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目次]
■野暮な解説
(*1)「白鳥の湖」は英語ではSwan Lake、ロシア語ではЛебединое озеро(リビヂーナヤ・オージラ)である。лебедь(リェビッジ)が白鳥で、Лебединыйはその形容詞形。озероは湖だが、中性名詞なので、それに掛かる形容詞の語尾がоеと変化している。
つまり直訳すると「白鳥がいるような湖」という感じ。
主人公の名前はチャイコフスキー(Чайковский, Tchaikovsky)の原作ではОдетта(オデッタ)であるが、英語圏ではOdette(オデット)になっている。
キャラ名対照
オデット Одетта(オデッタ) Odette(オデット)
オディール Одиллия(オディーリヤ) Odile(オディール)
ジークフリート Зигфрид(同左) Siegfried(同左)
ロットバルト Ротбарт(同左) Rothbart(同左)
Odetteという名前はOda(オダ)という女性名に小さいもの・可愛いものを表すtteが付いた形である。Odaの男性形はOdo(オド)であり、Odetteの男性形はOdet(オデット)である!
(Odet, Odetteは英語ではどちらも「オデット」だが、実はドイツ語の場合はOdetteの方は最後に曖昧な母音が付いて「オデッタ」にも聞こえる。ここでは相手が女性と思い込んでいることから生じた聞き間違いということにしておく)
なおOda/Odoというのは領主という意味の高地ドイツ語Otをルーツにしている。つまりOdaが女領主様で、Odetteは若い女領主様なのである。そういう意味でオデット姫というのは、洞爺湖のようなものである(トーヤが元々アイヌ語で湖の意味)。
またロシア語のОдеттаはこのドイツ語系のOdetteをルーツにするものとギリシャ語のOδεατα(香り)をルーツとするものがある。またアルバニア語ではodetteというのは「海」を表す。
(*2)ロットバルトは現在演じられている「白鳥の湖」では男性であるが、初期の台本では、これに相当する役はオデットの継母であった。つまり最初はオデットを白鳥に変えたのは女性のキャラであった。その後、継母の召使いとしてロットバルトのキャラが出てきて、その内、継母は出てこなくなってロットバルトが直接オデットを虐げるストーリーとなる。
ロットバルトがなぜオデットを白鳥に変えたのかは、この「前妻の娘をいじめる継母」という構図が崩れた後、理由不明になってしまったが、可憐な乙女に恋をしたが、言いなりにならないので白鳥に変えて湖に幽閉したというのが、最近出ているひとつの説で、今回の物語は、それを表現するために付け加えられたプロローグの流れを踏襲している。
プロローグでは、人間態を現すロマンティック・チュチュ(後述)を着てロングヘアのオデットが、ロットバルトの魔法により、クラシック・チュチュを着て、髪をまとめてティアラをつけた白鳥態のオデットに早変わりするシーンが見られる。(Princess Odette -> Swan Odette)
下記は2005年のAmerican Ballet Theatreの公演(初演は2000年)。この公演ではロットバルトの方は早変わりが困難だったのか、2人のバレリーノによって演じられている。
https://youtu.be/44tiD32nL-g
アメリカン・バレエ・シアターは世界五大バレエ団のひとつ。ここで
五大バレエ団とは
・マリンスキー・バレエ(サンクトペテルブルク:旧名レニングラード)旧キーロフ・バレエ
・パリ国立オペラ座(パリ)
・ロイヤル・バレエ(ロンドン)
・ボリショイ・バレエ(モスクワ)
・アメリカン・バレエ・シアター(ニューヨーク)
の5つを言う。
山岸凉子さんの名作『アラベスク』はキーロフ・バレエ団の団員養成学校(ワガノワ・バレエ・アカデミー、Академия русского балета имени А. Я. Вагановой、作中ではレニングラード・バレエ学校)を舞台とした物語。旧ソ連をはじめとする地域から3000-4000人の受験者があり、合格するのは60名ほど。その中で卒業まで到達できるのは25人ほどで、残りは途中で脱落すると言う。女子の場合50kgを越すと男子がリフトできないという理由で50kg以下になるまでダイエットを命じられる。むろんダイエットできなかったら退学である。ロシア人の身長でこの体重制限は厳しい。
なおワガノワはアグリッピーナ・ワガノワ(Агриппина Яковлевна Ваганова, 1879-1951)のことで、自身は現役時代、それほど評価された訳ではなかったものの。引退後このバレエ学校で、指導者として活躍。イリーナ・コルパコワなど多数の優秀なバレリーナを育てた。そこで1957年以降、彼女の名前がこの学校に冠されることになった。また彼女の教授法はワガノワ・メソッドと呼ばれ、世界中に広まっている。
バレエの衣裳として基本であるチュチュだが、普通の人がチュチュと聞くとイメージする、短いスカートがほとんど横に立ったような形をしているのがクラシック・チュチュ。これは19世紀末にロシアで生まれたもので、まさに「白鳥の湖」の時代に登場したものである。白鳥という鳥の動きを表現するのにこのスカートの形が適していたのである。
ロマンティック・チュチュは19世紀前半にフランスで盛んになったロマンティック・バレエで愛用されたもので、ふんわりとした長いスカートのチュチュである。「ラ・シルフィード」「ジゼル」などがこのチュチュを使用する。
(*3)ヨーロッパではだいたい1960年代頃まで成人年齢は21歳であったが、その後、学生運動の高まりなどを受けて多くの国で18歳まで成人年齢が引き下げられた。
選挙に参加させることで不満を吸収し、学生運動を沈静化させる目的があった。また、多くの国で18歳で徴兵される制度があったため、徴兵されるなら選挙権もという流れもあった。
(*4)白鳥の湖の幕構成については下記の2通りの流儀がある。
第1幕第1場/第1幕第二場/第2幕/第3幕
第1幕/第2幕/第3幕/第4幕
3幕方式の第1場・第2場が、4幕方式の第1幕・第2幕に相当する。
(*5)白鳥の湖で出てくる白鳥はコブハクチョウ(Mule Swan)と言われる。
コブハクチョウはヨーロッパで夏を過ごして繁殖し、冬になると寒さを避けてアフリカ北岸などに渡って行く。コブハクチョウがヨーロッパに戻って繁殖を始めるのはだいたい4月下旬から5月上旬である。
つまり日本では白鳥は冬の鳥というイメージがあるのだが、ドイツやロシアでは白鳥は夏の鳥である!
コブハクチョウは基本的に一度結婚した相手と、一生添い遂げるが、相手が死んでしまった場合は、若い異性と再婚する場合もある。もっともごく稀に生存しているのに離婚する場合もあるらしい。
(*6)この物語の舞台はドイツとされる。
ドイツの例えばベルリンで計算してみると、夏至の太陽は夜21:30頃に沈んで朝4:43頃に登るので、日入から日出までが7時間ほどしか無い。これが日暮れから夜明けまでなら5時間ほどとなり、天文薄明になると、2018年の場合、5月19日から7月24日までの間、天文薄明が終わらない。つまり一晩中空が明るいままである(太陽自体は沈んでいるので「白夜」ではない)。
物語の時期を4月下旬と考えて例えば2018年4月30日の夜の場合
日入 20:29 日暮 21:19 薄明終了 23:03 薄明開始 3:01 夜明 4:45 日出 5:35
であり、日入〜日出 9:06 日暮〜夜明 7:26 薄明終了〜開始 3:58 となる。
これが東京だとこういう時間である。
日入 18:26 日暮 19:01 薄明終了 20:01 薄明開始 3:15 夜明 4:15 日出 4:50
であり、日入〜日出 10:24 日暮〜夜明 9:14 薄明終了〜開始 6:14 となる。
なお、実際にチャイコフスキーが「白鳥の湖」の構想を練ったのは、モスクワのノヴォデヴィッチ修道院(Новодевичий монастырь, Novodevichy Convent)そばにある小さな池らしい。
(*7)人間の姿に戻れる時間は、夜の間で、しかも月が出ている間なので、大雑把に計算して、夜の時間12時間÷2で6時間と考える。つまり1日の4分の1である。
それでn年間の内、0.75nを白鳥の姿、0.25nを人間の姿で過ごしていた場合、0.75nの間に倍の1.5nの時間が経過したとすると、合計1.75n時間の体内時間が過ぎていることになる。
従って、現実の6年間に体内時間としては10.5年が過ぎた計算になる。
(*8)バレエでは伝統的に、オデットとオディールは同じバレリーナが演じることになっている。
はかない感じのオデット(情緒性と表現力が必要)と、元気いっぱいのオディール(技術力と体力が必要)の両方をひとりで演じるのはひじょうに大変なことで、バレリーナとしての総合力が求められる。
演劇関係で同じ人が演じることが定着しているものとしては、ピーターパンのフック船長とウェンディの父などもある。
(*9)白鳥の湖の結末は実に様々なバリエーションがある。
現在主に上演されているパターンは、ふたりが死んであの世で結ばれるという悲劇的版と、ジークフリートがロットバルトを倒して魔法が解け、現世でふたりが結ばれるというハッピーエンド版の2つの立場に別れる。一般にハッピーエンド版はロシアで人気らしい。それ以外に、ジークフリートのみ死ぬ版、オデットのみ死ぬ版もある。またロットバルトを倒したのに魔法が解けず、結局みんな死んでしまうというバージョンもある。
最初に上演された1877年の台本では、ジークフリートはオディールの色香に迷ってオデットを裏切り、最後は自暴自棄になってオデットを道連れに無理心中してしまうという酷い筋で、当時全く人気が出なかった訳が分かる気がする。
あまりにも不評だったため、長く演じられることが無かったものを18年後の1895年にマリウス・プティパが大胆に改訂して再演し、これから白鳥の湖はバレエの人気演目となる。この後の「白鳥の湖」の台本は全てこのプティパ版を下敷きにしている。
このプティパ版ではジークフリートはオディールをオデットだと思い込んで愛を誓うという形になり、また絶望したオデットが自殺して、ジークフリートもそれを追って自分も死ぬという形になった。
もっとも国王ともあろうものが、恋人が死んだのを追って自殺というのは極めて無責任である。
その後、ジークフリートがロットバルトを倒して魔法が解け、ふたりは現世で結ばれるというハッピーエンド版が作られたのだが、そういう版を最初に作ったのが誰かというのが、よく分からない。
ネットで検索すると「1937年のメッセレル版で採用され」という文言が判で押したようにあちこちに書かれているが、その確かなソースを確認できない。
そもそもメッセレルというのが誰かというのもよく分からない。メッセレルというと、一般にラヒーリ・メッセレル(1902-1993)、アサフ・メッセレル(1903-1992)、スラミフィ・メッセレル(1908-2004)の姉兄妹が知られている(他に俳優になった兄弟もいる)。ボリショイで振付師として活躍したアサフの可能性があるが、スラミフィの可能性も否定できない(年齢的には厳しい)。またアサフあるいはスラミフィが1937年に、そのような台本を書いたという確かな情報源を見つけることができなかった。
アサフは1920年代半ばから脚本家としても活動しており、ボリショイだけでなくСиняя блуза(直訳すると「青シャツ」)という小劇場の監督も務めている。
"1957年"にアサフが台本を書き、マイヤ・プリセツカヤが主演した白鳥の湖の映画は存在するようである。
http://www.imdb.com/title/tt0165855/
20世紀最高のプリマともいわれるマイヤ・プリセツカヤ(1925-2015)は、ラヒーリの娘である。つまり、アサフは姪が主演する映画の台本を書いたことになる。
マイヤはラヒーリと技術者をしていた父との間に生まれたが、12歳の時に、父親が粛正され、母のラヒーリもカザフに追放されたため、叔母スラミフィの養女となって育った。スラミフィは後に来日し、東京バレエ団の指導者として日本のバレエ界に多大な貢献をした。スラミフィはバレリーナと水泳選手を兼ねていて、一時期は100mクロールのソビエト記録を持っていた。
なお、↓の掲示板の書き込みにはワガノワ(前述のアグリッピーナ・ワガノワか?)が1930年代にハッピーエンドで上演しており、またメッセレルもかなり早い時期にハッピーエンド版を制作しているということが書かれているが、この書き込みの信頼度がどのくらいあるかは分からない。この書き込みがもし正しければボリショイより先にキーロフがハッピーエンド版を上演した可能性もある。
https://balletalert.invisionzone.com/topic/25344-most-memorable-swan-lake-endings/?tab=comments#comment-239987