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試験がスタートした。最初は足袋をはかせ、肌襦袢を着せるまで。晃にとってはウォーミングアップのようなものだ。
次は体型にあわせた補正をして、長襦袢を着けるところまで。これまで50回以上やっていることだが、晃は慌てずきれいにタオルで補正をしていった。いつもより手際がいいじゃない、と小夜子は思う。試験会場独特の緊張感が晃の心身にアクセルを掛けているのだろう。でも焦らなくていいからね。
会場では経過時間がコールされていた。前半の時間終了。手際が悪くまだ完了していない人も数人いたようである。注意されている。晃は所定時間より2分ほど早く作業を終えていた。試験官がひとりひとりのモデルをチェックしてまわる。小夜子もチェックされる時はちょっとどきどきしたが、晃のほうがもっとどきどきしているだろう。
やがて試験の後半が始まる。これが本番。振袖を着せて帯を締め「ふくら雀」の結びを作り、草履を履かせる。後で他の人たちに聞くと、試験ということで緊張してふだんより力を入れて帯を締めた受験生が多かったようである。晃はいつも通りの力加減で締めてくれた。帯は緩いと着崩れするし強いと着ていて苦しい。
タイムアップ。
晃はとうに作業を終えていたが、やはり終わってないところがあり、まだ帯の結び目で苦戦したり、あちこち崩れたところを直そうとしている人たちがいる。所定時間でちゃんと終わらせるというのはたぶんちゃんとそういう練習してないとできないんじゃないかなと小夜子は思った。晃はストップウォッチを作動させながら練習していた。
「パーマのスティック巻くのとかもストップウォッチ持って時間計られて鍛えられたからね、駆け出しの頃」と晃は笑って言っていた。
たぶんこういう試験は若手の受験者に有利。自分流になっているベテランが危ない。途中でも手順が守られていないとか指定にない道具を使っているとか注意されている受験者がいた。これ、高年齢の大先生達がけっこう落ちるな、と小夜子は思った。
チェックタイムに入る。晃はもう「まな板の上の鯉」の気分だろう。
ひととおり試験官がモデルを見てまわったあと、受験生は退場させられモデルだけ再度のチェックが行われた。
小夜子は他のモデルさんたちが着ている振袖そのものに関心が移っていた。普及品からかなり上等な品までいろいろだ。その中にひとり小夜子と同様に加賀友禅を着ているモデルさんがいた。向こうも気づいたようで一瞬目があった。こちらが軽く会釈すると、向こうも穏やかに微笑みながら会釈した。この子とはあとで仲良くなるのだが、高木由美さんといって元々金沢の出身なので母親のお嫁入り道具だった加賀友禅を借りて持ち込んだらしい。
長いチェックが終わり、モデルたちも解放された。
「ありがとう。お疲れ様」といって晃が駆け寄ってきた。その後ろに次の時間に受験する晃の同僚2人がモデルさんらしき人と一緒に並んでいる。晃は内村さんにカメラを頼み、小夜子と並んで晴れやかな表情をした。きっと自分でも力を出し切ったという気持ちなのだろう、と小夜子は思った。
『アッキーいい表情してる。ついでに凄く女っぽい』
小夜子はほほえんだ。私ってやはり女らしいアッキーが好きなんだ。
変態かなあ、こんなの。でもそもそもアッキーが変則的な存在だしいいよね。
ふたりは別室で着替えて洋装にすると、振袖やお道具を車に乗せて小夜子の家に戻った。小夜子の家には晃の道具が大量に持ち込んであったので、それを協力して車に乗せると、晃は五十鈴に丁寧に挨拶をして去っていった。
「試験はどうだった?表情がいいし合格?」と母が聞く。
「あ、結果発表は1月なんだって」と小夜子は答える。
「でもたぶん通ってるよ」
試験の翌日は水曜日だ。
これまでなら、晃が夕方やってきて、着付けを始めていたのだが、もう試験は終わってしまったので、当然来たりはしない。
「あら、晃さん、今夜は来ないの?」
「うん。試験終わったし」
「あらあら、晃さんの分まで御飯炊いてたのに」
「私がその分まで食べるよ。モデルやってる間は体型できるだけ変えないようにしたいと思って控えてたし」
五十鈴は面白そうにほほえんでいた。
次の土曜日。晃とは電話は掛け合っているのだが、もちろん小夜子の家に来たりはしない。なんか物足りない・・・・小夜子は思った。その表情を五十鈴は静かに見ていた。
その次の土曜日、小夜子は何かイライラする気分だった。
仕事の関係で覚えなければならない技術に関する本を読んでいたのだが、ぜんぜん頭に入らない。思わず本を投げ飛ばした所を母に見とがめられた。「本は大事にしなきゃ」「ごめん」
「あきらさんはいらっしゃらないの?」
「だって試験終わったし。私が習っていた分も免許皆伝と言われたし」
「別に試験と関係なくてもお呼びすればいいのに。友達呼ぶのに理由なんて必要?」
「あっ」
「でしょ?」
「そういうことは思いつかなかった」
「やれやれ。あなたたち、ほんとにのんきね。私をいつまで待たせるのかしら」
「え?」
「あきらさんと、あなた以前交際してたでしょ。もう7〜8年前だっけ」
「よく覚えてたわね。。。。うちに連れてきたことなかったのに。
あれ?お母さん、彼女が男の子と分かってた?」
「そりゃ分かりますよ。まあ少し普通の男の人とは違うみたいだけど、あなたが選んだ人なら間違いないわ。仲直りして復縁したのかと思っていたのだけど」
「いや、アッキー・・・あきらとは恋人として戻ったんじゃないの。あくまでお友達」
「普通のお友達には見えないわね。あなたが彼女・・・といっていいのかしら?を見る目は恋をしている目だったし、彼女があなたを見る目も愛おしむような目だった」
「お母さん・・・・・」
「電話したら?」
「お母さん、私・・・・・・あきらと結婚してもいい?」
「今時、男同士や女同士の結婚もけっこうあるみたいだしね。あなたがそれでいいのなら、お母さん反対しないわよ。世間体気にするような家でもないし。娘も30すぎたら、早く片付いて欲しいし。もらってくれる人がいたら誰でも熨斗付けて進呈。それにあの子、ほんとにいい子。私気に入っちゃって。孫は欲しかったけど諦めるわ」
「孫・・・・うまくすれば見せてあげられるかも」
小夜子は携帯のアドレス帳を開くと、先頭にある晃の番号に掛けた。
「ごめん。仕事中だった?」「うん。手短にだったら」
「今夜、うちに来ない?」「え?でも着付けの練習は終わったし」
「お母さんも会いたがってるし」「あ、お母さんからの呼び出し?」
小夜子はハッと思って言い直した。
「違う。私の呼び出し。私がアッキーに会いたい」
小夜子は言い切った。
「分かった。年末でたてこんでて、少し遅くなるけどいい?」
「待ってる」
小夜子は電話を切ったあと少し考えてから「あった方が口説きやすいな」と呟くと「ちょっとコンビニ行ってくる」と五十鈴に言って短時間出かけて来た。
その晩、晃がやってきたのは22時過ぎだった。
「ごめん。遅くなって」
「ううん。急に呼び出しちゃったし。あ、ごはん食べた?」
「まだ。何かあったら食べさせて」
小夜子はシチューの鍋をIHヒーターに乗せて再加熱する。母は・・・自分の部屋に引っ込んでしまったようだ。御飯を2人分、茶碗に盛る。
「あれ?もしかして食べずに待っててくれたの?」
「うん」小夜子は素直に頷いた。その仕草を晃はとてもかわいらしく感じた。小夜子はシチュー用の皿を出して、そちらも2人分盛りつけた。
「ねえ、来週はクリスマスじゃない。イブから2日越しのデート、というか一緒に過ごさない?女2人で楽しみたいな」
「ごめん。クリスマスは書き入れ時で。イブも当日も予約いっぱい」
「うーん、仕方ない。その翌週は?年末年始をふたりで」
「31日は17時で閉店で、1日から4日まではお休み」
「じゃ閉店したあと、ふたりで4日まで」
「そんなに長時間何するの?」「ゆっくり話したいの」
「まあいいよ。ボクも少しゆっくり話したい気はしてた」
「今夜もちょっとだけゆっくり話せるよね」
「そうだね。この時間に来て終電では帰れないし夜2時くらいまでは付き合うよ」
「夜2時に帰っちゃうの?」
「うん泊めてよ。でも2時に寝る。明日も朝から仕事だから。年末お客さん多くて」
「ボーナスも出るしね。あ、私もパーマしようかな。してよ、アッキー」
「営業時間外にずれ込んでもいいなら予約ねじ込むよ」
「じゃ24日の最終予約を」
晃は苦笑した。「いいよ。そのあとミニデートね」
「うん。本番は年末年始」
ふたりは食事の後小夜子、晃の順でお風呂に入り、小夜子の部屋に入った。小夜子はベッドの中で待っていた。
晃は少し困ったような顔をして自分もベッドに入った。
小夜子は裸だった。
「アッキーも服脱いで」「いいよ」晃は素直に服を脱いだ。
小夜子は抱きついてきたが、晃は拒否しなかった。
「ベッドの中でお話ししてたら2時までもたずに寝ちゃうかも。お風呂にも入ったし」
「寝ちゃうまででいいよ」
「アッキーのおっぱいに触るの好き」
「確かに不必要なくらい触ってたね。着付けの時も」
「気持ちいいじゃん。私のも好きなだけ触っていいよ」
「ありがとう、じゃ遠慮無く」アッキーは優しく小夜子の乳房を愛撫した。「私、アッキーに謝らなくちゃ」「え?何を?」
「アッキーに性転換しないの?とか、ホルモンしないの?とか、勝手なこと言って」
「言われ慣れてるから気にしないよ」
「私さ、以前恋人として付き合った時より、今回ほんとに女友達同士の感覚ですごした2ヶ月間のほうがずっと楽しかった」
「それはボクも。ボクは男としては女性を喜ばせられないのかも」
「それでさ、アッキーが本当の女の子になってくれたら、ずっと女友達のままでいられるのにとか思って、だから女にならないの?とか言っちゃったのかなと反省して」
「・・・・・」
「でもアッキーはアッキーなんだよ。私が無理にアッキーを男か女かどちらかに分類しようとしたことが間違い。男とか女というフレームで捉えちゃいけないんだ。私とアッキーは仲良く付き合っていける。でも私がアッキーを男として捉えようとしたり、逆に女として捉えようとすると、無理が来ちゃうんじゃないかって。そう思ったの。だからもう私、アッキーのこと、男だとか女とかいった分類はしないから。アッキーのあるがままの姿を私は受け入れることにする」
「・・・ありがとう・・・まさにそれかもね・・・ボクは自分を男とか女とかあまり意識してないというのはある。・・・だけど、世間的には男か女かどちらかでないと受け入れてくれない。・・・それでボクは自分は男です、と周囲に言い続けてきたんだけど。・・・でもボクを女に分類してくれる人もけっこういて。・・・自分が女ですと言い切る自信無いんだけど、そういう人の前では無理に女を演じてしまっている時もある気がするんだ。でもボクの実際の気持ちは、男なのか女なのか、けっこう曖昧。女の部分のほうが強いかなという気はするし、実は電車の定期も女で登録してるし」
「私もそういうのに加担してたんだよね。アッキーが本当は女の子になりたいんじゃないかと勝手に思って、それで応援したくて、性転換したらとか言ってたけど、アッキーに無理矢理男か女かという枠組みをはめないようにする・・・つもり。どこまでできるか分からないけど」
「そうだね。でも明日突然性転換する気になっちゃうかもよ」
「しちゃってもいいよ。そういうアッキーも受け入れる」
「それか突然女の服着るのやめて背広着て通勤し始めるかも」
「あ、それはあり得ない」
「そうかな・・・うん。ボクも背広は無理な気がする」
「でさ」
「うん」
「そういう男とか女とかいう枠組み外して、私アッキーのこと好き。
男女の恋人として好きとか、女友達として好きとか、そういう枠組みではなくてアッキーという人そのものが好き」
「ボクもサーヤのこと好きだよ。自分が男か女かは置いといて」
「じゃ結婚しよう」「え?」
「好きなら結婚できるよね」「・・・・・」
「別に無理に『夫』を演じなくてもいいから。ふつうにしてくれて、ただ一緒にいてくれればいいの」
「ボクもそれしかできないよ」
小夜子は晃に熱いそして長いキスをした。
24日の夕方、小夜子は会社が終わるとお気に入りの洋菓子店でクリスマスケーキを買ってから晃の美容室に行った。これまでの何度かの訪問でみんな顔なじみになっている。アシスタントの前田リサさんがコーヒーを出してくれた。ありがたく頂いて美容室の中を眺める。8個の椅子は全部埋まっていてスタイリスト達はフル回転のもよう。お客さんもまだかなり残っている。こりゃ順番がまわってくるのはだいぶ先かな。小夜子は雑誌でも読みながら待つことにした。ファッション誌総なめしちゃおうか・・・・・
ページをめくっていたら季節柄、初詣の特集が組まれていた。和服の女性が鳥居の前でポーズを取っている。小夜子は微笑んだ。
その夜の「ミニデート」が始まったのはもう21時過ぎだった。
晃にパーマをかけてもらったのが20時すぎ。そのあとお店の片付けや予約の確認、打ち合わせなどをしていたら21時近くになった。小夜子と晃が仲良さそうに手をつないで出て行ったのを見て、店長と内村さんが思わず会話を交わした。「あのふたり、恋人・・・ですよね?」「そんな感じね」
「女の子と付き合うんだったら、アキちゃん男の子に戻っちゃうのかしら」
「あ、それはなさそうよ。あるがままのアキちゃんでいいと言われたからとか言ってた」「へー」「それに、あの子と付き合い始めた頃から、急にアキちゃん、それまでより女っぽくなったじゃない」「そうそう、10月頃からですよね。私も変化に気づきました」「女っぽくなったから、男の人と交際しているのかと思ったら、そうじゃなかったみたい」「難しい・・・でも男の子に戻ったりしないなら安心。私も女の子のアキちゃんが好きですよ」「私は男の子のアキちゃんを想像できない」「店長。アキちゃん着付け検定の手応え良かったみたいだし、きっと合格してますよ。私はダメかもだけど。それでアキちゃん、あれだけ女っぽいし、若い女性のお客様に当ててもいいと思う」「それは私も考えてたの。制限は外してお客様次第ということにしようかね・・・・」
一方、小夜子たちは小夜子の叔母が経営しているビストロでクリスマスのディナーを楽しんでいた。来店時間が読めないという無茶な予約を受けてくれていたのであった。席が足りなくなったらスタッフルームででも、などと言っていたが、行くと暖炉の近くの特等席に案内された。
叔母に遅れたお詫びを言うとともに晃を「お友達」と紹介したが、叔母はにやにやして「五十鈴から聞いてるよ。結婚するんでしょ。お幸せにね」
と答えた。小夜子も晃も真っ赤になった。
ディナーは美味しかった。食べ頃の量をセンス良くまとめてあり、女性でも苦にならない感じだった。お値段も手頃である。
「でも以前付き合ってた時はクリスマスを1度も一緒に過ごせなかったね」
「なんかタイミング悪かったよね」
「あれからお互い色々な経験をしてきて、それぞれ少しずつおとなに
なって、それで私たちうまくやっていけるようになったのかも」
「うんうん。あの頃はボクも若かったし、自分に自信が無かった」
「だけどさ、アッキー」「ん?」
「アッキーって、他の人と話す時は一人称が『私』なのに、私と話す
時は『ボク』って言うよね。ふつうの男の子が使う『僕』とは少し
アクセント違うけどさ。でも、無理しないで『私』か『あたし』でいいよ」
「うーん。他の人と話す時が多少演技入りなんで、少し女っぽくシフトして『私』なのかも」晃は頭をかきながら弁解するように言った。
「なるほど。自分を女という枠に填めているのね」
「そうそう」
「で、私と話すときは男の枠に填めてるんじゃ?」
「ああ・・・・それはあったかも」
「一人称って自分の意識をかなり変えるでしょ?」
「うん」
「じゃ『あたし』と言ってみよう」「えー!?」
「ほらほら」
晃は少し悩んでいたが、やがて大きく息をついて言葉を出した。
「あたし、無理してたかな」
「うん。してた。自分の心に忠実に行こうよ」
「ありがとう」
レストランを出て散歩していると、教会の鐘が鳴った。
「0時。クリスマスか・・・・」
「うん。でもあたしたちクリスチャンでもないし」
「本番はお正月ね」
「何するのさ?そのお正月」「いちゃいちゃ」
「いいけど」晃は苦笑した。
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Les amies 振袖は最高!(3)