクターブあるんですよね」
「凄い!」
 
「だからバスの音域からソプラノの音域まで出るんです。それで女の子みたいな歌い方すると、みんな女性歌手と思うから、面白いからそれやってみろと言われて。それで僕の性別は不明ってことにしてあるんですよ」
 
「そうだったんですか!」
 
「おかげで随分女装もさせられちゃって。でもこんな時間なら僕のこと知ってる人もいないだろうからと思って油断してお風呂に入っちゃいました。良かったら、僕と男湯で遭遇したこと、人には言わないでもらえます?」
 
と彼は明るい声で言った。
 
「いいですよ。僕も口が硬いですから」
と笑顔で吉博は答えた。
 

千里はレッドインパルスに同行して3月10日(木)は松本に来ていた。今日からいよいよ今期のWリーグ決勝戦(最大5戦して3勝した方の優勝)が行われるのである。相手は三木エレンが主将を務めるサンドベージュである。
 
試合前の練習の時、両チームが各々半コート使ってシュート練習などしていたのだが、三木エレンがレッドインパルスのコートの方にやってきて
 
「ね、ね、サン、スリーポイント勝負しようよ」
などと言う。
 
「あ、いいんじゃない?」
とヘッドコーチも言ってくれたので、唐突に三木エレン対村山千里のスリーポイント対決が行われることになった。
 
ちょっとしたエキシビションである。
 
黒江アシスタントコーチがボールの返送係を買って出て、千里とエレンで1球ずつスリーポイントラインの上を移動しながらシュートする。
 
最初はエレンである。入る。次に千里が撃つと入る。エレンも入れて千里も入れて、と両者は全く譲らずスリーポイントを入れていく。千里は自分が大学受験に千葉に行った時、早朝エレンと遭遇してスリーポイント勝負をした時のことを思い出していた。
 
両者20本ずつ入れた所で水入りとなった。
 
「これ勝負がつかないから、試合が終わった後続きをしよう」
という話になり、勝負は持ち越しとなった。
 

少し休憩のあと試合が始まった。
 
フリーで百発百中のエレンも相手チームにガードされている状態ではなかなか簡単にスリーを撃てない。この試合ではいつも練習の時に千里相手にスリーを撃たせないように頑張ってガードしている妙子主将がエレンをマークし、結局エレンは試合中は1本もスリーを入れることができなかった。
 
ただし試合はサンドベージュが勝った。
 
その試合が終わった後、10分休憩してからスリーポイント勝負の続きをすることがアナウンスされる。
 
エレンと千里で1本交代で撃つものの、どちらも外さない。観客はほとんど帰らずに勝負の行方を見ている。とうとう50本ずつ入れた所で
 
「やり方を変えよう」
ということになる。
 
サンドベージュから湧見絵津子、レッドインパルスから渡辺純子と高校時代以来のライバルの2人が出てきて、千里は絵津子にガートされている状態から撃つ、エレンは純子にガードされている状態から撃つというのをやった。純子と絵津子の実力がほぼ同じであることは多くの人が知っている。
 
1回交代で20回ずつトライした所、千里は絵津子のカードをかいくぐって9本入れることができた。対してエレンは純子にガードされている状態からは5本しか入れることができなかった。
 
「負けた」
とエレンが笑顔で言って千里に握手を求めた。
 
「7年前に勝負した時はレンさんが9本、私は5本でしたから、ちょうど逆転しましたね」
と千里も笑顔で言う。
 
「よく本数まで覚えてるね」
 
「これがプロの実力か。凄いと思いましたから」
「サンもやっとプロになったね」
 
2人はまた握手し、観客から惜しみない拍手が贈られた。
 

1日おいて3月12日(土)は甲府に移動して第二戦が行われ、この日はレッドインパルスが勝った。
 
この日も試合後にエレンと千里によるスリーポイント勝負が行われた。この日もフリーではどちらも50本全部入れ、その後この日はサンドベージュからは夢原円、レッドインパルスからは三輪容子が出てディフェンス役をしたが、千里が14本、エレンが7本入れて、やはり千里の勝ちであった。
 
翌日は東京に戻ってきて3戦目。この日はサンドベージュが勝って対戦成績は2勝1敗となる。この日もまたまたエレンと千里の勝負は行われ、ふたりは当然フリーは50本ずつ入れる。そしてこの日はサンドベージュから平田徳香、レッドインパルスからは広川妙子が出てディフェンス役をしての勝負をする。結果は千里が7本、エレンは3本でやはり千里の勝ちであった。
 
両者の話し合いでスリーポイント勝負は今日までということにし、ふたりは勝負のあとハグしあってお互いの健闘を称えた。
 
そして3月15日(火)の第四戦。この試合でサンドベージュが勝ち3勝となったため、これでサンドベージュの優勝が決まった。
 
オールジャパン、Wリーグファイナルの2冠達成で、これが本当に三木エレンの引退の花道となった。
 
またこの試合で三木エレンは1本だけスリーを入れることができた。彼女のプロ最後のスリーである。
 
千里は試合後の表彰式を観客席から見守り、静かな闘志を燃やした。
 
三木エレンは表彰式の中で、特に許可をもらって引退の弁を観客の前で語った。
 
「私はこれでWリーグを卒業しますが、日本の女子バスケットボールはきっと宇宙の頂点に立つことを信じています」
 
宇宙などということばがでてきたので客席がどよめいた。原稿では世界と書いてあったらしいが、エレンさんが実際にしゃべる時世界より宇宙の方が凄い気がして即興で変えたらしい。
 
3人のプレゼンターから花束が贈られた。サンドベージュの若手代表として湧見絵津子、相手チーム・レッドインパルスを代表して妙子キャプテン、そして日本代表選手の代表として千里が指名されて日本代表のユニフォームを着てエレンに花束を渡す。エレンは涙を流して力強い握手をしてくれた。千里も涙を流して、ふたりはハグした。
 

青葉が高岡に戻ってきた翌日の3月12日(土)、美由紀は金沢美大の一次試験を受けた。鉛筆によるデッサンをする実技試験である。翌13日結果が発表されるが美由紀は合格していた。
 
「やった!」
「でも問題は次の,2次試験だよね」
「うん。頑張る」
 
二次試験はそのまた翌日14日(月)に行われる。色彩構成と面接である。本人は「けっこう感触良かった」と言っていたのだが、3月20日の合格発表に美由紀の受験番号は無かった。
 
「えーん。落ちたぁ」
と美由紀は本当に泣いていたので、日香理や青葉は頭をよしよしして慰めてあげた。
 
「じゃ結局G大に行くの?」
「うん。そこしか行く所無い」
「入学手続きしといて良かったねぇ!」
 
「うん。明日香のおかげだよ。青葉、通学は車に乗せてって」
「まあいいけど。4人まではゆっくり乗れるし」
 
ということで、4月からは青葉・美由紀・明日香・世梨奈の4人で車を相乗りして通学することになったのである。
 
なお青葉と同じK大法学部に合格した星衣良は金沢市と高岡市の間にある津幡町に叔母さんが住んでいるので、そこに下宿させてもらい自転車とIRいしかわ鉄道と北鉄バスの乗り継ぎで通うことにしたらしい。
 
「叔母さんとこから津幡駅までどのくらい掛かるの?」
「自転車で10分」
「それってかなりの距離では?」
 
「高岡から通うのと大差無かったりして」
などと美由紀から言われていたが
 
「距離的には3分の1だよ。でも雨や雪の酷い日とかは自転車が辛いから乗せて」
などと星衣良は言っていた。
 
「乗せるのはOK」
「これで定員いっぱいだな」
 

3月13日夕方20時から##放送系列で先日の全国的大雪被害に関する報道番組が放送されたが、この番組の前宣には《KARION,ローズ+リリーのファン必見》というのが入っていた。それでこの番組は物凄い視聴率になった。
 
番組では当時の天気図や気象衛星の写真などを交え、全国の大雪被害の状況、復旧作業の様子、各自治体責任者や政府首脳の弁などをレポートしている。その中に奈良県T村の温泉に閉じ込められたKARIONの様子も映っていた。偶然にもこの温泉にテレビ局のクルーが番組制作のため寄っていたことからこういう映像が撮れたのである。
 
しかしKARIONのメンバーの中のらんこは以前から「ローズ+リリーのケイと同一人物では」と噂されていた。この噂を本人たちは否定していた。しかしケイは翌日福島でライブに出演することになっていた。このままでは出演できないのだが、らんこは
 
「私はローズ+リリーのケイとは別人ですから、らんこがここに閉じ込められていてもケイはちゃんと福島のライブに出演しますよ」
などと明るくテレビ局の取材に対して答えていた。
 
そして番組の最後になって映った映像はあちこちのSNS系サーバーをダウンさせることになる。
 
ライブの前日、27日11:30頃にKARIONの4人が食事している。そして食事が終わった所でらんこは防寒具とサングラス・手袋を身につけ、1階に降りていき、らんこ同様に防寒具とサングラス・手袋をした女性が運転席に座っているスノーモービルのタンデムシートに乗り込んだ。番組はそのスノーモービルが雪原に消えて行く所で終わっていた。
 
「スノーモービルで脱出したのか!」
「でもこれって事実上、らんこ=ケイを認めたってことかね?」
「まあ、別人だと言い張るのは無理がありすぎたからな」
 

翌14日の午後、その日は奈々美の誕生日であったこともあり、中学時代の友人数人がイオンモールに集まりフードコートでおしゃべりをした。
 
「お誕生日おめでとう!」
「ありがとう」
 
「ウィンターカップもオールジャパンも惜しかったね」
「うん。特にウィンターカップの予選では、あとちょっとで勝って東京体育館に行けるかなと思ったんだけどね〜」
 
奈々美はバスケット部で3年間活動し、ずっと控え選手だったが昨年夏のインターハイで初めて本戦(京都)のベンチに座ることができた。しかしウィンターカップは富山県予選の決勝で敗れ、オールジャパンも北信越予選の決勝で敗れ、どちらにも出場することができなかった。
 
「誕生日のプレゼント何も用意してなかったけど、ホワイトデーにもらったクッキー、そのままあげよう」
と世梨奈が言って、不二家製のクッキーの箱を出す。
 
「そんなのあげていいの?」
「父ちゃんからもらったクッキーだし」
「だったらいいか」
「しかしマメなお父ちゃんだ」
「じゃここでみんなで食べちゃおうよ」
と奈々美。
「あ、それもいいね」
 
それで奈々美は箱を開けた。
 
「あ、これ結構美味しい」
「なんか自分で買ってもいいな、これ」
 
「奈々美は結局どこに行くんだっけ?」
 
「T大学の理学部。東京のW大も通って一応入学手続きはしたけど、やはり国立で。W大に行きたい気分もあったんだけどね。バスケ強いし。でも東京の私立なんて学費も高いし生活費も高いから地元の国立にしてくれと父ちゃんから言われてるし」
 
「それは切実な問題だね」
 
「T大の女子バスケ部は?」
「そこそこ強い。今回もオールジャパンの北信越大会までは行ったけど優勝した所といきなり当たって負けた」
「奈々美たちがそこと決勝戦で戦ったんでしょ?」
「そうそう。めっちゃ強いチームだったよ」
 
「T大学は水輝も合格してた。人間発達科学部」
「こちらでも美津穂がT大学に行くよ。人文学部だけど」
「まあ結構知り合いがいるから心強い」
 
「美由紀は今日美大の試験受けているんだよね」
「まあ落ちるだろうね」
とみんな言っている。
 
「T大芸術学部に落ちた人が美大に合格するのはあり得ない」
「まあそれは言える」
 
「じゃ金沢組が多いね」
「うん。青葉と星衣良がK大、明日香と世梨奈がH大、多分美由紀もG大になる」
「それってキャンパスも近くだっけ?」
「近くはないけど、まあ割と同じ方角かな」
「星衣良が津幡の叔母さん所に下宿する以外、4人で相乗りしていくことになりそうだなあ」
 
「朝6時半に出発すれば全員を大学近くに置いて私も8時に大学に入れるかな」
と青葉。
「公共交通機関を使えば5時半に出ないといけないから、かなり助かる」
と世梨奈が言っている。
 
「正直、大学入試でお金を使い果たして、下宿代まで出ないんだよね」
と明日香が言っている。
 
「でも更にローン組んで自動車学校に行くつもり」
と明日香。
「お、すごい」
「私が免許取れば青葉と交代で運転できるし」
「うん。よろしくー」
 
「それガソリン代はどうするの?」
と奈々美が訊く。
 
「その件、世梨奈と話し合ったんだけどね」
と明日香は青葉に向かって言う。
 
「ガソリン代として1人月1万円くらい青葉に払おうかと言ってたんだけど」
と明日香は提案した。
 
「それ私も計算してみたんだよね」
と青葉は答える。
 
「あの車、無茶苦茶燃費がいいんだよ。こないだ福島まで往復したのでもガソリンは1300km走って40Lちょっとしか使ってない。給油も東京で1回しただけ。だから燃費がだいたい30km/Lだと思う。うちからH大とG大を回って戻って来るのがだいたい120kmくらいだから消費燃料4Lくらい。すると1ヶ月に20日通って80Lだから1L=120円で計算しても約1万円。これをまあ美由紀まで入れて4人でシェアすればいいと思う。だから1人2500円払ってもらえばいいよ」
 
「そんなに安く済むんだ!」
「どう考えても市内に住んで使う定期代より遙かに安い」
「じゃ1人3000円払うよ。車の借り賃込みで。ガソリン代が高騰したら見直し」
「うん。じゃそれで」
「遅くなったりして高速を使ったら都度清算」
「OKOK」
 
「じゃ私も月1000円払っとく」
と星衣良。
「了解了解」
 

「ところで昨日の番組だけど、結局あれってKARIONのらんこ=ローズ+リリーのケイというのを認めたということなのかな」
 
「だと思うよ。これまだ内部情報ということで他の人には言わないで欲しいけど、それで今月19日から始まるKARION春のツアーでは毎回ローズ+リリーが幕間ゲストで出てくる」
 
「おぉ!」
「去年の熱愛報道以来、レコード会社の社長からマリを絶対に1人にするなと厳命が出ているらしい。それでケイがKARIONのツアーで全国飛び回っている間にマリがひとりで東京に居ると何するか分からないから、もうKARIONに付いていってもらおうという趣旨なんだよね」
 
「なるほどー」
「今回、KARIONのツアーを3月、ローズ+リリーのツアーを4〜5月と分けたのも、1人で両方のツアーを同時にするのは体力的に無理なのでと説明するらしい。その背景で、やっとふたりが同一人物であることを事実上認めたみたい」
 
「ああ、色々背景があって動いているんだね。そういうの」
「まあ偶然の要素をうまく利用しているけどね」
 

「でもそれならそのKARIONのライブ見てみたくなった。今からチケット無理だよね?」
 
「ちょっと待って。訊いてみる」
 
と言って青葉はケイにメールを入れてみた。すると30分くらいで返信があり、21日・金沢公演のチケットはソールドアウトしているが、見切席でもよければ用意させるから枚数を教えてとあった。
 
「少し見づらい席でなら用意できるって」
「じゃお願い」
「何人行くの?」
「ここに居る5人と美由紀もだな」
 
「美由紀の残念会も兼ねて」
ともう不合格確定ということにされている。
 
「あ、日香理も行くかも。訊いてみよう」
それで青葉が電話してみると行く!ということだったので結局7枚で冬子さんにお願いした。
 

3月18日(金)。千里を含む40 minuteの選手一行と青山さんたち江戸娘一行は夕方17:10の新幹線で福山に向かった。明日から3日間、全日本クラブバスケットボール選手権大会が行われるのである。これが千里にとって40 minutesの選手として出る最後の大会になる。
 
時刻がとっても微妙なので、会社勤めしているメンバーで早引きもできずにこの新幹線に間に合わなかった子が40 minutesで4人、江戸娘では8人も居て、彼女たちは明日朝の新幹線で移動することにしていた。
 
40 minutesで行くのは選手18名、監督・コーチにマネージャー登録とトレーナー登録のメンバーで合計22名、江戸娘は選手15人、監督・コーチ・マネージャー登録のメンバーで合計18名。両者合わせて40名である。但しこの新幹線に間に合わなかった子が両方で12名いて、行きは28名での行程だった。
 
新幹線の中で買っておいたお弁当とお茶・おやつを配ったが、28名なのにお弁当は念のため用意していた50個が全て消えた。おやつがもっと欲しいという声があり、車内販売のお菓子やみかんを買って追加で配ったりした。
 
「でも40 minutesってこんなに人数いたんだっけ?」
などという声が新幹線の中では出ていた。
「いつも練習の時は10人くらいだよね〜」
「3〜4人でやってる時もあるし」
 
「一応現在40 minutesに登録されている選手数は36名」
「そんな人数見たことない!」
 
「まあ幽霊部員も多いからなあ」
「ごめんなさい。私、ほとんど幽霊部員」
 
と今回マネージャーとして連れてきた聡美は言っていた。
 
彼女はマネージャーは誰に頼もうかなどと言っていた時に
 
「お久しぶりです」
などと言って練習場にやってきたので
 
「あんた今週末の大会のマネージャーやって」
「今週末って何の大会ですか?」
「全日本クラブ選手権」
「そんな凄い大会があるんですか!」
などという会話を交わして連れてきたのである。
 
「ところで全員女性なんだっけ?」
「男が女子チームに入れる訳無い」
「いや、性別は自己申告だから」
「そのあたりはばれない程度に」
「ヒゲはきれいに処理しておくこと」
「胸は平らでは無い程度に」
「あ、それ私やばい!」
「ちんちんがあったら試合中は取り外しておくこと」
「あれって取り外せるんだっけ?」
 
「でも試合やってると、ホントにこいつ女か?と思う選手結構いるよね」
「ごめん、それ私だ」
 
福山からは高速バスでしまなみ海道を越えて今治まで行くが、人数が多いので1台専用に割り当ててもらっていた。一応アルコールは禁止にしているのだがおやつが欲しい、コーラが欲しいという声があり、福山駅で調達しておいた食べ物・飲み物は今治に着くまでに全て消えた。
 
「せっかくのしまなみ海道の景色が夜だから見られないのが残念」
「この大会、最後まで残った場合も見られないんだよね」
「でも途中で帰るはめにはなりたくないなあ」
「うちら2チームで決勝戦したいね」
 

到着したのがもう22時半なので、この日はそのまま寝た。
 
翌日19日の朝8時半に簡単な開会式が行われ、その後9時から試合が始まる。千里たちは12:10からの試合で、この日朝に東京を発ったメンバーはこの試合には間に合わない。ともかくも居るメンバーだけで適当に回して快勝した。千里はこの試合でスリーを9本入れた。
 
江戸娘は15:20からの試合だったので何とか今朝東京を出発したメンバーも間に合った。長旅の直後の試合は大変だったと思うがこちらも何とか快勝した。ローキューツは10:35からの試合で、昨日の内に来たメンバーだけで頑張らざるを得ず、実はキャプテンの薫も来ていなかったのだが、何とか勝つことが出来た。
 

20日は2回戦と準々決勝が行われる。1日2試合なので40 minutesは2回戦を控え選手を中心に運用して快勝、準々決勝は主力を中心に運用してやはり快勝した。千里はどちらの試合にも出たが、2回戦で7本、準々決勝では11本のスリーを入れた。ここまでスリーは27本である。
 
江戸娘は2回戦で福岡のチームに敗れてしまった。
 
「今帰ったらしまなみ海道の景色が見られるけど」
という声もあったものの悔しいので大半のメンバーはその日の午後の準々決勝まで見て夕方のバスで福山に移動し新幹線で帰った。つまり結局しまなみ海道の美しい景色は見られなかった。キャプテンの青山さんなど数人のメンバーが翌日の決勝まで見てから帰ることにしたようだ。
 
ローキューツは2回戦で北海道のチームと激しい闘いを演じたものの最後は4点差で何とか逃げ切った。そして準々決勝では江戸娘を破った福岡のチームと今度は延長戦にもつれる激戦を演じる。最後はソフィアのブザービーターで1点差勝利。この日のローキューツは2試合とも本当に大変な試合であった。
 

そして21日は準決勝と決勝が行われた。
 
9:00からの準決勝の組合せは
40 minutes(東京) vs レディ加賀(石川)
ローキューツ(千葉) vs ミヤコ鳥(沖縄)
 
となった。ミヤコ鳥は準々決勝で昨年2位のセントールを倒している。パワープレイヤーの多いチームのようであった。
 
レディ加賀は以前愛媛Q女子高にいた180cmの長身シューター・菱川さんがいるチームである。背が高いので一応センターの登録になっているがスリーも当然上手い。中に進入すればダンクもするしリバウンドも取る。遠くにいてもスリーを撃つというので、極めて防御しにくい選手である。
 
40 minutesは彼女に182cmと彼女より長身の橘花をマッチアップさせた。橘花に言ったことはひとつ。自分では点を取らなくてもいいから、菱川さんに一切仕事をさせるなということである。
 
それでこの試合、橘花はひたすら彼女をマークし、他の選手からのパスはほとんどカットするし、シュートは3本に2本は叩き落としたり軌道を変えたりした。
 
その結果この試合での彼女の得点をわずか12点に抑えることに成功した(それでも12点も取られた)。
 
その一方で暢子と千里がどんどん得点を重ねるし、リバウンドについては誠美を温存するためにこの試合のセンターを任せた神田リリムと松崎由実が自分の出番が来たら競い合うようにボールを取る。
 
それで終わってみると78-93の15点差で快勝していた。千里はスリーを8本入れた。ここまで35本である。この時点で実は昨年自身が出したスリー34本というこれまでの最多記録を突破している。千里は10年くらいは破られない記録を出してやろうと頑張った。
 
「しかし勝てたけど全く気の抜けない相手だった」
「いや結構ヒヤヒヤだったよ」
「15点差はただの結果。実際には1点を争うゲームという気がした」
「菱川さんの相手疲れたぁ」
「お疲れ様」
 
 
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【春卒】(3)