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■夏の日の想い出・小4編(3)
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僕は姉と一緒にトイレを出た。ショートパンツ姿の姉とワンピースを着た僕が並んでいるのを見たら、きっとショートパンツ姿の方が僕で、ワンピースを着ているのが姉だと、多くの人が思うだろう。あまり近くに寄らない限りは!
披露宴の会場に近づいていくと、ちょうど会場の進行係の人がドアを開けてこちらの方を見たところだった。
「ああ、良かった。そろそろ出番だから、誰か捜しに行かせないといけないかと思ったところだった」
「すみません。遅くなりました」
「萌依ちゃんだったよね? 今歌っている人の次にお琴の演奏が入って、その後が君の出番だから」
と言われる。
会場ではお婿さんのお友だち?の人たちがウルフルズの「バンザイ」を歌っている。音が外れているのがちょっと気持ち悪かった。僕はこういう音の合ってない歌が凄く嫌いだ。だからアイドルの歌とかはほとんど聞かない。
その後、2番目の伯母さんが華やかな和服で出てきて、箏の演奏を弾き語りで始めた。この曲は知っている。『千鳥の曲』だ。いい歌だなあと思う。さっきの歌がひどかっただけに、きちんとチューニングされた歌はよけい心地よく感じる。
僕はその演奏を聴いて、とても良い気分になった。
「では次は新婦の従妹、唐本萌依さんによるエレクトーン演奏です」
と司会者から言われる。
僕は姉にニコッと微笑みかけると、楽譜をしっかり右手に持ち直してエレクトーンの所に行った。家にあるのとは違う機種だ。家にあるのはHS-8、姉が教室でレッスンに使っているのはEL-90と聞いていたが、これはHS-8より一世代前のFS-30である。こんな古い機種はたぶん教室にも無いだろう。でも何となく勘で設定方法は分かる。僕は上鍵盤にサックス、下鍵盤にギター、リズムはディスコを選択した。ブレイクバリエーションのボタンを押すが、まだリズムはスタートさせずに、ノーリズムでサビを演奏する。
設定をしながら、姉ちゃんなら慣れてない操作卓を目にした所で頭が沸騰してたかも、と思いちょっと笑みが出る。
ひととおりフリーにサビを演奏(実はウォーミングアップを兼ねている)したところでリズムをフィルインとともにスタートさせる。そして前奏に引き続き再度サビの演奏をする。それからAメロに入る。
あれ?何だかいつもより調子いい。しばしば指のスピードが付いていかずにうまく弾けていなかった所もスムーズに弾けてしまった。
何だか物凄く調子が良かったので、あまりうまく弾けていなかった間奏部分のギターソロも入れてみる。おお、行ける行ける。調子に乗りすぎて間違ってしまったが、間違った所をまるで独自アレンジしたかのようにうまく展開させてまとめた。グライドを使ってチョーキングっぽい表現もする。何となくハイテクニックな雰囲気になってしまったので、拍手が来る。あはは、怪我の功名!と思いながら僕は演奏を続けた。
この時、母は隣に座っていた姉(僕の伯母)から「萌依ちゃん、うまいね!」
と言われたらしいが、母は「いや・・・あれは・・・」とだけ言って口をつぐんだらしい。
やがて最後にサビを4回リピートして演奏を終了する。大きな拍手。僕は会場に向かっておじぎをして外に出た。
姉と一緒にすぐに女子トイレに行く。更衣室に入って背中のファスナーをおろしてもらいワンピを脱ぐ。そして元の服に戻る(パンティはそのまま)。ふたりで一緒にトイレから出て行った時、入口の所に母が立っていた。
「あんたたち、どういうことか説明して」と険しい顔の母。
「あ・・・・ごめんなさい」と僕。
「ごめん。私どうしてもうまく弾けなくて、冬に代わってもらった」と姉。
「それにしても何も冬彦が萌依の振りして弾くことはないでしょ」
「だって・・・」
「萌依が調子悪いので代わりに冬彦が弾きます、とか言って弾いても良かったんじゃない?」
「あ、そうか!」
「気付かなかった!」
ってことは、僕って女装のやり損?
「あんたたちには呆れたわ。まあ、無事演奏できたからいいけどね」
と母はやっと笑顔を見せた。
「取り敢えず、お疲れ様」
と言って、母は僕たちに自販機のジュースを買って1本ずつ渡してくれた。
先にも書いたように姉は洋服を買う時、試着せずに買うタイプである。それで買って家まで持ち返ってから「あ、この服あまり合わない!」などと言い出す。
そういう服を姉はしばしば僕に押しつけていた。Tシャツやセーターなどはよいのだが、女の子仕様の左前ボタンのポロシャツとか、七分丈のパンツとかも結構押しつけられ、僕はそういう服を着て学校に出て行くこともあった。友だちから「あれ?それ女物じゃない?」と聞かれても僕は
「ああ、お姉ちゃんのお下がり」と言って平然としていた。
僕は当時友人達から「普通の男の子とは違うみたい」と思われている感じだったので、そういうのは全然気にしていなかった。
「あーん。このスカートも失敗!あげる」
「いや、スカートもらっても穿いて歩けないし」
「うそ。こないだも穿かせてあげたら嬉しそうにしてたじゃん」
「そんなこと・・・無いと思うけどなあ」
「ああ。このブラジャー、サイズが合わない。冬なら合わない?」
「僕、ブラジャーには用事が無いけど」
「いいから付けてごらんよ」
といって強引に付けさせる。
「ああ、ピッタシじゃん。そのブラあげる」
「いや、ブラとかもらっても困る」
「まだ今は胸が無いからね。来年か再来年になれば胸も膨らんでくるだろうし、ブラが必要になるよ。少し付ける練習しておくといい」
「胸は膨らんでこないと思うけど」
「自分でブラを付ける時はね、ほらこうやって左右の指先にホックが来るように持って、指先を合わせるようにして留めるのよ。さあ、やってごらん」
と言って姉は僕にブラを自分でつける練習をさせた。
「ほら、上手くいった」
「へー、こうやって留めるのか。面白いかも」
「面白いと思ったら、そのブラあげるからさ」
「もらっても、おっぱい無いから使わないし」
「ブラはきっとあんた必要になると思うな。付ける練習はよくしておこうね。そうだ、おっぱいが膨らむ薬、買ってきてあげようか?」
「遠慮します」
とは言ったものの、本当はそんな薬があるなら飲んでみたい気分だった。
ちょうどその頃。僕は「おちんちんいじり」というものを覚えてしまった。最初は偶然なんとなくおちんちんをいじっていたら気持ちよくなり、やがて手で握って上下させる方法を覚えた。最初の頃は凄く気持ちよくなる感覚はあったものの、白い液体は出ていなかった。透明な液体が出てきていたので、自分ではおしっこが出てきたと思い「無理矢理おしっこを出す方法」として、一時的にハマってしまう。しかし、すぐにこれは「いけないこと」だと思い、しないようにしようと思う。
でもすごくしたくて我慢が出来ないような日もあった。それであれこれ考えた結果、最初おちんちんが付いているのが悪いんだと思うようになった。そもそも自分はおちんちん要らないと思ってたし、いっそおちんちんを切っちゃおうかとも思った時期もあったが、その内、おちんちんより、たまたまの方が元凶ではないかと気付いた。
ひょっとして精子が生産され始めて、その精子が僕にこんなことをさせてしまうのでは?タマタマを取っちゃったら、あるいは働かなくしたら、僕はこの「おちんちんいじり」を止められるのでは、という気がした。
最初潰そうかと思い、ペンチでつかんで押さえつけてみた。あまりの痛さに悶絶し、僕はしばらく立てなかった。思い切って力を入れたら潰れるのではと思ってやってみたこともあるが、気を失ってしまった。意識を回復した時、結局タマが潰れていないのを認識して悲しくなった。
そのうち「茹で上げる」という方法を思いつく。うちの風呂はガス釜方式だったので、焚いていると熱いお湯が出てくるところがある。僕は自分のタマタマをその熱いお湯が出てくるところに当てておくというのをやるようになった。物凄く熱いのだが、それを我慢した。当然のことながら袋の部分はやけど状態になるので、湯船を出てから冷水を掛けて冷やし、馬油を塗っておいた。冷やすときはタマ本体は冷えにくいように体内に収納してから袋の部分だけ水冷した。
これをやり始めてから確かに僕は「おちんちんいじり」をする頻度が減った。それまで2日に1度はいじってしまっていたのが、週に1回くらいで済むようになった。それでも、いじってしまうと物凄い罪悪感を感じた。
それにお風呂でタマタマを茹でるのはかなりの苦痛を伴う。痛くてパンツが穿けない。
その内、学校で男の子たちの噂で、あれって冷やしておかなければ機能を発揮しないという話を聞く。そもそもおちんちんとタマタマが外にぶらさがっているのは、温度を下げるためで、あれが体内にあると体温が高すぎて機能が落ちるのだという。だからパンツも密着するブリーフより風通しの良いトランクスのほうが男の機能を高めるにはいいんだと彼らは言っていた。
僕はタマタマが体内に格納できることを知っていた。でも中に押し込んでもそのままだと外に勝手に飛び出してきてしまう。何かで押さえつけておく必要がある。その時、僕は女の子ショーツを使う方法を思いついた。
自分が持っている女の子ショーツを1枚取り出し、タマを体内に押し込んでからショーツをぴっちりと穿いてみる。
だめだ。重力で下がってくる!
しかしこれは試行錯誤している内、おちんちんを下向きに収納して「ふた」をする形にして、それを更に小さめのショーツでしっかり押さえるとよいことに気付く。またショーツを穿く代わりに布製のガムテープで押さえても何とかなることにも気付く。後で考えるとタックの一歩手前である。
特にこれを重力のあまり掛からない状態、寝ている時にすると、朝までしっかりタマは体内に格納されたままであった。
僕はこの方式を思いつくと嬉しくなって、それから毎晩寝る時はタマを押し込んで女の子ショーツなどで押さえて寝るようにした。
また時々、体内に収納する代わりに、ショーツの上からカイロを貼り付けてやけどしない程度の高温にしておく方法も思いついた。冬の間、ホッカイロをお腹などにいれて暖めた後は、途中からしばしばお腹からお股にカイロを移動していた。またうちに電池式のカイロもあったので、これをよく休日などはショーツのタマタマの上に置き、その上からもう1枚ショーツを穿いて押さえておいていた。
このような「高温」作戦をするようになってから、僕は「おちんちんいじり」
は月に1度くらいで我慢できるようになった。寝ている時に女の子ショーツを穿いてると、朝うっかり穿き換え忘れて、そのまま学校に行ってしまうこともよくあった。
僕は使用した女の子パンティは堂々とそのまま洗濯機に入れていた。当時家の「お洗濯係」は自分になっていたので、洗濯機から取り出して乾すのも、それを取り込むのもだいたい自分でするので、あまり問題は起きなかった。たまに母が取り込むと、それは姉のタンスに格納されてしまっていたが、姉がこちらに持ってきてくれていた。
僕がその時期こういうことをして「男性機能低下」をさせたのは、女の子になりたいからではなく、当時物凄い罪悪感を感じていた「おちんちんいじり」
をやめたいからであった。
その頃、僕は声のことでも少し悩んでいた。僕は3年生の頃までは女の子の友だちが多かったので、彼女たちとよく話す結果、話し方も女の子っぽい話し方が染みついていたし、自分でも自分は少し女の子っぽい声を出してるよなと思っていた。
ところがある時、学校にひとりの女子がお姉さんのだというICレコーダを持って来ていた。いろいろしゃべって録音して聞いてみるというお遊びをする。みんな面白がってやっては「えー?私の声ってこんなの?」などと言っている。面白そうなので僕も「貸して貸して」と言って、自分の声を録音して聞いてみる。
ショックだった・・・・
僕の声って何だか変。何か男とも女ともつかないおかしな声になっている。えー?僕って今までこんな声で話してたの?
後から考えてみるとそういう声になっていたのは、実はこの頃からもう変声期が始まっていたからだと思う。私の変声期は翌年、小学5年生の春頃から本格的に始まったのだが、この時期、既に声帯がもう変化を始めていたのだろう。
「うそみたい・・・」と僕が呆然とした表情で言うと
「なんか自分で聞いてるのとは違う声だよね」とみんな言う。
「あのね。耳をこうやって手で覆って聞くと、わりと録音した声に近いよ」
とひとりの子が言う。
へーと思い試してみる。
「あ、ほんとだ。録音した声と同じだ」
「だから自分の声を変えていきたい人や、声色の練習したい人は、こうやって聞きながら練習すればいいんだって」
「あ、頑張ってみようかな」
「冬ちゃん、男の子っぽい声を練習するの?」と有咲が訊く。
「えっと・・・」
「むしろ女の子っぽい声を練習したら?」と奈緒が提案した。
「どっちにしよう?」
僕は正直少し悩んだ。
「冬ちゃん、裏声出る?」
「裏声って、こんな感じ?」
「ああ、そんなの」
「裏声、きれいだね。その声をもう少し鍛えたら、結構女の子っぽい声になるんじゃない?」
「そうそう。で、地声の方はもっと男の子っぽい声にしていったら、冬ちゃん、どちらの声も出るようになるよ」と奈緒は笑顔で言った。
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