【女たちの戦後処理】(上)

次頁目次


 
この物語は「女の子たちの魔術戦争」の少し後のストーリーです。
 
2017年6月。26歳の千里は仕事絡みで川島信次という男性と知り合う。彼から執拗に求愛された千里は彼に自分が生まれた時は男の子であったことを告白するが、彼はそれでもいいから結婚してくれと言った。そんなのお母さんが許してくれないよと言ったものの、様々な偶然の作用などもあり、信次の母はふたりの結婚を認めてしまう。
 
千里としては諸事情(桃香と実質夫婦に近い状態であった上に長年の思い人である貴司のこともまだ忘れられずにいたこと)で結婚などしたくなかったのだが、そこまで熱心に言われると結婚してもいいかなという気持ちになってしまった。長年のパートナーである桃香におそるおそる話すと、他の女と結婚したいというのなら許さんが、男なら構わんなどと言うので、千里はこれを機に貴司への気持ちを断ち切ることにしようとも思い、結婚に踏み切った。
 
そして桃香は古い千里との約束にもとづき、千里たちのために卵子を提供してくれて、その卵子と信次の精子により、代理母さんに子供を妊娠してもらった。ところがその妊娠中に信次は事故により死亡してしまう。激しい悲しみに打ちひしがれる千里だったが、桃香による心の支え、そして生まれてくる子供を自分が育てなければという使命感などから、次第に立ち直っていく。
 
そしてその千里の心の希望であった、信次の忘れ形見の女の子は2019年1月4日に生まれた。千里は生前信次とふたりで「男の子なら幸祐、女の子なら由美」と名前を決めていたので、この子には由美という名前を付ける。
 
本来は特別養子縁組で信次と千里の子供にする予定だったのだが、信次が亡くなっているので、その処理ができなかった。やむを得ず由美をいったん捨て子扱いにして、「川島由美」単独の戸籍を作った上で、千里の養女として入籍するというトリッキーなことをした。戸籍上は養女になっているし、由美の父親欄・母親欄はどちらも最初は空白ではあったが、千里は由美の法定代理人として、川島信次に対する死後認知の訴訟を起こし(父親が既に死亡している場合認知には訴訟が必要である)、信次の親である康子もその事実を認めたので父親欄は川島信次と記入されることになった。信次の兄の太一は前妻の子なので、由美は康子にとって唯一自分の遺伝子を引き継ぐ孫でもあった。
 
千里は由美を、2017年5月10日に生まれた桃香の娘・早月と一緒に、桃香と2人で協力して育て始めた。
 

「えーーー!? 辞めたいって!?」
と千里の勤め先の社長は言って絶句した。
 
「大変、申し訳ありません。わがまま言って、こちらに復職させて頂いたのに。でも子育てが思った以上に大変で、やはり仕事との両立が辛いなと思って」
と千里はほんとに申し訳ないという顔で社長に言った。
 
千里はこの会社に大学院を出てすぐ2015年4月に入社した。しかし2018年5月に夫の信次が名古屋に転勤になったため、そちらに付いていくため退職した。しかしその信次が名古屋異動後2ヶ月、新婚わずか4ヶ月で死亡すると、当初はとにかくショックで何も手が付かなかったものの、百ヶ日法要が終わった所で、社長にお願いして復職させてもらった。そして10月から12月まで忙しく設計や提案の仕事をしていた。
 
「申し訳ないので、この3ヶ月間に頂いた給料も返上しますので」
「いや、それは返す必要は無い。ちゃんとお仕事してくれたんだから。だったらさ、嘱託ということにはできない?」
 
「臨時戦力的な感じですか?」
「うん。やはり、各々の企業の状況に即した提案ができる人材って少ないんだよ。今の社内見回してみても、それできる人は僕と専務以外では、**君と**君と村山君の3人だけじゃん」
「ええ、まあ」
 
千里は以前担当していた顧客などとの関係上、この会社には旧姓で勤務している。
 
「だから、システムの作り込みやカスタマイズには参加しなくてもいいから、提案書・企画書作りと、緊急事態が起きた時の対処の協力だけでもやってくれないだろうか」
 
「提案に関しては、ある程度のお時間の余裕を頂けるのでしたらできると思います」
「うん。じゃ、それで頼むよ。報酬の計算方法については、ちょっとこちらで検討させて提案させてもらえる?」
「はい、それは社長にお任せします」
 

ということで、千里は会社を1月いっぱいで退職し2月以降はほぼ育児に専念することとなった。桃香も子育てのために12月一杯でパート先を退職している。
 
千里が勤め先を退職したという話を聞いた、信次の母・康子は驚き、
「あなたたち、生活費はどうするの?」
と訊くが、千里は
 
「前々からの貯金がありますから、1年やそこらはそれで何とかなります。実は、代理母の件を処理するために貯金していたのですが、その費用をお母さん(康子)に出して頂いたので、そのお金が使えるんですよ」
と説明した。
 
「だったら、○○建設がもってきた見舞金、千里ちゃんにあげるよ」
「いえ、それはお母さんが取っておいてください。お母さんもここ半年ほど、ほんとに大変だったでしょう? 私、自分がもうショックでとても周囲の人まで見ることができなくて、申し訳なかったです」
 
千里は謝絶したものの、結局康子は見舞金の半額を千里に渡すと言い、即千里の口座に200万円振り込んでくれた。
 

「いや、康子さんから頂いた200万円はほんとに助かるぞ」
と桃香は言う。
 
「私自身の貯金はほぼゼロだったし、千里も実際問題として、引っ越ししたり、結婚式したり葬式したりで、相当お金を使ったのではないのか?」
 
「まあ、御祝儀や見舞金やらもらったから、だいたいトントンかな。お墓作るのに払った300万くらいだよ。実質私が出したのは」
「お墓って、なんでそんなに高いの?」
「まあ権利ビジネスだね。あちらの世界の」
「それを売ってる人たちはあちらの世界の所有権を持ってるのか?」
「それは死んでみないと分からないね」
「どうもそういうのは好かん」
 
桃香は唯物論者なので、幽霊とかも信じないし、あの世なんて無いといつも言っている。
 
「私が死んだときは死骸は生ゴミに出していいから」
などと桃香は言うが
「それ、死体遺棄で捕まるよ!」
と千里は答える。
 
「日本って面倒くさい国だな。よその国では人間の死体なんて、その辺にいくらでも転がっているというぞ」
「それ、どこの国よ!?」
 

3月17日。その日は信次との結婚1周年の日であった。本来なら、信次・由美と一緒にお祝いをするはずであった。その日少しボーっとしていたら、桃香がケーキを買ってきてくれた。
 
「紙婚式おめでとう」
「ありがとう」
 
桃香は千里にキスをした。ふたりがキスをしたのは(お正月の挨拶代わりのキスを除けば)千里が信次と婚約して以来のことである。千里がちょっと戸惑うような表情を見せると桃香は
 
「今のは信次君の代理」
と言うので、千里も微笑んで一緒にケーキを食べた。早月にも少し分けてあげると喜んで食べている。由美にはおっぱいをあげる。
 

「青葉、アナウンサーの試験、東京キー局、大阪準キー局、名古屋局、全滅だったようだ」
と桃香は昨日母から聞いた話を千里にする。
 
「でもその付近はそもそも本命じゃないでしょ?」
「うん。狙い目はやはり石川か富山のテレビ局なんだよ。あの子は母ちゃんに恩義を感じているから、地元で就職したいみたい。しかし中央局を受けた経験と実績が役に立つようだ。特に東京の◇◇テレビは最終面接まで行ったらしいし」
 
「あれはあそこの取締役さんが元々青葉を知っているからそこまで残してくれたんだよ。でも実際の採用はひとりの取締役さんのコネだけでは無理だから」
と、このあたりの裏事情は芸能界に片足突っ込んでいる千里の方が詳しい。
 
「でもキー局で最終面接まで行ったということ自体、地方局ではアピール材料になるよな?」
「なると思う」
 

「だけど青葉、地元で就職しちゃったら、彪志君との関係はどうするんだろう?」
「彪志君はそれをやきもきしてるようだね」
「遠距離恋愛が続くことになるね」
 
「彪志君のお母さんは、去年は彪志君に見合いの話を持って来たりしてたな」
「それでちょっと青葉と彪志君が喧嘩してたよね。でもまあ、お母さんとしては一応青葉との交際を認めてあげてはいても、本音としては、性転換した女の子よりは、普通の女の子と結婚してくれないかな、というのも思っていると思うよ」
 
「まあ、それは仕方無いだろうな」
 
「お母さんは、青葉が向こうの実家を訪問する度に優しくしてくれるし、見合いの件では直接青葉に謝っていたけど、それでもやはり、心に引っかかるものはあるだろうね」
 
「千里も青葉も、重たいものを背負ってるな」
と桃香は言った。
 

4月上旬、桃香と千里が住んでいるアパートに、思わぬ訪問者があった。
 
「お母ちゃん! お父ちゃん!? 玲羅!」
 
それは留萌に住む両親の武矢・津気子と、札幌で就職している妹の玲羅であった。母と妹は昨年の結婚式・お葬式にも来てくれたのだが、父と顔を合わせるのは、性転換手術を受ける前、2012年5月に会って以来、なんと7年ぶりである。
 
(その7年前は父が日本刀を抜いて千里を殺そうとして大騒動になったのである。実際には母がその刀の刃を内緒で落とさせていたので殺傷は困難だったらしい)
 
「千里、何してる?あがってもらいなさい」
と桃香が言うので、我に返って
「狭くて汚い所だけど、良かったら上がって」
と言って3人にあがってもらう。
 
桃香がお茶を入れてくれた。
「これ、お持たせ(誤用)」
と言って、玲羅が《白い恋人》を出すので、早速開けさせてもらい、みんなで頂く。
 
由美はベビーベッドで寝ているが、早月は来客に興味津々という感じで、武矢の膝に寄って行く。父の顔が思わずほころぶ。
 
「あ、そうだ。お父ちゃん、大学院卒業おめでとう」
「うん、まあ、ありがとう。普通の人が2年で卒業する所を3年半掛かってしまったけど」
 
千里の父・武矢は中学を出たあとずっと漁船に乗って仕事をしていた。それで千里が高校に進学する時にその船が廃船になり失業した後、就職活動をしている中で自分の基礎的な学力の無さを痛感し、NHK学園の高校に入学した。千里に半年遅れで高校生になったのだが、その後、高校は3年で卒業したものの今度は放送大学に入り、大学を5年半で卒業、大学院(修士課程)卒業に3年半掛かった。しかしそれで晴れて千里と同じく修士となったのである。
 
父は笑顔でまとまわりつく早月の頭を撫でながら
「えっと、この子がお前の子?」
と訊く。
 
「うーんと、そのあたりはとっても複雑なんだけど」
と千里は何から説明していいか悩む。
 
桃香が明解に言う。
「その子も、今ベビーベッドに寝てる子も、どちらも千里の子供、お父さんの孫ですよ」
 
「子供2人作ったんだっけ!?」
と父は驚いたように言う。
 
「今お父ちゃんにじゃれてるのが早月ちゃんだよね?」
と玲羅が言う。
「そうそう」と桃香。
「その子は、千里姉ちゃんを父親とする子供だよ」と玲羅。
「へ?」と父。
 
「そして、ベビーベッドに寝てるのが由美ちゃん。こちらは千里姉ちゃんを母親とする子供」と玲羅は言う。
 
「お前、父親と母親の両方になってるの?」
「うん。でも、どちらもお父ちゃんの孫だよ」
 
「そうなのか・・・。なんか最近の遺伝子だのDNAだのは良く分からんけど、どちらも俺の孫か」
と言って、父は穏やかな顔で、早月とじゃれ合っている。
 

「俺、ついこないだまで知らなかった。俺が放送学園に通う費用、玲羅の高校大学の学費、そしてお前自身の高校大学の学費、全部、千里、お前が出してたんだって?」
 
千里は微笑む。その件は父が放送学園を修了するまで、絶対に父には言わないでくれと母に言っていたことである。
 
「たまたま、お金に余裕があったから、それを送金していただけだよ」
「ほんとに、お前には苦労掛けてたんだな」
「うまい具合にお仕事もらえていたからね」
 
「まあ、それでだな、千里」
と父は言う。
「うん」
と千里は答える。
 
「お前の勘当は解除するから」
と父は言った。
 
千里は思わず心が緩んだ。
 
「ありがとう」
 
「俺も男の女のという話はよく分からんけど、人はいろんな生き方があっていいのかも知れないと思ってな」
 
それは千里の父がNHK学園とか放送大学学園などという特殊な学校に12年も通ったことで得られた人生観かも知れないと桃香は思った。あそこは実に様々な人たちが居たはずだ。おそらく千里の父のそれまでの常識から完璧に逸脱する学友たちが多数いたであろう。
 
しかし父が態度を変化させたのはそういうお金の問題を知ったことに加えて、やはり自分の孫の顔を見たいと思ったからなのだろう。
 
「まあ、それで遅ればせながら、これ」
と言って父は何だか何枚も封筒を出す。
 
「えっと、これが結婚祝い、これが旦那が亡くなったのの香典、これが子供が生まれたのの誕生祝い、だけど1人分しか持って来てなかった。もう1人分渡さなきゃかな?」
 
「いいよ。気持ちだけで。これ1つで4人分ということにするから」
と千里は微笑んで言った。
 
「4人!?」
「お前、他にも子供いるの?」
 
「うーん。今のは聞かなかったことにして。2人と思ってていいよ」
と千里は微笑んで言った。
 

早月と由美を信次の遺品となったムラーノの後部座席にセットしたベビーシート・チャイルドシートに乗せ、ムラーノの助手席に父が乗り、千里が運転し、また千里のミラは桃香が運転して、助手席に玲羅、後部座席に千里の母が乗って、全員で千葉に行き、康子の家を訪問した(到着した時はなぜか運転席が玲羅で助手席が桃香になっていた)。千里の父は、康子の前で、これまで不義理していたことを謝罪し、
 
「今後は娘とも、ちゃんとうまくやっていきますので」と言った。
 
千里の父が自分のことを「娘」と言ってくれたのは初めてだったので、千里は涙が出そうであった。
 
先程父が千里に渡した香典を仏前に供え、一緒に手を合わせた。
 
「信次さんに、生前にご挨拶できなくて、本当に申し訳ない」
と父。
 
「いえ、今こうしてお参りして下さって、あの子もきっと喜んでいます」
と康子。
 
「青葉がいたらここでお経もあげてくれるんですけどね」
と千里が言うと
「でも姉貴、般若心経を暗誦できるよね?」
と玲羅が言う。
 
「私が唱えると、お経じゃなくて、祝詞になっちゃうんだよ」
と千里は言うが、康子がそれでもいいと言うので、千里は開き直って
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時・・・」
と般若心経を唱えた。
 
「こういう般若心経は初めて聞いた!」
と康子は何だか喜んで(?)いた。
 
「なんか、かけまくもかしこき観自在菩薩の御前にて、 舎利子かしこみかしこみ申さく・・・って感じだよね?」
と玲羅が言う。
 
「あははは」
 

4月の中旬、雨宮三森先生が千里を呼び出すので、千里は由美たちのお世話を桃香に頼んで、指定された料亭に出かけた。最近、おしゃれとかも全然してなかったなと思い、料亭という場所柄もあったので、千里は加賀友禅の訪問着を着て、きちんとメイクして出かけて行った。
 
案内されて部屋に行くと、雨宮先生の他に、千里の親友・蓮菜、Red Blossomのゆま、スターキッズの七星、スイート・ヴァニラズのElise, KARIONの和泉、ローズ+リリーのマリ、更に★★レコードの氷川係長と町添専務まで居る。
 
「おっ、千里ちゃん、素敵なお召し物」
とゆまさんから声が掛かる。しかし千里は
 
「これはどういうメンツですか〜〜〜?」
とほとんど戸惑うように言う。
 
「千里、また曲書けそう?」
と最初に蓮菜(葵照子)から訊かれる。
 
「うん。去年の夏以来、とても曲とか書ける状態じゃなくなってたからね。ゆまさんには、ご負荷を掛けて済みませんでした」
と千里は謝る。
 
信次の突然の死以来、千里は全く作曲ができない状態になっていたが、その間も《醍醐春海》や《鴨乃清見》の曲が求められる。そこで昨年7月以降、醍醐春海・鴨乃清見の名前で発表されていた曲は、実は青葉やゆまが分担して書いてくれていたのである。
 
「まあ、私が入院して書けなかった時期に、千里には私の代理で、神楽名義の曲を書いてもらっていたから、お互い様だよ」
とゆまは言う。「神楽」は鮎川ゆまがLucky Blossomの頃以来使っているペンネームである。それが誰かというのは公表していないが、ファンの間ではゆまであることが確信されている。
 
「千里にはうちの名義でこれまで何度も曲を書いてもらってるしなあ」
とEliseも言う。スイート・ヴァニラズの曲のほとんどはElise作詞・Londa作曲で《スイート・ヴァニラズ作詞作曲》のクレジットにしているが、一部、実は千里・青葉の姉妹で書いたものがある。
 
青葉が書いたものはきちんと《大宮万葉作曲》とクレジットしているが、千里が書いたものは《スイート・ヴァニラズ作曲》のまま登録されている。この場合千里は印税の3割をもらい、残りを他のメンバーで分割している。これは千里が書く曲がまるで、EliseとLondaで書いた曲みたい(Londa以上にLondaっぽいとEliseは言っている)なので、その方が混乱が無いからと、千里、Elise、★★レコードの加藤次長の三者で話し合い、決めていることである。
 
「こないだから何だか無性に曲が書きたくなってね。由美にお乳飲ませながら何曲か書いたんだよ。お乳飲ませてると何だかフレーズを思いつくんだよね」
 
と千里が言うと、政子が
「あ、私も、あやめにお乳飲ませてると、いろいろ詩を思いつくよ」
と言う。
 
「うむむ。そういうのは未体験の世界だ」
と七星さん。
「同じく」とゆま。
「右に同じ」と和泉。
 
「そのあたりが人によるんだろうなあ。私は子供と接している時間は何も思いつかない。私が詩や曲を書く時は子供は徳子(Londa)や亜矢(Anna:Eliseの妹)に見てもらっている」
とEliseは言う。
 

「醍醐さん、その書いた曲、今見られる?」
と町添専務から尋ねられる。
 
「はい」
と言って千里はパソコンを開くと、最近書いた曲を3曲、MIDIで演奏した。
 
「戻ってるね」
と氷川係長。
 
「復調してる。行ける」
と七星さんが言う。
 
「あのぉ、何かお仕事ですか?」
 
「実はね」
と言って、町添さんはひじょうに厳しい顔で、事情を説明し始めた。
 

昨年の春、作曲家の上島雷太が、不正な土地取引に関与していたとして税務当局から摘発され、凄まじい重加算税を払うことになった。またその不祥事により、様々な仕事がキャンセルとなり、その損害賠償まで支払う羽目になる。それで結果的に、上島雷太は自己が所有する大量の楽曲の権利を★★レコードに買い取ってもらい、自宅も手放して、何とかその支払いをした。実際にはそれでも足りなかった分は町添さんが保証人になってあげて銀行から借りて払ったらしいがその金額も数十億円らしい(利子だけでも年間1億円という)。しかし楽曲の権利を手放したことで、実質無収入になり、生活費にも困る状態に陥ったらしい。
 
また音楽活動に関しても無期限の停止を課せられたのだが、それで困ったのが上島から楽曲の提供を受けていた歌手である。上島は百組以上の歌手・ユニットに年間1000曲近い楽曲を書いていたので、簡単に誰かが代替できるものではなかった。楽曲をもらえないと事実上の引退に追い込まれる歌手も出てくることが予想された。
 
それを救ったのが、ケイである。上島雷太と関わりのある多くの作曲家が上島から楽曲をもらっていた人のために分担して曲を書いたのだが、皆本来の仕事をしながらだから、書ける曲数には限りがある。しかしケイはフル回転で曲を書き続け、その活躍により、上島の巻き添えで活動停止に追い込まれかねなかった多くの歌手たちが助かった。
 
その上島も3月末で謹慎を解かれ、作曲活動を再開した。
 

「結局、ケイはこの1年間に何曲書いたの?」
と千里は政子に訊くと。
 
「700曲ほどだよ」
と氷川さんが代わりに答える。
 
「アンビリーバブル!」
 
「全く有り得ない創作量だよね」
と和泉も言う。
 
「ところがさすがのケイちゃんも、ちょっとハイペースで書きすぎたみたいでね。上島先生が復帰して、肩の荷が下りたと思ったら、今度は自分が書けなくなったと言っているんだよ」
と町添さん。
 
「えーー!?」
 
「なーんにも思いつかないらしい」
と政子。
「キーボードとか触ってても、既存曲にしかならないんだって」
と和泉。
 
「蔵田さんが2小節のモチーフ与えて、展開してみてといってやらせたらしいけど、それも既存曲そっくりになってしまったらしい」
とElise。
 
「重症ですね。でも700曲も書いたら、基本的な音の組合せはもう使い尽くしてますよ。無調音楽なら書けるかも知れないけど」
と千里は言う。
 
「それが無調音楽で書いてみても仕上がったのはシェーンベルクのピアノ曲に酷似していたらしい」
と七星さん。
 
「かなりの重症ですね!」
 
「それでだね。上島先生ほどではないけど、ケイちゃんも年間100曲程度の曲をいつも書いててだね」
「それを歌っている歌手、ユニットがいると?」
「そうそう」
 
「その代替をみんなでしようという相談ですか?」
「そうなんだよ」
 
千里は頭を抱えて苦笑した。
 

桃香は千里が出かけている時に、こっそりと千里の机のいちばん上の引出を開けた。この引出はいつも鍵がかかっており、その鍵は千里が持っている。ふたりはもう8年間パートナーとしてやってきたが、基本的にお互いのプライバシーは守ることにしている。しかし、その件だけはどうしても自分の心が抑えられなかった。
 
先日千里の両親が来た時、千里は「4人の子供」と言った。4人って誰なんだ?と桃香は思ったのだが、両親たちが帰った後、千里はこの引出の中から何か取り出して自分のパソコンで見ていた。桃香が声を掛けると、慌てたようにして、メモリーカードをここにしまって鍵を掛けた。それが気になって仕方がないのである。
 
鍵自体は簡単なものなので、桃香の腕があれば、工具など使わなくてもハガキ1枚で開けられる。
 
引出の中に金色のリングの付いた携帯ストラップがあったのを見てドキッとする。自分も同じ物を持っている。但しリングの色は銀色である。信次君と交際し始めて以来取り外していたようだったが、捨てずにちゃんと取っていたんだなと思うと少し嬉しくなる。「指輪」もケースに入れて置いてある。
 
写真を納めた小さなアルバムがあるので見てみたらギクッとする。桃香が他の女の子といちゃいちゃしてる写真だ。かなり古いものから最近のものまである。げーっ。浮気がバレてる、と思って焦るが、元々千里と桃香が「結婚」した時、お互いに他にも恋人を作るのは自由と言い合っている。千里も信次君と結婚したが、桃香の恋人も千里は認識はしていたものの容認してくれていたのだろう。
 
メモリーカードがある。こないだ千里が見ていたのはきっとこれだ。取り敢えずデータをコピーしてから引出は閉めて再度鍵を掛けた。
 
データの中身を自分のパソコンで見る。
 
中学高校時代の千里の写真が大量にある。どれも女子制服を着て写っている。まあ、こういう実態はだいたいバレてたんだけどね。しかしこんなにたくさん写真を持っていたのか。バスケをしている写真もある。格好良いなあ、と桃香はあらためて千里に魅力を感じた。賞状とかトロフィーを持った記念写真も、いくつもあった。女子選手たちの中に千里がいる。こんな写真隠さなくてもいいのに。
 
気になる写真があった。
 
kyoというフォルダに入れられているが見たことのない子供の写真だ。生まれたてから、幼稚園くらいまで成長していく様が大量の写真に撮られている。日付を確認すると、生まれてすぐの写真は2015年6月だ。つまり今年で4歳になるのだろう。
 
これ、まさか、千里の隠し子??
 

町添専務たちとの打ち合わせが終わった後、千里は政子から楽器を探すの手伝ってと言われ、料亭から一緒にハイヤーに乗った。冬子は今、政子の実家で静養(=あやめの子守)しているのだが、気分転換にヴァイオリンを弾きたいから、外に出たついでに『Marilynを持って来て』と言われたらしい。ところがケイのヴァイオリンは何丁もあるので、政子にはどれがMarilynなのか分からない! ということでそれを探すのを手伝って欲しいと言われたのである。
 
「名前書いておけばいいのにね」
と千里は言った。
 
「だよねー。ヴァイオリンの胴にマジックで書いておこうか」
と政子。
 
「それはさすがにやめよう。Marilynって500万円くらいの楽器だったはず」
「げっ。それはさすがに名前書けない」
「Annetが800万円くらい、Lyrilが2000万円くらい」
「高いな」
「Angelaなんて1億円だし」
「うっ。1億円にマジックで名前書いたらさすがに叱られるよね」
「世界中の人から叱られるよ。ああいう銘品は世界中のそして将来にわたる音楽家の共有財産。たまたまケイが管理しているだけ」
 
「うーん。なんでそんなに高い楽器があるんだろ。私のヴァイオリンなんて100万円なのに」
「いや、100万円だって充分高い」
「そっか」
「ヴァイオリンケースにシールとか貼っておくといいんだよ」
「あ、それがいいよね−」
 

それで千里は少しぼーっとしていたので、ハイヤーがどのあたりを走っているかあまり認識していなかった。それでふと気付くと、政子と運転手さんが何やら言っていたが、それも半分夢うつつのように聞いていた。
 
「お客さん、目的地はどこです?」
 
へ?
 
「えっとね。東京駅から行く時はコンビニの角を右に入って・・・」
「コンビニはたくさんあるんですけど」
 
ああ。政子の道案内は怪しいよな。だいたい東京駅から行く時と今日みたいに世田谷から行く時では進行方向が逆だから左右も逆じゃん!
 
千里は微笑んで介入しようかと思ったが、ふと外の景色に気付いて
「あ、すみません。ここでいったん降ります」
と言ってしまった。
 
かなりの時間、迷走していたふうの運転手さんがホッとした様子で2人を降ろす。
 
「ここ、うちの近くなんだっけ?」
と政子が訊いたが、千里は
 
「少しお散歩しようよ」
と言った。
 

色とりどりの道着を着た若い男女が盛んに行き来している。今日は柔道か空手の大会でもあるのだろうか。
 
「なんだろう? シュアイジャオの大会でもあるのかな?」
と政子。
 
唐突にシュアイジャオが出てくるなんて、この人の発想って面白いよな、と千里は思う。(千里は自分の発想もかなりユニークであることをあまり自覚していない)
 
何となく人の流れに沿って歩いていると体育館に出る。
 
「あ、東京体育館だったのか」
 
千里はここでウィンターカップに出た時のことを思い出していた。胸が熱くなってくる。
 
唐突に足下にボールが転がってきた。
 
「すみませーん。取ってもらえますか?」
とユニフォームを着た高校生くらいの女の子が言う。
 
千里は微笑んでボールを拾うと、彼女の少し向こうに見えるゴールめがけてシュートする。
 
ボールはダイレクトにゴールに飛び込む。ゴールを認める笛が鳴る。思わず心が躍る。
 

「千里、千里、どうしたの?」
 
自分を呼ぶ声で振り返る。政子が怪訝な顔をしている。千里は今ボールを撃った方角を再度見る。そちらには何もない。道着を着た子たちが行き来しているだけである。
 
「あれ?何か落ちている」
と言って政子が地面から小さな赤いものを拾い上げた。
 
「お人形さんの鏡かな?」
 
それは親指の先くらいのサイズの小さな手鏡だった。小さいにもかかわらず鏡の部分はちゃんと映るように作られている。
 
千里は何気なく政子からその手鏡を受け取ると、唐突に「何か」思い出さなければならないものがあることを自覚した。
 

流しのタクシーを停めて恵比寿の冬子のマンションに移動する。Marilynはすぐ見つかったので、それを持って部屋を出る。
 
「車借りていい?」
「うん、いいよ」
 
ということで、マンションに駐めてある冬子の車を借りて、それを千里が運転して政子の自宅まで移動した。
 
「この車、このまま4〜5時間借りられる?」
「うん、OKOK。じゃマンションの鍵預けておくね。鍵は次会った時に返してもらえばいい」
「ありがとう。車は今日中に返せると思うから」
 
それで政子を降ろした後、千里は冬子の車で関越に乗ると、本庄児玉ICまで行く。下道に降りて辿り着いた所は、本庄市総合公園体育館である。
 
この日は特に何も行われていないようで、卓球などの練習をしている人たちがいる程度である。千里はぼんやりと観客席を歩きながらその様子を見ていた。
 
キラリと光るものがある。
 
拾い上げると、待ち針であったが、千里はそれがまるで小さな剣のように見えた。
 

千里は関越を南下して車をいったん恵比寿の冬子のマンションに戻す。それから電車で桃香のアパートに戻った。
 
「遅かったね」
「うん」
 
とだけ答えると、千里は訪問着を脱ぎ、ポロシャツとジーンズに着替える。寄って来た早月におっぱいをあげる。おっぱいをあげていると本当に幸せな気分になる。自分がこんな生活を送れるなんて10年前は思いもしなかったよなと考える。やはりこの子たちのためにも頑張らなきゃ。
 
「由美は?」
「さっきまで泣いてたんだけど、おっぱい飲んで寝た」
 
「じゃ、悪いけど、また出かけてくるから」
「どこに?」
「分からない」
 
桃香が目をパチクリさせている。
 
「たぶん10日くらい掛かる」
「へ?」
 
「じゃごめーん。ごはん適当に食べててね。あ、お金少し置いてくね」
 
と言って千里は桃香に1万円札を5枚渡すと、アパートを出た。そして近所の月極駐車場に駐めている信次の遺品となったムラーノに乗り込み、エンジンを掛けた。
 

千里は「鍵」を開けなければならないと認識した。
 
ムラーノを繰って取り敢えず首都高に乗り、自分の勘だけを頼りに高速道路を走った。分岐点をどちらに行くかは、その都度勘で決めていたのだが、いつしか東京ICに来ていた。そのまま東名に入る。
 
千里はだいたい2時間走って2時間休む(できるだけ仮眠する)というペースで走って行った。吹田ではうっかり府道2号に行きかけたが(千里はここから府道2号に入り、千里ICで降りるという走り方をこれまで100回以上している)、時計の数字から行き先を占うと、中国道方面に行けと出た。
 
結局丸1日以上の行程で、辿り着いたのは佐賀県の唐津市である。
 
東京の桃香のアパートを出たのが4月19日の夕方だったが、途中長めの仮眠もしたので、唐津に着いたのは21日の朝であった。惹かれるように鏡山に登る。そして車を駐車場に駐めると、鏡山神社にお参りした。
 

お賽銭を何となく千円入れて、拝殿で拍手し、参道を戻りかけた時、突然千里の体内から白い勾玉が飛び出して来た。
 
「何?何?これ。どこにあったの?」
と千里は思わず口に出してしまった。
 
しかしこれは東京体育館で拾った鏡、本庄で拾った剣と一体のものかも知れないという気がした。
 
拝殿の向こう側から何か言いたげな感じの気配がある。千里は微笑むと拝殿に戻り、賽銭箱にあらためて1万円札を3枚入れてから深く礼をし、駐車場に戻った。
 

唐津市内のスーパーで何か適当な小物入れが無いかなと思っていたらロケットがあったので買い、鏡・剣(実は待ち針)・勾玉を入れる。
 
これって三種神器じゃん!
 
首に掛けたら、何だかちょっとパワーが出るような気がした。
 
食料の補給をした上で西九州自動車道に乗り、今度は東へとひた走る。九州まで来る時は2時間走って2時間休むのを基本にしたのだが、体力が持ちそうな感じだったので、2時間走って1時間休憩のパターンに変えた。
 
それで翌日22日の朝4時頃、伊勢の二見浦に着いた。この日の日出は5:14である。そういえば高校生時代、ここで日出を見ながら『See Again』という曲を書いたなというのを思い出していた。
 
津島瑤子が歌い、80万枚の大ヒットとなってRC大賞の歌唱賞を取った曲である。それを機会に津島は「一発屋」の看板を返上して、10年以上第一線で活躍し続けている。
 
でも自分が最初に書いた曲は『六合の飛行』だよな、ということを考えていた時、千里はそのタイトルの意味が分からなかった。六合って何? それを考えながら、二見興玉神社にお参りした。他の数人の参拝者と一緒に、じっと日出を待つ。
 
「来た!」
という声を出す人が居る。
 
夫婦岩の方から力強い太陽が登ってくる。
 
それを見ていて、千里は心の奥底で熱い熔岩の塊が吹き出してきたかのような感覚を覚えた。
 
そして千里は忘れていた感覚をひとつだけ思い出した。See him again.
 
『りくちゃん、久しぶり』
 
その時、千里は六合の意味をやっと思い出していた。
 
『千里、久しぶり。ってか、俺は本当はいつも千里のそばに居たけどな』
 
そうだ。『六合の飛行』は彼が自由に大空を舞い飛ぶ姿をイメージして龍笛を演奏し得られた曲だったんだ。なぜ自分はこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろう・・・。
 
『ごめんね。コンタクトが取れなかった』
『恋をしたから力を失ったんだよ』
『やはり巫女って恋をしたらダメなの?』
『恋の性質にもよるんじゃない? 貴司君との恋では平気だったろ?』
『むしろ私って貴司と会ってから巫女になった気がするよ』
『それも思い出したか。もっともあれはタイミングが重なっただけだけどな』
『ふーん』
 
千里は水面からどんどん離れていく太陽を眺めていた。
 
『他の子も近くに居るの?』
『それは自分で探すんだな』
『うん、そうする』
 

二見浦でかなり太陽が高くなるまで休んでから出発する。
 
紀勢自動車道をひたすら南下してお昼頃に紀伊半島の南端、串本に到達する。潮岬を見てから市街地に戻り、コンビニで休憩していた時、唐突にまたひとつ感覚を思い出した。
 
『たいちゃん、久しぶり』
『千里、久しぶり。でも私はいつも千里のそばに居たよ。私が言わないと千里って物忘れが酷いから心配してたよ』
『うん。ありがとう』
 
考えてみると私って小学生の頃は忘れ物の天才だったよなと思う。それが逆に「用意周到すぎる」と言われるようになったのは《たいちゃん》のお陰だ。
 
千里は一休みするとまた高速に戻り、和歌山に向かう。行き先に関しては九州へと走って行った頃は、半分勘・半分は占いで進行方向を決めていたのだが、伊勢で《りくちゃん》に逢った後は、ほぼ確信に近い進行方向選択ができるようになっていた。
 
夕方、和歌山市の加太の浜に到着する。ここで日没を待つ。携帯の暦計算サイトでGPSを通知して得られた日没時刻は18:36である。
 
静かに春の太陽が沖ノ島の方角に沈んでいく。太陽が島影に沈みきった時、千里はまた忘れていた感覚をひとつ思い出した。
 
『いんちゃん、久しぶり』
『千里、久しぶり。ってか、私は本当はいつも千里のそばに居たよ』
『ごめんね。お話できなくて』
 

その後、千里は阪和道・近畿道・名神・北陸道・能登里山海道・珠洲道路と夜通し走って、翌23日の朝に能登半島先端の禄剛埼(正確にはその後行った狼煙の道の駅)で《きーちゃん》と出会う。
 
そして珠洲道路を戻ってから能越道・北陸道と走って、夕方、新潟県の五ヶ浜(佐渡島にとっても近い本土側の海岸)で《てんちゃん》とのコネクションを取り戻す。
 
北陸道に戻り、磐越道・東北道・三陸道と走り、24日朝、宮城県の牡鹿半島・鮎川港の近くで《こうちゃん》と巡り会った時は千里はほんとに泣いてしまった。
 
《こうちゃん》は悪戯好きで、しばしば千里の命令を無視して勝手なことをしたりもして、困ったちゃんではあっても、千里がいちばん頼りにしていた子でもあった。しかし鮎川に来るまで千里はその《こうちゃん》との想い出も全部忘れてしまっていたのである。
 
少し休んでから、今度は東北道を南下し、圏央道・新東名と走って、その日の夕方、渥美半島(三河湾を作る半島の内右側。左側は知多半島)の先端、フェリーターミナルの所で《びゃくちゃん》と出会った。これで7人の眷属とコネクションを取り戻すことができた。
 

『次の行き先分かる?』
と《りくちゃん》が訊くので千里は
 
『分かるよ』
と答え、カーナビを長浜のフェリーターミナルにセットした。
 
国道259号を戻り、東名・名神・北陸道と走る。途中のSAでぐっすりと寝て、翌25日朝、長浜ICを降り、フェリーターミナルに行って朝1番のフェリーで琵琶湖に浮かぶ竹生島(ちくぶじま)に渡る。ここの都久夫須麻神社にお参りしたところで、千里は一挙に4人の眷属との繋がりを取り戻した。《げんちゃん》《すーちゃん》《せいちゃん》そして眷属たちのリーダー《とうちゃん》である。
 
『みんなお帰り』
『千里、お帰り』
 
フェリーで長浜港に戻り、車の方に行く千里に、《りくちゃん》が声を掛ける。
 
『まさかこれで全員とは思ってないよね?』
『まさか』
『次はどこに行くの?』
『どこにも行かないよ。だって、くうちゃんはいつでも私のそばに居るんだから。ね、くうちゃん?』
 
『千里、お帰り』
『ただいま、くうちゃん』
 
千里はこうして12人全員の眷属とのコネクションを回復した。
 

『だけど、実は千里、どこにも行かなくても本当は全員とのつながりを取り戻すことはできたんだぞ』
と本来は寡黙な《くうちゃん》が言う。
 
『それ、今となっては分かるよ。でもそれぞれの鍵が開けやすい場所があるんだよ。びゃくちゃんは西方を司る四神だけど、酉ではなく申の方位に配置されているから、西南西に向けて伸びている半島の先端で日没時に見つけやすい。りくちゃんは卯の方位に配置されているから、日出が美しい場所で見つけやすい』
 
『確かに千里と一番関わっていたのが六合だから、最初に六合を見つけたんだろうな』
と《くうちゃん》が言うと
 
『俺もたくさん関わってるぞ』
と《こうちゃん》が文句を言う。
 
『六合は千里に良いことを教えて、勾陳は悪いことを唆すからな』
などと《くうちゃん》は楽しそうに言った。
 
『だけど、千里、やっと巫女の力を取り戻したね』
とリーダー格の《とうちゃん》が言った。
 
『そして女に戻ったよね。一昨年の夏以来、私は妻だったから。でも、まだまだだよ。私は今名前も思い出すことのできない、あんたたちの御主人に会わなければならない』
 
『まあ千里は男には戻らないから心配するな』
と口の悪い《こうちゃん》は言う。
『もう私が男だったころの時間は残ってない?』
『それについては大陰に聞け』
 
《いんちゃん》が説明する。
 
『残ってないよ。もう全部消費した。おちんちん欲しい?』
『いらなーい!』
『男の子だった頃のこと思い出す?』
『それが全然分からない。私、おちんちんいじったことってあまり無かったし』
『まあ思い出す必要ないよ』
 

名神・新東名を走って東京に戻ってきたのは25日深夜であった。千里はゲーム機を握ったまま眠っていた桃香に
 
「ただいま」
と言ってキスをすると、そのまま爆睡してしまった。
 
翌26日朝、桃香が作ってくれた、やや味付けに難のある、しかも具が何なのか判別困難なお味噌汁と御飯を食べた後、早月と由美にキスして、ふたりを両手に抱え、左右の乳房でおっぱいを飲ませる。ふたりが満足して眠ってしまうと千里は言った。
 
「ごめーん。あと4−5日出てくる」
 
桃香が呆気にとられているのを放置して、千里はアパートを出て、電車で江戸川区内の月極駐車場まで移動した。
 

眷属との再会の旅には信次の遺品となった日産ムラーノを使ったのだが、今度は自分の車であるマツダのアテンザ・ワゴンを使用する。ムラーノを使っていて、信次とのコネクションをいったん切らないと、自分の鍵を完全には開けられないことに気付いたのである。この車を動かすのは結婚以来1年ぶりだ。バッテリーがあがってないか不安だったが、ちゃんと始動してくれた。
 
お昼過ぎ、福島県の田村市に、旧知の農業詩人・櫛紀香さんを訪ねる。突然の来訪に驚いておられたが、彼の所でお茶を頂いた時、唐突に「バスケットの1on1やりませんか?」と言うと、紀香さんは「だいぶやってないから、さびついてますよ」と言いながらも一緒に近くの体育館に行ってくれた。
 
ボールを借りて対決するが、全て千里が勝つ。
 
「醍醐さん、強すぎ!」
「私、だいぶやってなかったんですけどね」
 
そんなことを言っていた時、
「お疲れ様」
と言って声を掛けてきた女性がいる。彼女は千里と紀香に1本ずつスポーツドリンクをくれた。千里は微笑む。
 
「こんにちは、府音さん」
 
府音さんは微笑んで千里に赤い珊瑚の珠をくれた。
 

櫛紀香さんの所を辞して、国道288号を東行する。放射能の影響がまだ完全には消えてないので、本来は地元住民しか通れない道だが、検問所の警官は何も言わずに通してくれた。千里は自分が今、特別な力で動かされていることを再認識する。
 
そして国道6号との交差点の所で藻江さんと会う。福島第1からわずか4kmほどの地点である。藻江さんはオレンジ色のシトリンの珠を千里に渡した。
 
「こんな場所に居て大丈夫ですか?」
と千里は訊いた。
「私は浄化の力を持っているので、私のお仕事をしています。実際に作業しているのは日本中から集まって来た大量のボランティアの眷属さんで私はその指揮をしているだけだけど」
 
「ご苦労様です」
 
藻江さんは藻塩作りの象徴だから、こういうお仕事はいちばん適しているのだろう。
 
「私、人間じゃないから放射能自体は平気ですよ」
と藻江さんが言うのに深く礼をして千里は北へ向かう。
 
海辺の方へ行く道を勘で辿り、浪江町の海岸で奈美さんに会う。奈美さんは黄色い琥珀の珠をくれた。国道6号に戻って更に北上し、南相馬市の原ノ町駅前で浜路さんを見る。浜路さんは緑色のエメラルドの珠をくれた。ここで日没となる。
 
闇が迫り来る中、名取市まで北上した所で磯子さんに会う。彼女は水色のアクアマリンの珠をくれたが「簡単にもらえるのはここまでですよ」と言った。
 
「ありがとうございます」と御礼を言って先に進む。
 

仙台市内に住む親友の和実の家に寄る。
 
「あれ?千里、いらっしゃーい」
と、明香里におっぱいをあげていた和実が迎えてくれるが
 
「ごめん。寝せて」
と言うと、バタリとその場に横になり、熟睡する。
 
27日。早朝、まだ日が昇る前に起きると、自分が毛布と羽毛布団を掛けてもらっていることを認識する。まだ寝ているふうの和実の部屋の襖を少し開けて言う。
 
「和実、まだ寝てるよね? バタバタしてて悪いけど、私出るから」
 
すると和実は細く目を開けて言う。
「多分そうなるだろうと思って、おにぎり作っておいたから、持っていくといいよ」
 
「ありがとう」
「それから、千里、そのロケットの中に勾玉入れてるでしょ?」
「あれ?見た?」
「見なくてもそんな強烈なのは分かるよ。ロケットに入れておくのは正しい使い方じゃない。ゴム紐を通して左手首に掛けた方がいいから。そこにゴム紐用意しておいた」
 
「ありがとう! 和実も巫女なんだね」
「時々ね。別口の5つの宝石の珠は私には使い方が分からない」
「うん。実は私も分からないけど、すぐ分かるだろうと思ってそのままにしてる」
 

それで千里はロケットの中に入れていた白い勾玉を取り出すと、和実が用意してくれたゴム紐を通し、左手首に付けた。ロケットはバッグに入れ、おにぎりをもらって出る。
 
自分のアテンザに乗り車をスタートさせる。三陸道、そして県道2号を走って牡鹿半島の鮎川まで行った。車を駐めて渡し船に乗る。
 
つい数日前にここに来た時は、この鮎川の港で《こうちゃん》とのコネクションを回復させたのだが、今度は対岸の金華山まで渡る。そして金華山の黄金山神社に参拝し、更に何かに導かれるようにして、境内近くの某所に来た時、佳穂さんが姿を現した。「私を捕まえて」と言う。
 
千里は佳穂さんを追って、金華山の参道を何度も昇り降りするハメになる。学生時代にバスケをしていた頃はこのくらい平気だったのだが、会社勤めをするようになってバスケをやめてから完璧な運動不足に陥っていた。しかし千里はここを越えて行かなければならない。30分くらいの「運動」の後、やっと佳穂さんは千里に捕まった。
 
「問題。あなたの眷属の御主人の誕生日は何月何日?」
 
千里は少し考えてから答える。
「その人の名前も顔も今は思い出せない。でも誕生日は10月3日」
 
「正解。これをあげます」
と言って、佳穂さんは青いサファイアの珠をくれた。
 

「でも何で今までもらった珠を身につけないの?パワーアップするのに」
などと言われる。
 
「すみません。どう身につければいいか分かりませんでした」
 
「あなたもまだまだね。この紐に通して首に掛けるといいよ」
と言って佳穂さんは紐を1本くれた。珠はもらった時は穴など開いてなかった気がしたのに、今見ると全部紐を通す穴が開いている。つまり自分が一定のレベルまで到達しないと、この穴は見えないんだろうなと千里は思った。珠をもらった順序に珊瑚・シトリン・琥珀・エメラルド・アクアマリン・サファイアと通して、首に掛けた。
 
「でも石を付けてなくても私を捕まえるのに30分も掛かるのは運動不足」
「修行しなおします」
「うん。毎日24時間くらい走りなさい」
「それ無茶です!」
 
「でもインターハイに行った時はそのくらい身体を鍛えてたでしょ?」
「・・・・・」
「あれをしたから、千里は女の子になることができたんだよ」
 
「私に生理があるのはそのせいですか?」
「ああ、あれは瞬嶽さんの仕業。そういうの、私たち下っ端の神様はやっちゃいけないんだけどね。あの人、人間のくせに神様レベル以上の力を持ってたんだもん」
「たまにそういうとんでもない人がいるんでしょうね」
 
「千里も生きたまま山に籠もって200年くらい修行したら、瞬嶽さんのレベルに到達できるかもよ」
 
「さすがに私、200年生きる自信は無いです。それに、私、山に籠もって修行するより俗世間で赤ちゃん育てたいですし」
「まあ、それが千里の使命だからね」
「やはり、私、何かの使命があって動いているんですね?」
 
「うん。でもそれは千里が死んでから100年くらい経たないと分からないだろうね」
「じゃ死んで100年くらい経ったら修行しようかな」
「それでもいいよ。予約入れておくから」
 
千里は佳穂さんに御礼を言って金華山を下り、渡し船で鮎川に戻った。
 
次頁目次