【男の娘とりかえばや物語】(3)
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(C)Eriko Kawaguchi 2018-07-07
男性的な性格の橘姫(たちばなのひめ)と、女性的な性格の桜君(さくらのきみ)はしばしば入れ替わって過ごし、橘姫は男装でよく外出し、桜君の方は女装で男子禁制の場所に行ったりしていたのですが、10歳の年の春、とうとうその入れ替わりが父の大将(だいしょう)にバレてしまいました。
父君はまず激怒しました。
主殿の父君の部屋に、桜君と乳母、筆頭女房の伊勢、橘姫と乳母、筆頭女房の少納言の君が呼ばれ、大将は激しく叱咤します。
これには桜君も橘姫も素直に謝りました。
更に大将は双方の乳母、伊勢と少納言に首を言い渡します。4人は青ざめたものの「申し訳ありませんでした」と言い、退出しようとしますが、これに桜君と橘姫は猛反発します。
入れ替わりは自分たち2人だけでやっていて、乳母や女房は一切知らないことであったとし、それを解雇するのは筋が通らないと主張したのです。3人は激論します。
「お前たち2人だけでできる訳が無い」
と言う大将に対して、桜君も橘姫も
「自分たちふたりだけでこっそりやっていました」
と言って、絶対に譲りません。
それで結局父はふたりに妥協してしまいます。父は特に桜君が物凄く頑張ったことで、こいつもなかなかやるじゃないかと思って、許してやることにしたのです。
「しかし本当に誰も知らなかったのか?」
「ふたりだけでやってましたよ」
「分かった。4人の解雇の件は取り消す。申し訳無かった」
と大将は4人に謝りました。4人もそれを受け入れて、引き続き、桜君・橘姫に仕えることにしました。4人の中でもっとも狼狽していた桜君の乳母は自分は知っていたし協力していたとして自主的に辞任を申し出たい気分でもあったのですが、それでは若君たちの必死の努力を無にしてしまうので我慢して黙っていました。
父はふたりに今後の入れ替わりの禁止を言い渡します。
しかしこれにもふたりは反発しました。
「私は身体も弱いし、武術もできないし、漢字もまともに読めません。私は静かに家の中で箏や和琴を弾いている方が性(しょう)に合っています。橘姫は体力もあるし、漢籍を読みこなし、漢詩も作れば、馬術も弓もうまく、笛や琵琶をたしなみます。そういう生活を認めて欲しいのです」
と桜君は主張しました。
「しかしお前はいづれ俺の後を継いで帝を助ける仕事をしなければならないのだぞ」
と父君。
「それは私には無理です。橘姫になるできると思いますが」
と桜君。
「橘姫はいづれ帝の妻にならなければならない。今からでも遅くないから、化粧を覚えて箏を弾き、行儀作法も覚えて欲しい」
と父。
「私にはそれは無理です。一日中部屋の中に閉じこもっているなんてできません。私は弓を射るのも馬を操るのも大好きです。私は外に出て行きたい。帝の妻なら、兄上の方が務まると思います」
と橘姫。
「男を帝の妻にできるか!」
この問題についても3人は激論しましたが、結局2人が
「できないものはできない」
と頑張るので、ついに父君は2人に言い負けてしまいました。
「ではお前たちはこれからどうするのじゃ?」
「今まで通りに」
「私はふつうに弓矢や馬の練習をして漢籍もしっかり学びます」
と橘姫。
「私はあまり外に出たくありません。家の中にずっと居て、囲碁をしたり箏を弾いたりしていたいです」
と桜君。
「それでは男女逆ではないか」
と父。
「いっそ私は男になりたい」
と橘姫。
「だったら桜は女になりたいのか?」
「別に女になりたい訳ではないですけど、自分は男らしくは生きられないなと思っています」
と桜君。
桜君と橘姫は結局自分たちの主張を押し通してしまいました。
それでこの後の2人の生活はこのようになってしまったのです。
橘姫は今まで通り、毎日髪を美豆良に結い、男物の服を着て、弓や馬の練習で頻繁に外出します。笛・琵琶を弾きます。漢籍を学び、日本の歴史や仏典なども学んで、漢詩を作ります。
一方桜君は今まで通り、ずっと自分の部屋に居て、自分のお付きの女房や女童など以外にはほとんど会わず、和琴や箏を弾き、女房たちと囲碁や双六などをしています。ひとりの時は結構人形遊びなどもしています。
今までと違うのは、橘姫が外出している間、桜君は別に西の対に行ったりせず、東の対にそのまま居るようになったことです。ですから、桜君は女装する機会がこれまでよりぐっと減りました。それでも舞や歌の先生が来た時は髪をほどいて振り分け髪にし、姫の衣裳を着て先生に習っていました。また姫の衣裳を着る時はお化粧もしていました。
ふたりは荷物も交換しました。桜君の部屋にあった漢籍・仏典など、笛や琵琶などは西の対の橘姫の部屋に移しました。橘姫の部屋にあった人形など、箏と和琴は東の対の桜君の部屋に移しました(もっとも人形の大半は既に東の対にあった)。
ついでにふたりは尿器も交換しました!
橘姫は男装の時はもちろん女装の時も、おしっこする時は尿筒(しとづつ)を使うようにしました。
「この方が楽〜。いちいち袴を脱がなくてもいいし」
一方、桜君は女装の時はもちろん男装の時も虎子(おおつぼ)を使うようになりました。
「この方が楽だよ。おちんちんの先がどうなってるか考える必要無いし」
実際、桜君のおちんちんは相変わらず膠で肌に留めたまま、タマタマは体内に押し込んだままにしていたのです。
ふたりの入れ替わりを全く知らなかった春姫はびっくりしました。
「何か変だとは思ってたけど、まさか入れ替わっていたなんて、思いも寄らなかった」
と春姫は言いました。
「母上、ごめんなさい。でもこの方が私にとっても橘姫にとっても自然なんです」
「やはりお前、女になりたいの?」
「女になる気は無いけど、男よりは女の方が楽かなあという気はしている」
「女になりたいなら、男の印を取ってしまう?そういう術はあるらしいけど」
「おちんちんが無くなってしまったら、それでも何とかやっていける気はするけど、積極的に女になりたいわけではないから、そこまではしなくていい。でも橘姫は本当に男になりたいみたい」
「あの子はそうかもね」
「おちんちんを付ける術は無いの?」
「それは聞いたことが無い」
桜君と橘姫が自分たち以外には誰も入れ替わりを知らなかったと主張したことで桜君の女房や乳母は処分を免れたのですが、のんびり屋の春姫はそれを信じていたようで、結局桜君の乳母は1年前に書いていた辞表を出すこともありませんでした。
秋姫は桜君と橘姫が、乳母や女房たちを守ったことを褒めてくれました。
「あんたたちはよくやった。乳母たちも涙を流して感謝していたよ」
「だって私たちのことなのに、他の人に迷惑を掛けてはいけないもん」
「うん。私たちの趣味に協力してくれていたのに」
「乳母たちも女房たちもこれに感動して、あんたたちをずっと守って行くと言っていた。あんたたちは結果的にとても忠実な家人(けにん)を得たことになる」
と秋姫は言っていました。
「でもあんたたち、結果的に今までより楽に生活できるようになったみたいね」
「うん。楽になった」
「私は堂々と外出できるし」
「私は堂々と部屋の中に居られるし」
「あんたたち2人ともそれが好きみたいね〜」
と言って秋姫は微笑んでいました。
ふたりは相変わらず髪を同じ長さに調整していました。昨年春に少し切った桜君の髪も、いよいよ床につくくらいの長さまで伸びました。このくらい長いと美豆良にする時少し面倒なのですが、後ろの真ん中付近の髪の大半を服の内側に入れ、脇の髪を中心に美豆良にすれば、美豆良の髪の量がそれほどでもなく、わりと自然になるのです。
橘姫は「かったるい。切りたい」と言ったものの、秋姫はそれを許さず、この点には橘姫も妥協しました。桜君の方は髪が床につくようになったのを「なんか大人になったみたい」と嬉しがっていました。実際には「大人の女」に近づいている気もするのですが、桜君はそれをあまり意識していません。
桜君は元々は別に女になりたいような気持ちは無かったのですが、度々女装させられている内に、けっこう女の格好をするのが好きになりつつありました。
そして・・・・
父・大将はガックリと落ち込んでいました。
女みたいだった息子が最近は男らしくなって元気に武術とか漢籍とか学んでいると思い込んでいたら、それが実は娘の方であり、男みたいだった娘も最近はおしとやかになってきたと思い込んでいたら、それが実は息子の方だったというのは物凄いショックで、一気に10歳くらい年を取ってしまったかのようです。
息子をいづれは自分の跡継ぎにして大臣に、娘はいづれ帝の妻にと思っていたのに、そのプランも完全に崩壊しました。あんな御転婆の娘など、とても帝に差し上げる訳にはいかず、あんな女みたいな息子ではとても跡継ぎにはできません。
そんな大将の姿を兄の右大将をはじめ周囲の人は不思議に思いました。
「大将の所は息子さんはこないだ小弓比べで優勝したそうですね。元気だし、漢籍にもとても詳しくて、既に史記も三国志も読破したと聞きましたよ。良い跡継ぎがおられて楽しみですね」
「大将の所の姫君は箏や和琴をとても上手に弾きこなし、舞も上手で、松尾神社の秘祭でも舞を舞ったそうですね。良き姫君が居て羨ましい」
そんなことを言われる度に大将は将来を絶望して、ますます落ち込むのでした。
その日、父君が西の対に住む娘“橘の姫”の元を訪れてみると、元気な横笛の音が聞こえてきます。
様々な色の下着の上に萌黄色の狩衣を着て赤紫の指貫(袴)を穿いています。完全に男性の装いです。髪も美豆良に結っており、表情が明るく、友人の男子たちを数人、部屋に上げて一緒に合奏しています。
合奏が終わると庭に飛び出し、一緒に蹴鞠をしたり、小弓で遊んだりしていました。
父君は「男の子たちが集まってきている」というのが、美しき深窓の姫君を一目見ようと集まってきているという状態であったら、どんなに良いことだろうと思ってしまいました。
「“橘君”様は本当に元気でいらっしゃる」
とお付きの女房の少輔命婦が言っています。
どうも女房たちが“姫君”ではなく“若君”と呼んでいるようだなというのをあらためて認識すると、父はこの子は僧にでもするしかないかもと悩んでしまいました。
そんな様子を半ば放心状態で1時(2時間)も見てから、父君は東の対に住む息子“桜の君”の元を訪れてみます。すると本人は御帳(みちょう)の中で箏を弾いています。
その調べが美しいなとは思ったものの、父は御帳を開けて
「閉じこもっているばかりでなく、外に出て桜の花など見てごらん」
と言ったのですが、父はその子のあまりの美しさにドキッとしてしまいました。
長い髪は扇を広げたようです。顔色は紅梅の咲き出したようにつややかで、涙を浮かべたような目がまた美しい。桜色の六枚重ねの服の上に赤紫の袿(うちき)を着ています。
“桜姫”がこういう服を着ていたのは実は舞の先生が来るからだったのですが、父君はふだんからこの子はこういう服を着ているのだろうと思ったようです。
「姫様、舞の先生がいらっしゃいました」
と女房の伊勢が告げます。
それで舞のお稽古が始まりますが、その様は美しく、大将は見とれていました。なんて素敵なと思ってから、待て待てこいつは男だぞ、と思い直します。
そして、この子は尼にでもするしかないかも知れないと父君は悩んでいました。
ところで権大納言家の周囲の人々は噂をしていました。
「大納言様の所って、春姫様の所が息子さんで、秋姫様の所が娘さんだっけ?」
「あ、それ俺もそう思い込んでいたのだけど、逆みたい」
「うん。こないだ俺も勘違いしていたことに気付いた。実際には東の対に住む源宰相の姫君のお子様がお姫様で、西の対に住む藤中納言の姫君のお子様が立派な若君だよ」
秋姫様の配慮で1年前からふたりができるだけ主殿で人に姿を見せるようにしていたことから、ふたりが開き直って各々の部屋でも人に会うようにしても、このように多少の混乱は生みながらも素直に受け入れられてしまったのです。
この年の祗園祭。“橘君”はもう年齢が10歳になってしまったので、褌を締めて先走りをするのは、しなかったものの、普通の少年男子の正装をして、祗園天神の神を下ろす儀式に参加。神輿の後ろに続いて行列をしました。この中には公卿の子弟も多く、橘君は大将の息子として、多くの若君たちと交流をしていました。
またこの年の松尾神社の秘祭に“桜姫”はまた参加しました。今年は桜姫が自分より舞が上手いと思っていた、右大臣の四の君は参加しなかったので、結局桜姫が扇の要(かなめ)の位置で舞うことになりました。
「あんた何歳だっけ?」
「10歳(*1)なんですよ」
「だったら、まだ月の物が来るのは早いな」
「でも2年務めましたし、要までしましたから、来年は辞退します」
「そうだね。でも万一人数が足りなかった時はお願い」
「はい、その時は」
結局翌年は四の君が扇の要の位置で舞ったようです(少納言の君からの情報)。
(*1)数え年の10歳なので今で言えば小学3年生。
結局“桜姫”と“橘君”はこんな感じで2年ほど過ごしました。
橘君はますます男らしくなっていきます。日々外に出かけては元気に遊んでいます。12歳の年にはとうとう賀茂祭の流鏑馬の射手に抜擢され、美事に3本とも矢を命中させ、ご褒美の絹を頂いて嬉しそうにしていました。
一方、桜姫は本人としてはそんなに女らしくしたい気持ちはないものの「大将の家には若君と姫君が1人ずつ居る」とみんなから思われているという《世間体》を保つために姫君を演じる機会がますます増えていきました。
結局、桜姫は男装する機会がどんどん減っていき、その内、ほぼ常時女装しているようになってしまい、本人としてもやや憂鬱な気分です。しかしその憂鬱な気分に浸っていると、その様子がいかにも深窓の姫君のように美しく見えるので、父君はやはりこの子は女の子になりたいのだろうなと誤解したままになっていったのです。
大将の“若君”がたいそう美貌で武芸にも学問にも優れているということが評判になると帝が
「賀茂祭で射手を務めたんだって?そのように優れた息子がいるのなら、ぜひ出仕させなさい」
と大将におっしゃりました。
「いえ、まだ幼いもので・・・」
などと言い訳をするのですが、帝は五位の位を授けるからと言い、早く元服させるよう勧めましたた。
それで父の大将も帝からそうまで言われては仕方無いと開き直り、2人の子供を成人させることにしました。
それで大将(だいしょう)は2人の子供を呼んで言いました。
「お前たちを少し早いが成人させることにするから」
それで、てっきり御裳着をさせられると思った橘君は言いました。
「私は嫌です。私に姫君なんて務まりません」
すると複雑そうな顔をした大将は言います。
「帝はこの年で史記や漢書、記紀や華厳経まで読破し、祗園祭りに参列したり、賀茂祭で流鏑馬の射手を務めて美事に矢を3本とも命中させた“若君”に出仕してほしいそうだ。それで五位の位も授けると言っている」
と大将は橘姫を見て言いました。
「それ私のこと?」
「僕は史記なんてちんぷんかんぷんだし、馬にも乗れないし、矢は当たったことないし」
などと桜姫は言っています。
「うん。だから橘に、元服の儀をしてもらう。冠を着けて束帯を着てもらうぞ」
「私が束帯を着ていいんですか?ぜひやらせてください」
と橘君は嬉しそうに言います。
「済みません。橘が束帯を着るということは、もしかして私は?」
と桜姫が訊きます。
「お前にはちゃんと御裳着をさせる。そういう服が着たいのだろう?だから橘が成人の男になるのだから、桜もちゃんと成人の女になりなさい」
と父は言いました。
うっそー!?僕、女になるなんて嫌だよぉ、裳(スカート)穿くなんて恥ずかしい、と桜姫は思ったものの、父の誤解を解こうとするとまたややこしい話になりますし、せっかく嬉しそうにしている橘が、ちゃんと「成人の男」になれなくなるかもしれません。それで桜姫は結局、御裳着をすることに同意したのです。
ふたりの様子を見ていて、秋姫様は少し悩んでいたものの、春姫様は
「そうね。あなたのことは今後は私も女の子だと思うことにするから」
などと桜姫に言っていました。
ふたりは“性”のことについては、かなり無知でした。それで少し教育することになりますが、これは秋姫が自分に任せて欲しいと言い、春姫も同意したので、秋姫は結婚している少輔命婦(橘君の女房)に教育係を命じました。
「何なら命婦の旦那様を連れて来て、実演してみせてもよいが」
「それはさすがに勘弁して下さい」
それでふたりは少輔命婦から性教育を受けることになります。
まずは男と女の身体の違いについて説明します。
「これは結構分かるよね」
と橘君が言います。
「私、男の子のあそこは随分見ているし」
「姉君のを見られたのですか?」
「姉君のは見たことないな。本当に付いているのかも怪しいけど」
「僕、最近自信無くなってきた」
「まあ私は男の子としてしょっちゅう出ていて、目の前で着換えている男の子も随分見たから、男の子がちんちんをぶらぶらさせているのも、たくさん見ているだけだよ」
「じゃ、おちんちんが大きくなるのも知ってますね?」
「知ってる。あれ面白いね」
「おちんちんって大きくなるの?」
と桜姫が言うので
「なぜ知らない?」
と橘君に呆れられています。
「姉君、実はちんちん無いのでは?」
「一応付いてると思うけどなあ。使うことはないけど」
「姫様、虎子しかお使いになりませんものね」
命婦は性教育用の絵を出して、女の性器についても説明します。これはふたりともごくりと唾を飲み込んで説明に聞き入っていました。
「ここが実(さね)と言って触ると気持ちいい所。実は男の子のおちんちんの小さなものなんですよね」
「へー!そんなものがあるのか」
と2人とも言うので
「橘は知らないの?」
と桜姫が訊きます。
「気付かなかった。後で試してみよう」
と橘君。
「ここがおしっこの出てくる所。実より少し後ろの方にあります。そして、ここが赤ちゃんの出てくる所」
「赤ちゃんってそんな所から出てくるの!?」
「そうですよ。他にどこから出てくると思ってました?」
「おへそかなとか、お尻かなとか」
「おへそには穴は空いてないから無理ですね」
「でもおへそって、お母さんと繋がっていた所なんでしょ?」
「そうですよ。お母さんのお腹の中に居た頃に、おへそで栄養をもらっていたんです。でもお母さんのおへそとつながっていた訳ではありませんよ」
「そうだったのか」
「でも私、この穴は何だろうと思ってた。赤ちゃんが出てくる所だったとは」
と橘君は言っています。
「そして結婚した男と女は、男がおちんちんを大きくして、女のこの穴に入れて、子種を体内に入れるのです」
「うっそー!?」
「だから男と女で結婚するのですね。男同士・女同士で結婚すると、そういうことができないので」
「うーん・・・」
「このおちんちんをここの穴に入れるのは、まぐわいと言いますが、お互いにとても気持ちいいんですよ」
「へー!」
「気持ちいいから、するんですね。それでしていたら、赤ちゃんができます」
「すごーい!」
「赤ちゃんは、女の人の身体の中にある赤ちゃんの卵と、男の人の身体の中にある赤ちゃんの種がくっつくとできます。それを結合させるためにまぐわいをする訳です」
「だったら、帝の妻になったら、帝のおちんちんをそこに入れてもらわないといけないの?」
と桜姫が訊きます。
「そうですよ。姫様は本当に帝の女御にという話になるかも知れませんから、しっかりお務めしてくださいね」
「僕、そういう穴が無いけど、どうしよう」
「そうですね。結婚するまでには、穴ができるかも知れませんね」
と少輔命婦は少しおかしそうに言いました。しかし橘君も
「うん、姉上だったら、きっとそういう穴ができるよ」
などと言っています。
少輔命婦は“月のもの”の話をします。
「女の身体の中には周期ができていて、だいたい28日に1回、女の身体の中にある卵の巣から、1個だけ卵が出てきて、赤ちゃんを育てる場所である子袋に辿り着きます。ちょうどこの時に、まぐわいをすると、子種は卵と結合して赤ちゃんになります。でも結合しなかった場合は、半月後に流れてしまいます。流れたものは血の塊となって、赤ちゃんを産む穴から出てきます。これを“月のもの”と言い、だいたい女が12-13歳くらいになった時から始まり、40歳頃まで続きます」
「じゃ、赤ちゃんになれなかったものなんだ?」
「そうです」
「月のものって、結構苦しいと聞いた」
「そうですよ。結構辛いのですよ。個人差があって、軽い人もあればかなり重い人もあるのですが。だいたい出血は3〜4日続きます」
「その間、どうしてんの?」
「布を当てたりしていますが、あまり動き回れないので、ずっと部屋の中に閉じこもっていることが多いですね。村々では《女の家》という所があって、そこに一緒に籠もって過ごす所もあります。宮中に出ている女官たちも月の物の間は、宮から下がって実家で過ごす人も多いです」
「なるほどー」
「男の方はやはり12-13歳頃から凄くちんちんをいじりたい気分になって、自分でちんちんをいじって、大きくして、その大きくなったちんちんの先から、子種を含んだ白い液体が飛び出してくるようになります」
「それもしかして、女の人とのまぐわい?をしなくても出てくるの?」
「そうですよ。まぐわいとは無関係に女は月に1回卵が出てきて、月の物が来ますが、男の人もまぐわいとは無関係に、毎日のようにちんちんをいじりたくなって、気持ち良くして子種を出すのです」
「へー!」
とふたりとも言うので、橘君が桜姫に訊きます。
「姉上はちんちんいじりたくならないの?」
「ちんちんって、湯とかお風呂に入って洗う時くらいしか触ってない。僕、おしっこするのにも尿筒を使わなくなったし」
虎子でおしっこをする場合はあの付近に触る必要は全くありません。
「そんなに触らないというのは珍しいですけど、姫様もその内、とっても触りたくなりますよ」
桜姫のおちんちんは肌に貼り付けられているので、実は元々触りにくい上に少しでも大きくなりかけると激痛が来るので結局触らないようにしていて、それに慣れてしまったので、触らなくなったということを当の桜姫本人も忘れてしまっています。そして実は桜姫のタマタマはいつも体内に押し込まれていて高い温度状態にあるため、あまり活動しておらず、男性ホルモンもあまり出ていなくて男性的発達も遅れているのですが、そのことには誰も気付いていません。
「ふーん。でもその頃には、橘も月の物が来るようになるのかな?」
「そうだと思いますよ。ですから、若様も出仕している時に月の物が来たら私か少納言にお申し付け下さいね。ちゃんと処置しますし、公の行事などは欠席させてもらうことになると思いますし」
「分かった」
桜姫はその年の中秋の名月の前日、三度(みたび)松尾神社の秘祭で舞うことになりました。この年の舞姫たちの中で、経験者の人たちが次々と初潮が来てしまい、扇の要で舞う人が居なくなってしまったのです。
「姫様、初潮は?」
「まだ来てません」
「だったらお願いします!」
ということで、本番の1ヶ月前になってから、急遽頼まれました。それで桜姫は2年ぶりに乙女川を越えて風祈社に行き、満月に少し足りない月の明かりの中で、舞を舞いました。
しかし・・・と桜姫は舞が終わった後、衣裳を燃やしている時に思いました。
命婦は年頃になると、男も女も異性の裸を見るとドキドキすると言っていたれど、僕の場合、裸の姫君たちを見ても何も思わないよなあ。やはり僕は男としては不完全なんだろうなと。あるいは、何度も乙女川を渡ったから、僕って女の人になりかけているのかもしれない、という気もします。女の人になってしまったら、やはりおちんちんが無くなって、お股が女のような形に変わり、赤ちゃんを産む穴もできて、男の人と結婚できるようになったりして!?
「でも姫様、まだ胸が膨らんでいないんですね」
とお互い裸になっているので、ばっちりと桜姫の裸体を見ることになった巫女さんから言われます。この巫女さんは丸いピンと張った美しい乳房を持っていて、桜姫は何だか羨ましい気持ちになりました。
「そうなんですよ。私、発達が遅れているみたい」
「でも助かりました。もし来年もまだだったらお願いします」
「すみませーん。もう裳着をするので」
「それは残念!」
年が明け、桜姫と橘君は13歳になりました。
(数えの13歳は現代日本でいえば小学6年生)
ふたりは同じ日に成人式をおこなうことになりました。
裳着は通常は初潮を迎えて少し経った12-13歳くらいの女子に行いました。成人したことを披露する儀式であり、これを過ぎれば結婚もOKということになります。“桜の姫”の場合は初潮は永久に来ないのですが、御裳着をする以上、多分来たのだろうと多くの人が思ったようです。
桜姫も橘君も前日には風呂に入り身体をきれいにしています。桜姫のおちんちんはしっかりと膠で貼り付けられています。この膠でおちんちんを貼り付けるのは主として少輔命婦がしてくれているのですが最近“技術”があがってきて、おちんちんを貼り付けた上に玉袋の皮をかぶせて、まるでそこに割れ目があるかのように見えるようにしてくれています。ただ、皮膚を結構引っ張っているのでどうしても緩みやすく、お風呂に入る時だけでなく、日々湯殿に入った後でも少し“保守作業”をしてもらって、状態を維持しています。
しかしこのまるで割れ目があるように見えるお股は、自分で見てみると、
「僕まるで本当に女の子になってしまったみたい」
と桜姫は思いました。
さて成人式の当日。先に桜姫の御裳着をすることにします。
御裳着の儀式では、まず髪上げをして髻(もとどり)を作り、櫛などを挿します。この髪型を大垂髪(おおすべらかし)というのですが、現代の女性皇族や女官がしている大垂髪とは少し違います。後ろ髪を菱形に膨らませるのは近代以降の大垂髪の特徴で、平安時代はその膨らみを作らず、そのまま下に流していました。
そして桜姫には、成人の女の服である緋色の裳(スカート)を穿かせ、腰紐で結びます。
結局裳(スカート)を穿くことになったのか、と桜姫は少し憂鬱な気分でした。僕このまま本当に帝の奥さんになるハメになったりして、などとも考えたりしています。
ここで、裳の腰紐を結ぶ役はふつうは徳の高い第三者にお願いするのですが、諸事情から祖父(大将の父)である“大殿”左大臣・藤原隆茂にお願いしました。もっとも大殿も桜姫が女の子ではないとは思ってもいません。
このほか、眉を剃って描き眉をし、お歯黒も塗って、本当に大人の女の装いとなります。
鏡に映してもらい、桜姫は「きれ〜い!」と思いました。普段も結構お化粧はしているのですが、描き眉をしたのは初めてです。
“桜の姫”は「花子」の成人名を与えられました。
桜姫はもう2年前から堂々と“姫様”をしていたのですが、まだそのことを認識していかなった人もあったようで、これを見に来た人たちの中にはこのように噂する人たちもありました。
「東の上の子供はてっきり男の子と思っていた」
「うっかり男女を勘違いしていたようだ」
「東の上の子供が若君で西の上の子供が姫君と思い込んでいたけど、実際には東の上の子供が姫君で、西の上の子供が若君だったんだね」
実は腰結役をしてくれた大殿自身も「わしは孫の性別を勘違いしていたようだ。やはりボケてきたかな」と密かに思っておられたのです。
一時(2時間)ほど遅れて、“若君”(橘の君)も御冠着の式をしました。
今まで左右に分けて美豆良に結っていた髪をほどき、あらためてひとつにまとめた上で、元結(もとゆい)と呼ばれる紐(紙をねじって作った“こより”)で根本を縛ります。そして髪を千鳥掛け状に巻き上げていきます。一髻(ひとつもとどり)という髪型です。
これを十三回巻くのが正式なのですが、橘君の髪は実は床に着くくらい長いので19回も巻き上げました(回数は奇数でなければならない。偶数は忌事の時だけ)。巻き上げた髪は冠の巾子(こじ)の中に押し込むのですが、とても押し込みきれないので、実は半分以上を服の中に隠しています。橘君としては少し髪を切りたい気分だったのですが、切らないで欲しいと秋姫から懇願されて、服の中に押し込める方式にしました。
そういう訳で実は昔の貴族の髪というのは、結わずにほどいてしまうと、男女にあまり差は無かったのです。13世紀になりますが、伏見天皇暗殺未遂事件の時、天皇が髪をほどいて女装で脱出できたのは、元々男性の髪も長いのでほどけば女性を装えるという背景がありました。
なお、基本的に貴族の男性は人前では絶対に冠を外しませんので、長い髪を隠していることはまずバレません。人前で冠を外すというのは、現代でいえば、人前で上半身裸になるくらい、恥ずかしいことです。
実際の儀式では冠を乗せる役は大将の兄の右大臣・藤原博宗が務めてくれました。右大臣は当然、若君の髪がかなり長いことに気付きます。
「若君は髪が長いのがお好きか?」
「はい、すみませーん」
と橘君は答えておきましたが、右大臣は特に不審には感じていなかったようです。
“橘の君”は「涼道」の成人名を与えられました。
若君は既に五位の位を帝から頂いているので、これより「大夫の君(*2)」と呼ばれるようになります。
(*2)大夫(たいふ)というのは五位の者の通称。
五位以上が基本的には「殿上人(てんじょうびと)」で、清涼殿の殿上間に上がることを許される。三位以上は「上達部(かんだちめ)」あるいは「公卿(くぎょう)」と呼ばれるので、一般には「殿上人」と言う時は、四位・五位の者を言うことが多い。
但し平安時代の初期の頃には六位の蔵人(くろうど)でも特に殿上を許される場合もあり、許されていれば殿上人であった。また四位であっても参議を務めていれば公卿とされた。殿上を許されていない人は地下(ぢげ)と呼ばれた。
※位階と役職の関係(時代により少し変動する)
正一位 (普通叙されない)
従一位 太政大臣
正二位 左大臣・右大臣
従二位 (同上)内大臣・大臣の正室
正三位 大納言
従三位 中納言・大将
正四位 参議(宰相とも言う。定員8名)
従四位上 左大弁・右大弁
従四位下 神祇伯・中宮大夫・中将
正五位上 左中弁・右中弁
正五位下 左少弁・右少弁・少将・式部省などの大輔
従五位上 中務少輔・大学寮などの頭
従五位下 少納言・式部省などの少輔
「正」は「せい」ではなく「しょう」と読む。日本史上、正一位に(生前に)叙されたのは次の6名のみ。
藤原宮子・橘諸兄・藤原仲麻呂・藤原永手・源方子・三条実美。
つまり正一位の生前叙位というのはむしろ異常事態である。三条実美が正一位に叙されたのは病死した当日である。
この元服・裳着の当日、大将の家では華やかな宴が開かれました。この日は“姫君”(御簾の中)と“若君”が箏と笛で合奏して客人たちの耳を楽しませてくれました。
「若君の笛は素晴らしいなあ」
「龍が寄ってくるかのようだ」
「姫君の箏も素晴らしい」
「天女が聞き惚れてしまうようだ」
「おふたりの演奏がとてもよく調和している」
「きっと仲が良いのであろう」
「おふたりは顔もよく似ているらしいですよ」
「へー!だったら姫君もかなりの美人ですね」
「将来が楽しみな若君と姫君ですね」
と客人たちから言われて、大将は複雑な思いを心に秘めながらも笑顔で応じていました。
さて“若君”の冠親を務めてくれた右大臣には子供が4人いて、全員女の子でした。大臣は何とか男の子を作りたいと、随分色々な女性の所に通ったようなのですが、結局男の子を得ることはできませんでした。
4人の姫君たちの中で、一の君・睦子は帝の女御、二の君・虹子はその弟君である東宮(*3)の女御になっていますが、どちらも子供は生まれていません。
この時期、帝(38歳)には亡き皇后が産んだ女の子(雪子・後の東宮)がいましたが、男の子はいませんでした。東宮(25歳)にも子供はおらず、更にふたりの弟君である吉野宮にも女の子が2人いるだけで、男子が居ませんでした。つまりこの時期は近い将来、天皇の後継者が居なくなる問題が起きる可能性もありました。この件はこの物語の後半に重大な問題となっていきます。
そして、右大臣の三の君・充子、四の君・萌子はまだ独身でした。特に四の君は物凄く可愛いという評判が高く、関心を寄せる男性もかなり多かったようです。
右大臣は弟である権大納言の“若君”が才覚も美貌も兼ね備えているのを実際に見て、また帝からも期待されていると聞き、自分はこの“若君”の後ろ盾になりたいと考えるようになりました。
それでまだ未婚の三の君か四の君かを、若君と結婚させられないものだろうかと右大臣は考え始めたのです。
(*3)東宮(とうぐう・みこのみや)とは皇太子のこと。春宮(はるのみや)、日嗣皇子(ひつぎのみこ)、儲君(もうけのきみ)などとも言う。現代でも皇太子がお住まいの場所は東宮御所(とうぐうごしょ)と呼ばれている。
古くは皇位継承候補者は「大兄皇子(おおえのみこ)」と呼ばれていたが、天皇崩御後に候補者同士で流血の争いになる場合もあった。歴史上の資料から皇太子であったことが確定しているのは文武天皇の第一皇子・首皇子(後の聖武天皇)であるが、おそらくは天武天皇の皇子である草壁皇子が初めての皇太子ではないかと思われる。但し草壁皇子は皇位に就くことなく28歳の若さで薨御している。
さて大夫となって宮に出仕するようになった涼道(橘君)ですが、たちまちみんなの注目を集めることになります。
龍笛や琵琶などを演奏させると素晴らしく、漢詩を作らせても和歌を作らせても、美しい詩や歌を作りますし、その筆跡がまた格好良くて宮廷の女性たちのみならず、男性たちも惚れ込むほどでした。
“息子”がみんなからベタ褒めに褒められるので、この子の行く末を案じていた大将も、次第に
「いや、自慢の息子なんですよ」
と明るく答えるようになり、次第にこの子が男の身体ではないことを忘れてしまいがちになっていました。
やがて涼道は帝の侍従に加えられ、帝のお気に入りのひとりとなりました。これ以降、涼道は“侍従の君”と呼ばれるようになります。
涼道があまりに理想的な“男性”なので、宮中では“彼”の姿を一目見ようとする女官たちが大勢いました。何とか言葉を交わせないかと、わざと彼の行く道に物を落としておく者、更には大胆に声を掛けてしまう者などもいます。
侍従の執務室に行くと、しばしば同僚から
「涼道君、これ」
と文の束を渡されます。
「何これ?」
「あちこちの娘から君に文が来ているのだが」
「これどうすればいいんです?」
「まあ、返事を出したければ出せばいいし、面倒なら放置しておけばよい」
「返事って出すものなんですか?」
「仲昌王(後の宰相中将)などはマメに返事を書いているよ。彼も美男子だから女性たちの人気は高い。しかも何かの間違いで将来帝になる可能性だってあるしね。ああいう道に進んで、色々な娘と色恋したければ、それもよし」
「すみませーん。私、あまり女の子には興味無いので」
「女に興味無いというと、まさか男の方がいいとか、大禿(おおかむろ*4)がよいとか?」
と言われると、さすがに涼道も顔を赤らめます。
「いえ、成忠様。私はまだ未熟なので恋に興味が無いだけです」
「そうかぁ、涼道君はいくつだったっけ?」
「13歳です」
「13かぁ。さすがにまだ女と寝るには早すぎるかもな」
「すみませーん」
「筆下ろしはした?」
と同僚は小声で訊きます。
「それもまだです」
と答えながら、涼道は少し赤くなりました。
筆下ろしって、私“筆”を持ってないし、むしろ筆を下ろされる側だよなぁ、などと涼道は内心思っていました。
(*4)大禿(おおかむろ)とは、成人の年齢に達しているのに冠を着けず、少年の髪型である美豆良にも結わずに、少女のようにそのまま垂れ流した状態にしているものを言う。この髪型を禿(かむろ)と言うのだが、同じ漢字でも「禿(はげ)」と読むと全く違う髪型(?)になるので注意。
大禿は、いわば古代の男の娘である。
しばしば女性的な衣服を着けている場合もある。
江戸時代の文献には「那智や高野には大禿という妖怪がいる」などと書かれているらしいが、そういう女人禁制の修行場には、女装男子の需要があったことを示唆したものであろう。
涼道の評価が高まるにつれ、その涼道と瓜二つのように似ているらしいという噂の“姫君”に興味を持つ人たちも出てきました。
まずは涼道を近くに召し抱えている帝ご自身が興味を持っておられましたし、弟君の東宮も関心を持っていました。帝からも大将は
「そちの姫君も何か適当な役職を与えるから、宮中に出仕させないかね?」
と声を掛けられたものの
「どうしようもない恥ずかしがり屋で、母親やごく親しい女房くらいにしか会おうとしないのですよ」
と言って、お断りしていました。
更にもうひとり、大将の“姫君”に関心を持つ人がいました。
帝の伯父に式部卿宮に任じられている仲満親王という人があり、この人の息子の仲昌王という人が、今17歳で結構な美形でもあり、宮廷の女性の人気を集めていました。彼は先ほど涼道と同僚の会話にも出てきたように“マメ”な性格で、女から来た文には必ず返事を書き、多くの女性と恋愛を楽しんでいました。(つまり“やり”まくっている)
現在帝にも東宮にも男子の皇子が居ない中、帝の従弟という立場は、将来ひょっとして皇位を継ぐ可能性もあるので、そこがまた女性たちの人気となる所です。つまり彼の子種で男の子を産むことができれば、自分は将来《帝の母》になれる可能性だってある訳です。
彼は多数の恋愛をしつつも、右大臣の四の君という人が、栗色の髪で物凄く可愛いというのを聞き、また大将の姫君も、今評判の“侍従の君”とよく似て美人だと聞き、実は双方に熱心に手紙を書いていました。
しかしどちらの家でも仲昌王が軽薄で多数の娘と浮き名を流しているのを聞いているので、来た文は本人にも見せることなく、女房が処分し、もちろん返事も一切出しませんでした。
その2人へのアプローチが全く不首尾なので、仲昌王はよく涼道の執務室にやってきては話し掛けていました。
自分と違って涼道には全く浮いた噂が無く、真面目一徹にお仕事に励んでいるというのを聞いても、彼は気になる存在でした。
涼道は仲昌王に話しかけられて、その相槌を打ったりしながらも、着々とお仕事をしています。そのストイックな性格を内心尊敬しながらも、彼は涼道の姿形を見て、その“男にしておくにはもったいない”ような美形さを見て
『こいつがそのまま女になったとしたら、俺はすぐにも押し倒してしまうだろう』
などと妄想して、やや危ない気持ちになります。
そして少し冷静さを回復すると
『こいつとよく似た妹というのは、全くもって俺の理想の女だ』
と思うのでした。
その内、仲昌王がその“妹君”への思いを熱心に語るのには、さすがの涼道も閉口します。
そんなに熱心に思われても姉君は男の人を受け入れられない身体だからなあと思ったりすると、涼道の相槌もやや適当になっていくのでした。
ああ、私と姉上って男女逆だったらよかったのに、などとあらためて思ったりするのですが、そう思っているのは涼道だけで、姉の花子の方は本当は成り行きで女を演じているだけです!でも涼道は最近、姉上はやはり女になりたいんだろうな、などと、父と同じ認識をするようになっていました。
しかし、まぐわいしようとして、ちんちん付いてたら、さすがの仲昌王も仰天するだろうなあ、それともそのまま“やっちゃう”かしら?姉君だったら、ひょっとすると男の人を受け入れることができるかも!?などと、こちらも変な妄想をしながら、涙まで流して涼道の姉妹の“姫君”への思いを語る仲昌王を涼道は冷ややかに眺めていました。
ところで繰り返しになりますが、帝には男子の皇子(みこ)は居ないものの、ひとり、亡き皇后が遺した皇女(ひめみこ)が居ました。
この皇女(女一宮・後の東宮)が、皇后亡き後、あまりしっかりした後ろ盾が居ないのを帝は心配していました。この皇女様はまだ17歳で若いですし、やや軽はずみの性格でもあるので、誰かが付いてないと“危ない”と思われたのです。帝の唯一人の子供という立場上、あまり変なことはしてもらいたくありません。
帝は侍従の君(涼道)が宮中でも評判なのを受けて、彼にこの女一宮の後ろ盾になってはもらえないだろうかとも思ったりするのですが、涼道自身がまだ13歳ですし、さすがに年齢的には無理があるかなとも思っていました。
大将は帝からそういうお気持ちを聞かされて、ああ、あいつが本当の男であれば皇女様の後ろ盾を務めさせるのも悪くはないのだが、と思い悩んでしまいました。当時の大将としては、涼道はある程度宮仕えさせた所で出家させて、どこかの寺で僧として過ごさせるしかないと思っていたのです。
さて“若君”(涼道)が宮中に出仕するようになって以来、“姫君”(花子)の方は、どうにも暇になってしまって、たまらない気分でした。
ふたりで入れ替わって橘君があちこち出かける中、妹のふりをして西の対で過ごしていたりした頃は、結構冒険をしているようで、ドキドキ・ワクワクした気分だったのが、入れ替わりがバレて、結果的に父公認となってからは、そのドキドキ感が薄れてしまいました。
相変わらず“女ではないとバレないか”というドキドキ感は多少あったものの、ずっと妹の代役をしている内に、“バレる訳がない”という妙な自信のようなものができてきて、完璧に女を演じることができるようになっていました。
本人としては別に女になりたい訳ではないのですが、大将も春姫も自分は女の子になりたいのだろうと思い込んでいるようです。とはいっても、自分が男としては極めて劣等生であることも、花子としては認識していました。
だいぶ妹に教えてはもらったものの、漢字は簡単な字しか分かりません。漢籍なんて、ちんぷんかんぷんですし
「十八史略面白ーい」
などと橘が言っているので、
「どれどれ」
と言って見てみても、書いてあることがさっぱり分からず、当然どこが面白いのかも分かりません。
弓矢も少し妹に教わって練習してみたのですが、だいたい矢が的の付近まで到達しません。馬も少し教えられたものの、馬上で安定を保つことができず、すぐに落ちて、女房たちに受け止めてもらい、怪我せずに済んだという状態。
「男として生きられないのなら、女として生きていくしかないのかなあ」
などと思うとまた憂鬱な気分になります。
そういう花子の気持ちを理解しているのは実は秋姫だけでした。
それでも妹がずっと家に居た頃は、ふたりでたくさんおしゃべりをして気が紛れていたのですが、妹が“大夫の君”として宮中に出仕するようになると、心を割って話をすることのできる相手がおらず、ひねもすボーっとしているような日もありました。
気を紛らそうと箏や和琴を弾いたりしても、何やら悲しい雰囲気の曲ばかりになり、涙が浮かんできます。
花子の所には、実は涼道の姿を見て「この兄にそっくりな妹なら」というので大量に文が送られ来ていたのですが、返事など出して万が一にも本気で惚れる男性が出てきたら大変なので、女房たちは全て文は廃棄して、一切、花子の目には触れないようにしていました。
また花子付きの女房・女童だけでなく、邸中の家人たちに命じて、絶対に花子への文は取り次いではならないと秋姫と清原(春姫の女房)が通達していました(春姫自身はのんびり屋さんなので、なーんにも考えていない)。
家人たちは、それを
「いづれ花子様は帝の女御として差し出されるからであろう」
と解釈し、忠実にその命令を守っていました。
花子のお股は、例によってほぼ常時膠で固定され、まるで女の子のお股のような形に偽装されています。この偽装のことを知っているのは、ごく少数の女房と女童だけです。父君もこの偽装のことは知りません。
「だけど姫様、もし本当に女性として生きられるのでしたら、せめてタマタマだけでも取ってしまいません?」
と中将の君や少輔命婦などは何度か花子に尋ねました。
「取っちゃうとどうなるの?」
「おちんちんはもう立たなくなります。但し子供も作れなくなります。ただ、タマタマを取ってしまうと、男っぽい身体にはならないので、女として生きやすくなるのですよ。今のままでしたら、その内、姫様、男っぽいお身体になっていき、女性を装うことができなくなります。殿はそうなる前に、姫様をどこぞの尼寺に入れるおつもりのようですけど」
「尼寺かぁ・・・。それでもいいかなあ」
などと花子は悩むように言いました。
「どうなさいます?」
「取るのはいつでも取れるよね?」
「はい、いつでも。明日でもいいですが」
「明日!?さすがに心の準備が出来ない」
「その手の手術ができる帰化人のツテがあります。中国では宦官(かんがん)と言って、タマタマとか、おちんちんまで取ってしまう男がけっこういるのですよ」
「へー!なんのために?女の子になりたい男の子?」
「いえ。中国の宮中では、おちんちんの無い男子の需要があるのですよ。奥向きの色々な雑用や力仕事をするのに、そこに居る女性たちと、万が一にも間違いがおきないようにするために」
「そのために、おちんちんとタマタマを取っちゃうの!?」
「身分の低い者でも、宦官になれば、宮中に召し抱えてもらえるので」
「うーん。。。。日本ではそういうのは無いんだっけ?」
「日本はそのあたりがわりとおおらかなので」
「うーん。。。。。。。」
「ちなみに、ちんちん・タマタマどちらも取る方法と、タマタマだけ取る方法があります」
「ふーん。ちんちんだけ取るのは無いの?」
「タマタマがあると性欲があるのに、ちんちんが無いと、その性欲を解消できないので、物凄く苦しくて、狂い死ぬそうですよ」
「・・・その性欲というのがよく分からない」
と花子は言います。
「姫君はおちんちんで遊んだりしていないようですね」
「あれに触るのは湯やお風呂で洗う時くらいだよ」
「もしかしたら姫君はとても珍しい性欲の無い方なのかも」
「僕も、自分が男としては不完全なのは分かってる」
「姫様、“僕”というのは卒業しましょう。女らしく“私”と言いましょう」
「人前ではそう言うよ」
と花子は投げ遣りぎみに答えました。
「それでおちんちんとかタマタマを取るというのは?」
「いつでも取れるのなら、まだしばらく考えさせて」
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【男の娘とりかえばや物語】(3)