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■春光(3)
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「もっ1度挑戦していいですか?」「うん、やれ」
今度は青葉も少し真剣な顔をし、さっきよりバーに近い所に立つと、大股で3〜4歩半ば歩くような感じの助走を取り「えい」と声を掛けて、きれいなベリーロールでバーを越えた。今度は「おー」という声がみんなから上がる。
「やればできるじゃないか。もっとバー上げてよさそうだな。どのくらいまで飛べる?」
「今までの最高記録は130cmです」
「なんだ、もう少し飛べそうなのにな。まあいい、130にしてみよう」といって体育の先生はパーを130に調整する。
「行きます!」といって右手を上げると、やはりさっきと同様の3〜4歩の助走から、掛け声を掛けて飛んだ。ベリーロールでバーの上を包み込むように通過するが、その時、青葉のバストがバーに接触した。「あっ」と一瞬声を上げる。マットに落ち込んでからバーを見るが、バーは揺れたものの落ちなかった。「わぁセーフ」と喜ぶ。
みんなが拍手をしていた。
「いやあ、ちょっと焦りました。以前飛んだ時はもっとバスト小さかったから」
などというので、一同がどっと笑った。
その日の帰り、青葉と美由紀と日香理は3人で教室を出て、一緒に帰り道を歩いていた。部活動は美由紀の美術部が先に終わっていたのだが、日香理と青葉のコーラス部の練習が終わるのを待っていてくれた。3人は偶然にも帰る方向が同じなので、時間さえ合えば学校から700-800mくらい一緒に帰ることができる。
「青葉、今日の走り高跳びだけどさ」と日香理が言う。
「ああ、日香理にはバレてたよね。笑ってなかったから見抜かれたなと思った」
「なに?どういうこと?」と美由紀。
「最初の失敗はワ・ザ・と・ってこと」と日香理。
「えー!?」
「あはは、ごめんごめん」
「うけ狙いでしょ?あれ」
「うん。あそこは笑いが欲しいなと思っちゃったのよ」と青葉は照れながら言った。
「青葉って関西芸人?それに女の子がわざわざ顔からバーにぶつかる?」
「えへへ、ちゃんと怪我しないようにやったよ」
「だよね。そんな気がした。それに助走が全然違ってたし」
「でも、130cmのバーにバストがかすったのは計算外。あれはマジでびっくりした」
「私たち女の子って、少しずつ男の子ほどは運動がしにくい身体になっていくんだろうね」
「うん、そうだね」と青葉は静かに頷く。
「でも青葉は、わざわざそういう身体になっていく道を選んだんだ」
と美由紀は、青葉の顔を見ながら言った。美由紀の頭の中では、青葉を「女の子」
と見る考えと「女の子になりたい男の子」と見る考えが、シュレディンガーの猫のように重なり合った状態になっていた。
「うん」と青葉は今度は元気に答えた。
「小学4年生の時に見た夢が忘れられないんだ。みんなと一緒に道を歩いていたら別かれ道があったの。で、女子の友達がみんな右側の道に行っちゃうんだよね。私ひとり置いてけぼりにされて、男子の友達から『こっちこい』と言われて左の道に連れていかれちゃうの」
「すごい象徴的な夢だね」
「私、左の道は嫌、私も右の道に行くんだって、頑張ったの」
「へー」
「その成果がこのおっぱい」
「じゃ、そのおっぱいを通行証として、私が青葉を右の道に連れてってあげる」
「ありがとう」
「なんだかよく分からないけど、私も一緒だよ」と日香理。
「うん」
3日目。水曜日の午後にコーラス部の練習を終えてから帰宅すると、母から「荷物届いてるよ」と言われた。
ひとつが千里から送られてきた数珠であった。
「わあ、きれい」
ローズクォーツのピンク色の数珠である。
「あ、なんか持った時に凄く暖かい感じがする」
「へー」
「早速電話電話」といって自分の携帯から千里に掛ける。
「ハロー、ちー姉」「ハロー、青葉」
「数珠届いたよ。ありがとう」「そんなんで良かった?」
「うん。凄く気に入った」「良かった良かった」
「大事に使うね。あ、そうそう今日学校でさ・・・・」
青葉はけっこう長時間しゃべっている。しゃべっている途中で鞄から宿題を取り出し、やり始めた。左手で宿題をしながら、右手では電話を持ってずっと話している。朋子は微笑んでそれを見ていた。
朋子は、この携帯から、桃香の携帯、千里の携帯、そして佐竹の携帯の3ヶ所へは無料で通話できる設定にした。その設定で正解だったな、と思う。
30分ほどしゃべってから電話を切った青葉に母は
「もうひとつの荷物がその箱」
という。段ボールを開けるとハードディスクが5台入っている。
「あ、菊枝が来たんだ」
「うん。じきに戻りますから、待っていかれませんかと言ったんだけど、今日はこれ置きに来ただけだからと言って」
「菊枝らしいなあ・・・」
「で、伝言なの。ゴールデンウィーク中、できたら5月6日に来てって。2泊でって」
「ふーん、分かった。あ、住所言ってなかった?引っ越したはずなんだ」
「それがね・・・・」
「なに?」
「住所は教えないから、自分で見つけておいで、と伝えてくれって」
「あはは、面白い」
「見つけられるの?」
「菊枝が隠すつもりなら私には無理。でも隠す気が無ければ見つけられる」
「ふーん。でも美人さんね」
「うん。菊枝とも長い付き合いだなあ。最初会った時はまだ高校生で。凄い人がいると思った」
「ね・・・・」
「ん?」
「お母さん、私連休に岩手と高知と行ってきていい?」
「うん、行っといで。そのくらいの旅費はすぐ出してあげられるから」
「あ、旅費はだいじょうぶ。こないだお姉ちゃんたちに受け取ってもらえなかった30万もあるし。それに今回は仕事絡みになるから大半を経費で落とせるから。岩手もいくつか向こうに行かないとできない案件がたまっていて・・・」
「いいけど気をつけてね。でも、そちらは資金が結構あるようなこと言ってたね」
「うん。むしろ経費ある程度使わないと税金もったいない。あと。私、ここ1ヶ月ほど、他人の行方不明探索ばかりしていたんだけど・・・・」
「お姉さんたちを探すのね」
「うん。ここからリモートでできないこともないけど、実際に現地で探してみたいんだ」
「行っといで。今週末から行くの?」
「ううん。いろいろ事前に準備したいこともあるし、29日,30日は任意参加だけどコーラス部の練習もあるし、2日の夜の仙台行き高速バスに乗ろうかなと思ってる」
「高速バス疲れるよ。新幹線使ったら?」
「今ざっと考えてみたんだけど、岩手行って、それから友達がひとり青森県の八戸に移動しているからその子に会って、それから菊枝に会うのに高知に行って、それから最後に桃香姉ちゃんたちに会ってから戻ってこようと思うの。すると青森から高知までと、高知から千葉への移動はどうしても飛行機になると思うのよね。そうしたら、ここから岩手まで行くのと、千葉からここまで戻るのは高速バスにして、経費節約したほうがいいかな、と」
「資金たくさんあるんじゃなかったの?」と母は笑っている。
「貧乏性なのよ、私。それに高速バスは夜間の移動で時間が節約できるし」
「ああ、それはいいかもね。でもきついと思ったら、日程ずれてもいいから楽な交通機関に切り替えるのよ」
「うん。無理はしないよ。で9日の朝、こちらに高速バスで戻ってきて、そのまま家には戻らずに学校に行くね」
「分かった」
「じゃ、すぐ飛行機とバスの予約しよっと」
と言って青葉は自分のノートパソコンを開いた。これは先週千葉に行った時に都内の量販店で買ってすぐに基本設定をしておいたものである。こちらの家では(すぐ回線を使いたかったので)ADSLの契約をしてもらい、月曜日に開通していた。
「青森から羽田経由で高知も、高知から羽田も残り1席だったのが取れた」
「すごいね」
「これ・・・・・菊枝の親切かも」
「え?」
「自分で事前に予約しておいて、私がこれをするだろうと思う時刻の直前にキャンセルしてくれたような気がする。逆にいうと、この時間に高知に入ってこの時間まで一緒にいてね、ということ」
「でもそういうルートで青葉が移動するとは知らなかったんじゃないの?」
「孫悟空がお釈迦様のてのひらの上しか飛び回れなかったみたいに、私はしばしば菊枝のてのひらの中にいるのよね」
「・・・・なんか凄い人ね」
「うん。私にとってはまだまだ雲の上の人。でもいつか追いつけるように頑張る」
その時、青葉の家の裏手30mほどの所の公園に路駐していたパジェロ・イオが発進した。菊枝は『盗聴器』のスイッチを切ってから楽しそうに独り言を呟く。「青葉、まだ甘いよ〜、私がここにいたことに気付かなかったでしょ?いくら私だって、あまり遠い場所からは青葉の細かい動作まで分からないからね。それに霊的なものだけじゃなくて物理的なものにも注意しなくちゃ。ま、でも青葉の移動ルートは私の山勘が当たったね。我ながら偉い!7日にたっぷりデートしようね。さて、今日の晩御飯は『海天すし』にしようか?『きときと寿し』にしようか・・・・」
菊枝は運転しながらなにげなく外を見ていたが、ふと道を歩いていた少女に目を留めた。「あれ?今の子、青葉の気配が強く付いてた。仲の良い友達かな?」
青葉がバスや列車の予約などまで終わらせた時、ピンポーンと玄関のベルが鳴った。「はーい」と青葉がインターフォンに応えると「あ、青葉〜、今夜泊めて」と日香理の声。びっくりして青葉が玄関のところに行き、日香理を中に入れる。
「よくここが分かったね」
「うん。住所はこないだ聞いてたから、それを頼りに辿り着いた」
「でも、どうしたの?」
「ちょっと母ちゃんと喧嘩しちゃってさ。私がもう家出ていくと言ったら、ああ、お前なんか出て行ってくれた方がすっきりするとか言うから、もう出てきた」
「あああ」
「明日はちゃんと帰って母ちゃんに謝るから、今晩ひとばん泊めて」
「いや、それはいいけど・・・・ね、お母ちゃん、日香理のお母さんにこちらから連絡しなくてもいいかな?」
「じゃ、私が連絡してあげるよ。自宅の電話番号教えてくれる?」
「すみません」
母は日香理の家に電話し、明日には帰宅して謝ると言っているから
今晩一晩お預かりしますと言った。向こうも済みません、お願いしますと言っていた。
「済みません、ありがとうございます」と日香理が朋子に礼を言う。
「だけど何があったの?」
「いつものことなんだけどね。。。。進学のこととか彼氏のこととかで意見が対立して。私は大学行きたいから普通科に進学したいんだけど
親は女の子が大学まで行ったって就職先が無いよとか言って、商業科
系の所に行けというのよね。あと、私去年から交際している男の子が
いるんだけど、交際といっても電話したり一緒に散歩したりするだけ
なんだけどさ。でもこないだから何度か連続で、彼とのデートのあと
門限破っちゃって。清い交際できないのなら別れろとか言われて。
清い交際してるつもりなんだけどなあ・・・」
「わあ、彼氏とかいいなあ」
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