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お祈りをしていた女性がハッとしたように振り返ります。
そしていきなり悲鳴を上げました。
「きゃー!やめて!殺さないで!」
そんな悲鳴をあげられてジークフリートの方が焦ります。
「待って下さい。私は何もしない。あなたの美しさについ見とれてしまっていただけです。私は怪しい者ではありません。この国の王です」
とジークフリートは言いました。
「だって、だって、その弓矢で私を射るのでしょう?」
と女性が言います。
「そんなことはしません!」
と言って、ジークフリートはその弓を遠くに投げ捨てると、矢筒も身体から外して、やはり遠くに投げ捨てました。
すると女性は恐る恐る
「本当に私を殺さない?」
と訊きます。
「私はそんな乱暴なことはしません。私は女性に暴力をふるったことなど、ありませんよ」
「でも、さっきは私に矢を射て殺そうとしたではありませんか?」
「え!?」
とジークトリートは声を挙げると、考えました。
その時、ハッとします。
女性がつけている王冠、それはさっき射ようとした美しい白鳥が頭に抱いていた王冠に似ているのです。
「まさか、さっきの白鳥があなたですか?」
「ええ、そうです」
「大変申し訳ありませんでした。ただの鳥かと思ったので。まさか、あなたのようなお方とは思いもしませんでした。あなたは妖精か何かですか?」
と王は訊きます。
「いいえ。私は人間です」
と女性は言います。
「でも白鳥の姿になったり人間の姿になったりするというのは?」
「私はフクロウの精に魔法を掛けられているのです」
「それはまたどうして?」
「私もよく分からないのです」
と女性は言いました。
「あなたのお名前をお聞きしていいですか?私はジークフリートと申します。私はもう2度と鳥を弓矢で射ることはありません」
「私はオデット(Odet)と申します」
「オデット(Odette)ですか。美しい名前だ」
ジークフリートが紳士的な態度なので、オデットも安心し、ふたりは聖堂の階段に座ってしばしお話をしました。
「私は数年前この湖の近くの森に遊びに来ていたのです。ひとり離れて湖畔に来た所で、ロットバルトというフクロウの精に声を掛けられました。それでしばらくお話していたのですが、何か彼の気分を害してしまったようで、彼は私を白鳥に変えました。そして私の家来たちも同様に白鳥に変えてしまったのです」
「なんてことを・・・」
「それ以来、私は家来たちとともに白鳥として暮らしています。冬になると、ここの湖も凍ってしまうので、南の暖かい国へと渡って行きます。そして春になると、この湖に戻ってきます。今年は今日やっとこちらに到着した所でした(*5)」
「人間の姿に戻るのは?」
「私も家来たちも、昼間は白鳥の姿です。しかし、太陽が沈んで暗くなり、夜空に月が輝いている時だけ、私はこのような少女の姿に変わるのです」
「オデット殿、そなたのお父上やお母上などはどうしておられる?」
「母は私が幼い頃に亡くなったのです。父も私が失踪してしまったのを悲しみ、昨年亡くなってしまいました」
「それは悲しいね」
「父の葬儀に出られなかったのが心残りです。所領は本家筋に当たるヴァイセベルジュ公に吸収していただきました」
「おお、ヴァイセベルジュ公の縁者であったか」
「はい。父はヴァイセフルス伯と申しておりました」
「そうか。それではあなたが産んだ子供のひとりにあらためてヴァイセフルス伯を名乗らせてもいいね」
「私が産むんですか!?」
とオデットは驚いて言ったものの、ジークフリートはその驚きはまだ恋とか結婚などを考えたことのない若い娘ゆえの驚きと思いました。
「魔法を解く方法は無いのですか?」
「それが・・・」
オデットはそれを言うのがためらわれました。しかしやがて決心したように言いました。
「いつかロットバルトは言っていました。まだどんな女性にも愛を誓ったことのない男性に、永遠の愛を誓ってもらえたらこの魔法は解けるらしいのです。私の魔法が解けたら、家来たちの魔法も一緒に解けるという話です」
ところが、そうやって、しばらくオデットとジークフリートが話している所に突然物凄い風が吹き、ジークフリートは吹き飛ばされてどこかに行ってしまいました。
ロットバルトが姿を現してオデットに言います。
「大したもんだな。男を引き入れたか? それだけの根性があるのなら、我が妻になれ」
「いやです。それだけは」
男と結婚するなんて無茶だよぉとオデットは思っています。
ロットバルトはしばらくオデットをなじっていましたが、やがてまたどこかに姿を消します。
月が高く昇ってきます。
オデットと一緒に白鳥に変えられていた家来たちも人間の女に姿を変えました。そしてオデットの傍に寄ってきました。
「オデット様、ご無事でしたか」
「私は大丈夫ですよ」
「さっきの弓矢でオデット様を射ようとした男は?」
「間違いだったと言って謝っていました。そこに弓矢を投げ捨てて、私を襲う気が無いことを示しました」
「ではこれは私が預かっておきます」
と言って、ひとりの家来が弓矢を片付けました。
女の姿になった家来たちは沈んだ様子のオデットを慰めるため踊りを披露します。家来たちは様々な列形を取り、踊りを踊ってオデットを楽しませてくれました。
(バレエではここで24人のバレリーナによる群舞が披露されます。その後、その24人とは別の4人が出てきて有名な「4羽の白鳥」の踊りが披露されます)
「あなたたちにも本当に苦労掛けてしまってごめんね」
とオデットは女の姿になっている家来たちに言います。
「いえ。私たちは常にオデット様と一緒です」
と家来たちは言います。
「白鳥の姿で日中すごすのも慣れましたし」
「水中の魚を獲るのも、かなり上達しましたよ」
「月の光の下では人間の姿に戻れますし」
「できたら、人間の男に戻れたらいいのにね」
「女の身体もなかなかいいですよ」
「座っておしっこするのにもだいぶ慣れました」
オデットは悩んでいたことを家来たちに打ち明けました。
「私、もうロットバルトとの結婚を承諾してしまおうか?それで私もみんなも魔法が解けると思うし。ロットバルトもそんなに悪い奴じゃない気もするし」
「しかしオデット様、魔法が解けたら、ロットバルト殿と結婚できない身体になるのでは?」
「うーん・・・・」
「今は魔法が掛かっておりますから、こうやって白鳥でなければ人間の女の姿ですけど、魔法が解けたら、全員男に戻ってしまいますし」
「オデット様も、男の身体でどうやって、ロットバルト殿の奥さんになられるので?」
「だからボクは断ったのにね〜」
「我々はオデット様のお傍に仕えるのであれば、もう女のままでもいいですよ」
「そうです。オデット様は、自分の素直な気持ちに従って下さい。私たちは今のままでも問題ありません」
「そう?」
と言って、またオデットは悩むのでした。
オデットの家来たちのダンスは交代交代しながら、ずっと続いていました。
彼らが人間の姿になれるのは夜中に月が出ている間だけです。
ですから新月の夜は人間の姿に戻れませんし、三日月の夜は1時間半くらい、半月の時が夜の半分ほどですが、今夜のような満月の夜は一晩中人間の姿でいられます。ただ、日が沈んだ後、オデットは割と早く人間の娘の形になるものの、家来たちは少し遅れて人間の娘の形になります。朝も家来たちが先に白鳥になり、オデットが最後に白鳥になります。
それでさっきはジークトリートがオデットに近づいて来たのを家来たちはハラハラしながら見ているだけで、阻止することができませんでした。
この時間差の件をロットバルトに1度尋ねてみたこともあるのですが、
「ちょっと魔法の加減が強すぎたようだ」
などと彼は言っていました。
今の時期は、日暮れから夜明けまでの長さは7時間ほどなので(*6)今夜の踊りも7時間近く続きました。
ロットバルトに吹き飛ばされてしまったジークフリートも真夜中くらいには何とか戻ってきました。家来たちが警戒しますが、オデットは
「この方は大丈夫ですよ」
と家来たちに言い、ジークフリートには
「一緒に踊りませんか?」
と言いました。
それでオデットとジークフリートも家来たちと一緒に踊りました。ふたりはまるで男女のペアのように組んで踊ったりもしました。
しかしオデットのスカートがとても短いので、ジークフリートは結構オデットの足が気になるようで、オデットも「そんなに見つめないで〜」と思いながら踊っていました。
空が明るくなり始めてからも、ダンスは1時間以上続きましたが、やがて家来たちが先に白鳥に戻って行き、ダンスから離脱していきます。この白鳥に戻るのも一斉に戻るのではなく、1人1人けっこうな時間差があるようです。
しかしその内、家来たちが全員白鳥に戻り、踊っているのはジークフリートとオデットだけになります。白鳥たちは湖の上に浮かんで、こちらを伺っているようです。
この時、ジークフリートが言いました。
「オデット姫、今までどんな女性も愛したことのない男があなたに永遠の愛を誓えば、魔法は解けるとおっしゃってましたね」
「ええ」
と答えながら「オデット“姫”」と呼ばれるのは嫌だなあと思っています。
「あなたは夜の間は人間に戻れる。でしたら、今夜、うちの城にいらっしゃいませんか?うちの城で今夜舞踏会を開くのです。私はそこで妃となる娘を選ぶことにしている」
「へー。誰か良いお姫様が見つかるといいですね」
とオデットは笑顔で言います。
「いや、あなたを妃に選びたい」
「え!?」
「それで私があなたに永遠の愛を誓えばあなたもご家来たちも魔法が解けて、白鳥に戻らないようになる」
「え〜〜〜!?」
「そうだ。やってくるであろう、外国の姫君たちにも負けないような豪華なドレスを日中、この聖堂に届けさせます。ですから、それを着ていらして下さい。舞踏会は18時頃から始まりますが、私はあなたが来るまでずっと待っています」
「ちょっと待って下さい。私は・・・」
という所まで言った時、オデットの姿は白鳥に戻ってしまいました。
ジークフリートはその白鳥になってしまった、王冠をつけたオデットを抱き抱えると、湖面に放してあげました。
やがて周囲がどんどん明るくなってくると、湖の面積が小さくなっていきます。やがて小さな池になってしまいました。咲き乱れていた花も消えて行き、ゴツゴツとした岩だらけになります。そして日が昇ってきた時には、聖堂もいつしか輝きを失い、荒れ果てた廃墟になってしまっていました。
ジークフリートは王冠をつけた白鳥に
「待っていますよ」
と言うと、その場を離れ、城に戻っていきました。
城に戻ると、侍従が王に
「一晩中どこに行っておられたのですか?」
と苦言を言います。
「済まん。実は心を通わせている娘と会っていたのだ」
とジークフリートが言いますと
「そんな娘がいたのですか!」
と驚きます。
「血筋は確かなのだ。ただ昨年お父上が亡くなり、現在はあまりしっかりした後ろ盾が無いのだよ。それで舞踏会に呼ぼうと思ったのだが、そんな所に着ていく服が無いなどと言っていた。それで済まないが、外国から来るであろう姫君たちに見劣りしないような豪華なドレスを届けてやってもらえないだろうか」
とジークフリートは言います。
「そういうことでしたら、お任せ下さい。どこのお屋敷に住んでおられます?」
「それが屋敷も維持するのが大変で、みすぼらしいので、見られたくないと言って。それである場所で受け渡しをすることにした。地図を書くからそこにある古い聖堂跡の所に、衣裳を届けてもらえないか?それを向こうの侍女たちが回収してくれるはずだ」
「分かりました。すぐに手配します」
と侍従は言いました。
■第3幕 お城
ジークフリートは午前10時頃に、一度沐浴をさせられ、その後、上等の下着を着けさせられて、式典服を着せられます。腰には宝剣を下げて、お昼からの成人の儀式、そして摂政たる王太后から国の統治権を継承する儀式に臨みました。
式典が終わってから王太后は
「これからはそなたが本当にこの国の統治者である。決して人から後ろ指を指されるようなことはなさるな」
と言いました。ジークフリートも
「はい。しっかりこの国を治めていきます」
と誓いました。
その後は、外国の王室の使いの人、大臣や将軍など、更に何とか公爵だの何とか侯爵だの何とか伯爵だのといった人たちが来ては挨拶していきます。そういう人たちにジークフリート王は笑顔で応じていました。
挨拶に来た人たちの中にヴァイセベルジュ公爵がいたのでジークフリートは彼に声を掛けました。
「そなたの縁者にヴァイセフルス伯爵がおられたな」
「はい。覚えて頂いていてありがとうございます。ヴァイセフルスは昨年亡くなったのですよ」
「跡継ぎは?」
「それがひとり跡継ぎがいたのが、6年程前に行方不明になりまして」
「どういう状況だったのだ?」
「従者を20人ほど連れて散歩に出ていたのが夜になっても帰ってこなかったんです。たくさん人数を出して探させたのですが、どうしても見つけることができませんでした」
「何があったのであろうな」
「何かの事故に遭ったのではということになりました。当時まだ12歳でしたが、顔も美しく、性格もしっかりした立派な跡継ぎで、遅くなってから出来た子でもあったし、伯も将来を楽しみにしていたのですが。実は伯が亡くなったのには、その後の心労もあったようなのですよ」
「それは大変だったね」
この会話で聞いた内容が、オデット姫の話と一致しているので、あの子は間違い無くヴァイセフルス伯爵の娘なのであろうとジークフリートは考えました。
しかし6年前に行方不明になり当時12歳だったということは現在18歳ということになります。自分の妃として、年齢的にもバランスが良い、とジークフリートは思いました(昨晩はさすがに女性に年齢を訊くのはと思い、尋ねなかったのです)。