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(C)Eriko Kawaguchi 2019-03-10
“妻が間男をして妊娠した”。
あまりにもショックなできごとに、これも自分が男ではないからだと思い悩んだ涼道は、前々から脳裏に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる「出家」ということばに惹かれ始めました。
しかし出家するとなると、適当な導師が必要です。誰か適当な人がいないかと思って、取り敢えず家司(けいし)の泰明という者に尋ねてみると
「中将様は吉野の宮のことはご存知ですか?」
と言います。
「誰だっけ?宮様なの?」
と涼道。
「帝のお兄様なのですが(*1)」
「そんな方がおられたの!?」
と涼道は驚きます。帝と上皇は男の兄弟はそのお2人だけと思っていたので、他にも男の兄弟がいるとは知らなかったのです。そういう人がいるなら、なぜ雪子内親王を皇太子にしたのだろう?と疑問を感じます。
「ご生母様が、五道大納言様の姫様でして。あまり強い後ろ盾が無かったのですよ。それで親王宣下も受けられず、上皇様が日嗣御子(ひつぎのみこ)になられたんですよ」
「なるほど。こういうのは後ろ盾がなければ難しいからな」
それで泰明は“吉野宮”のことを語りました。
その方は、道潟王というお方でした。
ご生母様の家の勢力が衰えてしまい、適当な後ろ盾もなかったことから親王宣下が受けられず、年下の夢成親王(現在の上皇)が春宮となられました。先帝はいっそ臣籍降下させて源姓を与えようかとも思われたようです。
しかし御本人はあまり政治的なことには興味が無く、むしろ学問に熱心で、陰陽道・天文学などもよく学び、もっと詳しいことを中国に渡って学びたいと考えておられました。当時はもう遣唐使は絶えて久しかったのですが、特に願い出て渡航なさいました。この時、王はもう日本に帰ってくることはあるまいという気持ちでお渡りになったとも聞きます。
それで行ってみると唐では「日本人留学生はこれまで多数来たが、あなたのように優秀な人が来たのは初めてだ」と言われ、たくさんの学問を習いました。唐の国の筆頭大臣にも目を留められ、ぜひわが婿にといわれて、大臣の娘と結婚し、ふたりの子供も生まれます。しかしその妻が間もなく亡くなってしまいました。
道潟王はその奥さんを深く愛していたので、もう日本には帰らずこの国で出家してしまおうと思ったのですが、間もなく義父の大臣が亡くなり、自分が出家してしまうと子供たちを育てる者が居なくなってしまいます。それで出家できずにいました。しかし日本の帝の皇子で、唐の大臣の娘との間に子供を2人作った人というのは、政治的にあまりにも危険な存在です。折しも唐の国は乱れ始めていました。
自分の娘と再婚して欲しいという申し出もあります。しかし亡き妻のことを忘れられない王は断りました。すると味方にならないなら消去しようという訳で、王の命を狙う者も現れ始めました。本当に身の危険を感じたので、亡き妻のお兄さんに頼み込んで、何とか日本に帰る船に乗り込ませてもらい2人の幼い子供とともに日本に戻ってきたのです。
ところが日本で子供2人の成長だけを楽しみにしていたら
「道潟王は次の皇位をねらっているようだ」
「唐の大臣の娘と結婚してお子を設けておられる。きっと帰化人勢力を背景に謀反を起こすおつもりだ」
などと讒言するものがあります。それで王は他意が無いことを示すため髪を落とし、吉野の山に隠棲してしまったのです。
それがもう12-13年ほど前のことで、ふたりの子供もそろそろ年頃に成長してきていました。
(*1)原作では吉野宮は「先帝の三の御子」と書かれている。素直に読むと今上の弟かとも思うのだが、それでは年齢が合わないのである。
主人公(兄と称して実は妹)が侍従になった頃、朱雀院は「四十歳余り」、帝は二十七・八と書かれていた。もしその更に弟であれば、せいぜい25-26歳ということになり、主人公たちと結婚出来るような年齢の娘がいる訳が無い。
もし仮に吉野宮の娘たちの年齢を15-16歳と考えると、吉野宮の年齢は最低でも40歳くらいということになる。そうすると少なくとも今上よりは年上のはずである。学問を究めてしまいもっと勉強するために唐に行きたいとまで望んだという状況はその当時既に25-26歳だったことを想像させられる。また皇位継承に絡むような人であれば絶対に大陸渡航など認められない。
そうなると、母の出自の問題で皇位継承にはあまり関わらないと思われた人ではないかと考えられ、年齢も朱雀院と大差無い年齢と思われることから、この物語では朱雀院の兄ということにした。
すると25歳くらいで渡唐して、30歳くらいで唐大臣の娘と結婚し、2人の子供を授かり、その後奥さんが亡くなり、その後の混乱の中で日本に帰国したのが35歳くらいで当時子供が2歳と4歳くらい。それから12年くらい経ったとすると、宮は47歳、子供は14歳と16歳くらいとなって、不自然さが無くなる。
これだとやはり朱雀院の兄ということになるのである。
「そういうお方があったのか」
と涼道は感慨深く言いました。
「この吉野宮のご邸宅が結構な構えでして」
「へぇ」
「身一つで仏道に励むのであれば粗末な庵でもあればよいのですが、姫様2人は普通の人、といっても宮様としては、できれば適当な皇族か公卿の家の男と結婚させてやりたいとお考えになり、楽や学問、礼儀作法や詩歌なども学ばせているのですよ。それで姫様方たちのためにしっかりした邸宅を営んでおられるんですよね」
「自分の身は棄てても、子供は棄てられないだろうね」
と涼道は言いながら、自分は四の君のお腹の中の子供について、夫である以上責任があるぞ、と思い起こされました。
「でもよくその方の状況を知っていたね」
「実は私の伯父が宮様の弟子にして頂いて、ずっとおそばに付いているのですよ」
「おお、そうであったか」
「もし中将様が仏道について少し詳しく学びたいと思われる場合でも、どこぞの山伏とかに弟子入りするのは気が引けるでしょう。ですから、こういう方と少しお話ししてみられたらいかがてしょう?」
「それは興味がある。その人と一度会えないだろうか?その人に漢籍や管弦についても少し教えて頂きたい」
「分かりました。それで連絡を取ってみます」
吉野宮は謀反の疑いを掛けられたりしたこともあったのもあり、あまり人を近づけようとしませんでしたた。しかし泰明から中納言のことを聞き、一度管弦など習いたいと言っていると言うと、興味を示しました。それで一度、中納言が吉野宮に赴くことにしたのでした。
この時点で中納言としては、出家して隠棲するために吉野宮に接触しようとしています。逆に吉野宮としては、娘が嫁ぐ相手として、関白の息子で中納言という男は魅力的に映ったのです。つまり娘を世間に戻してあげるための手立てとして中納言に興味を持っています。
涼道と吉野宮はお互い全く逆の動機で、一度会うことになったのでした。
涼道は、一気に出家したいと言っても、お引き受けしてはもらえないだろう。今回は宮のご様子を拝見して、来世までお便りできる人かどうかを見た所でいったん帰京しようと考えます。それでその年の9月、右大臣宅で涼道は
「夢見が悪いので7〜8日ほど山寺で潔斎します」
とだけ言いました。かつては2〜3日仕事で帰宅しない時でも、しみじみと萌子に「君の顔を見られないのは寂しい」と言ってから出かけていたのが、彼女の裏切りが明らかになった後は、あまり言葉も交わせない気分でした。
ここで誤解されやすいのは、涼道は妻に対する愛情が冷めたから言葉を交わさないのではなく、妻のことを思いやっているから言葉が出ないのです。
涼道は、自分が男ではないために妻に辛い思いをさせているという気持ちでいっぱいです。しかし性別を打ち明けられない身では、今何も言えないと思いました。また萌子は夫を裏切ってしまって申し訳無いという気持ちでいっぱいで、その一方何度も逢瀬を重ねた宰相中将のことも、自分と何か縁があったのではないかという気持ちにもなり、そのふたつの気持ちの間で苦しんでいました。
結局涼道も萌子もお互いをいたわって大事に思っているのですが、それを素直に相手に伝えられない状況にありました。
それで涼道は仲介してくれた泰明、乳兄弟の高宗、他には側近の俊秋、小さい頃からの女房の少納言の君、少輔命婦、加賀の君、と従者5人だけを伴って、吉野の宮に向かったのです。もうひとりの側近の兼充は何かあった時のための連絡役として都に残しました。
9月(現代の暦では10月くらい)なので、紅葉がきれいです。その美しい様を見るにつけ、私が7〜8日も不在にしたら、母上や父上はどうお思いになるだろう?と悩み、こんなことでは本当に出家する時はどういう気持ちになるのだろうか?と涼道は不安になりました。
涼道が宮の邸宅に到着したのを見て、宮は
「全てが衰えていく末世に、いまだにこのような素晴らしい人がいたのか」
と感嘆します。
一方の涼道は宮を見て
「修行でおやつれにはなっているものの、上品でさっぱりした感じであり、思ったより若々しい」
と思いました。
漢籍の話などしている内に熱が入ってきます。お互い、ここまで詳しい人に初めて会ったなどと感じ、話は盛り上がっていきました。
そして専門的な話が一段落した所で、宮はこれまでの自分の人生について語りました。内容はだいたい泰明から聞いていた話と重なりはするのですが、涙無しには聞けない話でした。そしてふたりの娘を世に出してあげたいという気持ちがあるので、更に山奥に入って遁世するわけにはいかないと語る宮を見て、この人は行きすぎた聖人という訳ではないんだと思い、親しみを感じたのです。
その話を聞いてから、涼道は自分の身の上を宮に打ち明けました。
最初に涼道が自分は実は女なのだと言うと
「それは最初見た時に分かりましたよ」
と宮が言うので驚きます。
「でも生まれながらの性別と違う性別で生きる人というのは時々いるんですよ」
と宮が言うと
「そうなんですか!?」
と涼道は驚きました。自分以外にそんな人が存在するとは、涼道は今まで思いもよらなかったのです。
「遙か昔、天竺(てんじく:インド)よりも波斯(はし:ペルシャ)よりも更に遠い埃及(あいじ:エジプト)という国の王に哈特謝普蘇特(はとしぇふすと:ハトシェプスト BC1508-1458)という人があったのですが、この人は本当は女だったそうです。しかし男の服をつけ、鬚(ひげ)までつけて男の国王として君臨し、絶大な権力を持っていたそうですよ」
「そんな人がいたのか・・・・」
「中将殿は牟世(モーゼ)法王をご存知ですか?」
「偉大なる王であったと聞いています。その法力は凄まじく、牟世法王が『海よ、道を開け』と命じたら、海が自ら2つに割れて道を作ったとか」
「そうです、そうです。その人の育ての親がこの人ですよ」
「そんな古い時代から性別を変えて生きた人がいたのですか」
「中将殿。私は予言します。中将殿も、きっとこの世の人臣の極みに到達なさいますよ」
涼道は今にもこの世から離れたいと思っている自分がそんな地位を得られるとは思いもよらず、この時は吉野宮のことばを信じることができなかったのでした。しかしこれまで絶望の底にあった涼道は吉野宮との話し合いで、自分が生きて行く道はあるのかも知れないと考え直したのです。
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男の娘とりかえばや物語・吉野の宮(1)