【東風】(4)

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8月3日まで“舞音withスイスイ”のアルバム『こどものうた』を制作していた水谷姉妹だが、舞音たちと一緒に泊まり込んでいたコテージ“桜”を退去するのだが、まだ東京五輪をやっている最中なので、東京に戻らない方がいいと言われた。
 
それで2人は仙台に移動することになったのである。
 
熊谷に来たコスモスは最初に「君たちのマネージャーが決まったから」と言って紹介してくれた。
 
「こちら、横浜網美さん」
「水谷康恵です。よろしくお願いします」
「水谷雪花です。よろしくお願いします」
「横浜網美です。よろしくお願いします」
と挨拶を交わす。
 
横浜網美は以前&&エージェンシーに居て、昨年解散した Hanacle のマネージャーをしていた。Hanacleの解散・引退とともに事務所を退職していたのだが、
「そろそろ芸能界に戻りたくなってない?」
とケイが声を掛けて採用したのである。
 
横浜は水谷姉妹に取り敢えず、昨日まで制作をしていた中の何か歌ってみてと言い、ふたりは水谷姉がギターを弾いて『大きな古時計』を歌った。すると、その歌を聴いて横浜は
 
「あんたたち上手いね!」
と言った。
 
歌がド下手なHanacleのお世話を6年間もしてたら、水谷姉妹のレベルはかなり上手く聞こえるだろう。水谷姉妹は自分たちの歌を褒められたのでかなり気を良くしたようであった。それで両者の関係は気持ち良くスタートすることになった。
 
「それにこんな格好良い『マイ・グランドファザーズ・クロック』初めて聞いた」
「アメリカではこんな感じで歌うのが普通らしいですよ」
「へー。カントリー風だね」
「アルバムではバンジョーも入ったんです」
「それは発売が楽しみだ」
 

「それで仙台で何するんですか?」
「君たちのCDを作る」
「すごーい!」
 
それで水谷姉妹、コスモス、横浜マネージャー、音源制作の補助に呼ばれた夕波もえこ(*6)の5人で郷愁飛行場に移動する。
 
(*6)“夕波もえこ”は池田芽衣にコスモスが付けた芸名である。夕波は彼女の出身地・与那国島にちなんで付けた。与那国の語源は島で多く見られる“ゆうな”なので(ゆうなのくに→ゆなんくに:但し与那国方言では“どなん”になる)、そこから取ったものである。“もえこ”は彼女がいつもエネルギッシュで燃えてる感じなのでという、ゆりこの提案から採用された。
 

コスモス以外の4人が Honda-JetYellowに搭乗する。
 
「この色の機体は初めて見た気がします」
と水谷妹が言う。
 
「この機体は、君たち、甲斐姉妹、白鳥リズムの優先使用権を付けるから」
と見送りについてきてくれたコスモスが言う。
 
「すごーい!」
「新たに2機買ったから、その1機」
「なんかVIPみたい」
「VIPになるよう頑張ってね」
「はい」
「もえちゃんも専用機が持てるように頑張ろう」
「はい!」
 
それで、水谷姉妹たち4人は仙台空港に移動したのである。
 

仙台空港からSCC仙台営業所のクルーの車に乗り、空港からすぐの所にある、クレール若林本店に行く。
 
宇宙服のような服を着た店長・月山和実さんに案内されてお店の2階にあるスタジオに入る。
 
「じゃここを自由に使って下さい」
「ありがとうございます」
「お腹が空いたら適当なものを自由に注文して下さい。全部§§ミュージックに付けますから。ただしアルコールは持ち込みも含めてご遠慮下さい。それと、ここでも仮眠できる設備がありますが、ゆっくり寝たい時は、女子寮3号館のこの部屋を使って下さい」
 
と言って、鍵を4つ渡されるが、
 
「私と妹は同室でいいですから
と水谷康恵が言うと
「じゃ3個で」
と言って、鍵を3つ渡してくれた。
 
「女子寮が3つもあるんですか」
 
「そちらと同様の事情ですよ。通勤でバスや電車を使うとそこで感染する可能性があるから、いっそ泊まり込んでもらおうということなんです。たからここから大学とかに行くのも、自家用車・バイクなどを使ってもらうことにしてるんです。免許持ってない子は送迎もしますよ」
 
「なるほど、感染対策もあったんですね」
「一応見た目女子に見える人なら入寮可能です。ちんちん付いてる人は審査の上で入寮可否を判断してます」
「審査ですか」
「下着姿になっても女の子にしか見えないことと、女の子のヌード写真を見せて、平気な顔してる子なら入寮可能」
「面白い試験をしている」
 
「ここにはちんちん付いてる人は、いないかな?」
と水谷姉が見回して言う。
 
「じゃ問題ないですね。いや、うちはメイド服を着られる人なら本人の性別は問わないと募集広告出したら、男の娘がたくさん応募してきて、今何人男の娘かいるのか、もはや分からなくなった」
 
「すごーい」
「メイド服なんですか?」
「うちは元々メイド喫茶なんですけどね。最近はほとんど忘れられてますね」
と月山さんは笑っていた。
 

ここで制作する曲は『ひつじさんのおつかい』という通販サイトのCM曲であると説明される。まずは、荷物をここに置いて、南三陸町まで行き、そこにある羊牧場を見学させてもらう。羊さんたちを見て
 
「わぁ、美味しそう」
などと水谷姉妹も、もえこも言うので
 
「あんたたち好きになった」
と網美は言っていた。
 
ここで3人は羊の着ぐるみを着せられ、多数の羊の前に居る所を同行のカメラマン山口香里奈に撮影される。ここでダンスしている所も撮影される!
 
「暑いです」
「真夏だもんねー。いくら宮城でも」
 
お土産に羊肉を1kgほど買って帰った。帰りの車内で3人はアイスを食べたりコーラを飲んだりしていた。
 
(羊肉はクレールの厨房で焼いてもらい、ジンギスカンにして晩御飯に食べた)
 

8月5日から音源制作を始める。
 
夕波もえこ(池田芽衣)がエレクトーンで伴奏して、水谷姉妹が歌うが、伴奏は後で生バンドの演奏に置換する予定と言われた。
 
水谷姉妹が(横浜網美の感覚では)上手いので、音源制作はスムーズに進み、3時間で「これで完成」と言われた。
 
「することが無くなってしまった。何か適当な曲をもう1曲送ってもらおう」
と横浜は言い、事務所に電話する。花ちゃんが出たが
「じゃこれを歌って」
と言って、もう1曲送ってくれた。
 
『記憶のチョコシュー』という森永のお菓子“ダれたチョコシュー”のCM曲である。ダリの名作『記憶の固執 (La persistencia de la memoria)』に描かれた曲がった時計のように、曲がった形のチョコシューで、この発売記念の曲である。実はアクアにオファーがあったものの、アクアはグリコのCMをしていて、常滑舞音はブルボンのCMをしていてどちらもできず、誰か空いてる方、できたら新人の方、と言われていたらしい。
 
「これうまく行ったら。1〜2年続けて依頼があるかも」
「頑張ります」
 
それでこの日は夕方まで掛けて、楽曲を完成させた。翌日8月6日には、仙台の森永支店の人が来て、CM映像の撮影をした。これにも、もえこは顔を出すことになり
 
「それであんたも注目されるかもよ」
というと、もえこは張り切っていた。
 

しかしまだ東京五輪はやっている。それで
「あんたたちで伴奏も入れて」
と言われてしまう。
 
ドラムスが打てる、長浜夢夜を東京から呼び寄せ(SCCのドライバーさんの車で走ってきた)、8月7日、
 
Gt.水谷雪花、B.水谷康恵、Dr,長浜夢夜、KB.夕波もえこ
 
という楽器割り当てで伴奏を作成する。
 
4人とも“演奏”自体はすぐできたのだが、歌と合わない!
 
「結構歌に合うように伴奏を入れるって難しいんですね」
 
そんなことを言っていたら、長浜夢夜が言った。
 
「いっそこの伴奏に合わせて歌を録り直したらダメですか?」
 
全員顔を見合わせる。
 
「それ行こう!」
と横浜が言い、結局この日は伴奏を確定させ、翌日8月8日に再度
この伴奏を聴きながら歌を歌って、音源を完成させた。
 
ついでに長浜夢夜と夕波もえこがコーラスを乗せた。
 

ところで夢夜が来た7日の日、夕波もえこが言った。
 
「夢夜ちゃんって、お部屋は寮の何階だったっけ?」
「ボクは男子寮の4階」
「嘘!?なんで男子寮に居るの?」
「ボク男の子だし」
「うっそー!?」
 
「まあ女の子にしか見えないよね」
と水谷姉が言う。
 
「信じらんなーい。でもたぶんちんちんはもう無いんだよね?」
「あるけど」
 
「ちんちんは小6の夏休みに福岡のN病院で取ったと聞いたけど(姫路スピカの情報)」
と水谷妹。
 
「どこから小6の夏休みとかN病院とかいう話が」
 
と夢夜のほうが呆れていた(でもさすがにN病院の名前は知っているようだ)。
 
ちなみに夢夜に関しては、月山和実は見ただけで
「あんたは女子寮に入れても全く問題無い」
と言って、すぐに鍵を渡してくれた。
 

4人は8月8日もクレールの女子寮に泊まり、9日はすぐそばの“織姫”で行われた白鳥リズムのライブのお手伝いをした(夢夜がゲストの花貝パールの歌に伴奏を入れた)。
 
そして、ライブ終了後、白鳥リズム・水谷姉妹・山本コリン・花貝パール、長浜夢夜・夕波もえこの7人でHonda-JetYellowに乗って熊谷に帰還した(スタッフが乗っていないがコリンが臨時マネージャーに任命された。コリンは性格的にしっかりしているので、こういう時信頼できる)。
 
Honda-JetYellowはリズムと甲斐姉妹・水谷姉妹の優先機になったと聞いてリズムは「Yellowをあと2機買ってもらえるくらい頑張ろう」と水谷姉妹に言っていた。
 

コスモス、ゆりこ、ケイ、花ちゃんの4人は話し合って、七尾ロマンのマネージャー星野遙香と、甲斐絵代子のマネージャー・秋田有花を交換!することを決めた。
 
星野遙香(旧姓望月)は、以前∴∴ミュージックに居て、KARIONや篠崎マイを担当した。秋田有花は以前、○○プロに居て、篠田その歌・森風夕子を担当した。ケイにとってはどちらも旧知の人なので、これはケイが2人に通告した。
 
それで各々新しい担当と顔合わせをしたのだが、七尾ロマンの生歌を聴いて、秋田有花は彼女を大好きになったようである。
 
「あんた、この歌でなぜこれまで売れなかったのか理解できん。私があんたに合う歌を調達してきてあげるから」
と言って、ロマンに歌わせる歌の作曲家から、秋田の人脈で再度探すことになった。
 
一方、星野遙香は甲斐絵代子の歌を聴いて
「あんた、可愛くて魅力的なのが長所だけど、歌がいまいちなのが欠点ね」
とハッキリ言う。
 
「すみませーん」
「適当な小型キーボード渡すから、それ持ち歩いて。私が出す課題で毎日発声練習して。あんた仕事はたくさんあるみたいだからマネージャー・付き人の車で移動すること多いでしょ?その時、窓開けて発声練習しなよ」
 
「分かりました」
と絵代子は応えたが、星野さんは優しそうだなあと思い、ホッとした。
 

8月14日には姫路スピカ、8月15日には甲斐姉妹+水谷姉妹のライブが仙台の織姫であったが、15日のライブは本来甲斐姉妹のライブでゲストに水谷姉妹が登場する予定だったのだが、万事“無自信家”のエーヨが
 
「とても私とお姉ちゃんの2人だけで2時間も持たせ切れない」
 
と言い、甲斐姉妹と水谷姉妹の合同イベントということになった。
 
結局水谷姉妹は最初から出て、甲斐絵代子の歌にコーラスを入れた。2曲エーヨが歌ったら、1曲水谷妹が歌う(その時は甲斐姉妹がコーラスを入れる)というパターンでパアォーマンスをした。
 
ファンの間ではこれを“Kai-Sui”と称した。
 
(水谷姉ではなく水谷妹がメインボーカルを取ったのは、姉が歌うと、本来主役であるエーヨに“悪い”からである)
 
幕間には
 
「何か幕間で歌う人が居なくなっちゃったから出てよと言われたので」
と言って前日歌ったスピカが出て来て大仙イリヤにギター伴奏させて3曲歌った。大仙イリヤも驚いたらしいが(出演できて)「儲け儲け」と言って伴奏していた。
 

コスモスはこの日のイベントに、甲斐姉妹と水谷姉妹の両親を仙台まで呼んだ。(Honda-JetRed,Honda-JetBlueで迎えに行かせた)
 
そして一緒にライブを生で見た上で、双方の両親と順次面談をして
 
・甲斐波津子も絵代子と同様A契約に移行する
 
・水谷姉妹をA契約に移行する。
 
ということで、各々の両親と合意。契約書を交わした。これで今年のA契約者は8組に及ぶことになった。
 
七尾ロマン、恋珠ルビー、常滑舞音、甲斐姉妹、中村昭恵、水森ビーナ、花貝パール、水谷姉妹。
 
甲斐波津子は4月に遡ってA契約でギャラを計算し直したので、8月20日の振込が凄い額になり、冷静な波津子がギョッとすることになる(思わず桁を数え直した)。
 

8月17日、日食観測取材の“オーディション”に合格してしまった青葉は、迎えに来てくれた矢鳴さんのオーリス(千里2の車)で帰宅した。
 
青葉はこの2日間の“オーディション”は業務として参加したことになっているものの、18日以降はすぐ金沢の放送局の仕事に復帰しなければならないのではないかと思った。それで矢鳴さんの車の中から石崎部長に電話してみた。すると
 
「休職期間中にバスケの実況1日、作曲家アルバムの取材5日しているから休職期間を6日延長して、8月25日まで休み」
と言われた。
 
現役継続問題も何か言われるかなと思ったがその話は無かった。青葉は1年間アメリカで訓練を受けるというのはあまりやりたくないので、だったら現役を続けた方がいいかなと、かなり迷いの気持ちも出ていたのたが、それについては宙ぶらりんである。
 
だいたい1年も彪志と離れていたら、きっと彪志のお母さんがまた変なことを始めかねない気がする(普段自分が彪志を放置していることは棚に上げている)。
 
浦和に戻ったら、取り敢えず1週間は水泳の練習でもしながらコスモスから頼まれた作曲もしようなか・・・と思っていた。が、翌18日(水)の朝、とんでもない人物から電話が掛かってきたので、青葉は仰天した。
 
日本水連の鈴木大地会長である。
 
鈴木大地さんは、水泳をする人にとっては神様のような人だ。
 
1988年のソウル五輪100m背泳で金メダルを取得。この時出した日本記録55秒05はルールが変更されてバサロ泳法が制限されたこともあり2003年4月の日本選手権で錦織篤が54秒54を出すまで、14年半も破られなかった。
 
現役引退後はハーバード大、順天堂大のコーチを務め2013-2014年に水連会長、2015年に初代のスポーツ庁長官になり、昨年退任後、今年6月、6年ぶりに水連会長に復帰した。
 

それで青葉はその日の午前中矢鳴さんに送ってもらい、国立競技場に近いJOC本部ビル (Japan Sport Olympic Square) 8階にある日本水連内で鈴木会長と会ったのである。
 
いきなり転ぶ。
 
「大丈夫?」
「はい。誰かに足首掴まれた気がしたけど、きっと気のせいです」
 
転んだことで心の防御壁が全部吹き飛んだ。
 
そして鈴木会長の格好良いビジュアルを間近に見て青葉はボーっとしてしまった。
 
「金メダル2個銅メダル1個おめでとう」と言われ、エア握手して座り、会長のお話を聞いたのだが、青葉は半分雲の上にいるような感覚だった。
 
会長は言った。
「君はオリンピックで金メダルを2個とって、頂点を極めたと思ったかも知れない。でもそれは違う。君はまだ発展途上だ」
 
そういう観点は無かったので、青葉は虚を突かれた思いだった。
 
「自分の場合もオリンピックで金を取った時、まだ21歳で自分としてはまだまだこれからのつもりだった。しかしルール改定で、自分の泳ぎ方が否定されてしまい、自分は再度ゼロからスタートしなおした。しかし力及ばず1992年バルセロナには行くことができず現役引退した。自分としては道半ばで挫折したような気分だった。川上さんはまだまだ伸びる可能性を持っている。何といっても、これまで弱点だった女子長距離界で日本に金メダルを持って来たのは大きい。川上さんに追いつき、追い越そうと必死で頑張っている若い中高生の選手たちも大勢いる。その子たちの夢となり、また追いつくべき目標となるためにもせめて後7年、ロサンゼルス・オリンピックまでは現役を続けて欲しい」
 
せめてパリまでというのは先日から、(同学年の)南野さんとかからも言われていたのだが、鈴木会長は2028年のロサンゼルスまでと言った。千里姉は
「青葉は見た目は実年齢より10歳年上に見えるけど、肉体的には5歳若い」
 
などと言っていた(前半は余計だい!)。
 
ロサンゼルスは31歳になるけど、5歳若いのなら26歳。まだ現役行けるかも知れない気がした。
 
元々凄い人と会って、少しぼーっとしていたこともあり、青葉は言ってしまったのである。
 
「分かりました。ロサンゼルスまでは自信ないですけど、取り敢えずパリまでは頑張ります」
 
「うん。パリでは今度は金メダル4個くらい取ってよ」
 
あはは・・・4個って、何と何のメダル取ればいいんだっけ?
 
それで青葉は現役継続に合意して、まだボーっとしたまま水連を出たのであった。
 

水連を出て矢鳴さんに(千里姉の)オーリスで迎えにきてもらって浦和に戻る最中に、現役継続に合意したことを少し後悔した。でもそれで1年間の訓練には行かなくて済むし。
 
取り敢えず石崎部長に電話した。
 
「おお、君はまだやってくれると思っていたよ。歓迎歓迎。君の退部届けは処分しておくね」
と石崎部長(本当は受け取ってすぐ捨てちゃったけど)。
 
「君の勤務体制は漆野君とも話し合ったけど、取り敢えず年内は君の担当番組だけの勤務ということとで」
 
「担当番組というと」
 
「作曲家アルバムと北陸霊界探訪ね」
「あはは」
 
「ニュースとか読む必要はないから、毎日水泳の練習していればいいから」
「分かりました」
 
結局3月からの体制に近い状態になるのかな。まあ霊界探訪はしてもいいかな。
 
「月に2〜3回、スポーツの実況とかを頼むことがあるかも知れない」
「はい、それはやります」
 
「私の身分は休職中のままになるんでしょうか」
 
「うーん。そのあたりは適当でいいんだけど」
 
いいのか?
 
「じゃパリ五輪までは通常のお仕事はしなくていいということで」
 
よく分からないんですけど!?
 
「給与は適当な名目で月30万は保証するから」
 
その程度の仕事量でそんなにもらっていいのかしら?まあスポンサー料みたいなものかな?(霊界探訪の分の霊能者としての謝礼をもらってないことを忘れている)
 
「じゃいただけるものは頂きます」
「よしよし」
 
ということで、青葉の身分は何だか曖昧な状態になるようであった。
 

青葉が東京オリンビックを終えるまでということで退職願いを保留されていた、森本メイはその日、漆野報道部長に呼ばれた。
 
「川上君がさあ、東京オリンピックで金メダル2個と銅メダル1個取ったでしょう」
「ああ、はい。凄いですよね」
 
「それで東京オリンピックで引退するはずが、このままパリを目指してという声が圧倒的でさ」
「そうでしょうね」
「結局説得されて、現役を継続することになったから、休職期間も続くことになって」
「えっと・・・」
「それで申し訳無いけど、取り敢えず2月くらいまで君もアナウンサー続けてもらえない?」
 
「え〜!?」
「来年度は1人多めに採用するからさあ」
「そうですねぇ。分かりました。頑張ります」
 
と森本メイは答えた。
 

青葉は19日にHonda-Jet で送ってもらい、金沢に戻った。そのまま放送局に行き、今年入社した片林アナウンサーが司会するローカル番組でメダル3個を披露。彼女のインタビューも受けた。
 
日食観測については、石崎部長の方から辞退の連絡を入れてもらった。それで1年間のNASAでの訓練の話はキャンセルになったものの、取り敢えず2月に1度他の4人と一緒にNASAに行き“宇宙飛行士テスト”だけ受けてきてくれと言われた。それでパスポートの期限を確認して必要なら更新してと言われる。
 
「パスポートは2017年に一度切り替えているので2027年まであります」
「だったら大丈夫だね」
 
青葉は20歳になって性別を変更したのでその時新しいパスポートを取得している。その有効期限が2027年まである。
 
「多分、川上君を念のため予備登録したいんだろうと思う」
 
と石崎さんは言う。確かに今のような状況では予備要員がいないと、何かあった時に困るだろう。コロナに罹り、万一後遺症が出ると超低圧環境に耐えられない身体になる可能性もある。
 
なお感染対策で、往復にはチャーター機を使用するし、日本のワクチンパスポートがあればアメリカには隔離期間無しで、メディカルチェックだけで入国できるはずという話だった。
 
でも千里姉が打ってくれたワクチン、パスポートとか出るのだろうか?と疑問に思う。
 
その点を千里姉に電話してみたら
「ああ。パスポートは発行してもらえるように処理しておく」
という話だった。
 
実際翌日「接種証明書」が送られてきた。接種者は東京都内の病院名が書かれていた。念のためネット検索すると実在する病院のようである。どういう経緯でここの病院の名義を借りたのだろう?と思ったが、いいことにした。
 

8月18日(水).
 
舞音withスイスイが歌う『こどものうた』が発売された。これは幼稚園・保育園などが園の費用で買う所(ほとんどが“おゆうぎ”の振付け付きのDVDセット)が相次ぎ、“隠れたベストセラー”となる。収録曲は下記22曲である。
 
『鬼のパンツ』
『山の音楽家』(りす:舞音、うさぎ:康恵、ことり:雪花、たぬき:コリン)
『めだかの学校』
『かわいいかくれんぼ』
『あまだれこぞうさん』
『やぎさんゆうびん』
『ドレミの歌』
『おさかな天国』
『タイカジキ、カニエビ、イカタコ、サケマグロ』
『パンのマーチ』
『黒猫のタンゴ』
『ニッキニャッキ』
『とんでったバナナ』
『およげ!たいやきくん』
『山口さんちのツトム君』
『おてんきじどうはんばいき』
『銀ちゃんのラブレター』
『猫ふんじゃった』(ピアノ:水谷康恵)
『鞠と殿様』(三味線:木下宏紀)
『クラリネットをこわしちゃった』(クラリネット:コリン)
『森のくまさん』(ギター:篠原倉光、バンジョー:木下宏紀)
『大きな古時計』(ギター:篠原倉光、バンジョー:木下宏紀)
 
『山の音楽家』では、舞音がリスでヴァイオリン、康恵がうさぎでピアノ、雪花がことりでフルート、コリンがたぬきで太鼓(スネアドラム)を実際に叩いている。つまり普通「キュキュキュッキュッキュ」と歌う代わりに実際のヴァイオリンの音を「ソファミミミ、ファミレレレ」と入れている。それで合奏もその4つの楽器の音がそのまま鳴っている。
 
コリンは他にも『クラリネットをこわしちゃった』で実際にクラリネットを演奏しており、他にもいくつかコーラスに入ったのが音として残っており、結構彼女のパフォーマンスはアルバムに残ることになった。映像としてもあちこちに出ている。
 
『大きな古時計』は日本でよく知られているスローテンポの“みんなの歌”版ではなく、本来の曲調に戻し、アップテンポのカントリー風に歌っている。日本ではこういう演奏は珍しいと思う。『森のくまさん』もカントリー風である。
 

2021年8月20日(金).
 
アクアはその日の昼12時から、ΛΛテレビで記者会見を開いた。ここで一緒に並んだメンツが凄かった。
 
アクア本人の左隣に醍醐春海(千里)、右隣がコスモス社長、その隣に雨宮先生、上島先生、千里の向こうには田代涼太、そして誰もが関係に首をひねった長野支香、そして多くの人が知らない女性(志水照絵)。つまりこう並んでいた。
 
照絵 支香 涼太 千里 アクア コスモス 雨宮 上島
 
アクアの記者会見で8人も並ぶのは異例である。
 
最初にアクアの後見人である千里が発言した。
 
「この会見には多数の記者さんがネット参加して下さっていますが、今日のアクアの話はひじょうに長いので、記者さんたちにお願いします。ご質問に関しては、たいへん申し訳ありませんが、アクア本人の話が一通り終わってからにして頂けませんでしょうか?このΛΛテレビの放送枠は1時間取って頂いておりますが、その1時間でアクアの話が終わるギリギリくらいになると思います。そこまではできたら地上波で全国のファンの方にお伝えしたいのです」
 
記者たちはだいたい頷いているようである。それでアクアが語り始める。
 
「私の記者会見にこんなにたくさんの記者さんがネット参加して下さって本当にありがとうございます。またテレビを見て下さっている方も、ありがとうございます」
とアクアは最初に挨拶した。
 
「本日は8月20日で私の20歳の誕生日です。そして実は私に関するある情報を20歳になるまでは公開しないことを、デビューする時点で関係者の会談により決めていたのです。それをとうとう解禁にするので発表させて頂くことにしました」
 

この時点で記者たち、および視聴者のほとんどが、アクアの性別に関する問題を発表するのだと思っていた。
 
しかしアクアは言った。
 
「実は発表するのは私の両親に関することです」
 
記者たちがざわめく。
 
「実は私の父はワンティスの元リーダー・高岡猛獅で、母は同じくワンティスのメンバーでその歌詞のほとんどを書いていた長野夕香なんです」
 
記者たちが騒然とした。視聴者の反応は割れた。「うっそー!?」と叫ぶ人たちとキョトンとしている人たちである。2人が亡くなったのは2003年なので、若い人たちはこの名前を知らないのである。
 
ここで雨宮先生が
「私に説明させて下さい」
と言って、高岡猛獅と長野夕香の関係について語った。
 
・事務所の社長はワンティスのメンバーに恋愛禁止を言い渡したが、高岡と夕香は元々恋人関係であり、そもそも夕香は高岡の恋人だったのでメンバーに引き入れられた。そしてデビュー時点で既に夕香が妊娠中だったため、2人の関係は黙認された。
 
・ワンティスは2001年4月にデビューしたが、夕香は妊娠中だったので、初期の頃はサポートの女子大生2人を入れて支香とその2人の3人のコーラスでワンティスは演奏していた。他のメンバーには夕香は体調不良とだけ伝えてあった。
 
・2001年8月20日、長野夕香は子供を出産した。これが龍虎ことアクアである。しかしこの時点で高岡と夕香はまだ婚姻届けを出していなかったし、理由は不明だが龍虎の出生届けも出されていなかった。
 
・同年10月、ワンティスはツアーに入るが、出産後2ヶ月の夕香がコーラスに復帰してツアーに帯同した。そして、生後2ヶ月の龍虎は、ミュージシャン仲間であった、志水英世・照絵夫妻に託された。
 
雨宮先生が志水照絵を紹介する。それで照絵は龍虎を預けられた時の状況を説明した。
 
・最初はツアーの間だけ預かるのかと思ったら、この子のことを明らかにできるまで2〜3年預かって欲しいと言われて仰天した。
 
・自分は流産した直後だったので、流れてしまった子の代わりに龍虎が来てくれたような気がして、我が子のように可愛がって育てた。
 
・その後、高岡夫妻は“時々”龍虎の顔を見に来たし、洋服やベビー用品を持ってきた。また養育費は毎月充分な額を送金してくれた。
 
ここまで説明した時、雨宮先生が
「高岡はなぜか毎回女の子の服を持って来たという話は」
と茶々を入れる。すると照絵も
「あの人、マジで龍虎のことを女の子だと思っていたのかも」
と笑いながら言うので、緊張して聞いていた記者たちの間にも笑い声が漏れた。
 
アクア本人まで
「これ父の遺品から出て来たんです」
と言って、“高岡龍子・女”と書かれたホロスコープを提示するので、カメラが寄っていってこのホロスコープを映し、全国のテレビに龍虎が女と記載されたホロスコープが流れる。それで全国的に
 
「やはりアクアは女だった!」
と言ってお祭り騒ぎになる。
 
しかし一部
「神奈川県町田市と書いてあるぞ」
という騒ぎも起きていた!
 

ここで上島先生が「その後のことを僕が話します」と言って話を引き取る。
 
・2003年12月27日、龍虎が2歳4ヶ月の時、高岡夫妻は中央道での事故で死亡した。志水夫妻は龍虎の今後の扱いについて遺族と話し合いたい思って葬儀の席に龍虎を連れていった。ところが事務所の社長に、ふざけたこと言うとヤクザに海に沈めさせるぞなどと脅され追い払われてしまった。
 
・志水夫妻は自分たちで龍虎を育てる決意をした。
 
・龍虎が幼稚園の年中の時、急に倒れて病院に運ばれた。原因は不明で、この後、龍虎は2年間にわたって入退院を繰り返し、多数の病院を転院することになる。
 
・そんな中で志水英世が事故死する。夫を亡くし、病気の子供を抱えて、照絵さんは途方に暮れた。そして何とかしなければと昔のミュージシャン仲間のツテを辿り、龍虎の母の妹である長野支香に泣きついた。
 
「そこからは私が話します」
と言って長野支香が話を引き継ぐ。
 
・自分は夕香が子供を産んでいたこと自体を知らなかったので仰天した。でも照絵さんは嘘をついているようには見えなかったし、何よりも龍虎に姉の面影があると思った。
 
・それにしても自分には手が余ることだったので、上島雷太に相談した。上島も高岡の子供の存在は知らなかったらしく仰天したが、とにかく龍虎の医療費は全部持つと言ってくれた。
 
雨宮が話を引き継ぐ。
 
・ここで一番問題になったのが、龍虎の出生届けが出ていないため、彼女に戸籍が無いことだった。そこでまずは彼女の戸籍を作ることにした。
 
と雨宮先生が言った所でアクアが
「あのぉ、ボク男の子なんですけど」
と言うので、雨宮は
「あんた、まだその建前続けるの?いいかげん女だと認めたら?」
と言う(「そうだそうだ」という意見が大量にネットに書き込まれた)。
 
そして雨宮は
「まあ性別はどっちでもいいや」
と言って、説明を続ける。
 
そこから雨宮が語った、龍虎の戸籍ができるまでの物語には記者たちも視聴者もかなりざわめいていた。質問は後からと言われてはいたのだが、ΛΛテレビの吉崎アナウンサーが
「この話自体で映画1本作れますよ」
と言う。
 
「本当にそう思います」
とアクアも言っている。そして
「これがそのホロスコープです」
と言って“高岡龍虎・M”と書かれたホロスコープを見せる。これもカメラが寄って映したので、龍虎が男と書かれたホロスコープも全国に流れた。
 

雨宮の説明は続く。
 
・長野龍虎の戸籍ができたので、長野支香が龍虎の未成年後見人となり、健康保険でも自分の扶養者にしたので、高額の医療費が掛かる問題は解決した。
 
・その後も上島は龍虎の病気が分かる医師を探し、ついに渋川市にこの病気に関する専門医がいることが分かり、この医師の治療を受けることになる。そして龍虎は手術を受けることになった。
 
「そしてその手術前日に私たちと運命的な出会いをしたんですよね」
と醍醐春海(千里)が言った。
 
千里が話を引き取って説明した(龍に乗って飛んで行った話は省略した)が、この旭川N高校女子バスケ部メンバーと龍虎の交流の話は、一度映画にもなっているので頷いている人たちが多かった。
 
「そして龍虎もやっと退院できるということになった時、彼女が退院した後、その面倒を見られる大人がいないという話になったんです」
と千里は当時の状況を説明しよとしたが
 
「醍醐先生まで。ボク男の子なんですけど」
とアクア。
 
「まだそんなこと言ってる。もういい加減、女だと認めたら?」
と千里は言って、入院中にアクアが男性患者の入浴時間帯にお風呂に入ろうとしたら、女の子がお風呂に入ってきたと思った男性患者が驚いてお風呂内でひっくり返り、入院期間が延びたなどという話をバラしてしまう。
 
この話はネット民たちには大いに受けていた。
 
「それからは女性患者の入浴時間帯に入ることになったんだったよね」
と千里は言うが
 
「違います。男性患者・女性患者どちらの入浴時間でもない時間帯を割り当ててもらったんです」
とアクアは主張する。
 
「まあいいや」
と言って千里は説明を続ける。
 
・夕香は多忙なので、ツアーや音源制作に入ると何日も帰宅できない。
 
・志水照枝は実家で祖母が倒れて福井の実家に戻らざるを得なかった。
 
・龍虎は当面通院しなければならないので福井には行けない。
 
・そこで困っていた時に、たまたま同じフロアに入院していた田代涼太が自分たち夫婦には子供がいないので、自分たちがこの子の面倒を見たいと名乗り出た。
 
・それで結局、龍虎は田代夫妻の里子になることになり、病院代は引き続き上島が全額払うとともに、養育費を上島が送金することが決まった。
 

田代涼太が説明する。
 
・養育費を送金するとは言われたが、自分達は夫婦とも教師をしていて生活にゆとりはあるので、基本的に龍虎は自分たちの給料だけで育て、送金してもらったお金は龍虎の口座にそのまま入れて通常は手をつけなかった。
 
・ただ、この子は音楽や踊りに凄い才能があるようだったので、ピアノ、バレエ、ヴァイオリン、フルートと本人がやりたいというもののレッスンは全て受けさせた。普段のレッスン代は自分たちの給料で出していたが、発表会の参加費用や衣装代などに、送金してもらったお金を少し使わせてもらった。
 
・高価な楽器は上島さんが買って与えてくれたので、とてもいい楽器を使ってレッスンを受けていた。トウシューズの制作費も上島さんが出してくれた。
 
・病気の方はその後も、ずっと毎月通院し、1年後からは半年に1度の短期入院検査になったが、幸いにも再発の兆候はなく、5年後に寛解が宣言された。その後も再発防止のため、投薬は中学3年の時まで続けた。
 
・ただ病気自体の影響で他の子よりもどうしても成長が遅いと言われた。だいたい同じ年齢の子に比べて2〜3年遅いと、小学生の頃は言われていた。身長もそのくらい低かった。
 
・小学4年生の頃から治療薬の影響か少し胸が膨らみ始めたが、それとともにそれまで物凄く背が低かったのが急速に伸び始めたので自分たちは様子を見ていた。胸は結構大きくなった時期もあるが、中学2年頃までには膨らむのは止まった。身長も同年代の女子程度まではのびた。その後、胸の膨らみは小さくなったが、乳首は大きくなったまま戻らないようである。
 
・デビュー当時、中性的な雰囲気だったのは病気のせいで基本的に成長が他の人より遅かったのと治療薬の中に恐らく女性ホルモンに似た物質が含まれていたせいだと思う。デビュー前後の頃に何人かにヌードを見られて女の子と誤認されたというのは、そういう状態にあったからだと思う。
 
「今ならヌードになって性別を誤認されることはないはず」
と田代涼太が言ったのに対して、雨宮が
 
「男の子と誤認されることはなくちゃんと女の子に見えるよね」
と言うので、記者たちから笑い声が起きていた。アクア本人まで吹き出した。
 
田代涼太も笑いながら説明を続けた。
 
・歌手のオーディションを受けたいと言った時は、やはり高岡さんの子供だなと思い、賛成した。何度かオーディション受けている内にどこかのプロダクションに拾ってもらえるかもと思っていたが、最初のオーディションで優勝したのには驚いた。
 

ここから上島が説明を続けた。
 
・龍虎は2014年の第1回ロックギャルコンテストで優勝して、アイドルとしてデビューすることになった。
 
・この時、事務所では高岡と夕香の子供であることも発表して話題作りにしたいと考えた。しかし本人がそれは嫌だと言った。
 
・要するに親の七光りで注目されるのは不本意なので、そういうの無しでただのひとりの中学生として芸能界に挑戦したいと龍虎は言った。自分と雨宮に長野支香、田代夫妻、志水照枝さん、それに紅川社長とで話し合った結果、龍虎の意思を尊重し、龍虎の両親が誰かについては20歳になるまで発表しないことを決めた。これはかつて工藤夕貴がデビューした時、父親が伊沢八郎であることを当初隠していたのが前例である。
 
・正直龍虎の両親が誰かについては1年も隠せたら上出来と思っていた。実際、工藤夕貴の父親は数ヶ月でバレた。アクアの場合、今日まで全く漏れないまま来たのは奇跡だと思う。
 

ここまで全員でリレーしながらの説明が終わったのはもう12:50すぎである。
 
ここから記者からの質問が始まるが、真っ先に訊かれたのは
 
「それで結局、アクアさんの性別はどうなっているのでしょうか?アクアさん、実際問題として、少なくとも現在は女性ですよね?」
 
ということであった。
 
「アクアの性別はここにいる7人の投票で決めちゃおうか」
などと千里が言う。
 
しかしアクアは
「ボクの性別は疑問の余地無いと思うんですけど」
と言う。
 
「疑う余地なく女の子だよね?」
などと雨宮先生が言っているが
 
「ボクは男の子ですよー」
と本人。
 
「だって、女の子にしか見えないのに」
「じゃ、脱いでみせましょうか」
と言ってアクアは服を脱ごうとしたのだが
 
ここで時間!になってテレビの画面はCMになった!!
 

この後、ネットで直接つながっている記者たちとの記者会見は続いたのだが、その先は、話のダイジェストだけが、ΛΛテレビのツイッター・アカウントから流れることになる。
 
アクアの記者会見を生中継できるだけの容量があるメディアは存在しないのでこれはやむを得なかった。
 
なおアクアが
「だったら脱いでみましょうか」
と言った後だが、結局ΛΛテレビのディレクターさんが介入して脱ぐのは禁止!ということになった。
 
「女性の上半身裸を曝す訳にはいかないので」
「だから私、男ですって」
「いや、女性である可能性が濃厚なので困ります」
 
ということでテレビ局が許可しなかったのである!
 
そういうわけで、アクアの性別問題はうやむやのままであった。その後の記者たちの質問も、アクアのデビューに至るまての話、病気療養の話、アクアが赤ちゃんの頃の話などが主であった。
 

アクアMは精神的にかなり消耗した記者会見を終えた後、上島先生、支香さん、田代の両親、照枝母さん、から各々誕生日のプレゼントをもらって疲れた身体で和紗に送ってもらって代々木のマンションに帰った。
 
荷物が多いので、地下の駐車場に留めて手分けして持って18階まで上がる。龍虎の両手がふさがっていたので、和紗が鍵を開ける。
 
と、クラッカーのシャワーを浴びるので、和紗は思わず荷物を落とした。
 
「あ、ごめん」
と中に居た女子3人。
 
「ごめーん。ケーキの箱落としちゃった」
と和紗。
「あ、ごめーん」
と彩佳。
 
「形崩れても食べれば同じだよ」
 
桐絵が言った。
「和紗さん、西湖ちゃんここに呼んできて、一緒に誕生祝いしませんか?」
「でも多人数の会食は禁止だから」
「パーティーは飲食無し。ソーシャルディスタンス。食事は各自の部屋で」
「だったらいいかな」
 
「和紗さん、疲れてるでしょ。私が運転しますよ」
と彩佳が言って、それで彩佳と和紗が地下の駐車場に降りて行った。
 
それで結局用賀のマンションで作っていた料理も持って!和紗・彩佳に西湖の3人で戻って来た。
 

そして夜9時頃から、飲食抜きで、龍虎と西湖の誕生祝いが行われたのであった。
 
ケーキ(龍虎用と西湖用の2個用意)のロウソクは息を吹きかけずに、うちわ!で扇いで消す方式を採った。それで飲食抜きでおしゃべりして、10時には各自の部屋に入る。そして食事は各部屋で食べた。
 
Mの部屋に、彩佳と龍虎、Fの部屋に西湖と和紗、Nの部屋に桐絵と宏恵が入って寝た。Nの部屋には“鏡”(緩菜の黄銅鏡)があるので、ここはセックス禁止である。それで桐絵たちが入った。
 
↓再掲

 
ちなみに、西湖の用賀のマンションにあるのは京平白銅鏡、尾久の羽鳥セシルのマンションにあるのは、緩菜洋銀鏡である。
 

Fの部屋に入った和紗と西湖は
「ここFさんの部屋だよね。悪いね」
などと言いながらベッドに入る。
 
「でもFちゃんは彼氏とデートだろうしね」
と和紗。
「あの2人急速に進展しているみたい」
「Fちゃんは赤ちゃん産みたいと言い出すかもね」
「赤ちゃんかあ・・・」
「せいちゃんが20歳過ぎたらさ」
「うん?」
「私、赤ちゃん産んでいい?」
と和紗が訊くと、西湖はみるみる内に真っ赤になった。
 
「ボクの赤ちゃん!?」
「コスモス社長からは、せいちゃんが妊娠するのは困るけど、私の妊娠は構わないと言ってもらった」
 
「ボクが妊娠することもあるんだっけ?」
「どうすればせいちゃんが妊娠するのかはよく分からない」
 

Mの部屋に入った、彩佳と龍虎Mだが
 
「誕生日だし、1回だけは頑張る。でもその後は何もしないで寝ない?」
と龍虎は彩佳に提案した。
 
「うん。いいよ。1回したら寝てて。後は私が全部してあげるね」
 
ひぇー!?やはり1回では済まないか、と龍虎は思いながらも彩佳にキスした。
 

龍虎Fは今日はずっと八王子の家で、ベッドに寝転がって『ピーターパン』の台本を読みながら、頭の中で役作りをしていた。途中何度か気分転換にプールで泳いだ。
 
まあプールがあると便利ではあるけどね。
 
ちなみにここの水は敷地内に降った雨水を浄化して使うので、水道代はほとんど掛からないという話だった。
 
夕方、理史が自分の車で来る。
 
玄関まで出てキスで迎える。
 
「ハッピーバースデイ」
「ありがと」
 
と言って再度キスする。
 
「入って入って。ごはん作っといたよ」
「悪いね。僕が料理くらい用意しないといけないだろうに」
「理史は日中お仕事あるもん」
「龍は僕の倍、仕事してると思うけど」
「今日はボクの分2件しか無かったよ」
「龍の分だけで2件もあったのか!」
 
それで理史が持って来たモエドシャンドンのシャンパンで乾杯し、同じく持って来たバースデイケーキに20本のロウソクをつけて吹き消し「ハッピーバースデイ」と言ってキスする。ケーキを切り分けてから、龍虎Fが作っておいた料理を一緒に食べた。
 
「美味しい!龍って料理も上手だよね」
「小さい頃からやらされてたからね。女の子はお料理できないと、いい彼氏を捉まえられないぞと言われてた」
「なんか龍の小さい頃の話し聞いてると、そもそも女子として教育されてる気がするんだけど」
「ボク女の子だし」
 

「そうだ。龍にプレゼントあるんだけど、受け取ってもらえるかなあ」
「なあに?ボクは基本的にもらえるものはもらうよ」
「そう?」
と言って、理史は小さな紙の袋を取り出した。そして“水色のケース”を取り出す。龍虎はドキッとした。
 
「これをもらってくれない?」
と理史は真剣な顔で言う。
 
龍虎は答えた。
「ボクの指につけてくれたら」
「うん」
 
それで理史は指輪ケースを開けると、中から大粒のダイヤが載っている指輪を取り出し、龍虎の左手薬指に填めてあげた。
 
「ありがとう」
と言って、龍虎は理史にキスをした。
 

8月21日。
 
この日、主要新聞は、昨日の記者会見のことはあまり大きく取り上げていなかった。
 
テレビ局なども、アクアの両親については、あまり取り上げなかったが、アクアが戸籍を獲得するまでのドラマティックな話は弁護士さんをゲストに迎えて解説したりしていた。
 
「思い切って発表したのに、あまり反響は無かったみたい」
とアクアは言ったが、コスモスは笑って言った。
 
「君の周囲の人たちが言っていた通りだよ。つまり今更なんだよ。アクアが大して売れてないタレントで、親が超有名人だったという発表ならみんな騒ぐ。でもアクアはデビュー以来25枚連続ミリオンなどという前人未踏の記録を続けている。それに対して君のお父さんは言っちゃ悪いけど18年も前に亡くなっていてもう過去の人。知らない人も多かった。だからあまりニュース価値は無かった」
 
「そんなもんですかねー」
 
「君はデビューする時に言った。親が有名人だからというので騒がれて売れるのは嫌だ。自分の実力で売れるようになりたい。君はまさにその通り、自分の実力だけでビッグになったんだよ。だから今更親が誰かなんて、どうでもいいことだったのさ。だから君が望んだ通りになっただけだよ」
 
「そっかー」
 
「誰もが、高岡猛獅と長野夕香の娘のアクアではなく、美少女タレント・アクアとして見てくれてる。だからこれからも“世界の女優アクア”として頑張ればいい」
 
「ボク男の子なんですけどー」
 
「もう諦めなよ。君を男の子と思ってる人は誰もいないから」
「そんなー」
 
「男を主張するのなら、男性ホルモンの補充療法とか受けてもっと男らしい身体になる?」
「それは嫌なんですよねー。声変わりは絶対起こしたくないし」
 
「だったら、もう女でいいじゃん。別にちんちん切れとは言わないからさあ」
「うーん」
アクアが悩んでいるようなので言う。
 
「ちんちん切ってもいいよ」
「いやです」
 
「あ、そうそう。NHKから今年はアクアさん紅白は紅組でいいですよね?と照会されたんだけど」
 
「白組でお願いします」
 
「NHK側では、アクアを戸籍上男だからといって白組から出すのは可哀想です、実際は女の子なんだから、ちゃんと紅組から出してあげてくださいというメールとか電話とか大量に着ているらしいんだけど」
 
「そんなこと言われてもボク男の子だし」
 

紅白に関しては、その後、NHKの部長さんが来訪してアクアと面談した。
 
「視聴者からは、アクアさんは紅組から出してあげてという声が圧倒的なんですよ」
と部長さんは言う。
 
「そんなこと言われても、私、男の子なんですけど」
とアクアは困ったように答える。
 
「こんなに来てるんですよ」
と言って、部長さんはNHKに寄せられた手紙・ハガキの類いを見せる。廊下に待機していたスタッフが段ボール箱を10個ほど積み上げた。
 
「これはほんの一部です。実際はこの100倍あります。その他にメールが200万件、電話も30万件来てます」
 
「ひぇー!」
 
「でも男性歌手が紅組から出たり、女性歌手が白組から出たりしたこともあるんですよ」
と部長さんは言った。
 
「そんなことあったんですか?」
「和田アキ子さんはだいたい紅組で出ていますが、1度だけ白組からも出ています」
「へー!」
 
あの人なら白組でもいいかもと一瞬アクアは思った(実際には男性歌手とのコラボだったので白組から出た)。
 
「サザンオールスターズの原由子さんはだいたい白組から出ていますが、一度だけソロの歌で紅組から出ています」
 
「ああ、そういうのはありでしょうね」
 
「Pabo(*9)はメンバー全員女性ですけど、白組から出ていますし」
「あれ、そうでした?」
「ゴリエ(*7)さんは紅組から出ましたし」
「そうでしたっけ!?」
「AAA(トリプルエー)は2010-2012は白組、2013年は紅組、2014年は白組、2015年は紅組、2016年は白組です」
 
「そんなに紅と白を行き来していいんですか?」
 
(*7)Paboは里田まい・スザンヌ・木下優樹菜の女性3人組。紅白では羞恥心(つるの剛士・野久保直樹・上地雄輔の男性3人組)とセット扱いにされて白組から出た。
 
(*8)ゴリエはでガレッジセールのゴリが女装したキャラ。ゴリエを演じている最中は女性に徹しており、トイレも女性スタッフに付き添われて女子トイレを使用していたらしい。紅白では女性2人(Jasmine & Joann) と一緒に歌ったこともあり、紅組から出場している。
 
紅白では男女混成ユニットはメインボーカルの性別で紅白に振り分けるのが原則とはされているが、青い三角定規のように女性メインボーカルなのに白組から出た例もある。男女デュオは紅組から出ることが多いが『カナダからの手紙』を歌った平尾昌晃&畑中葉子は白組から出た。このあたりは紅組・白組の出場人数の都合で調整されている感もある。
 

「実は最近、紅白では紅組が劣勢でして」
「へー!」
「2012年以降、白が6勝・紅が3勝なんです」
「差が付いてますね!」
 
「だから紅組にテコ入りするのに、人気が高くて、どちらでも出れそうな人にはできるだけ紅組から出て頂いているんですよ」
「なるほどー」
「テコ入れで、アクアさんにも、紅組の応援で紅組から出てもらえませんか?」
 
「うーん。。。紅組が劣勢でそれを応援するのならいいかなあ」
「じゃ、紅組から出て頂けます?」
 
「分かりました。今年は紅組から出ます」
とアクアは言った。
 
「ありがとうございます!」
 

ということで、アクアは紅組から出ることに同意してしまったのである。
 
むろんここでNHKの部長と話し合ったのはアクアMである。Fなら喜んで紅組から出場したいと言う所だった。
 
話し合いが終わって部長さんが帰ってから、コスモスは
 
「じゃすぐに紅白用に可愛いドレスを発注するね」
と楽しそうに言った(実は発注済み)。
 
「うーん・・・・」
とアクアMは紅組からの出場を同意したことをもう後悔していた。
 

なお、NHKからは「アクアさん以外に紅組で3組§§ミュージック内から推薦してください」とは言われたのでコスモスは、ラピスラズリ・常滑真音の2組は確実として、あと1人を誰にするか悩み、9月末までに返事することにした。
 
 
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【東風】(4)