【少女たちの修復】(2)
1 2 3
(C) Eriki Kawaguchi 2019-05-18
2001年7月28日(土).
千里はひとりでJRに乗って旭川に出た。
祖父(父の父)十四春の一周忌があるのである。
本当の一周忌は29日であるが、日曜にやると出席者は翌日の月曜日が辛いので1日早い土曜日に行うのである。
本来なら父あるいは父と母、あるいは千里と玲羅も含めて4人で出るべきところなのだが“諸事情”で千里が父の代理ということで1人で出席することにしたのである。“諸事情”の中身は“お金が無い”ということだろうなと千里は思った。
大人が行くとなれば、交通費も掛かるし、お土産代とか宴会代?とか色々掛かることになる。千里1人なら、交通費も子供運賃だけで済む!
喪服であるが、昨年の葬儀の時に着た服はもう入らなかった。それで新しい喪服を買ってもらうことになったが、千里は「ワンピース型がいい」と主張した。すると母も
「お父ちゃんが一緒じゃないからいいか。どうせ去年ワンピースの喪服で献花してるしね」
と言って、少しゆとりのあるワンピースタイプの喪服を買ってくれた。それにズボン型だとあまり大きすぎるサイズは変だが、ワンピース型は多少サイズが大きくてもそんなに変ではないのである。
もっとも旭川までは普段着で行き、現地で喪服に着替えるように母からは言われた。
留萌557-649深川656-728旭川
実際には、千里は面倒が無いように、留萌から深川に向かう列車の中でワンピースの喪服に着換えてしまった。
旭川駅には“誰か”が迎えに来てくれるということだったが、20代の女性が運転する青いスターレットが千里の立っていた所から5-6mくらいの場所に停まり誰かを探しているようである。千里は走り寄った。
「おはようございます。村山千里ですが」
「ああ。千里ちゃん!私、村山春貴(むらやま・はるき)。啓次の孫」
「初めまして。去年の葬儀の時はお母さんに親切にして頂きました」
すぐ千里が乗って車は出る。
それで一周忌が行われるセレモニーホールに向かった。
運転しながら春貴さんは
「千里ちゃんって、あれなんだ!」
と言った。
「あ、分かります?」
「同類だからね〜」
と春貴さんは笑いながら言っている。
「去年の葬儀の時、春貴(はるき)さんのことが話題になってました。天子おばあちゃんが、一周忌には女の喪服着せて連れておいでと言っていたんです」
「らしいね〜。だから今回は親戚関係に女子デビュー」
「よかったですね」
「うん。少し恥ずかしいけど、男の格好では出たくないもん」
「その気持ちすごく分かります」
「千里ちゃんのこと、私はうちの母からは『髪の長い女の子だから』と聞いた」
「ああ。私のことをそもそも女の子と思っている人の方がたぶん多いです」
「私も小さい頃からそれしておきたかったなあ!」
と春貴さんは羨ましそうに言った。
十四春の一周忌の出席者はこのようであった。
(1)喪主 天子(十四春の妻)
(2)望郎の娘・満洲子と夫の康夫
(2)サクラの息子・礼蔵と妻の竜子
(5)啓次の息子・鐵朗と妻の克子、娘の春貴・夏美・秋恵
(5)庄造の息子・国男と妻の智子、その息子の春道と妻の章子、その娘の美郷
(1)武矢の娘(?)千里
(4)弾児と妻の光江、息子の顕士郎と斗季彦
合計20名。
(望郎・サクラ・啓次・庄造・十四春が兄弟)
さっき千里が言及したように、昨年の葬儀の時は春貴は女性用喪服で出席したいと言ったのを母が認めてくれなかったので「男性用の喪服を着ろというのであれば出席しない」と言って欠席した。しかし天子が「性別を変更することは恥ずかしいことではない。来年は女性用の喪服を着せて連れてきなさい」と言った。それで今年は女性用喪服を着た春貴を連れてくることになり、結果的に妹たちの夏美・秋恵も来ることになった。そして「春貴ちゃんが来るなら」と言って、小さい頃仲良しであった春道も春貴に会うのを主目的として出席することになったのである。それで啓次系と庄造系の出席者が多くなった。
喪主の天子さんは目が見えないし、69歳と老齢でもあるのでので、実際にはほとんどの作業は、光江(弾児の妻)さんと竜子(サクラの息子・礼蔵の妻)が仕切っていたようである。千里は会場に着くと
「おはようございます。私でできることなら何でもしますから言って下さい」
「おはよう。千里ちゃん。じゃ、このお花、お部屋に持って行ってくれない?」
「はい」
それでお花2つを1つは小春に持ってもらって、一周忌法要が行われる部屋に持って行った。
その他、伝言を頼まれたり、お坊さんを案内したり、千里は結構しっかり働き、「充分戦力になっている」と春貴さんから褒められた。彼女もたくさんお手伝いしていた。
お坊さんは9時半に来て下さったのだが、いちばん遠方から来た人を待って、法要は10時から始まった。
最初に天子さんの短い挨拶があってから、お坊さんの読経が1時間!ほど続いた。千里はこの会場が椅子席でよかったと思った。正座で1時間なら確実に足がしびれてしまう。
お経が終わった後は焼香をしてから美郷ちゃんが献花をした。葬儀の時、本来は玲羅と美郷がする予定だったのが、加藤さんの勘違いから美郷(みさと)ではなく千里(ちさと)がしてしまったので、あらためて今回は美郷にしてもらった。
その後、お坊さんのお話が10分ほどあり、最後の挨拶は弾児さんがした。本当は千里の父がすべき所であるが本人が来ていない。
法要が終わった後は、この部屋に銘々膳を運び込んで食事をする。結果的にはほぼお昼の時間になってしまった。この食事会では最年長である康夫さん(実は天子さんより1つ上である)が献杯の挨拶をしてくれた。
全ての予定が終わったのは13時頃である。お坊さんを送り出してから解散となるが、実際にはほぼ全員が今日は旭川泊まりである。それでホテルに移動することとなった。
「千里ちゃんは?」
「私は日帰りです。これからJRで留萌に戻ります」
「あら、行事だけ出て、すぐ帰るのは、ゆるくない(大変)でしょ?あんたもホテルに来て少し休んで行きなさいよ」
「でも私、ホテル予約してないですよ〜」
「子供1人くらい平気平気」
ということで半ば拉致に近い感じで連れて行かれたのであった。
ホテルに来たのは、天子と弾児一家以外の全員である。つまりこの15人である。
(2)望郎の娘・満洲子と夫の康夫
(2)サクラの息子・礼蔵と妻の竜子
(5)啓次の息子・鐵朗と妻の克子、娘の春貴・夏美・秋恵
(5)庄造の息子・国男と妻の智子、その息子の春道と妻の章子、その娘の美郷
(1)武矢の娘(?)千里
春貴が「千里ちゃん、おいで」と言って、そばに置いたので妹の夏美・秋恵にも可愛がられたが、夏美や秋恵は千里を普通の女の子と思っているようだった。
ホテルでは各自の部屋でまずは普段着に着替えた後、お風呂に行く。お風呂は男女別なので、女湯に行ったのはこの10人である。
(1)満洲子
(1)竜子
(4)克子、春貴・夏美・秋恵
(3)智子、章子、美郷
(1)千里
千里が平然として女湯の脱衣場に入っていくので、春貴は「ふーん」という顔をしていた。そして千里が服を脱いで全裸になると腕を組んで考えていた。
しかし当の春貴自身が、みんなの“観察対象”になってしまった。
「おっぱい大きいね」
「ちんちんはもう付いてないのね」
「ボディラインが女の子にしか見えない」
などと言われて、たくさん観察され、たくさん触られていた!
「おっぱい、やわらかーい」
「これってシリコン入れてるの?」
「女性ホルモン飲んで自然に大きくしましたよ」
と答えながら彼女は千里の胸に視線をやっている。
「ちんちんも女性ホルモンで無くなったの?」
「ちんちんは自然には無くならないから手術して取りましたよ」
「すごーい。あんなの切ったら痛くなかった?」
「痛かったですよ。痛みが取れるまで半年かかりましたから」
「きゃー!大変な手術なのね」
「ええ。でも女の子になりたかったから覚悟して受けました」
「手術ってモロッコに行ったの?」
「モロッコで手術していた先生はもう20年以上前に亡くなったんですよ。最近はタイで受ける人が多いです。タイには性転換手術をする病院がたくさんあるんです」
「へー!タイなんだ?」
「だからタイは性転換した人多いですよー。世界中からタイに手術受ける人が来ますし」
「でもそんなにたくさんあるんだ?」
「まあたくさんあるから、ピンからキリまでありますけど」
「春貴ちゃんは、ピンの方?キリの方?」
「国際的にも定評のある所で受けましたよ」
「それ下の方はちょっと恐いね」
「だと思います。安いでしょうけど、適当そうですよね。ちゃんと使えるヴァギナにならなかったり」
「ヴァギナも造るんだ?」
「作らないとお嫁さんになれませんから」
「あら、だったら春貴ちゃん、お嫁さんになれるの?」
「結婚してくれる男性がいればですけどね〜」
「でも性転換手術して女の身体になってもも、戸籍は男のままじゃないの?」
「今はちゃんと戸籍上の性別を変更出来るんですよ。だから私はちゃんと戸籍上も長女になってますよ」
「あら、春貴ちゃんが長女なら、夏美ちゃんは次女になったの?」
「いえ。夏美は長女、秋恵は次女のままです」
「だったら長女が2人いるんだ?」
「そうなんですよね。再婚した人とかも長女が2人できることもありますね。それと同じですよ」
「ああ、そういう話は聞いたことある」
「でもヴァギナがあって、戸籍も女だったら結婚してもいいという男の人もいるかもね。春貴ちゃん美人だもん」
「赤ちゃんも産めるの?」
「それはできないんですよ〜。卵巣や子宮までは無いので」
「それは無いんだ?」
「今の技術ではそこまで作れないんですよね〜」
「誰かから移植するとかは?」
「卵巣や子宮の移植は困難みたいですよ。拒絶反応が凄いらしいです」
「へー」
「一般的に最初に性転換手術を受けた人とされているリリー・エルベという人も、卵巣や子宮の移植手術による拒絶反応で亡くなったんですよ」
「あらぁ、可哀相!」
「だから現在そういう手術はしていません。将来的にはES細胞を使うと本人用の卵巣・子宮を作れるようになるかも知れませんけどね」
「何それ?」
「万能細胞といって、何にでも進化出来る細胞なんですよ」
「へー」
「ただしこれを作るには、受精卵のごく初期の細胞を採取して保存しておく必要があるんですけどね。だから生まれてしまった以降はもう無理です」
と春貴は説明する。
(体細胞を万能細胞に戻すIPS細胞の発見は2006年)
「受精卵から細胞取るって恐くない?」
「失敗すると赤ちゃん流れちゃうだろうから、そういう技術が確立するのはまだ20-30年先でしょうね」
「へー」
「でも万能細胞があれば、腎臓や肝臓、心臓だって作れるから、将来心臓移植とかは、きっと自分の心臓のスペアを作って交換出来るようになりますよ」
「それすごーい!」
「そこまで行くのは100年後かも知れないですね。目的の臓器に育てるのって、凄く難しいみたいだから」
結局、この日のお風呂の中では女性親族たちから春貴が質問攻めにあい、集中的に観察されていたので千里は誰からも注目されたりすることもなく、のんびりと浴槽につかっていた。お風呂の中では美郷ちゃん(小6)とたくさん話したが、美郷ちゃんは千里を普通に女の子と思っているようだった(ふつう男の子が女湯に居る訳が無い)。
それで充分暖まって、あがった。ちなみに千里は去年もお風呂で竜子さんと克子さんに裸を曝している。
春貴さんが「宴会が始まってお酒が入る前に」と言って、お風呂からあがったすぐ後、千里を旭川駅まで車で送ってくれたので、それで留萌に戻った。
車の中で訊かれた。
「千里ちゃん、お股を上手に偽装してるね〜」
「えへへ。あまり深く追及しないで下さい」
「うんうん。いいけどね。でも胸も膨らみ始めている感じだし、女性ホルモン調達してるんだ?」
「はい。だから中学に入る頃までには何とか小さなおっぱいくらいできるのが目標です」
「頑張ってね。だったら声変わりもキャンセルできそう?」
「声変わりなんて絶対嫌です」
「あれは私も絶望した。この声を出せるようになるまで苦労したし」
「大変そう!でも女の人が話しているように聞こえますよ」
「そそ。あんたポイントが分かっているね。声は声の高さではなくて話し方が重要なんだよ。女の声に聞こえる必要は無い。実は女でも男みたいな声を出す人はたくさんいる。大事なのは女が話しているように聞こえるようにしゃべることなんだよ」
「へー。私、今何か大事なこと言ったのかな?」
「ああ。あんたは今朝から見ていて思ったけど、自分で大事なこと言っててそれに気付いていない傾向もある。巫女(みこ)体質かもね」
「みこって神社の?」
「うん。あんたは巫女になれるかも」
「それもいいなあ」
そういう訳で、春貴は千里がお股を女性股間に見えるよう偽装していると思ったようである(タック技法はこの頃ニフティの某サイト付近を震源地に少しずつ知られるようになっていった)。小学生で女性の性器外観を獲得済みというのは普通あり得ない。もっとも千里の女性型股間は母の卵巣を癌治療の薬物や放射線から守るための暫定的?なものである。
旭川15:10-16:54留萌(留萌本線への直行便)
2001年8月26日(日).
合唱サークルが参加する今年の合唱コンクール地区大会が旭川市で行われ、今年は全員JRで移動した。昨年は予算も無かったことから、保護者の車で相乗りして旭川に移動したのだが、一部の車が高速道路上での事故で足止めをくらい本番に間に合わなかった。
しかし昨年は結局全国大会まで行ったことから今年は予算がかなり増額されており、JRを使うことができた。各保護者には朝留萌駅まで送ってもらえばよい。
参加校は昨年は12校だったが今年は10校に減っている。
(このコンクールの参加校数は90年代には毎年減っていき2002年が底であった。その後、また参加校数が増えていく)
千里たちN小学校は出場10校の内8番目であった。昨年この地区大会で優勝したのだから最後の登場でも良さそうだが、後ろ2校は例年上位に入っている私立の学校である。
ピアニストの阿部さんは昨年は全国大会の舞台で伴奏をしているので今年は余裕である。指揮は馬原先生、これに今回の参加者黒1点の海老名君(誰も千里を男子だとは思っていない)がトランペットを吹き、また低音部の間島さんがアルト・ソロを取る。
会場の外で練習してから更衣室で合唱サークルの制服に着替える。なお唯一の男子である海老名君は着換えずそのままの服である。彼は最初から子供用スーツを着てきていた。むろん更衣室には入らず部屋の外で待機している。
舞台袖につながるロビー奥の方に行く。やがて前の学校が舞台に出たので千里たちは舞台袖まで行く。後方には昨年銀賞だったF女学園の生徒たちが来ている。部長の高花さんが会釈すると、向こうの部長さんっぽい人が会釈を返してくれた。
「頑張りましょうね」
「お互い頑張りましょうね」
と声も掛け合う。ここは5年ほど連続して銀賞らしい。その後方にY女学院の生徒たちも来るが、何だか緊張している感じで全く私語をしていない!ここは10年ほどこの地区の金賞を独占していて一昨年は全国大会まで行ったのに昨年千里たちのN小に敗れて銀賞に終わっている。きっとリベンジに燃えているだろう。
ひとつ前のT小学校の演奏が終わる。生徒たちが退場する。千里たちがステージに上がる。それで演奏を始めようとした時だった。
ドン!
という物凄い音がして「**合唱コンクール」と書かれた大きな板が上から落ちてきた。千里たちは最初何が起きたのか分からなかった。
会場は物凄いざわめきである。係の人が数人ステージに上がり、落ちてきた板を片付ける。千里たちは
「びっくりしたー」
「何が起きたかと思った」
などと言い合っている。
係の人が
「怪我なさった方はありませんか?」
と尋ねるが、みんな大丈夫のようである。板は指揮者と生徒たちの列の中間、誰もいない所に落ちたのであった。
先生がお互いに隣の人が怪我していないか見てあげてというので、千里も隣の蓮菜とお互い触り合って怪我していないことを確認した。
「大丈夫のようです」
と先生が係の人に報告する。
「でも誰にも当たらなくて良かった」
「ほんとほんと」
それで気を取り直して演奏開始である。係の人の「お騒がせしました。次は留萌から来ました留萌市立N小学校です」というアナウンスがある。阿部さんが出だしの音をピアノで弾き、これにみんな声を合わせる。
先生の指揮棒が振られ、伴奏が始まり、みんなが歌い出す。実際問題として今回は5〜6年生が慣れているとはいえ、やはり緊張している部員も多かったのだが、直前の看板転落事故で結果的に緊張がほぐれてしまった。それでこの日はとてもリラックスして歌うことができた。
感情表現などもとてもうまくできる。最後の夢落ちの部分も本当に安堵したような雰囲気を出して終了する。
部員たちは、うまく行ったという感触があるので、お互い笑顔である。そしてこの良い雰囲気のまま自由曲に行く。
ピアノの向こうに置いた椅子に座っていた海老名君が前に出てきて指揮者の傍に立ち、トランペットを構える。阿部さんのピアノが最初の音を出してみんな音を合わせる。馬原先生の指揮が始まり、トランペットの音が高らかに鳴り響く。そのフレーズが終わった所でみんなの歌が始まる。
課題曲がうまく行ったので、自由曲ものびのびと歌うことができた。テーマを繰り返した後で入るアルトソロもうまく行き、それに続くトランペットも格好良く入り、再現部も美しく歌うことができた。合唱って、やはりこういうハーモニーの美しい曲がいいよなあと、千里は歌いながら思っていた。
千里たちの後はF女学園が入り、課題曲の「ロボット」ともう1曲は大中恩さんの女声合唱組曲『月と良寛』から『月かげ』を歌った。『月と良寛』の中では『月とうさぎ』が演奏される機会が圧倒的に多いのだが、千里はその歌が嫌いである。うさぎが自ら火の中に飛び込んで自分の肉体を老人(実は帝釈天)に献げたというのはどうにも納得出来ないと思う。F女学園の歌を聞いていて、『月とうさぎ』でなくて良かったと思った。
『月かげ』にはアルトソロ(オクターブ下げてバリトンが歌ってもよい)が入っているので、こちらのアルトソロを歌った間島さんが食い入るようにF女学園でソロを歌っている子を見ていた。
F女学園の演奏が終わった後は、最後の出演校・Y女学院の演奏である。児童が整列して、まずは課題曲を歌うが、千里たちとは全く違う歌い方をした。
F女学園の歌い方は、1番は表情豊かに、2番は機械的に歌っていて、千里たちN小学校の歌い方と近かったのだが、Y女学院は全曲をかなり躍動的に歌った。この曲はやはり解釈が色々成立するんだろうなと思った。自由曲は無調音楽っぽい曲だった。正直この曲は分からないと千里は思った。
ところがこの曲を演奏中のことだった。
今度はステージ後方に掲げられている国旗と主宰者の旗が突然落ちてきて、児童たちの上にかぶさるようになったのである。
「きゃー」
という悲鳴が上がる。
もちろん演奏は中断する。
係の人が数人飛び出して行く。
「怪我はないですか?」
と声を掛ける。
「大丈夫みたい」
と旗がかぶさってしまった児童たちが言う。
自由曲は再度演奏することになったが、どうも事故の影響が出てしまったようにも思えた。同じように事故が起きても千里たちは、かえってそれで緊張が解けて良い演奏ができたのだが、Y女学院の場合は集中が途切れてしまったようであった。
演奏が終わってから泣いている子もいる。自分たちでもうまく演奏できなかったというのを感じているのだろう。
15分間の休憩をしますとアナウンスされたものの実際には30分待たされた。
「揉めてるみたいね」
「事故の影響を考慮するかどうかで紛糾しているのかもね」
やがて審査員長が出てきて結果を発表した。
「最初に金賞。これは北海道大会に進出します。金賞、留萌市立N小学校」
千里たちは歓声をあげ、高花部長と間島副部長がステージに上がって賞状と楯を受け取った。
「続いて銀賞。F女学園小学校、稚内市立H小学校」
会場内にざわめきがあった。Y女学院は銀賞も取れていなかった。そのあと銅賞が発表されたが、結局Y女学院は銅賞に入っていた。
でも賞状を受け取りに出て行かなかった!
どうも金賞が発表された所で帰ってしまったようである。昨年は一応銀賞を受け取ったのだが、よほど悔しかったのだろう。
(後で合唱連盟のほうから厳重注意されて、顧問が校長との連名で始末書を提出したらしい)
2001年9月2日(日)、留萌市内の温水プール“ぷるも”が正式にオープンした。完璧に水泳シーズンが終わってからのオープンだが、北海道では9月上旬はかなり寒いので、その時期に泳げるというので結構な人出があったようである。
千里たちは正式オープン前から何度か授業で使わせてもらっていたのだが、9月3日(月)にN小の全校生徒で行って、水泳記録会をした。
千里は女子更衣室で女子用スクール水着に着替えるが、いつものことなのでもう誰も気にしない。
1-2年生はビート板で何m進めるかのような競技をしていた。むろんクロールができる子は3年生と一緒にそちらに出てもよい。3年生以上はクロール、平泳ぎ、背泳のどれかで25mまたは50mのタイムを測るが、25m泳げない子は何m泳げたかを測る。それ以外に仰向けの姿勢で1分間水に浮いていればよいという競技もある。これは水難事故に遭ったような場合に結構重要である。
5年生以上の場合は各種目の25m,50mのほかに100m自由形もあるが(実際には全員クロールで泳ぐが公式の水泳大会と違って平泳ぎや背泳で一部または全部を泳いでもよい)、さすがに参加者は少ない。
「るみちゃんは何に出るの?」
「僕は100m自由形」
「すごーい!100m泳げるんだ?」
「400mくらいは泳げるよ」
「ひゃー!」
「400mなんて走るのでも辛い」
と言っている子も多い。
「千里は何に出るの?」
「距離認定」
25m泳げない子対象のものだが、5年生ではそう多くない。
「実際は何mくらい行く?」
「10mくらいかなあ」
などと千里は言っていたが
「千里は“か弱い女の子”を演出せずに本気を出せば20mくらいは行くはず」
と蓮菜から鋭い指摘を受けた。
「ああ、演出なんだ?」
「千里の実態は嘘と演出が95%」
などと蓮菜からは言われている。
「千里が普通の女の子であることはみんな知ってるから、こういう時は本気を出しなよ。剣道部ではわりと本気じゃん」
と玖美子からまで言われた。
「そういえば夏休み中にあった支庁大会で優勝したんだって?」
「3位だよぉ」
「それでも凄いじゃん」
千里が距離認定に出場したのは、実は距離認定は“男女混合”であるというのもあった。25mや50mなどの競技は男女別に行われる。
プールに入って指定されたコースの端の所につかまる。このクラスは飛び込みもできない子が多いので、飛び込みスタートではなく、水中からのスタートである。
スタートの笛が鳴り、泳ぎ出す。一応クロールの型(正確にはクロールっぽい型)で、8回ごとに息をしながら泳いでいく。5mラインを過ぎて、10mラインを過ぎて、15mラインを過ぎて、そろそろ20mラインかな?このあたりで泳げなくなったことにしよう・・・と思ったら、手が何かにぶつかってしまった。
え!?
と思って立ち上がったら、プールの向こうの端だった!!
どうもラインを1本見落としてしまったようだ。
「村山さん、やはり最後まで泳げたね。あなたは次の25mタイムレースにも参加決定」
とそちらの端に立っている桜井先生が言った。千里は昨年夏からずっと桜井先生の個人レッスンを受けているので、先生は千里の実力を知っている。
そういう訳で、結局千里はタイムレースにも出ることになった。
「25mじゃなくて50mとか100mに出てもいいけど。途中で立ち上がってまた泳いでもいいよ。あんた持久力はあるから100m程度は泳げる気がするんだよね」
などと桜井先生は言っている。
「50mとか無理です!25mにします」
と最初千里は言ったのだが、隣から小春が
「100mにしなよ」
と言った。
「そんなに泳ぐ自信無いよぉ」
「100mの1組は男女混合だよ」
と小春が言う。千里は一瞬考えてから言った。
「出る!」
桜井先生が笑っていた。
後から聞いたのでは、100m泳げる女子が少ない(この時点では千里以外に3人しかいなかった)ので、時間節約のため男子の記録の低い子4人と一緒に泳ぐということであった。
千里はターンはできないのだが、一度立ち上がってから再度泳いでもいいということであった。またプールの途中でも辛くなったら一度立ってからまた泳いでもよいということである。
25m,50mのクロール、平泳ぎ、背泳が終わってから最後は100m自由形で、これに出るのは男子20名・女子3名と発表された。これまでの体育の時間に測定したタイムによる“単純分け”で3組に分ける。つまりタイムの速い8人を最終3組に、次に速い8人をひとつ前の2組に、それより下のタイムの子を1組に入れる。但し女子はタイムによらず1組にまとめて入れられた。
そういう訳で、1組は男子4名、女子3名のはずなのだが・・・実際にスタート台の所に並んだのは、男子水着を着た児童3名と女子水着を着た児童4名である。この問題にはほとんどの人が気付いていなかった。
実際には1-4コースが男子で5-7コースが女子に割り当てられていたのだが、コース決めのジャンケンで千里はいちばん勝ったので4コースを取った(千里は基本的にジャンケンに負けることはない)。それで男子水着の子が1-3コース、女子水着の子が4-7コースに居るという状態になったのである。
千里は留実子と小春もいるし、6年生で水泳スクールに行ってる矢子さんもいるし、自分は最下位決定だから気楽に行こうと思ってスタート台に立つ。「用意」の声で前傾姿勢を取る。笛の合図を聞いて飛び込む。
飛び込んだ後、しばらくは身体をまっすぐにして、勢いである程度進む。その後クロールを始める。千里は肺活量が大きい(らしい)ので、だいたい8回に一度息継ぎをすれば行ける。この息継ぎの時に体勢が乱れるのだが、それを今年の夏は桜井先生の指導でかなり修正することができた。
壁まで到達するので、いったん立ち上がり、再度泳ぎ出す。立ち上がった時になにげなく左手を見ると、みんなかなり前を行っているようである。ああ、やはり私はかなり遅いなと思い、あまり遅くなると次に泳ぐ人たちに迷惑になるし、もう少し頑張ろうかと思った。それで千里はこれまでより頑張って手足を動かした。2度目の折り返しでは(さっき左手を見たしと思い)右手を見ると、やはり自分より先を行っている。きゃー。私かなり遅れているのでは?やはり100mに出る人って、みんな速い人ばかりだから、もっと頑張らなきゃと思う。それで千里は必死に手足を動かして泳いだ。
3度目(最後)のターンで千里は右側を見たら、さっきのターンの時よりは差が縮まっている気がした。それで千里はこの調子で頑張ろうと思い、疲れている手足に「頑張れ〜!」と言いながら泳ぐ。
そして壁タッチ。
ストップウォッチで計測していた6年生から
「お、これいい記録」
という声が掛かった。
「え?そんなにいい記録なんですか?」
と千里は思わず訊いた。
「1分29秒4。これB級突破してない?」
と隣の5コースを泳いでいて既にプールの上にあがっている矢子さんに訊いた。
「“女子”の1級は突破している」
と彼女は言った。
「1級ってなんか凄いいい記録?」
と千里は驚いて訊いた。
「ううん。水泳の資格級はいちばん低いのが1級で最高が15級」
「普通の級と逆なんだ!」
「紛らわしいよね。でも千里ちゃん頑張ったと思うよ」
と彼女は笑顔で言った。
全員退水してから、千里は“女子で2番”と聞いて驚いた。
「この組の1番は女子の加成(矢子)さん、2位が男子の広沢君、3位が高沢君、4位が村山さん、5位が花和(留実子)さん、6位が溝江君、7位が深草(小春)さん」
と記録係の6年生が言った。
留実子より上だったというのに千里は驚いた!
もっともタイム差はわずか1秒である。
「千里は身体が細いからきっと水の抵抗が小さくてスピードが出たんだよ」
と小春が言う。この言葉はむしろ悔しそうな顔をしていた留実子に言ってあげている感じもした。
記録係の6年生は
「加成さんは資格級Aの8級相当、広沢君がBの4級相当、高沢君が2級相当、村山さんと花和さんは1級相当かな」
と基準表の冊子を見ながら言っている。それで記録票に記入してくれた。
むろん公式の記録会ではないから公認記録ではないが、それ相当ということである。
100mの男女の上位3人には記念品が出るということで、矢子さん、千里、留実子に水色のペーパーウェイトが渡された。千里が渡されたものには「留萌N小学校平成13年水泳大会2位」という文字が入っている。
千里は
「これはるみちゃんのものだと思う」
と言って彼女に渡そうとしたが、留実子は
「いや。千里は本当に女子だから、それをもらっていてよい」
と言い、小春も矢子も笑顔で頷いていたのでもらっておくことにした。
でもお父ちゃんに見つからないようにしなきゃ!
しかし更衣室で矢子さんから言われた。
「千里ちゃん、女子の1級は突破しているんだけど、男子の1級の記録には及んでない」
「あぁ」
「でも男子の記録としても1級にかなり近い数値だよ。頑張れば来年は多分4級以上にはなるよ」
と彼女は笑顔で言う。
「でも私、ターンできないから、立ち上がって折り返していて、その度に左見たり右見たりしてて、みんなから凄く遅れていると思ったから遅すぎて迷惑掛けないようにと頑張ったのに」
と千里が言うと、彼女は少し考えていた。
「25mのターンで千里ちゃん、どちら見た?」
「えっと・・・左かな?」
「50mのターンは?」
「右」
「75mのターンは?」
「左」
「千里ちゃん、ターンする度に左右は入れ替わるからさ、それって男子の方しか見てない」
「え〜〜〜〜!?」
千里は全く気付いていなかったのである。
「千里ちゃん、真ん中のコース泳いでいたから気付きにくかったかもね」
「そっかぁ」
「千里ちゃん算数ってあまり得意じゃないでしょ?」
「かなり苦手。実は去年くらいまで九九も怪しかった」
「でもまあ男子に追いつこうと頑張ったのはよいと思うよ。千里ちゃん、女の子だって男子に負けていてはいけない。男に負けない女の子になろう」
「・・・それいいかも知れない」
2001年9月11日(火)、日本時間21:46.
アメリカ・ニューヨーク(現地時間同日朝8:46)、マンハッタンのワールド・トレードセンター北棟にボーイング767-200ER型機が激突した。
千里はこの時間、寝ていたのだが、22時のニュースで台風情報を見ようと思ってNHKをつけた津気子がこの報道に驚き、大きな声をあげた。それで千里も起きてしまった。
「なんかマンハッタンの高層ビルに小型機が激突したらしい」
と母は言ったが、小型機というのは情報の混乱で、定員が200名クラスの大型機である。それで千里もすっかり目が覚めてテレビを見ていたら、30分もしない内に(現地時刻9:03)今度は別の飛行機(こちらも767-200ER)が南棟に激突した。
「どうなってんの?これ?」
当初は何かの事故と思っていたので、津気子も千里も何が起きているのか分からないままテレビを見ていた。
ビルの高い階でタオルか何かを振っている人の姿がテレビに映る。あの人助かるだろうか?などと思って見ていたら22:59(現地時刻9:59)南棟が崩壊、更に23:28(現地時刻10:28)北棟も崩壊した。
津気子も千里も声をあげることもできずテレビの画面を見ていた。
この2つの飛行機はテロリストによりハイジャックされたものであった。他に別のハイジャックされた飛行機が国防総省(ペンタゴン)に激突。更にもう1機もハイジャックされたが、これは乗客による反撃で目標(国会議事堂あるいはホワイトハウスだったとも)に到達する前に墜落した("Let's Roll")。
同時多発テロと呼ばれた事件である。
翌日学校ではこの事件のことでもちきりだった。この日は授業が始まるのが少し遅れた。おそらく児童から何か訊かれたような場合の対応などを話しあっているのではと思った。
数日後、恵香が奇妙な話を持ち込んできた。
「あのテロ事件、元から予定されていたというのよ」
「というと?」
「破壊されたワールド・トレードセンターの住所はニューヨーク、クイーン・ストリート33番地なんだって。だからQ33NYと略せる」
と言ってその日恵香は学校のパソコン室で、メモ帳を開き Q33NY と入力した。
「これをね。フォントをWingdingsに切り替えるの」
と言って操作する。
「わっ」
「きゃっ」
といった声があがる。画面はこのような表示になった。
「飛行機がビル2個に突っ込んで髑髏になる」
「右端の星みたいなのは?」
「これ何とかの星っていってユダヤ教のシンボルらしいよ」
「じゃユダヤ教が絡んでいるの?」
「逆々。事件を起こしたイスラム過激派はイスラエルを敵視していて、アメリカはイスラエルを支援しているから、アメリカを攻撃したんじゃないかって」
「でもなんで住所にこんなのが隠れているわけ?」
「たまたまこういう住所の場所がこのワールド・トレードセンターだったんじゃないかな」
「じゃターゲットは住所で選ばれたんだ!?」
この噂は世界的に急速に広まったものの(日本でも2chを中心に騒ぎになる)、後に全くのガセであったことが判明する。ワールド・トレードセンターの住所は「クイーン・ストリート33番地」ではなかった。だいたい“女王の国”ではないアメリカにそんな名前の通りがある訳が無い。かつてクイーン・ストリートと呼ばれた通りは2つ存在する(現在のCedar Street, Pearl Street)が、どちらもワールドトレードセンターと接していないし、そう呼ばれていたのは独立前頃のことである。航空機の便名とか機体番号との説もあったが激突した飛行機の便名はAA11, UA175, 機体番号も N334AA, N612UA であって全く違う。なおNYが髑髏とダビデの星になる件は、Wingdingsフォントが公開された1992年にも一度話題になっていた。Q33NYのガセネタを考えた人はその時の騒ぎを覚えていたのであろう。
千里はキョロキョロした。
また見知らぬ場所に来ているのである。
ひなびた農村のような雰囲気の場所である。しかし工場のようなものも遠くに見える。写真で見た昭和30年代頃の地方都市のような感じだと千里は思った。ただ空中に巨大なUFOのようなものが浮かんでいるのが不思議に思えた。
近くに申し訳なさそうな顔をした《きーちゃん》がいる。
「千里ちゃん、悪いんだけど、また封印をしてくれない?」
「今夜も月食だっけ?」
「違うけど、緊急のメンテが必要なのよ。一度封印の作業をしてくれた千里ちゃんなら、月食の晩でなくても、少し無理すれば何とか封印が出来るから」
「もしかしてアメリカのテロ事件に絡んでる?」
「そうなのよ。あれの余波が世界中に及んでいる。たぶんあちこちで同様のことをしている人たちがいると思うんだけど、日本はあんたたちがやってと言われて」
「言われてって誰に?」
「うーん。。。何と言ったらいいものか」
「神様?」
「ごめん。それには返事出来ないけど、してくれない?」
「まあいいよ」
例によって《きーちゃん》には千里に見えているUFOが見えないようだった。
千里はまたこないだと同様の小袖に着替えさせられたが、模様はススキではなく、牡丹か何かの花模様で、帯も略式の半幅帯ではなく正式の丸帯になった(袋帯や名古屋帯は江戸時代には無い)。
去年美輪子おばちゃんに着せてもらった振袖もよかったけど、この小袖もいいなあ。やはり和服を着るなら女物だよね!男物の和服ってつまらなそう、などと千里は思っている。
《きーちゃん》は今度は彼女自身が誘導して千里を多くの神社に連れて行った。
「今度は、きーちゃんが連れて行ってくれるのね」
と千里が言うと、彼女は不思議そうな顔をして
「こないだも私と一緒に回ったじゃん」
と言った。
あれ〜〜?そうだっけ??と千里は訳が分からない気分だった。
こないだ巡回した時は神社ごとに掲げられている「○○明神」という提灯の上の文字が読めなかったのだが、今回は千里にも少し読むことが出来た。
最初の神社は徳*明神という名前であった(*の所が読めない)。千里はなんで今回は少し読めるのだろうと不思議に思った。また前回訪問した神社は全て鳥居から拝殿まで10m程度以内だったのが、今回は最初の神社で50m, 2つ目の海*明神では100m近く歩いた。3つ目の善*明神では30mほどだったが、4つ目の弥*明神ではまた100mくらい歩いた。
そして前回は12個で済んだものの、今回は27個も回ることになったのである。
「ここでおしまい」
と《きーちゃん》に言われて、千里はほっとしたように
「疲れたぁ。でも今回は前より多かったのね」
と言った。
すると《きーちゃん》は不思議そうな顔をして
「前回回ったのと今回回ったのは同じ数の神社のはず」
と言った。
「え〜?でも前は12個だったけど、今回は27個の神社を巡ったよ」
と千里は言う。
《きーちゃん》は少し考えるようにしてから言った。
「前回も今回も回った神社の数は53個」
「うっそー!?」
「前回12個、今回27個しか千里ちゃんの記憶に残っていないとしたら、まだ記憶を残すことを許してもらえなかったのかもね」
「そういうことがあるんだ!?」
「次またこの結界をすることがあったら、次は53個全部記憶に残るかも」
「またやることあるの〜?」
「よほどのことがない限りはしばらく大丈夫だと思うんだけどね」
と言いながら、きーちゃんはさすがにこの子が生きているあと1年半くらいの間に再度こういう事態が起きることはないだろう、と思っていた。
9月16日の学習発表会は延期になってしまった。アメリカの同時多発テロを受けて、様々なイベントやテレビ放送などで自粛ムードが広がっていた。9月23日に予定されていた合唱サークルの道大会も中止になり、今年は予選の時の録画によって審査するという連絡が来た。
「ビデオ審査は有力校が有利だからなあ」
と馬原先生は心配していた。しかし月末になって、札幌の私立L女学園と留萌市立N小学校の2校が全国大会に進出しますという連絡が来たので、その報告を受けて、合唱サークルのメンバーから歓声が上がった。
「本来は北海道は代表1校のはずなんだけど、今回は全国から特別に16校選ぶということになったみたい。L女学園は実力派だから、うちは2位だったかもね。ビデオ審査になった代わりに枠が拡大されたのが結果的には運がよかったかも」
と馬原先生は言っていた。
延期された学習発表会は9月30日(日)に実施された。
千里は「有志演奏:ワンティス『無法音楽宣言』」と5年1組のクラス劇『魔法の白鳥』、および合唱サークルの演奏に出演する。
朝から1年生に始まって各クラスの劇(あるいは合唱・合奏などの演し物)が行われていく。
昨年『笠地蔵』のお地蔵様をした玲羅(3年生)は今年は『十二支の始まり』で猫を演じていた。ただし全ての役がダブルキャストになっていて、ネズミも2人、牛も2人、ということで動物役は猫を含めて26人である。そして残りは全員神様役らしい。
3年1組・2組の劇が終わった後は、合唱サークルの演奏となる。千里は堂々と合唱サークルの制服(ペールピンクのチュニック+えんじ色のスカート)を着てステージに上がり、コンテストでも演奏した『ロボット』『流氷に乗ったライオン』にもう1曲『小さな木の実』を歌った。地区大会の時は正ピアニストで6年生の阿部さんが伴奏したのだが、今回は度胸付けも兼ねてサブ・ピアニストの5年生・美那が伴奏し、阿部さんは指揮者として参加した(阿部さんはピアノは上手いが歌が下手)。
合唱サークルの演奏の後は、教師合唱を経て、5年生保護者の合唱となる。
千里の母はこれに参加するのに出てきてくれていたのだが(夏休み中にも数回練習に出てきてくれている)、千里に「あんた何の役するんだっけ?」と訊き、千里が
「王女様だけど」
と言うと、聞かなかったことにしたようである!
母はさっき千里が合唱サークルでスカートの制服を着て歌ったのも見なかったことにしたようである!!
母たちはポルノグラフィティの『アゲハ蝶』とMISIAの『EVERYTHING』を歌った。蓮菜のお母さんがピアノ伴奏をしていた。
この5年生保護者合唱の後は、昼休みに入るが、その昼休みの時間帯を利用して、有志グループによるパフォーマンスが行われる。N小の児童でなくてもいいので、保護者有志のフラダンスとか、民謡の会の演奏、老人ホームの皆さんの歌唱、なども入っていた。児童のグループでは、6年生男子3人によるバンド演奏(ギター・ベース・ドラムス)もあり、千里たちは「かっこいい!」と言って見ていた。
そして千里たちが出て行く。
およそ楽器には見えないものが並んでいるので、結構なざわめきがある。が、蓮菜の「ワンツースリー」の掛け声で演奏が始まると、どよめきが起きる。
体育館の広さに響かせるため、田代君のお兄さんとそのお友だちがいくつかの楽器にピックアップを付けてスピーカーにつないでくれている。これをしないとやはりペットボトルに水を入れて作った“瓶琴”などはどうしても音量が足りない。
各自の使用“楽器”
佳美 大きさの違うゴミ箱を4個逆さまにして並べ、棒で打つ(ドラムス代り)
蓮菜 水を入れたペットボトルを並べた“瓶琴”(ピアノ代り)
千里 ノコギリをプラスチックの棒で弾く(ヴァイオリン代り)
美那 風船(針で割る)
恵香 おもちゃのチャルメラ
穂花 塩ビの水道管に穴を開けて作った横笛
田代 オモチャの銃とキャップ火薬
鞠古 クラクション付き自動車のオモチャ
その他5年1組女子一同 歌
穂花の“横笛”の穴を開ける位置は田代君のお兄さんがパソコンで計算して決めてくれたが最初に作ったものは微妙に音程がずれたので最終的には勘で微調整して音程を合わせ付けた。これもピックアップで拾って増幅している。
最初このプロジェクトに参加していなかった女子も引き込んで1組女子全員参加にしたのは玖美子である。それ以外に田代君と鞠古君が入っている。この2人は昔から女子たちと垣根が無い。
演奏が終わると物凄い拍手があった。
昼休みの後、4年1組・2組の劇を経て5年1組の劇が始まる。
舞台の背景は絵のうまい子数人で手分けして描いたものをプロジェクターで後ろの幕に投影している。
最初の場面は王宮である。ナレーターの佐奈恵が出て、王女が生まれてから1度も笑っていないということを説明する。
王様(高山)と王妃(杏子)が並び王女(千里)もいる中、最初に物まね芸人(穂花)が出てきて芸を披露し、王様と王妃も笑うし会場でも結構な笑いがあるが、王女は笑わない。漫才のペア(飛内・福川)が出てきて短いネタを披露するが、やはり笑わない。1人コントの恵香がロシアンジョークを披露するがやはり笑わない。最後に蓮菜が出てきて千里をくすぐるが、それでも千里は笑わない。
それで王様は言った。
「国中にお触れを出そう。姫を笑わせた者には金貨1000枚もしくはこの国をやる、と」
それで大臣(上原)が文書を書き、王様が署名して、大臣はその文書を持って出て行った。
幕が降りてその前で演技が行われる。ナレーターは3人の兄弟、ジェイコブ・フレデリック・ピーターが居て、末弟のピーターが上の2人から馬鹿にされていることを語る。
「お前は麦の袋も運べないし」
とジェイコブ。
「お前は引き算もできないし」
とフレデリック。
「お兄さん、僕のごはんこれだけなの?お腹すくよ」
とピーターが訴えるが
「働けない者には飯(めし)なんかやれない。それだけもらえるだけでもありがたいと思え」
と兄たちは言った。
「お腹空いたよ」
と言いながら、ふらふら歩くピーター(留実子)の前に女神(優美絵)が現れる。そして言った。
「あなたはもう家を出なさい。このままでは死んでしまいます。そして家を出たら、十字路に、男が寝ていて、そのそばの梨の木に白鳥が一羽つながれているのを見るでしょう。そしたら、その男に気付かれないようにそっと白鳥がつながれている紐を解いて連れて行くのです。決して男に気付かれないように、そして白鳥自体にも決して触らないように」
「連れて行くってどこに行くのですか?」
「王宮まで行きなさい。きっといいことがありますよ」
それでピーターはいったん家に戻り、父に自分は家を出ると告げた。父親は心配してくれたが、兄たちは「これで食い扶持が1人分減って助かる」などと言った。
ピーターが家を出てから歩いて行くと、女神が言ったように梨の木があり、男(津山)が寝ていて、その梨の木に白鳥が繋がれていた。ピーターは男に気付かれないようにそっと近寄るが、津山君はまるで起き上がるかのような動作を見せたり、寝返りを打ったりしてピーターをドッキリさせる。しかしピーターは無事白鳥をつないでいる紐をほどき、その白鳥を連れていった。
なお白鳥はビニール製の白鳥の形の子供用プール(空気で膨らませるタイプ)を台車に乗せたもので、ピーター役の留実子はその台車に付けた紐を引いている。
幕が上がって、居酒屋っぽい背景である。テーブルと椅子が置かれている。そこにピーターが白鳥を連れて入って行き
「喉が渇いた。ビールをくれ」
と言う。それでウェイトレス(美那)がビール(実際には麦茶)を持って来て出す。ピーターがそれを飲んでいると、客の男(鞠古)が寄ってくる。
「兄ちゃん、すっごく可愛い白鳥を持ってるね」
「そうかい」
「美事な毛並みだ。ね、ね、触らせてもらえない?」
「うん。触るくらい自由に」
それで男が触ると白鳥が突然「ぎゃー」と鳴く(声:佳美)。ピーターは驚いて「落ち着け!」と言った。すると白鳥は泣き止む。
「びっくりしたね。あまり機嫌が良くなかったのかな」
などとピーターは言っているが、男が困ったような顔をしている。
「どうかしたの?」
「手が離れない」
「え?うそ」
それでピーターは男を引っ張るが、男の手は白鳥から離れない。
そこにウェイトレスが出てきた。
「お客さん、どうかしたの?」
「なんか白鳥から手が離れないらしい」
「え?ちょっと貸して」
と言って、ウェイトレスは白鳥と男を掻き分けるように押した。ところが彼女が白鳥に触った途端、また「ぎゃー」と白鳥が鳴く。ピーターが「落ち着け」と言ったら白鳥は鳴き止む。ところが
「私の手も離れない!」
とウェイトレスは言った。
「困ったな。俺は白鳥を連れていくところがあるし。あんたらも一緒に来る?」
とピーターも困ったように言った。
それでピーターは白鳥を連れて出発する。背景が移動する。手が空いている子たちの手でテーブルと椅子が片付けられる。
やがて真っ黒に汚れた服を着て、顔まで真っ黒(顔ペンで塗っている)にした煙突掃除夫(田代)がやってくる。ウェイトレスが声を掛ける。
「ジョン!助けて。私たちこの白鳥から離れなくなっちゃって」
「なんだって。どれ」
と言って田代君は白鳥とウェイトレスを押して引き離そうとする。ところが白鳥は田代君が触ったとたん「ぎゃー」と鳴く。ピーターが「落ち着け」と言うと白鳥は鳴き止んだが、煙突掃除夫も白鳥にくっついたままになってしまった。
背景が移動してサーカスの絵になる。道化師の格好をした東野君が来る。彼は一行を見て大笑いした。
「君たち何やってんのさ?」
「くっついてしまって離れないんだ」
と煙突掃除夫が言うと
「何馬鹿なこと言ってんの?」
と道化師は言って・・・結局彼も白鳥にくっついたお仲間になってしまう。
やがて立派な格好をした村長(佐藤)と白いドレスを着た奥さん(玖美子)がやってくる。
「君たちは何をしている。けしからん。警察に連行する」
と村長は言って、白鳥に触り、結局そのままくっついてしまう。
「お前、手伝ってくれ。この白鳥からどうにも手が離れないんだ」
と村長に言われて、結局奥さんもそのままくっついてしまう。
ピーターはその一行を連れて、女神に言われた通り、王宮にやってきた。そこに馬車に乗った王女が出てくる。
(馬車と馬は段ボールの書き割り。御者役の子、侍女役の子、王女役の千里の3人で持っている)
そして王女は一行を見た途端大笑いしはじめた。侍女は王女が笑っているので驚く。
「大変です!王女様がお笑いになりました!」
と大きな声で言う。
すると奥の方から王様と王妃が走って出てくる。そして2人ともピーターが連れている一行を見て大笑いした。
王様はまだ笑いながらピーターの肩を叩くと言った。
「君、全く面白い演し物をしてくれた。姫を笑わせたものに何を取らせると私が布告したか知っている?」
「いいえ」
とピーターはきょとんとして言う。
「金貨1000枚かこの国をやると言ったんだよ」
「金貨1000枚!?とんでもない。私は白鳥を連れてきただけで、そんな大金をもらういわれはありません」
「欲の無い奴だな。だったら姫と結婚してこの国を治めてくれ」
「え〜〜〜!?お姫様と結婚するんですか?」
「あんた男だよな?」
と王様(高山)。
「男ですけど」
とピーター(留実子)。
「ちんちん付いてる?」
「付いてますよ」
「だったら姫と結婚出来るな(*2)」
「お姫様って女の人なんですか?」
「もちろん。姫が男なわけない」
(*2)この件は、千里と留実子は果たして結婚可能かというので、後から随分議論された。
「花和にチンコが付いている確率は50%くらいだと思う」
「村山にチンコが付いている確率はゼロ」
「あいつ最近平気で女子と一緒に着換えているみたいだから付いてたら騒ぎになっているはず」
「水泳大会で女子スクール水着を着てたけど、ちんこらしきものは無いように見えた」
「ということはふたりが結婚出来る可能性は50%かな?」
ナレーターの佐奈恵が出てきて
「そういう訳でピーターは王女と結婚して幸せに暮らしたのでした。めでたし、めでたし」
と言った。
「待って。私たちはどうなるの〜?」
と白鳥にくっついたままのウェイトレス(美那)。
「あ、ごめーん」
と言って女神(優美恵)が出てきて、魔法のスティックで白鳥に触れると全員白鳥から離れることができて、そのままみんな逃げて行った。そして女神は白鳥を連れて「幸せにね〜」と言って退場した。
「これにて一件落着」
と佐奈恵が言って幕が降りた。
1 2 3
【少女たちの修復】(2)