【男の娘とりかえばや物語】(1)

次頁目次

1  2  3 

 
いつの頃のことであったか、権大納言(ごんだいなごん)で大将(だいしょう)も兼ねる藤原重治という人がおられました。容貌も良ければ学問にも優れ、人柄も素晴らしい。世間の評判も良く、何も不満など無さそうなのに、実は人知れぬ悩みがあったのでした。
 
権大納言には奥様が2人おられました。
 
お一人は春姫とおっしゃる方で、源宰相の娘。お邸の東の対(たい *3)に住んでおられます。もうひとりの奥様は秋姫とおっしゃって、藤中納言の娘。お邸の西の対(たい)に住んでおられます。権大納言はふたつの対の間にある寝殿に住み、東西の対に1日交替で通って、ふたりの奥方を等しく大事にしていました。
 
ある年の春、春姫との間に玉のような男の子が生まれ“桜の君”と呼ばれました。同じ年の秋には秋姫との間にも元気な女の子が生まれ、春姫の方が桜なので、こちらは“橘の姫”と呼ばれました。
 
桜の君と橘の姫は、母親が違うのにたいそう顔が似ていました。兄の桜君は上品かつ優美で、妹の橘姫は華麗で元気でした。
 
兄君は極端な恥ずかしがり屋さんで、いつも御帳の中に隠れています。絵を描いたり、人形遊びや貝覆い(二枚貝を使った神経衰弱のような遊び)などをしていました。母や乳母(めのと)・女童(めのわらわ)など以外にはまず会おうとしません。
 
一方妹君はまず部屋の中にいることがありませんでした。男の子たちと一緒に蹴鞠(けまり)や小弓(弓で的を射て遊ぶもの)で遊んでいます。髪も短くしていたので、それを見た人は「女の子だと勘違いしてました。男の子でしたね」などと言ったりしていました。
 
そのふたりの様子を見て父君は「兄と妹をとりかえばや(取り替えたい *1)」と悩んでいたのでした。
 

(*1)「ばや」は未然形に付いて希望を表す終助詞。「取り替ふ」は下二段活用。取り替へず・取り替へたり・取り替ふ・取り替ふる時・取り替ふれども・取り替へよ。
 
※野暮な解説
 
主人公の男女が入れ替わって生活するという設定は、今でこそ代表的な萌えシチュエーションとして多数の作品(*2)を生み出していますが、ごくごく現代に至るまでは「荒唐無稽」とか「低俗」と言われて、この作品は極めて低い評価を与えられてきました。
 
なお「とりかへばや物語」は当初11世紀末頃に書かれたものの、12世紀末頃に誰かの手により大幅な改変が加えられ、現在の形になったとされています。元の物語を「古とりかへばや」「古本」、改変版を「今とりかへばや」「今本」と言いますが、元の物語は散逸して現在は伝わっていません。ただ元の物語にあった無理すぎる展開やグロテスク?な描写などが改善され、物語の展開も自然になり、また登場人物の心理描写などが加えられて、非常に良質の物語になったという批評が「無名草子」(1201頃)に書かれています。
 
原作者の性別は不明ですが、改変版での女性の心理描写がひじょうによく出来ていることから、川端康成は改変者は女性ではないかと推察しています。私はひょっとすると大本の原作者は女装男性だったかもとも思います。
 

(*2)主人公の男女が入れ替わる物語の例
 
・サトウハチロウ「あべこべ玉」1932(中2の兄と小6の妹が入れ替わる。戦前の作品だというのが凄い)
→河目悌二による漫画化作品(少女倶楽部1933)もあるが、この本は多分入手困難。
→TBSによるドラマ化「へんしん!ポンポコ玉」1973(友人の2人が10分間入れ替わる)
 
・まるやま佳「ちゃお!ユキとケイ」1979(男女の双子でケイは女性的・ユキは男性的な性格。ユキはズボンを穿くがこの当時ズボンを穿く女子は少数だった。ケイは性格が女性的なだけであって女の子になりたい訳でもないし女装趣味がある訳でもないが、ユキとの入れ替わりの結果、しばしば女装させられてしまう。「いくらぼくでもスカート穿くなんて・・・」と言って恥ずかしがっている。2人1役で入れ替わりながらデートしたり、なりゆきで女湯に入ることになってしまうシーンも!)
 
・山中恒「おれがあいつであいつがおれで」1979(親友2人がお地蔵様の前でぶつかったら「中身」が入れ替わっちゃった!)
→大林宣彦監督の映画「転校生」1982(階段を落ちて入れ替わる設定に変更)
この映画は当初尾美としのりに女装させ、小林聡美に男装させて撮影する予定だったが、外見そのままで演技力だけで人格交換を演じるという手法に転じたことで名作になった。
 
・遠藤海成「まりあ†ほりっく」2006(男女の双子が入れ替わって女子校・男子校へ)
 
・連載物の中に一部入れ替わりエピソードのあるものもある。
−松本零士「銀河鉄道999」の「二重惑星のラーラ」で鉄郎はラーラと人格交換されてしまう。トイレに行った鉄郎(身体はラーラ)は、ちんちんが無くなっていたことで「世も末だ」と言う。
−藤子F不二雄「ドラえもん」には“いれかえロープ”など入れ替わりネタは多い。
 
※弓月光「ボクの初体験」1975は、人格スワップならぬ、人格ドミノである。人浦春奈の身体に宮田英太郎の脳が移植され、宮田英太郎の身体に冴木みちるの脳が移植されてしまう。英太郎の脳が入った春奈は、トイレに行くのを恥ずかしがって漏らす寸前に。更に、した後、拭くのにも一苦労する。みちるの脳が入った英太郎はちんちんに触るのを恥ずかしがり、トイレで春奈(中身は本物の英太郎)にちんちんを握ってもらって立ち小便をする。英太郎の脳の春奈は出産までしてしまう。
 
※1972年のMary Rogers「Freaky Friday」(後にディズニー映画にもなった)は人格入れ替わり作品ブームの原点とも言われるが、これは男女ではなく母と娘の人格が入れ替わっている。なおMary Rogers(1931-2014)は同名の殺人事件の被害者(?-1841)とは別人。
 
※男女でなくてもよければマーク・トウェイン「王子と乞食」(1881)、エーリッヒ・ケストナー「ふたりのロッテ」(1949)も古典的な入れ替わり作品である。
 
※手塚治虫の「双子の騎士」では双子の姫が男装して兄の代理をするが、兄は別に女装はしない。
 

(*3)寝殿造りというのは、母屋(おもや)の周囲に廂(ひさし)を巡らし、その更に周囲に濡れ縁が付いた構造の家屋を言う。基本的にこの廂の部分までが屋内であり、夜間には廂と濡れ縁の間に跳ね上げ式の蔀(しとみ:格子を組んだ間に板を挟んだもの。単に格子とも)を下ろす。その特徴は塗籠(ぬりごめ)と呼ばれる特殊な部屋を除いては壁が無く、屏風・衝立・襖・帳・御簾などで区切るだけで、必要に応じて自由に空間を組み替えて使用できることである。
 
そのようなパーティションで部屋を作り出すことを「室礼(しつらえ)」と言う。
 
今日の純日本風の住宅でも、壁を作らず、襖や障子で部屋を区切るだけであり、宴会などをする場合はそれを全部とっぱらって広い空間を作り出せるような構造のものがあるが、これが寝殿造りの考え方を伝えている。
 
大規模な寝殿造りになると「対(たい)」と呼ばれる別棟が付属しており、その各々の対がまた寝殿作りである。しばしば複数の妻を一緒に住まわせるために複数の対を建築した。対はその方角により、東の対・西の対・北の対などと呼ばれる。
 
一時期、中心の寝殿の東西に東の対・西の対があり、南側には池があるというのが寝殿造りの特徴であるという主張が行われたが、現在では否定されている。それは寝殿造りのひとつの例にすぎない。但しこの物語の大将(左大臣)宅はそのような構造になっている。
 
塗籠(ぬりごめ)は初期の頃は、神様を祀るのに使用されたが、その内夫婦の寝室として使用されるようになり、後には単なる物置と化した。奥様に子供がいる場合は対の母屋の中がパーティションで区切られて奥様のスペース、各々の子供のスペースが作られていたものと思われる。女房(にょうぼう)や従者(ずさ)などの使用人は廂部分に控えていたり、また別途寝泊まりするための部屋が別棟に作られていたケースもある。廂部分には応接室なども設定された。
 

★この物語の主な登場人物
 
藤原重治 権大納言・大将→左大臣・関白
春姫 重治の妻 東の対に住む。花子(花久)の母。
藤原花子 春姫の息子。“桜の君”。後に尚侍(宣耀殿)。
秋姫 重治の妻 西の対に住む。涼道(涼子)の母。
藤原涼道 秋姫の娘。“橘の姫”。後に三位中将・権中納言。
 
藤原博宗 重治の兄。右大臣。
一の君 睦子 朱雀院の女御
二の君 虹子 今上(朱雀院の弟)の女御
三の君 充子
四の君 萌子 涼道の妻
 
仲満親王 朱雀院の伯父 式部卿宮
仲昌王 仲満親王の息子 宰相中将 朱雀院の従弟 ★トリックスター
 
東宮 雪子(梨壺) 朱雀院の皇女。母はこの物語開始時点で亡くなっている。
 
道潟親王 先帝の皇子(朱雀院・今上の兄)
一の君 海子
二の君 浜子
 
※お断り。
 
古い時代の小説には、宇津保物語や竹取物語のように登場人物の個人名を出すものと、源氏物語のように地位や役職名のみで押し通すものがあり、このとりかへばや物語は源氏物語同様、個人名を出さない書き方であり、“中納言”“中将”のように役名や“一の宮”“二の君”のように親族関係などのみで登場人物を表しています。
 
しかし親族関係は誰の一の君なのかといったことが分からなくなりがちですし、役職名は物語の途中でどんどん出世して変わっていくので、集中して読んでいないと誰が誰やら分からなくなる問題があります。
 
そこで今回の翻案にあたっては、登場人物に仮の個人名を付けることによって読者の混乱をできるだけ防ぐように努めました。但し安定して書かれている、左大臣(主人公たちの父)、右大臣(その弟)、中納言および内侍(主人公たち)、宰相中将などは原作の雰囲気をできるだけ伝えるためにそのまま使用している箇所も多いです。
 
なおここで使用している個人名は全て架空のものであり、実在の個人名とは無関係です。
 

平安時代の子供はだいたい3歳(現在の2歳)までは男女とも坊主頭です。3歳になった頃に「髪置きの儀」をして髪を伸ばし始め、長くなってくると男子は角髪(みずら。美豆良とも書く)に結い、女子はそのまま振り分け髪にしていました。
 
現代では「琴(こと)」というと、箏を指しますが、平安時代には次の4種類の楽器の総称として「琴(こと)」という言葉が使用されていました。
 
●箏(そう)十三弦。琴柱で音程を調整する。現代の箏とほぼ同じ。
●琵琶(びわ)現代の琵琶とだいたい似ている。ルーツは中央アジアのバルバットという楽器とされ、西洋に伝わったものはリュート、後にギターなどに発展した。
●琴(きん)七弦の長方形の楽器で、指で押さえて音の高さを決める。
●和琴(わごん)六弦の長方形の楽器で琴柱で音程を調整する。
 
また当時は男女によってたしなむ楽器が異なっていました。一般に女子は箏・和琴を弾き、男子は琵琶を弾きました。また笛(単に笛というと多くは龍笛)などの管楽器や打楽器は男性に好まれました。むろんそういう性別にとらわれずに演奏した人もあり、岡野玲子『陰陽師』で有名になった源博雅は龍笛・琵琶の他に、和琴の名手でもありました。
 
平安時代の貴族の子供の服装は男子は狩衣の後ろ身頃を短くした半裾(はんきょ。通称半尻)、女子は袿(うちき:内着)に似た、細長(ほそなが)という、左右の身頃を前でカーディガンのように合わせる服を着ていました。下半身には男女とも袴を穿きます(男子は白・女子は濃紫)。女子が裳(も。スカート)を穿くのは成人式(御裳着)以降です。
 

さて、大将の2人の子供の内、兄君はいつも帳(とばり)の中に籠もって絵を描いたり、貝遊びをしたりしていたのですが、妹君は活発です。自分の部屋に閉じこもっていません。
 
それでしばしば侍女の目を盗んで、お邸の中を探検したりします。
 
その日は自分がふだん住んでいる西の対から出て、東の対へとこっそり忍び込みました。やがて中庭の向こうに自分が住んでいる部屋と似た感じの部屋があり、帳の向こうに誰かいるようです。部屋の入口の所に30歳くらいの女房(にょうぼう)が居ましたが、やがて用事を言いつけられたようで、立ってどこかに行ってしまいました。
 
橘姫は部屋の前にそっと歩み寄ると、草履(ぞうり *4)を脱ぎ、それを手に持って部屋の中に入っていきます。
 
「だれ?」
という子供の声がします。
 
「橘、さぶらう」
と自己紹介しながら、橘姫は帳(とばり)の中に入りました。
 
「え!?」
と帳の中に居た男の子が驚いています。
 
「もしかして桜の君?」
「うん。じゃ、きみはぼくのいもうとの、たちばなのひめ?」
「そうそう。兄上、よろしく〜」
 
「でもおねえさまたちのうわさできいてたけど、きみ、ぼくにそっくり」
「うん、私もびっくりしたぁ!」
 

(*4)当時は現在の草履の原型のような履き物が、主に下級貴族に使われており、上流貴族は木製の淺沓(あさぐつ)という履き物を履いていた。現代では神職さんが履いているし、蹴鞠のパフォーマンスをする人たちが履いている。しかし淺沓は音がするので、こっそり出歩きたい橘姫は草履を愛用していてもおかしくない。
 

やがて桜君の侍女が戻ってきて、頼まれていた水を入れた器を兄君に渡しますが、橘姫は後ろの方に隠れていたので見つからずに済みました。
 
その後、2人は表に居る女房には聞かれないように小声で会話しました。しかしぼそぼそと呟くような声はするので、女房が不審がります。
 
「若様、どうかなさいました?」
と女房が聞くと
 
「何でもないよ。こないだ聞いたおとぎばなしを思い出しながら、絵を描いているんだよ」
と橘姫が!答えました。
 
「なるほどですね」
と女房は納得したようです。
 
「ね、私たち顔がそっくりだから、声もそっくりなんだよ」
と橘姫は小さい声で桜君に言いました。
 
「これいいね!」
 

そして、この日をきっかけに、しばしば橘姫はひとりでこっそり兄の部屋に行ってはふたりで、おしゃべりして過ごしたのでした。
 
ある日は笛の先生が来て、笛の教授をするのですが、桜君はどうしても音を出すことができません。するとそれを見ていた橘姫が「ちょっと貸して」と言って、笛を取ると唇に当てて息を出します。すると笛は美しい音を出しました。
 
「おお、若君、今のはきれいに音が出ましたぞ。この調子で頑張りましょう」
と笛の先生は嬉しそうに言います。
 
それでこの後、桜君の笛のお稽古は、実際には橘姫の方が受けるようになったのです。同じように琴(きん)・琵琶のお稽古も橘の姫が受けました。どうも桜君は指の力が弱くて、指で弦を押さえて弾かなければならない琵琶が苦手のようです。橘姫は腕力があるので、しっかり押さえることができていました。
 
「ね、ね、私、笛は好きだけど、箏や和琴のお稽古があまり好きじゃないのよ。代わってくれない?」
 
と橘姫は言い、強引に桜君を西の対に連れていき、箏や和琴のお稽古を代わりにやらせました。箏や和琴は琴柱で弦を押さえているのを弾くので、あまり指の力が無くても弾けるのです(一応弦の途中に指を当てて高い音:フラジオレット:を出したりもするが、琵琶や現代のギターなどのようにしっかり押さえなくても、その音は出せる)。
 
そういう訳で、ふたりの「入れ替わり大作戦」は、親たちの知らない所で進行していたのでした。
 

しかし、ふたりが時々入れ替わっているのは、やがて各々に仕える乳母にバレてしまいます。橘姫は
 
「だって私、笛とか琵琶とか好きだし、兄君は苦手だというし」
と言い訳をします。
 
「奥方や大将様に知れたら何と言われることやら」
と乳母は困惑しますが、結局橘姫の希望を入れて、この作戦を半分は気付かぬふり、半分は協力してあげることにしました。桜君の乳母も渋っていたのですが、橘姫はそちらも自分が説得してしまい、結局双方の乳母がふたりに協力してくれることになりました。
 

ところで、橘姫は桜君の着ている服に羨望のまなざしを向けました。
 
「男の子はいいなあ。そういう動きやすい服を着られて」
と橘姫は言います。
 
「そう?でもたしかに、たちばなのふくって、うごきにくそう」
「それが問題なのよね〜。髪もこんなに長いのは不便。桜みたいに美豆良(みづら)だと楽そう」
「たちばなも、みづらにしてみる?」
 
すると橘姫はそれは思いもよらなかったようで、虚を突かれたような顔をしていましたが、言いました。
 
「それいいね!」
 
それで橘姫は乳母に自分の髪を美豆良に結ってくれないかと頼みます。
 
「そんな無茶な!」
と言う乳母を何とか説得して、橘姫は髪を男の子みたいな髪型に結ってもらいました。
 
乳母は頭を抱えていますが、桜君は
 
「かっこいい!」
と言います。
 
橘姫も得意そうです。
 
「でもこの髪型で、この服はなあ」
と橘姫は言っています。
 
「ね、ね、兄上、私に兄上の服を貸してくれない?」
「え〜〜〜!?」
「代わりに私の服を着てもいいから」
「いやいい!」
 

それで桜君は自分の服を橘姫に貸してあげました。
 
「すごくにあってる。これならたちばなのひめじゃなくて、たちばなのきみだね」
と桜君は言います。
 
「橘君か。そう名前変えちゃおうかなあ。でもこれなら、蹴鞠(けまり)とかもできそう」
「あれぼくにがてー」
 
それで橘君(橘姫)は男装のまま桜君のふりをして、蹴鞠の得意な従者(ずさ)に蹴鞠を教えて欲しいと頼みました。
 
「おお!若君、私は若君がそういうのに全く興味を示さないので心配しておりましたぞ」
と言い、熱心に“桜君”(実は橘君)に蹴鞠を指導してくれました。
 
同じようにして、橘君は小弓や馬術も教えてもらい、漢詩や漢籍などの勉強もして、どんどん男性的な教養を高めていくのです。
 

ある時、桜君のふりをしている橘君は、貴族の若君を集めた小弓比べの会に行くと言って出かけてしまいました。
 
表向きには“桜君”が出かけたことになっています。
 
さて・・・その間に、橘姫の所に、舞の先生がやってきてしまったのです。この日この先生が来ることを、橘姫はきれいに忘れていて、男装して出かけてしまっていました。
 
慌てたのは橘姫の乳母でした。
 
「しばらくお待ちください」
と言って、先生を待たせて東の対に行きます。そして桜君に頼みました。
 
「申し訳ありません。姫の舞の先生がいらしていて」
「ああ。みがわりね。いいよ。まいはやったことないけど、いつものように、とばりの中ですればいいんだよね?」
と桜の君は答えます。
 
「いえ、それが舞は直接その動きを見ながらのお稽古になるので、帳の中という訳にはいかなくて」
 
「ん?」
「ですから、直接お姿を見せて、お稽古を付けて頂くので」
「だったら、ぼくのみがわりがバレてしまうじゃん」
「それで、誠に申し訳ないのですが、姫君の服を着てお稽古に出ては頂けないかと」
「え〜〜!?女の子のふくをきるの?」
「申し訳ありません。姫様が若君の振りをして外出しているのをバレないようにするためなので」
 
「そんなあ。でも、かみは?」
「できましたら、髪をといて振り分け髪にしていただけないかと」
「うっそー!?」
 

しかし、お互いに入れ替わっていることがバレると、父上から大目玉をくらいそうです。それで桜の君は渋々橘姫の濃紫の小袖を着、女児用の同じく濃紫の袴を穿いて、単(ひとえ)を着て、女児用の細長を着ました。
 
「いくらぼくでもこんなふくをきるなんて・・・」
と桜君は恥ずかしそうにしています。
 
「たいたいこれ、おしっこするときどうするの?」
「その場合は袴を脱いで、髪や服の裾を女童が支えていますので、虎子(おおつぼ)にまたがって致します。服で隠れますから、お股の付近は誰にも見られませんよ」
 
乳母は暗に、おちんちんが付いていても女でないことは補助してくれる女童たちにはバレないことを言っています。
 
「面倒くさそう!男の子の服なら、おちんちん出して、尿筒(しとづつ)に入れてできるのに」
 
「女の身体の構造では竹筒の中に入れられるようなものが無いですし、そういうもの無しで、うまく筒の中に命中させるのは難しいので」
 
ともかくも、美豆良の髪も解いて、振り分け髪にしました。
 
「充分女の子に見えますね!これなら桜姫という感じかな」
と桜君の乳母が驚いています。
 
「はずかしいよぉ」
とドキドキした顔の桜君は言っていました。
 
そして橘姫の乳母に連れられて、桜君(桜姫?)は西の対に向かい、舞のお稽古をしたのです。
 
桜君は、舞なんて習うのは初めてだし、橘の代理が務まるかなあと不安だったのですが、先生は
 
「今日の姫様の動きは優雅でとても美しいですよ。とっても女らしくてあられます」
と、とってもご機嫌だったのでした。
 
「くせになっちゃったら、どうしよう?」
と桜君(桜姫?)は不安げに呟くのでした。
 

やがて戻ってきた橘君(橘姫)は、桜姫(桜君)が自分の服を着て西の対で困ったような顔をしているのを見ると
 
「あれ?兄上、女の子の服を着てみたんだ?凄く可愛いよ」
などと言います。
 
「たちばなが出かけているあいだに、まいの先生がきたから、ぼくがたちばなのふくをきて、みがわりをしたんだよ」
と桜姫は文句を言います。
 
「ごめーん!忘れてた」
と橘君は言いました。
 
「でもホントに可愛い。私より女の子の服が似合ってる。もういっそのこと、いつも服をとっかえてない?」
「ぼくはこのふく、いやだ」
 
「似合ってるのに」
 
ともかくも、ふたりはその日は服を交換して、桜姫は桜君に、橘君は橘姫に戻ったのでした。
 
「こゆみくらべ、どうだった?」
「2番だった。悔しい〜」
 
「2ばんってすごいじゃん」
と桜君は言うのですが
「1番でなきゃ意味無いよ」
と橘姫は言い、
「よし、もっともっと練習するぞ」
と言っていました。
 

ふたりは6歳の頃から、こうやってしばしば入れ替わっており、橘君(橘姫)がしばしば外出したりもするので、その度に、桜君は女装させられて、その身代わりを務めていました。
 
女装中におしっこをする場合は、本当に大変で、袴を完全に脱いだ状態で、周囲を服や髪を持ってくれる女童たち、虎子(おおつぼ)と呼ばれる女性用小便器を支えてくれる女童などに囲まれた状態でしなければならないので、最初は恥ずかしくもあり、女の子って、なんて面倒くさいんだ、などと思っていました。
 
(虎子は女性の小便用なので、大便の場合は樋箱(ひばこ)と呼ばれるものを使う。樋箱は男女共通である)
 
ちなみに、橘君のほうは、尿筒(しとづつ)を袴の裾から差し込み、その口を自分のおしっこの出てくる所にしっかり当てて、服を着て立ったまま、漏れないように全部その中におしっこを出すという技?を編み出し「男の子式のおしっこは楽だぁ!いつもこれでやりたい」などと思っていました。
 
むろんこれでやっていると、服は脱がずに済むので、周囲に人がいても、おちんちんが無いことはバレません。
 

しかし橘君が出かけている間に、橘の乳母が、桜姫の髪をメンテしてあげながら色々橘姫への不満を言うのを聞くと桜姫は「まあまあ。元気なのはいいことですよ」と慰めてあげるのでした。
 
「でも桜姫様はほんとにお優しいですね」
「ぼくはぶじゅつみたいなのは、ぜんぜんダメだしね」
「学問も苦手のようで」
「かんじがならんでいるの見たらあたまいたくなっちゃう。たちばなはかんじとくいみたい」
「いっそのこと、橘姫様が男の子で、桜君様が女の子だったらよかったのに」
「たちばなは男の子のほうがよかったと思うけど、ぼくは女の子はいやだよぉ」
「そうですか?女の子になるの、似合っているみたいなのに」
 

さて、大将はふたりが4〜5歳頃までは
 
「今は性格が男女逆で、兄と妹を取り替えたい気分だと思っていても、その内、成長すれば各々男の自覚、女の自覚というものが出てくるだろう」
 
と思っていたのですが、実際6歳をすぎた頃から、今まで蹴鞠や弓・馬術あるいは漢詩・漢籍などにほとんど興味を示していなかった桜君が、急にそのようなものに熱心になったと聞き、また箏・和琴・舞などのお稽古を全然真面目にしようとしていなかった橘姫が、急にそのようなものをちゃんとお稽古するようになり、舞の稽古をしている所にたまたま行き合って見ていたら、ほんとに女らしい舞をしているのを見て、
 
「杞憂であったか。やはり男の子は男らしく、女の子は女らしく育っていくものだ」
と安心なさったのでした。
 
ただ、そのことにどうも納得行かない思いをしている人が2人だけありました。それが桜君と橘姫の2人の母親たちです。
 

桜君の母である春姫は、息子が普段は内向的で恥ずかしがり屋であり、めったに人と会おうともしないのに、男子の友人たちが訪ねてくると、寝殿の庭に飛び出して行き、元気に蹴鞠や小弓で遊んだりしているのを、どうにも不思議に思っていました。以前は嫌がっていた笛や琵琶のお稽古も熱心にしているのも妙に思えました。
 
また橘姫の母である秋姫も、娘が普段活発でなかなか自分の部屋にも居ないのに、箏や和琴の先生、舞の先生、習字の先生などが来た時はおしとやかな雰囲気で、お稽古を受けているのが、どうにも変な気がしていました。そして舞を舞っている様子などを見ると、とても普段の姫と同一人物とは思えないほど優雅だったのです。
 

ふたりが9歳になった春。
 
都では毎年恒例の賀茂祭(現代で言う所の葵祭)が行われます。それで見物に行くことになります。大将はこの祭自体に関して色々お仕事があるので、奥様と子供だけで行くことになります。春姫と桜君、秋姫と橘姫は、各々牛車を仕立てて、見物に出かけられることにします。
 

明日はその賀茂祭の見物という日。
 
例によって橘姫は橘君の姿になって友人の男の子と一緒に出かけていて、いつものように桜君が桜姫の姿になって、西の対で字の練習などしていました。
 
その時、秋姫の侍女が来て言いました。
 
「姫様、明日はお出かけですので、沐浴(もくよく)をなさってください。今母上様が終わられまして、湯殿が空きましたので、次どうぞ」
 
桜姫は沐浴などという話は聞いていなかったのでギョッとします。
 
「さすがにバレるよ。どうしよう?」
と乳母に相談します。
 
「困りましたね。ちんちんが付いていたら、それをみんなに見られてしまいますし。いっそ橘姫は実は男の子だったということにしてしまいます?」
 
「それ、橘は喜びそうだけど、秋姫様が仰天すると思う」
「じゃ、いっそ桜姫様のおちんちんを切っちゃいます?」
「それだと桜君に戻った時に困る」
 
と桜姫が言うので「困るだけなのか?」と乳母はツッコミたい気分になりました。
 

乳母はしばし悩んでいたものの
「そうだ!」
と言うと、桜姫を樋殿(ひどの:トイレ)に連れて行くと、袴を脱がせます。
 
「切っちゃう訳にもいきませんし、隠しちゃいましょう」
「隠せるもの?」
「秘伝があるのですよ」
と言って、乳母は桜姫を座らせると、まずタマタマを体内に押し込み、それを本人に手で押さえておくように言った上で、おちんちんを後ろ向きにして、そこに何かの液を塗ります。
 
「それ何?」
「膠(にかわ)でございます。これでくっつけてしまえば、湯殿のぬるい湯くらいでは外れません。おちんちんでふたをしてしまいますから、タマタマも落ちて来ないんですよ」
と乳母は説明しました。
 
「ずっと外れないの?」
「大丈夫です。次にお風呂(*5)に入れば、お風呂の蒸気で外れますよ」
「だったらいいか」
 

(*5)江戸時代までは「風呂」と言えば蒸し風呂で、「湯」といえば沐浴のことであった。江戸時代の中期の頃から両者は混同されるようになった。平安時代に貴族はだいたい2〜3日おきに《湯殿》で沐浴または小浴をして日常的な汚れを落とし、だいたい月に1〜2度《風呂殿》で蒸し風呂に入って垢などをきれいに落としていた。
 
但し、湯殿・風呂殿があるのはごく一部の上級貴族のみで、中級貴族の場合は“殿”まで行かない湯小屋・風呂小屋を使い、下級貴族になると、風呂殿・風呂小屋などを持っている貴族の家にお邪魔して借りていた。
 
風呂殿は大量の蒸気を発生させなければならないので、極めて贅沢な設備であった。枕草子には“風呂”について下記のような記述があるらしい(手元にある枕草子では見つけきれないが、枕草子には少なくとも4系統の写本があるので、私が持っているものと違う写本にあるのかも)。
 
「小屋ありて、其の内に石を多く置き、之を焚きて水を注ぎ湯気を立て、その上に竹の簀を設けて、これに入るよしなり」
 
(引用元「温泉と日本人」八岩まどか 31p)
 

「ただ、これを身体にくっつけてしまっていると、次のお風呂に入るまで、桜様、尿筒が使いにくいと思いますが」
 
と乳母は言いました。
 
「それ何とかなると思う。橘はおしっこの出てくる所にしっかり筒の口を当てておしっこしてるんだよ。僕も同じことすれば行けるはず」
と桜姫。
 
「なるほどですね」
 
そういうわけで、タマタマを体内に押し込み、おちんちんを膠でくっつけてしまうと、まるでお股には何も無いかのようになったので、これで沐浴をすることにしました。乳母は最後にお股の皮膚を少し寄せてそこも膠でくっつけました。すると前から見た時、まるで割れ目ちゃんがあるかのように見えるのです。
 
「すごーい。まるで女の子になったみたい」
「いっそ女の子になります?」
「いやだぁ」
「でも女の子になってもいいくらい姫様、可愛いですよ」
 
「そうかなあ。でもこれ後ろから見られたら、やばいよね?」
「はい。私が姫様の後ろにいるようにして、他の者の目には見られないように気をつけます」
「よろしく」
 

そういう訳で、桜姫は若干お股に“工作”をした上で、乳母と数人の女童と一緒に湯殿に向かったのです。
 
脱衣所で桜姫は裸になりましたが、乳母や女童は湯文字をつけています。湯文字は後の時代には女性の一般的な下着とみなされるようになりますが、元々は入浴の補助をする侍女たちが袴(はかま)の代用として付けたものです。要するにあれはミニ袴なのです。
 
それでまずは《沐槽*6》の水を髪に掛けて髪の汚れをきれいに落とします。
 
これ気持ちいい〜!と桜姫は思いました。橘こそ毎日飛び回っていてたくさん汗掻いているだろうから、これしてもらったらいいだろうに、などと思います。
 
結構な時間を掛けて髪を洗ってもらった後は、身体にも水を掛けて汚れを洗い落とした後(お股の所は女童を制して乳母が洗ってくれた)、《浴槽》に浸かります。これは《よごれ》を落とすというより《けがれ》を落とすための入浴なので、そんなに長時間は浸からず、すぐにあがって乳母や女童たちに身体を拭いてもらいました。
 
桜姫は元々“男子としての機能”が弱いタイプですし、日常的に着換えなどで女童たちと接触しているので、その女童たちに身体を洗ってもらったりする程度では“興奮”したりはしないようでした。
 
膠でくっつけたお股の部分は、乳母が言った通り、沐浴のぬるい水では、びくともしませんでした。実は膠でくっつけていた場合、“興奮”してしまうと皮膚が引っ張られて痛いのですが、桜姫は興奮しなかったおかげで痛い思いもしなくて済みました。
 

(*6) 延喜式には朝廷の沐槽と浴槽のサイズが記載されている。
 
沐槽 長三尺、広二尺一寸、深八寸
浴槽 長五尺二寸、広二尺五寸、深一尺七寸
 
当時の1尺というのは唐の大尺で0.2963cmになり、現代の尺(0.3030cm)より少しだけ小さい。上記の寸法をcmに換算すると、
 
沐槽 88.9 x 62.2 x 23.7
浴槽 154.1 x 74.1 x 50.4
 
ということになる。現代の日本家屋の標準的な浴槽サイズと大差無いので、浸かった場合も、定員1名という感じである。天皇が使うサイズがこれなので皇族や貴族の家のものは、もっと小さかったであろう。
 
男性貴族は朝廷に出仕する日は朝から沐浴あるいは小浴(たぶん行水程度)をして《けがれ》を落としてから出かけていた。
 
平安時代は《風呂》に入るのは月に1〜2度程度ではあったものの、一般的に思われているほど不潔だった訳では無いようである。
 

湯殿からあがった後は、湯帷子(ゆかたびら:浴衣の語源)を着て部屋に戻りますが、御帳の中で女童たちに髪の毛の水分を麻布で取ってもらいました。この作業は結構な時間が掛かりますが、桜姫はそれをしてもらっている間に眠ってしまいました。
 
目が覚めるともう暗くなっています。
 
きゃー僕眠っちゃったよと思って身体を起こしたら、そばで
「あれ?起きた?」
という声がします。
 
「橘?戻ってこないから、僕が橘の代わりに沐浴までしたよ」
「ごめん、ごめん。でも沐浴とかして、ちんちん付いてるのばれなかった?」
 
「バレて、橘姫は男だったのかということになったから、明日から男として行動してね」
 
「それ私は凄く嬉しいんだけど」
「やっぱりそうなるよね〜。まあ隠し通したから、バレてないと思う」
「よく隠せたね〜」
 
「僕、東の対に帰る。橘、湯は浴びなくてよかった?」
「平気平気」
 
それで桜君は女性用の湯帷子を脱いで男物の服を着て、深夜に東の対に帰還しました。
 

翌日、賀茂祭を見に行く当日。
 
大将は忙しかったようで、昨夜から帰宅していません。春姫・桜君、秋姫・橘姫は、早朝から、各々上等な服を準備して、お出かけの用意をしていました。
 
辰一刻(午前7時 *7)頃、桜君の所に、彼も見たことのある源中納言の息子の従者がやってきて
 
「弓矢と乗馬の上手な男の子を集めて流鏑馬(やぶさめ)の伝授をするのですが、大将の若君もいらっしゃいませんか?」
と文も添えて伝言してきました。
 
桜君は「これは橘だな〜」と思い、自分の乳母に文を持って行かせ、伝言も伝えさせます。結局2人は寝殿の控間で直接会って“悪い相談”をすることにします。
 

(*7)時刻対照表
 
9 子一刻23:00 子二刻23:30 子三刻 0:00 子四刻 0:30
8 丑一刻 1:00 丑二刻 1:30 丑三刻 2:00 丑四刻 2:30
7 寅一刻 3:00 寅二刻 3:30 寅三刻 4:00 寅四刻 4:30
6 卯一刻 5:00 卯二刻 5:30 卯三刻 6:00 卯四刻 6:30
5 辰一刻 7:00 辰二刻 7:30 辰三刻 8:00 辰四刻 8:30
4 巳一刻 9:00 巳二刻 9:30 巳三刻10:00 巳四刻10:30
9 午一刻11:00 午二刻11:30 午三刻12:00 午四刻12:30
8 未一刻13:00 未二刻13:30 未三刻14:00 未四刻14:30
7 申一刻15:00 申二刻15:30 申三刻16:00 申四刻16:30
6 酉一刻17:00 酉二刻17:30 酉三刻18:00 酉四刻18:30
5 戌一刻19:00 戌二刻19:30 戌三刻20:00 戌四刻20:30
4 亥一刻21:00 亥二刻21:30 亥三刻22:00 亥四刻22:30
 
時(とき)は2時間単位、刻(こく)は30分単位で、合わせて「時刻」と呼ばれた。いわゆる「丑三時(うしみつどき)」は午前2時である
 
一刻を「初刻」、三刻を「正刻」ともいう。午正刻が正午になる。
 
日本の時刻制度は室町時代以降は不定時報といって、日出を6:00(卯正刻)、日入を18:00(酉三刻)として、各々の間を等分する方式で行われていたことが知られているが、平安時代が1日を正確に12等分する定時法だったか、それとも室町以降同様の不定時報だったかについては議論の余地がある。平安時代の文献には不定時報を刻む水時計の製法が記載されたものもある。
 
時報は子・午正刻には太鼓を9つ打ち、丑・未正刻に8つ、寅・申正刻に7つ、卯・酉正刻に6つ、辰・戌正刻に5つ、巳・亥刻に4つ打った(上記の表の左端に書いた数字である)。また各々の一刻には鐘を1つ、二刻には2つ、三刻には3つ、四刻には4つ打った。
 
「おやつ」という言葉はこの太鼓の打数から来ている。元々は太鼓が8つ打たれる午後2時くらいに食べる間食である。
 
平安時代に時報の太鼓や鐘を打っていたのは陰陽寮の当番の役人だが、万一打ち忘れたり、数を間違ったりすると、厳罰をくらっていた。
 
これが江戸時代になると平安時代の宮中の太鼓に相当するものをお寺の鐘で市中に報せていた。いくつか機械時計などで正確な時刻をキープしている寺があり、そこの寺の鐘が鳴り始めたら、それを聞いた近くの寺も合わせて打ち始め、それを聞いた寺が打ち始める、などという、おおらかな時代だった。
 
機械式和時計の時報の数も昔はこの太鼓や鐘の数と同じ方式で12時に9つ、2時に8つ、4時に7つと打っていたらしい。
 

「私、その流鏑馬の伝授に行ってくるからさ、その間、私の代理をしててくれない?」
と橘姫は言いました。
 
「それ、いつ頃まで掛かるの?」
と桜君は訊きます。
 
「巳一刻(午前9時)くらいから始まって、多分半時(はんとき:1時間)くらいだと思う。だから午一刻(午前11時)くらいまでには戻ってくるよ」
 
「じゃお出かけする時刻までには戻ってくるのね?」
「うん。もちろん。私も勅使行列見たいもん」
 
勅使行列はお昼頃に御所(ごしょ:天皇の居所)を出発し、下鴨神社を経て、上賀茂神社まで行き、両方の神社で天皇の祭文を読み上げます。この勅使の行列を、みんなで見に行くことになっていたのです。なお、見物する場所はあらかじめ確保しています(源氏物語の葵上や光源氏のように行き当たりばったりではない)。
 
「じゃあ仕方ないね。それまで僕が出かけたことにして、橘の身代わりしてるよ」
と桜君は言い、橘姫の服を桜君が着て髪を解いて振り分け髪にします。一方、橘姫は流鏑馬をするのに適した動きやすい、そして少しくらい汚しても構わない服を着て、髪を美豆良に結います。
 
最近は美豆良に結うのは手伝ってもらわなくても、橘姫が自分でできるようになっていました。
 
「でも兄上も、だいぶ女の子の服に慣れたでしょ?」
「あまり慣れたくなーい。これ本当に恥ずかしいんだから。女の子らしく振る舞ってないといけないし」
 
「いっそのこと、私たちずっと入れ替わって暮らさない?私、女の子の生活、かったるくてさ」
「それは勘弁してよぉ」
 

そういう訳で、橘君(橘姫)は桜君の従者を連れて馬に乗って出かけて行き、桜姫(桜君)は、橘姫の身代わりに西の対の橘姫の部屋に行ったのでした。
 
桜姫はやれやれと思いながら、妹の部屋で、好きな箏など爪弾いていますと、橘姫の母・秋姫がやってきました。少しギクッとします。あまり近寄って見られると、母親にはさすがに身代わりがバレそうな気がします。
 
秋姫は桜姫の所にぐっと近寄って来ました。ギョッとするのですが、秋姫は言いました。
 
「うん。良い香りね。何かさっきすれ違った時に、汗臭い臭いがした気がして。せっかく、昨夜湯に入ったのに、なんで?と思った」
と秋姫。
 
ああ、確かにあの子は汗臭いと桜姫も思いました。
 
「母上、今日はどこにも出ていませんよ」
と桜姫は顔色ひとつ変えずに答えます。
 
「でも桔梗(*8)さん、何です。その服は?まだ着換えていなかったのですか?これ、中将」
と言ってお気に入りの女房を呼びます。
 
「姫君に、しっかりした服を着せてあげなさい」
「はい、かしこまりました」
 
え〜〜〜!?
 

(*8)桔梗は橘姫の本名。ファンタジー的に言えば“まことの名”。これは橘姫が産まれた時、庭に咲いた桔梗を秋姫が見て美しいと思ったことから来ている。
 
普通本名を知っているのは母親と夫になる人くらいであり、それ以外の人には知られていない。むろん本名を呼んでいいのも母親と夫くらいである。もし知っていたとしても本名で人を呼ぶのは、極めて失礼な行為になる。公式の名前として多くの人に知らされている諱(いみな)も本名同様に、他人が勝手に呼んでよいものではない。
 
なお桜君の本名は青龍。これは彼が辰月(3月。現代の暦ではほぼ4月)生まれであったことから来ている。
 

それで中将と呼ばれた女房の指揮のもと、橘姫付きの女房や女童たちも協力して桜姫は美しい服に着せ替えられてしまうのです。
 
桜姫は袴を換える時に、あそこを見られたらどうしよう?と心配しましたが、昨日湯を浴びた時に、膠でくっつけられているので、誰にも気付かれずに済みました。
 
あ、これ便利だな。このままにしておけば女の子を装える、と一瞬思ったものの、だいたい何で僕が女の子を装わないといけないのさ?と、男装して出かけている妹を恨みます。
 
しかし桜姫は、ひじょうに良質の絹の袿(うちき)を3枚も重ねた上に、これもとても良質の高そうな!細長を着せられました。衣服を重ねる時に内側に着た服の端が少しだけ見えるように微妙な重ね方をします。
 
こんなの後で、橘と衣服交換する時に、ちゃんと着せてあげられるかなあ、などと桜姫も少し心配になります。
 
髪もきれいに解いてもらいました。そしてお化粧までされてしまうので、ひゃーっと思っています。
 
そして巳三刻(午前10時)くらいになると
 
「さあ、出かけますよ」
と言われました。
 
「え?お昼頃出かけるのではなかったのですか?」
と桜姫が尋ねると
 
「場所は取ってもらっているとはいえ、直前に行って並ぶのはみっともないです。早めに行って並んでいるのですよ」
と秋姫はおっしゃいます。
 
それで桜姫は橘君が戻ってくる前に、秋姫と一緒に牛車で出かけることになってしまったのです。
 
桜姫は「こんなに早く出かけて、待っている間におしっこしたくなったらどうするの〜?」と思いました(念のため出がけに1度しておいた)。
 

お邸からは牛車が2つ出発します。ひとつは春姫の牛車で、本当は桜君も同乗する予定だったのですが、流鏑馬の伝授に出かけてまだ戻ってきていないので、春姫だけがお気に入りの女房と一緒に乗っています。
 
もうひとつが秋姫の牛車で、こちらには橘姫が同乗する予定だったのが、実は桜姫が身代わりで乗っています。この身代わりを知っているのは桜君と橘姫の乳母たちだけです。牛車は最大4人乗れるのですが、4人乗るとさすがに狭い(特に女性の衣服はボリュームがある)ので、この日乗っているのは秋姫と桜姫のみ。右に秋姫が乗り、左に橘姫の振りをした桜姫が乗っています(牛車の席順は右前→左前→左後→右後)。秋姫のお気に入りの女房と、橘姫の乳母は徒歩で付き従っています。
 
橘姫の身代わりを務めている桜姫は「秋姫様にバレちゃったらどうしよう?」と不安を抱えながらも、できるだけ顔を見られないようにと思い、うつむき加減で牛車に乗っていました。
 
もっとも、秋姫は牛車に付き従っているお気に入りの侍女とずっとおしゃべりしていて、こちらのことはあまり気にしていないようにも思われました。更に今日の桜姫はお化粧しているので、素顔が分かりにくいのです。
 

沿道では喧嘩も起きていましたし、場所取り争いをしている車などもありましたが、気にせず進んでいき、予め取ってあった場所に、春姫の車と秋姫の車を隣り合わせで並べます。
 
それで普段は顔も合わせないようにしている春姫と秋姫も儀礼的に少し言葉を交わしていました。しかし桜姫はすぐそばに自分の母まで居て、物凄く居心地の悪い気分でした。
 
やがて行列の先頭が来ます。女車ですから、御簾を全開にしたりはしませんが、御簾の隙間から眺めるとなかなか楽しい感じです。桜姫としても気分がいいので、自分の身代わりがバレないかという心配は置いといて秋姫とも色々言葉を交わし、結構楽しむことができました。
 

途中で橘が来たりしないだろうかと思っていたのですが、結局妹はこちらにはやってきませんでした。でも勅使行列を見たいと言っていましたし、もしかしたら沿道のどこかでこれを見ていたかもという気もしました。
 
帰りは道が混雑するので、なかなかスムーズに車が進まず、更にあちこちで喧嘩も起きて検非違使(けびゐし)まで出て整理に当たっていたようです。結局一時(2時間)ほど掛けて、やっとお邸に戻ることができました。
 
お邸に戻ると、橘姫はもう戻っていますが、男装のままです。それでふたりで寝殿の控えの間で双方の乳母の協力のもと衣服を交換しました。
 
「結局行列見たの?」
「見た見た。でも凄い混雑だったね」
「何かあちこちで喧嘩とかもしてたし」
「お酒が入っているからね〜」
 
それで橘姫は普通の細長、桜君も普通の半裾に着換えて、各々の部屋に戻ることにしました。
 

橘姫が兄と入れ替わって元に戻り、西の対の自分の部屋に行くと、お付きの女房がやや困惑したような顔で言いました。
 
「姫様、お帰りなさいませ。あの」
「ただいま。何か?」
「母様からの御伝言で」
「ん?」
「湯殿の準備をさせたから湯を使いなさいということなのですが」
「へー。でも助かるよ。私もちょっと汗掻いちゃったなあと思ってた」
「それでは女童は今日は帰してしまったので、私と命婦様と、乳母様で」
「ええ、そうですね」
と乳母は戸惑うように答えました。
 

一方、兄の桜君が東の対に向かおうとした所、寝殿と東の対を結ぶ透渡殿(すきわどの:幅の広い廊下)の所に、何と秋姫様が立っているので、びっくりします。
 
普通は東の対は春姫の領域、西の対は秋姫の領域で、ふたりが各々相手の領域の中に入ることはありません。しかし透渡殿は微妙な場所です。それでもそもそも秋姫様が供を連れずに1人で居るのも異例です。
 
桜君は
「姫様、お祭り見物は失礼致しました。戻るのが遅くなってしまいまして」
と声を掛け、そのまま行こうとしたのですが、手を出して停められました。
 
そして秋姫は自分の顔を桜君の耳元に寄せると言いました。
 
「“桜姫”様も可愛かったね。ああいう服、似合ってる。あなたを私の娘にしたい所だわ」
 
え〜〜〜〜!?
 
バレた!?と思って桜君は顔から血の気が引く思いだったのですが、秋姫は笑顔で言いました。
 
「またよろしくね。今日は楽しかったわよ」
 
それで秋姫は楽しそうな顔で西の対へ戻って行かれました。
 
 
次頁目次

1  2  3 
【男の娘とりかえばや物語】(1)