【女たちの戦後処理】(下)

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千里が「巫女の力」を取り戻すのに、九州の唐津から、紀伊半島・能登半島・牡鹿半島・渥美半島・琵琶湖と駆け巡ってから、出羽三山に登ったこと、その後、信次の菩提を弔って板東三十三箇所巡りをしたことを話すと、
 
「よく走り回ってるね!」
と言われる。
 
「でも、クロスロードのメンツって走行距離の長い人が多いよね?」
と若葉が言う。
 
若葉はRX-9乗りだが、若葉の運転する車にはあまり乗りたくない気分だと和実が一度言っていた。昨年も1度免停をくらっている。
 
「和実と淳さんは、いまだに色々なボランティアで関東と東北の間を頻繁に往復してるみたい」
「あの人たちも良く頑張るよね」
 
「冬子も忙しいのに走行量が凄い」
「運転していると曲を思いつくんだよ。もっとも今回は関越ループとか鳥栖リターンとかまでしてみたけど、全然思いつかない」
 
「若葉はRX-9だったよね?子供乗せる時はどうするの?」
と質問が出る。
 
「さすがにRX-9はチャイルドシートが1個しか取り付けられない」
と若葉。
「あ?取り付けは可能なんだ?」
「若竹と政葉をお留守番にして、冬葉だけ連れて出る時はそうすることもある。でも3人乗せる時はセレナ使ってるよ」
「へー。セレナ?」
「あのタイプの車の中では座席に比較的余裕があるんだよね」
「どう3個付けるの?」
「2列目に2つ。若竹と政葉。3列目に1つ。冬葉」
「ほほぉ」
「助手席は使わないのね?」
「助手席にチャイルドシート付けちゃいけないよ」
 

「だけど、遠距離まで走ってると、都会と田舎で頭の中の走行ロジックを切り替えないといけないよね」
 
「そうそう。都会の車は黄色で停まるけど、田舎の車は赤信号になってから3台くらい通過する」
「うかつに赤で停まると追突されるからね」
「だから都会ルールと同様に赤でちゃんと停まる場合はポンピングブレーキが大事」
「田舎ルールで都会の信号を通過しようとすれば、切符を切られる」
 
「やはり都会は人が多いから、きちっとルール守らないと回らない。でも田舎は人が少ないから余裕があって、少々のことは許容されるんだよね」
「それで、許容されるのをいいことに、そういう赤信号突撃みたいなちょっと危ない人達もいる」
 
「性別に関しても田舎は許容的だよね」
「そそ。オカマさんに関しても、都会は無関心、田舎は許容的」
「うん。その程度は個性のひとつと思われてる感じ」
 
「田舎と都会ではそもそも時間の感覚が違うよね」
「都会で暮らす人は秒単位で時計が合ってないと気が済まないけど、田舎では数分ずれてても気にしない」
「5時集合と言ったら、都会では4時50分くらいまでにほとんどの人が集まるけど、田舎だと5時半くらいになってから、ぽつりぽつりと人が来始める」
 
「あれ、5時すぎてるのに気付いてから家を出るんだよ」
「いや、5時すぎてるのに気付いてから、お風呂に入った後で出てくるんだ」
 
「私もこの子たち連れて何度か長野の親戚におじゃまして1週間とか滞在したけど、田舎って小さな子供を育てるにはいいなって感じ」
と若葉が言う。
 
「受験になると都会の中学・高校に行かないと、田舎からは国立大学とかに進学するのはきついけどね」
 
「でも自然に囲まれて時間を過ごしていると心がリラックスするよね」
 

「千里も出羽とかに行って、大自然の中に身を置いたから、霊感が戻ったんじゃないの?」
「それはあると思う」
 
「冬も出羽に行ってみる?」
と政子が言うが
 
「冬、あまり山歩きしたことないでしょ?」
と千里が訊く。
 
「高校に入った年に高尾山に登ったくらいかな」
「高尾山は山歩きに入らないと思う。少し身体を鍛えてからでないと出羽は厳しいよ。冬の山駆けは行方不明者が出ることもある」
と千里。
 
「行方不明者ってどうなるの?」
「それは自己責任。修行に付いてこれなかった人は一度死んで生まれ変わってから再度修行しろということになってる」
「いいのか!?」
 
「いや、本来の山伏はそういうもの。昔は倒れてたら崖から突き落としたりしていたって言うよ」
と若葉も言う。
 
「なんで〜?」
「すぐ生まれ変われるように」
「ひぇー」
 
「まあ、うちの集団は優しいから、救出部隊が回収しているけどね」
「よかったぁ」
 
今年の冬からそういうことにすることになったんだけどね、と千里は心の中で付け加えた。
 
「山じゃなかったら海は?」
「海というと、太平洋を泳いで横断とか?」
「その方がすぐ死ねるよ!」
 
「まあ、時間が静かに流れているような島でのんびり過ごすのもいいかも」
 
「静かに時間が流れている所というと占守島(しゅむしゅとう)とか」
「どこ、それ!?」
「千島列島の北東端」
「寒そう」
「もっと暖かい所で」
「じゃ、南鳥島」
「えっと、取り敢えずスーパーとかある所がいいな。電気が使えて」
「町添さんが、電話連絡できない所は困ると言うと思う」
 
「じゃ、宮古島は?」
「ああ」
「行ったことある?」
「ある。いい所だと思った」
 
「じゃ、冬、そこに行ってみようよ」
と政子は言った。
 

康子は最初板東三十三箇所だけを巡るつもりだったようだが、三十三箇所を巡り終えると「欲が出て来ちゃった」と言った。
 
「西国三十三箇所やって、その後秩父三十四箇所やって、善光寺まで行っちゃおうかしら」
 
「すみません。私、お仕事しなくちゃ」
「ごめーん」
 
「じゃ、連続では体力使うし、信次さんの一周忌までに結願したいし、こうしませんか?」
と言って提案したのが《分担で回る》という方法である。
 
千里が由美を連れて信次のムラーノを使い西国三十三箇所を回ってくるので、その間に康子は公共交通機関を使って秩父三十四箇所を回ろうというのである。そのため、ふたりで最初に般若心経を頑張って67枚書いた。
 
また最終的には「お母さんひとりでは不安!」と言って、太一が休暇を取って行程に付き合ってくれた。
 

秩父三十四箇所は近い所に集中しているので、歩いて一週間、車なら3日で回りきることができる。しかし康子と太一は車ベースで少しのんびりめの行程で5日で札所を回りきったようである。
 
一方の千里は由美を連れ、車中泊で10日間で回りきるスケジュールを組んだ。
「赤ちゃん連れで車中泊大丈夫?」
と康子が心配したが
「疲れたらそこで寝るから、宿を取っているのより楽ですよー」
と千里は答えて、元気に出かけて行った。
 
実際には車にはインバーターを取り付け、正弦波の交流が取れる汎用の大容量バッテリーも持参する。創作用の重装備のパソコンと電子キーボードにノートパソコンも持って行き、西国三十三箇所をやりながら曲を書くつもりである。千里は4月下旬からゴールデンウィークに掛けて5曲書き、その後5月中に更に5曲書いていたが、6月は6曲頼まれている。
 

東京を6月17日の夕方出発して、夜間に東名・伊勢湾岸道・伊勢道・紀勢道と走り、那智大社の近く、1番・青岸渡寺まで行く。仮眠しながら18時間の行程で、到着したのは18日の14時である。千里はここまで来る途中に既に途中のPAで1曲書きあげていた。
 
那智に来たら、いつもは飛瀧社・那智大滝・熊野那智大社というコースなのだが、今回は「お寺モード」にしているので、那智大滝だけ由美と一緒に見てから青岸渡寺で納経をした。
 
仮眠した後、夜間に2番・紀三井寺に移動するのだが、西国三十三箇所は1000kmのルートの内の実に200kmがこの青岸渡寺と紀三井寺の間の距離なのである。昔の人でも2-3日歩くのに掛かったのではないかと思う。
 
那智から紀三井寺のある和歌山市に行くには、阪和自動車道を走る海沿いルートと山中の道を突っ切るR311のルートがある。千里はこれまで海沿いルートは高速も下道も何度も走っているので、今回はR311を通って和歌山市まで行った。走行距離としては172kmである。
 
そしてこの途中、明け方にまた1曲書いた。
 

その日は、3番・粉河寺、4番・施福寺、5番・葛井寺と回っていく。施福寺は麓から900段ほどの急な階段を登らなければならない。恐らく出羽に行ってくる前の千里だったら登るのに半日かかっていたのではないかと思うが、意識の覚醒で、厳しい山駆けをした肉体の記憶も戻って来たので、由美を抱っこしたまま、ほとんど休まずにぐいぐい登って行く。20分も掛けずに本堂に到達することができた。
 
20日(木)は6番・壺阪寺からである。この日は11番・上醍醐寺まで行った。この上醍醐寺がまたまた山登りである。これは本格的な山登りであり、軽登山の装備が必要である!
 
千里は登山靴を履き、荷物を最小限(雨具・飲料水・自分の非常食・由美の非常食=ミルク)にして、登って行った。この登り口の所に女人堂があり、かつては女性はそこまでということになっていたのだが、女人禁制であったことに納得する厳しい道であった。しかしこれも千里はかなりのハイペースで登ってしまった。
 
しかし自分って男子禁制の所にはいつも普通に入ってたけど、女人禁制の所って、小さい頃から「ここはダメだよ」と言って追い出されてたよなあ、と千里は子供の頃のことを思い出していた。
 

21日(金)は大津市で3つ回った後、京都市内になる。千里は今熊野観音寺まで車で行った後、清水寺近くの駐車場に駐めて、そこから清水寺・六波羅蜜寺・六角堂・革堂は歩いて回った。
 
由美はドライブも好きだが、お散歩も好きだ。京都市内の人混みも楽しそうにしていた。自分の水分補給以上に由美の水分補給には気をつけて適宜ミルクを飲ませるようにしていた。
 
革堂から駐車場まではのんびりと京都の町並みを歩いたが、祇園界隈で3曲目を書き上げた。
 
千里は高速のPA/SAや道の駅などで車中泊している。この日も京都南ICから名神に乗って、桂川PAで車中泊した。
 
22日(土)は名神から大山崎JCTで京都縦貫道方面に行き、大原野の20番・善峯寺から始める。亀岡市の21番・穴太寺まで北上してから、茨木市の22番・総持寺まで南下する。ここで4曲目の着想が得られたので、メロディーを書いていたところで、パソコンのバッテリーが切れてしまった。ちょうどお昼を回った頃であった。
 

基本的には走行しながら充電しているのだが、それだけでは充分には充電しきれない面もある。ノートパソコンの方はまだ何とかなっても、フル装備パソコンや電子キーボードを駆動するための大容量バッテリーは簡単にはフル充電できない。あいにく23番は箕面市なので、その間を走ってもたいして充電されない。
 
行程は半ばである。仕事はしなければならない。★★レコードの大阪支店で充電させてもらう手もあるがレコード会社の人のようなビジネス系の人と会うと作曲するのに必要な《受信モード》が解除されてしまう。千里は少し躊躇いながらも貴司に電話した。
 
「こないだも出羽で電気と軽油借りたのに申し訳ないんだけど、今度はバッテリーに充電させて欲しいんだけど。電気代は払うから」
 
「また車のバッテリーあげたの?」
「ううん。パソコンのバッテリーなのよ」
 
貴司が今日は家にいるからおいでと言う。
 
それで茨木市から貴司の住む豊中市まで移動する。ここのマンションの駐車場の暗証番号は知っているので勝手に開けて来客用駐車場に駐めさせてもらう。
 
《自分が持っている!?合鍵》で駐車場から館内へのドアを開け、まずはノートパソコンを手に持ち、由美を抱っこ紐で抱いて貴司の部屋まであがると(部屋のドアはインターホンで呼んで開けてもらった)、敵対的な視線を投げかけてくる美映さんに無防備な笑顔で挨拶して由美とパソコンを置き、再度車に行って大容量バッテリーを持って上がってきた。
 
千里が巨大な機械を持って来たので、美映がさすがに驚いている。
 
「何をなさってるんですか?」
「音楽関係の仕事なんですよ。締め切りが厳しくて」
 
というと、何となく納得している。また今回、千里が赤ちゃん連れであったのも、彼女の敵視線の勢いを少し弱くしているようだ。
 
千里はこんな感じで、貴司と阿倍子さんの家庭にも随分と進入してたよなあと数年前のことを思い起こしていた。阿倍子は千里が入って行くと、何か悲しげな目をしていたが、美映は敵対的だ。性格の違いだなと思う。
 

千里が赤ちゃん連れで西国三十三箇所・車中泊の旅をしながら、パソコンで仕事もしていると言うと「無茶すぎる!」と貴司は言い、充電されるまでの間でも寝た方がいいと言った。美映さんまで「赤ちゃんがつらいですよ」と言うので、来客用寝室に案内してもらい、布団を敷いて寝せてもらった。
 
確かにここまで疲れがたまっていたのでこれは助かった。
 
千里はこの部屋で随分貴司とセックスしたよな、などと思いながらも深い眠りに入って行った。
 
目が覚めたのは夜の11時である。ここに来たのが1時頃だったので10時間も眠ってしまったことになる。由美が泣くのも気付かないくらい深く眠っていて、美映さんが由美に何度かミルクをあげたというのを聞くと、
 
「ありがとうございます!」
と感謝の言葉を述べた。由美にミルクをあげたことで、美映さん自身、こちらへの敵対心が弱くなったようである。
 
充電も終わっているので出発すると言ったのだが
「夜中にはお寺も開いてないでしょ?」
と言われるので、結局朝まで泊めてもらうことになる。
 
ただし千里は由美を寝せておいて、パソコンで曲の編集作業をひたすら続けた。貴司とこの部屋で過ごした時のことなど思い出していたら5曲目のモチーフが浮かんだので、とりあえずメロディーだけ入力した。
 

美映さんが作ってくれた朝御飯まで頂いた。
 
台所で食器棚、米びつ、鉄のフライパン、圧力鍋などなどを目にする。これ全部自分が買った物だなと思うと、ちょっと楽しくなる。鉄のフライパンを使いこなしているというのは、美映さんはけっこう料理好きなのだろう。
 
貴司の奥さんということでなかったら、この美映さんとも私お友だちになってたかも知れないなという気がした。
 

「川島さんでしたっけ?」
と美映が訊く。
 
「ええ。結婚したのでその苗字になりました。旧姓は村山なんですけど」
「村山さんなら聞いたことある。確か凄いシューターだったのでは?」
「よくご存じで!」
 
「細川さんとも何度か対戦したことがあるのですが、私、マッチアップにはかなり自信を持っているのに、細川さんには1度も勝てませんでした」
 
「まあ、僕も村山に1度も勝てなかったけどね」
「お互いに相手の考えることが全部筒抜けだったね」
「僕はあまり勘がいい方ではないんだけど、なぜか村山の考えることは全部分かったんだ」
 
「じゃ、川島さんと貴司の関係って純粋に先輩後輩だったの?」
と美映さんが訊くのに対して、貴司は
「えっと・・・」
と口ごもったが、千里は笑顔で
「実質夫婦でした。籍は入れてなかったけど」
と答える。
 
美映の表情が険しくなる。この人面白い。感情が全部表に出ちゃう!
 
「でも阿倍子さんに私負けちゃったんですよ」
「あぁ・・・」
 
「だから私、細川さんが阿倍子さんと婚約して以降は、一度もセックスしてないですから」
「じゃ、古い話なんですね」
 
「はい。だから今は純粋に同窓生というだけの関係です」
と千里はにこやかに言う。
 

千里が赤ちゃん連れであったこと。千里が由美に授乳している姿を見て、ママ同士の連帯感のようなものを感じたようであったこと(実際緩菜ちゃんのことも随分話した)、美映さん自身で由美にミルクをあげたこと、千里の位置付けが「現在の愛人」ではなく「別れた妻」であるようだと判明したことから、美映は昨日の夕方ここに千里が来た時よりは随分機嫌良く、千里たちを送り出してくれた。
 
車まで行く時に、千里が由美を抱いているので、パソコンを美映が、バッテリーボックスを貴司が持ってくれた。
 
「あ、そうだ。細川君、もうすぐ30歳のお誕生日おめでとう」
と最後に千里は言った。
 
「ありがとう」と貴司
「あ、忘れてた!」と美映。
「私、もう細川君の奥さんじゃないから、誕生日プレゼントは美映さんからもらってね」と千里。
「うん。私が何かあげるよ」と美映。
 
それで取り敢えず千里は美映と握手した。
 
「私、昔、細川君と、細川君が30歳になっても独身だったら、もう一度結婚してあげるよと約束したんだけど、細川君も私も既婚だから、あの約束はキャンセルだね」
と千里が笑顔で言うと、貴司は何だか困ったような表情だったが、美映は何か考えているふうであった。
 
「じゃ行きます。ありがとうございました」
「お気を付けて」
 
と3人とも笑顔で挨拶して千里は車を出発させた。
 

23日(日)は23番勝尾寺(箕面市)から始めて24番から27番までは兵庫県内を巡回していく。27番圓教寺(姫路市)はロープーウェイでの往復になるので、降りて来た時は、もうかなり太陽が低くなっていた。
 
食料を調達しようと思い、近くの大型ショッピングモールに移動した。
 
買物を終えて、車内で由美におっぱいをあげてから、気分転換にお茶でも飲もうかと思い、ノートパソコンをリュックに入れて(由美は抱っこ紐で前に抱いている)、店内を歩いていたら、バッタリと阿倍子・京平の親子に出会う。
 
「また会ったね!」
「こんにちはー!」
「わーい、ちさとおばちゃんだ!」
 
ちょっとお茶でもと言ったら、京平が
「ぼくトンカツ食べたい」
などと言い出す。
 
「じゃ、おばちゃんがおごってあげようか」
と千里がいうと
「嬉しい!」
などというので、阿倍子は恐縮していたが、一緒にトンカツ屋さんに入った。千里は巡礼中なので、朝起きてから、その日のお参りが終わるまでの間は「なまぐさ」を控えるが、今日は終わった後なので食べても良い。
 

京平が「ぼく、ろーすかつのおおもり、ピーチプリン、コーラ」などと言うのを阿倍子が困った風に聞いている。千里は「私たちはカツ盛り合わせ御膳でも取りましょうか?」と阿倍子に提案し、彼女も同意したのでそれでオーダーした。
 
「きょうはひとりだけなんですね?」
「ええ。今回は長旅なので、上の子はお留守番にしたんですよ」
 
「じゃ、お姉ちゃんはパパとお留守番なんだ?」
 
と言われるので千里は本当のことを言うことにした。
 
「実はこの子の父親は去年の7月に事故で亡くなったんです」
「え!?」
「だからこの子は父親の忘れ形見なんですよね」
「そうだったんですか!」
 
「それで一周忌を前に、この子の父親の菩提を弔うのに西国三十三箇所を車で回っている最中なんですよ。今日は姫路の27番圓教寺まで来た所で」
「わぁ」
「だから巡礼してるのがこの子で、私はその付き添い」
「へー!」
 

「考えてみたら、私っていつも千里さんに助けてもらってたような気がして」
と阿倍子は言った。
 
「年賀状の宛名書き、毎年やってくれてたの千里さんだよね?」
「さあ」
 
「私凄い悪筆だし、貴司の字は問題外だし。でも宛名を印刷した年賀状は禁止だからさ。特に2014年は新婚の年だったから大量に結婚報告兼ねた年賀状を書く必要あって。それで貴司が知り合いに頼むと言って持ち出して。それで、宛名だけじゃなくて、それぞれの人への手書きの一文まで添えてあった。なんでこれ書いてくれた人、私や貴司のこと、こんなに知ってるのよ?と思ったけど、あとで考えて、千里さんなら書けたと思い至った」
 
千里は微笑むだけで答えない。
 

「私が病気で倒れて、貴司は遠征で出ている時に、千里さんが来て御飯作ってくれて、その日行くことになっていたプール教室にも千里さん、京平を連れて行ってくれたし」
 
「ご近所同士の助け合いみたいなもんだよ」
「でも千葉から大阪まで来てくれたんでしょう?」
「貴司はわりと、どうでもいい用事で私をよく大阪まで呼びつけてたんですよ。昔から」
「あぁぁ」
 
「夜通し車飛ばして来てみると、ユニフォーム破いてしまって。ちょっと縫ってくれない?とか」
「ひっどーい」
「当時は緋那さんと貴司を争っていた時期だったから、そのくらい緋那さんに頼んだら?と言ったら、緋那さん、裁縫だけは苦手で、以前頼んだら試合始まると同時にバラけて焦ったとか言ってた」
「あははは」
と笑ってから阿倍子はしんみりと言う。
 
「でも当時は千里さんが来て私の看病してくれていても、貴司の愛人に世話されたくなーいと思ってた」
「まあ、貴司は女の感情分かってないから」
「うんうん」
「でも助かったことは助かった」
 

「だけど一時期は、私と緋那さんと千里さんの3人で三つ巴の戦いだったよね」
 
「貴司って、実は決断力ないから、ちゃんと断り切れないんだよ。それどころか本命以外でもその場の雰囲気で口説いちゃうから」
 
「ああ、そんな感じ、そんな感じ」
「更に3人で争っていた時期にも、更にガールフレンド作ろうとしていた」
「有り得ないよね」
 
「特にニューハーフの幸子って子には、結構熱をあげてたよね」
と阿倍子。
「ああ、あげてた、あげてた。だから私が強制排除したんだよ」
と千里。
 
「ほほぉ、それは知らなかった」
「貴司の字を真似て書いたサヨナラの手紙渡したから」
「すっごーい。そこまで工作しちゃうんだ」
「ふふふ」
「でもだいたいニューハーフさんなんて論外だよね」
「そ、そうだね」
 
と言いながら千里は内心焦る。いや多分貴司はニューハーフこそがストライクなんだ。
 
「その内、緋那さんが愛想尽かして脱落して、その勢いで私が婚約しちゃったけど」
と阿倍子。
 
「私は今でも実はまだ敗北してないつもり」
と千里。
 
「ふーん」
「まあ来月夫の一周忌だけど、あと1年経って三回忌終えたら、再度参戦するよ」
「美映さんと戦うつもりなんだ?」
「それがねぇ」
と千里は複雑な表情をした。
 
「戦う必要が無い気がする」
「どういうこと?」
「私にも分からない何かが起きそうなんだよね」
「ふーん。確かに千里さんって、昔から霊感少女みたいな雰囲気だった」
「それは小さい頃からそうだったんだよ」
「まあ、私は貴司と縒り戻すつもりないし、せいぜい頑張ってね」
「うん」
 

京平たちと別れた後、夜間に宮津市まで移動し、24日は28番・成相寺(宮津市)、29番松尾寺(舞鶴市)と回った後、お昼前に琵琶湖の西岸・今津港まで行き、竹生島に渡る。ここの宝厳寺が30番札所である。先日自分の眷属とのコネクションを取り戻した時は長浜から渡ったのだが、今回は行程の都合で対岸の今津から渡ることになった。
 
4月に来た時はこの島の神社の方にお参りしたのだが、今回はお寺の方である。船着き場から、右手の階段を登ると神社、まっすぐ進むとお寺だが、観光客は大半がお寺の方に行く。今回は千里もその人の流れに沿って歩いていき、お参りをした。
 
25日(火)に残る3ヶ所を一気に回る。今津港に戻ってから道の駅で車中泊後、琵琶湖西岸を南下。琵琶湖大橋を渡って、琵琶湖東岸にある31番長命寺と32番・観音正寺(いづれも近江八幡市)を回る。その後80km近く走って、岐阜県揖斐川町の華厳寺に行く。ここが33番札所。西国三十三箇所の終点である。
 
太一とお母さんの方も、既に秩父三十四箇所は終わっているということだったので、翌日善光寺に行って満行とすることにする。その日は中央道のSAで車中泊したが、ここで6曲目のモチーフを得た。
 

26日の朝、長野駅で、北陸新幹線でやってきた康子と太一を拾う。千里が長時間運転して疲れているはずということで太一が運転席に座り、康子が助手席、千里は後部座席でベビーシートの由美と並んで座り、善光寺に入った。
 
3人が各々書いた般若心経を納め、また一緒に唱えて巡礼の旅を終えた。
 
帰りは太一と千里が交代で運転して長野道・中央道を走って東京方面に向かうが、太一は
 
「千里さんは運転すごくうまいですね」
と言った。
 
「まあ毎年3万kmくらい走ってますから」
「それは凄い」
「信次さんが亡くなった年だけ、ほとんど運転もしていないんですよ」
「まあ仕方無いですね」
 
「だけど千里さんのお姉さんの桃香さんは・・・・」
「ああ、桃香はワイルドな運転しますよね」
 
「いや、信次の遺体をこのムラーノに乗せて名古屋から千葉に戻る時、桃香さんと私とで交代で運転したんだけど、ひょっとして信次と一緒に三途の川を渡ることにならないか、とヒヤヒヤして」
 
「あはは。桃香の運転する車に平気な顔で乗るのは、同様にワイルドな運転をする数人だけみたい」
と言って千里はおかしそうにしていた。
 
東京に戻り、桃香も呼び出して一緒に夕食を取った後(桃香はアテンザに早月を乗せて来た)、アテンザに桃香・千里・早月・由美が乗り、ムラーノに太一と康子が乗って、各々の自宅に帰還した。これが信次の遺品のムラーノの最後のお務めとなった。
 

6月29日(土)、信次の一周忌法要を行った。
 
命日は7月4日なのだが、やはり土日でないと人が集まれないということから、この日程になった。
 
出席者は、親族としては喪主の千里に、母の康子、兄の太一、太一と信次の父の弟に当たる人と奥さん・息子、康子のお兄さん夫婦、それから留萌に住む千里の両親、札幌に住む妹の玲羅、旭川に住む叔母の美輪子夫妻、桃香、高岡から出て来た青葉と朋子、都内に住んでいる千里の従姉の愛子夫妻といったメンツである。これに、太一の元妻である亜矢芽と息子の翔和も来てくれたので、千里は駆け寄って言葉を掛けた。
 
「来てくれてありがとう」
「まあ離婚で川島の家とは縁は切れてるけど、翔和にとっては叔父さんだから。私はその付き添い」
と亜矢芽は言っていた。
 
信次の友人たちでは、千葉支店に居た時の所長さん(長野に転勤になっていたのにわざわざ来てくれた)と千葉支店と名古屋支店での元同僚が2人ずつ来てくれていただけであった。信次は学生時代の友人とかも、あまり居なかったようである。
 
千里の友人では、現在嘱託扱いになっているソフト会社の社長さん、同僚のSE, 大学時代の友人である朱音・友紀・真帆たち、高校時代の友人である蓮菜・鮎奈・花野子たち、以前やっていたバスケットのクラブチームの友人である麻依子・浩子・夏美たち、クロスロードの友人で小夜子・和実・冬子たち、と何だか、千里の友人は凄い数で、実際問題として出席者の過半数を占めていた。KARIONの美空もちらっと顔を出してくれたのだが、冬子とか花野子とかがいるのを見て驚いていた。
 
「ね、千里、私がお葬式に出席したこと覚えてる?」
と浩子に訊かれるが
「ごめーん。全然記憶に無い」
と千里は答える。
 
「なんか今にも消えてしまいそうな感じだったもんね、あの時」
と夏美が言う。
 
「だいたい結婚式にも呼んで欲しかったなあ」
と言われるが
「あれ、信次の友人を5人しか招待してなかったからさ。こちらだけたくさん招待したら悪いよなと思って、大学の同級生だけに絞らせてもらったんだよ」
 
「じゃ次の結婚式の時は呼んで」
「次は無いよぉ!」
「いや、千里って恋人無くしたら、すぐ次作るタイプだから2年以内には結婚することを予言してあげるよ」
「じゃ、万一再婚したら呼ぶよ」
「よしよし」
 

会場は当初康子の自宅を考えていたものの、千里の友人が大量に来ることが判明した時点で、お寺に頼むことにしていた。
 
川島の家の事情が複雑で、信次はその寺で最初の仏になっている。またお墓も信次単独でのお墓である。朝から、康子・太一・千里・桃香・青葉に、千里の両親に玲羅という8人でお墓に行ってお参りをしてきた(早月と由美は朋子が見てくれていた)。
 
その後、11時からお寺の本堂でお坊さんの読経、そして参列者の焼香が行われる。12時半くらいになって、お寺の別室に移動して、御斎(おとき:会食)をする。仕出し屋さんに頼んでいた料理を並べ、頂きながら、いろいろ語りあったのだが・・・・・。
 
この場に及んで、故人のことをよく知る人が居ない!ことが判明する。
 
「実はあまり兄弟仲がよくなかったので、あいつのことはあまりよく分からんのですよ」
と太一。
 
会社の元同僚も
「仕事はほんとに真面目にする男だったけど、実は個人的に話したことは全然無くって」
「飲み会とかに誘ってもいつも断られていたし」
といった状態。
 
所長さんまで
「与えられた仕事は黙々とするのですが、他の社員との交渉や依頼が下手で。それがもう少しできてたら、とっくに課長くらいになっていたんですけどね」
などと言っていた。
 
「喪主がこんなんで申し訳ないですが、電撃結婚に近くて、結婚前のデートは数回しかしてないし、結婚生活もあっという間だったし、その前半は私自身の仕事で忙しくて、まともに御飯も作ってあげられなくて何だか申し訳なくて」
と千里。
 
「ほんとに夫婦生活してたのって、名古屋に転勤してからの1ヶ月半だけだよね」
と桃香が指摘する。
 
「うん。だから何にもしてあげられない内に逝ってしまったから、それも悔やまれて」
と千里は言ったが
 
「たぶんどっちみち結婚生活は2年も続かなかったと思う」
などと太一が言う。
 
「あいつ、高校生の頃から彼女は作るものの、半年ともたなかったから。千里さんと婚約者時代を含めて1年続いたのが奇跡的」
と太一。
 
「あんたも女性関係が続かないよね」
と亜矢芽に言われて
「すまーん」
と太一は言っている。
 
「結局信次って、生まれてから亡くなるまで、ほとんど1人で生きていたのかも知れない」
と太一は言う。
 
「だから多分、ほんとに短い期間だったけど、信次さんのこといちばん良く知ってたのは千里ちゃんかも」
とお母さんは言う。
 
「なんかそんなこと言われると、私まで信次さんを捨てちゃったのが申し訳ないんですけど」
と千里は言ったが
 
「その件ですけど、もう一周忌も来たし、千里さん、再婚してもいいからね」
とお母さんは言った。
 
しかし千里の最大の理解者である美輪子叔母が言う。
「千里、三回忌までは再婚は我慢しなよ」
 
「私もそのつもりだよ」
と千里は答えた。
 
「霊的には切れてしまって、今は私の守護霊集団にも居ないけど、三回忌までは私は他の男性とは結婚以前に、そういう関係も持たないつもり」
と千里。
 
「青葉」
「うん?」
「2月頃、信次さんが私や由美の守護をしていると言ってたけど、今は私の後ろには居ないでしょ?」
と千里は青葉に訊く。
 
すると青葉は困ったような顔をする。
「信次さん、由美ちゃんの後ろにも居ない。お母さんの後ろにも居ない」
と青葉。
 
「えー!?由美の後ろにも居ないの?」
と千里は少し驚いて言う。
 
「4月に高岡に来た時は居たけどいなくなってる。信次さんって、ひょっとして飽きっぽい人じゃなかったですか?」
と青葉が言うと
 
「うん!」
と康子・太一に、元同僚の人まで言う。
 
「多分守護するの飽きちゃって、どこかに行っちゃったんだと思います。だから由美ちゃんは、千里姉ちゃんが守ってあげてよ」
 
「うん、分かった」
と千里は答えた。
 

「でも信次さんの女性関係ってどうやって破綻してたんですか?」
と桃香が尋ねると
 
「あいつ浮気性なんですよ。ひとのこと言えんけど」
と太一。
 
「こんな場で言うことじゃないと思うんだけど、あいつ結婚後も間違い無く浮気してましたよ」
と元同僚さんが言う。
 
「オナベ・バーのヒロシちゃんにもかなり熱上げてた」
「同僚の水鳥ちゃんとも怪しかった。ホテルにも数回行ったはず」
「まあ、さすがにオナベさんは本気じゃ無いだろ。あの子身体は女でも見た目かなり男っぽかったし」
「名古屋でもやってたのか。千葉でも一時オナベさんに熱あげてたよ。その子はチンコ付ける手術はまだだけど、男性ホルモン飲んでて生理停まってるから、やっても妊娠しないんだとか言ってた」
 
うーん。本当にそのヒロシちゃんってのが本命だったりして!?
 
しかしさすがに故人の浮気の話はまずいと思ったのだろう。元所長さんが「やめなさい」とたしなめた。
 
「私そんなの全然気付かなかった!」
と千里が言うと美輪子が
 
「本来の千里なら夫の浮気くらいすぐ気付いて現場に踏み込んだりしてたんだろうけどね」
と言う。
 
「ああ。お姉ちゃん、彼氏が浮気しようとしたら、それを毎回ことごとく潰していたよね。中学高校時代」
と玲羅も言った。
 
そんなことを言われて千里はつい、その浮気性な元彼・貴司のことを思い起こしてしまった。
 

一周忌の法要は集まってくれた人の会食の後、何人か自宅まできてお仏壇にあらためて線香をあげてくれた人もあり、その人たちとまた色々お話ししたりして夕方くらいまで掛かったので、結局千里はその日は(むろん由美も一緒に)康子の家に泊まり、翌日東京に戻ることにした。
 
みんなが帰った後で、康子は床の間の掛け軸を交換した。
 
「その掛け軸、久しぶりに拝見しました」
と千里は言った。
 
水車のあるごく平凡な田舎の家が描かれている水墨画である。
 
「実は昔の友人が描いたものなの」
「女性ですよね?」
「うん。よく分かるね」
「タッチが凄く柔らかで、女性的だと思ったんです」
 
「もしかして太一さんのお母さんですか?」
「・・・・どうして分かるの?」
「そんな気がしました。でも、厳蔵さんの前の奥さんとは別の人ですよね?」
「なぜそういうことまで分かる?」
「私、巫女に戻っちゃったから」
「凄いね」
 
と言って、康子は他には誰も知らないことだけどといって、その話をしてくれた。
 
「厳蔵はとにかく浮気性で、いつも愛人が5−6人は居た。彼女、露菜と言ったんだけど、彼女もそのひとりで、太一を産んだんだけど、物凄い難産で太一を産むとすぐ亡くなってしまったんだよ。それで厳蔵さんは自分の子供として太一を入籍してしまった」
 
「でも太一さん、ひょっとして厳蔵さんの子供でもないですよね?」
「やはり?」
「不確かだったんですか?」
「実は当時、露菜は別の男とも同時に付き合ってて、本人もどちらの子供なのか分からないなんて言ってたんだよ。でも男の子だったから厳蔵は自分の跡取りに欲しかったんだと思う」
「ああ」
 
「厳蔵はB型、露菜はA型、太一はA型。露菜がもうひとり付き合っていた彼氏はAB型」
「血液型だけでは判断できないですね」
 
「それで太一を出生証明書偽造して厳蔵と真須美さんの子供として入籍したんだけど、当然真須美さんはお乳が出ない。それで、露菜の友人で、子供を死産したばかりだった私が代わりにお乳をあげに来てたんだよ」
 
「そうしている内に、厳蔵さんに口説かれちゃったんですか」
「口説かれたというかレイプされたというか」
「困った人ですね」
「全く。女はやっちゃえば、なびくと思ってるんだよ。ああいう男は」
 
誰かさんと誰かさんもそういう傾向あるなと千里はふと自分の周囲の人物のことを考えてしまった。むろん貴司と桃香である!
 
「じゃ太一さんと信次さんは乳兄弟なんですね」
「うん。実はそうなんだよ」
「真須美さんの子供虐待のきっかけは、やはり自分の子供ではない子供を2人も自分の子供として押しつけられたことなのかなあ・・・」
 
「千里さんは由美のこと可愛い?」
と唐突に康子は訊いた。
 
「え?なぜ?」
「だって由美は千里さんの子供じゃないのに」
「お乳あげていることで、自分の子供としての認識を強くしている面があるかも。それに私が愛した信次さんの子供だし、私の親友の桃香の遺伝子も引きついでいるし」
「親友というより夫婦よね」
「うふふ」
 
そして千里は遠くを見詰めるようにして言った。
「私自身が子供を産む能力がないから、その点が真須美さんとは事情が違うかも知れないですね」
 
「親子って凄く微妙だよね」
 

7月上旬。千里が信次と一緒に名古屋で住んでいたアパートの大家さんから、やっと爆発事故を起こした元住人から補償金が取れたという連絡があったので、千里は大家さんへの挨拶も兼ねて、早月・由美を桃香に任せてアテンザを運転し、単身名古屋に赴いた。
 
「時間が掛かって済みませんでした」
と駅のレストランで会った大家さんは謝り、補償金の小切手と名古屋までの往復交通費の封筒を千里に差し出した。千里は受け取りを書いて渡した。
 
「いや、この単位のお金を用意するのは大変でしょうから」
と千里は言うが
「それでも責任は果たしてもらわないといけないですから」
と大家さんは言う。
 
「大家さんも大変でしたよね。アパートは再建なさったんですか?」
「いやさすがに爆発事故の起きた跡地ではイメージが悪いので、あそこは今駐車場にしてます」
 
「でもあの事故、怪我人が出なかったのだけが不幸中の幸いでしたね」
「全くです。でも川島さんは、あの日、御主人が亡くなったんでしたね」
「そうなんですよ。それで病院に急行していたから事故に巻き込まれずに済んだんです。死んだ夫に守ってもらった感じです」
 
「じゃ一周忌なんですね」
「はい。夫の実家の方で先週、法要を済ませました」
 
「しかしあの日はそれぞれの住人が別々の理由でみな外出してたんですよね。101号室の**さんは小学生のお子さんが具合が悪くなって迎えに行ってたし、102号室の**さんは先着5名様とかのを買いに出て、104号室の**さんは風邪で休んだ人の代わりを頼まれて急遽出かけた」
 
「へー」
「201号の**さんは幼稚園が臨時で休みになっていたお子さんが突然ナガシマスパーランドに行きたいと言い出したので一緒に出かけて、202号の**さんは実家から急な呼び出しがあって出かけて、203号のあなたはそういうことだし、204号の**さんは紛失したクレカを届けてくれた人があると警察から連絡を受けて取りに行って」
 
「凄いですね!」
「事故を起こした張本人、103号室の**さんも唐突にパチンコしにいきたくなって出かけたらしいんです。その時、ちゃんとガスの元栓を確認してくれていたら、こんな事故にはならなかったんですけどね」
 
「ああ、元栓って、締めたかどうか気になった時はちゃんとしまっているのに、何も思わなかった時に限って閉め忘れているんですよ」
と千里は言った。
 

大家さんと別れた後で千里は名古屋港に行き、そこで花束を海に投じた。合掌して般若心経を唱えた。
 
本当は信次が亡くなった場所に花を供えたかったが、あの建設会社とは縁が切れているので、そういうことを頼むこともできない。
 
『海をちょっと汚しちゃってごめんなさい』
『ここの土地神さまが空き缶拾いのボランティアしたら許してやるって言ってるよ』
『そう?』
 
それで千里が海岸近くで捨ててある空き缶・空き瓶を拾っていたら、浮浪者のような人がやってきて「この辺、俺の縄張りなんだけど」と言う。すると千里は「じゃ一緒に拾いましょうよ」と笑顔で彼に提案し、結局その人と一緒に1時間ほどでビニール袋5つ分の空き缶・空き瓶を回収した。
 
少し彼の生活費になったかも知れない。千里はお昼御飯用に買っていたあんパンを彼と半分こして食べた。
 

「だけどあんた良く見たら美人だね」
「ありがと。あなたも結構美男子だと思うよ。その髭剃ったら」
「いや、こういう生活してると、剃るのも面倒くさくて」
「夜寝る所はあるんですか?」
「暖かい間は公園で寝るから平気だよ」
「冬が大変ですよね」
「ああ。冬は弱い奴は死んじゃうよ。だけどあんた丈夫そう。路上生活できるよ、きっと。スポーツでもするの?」
 
まあ自分は山伏だから、路上どころか山中で生活してるしなと千里は思う。
 
「バスケットの選手だったんです。今は趣味で少し練習してる程度ですけど」
「バスケか・・・・。実は俺も高校時代はバスケやってて、インターハイにも出たんだよ」
「あら?私もインターハイ出ましたよ。ちょっと手合わせしません?」
 
そういって千里は彼を駐車場まで連れて行き、車にいつも積んでいるバスケットボールを出して空気入れで膨らませると、彼と1on1をした。
 
「あんた強ぇ〜〜!」
「いや、あなたもかなり強いですよ。また練習してると勘を取り戻せると思う」
「そうだなあ・・・」
「このボールあげるから、少し頑張ってみません?」
「もらっちゃおうかな」
「うん」
 
それで千里は彼と握手した。
 
「握手してくれて感激」
「握手くらいしますよ」
「いや、俺たちがベンチに座った後、ウェットティッシュで拭いてから座る奴とか多い」
「潔癖症なだけでは。電車の吊革とかも拭いてからでないと触れないなんて人もいますよ」
 
彼は少し考えている風だった。
 
「あんた何か悲しみを背負ってるみたいだけど、あんたなら乗り越えられるよ」
と彼が言ったので
「ありがとう。あなたも元気で。きっと未来は開けますよ」
と千里も言って、別れた。
 

それで車に戻り、一休みしてから高速に乗ろうと思って、IC近くのマクドナルドに入った。フィレオフィッシュのセットを頼み、空きテーブルを探していたら
 
「あ、ちさとおばちゃーん」
という声を聞く。
 
振り返ると、京平とその母・阿倍子である。阿倍子も驚いてこちらに会釈する。
 
「なんか最近よく会うね!」
 
「どうしたんですか?」と千里。
「うん。父の七回忌で名古屋に来たんだよ」と阿倍子。
 
「あれ?阿倍子さんって名古屋の出身?」
「ううん。ずっと神戸。でも今母が名古屋に住んでいるので」
「へー」
 
なんか事情が複雑そうだが、立ち入ったことまでは訊かない。
 
「だけどお父さんの七回忌って去年じゃなかったの?」
「よく覚えてるね!」
「だって2012年に貴司と婚約したのに、お父さんが亡くなったから一周忌が終わるまでって結婚を延期したでしょ?」
「うん。でも去年は諸事情で法事ができなかったんだよ」
 
諸事情ってつまりお金が無いということかな、と千里は思った。
 

神戸に新幹線で帰る予定と言っていたので、千里は車で来てるから神戸くらいよかったら送って行くよ、運賃は要らないよと言った。すると阿倍子も「お願いしようかな」というのでふたりをアテンザの後部座席に乗せた。由美用のベビーシートを取り外して荷室に置き、早月用のチャイルドシートに京平を座らせる。京平は最初は風景を楽しそうに見ていたが、すぐに眠ってしまう。
 
「こないだから立て続けに、貴司の元ガールフレンドに3人遭遇してね」
などと阿倍子は語り始めた。
 
「うん?」
「もう今となってはお互いにわだかまりも無いってことでいいよね、というので握手だけしといたんだけど」
 
「阿倍子さんって平和主義者だ」
「うん。どちらかというと弱すぎるかも」
「でも私には勝ったから」
「あの時は何だか頑張れたんだよ。それにあれは貴司が私に同情してくれたのもあったと思う」
「同情?」
「あ。。。。その話、聞いてないのかな?」
「何だろう。私は貴司から阿倍子さんに関する話は何も聞いてないよ」
「そう・・・・」
 
「あいつは浮気性だけど、他のガールフレンドとのことは滅多にしゃべらないよ。それに誰に何を話したか、ほとんど混乱しないんだよね」
「それって浮気の天才ってことでは?」
「そうかもね〜」
 
阿倍子は少し考えている風だった。
 
「それでさ、私が会った3人がみな言ってたんだよ。貴司と今夜はセックスまで行くかな・・・という感じのデートの日に、待ち合わせ場所に私の姉という人が現れて『貴司には会わせられない。帰って』と言われて追い払われたって。だから結局貴司とは未遂に終わったんだって」
 
「ふーん」
「で、私には姉なんて居ないんだけどね」
「ああ。1人っ子だったっけ?」
「うん。お兄ちゃんが居たけど小さい頃病気で死んじゃったんだよ」
「へー」
「お兄ちゃんの幽霊が女装してたんだったりして」
「まさか!?」
 
「それでさ。私の姉と自称した人物の風貌をさりげなく訊くと、髪が長くて、背が高くて、均整のとれた身体付きの和風美人って言うんだよね」
 
千里は運転しながらつい笑ってしまった。
 
「それって千里さんだよね?」
「私はライバルを可能な限り排除してただけだよ。でも美映さんは気付かなかった。もっとも私はあの時期、由美の父親と婚約中だったから貴司の動向には関心無かったし。公子さんは知ってたけどね」
 
「私も公子さんに取られるかと思って不安だった!」
 

「美映さんはダークホースだったのかな」
「あの日突然、済まんと土下座されてさ。恋人を妊娠させてしまった。結婚したいから別れてくれって唐突に言われた時は、最初意味が分からなかったよ」
「酷い男だよね」
 
「だったら貴司の子供を既に産んでる私は何なのよーと思った。私京平作るのに死にたくなるほどの思いしたのにさ。それでこんな男だったのかと冷めちゃったから離婚に応じたんだけどね」
 
「百年の恋も冷めるかもね。そんな扱いされたら」
「千里さんはそんな扱いされたことない?」
 
「何度かあるけど、もう達観してるから」と千里。
「達観するほど酷い目にあってるのか」と阿倍子。
 
「京平君の養育費とかどうしてたの?」
と千里は訊く。どうも阿倍子はかなり苦しい生活をしてるっぽいと感じていた。
 
「毎月10万くれる約束だった」
「うん」
「でも満額くれたのは去年の夏に緩菜ちゃんが生まれるまでだった」
「出産でお金かかるよね。じゃ、ちゃんともらえたのは半年間だけ?」
「そうなの。それでちょっと一時的に減額させてと言われて」
「うん」
 
「今年の1月からは全くもらってない。最近、あそこの会社不況みたいでさ」
「それは聞いてる。社長交代後急速に業績が悪化したみたい」
 
「給料もかなりカットされて、今スポーツ手当も出てないんだよ。去年のボーナスも出なかったらしくて住宅ローン抱えた社員が軒並み苦しんでるって」
「ああ、それは辛い」
 
「でもあれ美映さんは最初のデートでいきなりホテルに行って、それで一発妊娠してしまったっぽい」
「貴司が避妊に失敗するのは珍しいよね。大きくなったらすぐ付けてくれるのに」
「多分ニードルワーク」
「なるほどー」
 
こんな会話を交わしつつ、千里は、こういうの桃香に聞かれるとやばいよなと思う。
 
「私があのマンションを出る時の引越も千里さん手伝ってくれたね」と阿倍子。
「貴司が自分が手伝うよりいいと思うからって呼び出したんだよ。私自身も結婚式直前だったのに」と千里。
「女心に対するデリカシーの無い奴だ」と阿倍子。
「全く全く」と千里。
 
「千里さんが来て手伝うと言われて、またこいつに自分の心の領域を侵食されるのかと思ったけど、私、男の兄弟とか父親とかもいないし、母親だけじゃまるで戦力にならなかったから、あれも正直助かった」
 
「正直知るかと思ったけどさ、京平に会いたくない?と言われたらノコノコと出て来てしまった。あいつずるいよ」
 
「・・・・・」
 
「私、やはり千里さんとはお友だちになれそうな気がする」
「私は阿倍子さんとお友だちのつもりだったよ」
「じゃこれからも仲良くしようよ」
「うん。仲良くしよう。ついでに京平君に会わせてくれたら私も嬉しい」
「・・・・やはり」
「え?」
「ううん。なんでもない」
と阿倍子は微笑んで言った。
 
 
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