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永禄3年(1560年)5月。今川義元が上洛の気配を見せ、尾張に侵攻してきた。
織田の支城が次々と落とされていく。どう対処するかで家臣団の意見が割れた。信長は結論を出さないまま、いったん会議を散会にした。
深夜。
今川軍の松平元康(後の徳川家康)の軍が織田側の丸根砦に攻撃を開始したという報せが入る。
信長が身支度を調えて広間に出てきた。それに気付いて出てきたのは森三左衛門(森蘭丸の父)など、ほんの一部の武将だった。藤吉郎も当然気付いて出てきたが隅の方で控えていた。
信長は敦盛を舞った。
「人間(じんかん)五十年、下天(*1)の内を比ぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」
(*1)仏教の世界観で六欲天の最下層(第一天)のこと。下天の1日は人間の世界の50年に相当すると言われる。人間の長い一生50年も下天ではわずか1日。儚いものであるということ。なお「化天」とするテキストもあるが、化天の1日は人間の世界の800年なので、それではこの場での意味が通じなくなる。
「猿、具足を持て」
「はっ」
と答えて藤吉郎はすぐに信長の具足を持ってきた。
「何刻頃にお立ちになりますか?」
と森三左衛門が訊いたが、信長は
「今出る」
と言う。
「は?」
と三左衛門が驚いている。
しかし信長が本当に出かけるので、森三左衛門は慌てて
「藤吉郎殿、殿のお供を。私は他の者たちを呼んですぐ行く」
と言うので、藤吉郎は
「分かった」
と答えて、信長に続いて馬を繰り、夜道を走っていった。信長に従うのは自分を含めてわずか5騎である。
早朝、信長と5騎の従者は熱田神宮に到着。ここで戦勝祈願をした。そこへ信長出陣の報せを聞いて多数の武将が集結してきた。
今川勢は熱田神宮より南東の方に展開している。織田勢は鳴海潟に沿って南下し午前中に善照寺砦にいったん集結。ここで一部の部隊をまっすぐ南下させて、中嶋砦への援軍としたが、本体はそれより少し北の方の山道を抜け、今川の側面を狙うように軍勢を進めた。
雨が降り出す。視界が効かなくなる。織田本体が近くまで来ているという報せを聞いた中嶋砦の武将たちが、喜びすぎて砦から飛び出し、今川勢と衝突した。しかし多勢に無勢で、あっという間に粉砕されてしまう。しかしこれが結果的には陽動作戦のような役割を果たした。
今川方では、中嶋砦の戦勝に沸き、本体を桶狭間に置きながら、織田はやはりそちら方面から攻めてくるかと思い、本格的な戦闘準備をしていた。
ところが豪雨の中、14時頃。突如として数千の織田軍が、桶狭間の本体の中核近くに側面から現れた。今川軍は混乱する。激しい白兵戦が起きる。藤吉郎も信長の近くで多数の敵と剣を交えた。ごく短時間に10人くらい斬った。信長も馬を降りて敵と斬り合う。むろん藤吉郎も含めてそばにいる者ができるだけ排除するが、豪雨の中の白兵戦なので、どうしても信長自身も戦うことになる。もっとも信長は無茶苦茶強かった。ほとんど一撃で相手を倒していた。大したもんだと思って藤吉郎も見ていたが、その時、藤吉郎は何か不穏な空気を感じた。ふと見ると、少し離れたところでこちらを弓で狙っている者がいる。
「危ない!」
と言って藤吉郎は信長の前に立った。矢が飛んでくる。藤吉郎はそれを身体で受け止めた・・・・つもりが、矢は藤吉郎の股間に当たった。思わずその場に崩れるが、信長は構わず戦闘を続ける。矢を射た敵の侍はすぐ、こちらの守護兵に倒された。
戦いは短時間で決着した。敵の大将、今川義元が討ち取られてしまったことから、軍勢は総崩れになり、みな撤退していった。
尾張の小大名に過ぎなかった信長が「街道一の弓取り」と言われた今川義元を倒したことで、織田信長の名前が天下に轟くことになった事件であった。
藤吉郎は矢が当たった痛さに倒れてしまったものの、必死の思いで立ち上がり、織田勢の中に合流した。信長のそばからは遠く離れてしまったものの、前田又左衛門(利家)の部下に助けられる。
「又左どの? そなたは出仕停止になっていたのでは?」
「それはそうだが、この危急の事態に、何もしない訳にはいかないと思い、馳せ参じた」
と又左は言っていた。
利家の部下に南蛮人に習ったという医者がいて、藤吉郎はその者の治療を受けた。
「ふぐり(陰嚢)が酷く痛んで化膿している。これは本当は切ってしまった方がいいのだが」
「切らなかったら治るのにどのくらい掛かる?」
「1年は掛かる」
「切ったらどのくらいで治る?」
「1ヶ月もすれば動けるようになる」
「だったら切ってくれ」
「だが子供が作れなくなるぞ」
「構わん。1年も殿の元をご無沙汰する訳にはいかん」
「分かった。切るぞ」
それで、医者は藤吉郎の陰嚢を切断した。藤吉郎は思わず「うっ」と声をあげたが、痛みに耐えた。医者は消毒のため焼酎を掛け、更に糸で傷口を縫い合わせた。この縫うという技術は当時、南蛮の医師からもたらされた最新鋭の技術だった。
藤吉郎はそのまま前田利家の下で1ヶ月療養してから信長の元に帰還した。
「猿、お前生きていたのか?」
と信長は言った。
「怪我して寝ておりました。1月も出仕せず、大変申し訳ございませんでした」
「うむ。また励むように」
「はっ」
信長は何事も無かったかのように、向こうへ歩いて行ったが、後で藤吉郎の所に、ひょうたんを届けた。
「これ、何だろう?」
と、藤吉郎は同僚に相談したが、みんな首をひねる。
「このひょうたんいっぱいに酒でも持ってこいという意味とか?」
「うん・・・」
それで藤吉郎は、松下家中にいた時の同僚の腰元で今は尾張に来ているヤヤが実家で酒造りをしているというのを聞いていたので、使いを出して取り寄せた。「ヒロちゃん、元気してた?」というお便りにまた返事を出しておいた。ヤヤが住んでいる地域は、尾張の中でも織田家と友好関係は持つものの、配下という訳ではない、蜂須賀家の領地になっていた。蜂須賀家は木曽川水系の水運の仕事をしていた。
《藤吉郎の妻》が、その取り寄せた酒と、手作りのお菓子を信長に献上した。
「お菓子も美味しいし、酒も美味しい。この酒はどこの酒じゃ?」
「近隣の三宝村の酒です。友人がいるので」
「それは蜂須賀の所か」
「はい、そうです」
「ふーん」
と信長は少し考えているようであった。
翌年、織田は美濃の斎藤と対立していた。
斎藤義龍は一応名義の上では、織田信長の義父である斎藤道三の息子ということにはなっているものの、実際には斎藤道三が国主の地位を奪った土岐頼芸の子である。土岐頼芸が妊娠中の側室・深芳野(みよしの)を道三に下賜し、そのまま深芳野が出産したのが斎藤義龍である。
後に斎藤義龍は道三を殺して国主となるが、それは道三が追放した実父土岐頼芸の敵討ちの意味合いがあった。しかしそれは織田信長に美濃攻略の口実を作ることにもなった。斎藤義龍を父殺しの大罪人と糾弾し、美濃の正統な後継者は道三の娘婿である自分であるとして、美濃攻めを行うのである。
その美濃攻略の重要ポイントが墨俣であった。
信長は最初佐久間信盛、次に柴田勝家に命じて、ここに城を築こうとするが、いづれも美濃勢の攻撃により失敗していた。例によって物事がうまく行かないと、信長はいらいらして周囲に当たり散らす。ちょっとやばいなあ・・・という空気が流れていた時、藤吉郎は言った。
「私なら10日で城を築いてみせましょう」
「ほほぉ。では作ってみよ」
と信長は楽しそうに言った。
「はっ」
その夜、蜂須賀小六の館にひとりの女性が訪問する。
「織田信長の家臣、木下藤吉郎の妻、ネネと申します。信長様より、良いお酒と菓子が手に入ったので、届けて参れと仰せつかり持参致しました」
「ほお、それは上総介殿にしては、良いお心遣い」
ということで、早速その酒を開けて、酒盛りとなる。ネネは小六に酌をしては、各地の大名の噂話などもした。
宴が進み、酔いつぶれる侍も出る中、何となく雰囲気でネネと小六は奥の部屋に一緒にひっこんだ。
「そなた、上総介殿の家臣の妻と言ったが・・・」
「しっかり小六様にはお世話をしてあげなさいと夫からも言われました」
「そうか、そうか」
ネネは小六の服を脱がせていく。そして股間の太い竿をその口に含んだ。
「おぉ・・・」
小六が気持ちよさそうに声をあげる。ネネは優しくそれを舐める。いきなり逝かせるのではなく、少しじらすような舐め方に小六は「頼む〜、もう生殺しは勘弁してくれ、一気にやってくれ」と懇願する。しかしネネは散々じらしてから、最後は高速に舐めて逝かせた。
流出したものをすべて飲み込んでしまう。
小六は息も絶え絶えな感じで、横たわっていた。
「こんな気持ちいいのは初めてだ。褒美をやるぞ」
「では、墨俣を頂けませんか?」
小六はハッとしたようにして起き上がった。
「お前、何者だ?」
「織田上総介信長の家臣、木下藤吉郎の妻、ネネでございます。信長様が墨俣を手に入れるのに、小六様のご助力が頂けないかと存じまして」
「ふーん。話だけは聞こうか」
それでネネは、《夫・藤吉郎が立てた計画》を打ち明けた。
「おもしろい。龍興(斎藤義龍の子)に一泡吹かせられるし。しかし、そなたの夫は、俺に協力させるのに妻まで貸すのか?」
「これは私の一存でございます。私は夫のためなら何でもします」
「藤吉郎殿は、良い妻をもたれたようじゃ」
と小六は少し皮肉を込めて言ったが、楽しそうでもあった。
翌日、藤吉郎は信長から預かった職人や足軽、数十名を連れて墨俣に赴いた。川の向こうに美濃の守備隊がいるが、藤吉郎たちが、いかにものんびりーと木の根を掘り起こしたり、整地をしたりしているのを見て、
「これ、もう少し放っといて、何か建て始めたら弓矢でも射れば良いのでは」
という雰囲気になった。
それで藤吉郎たちの集団は美濃からの攻撃にさらされないまま、ほんとにゆっくりと基礎工事をしていた。
時折、藤吉郎の妻が現れては、みんなにお茶やおにぎり、甘いお菓子などまで配る。美濃側ではそれを見て
「なんだ。女まで連れてきているのか。またのんびりとした連中が来たものだ」
と笑いながら見ていた。