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■これまでのあらすじ(2)

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■命理編
 
命(めい)と神婚した理(ことわり)を1893年(明治26年)に産んだのは奥田命理である。昔は村の組頭を務めた奥田家の三男坊であるが、男だったはずなのに妊娠してしまい、本人も周囲も戸惑った。妊娠に気付いたのは1892年(明治25年)の夏過ぎのことである。
 
お腹が大きくなってきてからは、ずっと屋敷の離れに住み、家の者以外と顔を合わせないようにしていた。やがて翌年3月、陣痛が来たので、何とかせねばというので村の産婆を呼んでくる。命理は自分は死ぬのは覚悟なので腹を割いて赤子を取り出して欲しいと産婆に頼んだ。しかし産婆は西洋医学で帝王切開という方法があり、医者なら母子ともに助けることができると言う。それで命理の兄の銀河が、医者のいる隣町まで走って呼びに行くことになった。この当時は車などほとんど無いし、自転車さえもこの集落には持っている人が居なかった。
 
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ところが銀河が医者を呼びに行っている間に、いよいよ命理の体内の胎児が、産道に移動し始めた気配があった。そして、唐突に命理の股間にあった男性器が消滅し、女の陰部が出現したのである。産婆は驚きながらも、母親と一緒に命理を励まし、産婆が無事赤ちゃんを取り上げた。そして後産まで終わった所で、唐突に女の陰部は消えて、また男性器が出現した。
 
この奇跡の子は母親である命理から1字取って、理と名付けられた。
 
理は戸籍の上では、いったん命理の母親の娘(つまり命理の妹)として記載され、命理が養子にしたことにされた。さすがに男の命理が産んだという記載をすることはできなかったのである。
 

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理が産まれて少ししてから、命理の元に1人の男がやってきた。命理は彼に見覚えがあった。彼は実は60年に1度、壬辰の年の立春後に行われる真祭で神様と踊った人は(男女を問わず)神様の花嫁となり、立夏すぎに神様の子を受胎して翌年の立春前後にその子を産むのだと説明した。そうしてこの村では60年に1度神様が産まれて代替わりしているのだということだった。命理と神婚した神様は宝と言い、祈年祭の後で引退して西脇殿に入った。現在の神様は珠で正殿にあり、命理が産んだ理が次の神様で、然るべき儀式の後、東脇殿に入る予定だと彼は告げた。彼は頻繁には命理の前に出てこられないものの、いつも命理と理を見守っているし、必要な時は助けてくれることを話した。
 
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命理は男であるにも関わらず妊娠中にどんどん乳房が膨らんでいて、理を出産した後は、ちゃんと母乳も出たので、理は命理の母乳で育てられた。命理は特に「女になりたい」気持ちも無かったのだが、男の服を着た命理が理に授乳している姿は、かなり奇異に映ったので、その内開き直って、女の服(当時は和服である)を着るようになった。
 
そうすると、女の姿の命理が赤ちゃんを抱いている図には違和感が無く、村の人々は、命理はきっと男の子を装っていたけど、本当は女の子だったのだろうと噂した。もっとも命理は実際には男の子なので、子育てについては全く分からず、本当に悩んだ。それを助けてくれたのが、命理の尋常小学校の時の友人の妹であった阿夜(当時16歳)で、最初は時々顔を見せて手伝ってくれていたのだが、命理が本当に「女の素養」が無く、非常識なことをするのに呆れ、「そんなことしてたら赤ちゃん死んじゃうよ!」などと言い、結局ほとんど泊まり込んで赤ちゃんの世話をしてくれるようになった。
 
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それで理は実質、命理と阿夜の2人に育てられたのである。
 
理は星と同様、産まれて1年経った所で一度昇天し、この時は命理も阿夜もショックで一週間くらい、御飯も食べられない状態に陥った。しかしやはり1ヶ月後に「お前のお母さんが生きている間は地上でお世話しなさい」と言われたと言って、戻って来た。
 
ふたりは泣いて理を抱きしめ、なおいっそう慈しみ育てていくことになる。
 

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なお、当時日本には徴兵制度があり、命理もその年、満20歳(数え21歳)になったので、徴兵検査に一応(女の服を着たまま)行ったものの、入口の所で「ああ、命理ちゃんは女の子だから、徴兵検査は受けなくていいよ」と言われてそのまま帰ってきた。
 
命理は徴兵免除者名簿に「女子につき免除」と書かれたらしい。
 
命理が22歳・阿夜が18歳の年、ふたりは祝言をあげた。この祝言では命理は紋付き袴、阿夜は白無垢を着たものの、命理は女が男装しているようにしか見えなかった。
 
命理が一応戸籍上は男になっているので、ふたりの婚姻届は受け付けられた。そして翌年ふたりの間の娘・美智が産まれた(阿夜が産んだ)。
 
そもそも婚姻届を出す時にも役場の戸籍係は「命理ちゃんって女の子じゃないの?」と疑問を呈していたので、美智の出生届については「ほんとに命理ちゃんの種なの?」と念を押されたものの、命理があらためて宣誓書を書き、命理の父も一筆書いたので、美智の出生届は受け付けられた。
 
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それで村では「命理ちゃんって、ひょっとしたらふたなりなのでは?」という噂が立った。
 

1906年(明治39年)に神社合祀令が出され、1つの村には神社は1つだけにせよという指令が発せられた。E村でもそれまで5つあった神社の内4つが破壊され、強引にN神社に合祀されてしまった。N神社の禰宜(ねぎ)辛島槙雄はこの政策に協力的でないとして解任され、翌年中央から、新しい宮司(ぐうじ)が送り込まれてきた。
 
新宮司はN神社の御祭神を勝手に皇室に関わりのある神に書き換えてしまい、祈年祭・燈籠祭などの廃止を宣言、神輿や燈籠なども全て破壊してしまう。そして神社の裏の禁足地に勝手に立ち入り、そこに結婚式場を建てた。
 
辛島らは抗議するが、逆に辛島自身が村外退去命令を受けてしまう。結局、命理の口利きで、辛島一家は宇治山田に住む奥田家の分家の所に待避した。
 
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新宮司が来て以来、村は不作が続き、天災も相次いだ。崖崩れで半年孤立したりもしたが、陸軍が救援隊を組織して村に食糧を届けてくれたため、何とか助かった。
 
村の水源となっていた池が干上がり、ご神木が倒壊。そして不作続きで村は困窮するが、奥田家、石田家などの有力な家が、自身の財産を処分して村人の救済に当たったため、死者は出さずに済んでいた。この期間に死んだのは、宮司が禁足地に立てた結婚式場で式を挙げた夫婦(結婚式の翌朝死亡)くらいであった。当然、この後この結婚式場で式を挙げようとする者は無かった。またこの結婚式場を建てた大工の棟梁がまだ50歳なのに半年後に病死、関わった大工や鳶職たちの家にも不幸が相次いだ。
 
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命理はN神社で神輿が破壊された時、その「コア」を密かに回収しておいた。そして、祭神の書き換えが行われた後、破壊されたS神社の跡地に行き、理の指示に従って結界を作った後、神輿のコアを3つ、理の指示通りの場所に埋めて神籬(ひもろぎ)とし、そこで密かに神を召喚する秘法をおこなった。
 
この秘法は命理自身の寿命20年分と、自分の生殖器を捧げるという禁法であった。命理は自分が気絶した場合に供えて阿夜と2人の兄に付き添ってもらい、そこで禁断の祝詞を奉じて自分の寿命20年分を献げるとともに、自分の男性器を切り落とした。実際には切り落とす途中であまりの痛さに気絶してしまったので、予め頼まれていた銀河が命理の手を取って完全に切り落としてあげた。
 
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銀河が手伝ってあげた時は物凄い出血をしていたのに、全部切り落としてしまうと不思議と出血が止まり、更に不思議なことに命理の股間は女のような形に変わり、命理自身も意識を取り戻した。そして上空に三体の龍が出現し、命理の唱える祝詞に呼応するかのように降りてきて、命理が作った神籬の所に納まったのである。
 
こうして三柱の神(先代の神・宝、今の神・珠、次の神・理)は村に戻ることができた。
 

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銀河たちはこの場所に農機具などを置いてカモフラージュ。神籬が他の人には気付かれないようにしていた。
 
そして三柱の神はこれで居場所を確保することができ、この神がこの時期、村を何とか守っていた。ただ、ここは村に恵みを与えるのに必要な吉野の山の龍脈のエネルギーを得られる場所ではないので、神様たちにも影響を及ぼせる限度があり、災害や不作を完全には防ぐことができなかった。
 
命理は三柱の神に少しでもパワーを与えられるように、毎夜密かにN神社の裏手に行っては、S神社跡に行って、神を祝福する歌と舞を捧げた。この作業は裸で行わなければならないので、命理は理の出産で膨らんだ乳房、秘法を行ったために女のような形になった股間という状態で裸で自宅からN神社→S神社跡という行程をしていたが、この途中の命理を見た村民も多かった。見た目は裸の女にしか見えないので、つい欲情を覚えて命理の後を付けた男もいたが、みな命理がS神社跡地で神秘的な歌と舞を捧げる姿を見ると、その神々しさに圧倒されて“彼女”を襲う気にはなれなかったという。
 
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しかし多数の村人がこの命理の姿を見たことで、命理はやはり本当に女だったんだという話が広まるととともに、その命理が何か秘法のようなもので村を守ってくれているようだという話にもなり、爆発寸前の村人たちも我慢を続けていた。
 

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宮司が着任したのが1907年(明治40年)だが、村は翌年から1912年(明治45年=大正元年)まで不作が続いた。その1912年の夏にはついに堤防の決壊で死者まで出た。
 
命理は阿夜の兄、および命理の2人の兄と手分けして危険な家の戸を叩いて回って危ないから逃げるように言って回ったのだが、元々今の宮司に協力的で「守旧派」の命理たちに反感を持っていた家は警告にも関わらず避難しなかった。そしてその一家3人が決壊した堤防からあふれ出た濁流に呑まれて命を落としたのである。
 
とうとう死者が出たことで、村の若者たちの間に不穏な空気が流れた。
 
11月。宮司が突然行方不明になった。
 
県警から刑事たちが来て村人に事情を聞いてまわったものの、誰も宮司のことは知らないと言った。警察では単純な事故の類いとは思えなかったものの、誰も何も言わないのでそれ以上の捜査のしようがなく、結局事件性は無いということになってしまい、宮司は失踪として処理された。
 
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神社局では後任の宮司は発令せず、N神社は取り敢えず宮司空席ということになった。
 

明けて大正2年の2月、村の主立ったものが集まり、祈年祭を実行しようと話がまとまる。この6年ぶりに行われた祈年祭では、禁足地が使えないので、神社の前のそれまで巫女舞を奉納していた場所に幕を張って外から見えないようにして真祭をおこなった。この年は命理(40)が神との踊りを踊った。
 
この年の踊りは2時間も続き、村は6年ぶりの豊作となって、村は救われた。更に翌年は理(21)が踊った。
 
その年の3月、宇治山田に待避していた辛島家の孫息子・宣雄が神宮皇學館を卒業して宮司の資格を取った。奥田家などの根回しにより、彼が空席になっていたN神社の新しい宮司に指名され、辛島家はE村に戻ってきた。前年村長も新しい人に交替していたので、村はやっと正常化することになる。
 
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辛島宣雄は村の主立った人たちと話し合い、ここ2年間、私的に行われていた祈年祭を正式に神社の行事として復活させた。そしてS神社跡に密かに祀られていた三柱神を、N神社に復帰させることにする。
 
まずはN神社に元宮司が祀っていた皇室系の神を、境内に新たに建てた太陽社に神座ごと遷座させた上で、改造されていた神殿を元の形に作り直し、そこにS神社跡から三柱神を新しく作った3つの神輿に乗せて招き入れた。
 
S神社跡はN神社の行宮(あんぐう)の名目で鳥居と祠を建てた。またN神社の元の場所と伝えられていた場所(通称K神社)にも「元宮」の名目で鳥居と祠を建てた。
 

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禁足地に建てられていた結婚式場については慎重に解体作業をおこなった。
 
結婚式場の建設工事に関わった者がみんな不幸になったこともあり、最初はなかなか解体工事をしてくれる職人が得られなかったが、高額の報酬の提示でやっと、してくれる棟梁が見つかった。彼らには1週間前から工事が終わるまでの禁欲を指示したが、この時、命理は
 
「禁欲を守らなかったら、私みたいに女のような身体になっちゃうかもよ」
と脅したので
 
「女になっちまったら、女房から離縁される!」
などと言って、ほとんどの職人さんがちゃんと禁欲をしてくれた。
 
「でも命理ちゃんって最初は男だったの?」
「男だったよ〜。でもちんちん無くなっちゃった」
「ああ。やはりチンコ無くなったから、子供産めたんだろうな」
「チンコ付いてたら、どっから子供産むんだ?とよく言ってた」
「でも阿夜と結婚した時は一時的に、おちんちん復活したんだよ」
「じゃ、ほんとに美智ちゃんって、命理ちゃんの子供なの?」
「そうだよ。でもその後でまたおちんちん無くなっちゃった。だから今はほんとに女みたいな身体なんだよね〜」
 
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彼らには絶対に指示された通りに作業をすることを誓わせて、特別なお祓いをした上で禁足地に入れたが、このお祓いを受けただけで物凄く気持ちがピュアになったとみんな言っていた。
 
理の指示通りの手順で建物を解体し、禁足地のいちばん奥の隅に強い結界を張り、そこで崩した木材を全て焼却した。そして神社のご神体であるべき池のあった場所を掘ったら、ちゃんと水が流れ出て神社の清流も復活した。
 
この工事に関わった者は棟梁以下、みんな良いことが起きた。長年子宝に恵まれなかった人に子供ができたり、家族に病の者が居たのが回復したりしたし、ずっと言葉を話せなかった息子が突然口をきくようになった家もあった。棟梁も商売がうまく行くようになり、彼の息子の代には奈良県南部でもかなり大きな工務店に発展した。
 
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復活した清流だが、元の清流に比べると流量は少なかった。味も若干落ちたような感もあったが、理にも(宝や珠にも)これを完全に元に戻す方法は分からないということだった。
 
また、木材を焼却した跡は、禍々しい気を放っていたが、ここも理は手の付けようがないと言った。理は宝や珠の力も借りて、禍気が外に漏れ出さないように、厳重な結界を張っていた。
 
「誰かに呪いでも掛けるのには使えるんだけどね〜」
と理は困ったような顔で言った。
 
この場所は後に、珠の子供・円が、自分の祖母を殺し母を村から追い出した者を呪い殺すのに使用することになる。しかし円の復讐が完了した後、理の子である星が、完全浄化してふつうの空間に変えてしまった。そしてこの浄化が終わると神社の清流は、明治時代の流量と味を取り戻した。
 
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