【△・落雷】(2)

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桃香は4月13日に臨月を迎えていた。
 
なお臨月というのは36週目0日から39週目6日の間(4.13-5.10)を言うので、37週0日から41週6日の“正産期”(4.20-5.24)とは微妙にずれている。しかしここまで来ると、いつ出てきてもおかしくない状態である。
 
それなのに千里が物凄く忙しそうにしていてアパートにも短時間の滞在ですぐ出て行くので桃香はさすがに不安になった。
 
「ねぇ、千里、私の予定日の頃はアパートにいるよね?」
「うーん。何とも言えないなあ。近々海外出張の予定もあるし」
「え〜!?だったら、私産気づいたらどうすればいいのよ?」
「なんなら実家に戻ってる?私が付き添って高岡まで送っていくよ」
 
「それやると、二度と東京に出てこられなくなると思う」
 
「別にそれでも構わないと思うけどなあ」
と言ってから、千里は
 
「じゃ、万一私に連絡がつかない時はこの子に連絡して。私の友人だから助けてもらえると思うから」
と言って、(紙の)住所録から名前と電話番号をメモ用紙に書いて渡した。
 
赤外線で送信とかではなく、紙に書いて渡すのが千里である!
 
「天野貴子さん?」
 
「うん。中学の時の友人なんだよ。世田谷区内に住んでいるし仕事先も世田谷区内だから何かあったら駆けつけてきてくれると思う」
 
「分かった。どうにもならない時には連絡するかも」
「夜中だと冬子に連絡した方が早いかも。例によって秋頃まではアルバム制作やっているから都内に居ることが多いと思うし。あと彪志君も遠慮無く頼るといいよ」
「冬子たちは夜遅くまで起きてそうだな。そうか。彪志君もいるか」
 
特に彪志君がいるというのに桃香は安堵感を覚えたのであった。男の子ではあるものの、薬品メーカー勤務なら、少しは役立ちそうである。なお東京近辺にいるクロスロードの友人には彪志同様さいたま市内に住むあきら・小夜子夫妻もいる。小夜子はとうとう4人目の子供を妊娠したと言っていたので小夜子は呼び出せないものの、あきらの方には助けを求めてもいいよなと桃香は考えていた。
 
「まあ誰も居なかったら、最後の頼みは朱音かな」
「おお!そうだ。朱音がいたんだった!」
 
千里や桃香の大学時代の同級生・朱音は大学卒業後、郷里の長野県に帰ってソフトウェアの会社に就職したのだが、昨年の夏地元の会社員男性と結婚したら、今年の春、その人が東京に転勤になってしまったのである!それで退職して一緒に東京に引っ越してきたので、彼女は3年ぶりに関東の住人になっている。
 

千里たちの合宿は4月17日(月)まで続いていた。
 
一方貴司は4月18-19日(火水)に日本代表候補の合宿があるのに参加するため、16日に大阪から東京まで出てきていた。本当は17日に出てくれば済むのだが、1日早く出てきて千里とデートしようという魂胆なのである。
 
もっとも16日の時点では千里も合宿中である。
 
それでも千里は16日の夜、《たいちゃん》を身代わりに合宿所に置いたまま、貴司がその日泊まっている横浜のいつものホテルに行った。
 
この日は物凄い雨で、大雨警報が出ている最中であった。
 
それでもふたりで遅い夕食を一緒にホテル内のレストランで取り、それから貴司の部屋に行き、久しぶりに貴司と少しHなことをした。むろんセックスはしないものの貴司は半年ぶりの快楽に感動しているようであった。
 
貴司の部屋で千里も少し眠って、その後22時半頃に貴司の部屋を出る。
 
「じゃ代表活動頑張ってね」
と貴司。
 
「そちらも今度こそはスターターになれるように頑張ってね」
と千里。
 
それでキスしてから部屋を出た。《こうちゃん》に合宿所まで運んでもらう。雨は降っているものの《こうちゃん》は雨雲の上を飛んでくれるので問題無い。
 
「なんかこの雨雲の上の景色って美しいよね。天国みたい」
と千里は飛びながら言う。
 
「雨雲の下は地獄だけどな」
と《こうちゃん》。
 
「天国と地獄って表裏一体なのかな」
「それは歴史上の多くの哲学者が既に言っていることだよ」
「ふーん」
 
合宿所に到着する。合宿所は個室である。個室だからこそ、こういう勝手なことまでしている。留守番をしてくれていた《たいちゃん》に
 
『お疲れ様〜。代役ありがとね』
と言って、ねぎらい、彼女を吸収しようとした時のことであった。
 

桃香から千里の携帯に電話が掛かってくる。
 
「はい?」
「あ、千里、よかった。つながった!」
と言っている桃香の声が苦しそうである。
 
「どうした?」
「生まれるかも。なんか苦しい」
「うっそー!?もう??」
 
臨月ではあるものの、まだ正産期には入っていない。
 
「とりあえず、そっちに向かう」
 
千里は《たいちゃん》に
 
「ごめん。もうしばらく私の代役してて」
と言うと、合宿所の部屋を飛び出した。
 
廊下で玲央美とすれ違う。
 
「どうしたの?本物千里ちゃん」
などと言っている。たぶん《たいちゃん》とも会ったんだなと思う。
 
「子供が産まれそうなの」
「千里の?」
「うん」
「妊娠しているようには見えないけど」
「産むのは別の子」
 
と言って走って行く。
 
エレベータで1階まで降りた所で、京平から千里に直信が来た。
 
『お母ちゃん、ママが苦しそうなんだけど、どうしよう?』
『え〜!?』
 
京平の所には今夜は《てんちゃん》が付いているはずだ。彼女に分かるだろうか?取り敢えず呼びかけてみる。
 
『白虎か大陰なら何とかすると思うんだけど、あいにく私にはよく分からない。かなり苦しそうにはしている。熱もかなり出ている。救急車呼んだ方がいいかな?』
と《てんちゃん》は言っている。彼女はお料理とかは得意なのだが、こういうのは畑違いでよく分からないのだろう。熱が出ているというのは風邪か??
 
《きーちゃん》に呼びかけてみるも、こんな深夜に打合せをしているらしく、入れ替えはちょっと待ってと言われる。それで千里は《てんちゃん》にはしばらく様子を見ていてこちらから10分以内に応援がいけなかった場合は救急車を呼んでと言う。
 
玄関から飛びだそうとした所で携帯にまた電話が掛かってくる。桃香かと思ったら、雨宮先生である!今日は何て日なんだ。
 
「もしもし。忙しいんですけど」
「千里〜。助けてくれ〜」
 
千里はため息をついた。
 
「今どこにおられるんです?」
「バンコク市内なんだけど、オカマに騙されて身ぐるみ剥がれた」
「マカオじゃなくて?」
「なんでマカオなのよ?」
「マカオのオカマというじゃないですか」
「あいにくバンコクなんだ」
「だったら毛利さんにでも連絡して迎えに行ってもらいますから、明日まで待って下さい」
「それが明日の夜東京都内で打合せがあるんだよ。こんな時間にこちらまで来ることが可能なのって、千里くらいだし」
「そもそも誰か女性と一緒に行っておられたんじゃないんですか?」
「そいつが女と思ったら男だったんだよ。もう逃亡した」
 
「でも私、今無茶苦茶忙しいんですよ。そもそも合宿中だし」
「そこを何とか頼む」
 
千里は再度ため息をついた。
 
「とりあえず1時間ほど待って下さい。今救急患者を2人抱えているので」
「え〜〜!?でも分かった。1時間後にまた電話する」
 

それで千里は宿舎の玄関を出た。
 
雨が物凄い。雷まで鳴っている。
 
千里はそれでも仕方ないので、傘を差して右手に持ち、今使った携帯は左手に持ったまま、雨の中、アテンザを駐めている駐車場に向かおうとした。まずはアテンザで桃香を病院に運ぼうという魂胆である。
 
「全く身体が3つか4つ欲しいよ」
と千里は独り言を言った。
 
その時であった。
 
ピカッと光ると同時に物凄い雷鳴がした。
 
そして千里は倒れていた。
 
2017年春から2019年春にわたる2年間の千里の受難の始まりであった。
 

選手宿泊棟の当直をしている警備員は、ごくごく近くに落雷したようだったので、本棟の方に詰めている同僚にひとこと連絡した上で様子を見に行く。すると選手らしき女性が倒れているので驚き、そばに寄る。
 
万一帯電しているとこちらも危険なのでそっと近寄る。
 
「ちょっとあなた」
と呼びかけるが反応は無い。
 
傘が燃えている。差していた傘に落雷したのだろう。しかし本人は焼けたりしている所は無いようだ。
 
傍に寄り、おそるおそる口や鼻の前に手をかざす。
 
息はしているようだ。ホッとする。
 
気を失っているだけなのだろう。
 
取り敢えず119番通報をする。本棟の方に居る同僚を呼ぶ。
 
その時、警備員は赤い車が駐車場を出て、ゲートの方に走って行くのを見た。コンビニにでも行くのかな?と彼は思った。
 

千里の後ろの子たちは突然の落雷に混乱する。
 
落雷の瞬間、《とうちゃん》が千里の身体に巻き付くようにして千里の身体を守った。雷の電気の大半は《とうちゃん》の身体を伝わって地面に流れた。それで千里は命には別状は無かったものの、多少の電気は流れたろうし、そのショックで気を失ったようだ。
 
《とうちゃん》自身は雷程度に打たれても平気ではあるものの、それでも息が上がって取り敢えず声が出ない。それで《とうちゃん》に代わり《こうちゃん》が
 
『点呼!』
と言って、眷属全員の状況を確認する。
 
『騰蛇』
《とうちゃん》はまだ声を出せないものの手を挙げる。
 
『朱雀』
『あいつは今アメリカに行っている。数日後にこっそり帰国する』
『何か工作活動しているようだ』
 
『六合』
『あい』
 
『勾陳って・・・俺だ』
 
『青竜』
『あいつは昨夜からずっとソフトの作業をしていてダウンして今用賀のアパートで寝ている』
『お疲れなことだ』
 
『貴人』
『今Jソフトで会議中』
『こんな時間に会議かよ!?』
 
『天后』
『京平のお世話係で大阪に行っている。今阿倍子の様子を見ている』
 
『大陰』
『桃香の様子を見に行った。多分もうすぐ向こうに着く』
 
『玄武』
『あい』
 
『大裳』
『今合宿所の部屋の中にいる』
 
『白虎』
『フェイに付いてる』
 
『天空…さん』
と《こうちゃん》は彼にだけは敬称を付けた。
『いるよ』
 
『じゃ結局今ここにいるのは5人だけかよ?』
 
その中でも《くうちゃん》は細々としたことには関わらないし、《とうちゃん》は恐らく体力回復に数日掛かる。つまり実質頼りになるのは自分も含めて3人(こうちゃん・りくちゃん・げんちゃん)しかいない。
 
1人はアメリカ、1人は大阪、1人は用賀、1人は経堂、1人はJソフト、1人はあきるの市、1人は合宿所内である。
 
『千里が忙しすぎるんだよ』
と《りくちゃん》が言っている。
 
『全員招集した方が良いのでは?』
と《げんちゃん》が言う。
 
『そんな気がする。天空さん、お願いします』
と《こうちゃん》。
 
『分かった。召集!』
 
それで千里の眷属12人がここに集められた。
 

《たいちゃん》は合宿所の千里の部屋にいたのを合宿所前に転送された。転送距離はほんの30-40m程度である。物凄い雨が降っているので「わっ」と思う。
 
《てんちゃん》は大阪の貴司のマンションで京平に寝ているように言って寝かせつけた後、阿倍子の様子を見ていたのだが、いきなり東京に転送された。転送距離は400km程度である。なお京平には伏見から派遣されている守りのお狐さんも付いているが、そちらの人は阿倍子のことまでは関知しない。
 
《びゃくちゃん》はあきるの市のフェイのマンションに居たのだが、突然転送される。転送距離は40kmほどになる。なおフェイには青葉の眷属・笹竹も付いている。
 
《せいちゃん》は世田谷区用賀のアパートで寝ていた所を転送された。転送距離は17km程度である。
 
《いんちゃん》は世田谷区経堂の桃香のアパートに到着し、苦しんでいる桃香の様子を見て、対処を考えようとしていた所を、いきなり北区に転送された。転送距離は15km程度である。なお、桃香には青葉の眷属・小紫も付いている。
 

《きーちゃん》は《千里B》として、深夜にJソフトで会議をしていた。同社で運用しているシステムに重大な欠陥があることが発覚し、それをどうするか、SE総出で話し合っていたのである。まともな改修をするとどう見ても7-8人月の作業工数(費用は1000万円超)が掛かるので、何とかもっと簡単で早く改修する方法はないかと議論していたものの、妙案は出なかった。
 
「このA案とB案について、村山係長はどう思う?」
と専務が言ったのに対して、何も返事が無い。
 
ん?とみんなが千里が座っていたはずの場所を見るに、そこには誰も居ない。
 
「村山君どこに行ったんだっけ?」
「今さっきまでそこに居たよね?」
「トイレにでも行ったか、コーヒーでも入れに行ったか」
 
「でも気付かなかった!」
 
「専務。やはりみんな疲れているのでは?これでは出る案も出ませんよ。少し寝て、また明日の朝から会議をしませんか?」
と矢島課長は提案した。
 
「そうするか。では今夜はこれでいったん解散」
 
ホッとした空気が流れる。この時間に終わってくれたら、終電に間に合う人も多い。
 
しかし矢島は大部屋にもマシン室にも、女子更衣室や女子トイレにも千里の姿が見当たらないので、本当にどこに行ったんだろう?と首を傾げた。
 
「まさか社内のどこかで遭難してないよね?」
 
《きーちゃん》の転送距離は19km程度である。
 

“須佐ミナミ”は4/14 11:00 PDT (=4/15 3:00 JST)にロサンゼルス国際空港に到着した。「須佐ミナミ」の軌跡を作っておくため、その日は市内に宿泊した上で4/15日市内に本拠地を置くWNBAのチームの練習を見に行ったあと、市内のS大学に行き、ここでも女子バスケットチームの練習を見学した。特に“本物の”須佐ミナミのプレイはよくよく目に焼き付けておいた。
 
この人才能あるなあ。いい指導者に当たるともっと伸びるだろうけどなあと《すーちゃん》は思った。
 
彼女は《磨かれていない原石》という感じである。S大学は強豪なので実際問題として彼女は大会のベンチにも座れないようだ。
 
彼女のプレイを1時間くらい見てから、ホテルに戻りもう1泊する。翌16日にホテルを出たらローキューツに居た“須佐ミナミ”とは違う女性の姿になって、日本に舞い戻る予定である。
 
そして翌朝6時半頃朝食を済ませ、チェックアウトしてからロサンゼルス空港に行くのにタクシーに乗る。10:20発の羽田行きに乗るつもりである。なお、ロサンゼルスの4/16 6:30(PDT)は日本時刻では4/16 22:30になる。
 
《すーちゃん》はタクシーに乗ると
「Los Angeles International Airport」
と運転手に告げて、後部座席で目を瞑っていた。アメリカに来たの久しぶりだし、どうせなら少し遊んでから帰れば良かったかなあ、などとも思う。千里に言ったらきっと『うん。息抜きしておいでよ』と言いそうだし。
 
と思っていたら、突然あたりが真っ暗で物凄い雨が降っている所に来る。
 
《すーちゃん》はびっくりして、一瞬転びそうになった。
 
『何?何?』
と声を出すと
 
『お帰り』
と《びゃくちゃん》から言われる。
 
《すーちゃん》の転送距離は“地表経由”で計算すると8800km, 物理的な“直線距離”で計算すると8100kmになる。但しこの場合地下1465kmの所を通過することになる。100万気圧・2000度という高温高圧の下部マントルの領域である。《くうちゃん》がどちらのルートで彼女を転送したのかは不明である!?
 

《すーちゃん》が乗っていたタクシーの運転手は最初の頃は彼女に
 
「You here for sightseeing ?」
とか
「Have you seen MOCA ?」
とか訊くので、《すーちゃん》も適当に答えていたのだが、その内反応が無くなる。
 
運転手は機嫌でもそこねたかな?と思ってバックミラーを見るが、客の姿が見えない!?
 
へ?
 
と思い、車線変更して右車線に行き、そのまま路肩に停めた。
 
振り返る。
 
居ない!?
 
そんな馬鹿なと思い、運転手は降りて後部座席のドアを開け、見てみる。
 
が誰もいない。
 
まさか・・・まさか・・・
 
今のって、例の幽霊ヒッチハイカー(Ghostly Hitchhiker)かぁ!???
 
そう考えると運転手は背筋がぞっとする思いがした。
 
日本の「タクシーただ乗り幽霊」に相当する「幽霊ヒッチハイカー」という都市伝説がアメリカでは有名である。話の筋は日本のとほぼ同じである。研究者によるとこの話は少なくとも19世紀まで遡るらしい。
 
運転手は
「I'd better go home and sleep a little」
 
と言って、取り敢えずメーターを起こした上で、近くのハンバーガーショップに入り、少し休憩してから帰ることにした。会社には
 
「I'm not feeling well. I want to take the rest of the day off」
 
と連絡を入れた。無線に出た社長も
「OK. Take care, Bill」
 
と言ってくれた。もっとも社長は
 
「One more thing, Don't drink」
と言ったのでビルも
 
「Roger!」
と答えて首を振った。
 

結局千里は付き添ってくれた人たちと一緒に、やってきた救急車に乗せられて病院へ運ばれる。眷属たちも一緒に付いて行った。救急車の中でも《びゃくちゃん》が千里の治療をしていた。
 
『白虎、どうだ?千里の状態は?』
と《こうちゃん》が尋ねる。
 
『ショックで気を失っているだけだと思うんだよ。すぐ目を覚ますと思うんだけどなあ。どこも怪我とか火傷とかしている様子も無いし』
 
『それは騰蛇が守ったからな』
 
心配そうに眷属たちは千里の様子を伺っていた。
 

16日23:25.
 
「桃香大丈夫?」
と言って千里はアパートのドアを開けた。
 
「千里、来てくれたんだね。嬉しい」
「赤ちゃんの様子どう?」
「なんかもう股の間から飛び出してきそうな感じ」
「破水は・・・してないね?」
「と思う」
 
「取り敢えず病院に連れて行くよ」
 
千里は桃香がかかりつけの大間病院まで連れて行くのは遠すぎると判断した。それで世田谷区内の産婦人科を電話帳で調べて片っ端から電話してみることにした。最初自分の携帯から掛けようと思ったのだが、見当たらない。あれ〜?車の中に落としたかな?(千里はこれをよくやる)と思い、家電から掛けていった。すると1軒目では断られ、2軒目は電話がつながらなかったものの、3軒目のお医者さんが
 
「だったら連れてきなさい」
と言ってくれた。それで千里は桃香をアパートそばに駐めている赤いアテンザまで運ぶと、その病院、F産婦人科まで連れて行った。
 

取り敢えず診察室に案内され、千里は桃香をベッドに寝せた。
 
「ああ、まだこれは出てこないよ。大丈夫だよ」
と先生は言った。
 
「切迫早産ではないのですか?」
「違う違う。中の赤ちゃんが少しおいたして暴れただけだな」
「全く人騒がせな胎児だ」
「切迫早産なら、こんな痛みじゃなかったと思うよ」
「気が重くなる話だ」
 
「とりあえず安静にしておいた方がいい。病室で寝てる?」
「お願いします」
 
それで取り敢えず明日1日入院して安静にしていることになった。千里が入院の手続きを代行した。
 
「あれ?あなた妹さんか何かではなかったのですか?」
と書類を見ていた看護婦さんが言う。
 
「私たち同性の夫婦なので」
「ああ、それでしたら問題無いです」
 

16日23:10.
 
「阿倍子さん、阿倍子さん」
と名前を呼ばれ、身体を揺すられる感覚に、阿倍子は意識を戻した。
 
「千里さん?」
「京平が阿倍子さんのスマホを操作して、私に電話を掛けてきたんだよ。ママが、ママが、って言うから何か起きたと思って。私ちょうど仕事で大阪に来ていたから駆けつけて来た」
 
「わ、京平が呼んでくれたのか」
 
可愛い女の子みたいなパジャマを着た京平が心配そうに見ている。
 
阿倍子のスマホには実は貴司・母・千里の3人しか登録されていない。アドレス帳を開くと先頭にその3人が表示される。ちなみに千里の所は髑髏のアイコンになっている!しかしそれで京平は識別したのかもと阿倍子は思った。
 
しかし阿倍子が正常な状態であれば、どうして千里がマンション内に入れたのか疑問を感じる所だが、この時阿倍子はそこまで頭が回らなかった。
 
「凄い熱。救急車呼ぼうか?」
「そこまで大げさでなくても。もし良かったら貴司の車で市民病院に連れていってもらえない?救急外来を受け付けていると思うから」
 
「分かった。連れて行くね」
 
それで千里は京平にはもう心配ないから寝ているように言い、貴司のランドクルーザー・プラドの鍵を壁のフックから取る。阿倍子を支えて部屋を出る。エレベータまで連れていき、乗せて地下に降りる。そして何とか車まで連れて行きドアを開ける。2列目中央に設置されているチャイルドシートを取り外して荷室に移動した上で、その2列目に彼女を寝せた。プラドの3列目はキャプテンシートなので、横になることができないのである。
 
「ありがとう。千里さん力あるのね」
「バスケット選手だから」
「すごーい」
 
それで千里は阿倍子を市民病院に連れて行き、救急外来の所で診察を頼んだ。
 

千里はキョロキョロした。
 
ここどこ?
 
どうも空港のようである。時計を見ると23:00であった。
 
近くに全日空のカウンターがあったので千里は素直に尋ねてみた。
 
「すみません。ここどこの空港ですか?」
 
グランドホステスさんは一瞬「へ?」という顔をしたものの、すぐ笑顔で答えた。
 
「ここは東京国際空港、通称羽田空港の国際ターミナルです。This is Tokyo International Airport, also known as Haneda Airport. This is International Terminal of It, Ms」
 
英語を添えたのは、ここが分からないというのは、アジア系の旅行者かも知れないと思ったからだろう。
 
千里は《くうちゃん》が転送してくれたのかな?と思った。
 
「いちばん早いバンコク行きは何時ですか?」
「0:20のタイ国際航空と全日空のコードシェア便、0:30の全日空便、0:40の日本航空便がございます」
 
「それ到着時刻もその順序ですか?」
 
「0:20の便は4:50, 0:30と0:40の便は現地時刻5:00にバンコクのスワンナプーム国際空港に到着致します。現地時刻との時差は2時間で日本の朝7時に相当します」
 
「0:20に間に合いますか?」
「間に合いますが、パスポート拝見できますか?」
「はい」
 
それで千里はバッグの中からパスポートを取りだして係の人に見せる。
 
「滞在日数と渡航目的を教えて頂けますか?」
「日帰りです。財布を無くした友人を迎えに行くだけですから、トンボ帰りになります」
「でしたら往復のチケットをご購入頂けましたら、ビザは不要になりますが」
 
タイは観光目的の30日以内の滞在にビザは不要である。但し6ヶ月以上有効のパスポートと帰りのチケットが必要である。
 
「帰りの便でいちばん早いのは何時ですか?」
「羽田行きでしたらスワンナプーム国際空港を9:35の全日空便があります。これは17:55に羽田に到着致します。成田行きでしたらスワンナプーム国際空港を6:50の全日空便があり、これは15:00に成田空港に到着します」
 
「では帰りはその6:50の成田行きにして、往復でチケット下さい」
「1名様ですか?」
「はい、そうです」
 
「承知致しました。お支払いは?」
「カードで」
 
それでGHさんはチケットを発行してくれた。もうビジネスは残っていなかったのでエコノミーにした。帰りはビジネスが取れるということなのでビジネスで取った。
 
「お荷物は?」
「このバッグだけです。機内に持ち込みます」
「ではこのまま保安検査場をお通り下さい。時間が無いのでお急ぎ下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
 

それで千里は保安検査場・税関・出国審査を通過すると、搭乗口まで行った。
 
千里は取り敢えず雨宮先生に電話した。
 
「スワンナプーム国際空港に4:50に到着する全日空便でそちらに向かいます。先生、スワンナプーム国際空港まで来られます?」
「スワンナプームね?ドンムアンじゃなくて」
「はい。スワンナプームの方です」
 
バンコクにはふたつの国際空港があり、日本からはどちらの空港へも便がある。
 
「今私を拘束している男に言ってそちらに移動させる」
「男なんですか?オカマさんじゃなくて?」
「オカマに騙されたから、男に捉まっている」
 
なんだか分からないが、とにかく移動できるのであれば問題無いだろう。搭乗案内が始まるので千里は携帯の電源を切ってその列に並んだ。列に並んだまま考えた。
 
私、何か他にも大事な用件があった気がする。何だろう??
 
千里はその時、他のことは思い出すことができなかった。そしてそのままタイ行きの飛行機に乗り込んだ。
 

23:35頃に千里に連れられて救急外来に来た阿倍子は救急担当医の診察を受けた結果、インフルエンザと診断された。タミフルを処方される。しかしひとりでは歩けない状態なので、とりあえず入院させることにした。0:10頃、部屋に案内される。
 
「貴司に連絡するよ。今夜は残業?」
と千里が阿倍子に訊くと
 
「それが貴司は日本代表候補の合宿で東京に行っているのよ」
「え?そうなの?いつまで?」
「19日までなんだけど」
と言いながら、阿倍子は本当に千里はそれを知らなかったのだろうかと疑っている感じではある。
 
「じゃどうしようか?私は東京に戻らないといけないし」
 
その時阿倍子は少し考えてから言った。
 
「千里さん。悪いけど19日まで京平を預かってくれないかしら?あの子に移したくないから。それにあの子、何か千里さんに懐いているみたいだし」
 
千里も少し考えてから言った。
 
「分かった。だったら貴司と連絡取って、合宿が終わった貴司に京平を引き渡すようにしようか?」
 
「あ、そうね。だったらそれでお願いできる?」
「いいよ」
 
阿倍子としてはあまり千里と貴司を会わせたくはないものの、京平が一緒の状態で変なこともしないだろうと考えた。
 

それで千里は病院の看護婦さんに、貴司の携帯番号、自分の携帯番号を伝えた上で病院を後にした。ランドクルーザー・プラドを運転してマンションに戻る。戻ったのが0:45くらいである。
 
そして京平を起こそうとしたのだが、京平は自分で起きてきた。
 
「ママどうだった?」
「今週いっぱいくらい入院するって。でも大丈夫だよ」
「それなら良かった」
「それでママが入院中京平のお世話できないから、私に預かって欲しいというんだけど、一緒に東京に来る?」
「うん!」
 
と京平は少し嬉しそうに言った。
 
それで千里はタンスから京平の着換えを出して旅行用バッグに詰める。スカートも入れてなどというので入れてあげる。京平ひょっとして女の子の服にハマってないか?まあいいけど。パンツ型のおむつを1袋持つ。そして《くうちゃん》に頼んで一緒に東京に転送してもらおうとしたのだが・・・。
 
『くうちゃん!?』
 
《くうちゃん》とコネクトが取れないのである。
 
うっそー!?
 
どうなっているんだろうと千里は困ってしまった。そういえば、そもそも京平を見ていてくれたはずの《てんちゃん》も居ないことに気付く。
 
『なんで〜!?』
 

『お困りか?』
と京平を守っている伏見のお狐さんが言った。
 
『いえ大丈夫です。車で東京まで移動します』
『分かった。私も付いていってよいか?』
『もちろんどうぞ。よろしくお願いします』
 
それで千里は京平に青いパジャマに着替えるさせてから、一緒に駐車場まで降りて行く。ランドクルーザーの室内にいったんまんべんなくアルコールのスプレーを掛けて消毒した上で、3列目左にチャイルドシート、2列目中央にベビーシートを設置した。
 
「じゃこの2列目中央の方に乗って」
と千里が言うと
 
「それに乗るの〜?」
と京平は不満そうである。本人としてはこれはもう卒業した気分である。
 
「チャイルドシートだと座ったまま眠らないといけないでしょ?」
「それはきついなあ」
「ベビーシートなら寝ていけるからね。このベビーシートは13kgまで大丈夫だから京平でも行けるんだよ」
 
京平の体重は現在11.7kgである。
 
「じゃ寝ていく」
「うん」
「朝になったらチャイルドシートの方に移動していいから」
「うん。起きたらそっちに行く」
 

それで京平を寝せてから運転席に就く。エンジンを掛けてから車の時計を見たら1:15であった。車を出す。リモコンで駐車場のドアを開け外に出る。千里(せんり)ICを登ると、名神方面へ車を向けた。
 
深夜なので貴司への連絡は明日にしようと思った。そもそも今貴司が阿倍子に連絡するのは、阿倍子の身体に負担を掛ける。
 
東京まではノンストップで5時間くらいだ。朝までには着くだろうと思う。いつもは《きーちゃん》たちに運転させているものの、千里はひとりでもノンストップで運転する自信があった。
 
しかし京平を守っているお狐さん(真二郎さんというらしい)が言った。
 
『ひとりで運転するなら途中1〜2度休憩した方がいいと思う』
 
『そうですね。だったら土山あたりで休むつもりで、状況次第で臨機応変に』
 

17日0:10.
 
桃香をF産婦人科に入院させた千里は桃香に言った。
 
「今回は何とかなったけど、私も忙しい中で、またこういうことがあったら、マジで危ないよ。桃香、いったん高岡に戻った方がいいと思う」
 
「うーん・・・・」
「また東京に出てくる件は、赤ちゃん産まれて落ち着いてからまたお願いすればいいじゃん」
 
「そうだなあ・・・」
 
「それに産まれたばかりの赤ちゃんを桃香ひとりでお世話できる?出産してからすぐはそんなに動けないよ。それでひとりでおむつとかミルクとか買ってきたりとかできる?私このあと海外出張もあるしさ」
 
「うーん。。。その時は誰か友だちに頼って」
 
千里は自分が日々付いていることもできないので、高岡に戻ってお母さんを頼ったほうがいいと言ったのだが、桃香は渋る。
 
「だったら出産まで入院してる?」
「高岡に帰るよりはそっちがいい」
「別にどこに住んでいても大差無いと思うけどなあ」
 
実際問題として日々全国を(時には世界を)飛び回っている千里はそういう感覚なのだが、ほとんど東京の外に出ていない桃香にとっては、必ずしもそうではない。住む場所は重要である。
 
それで結局、桃香は出産まで大間産婦人科に入院するという方向で考えることにし、明日の朝になってから、即入院可能か大間さんの方に照会してみることにした。
 

「じゃ、私は仕事に戻らないといけないから」
と言って、千里は0:30すぎに病院を出た。
 
駐車場に駐めているアテンザに乗り込み、合宿所に向かう。千里は何か桃香のこと以外にも大事なことがあったような気がしたのだが、それを思い出すことはできなかった。
 
30分ほど車を運転してNTCに戻る。ゲートを顔パスで通過し、選手専用の駐車場に車を駐める。そして自分の部屋に戻ろうとしていたら、廊下の自販機でジュースを買っていた高梁王子とバッタリ会う。
 
「サンさん、もう大丈夫なんですか?」
と彼女は驚いたように言う。
 
「もう大丈夫って?」
「雷に打たれて病院に運び込まれたと聞いたんですが」
 
千里はびっくりする。
 
「それどこの病院?」
と王子に訊く。
 
「えっと・・・B中央病院だったかな?」
と王子。
 
「分かった。ありがとう。行ってみる」
「へ?」
 
戸惑っている王子を放置して、千里は玄関まで降りて行くと、タクシーを呼んだ。今アテンザを運転して病院に行くのは混乱の元だと判断した。
 
そうか。何かどうも自分が《不完全》な気がしていたのは、そのせいだ!
 

2時間半ほど前。
 
北区の合宿所玄関近くに倒れている女性のそばで、警備員は救急車の到着を待っていた。そこに本棟の警備員も駆けつけてくる。
 
「合宿している選手ですかね?」
「女子だからバスケットかも」
「ちょっとバスケ関係者に聞いてみましょう」
「お願いします」
 
それでもうひとりの警備員さんが本棟の警備室の方に走って行きかけたのだが、宿泊棟の玄関の所に1人長身の女子選手が出てきた。
 
「何かあったんですか?」
と声を掛けてくる。
 
「あなたバスケの人?」
「はい」
 
「女子選手らしき人が雷に打たれたみたいで倒れているんですよ。あなた知り合いかどうか見てもらえません?」
「はい!」
 
それでその選手が近寄ってくる。
 
「千里!」
と大きな声をあげて、玲央美は千里に飛びつくようにして揺り動かす。
 
「あ、あまり動かすと脳震盪(のうしんとう)を起こすとまずい」
「分かりました」
 
「あなたバスケットの責任者の人に連絡取れる?」
「はい」
 
それで玲央美が風田アシスタントコーチに連絡を取る。驚いて風田コーチが自分の部屋から出てやってくる。ちょうどそこに救急車が到着したので、結局コーチと玲央美が付き添って病院に行くことにした。玲央美は急いで千里の部屋に行き、千里の着換えも取ってきてくれた。
 
「あ。携帯が真っ黒こげ」
「まあ当然ですね。でももしかしたら携帯が電気をそちらに誘導したから助かったのかも知れませんよ」
と救急隊員。
 
「だとすると、ほんとに運の良い子だ」
と玲央美は言った。
 
他に千里が持っていた傘も真っ黒焦げだった。こちらは骨だけになってしまっている。携帯と傘は、お医者さんにも見てもらった方がいいだろうということで一緒に持って行った。
 

救急車は5分ほど走り、近くのB中央病院に入った。これが23:30頃である。救急担当医の診察を受ける。
 
全身に火傷などが無いか確認するため服をハサミで全部切り取る(火傷していた場合、脱がせようとすると肌を傷める)。しかし服は多少の焦げがあるものの、千里自身はどこにも火傷などは負ってないようだ。
 
「火傷もしていないし、どこかを痛めたりもしていないようですね」
 
とあちこち触ってみた医師は言う。
 
玲央美が持って来た服を着せた上で、心電図を取ってみたものの異常は見られない。念のため脳を中心にMRIを撮ってみたものの、やはり異常は見られない。
 
全身のMRI画像を見ていて医師が尋ねる。
 
「患者さん、子供を産んでおられますかね?」
 
玲央美が答える。
「一昨年の6月に産んでいます。まだ授乳中ですよ」
「なるほどですね。だったらこれは異常ではないな」
 
それを聞いて、玲央美はやはり千里は本当に子供を産んでいるんだろうなと思った。
 
医師は腕を組んだり拳を握って口に当てたり、膝を組み直したりしている。かなり悩んでいる様子だ。
 
実は患者が意識を回復しない理由が分からないのである。
 
「とりあえず一晩様子を見ましょう。朝までに意識を回復しなかったら、他にもいろいろ精密検査してみます」
 
「お願いします」
 
それで入院させることにし、病室に運び込む。風田コーチが入院の手続きをする。この夜はあちこちで入院ラッシュである。
 
23:40 桃香がF産婦人科に入院
0:10 阿倍子が市民病院に入院
0:40 千里がB中央病院に入院
 

手続きを終えてから病室に来た風田コーチは玲央美に言った。
 
「僕が付いているから、君は宿舎に戻って寝ていなさい。明日も練習はあるし」
 
「コーチこそ戻っていてください。私は彼女に何度か助けられたことがあります。私、付いていたいんです」
 
「分かった。じゃ何かあったら遠慮なく呼んで」
 
それで風田コーチはいったん宿舎に戻ることにした。
 
これが0:35頃のことであった。
 
この時、桃香の所に行った千里(以下「千里1」)は桃香を入院させてからアテンザで合宿所に戻ろうとしており、京平の所に行った千里(以下「千里2」)は阿倍子を入院させてからプラドでマンションに戻った所。そして雨宮先生を迎えに行った千里(以下「千里3」)は既にタイに向かう飛行機の中である。
 

入院している千里(以下「千里0」)には血圧・脈拍を計る装置が取りつけてある。そこから規則的な音が聞こえる。それを子守歌のようにして玲央美はいつしか眠ってしまっていた。
 
一方、王子から「千里が雷に打たれて倒れた」と聞いた千里1は、タクシーでB中央病院に駆けつけると、救急入口から入り、係の人に23時頃、雷に打たれたとして運び込まれた女性のことを聞いた。
 
「診察を受けたあと今入院していますが、そちら様は?」
「妹です」
「では512号室ですので」
「ありがとうございます」
 
それで千里1はエレベータに乗って、512号室に行った。ドアを開けると、千里(千里0)がベッドに寝ていて、そばの椅子には玲央美が座ったまま寝ている。
 
千里1が入って来た気配にその玲央美が目を覚ました。
 
「千里!?」
と言って、こちらを驚いたように見ている。そしてベッドの方も見て
 
「え〜〜〜!?」
と声をあげた。
 
「レオごめーん。心配掛けたよね」
「こっちの千里は?」
 
「それ多分私の身体」
「じゃそちらは?」
「多分私の心だと思う。落雷のショックで心と体が分離したんだよ、きっと」
 
千里1はベッドのそばに寄ると、やはりちゃんと方向を合わせないといけないかな?と考え、寝ている千里0と同じ方向に向き直り、その上に重なるように寝た。
 
白い光に包まれてふたりの千里がひとつになる。
 
そして千里(0+1)はパッと目を開け、起き上がった。
 
「千里!」
と言って玲央美は抱きついた。
 
「レオ、ほんと心配掛けてごめんね」
と千里は言った。
 
これが1:20頃のことであった。
 

後ろの子たちは仰天した。
 
部屋のドアを開けて千里が入って来た時点で、彼らは『何〜〜〜!?』と声をあげた。懸命に千里が意識を回復してくれるよう身体に刺激を与え続けていた《びゃくちゃん》も『うっそー!?』と叫ぶ。
 
そしてふたりの千里が合体し、寝ていた千里が目を覚まして起き上がると、彼らも涙を流して喜んだ。
 
『みんなにも心配掛けたね。ごめんね』
と千里は彼らに言った。
 
眷属達はこれで今回の騒動は収まった、と思ったのである。《くうちゃん》を除いては。
 

玲央美がナースコールを押し、千里が意識を回復したことを告げる。医師が来て診察した。
 
「どこにも異常はないですね」
「じゃ帰っていいですかね?」
「朝になって再度検査させてください。それで異常が無ければ退院にします」
「分かりました」
 
医師としては、原因不明の意識喪失状態にあった人が意識を回復したからといってすぐ帰すのは、無責任なようでもあり、また怖い。
 
それで17日の午前中いっぱい色々検査を受け、お昼を食べてから退院する方向で考えようということにした。玲央美はずっと付いているよと言った。
 

玲央美はかなり神経が張り詰めていたようで、診察を終えた医師が救急処置室そばの医師控室の方に戻ると、5分ほど意識を回復した千里と話した所で眠ってしまった。千里0+1(以下面倒なので単に「千里1」と書く)は彼女をいたわるように、その髪を撫でていた。
 
ふと気付いたように後ろの子たちに呼びかけた。
 
『今誰々がいるんだっけ?』
『全員いるよ』
『全員!?』
『緊急事態だったから全員呼び戻した』
『わっごめん』
 
『とうちゃん?』
『・・・』
『いない?』
『騰蛇は落雷があった時、千里の身体に巻き付いて、千里を雷の電気から守ったんだよ。だからまだ声が出せないけど2〜3日で回復すると思うから』
『わ、ごめんねー。でもありがとう』
 
『落雷の衝撃自体はほとんど騰蛇が引き受けたはずだから、千里の心と身体が分離したのは精神的なショックだろうな』
 
『すーちゃんもいるの?』
『いるよ』
と彼女は“公共会話モード”で答えたあとで
 
『ロサンゼルス空港に向かう途中でこちらに転送されて戻って来た』
 
と“直信”で言ってきた。彼女のミッションについては知らない子もいる。
 
『ごめんねー』
『私、向こうに戻って再度日本行きに乗る必要ないんだっけ?』
『放置しておけばいいよ。そしたらこちらの須佐ミナミもアメリカに渡航したままという記録になる』
『そっか。じゃそれは放置で。タクシーの代金払ってないけど』
『その会社の名前と運転手さんの名前分かるかなあ』
『覚えてる。****という会社のBill Adamsさん』
『じゃその人宛に100ドルくらいトラベラーズチェックでも送りつけよう』
『あ、それはいいね』
 
『りくちゃん?』
『俺はずっといるよ』
 
『こうちゃんはいるね?』
『あい』
 
『せいちゃん?』
『用賀で仮眠していた所を転送された』
『いつもお疲れ様。取り敢えず寝てて』
『そうする』
 
『きーちゃんは?』
『Jソフトで会議している最中に転送された。私は社内から蒸発したことになっているかも』
『いっそそのまま行方不明ということにする?』
『それは警察沙汰になるから戻るよ。天空さん、悪いけど、朝、人が出てくる前にマシン室のホストの裏側あたりにでも転送して』
『いいよ』
『ああ、そういう所で寝込んでしまうというのはあり得ることだよな』
 
『てんちゃんは?』
『京平を寝かせつけた後、阿倍子さんの様子を見ている時に転送された』
『阿倍子さんどうかしたの?』
『風邪か何かかと思ったけど凄い熱が出ていた』
『ホント?』
『という話をしていたんだけど、まさか覚えてない?』
『ごめーん。全然記憶が無い』
『きっと落雷のショックで記憶が少し飛んでいるんだろうな』
 
『雨宮先生がバンコクで立ち往生しているから助けてと電話して来たのは覚えてる?』
『知らない』
『やはり記憶が飛んでいるようだ』
『雨宮先生は私が助けられなかったら毛利さんあたりに頼んでいると思うから放置しておけばいいよ』
『あの先生は、弟子たちに適当に扱われているようだ』
『まあ朝になったら電話してみるか』
 
『でも阿倍子さんどうしよう?まだ苦しんでいるかな』
すると《くうちゃん》が言う。
『今見てみたけど病院のベッドで寝ているようだよ』
『良かった!病院に行けたのか。だったら何とかなるね』
『病院にもし入院しているんだったら、京平君はひとりかな?』
『あの子はひとりでも御飯くらい食べられるし、伏見の人も付いているから大丈夫だと思う。朝になったら連絡してみるよ』
 
『いんちゃんは?』
『桃香のアパートに様子を見に行った所を転送された』
『桃香の件は私が対応したから問題無いね』
 
『げんちゃんは?』
『ずっといるよ』
 
『たいちゃん?』
『合宿所の部屋に居た所を表に転送された。多分いちばん短い転送距離』
『私が表に倒れているのに、部屋の中にもいたら変だから問題無いね』
 
『びゃくちゃんは?』
『真琴ちゃんの所に付いていたのを転送された』
『わっ、お疲れ様。じゃ向こうどうしよう?』
『あちらには青葉の眷属も常駐しているから大丈夫だと思う。私はしばらく千里が心配だから、千里に付いてる』
『分かった。向こうもだいぶ落ち着いているから、常駐までしなくてもいいかな』
 
『そしてくうちゃんは、いつでもお話できるね』
『暗号鍵さえ合えばね』
 
 
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【△・落雷】(2)