【男の娘とりかえばや物語】(2)

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権大納言(大将)の家には同い年の2人の子供がいました。春姫の子供・桜君(さくらのきみ)と秋姫の子供・橘姫(たちばなのひめ)です。
 
ところが桜君は男の子なのに女性的な性格で、いつも部屋の御帳の中に閉じこもっており、母や女童など以外には会おうとせず、蹴鞠や小弓は苦手、笛や琵琶も苦手、漢字を見たら頭が痛くなる性格。一方橘姫は女の子なのに男性的な性格で、まず部屋に居ることがなく、いつも邸の中を走り回り、木登りしたり蹴鞠などで遊んでいます。笛も好きで、男の子が習うようなものを習いたがり、逆に普通の女の子が好むような人形遊びなどはしません。
 
それで父の権大納言は「兄と妹をとりかえばや(取り替えたい)」と悩んでいたのでした。
 

ところがふたりが6歳になった頃、お邸の中を“冒険”していた橘姫は偶然兄の桜君と遭遇します。そしてお互いがそっくりの容貌で、声も似ていることに驚きました。
 
すると橘姫は、それを利用して桜君の代わりに笛や琵琶・漢詩などのお稽古を受けるようになり、逆に自分が嫌いな箏のお稽古などを兄にやらせます。更に姫は兄の服を借りて髪も美豆良に結って男装してみます。すると本当に桜君に見えることから、その格好で蹴鞠や小弓を本格的に習ったり、他の男の子たちと一緒に小弓比べに出かけたりして、すっかり外出の味を占めてしまいました。
 
ある日橘姫が男装で外出している最中に舞の先生が来ます。橘姫はこの日舞の先生が来ることをすっかり忘れていたのでした。それで橘姫の乳母に切願されて桜君が橘姫の服を着て髪も解いて振り分け髪にして、橘姫の振りをして舞のお稽古を受けました。
 
そして兄が自分の服を着てお稽古の身代わりをしてくれたことを知った橘姫は頻繁に兄を身代わりにして外出するようになり、その度に桜君は女装して妹のふりをするハメになってしまったのでした。
 

賀茂祭の日、橘姫は男装で流鏑馬(やぶさめ)の伝授に出かけてしまい、またまた桜君は女装で代役をして西の対に居ました。ところが橘姫が戻ってくる前にお出かけ用の豪華な服を着なさいと言われ、結局そのまま秋姫と一緒にお出かけすることになってしまいました。
 
いくらなんでも橘姫の母と狭い牛車の中で一緒になっていたら、バレてしまうのではと思った桜君はあまり顔を見られないようにとうつむき加減でお祭りの見物の間を過ごしました。何とか無事バレずに済んだかなと思っていた桜君でしたが、帰宅して橘姫と交替し、男装に戻ってから自分の部屋に戻ろうとしたら、バッタリと廊下で秋姫に会います。
 
そして秋姫は言ったのでした。
 
「“桜姫”様も可愛かったね。ああいう服、似合ってる。あなたを私の娘にしたい所だわ」
 

そういう訳で、ふたりの入れ替わり作戦は秋姫様にはバレてしまったのですが、秋姫はそのことを他の人には言ったりしないようでした。むしろふたりの入れ替わりに協力してくれる感じで、同じ模様の服を2つ作らせて1つは桜君に渡してくれたりしました。
 
もっとも橘姫も姫の乳母もかなり叱られたようです。乳母は恐縮して辞任を申し出たものの、橘姫のために頑張っていたのだから辞任は不要。ずっとこの子を守ってやって欲しいと言われ、涙を流していました。
 
秋姫はふたりの様々なお稽古の時間を調整して双方ができるだけぶつからないようにしてくれました。そして秋姫を装った“桜姫”が舞や礼儀作法のお稽古を受ける時には橘姫にも同席させ、また桜君を装った“橘君”が漢籍や歴史などを学ぶ時には桜君にも同席させて、一緒に学べるようにしました。そして桜君が苦手だった漢字については橘姫に教え役を命じて、簡単な字から順に覚えさせていきました。それで、桜君もかなり字を覚えましたし、橘姫も最低限の礼儀作法は分かるようになっていきました。
 
この時点でふたりがしばしば入れ替わっているのを知っているのは、双方の乳母、秋姫の腹心の女房である中将の君、橘姫の女房の少納言の君、少輔命婦、他に数人の口の堅そうな女童くらいでした。少納言の君と少輔命婦は
 
「みずくさい。そんなことなら私たちにも言っておいて下さったら良かったのに」
と乳母に文句を言っていました。
 
しかし秋姫にバレたことから、ふたりの入れ替わりは随分楽になったのです。
 
もっとも橘姫の乳母(めのと)がかなり叱られたという話を聞き、桜君の乳母は明日は我が身、と憂鬱な気分になり、念のためいつでも出せるように辞表をしたためておきました。
 

ところで、賀茂祭の前日に膠(にかわ)で接着されてしまった、桜君のおちんちんですが、その月の末にお風呂(蒸し風呂)に入った時に、乳母が言った通り、取れてしまいました。
 
(おちんちんが取れたのではなく、接着が取れた。念のため)
 
現代でもシンクロナイズドスイミングの選手は競技の時に髪が乱れないよう、髪を膠で固めています。すると水に入って演技をする時は固まっているので演技の邪魔にはならず、競技が終わった後お風呂に入ると、その熱で全部溶けてしまうのです。膠というのは、実に便利な接着剤なのです。これがデンプン糊やカゼインだと、水で溶けてしまうので使えませんし、古代から使われているもうひとつの接着剤であるアスファルトだと、お風呂の熱程度では取れません!永久に接着されたままになってしまい、男性を廃業するハメになるかも!?
 
(アスファルトは日本でも縄文時代から使用されている。なおアスファルトは柑橘類の皮に含まれるリモネンで溶けるが溶かすのにかなりの時間が掛かるらしい)
 

さて、その日、桜君がお風呂に入った時は、結局桜君としてではなく、姫の姿で、橘姫としてお風呂に入っています。
 
また、橘姫本人は桜君として外出していて、遅く帰宅したのでその後、入れてもらいました。つまりこの日、橘姫は2回風呂に入ったことになっていて、何人か首をひねったものの、深くは考えませんでした。
 
桜姫がお風呂に入った時は、事情を知っている少納言、命婦と乳母の他、このことを知っている女童たちだけで桜姫をお風呂に入れました。おちんちんは膠が溶けて皮膚から外れ、桜君自身がそれを丁寧に洗いましたが、お風呂から上がると、中将の君の提案で、また膠でくっつけられてしまい、桜姫のお股は一見女の子のお股に見える形にされてしまいました。
 
これはふたりの入れ替わりが頻繁に行われるので、このようにしておいた方がバレにくいからという理由によるものです。
 
桜君はまだ自慰を知らなかったこともあり
「ちんちん使えなくても、特に不便では無かったし、貼り付けておいていいよ」
とこれに同意しました。
 
「いっそ切っちゃいます?」
「それは困る」
 
それでこの後、桜君のおちんちんは月に1度くらい、お風呂に入る時にメンテされることになりますが、普段の沐浴の時も指で開いてよく洗うようにしていました。
 
(結果的に桜君のタマタマはいつも体内に入ったままになってしまったのですが、これが問題?を引き起こすことには誰も気付いていませんでした)
 

頭の回転が速く肝が据わっている秋姫に対して、万事のんびり屋で物事を深く考えることのない春姫は、何か変だとは思いながらも、ふたりの入れ替わりにはまだ気付いていないようでした。
 
そしてこの状態が更にもうしばらく続いて行くのでした。
 
橘姫は堂々と男装して表に出て行けるので、とても活き活きとした生活を送っていました。その度に女装で橘姫の代理をすることになる“桜姫”は憂鬱な気分ではありましたが、元々外で遊ぶのは好きではない性格です。好きな箏や和琴を弾いたり、橘姫が人から贈られたまま放置している人形で遊んだり、女房や女童を相手に双六や囲碁などをして楽しんでいました。
 
桜姫はせっかくだからと言われて、お化粧も習いました。最初は恥ずかしかったのですが、その内どんどん楽しくなっていきました。3ヶ月もすると
 
「姫様、随分お化粧が上手になられましたね」
と言われます。
 
(最近は“姫様”と呼ばれるのに慣れてしまっている)
 
「妹姫様も少し練習してくれたらいいのですが」
「あの子がお化粧した所見たことない」
「そもそもおしろいからして好きじゃないとおっしゃって」
「なるほどねー」
 
(貴族の男性がおしろいを塗ったりお歯黒をしたりするようになるのは平安時代も末期頃からである。武家が台頭してからは平氏は貴族を真似てお化粧をしたが、源氏はスッピンだった。源氏が天下を取ったため、男性は化粧しない文化がその後の主流となった)
 
「あと御裳着を過ぎたら、眉を剃って描き眉をしますよ」
 
「僕は御裳着はしないよぉ」
「そうでした!」
 
そんなことを言いながらも、僕今のままだったら、裳(スカート)を穿くことになるのでは?という気がして、桜姫はなぜかドキドキする気分だったのです。
 
橘姫の代わりにお嫁に行ってなんて言われたらどうしよう!?などと妄想してまたドキドキしていたのですが、それがやがて現実になるとは、この頃はまだ思いも寄りませんでした!
 

桜君の侍女の中にも協力者を作った方がいい、と中将の君が言い、結局、伊勢という女房と、まだ女童ではあるものの頭の良い式部という子に、入れ替わりのことを教えて協力を求めました。伊勢は驚いていたものの、結果的にそれで桜君も漢籍などを覚えていくのであれば協力すると言ってくれました。式部は実は知っていたと言いました。気付いてはいたけど、主人の秘密を安易に話すものではないと思い、誰にも言ってなかったと彼女は言っていました。
 
「だって、いくら似ていても若君と姫君の区別はつきますよ」
と式部は言いましたが
「いや、それはきっとあんただけ」
と伊勢は言っていました。
 
しかし桜君は伊勢や式部が協力してくれることになったおかげで、男装で東の対に居る時も、彼女らを御帳の中に入れて双六(バックギャモン)の相手をさせるなどして、以前より気楽に過ごすことができるようになりました。実は橘姫が使わない人形の中でお気に入りのものもいくつか、こちらに持って来ています。
 
「いっそのこと、僕が西の対で暮らして、橘が東の対で暮らした方が良かったりして」
などと双六をしながら桜君が言いますと
 
「そうなりますと、若君はいつも女の子の服を着ていることになりますが」
と伊勢が指摘します。
 
「それは嫌だという気がする」
と桜君は答えましたが、答えるまでに少し間があったので、伊勢は若君、実は女の服を着るのが好きなのでは?と疑問を感じました。
 
「橘姫様はいつも男の子の服でも全然問題無いでしょうけど」
「ああ、あの子はそちらがいいと言いそう。あの子、女の服を着ている時にも尿筒を使おうとして叱られたらしい」
「よく、女の身体でそんなもの使えますね〜」
「きっと実はちんちんが付いているんだよ」
 
と桜君が言いますと、伊勢がしばらく沈黙します。
 
「どうしたの?」
「いや、一瞬真剣に考えてしまいました」
「ああ」
 

秋姫はふたりの髪の長さにも注文を付けました。
 
橘姫と“桜姫”の髪の長さが、この時期は実は少し違っていて、“桜姫”の方が長かったのです。それで橘姫には、しばらく髪を切るのを禁止し、桜姫の髪は少しだけ切らせました。
 
それでふたりの髪の長さが揃い、振り分け髪にしている時に違いが出にくくなるようにしました。
 
“少し髪が短くなった橘姫”が舞の練習をしているのを見て、父親が
 
「あれ?髪を切った?」
と尋ねましたが
 
「夏で暑いので少し切ってもらいました」
と“橘姫”は答えました。
 
父親は少し不満そうでしたが
「まあ、御裳着とかにはまだあと2〜3年あるだろうし、それまでにはまた伸びるであろう」
と言っていました。
 

ところで、お稽古の時は、舞の稽古や、弓矢の練習などを除いては、御帳の中で聞いていますので、そこに実は2人居ても、先生には気付かれずに済んでいました。
 
しかし秋姫は桜君の乳母および女房の伊勢、更に話の分かりそうな春姫の女房・清原を巻き込んで、様々な学問や芸事のお稽古をする場所を、東の対や西の対ではなく、主殿の部屋を使うようにしていきました。
 
その方が、桜君・橘姫の双方が出席しやすいからです。そもそも本来は桜君と橘姫の間に交流などは無いはずの所を2人はうまく他の人にはあまり見られないように、相互行き来していたのですが、不審に思う人が出てくると、いつか殿の耳に入らないとも限りません。主殿なら、桜君も橘姫も、どちらもそこにいて不思議ではありません。
 
桜君が橘姫のふりをして受けている舞のお稽古、橘姫が桜君のふりをして受けている弓矢のお稽古などは、各々1人で受けていることが多いのですが、本人が御帳の中に隠れて様子を眺めていることもありました。
 

さて、賀茂祭が行われたのは4月中旬ですが、それから少しした5月初旬(今の暦では6月初旬くらい)、舞の先生が来た時に、年配の女性が一緒にやってきました。
 
誰だろう?と思いながら橘姫のふりをした桜君は舞っていたのですが、お稽古が終わった所で、その年配の女性が言いました。
 
「お美事な舞ですね。あなたおいくつかしら?」
「今年9歳にてございます」
「それなら、まだ早いか!せめて後2年くらい経ったら行けるんだけど」
と何か惜しんでいる様子。
 
「何か?」
「いえね。とても素敵な舞を舞う女の子がいると聞いて、それも大将様の御姫様と聞いて、今年の新嘗祭(にいなめさい)の五節舞(ごせちのまい)の舞姫にどうかしらと思ったのだけど、さすがに9歳では無理よね」
 
とその女性は言いました。
 
五節舞?さすがにそれはやばいよね、と桜君は思いました。
 
「済みません。まだ未熟者ですので、どうかもっと年上のお姉様方をお誘いください」
と桜姫は笑顔で答えました。
 

一応この件は公式筋からも大将に打診してみるということで、お稽古に同伴していた女房・伊勢も秋姫を通して大将に伝えておきますと言った。
 
先生が帰ってから、お稽古を受けた桜君、御帳の中から見学していた橘姫はそのことで少しお話しました。
 
「少しくらい幼くても舞がうまければ、お話、受けてもよかったんじゃないの?」
と橘姫は言いますが、
 
「だって、五節舞を舞った姫は、そのまま宮中に仕えることになるからさ。うちの父上の姫であれば、帝の女御か別当にってことになるかも知れないよ」
 
とその方面の知識が少しはある桜君は言います。
 
「いいんじゃない?女御とか別当って、帝の奥さんでしょ?そんなのになったら、いい暮らしができそうだし」
 
「それ、僕と橘のどちらがなるのさ?」
「あ・・・」
 
「僕は男だから、さすがに天皇の奥さんにはなれないよ。でも橘にできる?」
「無理な気がする。私が帝の奥さんとかになったら、顰蹙買いまくり」
 
「だからそういう話にはならないように、うまく話は潰さないといけないんだよ」
「めんどくさいね〜」
 

「ところで帝の奥さんって何するんだっけ?」
と橘姫は訊いた。
「よく分からないけど、帝の赤ちゃん産むんじゃないの?」
と桜君。
 
「赤ちゃん産むのって女にしかできないんだっけ?」
と橘姫。
「男が赤ちゃん産んだという話は聞いたこと無い」
と桜君。
 
「赤ちゃんってどこから出てくるんだっけ?」
「僕もよく分からない」
 
「考えてみたんだけど、出て来られそうな所は、おへそか、お尻か、お口か」
などと橘姫は言います。
 
「口から出てくるのは無理な気がする。間違って食べちゃったら大変だよ」
と桜君。
 
「やっぱり、おへそかなあ」
と橘姫は悩んでいます。
 
「さあ。おへそから赤ちゃん出すのは痛そうだね」
「でも赤ちゃん産むの凄く痛いというし。伊勢に訊いてみたんだけど、笑って教えてくれないんだよ」
「それって多分大人の秘密なんだよ」
「どうも大人にならないと教えてもらえないことってあるみたいだよね」
 

なお、正式に宮中の然るべき部署から大将に五節舞の舞姫、あるいはそれを補助する童女を務めてもらえないかという打診はあったものの、やはり舞姫をするにはさすがに幼すぎるし、童女を務めると帝の御前にも、また多くの人の前にも顔を出すことになってしまうので、当時大将としては、橘姫はいづれ帝の女御にと考えたこともあり、お断りしたのでした。
 
すると今度は松尾神社(まつのおじんじゃ・現在の松尾大社)で行われる秋の秘祭で舞を舞ってくれないかという話が飛び込んで来たのです。
 
この秘祭は女性だけで執り行われる風鎮めの祭で、境内奥深くにある風祈社神殿で、深夜に行われる行事というのです。
 
出席するのは、神社の未婚の巫女5名、15歳以下の、まだ裳着をしていない童女10名と、介添役の神社ゆかりの女性(元巫女)5名のみ。神社の男性神職も参列できない、男子禁制の行事で、祭次第も、舞や祝詞の内容も、部外秘というものなのだそうです。練習の場所にも男性は近寄れません。
 
大将は、他の男性の前に顔を曝さないのであれば問題無いのではないかと考え秋姫に打診してみました。秋姫は一瞬腕を組んで考え込んだものの、お受けしましょうという返事をしました。
 

「男子禁制って、そんな所に僕が行っていいんですか?」
と驚いた桜君は秋姫に訊きました。
 
「それとも桔梗がお引き受けする?」
と秋姫は自分の娘に言います。
 
「絶対無理〜」
「だって、青龍さん、ほんとに女らしく舞えるもの。大丈夫よ」
「でも僕男の子なんですけどー」
「あら、あなたくらい女らしくできたら、神様も女の子の一種と思って下さるわよ」
「そうですか〜?」
 
それで桜君は橘姫として、この秘祭の舞の練習に辰の日ごとに、つまり12日に1回通うことになったのです。しょっちゅう外出している橘姫と違い、ほとんど家の中に籠もっていて、外出するのは年に数回しかない桜君としても、お出かけできるのは悪くはないかもと思いました。
 

一方、橘姫の方は祗園祭りの行事に参加することになりました。
 
今のような山鉾が作られるようになったのは室町時代からで、この頃の祗園祭は、祇園社(今の八坂神社)の神輿を神泉苑まで運行するのがメインの行事でした。
 
その中で稚児として神と一体化し、神輿に乗って祇園社から神泉苑まで行く役としては、霊媒的な素養のある男の子が選ばれているのですが、その神輿が出発する前に公卿の男子が20名ほど集まって、儀式を行うことになっているのです。また実際に御輿が動き出したら、その先駆けを務めることになります。
 
これをしてくれないかという打診が大将の所にあり、大将は最近“桜君”が元気に弓だの馬だのしていると思い込んでいるので、春姫にも相談せず、承諾する返事をしてしまいました。
 
その話を聞いて“桜君”について少し疑義を持つ春姫は不安を感じたのですが、本人に尋ねてみると
「うん。僕やるよ」
と明るい顔で返事をしたので、大丈夫かな?と思いました。
 

実際には桜君はすぐに橘姫にその話をしました。
 
「やるよね?」
「やるやる。そういうの大好き」
「衣裳は褌(ふんどし)なんだけど」
 
と桜君が言うと、さすがに橘姫はゴホンゴホンと咳き込んだものの、右手を高く挙げて
 
「やる」
と言いました。
 
立ち会っていた双方の乳母が笑っていました。
 
「つまり上半身裸になるんだっけ?」
と橘姫は確認します。
 
「そうだけど、嫌?」
と桜君は訊きます。
 
「大きくなったらできそうにないから、今のうちにやっとく」
「そうだね。おっぱいが大きくなったら、さすがにできないね」
 

それで橘姫は褌を締めてもらった上で(これに異様に喜んでいた)、その上にふつうの単(ひとえ)を着、そして半裾と袴を穿き、桜君付きの男性従者を伴って馬に乗って祇園社に練習に行きました。
 
一方桜君は朝から沐浴をして身体をきれいにしてから、白い小袖に普通の濃紫の袴を穿き、細長を着て、少納言の君とふたりで牛車に乗って松尾(まつのお)神社まで行きました。神社の参集殿にいったん入りますが、少納言の君が付き添うのはここまでです。
 
練習に参加する童女12人だけが指導役の女性(介添え役の元巫女)に連れられて風祈社に向かいます。12人参加するのは、本番までの間に初潮が来てしまった子は外さなければならないからだと説明されましたが、桜姫も含めて“初潮”って何だろう?と思った子も多かったようです。
 
「ここに結界線があります。ここから先は男子禁制です。万一この中に男の子が居たら、今すぐここから帰ること」
などと元巫女さんは言っています。
 

「もし男の子がこの先に入ったらどうなるんですか?」
と訊いている女子が居ます。
 
「すぐ死んでしまうか、女の子の身体に変わってしまうそうですよ」
と巫女さんが答えると、童女たちは互いに顔を見合わせています。
 
「死ぬ人と、女の子に変わってしまう人の差は?」
という質問がありますが、
 
「神様の思し召し次第でしょうね」
と元巫女さんは答えてから
「元々女の子になってもいいような人は女の子に変えられ、女の子にはなれそうもない人は死んでしまうのかも」
などと言いました。
 
それで結界線を越えますが、桜姫は『僕死んじゃうかな?』などと少し不安を感じながら越えます。幸いにも死ぬことは無かったようです。12人の童女たちも、取り敢えず死者は出ませんでした。
 

風祈社の手前にある潔斎所と書かれた、小さな建物の中にいったん入ります。ここに介添え役の元巫女さんがあと4人いました。
 
「ここで全員裸になってもらいます」
とここまで童女たちを連れてきた元巫女さんが言います。
 
「え〜〜!?」
「風祈社の前にある乙女川は服を着たまま通ることはできませんので」
 
それでみんな服を脱ぎますが、お嬢様揃いなので自分で脱ぐことのできない子もいます。そういう子は元巫女さんたちが脱がせてあげていました。桜姫はもちろん自分で服を脱いで裸になりました。
 
12人の内、少しおっぱいが膨らみ始めている子が1人いましたが、他の子はまだです。元巫女さんたちは20歳くらいということで、ちゃんとおっぱいがあります。
 
「おっぱい大きくていいなあ」
などという声に
「みんなもこれから大きくなるよ」
と元巫女さんは答えていました。
 
それで全員裸のまま潔斎所を出て、乙女川と呼ばれる小さな川を渡りました。桜姫は、おちんちんを隠していて良かったぁと思いました。でも他の子のお股にはできるだけ視線が行かないように気をつけていました。
 

川を渡ってから、茣蓙(ござ)のようなものの上を歩き、やっと風祈社の中に入ります。ここに既に5人の巫女さんたちが待っていました。
 
「童(わらわ)たちも来たね。それでは練習を始めようか」
とその中心に居た巫女さんが言いました。
 
巫女さんたちは全員真っ白の衣を着ていました。童女たちも同じタイプの服を渡されました。
 
これは後で貫頭衣というものだと知ることになるのですが、白い麻布を真ん中で折り返して前身頃・後身頃にし、その真ん中部分をくりぬいて頭を通すようになっています。脇は数ヶ所紐で結んでありましたが、この紐がたまに解けてしまうこともあります。その時は練習のキリのいい所で直すように言われたものの、実際にはほとんどの子が自分では結ぶことができないようです。それで元巫女さんたちに結んでもらっていました。桜姫はさすが、いい所のお嬢様たちだなあと思いました。
 
なお元巫女の介添え役さんたちは、様々な雑用をするために控えているだけで儀式自体には参加しないようでした。
 
舞はわりとシンプルなもので、難しい動作は無いのですが、その順序をしっかり覚えなくてはいけません。本来は10人が1・2・3・4と三角形の形に並んで舞うのですが、当面練習は1・3・3・5のフォーメーションで行うことになりました。
 
実際には12人の内、4人が経験者で初めての子が8人。それでその4人が前方の1・3の所で舞い、初めての8人がその後ろに並んで、前方の人の動きを見ながら舞いました。実は最初は1・3・8という状態から始めたのですが、少し練習をする内に、動きの良い3人が前に引き出され、1・3・3・5になりました。桜姫も前に出されましたが、他の2人も前に出されただけあって動きがいいなあと思いました。
 
なお、ここではお互いに名前を名乗っても訊いてもいけないことになっているので、お互い名前も身分も知らないまま舞っています。
 

初日の練習は半時(はんとき:1時間)ほどで終わりました。これはやはり子供の集中力の持続時間を考えたもののようです。しかし次回からは休憩をはさんで一時(いっとき:2時間)やると言われました。
 
参加者は衣裳を脱ぎ、裸の状態で風祈社を出て、乙女川を渡り、潔斎所に行って服を着ましたが、自分で着れない子が多く、介添え役さんたちが手分けして着せてあげていました。桜姫はむろんひとりで着られましたが、むしろ人に着せてもらっていて、お股のごまかしに気付かれるとやばいよなあと思っていました。
 
その後潔斎所を出て、男子禁制の結界線から出て参集殿に戻ります。ここで童女たちは付き添いの女房に引き取られ、各々牛車で帰還しました。待っていた女房たちは、お互い名乗り合わないこと、お互いの身分なども詮索しないことと言われていたようです。
 

「言ってはいけないのですけど、桜姫様の従妹君がおられましたね」
と牛車の中で少納言の君は言いました。
 
「へー!そうだったんだ?」
「付き添いの女房同士も名乗りあってはいけないのですが、最初から知っている人もいますから」
「それはそうだね」
 
「その者は、右大臣殿、つまりお殿様のお兄様の四の君に仕えているんですよ」
「へー!」
「栗色の髪のきれいな姫様でしたね」
と言われて、桜姫はすぐにそれが誰か分かりました。今日の練習では3列目の真ん中で舞っていた姫でした。桜姫は3列目の左で、隣で舞っていたのです。彼女は自分で服を脱ぐことも着ることもできませんでした。年齢は少納言の君によると七歳のはずということでした。でも五歳でも通るかもというくらい、幼い感じでした。
 
この時、桜姫はその姫君が数年後に自分の妻になるとは夢にも思っていませんでした。
 

桜姫が戻ると、橘君ももう戻っていました。
 
「楽しかった?」
「楽しかった、楽しかった。水を掛け合ったりするから、あれは確かに褌でないと無理だったね。そちらは?」
「ひたすら舞っていたから目が回りそうだった(*1)。でも面白かったよ」
「へー。私なら舞なんて2分(*2)も続けられないよ」
 
「ちんちん無いことバレなかった?」
と桜姫が訊きます。
 
「もちろんバレたりしないよ。姉上はちんちん付いてることバレなかった?」
と橘君も訊きます。
 
最近橘君は、桜姫が女装している時は「兄上」ではなく「姉上」と呼んでいるのです。桜姫自身も、女装して橘姫の代理をしている最中は、みんなから姫様、姫様と呼ばれるので、この際、姉でもいいかという感じです。
 
「もちろんバレたりしないよ」
と言って、ふたりは微笑みあいます。
 
「でもちんちん生えてこないかなあ」
「はえてきたら凄いね」
「姉上のちんちん、私に譲ってくれないよね?」
「どうやったら譲れるんだろう?」
「引っこ抜いてくっつけるとか」
「そう簡単に引っこ抜けるものではない気がするけど」
 

(*1)基本的に「舞」というのは横回転の動作をメインとする。西洋のワルツと同系統である。これが「踊り」になると、飛び跳ねたり、場合によっては、とんぼ返りしたりする動作が入る場合もある。舞と踊りの総称が「舞踊」である。西洋のdanceがこの舞踊に相当することもあり、現代では一般の人はよく舞と踊りを混同するが、民謡や日本舞踊の関係者は両者を厳密に区分する。
 

(*2)ここでいう「分」というのは現在の時法の分ではなく、刻(30分)を10分割したもの。つまり現代時法の3分に相当する。つまり橘君が言う「2分」は現代の言い方では6分である。「5分ともたない」くらいの感じ。
 

六月七日(今の暦なら7月初旬)。
 
祗園祭の神輿渡御(みこしとぎょ。祇園社→神泉苑)が行われました。橘姫は褌を締め男装して早朝から元気に出かけて行きました。
 
“橘君”たちの出番はお昼すぎで、祗園天神(*3)の神霊を下ろしたお稚児さんを守って神殿に入り、その後、神輿出発の先駆けで走り出ます。
 
(*3)祇園社(現在の八坂神社)は12世紀頃からは素戔嗚尊あるいは習合した牛頭天王を御祭神とみなされていますが、初期の頃は祗園天神を御祭神としていました。
 

そういう訳で、“橘君”が出かけてしまったので、“桜姫”はその身代わりで、早朝から女装して西の対に入っていました。
 
それで手持ちぶさたにお人形遊びをしていて、結構仮想世界に没入していたら
 
「あら、桔梗は出かけたの?」
という声がしたので急にリアル世界に引き戻されてギョッとします。
 
秋姫(橘姫の母)が御帳の裾を開けています。
 
「今日は祗園祭りの神輿渡御なんですよ、母上」
と桜姫は答えます。
 
「あの子、まさか稚児?」
「さすがにそれではないですけど、神輿の先走りらしいですよ」
「なるほどー!」
 
と言ってから、秋姫は不安そうに訊きました。
 
「もしかして、あの子、上半身裸になるの?」
「まあ普通そうですね。褌を締めてましたよ」
「うーん・・・」
 
寛容で大胆な秋姫様も少し悩んでいたようです。さすがに本来は誰にも姿を見せないまま育っているはずの深窓のお姫様が上半身裸の褌姿になるというのは、母親には言えなかったのかな?と秋姫は思いました。
 
「ま、いっか。さすがにそんなことできるのも今年くらいまでだろうし」
「8〜9歳の男の子だけらしいです。だから来年はできないですね」
「なるほどね」
 
「じゃ、私たちも見物に行こうか」
「ああ」
 

中将の君に秋姫からの手紙を持たせてお誘いした所、見に行きたいなとは思っていたということだったので、牛車2つ出して見に行くことにしました。今回は急に決めたので場所取りができませんが、神輿の進行ルートのどこかで見ることができたらいいかなということでお出かけしました。
 
この日、大将は在宅でしたが、伺ってみると自分も行こうかなということでしたので、結局牛車を3つ出すことにします。春姫がお気に入りの女房・越前と乗る牛車、大将が乳兄弟の良光様と乗る車、そして秋姫が橘姫と乗る牛車が仕立てられますが、実際には橘姫は代わりに桜姫が乗っています。大将が春姫と同乗すれば牛車は2つで済むのですが、大将はこういう場合、絶対に春姫とも秋姫とも同乗しません。あくまでふたりの妻を対等に処遇しています。それで牛車が3つになってしまったのです。
 
神輿が走るルートを目指して行く内に空いている場所があったので、大将は春姫にそこに入るよう言いました。それで春姫の牛車がそこに入ります。大将の牛車と秋姫の牛車が一緒に進んでいく内、また空いている所があったので、そこに秋姫が入るように言いました。それで秋姫と桜姫の乗った牛車が入りました。大将の牛車はまだ先に進んでいきました。
 
そういう訳で祇園祭では3つの牛車がバラバラの位置で見ることになりました。
 

実際には牛車の中で秋姫と桜姫は、松尾神社の秘祭のことを話していました。
 
「あの秘祭は、私は参加したことがないんだけど、私の従姉が昔参加したのよ」
「そうなんですか!」
「扇の要(かなめ)の位置で舞ったらしいよ」
「すごーい」
「桜ちゃんも、かなりうまいでしょ?来年くらいには要の位置に行くかもよ」
「私より、右大臣の四の君の方が上手いから」
「あの子も来てるんだ?」
「凄い幼い感じですね。服も自分では脱ぎ着できないし」
「そんな話はやや耳にしてた」
 
「でも、私、本当は男の子なのに、男子禁制の舞を踊っていいものなんでしょうか?」
「結界線を通ったでしょ?」
「男子禁制の結界線がありました。そこを男の子が通ると、死ぬか女の子に変わってしまうかって言ってました」
「桜ちゃん、死んでないから、女の子に変わっちゃったりして」
「え〜?でも取り敢えず男の子のままですよ」
「その内、変化が現れるかもよ」
「うっそー!?」
 

やがて大きな声や音が聞こえてきます。
 
「来たかな?」
「ええ」
 
それでどうも先駆けの子たちが近づいてくるようです。秋姫も桜姫も御簾を少し開いて、外の様子を見ます。
 
「あ、いました」
「どこ?」
「あそこ」
と言って桜姫が指さす方角を秋姫も見ます。
「ああ、いたいた」
 
橘君は褌一丁の格好で元気に先駆けをしています。沿道から水が掛けられます。先駆けの子たちはそれでもうずぶ濡れのようです。
 
「湯を使えるようにしておいた方がいいね」
と秋姫が言います。
「嬉しがると思いますよ」
と桜姫。
 
「しかしまあ元気なこと」
「身体が丈夫なのはいいことです。きっと元気な“ひつぎのみこ”を産みますよ」
と桜姫は言いました。
 
「あの子、帝の女御になれると思う?」
と秋姫は不安そうに訊きます。
 
「大丈夫ですよ。お母さんがひ弱だと子供もひ弱になりやすいんです。あのくらい元気な方がしっかりした子供を産めますよ」
「今、あんなことをしていても?」
「外で動き回っているのはあくまで桜君のはずですから」
「そのあたりが私も段々分からなくなって来た」」
 

桜姫たちが帰宅してからかなり経って、橘君は戻って来ました。すると父が興奮気味に言いました。
 
「お前、本当にたくましくなったなあ。小さい頃はもう女の子みたいで、この子はどうしたものかと思っていたが、だいぶ男らしくなった。この調子で頑張りなさい」
「はい」
 
と答えたものの、橘君は「私、もっと男らしくなっていいのかなぁ」と若干の罪悪感を感じていました。
 

七月七日(今の暦では8月)は五節句のひとつ七夕(しちせき*4)です。
 
宮中では乞巧奠(きこうでん)と言い、女性の手芸の技術向上を祈る行事が行われます。清涼殿の庭に机4脚、灯台9本を立て、果物などの供物を供えて空薫物(そらだきもの)と呼ばれる調合したお香を焚き、帝が織女と牽牛が無事逢えることを祈願します。灯明とお香は一晩中焚かれます。
 
民間でも各々のお邸で似たような形式の行事が行われました。
 
(*4)一般に「七夕」と書いて「たなばた」と読んでいるが、これは元々中国から伝わった「七夕」の行事と、日本に元からあった「たなばた」が同時期に行われていたために両者が合体してしまったもの。
 
なお五節句は1月7日人日、3月3日上巳(じょうし)、5月5日端午(たんご)、7日7日(しちせき)、9月9日重陽(ちょうよう)である。中国では奇数を尊ぶ習慣があったので、それが重なる日を祝った。1月だけ7日なのは1月1日は元旦であるため。
 

この日、大将の家では、大将本人は宮中の行事に出ていて不在ではあったものの、留守を預かる良光様と、春姫の女房・越前、秋姫の女房・中将の君らで取り仕切って準備を進めました。
 
本殿の庭にやはり机を並べて供物を献げ、家族や家人(けにん)たちに願い事を梶の葉に書かせて一緒に献げました。
 
大将の願い事は「家運隆盛」、春姫は「ごくらくおうじょう」、桜君は「子孫繁栄」、秋姫は「よきこときたらん」、橘姫は「ごこくほうじょう」と書いて供えました。でも実は桜君と橘姫はお互いの梶の葉を交換しています!
 
桜君も少しは漢字が書けるようになったとはいえ、そもそも筆跡がほとんど女性の筆跡に見えますし、橘姫の筆跡は男の筆跡にしか見えません!
 

この日は様々なお料理も用意され、客人を招いて宴なども催しており、春姫の箏、秋姫の和琴が披露され、更に若君の笛、姫君の和琴も、各々御簾の中で、姿は見せないまま演奏されました。
 
もっとも実際には“若君の笛”は、桜君ではなく橘姫、“姫君の和琴”は橘姫ではなく桜君が演奏しています。御簾の中で姿を曝さないことから、入れ替わって演奏していました(今日は男装・女装していない)、
 
「今日の橘は、ずいぶん優雅な服だね」
と桜君はその日の夜遅く、密かに会った時に言いました。
 
「なんか着せられちゃったぁ。まあたまにはこういう服もいいよ」
と今日は少し素直な橘姫が言います。
 
「まあ毎日でなければいいかもね」
「そうそう。毎日面倒な服を着るのは嫌だ」
「でも橘は、いづれは帝と結婚しないといけないかもよ。そしたら毎日面倒な服を着ることになるよ」
 
「面倒くさいなあ。やはりそれ兄上が代わってくれない?」
「僕じゃ世継を産めないからね」
「だったら産むのだけ私がやるから、ふだんは兄上が帝の女御を演じてくれるとか」
「無理っぽい気がする」
 
「ねね、合奏しない?」
「それ同じ場所から音が聞こえたらまずい」
「だったら各々の部屋で」
「それならいいかな」
 

そういう訳で桜君は“西の対”に行き、橘姫は“東の対”に行って、桜君の和琴と橘姫の笛で合奏をしたのでした。
 
「おお、これは若君の笛と姫君の和琴だ」
 
東の対から笛の音が聞こえてきて、西の対から和琴の調べが聞こえてくるので、本殿の宴席に居た人たちはみんな、笛を吹いているのが若君、和琴を弾いているのが姫君と思っています。
 
「凄い。合わせておられる!」
「美しい調べですね〜」
 
とまだ宴席に残っていた客人たちが、若君と姫君の合奏を楽しんだのでした。
 

八月十四日。中秋の名月の前夜。
 
“桜姫”は、午後に湯殿で、きれいに身体を洗った上で正装して少納言の君と一緒に牛車に乗り、松尾神社(まつのおじんじゃ)に向かいました。いつもの練習の時と同様に参集殿に習合し、ここからは秘祭の参加者だけが、潔斎所に向かい、ここで裸になって乙女川を越え、風祈社に入ります。
 
真夜中ですが、月明かりがあるので暗くはありません。しかしお互いの顔はあまりよく見えない程度の明るさです。その中、桜姫たちは無言で白い衣裳を身につけ、所定の位置に並びます。
 
この舞の練習を始めた時は12人居たのですが、その内3人に月の物が来てしまったのでリタイアして、1人追加されています。結果的に昨年の経験者は1人だけ。トップで舞う人で、その直後の2列目に桜姫と右大臣の四の君の2人が並び、その後ろに3人、その後ろに4人の合計10人です。最後に加わった子は最終列の左端で舞います。
 
巫女さんの鈴と笛が演奏され、それに合わせて10人は美しく舞いました。
 

やがて舞が終わると、全員着ていた衣装を脱ぎます。風祈社の前で松の枝を盛ったものに火が点けられます。そして舞姫たちが着ていた衣装をその火で全部燃やしてしまいました。
 
燃え尽きた所で水が掛けられ、月明かりの中、全員で乙女川を戻って潔斎所に戻り、元から着ていた服を身につけました。例によって四の君は自分では着られないので介添え役さんに着せてもらっていました。
 
そして参集殿に戻りますが、ここでやっと言葉を出していいことになります。みんなホッとしたように、各々のお付きの人たちと色々話していました。
 
「どうでした?」
と少納言の君に訊かれて春姫は
「凄く美しかった!感動した!」
と答えました。
 

参集殿を出てから二時(4時間)ほどが経っていました。各々のお付きの人たちも仮眠していたようです。各々のお付きの人に付き添われて牛車で家に戻りますが、春姫が戻ってきたのはもう明け方でした。
 
「だけど、私ここ数ヶ月、何度も乙女川を越えたけど、今の所女の子になったりはしてないけど、大丈夫なのかなあ」
と春姫は道中、不安そうに少納言の君に言いました。
 
「それはこれから女の子になるのか、あるいは」
「あるいは?」
「姫様は既に女の子になっているのかも。実際、最近姫様、そういう感じの服を着て、西の対に居る時間の方が、東の対に居る時間より長くありません?姫様、もう既に女の子なのですよ」
 
「うーん・・・・」
と悩んでから、桜姫は言いました。
 
「僕、月の物とか来ちゃったらどうしよう?」
 
すると少納言の君はおかしそうにして
「そうですね。姫様なら、月の物が来るかも知れませんね。その時は私でも伊勢でも、ちゃんと対処出来ますから大丈夫ですよ」
と言いました。
 
「じゃ、その時はお願いね」
と桜姫は不安そうに言いました。
 

桜君と橘姫が10歳の春。
 
父君が桜君に言いました。
 
「東山にお参りをしてこようと思う。馬での行程になるが、お前、馬もかなりうまくなっているよな。一緒に行くか?」
 
「はい、行きます、父上」
と桜君は笑顔で答えました。
 

もちろん当日、実際に馬に乗って外出するのは“橘君”です。一行は、父君と橘君(父は桜君と思っている)に随身2人を加えて4人で早朝から出発しました。
 
東山(*5)は広く捉えると稲荷山から比叡山まで、平安京の東側にある山を指しますが、狭義では、後に「大文字の送り火」が行われるようになった如意ヶ嶽より南の山々を指します。その中でその如意ヶ嶽が東山の最高峰(主峰472m, 副峰465m)です。
 
(*5)本当は「東山」という言葉が使われるようになったのは室町時代頃からだが、ここではその問題は目をつぶる。なお如意ヶ嶽の主峰と副峰は昔は特に分けて考えられていなかったが、近年では送り火が行われる西側の副峰を大文字山、東側の主峰を如意ヶ嶽と呼び分けるようになっている。この主峰は京都市街地からは見えない。
 

この時期、如意ヶ嶽には三井寺の系統の寺院などが多数展開しており、大将はここにお参りしてこようということだったのです。
 
一行は平安京の中は普通に通りを行き、やがて坂道になると、揺れも激しくなってくるものの、橘君はしっかりと馬を御しながら歩んでいきました。
 
「おお、しっかり進ませているな。感心感心」
と後ろを歩んでいる父から言われます。
 
一行は随身−橘君−大将−随身という順序で歩んでいました。
 
途中何度か川を渡る所もありますが、橘君は川底の様子を見極めながら、しっかりと歩いて行きました。
 
やがて寺院群に辿り着き、ひとつひとつお参りしていきます。この時期、大将の父の左大臣(大殿)がずっと体調優れない状態であったので、その病気平癒祈願もあったのです。
 
お昼前からお参りを始めて、そろそろ日が傾いてくるかという時間になるので下山します。
 

「ほんとにお前、逞しくなったなあ。これなら後3年もしたら出仕できるぞ」
 
と父は嬉しそうに言っていますが、橘君は、その話はちょっとヤバい気がすると思っていました。兄上は身体も弱いし、漢籍も全然覚えないし、馬にも乗れないしなあ。自分が本当に男なら、兄上に代わって出仕してもいいんだけど、などとも考えていました。
 
そしてかなり山を下りてきて、あと少しで麓まで来るという時のことでした。
 
「あ、雨が」
と随身の1人が言います。
 
「これはいかん。少し急ごうか」
と大将。
 
少し雨が当たってきたのです。今は小降りですが、その内もっと降ってくるかも知れません。
 
「夕立でしょうか」
「でもあと一刻(30分)もあれば麓まで辿り着きますよ」
 
それで一行は雨がパラパラと落ちてくる中、馬を少しだけ急がせて山道を降りて行きました。
 
そして川を渡ります。この川を渡ればもう後は大きな川はありません。
 

橘君は慎重に馬を進めていました。
 
ところが、ちょっと危なそうな所を避けさせたつもりが、そのせいで少し不自然な体勢になった時、急に強い風が吹いてきて、身体の軽い橘君はその風に煽られてバランスを崩してしまったのです。
 
「あっ」
と言った時は遅く、橘の君は落馬して川の中に落ちてしまいました。
 
「大丈夫か?」
「大丈夫ですか?」
と父と随身たちが声を掛けます。
 
随身が2人ともすぐ下馬して近寄りますが、橘君は
「大丈夫、大丈夫」
と言って、自分で起き上がります。
 
父も馬を下りて近寄ってきました。
 
「怪我したりはしてないか?」
「はい。大丈夫です。不覚でした。ご心配掛けて申し訳ありません」
「無事ならばよい」
 
「どこか打ってないか、ちょっと服を脱いで見てみましょう」
と随身が言います。
 
「うむ、それがいい」
と父上。
 
服を脱ぐ?それちょっとやばいんですけど。
 
「いや、大丈夫だよ」
「もし骨にヒビが入っていたりしたら、すぐ固定しないと大変なことになりますから」
と随身。
 
「いや、ちょっと服を脱ぐのは」
と橘君は言いますが
 
「男同士、何を恥ずかしがっている?」
などと父上は言います。
 
それで、橘君は袴を脱がされてしまったのです。
 

「え!?」
と随身2人も父上も固まってしまいます。
 
「お前、ちんちんはどうしたのだ!?」
「あははは、ちんちんは無いかも」
「まさか切ってしまったのか?」
「最初から無かったかも」
 
「へ!?」
「ごめんなさい。父上、私、橘です」
「何だと〜〜!?」
 
照れ笑いする橘君に対して、父・大将は頭の中がパニックになっていました。
 
 
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【男の娘とりかえばや物語】(2)