【春宵】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-06-20
「前後を入れ替えると意味の変わるものってあるよね」
と飛鳥は言った。
「出演といえば映画やドラマに出ることでピンからキリまでだけど、演出は偉い人」
「うん、偉い人」
と龍虎も言う。
「母乳はおっぱいだけど、乳母はそのおっぱいを出す人」
「なるほど」
「規定はルールだけど、定規はルーラー」
「あ、それうまい」
「彼の婚約者は女だけど、婚約者の彼は男」
「まあ最近はよく分からないけどね」
と成美が言うと
「確かに」
と桐絵も同意する。
「チームの先輩は同じチームにいるけど、先輩のチームなら多分他のチーム」
「言えてる、言えてる」
「娘の男なら、娘さんのボーイフレンドだけど、男の娘なら女の子に見える男の子」
「龍ちゃんみたいなのだね」
と由美が言うと
「ボクは違うよー」
と本人。しかし成美は
「龍ちゃんは普通の女の子だよ」
と言い、その場に居た多くの人がそれに同意した。
「だって龍ちゃん生理あるし」
と成美。
「龍は中3の時以来、生理来てるよ」
と彩佳。
「中3で初潮って遅いね」
「病気のせいで成長が遅れていたんだよ」
「なるほどー」
「でも生理がある以上、間違い無く女の子だね」
龍虎はもういいやと思った。生理が来てしまったのはその年の春に《じゅうちゃんさん》が龍虎の身体に勝手に埋め込んでしまったもののせいだ。現在生理があるのはFだけだが、Fが生理の時はMやNも生理痛を経験する。3人の血液や体液は共通に流れているらしい。Nが火傷した時、MやFもその部分が水ぶくれになった。
「消毒の道具なら、消毒をするための道具だけど、道具の消毒なら、道具を消毒すること」
「主体と客体の交換だな」
と洋子が難しいことを言う。
「秋の夜なら秋の季語だけど、夜の秋は夏の季語」
と飛鳥が言うが
「そうなの?」
と疑問を持つ子が多い。しかし
「うん。それで間違い無い。夜の秋は秋を感じるような晩夏のことで、夏の季語」
と洋子が追認した。
「だけど秋の夜長ということばがあるのに対して、春の夜は短いってイメージがあるよね」
「それは秋は夜がだんだん長くなっていく時期だし、春はだんだん短くなっていく時期だからね」
「あっそういうことか」
「だから中国の古典には春宵一刻値千金(春の宵の一刻は千金に値す)ということばもある」
「ほほお」
「春の夜の夢の浮橋途絶えして峰に分るる積雲の空」
と彩佳が藤原定家の歌を暗誦する。
「百人一首だっけ?」
「百人一首には入ってない。百人一首の選者の、藤原定家の歌だよ」
と彩佳。
「百人一首の歌なら、周防内侍の歌、春の夜の夢ばかりなる手枕に甲斐無く立たむ名こそ惜しけれ」
と洋子、
「なんであんたたち、そんなにスラスラと歌が出てくる?」
と香代が呆れるように言った。
「夜中に男女数人でおしゃべりしてた時、周防内侍が眠いと言ったら、藤原忠家が『僕の腕を枕にするといい』と言って、手を出してきたのに対して詠んだ歌だね」
と彩佳。
「平安の男女交際は明るいね」
と飛鳥。
「日本人って元々そういうおおらかな気質だと思うよ」
と成美も言った。
西湖は古典の授業を受けていた。
「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人も終には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ」
と先生は文章を読み上げてから
「美しい文章だな。物凄くリズムが良い。“あり”“ごとし”“おなじ”と韻を踏んでいるのに2行目の“久しからず”だけ韻をわざと外している。こういう所には筆者の美学を感じる」
と先生は陶酔するように言った。
「あまりにも美しい文章だから意味も考えずに読んでしまう。浅井、現代語に訳してみろ」
「はい」
と言って童夢は立ち上がり、この美しい文章の訳を試みた。
「祇園精舍の鐘の音は諸行無常の響きがあります。祇園精舎というのは昔インドにあったお寺の名前。そこの鐘の音を聞くと、諸行無常、全ての物事は決して不変であることはない、ということを認識させます。ついでに言うと、祇園精舎があった頃、お寺には鐘はまだ無かったそうです」
「おお、よく知ってるな。それ先生も言おうと思ってた」
「今は寺には鐘があるから、昔もあったろうと思ってしまう。でもそうではない。今はみんなスマホ持ってるから、デートで相手が来なかったら電話してみればいいじゃんと思うけど、これが50年くらい前にはそんなもの無かったから、相手が来るまでひたすら待っていたそうです」
「そうそう。簡単に相手と連絡が取れるようになったのは20年くらい前からなんだよ」
と先生も言う。
「娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。娑羅というのはインドによく生えている木の名前で日本で建築によく使うラワンの親戚だそうです。お釈迦様が亡くなった時、病床の枕元に娑羅の木が2本あったのを娑羅双樹と言い、これは仏教の涅槃(ねはん)の象徴となっています。その娑羅双樹の花の色には、盛者必衰、盛んになったものは必ず衰えるという原理が表されているのです」
「驕れる者久しからず。勢いに乗り人の上に立ち誇らしげに振る舞っている者も長くはない。ただ春の夜の夢の如し。まるで春の夜の夢のように儚(はかな)い。ここで春の夜の夢が、はかない物のたとえに使われているのは、過去にそのような歌がたくさん詠まれているのを背景にしたものだと思います」
「うん。たとえば?」
「後撰和歌集、詠人知らずの歌。寝られぬを強ひて我ぬる春の夜の、夢を現(うつつ)になす由(よし)もがな。この歌、最後の所は胡蝶の夢を下敷きにしてますね」
「おお、よく知ってたな。胡蝶の夢は私もそうだと思う」
「先輩からもらった去年の先生の授業のノートに書いてありました」
という所で笑い声がある。
「まあ種明かししていなければ、秀才と思ってもらえたものを」
「“昔は物を思はざりけり”の世界ですね」
「そうそう」
西湖は童夢と先生のやりとりが、さっぱり分からない!
「猛き人も終(つい)には滅びぬ。勢いの盛んな人もやがては滅びる。偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。全く風が吹いてくる前にある塵のようである」
「完璧だったな。まあお前の先輩はよく勉強していたようだ」
西湖は思っていた。ローズ+リリーのケイさんが言ってた。10年前に自分たちは駆け出しで、自分たちの思うような活動ができず、色々な人の思惑に翻弄された。たくさんの先輩たち、偉い人たちに無理難題を言われたけど、その頃上に立って権勢を極めていたアーティストや組織のトップとかがどんどん居なくなってしまいいつの間にか自分たちがまるでトップみたいに思われるようになった。次は自分たちが衰えていく番だろうと。
そういえばこないだ★★レコードの社長さんも変わっちゃったよなあと西湖は思っていた。前の社長さんにかなり無茶なこと言われて、ケイさんたちは随分消耗したみたいだったけど。新しい社長はケイさんたちを最初から贔屓(ひいき)にしていた、えっと・・・町園さん(*1)とかいったっけ?きっと、そういう人が社長になったということは、これからケイさんんたちの黄金時代が来て、その後はきっと衰えていくのだろう。そしてたぶんアクアさんも、あと数年経ったらトップに立って、やがて衰えていくのかな?その頃、自分は何をしているのだろうか?
(*1)たぶん町添の間違い。
などと授業とは関係無いことを考えていたら当てられた。
「はい、天月(あまぎ)。ここの“承平(じょうへい)の将門(まさかど)”、“天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)”、“康和(こうわ)の義親(ぎしん)”、“平治(へいじ)の信頼(しんらい)”、この将門・純友・義信・信頼の苗字は?」
話を全く聞いていない!
ここて西湖が答えた内容は数年後までこの先生の笑いのネタにされることになる。
「えっと・・・スミトモって、生命保険ですか?」
教室は爆笑になった。もちろん授業をちゃんと聞いていたとしても、西湖が答えられるような問題ではなかった。
笑っているだけでは授業が進まないので先生は別の子を指名する。
「青島は分かるか?」
「えっと・・・平将門(たいらのまさかど)、藤原純友(ふじわらのすみとも)、源義親(みなもとのよしちか)。・・・・信頼が分かりません」
「月浜?」
「保元平治の乱の人ですよね。信頼は苗字がなかったのでは?」
「惜しい!小坂?」
「それすごく紛らわしいんですけど、保元の乱の後、最初にトップに立った信西(しんぜい)は苗字が無いんですけど、信頼は藤原信頼(ふじわらののぶより)です」
「それが正解。ちょっと日本史の時間になったな」
西湖はさっぱり分からない!と思った。方言平次の乱とかって何だったっけ???
「苗字がないって、よく言われるんですよねー」
と星良は店長に言った。お店ではみんなネームプレートをつけているが、通常は苗字の、ひらがな書きのテプラを貼り付けている(ローマ字で書いている人もいるようだが好み?)。しかし星良(つつ・あきら)は「つつ」が漢字と結びつかないと言われてネームプレートには「せいら」と書かれている。
すると今度は「君の苗字は?」と訊かれることがあるのである。
それで、そもそも星良があちこちの書類に名前を書くと「苗字から書いて」と言われるという話になったのである。
「何なら苗字を付けてあげようか?」
と副店長が言う。
「付けるんですか?」
副店長は「升星良」と書いた。
「すみません。読めません」
「ます・せいら、というのでどう?」
「“ます”って何か意味があるんですか?」
「セイラ・マスを知らない?」
「知りません」
「今の子は知らないかぁ」
と副店長は嘆いていた。
「せめて、“ますだ”か何かにする?」
と店長は言ったのだが、結局星良の“苗字”は女性トレーナーの西山さんが「来宮星良」にしようと言って来宮に決めてしまった。『小公女』のヒロイン、セーラ・クルー(Sara Crewe) から採ったもので、星良も「ああ、セイラ・クルーなら分かります」と言った。もっとも名札は「せいら」のままである。お客さんから苗字を尋ねられた時に「くるみやです」と答えることにしたのである。
ローズクォーツの“初代代理ボーカル”鈴鹿美里は9-10月は全国ツアーをしていた。
中学生でデビューした2人も、昨年20歳の誕生日を迎え、今年8月には21歳になった。
「20歳過ぎたから性転換するの?」
などと親しい人からは言われたものの、鈴鹿は実は性転換手術が恐い!
「めったに死ぬもんでもないし、ちょっと行って、ちょっと切ってくればいいのに」
と美里は言うものの
「そう簡単に言わないで〜」
と鈴鹿はまだためらっている。
「だって、どうせその内手術するんでしょ?さっさとすればいいじゃん」
「それはそうだけどさ」
一応事務所からは、手術は年末年始などの多忙期を避けてもらえば3ヶ月くらいお休みをあげるよと言われている。
今年の夏には、ある雑誌に「鈴鹿美里の美里は昨年性転換手術をして女の子になっていた」なんて記事が載って、さすがの美里もぶっ飛んだ。
「なんで私が性転換しないといけないのよ〜?」
「私たちの性別、わりと誤解されているよね。美里ちんちん切ってもらう?」
「ちんちんなんて要らんけど、付いてないし」
「まあふたりの性別は公開してないからね」
とマネージャーの前鹿川さんも笑っていた。
記事には、鈴鹿美里が、性転換手術で休養するローザ+リリンに代わってローズクォーツの代理ボーカルをするなどとも書かれていたが、念のためローズクォーツの事務所 UTP に照会してみたら
「マリナちゃんは苗場ロックフェス(7.28)の直後8月上旬に性転換したけど、本人が元気なので休養は不要です」
という話だった。
(鈴鹿も美里も前鹿川も、棒那市の“痴漢”を報道した深夜番組は
見ていない)
性転換手術したのに休み無しなんて、無茶なと思ったが、以前UTP
にも一時期在籍していた前鹿川さんは
「ケイちゃんなんて、性転換手術した3日後にライブで歌ってるから」
などと言う。
「ケイ先生、すごーい」
と美里。
「さすがにそんなことする自信は無い」
と鈴鹿は言った。
実際にはケイは(本人の主張によれば)2011.4.3に性転換手術を受け、1ヶ月後の5.4に徳島のライブで歌っている。しかし一般にはケイの手術の時期については別の説が流布している。
2007.11.10 新宿の病院で性転換手術を受ける(ケイの友人が証言)
2007.11.24 KARIONのライブで歌う(美空が記念写真を保有)
2008.08.25 大阪の病院で性転換手術を受ける(その病院で見たという証言)
2008.08.30 富士急ハイランドでローズ+リリーのライブ(多数の目撃)
2009.01.08 タイで性転換手術を受ける(7日と10日に成田で見たという証言あり)
2009.01.11 ドリームボーイズのライブにダンサーとして出演(多数の目撃)
一般にケイの性転換時期に関しては、KARIONデビュー前という説(2007.11説)とローズ+リリーの休養中という説(2009.1説)の2つが特に有力で、本人が主張する2011年説は、ケイ本人以外誰も信用していない!マリでさえ否定していて、2011年4月にケイはタイには渡航したが観光していたと証言している。
実際、本人が主張している2011年4月3日の翌日にケイは広島市で目撃されており、4月3日にタイで手術を受けたというのはあり得ないということにネットではなっている。
さて今回の鈴鹿美里のツアーはこういう日程であった。全国15ヶ所である。
9月14日(土)横浜
9月15日(日)高崎
9月16日(祝)金沢
9月21日(土)浜松
9月22日(日)神戸
9月23日(祝)福岡
9月28日(土)札幌
9月29日(日)仙台
10月5日(土)那覇
10月6日(日)熊本
10月12日(土)大阪
10月13日(日)高松
10月14日(祝)広島
10月19日(土)名古屋
10月20日(日)東京
この日程中に3連休が3回あるが、3日とも公演をやる。
「3日連続ですか?」
と言ったものの
「若いんだから頑張ろう」
と言われた。しかし高校生時代とか1日2回公演なんてのもこなした。あれはあの当時の体力でも辛かった。さすがにもうそういうハードすぎる日程は入れられなくなった。
夏樹はバイクでのお遍路を10月2日の朝、1番札所・霊山寺で打ち上げ、その日の日中は徳島市の旅館でひたすら寝て、夜中にバイクで夜通し走って千葉に帰還した(高速代節約のため長距離走るのは夜中)。
その足で香取市の実家に寄り、納経帳と旅の途中で撮影した写真(全札所の山門・本堂・大師堂の写真を含む)の入ったSDカードを父に渡すと、10月3日(木)から会社に出社した。先日と同様に夏樹が通訳を務めて、チタの教会の担当者と、坂本さんとで話をさせて、向こうの状況をできるたけ詳しく聞き、必要そうな道具や部品の準備をした。
そして土日はゆっくり休んだ上で10月7日にモスクワ行きの飛行機に乗った。チタには10月9日の朝到着し、現地で調査をする。かなりの部品交換と調整が必要なことが分かり、夏樹が助手を務めて修理作業をおこなった。
その作業が10月23日にやっと終わり、2人は翌日朝の便で帰途に就いた。
HTA 10/24(Thu) 9:50 (S7118 737-800) 10:30 DME (6'40)
SVO 10/24(Thu) 19:00 (SU260 777-300ER) 10/25 10:30 NRT (9'30)
ところが成田に着いてみると、おりからの豪雨である。本当に着陸できるか不安だった。機内では関空にダイバートするかもというアナウンスも流れていたが、ロシア人の機長は「ハラッショー、ハラッショー」と言ってやや強引に着陸したらしい。機体が物凄く揺れて、夏樹は思わず南無阿弥陀仏と唱えた。
それで成田空港に到着はしたものの交通機関が停まっていて空港から出られない!坂本さんと2人で空港で一晩明かすことになる。
「ずっと気になってたけど、古庄君、君って実は女の子だということは?」
「実は性転換しちゃったんです。でも当面仮面男子続けるつもりです」
「そうなんだ!もし会社に性別の取り扱いを変更してもらう時に、揉めそうだったら、僕も助力するから」
「ありがとうございます。心強いです。でも多分先に戸籍を直さないと、会社での扱いは変えてもらえない気がするんですよね」
「ああ、そうかも知れないね」
10月26日の午後になって、何とか電車が動き始め、2人は千葉市の会社に帰還した。しかし会社には誰もいなかった! 正確には社長を始め数人だけが来ていた。
「精算しないといけないよね?」
「経理の人が出て来てからでいいですよ」
「暫定的に4〜5万貸そうか?」
「それはありがたくお借りします」
それで社長から5万ずつ借りて、夏樹も坂本も自宅に戻ることにする。
夏樹は会社にバイクを駐めていたので、それで“帰宅”したものの、自宅アパートがあった付近は、瓦礫の山と化していた。
夏樹はお遍路の納経帳を父に渡しておいてよかったと心底思った。母に連絡を取ってみると、香取市の実家は多少の被害は出たものの無事ということだった。
「アパートが無くなっちゃったの?あんたどうするの?」
「これから考える」
「うちに来る?」
「香取からは通勤大変だし数日考えるよ」
「泊まる所は?」
「何とかする」
正直な所、実家に長期間滞在していると、女の身体に既になっていることがバレて叱られそうな気がしたのである(親には12月に手術を受けると言っていた)。
なお夏樹はコーディネーター会社に連絡して、別口で手術を受けられることになったのでタイでの手術はキャンセルしたいと伝えたのだが、近い時期のキャンセルなので予約金は戻ってこないかもと言われた。
今回の千里の一連の“犠牲者”の中で、性転換手術の代金を一部でも払ったのは実は夏樹だけである。
(実際には年末になって半額返してくれたので“新生活”のスタートにとても助かった)
夏樹は(元妻の)季里子に電話してみた。
「きりちゃんは避難所に避難してるんだ?家は?」
「分からない。見に行きたいけど恐くて」
「ボクはバイクが無事だから一緒に見にいこうか?」
「助かる」
それで夏樹は季里子が避難している避難所まで行き、季里子を乗せて彼女の実家のある(あった)付近まで行ってみた。
バイクに季里子を乗せると、季里子は夏樹に抱きついて乗るので
「なっちゃん、かなり身体が女性化してない?」
と指摘された。まさか完全に女性になっているとは思わないだろう。
しかしそれよりも、現場である。
悲惨だった。
「これはどこに誰の家があったかさえ分からないなあ」
「ああ。どうしよう。写真とかの類いが無くなっちゃったよ。パソコン持っては避難できなかったし」
子供2人を連れて出なければならないのに、そこまでとても余裕はなかったろう。
「来紗と伊鈴の写真はコピーしてもらった分なら、うちの実家にもあるよ」
むろん夏樹の両親が孫の写真を欲しがったのでコピーをDVD-Rに入れて送っておいたのである。
「後でコピーさせて」
「OKOK」
結局、季里子の“友人”の桃香のアパートに、季里子・夏樹・来紗・伊鈴、季里子の両親と6人で泊まり込むことにした。桃香はちょうど高岡に帰省していたので、空いていたのである。桃香のアパートの鍵は、季里子がいつも持っていた。
桃香が娘の早月・由美を伴って戻って来たのは10月30日で、桃香は自分のアパートに大勢人がいるので仰天することになる(千里はまっすぐ千葉の康子の家に行った)。
マリナはその日、母から呼び出され、新宿のカフェで会った。
「あんた忙しそうだからさ、こちらで改名の手続きしといたから」
と母は言った。
「かいめい?」
マリナは母の言葉の意味が最初分からなかった。
「あんた女の子になったのに、名前が“学(まなぶ)”のままじゃ不便でしょ。だから女性らしい名前に改名しないといけないだろうと思ってさ。だから何度か電話したけど、あんた忙しいというから」
そういえば、ツアーの最中に電話があったけど、面倒な話っぽかったし、精神的な余裕が無いので「適当に処理しといて」と言ってたんだった。
「だからこちらであんたの改名手続きやっといたから」
「へ?」
それで母は裁判所からの通知を見せた。
《申立人の名「学」を「マリナ」に変更することを許可する》
「何の冗談?」
とマリナは尋ねた。
「だから改名」
「これ本物?」
「本物だけど」
「なんで私が知らない内にこんなことになってるのよ?」
とマリナはマジで怒った。
「だってあんた、適当に処理しといてと言ったし」
「私が・・・処理しといてと言った?」
そういえば言ったような気もする。
「でもこのマリナという名前は?」
「あんたにいっそ芸名をそのまま本名にする?と訊いたら、それでいいと言ったし」
そんなこと言った気もしないではない。
「だけど、こういうの裁判所に本人が出頭して裁判官に説明しないといけないんじゃないの?」
「あんた忙しそうだから、歩(あゆみ)に代役頼んだ」
「姉ちゃんに?」
と言ってから、マリナは考えた。
「じゃ姉ちゃんが私の振りして改名の申請したの?」
「うん。裁判官も『あなたみたいに女性にしか見えない人なら男名前は不便ですよね』と同情してくれたよ」
そりゃ姉ちゃんは女だもん。
もっとも小さい頃はよく「兄妹」と思われていたなあとマリナは昔のことを思い出していた。随分スカート穿かされたし。もしかしたら今ずっと女の格好で十年以上すごしてこられたのは、あの頃のベースがあるのかもという気もした。
「それにマリナの方が運気がよくなるらしいよ」
と言って、どこかの姓名判断サービスの結果っぽいものを母は見せた。
22 水崎 学
4 11 | 7= 総22△困難不発 地7◎開拓打破 人18○難関突破 外4△薄運内向
21 水崎 マリナ
4 11 | 2 2 2= 総21◎朝日黎明 地6◎福禄強靱 人13◎和合繁栄 外8◎質実剛健
あはは。この改名で運気上昇して、私売れちゃったりして、などとマリナは思った。
「ありがとう。手続き大変だったね。姉ちゃんにもお礼言っといて」
とマリナは頭を抱えながらも母に告げた。
「あと性別変更は診断書とかいるみたい。あんた、それは自分で申請して」
「分かった」
つまりこの世から「学」が消えて、自分は本当に「マリナ」になっちゃったのか。でも慶太には黙っていよう。なんかもう男に戻るのは不可能になっちゃったなあとも思う。まあ男に戻れる気はしてなかったけどね。
ほんとに慶太と結婚しちゃったりして!?
マリナは慶太が一時的に女の形になっていた時は(発狂寸前だった彼を落ち着かせるために)随分入れてやったのだが、彼が男に戻ってからは性的なことは一切していない。
「俺ホモじゃないし」
などと慶太は言っている。むろんマリナも彼と恋愛感情は無いつもりである。
まあもし「結婚して」と言われたら、結婚くらいしてやってもいいけどね。嫌いな訳でも無いし、とマリナは思う。セックスもしたいと言われたら受け入れても(こちらが入れてやっても)いいけど、慶太が男に戻った後は特に求められることもない。
11月上旬。その日ケイナ・マリナは“タカ子”と3人でバラエティ番組に呼ばれていたのだが、“ケイナとマリナの結婚”が話題になる。
「そうだ。ケイナちゃん・マリナちゃん、結婚おめでとう」
と司会のケンネル(ネルネル)が言う。
「それ困っているんですけど。私たち別に結婚とかしてないし、恋愛感情とかも無いのに、たくさん『結婚おめでとう』というファンレターが送られてきて。お祝いにケーキとかシャンパンとかまで送られて来たし」
とマリナが本当に困ったような顔をして言う。
「隠さなくたっていいじゃん。今みんな理解あるよ。マリナちゃんの戸籍性別変更が終わったら、入籍するんでしょ?」
「別に戸籍の変更などしないし」
と言いつつ、実は法的に改名して(改名されて)しまったので、少し後ろめたい。
あの後、実は運転免許証・国民健康保険・年金手帳・パスポート・生命保険の書き換えが結構大変だった。生命保険は性別が変わると保険料が変わるのだけどと言われたが、性別は変更していませんと言って納得してもらった。銀行口座やクレカ、図書館のカード、Tカードなどは面倒なので、学のままにしている。
「それで番組のスタッフで話し合ったんだけど、この番組でふたりの結婚式をしてやろうよということになったのよ」
とケンネル。
「そんなの別に要りません」
とマリナ。
「遠慮しないでいいって。だってマリナちゃん女の子になったんだから、普通の男女の結婚じゃん。何も問題無いよ」
とケンネルが言うと
「男同士の結婚、女同士の結婚も今時(いまどき)珍しくないけどね」
と相棒のチャンネルが突っ込む。
「じゃお支度するから、マリナちゃんこちらへ」
とアシスタントの内野音子(うちのねこ)がマリナの手を引いて退場する。マリナの手を握った内野は
「マリナちゃんの手って、女の子みたいな手だね」
と言った。
「それわりと昔から言われてた」
とマリナも認める。
「やはり10代の頃から女性ホルモン飲んでたの?」
「そんなの飲んだことないけど」
「いや隠さなくてもいいよ」
「隠してないけど」
それでマリナたちは退場し、しばらくネルネルの2人とケイナ・タカ子とでトークをしていた。7-8分経って、もう番組の放送時間もあと少しという時間になった所で花嫁姿の“マリナ”を内野音子が連れてくる。
純白のウェディングドレスを着て、白い手袋をし、顔にはヴェールも掛けている。
「さあ、ケイナちゃんこちらへ」
とチャンネルが促し、2人は並んだ。
「じゃ俺が牧師役してやるよ」
とケンネルが言い、2人の前に立つ。ちなみにケイナは普通のブラウスとスカートという格好である。
「ケイナちゃん、契約上男の格好ができないからタキシード着せられないし、そのままの格好で御免ね」
「その男の服が着られないというので色々困ることもあるんですけどねー」
と言いつつ、マリナと並んで立った。
バージンロードを並んで歩いて、聖書らしき本(実は国語辞典)を持ち、黒い牧師っぽい服を着たケンネルの前まで行く。
「新郎ケイナ、あなたはここにいるマリナを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
とケンネル。
「まあいいよ。はい」
「新婦マリナ、あなたはここにいるケイナを、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し敬い慈しむ事を誓いますか?」
“マリナ”は小さな声で「はい」と言って頷いた。
「それでは誓いのキスを」
「そんなことするの?」
とケイナが言うが、
「あんたたち、いつもキスしてるじゃん」
と内野が言う。
ローズ+リリーのケイとマリがライブの時にしばしばクライマックスでキスするので、その真似でケイナとマリナもだいたい自分たちの芸ではキスする。たぶんケイナとマリナは、ケイとマリよりよほどたくさんキスしている。
「そうだけどね。じぉキスするか」
と言ってケイナはキスするためにマリナのヴェールを揚げた。
仰天して飛び退く!
カメラはウェディングドレスを着て、お化粧までしている、芸人クラウドの顔、そして世にも恐ろしいものを見たような顔をしているケイナの表情を映して番組は終了した。ちなみにテレビの左隅のコーナーにはワイプ表示で普段の表情のマリナの顔が映り
「私たち本当に結婚とかしてないから、お祝いとかも不要だからね」
と語って放送は終了した。
ちなみにネットでは「お化粧した芸人クラウド自体が放送事故だ」という声が多かった。
「あれ自分で化粧してるよな?」
「うん。女性がメイクしてあげたのなら、あそこまで不気味にはなってない」
翌日までにネットには花嫁姿の芸人クラウド、お化粧した芸人クラウドのスクリーンショットが“閲覧注意”の注意書き付きで大量に転載されることになる。
「でも芸人クラウドって意外に背が低いんだな」
「いや、マリナちゃん172cmだったはず」
「あれ?そんなにある?」
「ケイナが176cmくらいあるから、小さく見えるよな」
「なるほどー」
「ところであれ、ケイナと芸人クラウドが結婚したことにならない?」
「そんな気はする。ケイナは重婚だな」
「そういう問題か?」
「芸人クラウドも性転換して女になったりして」
「あいつは性転換はやめたほうがいい」
「女では裸になれないしね」
「そういう問題か?」
「でもモリマンは女だけど脱いでた」
「モリマンはトークもちゃんとできてたもん」
「うん。モリマンは面白かったけど、芸人クラウドはトークが詰まらん」
「そういえば最近、芸人クラウドは番組であまり裸にならないね」
「8月の“痴漢”の放送でBPOからクレームが入ったらしいよ。それで当面裸芸は禁止になっちゃったらしい」
「しかし裸になる以外芸が無いのでは?」
「まあ消えるのは時間の問題と思ったけどな」
多くの人が芸人クラウドは一発屋ですぐ消えると考えている。本当に全裸になる以外のネタを持っていなかった。
鈴鹿美里のツアーは初日横浜のみなとみらいフューチャーホールに始まって、どこも満員の中、2人は熱唱していた。
9/14-16 は新幹線移動で横浜→高崎→金沢
9/21-23 も新幹線移動で浜松→神戸→福岡
9/28-29の札幌・仙台は前日に札幌に入り、翌日午前中に仙台に移動したので札幌に2泊している。10/5-6の那覇・熊本も前日に沖縄に飛び、翌日午前中に熊本に移動して沖縄に2泊しているが、どちらも天候不順で飛行機が飛ばなかった場合に備えての日程である。万一の場合は仙台・熊本は中止・払い戻しにするつもりだった。
そして10/12-14は大阪・高松・広島という日程である。12日の朝から大阪に入り、夕方ライブしてその日は大阪市内のホテルに泊まる。12日は高松なので朝から四国に移動した。
「ライブは夕方からだし、トークのネタ作りに善通寺か金比羅さんでも見てくる?」
「金比羅さんは階段で疲れてライブする体力が無くなるかも」
「それは困る。じゃ善通寺にでも行って来ようか」
それで鈴鹿と美里は付き人の男の娘・クララちゃんと一緒に“女の子3人”で善通寺に行ってくることにした。
「外見的には女の子3人なのに戸籍上は女の子は1人だけって凄いね」
などと鈴鹿は言っている。
新幹線と特急うずしお13号(徳島行)で瀬戸大橋を渡り、12時すぎに高松駅に到着した。駅構内で讃岐うどんを食べてからレンタカーを借り、クララの運転で善通寺まで行く(鈴鹿と美里もドラマなどで運転するシーンを撮ることがあるかもということで免許を取っているが通常は運転禁止)。マネージャーの前鹿川さんはバンドの人やスタッフと一緒にすぐ高松市内の会場入りして準備を進めるということだった。
善通寺に到着したのは14時頃である。ガイドさんを頼んで境内を案内してもらう。それで一通り見て、境内で少し休み、15時半くらいになるので、そろそろ高松に戻ろうと行っていた時、近くに人だかりができている。
「何だろう?」
と思って見ていると、お遍路姿の女性が多数の参拝客と握手している。
「あれは作曲家の醍醐春海先生じゃん」
と美里が言う。
直接曲を頂いたことはないが、知らずに歌っているかもという気はする。醍醐先生は他人名義でのゴーストライトが異様に多いのである。その筋では“ゴーストライターの達人”と呼ばれていて、本人より本人っぽい曲を書いてしまうらしい。
クララが近づいて行って様子を見てきた。
「醍醐先生、歩いてここまでお遍路してきたらしいです。徳島の霊山寺を先月中旬に出発して、高知・愛媛と歩き続けてここまで来て、あと少しで四国一周完了らしいですよ。そんな凄いことしてきた人とは握手したら御利益(ごりやく)があるかもといって、みんな握手しているらしいです」
「へー凄い!」
「歩いてか」
「やはり歩くと1ヶ月くらいかかるのね」
「でも忙しそうなのに、よくそんな時間が取れるなあ」
などと言っていたが、やがて人が減ってくる。醍醐先生はこちらに歩いてきたので、鈴鹿と美里は近寄り挨拶した。
「おはようございます、醍醐春海先生」
「おはようございます。鈴鹿ちゃん、美里ちゃん」
醍醐先生が美里を見ながら「鈴鹿ちゃん」、鈴鹿を見ながら「美里ちゃん」と言ったのは気にしないことにする!
(2人をちゃんと見分けられる人は少ない。実は母でさえよく間違う)
「歩いてお遍路なさっているんですか?凄いですね」
「まあ色々あってね。鈴鹿美里は好調だね。『モスバーガーの歌』が売れてるし」
「あれ、私たちもびっくりしたんですけどね」
昔女性双子歌手が怪獣映画『モスラ』の中で歌った『モスラの歌』をベースにラジオ番組で美里が
「モスバーガー、美味しいね。でも持ち帰ってから食べた方がいい」
と即興の歌詞で歌ったら、面白いからそれでCD出してという声が多数寄せられたので作ってみたら馬鹿売れしたのである。
『モスバーガーの歌』(鈴鹿美里作詞)
『モスガバーの歌』(HAL研:『星のカービィ』より)
『モスラの歌』(オリジナル・由起こうじ作詞)
という3曲セットにしたCDである。『モスガバーの歌』は「懐かしい!」といって30-40代の人たちに大いに、うけたようであった。ちなみにこの曲の作曲者はなんと古関裕而大先生である!
「今日は営業か何か?」
「ツアーの最中なんですよ。今日はこの後、夕方から高松なんですが」
「ああ。お遍路中じゃなかったら楽屋に顔でも出したい所だけど。お花でも届けておくよ」
「すみません」
それで美里は花束でも届けてくれるのかと思ったのだが、巨大なスタンド花が届き、鈴鹿も美里もびっくりすることになる(会場の入口に立てて、観客にも見て楽しんでもらった)。
「じゃ君たちも頑張ってね」
と言われ、先生と鈴鹿・美里は握手して別れた。2人のついでに付き人のクララまで握手してもらった。
醍醐先生と話していたので、高松に戻ってきたのが17時すぎである。
「遅かったね」
「ごめんなさい。善通寺で作曲家の醍醐春海先生と遭遇して話し込んでしまったので」
「ああ、それなら問題無い。さあ衣装に着替えようか」
それでライブの準備をしていたら、クララが具合が悪そうである。
「どうしたの?」
「なんか分からないのですが、お腹が痛くて」
「あら。なんか変なものでも食べてないよね?鈴鹿と美里は平気?」
「私たちは快調ですよ」
「だったら良かった。クララは少し寝てなさい」
「すみません」
それでクララは楽屋の隅に置かれた簡易ベッドで休んでいたが、15分くらいで体調回復したようで、その後は元気にライブのサポートをした。
ライブは21時頃に終了し、ホテルに戻って打ち上げをしてから各自の部屋に戻る。
23時を過ぎて、そろそろ寝ようかなどと言っていた時、クララから美里に電話がある。
「どうかしたの?」
「こんなことってあるんでしょうか。私、女の子になっちゃったんです」
「クララは元々女の子じゃん」
「でも女の子としては不完全で。おっぱいは頑張って大きくしたけど、あそこにあんなものが付いてたし」
「そんなの誰も気にしないって」
「それが無くなって、普通の女の子みたいな形になっているんですよ」
「性転換手術したんだっけ?」
「そんなのしてません。その内、手術したかったけど。それに善通寺の境内でトイレに行った時はたしかに、あれ付いてたんですよ」
「そちらに行く」
それで美里は鈴鹿は(男の子なので)置いて、ひとりでクララの部屋に行った。
クララは裸を見せてくれたが、あそこには何もついておらず割れ目ちゃんがある。
「中を確認してみたんですけど、クリちゃんも、おしっこ出てくる所もヴァギナもあるんですよ」
「おっぱいも前より大きくなってない?」
「そうなんですよ。18歳の時から女性ホルモン飲んで育ててきたけどBカップしかなかったのに、これどう見てもCカップくらいあるんですよね」
「Dあるかもね」
と美里は言った。
「でも女の子になって何か不都合ある?」
と尋ねる。
クララは考えていた。
「何も不都合ないです」
「だったら問題無いね。性転換手術代、もうけたね」
「そうかも!」
「あれ高いんでしょ?」
「渡航費とかも含めると150万くらいかかるらしいです」
「貧乏人は女の子になれないじゃん」
「そうなんですよねー。何とかしてほしいです」
クララとは30分くらい話したが、それでクララも随分落ち着いたようだった。クララはツアーが終わってから、病院で診断書もらって、性別変更の申し立てをしたいと言っていた。
自分の部屋に戻る。
「鈴鹿、もう寝た?」
などと言いながら、部屋に入るが、鈴鹿が床に座り込んだまま、ボーっとしている。
「何かあったの?」
と声を掛ける。
「美里、どうしよう?ボク女の子になっちゃった」
と鈴鹿は言った。
美里は腕を組んで溜息をついた。
(ついでに自分のお股に触って、ちんちんが生えてないか確認した)
その日、アクアのマンションにコスモス社長が来ていた。普通は事務所で打ち合わせをするのだが、この日は中間試験があって仕事を休ませてもらっていたので、その試験最終日に社長がアクアのマンションまで来ていたのである。
“アクアたち”は慌てて、Fが応対に出てMとNは隣の部屋に隠れたのだが「3人と話したいから」と言って、コスモスは他の2人にも出てくるように言った。コスモスがケーキを“4つ”買ってきてくれていたのでNが紅茶を入れて出す。
現在、アクアはミニアルバムの制作をしているし、また§§ミュージックのタレント・研修生など総出演の長時間ドラマ『源平記』の撮影もしている。来月上旬にはドイツに渡航し、写真集の撮影もする。また年明けには恒例のドームツアーをする予定であった。
その多忙な中で、コスモスも“3人のアクア”の様子を見て、体調などを確認しておきたかったようである。
「結局、Nちゃんは性転換手術は受けるの?」
とコスモスは確認した。
「悩んでいるんですけどねー」
とNは正直に言う。
コスモスとしてはNがもし手術を受けるのなら、しばらくFとMの2人だけで稼働させることになるので仕事量の調整が必要だという認識がある。
「手術してから一週間くらいはボクたち2人で何とかするから、ちょっとタイに行ってちょっと手術してくればいいのに」
とFが煽る。
「お休み一週間しかもらえないの!?」
とNが言うと
「半月くらいは休ませてあげるよ」
とコスモスは言った。Nは悩んでいる。
コスモスはふと3人が全員左手の小指に絆創膏をつけていることに気づいた。
「その絆創膏どうしたの?」
「ああ、さっきNが買物行ってて、お店の出入り口の所の打放しのコンクリートの壁にぶつけてすりむいちゃったんですよ」
とFが説明する。
「向こうからよろけそうなお婆ちゃんが来たから、それを避けようとして自分がぶつかっちゃったんですよね」
とN。
「怪我したのはN?」
「ボクたちひとりが怪我すると全員同じ所に傷ができるんです」
とM。
「以前、先輩のタレントさんに『高校生ならいいでしょ』と言われてお酒を飲まされたら、飲んだのはMだけだったのに、全員酔ったんです」
とF。
「生理があるのはFだけだけど、その時は3人とも生理痛になるし」
とN。
「まあそもそも誰か1人が覚えたことは全員覚えてるんですけどね」
「おかげで台本とか3人で分担して読んで素早く覚えられるし」
「ああ、それは便利だ」
「たまに混線しますけどね」
「うん。ロミオが出会って即ジュリエットに刺し殺された気がしたり」
「それは速すぎる」
「ふだんでも誰か1人が電車を降りると、他の2人もつられて降りちゃったりするんですよ」
「ああ、ややこしそう」
「ボクはブラジャーしないけど、FとNがいつもブラジャーしてるからボクもブラ跡が取れないんですよね」
とMが言う。
「あんたたち結構大変なんだね!」
とコスモスは言った。
そしてしばらく何か考えているようだったが、やがて言った。
「だったら、Nが性転換手術受けたら、Mのおちんちんも無くなっちゃったりしてね。怪我でさえ連動するんだもん」
3人のアクアはギョッとした顔をしてお互いの顔を見合わせた。
ほんとうにそうなりそうな気がした。
Fは、そういえば醍醐先生は、Fがもし妊娠したら、きっとNとMのおっぱいも妊婦のように膨らむだろうと言っていたことを思い出していた(このことはNやMには言ってない)。
そしてMが言った。
「Nが性転換手術受けるの、絶対反対!」
千里1は、お遍路で9月17日から20日まで芳野早百合と一緒に歩き、9月21日には生見の民宿で高浜アリスと遭遇、9月24日には香南市で古庄モニカと遭遇。9月28日には土佐清水市の高園家に泊めてもらって、ちょうど来訪していた武石満彦・紗希夫婦(満彦は桃香の従姉の息子)と会って高園家から金剛福寺までを一緒に歩いた。そして10月4日には歯長峠越えの道でワルキューレに乗った浜川渚と遭遇。10月7日には道後温泉では窮地に陥っていた男の娘・星良を助けた。そして10月12日には観音寺市の銭形で米子から来た新婚夫婦と遭遇。翌13日には善通寺で多数の人と握手。この時、鈴鹿美里とも遭遇。そして10月16日に霊山寺に戻って満願となったが、その日の夜には徳島市の温泉旅館で多数の女性と握手。この時、ローザ+リリンの2人とも女湯の中で会って握手している。
そして千里1は10月17日四国を出ると、夕方、姫路の貴司の家を訪問した。貴司は仕事で留守。美映はバスケット部のメンバーを連れて練習に行っており、家には1歳になって間もない緩菜がひとり取り残されていた。
しかし緩菜は既に覚醒していて、自分で起き上がって
『お母ちゃん、満願おめでとう』
と言った。
実は千里1が霊山寺まで行って四国を完全に一周した瞬間、千里の守護神として覚醒したのである。むろん“小春”時代や、その前世の女たらしの男だった時代の記憶も全て蘇った。
緩菜は「あんたは霊媒能力が高いから、現在千里が暫定的に管理している、瞬嶽が遺した多数の術の記録媒体になって」と自分の上司である○○大神から言われてはいるものの、千里は1000年くらい生きそうな気がするので、自分が受け継ぐ必要あるのか?という疑問を感じている。自分の方が先にこの肉体の寿命を迎えそうだ。
しかし緩菜はそういう役目を課されているため、実は瞬嶽の術を納めた“倉庫”の“鍵”を所有していた。だから実は暴走している千里1を停めることができるのは本来は直接人間に干渉できない大神様か、緩菜しか居なかったのである。
緩菜の覚醒にはお遍路が必要だったので、結果的に「あの子お遍路に行かせなよ」と言った丸山アイの予言は当たっていたのである。
緩菜は千里に
『お母ちゃん、瞬嶽さんから預かった“倉庫”の鍵が開いてるよ』
と指摘し
『私が閉めてあげるね』
と言って“扉”を閉め、かんぬきを下ろして、“鍵”まで掛けてしまった。
それで昨年の秋頃から始まった千里1の暴走はやっと停まることになった。
千里は緩菜にお遍路の間持ち歩いていた五鈷鈴をプレゼントしてから細川家を後にする。そしてその日は市川ラボに泊まり、翌朝京平に会って、彼には金剛杖を渡した。実はこの杖は千里が小学生の時に2度、そしてこの春にも一度“この世の封印”を掛けるのに使った特別な杖である。千里はこの封印掛けを3回もしたので“あがり”となった。多分次回は青葉か夏野明恵(後の沢口秋峰)がすることになるだろう。
その日、美映は21時頃練習を終えて戻って来たが、自分はバスケ部員たちと一緒に夕食を取って来たので、緩菜が寝ているのを見ると、そのままシャワーを浴びて寝てしまった!
「もう」
と《てんちゃん》は文句を言うように声を出すと緩菜に晩御飯を作ってあげた。こういう作業は緩菜担当眷属の日常業務になっている。
深夜になって貴司が帰宅する。この日も遅くまで仕事をしていたが、終電に間に合う時間で仕事が運良く終わったのでこちらに帰ってきたのである。
寝ている緩菜を見て額に“キス”した。
そしてシャワーを浴びてから寝た。シャワーを浴びている時は、大きくなっている胸を洗い(結構汗が溜まりやすい)、お股は割れ目の中まで丁寧に洗うが、千里のご機嫌のいい時にバストだけでも何とかして欲しいと思っている。貴司は8/19 9/16 10/14 と3回生理が来て、今日10/17は、何とか生理の出血も収まってきたところである。この生理の処理も大変だよなあと貴司は思っていた。
翌朝、貴司は6時頃目が覚めた。会社に定刻までに行くには姫路駅を7時の新快速に乗ればいいので、だいたい30分以内に家を出ればいい。慌ただしく朝御飯を食べ着替えて、まだ寝ている美映に「行ってくるね」と声を掛けて出ようとしたが、緩菜が
『パパ、トイレに行ってから出かけなよ』
と言ったような気がした。
そういえばそうだと思い貴司はトイレに行き、いつものように便器に座るが、おしっこの出方が変だ。なんかとても回りくどい出方をしているのである。いつもはもっとストレートに身体から出ていくのに。
え?
と思ってお股を見た貴司は、感動のあまり涙が出て来た。
「千里ありがとう。もう絶対浮気はしないから」
と貴司はマジで誓った。
緩菜はそんな“パパ”の様子を伺いながら小声で呟いた。
「お母ちゃんの“**の術”を1回分だけ、パパのためにキープしておいたのよね。それでベースは男の人に戻ったから、おっぱいは消えたし、ちんちんも戻ったけど、たまたまは浮気防止で私がしばらく預かるからごめんね。だってパパってすぐ浮気するんだもん」
貴司も昼くらいに睾丸が無い(だから勃起もしない)ことに気づいたものの、その程度はよいことにした。ペニスが無い状態での1年半、バストまであり生理もある状態での3ヶ月はほんとに大変だった。
芸人クラウドは悩んでいた。
なんか臨時工場紀行?とかいうところからクレームが入ったというので裸芸が禁止された。それでテレビとかにお呼びが掛かる機会が減り、収入も激減した。
「皿洗い頑張らなきゃなあ」
などと思う。彼は都内のラーメン店の皿洗いをして生活費を得ている。裸芸で有名になるまでは月間のギャラが1万円行かないことが多かったので、ここでの収入で暮らしていた。一時売れていた時期も、月間のギャラは月10万くらいだったので、仕事で多忙ではあったものの、仕事とあまりぶつからない日中などにここでバイトをして生活費の足しにしていた。そして裸芸禁止を言われた後は、またこちらの方が本業のようになっている。
しかし裸芸禁止を言われた直後に芸人クラウドは仰天する事態が起きて、裸芸禁止されていて良かったと思うハメになった。
「今の身体では脱げないし」
とも思う。
それは11月下旬の夜のことだった。彼は夢を見ていた。ケイナとマリナが居る。医者のような白衣を着た人物が立っていた。
「マリナ君がちんちんを無くしてしまったので、ケイナ君のちんちんをマリナ君に移植したのだけど、今度はケイナ君がちんちん無いのは困ると言っている。それでどうしようかと思うのだが」
と医者(?)が言った。
「誰かのちんちんを移植して欲しい」
とケイナが訴える。
「だったら、芸人クラウド君のちんちんを移植しよう」
と医者は言った。
待って、そんなことされたら俺が困る、と芸人クラウドは思ったものの、ベッドに寝かせられ、身体も拘束された。
「元々私、彼からちんちん取られちゃったんだし、彼はこないだは花嫁さんになってたし、花嫁さんにはちんちんは要らないよね」
などとマリナが言っている。
え?俺のせいなの?でも番組ではマリナのチンコを奪ったことにしたけど、実際にはマリナのチンコを掴んだだけだぞ?と芸人クラウドは思った。
「じゃ手術を始めます」
やめて〜!
「今、芸人クラウド君のちんちんを切り取りました」
うっそー!?
「これをケイナ君に・・・今接合しました」
「良かったぁ。ちんちん戻ったよ」
と言ってケイナとマリナが喜んでいる。
「これでケイナ、私のお婿さんになれるね」
とウェディングドレスを着たマリナが言い
「うん。俺もどうなることかと思ったよ。これでマリナを嫁さんにできる」
とタキシード姿のケイナが言った。
ふたりは指輪を交換してキスをした。
芸人クラウドは放置されている。
ちょっとぉ、俺はどうなるんだ?
と思った所で目が覚めた。
「夢か。全く変な夢だったなあ」
とつぶやき、とりあえずトイレに行く。
「しかしケイナとはこないだ模擬結婚式やったし、なんかあいつらとは関わりができてるよなあ。あいつらが売れたら、俺もあいつらの番組に呼んでもらったりしないかなあ」
などと考えたりする。
それでトイレの中で便器の前に立ち、パジャマの前の開きに指を入れ、トランクスの前開きにも指を入れ、チンコを引き出そうとする。
ところがチンコが見つからない!?
なんで?
と思った芸人クラウドはパジャマのズボンとトランクスを脱いでみた。
そしてショックのあまり座り込んでしまった。
「チンコが無かったらどこから小便すればいいんだよ!?」
と彼は思わず呟いた。
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【春宵】(1)