【春虎】(1)

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その日遙佳は遅くまで勉強していて、唐突にコーラが飲みたくなった。それで台所に行き、冷蔵庫を開けてみるが、あいにくコーラは無い。冷蔵庫の隣に置いている箱(ここに冷蔵庫に入りきれない飲み物を置いている)を見るが、ビール系飲料やチューハイはあるが、コーラは切れているようだ。
 
遙佳がダウンコートを着て毛糸の帽子をかぶり、手袋をしてマスクをして出掛けようとしているので母が声を掛ける。
 
「あんた、こんな夜中にどこ行くの?」
 
「自販機まで行ってコーラ買ってくる」
と言って、小型の懐中電灯を持って出掛けた。
 
雪は止んでいるが、結構風がある。早く帰ろと思って歩いて行く。
 
病院前の交差点にさしかかる。
A┃┃B
━┛┗━
━┓┏━
D┃┃C

 
遙佳はD側から来て、A方向に行こうとしていた。自販機はAの少し先にある病院の玄関前にあるのである。
 
だから、通常Dからまっすぐ横断歩道を渡ってA方向に行けばいい。ところが遙佳はAの角に、白い虎(?)がまるで狛犬のような感じで香箱座りしている気がしたのである。
 
『気のせいだよね。虎とかいる訳無いし』
 
とは思ったものの、虎の居る所を通る気にはならず、DからCに渡り、Bに渡り、少し先まで行ってから道路を横断して病院(もう閉まってる)の前に行く。
 
自←←←
  ┃┃↑
虎┃┃↑
━┛┗↑
━┓┏↑
D→→↑

 
チラリと目の端で虎の方を見る。虎はこちらを見ている。でも白い毛並みで美しい虎だなあ、と遙佳は思った。そして遙佳がそんなことを考えたら、虎がニコッとした気がした。褒められて嬉しかったのかな?まあ大きな猫みたいなものだよね?
 
などと考えながら、自販機でコーラの500ccボトルを買おうとおもったら・・・・売り切れ!
 
『えーん。なんで無いのよ〜!』
 
と文句言っても仕方ない。遙佳はせっかくここまで出て来たからと思い、更に500mほど先にあるコンビニまで行く(田舎はコンビニが遠い)。そして遙佳がコンビニまで歩いて行くと、虎も立ち上がってその後を付いてきた。それは自分を襲おうとしているのではなく、むしろ守ってくれているような気がした。
 
結局、遙佳がコンビニの前まで行く間、虎は30mくらいの距離を空けて付いてきた。
 
「虎さん、ガードありがと」
と遙佳は虎の方を見て言ったら、虎はニコッとした気がした。
 
それで遙佳はコンビニの中に入った。そしてコーラを念のため2本買ってたら電話が掛かってくる。母からである。
 
「あんたどこまで行ってるの?」
「自販機でコーラ売り切れてたからファミマまで来た」
「そんな遠くまで行ったの!?だったら迎えに行くからそこに居なさい」
「うん」
 
それで母が日産ルークスで迎えに来てくれたのに乗って遙佳は自宅に戻った。帰りは雪がちらついていたので、お母ちゃんに迎えに来てもらって良かったぁと思った。コンビニの駐車場を出る時に付近を見回したが、虎は居なかった。
 
『なんか可愛い虎さんだったなあ。また会いたいな』
と遙佳は思った。
 

「え〜!?君たち『うる星やつら』を知らないの?」
と指導教官の渡辺準教授(←2年半ぶりの登場!)が言うので、明恵はクラスメイトの玲花と顔を見合わせた。
 
「ラムちゃんという可愛い鬼族のビキニの女の子が主人公(*1)でさ」
と渡辺先生が言うと、
 
「ああ、ラムちゃんなら分かります」
と玲花は言った。他の学生も多くが頷く。
 
(*1) 『うる星やつら』の主人公は、諸星あたる!
 
「よくコスプレしてる人いるよね」
「虎皮のビキニで、あれマジでスタイルよくないとできないコスプレ」
「うんうん。ウェストが細くて、おっぱいかなり大きくないと無理だよね」
 
「私の知り合いの男の子でラムちゃんのコスプレをよくしてる子がいる」
とひとりの女子が言う。
 
「男の子なの!?」
「背丈があるからコスプレが映えるんだよ」
「やはりおっぱい大きくしてるの?」
「偽装だと言ってた」
「偽装できるもん〜?」
「そのテク教えて欲しい」
 
「ちんちんは?」
「うまく隠してると言ってた」
「隠せるもん〜!?」
 
「でもウェストのくびれは本物らしい」
「そこは偽装のしようが無いよね」
「彼、撫で肩だし美形だし、優しい雰囲気だから、女の子コスプレすると、結構女の子に見えるんだよね〜。胡蝶しのぶも可愛い」
 
「そんな男の子は性転換推奨だ」
「うん。男にしておくのはもったいない」
「そう言われて本人もわりとまんざらではないようだ」
「だったら性転換は時間の問題だな」
「その子、あまり男っぽくならない内に、取り敢えず去勢した方がいいよ」
 

「まあ僕たちの世代も『うる星やつら』は再放送でしか見てないんだけどね」
と渡辺先生は話を戻す?
 
「じゃかなり昔のアニメですね」
「でも今年新作アニメが放送されるらしい」
「へー」
 
明恵はふと思って尋ねた。
 
「鬼といえば虎皮のパンツ穿いてますよね。あれって何か意味があるんでしょうか」
 
すると渡辺先生は即答した。
 
「それは鬼は丑寅の方角に居るという山海経の記事に基づくものだよ」
「へー」
 
「山海経の逸文(いつぶん(*2))によると、乾(いぬい:北西)(*3)の方角を天門、坤(ひつじさる:南西)の方角を人門、巽(たつみ:南東)の方角を地戸、艮(うしとら:北東)の方角を鬼門と言って、鬼門からは鬼が出入りしている。ただし悪いことをする鬼は番人が捕まえて虎に食べさせていたという」
 

 
(*2) 他の書籍に引用される形で残っている文章を逸文と言う。この記述は、王充が書いた『論衡』訂鬼篇に引用されたものである。現在残っている山海経にはこの記述が見当たらない。
 
(*3) 乾を「いぬい」と読むのは戌と亥の中間の方角だから。坤を「ひつじさる」と読むのは未と申の中間だから、巽を「たつみ」と読むのは辰と巳の中間だから、艮を「うしとら」と読むのは丑と寅の中間だから。
 

「まあそれで、鬼が角を生やして、虎皮のパンツを穿いてるのは、艮(うしとら)の方位に関連しているから、牛の角を生やして、虎皮のパンツを穿かせたものだよ」
 
「なーんだ。ダジャレだったのか」
という声多数。
 
「でもシンボリズムって、わりとダジャレでできてるよね〜」
 
「試験の前には“勝つように”と言ってトンカツを食べるとか」
「豚には勝てるかも」
 
「勝負強くなるように菖蒲湯に入る」
 
「結納はダジャレだらけ。子を産むように子生婦(こんぶ)とか、共に白髪になるまで仲良くできるように友白髪(ともしらが:麻緒を束ねたもの)とか、子孫繁栄して末広がりということで扇子とか」
「要するにたくさんセックスしろということだな」
 
「日本で4と9を忌み嫌うのは四が死と同音、九が苦と同音というただのダジャレ」
「中国では九はとっても良い数だから積極的に使う」
「中国語だと九はチオ、苦はクーで全く発音が違う。九はむしろ永久の久と同音という意識がある」
「やはり中国人も語呂合わせか」
 
「ゴーレムとか」
「なんだっけ?」
「土をこねてゴーレムを作ったら“エメト”という文字を額に書く。これは真実という意味。壊す時は最初の“エ”の文字を消す。すると残った“メト”は死という意味でゴーレムは崩れて土の塊に戻る」
 
「よく分からないけど、洋の東西を問わず人間は昔からダジャレが好きだったんだな」
 
「オーストラリア人が言った。I went hospital today (アイ・ウェント・ホスピタル・トゥダイ)」
 
(オーストラリア英語では today をトゥダイと発音するので to die に聞こえて「私は今日病院に死ぬために行った」に聞こえるという話)
 
「おちる人がしんでからおのりください」
(「降りる人が済んでからお乗り下さい」を田舎の乗務員が言うとこう聞こえるという話)
 

「そのゴーレムの話に似た話が岡野玲子さんの『陰陽師』にあった」
とひとりの学生が言う。
 
(この話は原作の夢枕獏さんの本にもある。『陰陽師』(無印:実質的な第1巻)の第2話として収録されている。夢枕氏の本では、この話の元ネタについては特に記述してない)
 
「般若心経を毎日写経しているお坊さんのところに夜な夜な女の怪が出る。その女は手で口を隠しているが、その手をどけてみたら口が無かった」
 
「のっぺらぼうでは無かったのか」
「無かったのは口だけ」
 
「それで安倍晴明が出動する。彼は現れた女の怪に『如』という文字を見せた。すると女は頷いて姿を消した。晴明はお坊さんが写経した心経を見せてもらった。するとその中に“亦復如是”の“如”の字が汚れて右側の“口”の部分が消えてしまっている所があった。「如」の「口」が消えて「女」になっていた。つまり“口の無い女”だったのね。それで晴明はそこに白い紙を貼り“如”の字をきれいに書き直した。そして言った。『もう怪は出ませんよ』と」
 
「汚れた所を修正してもらいたかったのか」
 
「まるごとダジャレの話だな」
 

「でも口が無いと、ごはん食べられないね」
「あっちの口が無かったらセックスできないだけだけど」
「こらこら」
 
(渡辺准教授はもはや呆れている)
 
「小野小町穴無し伝説ってあるよね」
「なにそれ?」
「小野小町は絶世の美女だったのに、多数の男からの求愛を断り続けた。それは実は彼女には穴が無くて男を受け入れられなかったから」
「まさか小野小町って男の娘なの〜〜!?」
「こんな可愛い子が女の子のはずがない?」
 
「実際は後撰和歌集に、小町の孫という人の歌が収められているから、孫が居たということは、子供が居たということで、穴無し伝説は後世に作られた俗説だと思う」
「な〜んだ」
 
「でもこの穴無し伝説から、裁縫で使うマチ針の“マチ”とは小野小町のことだという俗説もある。つまり穴の無い針」
「マジ?」
「いや単にこれから縫っていく場所に待っているから待ち針だと思うよ」
「小野小町からは跳躍しすぎている」
 

それは1月中旬のことだった。
 
編集部に来ていた初海が訊いた。
 
「ね、ね、上杉謙信と武田信玄って、どっちが龍でどっちが虎だっけ?」
「ん?」
 
「ふたりは実力が伯仲したライバルというので、龍と虎にたとえられるでしょ?でも、越後の龍に甲斐の虎、越後の虎に甲斐の龍、どちらも言う気がして」
 
明恵も真珠も首をひねっている。
 
すると神谷内ディレクターが言った(まだ辞令の発令前)。
 
「それ、どちらも言うんだけど、僕個人としては、上杉謙信が虎というのを支持する」
「へー」
 
「上杉謙信は虎との縁が深いんだよ。そもそも彼は本名が最初景虎(かげとら)で、その後、政虎(まさとら)、輝虎(てるとら)と改名している。幼名も虎千代(とらちよ)だし。彼は寅年寅月の生まれ(*4)なんだよ。幼名もそこから採られている」
 
(*4) 享禄3年1月21日(Gre.1530年2月28日)庚寅年・戊寅月・壬子日である。
 

「へー!」
という声と同時に
「本名が・・・というと謙信は?」
「それは出家した後に名乗った法号だよ」
「ほー」
 
「お母さんも虎御前といいませんでした?」
「それは景虎の母だからというので、後の時代に呼ばれた名前」
「なーんだ」
「“藤原道綱の母”みたいなものか」
 
(蜻蛉日記の著者で、しばしば日本三大美人に挙げられる)
 
「最近の幼稚園でも“さおりちゃんママ”、“かづきくんママ”とかいう言葉が飛び交っている」
「いつの時代も女の名前は公にされない」
 
「虎千代のお母さんの本名も分からない。出家した後は青岩院を名乗っている。“袈裟御前”という名前も流布してるけど、それは『天と地と』で海音寺潮五郎が創作した名前で、実は“佐渡おけさ”から採ったもの」
「坊さんの袈裟じゃなくて、おけさですか!?」
 

「それに輝虎は毘沙門天(びしゃもんてん:別名多聞天)を信仰していて、“毘”の文字を旗印にしていた。毘沙門天のお使いがまた虎だよ」
「おぉ!」
「だから毘沙門天を祭る、奈良の信貴山・朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)には狛犬ならぬ狛虎が居る」
「へー!」
「それ取材してきたいですね」
「じゃ、いつか」
 
「更に実は上杉謙信は“大虫”という病気で亡くなっているんだけど、大虫というのは、虎を意味することがある」
「虎に食われて死んだんですか?」
「日本に虎は居ないよ。大虫というのは今で言えば子宮癌のことらしい」
 
「・・・・」
 
「なぜ謙信が子宮癌で亡くなるんです?」
「女性にとってはそう珍しい病気ではない。君たちも30歳すぎたら定期的に健康診断受けたほうがいいよ」
「上杉謙信って女なんですか〜〜〜!?」
 

※上杉謙信女性説の根拠
 
(前提)安徳天皇女性説なども結構論拠が多くて困るのだが、安徳天皇の場合は、たとえ女性であっても女性であることを隠していたと思われる。もし謙信が実は女であって、そのことを隠していたのであれば、下記のような事項は「そんな、女とバレるようなことをするわけがない」という反証になる。独身問題にしても女であることを隠したいなら、形だけの妻を娶っていたであろう。
 
ところが謙信が女であることを全く隠していなかったし、みんなが謙信が女であることを知っていたとすると、下記は根拠として有効かも知れない。謙信が女であることをみんな知っているなら、誰もわざわざ「謙信は女である」とは書き残さなかったと考えられるのである。
 
下記の話の多くは筆者が大学生時代に歴史学の教授から聴いたもの(授業時間が5分ほど余ってしまったので、与太話として語られた)だか、どうもこの話の発端は歴史関係の著作も多い作家の八切止夫(1914-1987)が言い出したものらしい。
 
(1) スペイン人ゴンザレスが国王に宛てた文書に『会津の上杉景勝は“伯母”の上杉謙信が佐渡で掘り出し た黄金を持っている』と記されている。
 
(これが本当なら物凄い証拠である。しかしこの“ゴンザレス”がどういう人なのか調べてみたが不明。この手紙がイタリアの僧院に残されているという話であるが、どこの僧院なのかも不明。つまりこの話は怪しすぎる。国王に手紙が書ける人ならもう少しプロフィールや足跡が分かってもよいはずなのに)
 
(2) 生涯独身で子供も残していない。
 
多くの歴史学者は彼は同性愛だったのだろうと考えているが、もし女だったら、女性と結婚しなかったのは当たり前である。
 
(でも女であれば男と結婚してもよかったはず)
 
(3) 謙信の背丈は大柄と書かれているのに、実際は156cm程度だったらしい。つまり女にしては大柄だということだと解釈すると辻褄が合う。
 
但し、当時の日本人は男性の大柄な人でも160cmくらいだったという反論もある。信玄など153cmくらいだったらしい。
 
(4) 上杉神社に伝わる謙信が着ていたという服「紅地雪持柳繍襟辻ヶ花染胴服(くれないじ・ゆきもち・やなぎ・ぬいものえり・つじがはなぞめ・どうふく)は女物の服にしか見えない。
 
筆者もこの服の写真を見たが、正直この服を見てから女性説はひょっとすると本当かもと思うようになった。(でも“歌舞伎者”だったかも?)
 
(5) 謙信の遺した文書は筆跡も文章も女性的である。
 
これについては筆者も現物を鑑定する能力が無いのでなんとも言えない。
 
女性的な男がいても不思議ではないかも知れない(現代でも いくらでもいる)。清少納言などは文章だけ残っていたらこの作者は男性と思われていたと思う。
 
(6) 謙信は誰かの応援要請に応じて軍を出したことが多く、また塩を送ったエピソードに見るように、優しい武将で、性格が女性的である。
 
これも女性的な性格の男はいくらでもいるので何とも。
 
(7) 謙信は毎月1度10日頃戦闘を休んでいる。これが月経だったのでは?
 
ちなみに昔は太陰太陽暦なので月経周期(28日)と月の長さ(29.5日)は近い。28日の人なら暦とずれていくが、月経周期が29日や30日の人もいるには居る。
 
正直この論拠は微妙だと思う。単にこの日は休みと決めていたのかも?謙信は几帳面な性格だったようなので、いったん決めた習慣はずっと守ったかも?
 
(8) 謙信の死因は大虫とされ、この大虫とは婦人病のことである。
 
これについて筆者は「大虫」というのを図書館に行って、大きな辞書とかでも見てみたことがあるが、大虫が婦人病を意味するという記述は見付けきれなかった。何か古いことば、あるいは地域的なことばなのかも知れない。
 

「虎というと、一休さんの虎の話は子供の頃聞いて感心した」
と双葉が言っている。
 
念のため解説しておくと、子供の頃、一休さんは将軍様に呼ばれた。そして虎の絵が描かれた屏風を見せられ「この屏風の虎が夜な夜な抜け出して困っている。お前捕まえてくれないか」と言われた。一休は「分かりました」と答え、縄を持って、屏風の前に立つ。そして言った。
 
「私が捕まえますから、将軍様、虎を屏風から追い出してください」
と。

「無茶振りして、それをちゃんと受けるというのは、漫才の基本能力」
「漫才の能力って、禅問答に近いよね」
「実質同じものだと思うよ」
 
「あの話に出てくる将軍様って誰だっけ?」
「三代将軍足利義満」
「三代将軍って徳川家光じゃないの?」
「それは江戸幕府!」
「これは室町時代の話」
 
「この話は結構きなくさいんだよね。実は」
と神谷内さんは言った。
 
「当時は南北朝がやっと収拾されて南朝と北朝が統一された時。実際には、北朝の天皇だった後小松天皇が南朝の後亀山天皇の後継として立ち、南北両朝の天皇を兼ねたことで、皇統は統一された。そして一休宗純はこの後小松天皇の御落胤なんだよ」
 
「へー」
 
「こういう微妙な時期に天皇の御落胤というのは、ひとつ間違えば物凄く危険な存在にもなりかねない。だから当時の実質的な最高権力者であった足利義満としては、一休を手懐けておきたいし、もし自分に反抗的であれば、闇に葬ろうと思っていたと思う。それで実際に会ってみたんだな」
 
「ああ」
 
「それでこの屏風の虎の話で、こいつは凄く頭のいい奴だけど、充分自分と仲良くしていける奴だと感じたと思う。だからその後は多分色々支援して仲間にしておこうとしたと思うよ」
 
「なるほどー」
 
1392.閏10.5 北朝の後小松天皇が南朝の天皇を継ぐ(両朝統一)
1393.04.26 後円融上皇崩御(義満と対立していた)
1394.01.01 一休生まれる
1394.12.17 義満が将軍職を引退。
 
つまり、一休が“将軍様”に会った時期は、実は義満は既に将軍職自体は引退していたはずである(但し最高権力者ではあり続ける)。またこの時期、まだ一休という名前は使っておらず“周建”の名前であったはず。
 

「絵に描いたものが出てくるというのは、安部公房の作品にありましたね」
と幸花が言う。
 
「うん。『魔法のチョーク』ね」
「そんな話があるんですか」
と初海。
 
「『赤い繭』『洪水』『魔法のチョーク』『事業』という一連の作品で、人間と非人間の境界が無くなってしまう、ちょっと恐い作品群だね」
と神谷内さんは言う。
 
「ある男が魔法のチョークを手に入れた。そのチョークで壁に描いたものは何でも現実化して出てくるので、彼は仕事にも行かなくなり、そこに様々な食べ物の絵を描いて、それを食べていた」
 
「なんて素敵な」
と初海は言っているが、明恵と真珠は難しい顔をしていた。
 
「でもこのチョークに描いた絵が現実化するのは夜の暗い時間帯だけなんだよ。朝になって日の光が入ってくると、全部壁の中に吸収されて絵に戻ってしまう。それで彼は窓のカーテンを閉めて部屋を一日中暗くして生活するようになる」
 
「オチが見えてきた」
と真珠が言う。明恵も頷いているが、初海や双葉はまだ分からないようである。
 
「やがて男は魔法のチョークで女を描いた。それで女が絵から抜け出してきて男とセックスをする。彼は彼女とのセックスに溺れる。やがて女は言った。こんな暗い部屋は嫌だ。カーテン開けようよ」
 
「ああ!」
と初海も結末が分かったようで、嘆きの声を挙げた。
 
「しばらく経って、住民が出入りしてないようなので、大家さんがその男の部屋を開けて中に入る。すると壁に多数の食べ物などの絵が描かれており、更にセックスしている男と女の絵まであった」。
 
「怖ぁ」
と双葉も声を挙げた。
 
「野暮な解説すると、つまり絵の中のものばかり食べてたから、もう男の身体の構成物質は全て絵の中のものに置き換わってしまっていたんだろうね。だから日の光が入ってくると、他の絵と同様、壁の中に吸収された」
と神谷内は言った。
 

田中は、その日、転勤する同僚の送別会をした後、夜9時頃、ほろ酔い加減で自宅への道を歩いていた。そして交差点で信号を渡ろうとしてギョッとする。
 
横断歩道の向こうに虎が座っているような気がしたのである。
 
俺酔ってるのかな?虎なんて居る訳ないよな?
 
と思うと、彼は商店街に引き返した。そして適当なスナックに入り、席に座ると
「お姉ちゃん、水割り頂戴」
と言って、飲み始めた。
 

23時頃、スナックがもう閉店だというので店を出る。
 
あれ〜。なんかまっすぐ歩けないぞ。あはは、これ俺が虎になっちゃったかも。俺も虎なら、虎が出ても恐くないや、と訳の分からないことを考えている。
 
しかし彼はちゃんと歩くことができず、やがて歩道に座り込んでしまった。
 
そのまま30分近く座っていた気がするが、なんか寒いなと思った。見ると雪が降っている。きれいだなと思った。
 
その時、彼はギョッとした。
 
向こうから一頭の白い虎がこちらに歩いてくるのである。
 
虎は彼のすぐ近くまで来た。
 
「なんだぁ、おい虎。俺も虎だぞ。文句あっか?」
と彼は虎に言った。
 
虎がギロリと田中を睨んだ。
 
「あ、すみません。ここ、お通りになられますか。私、どきますね」
 
と言って、田中はこそこそと、這うようにしてそこをどき、車道の端に座り込んだ。
 
虎は悠々と歩道を通り過ぎていった。
 

田中はその後姿を半ば朦朧とした意識の中で見て居た。
 
キキーっと車の停まる音がする。黒と白のパンダ模様だ。
虎だけじゃなくてパンダも出て来た?
 
と思っていたら、車から警官が2人降りてきた。
 
「こんな所に座って居たら危ないよ。車に轢かれるよ」
「これはお巡りさん、お務めご苦労様です」
「とにかく車道は危険です。歩道に移動してください」
「いやあ、それがね、虎が歩いて来たもんだから、道を譲ったんですよ」
「虎はあんたじゃないの?」
と若い方の警官が言ったが、年配の霊感が首を振って注意したようだ。
 
「あんた立てる?」
「どうかな」
と言って、田中は立とうとしたが、足がもつれてまた座り込んでしまう。
 
2人の警官は
「意識はわりとあるみたいだね」
「でも立てないみたいだ」
などと話し合っている。
 
年配の警官が言った。
「警察官職務執行法・第3条に基づき、あなたを保護します」
「俺逮捕されるの?」
「逮捕ではなく保護です」
と言って、ふたりの警官は田中の両脇を持ち何とか立たせた。そしてパトカーの後部座席に乗せた。
 
バッグとスマホが落ちているので、拾ってきて
「これあんたの?」
と尋ねる。
「はい、私(わたくし)のであります」
 
警官は他に彼の持ち物が無いかその付近を見回した。特に無いようである。
 
それで若い警官が男の隣に乗り、年配の警官がパトカーを運転して警察署に向かった。
 
そして、所持品のほか、ズボンのベルト、ネクタイを外して預かり、署内の保護室(通称トラ箱)に入れた。
 
被保護者が発作的に自殺を図ったりすることが無いよう、細長いものは預かることになっている。女性の泥酔者の場合は、女性警察官がブラジャーまで取り外す。
 

警察では男に連絡先を尋ねた。
 
「電話番号は **-**** あれ? **-**** だっけ?あれれ?」
「自宅の電話番号覚えてないの?」
「すんませーん。スマホのアドレス帳からしか掛けないから。お巡りさん、私のスマホ取ってください」
「うん」
 
それで警官がスマホを渡すと、彼は暗証番号でスマホをアンロックし、アドレス帳を開いて、先頭の所にある“ああんまいはにぃ♥”という所を示した。
 
(先頭に表示させたい名前の前に“ああ”を付けるのは、よくある手)
 
「これ僕の可愛い可愛い奥様のスマホ番号でーす」
「はいはい」
 
可愛い可愛い奥さんがいるなら、こんなに飲むなよなと思う。
 
「じゃ奧さんに掛けて下さい。本官が代わりますから」
「了解です」
と敬礼して言って男は奧さんに掛けた。5回くらい鳴って電話を取る音がする。
 
「あんたどこに居るの?」
などという女性の声。
 
「ああ。すまない。ぐりぐりしてあげるから勘弁して。実は警察に捕まっちゃって」
「え〜〜〜!?」
 
「失礼」
と言って、警官はスマホを取る。
 
「こちらS警察署ですが」
「はい!」
「御主人がお酒に酔って車道に座り込んでおられたので保護しました。引き取りに来て頂けますか」
「分かりました。すぐ行きます。ご迷惑おかけします」
 

奧さんは20分ほどで駆け付けてきた。凄い美人だった。彼女は男を引き取り、警官に何度もお詫びの礼をしていた。
 
「帰るよ」
と夫に言って車を出す。
 
「ごめんねー。ぐりぐりしてあげるから勘弁して」
「それ人前で言わないで欲しい」
「だって、**ちゃん、とっても可愛いんだもん」
「はいはい」
と妻は呆れている。可愛いと言われるのは嬉しいが。
 
「でもなんでこんなに飲んだのよ?」
「いや、**君の送別会で少し飲んだ後、帰ろうとしてたらさ、目の前に虎がいたんだよ」
「虎!?」
「それで虎なんて居るはずがない。何かの間違いだろうと思って、適当なスナックに入って飲み直した」
 
「それで自分が虎になっちゃったんだ?」
と妻は呆れ果てて言った。
 

泥酔者の保護は、警察の業務のひとつにもなっており、多くの警察署は、犯罪をおかした疑いのある人を留め置く“留置場”とは別に泥酔者用の“保護室”を持っている。これを俗称トラ箱と言い、留置場を意味するブタ箱とは区別される。
 
かつては、東京では警察署のトラ箱だけでは足りず、都内4ヶ所(鳥居坂・日本堤・三鷹・早稲田)に“泥酔者保護所”まで設けられ、年間1万人以上の泥酔者を保護していた。しかし時代とともに保護する泥酔者の数が減ったたことから、2007年までに全て閉鎖された。
 

「そういえばライオン以外のネコ科の動物って、パッと見た目にはオスメスの区別が付きにくいですよね」
と双葉は言った。
 
「うん。虎とか豹の性別は少なくとも素人には区別つかない」
「家猫もお股見ないと分からない」
「さすがに虎を捉まえてお股見ることはできない」
 
「性区分については、むしろライオンだけが特殊だよね」
と真珠も追認する。
 
「性的二類とか言った?」
「性的二形! (sexual dimorphism)」
 
「ライオン以外では、鹿や牛などは、オスだけに角がある」
「トナカイだけが例外。トナカイはオス・メスともに角がある。しかもオスは冬の間は角が抜け落ちているから、クリスマスにサンタの橇(そり)を引くトナカイに角があったら、それはメス」
「うっそー!?」
「ルドルフはきっと女の子」
 
「鳥や昆虫には、オスメスで大きく見た目の違うものが多いね」
「孔雀とかは極端だよね」
などと言っていたら、
 
「シモンちゃんの男の娘疑惑」
と真珠が言う。
 
「何それ?」
と初海が訊くので説明する
 
「茨城県下妻(しもつま)市のマスコットキャラクターは、当地に多く棲息している蝶々のオオムラサキをモチーフにした“シモンちゃん”。このシモンちゃん、見た目は女の子っぽいんだよね。ビスチェ付けてるし。でもこの子の羽根には紫色の部分が広がる。この紫色の羽根を持つのは、オオムラサキの中でもオスだけなんだよ。だからシモンちゃんは間違い無く男の娘だとネットでは言われている」
 
「最初から男の子キャラに設定してたら何も問題無かったのに」
「同感。オオムラサキのこと知らない人がデザインしたんだろうね」
 
「人間も見た目だけでは性別分からないよね」
「いや、元々は、おっぱいや、ちんちんで区別できてた。だから人間は充分性的二形だと思う」
 
「でも衣服でそれを隠しちゃったのか」
「昆虫なんかでも性別を偽るやつって時々いるんだけどね。小型のオスがメスの振りして他のオスを誘惑したり」
「ほほぉ!」
「人間は衣服を着けることで、男の娘がやりやすくなったんだろうね」
 
「ライオンだって仮面をかぶったら、オスメスの区別がつかない」
「ライオン仮面??」
 
「仮面を外されて性別がバレそうになったら、危うし!ライオン仮面」
「どこかで聞いたようなタイトルだ」
 

桜坂は店の内部を色々点検していたが、調理器具などの大半は少し掃除・補修すれば使える気がした。ただ建物は結構傷んでいる所もあり、開店までには結構な補強・改装・改造が必要だなと思った。
 
昔は「汚い店こそ美味いんだ」などと言う客も居たが、今の時代にはそんな考えは通用しない。衛生的であることは飲食店としての最低条件だ。しかもコロナ下で店を再開するのであれば、換気にこだわり、清掃・消毒もマメにしなければ人は来ない。だからテーブルや椅子も清掃消毒しやすいものに交換する必要がある。
 
食器とかも全て新しいものに交換する必要があるし、トイレなどは全面改装の必要がありそうだ。ただ、コロナ下ゆえに、新しいテーブル・椅子は当面は従来の半分の数でいい!その分テイクアウトで稼ぐつもりでいなければならない。お弁当の職場への配達なども必須だろう。
 
「多分トイレの改装だけで退職金が吹き飛ぶな」
と彼は嘆いた。
 
彼は外に出て改めてお店を見た。
 
「店の看板からして傷んでるしなあ。まあこれはオープンまでに直せばいいか。まずは内部の改修だなあ」
 

それは1月31日に、青葉・千里・明恵・真珠が、S市の人形美術館に行き、霊的な処理を済ませて、金沢に戻る車の中で話が出た。明恵が運転していて助手席に真珠、後部座席に千里と青葉が座っていた。
 
「え?虎の子っ書いて“おまる”と読むの?」
と真珠が言う。
「実際にはその前に“御”を付けて“御虎子”と書くことが多い」
と千里。
 
「なんでですか?」
「当て字だよね。“まる”というのは古い言葉で通常漢字では“放る”と書いて、大小便をするという意味の動詞。“お”は婉曲表現の接頭辞」
「へー」
 
「“おまる”って丸いから“おまる”と言うのかと思ってた」
「丸いという字を使って“御丸”と書く人もあるけど、そっちはほぼ誤字」
「なるほど」
 
「でも虎の子がなんでトイレなんですか?」
「虎子と書いて“おまる”と読むようになったのは少し後の時代で昔はこの字で“おおつぼ”と読んでいた。実際、平安時代の貴族の女性たちは壺を使っていたみたいだよ。壺を服の中に差しこんで、下着だけ外して用を達する」
 
「十二単(じゅうにひとえ)を脱いでたら、その間に漏らしちゃいますよね」
 
「でも“つぼ”というのはまた謎の読み方ですね」
 
「中国語で“虎”と“壺”が同音“フー”だからだと思う」
と千里は言った。
 
「へー!」
 
「どう思う?青葉?」
 
「それはあり得ると思う。中国でも虎子(huxi)は排泄用の入れものを意味する、もしかしたら最初は“壺子”と書いていたのを、婉曲表現として類音の虎に書き換えたのかも。中国人の生活史学者さんの見解を聞きたいけど」
 
「今青葉さんの発音が壺と虎で違ってた」
「だから類音と言った。日本語ではどちらも“フー”だけど“壺”は第二声で"hú"で、“虎”は第三声で"hŭ"なんだよ」
 
「よく分からないけど、発音が違うのは分かった」
と真珠。
 
「一般には虎の子に似ているから虎子と呼んだというのだけど、虎の子供に似ているとは思えない」
と千里。
 
「確かに小便用の樋箱は無理すれば虎に見えないこともないかも知れないけど、壺は虎に見立てるのは苦しい気がする」
と青葉も言う。
 
「おまるが小判に似ているから、小判は虎の子だろうから、虎子、なんて説もネットには流布してるけど、全く時代が合わない。小判が生まれたのは江戸時代で、虎子は平安時代から使われていた」
 
「すると“壺子(huxi)”が“虎子(huxi)”と書かれるようになった可能性はあるね」
 
「ちなみに狐も“フー”だよね。これは第二声で壺と同じ音。“虎の威を借る狐”は中国語では、狐假虎威(Hújiăhŭwēi)と言って、実は類音の言葉遊びになっている」
 
「へー!!」
「つまりダジャレだったのか!」
 
「time and tide wait for no man」
「Friend in need is Friend indeed」
「Genius is 1% inspiration and 99% perspiration」
 
「なんでみんな、そんなのがスラスラ出てくるの〜?」
と真珠が叫んでいた!
 

歩夢は、出前を届けた後、お店に帰ろうとしていた。そんな遅い時間ではないが、雪なのもあって、人通りが少ない。寒いなあ。早く戻らなくちゃと思う。
 
全く人通りの無い商店街を歩いていて、ビクッとする。
目の前に“鬼”が居る気がしたのである。
 
何かの見間違い?と思って、歩夢は再度そちらを“見て”しまった。
 
“鬼”がギロッとこちらを睨み、立ち上がった。こちらに歩いてくる。
 
しまったぁ!と思う。こういう時は「見てはいけない」「気付かないふりをしろ」と、小さい頃、曾祖母ちゃんに言われてた気がするよ。相手が近づいてくる時はどうすればいいんだっけ?
 
と焦っていたら、後方で、うなり声がする。
 
え!?
 
と思って、後ろを振り返ると、今度はそこに“虎”が居た。
 
うっそー!?これ何て言うんだっけ?「前門の人参、後門の虎」??
 
(なぜニンジン??)
 
と思っていたら、虎が走ってくる。
 
やられた!?
 
と思って頭を抱えてしゃがみ込むと、虎は歩夢の傍を通り過ぎ、前面に居る鬼に飛びかかって・・・食べちゃった!!
 
歩夢はあっけに取られてその様子を見ていた。そして虎はこちらを見てニコッと笑った気がした。
 
「虎さん、もしかして私を助けてくれたの?ありがとう!」
と言うと、虎は再度こちらに微笑んで、そのまま走り去った。
 

『北陸霊界探訪』では、“動く人形の怪”を追いかけていたのだが、この取材に関しては、2月14日(本当は13日)に金沢ドイルこと青葉が逃亡してしまったので、事実上取材は終了し、後は編集で何とかまとめようということになった。
 
ここで神谷内は“狛虎”のことを思い出した。
 
「君たち、取材に行ってくる?でも授業があるんだっけ?」
「私とあきちゃんは今週リモートです」
と真珠。
「私はリアル〜」
と初海。
 
「じゃ、夏野さんと伊勢さんで行ってくる?」
「行ってきまーす」
「残念。お土産買ってきてね」
 
「二輪車通行禁止区間があるから、局の四輪使って行ってきて」
「了解です!」
 
(ここで神谷内が2人に取材に行かせたのは、近く自分は異動になりそうと感じていたので、その前にお金の掛かる取材はさせておこうと思ったのもあったと思う)
 
なお、明恵の苗字は夏野だが、番組では沢口明恵とクレジットする。芸名?“沢口”は実は慈眼芳子の本名の苗字である。明恵にとっては曾祖母(慈眼芳子の姉)の旧姓でもある。明恵に沢口を名乗らせたのは神谷内である。明恵も若干の霊感がある(実際電話占い師で結構稼いでいる)ので、青葉が多忙で番組を降板した場合の保険の意味合いがあった。
 
「明恵ちゃんが番組を継承したら金沢オイルかな」
「油なんですか〜?」
「オイル・油売るけん、そわか」
「微妙に九州弁が」
 
他に、登山の格好して金沢ザイル、左官さんの格好して金沢タイル、スフィンクスみたいな帽子?かぶって金沢ナイル、アルミホイル持って金沢ホイル、航空会社のマイレージカードを持って金沢マイル、ネールアートして金沢ネイル、ツインテールの髪型にして金沢テイル、などという案も、幸花や初海から出ていた。
 

ということで、神谷内がお寺に連絡を取って取材の許可を取った上で、明恵と真珠が2月18日(金)“狛虎”の取材に奈良の朝護孫子寺まで行ってくることにしたのである。放送局のヴェゼル(4WD)を使用する。金沢を18日の朝出た。
 
ふたりはリモート授業には出なければならないので、運転してないほうが後部座席で2人のスマホを並べ、大学の授業サイトに双方ログインし、出席のマークを付けた。授業のビデオはWi-fiのある場所でまとめて閲覧しておいた。
 
(G大学では学内サイトにその時間にログインすることで出席とみなし、実際の授業内容は、動画投稿サイトにアップロードするので、それを見てくれということにして、低予算でリモート授業を実現した。この方式はトラブルも少なく、学生の負荷も小さかった。ZoomやGoogle Classroom などを利用してリアルタイムのネット授業をしようとした学校は結構トラブルに苦労している)
 

明恵たちは、往路は次のように進行した。
 
北陸自動車道(米原JCT)名神高速(瀬田東JCT)京滋パイパス(久御山IC)国道1号下り(天の川交差点)国道168号(辻町IC)阪奈道路(登山口IC)信貴生駒スカイライン(信貴山門料金所)
 
阪奈道路・スカイラインは雪が残っており「4WDで来て良かったぁ」と2人は言い合った。
 
お昼頃到着する。
 
料金所を出てすぐの所に朝護孫子寺の駐車場があったので、2人はそこに車を駐める。放送局の名前が入った車はそれだけで説得力がある。ふたりはダウンコートの上に「〒〒テレビ」の腕章を付けて降りて行く。最初にお参りをした上で、お寺の人に声を掛ける。真珠が「〒〒テレビ・アシスタントディレクター伊勢真珠」の名刺を出すと
 
「芸名ですか?」
と訊かれた。
 
「本名なんですよ。私、誕生石が真珠というのもあって、父がノリで名付けしてしまったらしくて。読みは“まこと”なんですけどね」
「たしかに“まこと”と読めますね!」
とお寺の人は感心していた。
 
「でもあなたたちは礼儀正しい。無断で撮影していく人が多いんですよ。ユーチューブとかチクタク(←本人発音のまま)とかにあげるとかで。一言言ってもらえば、よほどのことが無い限りOKするんですけどねー」
 
などとお寺の人は言っていた。
 

中年のお坊さんが解説してくれたので、これは明恵がインタビューし、真珠が撮影する形を取った。
 
「今から1440年前の敏達天皇11年(582)、当時9歳の聖徳太子がこの地で祈願をなさっていたら、毘沙門天が現れ、太子にその後、たいへんな御利益(ごりやく)をもたらされたとのことです(*5)。これが寅の年、寅の日、寅の刻であったことから、このお寺には寅の日にお参りすると良いと言われています」
 
「へー。聖徳太子ゆかりのお寺だったんですね」
などと明恵が言っている。このあたりは男の記者が言うと「そのくらい予め調べておけよ」と思われるかも知れないが、女の子だと微笑ましく思ってくれる。女の子のお得な所である。
 
「ちなみに今日は寅の日ですよ」
「え?ほんとですか!?だったら私たち、御利益(ごりやく)あります?」
「きっとありますよ」
「やった!」
などと明恵が喜んでいる所を真珠が撮影したが、こういうやりとりも女性レポーターならではの会話である。
 

(*5) 敏達天皇の次が用明天皇(聖徳太子の父)だが、その用明天皇が亡くなった後の後継をめぐる、蘇我一族と物部一族の決戦(丁未の乱(*6))では、この毘沙門天の御神徳により太子たちの蘇我一族側が勝利を納め崇峻天皇の即位へと進んだとされる。
 
ここは日本書紀(崇峻天皇の巻)の記述によれば、当初蘇我側が苦戦していたものの、太子がにわかに白膠(ぬるで)の木を切り、4つの木切れを作って四天王とみなし、自分の髪の上に立て進軍したところ、志気が高まり、戦いに勝つことができたとある。このことから、白膠(ぬるで)のことを勝軍木とも書き、この字から「かちのき」とも呼ぶのである。
 
四天王は多聞天・持国天・増長天・広目天の四神で、多聞天の別名が毘沙門天である。
 
ひょっとしたらこの時の四天王像もここに納められたかも知れないが、この寺は戦国時代、信貴山の戦いで全焼しているので、その時に失われたかも知れない。寺はその後、豊臣秀頼の命で再建されている。
 
(*6) :但し物部側の天皇後継有力候補だった穴穂部皇子は蘇我側の手の者に暗殺されたので物部側は後継候補の無いまま闘う羽目になった。
 

お寺の若いお坊さんが案内してくれた。
 
取材班は、国宝の『信貴山縁起絵巻』も撮影させてもらった。信貴山の中興の祖、命蓮上人に関する説話を描いたものである。なお、ここにあるのは複製で、本物は奈良国立博物館に置かれているが、そちらは3巻ある内の1巻ずつしか公開されない。つまり全貌はここでしか見られない。
 
境内には、至る所に虎が居て、真珠と明恵は交互に虎のそばに立ってお互いを撮影する。
 
塔頭の成福院の所には金銀ペアの狛虎がいた。左側(正面からは右手)が阿形(口を開けている)の金の虎、右側(正面からは左手)が吽形(口を閉じている)の銀の虎である。これは明恵が各々の狛虎の前に立つ絵を真珠が撮影し、また真珠が各々の狛虎の前に立つ絵を明恵が撮影した。
 
「これで合成すればどちらがどちらの前に立っている図も作れる」
「両方あきちゃんになったりして」
「それ私が分身したみたい」
「分身すると倍のお仕事できて便利だよ。御飯代は倍掛かるけど」
 
“世界一の福寅”と呼ばれる巨大な張り子の虎があり、ここでは明恵と真珠が並んでいる所を案内役のお坊さんが撮影してくれた。更にはそのお坊さんをはさんで真珠−お坊さん−明恵と並ぶ絵を通りがかりの別のお坊さんが撮ってくれたが、お坊さんも若い女の子と並んで映るので、顔がかなり弛んでいた。
 
極めて珍しい、馬に乗り横笛を吹いている聖徳太子の像も撮影させてもらった。これは長崎の平和祈念像で有名な、北村西望の作品である。ここでも、明恵と真珠が並んだ所を、お坊さんが撮影してくれた。
 
取材は3時頃終了する。
 
明恵と真珠は、途中で買っておいたお弁当を、駐車場の車の中で食べた。寒い中で取材しているので、車内でお湯を沸かしてカップ麺を食べたら、かなりホッとした(ホットした?)。汗を掻いたので下着を交換した。
 

そして4時頃、京都に移動する。
 
信貴生駒スカイライン(登山口IC)阪奈道路・東行き(宝来IC)R308/R24(木津IC)京奈和自動車道(城陽JCT)新名神(八幡京田辺JCT)第二京阪(久御山JCT)京滋バイパス(大山崎JCT)名神・名古屋方面(桂川PA)
 
ということで桂川(かつらがわ)PAで車を駐めた。
 
(多数のジャンクションを通過するので、カーナビが無いと辛いルートである)
 
ここで車中泊する!
 
(桂川は京都にあるのは“かつらがわ”、福岡にあるのは“けいせん”。ついでに小倉は、京都のが“おぐら”で福岡のは“こくら”)
 

都会は車で乗り付けられて安価に駐車場が使えるホテルがひじょうに少ない(使えてもホテルから遠かったり自由に出し入れが出来なかったりする)ので2人は最初から車中泊するつもりで来ていた。床に敷く発泡スチロールも前日に制作(車の形に合わせて切る)しておいたし、下に敷くロングクッションと毛布・掛布団も持って来ている。
 
2人はトイレに行って来た後、お弁当と飲み物を買って車に戻り(幸花から釘を刺されたのでアルコールは自粛!)、それを食べてから適当に横になった。ここで、明恵が後部座席の上で、寝相の悪い真珠が床(発泡スチロールの上にロングクッションを敷いている)である。
 
2人はスマホでゲームなどしながら、適当におしゃべりしながら、いつしか眠っていた。車はむろんアイドリングはしない(車中泊ではアイドリングはしないのが基本)が、毛布・布団をかぶっているし、ダウンコートも着たままなので充分暖かく寝ることができた。
 

でも真珠は寝ぼけて明恵のお股を触り、蹴りを食らった!
 
「間違えるな」
「ごめーん。くーにん、いつの間に性転換手術受けたんだろうと思った」
「彼、性転換することはないと思うけど」
「うん。だから安心してる」
「でも女装はさせるんだ?」
「抵抗するから面白い。たくさんスカート買ってあげるのにめったに穿かないし」
「まこの見てない所でこっそりスカート穿いてたりして」
「それは無さそうだよ」
「ふーん」
 
「でもくーにんは、自分が女物を着ていることに気付いてないことが多い」
「きっと小さい頃からよく女物を着せられていたんだよ」
「瑞穂ちゃん、子供の頃は“お姉ちゃん”のお下がりをよく着てたと言ってた」
「なるほどねー」
 
 
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【春虎】(1)