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■女装太閤記・激闘編(4)

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この頃、秀吉は中国で毛利軍相手に苦戦していた。備中高松城を水攻めにしていたのだが相手の志気は高く、なかなか落ちない。近くに毛利側の援軍も来ていたが、そちらも戦況が膠着状態なので、手が出せない状態であった。
 
信長が本能寺に散った翌日の夜。秀吉の元に密使が訪れた。
 
光秀からの内密の報せと聞き、秀吉は光秀の援軍がいつ頃、備中に到着するかを報せる手紙かと思った。ところが中身を見て、秀吉は驚愕する。
 
「藤吉郎殿。私は上様(信長)を討った。ふたりで天下を取ろう。毛利にも話を通すから、中国はいったん放置してこちらに戻り、一緒にまず畿内を固めないか?」
 
信長がもし死んでしまったら、ふたりで天下を取ろうなどというのは、光秀との閨での睦み言葉のように言ったことはあった。しかし自ら信長公を討つとは・・・
 
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「なんて早まったことを・・・」
と秀吉は呟いた。
 
大義が無い。主君を殺した人には誰も従わない。
 
しかし「毛利にも話を通す」だと!?
 
秀吉は密使に訊いた。
「毛利にも密使を送っているか?」
「はい。一緒に出ましたから」
 
「そうか」
 
秀吉はいきなり刀を抜くと、密使を斬り捨てた。そして配下の者に通達した。
 
「この近くに毛利への密使が潜んでいるはずだ。絶対に捕らえよ。見逃したら大変なことになる」
 
1時間ほどの探索の結果、怪しい風体の男が捕らえられる。
 
密使が持っていた書状を取り上げる。石田三成・山内一豊・黒田孝高(官兵衛)だけを残し、他の部下は下がらせる。中を読む。
 
「今羽柴の軍勢がそちらを苦しめており、毛利家に滞在なさっている将軍殿もさぞかしご機嫌よろしくないことでしょう。私は京都で2日、織田親子を倒しました。将軍様もきっとお喜びになることと思います。毛利殿、ここで将軍を立て、一緒に天下を治めましょう。羽柴とは和議してください。羽柴も私の味方です」
 
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秀吉は冷や汗を掻いた。こんなものが毛利に見られていたら自分も謀反人ということになってしまう。
 
「密使が立ったのは、私の所と毛利殿の所だけか?」
「はい、そうです」
と密使は答える。
 
「徳川や上杉には?」
「まずは毛利殿と協力し、それから徳川を討つと申されていました」
 
この会話にただならぬものを感じて、三成たちも顔が青ざめる。
 
「そうか。ご苦労であった。一休みして行け。その後で毛利の所まで送ってやる」
と言い、密使が礼をした所を秀吉は刀を抜き、一刀で斬り捨てた。
 
「何があったのですか?」
と石田三成が訊く。
 
「明智日向守が上様(信長)を討った」
 
「何ですと!?」
「誰の企みです? 徳川ですか?」
と山内一豊が訊く。
 
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それは秀吉も一番に疑ったことであった。沈着冷静で無謀なことをしない光秀がよりによって信長を討つというのは、おそらくは背後にいるのは徳川だと考えた。しかしその徳川を討つつもりだと密使は言っていた。それなら背後にいるのは誰だ?今更上杉も出てこまい。上杉謙信の後継者・景勝は器量が随分落ちる。むしろ家老の直江兼続の方がよほどの大物だ。上杉はここで信長を暗殺してまでという根性は無いだろう。他に考えられるのは、まさか勝家か?勝家と光秀で天下を取る??それはさすがに無理だぞ。
 
すぐにも京都に戻りたいが、とにかくもこの高松城を何とかしなければならない。
 

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明けて6月4日。毛利側との交渉役になっている安国寺恵瓊に秀吉は講和の条件を緩めると伝えた。高松城城主の清水宗治自刃と、備中・美作・伯耆の三国の譲渡で手を打つとした。毛利側はこの条件を呑み、清水宗治は水攻めで出来ている湖の小舟の上で切腹した。毛利側との講和の文書が交わされた。
 
そして秀吉は号令を掛けて自軍を急ぎ撤退させ、京都へ向けた。
 
その直後、毛利側は信長が死んだことを知った。
 
毛利方の吉川元春が「騙された!」と言って激怒した。そしてただちに秀吉の軍を追尾して倒そうと言う。しかし小早川隆景は「和議は和議だ」と主張し、駆け引きは戦いの常。今は秀吉に好きにさせよう。やがて時は来ると言って、追撃をさせなかった。おかげで、秀吉は後ろを気にせずにわずか2日で姫路城(秀吉の本拠地)まで帰着することができた。
 
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中国大返しであった。
 

その間、摂津の中川清秀からの手紙を受け取るが、秀吉は中川に「信長公は難を逃れて、現在琵琶湖沿岸の膳所におられる」と返事をした。信長の遺体が見つからなかったことから、当時実際に生存説も流れていたのである。秀吉はそれを利用した情報戦に出た。
 
これで中川が光秀討伐軍に参加してくれることになった。万一中川が明智側に付いていたら秀吉は光秀の本隊と戦う前に、中川と戦う必要があったので、この動きは大きかった。
 
秀吉は姫路で再度態勢を整える。もし毛利が和議を破棄して攻めて来た時のために姫路城に浅野長政を残し、11日尼崎で丹羽長秀・織田信孝・池田恒興ら(一部は使者)と合流、12日に富田で軍議を開く。
 
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その頃、やっと光秀は秀吉がもう近くまで戻って来ていることを知り驚く。13日、明智側は戦いの要所である天王山を押さえようとしたが、その時には既に秀吉方の中川清秀がそこを占拠していた。
 
明智側は1万3000に対して秀吉側は4万である。しかも明智側の軍勢の中には明智が信長を倒したことに疑義を抱く者も大勢いる。
 
戦いはあっという間に決着し、明智光秀は勝龍寺城に逃げ込んだ。
 

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光秀は何とか各方面に連絡を取り、態勢を整え直そうと言うが、僅かに逃げのびた家臣たちから、今すぐは無理だと言われる。そもそも勝龍寺城が小さいこともあり、ここに籠もることが出来た兵は僅か700である。ここは闇に紛れて脱出しましょうと言われ光秀も同意した。それで夜になるのを待つことにする。
 
深夜。仮眠していた光秀は襖が開く音で目を覚ます。
 
「手引き致します。一緒に出ましょう」
と女は言った。
 
「そなたは、お市の方様の?」
 
光秀の寝所に忍んで来たのは、以前お市の方に付いていた腰元・ミチであった。
 
「その任は既に解かれております。私は現在、ネネ様のために動いております」
とミチは言った。
 
「何?」
 
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光秀はてっきりミチが自分を暗殺に来たのかと思い、緊張した。
 
「今、日向守様は、死を覚悟なさっておりますでしょう?でしたらこの後、何が起きても怖くないですよね?」
そうミチは言った。
 
光秀はミチが勧めるままに農家の女が着るような服を身につけ、女髪に結ったかつらもかぶった。
 
「では参りましょう」
 
この後、光秀が居なくなったので勝龍寺城に居た家臣達は騒ぐが、おそらく殿は脱出されたのであろうと解釈し、翌朝城を開いて秀吉方に投降した。
 

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天正10年(1582年)6月27日。清洲城に、羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人が集まった。
 
信長亡き後の今後の体制を討議するためである。まずは信長・信忠親子の死亡で当主不在になった織田家の後継を定める必要がある。(本能寺の変の時点で信長は既に織田家当主と右大臣を退任しており、信忠が当主であった)
 
その織田家後継に、柴田勝家は信忠の弟(信長の三男)・織田信孝(25歳)を推したが、秀吉は亡くなった殿様の嫡男が健在なのに、それは筋が通らないと言って、信忠の遺児・三法師(織田秀信,3歳)を推した。
 
確かに物事の順序ということで言えば、君主の長男こそが後継になるべきであろうが、わずか3歳の三法師を当主にするということは、つまりそれは形だけのものとということで、実権はそれを推した秀吉が取ることになるだろう。そもそも信長を討った明智光秀を倒したのが秀吉である。三法師の後継というのは、この後、信長の実質的な後継者が秀吉になることを意味した。
 
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議論は紛糾するが、やはり道理が通っていることと、丹羽長秀が秀吉支持に回ったこともあり、結局後継は三法師ということで決定した。
 

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「ネネ殿の言う通り、何とか頑張って三法師殿を後継に決定した」
 
と仮の居所に戻った《秀吉》は《ネネ》に言った。この時期の秀吉の居城は姫路城ではあるが、実際問題として秀吉は落ち着いて城に居られる情勢ではなく、京都・尾張・大坂などあちこちを動き回っている。
 
「良かったわね。これで秀吉様の天下が来る」
「うん」
「それを望んでいたのでしょう?」
 
「私とネネ殿で協力すれば、必ず天下は取れる。織田様では関東・四国・九州まで統一するのは無理ではないかというのは、随分昔話したね」
と《秀吉》は言う。
 
「そんなこと話したかしら?」
「官兵衛(黒田孝高/如水)にも一度それ聞かれたな」
 
「伊右衛門様(山内一豊)から聞いたわ。高松城で信長様が倒れたという報せを聞いた時、官兵衛様ったら『これで秀吉様の天下ですね』とか言って、佐吉(石田三成)様にたしなめられたって」
と《ネネ》。
 
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「官兵衛殿は頭は良いが、やや口が軽い」
と《秀吉》。
 
「光秀様は頭は良かったけど、やや軽はずみでしたわね。もう亡くなっちゃったからどうしようもないけど」
と《ネネ》。
 
山崎の戦いの後、光秀の首を取ったという話が3件持ち込まれ、3個の「光秀の首」
が秀吉のもとに届けられたので、取り敢えずその中でいちばん顔が崩れていて人相のハッキリしないものを光秀の首と認定して、本能寺の前に晒した。なお斎藤利三は四条河原で処刑して、光秀と一緒に本能寺前に晒している。
 
《秀吉》はそのことや死んでいった多くの家臣・親族のことに心が痛む。僅かな心の希望は娘の玉(ガラシャ)が夫(細川忠興)に幽閉されることにはなったものの無事であることだった。
 
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「私は生きていて良いのだろうか・・・・」
 
「時代がそれを求めているのだよ。日本の国に今、君が必要なのだよ。藤吉郎君。徳川が当然私たちの成果を横取りしようとするだろうが、そう簡単にあいつに天下は渡さん。むしろ頑張って手駒として働いてもらう」
と《ネネ》は厳しい表情で言う。
 
「徳川は怖い。私はあいつに勝てん」と《秀吉》。
「私に任せてもらえばいい」と《ネネ》。
 

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夕食の時間となり、付き従っている数人の伴の者と一緒に食事を取る。その日は山内一豊・黒田孝高・石田三成・加藤清正といった重臣たちも来ていたので、ネネは彼らに酌をして廻った。山内一豊が
 
「ヒロさん、また若くなった?」
などと言ってから、
「あ、まちがった。ネネさんだった」
などと言う。全くこいつは・・・。
 
「ヒロって誰?」
と清正が怪訝な顔で訊く。
 
「愛人さんじゃないのかしら?」
とネネ。
 
「お主も子供ができんからのう。側室を迎えるのもいいと思うぞ」
と官兵衛。
 
「いや、甥を養子にしているから問題無い」
と一豊は返す。一豊は生涯側室を娶らなかった。それに一豊本人よりも頭が切れる奥方のマツに一豊は頭が上がらない雰囲気もあった。マツと一豊の間には女の子が1人居たが、地震で亡くなっている。
 
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夜、《秀吉》と《ネネ》は閨に入った。
 
「でも、私、小さい頃出雲で十兵衛様に会った時、十兵衛様の奥さんになれたらなあと思った。今こうしてちゃんと奥さんになれたのは幸せ」
とネネは言った。
 
「やはり。。。。ネネ、お主は女なのか?」
 
「ふふ。もう私たち、こういう関係になってから10年以上経つのに、まだ分からないのかしら?」
 
「判断が付かないのだよ。ぶらぶらするようなものは付いてないようだが」
 
「秀吉様も、これまでは側室を取れなかったけど、今後はぜひになんて話もあるだろうしね。たくさん側室を取るといいよ。私はもうこの年だから今更子供産めないしね」
 
「・・・若かったら産めたのか?」
「どうかしら?」
 
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謎を掛けるようにネネは秀吉に答え、熱い口付けをした。秀吉も今はこの女(?)を抱くことが、自分の贖罪なのかも知れないという気がして、快楽の時間の中に自らを埋もれさせていった。
 
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