[*
前頁][0
目次][#
次頁]
それはいつ頃からそういうことになったのか、御住職にも分からないが、20年前にこの地に赴任してきた時既に行われていたので、恐らく40-50年前からではないかということでした。
「この村の裏手の山の中腹に大きな池があるのを知っていますか?」
「はい。椰子(やし)池ですね。昔あの池の畔(ほとり)には椰子の木が生えていたので、椰子池と呼んでいたんですよ」
「あそこに椰子の木があったのか! 今はそんな木は無いよ。雑木林になっているし、今はあの池には夜叉(やしゃ)が棲んでいると言われて、夜叉ヶ池と呼ばれている」
「ヤシがヤシャに変化してしまったんですかね」
「200年も経てばそんなものだろう。そしてその夜叉が人身御供(ひとみごくう)を要求するんだよ」
「え〜〜!?」
「2年に一度、若く美しい生娘(きむすめ)を差し出さなければならない。人身御供に選ばれた娘は、白い婚礼衣装を着せ、盛大に嫁入りの宴を開いてから棺(ひつぎ)に入れて、盆の朔の夜に村人が担いで池の前に酒樽と一緒に置いてくる。翌日、昼間になってから行ってみると、棺はバラバラに壊れていて酒樽は空。近くには血も落ちている。村人はその棺と酒樽を池の畔でお焚き上げして帰ってくる」
「もしかして近い内にその人身御供が行われるのですか?」
「そうなのじゃ。今年の人身御供には、村人がそういうのになるのは気の毒だと言って、村長(むらおさ)の末の娘で年は13なる者が自分が人身御供になると言っております」
「13歳の娘が!?なんて可哀相な。こんな馬鹿げた習慣が、古い時代ならいざ知らず、200年も経った未来に残っているなんて・・・。それ、熊か何かにやられているんじゃないんですか?この山は昔から熊が出ますよ」
と嶋子は言いました。
「私も疑問は感じている。実際、こんなことはする必要無い。やめようという意見が出たことがある。それでその年は何もしなかったのだが、そうしたら、やめようと言った者、そして本来人身御供になるはずだった娘の一家全員が惨殺されていた」
「うーん。。。。」
「それ以来、誰もこれを止めようなどと言う者は居なくなった」
「それをまさか私に何とかしてくれないかとか?」
「実は言い伝えがあったんだよ。海の一族の長者で、遠き蓬莱国より来る者があらば、この災厄は取り除かれようと」
と住職は言います。
浦嶋子は腕を組んで考え込みました。そして1晩考えさせてくれと言いました。
その夜、お寺で食事を頂いてから嶋子が部屋に戻り、考え事をしていたら、ふと、自分の服の袖に何か石のようなものが入っていることに気付きました。そうだ。入加さんから渡されたんだったと思い出して取り出してみると、紫色の瑠璃(*10)の珠を薄い竹皮で包んだものでした。竹皮に字が書いてあります。ちなみに瑠璃の珠は蓬莱島ではその辺りにいくらでも転がっている珍しくも無いものです。
(*10)瑠璃=ラピスラズリ
廊下に出て、二十六夜月の薄い灯りを頼りに読むとそこには入加の字で驚くべきことが書かれていたのです。
「嶋子さん。姫から渡された櫛笥(くしげ)、あなたはしっかり約束したから絶対開けないとは思いますが、あれを開けると開けた人は死にますから念のため」
何〜〜〜!?
「蓬莱から出る男にはあの箱は必ず渡さなければならない決まりなのです。万一男が妻を裏切って他の女と結婚しようとしたら、その相手の女は美しい櫛笥(くしげ)に絶対興味を持ちます。そして開けると死んでしまうという罠なのです。ですから蓬莱に戻りたければ絶対に開けてはいけません」
浦嶋子は腕を組んで考え込みました。
そしてひとつのアイデアが浮かびました。
翌朝、嶋子はこのようなことをしたいと住職に言いました。住職は考え込んだものの、村長(むらおさ)を呼び、3人で話し合います。そして
「あなたが蓬莱国から来たというのは分かります。こんな立派な服を着た人は都にもいませんよ」
と村長は言いました。それで嶋子が言うことを実行することにしました。
その人身御供をする日が来ました。
村長の末娘が美しい婚礼衣装を着、きれいにお化粧して宴に臨みますが、さすがに本人も顔色が青ざめています。自分から言い出したこととは言え、これからの運命を考えると、もう泣き出したい気分でしょう。
やがて宴が終わり、娘は棺の中に納められました。お母さんやお姉さんたちが泣いて名残りを惜しんでいましたが、やがて父の村長に促されて棺を離れ、女中と一緒に部屋に戻りました。
そして男たちが棺を担ごうとした時のことです。
「火事だぁ!」
という声があります。棺を運ぼうとしていた男たちは驚いて、棺を放置したまま、声のした方向へ駆けていきました。
そこに嶋子が忍び寄ります。嶋子は自分も美しい花嫁衣装を着てお化粧をしていました。女の衣装を着けるのは恥ずかしかったのですが、娘を助けるためです。
棺のふたを開けます。
「お嬢さん、私が身代わりになります。外に出て隠れていて下さい」
「え?でも」
「早く。人が戻ってくる前に」
「はい」
それで浦嶋子は娘と交代で棺の中に入りました。娘が棺のふたを閉じ、納戸に隠れたようです。そこに男たちが戻って来ました。
「どこにも火事なんか無かったじゃないか」
と文句を言っています。
そして男たちは棺を担ぐと、山中の池まで夜道を登っていきました。
20分ほどの坂道を歩いて、棺が下に降ろされました。
「○○ちゃん、ごめんな」
と男たちが言いますが、嶋子は声を出すと身代わりがばれるので何も答えません。
「気を失っているのでは?」
「その方が良いよ。恐ろしいことを知らずに逝くことができる」
男たちは棺に向かって手を合わせると、去って行きました。
男たちの足音が遠くなっていきます。
浦嶋子は棺の中で息を潜めていました。
やがて大きな音がして何かが近づいてくるようです。浦嶋子は緊張して待ちました。
「どれどれ今年の娘はどんな娘だ?」
という声がして、ふたが開けられました。
嶋子は驚きました。夜叉というので、鬼かあるいは龍の類いかと思っていたのに、ふたを開けたのは大きな猿でした。
「お、なんか結構好みかも」
と言うと、棺を乱暴に壊して、嶋子を抱き上げました。
「娘子、怖がらなくてもよい。取って食うだけだから」
などと猿は言っています。
「取り敢えず酌をせい」
と言い、猿は酒樽のふたを乱暴に手で割ってあけました。
嶋子は怖がっているふりをしながら(というより実際けっこう怖い)、柄杓(ひしゃく)で酒を汲むと枡(ます)に入れて大猿に渡します。
「うーん。うまいうまい。やはり良い酒を飲んでから、人は喰わんとな」
嶋子が俯くので
「ああ、怖がらなくていい。朝日が差す直前にお前は俺の嫁にした上で食うから、今すぐ食うわけではない」
などと猿は言っています。
それで猿は楽しそうに酒を飲んでいたのですが、ふと浦嶋子の衣装を見て、気付いたように言います。
「お前、角隠し(つのかくし)はどうした?花嫁は角隠しを頭にかぶるものだぞ」
「すみません。動転していたので、化粧箱の中に入れたままでした」
「だったら着けろ」
「すみません。怖くて怖くて腰が抜けてしまって立てません。その棺の中に入っているはずですが」
「まあ腰が抜けるのは仕方ないな。どれどれ」
と言って、大猿は立ち上がると、棺の中を見ます。
「これか?」
「はい」
「どれどれ」
それで猿が姫からもらった櫛笥のふたを取ると、中から紫色の煙が出てきました。
「わっ」
と猿は驚いたように声をあげましたが、その紫色の煙を浴びた大猿は、みるみるうちに老けてしまい、腰が立たなくなって座り込み、やがてそのまま息が絶えてしまいました。更に朽ち果てて、結局骨だけになり、その骨もガラガラと音を立てて崩れてしまいました。
嶋子はおそるおそる近寄ると、その櫛笥(くしげ)のふたを閉めました。
そして櫛笥を抱きかかえるようにして声を出します。
「これどうなってんの?」
と独り言のように言ったのですが、櫛笥から姫の声がします。
「あなたが蓬莱で3年過ごしている間に、地上では200年程すぎていたのです。私たち仙境の者は永遠の生命を持っていますが、あなたは人間なのでそのままにしておくと、年老いて亡くなってしまいます。それであなたの年齢をその箱に閉じ込めていたのです。ですから、その夜叉を名乗る化け物は200年の時を経て、死んで骨だけになってしまったのです」
「じゃ、僕が開けていたら、僕がこうなっていたの?」
「あなたは絶対開けないと約束しました。仙境に来た人間が人間界に戻る時は必ずその年齢を閉じ込めたものを渡さなければならない決まりになっています。過去に私の父も、私の姉たちの夫も、みな櫛笥を開けてしまい、二度と蓬莱に戻ることはありませんでした。だからあなたが人間界に戻ると言った時、あなたもそうならないかと不安でたまりませんでした。あなたはあと何日か、開けずにいてくれますよね?」
「もちろん!僕はまだ死にたくない。娘たちの成長も見守りたいし」
「あなたが約束を守る人で良かった」
それで姫が歌を詠んで言うよう。
『やまとべに、風ふきあげて雲離れ、退(そ)き居りともよ、我を忘るな』
(やまとの方に風が吹いて雲が離れるように遠くにいても私のことを忘れないでね)
嶋子も返歌する。
『子らに恋い、朝戸を開き我がおれば、常世の浜の、波の音(と)聞こゆ』
(そちらに残して来た子供たちのことを思い、朝戸を開けると、常世の国の波の音が聞こえるかのようです)
嶋子は山を下りて、池の夜叉を騙っていた大猿を退治したことを住職に報告しました。
それで村人たちも驚き、みんなで池の所まで登って、大猿の死体(骨)を確認します。
「これは巨大な猿だ」
「こんな奴にたぶらかされていたのか」
それで猿は塚を作って埋め、棺はお焚き上げしました。そしてこれまで犠牲になった少女達の冥福を祈るため、石碑を作ることにしたのでした。
浦嶋子は村を救った英雄として感謝されます。浦嶋子は自分が200年前の者であり、ずっと常世の国に居たことを話しました。村人たちは半信半疑のようでしたが、この時浦嶋子が話した内容が、国府にも伝わり「水江浦島子」の物語として風土記にも記載され、そのことが日本書紀にも書かれることになります。
ところで浦嶋子は人身御供の身代わりになった時からずっと、花嫁衣装を着ていました。それで浦嶋子の性別を誤解するものもあったようです。
「しかしあなたも女の身でよく、大猿を倒しましたね」
「あなた凄い美人だ。嫁さんにしたい」
などと言われます。
「すみません。私、男なんですけど」
「えーー!?」
ここでちゃんと性別の誤解を解いておかなかったら、浦嶋子の物語は仙境に行ってきた女の物語として記録されていたかも知れない!
村長さんは自分の娘を助けてもらったこと、そして村を救ってくれたことへの御礼として、浦嶋子にその昔、聖徳太子の側近・鞍作鳥(くらつくりのとり)が作ったという、掌に載るくらいの大きさの美しい小箱と、その中に入れた艶紅(つやべに)の小皿をくれました。
「これはうちの家に家宝として伝わっていたものです。これほどのことへの御礼にはとても足りないかも知れませんが」
と言って村長はその箱をくれた。
「美しい色合いですね!」
「中国や天竺由来の染料・顔料を使っているらしいです。鞍作鳥といえば、国宝の玉虫厨子が有名ですが・・・」
「済みません。私には分からない」
「あなたが以前こちらにおられた時よりずっと後の人だから分かりませんよね!」
艶紅の方もとても美しいものでした。
「仙境にはもっと美しい紅があるかもしれませんが」
「いえ。これはとてもきれいなものですよ。かなり高価なものなのでは?」
「はい。同じ重さの金(きん)と等価交換されます(*11)」
「きゃー!これかなりの量ありますけど」
「せめてもの御礼で」
「しかし、もらってばかりでは申し訳ないです。そうだ。お寺に半月も泊めていただいた代金代わりにこれを」
と言って、浦嶋子は入加が手紙を渡すのに使った、石代わりの瑠璃の珠を御住職に渡します。
「これは物凄いお宝だ!」
「そうですか?蓬莱にはたくさん転がっていますが」
「それは凄い所のようですね」
「来てみます?」
「いや、行くと二度と家族とは会えないようだから遠慮しておく」
と村長は言いました。
この瑠璃の珠はお寺の宝として後の世に伝えられることになります。100年ほど後、お寺で薬師瑠璃光如来の像が造られた時、この珠は如来の体内に納められました。その如来様は、病気平癒にご利益(りやく)があるとして評判になるのですが、それはまだ先の話です。