【春逃】(4)
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(C) Eriko Kawaguchi 2022-10-15
3月7日(月).
邦生はその日は同じ投資課の同僚女子・長野珠枝(他店から異動してきた、この道6年のベテラン。主任にするというのを断り続けているらしいが、話し方も上手い)がお客様と話しているところをモニターで見ていた。この日は様々な金融商品のこと、人気の投信のことを学ぶとともにお客様があると、彼女や他の人の応答を見て相談の受け方の勉強をしていた。
そして仕事が終わり、帰ろうとしていたのだが、ここで峰代から電話が掛かってくる。
「さくらの送別会をするよ」
「それ峰ちゃんもじゃないの?」
「まあ私は御近所だからね」
それで、この日、邦生のマンションに、さくら・峰代を含む同僚女子9名が集まったのである。
「だけど女子でも遠くまで飛ばされたりするんだね」
「まあ女子は市内かせいぜい近隣の町までというのが多いけど、私はあまり女子扱いされてないから」
と、さくらは言っている。
「いや元々うちの銀行は、男女の差があまり無いと思う」
「長谷さんが支店長になるし、崎田さんも支店長になるし」
「女性の支店長もわりと居るよね」
「さくらも10年後には支店長だな」
峰代とかも明らかにキャリア志向だし、ビジネスパーソンとしての意識の高い子が多い気もするよなあと邦生は思った。
「そういえば、そちらは4月からうちに入るというくにちゃんの妹さん?」
などと、さくらが真珠を見て言う。
うーん。。。うちの妹(瑞穂)がH銀行に入ることはみんなに知れ渡っているのか。
「ぼくはくーにんのパートナーで〜す」
と真珠は言った。
「パートナー?もしかしてカップルなの?」
「そうそう。今年か来年には結婚式も挙げますよ」
「すごーい、女の子同士でカップルなんだ?」
と、さくらは感動している?
「トイレとか温泉とかでも一緒に入れるから便利ですよ」
待て。俺は女湯には入らないぞ、と邦生は思った。しかし、さくらは
「それいいね!」
と言っている。
「でも、さくらちゃんも女の子が好きでしょ?」
という声がある。
「女の子からラブレターとか、バレンタインとかもらったことはある」
「むしろバレンタイン、たくさん来そう」
「さくらちゃんも、女の子と結婚すればいいよ」
「うーん。自分が分からない」
などと、さくらは言っていた。
ひとりの子が、
「私、今年結婚して退職するかも」
などと言っている。
「別に結婚しても退職する必要は無いと思うが」
という声多数。
「でも相手はどんな人?」
「かっこいいし、話は面白いし、デートも毎回楽しくて。まだ26歳なのよ」
「何回デートしたの?」
「まだ2回だけどね」
みんな顔を見合わせる。2回しかデートしてなくて結婚を意識しているということは既にセックスしているのだろう。
「彼ビーエムダブリューX5に乗ってるのよ。すごくない?去年新車で買ったんだって」
全員顔を見合わせる。
「**ちゃん、あまり深みにはまらない内にやめときなさい」
「なんで〜?」
「だって、彼が本当にお金持ちなら、**ちゃん絶対“遊ばれてる”」
「え〜〜!?」
「だっていい所の息子なら、自由恋愛なんてできない。親が決めた相手と結婚させられる。きっと結婚させられる前に女の子を摘まみ食いしてるんだよ」
みんな頷いてる。
「そうかなあ」
「そして彼が貧乏人だったら“遊んでる”」
「うむむ」
「きっと借金漬けだよ」
「え〜〜!?」
「だって26歳の男の子の財力でそんな高い車買える訳無い」
「うーん・・・」
BMW X5は新車なら1000万円くらいする。
(この子は結局、翌週「振られた〜」と言って泣いていたので、みんなで慰め会をしてあげた。デート現場に別の彼女が来て、その彼女に平手打ちされた上に、彼氏と凄い喧嘩始めたらしい)
「そうだ。車といえばさぁ、誰か中古車高く買ってくれそうな所知らない?」
と、さくらが言った。
「何?車売るの?」
「七尾は車が無いと生活できないよ」
「いや、新しい車買うことにしたんだよ」
「へー!」
「実は今スペーシアに乗ってるんだけどね」
「可愛い!」
「さくらちゃんらしくない」
という声多数!
「色は?」
「ピンク」
「かっわいい!」
「女の子らしい」
「全然さくらちゃんらしくない」
「実は姉貴が乗ってた車を実質もらって乗ってた」
「へー」
「姉貴はスペーシアに5年乗ってて、一昨年“アクアのアクア”に乗り換えたんだよ。招き猫パッケージで」
「それはまた可愛い」
「それでスペーシアは売ろうとしたけど、査定が安かったから、そんな安い値段で売るくらいなら、あんた5万で買わない?と言われて、ぼくも社会人になって車は欲しかったけど、新車なんてとても買えないじゃん。それで姉貴から5万円で買ったのよね」
「なるぼどー」
「で今度七尾支店の主任で行くのにさ、スペーシアみたいな可愛い車に乗ってたら舐められそうじゃん」
「そうか?」
「だから中古だけどハリアー買った」
「すごー!」
「かっこいー」
「さくらちゃんらしい」
「H銀行のマイカーローン。12ヶ月払い」
「おお、しっかり仕事してる」
「それでスペーシア売ろうとしたけど、みんな1万とか2万とか言われて」
「うーん・・・」
「それ走行距離は?」
「12万km走ってる。それで査定が低いみたい」
「ああ」
「8万kmくらい越えると厳しくなるよね」
「修復歴は?」
「修復歴は無い。何度かぶつけて塗装は直してるけど。フレームには響いてない」
「車検は?」
「去年の12月にした。だからまだ1年9ヶ月ある」
「どこか7-8万くらいで買ってくれる所ないかなあと思って」
などと言っていた時、真珠が言った。
「7-8万なら、ぼくが買ったりしちゃダメ?」
「おぉ!」
「でもまこ、軽自動車なんか買ってどうするの?」
「雨や雪の日に使う」
「確かにそれは正しい使い方だ」
「バイクは雨や雪の日が辛いもんね〜」
「まこちゃんが買ってくれるのなら、4万円でいいよ」
「じゃマジで買います!」
「だったら、明日夕方とか、イオン示野あたりで待ち合わせない?」
「はい」
それで真珠は、さくらとスマホの電話番号・メールアドレスを交換していた。
邦生は言った。
「こいつが買うならさ、名義上はぼくが買ったことにしていい?こいつよりぼくの方が保険代が安くなるから」
「うん。それは全然問題無い。じゃ、くにちゃんの名義で売買契約書作っておくよ」
送別会は、19時頃から21時頃まで続いた。例によって、3つの部屋に分かれて座って飲食している。宴会が終わった所で“他の女子と同室にできない”さくらを含めて、女子5人をタクシーに乗せて帰し、窓口課の峰代と保波、渉外課の由海、投資課の小梢の4人だけが残って泊まりの態勢である。泊まるのが4人だけなので今夜は邦生と真珠はリビングではなく部屋で寝られるようだ。
今、各部屋は窓を開け、サーキュレーターを回して換気中である。
「ところで、君たちは指輪を買ったという噂が」
と峰代は言った。
「そんなの噂になってるの?」
「えへへ、もらっちゃった」
と言って、真珠はティファニーのジュエリーケースを金庫から取り出すと、自分で左手薬指に装着した。
「すっごーい。石がでかい」
「しかもティファニーじゃん」
「羨ましい」
などという声。
「給料の6ヶ月分くらい?」
「うん、そんなもの。ローンとかも抱えてないし、東京に行ってた2ヶ月間は忙しくてお金使う暇も無かったから、ほとんど手つかずだったんだよね。それに冬のボーナス、銀行で作らされた定期を解約したのまで入れて何とか払ったけど、さすがに貯金全部無くなった」
峰代が指を折って計算しているようだ。
「なるほどー。それで給料6ヶ月分が使えたのか。普通ならそんなに資金が使えない。まこちゃん運がいいよ」
と峰代が言うと。
「そうかもー」
と真珠も答えていた。
この日はこの後、この6人で、おやつ無し(実際満腹している:ストローを差した蓋付きコップや紙パックの飲み物のみ)でおしゃべりし、23時頃に各自の部屋に戻って寝た。
邦生は夜中起きた時、千里からメールが来ていることに気がついた。
「投資ゲームのid/pass送るね」
と書かれている。それで邦生は指定のURLにアクセスし、id/passを入れてログインした。
名前は“吉田邦生”と既に入力されている。ふりがなが“よしだくにお”で、性別女になってるのは気にしない。口座残高が1000万円ある。これを色々なものに投資して増やしていけばいいのだろう。
ゲームとはいうが、かなり本格的なもののようで、様々な金融商品が並んでいる。邦生は、取引専用アプリがあるようなのでまずはそれをダウンロードしてみた。このアプリで24時間相場の動きをウォッチングできるようである。
邦生は取り敢えず、円安はこの先もかなり進むだろうと思い、1000万の内の200万円をドルに換えておいた(恐い物知らず)。3/7の“円→ドル”相場は 116円で、これが 17240ドルになった)。株とかについては明日以降考えることにする。
3月8日(火)18時半、真珠と邦生は、示野のイオンタウンで、さくらと待ち合わせた。
「この車なんだけどね」
とっても可愛い車である。邦生はこの車を見たことがあるような気がした(1月中旬の夢で見たもの!)。
真珠と邦生で車のまわりをひとまわりしてみる。塗装を直しているというけど目立った傷は無いように見える。ちゃんとプロに塗装させたのだろう。
「ちょっと運転してみていい?」
「OKOK」
それで、真珠は助手席に邦生、後部座席にさくらを乗せて、イオンタウンの周囲をぐるっと一周してきた。
「全然問題ないです。買います」
「じゃ手続きに必要な書類渡すね。これ売買契約書」
ということで、売買契約書に邦生がサインし、印鑑証明を含む書類をさくらが渡す。真珠が4万円を支払い、さくらが領収書を渡して取引は成立した。さくらは、近くに駐めているハリアー(荷物がたくさん載っている)にお母さんと2人で乗り、七尾に旅立って行った。
3月7日、代表選考会で東京に出て来ていた津幡組の大半は熊谷からA318で帰還したが、青葉は熊谷までは一緒に来たものの、A318には乗らずに、コテージ“つばめ”に入った。
ここで“つばめ”というのは、コテージ“さくら”とほぼ同じ仕様のコテージを郷愁リゾート内の少し奥まった場所に建てたものである。
この“つばめ”に至る道路は、“つばめ”利用者専用であり、ゲートが作られていて、部外者はその道路にも進入することができない。高度にプライバシーが保たれている。
ただし、室内の様子は防犯カメラが撮影していて、AIが常にチェックしている(プール監視カメラAIの進化形)ので、犯罪行為が行われている疑いがあれば、ホテルの警備員が踏み込みますという宣言がなされている。これは“さくら”も同じである。
(実際には元警察官・元自衛官で構成する特殊チームが対応することになっている。銃こそ持っていないが、戦闘能力はかなり高い。訓練は欠かしていないが、幸いにもまだ出動するはめになったことは無い)
そしてこの“つばめ(燕)”は、年間契約専用なのである(年間400-600万円)。40日分の料金でコテージがいつでも利用できるというシステムである。実を言うと最初は“分譲”を考えたのだが、利用者の多くは企業ではないかと考え、それなら固定資産として計上しなければならない分譲方式より、経費として処理できる年間予約型のほうが、利用率は高くなるという意見があり、年間予約方式になった。
そして§§ミュージックはこのコテージを取り敢えず2棟年間予約したのである。特に青葉が入ったコテージは、11-12月にもワンティス・トリビュートアルバムの制作をした特殊仕様コテージNo.7721(夏には舞音の制作でも使用した)をそのまま移設したもの(8021)と、それと同じ仕様で新たに建設したコテージ8022である。
今回青葉は、前回と全く同じものが良いだろうということで、8021に入っている。
そして青葉はここで、11月と同様に、南田容子と立花紀子を助手に“若杉千代トリビュート・アルバム”の編曲をすることになったのである。青葉は4月の日本選手権まで熊谷の郷愁50mプール(千里姉の私物)で水泳の練習をしながら、編曲作業。
(結局青葉は自分が建てた新居になかなか泊まれない:12月の作曲家アルバムで日帰り訪問しただけ!)
このアルバムのトリビュート版を歌うのは、Takasaki Sisters つまり、高崎ひろか、松梨詩恩、水森ビーナの三姉妹である。
きっともう“姉妹”でいいのだろう。ビーナちゃん、去勢して尿道短縮手術も受けたらしいし。それでおしっこは完全に女の子と同じになったとか。排尿機能の無いペニスは事実上クリトリスと同じだし、おっぱいも膨らんできつつあるらしいし。それで女子生徒扱いにしてもらって女子校に転校したというから。それなら、もうほぼ女の子でいいだろう、と青葉は思った。
楽曲は20曲である。
『銀の首飾り』(1959)
『雪の砂浜』(1959)
『水のような娘』(1960:フランス映画の主題歌:別名『河はよんでる』)
『月影のナポリ』(1960:ミーナのカバー)
『愛の讃歌』(1961:エディット・ピアフのカバー)
『レッド川の谷間』(1961:アメリカ民謡:別名「赤い河の谷間」)
『イルカの恋』(1962)
『あなたは私に夢中』(1962)
『ランデブー』(1963)
『電車のあの人』(1963)
『金と銀のロマンス』(1963)
『眼鏡のあなた』(1964)
『花言葉』(1964)
『本日、恋はお休み』(1964)
『振り向いた時』(1965)
『私はあなたの子猫ちゃん』(1965)
『南国からの手紙』(1966)
『街の中のソリテア』(1967)
『恋の教え』(1969)
『忘れてないわ』(1972)
若杉千代の楽曲は4期に分けられる。
1959 デビュー曲『銀の首飾り』とそれに続く『雪の砂浜』は戦後間もない頃からの“初期歌謡曲”の流れを汲んでいる。
1960-1961 この時期は盛んに洋楽カバーを歌っている。ここでは4曲取り上げるが、実際には10曲くらいカバーして、ほぼ全部がそこそこ売れている。
1962-1967 ザ・ピーナッツ『ふりむかないで』のヒットにより“和製ポップス”の可能性が注目され、日本人作曲家によるポップスが作られるようになった。千代の大ヒット曲はこの時期に集中している。
1968- この後はあまり大きなヒットに恵まれていない。
今回取り上げる楽曲の分類はこのようになる。
歌謡曲期 2曲
洋楽カバー期 4曲
和製ポップス期 12曲
後期 2曲
ここで歌謡曲期と洋楽カバー期の6曲を“正確に歌える”水森ビーナが、和製ポップス期の12曲を“乗りの良い”松梨詩恩が、後期の2曲を情緒ある歌い方のできる高崎ひろかが歌うことになったのである。
「つまり私の歌は不正確で、情緒が無いということでしょうか」
と、松梨詩恩はややカチンと来て言ったらしいが、白河夜船社長は
「君は歌よりドラマが本職だし、君の強みは親しみやすさと可愛さだから」
と言っていたとか?
全然フォローされていない!
まあ、姉にも妹(?)にも歌唱力で負けてるのは分かっているので、ケーキ6個やけ食いしてから、3月下旬からゴールデンウィーク前に掛けてアルバム制作に取り組むことになった。
青葉は正直、若杉千代というのは、名前しか聞いたことが無かった。しかしこの仕事が青葉に託されたのはやはり年代の問題である。
若杉千代のヒット曲がだいたい20-25歳くらいの時期に集中しているので、それと似たような年代の音楽家に今の時代に合ったアレンジをしてもらって、高崎三姉妹に歌わせたいという趣旨なのである。
当時、若杉千代が歌う楽曲の制作指揮、後には作曲をしていたのは、先坂朝男(1936-1997)さんで、千代が1942年生まれなので、歌手本人と非常に近い年代の作曲家さんが指揮していたのである。もっと上の年代の人が書いていたら、ポップスではなく歌謡曲になっていたであろう。
なお、どうでもいいが朝男はアーサー王のもじりらしい。また偶然にも先坂さんは千代と同じ年齢で亡くなっている。
若杉千代は17歳で突然彗星のごとく現れ、25歳頃までの間に合計500万枚くらいのレコード(多くはドーナツ盤。ごく初期だけSP)を売ったと言われる。昭和戦後の大歌手のひとりである。1970年代以降は、テレビのクイズ番組の回答者、また音楽番組の司会などで活躍している。後にプロダクション“ユングツェダー”を設立。最初に売り出したのが実はワンティスだったのだが、高岡と夕香の事故死(2003)と、それに伴うワンティスの活動停止、更には千代自身の病死(2004)により、事務所は実質閉鎖された。
唐突にこういう企画が浮上したのは2022年が彼女の生誕80周年になるかららしい。どうもそれ以外に内情があるようだが、青葉としてはあまり首を突っ込みたくない。青葉にこの作業を依頼したケイもそのあたりは知らないようで、知っているのはコスモスだけのようである。
ただ昨年11月の村上騒動で、千代さんがアクアの命を救ったことが明らかになり、若干話題にはなっていた。だから営業的なタイミングとしては悪くない。ただ、この企画は村上事件以前から進行していたっぽい。
ケイから話を聞き、昔の音源を聴いてみたが、洋楽カバー以外は、全く聞いたことのない曲ばかりだった。しかも下手だし!下手なのは置いといて、これを今の歌手がそのまま歌ったら、いくら高崎三姉妹の歌といえども、全く売れないだろうと思った。
青葉はケイとコスモスに
「大きく変えますよ」
と宣言し、2人とも
「それでいい。元の曲をベースに新たな曲を書くくらいの気持ちで」
と言っていた。
なお大半の曲の作曲者・先坂朝男は亡くなっているが、∞∞プロの鈴木社長が息子さんと話した所、自由に換骨奪胎してくださいとおっしゃったということでほんとにまるで違う曲になっても構わないということだったらしい。
実際の作業だが、マジで20曲の大胆な編曲をしていたら、それだけで1年掛かる。先のワンティスのトリビュートアルバムでは、松本花子のサブシステム“桜蘭真知”にあらかたアレンジをさせて、そこから青葉が微調整する形で進めた。それで1日1曲ペースで進められたのである。
今回若杉千代の楽曲を聴いてみて、青葉はコスモスと話し合った結果、松本花子のサブシステムのひとつ“中島朱美”(都会系演歌)に改造を掛けて、ハウスっぽくしてみてはどうかという案が浮上した(たぶんロック・アレンジでは詰まらなくなる)。
かなりの改造になるので、青葉の手には負えない。それで松本花子のプログラミングの元締めである矢島彰子さんに相談した所、試験的に改造してみましょうということになって、一週間くらいのメドで改造してもらえることになった。この改造版は“中島恭子”と命名することになった。マシンは“桜蘭真知”を動かしたマシンを再利用するらしい。“桜蘭真知”はワンティストリビュート版専用だったのでDVDにセーブして消す。
そういう訳で、取り敢えず3月13日くらいまではこちらの作業が無くなったのでその間、青葉は水泳の練習に専念しようと思った。
この間に助手の南田容子の手で、編曲する20曲のメロディーとギターコードをシステムに入力してもらう。
立花紀子は物資調達や連絡の係である!
実際にはずっとフルートの練習をしていたようだ。彼女のフルートもなんとか高校生の吹奏楽部程度にはなってきていた。12月中旬頃のレベルからはかなり進化したようである。この子、結構努力家だなと青葉は思った。
3月8日、花ちゃんから青葉に電話がある。
「思ったんですけど、松梨詩恩が歌う分はハウスでいいと思うのですが、ビーナが歌う分はポップ系、高崎ひろかが歌う分はいったん演歌系でアレンジしてからポップスに引き戻すくらいのほうがよくないでしょうか」
「そうか。元々の洋楽の曲はそのままポップスがいいね!」
「はい。ビーナは歌唱力がありますし」
「だね!」
ということで、取り敢えず洋楽カバーの4曲については、松本花子のポップス担当ザブシステム・南海妃呂にアレンジさせることにした。それで南田容子にはこの4曲を優先して入力してもらう。彼女は8日の午後には4曲全部入れてくれたので、青葉はその4曲をまとめて南海妃呂にアレンジさせる指示を出してから、泳ぎに行った。
これが翌朝、3月9日には出来上がっていたので、9日の昼過ぎまで掛けて調整を掛けた。南田容子に試唱させてみると、わりといい感じである。それでこの4曲は先行して花ちゃんに送信した。ビーナが物凄く多忙なのでいつ録音ができるかは分からないが、時間の取れた時に歌わせるということだった。
千代の初期の2曲についても南海妃呂(ポップス系)にアレンジさせた。これを9日の夜に青葉が調整を掛け、翌10日の朝、南田容子に試唱させて確認。これも花ちゃんに送った。これでビーナ担当の分は全て青葉の作業は終わった。
洋楽カバーの4曲は下記であった。
『水のような娘』
1958年フランスのコメディ映画『l'eau vive』(直訳:生きている水)の主題歌。突然3000万フランの遺産を相続した若い女性オルタンス(Hortense)が信頼できる後見人を確保するまでの物語。この曲は映画のクライマックスで全く異なる2つの場面で同時に歌われる。「彼女はまるで生きた水のような娘だ」と歌っており、若杉の曲のタイトルは映画タイトルの意訳である。この曲は『河はよんでる』のタイトルで「みんなのうた」に取り上げられ、小学生の合唱曲として愛されているが、そちらの歌詞は原詩と全く無縁のものになっている。
『月影のナポリ』
イタリアの歌手・ミーナが歌った『Tintarella Di Luna』(直訳:月の色合い)のカバー。ザ・ピーナッツや森山加代子が『月影のナポリ』のタイトルでカバーしているので、若杉版も同じタイトルを踏襲している。
『愛の讃歌』
フランスの歌手エディット・ピアフ『Hymne a l'amour』のカバー。ピアフが航空機事故で亡くなった恋人マルセル・セルダンに捧げて歌った歌という話が広まっているが、実際には航空機事故の前に書かれていたらしいし既に別れていたらしい。恐らくは彼の突然の死で、ピアフ自身にとっても、プロモーション側にとっても、意味合いが変わってしまったのだろう。日本では越路吹雪のカバーが有名だがピアフの歌とはかなりテイストが違う。若杉の歌い方のほうが原曲に近いと青葉は思った。
『レッド川の谷間』
アメリカのカウボーイ・ソング『Red River Valley』のカバー。インディアンの女の子と村を去る白人男性との別れを歌った曲。男性歌手が歌う場合は、カウボーイと村を去る女の歌に若干の歌詞が置換される。この曲はしばしば『赤い河の谷間』と訳されているが、Red Riverというのは川の名前なので、固有名詞を翻訳してはいけない。Doctor Whiteを“白い博士”と訳しちゃったようなものである。
青葉は花ちゃんと話し合い、高崎ひろか分も先行させたほうが良さそうとして、こちらも先に、中島朱美にアレンジさせた。青葉はこれを3月10日の午後に1曲調整し、11日の午前中にもう1曲を調整した。
この調整をしながら感じたことを全部矢島彰子さんに送っておいた。プログラム改造の参考になるはずである。
ともかくも3月11日夕方には、この2曲を花ちゃんに送信することができた。高崎ひろかは時間が取れるので、たぶん来週中には録音完了になると花ちゃんは言っていた。
そういう訳で水泳に専念するぞ、と思いながらも8曲のアレンジを4日間でしてしまったのだが、3月12日と14日は、丸一日泳ぐことができた。
3月13日(日).
朝、彪志から電話がある。
「忙しそうだね」
「ごめんねー。近くまで来ているのに会いに行けなくて」
「こちらから会いに行ったらダメ?」
「うーん」
と言って、悩んでいたら、南田容子がメモを書いて渡す。
《息抜きも兼ねて、今日1日くらいデートしてこられません?編曲作業は矢島さん待ちですし》
と書かれている。
それもいいかなと思ったので
「じゃ。半日くらいだけ」
と答える。
「うん」
と彪志は嬉しそうに返事した。
彪志は実際には空振り覚悟で、もう郷愁村まで来ていた。
青葉はホテル富士のツインの部屋を“昨夜と今夜”の2日間予約し、そこで彪志と会った。まずは愛の確認をするが、青葉は練習疲れで眠っちゃった!
彪志は仕方ないので、自分も仮眠しながら青葉が目覚めるのを待つ。
結局14時頃青葉は目を覚まし
「ごめーん」
と謝った。
「ほんとに忙しいみたい」
「ごめんねー。4月に日本選手権があって、6月にはブダペストまで行ってくるけど、その後は9月のアジア大会まで少し時間が取れると思うんだけどね」
「同時に作曲もたくさんしてるし」
「そうなんだよ!」
「でもバレンタインはありがとう」
「あれも連絡できなくてごめんね。アマゾンからチョコだけ贈っておいたけど」
「美味しかったよ」
「よかった」
「大半は京平君と早月ちゃんに食べられたけど」
「あはは」
現在、浦和の家には京平と早月だけが居る。緩菜と由美はまだ高岡である。京平は現在年長さんで4月から小学校に入るのを楽しみにしている。早月は4月から幼稚園に行くのを楽しみにしている。ちょうど京平と入れ替わりになるので、幼稚園カバンは京平が使っていたのを使うとか言っていた。
「で、これホワイトデー」
と言って彪志はホワイトチョコの包みを渡す。
「ありがとう!」
「でもここに来る時、凄い数のトラックとすれ違ったけど、§§ミュージックのホワイトデーのプレゼントの処理のトラックだったみたい」
「ああ、大変だよね。舞音ちゃん宛てが凄いだろうから」
「どうも、アクア宛が圧倒的みたいだよ」
「へ?」
青葉は少し考えたものの
「まいっか」
と思った。
まあFちゃんは喜んでいるだろうな。
「ところでブタペストって、ルーマニアかどこかだっけ?」
「ブダペストね。ハンガリーだよ」
「・・・・」
「どったの?」
「ブタベスト?」
「ブダペスト。スペル見た方がいいよ」
と言って、青葉は紙に Budapest と書いてみせた。
「ああ、アルファベットで見ると分かる」
「実際はブダペシュトの方が本当の発音に近い」
「へー」
「ちなみにルーマニアというかロムニーアの首都は昔はブカレストと書かれていたけど、最近では現地音に沿ってブクレシュチと書かれることが多い」
「それは聞いたことある。あ、ブルガリアの首都は何だっけ」
「ソフィア」
「あ、そうか!
3月13日(日).
金沢市近郊の大型商業施設で、20代の女が窃盗容疑で県警に逮捕された。
女は施設の駐車場で、車から降りた所で偶然目が合った警備員を見て反射的に逃げようとした。そんなことしなければ警備員も見過ごしていた所だが、逃げたので、警備員も追いかけて、拘束した。
(熊と遭遇したら、背中を向けて逃げてはいけない法則)
それで女が告白したのが車の“勝手乗り”である。
つまり女は大きな駐車場で鍵が差さったままでロックもされてない車に気付くと、その車を勝手に乗り回して20-30分運転したら元に戻すという“遊び”?をしていたというのである。ただ、ほんとに大きな駐車場だと、車が元はどこに駐めてあったか分からなくなることもあったし、また戻ってきた時には元の場所が塞がっていた場合も、適当な場所に駐めていたという。
小さなスーパーだと持ち主がすぐ戻って来る可能性があるが、大きな商業施設、またパチンコ屋さんなどの駐車場だと、長時間戻って来ないことが多いので、そういう所を狙っていたらしい。
また都会のドライバーはきちんと車をロックする人が多いが、田舎のドライバーは無防備な人が多いので“石川ナンバー”の車を狙っていたということだった。
(石川県では、金沢市とその近隣の内灘町・津幡町・かほく市のみが金沢ナンバーで、その他の地域が石川ナンバーである)。
車の持ち主としては「車が勝手に移動したような気がするけど、きっと気のせい」と思い、自分が犯罪に遭ったこと自体を認識しないことが多い。
余罪はかなり多数にのぼると見て、警察は追及中ということであった。
報道部がこの件を取り上げているのに気付き、幸花はすぐその商業施設まで行ってみたものの、もう夕方なので、この日の撮影は断念した。
翌日月曜日(3/14)、真珠と明恵を呼び出して(学校はもう春休みに入っている)、一緒に、女が捕まった商業施設に行き、『霊界探訪』としての取材をした。白山市に住んでいて、石川ナンバーの車に乗っている放送局員に協力してもらい、彼の車を真珠が運転して、一緒にそこに行った。
「ここも“車が勝手に動いた”というのの取材で来ましたね」
「本当に動いていた可能性もあるね」
再現ドラマを撮影する。
明恵が覆面!をした上で犯人役を演じ、助手席で真珠が撮影する(真珠のほうがカメラワークが上手いので)。幸花は駐車場所で撮影した。
覆面姿の明恵が鍵が差さったままの石川ナンバーの車(放送時にはナンバーにモザイクを掛ける)を見付けると、おもむろに手袋をして、ドアが開くかどうか確かめる。ドアが開くと勝手に乗り込み車を出す。そして、しばらくドライブしてから戻ってくるが、元の場所がふさがっていたので適当な場所に駐めるシーン。元の場所が分からなくなって適当な場所に駐めるシーンを撮影した。
「これ組み込んで再編集しよう」
それて夕方、初海と邦生まで呼び出して、臨時編集会議をする。更に千里が「これ使える?」と言って、青葉の等身大フィギュア!を持ち込んできたので、そのフィギュアを椅子に座らせ、初海にセリフを読ませて追加撮影を行った。
「金沢ドイルさん、腹話術で話してますね。唇が動かない」
「ドイルさんは色々な術を使われるようです」
「ドイルさんの声が初海ちゃんに似てる気がするのですが」
「気のせいです」
これを組み込んでの編集は、明恵・真珠・邦生に託されたが、20時頃、明恵が眠そうにしていたので、「あんたはもう帰りなさい」と言い、千里が“宿泊所”まで送っていった。
明日早番の幸花も21時には離脱する。それで最後は真珠と邦生の2人で編集作業をすることになった。幸花は編集室の鍵を真珠に渡し
「悪いけど、あとよろしく」
と言った。
「大丈夫です。きちんと、やっておきます」
「帰りは自分で運転せずにタクシー使いなさいね」
「はいそうします」
「ちなみに、あんたたち2人で遅くまで作業してても、局内セックスは禁止だからね」
「さすがにそこまではしません」
「どこまでならするの?」
「企業秘密です」
実際には、仕事で疲れている邦生は少し休んでて、いつも元気いっぱいの真珠があらかたの作業をして、邦生にチェックしてもらう形にした。
「なんで俺がローズ+リリーのライブで演奏しているシーンまで入ってるの?」
「気にしない気にしない。可愛いスカート姿でホルン吹いてる所映しただけだよ」
「スカートの衣裳渡されて衣裳はこれだけだと言われたから」
男子にまでスカート穿かせるわけないから“女性用はこれだけ”という意味だろうなと真珠は思った。
「そういえば、くーにんって喉仏無いよね。手術して削ったんだっけ?」
「手術はしてない。なんかいつの間にか消えたんだよなー」
「へー、そういうこともあるもんなんだ」
性別軸がずれて“少年化”したせいだろうなと邦生は思った。
「喉仏無くても男の声は出るんだね」
「声の出し方は習慣だからな」
「くーにん、男の声も女の声も自由自在だもんね」
「最近そういう人増えてるよね」
しかしそれでこの日の内に放送用ビデオの改訂版は完成したのである。3月18日の放送の4日前。直前まで変更があるのは、いつものことである。
真珠と邦生の作業は0時前に完了し、2人は言われた通り、タクシーでマンションに帰った。
この日、邦生はタクシーで放送局に来ていたので、Ninja1000はマンションに置いたままだったが真珠のGSX250F, 明恵のYZF-R25は放送局に置き去りになった。
真珠は幸花に鍵を返すのに、翌朝(3/15 Tue)、Ninja1000で放送局に行った。正確には、出勤する邦生を銀行まで送ってから放送局に行った。幸花はビデオをチェックして
「ありがとう。これで放送しよう」
と言う。
そしてそのまま石崎部長も来て、ビスクドール展の打合せをした。展示会の責任者・田代サブディレクターも加えて、人形の輸送・保安体制などについて確認した。この話し合いが遅くなったので、この日の夜、
「あんた疲れてる時にバイクは危ない」
と言われて、幸花が自分のMazda3 でマンションまで送ってくれた。
そういう訳で、3/15夜=3/16朝の時点で、邦生のNinja1000, 真珠のGSX250F, 明恵のYZF-R25が3台とも放送局に来ていた。
(本当は真珠のは兄のバイク、明恵のは青葉のバイクだが、どちらも借りっぱなし)
そして・・・
3月16日(水).
朝、邦生は出勤しようとして、1階まで降りてバイク駐輪場まで行ってからNinja1000が無いことに気付いた。
真珠に電話する。
「ごめーん。放送局に置いたままだった。朝早い内に取ってこないといけなかったね」
「仕方ない。じゃ歩いて行くよ」
「ぼくがスペーシアで送ってってあげるよ」
「そう?」
それで真珠は地下駐車場まで降り、邦生もそちらに行って、ピンクのスペーシアに乗り、銀行まで行った。
金沢市街地はもちろん路上に車を停めることは許されないので、取り敢えず銀行の職員駐車場に入れる。
それで「行ってきます」と言って、邦生が真珠にキスして降りたら、そこにちょうど、自分のインサイトで出勤してきた、同じ投資課の花畑竹馬係長と遭遇する。
「おはようございます」
「おはようございます」
と挨拶を交わす。
「それ君の車?やはり女の子は可愛い車に乗るね」
と彼は笑顔で言った。
幸花は千里に訊いた。
「青葉ちゃん、次はいつこちらに戻って来るんですかね」
「4月28日から5月1日までの日本選手権までは向こうに居ると思う。続いて、6月18-25日のハンガリーでの世界水泳ですね。代表合宿とかもあるかも。その後は9月のアジア大会まで少し時間が取れる」
と千里は青葉のスケジュールについて答えた。
「世界水泳の終わるの待ってたら、6月の放送が出来ない」
「どっかで強引に連れてくる必要があるよね」
「じゃ、ここ1〜2週間くらいの内には、ネタをまとめなければ」
「現時点でネタの候補は?」
「いくつか候補があるものの、雲を掴むような話が多くて。ひとつ白いセダンという話はあるんですけど。それこそ、ただの気のせいでは?と思うような話で」
と言って幸花は説明し始めた。
その日、邦生はFXを試してみていた。近年かなり人気のある取引だというのはここまでに理解していた、FXの魅力はレバレッジ(*7)で、例えばレバレッジを25倍にすると、投資額の25倍まで取引ができるということである。
凄いじゃん、小さな資金でもそんな大きな取引ができるなんてと思う。
それで取り敢えず10万円だけお試しで投資してみる。すると25を掛けて、250万円の取引ができることになる。なんか、すごーい!
そこで、250万円をドルに変えてみた。この時の相場は121.52円だったので、これが 20,572.745ドルになった。今どんどん円安になっているから、少し円が安くなった所で売れば結構な利益が出るのではと思った。
ところがその後、株の取引などをしていて、3日ほど経った時にFXのことをお思い出す。そしてそちらを見ると、ポジションが無くなっている!?そして、証拠金も半減している!?
なんで?と思って見ていたら“ロスカット”というものに遭ったことが分かる。
その日の為替相場は120円くらいだったのだが、昨日一時的に119.02円まで円高になっていた。すると、その途中 119.08円の時、立てているポジション20,572.745ドルは円に換算すると、2,449,802.474円となり、当初の投資額2,500,000円より、50,197.526円少ない。この損失が証拠金10万円の50%をわずかながら超えてしまったので、その瞬間、“ロスカット”が実行され、ポジションは消滅。その時点での損失額が証拠金から引かれてしまうのである。
(*7) leverageとは「てこ(梃子)」という意味。小さな力が“てこ”により大きな力に変換できるように、僅かな資金で、大きな投資ができる。現在日本ではFXのレバレッジは25倍までに制限されているが、投資家の間にはもっと制限を緩めて大きなレバレッジを掛けられるようにして欲しいという声が強い。むろん、あまりに高いレバレッジを掛けるのは、なかば博打(ばくち)に近くなる。
「なんで〜!?だって、その後、120円まで戻したのに〜!??」
と邦生は思わず口に出して文句を言ったものの、ダメである。
一瞬でも潜在的な損失が証拠金×(1−ロスカット率)(*8) を上回るとロスカットは有無を言わさず実行される(*9)。それ以上損失を拡大せず、投資者を守るための仕組みであるが、変動の大きな相場では、ロスカットはどうしても発生しやすい。
ロスカットは当然レバレッジが大きいほど起きやすい。このケース、例えばレバレッジが25倍ではなく20倍だったら、119.02円まで行っても、損失は41,145.513円に留まり、ロスカットは起きなかった。
「でもまだ10万で良かったぁ」
と邦生は思った。これが200万とか投資していた場合、一瞬の変動で半額の100万円が消えてしまう。FXって恐いなあというのを実感するとともに、ロスカットという仕組みを5万円の勉強代を払って身をもって学んだことになる。
まあゲームだけど。
本気で5万すったら真珠に叱られるなあ、などと思った。
(そもそもFXのポジションを3日も放置していたのが根本的に問題なのだが、邦生はまだそのあたりを理解していない。FXはずっと相場に貼り付いていられない勤め人さんには向かない)
「でも10万円も入れずに4万円くらいで練習しておけば良かった」
などとも思ったが、先のことが分からないのが相場というものである。
でも邦生は再度FXに挑戦。今度は相場によく気をつけておき、10万円の利益を得て「やった」と思った。結果的に最初の損失を充分取り戻した。でもFXって片手間にはできないと思った。
(*8) この証券会社のロスカット率初期設定は50%。邦生はこれが変更できることに気付いてないが、マネーゲームを体験(?)している邦生の場合は、変更する必要無いと思う。ロスカット率を100%にしておけば、少しでも損失が出るとすぐロスカットされて、とっても安全ではあるが、マネーゲームとしては面白みが無いし「すぐロスカットされてどんどん資産が目減りしていく」ということにもなりかねない。
(*9) ロスカットが無かったら“追証(おいしょう)”という投資家にとって時には自殺に追い込まれるほど恐ろしいものが待っている。FXはこの追証を(めったなことでは)払わなくて済む分、安全なのである。
但し、FXでも追証は希に発生することもあるので、それを払える分の資産を別途持っておくことは必須。「卵をひとつのカゴに盛るな」の原則もあるし、自分の資産を全額FXの証拠金として入金するなどというのは絶対にしてはいけない。
3月15日(火).
青葉に矢島さんから電話があり、試作品ができたので、試してみて欲しいということであった。そこで松梨詩恩に歌わせる曲の中から、まずは『イルカの恋』を新しいアレンジシステム“中島恭子”にアレンジさせてみた。
青葉は一泳ぎしてきてから、結果を見てみたが、結構雰囲気が良かった。手作業で少し直し、南田容子に試唱させてみる。その試唱を聞いて譜面を調整する。それを半日近く続けて、満足いく所まで到達した。それでシステムを調整してほしい点をまとめて矢島さんに送信した。
修正版は18日に完成した。青葉はこの修正版に再度『イルカの恋』を掛けてみた。
すると、15日に手作業で作ったアレンジより出来が良かった!
そこで15日に書いたものはボツにして、この新しいアレンジから調整を掛け、南田容子に試唱させて確認し、編曲完成第1号として花ちゃんに送った。
「15日のバージョンはボツなんですか?」
「うん。ごめんね。せっかく沢山歌ってもらったのに」
「でも惜しくないですか?万葉先生も随分ご苦労なさっていたのに」
「苦労したってダメなものはダメだよ」
「すっごーい」
と容子は何だか感動していたようであった。
「萩本欽一さんはさ」
「はい」
「1000万円掛けて作ったセットの出来が悪かったので作り直させたことがある」
「1000万も掛けたのに!?」
「いくらお金を掛けてもテレビに流すのにふさわしくないと思ったら作り直させる。やはりそれがプロ意識だよ」
「凄いですね!」
青葉は矢島さんに、なおも改良して欲しい点を伝えた。修正はその日の内に行われた。それでその後の編曲は1日1曲ペースで進んだ。
3.19『あなたは私に夢中』
3.20『ランデブー』
3.21『電車のあの人』
3.22『金と銀のロマンス』
3.23『眼鏡のあなた』
3.24『花言葉』
3.25『本日、恋はお休み』
3.26『振り向いた時』
3.27『私はあなたの子猫ちゃん』
3.28『南国からの手紙』
3.29『街の中のソリテア』
それで青葉の作業は3月30日までに完了し、この日青葉・容子・紀子の3人で打ち上げして、今回のプロジェクトを完了させたのである。
2022年3月16日(水).
医師国家試験の結果が発表され、青葉たちの元同級生・呉羽ヒロミは合格していた。これで彼女は医師の免許を取得し、4月からは出身大学の附属病院で研修医としてのスタートを切る。研修は5年間で、最初の2年間は様々な診療科を経験して医師としての総合力を高めることになる。
↓左側の期間は“最低期間”。この他に選択科目を経験する。
6ヶ月 内科
2ヶ月 救急
2ヶ月 外科
2ヶ月 小児科
2ヶ月 産婦人科
2ヶ月 精神科
2ヶ月 地域医療
なお、附属病院での研修は概して給料が安い!(概して地方都市の大病院は厚遇で研修医・医師を迎えてくれる)
近年研修医のあまりに過酷な労働環境が問題になり、研修医が“アルバイト”の名目で研修以外の医療を行うことが禁止されたことで、かなり改善された。
しかし結果的に、多くの病院で当直医が不足することになった。
そのため最近は人手確保のため、附属病院や直系の病院が、優秀な卒業生の囲い込みをしていると言われる。呉羽は先輩女子の氷室さんから「うちで研修しない?」と言われて何も考えずに「はい。お願いします」と言って、附属病院で研修医をすることになった(呉羽は優秀なので採用試験には満点合格した)。
「ところでさ、女性医師って結婚や出産のタイミングが難しいでしょ」
と氷室さんは言っていた。
「うちのクラスでは在学中に2人産んだ子がいました」
「そうそう。それやる子もいる。学部が終わって国家試験通ると、今度はみっちり5年間の研修で鍛えられて時間無いし、研修終わってどこかの病院に入ると、新人の内は、結婚・出産すると白い目で見られるし。それで40歳近くになってから、やっと子供産む人もいるのよ。在学中に生んじゃうのはひとつの手。休学が必要だけど」
「その子、2度とも休学しなかったんです。大学の休み期間中にぶつけて出産して」
「それはスーパーウーマンだ!」
と氷室さんは感心していた。
この世界では研修医時代に恋愛して結婚する人もあるが、研修が終わった後、別々の病院に飛ばされることもよくある。すると若い男性医師は女性看護師さんたちにもてるので、そこから離婚に至るケースも多い。
2年間の研修が終わると、自分の専門を決め、3年間“専攻医”として、更に実地の医療を学んでから、ようやく独り立ちすることになる。だから医師になるには6年間の医学部時代も含めて11年掛かることになる。浪人留年せずに行って29歳である。
(2018年3月以前は、現在の研修医を“前期研修医”、専攻医を“後期研修医”と呼んでいた)
呉羽は
「ぼく、結婚とかしてくれる人あるかなあ。結婚するなんて相手には元男の子だったこと言わないといけないし、その瞬間振られそうな気がする」
と悩んでいた。
3月19日(土)から4月24日(日)まで金沢市内のショッピングプラザ特別展示室で“ビスクドール展・フランス人形・ドイツ人形の魅力”が開催された。
S市の人形美術館から400体ほどの人形が出展されたが、アンティークドール(リプロダクションを含む)約20体を含む、特に貴重な人形約60体は、明恵・真珠・初海・および幸花の手で運んだ(その他の人形は、〒〒テレビが手配した業者さんが運んだ)
4人は、前日の18日(金)に、千里から借りたVolvo XC-40 (1968cc)、および幸花のMazda3に乗ってS市人形美術館に行き、該当の人形をクッション材でしっかりと梱包。発泡スチロールの箱に入れて、車に乗せた。そして運転交代しながら金沢市の会場まで慎重な運転で運んだ。
運搬作業完了後、イベント責任者(〒〒テレビの田代さん)とオーナーの孫・遙佳さんの指示で多数の人形が置かれていくのを見ながら、明恵と真珠が会話していた。
「でも千里さん、色んな車があるんですねー」
「ほんとに私も全部で何台あるのかよく分からない。うちの浦和の家の敷地によく放置されてるんだよ。千葉に車両の保管庫を持ってるから、だいたいそこに置いておく」
「保管庫があるんですか!」
「常総市なんだけどね。駐車場代がかかりすぎるから、そこに土地買って、保管庫作ったんだよ。今はカーエレベータ付き3階建てになっている」
「ひゃー」
(↑常総市は千葉県ではなく茨城県!最初千葉県九十九里町、次いで同県長柄町の土地を候補にして最終的に常総市になったので千里は常総市も千葉のような気がしている)
「今“女装しぃ”と聞こえた」
(北陸方言で“〜しぃ”は“〜しなさい”の意味)
「君たち女装とかしてみない?楽しいよ」
「でもあれ、癖になるらしいですよ」
「やみつきになると、性転換手術受けて本物の女になりたくなる人もあるらしいです」
「もしかしてそれちんちん切っちゃうの?」
「当然。女にちんちんは無いからね」
「恐いね〜。ちんちん切るなんて」
「むっちゃ痛そうだよね」
「立ち小便もできなくなるし」
「女の子っておしっこだけの時も便座に座ってするんでしょ?」
「だけど男の人にちんちん入れられるのって凄く気持ちいいんだって」
「へー。体験してみたいようなみたくないような」
などと明恵と真珠は言っていた。
千里はこのコンビ、大学卒業後も、何とか維持できるようにしたいなと思った。2人とも就活全然してないっぽいけど。真珠は邦生と結婚するから、明恵とも結婚させる訳にはいかないし。
さて、18日に明恵と真珠は、朝から各々のバイク(YZF-R25/GSX250F)で放送局まで行き、そこで千里のXC40でS市まで往復した。そして金沢に戻った後もビスクドール展のレイアウト作業を館長代理の遙佳と一緒に遅くまで見守った。
遅くなったし雨も降っていたので、2人は千里さんにXC40で送ってもらい“宿泊所”に戻った。
そして宿泊所で、今回の『北陸霊界探訪』の放送を見た。
19日はビスクドール展のオープンに立ち会うためALショッピングプラザに向かうが、自分たちのバイクを放送局に置いたままなので、Ninja1000を借りて2人で乗って会場に向かった。
その後、幸花が「6月放送分のネタについて話し合いたい」というので、そのまま放送局に移動した。
ところがこの日は夕方から雨だった。幸花が
「雨なのにバイクは大変でしょ」
と言って自分の Mazda3 で、2人を宿泊所まで送っていった。
つまり・・・・・
3月19日(土)夜=3月20日(日)の時点で、バイクは3台とも放送局に駐めたままになっていた。
3人は日曜日はどこにも出掛けず、宿泊所のリビングでおしゃべりしていた。
「セックスしたくなったらしてね〜。私は奥の部屋に引っ込んでるから」
などと明恵は言っていたが、真珠は
「昨夜したから大丈夫」
などと言っていた。
そして3月20日朝、邦生は出勤しようとして、1階まで降りてバイク駐輪場まで行ってからNinja1000が無いことに気付いた。それで真珠に電話した。
以下同文!!
(今度はレクサスで出勤してきた課長と遭遇した)
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【春逃】(4)