【△・落雷】(3)

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龍虎はコスモスに電話をした。
 
「社長、先日お伺いした映画の話なんですけど、ドラマの撮影とぶつからないなら僕やりたいです。ですからお話を進めてもらえませんか? はい。大丈夫です。僕もだいぶ体力付けてきているから、行けると思うんですよね。この1年で体重5kg増えましたし」
 
それで龍虎は電話を切ると、そばにいた人物と笑顔で頷き合った。
 

千里3は飛行機の中でぐっすり寝ていた。
 
「間もなくスワンナプーム国際空港に着陸します」
というアナウンスで目を覚ます。
 
時計を見ると(日本時間で)4/17 6:45である。
 
しまったぁ!京平に会いに行ってない!と思うが機内からしばらく姿を消していたら大騒動になりそうだし、かといってここに京平を召喚する訳にもいかない。それで京平に向けて直信をする。
 
『京平まだ寝てるかな?』
『今起きた』
『ごめんねー。今日はお仕事で会いに行けないけど、明日は行くからね』
『あ、うん、いいよ』
 
飛行機はいよいよ着陸態勢に入る。それで京平との短い交信を終えた。
 
最近ちょっと疲れが溜まっている気はするなあなどと思いながら、つばを呑み込んで耳の中の気圧調整をしておく。やがてB747-400テクノジャンボはスワンナプーム国際空港に着陸した。
 
雨宮先生に電話連絡したら「今電話しようとした所だった」と言われた。向こうもちょうど空港に到着した所らしい。それで待合せポイントとして有名な3番出口で落ち合うことにする。千里は入国審査・税関を通り、その3番出口を出た。
 

ムエタイでもするのか?という感じの屈強なタイ人男性に連れられた雨宮先生が手を振っている。
 
「さんきゅ、さんきゅ」
と雨宮先生。
 
「千里、この人に代金払ってくれない?」
「はいはい」
 
それで千里はその男性に
「いくら払えばいいですか?」
とタイ語で尋ねた。するとその男性は意外なことを言った。
 
「あなたはこの人の娘さんですか?」
それで千里は答える。
 
「この人の奥さんの代理で来ました」
「奥さん?この人女なのに、奥さんがいるの?」
 
「結婚した後で一緒に性転換したんですよ。だから法的にはこの人が夫で向こうが奥さんなんだけど、ふたりとも性転換して、おちんちんとヴァギナ、たまたまと卵巣・子宮を交換したから、今は実質この人が妻で向こうが夫ですね」
 
「だったら、問題無いですね」
と彼は納得している!?
 
会話はタイ語でしているので、雨宮先生は全然分かってないようだ。
 
そして男性は
 
「では、あなたにこれ渡します」
と言って、男性は千里に見慣れた財布を渡す。雨宮先生が目を丸くしている。
 
「これは?」
「この人の夫?奥さん?からの電話で無茶な散財しないように財布を預かってくれと言われました」
 
その夫か奥さんかというのは、実際に三宅先生(雨宮先生の法的な内縁の妻!?で事実上の夫)のことだろうなと千里は思った。だったらもしかしたら三宅先生もこちらに向かっている所だったりして?
 
「ちょっと待って」
と千里は男性に言うと、三宅先生に電話を掛けた。
「おはよう、千里ちゃん」
「三宅先生、タイに電話掛けられました?」
「え?」
 
それで千里が事情を説明する。
「ああ。電話は掛かってきたよ。それでこれ以上無駄遣いしたら、財布取り上げるからね、と言ったんだけど。。。それでもしかしたらややこしいことになった?」
 
千里は私は何のためにタイまで来たんだろう?と思った。
 
「ごめんね−、千里ちゃん。お詫びに何か美味しい仕事そちらに回すから」
「分かりました。とりあえず雨宮先生は連行して帰ります」
 
「成田?羽田?」
「成田です」
「だったら僕が成田まで迎えに行くから、財布は僕に渡して」
「分かりました」
 
傍で雨宮先生が嫌そうな顔をしている。
 
「何時到着?」
「15:00です。もしチケット買えなかったらまたご連絡します」
「うん、よろしく」
 

それで千里は男性に話を中断したことを謝り、あらためて会計の金額を尋ねた。
 
「お会計は29,854バーツです」
 
結構使ってるじゃん!
 
3万バーツは為替レートで約10万円、貨幣価値換算なら20万円くらいである。
 
千里は念のため雨宮先生の財布の中身を見たが、バーツ札は少額しか入っていないようである。
 
「両替してから払います。両替所の場所を知ってますか?」
「ええ、こちらへ」
 
千里は彼にここまでの交通費も尋ねた。
 
それで空港内の両替所に行くと、雨宮先生の財布の中にある日本円をバーツに両替する。お会計と交通費、それに上乗せしてチップを支払い、飲食代金の領収書をもらった。
 
それで男性は礼を言って帰っていった。
 
「千里、その財布返してよ」
「三宅先生に言われましたから、三宅先生にお返しします」
「あんた、私の弟子でしょ?」
「三宅先生の指示が優先です」
「全く、千里も(新島)鈴世も融通が利かない」
 

「さあ帰りましょう」
 
千里はすぐに雨宮先生と一緒に航空会社のカウンターに行き、6:50の成田行きに残席があるか尋ねる。
 
「ビジネスもエコノミーもございます」
「ビジネスで」
 
それで雨宮先生が自分のパスポートを提示し、カードは千里が雨宮先生のカードを財布から取り出し、GHさんに渡して決済してもらう。GHさんはカードをちゃんと千里に返してくれる!雨宮先生は不快そうである。
 
それで千里のチケットも提示して、並びの席を確保してもらう。それから保安検査場の方に向かった。
 
これが現地時刻で5:40、日本時刻で7:40頃である。
 

出国手続きを終えて搭乗口まで行ってから千里は今日練習を休みたいことを風田コーチに伝えていなかったことを思い出し、電話した。これは7:50くらいである。
 
「村山です。すみません。大変申し訳ないのですが、今日の練習をお休みしたいんですが」
 
と千里は言ったのだが
 
「村山君?やはり君おかしい。さっきもそれ僕の所に連絡してきたじゃん」
とコーチは言う。
 
「え?そうでした?」
「やはり一週間くらいしっかり休みなさい。次は25日からでいいからね」
「はい、分かりました」
 
それで千里3は電話を切ったものの、あれれ?と首を傾げた。
 

さて、京平と一緒にプラドを運転して東京に向かっていた千里2は、途中結局、三重県の御在所SAで1時間仮眠したあと、明け方神奈川県の中井PAでも休憩した。トイレに行ってこようと思ったら、京平が起きていた。
 
「あら、もう起きたの?」
「え?うん。さっきお母ちゃんがボクに呼びかけたから」
「あれ?私呼びかけたっけ?ごめんねー。起こして。まだ寝てていいんだよ」
「トイレ行ってくるよ」
「うん」
 
それでふたりでトイレに行く。
 
「トイレ、男の子トイレでひとりでできる?それともお母ちゃんと一緒に女の子トイレに入る?」
 
「ボク、男の子だから男の子トイレに行く」
「うん、行っといで」
 
それでひとりで行ってきたようであった。
「漏らさずにできたよ」
「よしよし。もうおしめ卒業してもいいかなあ」
「もう少ししたら」
「OKOK」
 
多分まだ少し自信が無いんだろうなと千里は思った。
 

京平も起きたのならということで、千里は京平をパジャマから普通の服に着替えさせてから一緒にPAの施設に入り朝御飯を取ることにする。
 
「あんたスカート穿くんだ?」
「だめかなあ」
「うん。別に構わないよ」
 
それで、24時間営業の中井麺宿に入って、ぶっかけうどんとカレーのセットを頼んだ。京平とシェアして食べたが、京平は「美味しい、美味しい」と言ってカレーはひとりで全部食べてしまうし、うどんも結局3分の2くらい食べてしまう。千里はそれを見ていて、幸せな気分になった。
 
食べている内に7時半くらいになったので、千里は京平と一緒に車に戻ってから、貴司に電話した。
 
「え?阿倍子がインフルエンザ?」
「うん。阿倍子さんは今は病院に居るけど落ち着いたらマンションに戻って寝てると言っているから、電話でも掛けてあげて」
 
「分かった」
 
「それで京平に移したくないからというので、私京平を預かってきたのよ。だから、19日まで預かって、貴司の合宿が終わってから引き渡すから」
 
「了解!どこで受け渡す?」
「合宿所に連れて行くよ。19日は何時頃終わる?」
「18時くらいに終わるから19時くらいには出られると思う」
「私もその頃に合宿所入りするから、合宿所の玄関で引き渡そうか」
「うん。じゃそれで」
「私プラド運転してこちらまで来たから、貴司は帰りそれを運転して大阪に戻ってくれる?」
「OK」
 

千里2は続いて、日本代表候補チームの風田コーチに電話する。これが7:40くらいになった。
 
「おはようございます。村山です」
「おお、村山君、どう?体調は?」
「体調ですか?体調はいいのですが、大変申し訳無いのですが今日の練習は休ませて頂けないかと思いまして」
 
千里はリオ五輪代表だったので、今回の合宿には参加の必要は無かったのだが、任意で参加していたのである。合宿は今日まであるのだが、京平を放置して合宿に行く訳にはいかない。
 
すると風田コーチは(千里2にとって)意外な反応をした。
 
「それはもちろんだよ。君が出てきても今日は帰すよ。一週間くらい休んで、しっかり体調回復させてね。次は25日からでいいから」
 
「はい。分かりました。申し訳ありません」
 
それで電話を切ったものの、しっかり体調回復させてねって、どういう意味だろう?と首をひねった。出てきても帰すって、私昨日の練習で出来が悪かったのかなあ、などと考えた。もっと頑張らないといけないかな。
 
風田コーチが千里3からも同趣旨の電話を受けるのはそのほんの10分後になる。
 
しかしともかくもこれで今日の合宿はお休みになる。しかも25日からにしなさいと言われた。実は次の合宿自体は20日からであるものの、リオ五輪の選手は25日に合流すればいいのである。千里は任意参加で20日から出て行くつもりであった。
 
じゃ19日は京平を貴司に渡しただけで帰って、24日までは休んでいるか、と千里は考えた。ともかくも19日夕方までの2日半は京平と一緒に過ごすことになる。
 
しかし・・・少し眠い。
 
「お母ちゃん、ちょっと寝てるね。その後、出るから」
と言い、千里はドアをロックした上で、念のため京平の所のドアだけアンロックした。そして運転席と助手席にまたがって横になり、仮眠した。
 

B中央病院。
 
4/17 1:25頃。千里0と千里1(第1世代)が合体して千里1(第2世代)になったのを廊下から確認して満足げに微笑むと病室には入らずに踵を返してエレベータに向かう女性の影があった。
 
「取り敢えず1つ完了。あと2つだけど時間が掛かりそうだなぁ。しかし、大宮万葉君もうまいタイミングでうまいものを醍醐さんに渡してくれたよ」
 
と彼女は独りごとを言うように呟いた。
 
この人物について、千里1も玲央美も気付かなかった。彼女を認識していたのは《くうちゃん》のみである。
 

千里1と玲央美はしばらく話していたものの緊張が解けたせいか玲央美がすぐ眠ってしまい、やがて千里1も睡眠に落ちていった。
 
千里1は病室のベッドで6時半頃目が覚めた。千里3がバンコクに到着する30分ほど前である。
 
「あ、起きた?起きたら体温測ってって」
と言って玲央美が体温計を出してくれた。
 
「ありがとう」
と笑顔で受け取って計る。1分ほどでピピピっと鳴る。出してみると34.8度である。
 
「比較的まともな体温だ」
と玲央美が言う。
 
「京平を出産して以来、34度未満に下がることが無くなった」
「体質が変わったのか、あるいは一時的にそうなっているのか」
「京平がおっぱい卒業したら元に戻るかも」
「千里、32度とかあり得ない体温になっていることがあるからなあ」
「脈拍とかもゼロになっていることあるんだよね〜」
「千里、実は死んでいるのでは?」
「それは時々疑問を感じることはある」
 

「そうだ。雨宮先生に電話しなくちゃ」
と千里は言ったが、
 
「無理だと思うけど」
と言って、枕元に置かれている携帯を指さす。
 
「きゃー!真っ黒」
「たぶん携帯をポケットに入れてたから、雷がそこに誘導されて、身体の中心を通らなくて助かったのではと先生が言ってた」
 
「わあ、だったら私の身代わりになってくれたのか」
「どこかに連絡しないといけないの?」
「うん」
 
「電話番号分かるなら、私のスマホ貸そうか?」
「あ、貸して貸して」
「千里、その前にベッドの骨組みに触ろう」
「そうだった」
 
それで千里はベッドの骨組みに触って静電気を逃がした上で、玲央美のスマホを借り、(紙の住所録で)番号を調べて、雨宮先生に電話してみた。玲央美はコンビニに行ってくると言って席を外してくれた。
 
「おはようございます。村山です」
「ああ、千里か。ほんとにありがとね。助かったよ」
 
助かったって・・・どうにかなったのかな?と千里は考えた。
 
「じゃ、何とかなりそうですか?」
「うん。おかげで。空港で渡すというのは納得してくれたみたいだから、もう到着したのなら今から一緒に空港に移動するよ」
 
「あ、はい」
 
やはりどうにか解決したようである。だったら後は放置でいいなと千里は考えた。
 
「じゃ着いたら連絡するから」
「分かりました」
 
それで電話を切った。
 
何か話がチグハグな気はしたのだが、まあいっかと思う。
 

その後、千里1は京平にチューンしてみた。
 
寝息が聞こえてくる。
 
よく寝ているようだ。だったら無理に起こさなくてもいいかなと思い、そのまま接続を解除した。それにどっちみち今日は会いに行けない。病室から自分がいつの間にか居なくなっていたら大騒動だ。
 
『そうだ、きーちゃんを転送しなきゃ』
と千里が思い出したように言うと
『青龍を転送したよ』
と《くうちゃん》は言った。
 
『ああ。それでいいね』
『貴人は酷く疲れているから、ホテル取って休めと言った』
『それがいいかも』
 
普通は千里が吸収してたっぷりの気のエネルギーの海の中で休ませるのだが、今の千里には眷属を癒やしてあげるだけの余裕が無い。
 
『でも携帯どうしよう?』
『またコピー携帯作るのは手間が掛かるよね?』
『あれ作るの結構な時間が掛かるらしい。それにそもそもこの携帯が黒焦げになっているのを何人も見ているから、他の機種で作らないといけないし』
『千里、普通の新しいスマホでもよければ、9時になってから携帯ショップに行って買ってくるけど』
『取り敢えずそれお願いしようかな』
 
それで《すーちゃん》が千里に擬態して買いに行ってくることにした。《すーちゃん》は玲央美が戻って来る前に、千里の運転免許証と財布を持って病院の外に出た。
 

やがて玲央美が戻って来たので彼女のスマホを返す。
 
「ありがとね」
「うん。どう?体調は?」
「特にどこか変な所は無いんだけど、少し身体がふわふわするような感じ」
「2〜3日入院していればいいよ。それとも自宅に戻って寝る?」
「病院はよけい緊張するから自宅に戻ろうかな」
「うん」
 
やがて病院の朝御飯が来たので、それを食べながら、コンビニのお弁当を食べる玲央美とおしゃべりしていた。
 

千里が元気っぽいので、玲央美は合宿所に戻ることにし、今日の練習に参加したようである。
 
千里1は9時を過ぎた所で病院の公衆電話から桃香に電話して、取り敢えず携帯が壊れたので今病院の電話から掛けていることを伝えた上で、再度転院の方針を確認する。それでいったん電話を切り、今度は大間産婦人科に電話する。すると話を聞いて出産まで入院しているのはOKということであった。それで再度桃香にそれを伝える。桃香もいったん電話を切り、F産婦人科の人と話すということであった。
 
10時半頃、《すーちゃん》が新しいスマホを買ってきてくれた。
Apple iPhone7 plus 256GB gold である。
 
「きれいな色だね」
「待って。触る前にこれを」
と言って《すーちゃん》は千里に丸いリングを渡す。
 
「何これ?」
「静電気防止ブレスレット」
「こんなん効果あるんだっけ?」
「5個くらい付けておけば少しは効果あるよ」
「5個!」
「それ以上の電気を解放するにはアース付きのが必要だと思う」
「アース引きずって歩くの〜?」
 
ともかくも、千里は念のためベッドの骨組みにも触ってからそのスマホを操作し、桃香に電話した。ついでに、新しいスマホを買ったことを伝え、番号も伝える。それで桃香の方は、結局今日の夕方、F産婦人科から大間産婦人科に移動することになったということであった。
 

千里1は、この日の午前中いっぱい、様々な検査を受けることになった。昨夜雷に撃たれた後、最初どうしても意識を回復しなかったのが、突然意識を回復したので、どこかに異常があったら大変ということで、まさに頭の先から足の先まで調べられることになる。
 
それで結局色々慎重に分析したいから退院は夕方以降ということになってしまった。
 
お昼すぎにやっと検査が終わって病室に戻る。
 
疲れた!入院なんてよほど体力がなきゃやってられないね!などと思う。しかし夕方まで入院していなければならないとすると、夕方の桃香の転院を手伝えない。それで新しいスマホを使って桃香に電話してみた。
 
「ごめーん。こちらどうしても夕方まで開放してもらえなくて、午後そちらの転院に付き添えない」
 

千里1はその後、今朝連絡が取れなかった京平にコネクトしてみた。これが12:30頃である。
 
『あ、お母ちゃん』
『今朝は会いに行けなくてごめんね。私入院しちゃって』
『え?』
『何とかなってる?』
『うん。ボクひとりでも大丈夫だよ。適当に他の子と遊んでいるから』
 
“他の子”というのは、きっと伏見の子狐たちだろうなと千里1は思った。
 
『ママの方は戻って来た?』
『ママは一週間くらい入院するってお母ちゃん言ってたじゃん』
『え?そうだっけ?。でも京平ひとりになっちゃうね。誰かお世話係で行かせるね』
『要らないよ。お母ちゃんがいればそれだけでいいし、あさってにはパパとも会えるし』
『あれ?今ひとりじゃないんだっけ?』
 
京平は千里と会話していて、何か変だと思った。そして何かおかしなことが起きていることに気付く。それで更に面倒なことが起きないように誘導することにした。
 
『ママのお友達が来て、僕の面倒を見てくれているんだよ。だから、そちらから誰も来なくても何とかやっていけるから』
『そうだったんだ!分かった。じゃまた明日連絡するね』
 
それで千里1は今日《たいちゃん》に大阪に移動してもらうのはやめたのである。阿倍子のお友達が来ているなら、こちらからも行くとややこしくなる。また眷属達もみんな今は何かあった時のために千里から離れたくないと言った。
 

SAで仮眠していた千里2が目覚めたのは10:30頃である。
 
京平はひとりで遊んでいたようである。真二郎さんが話し相手になってくれていたようだ。
 
京平がこの後は起きているというので、ベビーシートを外して3列目にセットしていたチャイルドシートを2列目中央にセットした。再度トイレに行く。京平はやはり「男の子トイレに行くね」と言って、そちらに入って行った。スカート穿いたまま男子トイレに入っていいのかなあと思ったが、子供だからいいだろうと思う。戻って来た所で、京平をチャイルドシートに座らせて車を出す。1時間弱で用賀のアパートに辿り着いた。
 
千里は桃香にも御飯作ってあげないといけないよなあと思い、京平の荷物を置き、汗を掻いた服を着換えると、京平を連れてプラドに乗って、経堂駅の所の小田急OXに行った。買物をして、桃香のアパートに行く。
 
これが12:10頃である。
 
アパートには誰も居ない。
 
(千里2は桃香が入院したことを現時点では知らない)
 
コンビニにでも行っているのかな?と思い、取り敢えず部屋の掃除をしようとしたのだが、掃除機の吸い込みが悪い。掃除機の紙パックがいっぱいになっているようだ。紙パックのストックも見当たらない。
 
「京平、ちょっと紙パック買ってくるからひとりでお留守番していられる?」
「うん。大丈夫だよ」
 
それで千里2は近くのダイソーまで走って行ってきた。
 
ちょうどその不在の時に実は千里1から京平に直信があった。それで京平は大いに混乱することになるが、同時に何か変なことが起きていることにも気付いた。
 
やがて千里2が戻って来る。
 
「京平ひとりで大丈夫だった?」
「うん。ボクは平気だよ」
 
と答えながら京平は、どうも千里が2人居るようだということを認識した。今朝もふつうに声を出して会話できる距離に千里がいたのに、千里から直信が飛んできた。だから直信してきた千里とあの時車を運転していた千里はきっと別人だ。
 
でもどっちもボクのお母ちゃんだ!
 

千里2は掃除をひととおり終えると、手を洗ってお昼ごはんを作り、京平と一緒に食べた。
 
食べ終わったのが13:00頃である。千里2はこんなに長時間桃香がアパートを開けているのは変だと思った。
 
まさかどこかで倒れてないよね?と思い、桃香のスマホに掛けてみた。
 
「桃香今どこに居るの?」
「えっとまだF産婦人科だけど」
「病院?診察にでも行っているの?」
 
「えっと・・・入院中なのだが・・・」
と桃香が戸惑ったように答える。
 
「入院したの!?」
と千里が驚いたように言う。
 
「千里が昨夜病院に連れて来て入院させてくれたじゃないか」
「赤ちゃんは!?」
 
「まだ1ヶ月くらい先じゃないかと医者は言っている」
「もしかして早産しかかったの?」
「早産というか、普通に出産かと思ったのだが・・・って千里がそこに駆けつけてきて、私をこの病院に連れて来てくれた訳だが」
と桃香は本当に困ったように言っている。
 
うっそー!? 私大阪に行っていたのにと思うが、すぐに多分桃香に付いていた《いんちゃん》が桃香を病院に連れて行ってくれたのだろうと判断する。それにしてもその《いんちゃん》ともコネクトが取れない。どうしたんだろう?
 

「病院はどこ?」
「えっと、ここ名前なんだっけ?・・・F産婦人科だよ」
「電話番号分かる?」
「ちょっと待って」
 
それで桃香が伝えてくれた病院の電話番号を千里はメモした。
 
「それで千里に言われて夕方には大間産婦人科の方に移動するということになったのだが・・・」
 
「それ何時頃?」
「こちらの病院を4時に退院して向こうに移動することにしたのだけど、千里が来れないというから、朱音にさっき付き添いを頼んだ所だったのだけど」
 
「4時に退院ね。分かった。じゃ3時半頃、そちらに行くから」
「あ。来れるようになったの?」
「今日1日休ませてもらうことになったんだよ。次の予定は24日の夕方からだからそれまでは桃香のお世話もできるよ」
「そうだったのか。助かる」
 
それで桃香は首をひねりながらスマホをオンフックした。そして桃香は今千里が「壊れた」と言っていた前の携帯の番号から掛けて来たことに気付いた。
 
まさかオレオレ詐欺?・・・な訳ないか!
 

千里2は、眷属たちと全然コネクトが取れないことを疑問に感じ《心の声》ではない連絡手段のある唯一の存在である《きーちゃん》のスマホに、こちらの状況を簡単にまとめたメールを送った。
 
どうしてもみんなとコネクトが取れないのだけど、不調だろうか?あるいは出羽の方で何かあったのだろうか?といったことを書き添えた。
 

4/17 14:30.
 
千里3と雨宮先生の乗るNH-806 B787-8は成田空港・第1ターミナル・南ウィングに予定より30分も早く着陸した。
 
入国審査・税関を通り、1Fミーティングポイントで三宅先生と落ち合う。
 
「雨宮先生を連行してきました」
と言って千里は笑顔で三宅先生に雨宮先生を引き渡す。
 
「それとこれを」
と言って雨宮先生の財布も渡した。千里の往復航空券代を聞き、それにプラスアルファしたお金を現金でもらった。
 
「ありがとね。でも忙しい時に苦労掛けたね」
「いえ、いつものことですし」
 
「こういう時に頼れるのは千里ちゃんと(新島)鈴世ちゃんだけだし」
と三宅先生は言っている。
 
「毛利さんだとミイラ取りがミイラになっちゃいますからね」
「あの人、人が良すぎるんだ」
 
「そうだ!千里ちゃん、ガラケー使っているだろ?」
と三宅先生が言う。
「はい」
「最近ラインでやりとりすることも多くてさ。スマホ持ってくれないかなと思って」
「そうですね〜」
 
千里がスマホを使わない(ことにしている)のは、携帯との使い分けに関する微妙な問題があるのだが、ガラケー対象のサービスがどんどん終了して行っているのはひじょうに困ったものがある。
 
「それでね。邪魔かも知れないけど、これ1台持っててくれない?料金は雨宮が払うから」
 
千里は吹き出した。
 
「三宅先生ではなく雨宮先生が払うんですね」
「当然。こいつはお金持ちだし。少なくとも僕の1000倍はお金を持っている」
「1000倍は大げさだと思うけど」
 
「だから他の人には非公開でもいいし。仲間内の連絡用に限ってもいいから」
「分かりました。お預かりします」
 
それで預かったスマホはSharp AQUOS SERIE mini SHV38 champagne-pink である。
 
「でもこれ可愛い!」
と千里は言う。
「千里ちゃんにはこういうのが合うかなと思った」
 
三宅先生は(実質)男になってしまったものの、女の子の好みをけっこう理解している。
 
「ありがとうございます。LINEってどうやって登録するんですか?」
「それも勝手にやって悪いかなと思ったけど登録しておいた。スタンプとか買った時は雨宮の口座から落ちるから安心して使って」
 
「分かりました。安心して使わせて頂きます」
 
雨宮先生はもうふてくされている。
 
「あ、それとこれ、急で申し訳無いんだけど」
と言ってメモを渡される。アーティスト名と楽曲タイトルが書かれている。但しタイトルは変更可と書かれている。恋愛ドラマの主題歌にするので、恋愛にふさわしいものであればということである。
 
「AYAですか」
「このまま下降線に入って行くアーティストでは無いと思うのよね。彼女ってまともなビッグヒットが無いのはおかしいと思うのよ」
「いつまでですか?」
「できたら今月中」
「分かりました。何とかします」
 

それで千里3は三宅先生たちと別れて江戸川区内の秘密マンションに移動することにした。合宿の方は25日に合流すれば良いということだったし、それなら集中できる場所でひたすら集中して曲を書こうと思ったのである。
 
なお、千里3は、桃香の入院のことも阿倍子の入院のことも知らない。
 
京成の上野行きに乗る。
 
千里は三宅先生からもらったスマホの番号をごく親しい何人かには伝えておく必要があると考えた。それで、取り敢えず桃香・玲央美の2人のスマホ、また《きーちゃん》が使っているスマホ(Fujitsu Arrows NX F-02G white)にも端末のアドレスにメールを送り、新しいスマホを借りたのでといって、電話番号とメールアドレスを伝えた。
 
電車に乗っている内に、やはり車に揺られているほうがいいアイデアが浮かぶかもと思う。それで矢鳴さんに電話し、合宿所に駐めたままのアテンザを葛西駅まで持って来て、そのあと少しドライブしてくれないかと頼んだ。すると18時半くらいまでに行けると思うということであったので、千里は途中のジェーソンで買物をし、18時頃、葛西に到着した。
 
矢鳴さんはまだ来ていないようだ。千里は今日は放置状態になってしまった京平と少し話そうと思い、彼に直信をした。
 
『ごめんねー。今日私はタイまで往復して来たのよ』
『お母ちゃん忙しいね!』
『ごはん食べた?』
『まだ。今一緒にいる人がお出かけしてひとりでお留守番してるの。でもその人が戻って来たら晩御飯になると思う』
『ああ、色々忙しいのかな』
『そうかも』
 
それで千里3は10分くらい京平と話していた。そこに矢鳴さんの姿が見える。
 
『じゃまた明日の朝、連絡するね』
『うん、おやすみー』
 

矢鳴さんが駆け寄ってくる。
 
「済みません。お待たせして」
「いえ。私も買物とかして、さっきついたばかり」
 
と言って千里2は買い物袋を持ってアテンザの後部座席に乗り込んだ。
 
「どこに行きます?」
「そうだなあ。東北道方面とかいいですか」
「分かりました」
 
それで矢鳴さんは近くの葛西ICから首都高に乗ると、東北道に接続する川口JCT方面に車を向けた。
 

さて、桃香のアパートで食糧ストック作りをしていた千里2は、15:00頃に京平に
「悪いけど4-5時間ほどお留守番しててね」
 
と言って、桃香の着換えとパソコンにたまごクラブのバックナンバーを持ち、プラドに乗ってまずは京平を用賀のアパートに置き、ついでにチャイルドシートもベビーシートも外してアパートに置いた。そして桃香が入院しているF産婦人科に移動した。
 
病院ではお医者さんに挨拶し、夜中なのに受け入れてくれたことについて、あらためて御礼を言った。
 
支払いを済ませた上で「みなさんで分けて下さい」と言って菓子折を渡した。「こういうことされると困るんです」と言いながらも、事務の女性は受け取ってくれた。
 
桃香の病室に戻って、一緒に退院する。緊急入院していたので、何も持ち物が無い。それで千里が持って来た着換えに着換えただけで、退院した。これが15:30くらいである。
 
なお、千里が来れることになったので、朱音は今日は来ずにあとでお見舞いに行くと言っていたということだった。
 
桃香にはプラドの2列目中央に座るように言って、あきる野市の大間産婦人科まで走る。
 
「この車も以前乗ったことあるな」
と桃香は言っている。
 
「うん。ミラだと狭いかなと思って、友だちから借りてきた」
「まあ確かに狭いけどね」
 
実際にはミラはJソフトの駐車場に駐めたままになっている。千里2はミラが用賀にも経堂にも見当たらなかったので、たぶん《きーちゃん》が使っているのだろうと判断していた。ちなみに《せいちゃん》は車の運転はできないので、電車で通勤せざるを得ない。
 

大間産婦人科には17:00くらいに到着する。簡単な診察を受けてから入院の手続きをする。
 
「ところで今日は千里が何か変な感じがするんだけど」
「そう?」
「新しいスマホ買ったからといって2度も連絡あったし」
「え?私別にスマホ買ってないけど」
「そうなのか?」
 
では昼間連絡あった2件は何なんだろう?と桃香は疑問を感じた。
 
「千里も入院したんだっけ?」
「お友達で入院した子がいたから、その子のことでもちょっと走り回っていた。その子が退院するまで、2〜3日だけどその子の子供を預かっている」
 
「ああ、入院したのは友だちか。何で入院したの?」
「性転換手術かなあ」
「え!?」
「というのは冗談で、ただのインフルエンザだけどね」
「なあんだ。でも季節外れだね」
 
「だよね〜。そうだ。その子供に御飯食べさせないといけないから、悪いけどすぐに帰るね」
「なんか千里はほんとに忙しいようだ」
 
それで千里2は18:00頃に桃香が入院した病院を出て、20:00頃用賀のアパートに帰り着いた。そして京平と一緒に御飯を食べ、阿倍子さんにも様子を伺う電話を入れ、京平と阿倍子を少し話させる。
 
そしてこの日は
「何か疲れた〜」
と言って、9時頃、京平と一緒に布団で寝た。京平がおっぱいダメかなあ、などと言うので少しあげたら、とても満足していたようである。実際問題としておっぱいをあげながら眠ってしまった。
 

なお、桃香は千里(千里2)が帰ってからふと「母ちゃんに言っとかないとまずいよな」と思い、朋子に入院したことを報せた。
 
入院というので朋子はびっくりしたようだが、千里も忙しいし、何かあった時にひとりで対処できないとまずいから念のため入院しただけと説明すると朋子も安心したようである。
 
どっちみち1度そちらの様子を見に行くよという話であった。
 

一方B中央病院に入院していた千里1は、18時すぎにやっと退院の許可が出て支払いを済ませてから退院する。この時、玲央美と桃香、風田コーチに退院した旨のメールをiPhoneから送った。その送信した時刻が18:30くらいである。
 
合宿所によってアテンザを使おうかとも思ったが、そこまでの気力が無い。それでタクシーを呼んで経堂のアパートまで行った。そして
 
「やはり病院は疲れた〜!」
と言って、布団を出して眠ってしまった。
 

《きーちゃん》はJソフトでのハードな作業で相当疲れていた所に、千里が雷に撃たれるというショッキングなことが起こり、しかも2時間ほどにわたって意識を失っていたので心労も重なった。それで明日のJソフトには《せいちゃん》を行かせると《こうちゃん》が決め、《きーちゃん》はホテルを取って休ませてもらった。
 
彼女は本当に疲れていたようで、結局17日の夜まで眠ってしまう。時計を見たらもう19時すぎである。
 
それで起きてからホテル内のレストランで遅い夕食を食べ、なにげなく自分のスマホを見ていたら「あれ?」と思うことがあった。
 
3件のメールが入っている。
 
1つは10:40頃のメールで、知らないアドレスからだが、千里を名乗り、《すーちゃん》が新しいiPhoneを買ってきてくれたので、その番号とメールアドレスをそちらに伝えておくというメールである。これは問題無い。
 
1つは13:30頃のものだが、落雷で破損したと思っていた、千里のガラケー(T008)から送られたメールで、結構な長文だ。どうしても眷属達と会話ができないのだけど、どうしたんだろう?と書かれている。“本人”は阿倍子さんが急病で倒れたので、大阪で彼女を入院させた上で、貴司の合宿が終わるまでの間、京平を預かることにし、プラドを運転して東京まで来て、現在用賀のアパートに居ると書かれている。
 
そしてもう1つは16:20頃のメールでこれも知らないアドレスからだが、千里と名乗っており、新しいスマホ(Aquos)を借りたのでといって、そちらの番号とアドレス、LINE IDが記されていた。
 

《きーちゃん》はこの3つのメールを何度も見比べてみた。
 
そして、各々のメールの送り主と会う必要があると考えた。
 
この3つのメールは《きーちゃん》のスマホの固有アドレス宛に送られている。このメールアドレスは、千里と《せいちゃん》以外には誰にも教えていないのである。Jソフトの仕事関係のメールは《せいちゃん》と情報を共有する必要があることもあり、Jソフトが運用しているサーバーのメールアドレスをIMAP4で使っている。
 
だから自分の端末宛にメールしてきたということはそれは千里であるとしか考えられない。
 
まず所在がいちばん明確なのは、10:40のメールの送り主だが、これは内容から判断するに、昨夜1:30頃に「千里の心と体が合体」した千里で、B中央病院で今日1日検査を受けていた千里だろうと判断した。この千里には他の子たちが付いているはずである。《きーちゃん》はこの千里を仮に《千里1》と呼ぶことにした。
 
『天空さん?』
と《くうちゃん》に直信で問いかける。
 
『なんだね』
『B中央病院に入院していた千里は今どこに居ますか?』
『経堂のアパートで寝ているよ』
『ありがとうございます』
 
そちらは取り敢えず放置しておこう。問題はあとの2人だ。
 
16:20頃にメールしてきた千里は所在地が不明確だが、13:30にメールをしてきた千里は今用賀のアパートに居るという。《きーちゃん》はこの用賀に居るという千里を仮に《千里2》と呼ぶことにした。
 

ホテルのフロントには急用ができたと言ってチェックアウトする。ホテルを出てまずは電車で二子玉川まで行き、Jソフトのビル駐車場に駐めていたミラを出した。そして用賀まで行った。これがもう21:30頃である。用賀の駐車場にはプラドが駐まっている。
 
メールの内容と一致しているなと思う。
 
この時間帯には駐車違反監視員は回ってこないしと思い、車はアパートのそばに駐めたまま《きーちゃん》はアパートの1階102号室のドアを自分が持っている合鍵で開けて中に入った。
 
千里と京平が一緒の布団に寝ている。
 
その千里を観察する。確かにこれは本物の千里だ。でもB中央病院にいた千里も間違い無く本物だった。どうなってんだ?
 
しばらく《きーちゃん》が見ていたら、京平がパッと目を覚ました。
 
そしてこちらを見ると指を立てて唇にくっつけ、そっと起きてきた。一緒にアパートの外に出る。京平は女の子用と思われるキティちゃんのパジャマを着ている。この子優しい顔立ちだし、阿倍子もこの子にこういう可愛い服を着せるのを好んでいるのではという気がした。
 
『きーちゃんさん、少し話したいんですけど』
『私も話したかった。車の中に入らない?』
『はい』
 

京平はミラに乗り込むと言った。
 
「お母ちゃんが3人居るんです」
「やはりそうだよね?」
 
《きーちゃん》と京平はお互いの情報を交換する。それでやはり千里が3人おり、1人目はB中央病院に入院していて、今は退院して経堂のアパートにいること、2人目は大阪で阿倍子を入院させ、京平を連れてプラドで東京に移動してきて、用賀のアパートにいること、3人目はタイまで日帰り往復して来たが現在の所在地は不明であることが分かる。
 
「1人目がiPhoneを使っている。番号はこれ」
「2人目が元々持っていたT008を使っている。番号はこれ」
「3人目はAquosを使っている。番号はこれ」
 
「これどうしたらいいんでしょう?」
と京平は困ったように訊く。
 
「たぶん千里のエネルギーが雷によって励起されて、1人の人間の身体ではとても維持できない量になってしまい、それで3人に別れてしまったんだと思う」
と《きーちゃん》は言う。
 
「時間が経てば次第にエネルギーは落ち着いてくると思う。だからそれを待とう。おそらく1〜2年の内には収まるよ」
「じゃその間は?」
 
「私と京平君でうまく調整してさ。3人がかち合わないようにしよう。でないと今のままの状態で出会ったら対消滅が起きるかも」
 
「ついしょうめつ?」
「お母ちゃんが爆発しちゃうということ」
 
「そんなの僕は嫌だ!」
 
「だから会わせないようにしようよ。時期が来れば収まるよ」
「じゃどうしたらいいか、僕にも指示して下さい」
 
「うん。まず明日までに3人の千里に1人ずつマークを付けてくるから。そしたら、京平君にも、どの千里からテレパシーが飛んできたのか分かるようになると思う」
 
「そうしたら、各々のお母ちゃんに話を合わせればいいんですね」
 
「そうそう。あと、これ誰にも言わないようにしよう。私も他の眷属には言わない。口の軽い子もいるから、千里がこれ知ったら不測の事態を招きかねない」
 
「分かりました」
 
それで《きーちゃん》と京平はこの日の“秘密会談”を終えたのである。
 

《きーちゃん》は京平を寝かせ付け、ついでに寝ている千里(千里2)にそっとタッチすると新たな暗号鍵を渡した。その暗号鍵を京平にも渡す。これで千里2は《きーちゃん》とも《心の声》で話せるようになるとともに、この千里からの《心の声》は《きーちゃん》や京平には他の千里のものと区別が付くようになる。
 
《きーちゃん》は続いてAquosのスマホにメールを送った。
 
『今脳内通信が不調なんです。今居る場所を教えてください』
 
すると
『きーちゃん!?よかったぁ。心細かったよ。今は磐梯山SAの新潟方面。今夜はここで車中泊になると思う』
という返信が帰って来た。
 
『そちらに行きます。そして取り敢えず私とは交信できるようにします』
と《きーちゃん》はメールした。
 
それで《きーちゃん》はミラを発進させた。《きーちゃん》はこの千里を《千里3》と呼ぶことにした。
 

途中仮眠したので夜中の3時頃、《きーちゃん》は磐梯山SAに到着した。アテンザを見つけ、真後ろに駐める。千里が降りてきた。《きーちゃん》はこの千里をよくよく観察して、この千里も間違い無く本物であることを認識した。
 
ミラに乗り込んでもらう。
 
「取り敢えず私と交信できるようにしますよよ」
と言って《きーちゃん》は千里3の手を握り、新しい暗号鍵を設定する。この鍵は繋がっている京平にも送ってあげる。これで千里3は《きーちゃん》や京平とは繋がることができる。但し、他の眷属とはつながらない。
 
「急なことで申し訳無いんですけど、出羽の方でちょっと千里の眷属の使い方が問題になって」
「え〜?やはり私みんなをこき使いすぎたかな?」
 
「そんなことないと思うんですけどね〜。色々うるさいこと言うお偉方もあって。それで当面、私以外の眷属とつながらないですけど、私が仲介して必要なことはしてもらいますから」
 
「だったら助かる」
 
「Jソフトの方は、私と青龍で担当しますから、千里は出てこなくて大丈夫」
 
出てこられると他の千里や《せいちゃん》とかちあってパニックになる。
 
「助かる。私、ソフトとかさっぱり分からないし」
「フェイの付き添いはもうやめてもいいと思う」
「うん。そうだね。だいぶ安定しているし」
 
「京平もそろそろ2歳だし、これを機会に放置で。京平にはいつも伏見の人が交代で付いているから、何かあったら対処してくれるだろうし。そもそも京平君自身が必要な時は、お母ちゃんを直接呼び出すよ」
「そっかー。じゃ見守りは終了で。やはり考えてみると随分みんなに負荷掛けていたかもね」
 
「音楽データの入力は私に渡してもらったら、大裳に渡しますから」
「それやってもらうと助かるかも」
 
「運転は当面自分でやってもらえる?」
「矢鳴さんがいるから何とかなると思う。そうだよね。きーちゃん、ソフトの方もしてもらっているのに運転までしてもらって悪かったね」
 
結局この後、矢鳴さんは千里3が国内にいる間は千里3専任のような感じになる(千里3が海外遠征中は千里2が主として依頼する)。
 
「まあできるだけ早くあそこを辞められるようにしないと」
「うん。あれは初期段階で優秀な所を見せすぎたかもね」
 
千里3は《きーちゃん》と30分くらい話し、それで《きーちゃん》はミラを運転して、東京に戻ることにする。千里3の方はこのまま磐越道を新潟まで行き、関越経由で東京に戻る予定だと言っていた。
 

《きーちゃん》は実際には次の磐梯河東ICで下に降りるとミラを路肩に駐め、いったんエンジンを切った。
 
『天空さん』
と《きーちゃん》は直信モードで話しかけた。
 
『何だい?天一貴人』
『千里が3つに分裂しちゃったことお気づきですよね?』
『分裂したのではない』
『え?』
『君は数学強いから、バナッハ=タルスキーの定理は分かるだろ?』
『はい』
 
『千里はあれと似た感じで3つになっただけで、分裂したのではない。むしろ増殖というべきだろう』
『増殖って・・・千里は無性生殖するんですか〜?』
 
『まあ一時的な現象だけどね。試しにひとりひとりの千里の体重を測ってごらん。みんな60kgほどあるから。もっとも千里は数学的な球と違って回転合同ではないから、バナッハ=タルスキーの定理のように、構成粒子を回転できないし、実は少し違うけどね』
 
『質量保存の法則は?』
『エネルギー保存の法則は破れてないよ。物質の結合エネルギーが変換されているから。元々千里は神様並みのとんでもないエネルギーを持っているんだよ。でなきゃ眷属12人も独立して動かせないさ』
 
『一時的にとおっしゃいましたよね?だったらこれ元に戻るんですね?』
『戻るけど、3年くらい掛かると思う』
『そんなに!』
と言ってから、
 
『もしこの千里同士が遭遇したらどうなりますか?』
『千里0と千里1の合体は0が何も無い実質ヌルの状態だから問題が起きなかった。1と2、2と3、3と1が遭遇すると、君が危惧したように爆発する・・・かも知れないね。僕にも実は分からない』
 
『でも爆発とかさせずに元に戻す方法があるんですね?』
『それには条件がある』
と言っ《くうちゃん》はその“条件”を《きーちゃん》に伝えた
 
『それは確かに今から仕込んで3年掛かりますね』
『だから落雷は引き金にすぎない。既に千里は1年くらい前から危険水域を越えつつあった。2人になるかもと思っていたけど、3つになったのは私も予想外だった』
『ガッチャンみたいだ』
 
『だからエネルギー水位が低くなれば自然と元に戻るけど、そのためには**が必要なのさ。ただ思わぬハプニングが起きてもっと早く元に戻れるような気もする。それは私にも分からない』
 
『3年間、何とか破綻させずにやっていきたいんです。協力してもらえますか?』
『もちろん。まあ君と僕が組めば、何とかなると思うよ。他の子たちには混乱するから言わない方がいい。美鳳君たちにもね』
『同感です』
 
『だったら、帰蝶君、僕の瞬間移動能力を起動する鍵を君に預けるから、君の判断でいつでもそれを使っていいよ』
と《くうちゃん》は《きーちゃん》の本名を呼んで言った。
 
《きーちゃん》が手を差し出す。《くうちゃん》はその手を握って鍵を渡した。
 
『ありがとうございます。私の入れ替え能力だけではパズルが難しすぎると思っていました』
 
『まあ何とかやっていこう』
『はい』
 

《きーちゃん》は《くうちゃん》と30分ほど話し合った上で、今度は用賀のアパートで千里2と一緒に寝ている京平に呼びかけた。
 
『京平君、京平君』
 
京平のパワーがまだ弱いので、こういう遠くからの通信はなかなか難しい。何度か呼びかける。
 
『あ、きーちゃんさん』
と言って起きた。
 
『今京平君のそばにいる千里と、東北に来ている千里に鍵を設定したから、京平君がふつうに呼びかければ、鍵が掛かってない、経堂のアパートにいる千里につながるよ』
 
『分かった。ありがとう』
『大阪に移動するから、それで千里1を呼ぶといいよ』
『はい』
 

それで《きーちゃん》は《くうちゃん》の力を使って京平を吹田のマンションに転送した。それで京平は経堂のマンションに居る千里1に大阪から東京までリモートで呼びかける。
 
『お母ちゃん』
何回か呼びかけると反応がある。
『おはよう、京平』
 
『おっぱいとかだめ?』
 
すると千里1は答えた。
 
『そろそろ卒業した方がいいけどね〜。でもまだいいよ』
『うん』
『阿倍子さんのお友達は?』
『夜僕が寝た所で帰ったんだよ。また朝出てくるって』
『なるほどー』
 
それで千里1は《くうちゃん》に頼んで自分を大阪に転送してもらった。
 
それで京平は千里1のおっぱいを飲む。そしておっぱいを飲んでいて、やはりこれも間違いなくお母ちゃんだよなあと思う。
 
「ねえ、おかあちゃん」
「うん?」
「最近、お母ちゃんと会うの、朝5時頃になってたけど、むしろママが寝てすぐくらいがいいかも」
「そう?ママは何時頃寝るんだっけ?」
「だいたい1時までには寝るよ」
「じゃ午前2時頃来ようか?でも京平眠くない?」
「お母ちゃんと会った後で寝るよ」
「そうか。その方がいいかもね。じゃ明日からできるだけ午前2時頃来るようにするね」
 
千里1は昨日は雷に撃たれて1日入院していたけど、もう大丈夫だからねと言った。京平は元気になるおまじないしてあげると言って、千里の後ろから両肩に手を置き、何か唱えていた。
 

千里1は5:00頃帰って行った。
 
ちょうどその頃《きーちゃん》は千里3からの直信を受ける。
 
『京平とデートしたいんだけど転送できる?』
 
それで《きーちゃん》は
『じゃ次はお母ちゃん3だよ〜』
と京平に伝えた上で千里3を大阪のマンションに転送した。
 
京平が東京に来ていることを知っているのは本人を連れて来た千里2のみなのである。
 
京平は千里3にもおっぱいをねだってみた。それで乳房を吸ってみたのだが、出ない!
 
「あれ〜。おかしいな」
と本人も言っている。
「じゃ、おっぱい咥えてるだけでもいい?」
「うん、いいよ」
 
実は京平としては、乳房に吸い付いているだけでも結構満足なのである。おっぱいを「飲む」こと自体は、現在ではおまけのようなものである。
 
京平はこの千里にもデート時間の変更を提案した。京平が希望したのは、昼間、阿倍子が昼寝している時間帯である。阿倍子は毎日だいたい14:00-16:00頃に昼寝するらしい。
 
「そうだよね。早朝会うと眠いもんね」
と言って千里はバスケの練習に掛からない限り、その時間帯に会いに来ることを約束した。
 

千里3は6:30頃帰って行った。
 
『お疲れ様、じゃ東京に返すね』
と《きーちゃん》は言い、京平を用賀のアパートに転送して戻した。
 
『おかあちゃんとたくさん会えるのはいいけど、同じことを3人全員に話してないと僕が分からなくなりそう!』
と京平は言っている。
 
『ああ、二股・三股してる男みたいな感じだな』
『ふたまたって何?』
『まだ知らなくていいよ』
と《きーちゃん》は言った。
 
京平との交信を終えて車を東京に向けたのは6:40頃である。
 
しかし《きーちゃん》は翌日も物凄く忙しくなったのであった。
 
 
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