【春逃】(2)

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真珠と邦生が青葉を小松空港で降ろしたのが、14:10頃であった。渋滞とかに掛かるとまずいので、そのまま香林坊に戻った。これが15時頃である。ミスドをテイクアウトしてきて車内で食べる。そしてトイレに行っておくが、もちろんふたりとも女子トイレである!邦生の容貌でスカートまで穿いていると、さすがに男子トイレには入れない。
 
一緒にトイレの列に並んでいると、真珠が楽しそうだった。傍目(はため)には女子の友人同士にしか見えないだろう。
 
そしてメイクを少し修正した上で、16:58くらいに大和(だいわ)のティファニーに行った。
 
お店に入るとすぐ
 
「吉田様、お待ちしておりました。こちらへ」
と言って、商談ルームに通された。
 
名乗る前に名前を呼ばれ、通されるのはさすがだなと思った。どうかしたお店なら、名前を言ってから、予約簿を確認し、それから、どこか空いてたかな?などとなる所だ。そもそも予約してても1時間くらい待たされたりする!
 
最初に登録用紙を出され、御名前をお願いしますと言われたので、真珠が
 
(贈る人)吉田邦生 よしだ・くにお
(贈られる人)伊勢真珠 いせ・まこと
 
と書いた!邦生は「くにお」と書かれて「うっ」と思ったが、まあいいことにした。今日はスカート穿いてお化粧もしてるから男を主張できないし!
 
カタログの中から、真珠の好みのデザインを選ぶ。石はソリティアの6本爪型とし、脇石やメレは入れない。指輪の形もウェーブを掛けない基本のストレートにした。また、朝測定されていたサイズの仮リングを指に通してみて、そのサイズで問題無いことを確認する(夕方は指が膨らんでいる場合もあるが、それを考慮した上でサイズを選定してくれていたようだ)。
 
「指輪の材質は、プラチナになさいますか?18金になさいますか?あるいは別の素材になさいますか?」
と言って、スタッフさんは様々な材質の指輪を並べたものを見せ、各材質の特徴も説明してくれた。チタン、ジルコニウム、イリジウムの指輪もある。プラチナの間に金が挟まっているようなものもあるし、それがらせん状になったものまである(サイズ直しが絶対できない!)。
 
「普通にプラチナでいい気がします。私、金属アレルギーとかも無いし」
「かしこまりました」
 

石を選ぶ。
 
0.8 0.9 1.0 1.1 1.2 のサイズの石を見せられた。
 
邦生は悩む!
 
たぶん0.8で160万円くらい、1.2だと300万円くらいかなという気がした。
 
邦生が悩んでいるようなので真珠は“上を切る”ことにした。
 
「あまり大きすぎても、私たちみたいな貧乏人には不釣り合いだから、0.8か0.9くらいのサイズでもいいよ」
 
などという。すると邦生は
 
「じゃ値段にもよるけど1カラットくらいで」
と言った。
 

「今ここにございます1カラットの石は VVS 3EX H&C Eカラーでございます」
と言われた。
 
邦生はさっぱり言葉が分からない!
 
真珠が「意味が分からなーい」と言うと、ひとつひとつ用語を丁寧に説明してくれた。
 
VVS:石の品質。上から FL/IF/VVS/VS/SI
3EX:石の加工が3つの観点で素晴らしい(excellent)こと
カラー:完全無色のDからかなり色が付いたMまである。
H&C:ハートマークと矢(キューピッドの矢)が見えること。実際ジェムスコープで見せてもらって「すごーい」と真珠が感動していた。
 
「VVSとIFとFLってどのくらい違うんですか?」
と真珠が訊く。
 
「今ここに並んでおります、1.1ctのものが IF (Internally Flawless), 1.2ctのものが FL (Flawless) でございます」
 
「違い分かる?」
と邦生。
「私には分からない」
と真珠。
 
(FL/IF/VVSの差は10倍に拡大して見て熟練の技術者が発見できるかどうか微妙という程度の不完全さなので、普通の人が肉眼で見たら、まず区別が付かない)
 
「ぼくも分からない。じゃVVSでいいかな。カラーは?」
「この1.0ctのがEカラー、1.1ct, 1.2ctのがDカラー、0.9ctのがFカラーでございます」
 
「どう思う?」
「0.9ctのより、1.0ctのがきれいだと思う。1.1ctのとは、ぼくの目では分からない」
「くーにん凄いね。私の目ではどれも区別付かないよ」
「じゃEカラーでいいかな」
 
「かしこまりました。ではサイズは0.9か1.0ct, VVS 3EX E-Color という線でよろしいでしょうか」
 
邦生は真珠の顔を見る。真珠が頷いている。
 
「ちなみに、さっき選んだデザインのプラチナリング、この石だとお値段はお幾らになります?」
 
「少々お待ちください」
 
スタッフさんはタブレットを見ている。
 
「1.0ctの場合、214万円+消費税で235万4千円、0.9ctは186万円+消費税で204万6千円になります。刻印入れ、指輪ケースはサービス致します」
 
0.9でも200万円を超えているので、真珠が心配そうである。真珠としては、200万円に少し届かない程度の価格帯を狙ったつもりだったのだが、何と言ってもティファニーである。真珠は0.8でもいいよと言おうと思った。
 
しかし邦生はポーカーフェイスで答えた。
 
「その値段なら1.0カラットで。今実物を見ている石が安心だし」
「かしこまりました」
「支払いはこのカードでいいですか?」
 
と言って、勤務しているH銀行のゴールドカードを出す。
 
「はい。その前に、この石をさっきの指輪に填めた状態をモニターで見て頂けますか?」
と言って、スタッフさんはタブレットを見せる。
 
「ああ、凄くいい感じです」
 
「手のお写真を撮らせて頂けましたら、指に填めた所もご覧になれます」
「じゃどうぞ」
と真珠が言うので、左手の写真を撮る。その写真に指輪を填めた状態がタブレットに表示された。
 
「すっごいゴージャス。こんないい指輪もらっていいの?」
「まあいいんじゃない?気に入った?」
「うん」
「ではこれで」
 

「かしこまりました。刻印の印字はどうなさいますか?」
「じゃ、LOVE MAKOTO とかどう?」
と言って真珠を見る。
 
「うん。嬉しい」
「ではこれで」
と言って、邦生はあらためて用紙に LOVE MAKOTO と書いた。
 
「ちなみにマリッジリングも一緒にお選びになりませんか」
「さすがに一度には払いきれないから、また年末頃来ますよ」
「承知致しました。では年末頃またお待ちしております」
 
あはは。これで夏・冬のボーナスの行き先も決まったなと思う。
 
なお、在庫している指輪、在庫している石なので、刻印を入れて明日には受け取れるということである。それで明日2月14日の夕方、受け取りにくることにする。
 
「ではこの指輪にこの刻印でよろしいですか」
「はいそれでお願いします」
「決済はこのカードでよろしいですか」
「ええ。それで」
「お支払い回数は?」
「1回で」
と邦生が言ったので、真珠は「へー」という感じで感心していた。
 

ここまで話が済んだのが17時半頃であった。係の人がカードを端末に入れ、暗証番号の入力を求められるので打ち込んだ。すぐ決済されて伝票が出る。
 
「凄いバレンタインプレゼントだね」
と真珠。
「チョコレートも歓迎」
と邦生が言うと
「忘れてた!」
と真珠は言っている。
 
「今から買いに行こうよ」
「じゃ適当な所に移動するか」
 
そこまで話が済んだ所で、ケーキとコーヒーが出て来た!
 
「すみません。コロナの折、食べながら話してはいけないことになっておりますので。ここでゆっくりお召しあがりください」
と言って、スタッフさんは下がった。
 
「このケーキ美味しい」
「コーヒーも美味しい。ブルマンだね」
「くーにん、ブラックなの?」
「だってこんな美味しいコーヒーにミルクや砂糖は入れたくない」
「ぼくはブラックとか無理〜」
と言って、真珠は砂糖もミルクもたっぷり入れて飲んでいた。
 

ゆっくりとケーキ・コーヒーを味わって17:45頃、お店を出る。チョコを買いに道路向かい側の東急スクエア(旧KOHRINBO 109)に移動する。
 
※筆者は109というのは金沢のお店と思い込んでいたので、渋谷で109を見た時「へー。東京にも109ってあるのか」と思いました!香林坊109ではたくさん可愛いお洋服を買いました。
 

「でも一括払いで大丈夫だった?」
と真珠は心配そうに訊く。
 
「俺、11月12月は、食事も全部提供してもらって、忙しいから使う所もなかったし、10月から12月までの給料とギャラがほぼ丸ごと残ってたんだよ。それにボーナスももらったし。更に銀行で定期作らされたのもあるから、それを解約すれば3月の決済日には充分払える」
 
他にローンとかを抱えていない強みである(バイクのローンはもう完済している)。むろん邦生はいくらまでなら払えるか、きちんと計算していた。
 
「だったら、もっと高いのねだれば良かったかなあ」
「あまり無茶させないでくれ」
「でも嬉しいー。いつ結婚式あげる?」
 
「それは、まこの就職の予定とも絡むと思う」
「ぼく就職どうしよう?」
「何社くらい会社訪問した?」
「まだ全然」
「早い人はもう内々定くらい取ってない?」
「取ってる人いる。もう少し焦ったほうがいいかな」
「うん。少し焦るべき。まこの就職の状況が見えてから結婚式の日程は詰めようか」
 
「でもさあ。女子が就職してすぐ結婚式あげたら、凄くいやがられそうな気がする」
「といって、3年も4年も待ちたくないよ」
「うーん・・・」
と真珠は少し悩んでから言った。
 
「いっそ今すぐ結婚する?」
「今すぐなの〜〜?」
 
「くーにんが性転換手術受ける前に結婚しちゃう」
「そんな手術受けないって」
 

Timeline
 
1/27 青葉戻る。〒〒テレビで編集会議
1/28 イオンとW神社に行く。
1/29-30 S市の人形美術館に行く
1/29 邦生プールに行く
1/31-2/03 人形の退避
2/01 青葉がH銀行に融資申し込み
2/02 機関車の改造・運行実験
2/03 石崎部長がS市まで行き、人形展の契約
2/04 火牛パークオーブン/人形美術館の工事
2/05-06 人形はS高校で暫定展示
2/05-06 W神社に社内鉄道設置
2/07-10 人形を美術館に戻す
2/07-09 邦生は高山市で研修
2/10 落合翠:能登→熊谷
2/10 青葉・千里・真珠が人形美術館に行く
2/11 人形美術館再開
2/11 糸川穂美:小松→熊谷
2/11 夕方、編集会議。その後、千里が邦生を除霊
2/12 瑞穂が邦生のマンションに来る
2/13 糸川穂美:熊谷→小松
2/13 青葉逃亡!
2/13 邦生がエンゲージリングを買う
2/14 玉梨乙子が融資申込みに来る/指輪受取り/青山の結婚式
2/15 マーチを高岡に回送
2/16 青葉への融資承認
2/24 玉梨への融資承認
2/25 落合翠:熊谷→能登
2/26 津幡組:能登→熊谷
3/04 邦生・世梨奈:金沢→仙台
3/04 明恵:金沢→東京
 

2月14日(月)の午後、幸花は青葉からの
 
「東京に戻ります。後は編集で適当によろしく」
というメールを受信し、うっそー!?と思った。
 
まだ少し、金沢ドイルを入れた絵を撮りたかったのにぃ!
 
でも重要な大会の前にかなり連れ回したし仕方ないかと思った。でも青葉、東京に行った方がもっと忙しくなるのでは?と心配する。
 
青葉が逃亡!した件は、編集部の全員にメールした。すると真珠から
「青葉さんの車を預かっているのですが、どうしましょうか?」
という返信が来る。直接電話して話した。
 
「その車はどうしたんだっけ?」
 
「11日に編集会議が終わった後、青葉さんを津幡までお送りしたんですよ。そのまま自分も津幡で待機しようと思っていたんですが、月曜までずっと泳いでいるから、いったん帰っていてとおっしゃるので帰ることにしました。でもバイクは放送局に置いたままだったから、帰りの足が無かったんですよね。それを言ったら、だったらマーチで帰るといいよ。必要な時は呼ぶからと言われたので、マーチを借りて金沢の吉田のマンションに戻り、車は近くのTimesに駐めておきました。でもその後、青葉さんからの連絡は無かったんです」
 
月曜(今日)まで泳いで、そして逃亡したわけか!
 
でも足はどうしたのだろう?きっと真珠を呼び出すと引き留められるから、誰にも告げずに自力で移動したか?タクシーでレンタカー屋さんまで行き、レンタカー乗り捨てで東京まで行ったのかも知れないと思う。
 
「じゃ車はずっと駐めっぱなし?」
「はい、そうです」
「だったら駐車料金かなりになってるのでは」
「一応月曜までの駐車場代といって2万円お預かりしましたので、それで足りると思います」
「じゃ悪いけど、明日でもいいから、車は高岡の青葉の家に移動しておいてくれない?」
 
「はい、やっておきます」
 
青葉さんからも火曜日以降と言われたしな、と真珠は思った。
 
邦生は真珠が平然と嘘を言うので「こいつすげー」と思った!
 
(↑青葉は最強の人物を共犯者にしたと思う。初海には絶対無理だし、明恵はMTF特有の不安定な心を持っている)
 

2月14日(月)の夕方、真珠は駐車場の精算をしてマーチを出した。
 
銀行まで邦生を迎えに行き、彼を乗せて香林坊に移動する。地下駐車場に駐めてから「これに着替えなよ」と言って自分のとお揃いの白いドレスを渡す。
 
「俺今日は紳士用スーツ銀行から持って来たから」
「だってこないだは女の格好で行ったのに今日は男の格好してたら変だよ」
「うっ」
 
それで結局、邦生はドレスに着替えた。
 
お化粧もしてもらった。
 

それで邦生と真珠はお揃いのドレスでティファニーに行き、指輪を受け取った。
 
邦生が真珠の左手薬指に填めてあげたら、真珠は本当に嬉しそうだった。
 
「キスキスキス」
と言うので、人前だが、唇にキスした。
 
お店の人が記念写真まで撮ってくれた。
 
つまりドレス同士で撮った記念写真が残ることになる。
 
邦生は「あれ〜。このシーンはデジャヴ(既視感)がある」と思った。(もちろん1/28朝に夢で見たシーン!!)
 
その後、マンションに戻り、青山の結婚式にふたりで一緒にネット出席した。配送されてきている祝賀会の料理を味わい、途中から接続を切って、いちゃいちゃした。そして、甘いバレンタインの夜を堪能した。
 

2月15日(火)の朝5時、真珠は邦生を起こした。
 
「マーチを高岡に持っていきたいから手伝って」
「OK」
 
それで邦生は、起きて取り敢えずトイレに行ったのだが、おしっこの出方が変である。
 
「ん?」
と思って股間を見ると、“ちんちんが見当たらない”。
 
「あいつ、またやったな!」
 
きれいにタックされていた。
 
トイレを出てから真珠に言う。
 
「これ困るよぉ。タック外してよ」
「別に困らないんじゃない?それより出掛けよう」
「うん」
 

まずマーチに2人で乗って放送局まで行く。ここで真珠が降りて、自分のGSX250Fに乗る。邦生が運転するマーチの後ろを真珠のバイクが走り、高岡まで行く。なおふたりはインカムを付けているので、こういう体制で走っていても、ちゃんと会話ができる。それで信号などで距離が空いた時は、連絡で邦生が待っていたりした。
 
高岡市内でコンビニに寄り、トイレを借りる。邦生は例によって、凄く後ろの方からおしっこが出るのを体感する。
 
飲み物(邦生はペットボトルのコーヒー、真珠は紙パックの青汁)とおにぎりを買い、マーチの中で一緒に食べる。それから室内のゴミをできるだけ拾い、ガムテープで座席を掃除する。ゴミ自体もまとめて、邦生の持つリュックに入れた。
 
青葉邸に到着すると、家の中から千里さんが出て来てくれた。それで千里さんの指定する駐車枠に、マーチを“突っ込んで”駐める(ここはバックで駐めてはいけない。突っ込んで駐めるのがルール:車が家を睨む形にしないため)。
 
「早朝からお疲れさん。良かったら朝御飯食べていかない?」
「頂きます」
 
それで頂いたが、千里さんと朋子さんだけが起きていて、子供たちや桃香さんはまだ寝ているようであった。
 
「君たちゴミがあったら出して」
「ゴミは持ち帰りますよ」
「でも帰りバイクなら荷物を減らしたいでしょ?」
「そうですか?すみません」
「ううん。うちだってゴミは出すからついでだもん」
「ありがとうございます」
 
こういう所によく気が付くのが千里さんだよな、と真珠は思った。
 
トイレを借りてからお礼を言い、帰りは真珠のバイクに邦生が同乗して金沢に戻った。これが7時半頃だったので、邦生はそのまま自分のバイクに乗り換えて銀行に出社した。真珠もそのまま大学に向かった。
 
(結果的に邦生の紳士用スーツはマンションに置き去り!真珠がそれをどうしたかは、読者の想像にお任せする!?)
 
なお、昨日は真珠がNinja1000で邦生を銀行まで送り、真珠はその後、Ninja1000で学校まで行った。
 

2月16日(水).
 
青葉がH銀行に申し入れていた融資の件で梨田課長から青葉に直接連絡があった。
 
(青葉は練習中だったが、眷属の雪娘が着信に気付いて、スマホをプール内まで持って来てくれた)
 
「川上さんから申し入れのあった融資の件は審査が通りましたので全額ご融資致しますので」
「ありがとうございます」
「実際の融資の実行は、工事が完了して代金を払う時というので、よいですかね?」
「はい、それで全く問題ありません。よろしくお願いします」
 
そもそも借りる必要無いし!!
 

2月24日(木).
 
月見里折江(玉梨乙子)から邦生に電話が掛かって来て
 
「融資してもらえたよ。ありがとう」
ということだった。
 
案件については聞いていなかったのだが、武蔵にテイクアウトを主軸とするレストランを開きたいから、開業資金に2000万融資してという話だったらしい。ランチ店の暖簾分けに近い。スートラの今の経営状態なら、多分そのくらいは3年で返済できると邦生は思った。
 
なお、スートラ新店舗(スーシシ!)の店長さんは、昔の“数虎”時代からの美人ホステスさんで、今は美魔女主婦をしている人らしい(性別を変更して正式に婚姻している)。40代なのに充分女子大生に見えるとか。本人は「私は生まれてすぐ性転換したから」などと言っていたとか?
 
「でも吉田ちゃん、すっかり女子社員してるのね」
「え〜?私は普通の男子行員ですけど」
「だって女子制服着てたじゃん」
「男子制服着てますけど」
「だってボタンが左前だったし、ボトムはどう見てもレディス仕様のパンツだったし」
「左前!??」
 
自分が着ている服をあらためて見てみた邦生は本当にその服が左前になっていることに気付いた。俺いつからこの仕様の服を着てるんだろう?これでたくさん客先も訪問してるぞ?
 
(1月に長期出張から戻って来て以来!)
 

落合翠(落合茜=町田朱美の姉)は、2月10日にHonda-JetYellowで能登空港から熊谷の郷愁飛行場に連れてきてもらった。SCC(*4)の車で五反野の女子寮まで移動して妹の部屋に入った。
 
翠は自分ひとりのためにビジネスジェットを能登空港まで往復させてくれたのに恐縮していたが、§§ミュージックとしては、事務所の大黒柱のひとりである、町田朱美が万が一にも感染する事態になると数十億円規模の損害が出るので、ビジネスジェットの往復くらい、安いものなのである(実際パイロット代を入れても1往復5万円程度)。実際昨年春に濃厚接触者になっただけで7-8億円規模の損害が出ている。
 
(*4) SCC=§§ call center §§ホールディングが所有する専用ハイヤー会社で、原則として§§ミュージック・♪♪ハウスのタレント(伴奏者を含む)、信濃町バンドのメンバー、両社およびあけぼのテレピの社員、数人の重要な関係者(青葉や千里、丸山アイなど)とその家族しか乗せない。
 
またA契約・A−契約(*5)のタレントは担当ドライバーを原則として固定にして、多数の接触が起きないようにしている。ドライバーは同居家族を含めて外食・会食禁止、毎日の体温報告、うがいの励行、定期的な感染検査など、厳しい健康管理をされている。むろん、その分給料も高い。
 
(*5) A−(エーマイナス)契約とは、正式名ではなく俗称で、B契約ではあるものの、報酬はA契約と同じという“運用”である。三田雪代・山本コリン・セレン・クロムなど、数人の信濃町ガールズがこの運用になっている。A契約との違いは、マネージャーが付かないこと、従って営業してもらえないこと、そしてデビューしたタレントとはみなさないので、信濃町ガールズに在籍したままになることである。
 
マネージャー不足と、彼女たちが抜けると信濃町ガールズの人数(それ以上に品質)が足りなくなることから生まれた暫定的な運用である。概してかなり多忙な子が多く、A契約でも売れてない子(石川ポルカなど!)より、よほど収入が大きくなっている。
 
“暫定”と言っているが、こういう運用の子たちは永遠に無くならない気がする。
 

翠は幾つかの音楽大学の入試を受けた。
 
2月14日♪♪音大
2月17日∫∫音大
2月25日東京藝大
 
そして25日の入試が終わると、着替えや楽譜などの荷物は妹の部屋に放置したまま、入試会場から直接郷愁飛行場までSCCの車で送ってもらう。そして能登空港に飛ぶ飛行機に乗せてもらったのだが、今回はA318(定員100名)が使用された。
 
「どちらかの団体さんと一緒ですか?」
「いえ、落合さんひとりです」
「私ひとりでこんな大きな飛行機に乗るの〜〜?」(貧乏体質!)
 
そして翠を送り届けたA318は、翌日(2/26)、“国際大会日本代表選手選考会”に出場する津幡組の選手と数名のスタッフを熊谷に運んだのである。要するにこのためにA318を使いたかったので、翠はフェリー(回送のこと)のついでだった。
 
これで津幡組の大半が熊谷に来たので、先に来ていた青葉も彼女たちに合流した。ただひとり、高校生の竹下リルだけは、学校があるので、2月28日まで、ひとり津幡で練習を続ける。そちらはジャネが指導してくれることになっている。
 

3月1日(火).
 
竹下リル、落合翠らが高校を卒業した。
 
翠は、家族らとともに、その日の夜、車で引越荷物を積んで東京に出た。そして茜が江戸川区に建てた新居に入居した。家族らは女子寮からの引越を手伝った上で、3月3日、石川県に戻った。しかしこれで落合茜(町田朱美)と月乃岬(東雲はるこ)が女子寮を退寮して独立した。仕事場への移動はこれまで通り、マネージャーの倉橋光枝や東丸愛美がやってくれるし、料理や買物については新しく雇った付き人の男の娘!篠崎希(しのざき・のぞみ)がすることになっている。彼女は、青葉の高校の後輩(合唱軽音部)である。琵琶が物凄く上手い。
 
一方、竹下リルは、卒業式が終わったらすぐにお母さんの車で富山空港に移動。そこに迎えに来たHonda-Jet で熊谷に飛び、そこから更にヘリコプターで東京ヘリポート(新木場)まで運んでもらって、深川アリーナに入った。明日から大会に出るリルにできるだけ体力を使わせないための処置である。
 
一方、他の津幡組はこの日の朝、熊谷から深川アリーナに移動している。
 
今の時期は、深川アリーナはサブ・プール(4レーン)のみ開放しているので、メインプール(8レーン)を選手たちのために開けた。
 
(リルと同学年の参加者には、卒業式の出席を諦めた人も多かったようである。これも福岡世界水泳が5月などという変な時期に設定されてしまったせいである。1人だけビジネスジェットとヘリコプターで運ぶなんて、運営資金が豊富な津幡組にしかできないワザである)
 

国際大会日本代表選手選考会は、3月1-5日となっているが、1日は練習日で競技は2日からである。今回の津幡組の参加スケジュールはこのようになっている。
 
長距離組(川上・南野・金堂・竹下・(福山))
3/2 10:00 400m(H)
3/2 16:00 400m(F)
3/3 10:22 400-iM(H)
3/3 11:40 800m(H)
3/3 16:46 400-iM(F)
3/4 16:00 800m(F)
3/5 15:30 1500m(Time-F)
 
H=Heats F=Final
 
※福山希美は400m free, 400m iM のみエントリー。
 
200m個人メドレー(金堂・竹下・福山・広島)
3/4 11:36 200-iM(H)
3/4 17:25 200-iM(F)
 
金堂・竹下は3/4 16:00 に800mを泳いだ後に、17:25から200m個人メドレーを泳いだ。若くないと絶対できない物凄いスタミナである。
 
短距離組(福山・広島)
3/3 10:41 200m(H)
3/3 17:00 200m(F)
3/4 10:56 100m(H)
3/4 17:02 100m(F)
3/5 10:00 50m(H)
3/5 16:15 50m(F)
 
唯一の男子、筒石さんの日程はこうなっている。
 
3/2 11:54 1500m(H)
3/3 16:00 1500m(F)
3/4 11:08 400m(H)
3/4 17:12 400m(F)
3/5 15:58 800m(Time-F)
 

日程は基本的に午前中に予選を行い、午後は休んで、夕方から決勝を行うスケジュールである。タイム決勝は最終組(過去のタイムが速い人8人)のみを夕方から行い、それ以外の人は午前中に泳ぐことになる。
 
例によってドーピング検査も厳しい。3月2日の予選終了後に津幡組全員検査され、各競技の決勝後にも、決勝に出た人全員が検査された。更に最終日は午後にまた津幡組は全員検査された。だから青葉は4競技の決勝に出たので合計6回検査されている。多分津幡組の成績がいいのて、特に厳しい検査をされるのかも知れない。しかしその度に、ほぼ全裸になって、JADAの人に見られながらおしっこするというのは、いつものことで慣れてるとはいえ、やはり恥ずかしい。
 
(服の中に他人の尿の容器を隠し持ち、おしっこしているように見せてそこから偽尿を出すという不正が横行したため、ほぼ全裸にされることになった。男子では偽のペニスを容器に取り付けて、そこから出してみせる者まで居た)
 

さて競技結果だが、女子長距離陣の成績はこのようであった。
 
1500 1.川上 2.竹下 3.南野 4.金堂 5.永井
800m 1.川上 2.金堂 3.永井 4.竹下 5.南野
400m 1.竹下 2.金堂 3.川上 4.福井 5.南野
400i 1.金堂 2.川上 3.竹下 4.南野 5.福井
 
代表には川上・竹下・金堂の3人が確定である。というか津幡組で代表を独占した。福井希美は400mで4位、400m-iM で5位に食い込んだが、代表には届かなかった。津幡組以外では、永井蒔恵が800mで3位に食い込んだ。南野と永井は補欠としてブダペストに行くことになるだろう。
 
200m個人メドレーでは、日本記録保持者の金堂多江が1位、竹下リルが2位になって、津幡組が代表を独占した。金堂は200-iM 400-iM の二冠で、個人メドレー第一人者の貫禄を示した。広嘴さんが3位、福山希美が4位、榎箸さんは5位、広島夏鈴も6位に入った。2〜6位はほとんど同着に見えた。
 
短距離組では、福山希美は200mて3位、100mで5位。広島夏鈴は100mで3位、200mで4位で、2人とも世界水泳の代表は逃した。4月の日本選手権でアジア大会の代表の追加招集を目指す(世界水泳の代表は自動的にアジア大会の代表にもなる)。2人は3位なので、補欠としてブダペストには同行することになるだろう。
 
男子で筒石さんは、400mで1位、1500mで2位になってこの2種目で代表になった。800mは僅差の3位で代表を逃した。但し補欠登録されるはずである。
 

3月1日(火).
 
〒〒テレビに、新人アナウンサーが4人、取り敢えずは研修の形で実質入社した。森本メイは
 
「やったぁ!これでやっと辞められる!」
と叫んだので、新人さんたちが顔を見合わせていた。
 
森本メイは昨年春に『体力がもたない』と言って辞表を提出していたのだが、
 
「オリンピックが延期されて、川上さんが時間が取れないので、申し訳無いけど来年の2月まで何とか頑張って」
と言われて、できるだけ負荷を減らしてもらった状態で何とか務めてきたのである(その分、2021入社組の負荷が大きくなっていた)。
 
しかしこの日の新戦力投入により、メイはやっとアナウンサーを辞めることができて“普通の女の子に戻る”ことができた。
 
メイは
「きつかったぁ。やっと逃げられた」
と思った。
 

メイはその日の夜は、アナウンサー室の同僚たちにネット送別会をしてもらい、2年間(昨年春入社の人とは1年間)の付き合いを惜しんだ。
 
3月2日の朝、メイは久しぶりに寝坊して、10時頃起きてきた。
 
そしたら母に叱られた!
 
「いつまで寝てるのよ。御飯食べたら、すぐ美容室に行って」
「なんかあるんだっけ?」
「だって、午後からはお見合いだから」
 
「お見合い!?」
 
「前から言ってたでしょ?3月1日に退職したら翌日にお見合いしてもらうからって。相手は営業部長の息子さん」
 
待て。父の会社の幹部の息子とのお見合いって、それはお見合いも何も、こちらの意志は無視して、強制的に結婚させられることになるのでは?
 
結婚なんてまだ嫌だよぉ!!
 
この2年間忙しすぎて全然遊べなかったから、これからたくさんZ世代したいのに!
 

メイは言った。
 
「お母ちゃん、まだ私仕事辞めないよ」
「え〜〜!?そうなの!?」
 
「2年間のアナウンサーの実績をもとにぜひと言われて、関連会社に出向するんだよ。今日の午後もその打合せがあるから」
 
「嘘!?」
 
いや、こちらこそ「嘘!?」と言いたい。
 
それで、メイはビジネススーツを着て、強引に出掛けた。
 
そして、砂原室長に電話した。
 
「昨日の今日で申し訳無いのですが、何かお仕事無いでしょうか」
「は?」
 

「私がアナウンサー辞めたと言ったら、早速お見合いだと言われて、それもそのまま明日には結婚式挙げさせられそうなんです」
「それはまた慌ただしいね」
「それで私、関連会社に出向することになってるからと母に言って家を飛び出してきたんです。ほんとに関連会社とかでいいので、どこかお仕事紹介してもらえたりしないいでしょうか。雑用でも何でもやりますから」
 
砂原さんは苦笑していたが
「そういうことなら、仕事はある」
と言って、〒〒スイミングクラブの事務局のお仕事を紹介してくれたのである。主として広報の仕事をしてもらう。彼女は顔が売れているので広報には役立つ。
 
それで結局、メイは結婚からは逃亡できたものの、青葉の近くで働くことになり、近くで見ていて青葉の多忙さに驚くことになる。
 
「よく体力持つなあ。3人分くらい仕事してない?」
 
そしてメイが“普通の女の子に戻る”のは延期になった。
 
(実際には多分“普通の女の子”になったら、翌日には“普通の会社員妻”になる羽目になる)
 
そして、しばしば、放送局から「人手が足りないから手伝って」と言われて、番組のレポーターなどに駆り出されることにもなった。元同僚たちには
 
「節操なくて済みませーん」
とペコペコ謝っておいたが、先輩が笑っていた。
 
「この業界は、一度足を突っ込むと、だいたい一生抜け出せないのよ」
「恐いですね。まるでブラックホールですね!」
 

3月1日(火).
 
朝の課内朝礼が終わった後、邦生は支店長に呼ばれた、待合室で少し待ってから支店長室に入ると、いきなり辞令を渡された。
 
「金沢支店・投資課主任!?」
「うん。よろしくね。渉外課のほうは今週中に担当物件を他の人に引き継いで」
「はい」
 
それで課に戻り、投資課に異動になったことを課長に告げた。
 
「おお、主任になったんだ?おめでとう」
「でも投資とか全然分からないんですけど」
「勉強すればいいよ。君が担当していた客先は、取り敢えず大野さんに引き継いで」
「分かりました」
 
それで大野由海と話す。
 
「くにちゃんの案件はやはり私だろうね。女子の案件は女子が引き継がないと、お客様が不安がるから」
 
やはり俺女子なの?
 
「でもこれで私はあと1年はここで仕事することになるのかな」
「急にごめんね」
 
「佐藤係長の担当案件は、前野君が一時的に引き継いで来週くらいに来る新しい係長に再度引き継ぐというので、今客先挨拶に飛び出したところ」
 
「佐藤係長も異動なんだ!」
「小田君も異動で、これは梶田君が引き継ぐ」
「ひゃー。そんなに異動が発生するんだ!」
「まあ渉外課はそもそも不正が起きやすい部門だから、だいたい異動サイクルが短いもんね」
「お客様から凄い大金預かったりすることあるから、あれマジ恐い。心の弱い人にはできない仕事だよね」
「だからダークサイドに墜ちる人もあるんだと思う」
 
それで3月1-2日は、大野さんと2人で合計40軒ほどの客先を廻ることにする。
 
邦生は引き継ぎの挨拶なら、ちゃんとスーツを着なければと思った。それで女子更衣室内の自分のロッカーからスーツを出そうとしたのだが・・・
 
スカートスーツしか無い!?
 
なんで?と思っている内に、由海に声を掛けられる。
「どうしたの?」
「スーツ着ようと思ったら見当たらなくて」
「スーツ?そこにあるじゃん」
と彼女が指差すのはスカートスーツである。
「いやこれじゃなくてズボンのを・・・」
 
「スカートスーツを着るなら分かるけど、ズボンのスーツはお客様の前では微妙だよ。そんなの着るよりは制服の方がいいと思う」
 
「そうかなあ。じゃこれで出るか」
ということで、邦生は普段着ている制服のまま、客先に出掛けて由海と一緒に挨拶をしてきた。
 

そして3月3日(木)には、投資課に顔を出して挨拶した。
 
「投資に関しては私もこれから勉強しますので、よろしくお願いします」
「うん、がんばってね」
と投資課の沢本課長は邦生に言うと
 
「取り敢えず来週中くらいまでにこれ読んで」
と言って、10cmほどもある大量の資料を渡された。
「頑張ります!」
 
「それとこれ君の名刺ね」
と言って
《H銀行金沢支店投資課主任・吉田邦生(よしだくにお)》
という名刺を渡された。
 
角丸四角形の女性仕様の名刺で、ご丁寧に“くにお”という振り仮名まで振られている。あはははは。もしかして俺って、ほとんど女子行員になっているのでは?
 
(とっくの昔にそうなっていると思うが?)
 

内情としては、本当は邦生は3月から、新神田支店の渉外課主任に転任する予定だった。
 
(“新神田(しんかんだ)”という地名。つまり新・神田支店ではなく新神田・支店)
 
新神田店は邦生の現在のマンションから4kmほど離れており、歩いての通勤は辛いし、実は朝夕渋滞必至の地区を通るので、車を使うと時間が読めない!へたすると2時間かかったりする。だから市内なのに、現在のマンションからの通勤自体が厳しかった。
 
ところが、邦生が青葉から80億円の融資の話を持ち込んで、これが完璧に青葉と邦生の個人的なコネに基づく案件だった。そこで、最初は邦生を融資関連物件に近い、津幡支店の主任にする案もあった。しかし80億は津幡支店の案件としては大きすぎる。金沢支店の処理にする必要がある。それなら邦生は青葉を“逃さない”ために、金沢支店に置いておくしかない。
 
しかし異動の時期に掛かっている。
 
ということで、邦生は支店内の別の部署に異動させることになったのである。融資課も検討されたが、邦生は性格が温和すぎて、融資課には向かないという意見が圧倒的だった(窓口課や渉外課に向いている)。
 
「主任ともなれば融資課の場合、結構客と喧嘩する必要もあるし。「貸してもらえないと一家心中しかない」とか泣き付かれても耐える必要がある。時にはヤクザと対峙することもあるし」
 
「女の子には荷が重いよね〜」
 
(女性差別発言!だいたい、さくらの立場は?:でもさくらはヤクザの若頭に“眼力対決”で勝ったことがある!)
 
「特に彼女は優しいタイプだもん」
「なんかいいお嫁さんになりそうだよね」
「実際彼女結婚するとかで、結婚資金にするからと言って定期を解約しましたよ」
 
(完全に“彼女”にされている)
 
「へー。いつ結婚するの?」
「まだ決まってないらしいですが、結婚しても勤め続けるそうです」
「そうしてもらわないと困る」
 
それで邦生は投資課に異動されたのである。
 

新神田支店の渉外課主任には、小田君が行くことになった。また金沢支店投資課の主任さんは小松市の小松支店の係長に転任した(彼は転居が必要)。
 
なお、河合さくらは七尾市の七尾支店の融資課主任になった。当然転居が必要で、引越の費用も出るらしい。完璧に“転勤”である。彼女はほぼ男子扱いのようである(多分先日の研修に参加した3人の中で出世も最速だろう)。
 
窓口課の伊川峰代は小立野(こだつの)支店の窓口課主任になった。彼女は現在のアパートからでもここに通える。小立野支店から邦生のマンションまで歩いても20分程度で来られるので、以降もしばしば来そうである(一応彼女は“真珠に”!鍵を返した)。
 
また入社以来、邦生の“性別に理解を示してくれていた”長谷知香課長は、とうとう支店長を拝命し、小さな店だが、光が丘支店の支店長になった。彼女は正式辞令は4月1日付けで、それまでに窓口課の仕事は後任予定者(野々市(ののいち)支店の課長さん)に来てもらい作業を行なう
 
(長谷さんが居なくなると、邦生は「ちゃんとスカートを穿きなさい」と言われるようになったりして)
 

3月4日(金).
 
邦生はこの日、丸一日“富山市内”の証券会社が開いた投資初心者向けセミナーに“私服で”出席した。わざわざ富山まで行ったのは、金沢でこの手のセミナーに出ていたら、後で金沢支店に来た人が邦生を見て「初心者セミナーに出てた人じゃん」と思い、不安がるかも知れないという配慮である。だから制服も着なかった。
 
丸一日話を聞いていて、若干頭がパニックになっている。直帰して良いということだったので、そのままで自宅に帰ろうかと思っていたら、神谷内さんから電話があり、話があるので来て欲しいと言われる。
 
何だろう?まさか『霊界探訪』打ち切りとか?などと思いながら、多目的トイレを借りてフリースジャケットとジーンズのレディスパンツから、ライダースーツに着替え、Ninha1000で〒〒テレビに向かった。
 
セミナーが終わったのが17時頃で、18時すぎに放送局に到着した。
 
石崎部長!、神谷内ディレクター、幸花(サブディレクター)、明恵、真珠、初海、そして千里さんも来ている。青葉は現在東京で大会に出ている。
 
石崎部長がいるので緊張する。まさか本当に番組打ち切りか?
 
「まあ座って」
と言われるので、さりげなく真珠の隣に座る。
 

邦生が座ると、石崎部長は言った。
 
「そういう訳で他のみんなには今説明した所だけど、『いしかわ・いこかな』や『デイタイムかなざわ』のプロデューサー桜坂君が、郷里に帰らなければならなくなって、3月いっぱいで退職するんだよ」
 
まさか『霊界探訪』だけじゃなく『いしかわ・いこかな』自体が打ち切り??
 
元々『北陸霊界探訪』は、『いしかわ・いこかな』の1コーナーである。『いしかわ・いこかな』は毎週金曜日の深夜に放送されているが、3ヶ月に一度のスペシャル版として『霊界探訪』は放送されている。ただし同時放送している富山のΦΦテレビでは、富山のローカル深夜番組のスペシャル編として扱われている。
 
「それで、桜坂君の後任として神谷内君に、『いしかわ・いこかな』全体を取り仕切ってもらうことにした」
 
ん?
 
「それで『霊界探偵金沢ドイルの北陸霊界探訪』は、皆山(幸花)さんに制作指揮をお願いすることにした」
 
へ?
 
「それに伴い4月1日付けで神谷内君はディレクターからプロデューサー、皆山さんはサブディレクターからディレクターへそれぞれ昇格ということで」
と石崎部長は言った。
 
「皆山さんもADを7年やっきたから、そろそろ独り立ちしていいね」
と付け加える。
 
「そういう訳で、僕は『霊界探訪』からは直接的には外れるけど、『いしかわ・いこかな』全体を管理するから、困ったことがあったら、いつでも声を掛けてね」
と神谷内さん。
 
「大役を仰せ付かって正直自信無いけど、頑張るからみんなよろしく」
と幸花。
 
幸花が『霊界探訪』のディレクター〜〜〜!?
 
絶対暴走しそう!と邦生は思った。
 
「それでぼくは当面バイト資格でAD(アシスタント・ディレクター)に指名された」
と真珠が言っている。
 
あはは。
 
確かに、明恵ちゃんは、むしろ金沢ドイルのアシスタント扱いだから、真珠のほうが、制作方だろうなという気はした。しかしこの子、大学卒業したらそのまま放送局の正社員ADになったりして?
 

4月からの体制変更で各々のすべきことが色々変わるので、石崎さんが退席した後、神谷内さんを含めてあれこれ話した。
 
「これ絶対まだ漏れがあるよね」
「そもそも制作の手順とか何も文書化してなかったし」
「結構適当だったもんね」
「ともかく何とかやっていくしかない」
 
それで20時頃、会議は終わった。
 
千里が邦生に声を掛けた。
「じゃトイレに行ったら出発しようか」
「出発?」
「仙台の震災イベントに出てくれるんでしょ?」
「え〜〜〜!?」
 
「ローズ+リリーの出番は、3月5日(日)のラスト、19時から21時までだから」
「私、月曜日も仕事が・・・」
「大丈夫だよ。今日これから仙台まで走って、明日は1日ホテルで寝てていいから。それで体力は回復するよ。5日はライブが終わったら、そのまま車で金沢まで送るね」
と千里は言っている。
 
車で仙台まで往復して、そのまま月曜日銀行に出社するのか?
 
俺体力持つかなあ、と不安に思った。
 
「でも楽器が・・・」
と言ったら、真珠が
「ホルン、チューバ、トランペット、トロンボーンは車に積んどいた」
と言っている。
 
ひょっとして、この件、千里さんと真珠の間で話ができてたんだったりして?少なくとも俺は聞いてない!
 
ともかくも、それで邦生は千里の Mazda CX-5 に乗り込んだのであった。
 

仙台に向かう千里と邦生を見送ってから、明恵・真珠・初海は
 
「何か美味しいもの買って“宿泊所”に行って泊まろうか」
と言い、初海の車・ミラに3人で乗って、まずはケンタッキーに行った。
 
チキン9本!ポテト・ビスケットを買う。
 
「初海ちゃんが車を出してくれて、まこちゃんちに泊まるから、ここは私が出すよ」
と言って、お金は明恵が払った。
 
それから“宿泊所”に行った。
 
ミラを近くのTimes駐車場に駐めて、コンビニでおやつとビール6本を買った上で、マンションに向かう。
 
ところがマンション入口に思わぬ人影がある。
 

「明恵ちゃん、お帰り。東京に行くよ」
と、“丸山アイ”は言った。
 
「え〜〜!?」
「"Olive Lemon"で震災復興イベントに出るからよろしく」
 
「オリーブ・レモンって何?」
と初海が訊くので、アイは
「女湯に入れる子で構成したバンドだよ」
とアイは説明する。
 
(今回のOlive Lemonは、丸山アイ・鹿島信子・フェイ・ヒロシ・夏野明恵・谷崎聡子である。ヒロシが女湯に入るのは犯罪だと思う。またなにげに生まれながらの女が1名混じっている)
 
「女湯に入れる人って、女とは違うんですか?」
と初海。
「まあほぼ一緒だね」
とアイ。
 
真珠は「かなり違うぞ〜」と思っている。
 
「仙台に行くんですか?」
と明恵は訊く。
 
「ううん。ぼくたちは東京のスタジオから演奏するんだよ。車は近くの駐車場に駐めてるから」
 

それで荷物を持ったまま真珠と初海も一緒に駐車場まで行く。
 
「凄い車!!」
と初海が言うと、アイはご機嫌である。
 
「これ、脇道から飛び出す軽ワゴン車事件(2020.8)で使った車ですね」
と明恵が言う。
 
「そうそう」
 
あの時は“おとり”のFerrari J50を幸花が運転して助手席に女装!の邦生が乗り、後続のRX-8を丸山アイが運転して、青葉と明恵・神谷内が同乗した。
 
「このJ50は、10台限定で発売されたモデルで価格は4億円くらい」
と真珠が言うと
 
「4億〜〜〜〜!?」
と言って、初海はもはや絶句である。アイはとっても得意そうである。
 
(Ferrari J50の販売価格は250-300万ユーロ。アイが買った当時の相場では3億4千万だったが、2022.3.4時点の相場では3億8千万円になる)
 

「ということで、明恵ちゃん乗って。襲ったりしないから」
「浮気したりしたら、奧さんの制裁が恐いですよね」
「あはは。まあね」
 
初海にはアイは女性にしか見えないので「奧さん」という言葉の意味が分からず混乱している。
 
でもそれで明恵は自分の持ってる買物の荷物を真珠に渡すと、J50の助手席に乗り込んだ。
 
そして丸山アイの運転で東京に向かったのであった。
 
初海と真珠は
「私たちはのんびりケンタ食べて寝よう」
「そだね」
と言って、マンションに戻った。
 
「でもなんであの人、明恵ちゃんがここに来るって分かったのかなあ」
と初海が疑問を呈すると、真珠が説明した。
 
「あの人は、青葉さんや千里さんの同類で、人がどこに居るか見つけ出すのが得意」
 
「凄い人が結構いるんだね!」
 
そういう訳で、明恵は自分がお金を出したケンタッキーを食べ損ねた!
 

一方、千里が運転するCX-5は、金沢の〒〒テレビを出ると、8号線を走って、まずは高岡に向かっていた。
 
「へー。投資課に異動になったんだ?」
と千里は言った。
 
「はい。投資とかさっぱり分からなくて。こんなんでお客様にアドバイスできるか心配です」
 
「まあ投資はプロでもなかなか予想通りには行かないものだけど、まず最初に意識すべきこと、そしてくにちゃんの立場でお客様にも言わなければならないことがある」
 
「はい」
 
「ひとつは、投資は余っていて、無くしてもいいお金でするものということ」
「無くしてもいいお金なんですか?」
「たとえ神様でも先の相場の変動なんて分からない。だから大事な資金で投資していて失敗して失った場合、取り返しの付かないことになる」
「はい」
「よくある投資詐欺で、老後の資金をつぎ込んでしまって、この後どうしていいか、みたいな話がよくあるじゃん」
「よくニュースになってますね」
 
「それはそもそも老後資金を投資にまわすのが間違っている。投資なんて増えるか減るか、誰にも分からないんだから。『必ず儲かる』という話は確実に詐欺」
「ですよね!」
 

「だから、基本的に自分の資産は4つに分ける」
「4つですか」
「ひとつは生活資金。日常必要なお金。これが無いと食うにも困る」
「ええ」
「ひとつは予備費。突然病気になった時とかに使うお金」
「それ必要ですよね」
 
「ひとつは手を付けないお金。その人の年代によって目的は違うけど、くにちゃんなら結婚資金。結婚したら今度は子供の養育資金・学資。子育てが一段落したら老後資金。これらは絶対手をつけちゃいけないから、絶対安全な定期預金とかで運用する」
 
「国債とか投信にしないんですか」
「元本割れする投信なんてザラだよ」
「そうなんですか!?」
「特にソブリン系は危ない」
「国債系?」
「国債自体も危ない」
「そんなものですか!」
 
「定期預金は比較的安全性が高いけど、これは後で説明する方法を取る必要がある」
「はい」
 
「そして生活資金、予備費、手を付けてはいけないお金、これらを取り分けた、残りが余裕資金。万一失っても何とかなるお金。投資に使っていいのはこのお金だけだよ」
 
「なるほどー」
 

「これを理解できない人は投資をやっちゃいけない」
「確かにそうかも」
「ましてや借金して投資するとかは、もう馬鹿としか言いようが無い」
「それはもう無茶苦茶です」
 
「だから例えば資産5億の人が」
と千里が言うと
「5億ですか!?」
と邦生は驚いたように言う。しかし千里は続ける。
 
「子供の学資と老後資金に3億リザーブし、生活費に1000万、予備費に4000万用意しておいたら、残り1億5千万は投資に回していい」
 
「投資ってそういう世界か」
 
「そういう世界だよ。若葉なんか凄い。1兆円全部無くしてもいいと思ってるから、惜しげもなく様々なものに投資している」
「あの人、一兆円ありますか!」
 
「結果はどんどん増えてる」
「そういう人のほうが結果的に財産を殖やせる気がする」
「そうそう。投資は、なけなしのお金でしてはいけない」
「何となく分かりました」
 
「世の中、10億を平気で普通預金に放り込んだままとかいう人が結構ごろごろ居るんだよ」
 
「居そう〜!」
「そういう人に、その人の年代や家族構成などをお聞きして、投資先のアドバイスをするのが、くにちゃんのお仕事だね」
「そっかー」
 
「そういう人たちは証券会社とか行くのが恐いから、馴染みのある銀行に相談してきたりする」
「なるほどー」
 
「だからアドバイスする前に自分でも投資の練習をしておくといいよ」
「その資金が・・・。ぼくエンゲージリング買っちゃったから、今生活資金しか無いです」
 
「それは仕方ないね。だったらゲームやってみない?」
「ゲームですか?」
「投資のゲームがあるんだよ。後でidとパス送ってあげるから、それで練習してみない?実際に投資に使うソフトと似た仕様のソフトで操作できるんだよ」
 
「それはやりたいです。自分で経験してないものをお客様にアドバイスできない」
「ゲーム始めると自分の口座に1000万円あるから、それを運用して増やして行くのが目的。万一全部すったらゲームオーバー」
 
「なるほど。ゲームじゃなかったら恐いですね」
「うん。実際に1000万円無くしたら、庶民には辛い」
「破産しちゃいますよ」
 

「そして2つめの投資の基本」
「はい」
「卵はひとつのカゴに盛ってはいけない、という古い格言」
 
邦生は考えた。
 
「それ凄く分かります」
 
「でしょ?」
「大事なことですね。分散しないといけないんですね」
「そうそう。例えば全てを仮想通貨で運用するとか、全てをFXで運用するとかはNG。幾つかの方法に分散させる」
 
「投資先も分散ですね」
「そうそう。株式でもひとつの会社の株だけに全て注ぎ込んでいたら、その株が下がった時、大損害になる。ジャンルも分けないといけない。IT関係は一般に激しく価格が上下して、凄く儲かる」
「でも凄く損することもある」
「そういうこと。だから株を買う場合も、様々な産業分野に分散する必要がある」
 
「それ使う証券会社も分散させるべきでは」
「そうなんだよ。万一その会社が倒産した場合、そこの会社の口座に入れていた資産を取り出せなくなる危険がある。保険で保証される場合もすぐには保険金が出ない場合もある」
 
「だからH銀行に全部財産を預けたらだめなんですね」
「よく分かってる」
「あはは」
 
 
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【春逃】(2)