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■男の娘とりかえばや物語・尚侍復帰(4)

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さて、右大将(花久)が東宮と一緒に土佐まで行っている間、尚侍(涼道)は月の者が来ている時以外、毎晩のように帝に召されるようになり、帝の夜御殿に向かっていました。結果的に、他の女御が召される日は極端に少なくなり、他の女御方から強い嫉妬を受けることになります。
 
たくさん召されるので、文を毎日のように頂くのですが、涼道の男らしい字では返事が書けません。頼みの兄上は土佐に行っている、というので結局この時期は元々花久(花子)の幼い頃からの侍女(初期は女童)であったものの今回の土佐行きには同行していない若雀に代筆してもらっていました。
 
帝は代筆とも気付かず「尚侍は優しい字を書く」などと感動していました。
 
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夜の生活自体は、帝はとても優しい交わりをするので、とても気持ち良くお務めすることができていました。
 

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権中納言は相変わらず(元)右大将が残した若君(萩の君)だけを頼りに、暮らしていました。父・式部卿宮の所では、あれこれ詮索されますし、宇治はあまりに遠すぎるので、都の中に取り敢えず小さな館を確保し、そこに若君と乳母の備前を住まわせ、身の回りの世話をするための侍女を10人ほど置き、宮中の仕事が終わるとそこに帰宅していました。
 
筑紫の君についてはここには来させず、別の場所にまた小さな家を用意してそちらに住まわせており、時々気が向いた時にそちらに通っておられました。筑紫の君はあまり色々と“知りすぎて”いるので、備前とは会わせたくなかったというのもあります。
 
彼は右大将が、また男姿に戻ってしまったものと思い込んでいます。宮中などで彼の影を追っているものの、彼と話す機会を作ることはできません。その内彼が土佐に出張に行ったので公務をしている時もボーっとしていて、同僚から心配されたりしていました。
 
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結局ずっと右大将のことばかり考えているので、萌子への攻勢も含めて、女性を口説くということが、めったに無くなってしまいました。性的な欲求が溜まれば筑紫の君の家に行きますが、それ以外では女性との関係が全く途絶えてしまい、かつてのプレイボーイの姿はもうそこにはありませんでした。
 
それで人々は、萌子の事件で散々非難されたのに懲りて、権中納言はもう女遊びはやめたのではないか。あるいは実は深く言い交わした女性があるのでは?そしてそういう女性がいるから他の女には手を出さないのでは?などという噂も立つようになっていたのです。
 

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萩の君の乳母・備前は「命でも捨てます」とまで言ってお世話していた女君に完璧に裏切られた気分だったのですが、少し落ち着いた頃から、彼女の実家に金品が届けられるようになりました。その送り主は匿名ではあったのですが、ただ桜模様の絵が署名代わりに記されていたことから、備前は、桜−吉野という連想をし、これは宇治の館から居なくなった女君が、やはり想像していた通り、吉野の姫君で、若君を自分が育てていることの見返りに支援してくれているのだろうと解釈しました。
 
年明けて3月には吉野の姫君が失踪から戻った右大将の所からお輿入れなさるということで、二条堀川に新しく造営された立派なお館に迎えられたという話も聞きます。備前は、おそらく宇治の館から居なくなった女君およびその方にそっくりであった男君は、吉野の姫君の兄妹か何かなのではと想像していました。密かな出産だったのは、(その姫君の)母親があまり身分の高くない人だったのかもなどと考えていました。
 
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6月下旬、雪子東宮と右大将らの一行は土佐から京に戻りました。それで土佐の方はかなり落ち着いたようだという話が全国に広がり、やや不安定な要素が出そうになっていた、九州・北陸・関東なども情勢は落ち着きを見せるようになります。
 
雪子東宮という存在が今、この国には大きなものとして、捉えられるようになったのです。合わせて、昨年は病気で伏せっていた雪子、また実際には病気で療養していたために宮中を不在にしていたようだという噂もあった右大将の健康問題についても、どうやら、おふたりとも回復したご様子だと人々は噂しました。
 
この後、右大将は雪子東宮の名代として、再び九州、北陸、更には初めてとなる関東にも相次いで行かされることになります。九州・北陸は、表向きには右大将は初めての出張だったのですが、実際には1度は尚侍として出向いており、懐かしい気持ちになりました。しかし結果的にこの年、右大将はひたすら全国に出向き、多くの地方行政官と意見交換をしました。
 
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元々は政治についてはよく分かっていなかった花久ですが、尚侍時代に随分雪子の助手を務めた上に、再度土佐に同行したりしてかなり分かってきたのでこの年の各地への出張では、しっかりした交渉を各々の地方官とすることができました。この年の出張は東宮の名代として動いていたのではあるのですが、それも実は雪子の“来年以降”を見据えた計画だったのです。
 

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ひたすら全国を飛び回っていた花久ですが、都に帰ってくると、妹・尚侍の様子を伺い、まだ右大臣宅に住んでいる妻の萌子、また二条堀川の館に住む海子・浜子の姉妹の様子を伺ったりしていました。この時期は萌子が右大臣宅にいるので、せっかく二条堀川の館はあるものの、宮中での仕事が終わると右大臣宅に戻り、萌子と寝ることが多くありました。
 
この時期の花久は萌子と普通に男女の交わりをしており、萌子は長期出張が続いて寂しい思いはするものの、帰京すると自分を第一に考えてくれているようなので満足でした。右大臣も右大将が、帝の姪の姫君たちを立派な館に迎えたことで心中穏やかではなかったものの、右大将が娘をよく愛してくれているようなので、安心していました。
 
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花久は萌子に、いづれ機会を見て二条堀川の東の対に移ってくれないかと誘いますが、帝の姪の姫君などという方たちの近くでは自分は大事にしてもらえないかもという気もして渋っていました。
 

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ところで今年夏に土佐から戻った後、花久はヒゲを蓄えるようにしました。実は花久は20歳にもなるのにまだ声変わりが来ていません。男性的な発達が遅いのだろうと思われていたのですが、実はそれはいつも睾丸を体内に押し込んでいるせいだというのには、本人も周囲も気付いていません。
 
ただ雪子は男性貴族は威厳も大切だからというので、ヒゲを蓄えることを勧めたのです。おかげで花久は「女の服を着せてみたい」と言われることが少なくなりました。
 
でも実は・・・このヒゲは付けひげだったのです!ですから、実は涼道が男装して右大将を装う時も、その場合は涼道が付けひげをしていました。
 

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右大将がヒゲを蓄えているのを見て最も仰天したのが権中納言です。彼は右大将に
「涼ちゃん、ヒゲが生えてきたの?」
と声を掛けてきました。
 
人が聞いてるかも知れないところで“涼ちゃん”はやめろ〜!と思います。実はこの声を掛けられたのは、本当に涼道のほうです。
 
「ああ、このヒゲ?」
と言って、涼道はヒゲを取り外してみせます。
 
「付けひげかぁ!」
「より男らしく見えるように付けてみた」
「そんな無理しなくても女の服を着てればいいのに」
 
涼道はそれ毎日着てるんだけどねとは思ったものの、何も答えず、ただ微笑んで権中納言に手を振ると向こうに行ってしまいました。
 

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涼道は最近は毎日のように帝に呼ばれて夜御殿(よるのおとど)で帝の相手を務めていますが、涼道はさすがにそういう生活に飽きて来て、もっと男らしいことがしたいという元々の性格が出て来ます。
 
それで生理で夜のお務めを休むような日に、花久と入れ替わり、男装してヒゲも付けて右大将としてのお仕事をしていました。生理については、雪子に教えられてひじょうに吸収性の良い特殊な布を付けて、普通に動き回る程度では、平気なようにしていました。
 
帝も自分の最愛の妻が男装してその兄の振りをし、流鏑馬に出て全矢命中させて優勝したり、剣術でも多数の相手に勝って師範から免許皆伝を認められたりしているとは、思いも寄らないことでしょう。
 
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そして、涼道が右大将を務める間は、花久がまたまた女の服を着て、帝の妻の振りをしていなければならないので大変でした。
 
「こんな時に帝がいらして、求められたら、ボクどうしよう?」
などと悩んだりしているのでした。
 

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そんな1年が過ぎて12月の下旬。右大臣の四の君・萌子が3度目の妊娠をしました。最初の子供は後に実は権中納言の子供であったことが分かり、現在、小夜は右大臣家の中でやや難しい立場に置かれています。2人目の須須は萌子にも生まれるまでどちらの子供が分からなかったのですが、顔かたちが右大将に似ていることから、右大将の子・左大臣と右大臣の共通の孫として大事にされています。
 
そして今度の子供は、もう萌子と権中納言の関係が完全に途切れており、右大将は正妻?の海子女王より余程こちらを大事にしてくれている状態で、間違い無く右大将の子供と思われました。それで左大臣も右大臣も大喜びでした。
 
萌子妊娠の報は権中納言の耳にも入りましたが、女である右大将との間に子供ができる訳が無いから、誰か別の男を引き入れたのだろうかなどと思っていました。彼は須須も自分の子供だと思い込んでいます。
 
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年末年始の行事が多くあります。管弦の演奏機会も多いので、頻繁に右大将と尚侍は入れ替わってお務めをしていましたが、たまに混乱して、右大将の姿のまま後宮をうろついていて
「右大将様、宣耀殿にお越しですか?」
と言われて慌てたり、尚侍の姿のまま太政官に行き、
「中納言様は今ご不在ですよ」
と言われたり、どうかした時は、ふたりとも尚侍の姿になっていて、それを目にした、左大将が
「どうも疲れているようだ。帰って寝よう」
などと言ってお帰りになってしまうなどということもありました。
 
直接2人並んでいるのを見なくても、
「あれ、さっきも**で右大将様を見た気がするのに」
などと言われたりするニアミスは割りとありました。
 
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ある日は涼道が右大将の姿になって矢比べに行っていた時、花久が代わりに尚侍の姿で宣耀殿で箏を弾いていたら、突然帝がおいでになって慌てます。
 
「桔梗ちゃん、箏を弾いてるのは珍しい。元々上手いのに最近はあまり弾いてなかったね」
などと言っています(帝は涼道と結婚したので彼女の本名も教えてもらった)。
 
妹は男がよく演奏する笛や琵琶は得意だけど、女がよく弾く箏や和琴はあまり得意じゃないもんね〜などと思いますが、それにしてもヤバい。このまま押し倒されて、やられちゃったらどうしよう?などと焦っています。
 
それで帝とおしゃべりしていると、周囲の侍女が席を外します。あーん、みんな行かないで〜と思いますが、そんなことも言えません。帝は花久の傍に寄り、身体を触ります。きゃー!と内心悲鳴をあげています。
 
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「今日の桔梗ちゃんは妙に女らしいね。こんな日に契ると子供ができるかも知れないなあ」
などと帝。
 
うっそー!?ボク、帝の子供を産むことになっちゃったらどうしよう?と焦る花久。胸にも触られます。
「桔梗ちゃんの胸って可愛くて好きだなあ」
などと言われます。
 
確かにあの子のおっぱいはそんなに大きい方ではない気がするなあ。でもだから男装で出歩けるんだろうな、などと考えます。ちなみに、花久が装着している雪子様お手製の偽乳は、ちょうど涼道の胸と同じくらいのサイズに感じられるように作られています。
 

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そしてとうとう帝は
「まだ日が高いけど、いいよね?」
などと言いながら、服を脱がせ始めます。
 
やばいよー。バレたら大変なことになるよー。
 
と思っていた時、
「失礼します」
という声が表からしたのです。
 
「弘房か?」
と帝がやや不快な顔をして返事をします。弘徽殿女御の弟、弘房中将のようです。
 
「お休みの所、大変申し訳ございません。院(今上の兄)様からの使者が参られておりましてお手紙のお返事が欲しいそうなのですが」
 
「分かった。すぐ行く」
と帝は返事し、尚侍には
「途中で中断してごめんね。またあとで続きをするね」
と小声で言って部屋を出られたのでした。
 
「助かったぁ」
と花久は思いました。
 
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幸いにも涼道が2刻(現代の約30分)もしないうちに帰ってきたので
 
「小袿を脱がされる所までされたから、涼ちゃんは、小袿を脱いで帝を待っててね」
などと言い
「へ?」
と涼道が驚いていました。
 

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年が明けて涼道と花久は21歳になります。
 
年始行事が落ち着くと通常の業務がたくさん出て来ます。花久は仕事があまりにも多いので、いつも秘書役にしている若雀に、面倒そうな書類は清涼殿の東宮上御局にいる涼道の所に持って行ってもらい、涼道に処理してもらいました。そういう訳で涼道は昼間は東宮の補助を務めたり“右大将・中納言の一部”として様々な案件の処置をし、夜は“天皇の妻”として、夜御殿(よるのおとど**)に行って帝と夜を共にするということになっていました。
 
(**)夜御殿(よるのおとど)は天皇の執務場所である昼御座(ひるのおまし)の後方にある塗籠の部屋で、主たる目的としては、剣璽(三種の神器の内、天叢雲剣と八尺瓊勾玉)を保管する場所である。天皇は夜間はここで寝て、剣璽の番人!をすることになる。平安時代末期の院制・幼帝の時代には、幼帝が乳母のところで寝ているため夜御殿に誰もいないという状況になり、剣璽を保管してる箱がネズミにかじられるというゆゆしき事態が起きたこともある。
 
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こういう生活をしていて、何か1人で3-4人分仕事をしている気がするぞと涼道は思ったのですが、東宮は
 
「お前はそういう忙しいのが好きなのだろう?」
と笑っていました。
 
確かに涼道も自分は日がな一日のんびりと化粧したり小説など読んだり女房たちとおしゃべりなどして過ごし、夜は帝のお呼びが掛かるのを待つ、などといった生活は無理だよなと思っていました。何もすることのない日々が続いた宇治の館での生活はもう思い出したくもない気分です。
 
しかしさすがの涼道も、そういう忙しい生活をいったん中断しなければならない事態が起きるのです。
 
 
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男の娘とりかえばや物語・尚侍復帰(4)

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