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大学では私は一応男子トイレを使用していたが、小便器を使うことはできないので、基本的に個室でズボンを下げて手製のマジックコーンを使って立ってしていた。立っておしっこをすることで「自分は男だ」と自分に言い聞かせていたのであるが、正直、ふつうに座ってやるほうがよほど短時間でできるよな、という気もしていた。
マジックコーンは私がトイレに流せるものの比較的丈夫な紙を買ってきて工作し、半分は大阪にいる令子に送っていた。私も令子もいつもそれをズボンの内側に縫い付けたポケットに数個入れておき、おしっこする時に取り出して使用していた。
しかし、私が男子トイレを使うと、けっこうトラブルが発生していた。
私が個室を出て手洗い場で手を洗っていた時、男の子が入ってきて、私を見るなり、慌てて出て行く、ということが何度かあった。たいていは、入口の所で再度男女の別を再確認してから、また入ってきたが、ある時はそのまま反対側のトイレに飛び込んだようで「きゃー」という声で続いて「あ、ごめん」という声とが聞こえてきて、ちょっと罪悪感を感じてしまったこともあった。
また「君、こちら男子トイレだよ」と言われたことも何度かあり、私はけっこうこの時期、ほんとに私が男子トイレを使ってもいいのだろうか?と悩んだりしていた。めんどくさい気がする時は、しばしば男女共用の多目的トイレを使ったりしていた。
5月下旬に私は自動車学校を卒業した。
私は運転免許試験場に行くのに、何を着ていくか迷った。大学にはかなり男の子っぽい服を着て行っているのだが、自動車学校には比較的中性的な服装で行ったので、みんな自分を女と思っていたようであった。中性的な服装だったひとつの理由は、自動車を運転しやすい服を着なさいという指導があっていたからなのだが、今日は学科試験だけなので、別に服装は何でもよい。
私は何となく、女物の下着を取り出した。
ブラを付け、ショーツを穿いて、鏡に映してみた。えへへ。たまにはこの路線で行こうかな。そう思うと、私は花柄のワンピースを着て、試験場に出かけた。女の子の服を着てお出かけするのは東京に来てから初めてだなあ、などと思う。お化粧してみたい気もしたけど、普段してないから、慣れてないことをしても悲惨になりそうな気がする。眉毛だけ細くカットした。
手続きをして学科試験の始まるのを待っていたら、「はるねちゃん」と声を掛けられた。
「ああ、田代君。田代君も今日試験?」
「うん。実は先週落としちゃって、今日は再挑戦」
「あらあ。でも私は仮免に3回掛かったから、卒業が遅れたもんね」
「その分、たくさん実技できたんじゃない?」
「それはあるよね−」
「でも今日は可愛い格好してるね。やはり、はるねちゃんって、そういう格好が似合うよ」
「そうかな。でも東京に出て来てから、こういう感じの格好したの初めてかも」
「俺もそういう、はるねちゃん初めて見た」
やがて試験が始まるので「じゃーね」と言って、各々の教室に入った。
試験は1発で合格し、私は新しいグリーンの免許証を手にした。写真はけっこう女の子っぽい雰囲気で写っている。まあいいよね。他人に見せる訳でもないし。でも、私、学生証の写真も、ほとんど女の子して写ってるよなあ、などと考えていたところに、田代君から声を掛けられた。
「お、合格したね」
「うん。田代君は?」
「俺も取れた」と言って同じくグリーンの免許証を見せてくれる。
「わあ、おめでとう」
「ねえ、お互い合格したので祝杯を挙げない?」
「お祝いに飲んで、それで運転して一発取り消しというコースね」
「まさか!さすがに飲んだら運転しないよ」
「ふふふ。飲むくらい、いいよ」
試験場を出たのが15時すぎで、まだ日は高かったが、私たちは試験場の近くの町の居酒屋さんに入った。
「新宿とかに出ると高いからね。こういう町の方がかえって安いよ」
「ああ、そうだろうね」
ビールで乾杯して、私も1杯だけは飲んだが、そのあとはもっぱらウーロン茶を飲み、焼き鳥やフライドポテトなどをつまみながら、あれこれ話をした。彼の方はたくさんビールを飲んでいた。
ふつう男の子の同級生と話しているとあまり会話が成立しないのに、彼とこうして話していると、ちゃんと会話が繋がっていくのが少し不思議な気もした。ただ進平と会話が成立するのとは少し違う成立の仕方という気もした。
「へー。はるねちゃんは島根の出身か」
「うん。さすがに知り合いが少ないけど、けっこうミクシイとかで高校の同級生たちとやりとりしてるから、そんなに寂しくはないのよね」
「ああ、今は便利な時代だよな」
「田代君は埼玉なんだ。自宅から通ってるの?」
「親からは自宅から通えって言われたんだけど、少しハメ外したいから一人暮らし」
「ああ、ハメ外したいというのは、私も同じだなあ。東京まで行かなくても、もっと近くの大学でもいいじゃんとか、結構言われたんだけど」
「女の子は特に遠くに出したくないよな」
えっと。女の子じゃないけどね、と言おうと思ったが、何となく言いそびれた。
話は学校でのこととか、教習所のこととかで、かなり盛り上がった。2時間ほど話をしてから居酒屋を出たが、彼が何となくそのまま別れがたい雰囲気であったので、少し散歩をした。
「でも、この付近はまだましだけど、都心の方は空気が美味しくないですね」
「うん。俺も思う。俺の実家は埼玉でも、わりとへんぴな場所だけど、ここより空気がまだ美味しいもんな」
「ずっとこういう空気の中で暮らしていたら、それだけで病気になりそう」
「ね。。。はるねちゃん」
「はい?」
「もう自動車学校は卒業だけど、また会えないかなあ」
「え?それは構いませんけど」
「じゃ、携帯の番号、交換しない?」
「はい」
と言って、私たちは携帯の番号とアドレスを交換した。
免許を取った後、私は親に自動車学校の費用を負担してもらったこともあり、少しバイトしなくちゃと思った。
この時期は翌年と違って、私もまだ時間的な余裕があったので、勤務時間をあまり気にせず、様々なバイトの求人に応募することができた。情報誌を買って、自分にできそうなバイト先に片っ端から電話していたら、フレンチ・レストランのフロア係の募集で、面接しましょうという所があったので、行くと採用してもらった。
「制服を作っているから、勤務中はそれを着てね」
と言って、フロア係チーフの前田さんという30代くらいの女性が案内してくれた。
「あなた、背が高いわね、身長は162くらい?」
「163あります」
「そしたらLかなあ・・・でも細いよね。ウェストは?」
「64です。ちょっとダイエットしなきゃって思ってたんですけど」
「64か・・・・だったらMの方がいいかも知れないなあ」
身長163で背が高いと言われたことに、私は何となく違和感を感じていた。その違和感の正体は、渡された服を見て判明した。
「とりあえずMとLを渡してみるから、ちょっと更衣室で着てみて、合うほうにしようか」
「はい」
「じゃ、これね」
私は受け取った服が、明らかに女物であったので、そういうことだったのか!と全て理解した。
「あの・・・私、男なんですけど」
「え?」
ということで事務室に舞い戻り、店長と3人でしばし話すことになる。
「あれ?君、男だったんだっけ?」と店長。
「履歴書にも男と書いていたはずですが」
「あ、ホントだ。気付かなかった。でも、君、女の子みたいな声だよね」
「ええ、声変わりしてないので。もう少し男っぽい声も出ますけど」
と言って、私は途中から自分で『男声』と呼んでいる声に切り替えて話したが、
「うーん。その声でも、聞きようによっては、女の声に聞こえるね」
「君、雰囲気が凄くやわらかくて、いいんだけどなあ・・・。いや、フロア係はそもそも女子しか募集してなかったんだけどね」
「あ、そうでしたか? 済みません。私が見落としてたみたいで」
「でも、あなた胸あるよね?」とチーフ。
「そうですね。小さいですけど。気分次第ではAカップのブラジャー付けている時もあります」
「君、女装とかするの? というか、君の今の服装でも充分女の子に見えるんだけどね」
「えっと・・・中学・高校時代は女子制服着てました」
「なーんだ、それなら問題ないじゃん、女の子として勤務してよ。戸籍上の性別は、うちは全然問題にしないよ」
「そうですか?」
「どう思う?チーフ?」と店長。
「この子を見て、男の子と思う人いないと思います」
「だよねー。じゃ、問題無し。女の子として採用。女の子の服を着るのは別に問題無いんでしょ?」
「ええ、まあ」
「中学高校時代、体育の時間とか、どこで着換えていたの?」
「えっと・・・女子更衣室で着換えてました。男子更衣室に入ろうとすると追い出されてましたし」
「じゃ、更衣室も他の子と一緒に、女子更衣室を使って問題ないよね?」と店長。
「あ、全然問題無い気がします。おっぱいもあるんなら、むしろ男子更衣室では着換えられませんよね」とチーフ。
などといったやりとりで、結局私はここでは「ウェイトレスさん」として勤務することになってしまったのであった。女子更衣室で着換えるということで、私はここに行く時はちゃんと女物の下着を付けていくようにしていたし、ここでは女子トイレを使い、ふつうに座っておしっこもしていた。
そうして大学1年の時期は、大学には男っぽい服装で行き、バイト先には女の子に戻って出勤するという二重生活を送ることになった。
なお、このレストランでは、お化粧をするとその香料が美味しい食事をする妨げになると言われ、お化粧は禁止だったので、私はスッピンで勤務していた。私がお化粧を覚えたのは翌年に女装生活が再開してからである。
しかし、ここで飲食店の勤務を経験していたことが、後に茂木が経営するレストランの運営に関わることになっていった時に結構役だった。特に接客マナーはかなり徹底的に叩き込まれたし、ここはいわゆるマニュアル式の教育はしていなかったので「考える」「同僚からスキルを盗んで覚える」という習慣も身についた。
このレストランは、いわゆるファミレスの類ではなく、また逆に高級店でも無いものの、コックさんがまともに調理をして料理を出す店だったので、結果的には茂木が作ったレストランと、似た雰囲気を持っていた。価格はやや高め(ランチが1200円、ディナー2800円)ではあったが、東京ではそういう価格帯でも、どんどんお客さんは来ていた。
私はここでは一応フロア係として働いていたのであるが、人が少ない時間帯には、厨房に入って食器洗いをしたり、盛りつけを手伝ったりするくらいの作業もするようになり、厨房の人たちと話をしているうちに私が料理が得意だという話が知れると、キャベツの千切りをしたり、野菜を切ったりの作業を手伝わせてもらうことも出て来た。更には魚がおろせるというのを聞いたコックさんが「ちょっとこれ、おろしてみて」と言われて渡した魚をさばいてみたら「合格」
などと言われて、けっこうそういう下ごしらえの作業を手伝うことも増えた。
このレストランは翌年2月に、真上のフロアにあった中華料理店でガス爆発事故があり、その巻き添えで店舗が使用不能になってしまったのを機に閉鎖、従業員もいったん全員解雇され、結局再建されなかったのだが、それが無かったら、私はここにずっと勤めていたかも知れない。その場合は出会い系サクラの仕事に就くこともなく、私の人生は随分違ったものになっていたのかも知れないという気もする。
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桜色の日々・男の子だった頃(3)