【春金】(3)

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9月上旬、Wリーグは、8月にステラ・ストラダの選手からコロナ感染者が出たのも受けて、シーズン前に全てのチームの全ての選手およびスタッフにPCR検査を受けさせた。その結果全員陰性であることが確認されたと発表した。
 
実を言うと、千里の検体は精密検査に回され、抗体があることを確認された。
 
「友人がワクチン開発企業に勤めている関係でワクチンの治験をしたので」
「ああ、だったら大丈夫です」
 
“千里たち”は春に青葉たちに接種した後、自分たちも3人ともワクチン接種している(お互いに接種しあった)し、その後、そろそろ有効期限切れだろうということで、夏にも再度接種している。ドイツの製薬会社が開発した m-RNA(メッセンジャー・リボ核酸)型のものである。
 

その日、アクアが山村マネージャーと一緒に放送局に入ると、バラエティ番組の収録が行われていた。その収録が終わるとアクアの出演する番組が行われるということだったので、スタジオ内で待機する。そして隅のほうで収録の邪魔にならないようにしながら、リハーサルに出演していた葉月と付き添いの桜木ワルツから、台本の変更や、リハーサル中に起きたできごと、ディレクターの指示、などについて聞いていた。
 
収録中のバラエティ番組で、ひとりのお笑い芸人が
「金銀パール・プレゼント♪」
と言いながら、別のお笑い芸人を棒のようなもので殴る。
 
「何するのよ?金銀パールというから、アクセサリーをくれるんじゃないの?」
 
「これはパール製の金メッキの銀フルートだから、金銀パールよ。それで叩いて“あげた”わよ」
 
などとやりとりをしていたので、山村が吹き出したが、アクアは
「楽器で人を殴るなんて」
と憤慨している。
 
「それ“楽器で”殴ることに問題があるという意味だよな?」
と山村が確認する。
 
「そうですけど」
とアクアは答えるが、なぜ確認されたのか分かっていない。
「楽器を粗末に扱う人は嫌いです」
などと言っている。
 
つまり、アクアは“人を殴る”ことは問題にしていない!
 
「金銀パール・プレゼントって何でしたっけ?他の所でも聞いたことがある気がします」
と葉月が尋ねる。
 
「あれはニュービーズという洗濯用洗剤で、そういうのが当選するというキャンペーンをしていたんだよ」
と山村が言ったが、
 
「ブルーダイヤですね」
と桜木ワルツが訂正した。
 

「ニュービーズじゃなかった?」
「ブルーダイヤの“ダイヤ”に掛けてアクセサリーをプレゼントしたんですよ」
「あ、そうだったっけ?」
 
「いつ頃やってたんですか?」
とアクアが尋ねる。
 
「1960年代から始まって断続的にやってたんだけど、確か最後は2007-8年頃まで」
とワルツが言った時
 
山村が
「そんな最近までやってたんだ!」
と言ったのに対してアクアは
「けっこう昔ですね」
と言ったので、ワルツが
 
「美事に世代間ギャップが出たね」
と言って笑っていた。
 
2007-2008年といえば山村にはごく最近のことだが、アクアはまだ小学校に入るかどうかの頃で、“とっても昔”である。
 
もっとも1446歳の山村にとっては、明治維新なども“ごく最近のこと”らしい。
 
「でも金メッキの銀のフルートってあるんですか?」
と葉月が訊く。
 
「パール楽器の“カンタービレ”シリーズにそういうのあったと思うよ」
と彼らの会話を近くで笑いながら聞いていた、カチューシャの松川杏菜が教えてあげた。彼女はフルート吹きで実際には総銀の非メッキのフルート(Altus A1407 Ag925-RingKey-Inline-Soldered)を使用している。
 
「まあ、今のコントで使ってたのは、プラスチック製のファイフに金色塗装したものと見た。さすがに60-70万する楽器では人を叩かないでしょ」
 
と彼女は付け加えたが、金属で叩かれたら痛い!という観点が抜けている!
 

9月5日のセッションで、恵真は使用しているフルートについて確認された。
 
「そのフルートは洋銀だよね」
「はい。洋銀の銀メッキ、カバードキィ、ストレートです」
 
「銀製、リングキィのフルートを使わない?フルートを吹く少女という絵をもっと撮りたいのよね。だから本格的なのを使って欲しくて」
 
「リングキィは挑戦してみたい気はしていましたが、銀は高いので」
 
「1本買ってあげるわよ。取り敢えず貸与ということで」
「買ってくださるのなら歓迎です」
 
それでその日はAさんと一緒に楽器店に行き、いくつか触ってみる。
 
「重い」
「そりゃ比重が違うからね。洋銀の比重は8.7くらい。銀は10.5くらい」
「つまり2割くらい重いんですね」
「あんたよく暗算でそういうのすぐ出るね」
「え?このくらいは誰でも暗算できるでしょ? 105から17引けば88だもん」
「ふーん」
 
恵真は何だろうと思った。
 
結局購入したのは、Sankyo "Artist" (Ag925) Ring-key New-E-mecha という製品である。お値段は 56万6500円と言われたが、Aさんは値切った!それで結局50万円ジャストで購入した。
 
「じゃ、これあんたに貸す」
「ではお借りします」
 
きっと50万円くらいはお金持ちのAさんにはおやつ程度買うくらいの感覚だろうと思い(その割には値切ったけど)、遠慮無く借りることにしたが、恵真は2ヶ月後には、さすがにビビるような価格の楽器を“預かる”ことになる。
 
この日は大田区内にある、あけぼのテレビ本社(§§ミュージック・サテライト)の練習用スタジオを借りて、借りたての総銀フルートの吹き初(ぞ)めをした。ここのスタジオを借りたのは、ここが徹底的な消毒体制にあり、誰かが使った後は、きれいに清掃・消毒しないと他の人には使わせない体制になっているからということだった。実際、恵真たちは「消毒済」と書かれた紙テープを破ってドアを開けた。
 
♪♪ハウスに所属していると、基本的に§§ミュージックの施設なども自由に使えるらしい。♪♪ハウスの株式の約3割を§§ミュージックが所有していると聞いた。つまり系列会社ということになるのだろう。
 
「§§ミュージックの事務所にも自由に出入りできるから。ついでにあそこに置いてあるおやつや、コーヒーもタダ」
「へー」
 
「だから松梨詩恩とか、いつも§§ミュージックの事務所に行っておやつ食べてる」
「なるほどー」
 
「♪♪ハウスはケチくさいから、コーヒーは10円取る」
「10円でも安いですよ!」
 

しかし総銀フルートを吹いてみて最初に感じたのが
「吹くのに力(ちから)が要る」
ということだった。
 
「重い金属で作られた管楽器は、それだけよく響くけど、それを吹きこなすには、息の力が必要。だからセリナ君には、そういう重い楽器に慣れてもらいたい」
とAさんが言う。
 
「あのぉ、こないだ映画に出た時は、羽鳥セシルと言われて、その名前で事務所との契約書にも署名しましたけど」
 
「私今何と言った?」
「セリナって」
「うーん。まあ何でもいいや」
 
やはり適当なんだ!
 

「ところで、あんたバイクの免許も取ってくれない?バイクに乗る設定の役を演じてもらえないかと思ってさ」
 
「私、免許取れません」
「なんで?飲酒運転か何かで捕まった?」
 
なぜそういう発想になるんだ?
 
「私、まだ15歳ですから」
「だってあんた高校生だよね?」
「高校に入学する時が15歳で、高1の途中、誕生日が来たら16歳です」
「あんた誕生日はいつよ?」
「2月25日ですが」
 
「なんて使えない子なの!」
「すみません」
 
「だったら教習所で訓練だけ受けといて。16歳の誕生日が来たところで卒業試験受けて、免許を取ってもらう」
 
「いいですよ」
 
それで恵真は月2-3回くらいのペースで自動車学校に行き、普通二輪の講習を受けることになった。恵真が通うことになった自動車学校は、半年以内に16歳(四輪免許なら18歳)の誕生日を迎える人なら入学できるようになっていたので、恵真はギリギリで入学を認めてもらった。
 
ちなみに自動車学校の書類について恵真はあまりよく考えずに“浜梨恵真・2005.2.25生・女”と記入したが、自動車学校の人は特に疑問も持たずに受け付けてくれた。住民票を提出し、健康保険証を提示しているが、保険証の記載が“浜梨恵真・女”で入学申込書と一致しているので、受付の人も、住民票が“浜梨恵馬・男”であることに気付かなかったようであった。“恵馬”と“恵真”はパッと見には、同じように見えるし、まさか性別が保険証と住民票で違っているとは思いもよらない。
 

銀のフルートを買ってもらった日、恵真が帰宅すると、珍しく弟が自室ではなく、居間にいた。
 
「あれ?フルートが2本?」
「うん。銀のフルートを借りた」
「へー。どんなの?ピカピカ光るの?」
 
「別にそんなに光らないと思うけど」
と言って恵真は2つのフルートケースをどちらも開けてみせる。
 
「三響の総銀フルートか。60万くらいしたでしょ?」
と母が言う。
 
「50万に値切ってた。借りてよかったよね?」
「全然問題無い。実質くれたんでしょ?Aさんにとっては、コーヒー1杯おごる程度の感覚だよ」
と母が言う。
「そうだと思ったから、遠慮無く借りた」
 
「あの人、銀座で1晩で1000万円使ったこともあるし」
「どうやったら、そんなに使えるの〜〜?」
 
さすがの恵真も呆れた。
 

「それでこちらが私がこれまで使ってた洋銀のフルート、パール製。こちらは今日借りることになった、銀のフルート、サンキョウ製」
と言って恵真は指し示す。
 
「銀って純銀?それとも14銀とか?」
と弟が訊くので
 
「18とか14というのは、金の場合だよ。銀は1000分率で言うんだよ。これはAg925 925‰(パーミル)の銀」
と恵真は弟に説明した。
 
「へー。言い方が違うんだ?」
 
「金だけ24分率なんだよね。だから18K(じゅうはちきん)は18/24=75%の金、14K(じゅうよんきん)は14/24=58%の金」
 
とピザを食べていた母が言う。ちなみにピザは今、母が食べているピースが最後のピースのようで、つまり弟はこのピザを食べるのに下に降りてきていたようである。ちなみに恵真の分は残っていない!
 

「金以外は1000分率なんだよね。だからPt900というのは900‰(=90%)のプラチナ」
と母。
「銀の場合は比率によって色々固有名があるよね」
 
「そうそう。そのフルートはAg925だよね?」
「うん」
 
「925‰(92.5%)はスターリングシルバー(Sterling Silver)だね」
 
と母が言うと、他にどんなのがあるの?と弟が訊くので、母はその一覧が出ているサイトを自分のタブレットで開いて弟に見せた。
 
Ag900 = Coin Silver Ag925 = Sterling Silver Ag958 (23/24) = Britannia Silver Ag1000 = Pure Silver
 
以上は一般的な名称である。
 
この他にイギリスのArgentium Silver Company が製造する Argentium Silver は、ゲルマニウムを加えて変色耐性を高めたもので、銀の含有率により Argentium 960, Argentium 935 という製品がある。フルートメーカーのアルタス社は独自の合金"Altus Silver" を開発しており、銀の含有率は946‰ (Ag946)である。また同社には997‰の銀で作られた"Metallized Silver" Ag997 という製品もある。
 
(アルタスは村松フルート製作所出身の田中修一氏が1990年に安曇野で創業したフルート専門メーカーである)
 

銀のフルートについては、普段からその楽器を使って早く慣れてと言われたので、恵真はその楽器を持って学校に行き、吹奏楽部の練習にも出た。
 
同じフルート吹きの愛絵(まなえ)ちゃんと姫良(きらら)ちゃんがすぐ気がつく。
 
「もしかしてそれ総銀?」
「うん」
 
(総銀とは、管体・座金・キィ全てが銀で作られていることを言う。銀のフルートには管体だけ銀を使用し、キィは銀メッキという製品もある。総銀より少しだけ安いが、元々銀のフルート自体が高いので、銀のフルートを買う人は多分たいてい総銀を選ぶ)
 
「高かったでしょう!」
「50万円。でも借り物〜」
「借りたんだ!」
「先輩でフルート吹く人が、このくらい使いなさいと言って貸してくれた」
「へー。もしかして、えまちゃん、その人から色々指導されてるとか」
「実はそうなんだよ」
「夏休み前から物凄く進化してたから、びっくりしたもん」
「凄く勉強になってる」
「へー」
 
「でも材質の問題より、今、リングキィに慣れるのに必死」
「ああ。まるで違うだろうね」
 
フルートのキィにはカバードキィとリングキィがある。カバードキィは指で押さえると“ふた”が閉まって穴を塞ぐ。これに対してリングキィは、そういう“ふた”が付いておらず、自分の指で穴を塞がなければならない。
 
結果的にカバードキィはしっかり確実に穴を塞ぐことができるので、正確な音程で吹くことが出来るし、指の細い人でも楽に吹ける。しかし指で少しだけ穴を塞いだりして微妙に音程を変える、ポルタメント奏法などができない。
 
両者は流儀の違い(カバードキィはドイツ系、リングキィはフランス系)なのだが、日本では初心者がカバードキィ、上級者がリングキィを選択する傾向が強い。恵真がこれまで使ってきた2本のフルートはいづれもカバードキィだった。愛絵ちゃんと姫良ちゃんもカバードキィのフルートを使用している。
 
「実は女子制服で出て行きなよ、というのもその人から唆された」
「ああ、それはもっと早く本性(ほんしょう)を現すべきだったと思う」
「私たち、えまちゃんが男の子だなんて、思ったこと無かったもんね」
「5月頃にもスカートで街を歩いてるの見たし」
「あれ〜?そんなことしたかなぁ」
 

§§ミュージックは、昨年制作して年末に放送した大型時代劇『THE 源平記』に続く第2弾として、今年は『とりかへばや物語』を制作すると発表した。主な配役として下記が発表された。
 
姫君(中納言→右大将)・若君(尚侍) アクア(二役)
左大臣 川崎ゆりこ
姫君の母 桜野レイア
若君の母 桜木ワルツ
大殿(左大臣・右大臣の父)紅川勘四郎(特別出演)
 
中納言の腹心 佐藤ゆか・南田容子
尚侍の腹心 高島瑞絵・山口暢香
 
右大臣 山下ルンバ
一の君(先帝の妻)秋風コスモス
二の君(梅壺女御)花咲ロンド
三の君(源大将の妻)七尾ロマン(新人)
四の君(中納言の妻)東雲はるこ
 
四の君の母 日野ソナタ
四の君の乳母子 町田朱美
麗景殿の女御 松梨詩恩(友情出演)
麗景殿の女御の妹 今井葉月
源大将 大崎志乃舞
 
宰相中将→権中納言 白鳥リズム
若君の乳母 原町カペラ
 
東宮 品川ありさ
東宮の宣旨 石川ポルカ
 
先帝(東宮の父)春風アルト(特別出演)
今上(先帝の弟)姫路スピカ
 
吉野宮(先帝・今上の兄)西宮ネオン
吉野の一の君 高崎ひろか
吉野の二の君 恋珠ルビー(新人)
 
その他、信濃町ミューズ・信濃町ガールズのメンバーが総出演する。また、多数のエキストラが出演するが、コロナ流行の中、エキストラの人数は昨年の半数に抑えられている。また厳しい健康管理が行われることになった。出演の3日前からホテルに拘束し、外部との接触・出演者同士の接触を禁止して、毎日検温し、撮影当日は簡易検査キットにより陰性であることを確認してから2日間の撮影に臨む。むろんギャラは5日分(5万円)払う。
 

「やはりアクアを女装させることが目的化している」
というのはネットの多くの意見であった。
 
「アクアがもし本当は女なら、男装して男役の若君を演じて、更に女の振りをすることになるし、アクアが万一男だとしたら、女装して女役の姫君を演じて、更に男の振りをすることになる」
 
「すまん。意味が分からん」
「俺も言ってる内に分からなくなった」
 

放送は昨年同様12月30日で放送局も昨年と同じΛΛテレビであるが、あけぼのテレビでも1/4-2/4の間、タイムシフト視聴ができる(特例チケット1000円が必要:一度購入すれば何度でも視聴できる。本放送時は流さない。該当時間、あけぼのテレビは放送休止!社員も休んで翌日のカウントダウン番組に備える)
 
「あけぼのテレビはサイマル放送しないんだ?」
「多分、あけぼのテレビで放送すれば回線がダウンすると思う」
「確かに」
「いや、ΛΛテレビが放映権料1億円払ったという噂がある」
「1億円でも制作費は全然カバーできないよね」
「まあ10億かかるだろうな」
 
実際には放送局は放映権料など払っていない。逆に§§ミュージックが放送料をΛΛテレビに払っている。ただし、今年ΛΛテレビは格安の放送料を提示して「ぜひ地上波で」とコスモスに言ってきた。放送局側としては、直接的な利益は小さくても、視聴率の実績が欲しいのである。アクアやラピスラズリが出る番組なら、物凄い視聴率を稼げる。
 
この番組は松芝電機の単独提供で、スポンサー料は昨年同様、§§ミュージックに直接支払われる。つまり、放送局には全くリスクが無い。掛かった制作費は、あけぼのテレビの特例視聴料、2月に発売するDVDなどの売上で回収する方式だが、昨年の源平記は最終的に3億円の黒になっている。今年も黒になるかは何とも言えない。
 

その日青葉が北陸霊界探訪の編集室に行くと幸花が
「ね、ね、これどう思う?」
と話しかけて来た。
 
「何?」
「こないだ青葉、熊出現のニュース読んでたけどさ、その熊について妙な噂が流れているのよ」
「へ?」
 
幸花が言うには、最近多数の熊目撃情報があるのだが、その中で見た熊の大きさが異様に大きなものが混じっているらしい。
 
「普通ツキノワグマって成獣でも1.5mくらいでしょ?ところが3mくらいのを見たという情報があってさ」
 
「ひょっとして、ヒグマがいるとか?」
 
「私もそう思いました」
と言っているのは今日もここに遊びに来ている真珠である。今日は相棒(?)の明恵は来ていない。
 
「役場の人とか警察に事情を聞かれて、3mくらいだったと言ったけど、そんな大きなツキノワグマが居るわけ無いと言われて、結局1.5m程度という報告にされてしまったらしいんだけどね」
と幸花。
 
「誰かがペットとして飼ってたヒグマを、飼いきれなくなって放しちゃったとかいうことありません?」
と真珠。
 
「それは可能性あるけど、万一そういうことがあったとしたら、できるだけ早く捕獲して、動物園とかで管理してもらわないと、人的な被害が出てからでは遅いね」
と青葉は言う。
 

「それでさ、その大きな熊を見たという情報があった所の位置を地図上にプロットしてみたのよ」
と言って幸花が地図を青葉に見せる。
 
「範囲が広いね」
と青葉は言った。
 
「私も困惑している」
と幸花も言う。
 
幸花が作った地図では、その“巨大な熊”の出現場所は、南は国道157号の手取湖付近から、北は能登半島の輪島市、東は新潟県の糸魚川市まで及んでいる。もっとも〒〒テレビの北陸霊界探訪のアカウントをフォローしている人しか幸花の呼びかけには応じなかったろうから、北陸霊界探訪が放送されていない新潟県で、もっと東側でも目撃されている可能性はある。
 
「ヒグマの移動範囲ってこんなに広くないですよね?」
と真珠が言うが
 
「いや、ヒグマは1年間に300-400km平気で移動する」
と青葉は言う。
 
「そんなに動くの?」
「例の三毛別事件を起こしたヒグマは、苫前で射殺される以前に、100kmくらい離れた、天塩町や旭川でも女性を喰っている」
 
「じゃ、これ同じ個体である可能性もある訳か」
と幸花は言ったが、
 
「でも青葉さん、これとかはどうです?」
と真珠が言う。
 
「8月24日に輪島市で目撃されて、翌日の25日には宇奈月温泉で目撃されてるんですよ。多少は日付の勘違いもあるかも知れないけど」
 
「それは1日の移動距離としては、さすがに遠いね」
と青葉も答えた。
 

「だったら、私たちが考えていた別の仮説があり得るよね」
と幸花が嬉しそうに言う。
 
青葉は嫌な予感がしたが、幸花に
「別の仮説って?」
と聞いてあげた。
 
「これは熊のお化けだという仮説だよ」
「うーん・・・」
 
「そうなれば、北陸霊界探訪の出番だよ」
と幸花は本当に嬉しそうだ。
 
「お化けなら何とかなるけど、本物のヒグマに遭遇したらヤバすぎるよ」
と青葉は言った。
 

さて、一般に有料放送では、次のような形式のチケットを販売することが多い。
 
PPV (Pay Per View) その番組だけを視聴できるチケット。
PPD (Pay Per Day) チケットを購入したら1日見られるもの。
PPM (Pay Per Month) チケットを購入したら1ヶ月間見られるもの。
PPS (Pay Per Series) 特定のシリーズ番組を指定して毎回見られるもの。
 
あけぼのテレビの場合、他局のPPMに相当する“定額会員”をタイムシフト視聴無しのベーシック会員で1000円、タイムシフト視聴可能なプレミアム会員で一般3000円、22歳未満2000円(但し学年方式 (*4))という低価格に設定したため、PPD, PPS などを設定する意味が無くなってしまい、現在、定額会員か、PPV(100-300円)かというシステムになっている。
 
PPSを作ろうとしても、200円×13回で2600円となり、3ヶ月間定額会員になった場合の3000円と大差無い。それなら会員になってしまえば、全ての通常番組を見ることができるから、その方がお得なのである。
 
(*4)最初「学生料金」にしようと考えたが、“学生”を証明する方法が困難ということから、年齢制にした。
 

定額会員は基本的には全ての通常のPPV番組が視聴できるが、それで視聴できない特例番組が存在する。基本的には高額のPPV番組であり、初めて実施したのが2020.8.23のアクアのネットライブである。この時は実験的な意味合いもあり1500円という価格を設定したが、∞∞プロの鈴木社長は『アクアで1500円はあまりにも安すぎる。回線がパンクしなかったのは奇跡だよ』と言って、2020.9.22のハイライトセブンスターズのネットライブでは生ライブと同額の8800円という値段設定にした。これも大きな成功を収め、その後、音楽ライブの特別視聴料金は3000-8000円程度と、生ライブと同程度の額が相場になっていく。
 
特に会場に大量の視聴者を映したモニターおよび事前に募集した書き割りと、“視聴者の声を伝える”スピーカーを並べる“あけぼのテレビ方式”では、視聴している観客から会場へのフィードバックがあるので、演奏している側も観客の前で演奏している気分になれるし、視聴者も生ライブに参加しているのに近い感覚があり、生ライブと同額でもほとんど不満の声は無かった。
 
年内のあけぼのテレビのネットライブはこれ以降、次のような日程で実施された。
 
§§ミュージック関係
2020.10.25(日) 品川ありさ from 織姫
2020.11.23(月祝) 高崎ひろか from 牽牛
2020.12.06(日) 姫路スピカ from 小浜
 
それ以外
2020.10.11(日) スパイスミッション from 深川
2020.11.08(日) UFO from 深川
2020.12.13(日) ゴールデンシックス from 深川
 
会場はその後、§§ミュージック関係は織姫か牽牛、他事務所のアーティストは深川アリーナを使用するのが定着していく。
 

3月の時点で、あけぼのテレビは当初10万回線程度でスタートするつもりだったが、会員を募集したらいきなり100万人の登録があった。それで3月30日の開局までに100万回線が使用できる状態でスタートした。TKRの親会社トリプルスターの全面的な協力が得られたおかげで回線数を確保できた。またサンシャイン映像制作の則竹部長のコネで、SF音楽学院の元校長・八重美城(みき)さんの関わりから映像関係の技術者やネット関係の技術者をかなり確保できたのも大きかった(姉妹校のSFコンピュータ学院の卒業生や元講師が多い)。
 
接続回線数については、8月までに300万回線まで増強したし、更に年末までに400万回線まで増強する予定である。それとあわせて、視聴数が高そうな番組(基本的にはネットライブ)については、8月に★★チャンネル、10月にはЮЮネットとも同時配信できるシステムを整え、年末には3ネット合わせてテレビ600万回線・ラジオ300万回線の接続が可能な状態まで整備されることになる。
 

春の立ち上げ段階で、技術者を集める鍵となった、八重美城さんは、どうも海浜ひまわり(本名:八重夏津美。§§プロの元歌手で、現在は§§ミュージック女子寮の雑用係!−無断宿泊者から昇格した)の親戚らしい。また美城さんは松本花子プロジェクトの中心人物のひとりでもあるらしく、彼女の“奥さん”は千里の古い知り合いでもあると聞いてケイは混乱した。
 
「奥さんがいるってレスビアン婚?」
とケイは千里に尋ねた。
 
「そうそう。子供もいるよ」
「レスビアン婚でどうして子供ができる?」
「XANFUSの2人や丸山アイと城崎綾香だってレスビアン婚で2人とも妊娠したし」
 
「丸山アイたちは噂も流れているように実態は、ふたなり婚なんだろうけど、XANFUSは純粋なレスビアンだよね。あれどうなってんの?誰か友人の男性とかから精子をもらったの?」
 
「よく分からないんだよねー(あまりにも乱れすぎていて状況を見ていた千里3にも分からない:桃香や優子が父親の可能性さえある)。遺伝子鑑定の必要があるかも知れないけど、鑑定の値段を聞いてあの2人ビビってるから、生まれて血液型を確認するまでは父親が誰かは分からないかも(生まれてみても分からなかったりして)」
 
「なんか最近はよく分からない」
とケイが言うと
 
「他人のこと言えないと思うけど。あやめちゃんも大輝君も複雑」
などと千里は言うが、
 
「その言葉、そのまま返す。京平君のことはだいぶ分かったけど、緩菜ちゃんもかなり複雑でしょ?」
とケイは言った。
 
(この時点では千里自身、緩菜の父親を誤認している)
 

「いや、そういう意味じゃ無いよ」
と兄の春道は、妹(元弟)の夏樹がとんでもない誤解をしたようだったので説明した。
 
「お前は子供2人作ったけど、俺の所は子供ができなくてさ」
「でもお兄ちゃん、奥さんとは仲良さそうだし、子供無くてもいいんじゃないの?」
 
「それなんだけど、実は女房の親が孫の顔を見たいと言ってさ」
「不妊治療とかした?」
「した。でも、俺の側にも、女房の側にも、どうも問題があるみたいで、色々やったけど、あまりにも金が掛かるし、女房は肉体的にも精神的にも辛いみたいだから、もう打ち切ることにした。女房も既に36歳だし」
 
「確かにあれホルモンバランスも崩れて辛いみたいね」
「そうなんだよ。見てて可哀想になってさ。お金もここ5年ほどの間に既に600万くらい使ってるし」
 
「恐ろしい」
 

「それで女房と話し合っていたんだけど、お前と女房の妹さんとの間で子供を作って、俺たちの養子にもらえないだろうかと思って。そしたら、俺の親たちの孫でもあり、女房の親たちの孫でもあるからさ」
 
「代理母みたいなもの?」
「事実上それに近いものになると思う」
 
「でも御免。私、もう精子無いんだよ。女になっちゃったから」
 
「そりゃ、お前には精子は無いだろうけど、卵子はあるんだろ?だって子供を2人も産んだんだから」
 
あれ〜?お兄ちゃん、何か誤解してる?もしかして来紗と伊鈴は私が産んだと思ってる??だけど、多分今の自分には卵子がありそうだ。
 
「でも、向こうは奥さんの妹さんなんでしょ?精子が無いじゃん」
「いや、それが・・・実は妹さんは、今の時点ではまだ精子があるんだよ。あまり遠くない時期に無くなる予定なんだけど」
 
それって・・・・
 
「まさか、MTFなの〜〜〜?」
 

9月9日(水).
 
§§ミュージックの17人の歌手が歌った企画CD『§§祭り2020』が発売されたが、既に予約段階で100万枚を超えていて、きっと伝説的なCDになると予想するFMのナビゲーターなどもいた。
 
「これって印税はどうなるんですかね?」
「山分けらしいですよ」
「ということは、あまり売れてない人にとっては美味しいのでは?」
「そういう意見はありますね」
 
このアルバムは CD \1800, CD+DVD \2700 という、これだけの曲数入っているにしては随分リーズナブルな価格設定になっている。仮に両者が 2:1 の比率で売れた場合、平均単価は2100円。これがもし200万枚売れた場合、歌唱印税は3780万円になり、17人で山分けすると1人あたり約220万円になる(ただしラピスラズリはこれを2人で分ける。リセエンヌ・ド・オはこれを4人で分ける)。
 
普段のCDは2-3万枚(単価1200円として印税は20-30万円)程度しか売れてない子も多いので、その子たちにとっては夢のようなボーナスである。
 
コスモス社長はこのアルバムの売上については、マージン方式ではなく月給方式で報酬を払っている子についても、例外的に印税方式で報酬を払うと明言している。ほんとに大きなボーナスになりそうだ。
 

各歌手(特に上位の子)のファンクラブはかなりモチベーションが高まっているようである。
 
ラピスラズリのファンクラブのメンバー(約80万人)は、ぜひラピスラズリを1位にしようというので、かなり布教して回った。これに対してアクアのファンクラブのメンバー(約200万人)も相当の危機感を持ち、万が一にも1位を奪われないように、必死の活動をしたようである。
 
しかし最も危機感を持っていたのは、高崎ひろか・品川ありさのファンクラプの会員たちである(双方とも約10万人)。彼らはこの投票は、紅白の出場者を決めるものではないかと想像していた。アクアとラピスラズリには、かなわない。となると残る指定席は1つしかない。それでひろかファンはありさに負けないように、ありさファンはひろかに負けないように、物凄く頑張った。
 
それで両者とも物凄い勢いになったのてある。
 

9月9日発売のCDはだいたい8日夕方くらいからCDショップに並ぶ。それで投票サイトは8日朝から使えるようにしていたのだが、昼過ぎにはもう投票が開始されていた。
 
とにかく、アクア、ラピスラズリ、高崎ひろか、品川ありさ、の4人への投票がぐいぐい伸びていたが、白鳥リズム・姫路スピカの得票もかなりのものであった。
 

「うちのファンクラブにも応援お願いって呼びかけようか?」
と、その日、松梨詩恩(高崎ひろかの実妹)は、ひろかに言った。
 
「いや、それはいい。だって、私と飛鳥(松梨詩恩の本名)が枠を争うことだってあるかも知れないし」
 
「まあそれはあるよね。この世界は仁義なき戦いだから。私も紅白なんて1度は出てみたいけど」
 
「私とあやちゃん(品川ありさの本名は佐藤絢香)は過去に何度も1つの枠を争って、ある時は私が勝ち、ある時は向こうが勝って、他方は涙を呑んでる」
 
「ライバルなんだね」
「うん。最高のライバルであり、最高の親友」
「仲がいいのかな」
 
「昨日もテレビ局で一緒になったから、一緒におやつ食べながら、おしゃべりしてたよ。寮に帰る車の中でだけど。運転してた崎山君が『仲いいんですね』と言うから、ふたりとも『うん』と言った」
 
「なるほどねー」
 
「寮の部屋も隣同士だし」
「最初からそうだったっけ?」
「初期の頃は、私の部屋とあやちゃんの部屋の間に龍ちゃんが入っていたのよ」
「あ、そういやそうだった!」
 
松梨詩恩は、ずっと自宅から仕事に通っていたので、寮に入ったことは無いのだが、頻繁に姉を訪ねてきて、そのまま寮に泊まったりもしているので、女子寮にいる龍虎(アクア)をよく見ている。
 

「そういえばさ」
と松梨詩恩は言った。
 
「うちの事務所(♪♪ハウス)から大型新人が近い内にデビューするらしいよ」
「へー。歌手系統?お芝居系統?」
「まず写真集を出すらしい。ちょっと見せてもらったけど、すっごく可愛い。振袖写真とか、お姫様みたいなドレス着た写真とかも、すっごく良かった」
 
「ほほぉ」
 
「『ヒカルの碁』の映画にも受験生役でゲスト出演したらしい。1月からドラマとかクイズ番組とかにも出演予定とか。レギュラーではないけど」
「プッシュしてるね!」
 
「うちの事務所から男の子タレントを売り出すのは久しぶりみたい」
 
「ちょっと待って。さっき振袖写真とかお姫様ドレスとか水着写真とか言わなかった?水着って男子水着なの?」
 
「違うよ。女の子水着だよ」
「女子水着を男の子が着るの〜〜〜?振袖とかドレスもだけど」
 
「可愛いから、いいんじゃないの?この子も、アクア同様に性転換させてからデビューさせようかという話もあるらしいよ。本人も性転換するのは構わないと言ってるらしいし。実際学校には女子制服で通っていると言うし」
 
「アクアって、性転換してんだっけ?」
と、ひろかは改めて訊いた。
 
「龍ちゃんはたぷん元々は男の子の一卵性双生児なんだと思う」
「双子??」
 
「だから2人は体型が同じなんだよ。元々のベースが同じだし、同じ体型になるように気をつけている。でも片方は大病をして、手術跡がお腹にある。もう片方の傷跡は偽装。そして手術を受けた側は腫瘍と一緒に睾丸も取って治療のために女性ホルモンも投与されていた。だからほとんど女の子と同じ。たぶんちんちんも無い。もしかしたらデビュー前に手術して取っちゃったのかも。だから女子水着を違和感無く着られる。事実上の性転換手術だけど。お姉ちゃんも、龍ちゃんのちんちんの無いお股見てるでしょ?」
 
「見てる見てる。だいたい花ちゃんとか、優羽(ことり)ちゃんとかが仕掛けて、寮生で龍のヌードを鑑賞してる。確かにちんちんは無かった」
 
松梨詩恩は言う。
 
「そもそも女子寮に龍ちゃんが入っていたのが、既に性転換済みだった証拠だと思う。女の子に改造された龍ちゃんは当然声変わりしないから声域が広い。歌を歌っているのは、いつもそちらだよ。龍ちゃんって、高校に男子制服で出てくる日と、女子制服で出てくる日があったけど、恐らく女子制服着てたのが、お股改造済みのほうだと思う。女子制服着てたら、女子トイレ使うのに抵抗ないし。つまりきっと2人交替で学校に来てたんだよ。男子水着になるのは、睾丸のある方。テレビ局で毎年やってた性別検査番組に出てたのも、そちら」
 
「また新たな説を聞いた!」
と高崎ひろかは言った。
 
「だって龍ちゃんのあの猛烈なスケジュールは1人ではとてもこなせない。きっと2人で分担して仕事してるんだよ」
 
「確かに龍って2〜3人いるんじゃないの?と思ったことあるけど」
 

風山早太は9月中旬、久しぶりに休みをもらって帰宅することにした。前回は川口市の無人の自宅に帰ってしまい、寂しい思いをしたのだが、今回は前日に妻の歩に電話し、帰宅の予告をし、場所も妻が日々寝泊まりしているという、代々木の事務所(歩の妹が設立した会社のオフィスらしい)の場所を聞いてそちらに向かった。代々木支店に行く同僚に乗せてもらって、支店から歩いて行った。
 
オフィスは雑居ビルの4階にあった。辿り着いたのが夜8時だったので、当然オフィス自体は閉まっていると思っていたのだが、灯りが点いているし、ドアも開く。
 
「いらっしゃいませ」
という声があり
 
「なんだ。あんたか」
と妻が言う。どうもスマホでゲームをしていたようだ。
 
「久しぶりに会うんだから、もう少し嬉しそうな顔しない?」
「7年も経つと惰性だしね〜」
「そこで愛してるよとでも言って欲しいな」
「はいはい、愛してますよ、マイハニー」
「なんか適当だなあ」
 

カウンター横の通路を鍵を開けて通れるようにし、早太を中に入れる。入口のドアをロックし、カウンター横の通路もロックする。
 
「まだオフィス開けてるの?」
「ここは芸能事務所だから、だいたい22時くらいまでは人が来ることがある」
「遅くまでやってるんだなぁ」
「まあだから私がお留守番してるんだけどね。昼間は別の子がお留守番してる」
「へー」
 
それで歩は早太をカウンター内のオフィスの内側へ通した。ここも鍵の掛かる扉を通る。通してからすぐロックする。
 
「厳重なんだな」
「昼間も夜も女1人で留守番してるからね。用心には用心をする」
 
内側の部屋では暖かいスキヤキができている。
 
「まだスキヤキの季節じゃないけど」
「いや食べる」
 
と言って、早太はスキヤキも御飯もモリモリ食べた。冷蔵庫に早太の好きな麒麟ラガービールも冷えていて、歩が出してきたのでそれもごくごくと飲む。
 
「美味しい美味しい」
「良かった良かった」
 

「でも。いつも留守番だけなの?」
 
「妹は三鷹のマンションに居て、だいたいそこで仕事もしちゃう。設立した事務所の唯一の社員は大阪に住んでいる。私は身分的にはバイト。昼間のお留守番をしているもうひとりのバイトさんは吉祥寺に住んでいる。ここは実は荷物を受けとったり、仕事が遅くなった時に仮眠する場所として使っているだけだよ」
 
「大阪に住んでいるならリモート勤務か」
「そうそう。今、時代はリモートだよ。私たちもリモート夫婦だし」
 
「でも今日はリアルで会えたよ」
 
「セックスもリモートでいいよね?」
「今日はリアルでしようよ」
 
と言って、早太は歩のそばに寄るとキスした。
 
「ここはオフィスなんだけど」
「オフィスラブだな」
「バレたら懲戒もんだなあ」
と言いながら、歩は早太に押し倒された。
 

「だったらリモートでできません?」
と真珠は言った。
 
火牛スポーツセンター北側に並べられた彼岸花であるが、最初に咲き始めた青い彼岸花に続いて、9月中旬頃になると、赤・白・黄の彼岸花も咲き始め、4白の彼岸花が並んでいるのを楽しめる状態になった。
 
アクアゾーンの遊泳プーフルはさすがに夏休みが終わって人も少なくなっていたのだが、その少ない利用者たちが、アクアゾーン外周の“流れるプール”から撮影した画像を写真投稿サイトなどにアップしたりしていた。
 
ジョギングコースの方からも撮影できるのだが、プール側から撮影すると、4色の彼岸花をワンショットで撮影できるポイントがあり、そのポイントが人気だった。ここはジョギングコース側からは逆光になりやすいのである。むろんそちらから逆光にもめげず、きれいに撮影した上手な人たちもあった。
 

「ね、ね、こういうことやってみませんか?」
と幸花はちょうど会議から戻ってきた神谷内ディレクターに言った。
 
「まず熊に関する一般的な情報を流すんですよ。熊の生態について専門家の意見とかも聞いて。それで熊に遭遇した時の対処法とかも詳しく解説する。その上で噂になっている“巨大熊”に遭遇したら、番組に通報してもらう。そしたら、金沢ドイルがそこにテレポートして、その熊をやっつける」
 
「テレポートなんてできないけど」
と青葉は苦笑しながら言う。
 
「できないの?」
 
「人間が瞬間移動とか物理学的に不可能だと思うけど」
 
と言いながら、それは千里姉の得意技だよなと思う。このコロナ下でも自由に日本とフランス・スペインを毎日のように行き来しているみたいだし。自分に打ったのと同じワクチンを千里姉自身も“青葉の後で”打ったみたいだから、感染確率は低いだろうけど(若葉なども、すすんで接種している)。
 
「でも素粒子はテレポートするよね?」
「まあ、それが“どこでもドア”の動作原理だろうけど、実際には人間みたいな巨大な物体をテレポートさせるのは凄まじいエネルギーが必要だと思うよ。恐らく原爆数万個分」
 
「地球が壊れたりして」
「地球が壊れる所まではいかないけど、東日本大震災クラスのエネルギーだね」
「あれって、そんな凄まじいの?」
「あの地震は確か原爆3万個分くらいだったと思う」
「恐ろしい」
 

「まあ、巨大地震を起こしたら迷惑すぎるから、そういう計画はやめたほうがいいね」
と神谷内さんは言う。
 
その時真珠が
「だったらリモートでできません?」
と言った。
 
「ほぉ」
 
「熊と遭遇した時、うちの番組スタッフに通報してもらうんです。それで青葉さんがリモートでその巨大熊をやっつける。
 
「まさか、私にずっとここに待機してろって言うの〜?」
 
「青葉さんと、幸花さんと明恵ちゃんと3人で交替で待機とか」
と真珠は言ったのだが、
 
「それは当然、真珠ちゃんもだな」
と幸花に言われた。
 
「ああ、完全なヤブ蛇」
と神谷内さんが笑っていた。
 

しかしこの計画は実施することにしたのである。
 
基本的なやり方はこうである。
 
“通報用”のスマホを1台確保し、そこに通報があった時、そのスマホを持っている人が青葉に報せて対処してもらう。この場合、青葉には、電話の相手が見た“熊”の正体は多分分かるだろうという前提に立つ。
 
実際、青葉も「多分分かる」と言った。
 
あり得る可能性は3つ。
 
・ただの(?)ツキノワグマ
・ヒグマ(“捨て熊”の可能性あり)
・お化け
 
幸花はこのようなスケジュール表を作った。
 
時間帯_ 青葉所在_担当
0600-1200 放送局_ 幸花
1200-1800 津幡__ 真珠
1800-2100 津幡__ 吉田
2100-2400 自宅__ 吉田
2400-0600 自宅__ 明恵
 
スマホを持つのは、幸花・明恵・真珠(初海)・吉田の4人(5人)である。
 
青葉は普通に生活・仕事をしていればいい。もし通報があったら、青葉に声を掛けて対処してもらう。それで青葉が練習中なので気付かないとか、ニュースを読んでいる最中で対応できない、といった事態を避けられる。ちなみに、青葉がニュースを読んでいる最中や直前の打ち合わせ中などは千里姉に対処してもらうことで、千里姉の了解も取った。
 
「私ゲストなのに」
と真珠は言ったが
「まず隗(かい)より始めよ」
と幸花は言った。
 
「それ誤用だと思うんですけど」
と真珠は文句を言う。
 
「まず隗(かい)より始めよ」というのは、良き参謀が集まらないと嘆く燕の昭王に対して臣下の郭隗(かくかい/クォクイ)が言った言葉である。「まず私から始めて下さい。私のような愚臣が優遇されていると聞いたら『あんな奴でも優遇されるなら、自分はもっと優遇されるだろう』と多くの優秀な人が集まってくるでしょう」と。それで昭王は隗に立派な館を建ててやり、師として大事にした。するとそれを聞いて、樂毅・鄒衍・劇辛などの人材が集まってきて、以降、燕は国力が高まっていくことになる。
 
それで本来は提唱者が優遇されることを「まず隗より始めよ」と言ったのだが、日本では近年この言葉は「言った人がまず自分でやれ」という誤った使い方をされることが多い。
 

吉田君は
「なんで俺が頭数に入ってんだよ!?」
と言った。
 
「まあいいじゃん。タダで使える人があまり居ないのよ」
「つまり報酬無しかい!?」
「晩御飯くらいはおごってくれるって」
 
「プールでは水着着てね」
「そのくらいはいいけど」
「あそこのプールは女子専用だから女子水着を着てね」
「そんなの着ねえよ!」
「男子水着で中に入ろうとすると射殺されるようになってるから」
「どういうシステムだよ!?」
 
でも幸花は吉田をうまく乗せて、女子水着を着せてしまうのである!
 
いつも女子水着で泳いでいる筒石が
「仲間ができて嬉しい。やはり吉田君、女の子になったの?」
などと言っていた。
 

実際にはこのような体制で臨むことになった。
 
明恵は当面青葉の自宅に泊まり込む!夜中にバイクで青葉の自宅に行き、青葉の自室で一緒に寝せてもらう。朝、青葉の車に同乗して放送局に行くが、この時、幸花も拾って一緒に行く。ここで幸花にバトンタッチする。
 
幸花は午前中放送局内で待機し、何かあった場合は青葉または千里に連絡して対処してもらう。お昼に真珠がバイクで放送局にやってくるのでスマホは幸花から真珠にバトンタッチされる。真珠は青葉の車に同乗して津幡に行き、青葉の練習に付いている。
 
夕方、勤務を終えた吉田がバイクで津幡にやってくるので、スマホを引き継ぐ。真珠は吉田が乗ってきたバイクで帰宅する。吉田は青葉の練習に付いていて、練習が終わったら一緒に青葉の自宅に移動し、夕食も頂く(神谷内さんが吉田君の食費と言って月3万円青葉に渡すことにした)。そして12時頃に明恵が来たら交代して、吉田は明恵が乗って来たバイクで帰宅する。
 
真珠がお昼に自宅から放送局に乗って来たバイクは翌朝、明恵が帰宅するのに使う。そして夜中になると、そのバイクで青葉の自宅に行く。吉田が帰宅するのに使ったバイクは翌朝出勤に使い、夕方には津幡に行くのに使う。
 
バイクから見ると3台のバイクが各々次のように循環する。
 
1朝 吉田宅(吉田)銀行
1夕 銀行(吉田)津幡
__ 津幡(真珠)真珠宅
2昼 真珠宅(真珠)放送局
3朝 放送局(明恵)明恵宅
3夜 明恵宅(明恵)青葉宅
__ 青葉宅(吉田)吉田宅
 
朝の時点で見ると3台のバイクは、吉田宅・真珠宅・放送局にあるのである。この3台は、明恵のYamaha YZF-R25(青葉から借りっ放なし)、真珠のSuzuki GSX250F(兄から借りっ放なし)に加えて、明恵の友人・初海の Kawasaki Ninja 250 (彼氏から借りっ放なし!)も借りることにした。そして初海自身にもこのミッションに参加してもらうことにした!
 

明恵たちが通っているG大学では、出席番号の偶数組と奇数組に分けて、一週間おきに、リアル授業とリモート授業をしているが、明恵と真珠はどちらも奇数組である。しかし初海が偶数組だったので、彼女に協力してもらうことにしたのである。
 
明恵は夜の担当なので大学生活には問題は無いのだが(朝御飯まで青葉の家でもらえるし朝も起こしてもらえるので天国)、真珠の担当は午後なので授業とぶつかる。それで真珠がリアル授業を受ける週は、初海に↑の真珠のパートを担当してもらうことにしたのである。
 
なお、初海は大学近くのアパートに住んでいるので、バイクが無くても大きな問題は無い。真珠は問題がある!のだが、当面大学に行く日は母に送り迎えしてもらうことにした。
 

“特設・巨大熊取材班”についての告知は、9月18日(金)深夜に『緊急特番・北陸巨大熊探訪』として放送することにした。
 
ツキノワグマを飼育している富山市内の動物園にも取材に行き、担当の方にお話しを聞くとともに、ツキノワグマの映像も撮影させてもらった。この人からは、ツキノワグマへの“愛”を感じて、幸花たちは、いい所に取材したと思った。幸花たちは、世間に出回っている“熊”に関する情報が、ヒグマとツキノワグマをごっちゃにしていると感じた。
 
「やっぱりツキノワグマっておとなしい生き物なんじゃないの?」
と幸花は言った。
 
「そうだと思いますよ。ただ力が強すぎるから、人間が素手で喧嘩したらかなわない」
「まあ、あまり喧嘩したくないね」
「やはり偶然遭遇してしまった場合は、平和的に離れるというのが基本ですね」
「悲鳴をあげたり、背中向けて逃げたりしてはいけない」
「それはそもそも野生動物に対峙した時の基本ですよね」
 
「アメリカでは、アメリカグマは神様が造ったもので、ヒグマ(グリズリー)は悪魔が造ったもの、という伝説もあるらしいですよ」
「なるほどー」
 
その後、金沢市のクマ担当の人、山岳会の人、大学の先生にも取材して、クマの生態や、遭遇した場合の対応について解説してもらった。
 
それで番組を編集していたら
「ちょっと北海道までヒグマの映像を撮りに行ってこない?」
という話が、千里姉から持ち込まれてきたのである。
 

「確かに北陸にはヒグマを飼育している動物園が無いんだよね」
 
千里姉の話によると、年明けくらいにデビューさせる予定で現在レッスンなどを受けさせている新人タレントさんの水着写真を撮りたいので、津幡アクアゾーンに来るらしい。普通のプールとかでは感染対策に不安があり、その対策が完璧と思われる津幡に来るのだと言う。感染対策の完璧なプールとしては、首都圏近くなら、同じムーランリゾートが運営する郷愁アクアリゾートもあるが、あちらは屋外プールなので夏以外の撮影は厳しい。
 
それで東京から津幡までの移動にプライベートジェットを使用するので、そのまま青葉たちを同乗させて北海道に飛び、そのタレントさんも北海道で写真撮影をするという話なのである。
 
「帰りは?」
「日曜は旭川から羽田に戻るけど、翌日でも良ければ、羽田から能登に飛んでいいよ」
「うん。それでいい。お願い。ところで費用は?」
「運賃はタダでいいよ。山村の趣味で飛ばしてるだけだから」
「じゃ遠慮無く」
 
実際には能登→旭川→羽田→能登の燃料代は恐らく30万円くらいではないかと青葉は想像した。タレントさん側と折半して15万円くらいという計算も成り立つが、千里姉はアバウトな人だし、お菓子でも渡せばいいよね?と青葉は思った。
 
 
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【春金】(3)