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■寒桃(3)
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目次 #
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青葉は自分の身体から賀壽子の手の付近にエネルギーが流出していくのを感じた。賀壽子が自分のエネルギーを吸い上げて、それを治療に使っているのだ。
『ひいばあちゃん、私もその腎臓の方を手伝おうか?』
と賀壽子に脳内直伝で尋ねる。
『頼む。私は取り敢えずこの直腸の出血を何とかしないと』
それで青葉は賀壽子の向かい側に座り、腎臓の真上で手を動かし始めた。まず溜まりすぎている体液を少し押し戻して負担を軽くした上で、尿の排出路が弱まっているところを活性化させて流れを良くする。そして何よりも腎臓の付近で滞っている気の流れを改善する。腸の傷を治すのより複雑だが青葉にはまだ傷の治療ができないので、青葉がこちらをせざるを得ない。
未雨が「へー。青葉、ひいばあの真似してんの?」などと訊いた。
青葉は「うん。少しでも助けになったらと思って」と答える。
「私は本を読んであげよう」と言って未雨は近くにあったミヒャエル・エンデの『モモ』を取って朗読し始めた。
一方佐竹は賀壽子に言われて買物に出かける。腎臓の機能が回復したら水分補給させた方がいいのでミネラルウォーターとポカリスエットをというのと、食糧やおやつをたくさん買ってきてと言われていた。こちらは賀壽子自身と青葉が食べるためである!
青葉は賀壽子が病気平癒の祝詞(のりと)を口の中で唱えているのに気付く。
『ひいばあちゃん、向こうでお経を読んでて、こちらは祝詞でもいいの?』
と念で尋ねると
『ありがたいものはみんな頼ればいいんだよ。仏様も神様もキリスト様も孔子様もなんでも尊い』
と賀壽子は答えた。
『へー』
『正信念仏偈は阿弥陀(あみだ)如来様、こちらで読んでる祝詞は山王(さんのう)様だけど、山王様は阿弥陀如来さんの息子だから、いいんだよ』
『へー! でもキリスト教とかが混じってもいいの?』
『阿弥陀如来さんは向こうでは大天使メタトロンと言うんだよ』
『ふーん。なんか難しい名前』
『正信念仏偈に出てくる阿弥陀さんの元の名前が法蔵菩薩だけど、これも向こうではエノクというんだ』
『結構つながってるのね?』
『お地蔵さんとかも向こうでは大天使ガブリエル。子供の守り神だよ』
『へー』
『弥勒(みろく)菩薩は大天使ミカエル、お不動さんは大天使ウリエル、薬師(やくし)如来は大天使サンダルフォン、弁天様は大天使ラファエル』
『観音(かんのん)様は?』
『それはお前、マリア様に決まってるじゃん』
『ああ、そうなんだ』
小さい頃、賀壽子はこの手の話をよく青葉にしていた。中学生くらいになってから記憶と昔書いていたメモに頼って賀壽子の世界観を再構成してみたが、さっぱり分からん!と思った。
賀壽子は自分のエネルギーと青葉のエネルギーを半分くらいずつ使って治療している感じだった。それだけ使われていると、お腹が空く!
「お腹が空いた」
と青葉が言うと、患者の母親が「あ、何か出しますね」と言って、ポテチやチョコなどを出して来てくれた。また、祖母がサツマイモを焼いてくれたのでそれも食べた。
やがて佐竹が戻ってくる。大量の食料品に母親がびっくりしたようだが、青葉はお腹がとっても空くので、それもいっぱい食べた。賀壽子も直接カロリーになりそうな、羊羹とかチョコとかを食べている。
「まあ、お嬢ちゃん、食べ盛りなのね」と母親がようやく笑顔を見せて言った。
治療を始めてから3時間くらい経ったところで、患者が目を覚ました。
「お母ちゃん・・・」
「お前。意識が戻ったんだね? 良かった・・・・」
と母親はほんとうにホッとした様子で、涙を流している。
「喉が渇いた」と女の子は言う。
ストロー付きのコップでまずは水を少し飲ませる。まだ腎臓の機能回復が途中なので塩分を取らせられないのだ。
「まだ寝ていた方がいいよ」
「うん。私もう少し寝るね」
と言って女の子は寝てしまう。
女の子が意識を取り戻したことで母親は安心した感じだったが、青葉はこれが危篤状態を乗り切っただけであると認識していた。まだまだ危険な状況であることには変わりがない。患者はかなり衰弱している。
『青葉、肝臓の方に移って』
『うん』
賀壽子は直腸の傷を大まかに修復し終えて、大腸の方に移っていた。青葉は左右の腎臓の内、比較的元気だった左側だけ修復して肝臓に移った。取り敢えず片方だけでもしっかり動けば何とかなるのである。機能が落ちている右側の腎臓は後回しだ。しかし片方の腎臓がとにかく回復したことで、次に女の子が起きた時は生理的食塩水を飲ませることができた。
夕方になったので、患者のそばを離れる気分になれない母親に代わり、祖母が夕食を作って出してくれた。御飯と、野菜の煮染めに吹かし大根といった素朴な御飯だが、賀壽子も青葉も美味しく頂いた。青葉は御飯を3杯もお代わりしたので、そんなに沢山食べるのを見たことがない未雨が驚いていた。ふだんの青葉は御飯茶碗に半分くらいしか御飯を食べない。
佐竹は患者の祖母と一緒に仏檀の前で観音経を読んでいた。
ふたりで同時にひとりの患者をヒーリングする場合、ふたりの気の操作が衝突するとまずい。双方がきちんと調和した状態で施術する必要がある。それができるのは、結局賀壽子と青葉の組合せだけであった。それは2機のラプター戦闘機がお互いのシステムを共有して協同で敵機と戦うのに似ている。佐竹にも多少のヒーリング能力はあるのだが、ふたりと調和して作業することができないので、こちらには参加できないのである。
賀壽子と青葉の共同作業で、明らかに患者の容態が良くなっているのを青葉たちだけでなく、患者の母親や祖母も感じていた。
「なんか凄く楽になってきているみたい」
「顔色も血の気が差してきた」
最初青葉が来た頃は、患者はまるで死人のような顔をしていたのである。
未雨が<体温・脈拍測定係>を命じられて、30分に1度体温と脈拍を計って紙に記録していたが、最初39度近くだった体温が少しずつ下がってきていた。
青葉がこの子助かる、と思ったのは夜0時を過ぎた頃だった。しかし青葉がそう思った次の瞬間『気を抜くな』と賀壽子から念で言われた。『うん。最後まで全力搭乗だよね』『そうそう。全力投球ね』『あ、そうだっけ?』
青葉はいろいろ難しい漢字熟語は知っていたものの、この時期はさすがに結構使い間違いもあった。どんなに凄くてもそこは幼稚園児である。
なお、未雨は夜9時頃寝てしまった。佐竹も何かあった時のバックアップのため休養しといてと言われ、夜11時頃に仮眠に入っていた。患者のお母さんは、賀壽子が寝て下さいと言ったもののとても眠れないとは言っていたが、峠を越したようだという安心感とここ数日の疲れとで、1時頃眠ってしまった。お祖母さんはこちらまで倒れたらよけい迷惑を掛けると言って未雨と一緒に9時頃寝ていた。
患者本人は2時間くらいおきに起きては生理的食塩水を飲んでいた。まだ固形物は胃に入れられない状態だ。エネルギー自体は賀壽子と青葉が直接「気」の形で投入しているので、体内で「燃やすもの」が足りなくなる恐れはない。そして腎臓の機能が取り敢えず片方回復しているので、燃やしたあとの老廃物は、ちゃんと濾過されて膀胱に集められる。尿は賀壽子がカテーテルを入れて導尿していた。賀壽子は戦時中に一週間だけ講習を受けて准看護婦の資格をもらったというクチであり、この手の作業にも慣れていた。(実際病院に勤めていた時期もあったらしい)
治療は、賀壽子の方は大腸の次は膵臓に移り、青葉の方は肝臓の後、右の腎臓に移る。膵臓が回復するとやっと食物を栄養源に変えられる。その治療が明け方くらいまでに何とか完了したので、その後はやっとポカリスエットを飲ませられるようになった。
その後、青葉は少し休んで(パワー供給源としては使われ続ける)、賀壽子が患者の身体全体の気を整える作業に入った。賀壽子が『何とかなったかな』と言うと、青葉が『ひいばあちゃん、気を抜いたらダメ』と言い、賀壽子は微笑んだ。朝7時、体温を計ると36度8分まで落ちていた。青葉はその女の子の生命の炎がしっかり燃えているのを感じた。
青葉たちが引き上げたのはお昼近くであった。患者は「おかゆが食べたい」
などと言うくらいまでなっていた。賀壽子は
「完全な回復にはまだ一週間かかります。しばらく毎日様子を見に来ますが、もし何かあったら夜中でも構いませんからすぐ呼び出してください」
と言った。母親が頭を畳に付けるようにして御礼を言っていた。
数ヶ月後にこの子が予防接種のため病院を訪れた時、お医者さんは仰天したらしい。まさか助かるとは思ってもいなかったのであった。
帰宅してから青葉は40時間近く眠り続け、未雨が心配して賀壽子に連絡したほどであった。その賀壽子の方も佐竹の娘さんに電話番を頼んで、ひたすら寝ていたらしい。
なお、この治療で賀壽子が受け取った謝礼は、大根・じゃがいも・タマネギなど野菜を段ボール箱に5箱ほどであった。賀壽子は貧乏人には「ああ野菜でいいよ」とか「鰯とか鯵とか余った魚でいいよ」などと言っていた。その代わりお金持ちさんからの依頼には結構な料金を取る主義で、そういう方針は後に青葉にも受け継がれることになる。
ちなみに、この大量の野菜は青葉の家にほぼそのまま運び込まれ、青葉の母が嬉しそうにしていた。
「今月飢え死にしなくて済む!」
などと母は言っていた。
その年12月の初旬、青葉が友だち数人と公園で遊んでいたら、その遊んでいた友だちのひとり登夜香のお兄ちゃんがやってきた。確か名前は緑星君、小学3年。未雨と同級生でもあった。
「あれ、君、青葉ちゃんだったっけ?」
「はい」
「青葉ちゃんって女の子なの?」
「そうだよ」
「でもおちんちんついてるんだよね?」
「付いてるけど」
「それでも女の子なんだ?」
「うん」
「ね。ちょっといっしょに来てよ」
「いいよ」
「あ、登夜香はそのまま遊んでて」
緑星は青葉とふたりだけで、川に沿って山の上の方に歩いて行った。少し行った付近からは雪が積もっていて歩きにくくなったが、緑星も青葉もザクザクと雪を踏みしめながら歩いて行く。
「お前、歩くの速いな。おれ、けっこう速く歩いてるのにちゃんとついてくる」
「ひいばあちゃんと一緒によく山歩きしてるから」
「ふーん」
ふたりは10分近く歩いてけっこう山の奥の方まで来た。
「ここ知ってる?」
「うん。男橋と女橋」
川にふたつの橋が架かっていた。川下側の橋は吊橋、川上側の橋は丸太橋で、この橋を知る人は、吊橋の方を女橋、丸太橋の方を男橋と呼んでいた。
「わたったことある?」
「両方試してみた。女橋は渡れたけど、男橋を渡ろうとしたら川に落ちた」
「へー。おれは男橋はわたれたけど、女橋をわたろうとしたら落とされた」
「ふーん。うちのひいばあも女橋しか渡れない」
「うちのばあちゃんも母ちゃんも女橋しかわたれない」
「ああ」
「青葉ちゃん、わたってみてよ」
「いいよ。でもこの時期、川には落ちたくないね」
と言って微笑むと、青葉は吊橋の方に行き、ひょいひょいと渡ってしまった。
川の向こうから見ていたら、緑星が丸太橋の方を渡って青葉のいる側まで来た。
「ふーん。緑星君は確かに男の子だね」
「うん。でも、たしかに青葉ちゃん、女の子なんだね」
「うん」
と言ってふたりは微笑んだ。
「うちのばあちゃんに会ってかない?」
「ああ、一度会ってみたいと思ってた」
ふたりはいったん公園に戻り、登夜香を連れて、緑星のおばあちゃんの家に来た。
「こんにちは」と言って緑青と登夜香が入って行き、「お邪魔します」と言って青葉もそれに続く。
「はい、いらっしゃい」と言って緑星の祖母・眞純子(ますこ)は笑顔でこちらを向いたが、青葉を見るなり、突然こわばった顔をして、こんなことを言った。
「あんた何者?」
明らかに身構えている雰囲気。
「初めまして。私、八島賀壽子の曾孫で川上青葉と申します」
とにこやかに答える。
「・・・あんたが青葉ちゃんか! 噂には聞いてたけど、凄まじいオーラだね」
「恐れ入ります」
「それにあんたに付いてる守護霊、とんでもない大物みたい」
「そうですか?」
眞純子は拝み屋さんをしていて、いわば賀壽子の商売敵である。
「あんた・・・・小学1年生くらいだっけ?」
「いえ、幼稚園の年中です」
「幼稚園児と会話している感じが全然しないんだけど! 末恐ろしいね」
と言って眞純子は笑った。
「おばあちゃん、さっき男橋・女橋に行って来たけど、青葉ちゃんは女橋をわたれた」
「そりゃそうだろうね。この子、魂が女の子だもん。男橋は渡れんだろ?」
と眞純子。
「はい、以前試しに渡ってみましたが、途中で落とされました」
「なぜ落とされたか分かった?」
「はい、天狗様が怒ったような顔でやってきて押されたんです」
「ちゃんと見えてるね、偉い偉い」
「天狗さんが居たの?」と緑星。
「そうだよ。見える人には見える。青葉ちゃんはちゃんと見えるだろうね」
「うちのお母ちゃんも、登夜香も少し見えるみたいだけど、おれはぜんぜん分からないや」
「こういう能力は隔世遺伝するからね。青葉ちゃんの場合、賀壽子さんも凄いけど、他にも先祖に凄い人たちがいたみたいだからね。あんたきっと賀壽子さんより凄い子になりそう。あんたが拝み屋さんを始める頃まで私は生きてないだろうけどね」
と眞純子は言った。
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