【春虎】(2)

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信貴山に行った翌日(2/19 Sat)、明恵と真珠は車中泊した桂川PAで、朝御飯をテイクアウトしてきて車中で食べた。その後、名神を走って京都南ICで降り、貴船神社に向かって。ここの駐車場に駐める。そしてここから山道を15分ほど歩いて鞍馬寺に向かった。
 
「これ幸花さんと来てたら絶対本人は途中でへばってるよね」
「うん。途中で座り込んで『ここで待ってるから、あんたたちだけで行ってきて』とか言われてる。初海ちゃんも音を上げてる」
 
「私たち2人のコンビでないと辛かったね」
 
最強の男の娘コンビ?
 
でも2人とも男性時代に比べて、物凄く筋力・体力が落ちているのは日々感じていた。真珠は男性時代は懸垂10回くらいできていたが、今は全くできない。やはり男性ホルモンの作用は物凄く大きいみたいと2人とも思う。真珠はいつも元気そうに見えるが、けっこう気合いでもたせている部分が大きい。
 
「私たち大学卒業した後、この番組に関われるかどうかは分からないけど、後釜には男の娘を誰か引き入れたいね」
「H高校のMH同好会も無くなっちゃったしなあ」
 
MH同好会というのは、Mistery Hunting 同好会で、不思議なものを探究する同好会だったが、部員のほとんどがMTF/FTMで、部活時には学籍簿と違う性の制服を着ている子も多く、実はMG (Misterious Gender) 同好会ではと揶揄されていた。
 
この同好会で明恵や真珠の後輩だった、間島和栄(-1)、米山舞佳(-2)などは、時々、編集部に顔を出してくれるものの、明恵・真珠のように常駐している訳ではない(バイト代も大して出ないのに常駐しているこの2人が異常)。
 
米山舞佳の学年の子たちが2021年春に卒業した後は、性別問題に理解のあった顧問の先生が他校に転出した上に、部員も2人になってしまい、同好会が維持できなくなって解散したらしい。
 
ちなみに舞佳はバイト代を貯めて、昨年12月に去勢手術を受けた(明恵たちも「おめでとう」と言って、お祝いを贈った)。彼女は大学(金沢市内のS大学)には、入学時以来、普通に女の子の格好で通学している。彼女の女子トイレ使用については、大学側も「問題無い」と言ってくれている。そもそも女の子にしか見えないし!
 

明恵と真珠が、わざわざ貴船神社に駐めて山道を歩いているのは、ひとつには鞍馬寺には駐車場が無いので、隣の貴船神社の駐車場を借りたのである。この2つは比較的近くにあるのでセットでお参りする人も多い。
 
なお、この貴船神社前からの山道は“修行の道”と呼ばれている。参拝客の大半は叡山電鉄・鞍馬駅から仁王門を通りケーブルカーで登る“安楽の道”を通る。実は2人がここを歩いているのは、“修行の道”を通れという幸花の指定だったからである!2人は歩いている所を交互に撮影しながら歩いて行っていた。
 
やがて鞍馬寺に到着する。お寺には、事前に神谷内さんが電話で取材の申込みをして了承を得ていた。それでも2人は、お参りをした上で、テレビ局の名刺を出して、あらためて取材の許可を取った。
 
(真珠が正式にADとして採用されたのは3月4日付けだが、それ以前から真珠は石崎部長からADの名刺を渡されていた:無給だったけど!)
 
この鞍馬寺にも多数の虎さんが居るので、これを撮影させてもらった。ここの狛虎は、普通の狛犬などと雰囲気が似た、古風で格好良いデザインだった。
 
源義経の逸話で有名な鞍馬寺を創建したのは、鑑禎(生没年不明)という帰化僧である。彼は唐招提寺を創建した鑑真和上の高弟で、彼と一緒に中国から渡ってきた8人の僧の中のひとり。8人中の最年少だった。
 
鑑真が天保宝字7年(763年)に亡くなった後の、神護景雲4年(770)、鑑禎は山城国の高山に霊地があるという夢を見て、そちらに向かう。そして翌朝、彼はある山の上に神々しい白馬が宝の鞍を背負って山にふたをするようにしているヴィジョンを見て、その山に登る。
 
その夜、彼は夜叉に襲われるが、一心に三宝を念じると、朽ち木が倒れかかって夜叉を倒した。朝になって見ると、朽ち木と思ったのは、毘沙門天の像であった。そして、この毘沙門天に助けられたのが、寅の月・寅の日・寅の刻だったので、虎を毘沙門天のお使いとして共に祭るようになった。
 
以上は『鞍馬蓋寺縁起』に見る創建縁起である。(鞍を付けた馬がフタをしていたから“鞍馬蓋寺(あんばがいじ)”)
 
なお、770年は戌年であるが、もし寅の月・寅の日・寅の刻というのであれば、それは神護景雲4年1月の2日,14日,26日のどれか(Greg 2/6,18,3/2)の午前4時頃ということになる。
 
この時期の京都地方の日出は7時頃なので、天文薄明が始まるのも5時頃。4時であれば、まだ完全に“夜”の時間帯である。
 

鞍馬寺(くらまでら)の本尊は“尊天”と言い、毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊の三位一体の仏である。ここで護法魔王尊というのは650万年前に地球に降臨した神でその身体は異世界の物質でできており、永遠に16歳の身体であるという。
 
この護法魔王尊はインド神話のサナト・クマーラと同一視されることが多いがサナト・クマーラは1850万年前に地球に渡来したとされる(鞍馬はクマーラの転化??)。
 
ちなみに、ミトコンドリア・イブは16万年前である。また神武天皇は東征に出発する前に「天孫(迩迩芸命:ニニギノミコト)が地上に降り立ってから179万2470余年」と言っている。
 
ホモ・サピエンスの最も古い化石は30万年前であり、ミトコンドリア・イブは現生人類の歴史の中で中点くらいにあることになる。ヒト属の中で最も古いとされるホモ・ハビリスがアウストラロピテクスから別れたのがだいたい200万年くらい前と思われ、神武天皇の言う天孫降臨の年代はだいたいこの時期と一致する。
 
(但しホモ・ハビリスは現生人類の祖先ではなく、現生人類はホモ・ハビリスより少し後に共通祖先から分岐したホモ・エレクトス(旧名:ピテカントロプス)から進化したものと思われる)
 
650万年前というと、二足歩行を始めたとされる最も古いヒト亜科・オロリンが登場した頃である。オロリンはアウストラロピテクスより現生人類に形態が似ており、ひょっとするとこちらこそ現生人類の祖先である可能性もある。
 
※ヒト略史
 
2000-1600万年前 ヒト上科でヒト科とテナガザル科が分岐 ★サナト・クマーラ
1300万年前 ヒト科でヒト亜科とオランウータン亜科が分岐
650万年前 ヒト亜科でヒト族とゴリラ族が分岐 ★護法魔王尊
500万年前 ヒト族でヒト亜属とチンパンジー亜属が分岐
200万年前 アウストラロピテクスからホモ・ハビリスが分岐 ★天孫降臨
30万年前 ホモサピエンスの最古化石
(15万年前にミトコンドリア・イブ)
7.5万年前 インドネシアのトバ火山噴火が氷河期を引き起こし、世界人口が100分の1に減少
 

鞍馬寺のご本尊(毘沙門天・千手観音・護法魔王尊)は秘仏で60年に一度丙寅の年(次は2046年)にご開帳されるが、ご本尊の代わりの像“お前立ち”が本尊の厨子前に常に安置されている。
 
この中の護法魔王尊のお姿は、ヒゲをたくわえ鼻が大きく背中には羽根があり、錫杖を手にしており、その姿は天狗を思わせる。それで元々鞍馬寺の天狗というのは、護法魔王尊のことなのではという意見もよく見られる。中年男性っぽく見えるけど、永遠の16歳!!
 

明恵と真珠はお寺の人に鞍馬寺の創建縁起を聞き、また境内でたくさん撮影をさせてもらった。
 
お昼頃撮影を終わり、また山道を15分ほど歩いて貴船神社まで戻る。車の中でお茶を飲み、買っておいたおにぎりを食べ一休みしてから貴船神社にお参りする。
 
ここで神社の人を捉まえ、〒〒テレビの名刺を見せて「一応、事前にもご連絡させて頂いたのですが」と言って、改めて境内撮影の許可は求めると「ああ、聞いてますよ」と言って、快諾してくれた。それで2人はここでも撮影させてもらった。
 
2人が撮影していると
「わざわざ金沢からいらしたんですか」
と神職さんが声を掛けてきた。
 
「はい。バラエティ番組なんですけど」
と真珠が言うと
 
「やはり丑の刻参りとかの取材ですか?」(*8)
などと小さな声で訊かれる。
 
「いえ、高龗神(たかおかみのかみ)・闇龗神(くらおかみのかみ)(*7)の聖地をレポートしたいと思いまして。『金沢ドイルの霊界探訪』という番組なのですが」
 
(*7) 龗は雨冠の下に口を3つ横に並べ、その下に龍を書く難しい字で「おかみ」と読む。手元の新選漢和辞典では意味として(1)龍 (2)神 といった意味を挙げている。まさに龍神だと思う。この神の名前は、古事記では、高淤加美神・闇淤加美神と書き、日本書紀では高龗神・闇龗神と書く。いづれも「たかおかみのかみ」、「くらおかみのかみ」と読む。
 
ペアとなる龍神様で、高い峰の上におられるのが高龗神、暗く深い谷底におられるのが闇龗神である。古事記には“淤加美神”の娘に日河比売(ひかわひめ)という女神があり、日河比売の孫の孫が大国主神(おおくにぬしのかみ:だいこく様)であるとしている。この淤加美神というのが、高淤加美神なのか闇淤加美神なのかは不明。
 
高淤加美神・闇淤加美神は一般に水の神様:罔象女神(みずはのめのかみ)と共に祭られることが多く、この京都・貴船(きぶね)神社と奈良県の丹生川上(にゅう・かわかみ)神社は、淤加美神の聖地である。
 
(*8) この貴船神社の裏手では、古くから“丑の刻参り”をする人が多い(むろん神社では禁止している:木も傷めるのでよくない)。しかしここは行ってみれば分かるが物凄い急傾斜地に建っており、こんな急斜面の地で、真夜中に、全力疾走(服の裾が地面に着かない速度で走らなければならない)して、藁人形に釘を打ち付けるとか、通常の視力と運動能力では、ほぼ不可能である。それをやってしまう人というのは、もう既に心が逝ってしまっていると、筆者はあの斜面を見て思った。
 

真珠が番組名を出したら
 
「ああ!金沢ドイルさんの!」
と神職さんは、おっしゃる。京都でもこの番組を知っている人が居たようである。
 
「噂に聞いてますよ。あなたが金沢ドイルさん?」
と明恵に尋ねる。やはり霊感体質の人間を見分ける力があるようである。
 
「いえ。私はドイルの弟子の金沢オイルです」
(自分でオイルと言っている)
 
「ああ、お弟子さんですか。でもあの人凄いね」
「なんか遙か高い山を見上げる感じで」
「ああ、お弟子さんからはそう感じるかもね」
 
などと言って、この後、神職さんは明恵たちに色々この神社のことを解説してくれた。真珠はそれを撮影していたが、せっかくこれだけ親切に話してくれたらこの解説も1〜2分は流さないとまずいなと考えていた。
 

貴船はいちばん上まで往復してきて(さすがに足が痛くなった)、結局15時頃に駐車場に戻った。それで足にアンメルツをたっぷり塗り、1時間ほど仮眠してから帰ることにする。
 
(筆者は実は先に貴船神社の一番上まで往復して来たので、それで疲れ果てて、鞍馬山までの往復の道は断念しました。ここ行かれる方は、先に鞍馬山まで行ったほうが良いかも?貴船の方は広い道で単に傾斜があるだけです)
 

帰りは京都市街地まで出て、京都南ICから名神に乗ると、大津SAで駐めて、朝まで寝た!
 
(2/20 Sun) 爽快に目が覚めてから、トイレに行き、御飯をテイクアウトしてきて車内で食べる。その後、名神・北陸道を走って、途中、女形谷(おながたに)PAで休み、お昼過ぎに金沢に帰ってきた。
 
真珠が邦生に電話していたので、ヴェゼルを駐めたTimes駐車場からマンションまで、邦生が2人の荷物を持ってくれた。
 
「何か食べる?寝る?」
「寝る!」
 
ということで2人はぐっすり寝ていた。
 

夕方目を覚ます。
 
邦生がケーキと大量のお肉を買ってきてくれていたので、まずはケーキを食べてから、ホットプレートでお肉を焼いた。2人とも300gくらい食べていた。
 
「でもお疲れだったね」
「疲れたぁ」
 
「ところで、くーにん、四輪を買う気無い?」
「今俺、金無ぇ」
「だよねー」
 
「まこちゃんが買ったら?」
「それもいいかなあ」
「どんなのが好き?」
「90式戦車(きゅうまるしきせんしゃ)とか」
「そんなの売ってくれないよ!」
 

2月21日(月).
 
幸花は、明恵と真珠が奈良・京都まで往復して取材してきたビデオを見て
 
「これだけで1時間の番組が構成できるなあ」
と満足そうに言った。
 
なお、お土産の“寅まんじゅう”と“おたべさん”は初海・双葉・幸花も含めてみんなで食べた。
 
「6月のネタが何にもまとまらなかったら、これで行こう」
などと幸花は言っていた。
 
ふたりは信貴山内の玉蔵院で、張り子の虎も買ってきていた。子虎・孫虎・豆虎の3種で、これも並べた所を幸花が撮影していた。
 

「そういえば“張り子”ってどういう意味ですか?」
と双葉が尋ねた。
 
「紙を貼って作ったから」
「あ、そういうことか」
「実際には、木の型の上に、紙を貼っていき、乾かして中の型を取り出す。そして表面に着色して絵を描く」
「なるほどー」
「赤べこも張り子」
「形が同じですね!」
「動作も同じだよね。どちらかがどちらかの応用だろうね」
「なるほどー」
 
「だるまも張り子」
「確かに」
「ダルマの場合は、伝統的な製法は、型に紙を貼っていって作るのだけど、量産品は真空成形という方法で作る」
 
「どうするんですか?」
「手造りのだるまは型の“外側”に紙を貼る。でも真空成形では、型の“内側”に紙を貼る」
 
「貼れるんですか?」
「紙の溶液の中に多数の穴が空いた金属の型を沈め、外側を減圧して、気圧により紙を型の内側に貼り付ける」
「なるほどー」
 
「真空成形法の強みは“紙の内側にある型を抜く”という難しいしデリケートな作業が不要なこと」
「ああ」
「だから量産できる」
「そういうことか」
 

「後は、いしかわ動物園、富山ファミリーパークの虎さんを取材してくれば結構まとまりますかね」
 
「あと少し欲しいなあ」
と言って、幸花が「虎」でネット検索していたら、七尾市の和倉温泉に「嘯虎巖(しょうこがん)」というものがあることが分かる。“嘯”は歌うあるいは叱るという意味のようだ。虎が歌うような音がする岩、あるいはここで虎が叱られた故事でもあるのだろうか。(巖=岩である。正確には岩は巖の略字)
 
「これ何だろね?」
と言って今度は「嘯虎巖」で検索してみると、写真撮ってレポートしている人は多数あるものの、みんな「由来とか意味とかの解説が無く何なのか全然分からない」と書いている。
 
幸花は和倉温泉観光協会に電話した。それで観光協会の人が調べてくださったのだが・・・・
 
「すみません。こちらでは分かりません」
ということであった!
 
(筆者も電話してみたものの「分かりません」ということでした。観光協会さん、お手数を掛けて申し訳ありません!)
 
「結局謎だなあ」
「誰も由来を知らず、名前だけが伝わっているのでは?」
「あり得るなあ」
 
「七尾方面の知り合いに映像撮って送ってもらおう」
と言って、幸花は友人に連絡をしていた。
 

幸花は更に「虎」で検索していた。そしてツイッターにこういう書き込みがあるのを見付けたのである。
 
「夜中に歩いていたら、歩道に虎が座っているような気がした。気のせいとは思ったけど、そこを避けて、道の反対側を通って向こうに行った」
 
「夜中、家に戻ろうと歩いていたら、向こうから白い虎が歩いてくるような気がした。気のせいとは思ったけど、避けて、虎が通り過ぎるのを待ってから先へ進んだ」
 
この手の書き込みを5個も発見した。幸花は〒〒テレビ『北陸霊界探訪』の編集部を名乗って、書き込みした人に、どこで何時頃見たかというのと、可能なら詳しい話を教えてくれないかとメッセージを送ってみた。
 
すると5人の内3人から返信があり、いづれもS市の住人であることが分かった。そし全員「具体的に動物の虎がいたとは思えない。ただ、虎がいるような気がしただけ」と言って、この虎がリアルに存在するものではないように捉えていたことも確認された。
 
「結構霊界探訪っぽくなってきましたよ」
 
「これはもしかしたら“白いセダン”より有望なネタになるかも」
と幸花はにわかに元気になった。
 

「君たち、ビスクドール展の打合せで、人形美術館に行くよね?」
「いえ。特に行く予定はありませんが」
「先日から何度か、館長さんと電話でお話はしてますけど」
「いや、行ってきなさい。そして虎の取材をしてこよう」
 
「そんなのどうやって取材するんですか!?」
と真珠が言う。
「夜中にS市の市街地を歩いてみたら、虎に遭遇するかも知れない」
と幸花。
「なんか鳥取砂丘で1本の針を探すような話という気がするんですが」
 
「まあとにかく行っといで」
と言われて、明恵・真珠・初海で行ってくることにした。
 

それで3人は2月26日(土)、放送局のプリウスでS市に向かった。
 
ここで、車を運転したのは初海である。明恵・真珠は夜中の取材になるので車中で仮眠していた。そしてS市に到着すると、初海はホテルに入ってすぐ寝た!彼女は朝まで寝ていて、明日の朝、車を運転して金沢に戻る!今回、初海は純粋にドライバーである。
 
人形美術館では、金沢での展示会で掲示する予定のパネルの原稿などを館長および孫の遙佳さんに見てもらって、若干の修正を加えた。これは直接会って話して良かったと思った。メールなどでやりとりすると、何度もやりとりが必要になって、よけい手間が掛かっている所である。
 

「でもすみませんね。わざわざ遠い所を」
「いえ、別件の取材のついでもありましたし」
「ああ、何か取材があったんですか」
 
「ちょっと雲をつかむような話なんですけどね。S市で虎を見たという人が何人かあって」
と真珠が言うと、遙佳が言った。
 
「虎、私も見ました」
「え〜〜!?」
 
「凄く印象的なシーンだったんで、その後、絵に描いたんですよ。家に行けばその時描いた絵がありますけど」
 
「見たいです!」
 

それで、取材班(明恵と真珠)は御自宅の方にお伺いして、遙佳が描いたという絵を見せてもらった。美しい絵である。まるで今にも動き出しそうだ。
 
「遙佳ちゃん、絵が上手いね!」
「えへへ。美大(金沢美術工芸大学)狙ってるんですけどね」
「おお、頑張って」
 
彼女が描いた絵では、交差点があり、信号機の下、歩道を塞ぐ形で白い虎が、いわゆる香箱座りをしていた。
 
真珠はもちろんこの絵を撮影させてもらったが、この絵は最終的には番組では放送されないことになる。代わりに別の絵が公開されることになる。
 

遙佳はその夜のできごとを詳しく話してくれた。
 
夜中にコーラを買いに行ったら、自販機より少し手前の交差点の所に虎が居たので、その虎を避けて大回りして自販機の前まで行ったこと。その後、コンビニまで行ったら、虎さんが、コンビニまで自分をガードするかのように付いてきてくれたこと。
 
「よし。その再現ドラマ撮影しよう」
と真珠は言った。
 
その時、遙佳の部屋に、紅茶とケーキをお盆に載せた、フリースジャケットにロングスカート姿の、中学生くらいの女の子が入ってきた。
 
「大したものは無いですけど、どうぞ」
と言う。
 
「ありがとう」
と真珠は言って
「妹さんですか?」
と遙佳に聞くと
「ええ、まあ」
などと言っている。何だろう?と真珠は思った。
 
中学生の女の子は、虎の絵を見ると
「お姉ちゃん、ほんとによく描くよね〜」
などと言っている。
 
「これ、いしかわ動物園かどこかで描いたの?」
「ううん。夜中に歩いてたら、虎さんに遭遇した気がしてさ。その時の印象で描いてみた」
 
すると、妹さんは考えている。
 

「歩夢、どうしたの?」
「私もこの虎さんに会った」
 
「ほんとですか?」
「こんな感じの顔だったよ」
 
「どういう状況で会いました?」
と真珠が訊くと、歩夢ちゃんは、その時のことを話してくれた。
 
父のレストランを手伝っていて、出前を頼まれて他に手空きの人がいなかったので、自分が出前に行った。その帰りに道を歩いていたら、前方に鬼のようなものが居て、目が合ってしまった。すると鬼はこちらに歩いて来た。ところがそこに白い虎が来て、鬼を倒してくれた。
 
「これも再現ドラマ撮りたい!!」
と真珠は嬉しそうに言う。
 

真珠は幸花に連絡を取った。すると幸花は
「よし。鬼のコスチューム用意してすぐそちらに行く」
ということだった。
 
それで真珠たちは、まず遙佳の体験談の再現ドラマを撮影する。
 
夜間の撮影に使うつもりで白い虎の着ぐるみを持って来ていたので、明恵がその着ぐるみを着て、現場の交差点の所に香箱に座っている。遙佳本人が横断歩道の手前まで来て
「あ、虎が居る」
と呟く。
 
それで遙佳が道の反対側に移動し、虎の居る所を避けて、こちらの道に戻り、自販機でコーラを買おうとする所を真珠が撮影する。
 
そして遙佳が
「あん、コーラ売り切れてる」
と言う(売り切れマークは後で編集で書き足す)。
 
そして遙佳がコンビニ方面に歩いて行く後ろを白い虎の着ぐるみを着た明恵が四つ足で付いていく絵を撮影した。
 
「後はコンビニ前で撮影しよう」
と真珠は言う。
 

明恵は着ぐるみの頭部分を脱いだ後、その交差点の虎が居たという場所に再度立ち、腕を組んで、ある方向を見ていた。
 
「何か感じる?」
「私には分からない。ここに青葉さんが居たら分かるかも知れないけど」
 
撮影一行は、この後、車でコンビニ前に移動し、遙佳がコンビニに入っていくのを白い虎が見回る絵を撮影した。
 
「お疲れ様でしたー」
「いい絵が撮れた」
「遙佳ちゃん演技力もある〜」
「実際にあの夜にした自分の行動を再現しただけですけどね」
 
「じゃ夕方、応援の撮影隊が来たら、またお願いします」
「ええ。“妹”がね」
 

幸花は16時頃、Mazda3に双葉を乗せてやってきた。鬼の衣裳は放送局にストックされているのがあったらしい。
 
「今の時間に中心部で撮影すると、人が多すぎるな」
「だったら人の少ない道で撮影しましょう」
と言って、一行は町外れの農道に移動して撮影を行った。
 
歩夢がウェイトレスさん衣裳(本物)に着替える。
 
「可愛い!」
と明恵と真珠が言う。
 
「可愛いですよね。それで高校生には結構ここのバイト人気なんですよ」
「まあ、あんたにも似合ってることは認めるよ」
と遙佳が言うと
「私も好きー」
と歩夢は行っていた。
 
その衣裳を着けた歩夢が保温デリバリーバッグを持って歩いている。すると道の先に鬼(演:双葉!)が座っている。歩夢がそちらを見てギクッとする(名演技)。鬼は立ち上がって、こちらにゆっくりと歩いてくる。
 
その時、歩夢の後ろでうなり声(後で編集で加える予定)がするので、振り返る。すると白い虎(中の人:明恵)がいる。
 
「きゃー!」
と悲鳴を挙げて、歩夢が頭を抱えてしゃがみ込む。。すると虎は走って歩夢のそばを通り過ぎ、鬼に飛びかかって、鬼を倒した。ここは着ぐるみで四つ足で走るのは無理なので、走り抜けて鬼に向かって行く虎はCGで描き加える予定である。
 
明恵は双葉演じる鬼のそばから、鬼に飛びかかって倒し、その後もこちらを見てから去って行く演技をした。
 
「お疲れ様でした!」
「歩夢ちゃんも演技力ある。姉妹そろって女優さんの素質あるよ」
などと真珠が言うと
「そうですか?」
などと言って、歩夢は嬉しそうだった。立ち会った遙佳も笑顔で見ていた。
 

幸花と双葉もホテルを取って、そこに入った。
 
明恵・真珠・幸花の3人は夜中の2時に人通りが途絶えた商店街で、虎が商店街を歩くシーンを撮影した。
 
着ぐるみを着た明恵が歩道を歩いて行く所を真珠が撮影したが、誰かに見られたら絶対警察に通報されると思った。
 
(トラ箱に入れられたりして!?)
 
酔客が驚いて道端に座ってしまうシーンも撮影したが、酔客を演じたのは、“適度に傷んだ”紳士服スーツを着た幸花である。酔客の必須アイテムとして、お土産の包み(実はコンビニで買った“あんころ”)も手にしている。
 
このスーツは実は邦生のスーツである!このスーツは女性体型で作られているので、邦生と体格が近い幸花は無理なく着られた。シャツは女性用の右ボタンのワークシャツを着ている。なお、あんころは撮影後、明恵・真珠・幸花の3人で美味しく頂きました!寝ていた初海と双葉には“当たらなかった”(北陸方言)。
 
3人は他にも2件の再現ドラマを撮影し、朝5時頃、ホテルに引き上げた。
 
途中で巡回しているパトカーの警官に呼び止められたが、幸花が名刺を出して放送局の番組撮影だと説明すると
 
「夜中に大変だね。風邪引かないようにね」
と言ってくれた。
 

翌日午前中、取材内容と再現ドラマの内容をホテル内の部屋で見た幸花は
 
「よし。情報を募集しよう」
と言った。
 
そして金沢に戻ると、3月18日放送予定の『霊界探訪』の中に「S市周辺で、虎を見た気がする」という方がありましたら、ぜひその時間帯と場所をお知らせ下さい」というメッセージを組み込んだ。
 
そういう訳で、6月放送分の最有力候補として取材が進んでいた“白いセダン”がうまくまとまらなかった場合の予備として取材をしていた“白い虎の怪”についても、2月末段階で、ここまで取材は進んでいたのである。ただ、この時点では、この話がどこまでまとまるかは良く判らなかった。
 
なお3月18日放送分のビデオは、この後、3月14日に“車の勝手移動犯”の件を組み込んで再編集される。
 

Timeline
 
2.14 青葉逃亡
2.18-19 信貴山・鞍馬寺・貴船の取材
2.26-27 S市で虎取材(遙佳再現ドラマ)
3.01 邦生に投資課への異動辞令
3.04 神谷内が「いしかわいこかな」担当に。霊界探訪の指揮は幸花に。
3.5-6 仙台で震災イベント
3.13 車勝手移動犯つかまる。
3.14 放送ビデオ再編集
3.18 人形の移動S市→金沢
3.18深夜 霊界探訪(動く人形の怪)放送
3.19 ビスクドール展はじまる
3.22-23 明恵たちが再度S市取材。桜坂に会う。
3.30 青葉が熊谷で若杉千代トリビュート・アルバムの編曲作業を終える
 

邦生は3月1日同じ金沢支店内の渉外課から投資課への異動を命じられた。てっきり他の店舗への異動と思っていたので、びっくりしたが、おかげで邦生は少なくとも真珠が大学を卒業するくらいまでは一緒に暮らせることになった。
 
※邦生の知らない内部事情↓
 
青葉がワンティス・トリビュートアルバムの伴奏者として邦生をスカウト。

銀行が“顧客として有望な”青葉に協力して邦生を東京に長期出張。

便宜を図ってもらったお礼に青葉が銀行に80億の融資を申し込む。

青葉を逃さないため、邦生の他店への異動予定がキャンセルになり、金沢支店内での異動に
 

しかし邦生は投資のことなど、さっぱり分からないので、3月1-2日に渉外課の自分の担当客先を同僚の大野由海に引き継いだ後、3月3,4日、7-11日は投資のことを勉強し、また投資課の他の人のお客様との応答をモニターで見て勉強した。5-6日は仙台まで往復してローズ+リリーのライブに参加したが、車で送ってくれた千里さんは「投資は一度自分で体験したほうがいい」と言って、投資ゲーム(?)のid/passを送ってくれた。
 
それで邦生は口座に入っている1000万円を様々なものに投資して、それを増やすというゲーム(?)を始めた。彼は1000万円の内、200万円をドル預金に換え、100万以内でFXをし、100万円は仮想通貨を買い、200万は複数の投資信託を買った上で、残り400万円を様々な会社の株式に投資して、日々値動きをチェックしていた。国債は買う意味が無いという結論に達した。国債より定期預金の方がよほどマシと思った。
 
「投資の基本は常に相場を見ていることだなあ。やはり最初に失敗したのは3日も放置していたせいだ」
と邦生は思った。
 

ところで邦生は、“ある理由”で2016年以降、身体の女性化が進んでいて、最近は女性にしか見えない容姿になっていた。ただしバストが膨らんだり、男性器が萎縮したりはしていない(実は僅かに萎縮しており男性ホルモンも弱くなっているが、勃起能力・射精能力は失われていない。実は体臭も女性の体臭に変化している)。喉仏は消滅し、撫で肩になって、腰の骨も女性的になっているし、脂肪が付いて曲線的な体型になっているので、彼の女子水着姿は女子の水着姿に見えてしまう。(筒石さんは女子水着を着けても男にしか見えない。春貴の水着姿は中性的:彼女は骨格が男性なので仕方ない)
 
それで実際邦生は紳士用のズボンが穿けなくなって、入社式で着た男性用スーツなどは、金沢の名鉄エムザ百貨店で、ウェストとヒップのサイズを指定して、イージーオーダーで作ってもらった服であった(*9).日常的に穿いているパンツは、もう4年くらい女性用のものである。レディスパンツは、前の開きのファスナーが無かったり!あっても短いので、立ってトイレができず、邦生は4年ほど男子トイレの小便器を使用していない。
 
(*9) スーツを作る時、うまく世梨奈に乗せられて、ブラジャーを着けて行ったので、このスーツはバストに余裕のある作りになっていた。このスーツは、ずっと銀行の更衣室内のロッカーに置いていたものを2月14日に自宅に持ち帰った。でも放置されていたので、真珠が編集部に持ってきてしまっていた!これが2月27日の再現ドラマで使用された。邦生は自分のスーツが行方不明?になっていることに未だに気付いていない。
 

邦生は性格的には元々、女子に警戒されないタイプで、小学生の頃から友人は男女半々くらいだったが、大学に入った後、女子の友人は増えたのに男子の友人はほとんど増えてないことに本人は気付いていない(女子化のせいだと思う)。大学の水泳部でも、青葉や蒼生恵・杏里などの女子部員とはよく話すものの、中原君や来里君などの男子部員とは事務的な話以外はあまりしていない。奥村春貴とは割と話していたが、彼は在学中に性転換しちゃった!
 
(最近の)邦生は雰囲気が女性的だし、名前の邦生(ほうせい)はしばしば“くにお”と誤読され女子の名前と思われるので、新入社員研修の時から性別を間違えられ、女子のグループで研修を受けることになり、お化粧の練習などもさせられた。性別は訂正しておきますと言われたのに、実際の現場に配属されても、性別は訂正されておらず、初日はスカートタイプの女子制服を着て勤務するハメになった。
 
長谷知香課長に言って、男子の制服をもらったものの、男子のズボンが入らない!それで、特に事情がある女子社員のために用意されている女子用スラックスをもらい、それを穿いている。これはそもそも前開きが存在しない(女子には必要無い)ので、結局邦生は男子トイレの個室を使用している。
 
そもそも邦生の社員証は女子として登録されていたので、彼は女子更衣室・女子トイレには入れるものの、男子更衣室・男子トイレには入れなかった。これも長谷さんに頼んで、男子の社員証を発行してもらったが、女子の社員証もそのまま持っててと言われた。更に邦生のロッカーは女子更衣室から移動してもらえなかったので、結果的に邦生は入社以来2年弱にわたり、朝夕は女子更衣室で着替えている。トイレは男子トイレの個室を使っているが、しばしば女子トイレのお花の交換などを頼まれ、女子トイレの中にも入っている。
 
女子行員の多くは彼をMTFかFTMかなのだろうと思っている雰囲気がある(MTF説とFTM説は拮抗している。半陰陽説もある。初期の頃あったゲイ説は消滅した)。一方男子行員の多くは彼を普通の女子と思っている!(ごく一部、MTFと思っている人もある)彼がお化粧していないことについては、アレルギーか何かで特に認められているのだろうと思われているようである。お客様も、ノーメイクの邦生をわりと好意的に捉えているようだ。特に若い女性の顧客には受けが良いようで、邦生が渉外課時代に担当した企業・商店の多くが、女性社長や、女性の役員がいる会社であった。(それで引き継ぎも女子の大野由海が引き継いだ)
 

邦生は11月1日から1月3日まで、(青葉の用事で)東京方面に出張していて、1月4日から銀行に復帰した。彼が出張している間に、彼の男子制服(上着だけだが)は、同僚の伊川峰代と南田里菜の悪戯で処分されてしまい!代わりに同じサイズの女子用の上着と、クリーニングしたスラックスとがロッカーに置かれていた。
 
「くにちゃん、絶対女子制服であることに気付かないよ」
 
などと言っていたら、案の定邦生はそれが女子制服に入れ替わっていることに本当に気付かず、それを着て勤務していた。彼がそのことに気付いたのは2月24日に玉梨乙子に指摘されてからである。邦生は男子用制服が紛失しているので、再度もらえないかと長谷課長に言ったものの
 
「別にどちらでもいいじゃん」
 
と言われてもらえなかった。それで、やむを得ず、女子制服(但しボトムはスラックス)を着て勤務している。
 
セクハラっぽい気もするが、みんな邦生は元々女子の服が着たいのだろうと“理解”されている!だから峰代は親切で彼に女子の服を着せようとしている。
 
長谷にしても入社時には男子に女子制服を着せる訳にはいかないと思い、彼に男子制服を支給したが、2年間彼を見ていて、くにちゃんは実質女子だなと判断したので、もう男子制服は渡さなかった。そもそも女子更衣室で他の女子の下着姿など見ても何も感じてないようだから、やはり心は女の子なのだろうと判断していた。
 

また長期出張中に、なぜか(?)男子の社員証が無効になっていたので、これは長谷さんに頼んで再発行してもらった。
 
邦生は元々子供の頃、従姉の服を譲ってもらって着ていたので、右ボタン・左ボタンのどちらの服でも普通に着られる(その服が更にお下がりとして瑞穂に渡されていた:邦生はおとなしい性格なので服が傷まない)。
 
ちなみに、彼は入社以来、自分の健康保険証と年金手帳が「性別:女」になっていることに、いまだに気付いていない。それで健康診断も2度受けているが、30歳未満で婦人科検診が無いこともあり、何のトラブルもなく女子として健診を受けた(心電図の技師は乳房を切除したFTMさんかと思ったふしがある)。彼は6年間にわたる“女性化”により、実は心臓も女子の心臓サイズまで縮小している。但し水泳をしているだけあり、肺活量は8000ccある。
 

「まあ、世の中、気のせいということ多いよね」
と千里が言うと
 
「同意。世の中にあふれてる“霊現象”の大半は、ただの気のせいですよ」
と幸花が言っていた。
 
明恵も
「その手の話の95%は、気のせいか思い違いなんですよ」
と言っている。
 
「“白いセダン”の話は絶対、ただの気のせいだと思う」
と幸花。
 
「私もその意見に賛成」
と明恵も言っている。
 
「“体調が悪い”とかも気のせいというの結構ある。体調不良を訴える患者に、ある医者があれこれ検査して異常が無いので困り果てて『これこういう症状の時によく効く薬です』と言って、生理的食塩水の注射をした。すると患者の症状はきれいに収まって『先生あのお薬とっても効きました』と言われたという話がある」
 
「まさにプラシーボ効果だな」
 
「でもそもそも患者さんって、注射してもらうと、それで治る気がするんですよ」
と真珠。
 
「あるよね〜。単にお薬出しただけでは納得しない」
と初海。
 
「だから昔のお医者さんの得意技はブドウ糖注射」
「ありそう」
 

「ドイルが手がけた案件で、時々あったらしいよ。クライアントに霊現象に関わっているならあるはずの“跡”が無く、現場に行ってみたもののどこにも怪しい所が無い。それで御札を貼って、大祓の祝詞あげて帰ってきた。するとその後『すっかり怪異は収まりました』と言われた、と」
と千里が言っている。
 
「まあ元々気のせいだしね」
と幸花。
 
「青葉さんは、わりとその現場に行って一瞬で悪霊を浄化してしまうことありますけど、一瞬で終わったというのでは有り難みが無いでしょ。クライアントも不安に思うし。それで、もう処理が終わってるのに、おもむろに数珠を取り出して般若心経あげて『処理が終わりました』とか言うことよくあります」
 
と、結構青葉の助手を勤めた明恵が言う。
 
「そうそう。それもある。東京の瞬法さんなんかもよくそれやる」
と千里。
 
「まあ演出だよね〜」
と幸花は言っていた。
 

3月中旬のことだった。投資課の沢本課長が唐突に言った。
 
「そういえば、吉田さんって、なんでスカートじゃなくてズボン穿いてるんだっけ?」
 
「スカートとか穿きたくないです」
と邦生は答える。
 
すると、他店から転任してきたベテランの長野珠枝が
「あら、女子がズボン穿いてもいいと思いますよ。女はスカート穿けというのは差別ですよ」
と援護(?)してくれた。
 
すると、男性ではあるが性別問題に理解のある花畑係長が
「まあ窓口係ではないし、ズボンでもいいんじゃないですかね。ズボン穿いてると“できる女”に見えるから、かえって顧客が安心しますよ」
と言った。
 
そして邦生のことを前から知っている三村小梢も
「彼女、渉外課の時もパンツスタイル・ノーメイクでお客様を訪問して、特に女社長の会社とかに気に入られて大きな商談もまとめてるんですよ」
と言った。
 
(↑“彼女”と言われている)
 
すると沢本課長は
「そういうスタイルもいいも知れないね」
と言って、邦生のスラックス制服・ノーメイクでの勤務は容認されることになった。
 
邦生はどうしてもスート穿けと言われたらどうしよう?と思ったので、ホッとした。
 
でも彼の“男子の社員証”は異動とともに無効になっちゃった!
 
女子の社員証は所属を渉外課から投資課に書き換えてもらったのだが、男子の社員証は「もう要らないんじゃない?」などと他店に4月1日付けで転任予定の長谷課長から言われて無効化された上で回収されてしまった!
 
そういう訳で、邦生は3月8日以降は、男子更衣室・男子トイレには入れなくなってしまったのであった!(実用上何も問題無い気がする)
 

「何とかスカート勤務は免れたよ」
などと、夕方、邦生がマンションで言うと
 
「スカートで勤務すればいいのに」
などと真珠は言った。
 
「勘弁してよ〜。俺男なのに」
 
それを最初に主張すればいいのにと真珠は思う。
 
「でもブラジャーは着けたら?」
「なんで〜〜!?」
 
「だって女子更衣室で着替えてるんでしょ?胸が無かったら事情知らない人に変に思われるよ。ブラジャー着けてれば一応胸があるように見える」
 
「俺男なのに」
「でもみんな女だと思ってるんだから、それに合わせたほうがいいよ。今更男ですなんて言ったら、痴漢の重罪人として、逮捕されて名前も全国に報道されて懲役10年食らうよ」
 
「嘘!?」
 
(女子更衣室などを窓の外から密かに覗き見したような場合は軽犯罪法違反に問われ、1ヶ月未満の拘留または1万円未満の科料であるが、邦生は全然“密かに”覗いたりはしてないので、これには該当しない。女子更衣室などに男子が勝手に入った場合は、刑法の不法侵入罪に問われ、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金となるが、邦生はそこを使えと言われて使っているので不法侵入に問うのは困難。邦生が男であるのに女と偽って女子更衣室の使用許可を得たとすれば詐欺罪に問われ、10年以下の懲役に処されるが、邦生は再三自分は男だと主張しているのに、勝手に女と思われているので、これにも該当するとは思えない)
 
「別にブラジャー着けるデメリットなんて無いんだから、着ければいいのに」
「そうだなあ」
と邦生も迷ってしまう。
 
「でも上半身裸とかになった時にブラジャーの跡が見えてしまう」
「上半身裸になる機会そのものが無いし、そもそもくーにんは女子水着の跡が付いている」
 
「うっ」
 
「だから今更だよ」
「着けてもいいかなあ」
「ブラジャーしてると身体が引き締まる感じでいいって、男性のブラジャー愛好者の多くが言っている」
「ああ、確かに引き締まる感じはするかもね」
 
と言ってから、邦生は唐突に思った。
 
「ねぇ、筒石さんも津幡ではいつも女子水着で泳いでいるけど、大会では男子水着だよね。筒石さん、女子水着の跡が付いてる状態で、大会に出てるのかな」
 
「筒石さんはそんな細かいこと全く気にしないと思う」
「確かにそうだ!!」
 

「町中に虎ねぇ」
 
とたまたま編集部に寄ってくれた、神谷内さんが言った。
 
「何かあるんですか」
「歌舞伎の傾城反魂香(けいせい・はんごんこう)をちょっと思い出した」
「何ですか?それ」
とみんな訊く。
 
「物語の筋を説明するには、土佐派と狩野派というのをまず説明する必要がある」
と神谷内は言うが、どうもみんな全く分からないようである。
 
「この2つは日本画の二大潮流と言われる。土佐派は南北朝時代から始まり、室町時代末期には一時衰えたものの江戸中期に復興した。狩野派は土佐派より遅れて室町時代中期から始まり、信長・秀吉・家康に愛され、ちょうど勢いが衰えた土佐派に代わって日本画の中心となった。そのまま幕末まで続いている」
 
「それでこの話は室町時代中期、土佐派の頂点とも言われる土佐光信と、狩野派・2代目の狩野元信の関わりを物語にしたもの。ただし物語は完全な創作で事実とは全く違う」
 

「土佐光信(物語の中では土佐将監)の娘・遠山は狩野元信と恋仲になり、彼に土佐派の秘伝を伝え結婚の約束をする。ところが元信は銀杏という女に口説かれてそちらとも結婚の約束をしてしまう」
 
「それは酷い」
 
「やがて元信はお家騒動に巻き込まれて捕らえられるが、絵に描いた虎が絵から出て来て彼を救った」
 
「へー」
「描いた虎が具現化したのか」
 
「やがて元信は銀杏と祝言を挙げようとするが、そこに遠山が現れる」
 
「修羅場だ!」
と女子たちは全員楽しそう!?である。
 
「遠山は言った。銀杏との結婚は認めるが、その前に自分と7日間だけ結婚させてくれと」
「諦めが良すぎる〜」
とみんな言うが、明恵だけ悲しい目をしていた。
 
「銀杏はそれを認めてあげた。それで遠山は7日間だけ愛しい彼と夫婦生活を送る。でも実は彼女は既に死んでいて、ここに現れた遠山は幽霊だったんだよ」
 
「え〜〜!?」
 

「夏野(明恵)ちゃん、この話知ってた?」
「いえ。でもそんな気がしました」
 
「悲しい話だ」
 
「傾城(けいせい)は遠山のことで、反魂香(はんごんこう)というのは、そのお香を焚くと、その中に亡くなった人の姿が見えるといわれるお香」
 
「題名でネタバレしてる!」
 

「それで話は元信が助け出される時点まで戻る。ここで唐突に、土佐光信が住む村に、虎が出没するという話が出てくる」
 
「それ元信さんが描いた虎なのでは?」
「実はそうなんだよ。その話を聞いた、光信の弟子・修理之助がこういうことを言う」
 
「『ヤア虎といふ獣が日本に出たためしなし』。つまり彼は日本に虎なんて居る訳がないから、この虎は現実のものではないと考えた。そして誰かが描いた虎が絵から抜け出たのだろうと言って、絵筆を取ると、その虎を絵筆で描き消してしまった」
 
「へ!?」
「消せるもんなんですか?」
「塗り潰したのかもね」
「なるほどー」
 

「だからS市に出没してる虎もひょっとしたら、名人級の人が描いた虎が絵から抜け出してるものだったりしてね」
 
「だったらそれを塗り潰せば解決ですか?」
「でも名人級の人が描いた虎は塗り潰すのは惜しい」
「うん。絵の中に追い込んで、抜け出せないように、鍵を掛けるとか」
「どうやって〜?」
「そこは金沢ドイルさんに登場して頂いて、真言を唱えて封印してもらわないと」
 
「やはりドイルさん連れてこないと解決しないかも」
 

約3週間にわたる勉強を経て、邦生は3月28日(月)から、花畑係長や長野珠枝がお客様役を務めて、様々なお客様の相談に乗るロールプレイング訓練を始めた。
 
邦生は元々人と話すのが好きで、渉外課での1年半の経験もあるので、結構そつなく“相談”をこなした。どちらからも
「優秀、優秀」
と褒められた。
 
「君、素質あるよ」
と言われる(自信を持つことは大事なので、おだてている)。
 
むろん銀行なので、法的な規制もあり、証券会社ほど様々な商品は扱わない。株とかやりたいという客には証券会社を紹介する。銀行では主として投信を勧めることになる。ただ、それ以前の段階の投資の基本のような話、また様々な投資商品の全体的な説明やリスクの話などはする。「卵はひとつの皿に盛らない」といった所から始める必要がある。投資したものは減ったり無くなったりすることもあるというのは預金しか経験したことのない人にはカルチャーショックである。銀行にこの手の相談に来る人は完璧な素人が多い。外貨預金とFXがごっちゃの人、更には仮想通貨ともごっちゃの人がザラである。
 

「でも投資の様々なことを知ってる。よく勉強したね。投資の格言もスラスラ出て来ていたし」
と係長から言われる。
 
命金には手を付けるな
“もう”は“まだ”なり、“まだ”は“もう”なり。
頭と尻尾はくれてやれ
売るべし、買うべし、休むべし
休むも相場
などなどである。
 
「はい。友人から投資ゲームを勧められてスマホで仕事の合間に見てるんですよ。現実の相場と連動していて。最初FXのロスカットで5万円失いましたが、その後取り戻して、今最初の1000万円が合計1050万円くらいになった所かな」
 
「3週間で50万増やしたら優秀だ」
 
「ビギナーズラックでしょうけどね。これリアルのお金だったらいいのにと思うくらいですけど、ゲームだから思い切って投資できるんでしょうね」
 
「うん。リアルのお金で投資するのは、やはり勇気要るよね」
と係長は言っていた。
 

3月18日の『霊界探訪』で流した「虎情報求む」というメッセージには10件以上の反応があった。その中である程度信頼できそうと思われるメッセージも5件あった。いづれもS市で、時期的にはこの1月以降、時間帯は20時から深夜1時くらいの時間帯に集中していた。また目撃場所を(以前に認知していた3件と合わせて)地図にプロットしてみると、商店街とその少し西側の領域に集まっていた。
 
「君たち、この虎が出現したポイントを撮影してきてよ。ついでに付近に何か怪しいものが無いか取材してきて。ずっと通りの風景を撮影していくとか」
と幸花は言った。
 
「じゃ撮影してきますけど、やはりドイルさんに来て欲しいです」
「その件は千里さんに少し訊いてみよう」
と幸花は言っていた。
 
しかし取り敢えず撮影してくることにし、明恵・幸花・初海はまた放送局の車でS市まで行った。これが3月22日の午後で、例によって初海はすぐホテルに入り、明恵と真珠はまだ寒い中、夜間の撮影を行った。今回は着ぐるみではなく、白い虎の置物(中空のぬいぐるみなので軽い)を置いて撮影した。でも5ヶ所の撮影をするのに結局1時から4時頃まで3時間ほど掛かった。
 

「疲れた」
「もう町の様子撮影するの明けてからで」
「ホテルに戻って寝よう」
「うん」
 
それでふたりはホテルに戻り、毛布をかぶって寝る。ところが寝入りばなにグラっと来る。
 
「地震だ」
「震度3くらいかなあ」
「そういえばS市は群発地震が続いているんだよね。渡辺さんも言ってた」
「恐いね。噴火とか来ないよね?」
「噴火につながる動きではないだろうと大学の先生が言ってたよ」
 
それで再度寝た。
 
S市近郊には、数万年前に噴火したH山がある。この山を突っ切る広域農道(現在は冬季なので閉鎖中)を通ると多数の火山岩・火山礫・火山弾っぽい岩があるのを見ることができる。ここは有史以降は噴火の記録が無いが、数年前からS市周辺で続いている群発地震はこのH山の周辺を震源として発生している。
 

ふたりは(3/23 wed)7時頃目が覚め、近くのコンビニまで行って朝御飯を買ってきて食べた。(基本的に外食禁止なのでホテルのモーニングが食べられない)
 
「さあ街の様子を撮影して行こう」
「まだきついー」
 
などと言いながら9時過ぎて通勤の人が減ってから町の様子を撮影して回った。2人は「これ日中に撮影して正解だったかも」と言い合った。夜間だと営業しているお店としてないお店の区別がつかないが、昼間だとそれが明確に分かる。
 
2人が歩き回っていた時、一軒のお店の前に出た。
 
とても広い駐車場を持っている。50-60台駐められそうだ。最初スーパーかとも思ったが、どうも飲食店っぽい。
 
「ここ閉鎖してるのかなあ」
「営業しているようには見えないよ。だいたい看板の所にブルーシート掛かってるし
 
などと言っていたら、そのお店から出て来た人物が2人に声を掛けた。
 
「あれ?北陸霊界探訪さん?」
「桜坂さん!」
 

それは「いしかわ・いこかな」の桜坂プロデューサーだった。
 
「君たち何かの取材?」
「実は最近、S市内で夜中に虎が出没しているというう噂があって」
「それは恐いね!誰かペットとして飼ってた虎が逃げ出したのかなあ」
「いやそれがどうも現実の虎では無いっぽいんですよ」
「へー」
「それでうちの番組が調べてるんですけどね」
「なんか雲を掴む話だなあ。頑張ってね」
「でも桜坂さんの郷里ってS市だったんですか?」
 
「うん。秋に親父が亡くなってね。この店もしばらく閉鎖されてたんだけど、55歳の料理長さんから、自分は他に芸が無いので給料安くてもいいから再開してくれないかと言われてさ。そんな時にちょっと社長とやりあっちゃって。あ、これ内緒ね」
 
「みんなきっとそういうことだろうと噂してました」
 
「ま、それで一応社長とは和解したけど、この機会にテレビ局やめてこの店を継いでもいいかなと思って退職した」
「そういうことだったんですか」
 
「まあ僕は経営だけ見て、料理とかについては料理長の井原さんに任せる」
「へー」
 

「ところで今番組の資料として、町並みを撮影しているんですが、このお店も撮影していいですか」
「ああ、いいよ、いいよ。看板まで壊れてて恥ずかしいけど。できたら、4月中には看板も直して再開予定ってテロップでも入れといてよ」
「分かりました」
 
それで真珠たちはこのお店の外観、ついでに改装作業が進む店内まで撮影させてもらった。
 
2人が桜坂さんと少し立ち話していたら、またグラグラグラっと来た。
「わっ」
 
「今のはかなり揺れた」
「早朝のより大きかった」
「震度4来たね」
 
「君たち大丈夫?」
「はい、大丈夫です。びっくりはしましたけど」
「最近地震が多いのが本当に困るよ。その内でかいのが来ないか心配で」
「去年の秋にも一度強いのが来ましたね」
「うん。あれで収まってくれるかと思ったんだけどね」
 
 
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【春虎】(2)