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伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)はまぐわいをして子供をお作りになりました。
しかし最初に生まれた子は蛭子(ひるこ)で、その形も性別もはっきりせず、3年立っても足腰が立ちませんでした。そのような子は葦の船に乗せて海に流すと成長すると言われていましたので、伊邪那岐命と伊邪那美命はそうなさいました。この子は後に兵庫県の西宮に流れ着いて無事成長し、えびす様になったといいます。
次の子供は淡島(あわしま)で、この子もどうもうまくありませんでした。そこで二人は一度神様の世界に戻って先輩の神様たちに相談なさいました。すると神様たちはお二人の体をよくチェックされ、伊邪那美命はまだ完全に女になりきっておらず、伊邪那岐命もまだ完全に男になりきっていないことが分かりました。そこで神様たちは二人を手術して、伊邪那美命から女として余分なものを取り去り完全な女にし、それを伊邪那岐命に移植して完全な男にしました。お二人はまた淤能碁呂島に戻りました。お二人はまた、まぐわいをなさいましたが確かに以前より調子がいい感じでした。
■国を生む
そういうわけで、お二人はまず淡路島をお産みになりました。それから四国をお産みになりました。この島は四つの顔を持った島で、それぞれ、伊豫(愛媛)・讃岐・阿波・土佐といいました。それから隠岐をお産みになりました。それから四番目には九州をお産みになりました。この島も四つの顔を持った島で、それぞれ筑紫・豊国・肥国・熊曾といいました。五番目には壱岐をお産みになりました。六番目には対馬をお産みになりました。七番目には佐渡をお産みに成りました。八番目には本州をお産みになりました。この八つの島を合わせて「大八島(おおやしま)」といいます。
この後お二人は更に次の6つの島をお産みになりました。
吉備の児島(現在の児島半島)、小豆島(しょうどしま-ソウメンで有名)、大島(山口県の。現在は屋代島とも呼ばれている。ミカンと真珠で有名)、姫島(国東半島の近く)、知訶島(五島列島)、両児島(男女群島)。
■神を生む
国を生んだ後、お二人は今度は神をお産みになりました。
大事忍男神、石土毘古神、石巣比売神、大戸日別神、天之吹男神、大家毘古神、風木津別之忍男神、大綿津見神、速秋津日子神と速秋津比売神、志那都比古神、久久能智神、大山津見神と鹿屋野比売神、鳥野石楠船神、大宜都比売神、火之迦具土神といった神々です。
ここで速秋津日子神と速秋津比売神の男女神は二神で一対の水戸の神です。大山津見神(おおやみずみのかみ,大山祇神,大三島神社の御祭神)と鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)は山と野の神で結婚して後に木花開耶姫(このはなさくやのひめ,富士山の神)をお産みになりました。
■伊邪那美命の死
伊邪那美命が最後にお産みになった火之迦具土神(ほのかぐつちのかみ)は火の神様でした。そのため、この神様を産む時に伊邪那美命は膣や陰部に大やけどを負ってしまいました。
伊邪那美命は気分が悪くなり嘔吐をしますが、そこから金山毘古神・金山毘売神(鉱山の神様)がお生まれになりました。またウンコをもらしてしまいますが、そこから波邇夜須毘古神・波邇夜須毘売神(土器の神様)がお生まれになりました。またオシッコをもらしてしまいますが、そこから弥都波能売神(水の神様・雨乞いの神様)・和久産巣日神(農業の神様)がお生まれになりました。
そして、とうとう伊邪那美命はお亡くなりになりました。
伊邪那岐命は「たった一人の子供のために妻を亡くしてしまった」とお嘆きになりたくさん涙を流されました。その涙から泣沢女神がお生まれになりました。そして伊邪那岐命は妻の死の原因を作った火之迦具土神の首を刎ねてしまいました。
その刀の切っ先から落ちた血から石拆神・根拆神・石筒之男神がお生まれになりました。刀の根本から落ちた血からは甕速日神・樋速日神・建御雷之男神(たけみかづちおのかみ,鹿島神宮の御祭神)がお生まれになりました。また柄から流れて伊邪那岐命の指の間から落ちた血から闇淤加美神(くらおかみのかみ,貴船神社の御祭神)・闇御津羽神がお生まれになりました。
それから殺された火之迦具土神の頭からは正鹿山津見神、胸からは淤縢山津見神、腹からは奥山津見神、チンチンからは闇山津見神、左手からは志芸山津見神、右手からは羽山津見神、左足からは原山津見神、右足からは戸山津見神、がそれぞれお生まれになりました。