広告:ここはグリーン・ウッド (第3巻) (白泉社文庫)
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■女の子たちのボイストレーニング(2)

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2009年1月13日(火)。
 
その日高校3年の千里は唐突に声変わりが来てしまった。
 
なぜこのタイミングで声変わりが来たのか当時の千里は知るよしも無かったのだが、実は千里は大学2年の時に桃香と急速に親しくなり、桃香が子供を産みたくなった時のために精子を提供してもらえないかと頼まれたのが発端である。
 
それで千里は2011年3月から7月に掛けて何度も精子の採取を行った。精子の採取をするには射精することが必要である。更にその精子の品質を上げるため採取の前日から青葉がご親切にも千里の体内の男性ホルモンを超活性化させた。
 
この精子の採取は男性体でなければできないので、千里の体内時間2007年8-9月の時期の身体を使っている。そしてこの男性ホルモン過多状態が、ずっと保留されていた千里の変声を一気に促進してしまったのである。千里が高校3年の1月に体験した男の子の身体は体内時間では2007年10月で、この男性ホルモンが過多で更に何度も勃起させられ射精をした後であった。千里は本当は唐突に女体になってしまった2007年5月より以前では射精は1度しか経験したことがなかった。それも夢精であって勃起は経験していない。
 
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男性ホルモンの過多状態は体質を男性化させる。更に勃起させたり射精をすることでも男性化が進む。それでこのタイミングで声変わりが起きてしまったのである。
 

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元々千里は「声変わりするまで」貴司の恋人で居るという約束をしていた。そこで千里は貴司にメールして、自分に声変わりが来てしまったこと。それでもう貴司の恋人ではいられないということを告げた。
 
驚いた貴司は電話してきたものの、千里は電話には出ず「武士の情けで男みたいになってしまった私の声は聞かないで欲しい」とメールした。
 

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貴司とそういうやりとりをした後、千里は半ば放心状態で学校を出て道を歩いていた。ふと気づくと近くの駅まで来ている。
 
その時、千里は唐突に留実子の姉、敏美のことを思い出した。
 
千里がまだ中学1年生の頃、留萌から深川に向かう列車の中で偶然遭遇した敏美は千里に男の声と女の声の話をしてくれた。敏美は声変わりが来てしまった時のために、こういう練習をして変声してしまっても女の声が出せるようにすればいいというのを教えてくれたのだが・・・・
 
私、全然練習してなかった!!
 
と千里は思いっきり後悔した。
 
ちゃんと敏美さんの言うことを守って日々練習していたら、声変わりなんか来ても平気だったのに!
 
千里は何でも飽きっぽいのが欠点である。
 
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日々の努力などというのからは最も遠い性格だ。千里のやり方は何でも一挙集中してマスターしてしまうのである。
 
でも声の出し方に一挙集中は無理かなあ。
 

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ちょうど駅の時刻を見ると札幌方面行きの上り列車が来る所だった。千里は切符を買って列車に飛び乗った。そしてデッキで敏美さんに電話する。
 
「こんばんわ。私、千里です。敏美さん、今日お時間取れますか?」
「千里ちゃんなの? 声どうしたの?」
「私、声変わりが来ちゃったみたい」
 
「ああ、とうとうか」
「でも敏美さん、おっしゃってましたよね。声変わりが来たってちゃんと練習すれば女の声は出るんだって」
「あんた、全然練習してなかったでしょ」
「すみませーん」
 
「でも練習する気になったんだ?」
「ちょっと切実なので」
 
「いいよ。おいで。今日はどっちみち美容室が休みで1日寝ていて、さっき起き出した所だったからさ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 
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千里は美輪子にメールして、敏美さんの所に寄ってくるので遅くなると連絡した。
 
敏美は千里にドレミファソラシドを歌わせて、音域のチェックをしてくれた。
 
「完璧にバリトンの音域になってるね」
「やだぁ」
 
「千里は元々ソプラノ音域だったから声変わりで2オクターブ低くなって、バリトンになったんだね」
「ソプラノに戻れます?」
 
敏美は少し考えた。
 
「蜘蛛の糸って知ってるよね?」
「芥川龍之介ですか?」
 
「あれってお釈迦様が蜘蛛の糸を垂らして、地獄からカンダタがそれに掴まって極楽まで行こうとするよね」
「はい」
 
「あれってどのくらい登れば極楽に行けたんだと思う?」
「さあ。地獄から極楽までだから、かなりの距離じゃないんですか?」
 
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「ブッブー」
「不正解ですか?」
 
「あの話には元ネタがあるんだよ」
「そうなんですか?」
「ポール・ケラス作『カルマ』という小説で、鈴木大拙が『因果の小車』という題で邦訳している。芥川はそれを見て『蜘蛛の糸』を書いた。鈴木大拙さんは仏教学者だからさ、凄く深いことを書いている。ところが芥川はそこが理解できなかったのか、そのことを『蜘蛛の糸』には書いてないんだよね」
「へー」
 
「地獄から極楽まで登らなければいけない距離はゼロなんだよ」
「え〜〜〜!?」
 
「鈴木大拙が書いているのはね、地獄にいるか極楽にいるかはその人の心次第だと言うのさ」
「・・・・」
 
「カンダタは自分が地獄に居ると思っていた。だからカンダタは地獄にいたんだよ。でも自分は極楽に居ていいと思うことができたら、その瞬間もうカンダタは極楽に居ることができたのさ」
 
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千里は少し考えた。
 
「それ分かります。本当に深いですね」
「でしょ?」
「でもそれが声と関係あるんですか?」
 
「男の声を出すのも女の声を出すのも心のあり方が大きい。自分は男の声が出ると信じることができれば男の声が出るし、自分は女の声が出ると信じることができれば女の声は出るんだよ」
 
「そういうもんなんですか〜?」
「男の声を出すのも女の声を出すのも紙一重なんだな」
「それはそうかも知れない気もします」
「特にバリトンの声質って実はテノールよりも女声に近い。カウンターテナーをマスターできる人には元々のテナーよりバリトンの人が多いという説もある」
「へー」
 
「あんた、自分が女であることに対して不安を持っちゃったんじゃない?それで声変わりが起きたんだよ」
 
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千里はハッとした。そうだ。この10日ほど自分は男の身体の状態になっていた。それが精神にも大いに影響したのかも知れない。
 
「11-12歳くらいで男の声になってしまって長年男の声でしゃべっていた人がいざ女の声を習得しようとすると、女の声で話すことに慣れていないから、その部分を鍛えるのに凄く時間がかかる。でもあんたは今までずっと女の声でしゃべっていたろ?」
 
「はい」
 
「だったら、女の声の出し方を『思い出す』だけで女の声に戻ることができるはずなんだよ」
 
「女の声を出すのには物凄い練習を何ヶ月もしないといけないものと思ってました」
 
「男でも女の声が出せるというのを世に知らしめたのはアメリカのメラニー・アン・フィリップス (Melanie Anne Phillips)ってMTFさんでさ。今から10年ちょっと前だよ」
 
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「それって逆に割と最近ってことですよね」
「そうそう。彼女が出てくるまで、男でも女の声が出るということは知られていなかった。ただ、変声期前に去勢した人はボーイソプラノが維持できるということが知られていただけ」
 
「でもボーイソプラノと女の声は違いますよ」
「うん。そのあたりも彼女は詳しく述べているよ。一般にメラニー法と呼ばれている方法はね」
 
「はい」
「裏声と実声の中間点を見付けるということなんだ」
「はい」
「裏声で声を出して、それを少しずつ低くしていく。それを限界まで低くした時、それは裏声には聞こえないような自然な声になるんだな」
 
「でもその付近の声は安定して出すのは難しいのでは?」
 
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「そうそう。だから訓練が必要。このメラニー法の発声というのはボイトレをする人たちの間でミドルボイスあるいはミックスボイスと言われているものに近いのではないかと言われている。でもね」
「ええ」
 
「そういうやり方はメラニー自身がむしろ後付けで考えた方法なんだよ」
「というと?」
 
「メラニーが言っているにはね。ある時、突然女の声が出ちゃったというんだ」
「へー」
「その時は逆に男の声に戻すのに数日かかったと」
「面白いですね」
 
「その体験から彼女は様々な試行錯誤の結果、男の声も女の声も自在に出せる境地に辿り着くんだけど、さっき言った裏声の最低点を探すというのは、その試行錯誤の中で見付けたひとつのアプローチにすぎない」
「ええ」
 
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「実際には女の声を出すやり方を見付けるのはいくつかのアプローチがある」
「そうなんですか」
 
「でも到達点はたぶんみんな同じ。そして一度そこに到達したら、そのやり方を忘れないように反復練習する」
「なるほど」
 
「そのことを如実に語っているのが、メラニー自身最初は唐突に女の声が出てしまったということなんだよ」
「確かにそうかも」
 
「だから、あんたも女の声を何らかの方法で一度でも出すことができたら、あとはそのやり方を忘れないようにするだけでいい」
 
「でもどうやってその最初の一度に到達すればいいんでしょうか?」
 
「普通の男なら、それが難しい。実はね、私もある日突然こういう女の声が出たんだよ」
「え〜!?」
「メラニーもそうだと思う。私も最初唐突に出た時は音域としても4−5度しか出せなかった。それをずっと訓練していって今ではソプラノで2オクターブ歌える」
 
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「なるほど」
 
「でもあんたの場合は昨日までは女の声で話して歌ってた訳だろ?」
「はい」
「だったら、その声の出し方を思い出すだけで出るはずなんだよ。多分最初からオクターブくらいは出ると思う」
 
千里は虚を突かれた思いだった。
 
「あんたはちゃんと女の声が出る。それを信じて、自分の声を見付けなさい」
「何か思い出すヒントとかないでしょうか」
 
「女の声をたくさん聞くことだよ。イメージトレーニングがとっても大事。私は松田聖子とか宇多田ヒカルとか、カレン・カーペンターとかの歌をたくさん聞いたよ」
「わあ」
 
「あんた自身の女声を録音したものがあれば、それを聞くのも凄く効果があると思う」
 
「やってみます!」
 
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敏美さんは声を安定して出すためには喉の近辺の筋肉を鍛える必要があるとして、首を曲げたり回したりの運動、顔の筋肉を動かす運動、肩の上げ下げなどの運動を勧めてくれた。またうがいをする時の喉をゴロゴロ言わせる方法、また風船を膨らませたり、笛を吹くのもいいと言った。
 
「私、笛は得意です!」
「じゃ毎日笛を2時間くらい吹こう。風船もたくさん膨らませる。発声練習は長時間できないけど、笛や風船の練習はいくらやっても喉を痛めたりしないから」
「頑張ります!」
 
「いやむしろ普段から笛を吹いているのなら、ふつうの人より喉の筋肉は鍛えられているはずだから、千里ちゃん、意外に短期間に女声を身につけることができるかもよ」
「だといいですね!」
 
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この日千里が緊急回避で使っていた無声音(ささやき声)も、息を破綻しないギリギリまで出して、もっと聞き取りやすくする方法を指導してくれた。また裏声を出させて、その裏声の状態から喉の奥を広げるような感じにして喉の緊張を解除し、より自然に響くようにする方法も指導してくれた。
 
「裏声の問題点は喉が物凄く緊張していることなんだよ。そのままではただの甲高い男の声にしか聞こえない。ジャパネット高田の社長の声はハイトーンだけど、女の声には聞こえないでしょ? でも例えば若い頃のさだまさしとか、南こうせつの声は、女の声だと思えば女の声にも聞こえる。あの人たちの若い頃の音源も聞くと参考になると思う。単純にハイトーンが出る歌手といえば、クリスタルキングの田中昌之だと思うんだけど、彼の声は高いけど緊張感がある。それに対して、さだまさし・南こうせつの声は高い上に柔らかくて緊張が少ない。より女声に近い」
 
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と言って敏美さんはそれぞれの音源を聴かせてくれた。
 
「あ、何となく違いが分かります」
 
「要は喉を緊張させずにハイトーンを維持することなんだよ。そのためには喉の筋肉を鍛えておく必要があるんだ。最初は小さな音量で維持するといい。大きな音量で響かせるのは訓練が必要だよ」
 
敏美さんの指導はその日3時間ほどに及んだ。その日はまだ千里は「女の声」を見付けることができなかったが、今朝の絶望的な気分に比べたら、かなり心が楽になった状態で、旭川に帰ることができた。
 

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翌日。1月14日(水)。
 
千里は朝起きた時、女の身体に戻っていることに気づいた。女の身体なら女の声が出ないかなと思って声を出してみるものの、やはり男の声しか出ない。以前、美鳳さんから声を出しているのは肉体ではなく神経ネットワークなのだということを聞いていたので、当然だよなあとは思う(身体が女子高生の身体と女子大生の身体とで入れ替わってもバスケの技術が継続するのも同じ原理)。とにかく自分はなんとかして女の声の出し方を見付ける必要があるのだ。
 
千里は今週いっぱい学校を休むことにした。
 
今週末はセンター試験である。実際この時期、集中して勉強したいために学校を休んでいる子もけっこう居る。京子は1月になってから補習にも出てきていない。蓮菜も昨日は冬休み明けなのでいったん学校に出てきたものの、この後は週末まで休むと言っていた。特にああいう出来る子は、学校に出てきていると心を乱されることがあったり、他の子から色々「教えて」と言われたりして、自分の勉強に集中できないだろう。国公立の入試は8割くらいセンター試験で決まってしまう。特に医学部のようなハイレベルの戦いをする子たちはここで失敗すると二次試験では挽回できない。
 
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