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■女装太閤記・激闘編(2)

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「なぜわざわざそんな山の中を。琵琶湖の周辺は織田殿の盟友、浅井備前守殿の領地。そこを通せば安全でしょうに」
 
「私はある仮定の話をしております」
とネネは言った。
 
久秀は少し考えていた。
「まさか・・・・」
 
「杞憂であったら良いなと思っております」
「藤吉郎殿はそんな恐ろしいことを考えておられたか」
「お願いできませんでしょうか?」
 
「私の臣下に、元々朽木の家臣であった者がひとり居る。その者を使者に立てる」
「ありがとうございます。恩に着ます」
 
「しかし、藤吉郎殿は、自分の妻が他の者と寝ても構わないのか?」
「そんなことは、織田様の天下布武のためには些細なことでございます」
 
「そうか。藤吉郎殿によろしくな」
「はい」
 
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闇に紛れて自分の陣に戻る。
 
「やっと帰って来たか。おぬしの代役も疲れるぞ」
と《秀吉に変装していた》光秀が言う。
 
「ごめんねー。夜しかできない仕事なのよ」
と言って女装のネネは光秀にキスをする。
 
「しかしネネ、そなた本当は男なのか?女なのか?」
 
その問いは光秀が2年前から投げかけているものである。
 
「さあ、どちらかしらね?」
とネネは微笑んで言って、光秀に抱きつき口付けをして、体重を掛け、光秀に押し倒される形になった。
 

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信長・家康の連合軍は25日には朝倉の領内に侵攻。手筒山城、翌26日には金ヶ崎城を落とした。朝倉は敦賀から撤退して後退する。信長側は更に北を伺う勢いであった(なお、朝倉義景の居城は現在福井市になっている一乗谷城である)。
 
ところがこの時、琵琶湖沿岸に領地を構えている浅井長政が裏切ったという報せが入る。家臣団はパニックになる。北の朝倉を攻めて敦賀まで来た所で琵琶湖近くの浅井に裏切られたら、こちらは挟み撃ちである。
 
しかし信長は家臣団を一喝した。
「慌てるな。負けはせん」
 
信長の妹が嫁いでいる、盟友のはずの浅井が裏切るというのは、多くの家臣の想定外のことであったが、信長は焦っている様子は無い。この殿がこう言うのであれば、何とかなるかも知れないという空気が広がった。
 
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「サル」
と信長は秀吉を呼ぶ。
 
「はっ」
と答えて、秀吉は信長の御前に出る。
 
「かねてよりの指示通りに致せ」
と信長は言うが、実際問題として信長もどうするのかは知らない。
 
「そういう訳で、皆様方、殿のご指示通り、ここは撤退致しましょう」
と秀吉は言った。
 
「撤退するのですか!?」
と驚くような声があがる。
 
「しかし撤退するにしても南側に浅井が待ち構えております」
「だから待ち構える前に帰ってしまうのだよ」
と秀吉は補足する。
 
「全軍、今夜中に尾張方面に向けて移動を開始する。浅井側の迎撃態勢が整う前に通り抜けてしまう」
 
「しかし浅井はまだ態勢ができていないかも知れないが、朝倉は後ろから襲ってくるぞ」
 
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「殿(信長)のご指示により、私と十兵衛殿(明智光秀)が金ヶ崎城に留まって、朝倉を食い止めることになっております」
 
むろんこれは極めて危険な役割である。援軍が有り得ない状態で他の部隊を守るために、徹底抗戦する必要がある。光秀はびっくりしたが、顔色ひとつ変えずに
 
「私が食い止めますから、各々方は静かに撤退してください」
と言った。
 
「しかし浅井が仕掛けて来たら乱戦になるかも知れません。下手すると殿の身に不測の事態が起きる可能性も」
 
「殿は私の手の者が安全な道筋で別途お連れ致します。池田様(池田勝正)、殿に代わって全体の指揮をお願いできますでしょうか?」
 
「うむ。引き受けた」
 

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そういう訳で、信長には秀吉の腹心の山内一豊、信長の小姓で桶狭間で信長の傍に居た森三左衛門可成の息子・森勝蔵長可(森蘭丸の兄)らが付き添って別ルートで京都に向かうことにする。信長と秀吉が絶対に信頼できる数人の腹心を選んで別室に入る。
 
「なに〜〜〜!? 女の服を着ろというのか?」
と信長が怒った。
 
「万一のためでございます。勝蔵殿もお付き合いを」
 
ということで、秀吉は信長と森長可に女の服を着せ、髪型も女のような髪に結ってしまった。長可は13歳の美少年なので女の服を着せると普通に美少女になってしまったが、信長は微妙である。そしてひじょうに不機嫌な顔をしている。しかし秀吉は信長自慢のヒゲまで剃ろうとしたので
 
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「こら、サル何をするか!?」
と雷が落ちる。
 
「殿、そのようなしかめっ面では男とバレてしまいます。可愛く笑顔で」
「やってられるか!」
「殿の肩には何百万もの侍と民の命が掛かっています」
 
そう言われると信長も渋々笑顔を作る。それでヒゲも剃らせてくれた。更に眉も剃り落とし、唇には紅を塗った。笑顔になれと言われたので笑顔は作っているが、内心はかなり怒っている雰囲気である。
 
そして秀吉は信長の陣羽織を山内一豊に着せた。
 
「朽木の山道(現在の国道367号に近いルート)を越えます。朽木には話を付けてあるのですが、万が一裏切った場合に供えてで御座います。その時は伊右衛門(一豊)、お前が身代わりになって、殿と勝蔵殿を逃がせ。敵も女が2人逃げていくのまでは咎めまい」
 
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それから一行は秀吉の陣に入った。予めこちらに合流させていた朽木元綱の家臣が10名ほど待機している。信長の振りをしている山内一豊が
 
「手間を掛けるな。朽木殿には必ずや恩に報いる故」
などと彼らに言う。
 
「おなごもおられるのか?」
と朽木の家臣が言う。
 
「私の身の回りの世話をする女だ。居ないと色々不便なので同行させるが、ふたりとも猟師の娘なので山歩きには慣れている。足手まといにはさせん」
と信長役の一豊が言う。
 
「では遅れた場合は置いていきます。よろしいかな?」
「いや遅れそうになった場合は私が斬り捨てる。お前達、しっかり付いて来いよ」
 
と一豊が言うと女装の森長可が頷き
「大丈夫です。山歩きは慣れています」
と言う。声変わり前なので、充分少女の声に聞こえる。
 
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すると同じく女装の信長も
「頑張ります。よろしくお願いします」
と言った。
 
信長が声を出したので一豊はやや焦ったが、信長の声は元々ハイトーンなので、女の声に聞こえなくもない。それで朽木側の侍は特に怪しむことも無かったようであった。
 
そうして朽木の家臣と一緒に信長の一行は旅立って行った。
 

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金ヶ崎城に陣取った秀吉と光秀の軍勢は充分に北の朝倉軍を牽制した。そして池田勝正が率いる信長軍と、行動を共にする徳川軍は秩序良く撤退を進めた。これに対して浅井軍は、そもそも長政本人が陣に入らず、本来の勢力の2〜3割程度の軍勢で、わざわざ信長軍との激突は避けるようにしていた。そのため時々浅井側の暴走者との小競り合いが起きて多少の戦死者は出たものの、ほぼ無傷に近い形で琵琶湖南岸まで退くことが出来た。
 
一方の山越えルートの信長たちも4月30日までに京都に帰着することができた。
 
世に言う「金ヶ崎の退き口」はこのようにして最小限の被害で無事撤退することができたのであった。
 

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裏切った浅井を許すまじとした信長は6月、姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を破った。しかしこの戦いでは浅井長政・朝倉義景を倒すまでは至らず、相手に余力を残させることとなる。すると浅井・朝倉連合軍は9月、比叡山と一緒に信長を攻め琵琶湖西岸の志賀などで激しい戦いが行われ、森可成も戦死してしまう。
 
他に弟の織田信治も失い、堪忍袋の緒が切れた信長は翌元亀2年(1571年)9月、比叡山の焼き討ちを行った。比叡山に籠もっていた者は女子供でも構わず全員殺戮した。この時、伝教大師がここに道場を開いて以来ずっと灯し続けられていた法灯まで消えてしまうことになる。(後に分灯していた他の寺院から移されて復活する)
 
この焼き討ちの際、各武将は逃げてくる者は女子供でも全員殺せと信長から命じられていたのだが、諸将の中で秀吉だけは、逃げてきた者の中で、女子供を見逃してやっている。むろん男は非力な坊さんでも斬るし、何人か女装で逃れようとしていた男も斬った。
 
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巧みに女装している男を厳密に見分けて秀吉が捕まえるので、傍に控えている石田三成が大いに驚いていたが、山内一豊は
 
「殿(秀吉)は眼力があるから、女に化けた男をしっかり見分けるのよ」
などと言っていた。三成は《ネネの秘密》を知らないので、随分感心していた。
 
なお、この女子供を逃がすというのは、大いなる軍規違反であったが、そのことで信長は特に秀吉を咎めたりはしなかった。
 
しかしこの時期の信長は多方面で苦戦を強いられている。長島一向一揆が起きて弟の織田信興を失い、金ヶ崎の功労者・松永久秀が裏切り、一方隣国では武田軍と徳川・織田連合軍が三方ヶ原で激突し、武田軍に大敗を喫する。家康も危ない所を幾人もの家臣が身代わりになったお陰で何とか逃げのびることができた有様であった。しかしここで武田信玄が病死したことから、武田軍は甲斐に引き上げる。家康と信長は危うい所を救われたのであった。
 
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天正元年(1573)8月、信長は反攻に転じる。三好三人衆の一人・岩成友通を倒し、まずは朝倉を攻めて8月20日義景を自刃に追いやる。更に浅井を攻めて8月28日浅井長政も自刃に追い込む。この時、ミチが手引きしてお市の方とその3人の娘(茶々・初・江与)は信長の元に無事帰還した。11月には三好義継と戦い、11月19日これも自刃に追い込んだ。
 
次々と信長包囲網が各個撃破されていく中、震え上がっていた人物が居た。一時は信長に従っていたものの、裏切って三好側に付いていた松永久秀である。
 
12月の中旬。ネネはツテを辿ってその松永久秀の所に潜入した。突然の来訪に驚く久秀であったが「今ならまだ間に合う。信長様は必ず許してくれる」と熱く説くネネに彼は気持ちが揺らいだ。
 
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同年12月26日、久秀は信長に降伏し、再び信長臣下となった。
 
一方、秀吉は浅井旧領を与えられ、初めて一国一城の主となる。この時、秀吉は丹羽長秀と柴田勝家から苗字を1文字ずつもらい《羽柴》の苗字を名乗ることになった。
 
(つまり木下藤吉郎秀吉から羽柴藤吉郎秀吉となる。ここで羽柴は苗字、藤吉郎が通称、秀吉は諱である。人を呼ぶ場合、官名で呼ぶか、苗字+通称で呼ぶのが普通であり、他人の諱を勝手に呼ぶのは極めて無礼な行為なので「織田信長様」などと呼び掛けるのは有り得ない)
 

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翌年、信長は長島の一向一揆と戦う。光秀・秀吉らに後方の守りを任せて信長配下の8万の大軍を動員。長島の地を陸から完全包囲するとともに、九鬼水軍が海から長島を包囲して兵糧攻めにする。一揆勢は5つの城に立てこもった。
 
最初に大鳥居城が陥落。続けて篠橋城の者たちは長島城に移る。籠城戦になるが食糧が尽きて餓死者が続出するので、長島城は降伏し、中に籠もっていた者は退出しようとする。しかしそこに信長は一斉射撃を加え、女子供でも構わず、皆殺しにしてしまった。
 
そして残る2つの城は焼き討ちにして2万人の信徒が焼死したという。
 
信長が一向衆を過酷に処置したのは、彼らのひとりひとりが極めて危険な存在であることを認識していたからである。彼らは死んだら極楽浄土に行けると思っているので死ぬことを恐れていない。死ぬのを恐れない兵士ほど怖いものは無い。女子供といえども油断ができず、一見無力と思われた降伏者の反撃で、織田側にも織田秀成をはじめ多くの死者を出している。
 
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そしていよいよ織田は武田と再戦をすることになる。
 

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■女装太閤記・激闘編(2)

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