【少女たちの伝承】(1)
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(C)Eriko Kawaguchi 2020-10-25
母は父に相談していた。
「中学の時に仲良かった子の結婚式なのよ。行ってきてもいい?」
「それ男?女?」
「もちろん女だけど」
「再婚?」
「初婚」
「35-36で初婚って凄いな」
「34歳だけど」
「・・・」
武矢は津気子の年齢を勘違いしたことで少し申し訳無い気がして、結果的に容認してもいいかという雰囲気になる。
「だけど三重までも交通費が無いぞ」
「旅費は彼女が出してくれるらしいのよ」
「御祝儀は?」
「パート先からボーナス出そうだからそれで払う」
「分かった。だったらカップ麺か何かでも置いてってくれ。何とかするわ」
「ありがとう。チンしたら食べられるようなもの置いていくね」
「千里と玲羅は?」
「連れていくよ。その分まで交通費出してくれるということだったから」
「だったらまあいいか」
それで母は、中学の時の同級生の結婚式に出席することになったのである。
2001年10月、当時小学5年生の千里の家近くにある留萌P神社では、10月13-14日(土日)を中心とする七五三に続いて、27-28日の土日には秋祭りが行われた。
(北海道では11月は寒すぎるので、一般に10月15日に七五三を行う)
秋祭りでは4人の巫女さんが先導する“姫奉燈”を氏子さんたちが曳いて回る。氏子さんたちの衣装が赤い服だし、神職さんもピンクの衣装である。昔は女装していたのでは?と年配の氏子さんが言っていた。
昨年の巫女役は、蓮菜の従姉の女子高生・守恵さん、近くの女子高生朱理さん、千里の叔母・美輪子、それと小春の4人で守恵さんが先頭を務めたのだが、今年は女子中生の純代さんが加わり、小春は「私は引退する」といって外れた。
「小春、もしかして体調よくないの?」
と千里は尋ねたが
「私も年だからなあ」
と小春は言っていた。
そして
今年は朱理さんが先頭を務めた。
「え〜?私、去年加わったばかりなのに」
と朱理は言うが
「去年しっかり務めていたから大丈夫」
とおだててやらせた。
「私もそろそろ引退したいなあ」
と美輪子は言っている。
「千里が女子中生になったら巫女に加わってよ」
「その女子中生になる自信があまりない」
「でも小学校卒業したら中学生になるでしょ?」
「うん」
「千里は女子だよね」
「そのつもり」
「だったら自動的に女子中生になるね」
「そうかなあ」
セーラー服を着ている自分を想像する。ああ、セーラー服着たいなあ、と千里はマジで思った。
千里が所属している剣道部もソフトボール部も、12月いっぱいで6年生は引退するので、12月上旬に続けてお別れ会があった。
剣道部では、6年生vs5年生で試合をした。今回卒業するのは、男子5人と女子2名である。卒業する男子5名の対戦相手は、竹田・原田・佐藤・工藤・西村と指名されたので、私は見学していればいいな、と思っていたら、女子2名の対戦相手として、沢田・村山、と千里まで呼ばれてしまった。
「私が相手でいいんですか?」
「村山は5年生で女子だから」
「うーん」
「少なくても男子ではないと思う」
「男子の試合には出たことがないし、女子の試合には何度も出ている」
「そもそも白胴着を着ているし」
胴着の色は特に定められている訳ではないものの、男子は藍色、女子は白の胴着を着る人が多い。実際N小の剣道部も男子は全員藍色を使用しているし、女子は白を使用している。そして千里は4年生の時からずっと白を使用している。
「竹刀も女子用を使用している」
「**先輩から頂いたんですよー」
ともかくもそういうことで千里は送別試合に指名されたので、女子の武智さんと試合をし、1本ずつ取った後、千里が1本取って勝った。もう一組の試合でも玖美子が宮沢さんと勝負して玖美子が勝った。
「来年の女子は期待できるね」
と6年女子2人は笑顔で言っていた。
男子は・・・5人とも6年生が勝ち「お前らなってない。道場20周!」などと言われていた。
ソフトボール部も6年生vs5年生で試合をしたが、6年生は5人、5年生は4人しかいないので、6年生は助っ人を頼み、5年生側には4年生も加わった。
結果は千里の丁寧で制球の良い投球と時折混ぜるカーブとのコンビネーションに6年生が翻弄され、走者2人0点に抑え、5年生は初枝が2塁打で出たのを麦美がタイムリーヒットで帰して1点を挙げ、この1点を守り切って勝った。
「N小は安泰だな」
「すみませーん。私は公式戦には出られないので」
「やはり村山さんは3月までにちょっと病院に行って手術して女になってくること」
「どっちみち大人になるまでには性転換するんでしょ?ちょっと早めに性転換してもいいじゃん」
などと言われた。
剣道部で女子の登録カードをもらってしまったことはソフト部のメンツには内緒にしている。
12月20日(木)、5年生の生徒が全員体育館に集められた。吹奏楽部顧問の角田先生が前に出て説明した。
「この1年間、6年生が鼓笛隊を編成して色々な行事で演奏してきたのですが、みなさんにこれを引き継いでもらいます。取り敢えず卒業式と、その前にある卒業生を送る会で演奏してもらいます。今日は取り敢えずパート分けをしたいと思います。現在5年生は56人なので、これをこう分けます」
と言って先生は黒板にこのように書いた。
ドラムメジャー(指揮者) 1
サブメジャー(副指揮者) 3
カラーガード 8
バスドラム(大太鼓) 2
テナードラム(中太鼓) 2
スネアドラム(小太鼓) 8
シンバル 2
ベルリラ 4
リコーダー 8
ファイフ 6
ピアニカ 6
トランペット 2
メロフォン 2
ユーフォニウム 1
スーザフォン 1
「金管楽器は難しいので吹奏楽部で経験している人にお願いしたいと思う」
と言って先生は直接指名する。指名された側もあらかじめ言われていたようで「はい、やります」と返事していた。
ドラムメジャーには児童会長の川崎典子(2組)が指名された。サブメジャーを1組から2人、2組から1人、各クラス委員から指名がある。だいたい言われていたようで「はい」と返事していた。カラーガードは希望者を募り、12人いたのでジャンケンで8人選んだ。
大太鼓には、運動会の応援合戦でも大太鼓を叩いていた留実子(1組)と水流君(2組)が指名され、シンバルにも腕力のある飛内君(1組)と祐川君(2組)が指名される。ピアニカ係はピアノを習っている子が6名選ばれた。ベルリラもピアノが弾ける女子が4人指名される。
さて・・・・残りはその他大勢である。残っているパートはリコーダー、ファイフ、スネアドラム、テナードラムで、比較的誰でも演奏できる楽器だ。
ただファイフは経験の無い人は音が出せない。
「先生、村山さんが横笛うまいです」
とピアニカ係になっている蓮菜が言った。
「あっそう?だったら村山はファイフで」
ということで、千里はすんなりファイフ担当になった。ファイフは他に祭りの篠笛を吹いたことのある女子が5名指名された。そして残っているメンツの中で比較的腕力のありそうな男子2名を中太鼓係に指名する。
残りはリコーダーとスネアドラムで、これはリコーダー希望の人に手をあげさせ、これが10人だったのでジャンケンで8名を決め、残った人が小太鼓係になった。
ということでパート分けはほんの30分ほどで終わったのであった。
卒業式で演奏する曲目は『ヤングマン』と『ほたるの光』、卒業生を送る会では『ヤングマン』と『情熱』(Kinki Kids)を演奏するということで、この日各パートごとの譜面も配られたが、結局2月末までの2ヶ月で3曲覚えなければならない。これはなかなかハードだぞと千里は思った。
千里は篠笛は小春からもらったのを吹いて時々練習していたのだが、ファイフは持っていなかった。それを蓮菜に言うと
「2000円くらいだから新しく買えばいいよ」
と言う。確かに2000円くらいなら、神社でもらっているバイト代のストックで買える。
「でもどこで売ってるの?」
「じゃ今度うちのお母ちゃんが旭川に出た時、買って来てもらうよう言っとくよ」
「ありがとう!」
それで12/22(土)に蓮菜のお母さんが旭川の楽器店で買ってきてくれたので、千里は早速吹いてみた。
「一発で音が出るのは凄い」
「そう?でも吹き方は篠笛と同じだし」
と言ったものの、吹いてみて違和感を感じた。
「篠笛とは音階が違うんだね」
「むしろ篠笛の音階が特殊なんだけどね。龍笛とも違うでしょ?」
と蓮菜は言う。
「そうそう。龍笛は凄くきれいな音階なんだけど、篠笛は変な音階なんだよ。このファイフの音階は龍笛に近いけど、微妙に違うと思った。響きが良くない」
と千里は言ったが
「それが分かるのが千里の音感の良さだよなぁ」
と蓮菜は言っていた。
(龍笛はピタゴラス音階なので五度が整数比の周波数になり美しい。現代のフルートやファイフの多くは他の西洋楽器と合うように平均律で造られているので五度さえも完全には共鳴しない。共鳴する音とは微妙な周波数の差が出る)
連休明けで終業式の行われた12/25には第1回の鼓笛隊練習が行われる。この日は終業式で6年生の鼓笛演奏が行われたあと、6年生のドラムメジャーから児童会長で次のドラムメジャーになる典子に指揮棒の伝達が行われた。
練習で千里がきれいにファイフを吹いていると、角田先生は
「君うまいね。君が先頭に立って」
と言い、結局千里と2組の映子の2人が先頭で吹くことになった。
「ファイフはずっと前から吹いてた?」
などと聴かれる。
「パンフルートと篠笛はわりと前から吹いてますけど、ファイフは初めてで、実は土曜日に買ってもらったばかりです」
「それでここまで吹くって凄い」
と先生。
「でもこの子、リコーダーは全然吹けないんですよ」
と恵香がバラす。
「それは不思議な人だ」
と角田先生は呆れるように言った。
終業式が行われたのは25日なのだが、今年2001年の12月24日は天皇誕生日の振替休日で休みだった。千里はこの日、合唱サークルのメンバーは市内のクリスマスイベントに参加した。これが6年生たちには最後のステージになる。
演奏曲目は、コンクールでも歌った『流氷に乗ったライオン』と、今年こそは『きよしこの夜』を歌う予定である。
(昨年は『きよしこの夜』を歌うつもりが伴奏の鐙さんが誤って『もろびとこぞりて』の伴奏を弾いてしまったので『もろびとこぞりて』を歌った)
秋のコンクール全国大会の時は怪我人が出たりして変則的になったものの、今回は本来の形で、阿部さんがピアノを弾き、海老名君のトランペット、真島さんのアルトソロで演奏する。またジングルベルでは全員鈴を持ち、それを鳴らしながら歌う。トランペットは、東京駅での乱射事件で穴が空いたのを鞠古君のお父さんが穴を塞いでくれたものを使用する。
(あの後、教頭先生が鞠古君のお父さんが勤めている工場の社長さんに修理代として3000円払った。でも社長さんはその金額をあらためて合唱サークルに全額寄付してくれた)。
今回小春はこのイベントにも参加しないと言った、
「今凄く不安定な状態になってて、小学生みたいな見た目をその時維持できないかも知れない」
と小春は言っていた。確かに最近20代くらいに見える格好をしていることが多い。小春は今12歳だが、これは人間でいうと60歳くらいに相当するらしい。小春は自分の寿命自体が尽きつつあると千里には言っていた。
合唱サークルの制服はペールピンクのチュニックに、えんじ色のスカートで、むろん千里はその制服を所有しているのだが、当日は休日なので父が在宅であった。それで千里は制服で出かけるのは自粛して、制服をバッグに入れてセーターに厚手のスリムジーンズを穿き、ダウンのコートを着て出かけた。
普段の週なら父は月曜日に出港して金曜日に帰港するのだが、今週は月曜が祝日だったので明日出港するらしい。
それで千里は中性的な格好で出かけたのである。
会場の市民体育館に着くと女子更衣室に指定されている柔道場で制服に着替えた。ちなみに柔道場なので畳敷きである。男子更衣室には剣道場が指定されており、そちらは板張りである。北海道の冬の板張りはとっても冷たい。日本ってわりと女尊男卑っぽい所あるよな、と千里は思った。
自分たちの出番までは2階の観覧席からステージを見ていたのだが、馬原先生が
「あら、漁協の団体さんが来てるわね」
と言った。へーっと思って眺めていたら、穂花が言った。
「あ、千里のお父さんも来てるね」
「え!?」
「ほら、あそこ」
確かに父が来ている。同僚の漁労長・岸本さんも一緒だ。何だか楽しそうに会話しているようである。
どうしよう!?
と千里は焦る。この制服姿を見られたら何と言われるか。いやその前に怒鳴り出したりして、ステージを台無しにされないかと焦った。
「まあお父さんに千里の実態を見てもらう良いチャンスだね」
などと蓮菜は言っているが、それは自分が殺されなかったらだなと千里は思った。
ところがそこに救いの神が現れたのである。実行委員会の人が来て言った。
「すみません、プレゼント企画があるのですが、プレゼンターにこちらの学校の生徒さんから2人くらい出てもらえませんか?」
「でも私たち、次の次の出番なのですが」
「ええ。それでプレゼンターをしてくださる方はその衣装のまま出演して頂いくということで」
「何か衣装があるんですか?」
「サンタの衣装なのですが」
「します!」
と千里は手を挙げた。もうひとり4年生の佐原さんもすることになり、千里たちはサンタの衣装を渡された。
「あれ?これ下はスカートなんですね?」
「サンタガールですね」
「まあいっか」
合唱サークルのチュニック+スカートよりは何とかなる気がした。
お元気会の集団演技が終わった後。ステージは一時中断してビンゴが行われる。それで当たった人に6人のサンタガールがプレゼントを渡すという趣向である。
旭川出身で集団アイドル・色鉛筆のメンバーである広中恵美が物凄く可愛いサンタガールの衣装を着ている。千里たち小学生・中学生の女子6人がまあまあ可愛いサンタガールの衣装である。
それで広中さんがビンゴの機械を回しては番号をひとつずつ発表していく。サンタガールの中で中学生の子2人がその番号を掲示する係をしており、残りの4人がプレゼンターということになった。
6個目の番号で早くもビンゴが出る。ひとりの子がそのお客さんの所にプレゼントの箱を持っていった。続けて当選が出る。別の子がプレゼントを持って行く。更に続けて2人ビンゴが出る。千里がその1人のところに持っていく。
父だ!
取り敢えずプレゼントを渡すことにする。
「ビンゴおめでとうございます」
と言って、カードと交換にプレゼントを渡す。
「ありがとうって、千里!?」
「この後合唱サークルの出番だから」
「お前、なんて格好してんの?」
「サンタの衣装だけど」
「スカートじゃん」
「ちがうよ。これはチュニカといって、昔の修道士の衣装で裙が長いんだよ、サンタクロースって、元は聖ニコラウスといって、修道士さんだったから」
「ああ、そういや中世の修道士がそんな感じの衣装だったかな」
ということで千里はうまく(?)言い逃れたのであった。
ビンゴ大会の後、合唱サークルの出番である。サンタガールの衣装のままステージに上る。阿部さんが電子ピアノの前に座り、海老名君がトランペットを持って立つ。馬原先生とのアイコンタクトで伴奏が始まり、歌が始まった。
『流氷に乗ったライオン』を演奏する。
潮に流されていく流氷。それに乗ってしまったライオンの不安そうな心情を歌って行く。観客はほとんどがこの歌を知らないと思うが、不安そうな顔で聴いている。しかし最後になって流氷が運良く島に流れ着き、何とかなりそうという喜びで終了すると、観客が一様にホッとした表情になるのが歌っていても嬉しかった。
続いて『きよしこの夜』を演奏する。
と思った所で突然体育館の電気が落ちた。
真っ暗になりざわめきが起きる。
「皆さん、落ち着いて!」
と大きな声をあげたのは、自分が弾いていた電子ピアノの電源が唐突に落ちてびっくりしたであろう阿部さんであった。
彼女は東京でのコンクールの時もみんなを落ち着かせる役割を果たしている。トラブルに強い性格なんだろうなと千里は思った。
「係の人から指示があるまで待ってましょう。爆発したりはしませんよ」
と阿部さんが会場に向かって言うと、客席からは笑い声もある。
それでみんな落ち着いてパニックは避けられた。この件で彼女は会場から後で感謝状までもらったようである!
5分近く経ってから主催者である市の課長さんが壇上にあがり、電気系統が落ちてしまったこと。すぐには故障箇所が分からないこと。空調も切れているので、今日はイベントを打ち切りたいことが説明される。
そういう訳で千里たちは演奏途中ではあったが、これで打ち切りということになった。
・・・と思ったのだが、ここで偶然客席にいた市長さんが立ち上がって言った。
「**君、このまま解散は寂しいから、クリスマスだし会場のみんなで、きよしこの夜を歌ってから解散しない?」
すると阿部さんが言った。
「だったら練習用に持って来たポルタトーンで伴奏します」
「じゃよろしくー」
それで阿部さんがポルタトーンで『きよしこの夜』の前奏をドソミソーファレドと弾き、会場全体で『きよしこの夜』を歌ったのである。非常灯だけが点いて暗い会場の中で、合唱部員たちが手に持って鳴らす鈴も美しく響いた。
その後、係の人の案内に従い、後の方の席の人から順に退場した。トラブルがあったわりには、素敵なクリスマスイブだった。
なお、千里たちの後で演奏を予定していたのは、商工会の合唱団の人と、色鉛筆の広中恵美ちゃんだけだった。ただし広中恵美ちゃんは最初の方でも一度歌唱しており2度目のステージ(このイベントのトリ)がキャンセルになっただけである。1度目のステージは千里も聴いたがアイドルにしてはうまいなと思った。
帰りは結局、岸本さんの車に父と同乗して帰ることになった。
「お父ちゃん、何が当たったの?」
「お前が渡してくれたのにお前は知らんのか?」
「私たちは箱を渡しただけだし」
父はまだ箱を開けてなかったのでその場で開ける。
「流します、パーランドとかいう所の招待券だ」
と父は言う(父は助手席、千里は後部座席に乗っている)。
千里はなんだろう?と考えた。しかし運転しながらチラッと父が手に持つ券を見た岸本さんが
「村山さん、それ、長島スパーランドだよ」
と言った。
「ああ。そこで切るのか。何です?スパーって温泉ですかね?」
「温泉もあるけど遊園地がメインなんですよ」
「へー。札幌かどこか?」
「いや名古屋ですよ」
「そんな遠くまでは行けない!岸本さんいりません?」
「いや、奥さんに渡したらいいですよ。お嬢さんたちと一緒に行ってくればいいし」
「でも名古屋までもいく交通費が無いですよ」
(岸本さんはこちらを千里・玲羅の女の子2人と思っているが“お嬢さんたち”ということばで武矢は玲羅のことを言われてると思っている)
そんなことを言っていたのだが、帰宅してからよく見ると、ちゃんと往復の交通費まで出ると書かれている。家族や恋人で4人まで行けるようだ。
「じゃ私と子供たち2人で行って来ようかしら」
と母は言う。
「子供たちは学校があるだろう?」
「土日に行ってくるよ。日程は1月15日から3月8日までならいつでもいいというから、坂田さんの結婚式に合わせて行ってくる」
「ああ、言ってたな。坂田さんの結婚式って名古屋の近くだったっけ?」
「名古屋から四日市までは電車で1時間も掛からないよ」
「そんなに近いのか。でもここから名古屋まで行くのに3日くらい掛かるだろ?」
それいつの時代の話だ!?
「新千歳から小牧まで飛行機があるよ」
(千歳空港から隣接する新千歳空港に民間便が移管されたのは1988年。名古屋空港(小牧空港)から中部国際空港への移管は2005年なのでこの時期は新千歳−小牧の時代。2001年5月の時刻表で1日13往復あったことが確認できる)
「じゃ土日で行って来れるのか?」
「だからお父ちゃんも行けるよ」
「そんなんで疲れて仕事に支障がでたら困るから俺は行かん」
「じゃ私たちだけで行ってくるね」
千里の父は12/25(火)に出港し、28日(金)に帰港した。29日から1月6日まで約1週間お休みで、次は1月7日(月)の出港である。
父はまた昨年のように温泉に行こうなどと言い出さないかヒヤヒヤだったのだが、今年は漁協でお正月の団体旅行が企画されていて、父はそれで層雲峡まで行ってくるということだった。父は母に「お前も来ないか?」と言ったものの、母は今度三重まで行くからと言って断った。父は私や玲羅も誘ったが、私は
「1月に剣道の大会があるから練習してる」
と言い、玲羅は
「お母ちゃんが行かないなら、私も行かない」
と言って、どちらも断った。それで父はひとりで参加した。
父たちは12/31にバスで出発し、1月1日は丸一日層雲峡に滞在して、1月2日に戻って来るということであった。それで結果的に千里たちはのんびりとしたお正月が過ごせた!
「亭主元気で留守がいい、とはよく言ったもんだわ」
などと母は言っていた。
父が留守なので、母は千里と玲羅の2人に和服(当然2人とも女物!)を着せて近くのP神社まで初詣に言った。すると例によって小春が忙しそうにしていて
「千里〜!手が足りない。手伝ってよぉ」
と言っていたので、いったん家に帰った後、またひとりで神社に行き、巫女服を着てお手伝いをした。ほんとに手が足りない感じだったので、蓮菜と恵香も呼び出して手伝ってもらった。
1月2日にも剣道部の初稽古に出たのだが、1月6日は級位認定会で市民体育館(クリスマスの時にイベントをした所)の剣道場まで行った。千里は夏に3級を取っていたのだが、その時あなたはもうひとつ上で行けると言われた。しかし次の級に進むには最低4ヶ月必要なので、4ヶ月経つのを待っていたのである。
審査料の2000円は神社でバイトしてもらったお金から出しておいた。
千里は基本動作、他の受験者との打ち合いもして合格を告げられた。これで千里は剣道2級を取得した。
「ところで今度の大会だけどさ」
と一緒に2級を取得した玖美子は言った。
「団体戦にも千里出てよ」
「え?私は戸籍上男子だから、女子の団体戦に出るのはまずいのでは?」
と千里は言うが
「女子の個人戦には出ている人が今更何を言ってる?」
と言われる。
「いや、多津恵ちゃんがやめちゃったからメンツが足りないのよ」
「でも・・・」
「そもそも女子選手としての登録カードもらったでしょ?」
「これ?」
と言って、剣道協会から送られてきた会員証を見せる。
村山千里・平成3年3月3日生・留萌市立N小学校・女
と書かれている。
「女子として登録されているんだから堂々と女子として出ればいい」
と玖美子はいうが、千里はどうしても後ろめたいので渋っている。すると玖美子は少し考えていたが言った。
「だったら、千里、大将やって」
「大将〜〜!?そんなの無理」
「個人戦で地区大会3位になった人が何を言っている。それにさ、大将の所まで来る間に、たいてい勝負はもう決しているんだよ」
「あ、そうか」
「だから一番強い人は先鋒に置くことが多い」
「なるほどー」
「私が先鋒やるから、千里は大将で」
「分かった」
さて剣道の大会は1月20日(日)に行われたのだが、今回の大会はもう6年生が抜けたので4〜5年生だけで出場する。そして5年生は玖美子と千里の2人だけで、4年生3人と一緒に出る。実はこの5人で剣道部の女子全員である。男子の方は部員が12人いるのでその中から5人選抜になったようである。
それで千里は当日、大会会場の市民体育館剣道場まで出かけて行ったのだが・・・・
「え〜〜!?4年生全員休み?」
「インフルエンザで3人とも仲良くダウンしているらしい」
「うーん・・・。私とくみちゃんの2人だけなら、棄権?」
「いや、出る」
「2人でできるの〜?」
「それが私もうっかりしてたんだけど、この大会は勝ち抜き方式なんだよ」
「勝ち抜き?」
「普通の星取り式なら、2人しかいないと3人不戦敗になって自動的に負けになる。1回戦敗退。でも今日の大会では勝った人が次の相手と対戦するから、1人で多人数を倒していくことができる」
「つまり、くみちゃんが相手5人を倒せば勝ち上がれる?」
「私が負けても千里が5人倒せば勝ち」
「むむむ」
そういうわけで、本来は先鋒・次鋒・中堅・副将・大将と5人いるべき所を、3人休んでいるので先鋒だったはずの玖美子が副将になり、千里が大将である。
初戦、天塩町(てしおちょう)の学校と対戦する。副将の玖美子が出ていく。向こうの先鋒が出てくるが、結構強い!どちらもなかなか1本が取れず、このままだと判定か・・・と思っていたら制限時間ギリギリに玖美子が相手の小手を取ることができて何とか1本勝ちした。
(剣道は通常2本先に取った方の勝ち(二本勝ち)だが、片方が1本だけ取っている状態で制限時間になるとその1本取っている側の勝ちとなる。どちらも一本取れなかった場合や両者1本ずつの場合は本来延長戦だが、時間の都合で判定やジャンケンで勝負を決する場合もある。今回の大会は決勝戦以外は延長無しのルールである)
玖美子が勝ち残ったので相手の次鋒が出てくる。これは玖美子が2本取って勝てた。中堅が出てくる。わりと簡単に2本取れる。副将が出てくる。見ると明らかに素人だ!初心者か人数合わせとみた。大将はどうだ?と思ったが、この子も素人だった!
そういう訳で、このチームは一番強い人が先鋒をしていたようである。
でもそれはうちもだなぁと千里は思った! 玖美子が負けるような相手に自分が勝てるとは思えない。
参加校が8校しかないので、次はもう準決勝である(男子は20校参加なので1回戦→2回戦→準々決勝→準決勝→決勝となっていた:N小男子は実際には2回戦で敗退した)。千里たち女子の準決勝の相手は増毛の小学校だった。
玖美子が出て行く。先鋒と1本ずつ取った後、相手の攻撃をうまくかわしてカウンターで玖美子が1本取り、こちらの勝ちとなった。次鋒はやたらと逃げまわってばかりで攻撃の姿勢が見られないので審判から注意されるに至る。しかしその後何とか玖美子が小手を取り1本勝ちした。多分逃げまくって引き分けに持ち込めと言われていたのだろうが、ここまで戦う姿勢が無かった場合は判定になっても負けになると千里は思った。判定基準は、技→態度である。
中堅が出てくる。この人は玖美子といい勝負をしたが、もうすぐ時間切れという時に玖美子が相手の一瞬の隙に打ち込んで面を取って勝った。副将はあまり大したことがなく、短時間に玖美子が2本取って勝つ。そして大将は強かった。開始早々1本取られる。しかしその後はなかなか両者1本取れない。このままでは負けるかと思った時間切れ間際、玖美子がうまくカウンターで1本取った。時間切れになり判定となるが、判定が引き分け!でジャンケン勝負になった。
玖美子がジャンケンに勝った!
ということでN小の勝ちである。向こうが凄く悔しがっていた。
「やはり普段からジャンケンも鍛えておかないとダメね」
などと玖美子は言っていた。
しかしここまでは千里は出番無しで“座り大将”を決め込んでいた。
そしてとうとう決勝戦である。相手は留萌市内の別の学校だ。
玖美子と向こうの先鋒が対決する。
ここで玖美子は開始そうそうに2本立て続けに取られて負けてしまった!
「ごめーん」
「私負けてきてもいい?」
「そう言わずに頑張ってよ」
それで千里が向こうの先鋒と対決する。強そう!と思う。
しかし逃げる訳にはいかない。対峙する。隙を見つけて打ち込んでいくが、さっとかわしカウンターを取りに来る。でもかわす!
向こうはどうもカウンターがうまいようだと見た。玖美子も2本ともカウンターで取られている。向こうからも攻めてくるが、どうもこちらがカウンターを取りに行く所を更にカウンターを取るつもりだという気がした。それで隙を見せないので向こうは悔しそうである。向こうがわざと隙を作るのでそこを狙うかと見せて反対側から打ち込む。向こうはギョッとしたようだが、すんでで逃げられた。
こうして読み合いの攻防が続く中、お互い1本ずつ取った所でタイムアップ。決勝戦なので延長戦に入るが、延長戦ではどちらも1本取れないまま時間が来る。規定により2度目の延長戦は行わず判定となる。
引き分け!
それでジャンケン勝負となるが、実は千里はジャンケンに負けたことがない。軽く勝ってまずは1人勝ち抜きである!
次鋒はあまり強い人ではなかったので2本取って勝ち抜く。
中堅は結構強かった。開始そうそうに1本取られるが、その攻防で相手のパターンが読めたのでその後は取らせない。逆に相手の攻めからのカウンターで胴を取る。そして時間終了間際。やや強引な攻めで、相手がカウンターに来た所をギリギリで交わしながら面を取って勝った。
副将は大したことなかったのでまず1本取るが、そのあと向こうは逃げまくる。審判から注意される。それで向こうが逃げるのをさすがに控えた所できれいに1本取って勝った。
そして大将戦である。
この人は無茶苦茶強かった!
開始早々1本取られる。しかしそれで相手のパターンが分かるので警戒しているとその後は向こうもなかなか決めきれない。こちらからも打っていくが、きれいにかわされる。カウンターが来るがそれは避ける。
時間が無い。あと少しでこちらの負けになるというところでイチかバチか打ち込みにいく。わずかに届かず!カウンターが来る。こちらもギリギリで避ける。
しかし時間切れ!
それで1本負けになってしまった。
残念!
礼をして退く。
「ごめーん。負けた」
「いや、強豪相手に4人に勝ったんだから大活躍だよ」
と玖美子は言ってくれた。
「1人はジャンケンだけどね」
「ジャンケンも実力のうち」
そういう訳でこの大会の団体戦は準優勝に終わったのであった。
でも面白かった!
なお、個人戦の方は準々決勝で強い人と当たって敗退した。玖美子は準決勝まで行き4位となった(三位決定戦にも敗れた)。準々決勝で千里に勝った人が最終的に優勝した。
「手抜きはいけないなあ」
「え?何のこと?」
さて、千里は母と玲羅と一緒に1/26-27の土日に母の友人の結婚式、およびナガシマ・スパーランドに行ってくることにしていた。
この時期は学校は隔週土休の時代である。
1992.9.12 公立小中学校及び高等学校の多くで毎月第2土曜日が休日に。
1995.4.22 第2土曜日に加え第4土曜日も休日に。
2002.4.6または4.20から公立小中学校及び高等学校の多くで毎週土曜日が休日となる。
それで今月は1月12日と1月26日が土曜休みだった。母の友人の結婚式は1月26日にあるので、ちょうど良かったのである。旅費に関しても母は偶然にも福引きでナガシマスパーランドの入場券が往復旅費コミで当たったのでといって辞退する連絡を入れている、しかし実はそのおかげで、包む御祝儀も少なめで済む!という利点があるのである。旅費を出してもらった場合、どうしても高額の御祝儀を包む必要が出てくる。
父の船は金曜日夕方に帰港するので、それを迎え、土曜朝の飛行機で名古屋に移動することにしていた。結婚式・披露宴は午後からなので朝の飛行機でも間に合うのである。
千里は父が行かないなら、旅行中は女の子の服を着てもいい?と尋ね、母もまあいっかと言っていた。
ところがである。
1月7日に出港した父の船は翌日戻って来た。母は連絡を受けて慌てて迎えに行った(車を運転できる母が行かないと武矢は帰宅する手段が無い!)。
「通信機器が故障したんだよ」
「あらぁ」
「修理するのに今月いっぱいは船は休みになった」
「ありゃりゃ」
「給料はここ1年間の平均額を払ってくれると鳥山さん(船長=船主)が言ってた」
「それは助かる」
正直、今月無給になったらどうやって子供たちを食べさせていこうと一瞬悩んだのである。自分のパートの給料だけではとても足りない。しかし給料がもらえると聞いて、津気子はがぜん余裕ができた。
「休みになるなら、あんたも名古屋に行く?」
「ああ。行ってもいいかな。船が出ないとすることないし」
それで急遽武矢も行くことになった。旅行代理店に照会してみたら、土曜日朝一番の便で行く枠はもういっぱいだが、金曜日の最終便で行く枠なら余裕があるということだったので、その枠に切り替えてもらい家族4人で行くことになった。
しかし千里は母から言われた。
「父ちゃんが一緒に行くから、女の子の服は勘弁して」
「分かった」
とは答えたものの、千里は悲しかった。しかし悲しいことよりもっと大きな問題があった。
お風呂どうしよう?
父から一緒にお風呂行こうと言われても応じられない。自分はとても男湯には入れない身体である。千里が暫定的に(?)女の身体になっていることは母も知らない(知ったら驚愕するだろう)。
(癌摘出手術後の治療を受けている母の卵巣・子宮を守るため、母の生殖器が一時的に(?)千里の身体に入れられており、千里の睾丸は実は父に移植され、千里の陰茎は小春があずかっている−貧弱な千里の睾丸が移植されたことで、実は父はあまり暴力をふるわなくなった。それで千里は現在男性器が存在せず母の女性器があるので、毎月月経が来ている。更に卵巣から出る女性ホルモンの作用で千里の身体はどんどん女性化しつつある)
1月8日以降、父がずっと家にいるので千里はかなり閉口した。あれこれ父が干渉してくるので、千里は「剣道部の練習があるから」と言って、母が仕事を終えて帰宅するくらいの時間までずっと学校にいて、本当に剣道部の練習に出ていた(玲羅は図書室で時間を潰し、千里と一緒に帰宅していた)。1月20日の大会で千里が活躍できたのも、ふだん練習をサボってばかりの千里が珍しく練習に出ていて、男子の部員にも稽古をつけてもらっていたお陰である。
「もっとも村山は男子部員ではないかという説もあるのだが」
「夏の大会の時は男子の方に名前書いてたのに、勝手に女子の部に移動されちゃったんですよぉ」
と千里は言い訳する。その結果、女子の登録証まで発行されてしまったのである。
「まあ本人を見たら女子としか思えんよなあ」
「金玉は既に無いらしいから、女子で構わない気がする」
「だけど村山は気合いが凄いから、俺たちでも負けそうな気がする」
「いや気合いは凄いけど、さすがに男ほどのスピードは無いから恐れずに打ち込んでいけばだいたい勝てる」
「そうそう。技術はあるし気合いも凄いけど、スピードは普通の女子よりむしろ遅いくらい」
「それがまあ村山の課題でもあるがな」
男子たちがそんな話をしているのを玖美子はニヤニヤしながら聞いていた。まあ、千里は男子相手には本気出さないからなぁ。
1月25日(金)の午後、津気子は武矢をスバル・ヴィヴィオの助手席に乗せ、千里たちが通う小学校まで行くと、授業の終わった千里をピックアップした。玲羅はもっと早く終わっていたが、図書室で待機していた。
4人が乗る車は R233-R275-R36 と走り、18時頃新千歳空港に到着した。もう少し早く着けるかと思ったのだが、途中から雪が降ってきたので少し予定より遅れた。ツアーの看板を持って立っている旅行会社の人のところに行き、引換券を提示して、航空券・ホテルクーポンを受けとる。
すぐ荷物を預け、手荷物検査場に向かう。
母は財布が引っかかり、ウィッグのネットがひっかかり(母は癌治療の影響で髪がかなり抜けているのでウィッグを使用している)、最後はプラジャーのワイヤーまで引っかかった。父に至っては、財布とベルトのバックルで引っかかり、ポケットに入れていたサバイバルナイフで引っかかり(高価なものなので到着空港で受けとることにしてもらった)、靴底に打っている鉄板で引っかかり、腕時計とネクタイピンでも引っかかり、「もう嫌だ。飛行機は2度と乗らん」などと言っていた、
千里も実はブラジャーのワイヤーで引っかかった!が父は先に行っていたので、この件は母と玲羅しか聞いていない。
「あんたブラジャーつけてんだ?」
と母が小さな声で訊く。
「だって女の子だもん」
「まあいっか」
母が売店でお弁当を買ってきたので待合室で食べた。搭乗時刻になるので慌ただしく乗り込む。そして飛行機は定刻を少し遅れて離陸したが、父は飛行機初体験だったし、雪が降っていて雲を通過する時に結構揺れたこともあり、かなりビビっていたようだった。玲羅は揺れるのを「ジェットコースターみたい」などと言って面白がっていた。
CTS 1910 (ANA714 B767) 2045 NKM
空港を出てホテルに到着したのはもう22:00頃である。部屋はツインにエキストラベッドを2つ入れてあった。
「もう風呂入って寝よう」
「そうだね」
それで、お風呂セットを持って地下の大浴場に行く。大浴場なので当然男女に分かれている。千里はつい女湯に行きかけたのだが父に停められた。
「お前何やってんの?女湯に入ったら逮捕されるぞ」
などと父から言われる。
それで強引に男湯に連行された。
いや、私、男湯に入ったら逮捕されそうなんですけど!?
母がちょっと心配そうにこちらを見ていた。
千里が男湯の脱衣場に入ると、視線が集中するのを感じる。
だよねぇ。男湯の脱衣場に女の子が入ってきたら何事かと思うよね。逆なら即逮捕される所だよ。
案の定、従業員さんが見とがめてこちらに来る。しかし千里は父に言った。
「あ、ごめん。忘れ物取ってくる」
「いいけど、何忘れてきたの」
「ちょっとね」
それで千里は男湯の脱衣場を出てしまったのである。従業員さんがこちらを見送る視線を背中に感じた。
いったん地下ロビーまで戻る。そして目を閉じて、“玲羅の目”で様子を伺う。
まだ服を脱いでいる所か・・・・
ふたりが浴室に移動するのを待つ。
「よし行こう」
それで千里は女湯の脱衣場に行く。脱衣場の入口の所に女性の従業員さんが立っていて、タオルを渡してくれた。
「ありがとうございます」
と言って受けとってから中に入る。
脱衣場の中は女性ばかりである(男がいたら大変だ)。千里は緊張がゆるむのを感じる。さっき男湯の脱衣場に入った時は凄く緊張した。
母と玲羅が使ったロッカーは“波動”で分かるので、その近くを避け。母たちのロッカーからは死角になる所のロッカーを開けた。自分の着替えを入れ、服を脱ぐ。少しだけ膨らみかけた胸、そして何も無いお股が露わになる。千里は入口で渡されたタオルの内、バスタオルはロッカーに入れ、フェイスタオルだけ持って浴室に移動した。
父は普段から入浴時間が短いので多分20分くらいであがってしまうだろうと思った。だから自分が普通に入浴してからあがれば、その時点で既に父は部屋に戻ってしまっているだろうから入口付近で父と遭遇する危険は無い。だからそちらは考えなくてよい。母や玲羅と浴室内で遭遇せず、また脱衣室でも遭遇しないようにすることが大事だ。
千里はそんなことを考えながら、母たちの場所を認識しながら、そこから離れた洗い場で髪を洗い、身体を洗った。あの付近もていねいに洗っておく。しかし長い距離を移動してきたので、身体を洗っていると疲れも一緒に洗い流されていく気がする。やはりお風呂っていいなと思う。
母たちは湯船につかっていたのだが、玲羅が何種類もある湯船に全部入ってみようとしているようだ。今浴槽に入るのは危険だなと思い、千里は再度身体を洗っていた。
母が玲羅を注意し、あがって脱衣場に移動する。それで千里は浴槽に入り、お湯の中で身体の筋肉がこわばっているところを揉みほぐした。
ゆっくりと浸かっている間に母と玲羅は服を着る。玲羅は自販機でジュースを買ってもらい、それを飲んでいるようだ。母はその間に少し涼んでいるもよう。時間がかかるので、千里は別の浴槽に移動し、そちらでまたのんびりと浸かった。
母たちが脱衣場を出る。
千里は浴槽からあがり、脱衣場に移動した。ロッカーを開け、身体をバスタオルで拭く。そして服を着始めた時のことであった。
玲羅がまた脱衣場の中に走り込んで来たのである。何か忘れ物でもしたのだろうか。しかし玲羅は自分たちが使っていたロッカーのある付近ではなく、方向を間違ったのか、千里の居る方向に走ってくる。
まずい!
千里は腰を落として何かを探しているかのような格好をした。
玲羅は千里のすぐ後を走り抜けていき、着衣のまま浴室に入る。
そしてすぐ浴室の中から走り出てくるが、手にアヒルさん!を持っていた。
なるほどー。それを忘れたのか。
しかし玲羅はそのまま今度は反対側を通って脱衣場の外に走り出して行った。
全くびっくりさせるよ!
と千里は思った。
母たちがエレベータの前まで行った所で千里は女湯の脱衣場を出た。そしてエレベータの所に行くが、ゴンドラがなかなか来なかったようで、母たちはまだ居た。
「あれ?お兄ちゃん」
「あんた今上がったんだ?」
「うん。疲れが溜まってて、うっかり眠りそうになった」
「溺れるよ!」
「お父ちゃんは?」
「もうだいぶ前にあがったよ。お父ちゃん早いんだもん」
「あの人はカラスの行水だからね〜」
と母は言っていた。
ともかくもこの夜は千里は平和に入浴することができたのであった。
「でもあんた本当に男湯に入ったの?」
と母が訊いた。
「そうだけど」
「ふーん」
3人が部屋に戻ると父はビールを飲んでいた。
「あれ?お前たち一緒だったの?」
「うん。エレベータの前で一緒になった」
「ああ、エレベータの前でか。一瞬千里まで女湯に入ったかと思った」
「まさか」
と母は言った。
翌日(1/26 Sat)はホテルで早めの昼食にきしめんを食べたあと、近鉄で四日市市に移動した。
結婚式は13:00, 披露宴は14:00-16:00の予定である。新婦の美帆里さんは、中学・高校で母と同級生だったが、高校在学中に父親が名古屋に転勤になった。それで彼女は高校在学中は親戚の家に居候させてもらっていて、卒業後名古屋に移動した。中学なら公立の学校であれば転入生を簡単に受け入れてくれるが、高校生は大変である。転入試験は結構レベルが高い。私立に通わせるには経済的に厳しかったので、卒業まで居残りを決めたのである。
名古屋近郊の自動車部品の会社に就職し、働きながら通信制の大学を卒業。その後、法律事務所の事務員になり、司法書士の資格も取得したらしい。母は「あの子は努力家」と言っていた。しかし仕事が忙しくて、恋愛などしている暇が無く、34歳での初婚ということになったようだ。でも彼女は結婚後もそのまま法律事務所の仕事を続けるらしい。
「だけど明日が友引なのに、なんで今日結婚式なのよ?カレンダー見て私日付を間違えたかと悩んじゃった」
「だって友引の日は予約がいっぱいで取れなかったんだもん」
「都会は大変だなあ」
1月27日は日曜の友引なので、式場などは予約がいっぱいである。確かに今日26日(先勝)の方が式場はすいていたろう。
披露宴に出席するのは母だけなので、千里と玲羅はロビーで適当に本でも読んでいてと言われ、ここに来る前に本屋さんに寄って、玲羅は出たばかりの『Dr.リンにきいてみて!』5巻を買ってもらい読んでいた。千里は鼓笛隊の練習してると言った。
「ロビーで笛吹いたら迷惑では?」
「音は出さないよ。指使いだけで練習する」
「なるほどね」
父はパチンコしているということだった。父は普段はそういうのはしないのだが(金曜日に帰港したら月曜日早朝出港するまで家でひたすら寝ていることが多い)、せっかく都会に出たので、都会のパチンコ屋に行ってみたかったのだろう。
それで漫画を読んでいるそばで千里が笛の練習をしていたら、60歳くらいの女性が通り掛かる。
「あら、あなた笛を吹くの?」
「はい。鼓笛隊でこのファイフを吹くんですけど、来月下旬の卒業生を送る会までに3曲覚えないといけないので大変です」
「ああ、鼓笛隊か。3曲って何と何?」
「サイジョウ・ヤソとかいう人の『ヤングマン』と、『ほたるの光』と、Kinki Kidsの『情熱』です」
「西条八十(やそ)じゃなくて西城秀樹かな」
「あ、そんな名前だったかな」
「情熱どのくらい吹く?音出していいから吹いてみて」
「あ、はい」
それで千里は『情熱』のメロディーを吹いてみせた。
女性は千里の笛を聴いて難しい顔をした。ああ、私まだ下手くそだよなぁと思いながら吹いていたのだが、吹き終わると女性は言った。
「あなた、披露宴でこれ吹いてくれない?」
「え?私下手なのに」
「いや、天才だと思った」
「それはないと思いますけど」
「でも吹くのはいい?」
「はい。私の演奏でよければ」
「あなた、名前は?」
「村山千里です。村山津気子、旧姓では奥沼津気子の子供です」
ここで“息子”とは言いたくないが、“娘”と名乗る自信がないので子供という曖昧な言葉を使っている。
「ああ。ツキちゃんの娘さんか。あなたとは後でまたゆっくり話したいなあ」
“娘”という言葉に隣にいる玲羅がピクッとしたものの、千里が“娘”とか“お嬢さん”と呼ばれるのは、聞き慣れている!のでスルーしてくれた。
「お時間があれば」
と千里は答える。
「どこに住んでいるんだっけ?留萌?旭川?」
「留萌です」
「そうか。じゃまた後で声を掛けるね」
「はい」
「取り敢えず来て」
というので千里は玲羅に
「ちょっと行ってくるね」
と声を掛けると、その女性に付いていった。
「そうそう。私は遠駒藤子」
「遠駒さんですか。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
それで遠駒さんに連れられて披露宴会場に入る。遠駒さんが司会者に囁いている。司会者が頷いている。遠駒さんが千里のそばによる。
「今歌っている人たちの次の次に入ってもらえる?」
「はい」
「でもあなたまるで男の子みたいな格好」
「旅行なので」
「もう少し可愛い衣装着せてあげるよ。まだ10分くらいあるから、ちょっとこちらにおいで」
と言われて、千里は新婦親族控室と書かれた所に連れて行かれた。母を知っているようだったし、新婦の・・・伯母さんか何かかな?と千里は思った。
「色々子供たちに役目を果たしてもらわないといけなかったりするから、子供用の衣装もたくさん用意しておいたのよね。あなた、これが似合いそう」
と言われて青いドレスを渡された。千里はすぐ今着ているフリース・シャツ・ズボンを脱ぎ、そのドレスを頭からかぶる。背中のファスナーを遠駒さんに上げてもらったが、背中ファスナーの服は、祖父・十四春の葬儀の時以来だな、と千里は思った。男物の服ではあり得ない仕様だから、こういう服を着ると“女である喜び”を感じる。
それで披露宴会場にとんぼ返りする。
前の人の歌がまだ途中だ。モーニング娘。の『ハッピーサマーウェディング』を歌っている。例によって「証券会社に勤める杉本さん」を「自動車会社に勤める山口さん」と新郎の仕事と名前に変更して歌っていた。
そしてそれが終わった所で
「新婦のご友人・奥沼津気子さんのお嬢さん・千里ちゃんの横笛演奏で曲はキンキキッズの『情熱』です」
と紹介される。
母がギョッとした顔でこちらを見ているのを見る。
あはは。こういうシチュエーション、なんか頻繁に起きている気がするけど。
それで千里がファイフで『情熱』を吹くと会場がシーンとしている。やはりあまり上手くないからかなあ、などと考えながらそれでも一所懸命千里は笛を吹いた。
そして吹き終わると物凄い拍手である。千里はびっくりしたが、笛を持つ左手と右手をドレスの前で合わせて深くお辞儀をする。そして遠駒さんと一緒に退出した。
「凄い拍手もらってびっくりしちゃった」
「だって本当にうまかったもん」
「そうですか?」
ともかくも再度控室に行き、ドレスを脱いで着てきた服に着替えた。御礼と言われてケーキをもらったので、玲羅と分けて食べた。
やがて披露宴が終わってから母が出て来たが
「心臓が停まるかと思った」
などと言っている。
「笛の練習してたら、遠駒さんが通りかかって。笛を音を出して吹いてみてというから吹いてみたら、ぜひ披露宴で吹いてと言われちゃって。でも凄い拍手もらって、びっくりしちゃった」
「いや、上手かったと思うよ」
と母は言った。
ドレスを着ていた件、「奥沼さんのお嬢さん」と紹介された件は、どうもスルーするようだ。まあ、いつものことだしね!
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【少女たちの伝承】(1)