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■春事故(4)
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奈那がナースコールを押す。看護婦さんが来て
「あ、意識が戻ったのね」
と言ってすぐにドクターを呼んでくれた。
桜坂奈那は店長の神田あきらに相談した。
先日の“夢”の内容を話すと興味深そうに聞いていた。
「でもお友達助かって良かったね」
「はい。金沢ドイルさんのお陰です」
「ほんと凄い人だよね」
「ええ。それで相談なのですが、夢の中に出て来た“昨日のパン3個500円”ってほんとにやること考えられませんかね」
「やっていいと思う。パン屋さんはね。売れ残り対策が収支の鍵なんだよ」
「ああ大変そう」
「パン屋さんやると売れ残りは必ず発生するからね。3個500円で売るのはいいアイデアだと思う」
「でそれを私たちに400円で売ってもらえません?」
「“私たち”というのは?」
「N高校JRCです」
「ほほお」
「JRCで400円で買っていき、校内で500円で売るんです。差額を赤十字に寄付します」
「でも売れなかったら?あんたたちの負担にならない?」
「運動部の子たちがいるから絶対売りきれますよ」
「なるほど。400円はきついけど450円なら考えてもいい」
岩田マネージャーも頷いている。
「それでお願いします!」
それで奈那たちは毎朝ムーランベーカリーで“昨日のパン”3個入りの袋を1袋450円で20袋買っていき、体育館で500円で販売したのである。
奈那が期待した通り運動部の子たちが買ってくれてパンは毎日全部売れた。それで奈那たちは毎日1000円の寄付をすることができた。なお購入代金(9000円)は顧問の先生が出してくれた。
なお、ムーランベーカリーの店頭でも“昨日のパン”は3個入り500円で販売した。それ以外にも“昨日の水車饅頭”80円というのもよく売れた。またケーキやお団子などもだいたい1-2割引きの値段で売って収益の足しになった。この方式は山吹社長も公式に認めて、七尾店以外にも広がった。若葉は「売上が増えてしまう」などと文句を言っていたが。
この割引き販売のきっかけは日登美の事故だったのである。この件は
『北陸霊界探訪』(6月放送)でも匿名でレポートした。そして結果的にはムーランの割引き販売が広く知られることにもなる。
なお6月の放送では菓子神社に、おみくじが設置されたのと境内にベンチが置かれたのもレポートした。ベンチを置いたのは津幡姫のご要望で、動物の森をしたいから、らしい。最近は神様もゲームにはまっているようだ。姫には真珠がAQUOSを渡していた。でも最近は姫から電話で呼び出されるらしい!
2023念5月5日(祝)14:42、能登半島北部を最大震度6の大きな地震が襲い、珠洲市・能登町などに大きな被害を出した。特に珠洲市の正院地区では多数の住宅が潰れた。珠洲市は群発地震が続いていたものの、ここ1ヶ月ほどは地震があまりなかった。それが突然の大きな揺れだった。
人形美術館は水の上に浮いているので全く揺れなかった。初期微動で地面との固定軸も外れて主振動を受けていない。スイスイ1号は自動停止し、マリアンも座り込んだが、人形には全く被害が出なかった。薫館長は客を館外に誘導しようとしたが、たまたま来ていた遙佳が
「館内にいた方が安全」
と言い、客を外には出さずサロンに集めた。そして
「この美術館は地震に対して安全にできています。落ち着くまでしばらくお待ちください」
とアナウンスして、客をテーブルに座らせ、紅茶とチーズケーキを出して一息つかせた。お客さんたちもこれで随分落ち着けたと言っていた。結局サロンでピアノとフルートの短いライブなども上演して30分ほど経ってからゆっくりと客を外に出した。この時、客の交通手段を確認し、車で来ているなど帰りの交通手段のある人から順に外に出した。
レストラン・フレグランスはちょうどお客さんの少ない時間帯だった。地震直後は客にテーブルの下に入るよう指示した。揺れが収まってから店外に誘導した。お店の建物は完全に潰れたが、駐車場の車には幸い被害は無かった。
お客さんを出した後は、従業員にも気をつけて帰るよう指示した。
幸いにも誰も怪我はしてなかった。
しかしフロアも厨房も完全に崩れた壁や天井に押しつぶされていた。窓も全部壊れた。このあとどうするかは、ゆっくり考えるしか無いという感じだった。
お弁当の琥珀はただちに営業を停止した。並んでいるお客さんにも
帰ってもらった。おにぎりを配った。厨房では幸い誰も怪我しなかったし、火災なども起きなかった。しかし壁も倒れ天井も落ちて当面の営業再開は不可能という感じであった。u
川口遙佳の家は数年前に建て直したばかりで新しかったお陰であまり被害が出ていなかった。本など物はたくさん落ちたし、食器がかなり割れたが、建物自体には被害は無かった。
桜坂奈那の家は1960年代に建てられた古い建物なので、わりと被害が出た。壁が剥がれたり天井の板が落ちたりしたが
「生活には支障が無い」
と父は言っていた。確かに翌年・2024年1月の巨大地震の被害に比べれば大したことはなかったと奈那は後から思った。
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春事故(4)