【少女たちの修復】(3)
1 2 3
(C) Eriki Kawaguchi 2019-05-24
その日千里は“診断”があるので病院に行ってくれと言われて、ひとりで市内のC病院にやってきていた。受付で渡された書類を提出すると小児科に行ってと言われたのでそちらに行くが、先におしっこを取って、採血もして下さいと言われてまずは紙コップをもらうのでトイレ(むろん女子トイレ)でおしっこを出して提出する。その後採血室で血を採られる。じょうずな看護婦さんだったので、ほとんど痛くなかった。
その後、CTスキャンを受けてくれと言われてCT室に行く。何だか病院代高そうと思うが、診断費は協会の方から出ると言われている。それが終わってからやっと小児科医の診察を受ける。
小児科の診察というと、千里は風邪とかでしかかかったことがないので聴診器を当てられたり、喉を開けて中を見られたりというのを想像していたのだが、お医者さん(女性)は「裸になってもらえる?」と言って千里を裸にした上でじっと身体全体を観察している感じだった。
「では次は婦人科に行って下さい」
と言われた。
婦人科〜〜?いったい私、何の診断を受けているのだろう??
それで婦人科に行き、順番待ちした後、診察室に入る。
「君、小学生?」
と40歳くらいの女性の医師は訊いた。
「はい。小学5年生です」
「だったら、君セックスの経験無いよね?あ、セックスって分かるかな?」
「分かります。ボーイフレンドはいますけど経験したことはないです」
「ああ。彼氏いるんだ?キスとかは?」
「まだ経験無いです。したいです!」
「うんうん。気持ちは分かる。もし盛り上がってセックスする時はちゃんと避妊してね。避妊のしかた分かる?」
「はい。保健室の先生に習いました」
「保健室の先生に習ったのなら大丈夫かな」
と言って女医さんは微笑むと、
「この内診台って知ってる?」
「いいえ」
「ちょっと恥ずかしい格好になるけど、我慢してくれる?」
「恥ずかしいんですか?」
「初めてだとちょっとショックかもね」
「頑張ります!」
とは言ったものの、千里は内診台に乗せられてそのあと下半身を持ち上げられると『うっそー!?』と叫びたい気分だった。恥ずかしいよぉ!更に何だか触られているし、何か入れられている感じ!??
でも我慢して頑張った。
「はい。終わったよ」
と言われて元の姿勢に戻される。
「何かあったんですか?よく分からないまま、病院行ってきてと言われたんですが」
と千里が言うと
「これね〜。女子のスポーツ選手は今後も何度もこれ受けさせられると思う」
と医師は同情するように言った。
「世の中には男か女か曖昧な人が時々いるから、スポーツの世界で優秀な成績を出した女子は、しばしば本当に女かって医学的な検査を受けさせられるんだよ」
あはは、性別の検査だったのか!?
「君は間違い無く女子だよ。心配しないで」
「よかった」
「じゃ診断書書いておくから受付で受け取って、協会に提出してね」
「分かりました」
「診断書は開封無効だから、提出前に開けたりしないように」
「はい!」
それで千里は受付で封印された診断書を受け取り、留萌剣道ジュニアスポーツ少年団の事務局に行って提出した。受け取った事務の人は
「ああ、村山さんだったね。ごめんね〜」
と言い、診断書を開封し、中身を読んで頷いてから
「成績の優秀な女子には念のためこういう検査を受けてもらうことがあるのよ。優勝した**さんにも昨年検査受けてもらったのよね」
へー!女子アスリートって大変だ!
ちなみにチラッと見えた診断書の中にはこのようなことが書かれていた。
《患者・村山千里の性別は女性である。
体型:思春期を迎えた女子の標準的な体型である。全体的に丸みを帯び、骨盤が発達し掛かっている。なで肩でバストがふくらみかけている。喉仏は見られない。体毛は全体的に薄い。陰部の発毛は女性型である。
外陰部:大陰唇・小陰唇・陰核を認め、女性の股間の形をしている。
内性器:CTスキャンの結果、卵巣・子宮・膣を認める。
睾丸や陰茎らしき物はいっさい認められない。
血液検査の結果、女性ホルモンの量はE2,P4ともに女性の標準内である。男性ホルモンの量は女性の標準内である》
まあ、普通かな、と千里は思った。
スポーツ少年団の人は
「村山さんも、お医者さんの診断で間違いなく女性であるということが確定したから、引き渡しを保留していたこの2枚を渡すね」
と言って、千里に
《平成13年度・留萌地区小学生夏季剣道大会・女子3位》
という賞状と
《認定証・剣道三級》
という認定証を渡してくれた。
「3級以上の認定者は剣道連盟に登録して欲しいんだけどいい?」
「はい」
剣道の級位は8級または6級から始まる。千里は昨年は5級認定をもらったのだが、今年は「君は4級を受ける必要は無いから3級を受けなさい」と言われ3級の試験を受けた。ところがその後、突然この日呼び出されたのであった。
ちなみに夏の大会の時は千里は男子の方にエントリーしていたのに、実際に対戦に出て行くと「君女子じゃん。名前を書く所を間違ったね?」と言われて強制的に女子の対戦表の方に移動されてしまった。それで女子の方で勝ち上がって3位になってしまったのである。ちなみに準決勝で千里に辛勝した他小の6年生女子が優勝して道大会に進出している。
春の大会の時は顧問が千里が戸籍上男子であることを忘れていて最初から女子としてエントリーされていた(昨年はまだ初心者だったので大会には出ていない)。それで女子の部で準優勝してしまい「いいのかなぁ?」と思った。夏の大会では最初男子として登録していたのと、多分3級になると性別の扱いが厳密になるのだろう。
そして厳密にチェックされて、女子選手と判定されてしまったようだ!?
「だったら、この登録申請書に記入してくれる?」
とスポーツ少年団の人は言った。
「分かりました」
と答えて、千里は申請書に記入した。
村山千里・むらやまちさと
平成3年3月3日生
性別 女
留萌市** *番地*号
電話 0164-**-****
留萌市立N小学校
「はい、ありがとう。これで登録して、登録証はこの住所に郵送するね」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
千里はこの日学校は公休にしてもらって、スポーツ少年団→病院→スポーツ少年団と廻り、14時頃学校に戻ってきたのである。剣道部の顧問の先生に報告して、渡された賞状と級位認定証を見せた。
「お疲れ様。病院で何か言われた?」
「いえ。特に」
「でもスポーツ少年団からはこれを渡されたのか」
「はい」
顧問の先生は「うーん」と声を出してしばらく考え込んでいたが
「まいっか」
と言って、認定証と3位の賞状を返してくれた。そして千里が職員室を出ていった後、スポーツ安全協会に電話を掛けた。
「すみません。うちの学校の児童でそちらのスポーツ保険に加入している子の記載事項が誤っているのに気付いたので修正して欲しいのですが」
「はい。はい。会員登録番号は******です。ええ、村山千里です。剣道部です。それで誤っていたのは性別で、女子なのに誤って男子と登録していたようで。はい。ああ、変更できますか?はい、よろしくお願いします」
2001年10月4日(木).
その日、志水照絵は「今日はヒデちゃん帰ってくるかなあ、徹夜かな」などと呟きながら、帰ってきた時のためにシチューを作っていた。明日からワンティスのツアーが始まるが、夫の英世はツアー・ミュージシャンとして参加することになっており、ここしばらくずっと練習で帰って来ない日も多かった。
夜8時頃、玄関の開く音がする。
「ヒデちゃん、お帰り!」
と言って、ガスを止め玄関に行くが、戸惑う。
「高岡さん?長野夕香さん?」
「ただいま。このおふたりは知っているよね?上げていい?」
と英世。
「もちろん。汚い所ですが、どうぞ」
と言って、照絵は高岡猛獅と長野夕香をあげた。夕香はまだ産まれて1ヶ月くらいと思われる赤ん坊を抱いていた。
「可愛い女の子ですね」
と照絵は思わず言った。
「りゅうこって言うんです」
と夕香は言った。
「夕香さんの・・・妹さん?」
「あ、いえ。私の子供です」
「いつ産んだんですか!?」
「産まれたのは8月20日です」
と高岡が言った。
「まさか、高岡さんと夕香さんの子供なんですか?」
「そうです」
「いつご結婚なさったんですか?」
「それがまだ結婚していないんですよ。事務所とレコード会社が結婚を認めてくれなくて」
「認めるも何も子供までできているのに!?」
「それでさ、照絵。この赤ちゃんを預かることにした。ツアー中悪いけど、この子の面倒をひとりで見ていてくれない?」
「いいよ!ツアーの終わる11月4日まで?」
と照絵は確認したのだが、夫はとんでもないことを言った。
「実はずっと、この子のことを公(おおやけ)にできるまで、ひょっとしたら2〜3年預かることにしたんだよ」
「え〜〜〜!?」
2001年10月7日(日).
千里たちN小合唱サークルのメンバーは一部の保護者と一緒に東京に出た。合唱コンクールの全国大会に出場する。今年も北海道は中心空港(新千歳空港)から羽田までの交通費が生徒分と引率者2名分まで出ている関係で、飛行機を使用したツアーにする方がJRを使うより安くなっていた。それで大手旅行代理店でツアーを組んでもらい、千里たちは前日にバスで旭川空港まで行って羽田まで飛び、土曜日は会場の下見だけしてホテルに入った。
昨年は千里が羽田空港で死亡?して蓮菜により蘇生されるという軽い(?)事故があったのだが、今年は“この日は”何事もなくホテルに入った。今年の参加部員数は29名である。
6年生10人・5年生9人・4年生10人。
この人数には、ピアニストの阿部さん・美那、トランペットの海老名君を含む。なお5年生の参加者9人は下記である。
5年生:蓮菜・穂花・佐奈恵・千里・小春・映子・紗織・美都+ピアニストの美那
この他に馬原先生、教頭先生、それに保護者が24名(男4,女20)参加している。
5年生女子の部屋割りは昨年と同様、蓮菜・穂花・佐奈恵・千里で1部屋、映子・紗織・美都・小春で1部屋になっている。
(1組の穂花たちは小春を2組の児童だと思っている。2組の映子たちは1組が5人いるから1人あふれて小春が2組の部屋に来ていると思っている)
「そういえば昨年もこの組み合わせで泊まったんだった。私千里ちゃんと同じ部屋に泊まったこと忘れていたよ」
と佐奈恵が言っている。佐奈恵は宿泊体験の部屋割りを決めた時、最初うっかり千里を男子でカウントしていたのである。
「私、この3人に裸も見せたじゃん」
「そのことも忘れていた!」
「まああまりにも千里が自然に女の子しているから、記憶に残らないんだな」
と蓮菜は解説している。
そういう訳で今年は千里の性別問題も特に話題にされることはなく、普通に順番にお風呂に入って(順序は蓮菜が千里→蓮菜→穂花→佐奈恵と決めた)、10時には灯りを消して寝た。
翌日朝6時に起きてホテルのラウンジでバイキング方式の朝御飯を食べた後、荷物を持って9時にホテルの玄関に集合する。
ホテル最寄りの上野駅から山手線に乗って、原宿まで移動する。ここで内回り(上野→池袋→原宿)に乗るか、外回り(上野→東京→原宿)に乗るかという問題があるのだが、ツアーに付き添ってくれている添乗員さんは
「時間差は微妙でどちらに乗ってもいいのですが、折角北海道から東京に出てこられているから、秋葉原や東京・渋谷などを通過する外回りにしましょうか」
と言って、3番線に連れて行った(内回りなら2番線)。このことで添乗員さんは後で平謝りすることになる。
もう通勤時間のピークは過ぎているので、無茶苦茶混雑しているということもない。そして東京駅まで来た時のことだった。いきなり凄い音がして車両の窓ガラスが割れた。
「きゃー!」
という悲鳴があがる。教頭先生が
「みんな伏せて!」
という声を掛け、それでみんな身体を縮めて座り込む。持っているバッグなどを頭の上に乗せる子も多い。
更に何だか物凄い音が連続で起きた。怒号のようなものも聞こえる。
騒動は3分ほどで終わったのだが、千里たちには10分くらいのように感じた。
静かになったあと、教頭先生が
「怪我している人はいない?」
と声を掛ける。
みんなそっと立ち上がる。各自自分の身体をチェックするが、千里は特にどこかに痛みなどを感じる箇所は無かった。教頭先生が
「お互い隣の人の身体もチェックしてあげて」
と言うので、千里は隣の蓮菜の身体に触って確認する。蓮菜も千里の身体に触る。
その時、
「あっ」
という声を出した子がいる。海老名君である。彼は教頭先生の隣に立っていたので、教頭先生とお互い身体を触っていた。
「トランペットのケースが」
最初に窓ガラスが割れた時、彼は思わずそのケースから手を放してしまったらしいのだが、そのケースが彼の所から数m先に飛んで行っていて、ケースに穴が開いているのである。
「中身は?」
と言われてケースを開けてみる。
「管体に穴が!」
トランペットの管体の途中に穴が開いていた。
実はこの日東京駅で乱射事件があったのである。
ホームで男がサブマシンガンを乱射したのだが、偶然にも同じホームに居た警視庁の刑事(特殊部隊出身の刑事さんだったらしい)が犯人を狙撃。刑事の銃弾が犯人の肩に当たって、乱射は短時間で終了した。この人が居なかったら、被害はかなり拡大していたであろう。
アメリカの同時多発テロの直後なので警察も緊張したし世界中に速報されたのだが、犯人の男は(所持していた運転免許証から)40代の日本人で、取り調べに対して「面接で落とされたのでやった」と供述した。交友関係やネットの書込みやメールなどをかなり調査したようだが、結局、同時多発テロを起こした団体などとの思想的つながりも無いようであった。サブマシンガンはネットで買った!?と供述した。武器売買の闇サイトから購入したようであった。
そしてこの事件での死者はゼロ!だった。
割れた窓ガラスなどで怪我した人が数十名、また気分が悪くなって救急車で搬送された人などもいたものの、弾丸に当たった人は誰も居なかった。しかし東京駅で銃を乱射したのに死者無しというのは、乱射が短時間で終了したにしても奇跡的である。ただ、海老名君以外にも、荷物に弾があたって物が壊れた人が結構あったようであった。
N小のトランペットの場合、後で警察が調べたのでは電車の天井に当たって跳ね返った弾が床にあった楽器ケースを貫通したのだろうということだった。
この騒ぎで東京駅は閉鎖され、東京駅を出るはずだった列車が全て運休となった。東京着の新幹線は新横浜(東海道新幹線)・上野(東北新幹線および上越新幹線)止まりとなり以降その2駅で折り返し運転となった。
犯人は3・4番線のホームにいたので、銃撃されて窓が割れた列車は3番ホームに停まっていた電車、4番ホームから発車した電車(事件後緊急停止)、そして入線してきたばかりの5番線の電車(千里たちが乗っていた電車)の3つであった。
国際的なテロリストによる犯行が当初疑われたため、警察はホームおよび列車内の客を1人ずつ身分証明書などを確認しながら順次解放していった。身分証明書を持っていない人は家族や知人などを呼んで確認してもらうことになったが、やはりアメリカのテロの直後なので、あまり不満は出ていなかったようである。
教頭先生が
「合唱の全国大会に行く所なので早く解放して欲しい」
と訴えたので、千里たちは早めにチェックしてもらい、11時すぎには解放された。北海道から出てきた学校の団体というだけで信用度が高かったのも幸いした。
穴の開いたトランペットは写真を何枚も撮られた。警察は証拠品として預かりたいようだったが「今から大会の演奏に使うので困ります」と言って、写真だけで勘弁してもらった。
しかしこの日、チェックに時間が掛かった人は夕方くらいまで東京駅に留め置かれたようである。ついでに覚醒剤を所持していた俳優が逮捕された!
他に拳銃をトイレのゴミ箱に捨てようとした男が逮捕された。犯人との関連を疑われてかなり厳しく取り調べられたようだが、ただの!?ヤクザであることが分かり、暴力団関係の捜査官に引き渡された。
教頭先生は主催者に連絡し、東京駅での事件のため拘束されていてリハーサルに間に合わない旨を連絡したのだが、N小以外にも2校、同様に足止めを食った学校があったらしい。しかし事件現場の傍にいて、物的な被害まで出たのはN小だけだったようである。
「トランペット、どうしましょうか?」
と海老名君が馬原先生に相談する。この時点ではまだ東京駅でとりあえず電車から降りてホームで待機していた。
「レンタル楽器とかは借りられませんか?」
と保護者の1人が言った。
「僕が検索して電話してみるよ」
と6年・小塚さんのお父さんが言って、AirH"(エアエッヂ)装備のパソコンで都内のレンタルショップを検索し、片っ端から電話を掛けまくってくれた。
(AirH"は2001年6月にサービス開始した。それ以前はISDNの公衆電話を使うか高額の携帯電話料金を払わないと外出先でのパソコンからのネット接続はできなかった)
「そのトランペット、音はどう?」
と訊かれて海老名君が穴の開いたトランペット吹いてみるが、明らかに音がおかしい。
その時蓮菜が
「ガムテープか何かで穴をふさいだらどうでしょう?」
と言った。
「やってみよう」
偶然ガムテープを持っていた保護者(洋服のホコリを取るコロコロ代りに持っていた)が荷物からガムテープを取りだし、馬原先生がそれを貼って穴を塞ぐ。片側はそれでいけるのだが、反対側は金属がめくれていてうまく塞げない。
「先生、そちら側は内側から塞げばいいかも」
とひとりの男性保護者が言う。
「でも内側からできる?」
と戸惑うように馬原先生。
要するに弾丸が飛び込んだ側は金属が内側にめくれているから外側にガムテープを貼ればよく、弾丸が飛び出した側は外側にめくれているので内側にガムテープを貼ればよかったのである。もっとも手とかは入れられない箇所なので作業は難しい。
「私がやります。これ指が細くないとできない」
と小春が言った。
小春は、最初に内側に指を入れてティッシュでよく拭いた上で、短く切ったガムテープを2枚、穴から内側に入れて各々指で押さえてから、最後にその隙間を外側から塞いだ。
海老名君が吹いてみる。
「ちゃんとした音が出てる!」
「じゃ万一代わりのトランペットが借りられなかったらそれで」
30分ほどで小塚さんのお父さんが今日すぐに借りられるお店を見つけてくれた。
「新宿の楽器店が貸してくれるそうです。レンタル料金は一週間6000円なのですが、来店して借りる場合は保証料として3万円預けないといけないそうです」
「それは僕が出すから借りて下さい」
と教頭が言い、小塚さんのお父さんは即予約を入れた。
「じゃ私は新宿に寄ってから会場に入ります」
「すみません。よろしくお願いします。今の電話代とか通信代とか交通費はあとで精算しますね。取り敢えずその費用も含めて概算で」
と教頭は言って、6万円渡していた。
11時過ぎに解放されるが東京駅は閉鎖されているので、電車が使用できない。しかしツアー会社が手配してくれたバスに乗って会場のホールまで移動した。小塚さんのお父さんはそのバスで新宿まで送ってもらい、トランペットを借りてから山手線で原宿に移動して会場に入った。
千里たちが会場に到着したのは道路まで交通規制されていたこともあり11:40くらいであった。小塚さんのお父さんが到着したのはもう13時くらいである。
東京駅で留め置かれた小学校3校の内、千里たちが結局いちばん早く到着したようであった。13時半くらいに2校目のZ小学校(熊本県・昨年は銀賞)が到着したが、メンバーはかなり疲れているようだった。主催者は本当に今日大会を実施していいのかまで含めて検討したようだが、結局1時間半遅れの14時半から始めることになる。
これでN小の一行は帰りの最終便に間に合わないことが確定した!
昨年は14時に始めて17時前に終わっている(演奏2時間+審査30分+スペシャル合唱団10分+表彰20分)が参加校が6校増えているので所要時間が多分4時間半近く掛かる。そのため今年は13時から始めて17時半までに終わる予定だった。しかし乱射事件の影響で始まりが1時間半遅くなったから終わるのはおそらく19時である。それから移動しても新千歳行きの最終(21:00 ANA)に間に合わない(確保していたチケットは20:05 JAS)。
ツアーの添乗員さんと教頭が話し合い、添乗員さんは会社とも何度も連絡していたが、取り敢えず今夜は東京に1泊することにして、すぐ宿を確保してもらった。航空券は日程変更の利かない格安チケットであるが、これは旅行代理店の支店長決裁により、無償で翌日のチケットに振り替えてもらった。代理店は大損害であるが、非常事態でやむを得ない。余分な宿泊料金についてはこの日は「話し合いたい」と代理店側も言っていたのだが、最終的には本社社長決裁で追加料金無しということになった。さすが大手旅行代理店である。
なお3校目のA小学校(都内!昨年金賞)が到着したのはもう16時すぎであった。東京駅に到着直前に事件が起きて、駅に入ることもできず線路上で長時間缶詰になっていたらしい。ほんとにお気の毒である。
この日は観客で開始に間に合わない人も多数あったようで、始まった時はに結構空席が目立っていた。また実は審査員で間に合わない人もあり!本人と電話連絡承認の上で代わりの人に審査に参加してもらったケースまであったらしい。
さて、千里たちはもうリハーサルには間に合わないと思っていたのだが、開始が遅れたのでリハーサルさせてもらえることになり、ステージに上がって課題曲・自由曲の歌唱をした。4年生の部員たちは「すごーい!ひろーい!」などと言って感激していたようである。
予定より1時間遅れの13時に観客を入れ始めたがその時点では中止もあり得るという説明だった。14時近くになって「14時半頃より演奏を開始します」という案内がある。
14:25くらいに開始が宣言され、1校ずつ演奏が始まった。千里たちは後ろに回されたので14番目の登場となる。昨年は1校平均12分掛かっていたので17:00くらいの演奏かなと思っていたのだが、この日は学校紹介ビデオが省略され(テレビでの放送の際には挿入されると説明された)、1校9分で進行した。それで10番目の学校の演奏が終わった16:00頃、進行係の人が呼びに来たので席を立つ。
練習室で、阿部さんのピアノ、海老名君のトランペット、間島さんのアルトソロ、そして馬原先生の指揮で練習をする。やはりみんな実際に声を出したことで結構緊張が取れる感じだった。昨年は最初の方で歌ったので、あまり緊張する時間も無かったのだが、今年は後のほうになった。それで、たくさん上手な学校の演奏を聴いた上での出演になり「こんなうまい所ばかりなのか」という気持ちになりかけていた部員もあったようである。
「去年はここから(ピアニストの)鐙さんが転んだんだよなあ」
「あれはどうなることかと思ったよ」
などという声も出るが、間島副部長は
「あまり悪いことを思い出さないように。悪いことって考えると起きちゃうから」
などと言っている。
それで係の人の案内で部屋を出ようとした。それで係の人がドアを開けようとした時、その前にドアが開いた。
この部屋のドアは内側に開くようになっている。
先頭に立っていた係の人がドアに押されて「わっ」という声を挙げて後ろに倒れる。するとその後ろに居た間島副部長が倒れ、その後ろにいたピアニストの阿部さんが倒れ、その後ろに居た海老名君は・・・何とか持ちこたえた!
将棋倒しが起きてしまったのである。
「あ、済みません!中におられたんですね!」
と外でドアを開けたスタッフの人が謝った。
「ごめん。僕がロックをかけ忘れていたみたい」
と先頭に立っていて最初に倒れたN小を誘導していた係の人が謝りながら立ち上がる。
「みなさん怪我は無いですか?」
と振り返って声を掛けたのだが・・・
「間島さん!?」
係の人の下敷きになった間島さんが立ち上がらないのである。
「意識を失ってる!?」
「動かさないで!」
「医師を呼んでくる!」
と言って、N小の次の出番の、Z小を誘導していた係の人が走っていく。
小春が間島さんを横向きにして寝せ自分のポーチを頭の下に敷いて少しだけ頭を高くした。
「千里、熱さまシート持ってたよね?出して」
「うん」
それで小春は熱さまシートを間島さんの額と首の後ろに貼った。名前を呼んだ方がいいと小春が言ったので高花部長や馬原先生、彼女に親しい子が数人「伶花ちゃん」と呼びかけている。小春は足をつねったりもした。
「阿部さんは大丈夫?」
と小塚さんが訊いた。
「それが倒れた時に指を突いちゃって」
と言って、彼女は左手の指を押さえている。
「海老名君は?」
「トランペットが・・・」
なんと持っていたトランペットが大きく曲がっているのである。
「それと僕もペットに指をかけていたので」
と言って彼も右手を押さえている。
「ちょっとぉ!?これどうしたらいいのよ!?」
と部長の高花さんがパニックになっている。彼女はわりと動揺しやすいタイプだよなと蓮菜は思っていた。
「落ち着いて。ここでパニックになってはダメ。対処法だけを考えればいい」
と言ってみんなを落ち着かせたのは自分は指を痛めている阿部さんである。
「私はこの指では弾けない。だから美那ちゃん弾いて」
「分かりました」
と美那が答える。
そこに医師が駆け込んできた。医師はバイタルをチェックしながら本人の名前を呼んであげてというので、馬原先生や同級生たちが間島さんに呼びかけていると、間島さんは目を開けた。
「意識が戻った!」
「君、自分の名前言える?」
「ましま・れいか」
「生年月日は?」
「平成元年8月4日」
「性別は?」
「たぶん女です。ちんちん付いてないし、生理あるし」
医師がこちらを振り向いて訊く。
「倒れていたのは何分くらい?」
「4分くらいですね」
と小春が腕時計を見て言っている。
「だったらギリギリOKかな」
と言っていた所に、長内さんが観客席から呼んできた間島さんのお母さんがやってくるが、娘がもう起き上がっているのでホッとしたようだ。
「歌えますかね?」
と阿部さんが尋ねる。
「30分くらい安静にしておいた方がいいです」
と医師は言った。
それで結局間島さんは担架に乗せて医務室に運んだ。お母さんと教頭先生が付き添っていった。
「誰かアルトソロ歌える人?」
と阿部さんが部員たちに訊くが、みんな顔を見合わせている。
「こういう時は千里の出番だな」
と蓮菜が言った。
「私はソプラノだよぉ」
「千里は声域が広いからアルト音域も出る」
「出るかも知れないけど歌ったことない」
「じゃ今1度練習するといいね。スタッフさん、練習していいですか?」
「5分間認めます」
とスタッフの人が言った。
「トランペットは?」
「ガムテープで塞いだのを使えばいいよ」
「でも海老名君が指を痛めている」
「これ僕も左手で持っていたら、左手は指が動かなくても何とかなったんだけど」
と彼は言っている。
「小春、トランペット吹けるよね?」
と蓮菜が訊く。
「吹けることは吹けるけどこの曲は練習したことない」
「今練習するといいね」
それでZ小の子たちを待たせたまま、N小は、美那のピアノ、千里のアルトソロ、小春のトランペット(マウスピースは海老名君が使用していたものをウェット・ティッシュで拭いて使用する)で自由曲の『流氷に乗ったライオン』を演奏した。
「うまく行った!」
「びっくりした」
という声まであった。Z小の子たちが腕を組んだりして厳しい表情で見ていた。スタッフさんが新しい伴奏者名(ピアノ・トランペット)、ソロを歌う子の名前と学年を書き留めて審査員の所に走っていった。
「時間です。N小学校の皆さん、ステージに上がってください」
と進行係の人が呼びに来た。
「行こう」
と阿部さんが声を掛けてステージに移動する。馬原先生がまだ動揺しているっぽい部長の高花さんに楽譜を指揮台の所に置いて来る役目を頼んだ。
「僕はどうしようかな?」
と海老名君が言っているので
「全国大会のステージに立つだけでも価値があるから、合唱の隊列に並びなよ」
と阿部さんは言う。
「でも僕男だけど」
「コンテストの規定上では、パートと肉体的性別は関係無い。女子がバリトン歌ってもいいし、男子がソプラノ歌ってもいい」
「ソプラノは出ない!」
「じゃアルトの所に並びなよ」
「アルトの後ろに並ぼうかな?」
「予備の制服あるけど着る?」
「スカートは勘弁して!」
それで海老名君は(ボーイズ用)スーツのまま、アルトの後ろに並んで声の出る範囲で歌うことにした。彼は元々歌がうまいし、声変わりは既に来ているもののハイトーンなのでアルト声域も結構出る。彼が女性アイドル歌手の歌を原キーのまま歌っているのを何度か見たことがある。阿部さんは譜めくり係をすることにした。
前の学校の演奏が終わったのに、次の学校がなかなか出てこないので客席が結構ざわめいていたようである。そこに最初に高花さんが入っていき指揮台のところに楽譜を置いて、そのまま指揮台の真正面、全体の中央付近前列に立った。彼女はこれをしたので、かなり気持ちを引き締めることができたようであった。
続いてアルトの子たちが入って行き高花さんより奥側(指揮台から見て右側)に並ぶ。海老名君はアルトの一番後ろの端に立った。背が高い彼はこの位置が目立たない。
そしてソプラノの子が入って行き並ぶ。千里はソプラノの集団で入っていったが、中央寄り、高花部長の隣に立った。高花部長とアルトの6年生・金野さんの間に立つ。小春はソプラノの並びの端、ピアノの傍に(ガムテープで穴を塞いだ)トランペットを持ったまま立った。
「北海道代表・留萌市立N小学校。まずは課題曲です」
というアナウンスがある。美那が最初の音を出す。みんな声を出して合わせる。
馬原先生の指揮棒が振られ、美那の前奏に続いて課題曲『ロボット』を歌う。1番は不安げな表情で、そして2番のいじめを告白する所は平坦にロボット的に。そして最後の夢落ちは安堵したような表情で。
歌い終わった後のみんなの表情が明るい。いい感触。自由曲に行く。
小春は列から前に出てきて指揮者の馬原先生の傍に立つ。美那が最初の音を出す。美那の弾く前奏に続いて小春がトランペットを吹く。流氷に乗ってしまい自分の運命に不安を持ったライオンの雄叫びである。小春のトランペットは海老名君に比べてパワーは無いものの物凄く表情豊かであった。そのトランペットの音が終わった後合唱が始まる。この段階では千里はソプラノパートを歌う。
テーマを繰り返してから、千里のアルトソロが入る。千里はそこまでソプラノパートを歌っていたのだが、ここから16小節アルトの声域でソロを歌う。千里はこの声域を普段あまり人に聞かせていないのだが、安定していて響きが豊かなアルトである。間島さんのアルトは倍音が少なく軽い感じのアルトなのだが、千里のアルトは倍音が豊かで劇的な感じのアルトである。これで歌の雰囲気が結構違ってしまうのだが、今日はやむを得ない。
千里のソロが終わった後には小春のトランペットが8小節入る。そして歌が再開する。千里はここでは再度ソプラノパートを歌った。
終曲。結構な拍手が来た。N小の部員たちも一様に表情が明るい。かなりいい感じで歌うことができた感覚があった。
ステージから降りて自分たちの席の所に戻る。その後Z小が入って来て演奏する。Z小の子たちもかなりハイレベルな演奏をした。そして最後にA小の子たちが入って来た。彼女たちは長時間電車に閉じ込められていて相当疲労していたはずである。会場に到着したのは千里たちが演奏していた時間帯でもう練習も無しに到着してすぐステージに上がっている。コンディションは最悪である。
しかしA小の演奏は素晴らしかった。
演奏が終わると会場全体から物凄い拍手が贈られた。
「A小の4連覇かな」
と阿部さんはつぶやいていた。なお部長の高花さんは間島さんの様子を見に医務室の方に行っている。
A小の演奏が終わったのが16:52であった。
進行係さんから「今年の自由演奏は無しとさせて頂きます。楽しみにしていたかた、申し訳ありません」という案内があった。すぐにスペシャル合唱団の演奏になる。普段の年なら30分練習して合わせてからの演奏なのだが、今年は練習無しのぶっつけ本番である。各校から代表3名が出て歌うのだが、N小は高花さん・間島さん・小塚さんの3人が出ることにしていた。しかし間島さんは医務室で寝ているし、高花さんもそのお見舞いに行っている。
馬原先生の指示で、高花さん・間島さんの代わりに赤津さん(S)と金野さん(A)が出ることになり譜面を渡されていた。曲は『さんぽ』である。ふたりとも「自信なーい」などと言いながらステージに上がった。
しかし知っている人の多い曲なので、会場全体での演奏になった。
その演奏の途中で高花さん、間島さんと、間島さんのお母さんに教頭先生が戻ってきた。
「どうですか?」
「もう大丈夫だそうです」
「それは良かった!」
「皆さん、ご迷惑掛けて済みません」
と間島さんが謝るが
「伶花ちゃんが謝る必要無いよ」
と阿部さんが言う。今日みんなが落ち着いて演奏出来たのはひとえに阿部さんの統率力だった。リーダーにはふだん力を発揮するタイプと危機の時に力を発揮するタイプがいると言うが、阿部さんは確実に後者だ。高花さんは普段は良いリーダーなのだが、今日はパニックになってしまった。あまりにも事件が起きすぎて無理も無いのだが。
「ただ北海道に帰る手段なんですが、できたら飛行機を使わないでと言われました」
と教頭先生。
「ああ、それは用心した方が良いかも」
と小塚さんのお父さんが言っている。
「だったら私が間島さんに付き添ってJRで帰りますから、教頭先生は児童たちを引率して飛行機で帰って頂けませんか?」
と馬原先生が言った。
「うん。そうしようか」
なおこの余分な交通費は主宰者が出してくれることになった。
スペシャル合唱団の演奏が終わり、参加者が各校の席に戻った頃合いを見て、審査員長がステージに立つ。司会者が「結果発表です」と言う。
「金賞・関東甲信越代表・東京都A小学校」
大きな拍手が贈られる。最悪のコンディションだったのに、最高のパフォーマンスだった。文句無しの金賞である。A小はこれでこのコンクール4連覇である。
「銀賞・九州代表・熊本県Z小学校」
これにも大きな拍手が贈られる。
「うまかったもんねぇ」
「結構うちと微妙な気もしたんだけど、向こうの評価が高かったかな」
などという声が出ながらも、千里たちはみんな惜しみない拍手をした。
ここで司会者は言った。
「今年は2位が同順になってしまいました。それで実は銀賞がもう1校あります。その代わり銅賞が1校です」
会場がざわめく。
「銀賞、北海道代表、留萌市立N小学校」
千里の周囲で「きゃー」という声があがる。高花さんが間島さんの手を握って「賞状を受け取ってきて」と言う。間島さんは一瞬迷うような表情をしたものの、馬原先生も肩を叩くので、笑顔になってステージに上がった。それで賞状を受け取り、高く掲げた。会場全体から拍手が贈られた。
最後に銅賞が発表されたが、東北代表の岩手県M小学校が獲得した。
終わったのは17:20頃である。
閉会宣言の後、記念撮影となる。主宰者から帰りの便の時刻を尋ねられたが、今日はもう間に合わないだろうと思い、1泊して明日帰ることにしたと言うとでは記念撮影は最後でいいか?と言われたのでそれでよいと言った。
熊本から来ているZ小はすぐにもここを出れば羽田から20:10のスカイマーク福岡空港行きに間に合うということで慌ただしく記念写真を撮って会場を出ていった。結果論でいえば千里たち留萌N小も最初チケットを確保していた新千歳行きJAS最終に間に合っていたのだが、既にチケットは払い戻しして明日の便を確保している。
Z小の次は岩手から来ているM小が記念撮影をした。彼女たちも新宿から中央線経由で上野に行けば19時の《やまびこ》に乗れる。盛岡からはバスで自分たちの町まで戻れるらしいが到着はたぶん夜11時くらいという話である。全くお疲れ様である。ちなみに熊本Z小は《有明53号》の熊本駅到着が0:11なので自分たちの町に戻れるのは夜1時半の予定らしい。
Z小の後、(都内の)A小が「お先にどうぞ」と譲ってくれたので、千里たちN小が記念撮影をした。賞状は高花部長が持ち、子供たちと馬原先生・教頭先生だけで1枚、保護者も入って1枚撮影した。撮影の時A小の子たちが拍手してくれたので、N小はそのあとA小の記念撮影まで残って、A小が優勝旗と賞状を持って撮影するところを拍手で祝福した。
その後、A小の部長とこちらの高花部長が握手して別れた。
なお破損したトランペットだが、主宰者のスタッフが付き添って教頭先生と一緒に楽器店に行き、主宰者側のミスで楽器を破損してしまったことを謝り、主宰者が楽器代金を弁済するとともに、借りたN小には責任は無いので、ブラックリストなどに載らないように処理して欲しいと頼み、楽器店の社長さんの了承を得た。
この処理があったので教頭先生がホテルに戻ってきたのは20時頃であった。
他の子たちは19時頃に新宿のホテルに入ったのだが、ひとりが
「なんか疲れたし、お腹も空いたね」
と言った。すると誰かが
「そういえばお昼食べてない」
と言い出す。
「忘れてた!」
という声が多数あがる。
あまりにも凄いことが起きたので、みんなお昼のことはきれいに忘れていたのである。馬原先生や教頭先生も乱射事件の後の処理などで忙殺されていて気付いていなかった。
それで夕食はバイキング設定のあるレストランに入って食べたが、みんな充分元を取るくらい食べていた。普段から食の細い子もこの日はかなり食べていたようである。
翌日警察から連絡があり、大会が終わったのであれば、もしよかったら銃弾で穴の空いたトランペットを証拠品として提出してもらえないかとの打診があり、教頭も同意した。警官がホテルまで取りに来た。
「ガムテープで穴を塞いだんですね!」
「金管楽器は途中に穴が空いたら鳴りませんから」
「穴を開け閉めしたりして音程が変わらないんですか?」
「それは木管楽器の場合です」
「楽器って難しいんですね!」
そんな話をして警部補の名刺を渡した警官は預かり証を書き、トランペットを持って行ったが、後で返してくれるかどうかは微妙だなとみんな言っていた。このトランペットは海老名君個人のものではなく学校の備品ではあるが、すぐにブラスバンド部の大会で使うので無いと困る。それで教頭と校長が電話で話し合った結果、学校側ですぐに新しいトランペットを1つ購入することになった。代金については、旅行保険から降りるはずと旅行代理店では言っていた。
チケットの振り替えにしても、こういうのは“寄らば大樹の陰”だね、とみんな話し合った。
「自分たちでチケットを確保していたら宿も取れず振り替えもきかず、トランペットは泣き寝入りだった」
「しかし海老名君や他の児童にも怪我が無くて良かった」
と校長は言っていたが、全くである!
ほとんどの児童と保護者はお昼を都内の洋食屋さんで食べた後、教頭先生と一緒に午後のJASで帰還した。
羽田15:20(JAS199)16:55旭川(バス)18:30留萌
間島さん母子と馬原先生、更に自腹でチケットを買うから付いて行きたいと希望した小塚さんは、朝食後すぐに上野駅に行き↓の連絡で帰ることにした。
上野8:58(やまびこ7)11:31盛岡11:39(スーパーはつかり7)13:52青森14:07(海峡7)16:52函館17:15(スーパー北斗17)20:15札幌21:00(スーパーホワイトアロー27)22:04深川(タクシー)23時頃に自宅到着
間島さんたちは深川からタクシーを使うつもりだったのだが、実際には小塚さんのお父さんが自分の車で深川駅まで迎えに来てくれた(東京往復の直後にお疲れ様である)ので、間島さん母子と馬原先生もその車に同乗して留萌に戻ったらしい。今回は小塚さんのお父さんも大活躍であった。
「しかしこれ間島さんたちの方がハードスケジュールってことない?」
「そういう見解はあるかもね」
「でも脳震盪とか起こした後は、急な気圧変化は怖いから」
「脳の血管が切れたらやばいもんね」
「そんなに気圧差あるんだっけ?」
「ほら、これ」
と言って蓮菜は潰れたペットボトルを見せる。
「何これ?」
「機内で飲んだペットボトルが地上に降りたら潰れた」
「きゃー!」
「こんなにボトルが潰れるほどの気圧差があるんだ!?」
「これなら血管が切れてもおかしくないよ」
間島さんは北海道に戻ってからあらためて旭川の大きな病院で見てもらい、MRIなども撮ったが、特に異常はないということで、みんなホッとした。
千里の母・津気子は昨年夏に乳癌が見つかり、2000.9.6に乳房部分切除手術を行い、病巣の周囲数cmをくりぬくとともに同じ側の腋窩リンパ節を郭清(除去)した。そして病理検査で病巣があまり広がっていなかったことを確認した上、1ヶ月半に渡り、放射線療法も受けた。また乳癌は女性ホルモンで助長されるので、抗女性ホルモン剤を投与し、また微細な転移を攻撃するため抗癌剤による薬物療法もおこなった。
放射線療法が終わったのが10月下旬、抗癌剤の投与が終わったのが2001年4月であるが、抗女性ホルモンの投与は5年ほど続けなければならない。
その日大神様は明らかにイライラしていた。小春は「やっばぁ」と思って、こそこそと学校に出かけようとしていたのだが、呼び止められる。
「小春」
「はい」
「千里の体内に待避させている卵巣と子宮は、いつ津気子の身体に戻すのだ?」
「それが津気子さんの化学療法はまだ続いているんですよ。軽い薬に変えたから(実際抗癌剤は終了してホルモン剤のみになっている)、もう少しじゃないですかね」
「あまり長時間このような状態にしておくのはよくないのだが。千里の身体は、あれ、かなり女性化しつつあるぞ」
「本人は女性化を望んでいるし、よいのでは?」
「しかし私たちはゆえなく人間の性別を変えることは許されていない」
と大神様は厳しく言う。
ああ、誰か上司の神様から注意されたのかなあと小春は思った。
「別に性別を変えている訳ではなく一時的に女性生殖器の置き場所にしているだけですから」
「本当に一時的なんだよな?」
「もちろんです。治療が終わったら津気子さんに戻しましょう。千里は男女どちらの生殖器も無い状態になるけど、本人はそれでも構わないと言っているし。津気子さんに今卵巣と子宮を戻すと、治療薬のせいで卵巣が痛んで卵巣癌か子宮癌を引き起こす危険がありますし」
「あの卵巣は実際かなり痛んでいるよな?」
「みたいです。長年の不摂生のせいだと思いますが」
「千里の身体に置いている内に若干回復してきている気もする」
「やはり若い身体ですからね〜」
「でも男の子なのに」
「あの子が本当に男の子なのかは、かなり疑問がありますよ」
「うーん」
そういう訳でこの日小春は何とか大神様の追及をかわしたのであった。
その日千里が七五三の手伝いに来てと言われて神社に行ったら、社務所(兼・宮司の住居)の縁側にお婆さんが1人座って、ぼんやりと植木を眺めているようだった。
「こんにちは、おばあちゃん。どちらの方でしたっけ?」
と千里は声を掛けた。
「え?私、小春だけど」
とそのお婆ちゃんは言った。
「うっそー!?今日はそんなお年寄りなの?」
小春の年齢はそもそも“不安定”である。学校に出てきてN小の児童の振りをしている時は小学生に見えるが、しばしば女子高生や女子大生くらいの感じになっている時もあり、また20代の女性に見えることもある。しかしこの日の小春はどう見ても60代に見えた。
「え?ちょっと待って」
と言って小春(?)は何か探すようにして近くのバッグを取ると、中から手鏡を出して自分の顔を見た。
「きゃー!?」
と自分で悲鳴をあげている。
「ちょっと待ってて」
と言って、トイレに飛び込む。
千里が勝手に社務所に上がり、狐の縁起物を作り始めてしばらくするとトイレから27-28歳くらいの雰囲気になった小春が出てくる。
「あ、そのくらいの年齢に見える状態はよくある」
「一気に小学生まで戻せなかったけど、ここまで何とか戻した」
などと言っている。
「小春って何歳なんだっけ?」
「実際には千里たちより1年くらい前に生まれている。だから12歳くらい」
「誕生日は?10月10日って言ってた時と7月7日って言ってた時がある」
「まあ実際はよく分からない。ぞろ目っていいなと思って、そんなことも言った。夏か秋の生まれというのは確かっぽいんだけど」
「じゃ本当に小学生相当なんだ?」
「人間の12歳は小学生だけどね」
と言って、小春は一瞬遠い所を見るような目をした。
「そういえば小春ってキツネだったっけ?」
「私、キツネに見えない?」
「人間に見えるけど」
「千里の目にも人間に見えるというのは凄いな。千里って外見より中身を直視するタイプなのに」
などと小春は言っている。
「キツネにとっての12歳というのは、人間で言えば60歳くらいなんだよ」
と小春は言った。
「え〜〜!?そんなお年寄りなの?」
と千里は驚いて言う。
「だからさっき千里に見られた姿が私の実年齢相当の姿なのかもね」
2001年10月29日(月)、東京駅で10月7日に銃を乱射した男が、銃刀法違反と殺人未遂、および汽車転覆等罪(最高刑:無期懲役)の罪で起訴された。
その翌日、東京地方検察庁から留萌N小学校の教頭に電話があった。
「え?銃弾で穴の開いたトランペット、返してもらえるんですか?」
「はい。裁判官にも実物を見てもらったので、写真があるなら返却してよいということになったんですよ」
と向こうの検事は言っていた。今回は事件事実を争う裁判ではないこともあったようだ。
還付方法は、こちらが受け取りに行くか、向こうに持って来てもらうか、あるいは郵送ということだったが、取りに行くのは大変だし、持って来てもらうのは気の毒なので、郵送してもらうことにしてすぐに還付申請書を書いて送った。
教頭は旅行代理店に連絡した。
「ああ、穴の開いたトランペット返してもらえることになったんですか!」
と向こうの担当者は喜んでくれた。
「でもこれ私たちは保険金を頂いて、そのお金で既に新しいトランペットを買っているので、帰ってきたトランペットは保険会社に送付しないといけませんよね?」
と教頭は訊いたが
「うーん。保険会社の方はもう全損ということで処理が終わっているので今更物件が出てくるとかえって面倒になるんですよ。そもそも穴の空いたトランペットでは売却もできず、むしろ廃棄費用が必要ですし。だから、その楽器はそちらで適当に処分して下さい」
と旅行代理店の人は言った。
それでこちらで“適当に処分”させてもらうことにした。
「本当に捨てるのはもったいないし、再度ガムテープ貼って使いますかね?」
と合唱部の馬原先生が言ったが
「どうせなら修理できませんか?」
とブラスバンド部の部長・木村君は言った。
「修理するとかなり高い気がする」
とブラスバンド部の顧問・重原先生が言う。
「どのくらいかかります?」
と教頭先生。
「たぶん7-8万円」
「そんなに掛かりますか!?」
「新しいトランペット、いくらで買ったんでしたっけ?」
「12万円です。穴の開いたトランペットは多分20年くらい前に買った楽器で、当時たぶん10万円くらいだったと思うと保険会社の人に言ったら20年前の10万円なら今の15万円くらいですよね、と言われて15万円頂いたので、その予算内で買えるものを選びました」
と重原先生。
「12万円で買える楽器を8万掛けて修理するのはためらうなあ」
「ガムテープじゃなくて金属の板で穴を塞いだらどうですかね?」
などと言っていたら、ちょうど傍を通りかかった鞠子君が言った。
「何かの管の修理ですか?うちの父が溶接の資格持ってますけど」
「おぉ!」
鞠子君のお父さんはトランペットの修理と聞いて驚いたものの、取り敢えず穴を塞いでみましょうと言った。
「これは真鍮ですね?」
と郵送されてきた楽器を見てお父さんは言った。
「そうです。ブラスです」
「だったら簡単に塞げますよ」
と言って、仕事場に持ち込み、まずは作業服を着て遮光マスクをかぶる。
すると見学にぞろぞろと来ていた女子たちから
「かっこいい!」
という声が上がり、お父さんは照れていた。
穴の開いている所は、弾丸が通過した方向に金属が王冠状に突出している。鞠子君のお父さんはまずはその部分を加熱しながら、“やっとこ”で挟んで曲げ、まっすぐになるようにした。その後金属を延ばして隙間を埋めようとするのだが完全にはふさがらない感じである。
「お父ちゃん、何かで継げばいいかも」
と鞠子君が言った。
「そうすっか」
と言って、お父さんは、棚から、できるだけ近い色の真鍮の薄板を選び金切りバサミで適当なサイズに切る。それを穴の開いている所の上にかぶせた。
「内側と外側と両方から挟む方が万全なんだけど、たぶん片側だけでも何とかなるでしょう」
と言って、管体の外側にかぶせ、それを溶接して留めた。
「できたかな?」
立ち会っていた小春が吹いてみる。
「息漏れがある。どこか完全にはふさがってない所がある」
と言う。
「ありゃ、どこだろう?」
小春はトランペットに水を満たした。1ヶ所から水が漏れ出している。
「あ、そこから漏れているのか」
「自転車のパンク箇所を確認するのと同じ要領ですよ」
「なるほどー」
それでその部分をしっかり溶接し直してもらった。
小春が吹いてみる。
「大丈夫みたい」
「よかったよかった」
「音色はどう?私はガムテープで塞いだ状態のしか吹いてないから元の音色が分からない」
「貸して」
と言って、海老名君が吹いてみる。
「前より少し明るい音になった気がするけど、音程は変わってないと思う」
「だったら許容範囲かな」
「あとはラッカーポリッシュで磨いて表面に皮膜を作ればいいかな」
と重原先生が言う。
「それで行けそうですね。これ、練習用とかに使う分には問題無いですよ。2〜3年はいけるかも」
と海老名君は言ったものの、この楽器はこの後更に10年使用されたのであった!
「鞠子さん、このお代はいくら払えばいいですか?」
と教頭が訊くが
「ああ、この程度はタダでいいよ」
と鞠子君のお父さん。
「でも金属材料まで使ってもらったし」
「黙ってりゃバレないです」
などとお父さんは言っていたが、後ろで社長さんが苦笑していた。
1 2 3
【少女たちの修復】(3)